池袋高齢者暴走事件について二度ほど記事を書いた。その後も高齢者の運転事故が起こっている。前回も書いたが、80歳以上の高齢者による死亡事故は、75歳未満の約3倍だという。さらに高齢者人口は絶対数も比率は高まり続けている。3倍の危険性を持つ85歳以上の人口が、過去20年弱の間にすでに2倍以上になってしまっており、その数は将来的にさらに倍増する勢いで増えていく。その一方、若者の人口は減少し続け、若者一人当たりの老人数はさらに一層の拡大をし続ける。
このような未曽有の少子高齢化社会を迎える日本にとって、高齢者暴走問題は、一つの深刻な社会問題である。「地方部で車がないと買い物できない老人がいるので、池袋で87歳の元高級官僚が親子をひき殺しても仕方がない」、と言えるような問題ではない。多数決では問題解決できない。政治の問題としてとらえていく必要がある問題だ。
地方部での買い物に車が必要、といった議論が根強い。しかし高齢者ドライバーが多いから、そのような状態が続くのだ。高齢者ドライバーを減らし、高齢者が車両維持にあてていた資産を、すべて宅配(含むドローン宅配)の注文に回させないから、いつまでもこんな状況が続く。政治家は、社会政策に根差した考え方をとらなければならない。
高齢者ドライバーを減らし、日常品の遠隔宅配サービスを、推進する、そういう社会政策論に根差した見解を、政治家が持つべきだ。そのうえで、自動車業界には、自動運転車限定免許を導入するための下地作りを急いでもらえばいい。
それにしても的外れなのは、高齢者は生活が不便なままの状態に置かれているので、池袋で死亡事故を起こした87歳の高齢者を責めるべきではない、といったそれっぽい識者の間の議論だ。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190426-00010021-abema-soci
罪をしっかりと償ってもらう結果を作らなければ、未曽有の少子高齢化社会に突入している日本社会に、深刻な悪影響が及ぶ。個人を責めるのはよくない、と言った論調が識者の間で流通しすぎるのは、危険だ。
もともと刑事罰は、交通犯罪も含めて、社会政策の一環として、抑止効果を狙って作られている制度だ。殺人者をとがめても、殺された者が戻ってくるわけではない。しかし殺人者に厳罰を下さなければ、次々と模倣者が現れてしまうので、重大犯罪には厳罰を下す。民事上の損害賠償にも、同じような社会政策上の措置があることは、言うまでもない。
重大事件を犯した者が、免責されてしまえば、社会政策としての抑止効果が保てない。未曽有の少子高齢化社会を迎える日本にとって、高齢者にどのような抑止力を働かせていくかは、国益にかかわる重大問題だ。
全てのドライバーに抑止力を働かせて、危険回避を自己の利益に沿うと感じさせるためには、それに十分な刑事罰と民事上の損害賠償が高齢者にも課せられなければならない。
ところがそれが難しいので、高齢者暴走問題が、深刻な社会問題になっている。
刑事裁判で懲役刑を科しても刑期を全うせず他界する可能性が高い。そもそも刑事裁判の判決が寿命に間に合わないかもしれない。
より深刻なのは民事訴訟だ。普通であれば重大交通事故は、「一生涯かけて償う」姿勢を損害賠償で示す。ところがすでに定年退職しているだけでなく、将来にわたって収入のある職業に就く可能性がない。そこで未来ではなく、過去の資産を差し押さえるなければ、高齢者に対する抑止力が全く働かない。ところが民事訴訟の場合も、決定が寿命の限界に追いつかない可能性が高い。そうなると相続人に対して損害賠償請求することになるが、相続放棄されたら、損害賠償請求できない。
つまり高齢者に対する抑止力の確保には、非常に大きな制約がかかっている。もし抑止効果を狙う社会政策の効果が高いと仮定すると、その効果が低い高齢者のドライバーの危険性の意味がよくわかってくる。85歳以上のドライバーの危険度が高いのは、認知度、身体能力の低下だけでなく、社会政策上の抑止力の低下が原因になっている可能性すらある。
現在、87歳の池袋暴走者が逮捕されていないのは、入院しており、証拠隠滅の可能性がないからだという。高齢者特有の事情を考慮に入れていない官僚的な対応だと思う。たとえば、資産防衛をしていないか、チェックが必要だ。後で事故被害者の弁護人が検証できる仕組みが必要だ。
相続人に対して「生前贈与」をする場合、夫婦間の不動産贈与で2000万円、住宅取得資金贈与の特例で1200万円、年間基礎控除110万円がある。そもそも課税対象になっても、損害倍書による差し押さえが確実な場合には、税金を払ってでも生前贈与をすることに私的利益上の合理性が発生する。もちろん、事故被害者は、詐害行為取消権で生前贈与の取り消しを求めて対抗することができる。だが、資産運用に慣れた加害者の場合、資産の第三者を介した売却・贈与など、被害者の対抗措置の裏をかく方法や手段を追求しないとも限らない。少なくとも調査から査定に加えて、法的対応で、被害者側に不要な多大な負担がかかるのは不当だ。
逮捕しないというのであれば、証拠隠滅の恐れがないことだけでなく、不動産・株式資産等の相続や現金化の恐れがないかも確証するべきだ。できれば資産運用を差し止める措置を即時にとりたい。
暴走老人に、どのような抑止力を働かせるかは、少子高齢化社会においてもなお、未来ある子どもを守り、将来の日本の活力を保つという国益がかかった問題である。少なくとも政治家には、そのような認識をしっかり持ってもらいたい。
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理由は後述するが、事故自体が示す「不条理」(ἄτοπος)に、篠田さんが怒り(ὀργή)と憤り(θυμός)を募らせるあまり、篠田さんらしくない、立論の肌理が粗い(σομφός)、つまり粗雑(συμφός)な論理構成(συντίθεσθαι)になっているように思う。
例えば、冒頭の文章、
【池袋高齢者暴走事件…の後も高齢者の運転事故が起こって…80歳以上の高齢者による死亡事故は、75歳未満の約3倍…高齢者人口は絶対数も比率は高まり続け…3倍の危険性を持つ85歳以上の人口が、過去20年弱の間に…2倍以上に…将来的にさらに倍増する勢い…の一方、若者の人口は減少し続け】という認識は、警察発表の「交通事故白書」か何かの数字なのだろうが、「80歳以上…による死亡事故は、75歳未満の約3倍」というのは、事故の絶対数ではなく、たぶん事故の当該年齢層の発生比率を相互に比較した数値だろうから、75歳未満の起こす事故の方が、「絶対数」としては多いはずだ。
相当程度の長寿社会になったとして、85歳というのは男性の平均寿命を超えている。しかも健康年齢の遥かに上で、自動車が運転できるような80歳以上の高齢運転者が、実数としてどれだけいるのか、しかも85歳は男性の健康寿命はもとより、女性のそれも上回っているから、現役の運転者数がそもそも少ない。
その中で事故、特に今回のような猛スピードで歩行者をなぎ倒すような事故はレアケースで、抑止するために社会政策で網をかけるような問題かどうか、疑問に思う。
従って、今回の事故は深刻な悲劇(τραγῳδία)で、再発防止策の検討は急がれるべきだとしても、だからと言って、【未曽有の少子高齢化社会を迎える日本にとって、高齢者暴走問題は、一つの深刻な社会問題】という問題意識を共有(μέθεξις)できない。
高速道路などでの認知機能に問題がある高齢運転者による逆走事故や。所謂「徘徊」(昨今はお為ごかしのメディアでは使わない表現)老人による公共交通機関の妨害、その他高齢者が絡む事故(人を殺傷するより犠牲になるケースが多いが、社会的には甚だ迷惑で損害賠償を請求されるケースも少なくない)のような事例の対策も含め、全体的な視点から論議すべきではないか。
もっとも、公共交通機関が不採算でますます不便かつ非効率的になっている地方部で車が生活手段として不可欠な高齢者、特に病院通いの比率が高い高齢者が実数でも数多く存在するとしても、それを理由に【87歳の元高級官僚が親子をひき殺しても仕方がない】と考える人間はごく少数だろう。
メディアが大々的に取り上げるから一見「社会問題」化しているかのように、みえるだけではないか。「多数決では問題解決できない」のはその通りだとしても、【政治の問題としてとらえていく必要がある】かとなると、大いに疑問だ。
立憲民主党にように、人気取りで取り組む姿勢を強調する政党が出てくるのは止めようがないが、実効性には疑問がある。
事故抑止に向けた多面的な検討は不可欠で、補償についても遺漏なきを期するのは篠田さんの指摘通りだが、「車がなければ地方は買い物さえ不便」程度の俗論が的外れなのと同様、識者の問題意識も近視眼的(μύωψ)すぎて、話にならない。
高齢者といえども、法の原則に従って、たとえ酷薄でも罪を償わせるのは、法治国家としては当然で異論を差し挟む余地はないが、損害賠償については、何も高齢者の事故だけに限らないから、篠田さんの議論は少し飛ばし過ぎだ。
憲法学者と違ってずっと手強いし、ちょっとやそっとでは素人論議には説得されない。より合理的で緻密な、何より全体として、それこそ社会政策的に首尾一貫した政策パッケージを代替案として提示するしかない。
刑事罰の面からの抑止対策だけなら、保険の問題を含め問題も構造は単純と言えるが、税制を含めた社会政策全体として現行制度に代わる有効な事故抑止策となると、既得権との絡みもあって、そう簡単にもいかない。
結局、末尾の【85歳以上のドライバーの危険度が高いのは…社会政策上の抑止力の低下が原因になっている可能性すらある】には賛同できない。
最後に、篠田さんが三回続けてこの問題にこだわるのは、真っ当な正義感の然らしむところで、論旨には賛同できないが、意のあるところはよく分かる。義憤に任せて情緒的な反応を示しているわけでもなかろう。
少子高齢化問題の核心は「期限付き」の人口構造の歪みで、その本質は畢竟、都市文明化に伴う人間の「自然からの離反」だから、「団塊の世代」を中心とする分厚い高齢者が大量に死ねば、問題の根っこは解消する。もっとも、別の問題にすり替わるだけの話で、労働力不足がその大半は技術的に解消される性質のものであるように、高齢者暴走事故も、走る監視マシーンの自動運転技術で基本的に解消可能だ。
福島の帰還困難区域も目下除染に躍起だが、地方をめぐる構造的な社会経済状況は福島も例外ではなく、限界集落の行き着く先は「消滅」で、買い物に車云々の話も、人影まばらな地域を無人で走る(乗客も無人かもしれない)自動運転のバスが、将来の相当数の地方の姿かもしれない。
それはそれで深刻だ。無辜の母娘の生命(βίος)を一瞬にして台無しにし(ἀπολέσω)、冥府(ἐκεῖ)に連れ去る(ἀπάγω)殺人者(ὁ φόνος)に等しい87歳の所業も、容疑は過失運転致死。「殺人」(ἀποκτείνειν)でないのは、それも法(νόμος)の裁き(κρίσις)だからだ。
しかし、家族を含め、待ち受けるのは十字架(σταυρός)上の苦しみ(ἄλγους)だろう[完]
私の妻ほど敬虔(ὅσιος)ではないだけだ。祖母が男爵令嬢で、謂わば皇室の「藩屏」の子孫だから、出自(γένος καὶ γενεαλογία)を全く意に介しない本人の自覚(εἰδέναι)はともかく、当然と言えば当然なのだろうが、私には無関係だ。
ただ、尊重する(ἐτιμησάμην)。論理的に同意する(συνεπινεύειν)こと、承認する(συγχωρεῖν)のとは別の「思考の働き」(νοεῖν)で、家庭は平和(εἰρήνη)が何よりだ。妻は、言わんとすることを、無学ゆえに「屁理屈」(λόγος)を捏ね上げる(πλάττω)、即ち立論に際して論理的な「不正をする」(ἀδικέω)質ではない廉直な(αἰδώς)女だから敬意を抱いており、人間としての価値(ἀξία)は私などより数等上(εὐσχήμων)かもしれない。しかし、品がある(εὐσχημοσύνη)ということは、真理(ἀλήθεια)の基準(κριτήριον)ではない。
それはともかく、「敬虔」とは、「神を敬う心」(θεοσέβεια)、神的な=神聖な(θεῖος)存在に対する素朴な(εὐηθικός)帰依感情(πιστεύω πάθη)、つまり信仰(πίστις)に似た、世界中の宗教にみられるアニミズムの一つなのだろうが、天皇はもとより「神」(θεός)ではない。
国家機関の一機能が生身の人間(ἄνθρωπος)に宿った(κυεῖν)=仮託されただけの話で、国民の大多数による新天皇の即位を素直に「共に喜ぶ」(συγχαίρω)気持に水を指す意図はないが、熱狂は封印する(σφραγίζω)ことにしている。ただ、それだけだ。
「不条理」(ἄτοπος)についてだ。今回の暴走による悲惨極まりない死傷事故について、篠田さんの見解と違う理由は述べた通りだが、犠牲(θυσία)になった母娘二人の無念については、察するに余りある。
人間は簡単に(ῥᾳδίως)死ぬものだ。世界各地で戦争や紛争(πόλεμος καὶ ἀγών)により、貧困(πενία)により、劣悪な(πονηρός)衛生環境や病気(νόσος)に伴って実に無数の(ἀναριθμας)罪なき人々が死んでいく。平和構築の現場でそれらに日々向き合い闘っている篠田さんには、釈迦に説法かもしれない。そして、日本とそうした国では命の値段さえ異なる。
生命の尊厳(σεμνόν)などといったところで、前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」日本国憲法の理想(παράδειγμα)など、この世(κόςμος)のどこにもない。それが世間(κόςμος)の紛れもない現実(τὸ γιγνόμενον)だ。文字通り、無に等しい(ὡς ούδέν)。
池袋の母娘二人は、自動車という文明の利器(ὄργανον)によって殺されたのではない。文明生活の安楽さ(ἡδονή)を享受する(ἥδομαι)のは各人の自由だし、正当化(ὀρθόω)されなくてはならない固有の(οἰκεῖος)権利(ἰσονομία)、即ち公認された「私利私欲」であって、相互に承認(τὸ ἐνδεχόμενον)されるべき「人間的な自由」(τἀνθρώπινον ἐλευθερία)の基礎条件(ᾧν οὐκ ἄνευ)、すべての人間的な行動(πρᾶξις)の前提(πρότασις)となるものだ。今日の市民社会の原理原則(ἀρχή καὶ ἀξίωμα)に外ならない。
そしてその比類なき価値をもつ自由が桎梏(ἀμοιβή)をもたらすのも、人間社会の争えない現実だ。
そこで「不条理」である。しかし、それはフランスの作家カミユや実存主義者のサルトルが説くような、根本的に偶然的な(συμβεβηκός)、説明しがたい、「理解可能性」(compréhensible)の喪失という意味ではない。不条理極まるものである存在者の「現存在」(Dasein)の根拠は存在せず、神によってしか説明不可能なのに頼みの神も存在せず、結局、「現存在は存在者の本質に先行する」という意味での「存在の不条理」(absurdité de l’existence)などでもない。
そういう世界に生きて、どうしたら人間は知性に基づいて認識する自由な主体でいることが可能か、過去によって規定された主体が、過去をいったん無化し、未来に向かって自己を根本的脱自として「投企」(pro-jet)するうえでの思案でもない。
生きている以上、人間は至るところで乗り越えるのが困難な限界にぶつかる。この限界が存在そのもの、限界状況(situation-limite)という名の、人間存在の根本的な矛盾(ἀντίφασις)だが、それでもない。
なぜなら、選択することに人間の本質そのものである自由が存在する、というのがサルトルの説く実存の趣旨で、「人間は一つの無益な受難である」(L’homme est une passion inutile)からだ。
しかし、ここで季節外れの(ἄκαιρος)、当面の議論には役立たない(ἀχρεῖος)実存哲学の講釈をしても始まらない。問題には別の位相があるからだ。
子供にとって親、即ち出生(γέννησις)を選べないように、それは親の過失(σφάλμα)だったり、過ぎ去った(τὸ γεγονός)過去の出来事(ἔργον)がもたらす同胞の不正行為(ἀδίκημα)だったりもする。
「謂われない」(ἄλογος)と人々が感じる差別(διαφορότης)や格差(διαίρεσις)、非難(ὀνειδίζειν)、あらゆる種類の苦難(παθήματα)や苦悩(λύπη)など、「受難の悲劇」(παθητιὴ τραγῳδία)がある。
それでも人間は怯まずに生きているし、懲りずに(ἀκολᾶτος)過失を繰り返すのも人間性の本質(ἡ φύσις ἀνθρώπων)に根差していて、畢竟避けられない(ἀνάγκη)ものなのは、トゥーキュディデースが喝破したように、「人間自然の性向」(ἡ αὐτὴ φύσις ἀνθρώπων)が容易には変わらない(ἀμετάβατος)、つまり抜本的な変革(καινοτομία)など期し難いからで、社会で「進歩」と呼ぶに値する(ἄξιος)ものを手探りするしかない。
これと言った決め手を欠き、救い(σωτηρία)や希望(ἐλπίς)など見出し難いならば、せめて「次善の手立て」(ὁ δεύτερος πλοῦς)は、より善い(ἀμείνων)社会の指標(parameter)について熟慮し、共通認識(κοιναὶ δόξαι)を拡大することかもしれない。
それは、社会を構成する「各人が責任を問われる必要のないことから受ける(不条理な)苦痛を可能な限り減らさねばならない」(市井三郎『歴史の進歩とは何か』、1971年、143頁)ことだろうか。
「令和」は、一段と多難な時代の幕開けかもしれない。[完]
正義(δικαιοσύνη)を愛し不正(ἀδικία)を憎む(μισέω)ことは、不条理に直面した際に人間が示す最も人間らしい行動だ。それを等閑にして(ἀμελέω)、愚にもつかない(φαῦλος)不得要領の(σομφός)、謂わばお為ごかし(φιλανθρωπία=fraternité)のコメントや論調を展開するのが、篠田さんではないが、それこそ「それっぽい」(ἔνδοξος)識者、つまり「知識人」(ἐπιστήμων=[諸事に]通じている人)や専門家(τεχνίτης)、研究者(θεωρικός)と、種々肩書(ὄνομα)はあろうが、「知識のある人々」(ὁι ἐπίστήμων)だとすれば、困ったものだ。
「知識のある」の「エピステーモーン」(ἐπίστήμων)とは、「よく知っている」の謂いで、知悉する、認識するという意味であり、単に「心に思う」、「気づく」というニュアンスでの知る=認める=考える(νοέω)とは異なる、まさに勝義の(κύριος)知っている=精通している人々、端的に知識がある(ἐπίστήμαι)状態を指し、それが所謂「エピステーメー」(ἐπίστήμη)、即ち知識(その内容)であり認識(その作用)だ。
知識と知恵を分けて、「知識があるけれど、知恵(智慧)がない」という、訳知り顔の俗説(ψευδῆ δόξάζειν)に鋭く対立し、両者を区別するのではなく一体的なものとするのがソクラテス・プラトン流の基本的考え方であり、両者をやかましく区別する(διαιρεῖσθαι)ようになったのは、アリストテレス以降の伝統で、以前に指摘した通りだ。
理論的知識(τῇ θεωρικός ἐπιστήμην)と実践的知識(τῇ πράξει ἐπιστήμην)を峻別(διαιρεῖσθαι)する、つまり「知識」(ἐπιστήμη=scientific knowledge)と「知恵」(φρόνησις=practical wisdom⇒「知慮」)に加え、技術(τέχνη=art)を、それぞれ理論=観想(θεωρητική)、実践=行為(πρᾶξις)、制作=創作(ποίησις)の「知」として厳格に(ἀκριβῶς)使い分けるアリストテレスでさえ、今日の一般的な通念(ἔνδοξα)である知識と知恵の軽率な区別とは別の位相で議論している。
「それっぽい識者」が、「本当の意味で知識と称されるに値すると考えられる」(τῆς κυρίως ἐπιστήμς εἶναι δοκούσης)確かな(κυρίως)認識に立ってものを言ったり、書いたりしているかと言えば、そうでもない、というのが篠田さんの冒頭の発言の趣旨だろう。
そうした職業人としてのインテリたち、篠田さんもその一人である学者(ὁ ἐπίστήμων)も含め、他愛もない(ῥᾳθυμηος)人々が少なくない。その専門知(ἐπιστήμη)や能力(δύναμις)、技量(τέχνημα)に問題はないとしても、事件やものごとの背景となる多様な要因(αἴτιον)、錯綜する条件(ᾧν οὐκ ἄνευ)を勘案して(λογίζομαι)、その真相(ἀληθῆ)の在りかを、文字通り「総合的に考える」(συλλογίζεσθαι)ことのできる力量(ἀρετή)の有無は別だということだろう。
せっかく、プラトンやアリストテレスをギリシア語で読める能力があっても、哲学的には凡庸な処世訓ぐらいしか引き出せない研究者が珍しくないのを私もよく知る立場で、あまりご大層なことも言えないが、正義の問題は、ぬるま湯を出て、もう少し真剣に考えなくてはなるまい。
それを「押し付け」(βιάζομαι)と呼ぼうと呼ぶまいと、あるいは9条マニフェスト論を説いた高柳賢三のように日米の「合作物」(σύνθετον)と韜晦した(εἰρωνεύομαι)説明をしようと、真相(ἀληθῆ)に大差はないだろう。篠田さん流に言えば、それもまた戦後の勝者による「平和構築」の一環になる。
その事実に耐えきれなくて「八月革命説」のような、主流派憲法学者による物語(μῦθος=神話、虚構)が生まれる背景にもなっている。それは所詮、「真実らしき物語」(εἰκός μῦθος)であって、神武天皇を祖とする天皇家の由来(ἀρχὴ)、起源(αἴτιον)のように、神話がすべて虚偽(ψεῦδος)であり欺瞞(ἀπάτη)だというわけではないが、神話は論理や理性によってすべてのことが論証(ἀπόδειξις)できない以上、それに代わる、よくできた「まことしやかな」(εἰκός)説話(μῦθος)として有用(ὠφέλιμος)であることもある。
論理的に「理性の光」(lumine rationis naturalis)で証明できないからといってすべて虚偽とは言えないものごとを指し示し 、記述する(συγγράφω)。謂わば説得する(πειθώ)役割があり、その真偽は別問題とする趣旨であって、プラトンの対話篇の最後にしばしば置かれる。
例えば、代表作である中期対話篇『国家』全巻の掉尾を飾る、「死後における正義の報酬」について説いた、所謂「エルの物語(神話)」(614A以降)では、物語の大団円で語られる、通常ミュートスの架空(仮構)性を示す定型的結び‘μῦθος ἀπώλετο’(「物語は滅び去った」)ではなく、プラトンがあえて‘μῦθος ἐσώθη’(「物語は救われた」)と表現するのは、それが単なる虚構の空しい説話的説明=空想物語(μυθολογία)ではなく、物語は「真実」(τὸ ἀληθές)を告げていることを示唆する。
それは、通常のように言葉や理屈=ロゴス(λόγος)で充分に(ἱκανῶς)根拠(διὰ τι)がある、ということを説明できない領域や対象を、「譬え話」という形で説いたものであって、ロゴス的説明の放棄(ἀποβάλλω)ではないのが、プラトンのミュートスの特徴だ。
憲法改正時に、明確な論理=ロゴスで語られるべき国家の最高法規における理念上の大転換を出来の悪い「八月革命説」で事実上スルーし、革命(νεωτερισμός)「神話」に祀り上げた戦後憲法学の知的頽廃(Verfall)は、篠田さん指摘なら、憲法解釈の主導権(ἡγεμονία)を維持し続けるための東大法学部系憲法学者の策謀(ἐπιβουλή)であり抵抗(τὸ ἀντιτυπές)になる。
それは厳密にはヴィトゲンシュタインが「語り得ぬもの」(τὸ ἄλογος)とした、事実判断(Tatsacheurteil)ではない価値判断(Werturteil=Beurteilung)の領域に属する「規範的命題」(normative proposition)に逃避することに等しい。
ところで、篠田さんが批判するドイツ国(公)法学の概念、論理構成による主流派憲法学者による憲法解釈の不備については、改めて縷説するまでもないが、ケルゼン主義者とされた「八月革命説」の首唱者宮澤俊義は、法哲学者の井上達夫氏によれば、「フランス的明晰性とエスプリをもち、啓蒙的合理主義の伝統を継承しつつ、ケルゼンの価値相対主義的イデオロギー批判を独自の仕方で発展させた点で、価値相対主義を自家薬籠的に展開した憲法学者であった」(「碧海法哲学の内的葛藤」、『書斎の窓』2014年3月号、碧海純一先生を偲んで〔1〕学問と思想)。
師の法哲学者碧海純一を追悼するエッセーで井上氏は、碧海が恩師尾高朝雄への敬慕にも劣らない敬愛の念を宮澤に抱いていたと指摘したうえで、
「我が恩師…を追悼するこの場で、その学問と思想への私の内在的批判を以下に呈示する」として、如何にも生真面目な氏らしく正面切った書き方で、「これは亡き恩師の学恩に最も真摯に報いる方途と信じる。碧海の学問と思想は、せめぎあう二つの魂を内包していた。この内的葛藤は碧海の研究の強い推進力になると同時に、碧海法哲学の基盤に亀裂を生み、その原理的統合の障害となった」(同)と表題の由来を説明する。
祖述的に要約すると、次のようになる。
事実判断にはカール・ポパーによる批判的合理主義が、価値判断には論理実証主義が適用されるという形で、二つ異なる哲学的立場が「棲み分け」られるとすれば、法哲学における論理実証主義的思考を展開した碧海にあっても、批判的合理主義の「半面的」=折衷的受容も可能のようにみられる。
一方、批判的合理主義は検証主義的意味論を否定し、原理的に検証不能な自然科学の法則命題が認知的意味をもつのと同様、価値判断も何らかの客観的・共同主観的な妥当性を問い得る認知的意味をもつから、価値情緒説とは両立し得ない。碧海がラッセルと並んで敬仰したポパー自身が、「価値判断には真理値(真偽)とは異なるが、正・誤という客観的な妥当性査定値が帰属する」から、価値情緒説を含め価値相対主義一般を明示的に斥ける。ところが、ポパーのこの価値相対主義(=価値情緒説)批判に対して、「碧海は『慇懃なる無視(benign neglect)』とでも言うべき態度をとった」。そこに碧海哲学の亀裂がある。
「碧海における…価値相対主義と批判的合理主義との哲学的葛藤は、法哲学・法理論における碧海の二人の先達…敬愛した恩師尾高朝雄と、もう1人のメンター(mentor=筆者註)として心酔した宮沢俊義への『忠誠の葛藤』をも生んでいる」とした所以だ。
そして、価値判断の面では、存在と当為を峻別する価値相対主義的な二元論を採り、価値相対主義的な民主制の擁護では、ドイツ公法学特有の概念構成で展開したのが宮澤が依拠したドイツの法哲学、公法学の大家で国際法にも通暁したケルゼンであり、宮澤はケルゼンの価値相対主義的イデオロギー批判を独自の仕方で発展させたと言える。
戦後のドイツにおいては、戦前にナチズムの跳梁跋扈を許したことへの反省、畢竟「反動」から、従来の大陸法的な実定法解釈を重視する法実証主義(Rechtspositivism)偏重への不信感が一挙に高まり、ケルゼンら新カント派流の形式主義、相対主義にも徹底した批判が向けられた結果、自然法論(Naturrechtslehre)が興隆して公法学の底流となる。
つまり、価値情緒説とは対立する価値客観説が浸透したわけで、日本の憲法学界がどこまでも、旧弊な実定法重視の戦前のドイツ国(公)法学に忠実に解釈の軸足を置き続けることは、特殊日本的な現象にすぎない。
ケルゼン自身、先行する思想家、特にデモクリトスやプラトン、ヘーゲルへの否定的的評価の点で、価値情緒説を厳しく批判したポパーの見解に驚くほど接近していることは、碧海自身もいち早く指摘している。
ケルゼンの提唱した純粋法学(Reine Rechtslehre)が、方法論的には明らかにカント由来の徹底した二元論であって、英米以外とは距離(διάστημα)がある欧州大陸のみならず、日本や中米の公法学に多大な影響を及ぼした。ケルゼンの一貫した自然法論批判は、戦後ドイツの文脈とも異なり、対蹠的な位置を占めている。
碧海はかつて、学問の各領域間の境界線を絶対視する固定観念的見解を、分析哲学者の市井三郎に倣って、「知的モンロー主義」と揶揄したが、同じ法解釈とは言え、「英文テキスト」をドイツ文法で読み解く不作法(ἐπαριστερότης)は避けなくてはなるまい。
日本国憲法解釈におけるドイツ国(公)法学の影響は、過去の亡霊にひれ伏すに等しい。[完]
昔同名の米国映画が公開されたと記憶しているが、米国西部やカナダでは、曲乗りを競うロディオ、ダンスや展示会を含めたイベント、祭りがあるようだ。
それとは別に、ネズミなどの小動物の大集団が、あるきっかけで、すべてを喰い荒して‘stampede’=「暴走」を続け、そのまま湖水か海に一気に突入して絶滅(φθείρεσθαι)してしまうこともある。集団自殺のような破壊的(ἀπόλλυμι)な衝動(ὁρμή)の原因は完全には分っていないが、動物行動学的には、それも「自然史的過程」なのだという。
それはともかく、良識(εὐγνωμοσύνη)や歳相応の思慮=自制心(σωφροσύνη)を失った(ἔρημος)老人ほど醜悪(αἰσχρός)で有害な(βλαβερός)ものもない。87歳の暴走高齢者が該当するかどうかは措いて、老いた(γηράω)なれの果てに、避けられない(ἀναγκαῖοπρσς)宿命(εἱμαρμένη)から逃れる(ἀποδιδράσκω)ことができない御仁は、確かに存在するようだ。
老いは必ずしも成熟(αὔξη)や知恵(σοφία)をもたらさない。それを無知(ἀμαθία)というわけで、老害(γηράντων κακός)というものなのだろう。
‘ὁ γέρων δὶς παῖς γίγνεται’(老媼は二度子供になる)
それによると、【一般的に反氏の…コメント15のように、戦後のドイツにおいては、戦前にナチズムの跳梁跋扈を許したことへの反省から、従来の大陸法的な実定法解釈を重視する法実証主義偏重への不信感から、英米法への接近…のような解説をする識者が多い…現実はそうではない】だそうである。
「英米法への接近…」と言われ、「はてな?」と訝る読者も多いだろうが、私は15で、戦後のドイツにおいてナチズムの擡頭を許したことへの反省、というか「反動」から、それまでの「大陸法的な実定法解釈を重視する法実証主義(Rechtspositivism)偏重への不信感が一挙に高まり…自然法論(Naturrechtslehre)が興隆」と書いた。別に「英米法への接近」などとは書いていない。
しかも、【英米法への接近…のような解説をする識者が多い】という事実も寡聞にして聞かない。いずれも、カ氏一流の誤読であり、曲解であろう。Wikipedia頼みの素人芸で、87歳暴走老人も所持していた運転免許の例に類比的に準えるなら、カ氏の場合、「法哲学」(Rechtsphilosophie)または、英米での用語で言えば所謂「法理学」(jurisprundence)への「無知蒙昧」もいいところで、議論を差し挟む基本的な知識が欠如した、無免許運転の暴走論議に等しい戯けたおしゃべり(μωρολογία)、無用な冗語(ἀδολεσχεῖν)で、何やら愚劣な「独り相撲」(σκιαμχία)に余念がない(σπουδάζω)ようだ。
自然法論は何も英米法の伝統に限らない。「大統領の権限」云々の議論も全く関係ない。書けば間違いだらけの「暴走老人」さながらだ。
ところで、自然法論は法価値論(Rechtswertlehre)、つまり正義の客観的、自然的基礎という問題を対象として、古代ギリシア、特に紀元前5世紀のアテーナイに遡る長い歴史があり、ヘレニズム期以降18世紀末に至るまで、法価値論の問題は自然法論を中心に議論されてきた経緯がある。
自然法論が別名、「正義の理論」(δίκαιος λόγος)と称される所以で、その根源を法=人為(νόμος)と自然(φύσις)との対立にみて、最も先鋭的で原理的な対立として提起したのが、アテーナイを中心に活躍した在留外国籍の知識人教師、ソフィストだった。
ケルゼンは米国亡命後に著した『社会と自然』(“Society and Nature”, 1943)の中で、ソフィスト登場以前のギリシアが、他の古代社会と同じく、「自然の社会的、規範的解釈」によって彩られていたことを論じ、道徳的、社会的な「応報の原理」(Vergeltungsprinzip)が社会に限らず自然の解釈にまで投影されていたことを指摘したうえで、原子論の創始者レウキッポスやデモクリトスに加え、ソフィストが、自然と社会を原理的に同質なものだと解釈する、素朴な一元論の打破するのに果たした役割を高く評価する。
つまり、「自然の社会からの解放」、謂わば擬人的世界解釈、神学的道徳的宇宙論から脱却する因果律的世界観につなげる端緒となったのが原子論者であり、一方で、「社会の自然からの解放」、即ち法規範や制度のもつ相対性や人為性を抉り出し、謂わば近代的とも言える合理的で明快な社会の解釈に先鞭をつけたのがソフィストだったからだ。
法哲学者の碧海純一はそれを「実定法(positive law―すなわち人の作った法)の正しさの判定基準となるべき客観的な秩序がnatureに内在する。この秩序(すなわち自然法)の認識は、我々の主観とは独立に与えられたものの発見または啓示としての性質をもつ。ゆえに、法的価値判断は、この秩序の認識に立脚するかぎり、客観的価値判断である」(「法哲学の理論」409頁)ことが自然法論の「基本テーゼ」だとしたうえで、ストア派の「自然の秩序」(ἡ ψύσεως τάξις)と、ローマ的な万民の法(jus gentium)が融合して自然法(jus naturale)という観念が生まれ、それがローマの実定法学者の思想形成に多大な影響を及ぼすと同時に、のちのキリスト教的自然法論に継承される。
第二次大戦後の法思想の世界における顕著な特徴は、自然法論の「復興」であり、それは英国と北欧諸国を際立った例外として世界の学界に共通な特色であり、ほぼ三分類されれる。
最も有力なのがカトリック系自然法論(新トマス主義=代表者としてフランスのカトリック哲学者J. マリタン、イタリアのA. P. ダントレーヴ、日本の田中耕太郎ら)▽西独型の自然法論(現象学のM. シェーラーや存在論のN. ハルトマンら)▽米国の経験主義的自然法論(J. ホールやE. ネーゲル、L. フラーら)。つまり、戦後の西独で隆盛を極めた自然法論は、英米法の伝統とは基本的に関係ない。
その特質は規範的価値論であることで、19世紀的な実証主義思想の系譜につながる法実証主義と鋭く対立し、事実と価値の峻別に基づく形式主義、相対主義という新カント派に著しい方法二元論を退けるのは、「規範的価値」を没却した実証主義や相対主義が無責任で、結局はナチスの擡頭を許したという認識に外ならならず、その克服には規範的価値論である自然法論以外にない、というのが戦後の自然法論者の大勢となる。
ケルゼンの影響は、宮澤俊義や尾高朝雄を挙げるまでもなく日本の法学者にも顕著だが、【法を倫理学的に解釈する、などという解釈】なる珍妙な文章を平気で綴るカ氏に、ウェーバーとともに価値情緒説(価値相対主義)に分類されるケルゼンが、新カント派的な価値相対主義の立場から、究極的な価値判断は認識(Erkenntnis)の問題ではなく信仰(Bekenntnis)の問題であるとする、徹底したカント流の方法二元論であることを全く理解してないようだ。
定言命法(kategorischer Imperativ)は、事実と価値の峻別を説く理論的認識とは別に、因果律の支配する必然ではなく、人間的な自由の対象となる道徳や信仰の領域を確保するための要請から生まれたもので、カントは単なる道徳家ではない。
理論的認識では不可能な命令を、定言的(kategorischer)、つまり論理的に無条件に(unbedingt)妥当するとの謂いで、ほとんど「同語反復」に等しいが、それは人間自然の性情(ἡ φύσις ἀνθρώπων)に従うだけでは道徳的な価値は達成されないとの趣旨でもあって、憲法解釈のような領域には不釣り合いなだけだ。
ケルゼンは自然法論を徹底して批判したが、それは究極の価値判断が原理的に論証され得ないという前提から出た法の認識論だからだ。[完]
ケルゼンだけでは足りず、C. シュミットも登場して、コピペで切り貼りして分かったような分からないような議論をでっち上げているが、カ氏の粗末な措辞と稚拙極まる論理構成に慣れた目には、意味不明で、コピペした元の筆者も驚くような内容になっていること一再ではなかろう。
22⇒【長谷部…の主張を読んで…】というが、篠田さんの記述を読んで勘違いしているだけだろう。私の名も出てきて、「暴走老人」云々と牽強附会も甚だしい法螺話に入れ込んで(σπουδή)いるようだが、【暴走老人はどちらか】と、しらばっくれて自問することもなかろう。
笑止なのは、22②⇒【松下幸之助さんの書かれた「学問を使いこなす力を」】にしろ、松下は優れた経営者ではあっても自らの「無学」を熟知していただろうし、カ氏のように自らを棚に上げて「大学の机上の学問」云々もなかろう。「机上の学問」を論難する前に、それにも達しない自らの惨状を得と自覚することだ。
松下や田中角栄をもち出しても、それでカ氏の眼を覆いたくなるような「無知」とで出鱈目さ加減を糊塗することはできないのである。
24⇒【ソフィストという言葉は、現実にプラトンからソフィストと名指しされている人物の業績はさておき、日本では詭弁家、と同じの意味…詭弁とは、論理学では、外見、形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法(デジタル大辞泉)…長谷部教授や反氏が多用される手法】などという論点ずらしの、もはや詐術的議論(παραλογίζεσθαι)の域にも達していない無知ゆえの(δι’ ἄγνοιαν)無思慮極まる悪あがき(τὸ ἀντιτυπές)をするばかりで、如何にも浅ましい限りだ。真っ当な分別(ὁ ὀρθὸς λόγος)を欠いた精神の幼児(παιδίον)の戯れ(παιζειν)と称した所以だ。
私を憲法学界の指導的立場にある長谷部氏と併称するのは大した気遣いようだが、「日本では詭弁家、と同じの意味」で、24②⇒【反氏とは、リベラル、クラシック、ソフィストの言葉の定義が違うから、かみあわない】というのも筋違いで、元来ギリシア語で「智慧のよく働く人」の意味、転じて知者=賢者(σοφός)という「知識のある人」(ὁ ἐπίστήμων)の意味である「ソフィスト」(σοφιστής)について、カ氏が非常に一面的な一部の語学辞書の類を鬼の首でも取ったようにあげつらっているだけの話で、それがソクラテス、プラトン以来、知者でも賢者でもない「詭弁家」の悪名(διαβολή)、卑称となるのは特殊な事情がある。
しかも、当時の「ほかならぬギリシアの知の殿堂であるこの国[=ポリス]」(‘τῆς τε Ἑλλάδος εἰς αὐτὸ τὸ πρυτανεῖον τῆς σοφίας καὶ αὐτῆς τῆς πόλεως’=『プロタゴラス』337D)とされたアテーナイで活躍した外国人の花形の職業的知識人であったソフィストについて、最も多くの精彩に富む対話篇=証言を残したプラトンには留意すべきある意図、というか偏向があって、例えばアンティポンという、ソクラテスと同時代のソフィストとしては珍しいアテーナイ出身の人物については、沈黙を守っている。対話篇全篇中の言及は一箇所に留まっている。アンティポンの歴史的、哲学的重要性は決して著名なソフィストたちに劣るものではないにもかかわらず、だ。
この点では、ソフィストとは異なる他の同時代の謂わばライバルたち、ソクラテスの弟子のアンティステネスや、プラトン同様にソクラテスに関する対話篇を遺したクセノポン、原子論を説いたデモクリトスについて、プラトンが意図的に黙殺しているのと並んで、「より複雑な問題意識を抱いていた可能性」(納富信留『ソフィストとは誰か?』、19頁)もうかがわせる。
いずれにしても、問題は、何も知らない(ἀγνοέω)カ氏が単なる、検証されざる「俗説」を紹介しただけの一部の辞書、事典を頼りに言葉(ἐπος)の定義(ὅρος)と言い張ったところで、無駄なことだ。
それは、カ氏に都合の良い材料を並べただけの話で、それだけなら、そうした個別的事例をそれと示す指し示す(δεῖξις)だけの例示にすぎず、何の論証(ἀπόδειξις)にも、元より何の証明(τεκμήρια)もならない。
無学な(ἀπαιδευτος)多くの辞書編集者が、ソフィストの実態(τὸ ἀληθές)と悪名の由来(αἴτιον)を熟慮せずに、辞書から辞書を作る気軽さで、旧弊に属する先入見に囚われて辞書的な記述として、ソフィストに関する「無知」を再生産しているにすぎない。
ソクラテス風に言えば、それは「何も知らない(ἀγνοέω)、全くの無(μδηέν)の知(ἐπιστήμη, φρόνησις, εἰδέναι)というものではなく、かえって何でもないものを、何かであると思い(περὶ πολλοῦ ποιεῖσθαι)、大切なことを、何でもないと考える(οὐκ εἰδώς)、一種の思い違い(πλημμέλεια)であり、間違った(ψεῦδος)信念(πίστις, δόξα)の如き」虚妄(φάντασμα)でしかない。
ソフィストについては、この他いくらでも指摘できるが、ケルゼンとの関連で言えば、ケルゼンがプラトンよりもソフィストやデモクリトスを高く評価するのは、社会において現実に人々を支配する法(νόμος)、それが不文の慣わし(ἔθος)やしきたり(ἐπιτήδευμα)、掟(θέμις)としての慣習法であれ、成文の制定法であれ、それが「自然的に(φύσεως)正しい(δίκαιος)ものか否か」という問題意識(προβάλλω)であり、そうしたソフィストの設問(ἐπώτημα)こそが、その後二千数百年にもわたって現代に続く法価値論(Rechtswertlehre)、つまり「正義の理論」(δίκαιος λόγος)の中心テーマを形成してきたという歴史的認識に基づいている。
そして、実定法(Positivität=positives Recht)、即ち人の定めた法の正しさの判定基準となるべき客観的秩序が自然に内在するとするなら、その秩序(τάξις)、つまり自然法(jus naturale=Naturrecht)の認識は、われわれの主観とは独立に与えられているとするのがプラトン的観念だとすれば、それとは逆に人為的、相対的側面に注目するのがソフィスト的な感覚ということになる。
従って、ケルゼンは価値相対主義の立場から正義の問題を学問の領域(μοῖρα)の外に置くもので、同じカント的な方法二元論を徹底させ、究極的な(τέλεον)価値判断を認識(Erkenntnis)ではなく帰依(Bekenntnis)だとするドイツの代表的な法哲学者で、日本以外に世界の法哲学界に大きな影響力をもったラートブルフ(Gustav Radbruch, 1878~1946)の「法の価値哲学」(Wertphilosophie des Recht)の構想とも異なる。
ラートブルフが影響を受けたのは、同じ新カント派でも、ケルゼンが属したマールブルク学派とは異なる西南ドイツ学派(バーデン学派)であって、その代表者であるH. リッケルト、E. ラスクに加えM. ウェーバーの影響が大きい。
ケルゼンの『純粋法学』(Reine Rechtslehre, 1934)は、法は規範(Norm)であり、規範科学としての法学は自然の因果論的説明を目指す一切の自然科学的から峻別された、自然とは異なる「意味」(Bedeutung)の領域の特殊な法則性を追求するというものであり、法と道徳とを素朴に結びつける自然法論に異を唱え、双方を厳格に区別したうえで実定法の評価を意識的に排斥するもので、自然科学とは異なる、「科学としての法学」を志向する。
その意味で反イデオロギー的であり、政治的、倫理的に「無色」であり、それ以前の法学が客観的法(objective Recht)と主観的法(subjektive Recht=所謂「権利」)の二元論を想定していたのに対して、主観的法を分析によって客観的法に還元(Reduktion)される。
ラートブルフを含め、ケルゼンとウェーバーは事実と価値の峻別というカント的な方法二元論を徹底させる点では共通で、ウェーバーの価値情緒説的な見解の基本である、所謂「没価値性」(Wertfreiheit)のテーゼは、理論的な認識(Erkenntnis)と実践的な評価(Stellungnahme)との間にある異質性(Heterogenität)、換言すれば実践的命令の規範としての妥当性、他方で経験的事実認定の真理としての妥当性が、それぞれ絶対的に異質な問題平面に属するとの認識だった。
ケルゼンもウェーバー同様、理論的認識と実践的評価との間の異質性の認識では一貫しており、マールブルク学派の創始者であるH. コーエンとのつながりもあって、法学の「科学としての学問」の存立条件を探ったもので、科学としての法学は、法をありのままに認識することを唯一の役目とすべきことを説く形で、法学独自の意味領域の確立を企図したのに外ならない。
この点で、カ氏の23での主張(ἀπόφανσις)である、ケルゼンの法学理論が23⇒【要するに、学問やイデオロギーから切り離し、実定法だけを法とみなすというという主張】は途方もない誤謬に基づく法螺話の典型だ。
「イデオロギーから切り離す」のは、科学(Wissenschaft=学問)としての法学的認識の領域を確保するためであって、学問から切り離しては意味がなくなってしまう。
最後に、25⇒【今も昔も変わらない日本のマスコミ関係者の国際社会…への無関心、無理解】は、日本の歴史、文化に関してでさえも無学なカ氏が言うのも潜越(πλημμέλεια)の誹りを免れまい。
批判的合理主義を説くK. ポパーは、著名なその全体主義者観から、ヘーゲルやマルクスに加え、プラトンを「全体主義的な思考」のもち主として激しく批判する一方で、ソフィストの自由で開かれた思考を高く評価した。ポパーからみれば、プロタゴラスやゴルギアスは、反貴族主義的で平等主義的な人間観を説いた近代的思考の先駆者で、民主制を擁護し、相対主義や多元的価値観の基盤を準備したプロタゴラスを、ギリシア文明の英雄(ἥρως)と讃える研究者もいる。
世界有数のプラトン学者、田中美知太郎が最初に上梓したギリシア哲学の研究書が、太平洋戦争が始まった1941年の『ソフィスト』で、そこには詭弁家の「悪名」からソフィストを救い出す冷静な筆致に加え、当時の日本を覆った全体主義への秘めたる反抗心がのぞく。
翻って、古代ギリシア当時、各地からアテーナイに集まったソフィストは、典型的な国際派の知識人で、彼らが自由で開放的な、反権威主義的な言動を展開できた背景には、それぞれ学派の一員などではなく一個の独立した思想家として、ギリシア世界を遍歴するなかで、法や慣行は時代や場所を異にすれば意味や評価が異なることを熟知しており、ポリスという共同体の一員として生きざるを得ないアテーナイ市民と違って、自由な気風に満ちていた。法の相対性に疑念を抱くのは、特定国の価値観や伝統に拘泥しない自由な国際派としては当然の発想だった。[完]
池袋での87歳の元高級官僚による暴走死傷事故と類比的に(κατ’ ἀναλογίαν)に語るのもどうかと思うが、老人がいろいろな(ποκίλος)意味でこの国の多数派(οἱ πολλοί)であって、過大に評価する(ποιέω)自らの愚にもつかない経験(ἐμπειρία)だとか信念(πίστις)をもっともらしく吹聴(ἀγορεύω)し、冗語する(πακρολογέω)、一言で言えば老害(γηράντων κακός)というものなのだろう。
臆面もない、虚飾に満ちたカ氏だから可能だし、醜態をさらして愧じる気配もない厚かましさも、そこだけはなかなか大したものだが、自己を抑える(κατέχω)、つまり、歳を取った(γηρασκω)割には自制できない(ἀκράτείας)、しかも齢70近くにして、「七十而從心所欲、不踰矩」=『論語』為政第二)という心境からは程遠いカ氏の無軌道(ὕβριοτής)ぶりは、疑いもなく「暴走」の、ドン・キホーテ(「鈍器」ともいう)になぞらえれば、無謀な「突進」(stampede)の紛れもない証左なのだろう。
まさに「無知、無学ゆえに」(δι’ ἄγνοιαν καὶ ἀπαιδευσίαν)、気づかずに語る⇒騙る(ἐξελαύνω)に落ちる(συμπίπτειν⇒陥る)、しかも相手側の主張の意味内容(γενικὸν ποινόν)を充分に理解せずに、「知慧が足りない」(ἀφροσύνη)から出たとこ勝負で「出まかせ」(ἁμαρτία)を語る⇒物語る(μῦθος)のを繰り返すのが、「無学な」老媼ということだ。
カ氏も自認(ἀναγνώρισις)するように、ヴァイツゼッカー宗の巫女(προφῆτις)だから、狂信的な(μανικός)「神がかった」(ἐνθυσιασμός)戯言ἀλαζονεία)を並べ立てるのは止めようもないわけだ。
ところで、30⇒【論争に勝つだけのために、K. ポパーを持ち出して、ヘーゲルやマルクスに加え、プラトンを「全体主義的な思考」のもち主とし、ソフィストの自由で開かれた思考を高く評価…今まで反氏が展開されてきた…プラトン崇拝はどこにいったのだろう?】というが、それは批判的合理主義に基づいて所謂「リベラル・デモクラシー」を説くポパーの見解を紹介したまでで、カントと同じくらいにウィーン学団の論理実証主義にも理解を示し、カント主義者であると同時に実質ポパーに近い見解を表明したケルゼンの法理論上の立ち位置を指摘するなかで、紛れもない民主主義(Demokratie, δημοκρατία=民衆政)の原理的な否定者であるプラトンへのポパーやケルゼンの見解を並べただけである。
ケルゼンを正面から論じるなら初歩の常識(τὰ ἔνδοξα)を、読まずに騙るWikipedia頼みの怠惰なカ氏が、何も(οὐδέν)知らない(ἀγνοέω)だけだ。
しかし、民主制批判はともかく、ほかならぬプラトン研究の大家である田中美知太郎同様、ソクラテスやプラトンのソフィスト批判の一面性、言い換えれば意図的に実態とは必ずしも違うことを承知でソフィストを批判している理由を問題にして論じている。ソフィスト=詭弁家という、誤った辞書的解説を鵜呑みにして逃げ回っているカ氏とは違う。
それは哲学が「知」(σοφία)を希求する(βούλεσθαι=愛する[φιλεῖν])として、端的に「知」(σοφία)ではなく哲学(φιλοσοφία)という真理探究(φιλαληθής)の果てしない(πολυχρόνιος)活動になるという歴史上の転換を遂げざるを得なかった事情を理解するからだ。
ソクラテスやプラトン、アリストテレスが説く、真の(ἀληθής)「知」(知識=ἐπιστήμη, 思慮=φρόνησις, 知恵=σοφία)とは、カ氏が考えるような生易しいものではなく、卓越した学殖(μάθημα)を誇る当代有数の知識人(ἐπιστήμων)であったソフィストといえども、言語や弁論術、自然に関する研究はともかく、人間と国家社会に関する認識については、真理(ἀλήθεια)に到達する充分な条件を満たしてはいない、という判断だ。
「論争に勝つだけのために」云々も笑止だが、こちらも語るに落ちるというか、「勝ち負けにこだわる」(φιλόνικός)というより、無学は先刻承知なので、メンツにこだわる(φιλότιμος)意地しかないカ氏の浅ましい負けず嫌い(διαφιλονεικοῦτες)を端的に示している。
そこに知を愛する(φιλοσοφέω)心など、どこにもない。[完]
30でカール・ポパーのプラトン批判について、【私はポパーの「全体主義的な思考」という一面的な見解に同意しない。…欧米の思想界で…著名な論争があったから、お勉強すればよい】と書いたが、怠惰で不勉強なカ氏相手ならともかく、聊か不親切なので補説する。
ポパーのプラトン批判は、先の大戦中、ユダヤ人だった彼がナチズムの迫害を逃れて滞在した英国・ロンドンが今日のミサイルの原型ともいうべきV1(無人爆撃機)やV2(ロケット弾)による空襲にさらされていた時期に出版された(実際に書かれたのは1942~43年)、二巻本の政治哲学上の主著『開かれた社会とその敵』(“The Open Society and its Enemies”, 1945~47)の第一巻『プラトンの呪法』(“The Spell of Plato”)のほぼ全部を費やして展開されている。
その趣旨は、ポパーの用語で「歴史主義」(hisroricism)と位置付け批判する左右の全体主義であるマルクス主義とファシズムについて、その理論的源流とされ糾弾される歴史主義者(hisroricist)としてヘーゲルやマルクスを挙げ、そうした歴史主義者の思想的先祖としてヘラクレイトス、最大の思想家としてプラトンを徹底して批判するものだ。
内容はイデア論や正義論、政治・歴史観から社会像、主に『国家』で展開された国家構想、哲人王等について、必ずしも正確なテキスト解釈の裏付けがない独自の解釈によって展開され、戦後になって論争を巻き起こした。第二巻冒頭の第11章では、「ヘーゲル主義のアリストテレス的基調」と題してアリストテレスの「本質主義」も批判の的となる。
ごく概略的に要約すれば、プラトンは、アテーナイの有力家系出身の貴族主義的資質をもつ独裁制の擁護者で、民主制の否定者でエリート主義者、国家の歴史を王制から貴族制を経て民主制への堕落だと説く反動的歴史主義者、「共産主義的」国家改造プログラムを説いた全体主義的正義論のユートピア的主唱者となる。
ポパーはそこに「無知の知」や「不知の自覚」、つまり「人間並みの知」(ἡ ἀνθρωπίνη σοφία)を説くソクラテス的「謙虚さ」(κόσμιότης)とは異なるプラトンの「傲慢さ」(ὕβρις)を指弾することで、プラトンが厳格な階級区分からなる非民主的な統制色の強い国家体制を構想して、個人の政治参加の平等を基本とする民主制の政治観、個人の尊重を軽蔑または冷笑した差別主義者であり、個人を全体の利益の奉仕者として、支配階級による非民主的支配を正当化するものとする。
問題は、歴史が原始的部族の「閉ざされた世界」から人間性と合理性に基づいた自由と平等を基調とする「開かれた世界」へ向かうという、まさにポパーが槍玉に挙げる別種の(ἀλλοῖος)「歴史主義」を自らもち込む(hineinlegen)その主張に正当性があるか否かで、極めて恣意的なポパーのプラトン解釈は、「閉ざされた世界」から「開かれた世界」に向かう歴史の進歩がギリシア世界においても正しく、人道主義的な平等意識にも沿うはずなのに、プラトンはそれを理解せず正反対の見解のもち主だと非難するだけに等しい。論証に都合のいい「証拠」なるものをテキストから取り出してきて、そぐわないものは無視する、という反駁によって占められる。
それは、プラトンがポパーほど政治認識について単純でも楽観的でなかっただけで、人類の進歩についてもより踏み込んだ洞察を行っていた結果なのであって、その論証は精緻なようで、実は杜撰なポパー自身のプラトン解釈や政治認識の弱点とを他愛無さを物語っている。
篠田さんが前著『ほんとうの憲法』で東大法学部系の主流派憲法学者を揶揄した「抵抗の憲法学」ではないが、表立った釈明、要するに言い訳(ἀπολογία)が難しくなると、それをごまかす(συκοφαντεῖν)ため、人は奇矯な行動に出るもので、カ氏の場合は身の程知らず(πλεονεκτεῖν)に意地を張って(ἀπαυθαδίζομαι)、性懲りもなく抵抗する(μανίνεσθαι)わけだ。
しかも、自分なりの根拠(διὰ τι)を明示(δεῖξις)した立論は行わず、ただ私の文章をコピペして、「~は、正しいのか」式の「疑問を提示する議論」(ἄπόρμα)を並べて逃げるだけだ。如何に怠惰で横着者(ὁ ἀργία)か、よく分かる。
32⇒【ソクラテス的謙虚さから「民主政治」が由来している】というが、それは無学なカ氏や、特定の立場から自分に都合のいいプラトン解釈をするポパーの誤認であって、ソクラテス自身は民主制を原理的に否定しており、謙虚でも何でもない。敬虔(ὅσιος)なのは「神」や真理に対してだけだ。プラトンは「哲人王」構想=全知を想定してもいない。
最後に行き着くのは結局、欺瞞に満ちたヴァイツゼカー演説への信仰告白。33⇒【単純でも楽観的でもない、現実認識だと巫女の私は確信】するなら、籠城など無用の沙汰だ。
それもまた、老人の「暴走」なのだろう。
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