大津市の保育園児死傷事件の余りの悲惨さに、ショックを受けた。被害者に全く非がないにもかかわらず、唐突に、悲劇に襲われるというのは、戦争、虐殺、テロ、津波や地震や土砂崩れ等の被害と同じだ。私は平和構築という分野を専門にしているため、紛争後国に行ったりすることが多く、凄惨な事件があった現場に行くこともしばしばある。感情を抑えるのが難しい。
私の父親は弁護士だった。私が物心ついたころから我が家に車はなかった。父親が取得した運転免許を更新しなかったからだ。「交通事故の被害者・加害者の弁護をしているうちに、免許を更新する気持ちが失せた」とよくつぶやいていた。私自身は、国際政治学者になり、家族を車に乗せて出かけることも多い人間になったしまった。ただ、亡父の言葉は、この歳になってもまだよく覚えている。
事故現場のストリートビューが涙を誘っている。http://agora-web.jp/archives/2038888.html 今回の事故当事者と同一かはわからないが、事故時を彷彿とさせる園児と保育士さんの姿が、あまりにけなげだからだ。
園児が飛び出さないように細心の注意を払い、道路から離れて園児を守っている保育さんたち。そして園児たちがその保育士さんを信頼して、手をつないで見上げている姿。
園長先生らの記者会見の悲惨だった。疑いなくマスメディアによる被害者に対する二次災害である。大きなマスコミ批判が起こっているという。http://agora-web.jp/archives/2038893.html 非難は当然だ。日本のメディアは、つまらない話ばかりしていないで、いくらなんでももう少しは自分たちが持っている社会的役割の意味について素面になって真剣に考えるべきだ。というか、常識を働かせて立ち止まることができるようになるべきだ。常識というのはつまり、人間の尊厳を尊重する姿勢を、何よりも優先させる、ということだ。
事故の被害者や遺族の方々だけではない。園長先生や保育園のことが心配になった人たちも多いだろう。手助けする方法ないのか。
今後、散歩に出かけることできるだろうか。琵琶湖を目の前にして、子供たちを外に出してあげたいだろう。フラッシュバックと戦う苦痛を和らげるためには、行政が安全に散歩に出かけるための車両手配を支援するなどの措置をとることはできないだろうか。
そのとき事故現場の近くに行くことができるだろうか。行きたくないだろう。しかし避けることができるだろうか。忘れたくないだろう。関係者や市民が、事故の心配なく合掌して犠牲者の冥福を祈る空間を作ることはできないものだろうか。
紛争地帯では、事件の現場の保存が大きな議題になる。モニュメントが作られることもある。世界遺産化された広島の原爆ドームはそうした動きの世界史的な象徴だ。だが原爆ドームも、保存の是非や方法で意見が大きく分かれ、保存決定までには20年以上かかっている。被爆者の気持ちを考えると、時間をかけて決めていくのは、仕方がない。保存には費用もかかる。市民全員の理解も必要だ。3・11の被災地では、南三陸町防災対策庁舎の保存問題も、揺れ続けている。
ストリートビューに映った後、無残にも破壊されたフェンスは、第三者の私有物ではないかと思われる。保存は想定されないだろう。だが園児たちが圧し潰されてしまったというフェンスを、あっという間に除去して処分してしまうつもりだろうか?もしそうだとしたら、代替措置は何かとれないのか。
次に園児たちが散歩に出る際には、嫌でもドライバーの視界に入る「保育園児散歩中、気をつけろ」という旗や看板でも出してほしいくらいだ。何百メートルも手前からそれが識別できるように支援できないだろうか。事故現場を通ると、全てのドライバーが事故のことを思い出さざるを得ないような空間は作れないものだろうか。
もちろんこれらはすべて関係者の気持ちを尊重するということを大原則にしたうえで、検討されるべきだろう。しかし、たとえば事故現場の尊厳を保つ、という点について、再発防止のためにも、何か配慮ができないか、考えてみてもいいのではないか。そういうところから、人間の尊厳を尊重する、という当たり前の気持ちを、人々が取り戻すきっかけを作っていけないか。
コメント
コメント一覧 (11)
自分たちの尊厳は自分たちで守る。我々が社会として、国家として、守る。外から与えられた基準で長年過ごし過ぎたせいでそれがわからなくなっている。
反権力で国家に文句を言う、最も大切な判断は法律家共同体にお任せ、国民は部外者の一私人として野次馬根性で騒いだり同情したりするだけ。
映画プライベート・ライアン。
ライアン一等兵の辺にこそ死なめ かへり見はせじ
我々が守るべき価値。
戦後の国家観がそれを私人レベルに分解する。
そしてその差は、同じ戦争敗戦国、昭和天皇とナチスドイツのヒトラーの行動に表れている。昭和天皇は、はじめは勝つ、と主張する軍部や側近の説得に応じておられたけれど、原爆の投下、東京の空襲など、で現実を認識し、日本国民一人一人のことを考え、本土決戦を主張する軍部の説得に応じず、自分の先行きは顧慮されず、はたまた自殺もされず、「無条件降伏」の道を選ばれた。ヒトラーは、この戦争に負ければ、ドイツ民族は、untergehen、滅亡するなどと主張して、自分は自殺をしながら、あくまでも、ドイツ国民を戦争続行へと促した。このような人物には、本土決戦を主張した日本の軍部も同じことであるが、「人間の尊厳」に対する深い思い入れなどみじんもない。「理論」の奴隷になってしまっている。そして、ドイツ人一人一人は、ヒトラーの「我が闘争」のイデオロギーを実践する、戦争によって領土を拡大する道具、だったのではないのだろうか?戦後ソ連を中心とするマルクス主義者たちがしたことも、同じことなのである。北朝鮮の普通の人々は、「食糧支援」が必要なほど劣悪な環境におかれている、ときく。それでも、ミサイルを撃ち続ける、金正恩さんは、どちらのタイプなのだろうか?
8日白昼に大津市で起きた今回の痛ましい死傷事故についても、そうした不条理を痛感する。人は必ず死ぬ。それは避けられない(ἀνάγκη)。それは、実体験を含めて、人が不条理な死に至る、または死の淵をさまよう経験に当事者として現在進行形で接している経験から、さまざまな(ποκίλος)、一言では言い尽くせない私個人の思い(ὑπόληψις)もある。
篠田さんが研究室での単なる理論的研究(τῇ θεωρικός ζήτησις)ではなく、それこそ実践的な(πρακτικός)活動(ἔργον)と探究(ἱστορία)とに専心する(σπουδάζω)なかで、「平和構築という分野を専門に…紛争後国に行(き)…凄惨な事件があった現場に行くこともしばしば…感情を抑えるのが難しい」のも、よく理解できる。
前回まで3回にわたって池袋で起きた高齢運転者による死傷事故について、抜本的対策に手をこまねいているようにみえる政治や社会について、どこにもぶつけようのない怒り(ὀργή)と憤り(θυμός)を募らせていたこともそのためだろう。
前回の社会政策的議論には同意(ὁμολογία)しかねたが、この国が抱えている問題を率直に炙り出している点では了解できる。
ブログへの投稿という形で「対話する」(διαλέγομαι)こと、畢竟共に「ものを考える」(διανοεῖσθαι)ということ自体、安易に共感し(συμφνέω)たり、賞讃する(ἐγκωμιάζω)、相手(ὁ ἄλλος)の見解に追従(ἀρέσκεια)したり、迎合する(κολακεύω)ことではなく、いわんや特定の教理(δόγμα=Dogma, dogme)や言説(λόγοι=discours)に与して徒党(συνωμοσία)を組むことではないように、見解の相違という「距離」が、本当の(ἀληθής)思考を鍛える(γυμνάζω)はずだ。
「狭量な精神」(σμικρολογία)に基づく偏狭的な(ακληρός)党派心(φιλονεικία)など論外で、それは精神の奴隷(δοῦλοψυχία)に等しく、生命の尊厳(σεμνόν)の根底にあるそれぞれの個人の尊厳、比類のない固有の価値(ἀξία)は、人間的自由(τἀνθρώπινον ἐλευθερία)を追求することのうちにあり、特定の教説への帰依にないのは明らかだ。
事件に対する「報道に自由」に名を借りたメディアの無思慮な対応や集団的思考は、メディアの病(νόσος)であると同時に、真に問題に向き合えないこの国の国民性に根差している。
「社会的役割」に対する無自覚(ἀγνοέω)も、死を前に慌てふためき、他に責任転嫁する(αἰτιάομαι)ことしかできない、われわれの紛れもない「自画像」(αὐτός εἱκών)なのである。
一言で人間の尊厳(σεμνόν)とか生命の尊重(ἐντιμότερος)といっても、それが単に神聖(θεῖος)で侵すべからざる特別な(ἴδιος)価値を有するものであるかのように扱われることを要求するのは、なぜだろうか。
人が無条件に(ἁπλῶς)尊重する(περὶ πολλοῦ ποιέομαι)ことを求められるに値する(ἄξιος)、それに相応しい(πρέπον ἐστίν)存在かどうかは、必ずしも自明(φανερός)ではないからだ。自明であるかのように思い込むのは自由だが、それはあくまで仮構されたもので、個々の人間の政治参加における「権利の平等」(ἰσόνομος)は同意されても、それだけで人は必ずしも平等になるわけではないのが、紛れもない現実であるように。平等も単なる要請(αἰτεησις)、つまり仮象(φαντασία)にすぎない。平等であること自体に何の尊厳もない、ということだ。
この観念は元来、キリスト教的な発想法を含んでいる。人間が、つまり各個人がただそれ自体で尊敬する(τιμάω)とか尊敬される(τιμὴν ἔχω)対象であったりするはずはないというのが、異教徒の分別のある大人の常識だろう。普通の人間はそこまで臆面がない(ἀναισχύντως)わけではないからだ。
むろん、社会生活において他人に損害(ζημία)を与えるような行為(πρᾶξις)は慎むべきだし、不正行為(ἀδίκημα)は厳しく非難されなくてはならない。しかし、だからと言って、その対象に自動的に(αὐτόματος)尊厳という神聖視が生まれるわけではない。
各々の(ἕκαστος)思いや、信念、個別の事情は関係ない。それぞれの意味が尊重されるべきだとしても、客観的価値など存在しない。誇り(καυχημα)や矜持(μεγαλοψυχία)も、何ら尊厳をもたらさない。それは、単なる特殊事情にすぎず普遍性(καθόλου)も、何らの卓越性(ἀρετή)を保証しないからだ。
それはそれで、別種の困難を引き寄せる。単なる「私の」(ἴδιον)こと、つまり私事(ἰδιωτεύειν)にすぎないものに委ねることになるからだ。尊厳の主体=個は、その実体(οὐσία)を突き詰めていくと、アリストテレスが『形而上学』で行った著名な議論にもあるように、その地位は極めて不安定なことが分かる。玉ねぎの皮を剥くように、その何であるか(τὸ τι ἐστι)を追求した先に、個の究極は「無」(μδηέν)につながりかねないことになる。
つまり、その個について、「~である」と「述語づけられるもの」(τὰ κατηγορού μενα)をすべて取り去って、その本体を何かと問う、まさに個が個である所以を質していくと何も残らず、個は「述語づけられる」それぞれの特質をもつにしても、「述語づけられる」それぞれの特性自体とは異なるからだ。
ルネサンス期のイタリアの思想家ピコ・デラ・ミランドラに『人間の尊厳についての演説』(“Oratio de hominis dignitate”, 1486)という作品がある。31歳で早世する著者24歳の作で、なぜ人間は被造物の中から特に選ばれて、天使に比肩しうる存在となったのかを説いたものだ。
結論は神が人間に与えた特別の才能である「自由意志」(ἑκοῦσα)だとする。人間は天使になるのも獣になるのも自由だが、天使を選ぶところに尊厳が宿る、と。自由意志こそ、人間的な自由の根源だからだ。
もっとも自由は主観にすぎず、人間の尊厳とは人間中心主義が生んだ一個の信仰にすぎないが、真に尊重に値する尊厳とは、精神の自由なのだろう。
バノン氏や右翼の政治家たちは、国の主権を尊重せず、巨大な「国際連合」や「EU」があるから問題が起こっている、と主張している。彼らの主張に惑わされて、そう信じる人々も多いのかもしれないが、ヨーロッパの歴史を冷静に振り返った時、「国際連盟」が日本やイタリアなどの脱退などで崩壊し、独仏の中が悪かったから、「戦争が再発」した、という「歴史の真実」がなおざりにされている。過去に汚点をもつドイツでは、個人のデータが流出して、おかしな選挙コンサルテイング会社に利用されないように、GDPRへの関心が高い。GDPRとは、EU一般データ保護規則。EU(欧州連合)の個人情報保護法制、つまり、個人データの処理に関する個人の保護、および個人データの自由な流通のための規則を定めたもので、2018年からEU加盟国に直接適用されているが、それでも、彼らは5月のEU選挙での右翼の躍進を恐れている恐れている。そして、このような状況が報道されると、私も日本での個人情報保護法制の必要性を感じる。
私たちが恐れなければならないのは、このような人々による誤った歴史認識、世界の分断工作なのであって、私たちは、一人一人の「人間の尊厳」を踏まえた上で、ワイツゼッカー氏が述べられたように「共に」の精神をもって、「国際協調」を大事にしなければならない、と改めて思う。
自分も最近事故にあったが交通事故で苦しむ人が多すぎると思う。本当に金儲けだけ考える自動車会社は潰して欲しいものだ。
また、自動車関連のOLをしていた私は、車の会社は、金儲けだけ考えてはいないと断言できる。走行試験も、耐久試験もあり、危険だと判断されたら、採用されない。また、安全性能を高めるためのABSシステム、ショックアブソーバー、エアーバッグの技術も開発されている。また、大勢の雇用を自動車産業はになっている、つまり多くの日本人の生活を自動車産業は支えているのである。ドイツでは、BMWをはじめとする自動車産業が好調なので、トランプ大統領に20%の関税をかけられる、ということで、景気の先行き不安感が出ているが、日本では、なぜその不安がないのか、不思議な気がする。
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