大阪G20が成功裏に終わった。いろいろなドラマがあったようだが、実はG20期間中に、日本国内でひそかに話題になっていたのは、トランプ大統領の日米同盟の片務性を指摘する発言だったようだ。
正直、トランプ大統領の発言は、大統領選挙中から繰り返し述べられていてことである。国際ニュースをきちんと見てきた人であれば、特段驚くほどのニュースではない。むしろ多くの識者が現在の日米同盟の安定感を評価するのは、トランプ大統領の心の中の不満を知っていればこそである。
それにしても安倍政権の外交政策面での安定感を支えているのが、政権発足後すぐに達成した2015年の安保法制であることを、あらためて感じる。あのときに限定的であれ、集団的自衛権を解禁する法制度を達成していたからこそ、今、冷静にトランプ大統領の発言を聞いておくことができる。
当時、国会の周りをデモ隊が囲むとか、内閣支持率が激減するなどの影響があった。憲法学者の方々は、首相によるクーデターだ、などと連日にわたって声高に叫び続けていた。
その一方、私の知り合いでもある国際政治学者の方々は、「安保法制懇」で安全保障の法的基盤を整備する必要性を指摘していた。安保法制懇で頑張られた方々は、そもそも集団的自衛権は違憲ではない、という論陣を張った。
あの時に集団的自衛権は違憲ではないという論陣を張られた先生方のおかげでもあり、安倍首相は平和安保法制を成立させた。このことが、日米同盟は片務的だと唱えるトランプ政権の時代になって、どれほど大きな意味を持つようになったか。
当時は、「国際政治学者たちは、違憲であることを知りながら、安保法制の必要性を唱えている」、などとも語られていた。
全く違う。
憲法学者たちこそが、実は集団的自衛権は違憲だという議論に法的根拠がないことを知りながら、イデオロギー的な感情のおもむくままに、「首相による憲法学者に対するクーデター」の糾弾を行い続けていたのだ。
喧噪が終わって数年がたった今、多くの人々に、もう一度冷静によく考え直してみてほしいと思う。
集団的自衛権違憲論に法的根拠はなかった。
イデオロギー的感情にかられて行動していたのは、国際政治学者のほうではなく、憲法学者のほうであった。
https://www.amazon.co.jp/憲法学の病-新潮新書-篠田-英朗/dp/4106108224/ref=sr_1_1?qid=1561822731&s=books&sr=1-1
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私は改めて、篠田教授の「憲法学者を騙したのは、丸山真男か、カール.シュミットか。」https://blogos.com/article/241356/を読んで、東大系憲法学者たちは、丸山真男さんに騙されている、と思った。「民主主義」というものについての捉え方がまちがっているのである。
「民主主義」は、リンカーンの「人民の人民による人民の為の政治」という言葉に端的に表されている、とよく言われる。「人民」という言葉を使うから、ものごとがわかりにくくなるのであって、英語では、government of the people, by the people, for the peopleなのであって、the people 、人民の中には、与党の政治家も、官僚も、ブルジョアも、労働者も入る。このリンカーンのスピーチは、西独から帰ってきて、採用された通訳養成学校で、英語をもっとブラッシュアップして、トリリンガルな同時通訳者になってください、ということで、通訳養成所の授業で英文のリンカーンの演説を暗唱させられた。結局私にはそれができるほどの語学の才能もなければ、好きでもないことに、気づいたので、外資系の秘書になったが、このスピーチの断片は覚えていた。
要するに、丸山真男さんとその盟友の宮沢俊義さんの影響で、日本の憲法学者や日本のマスコミに「民主主義」というものが、正しくとらえられていないところに、日本国憲法9条の解釈を含めて、政治問題が山積する原因があるのであって、民主主義は、「憲法学者の良識に従う」、つまり、「憲法学者が命令し、国民が従う」ということではなくて、我々大多数の為になる「憲法や法律」を制定してくれる我々の代表者を、我々が決める、という認識をもつことが大事だ、と私は思う。要するにドイツのメルケル首相がアメリカのハーバード大学のスピーチで述べられたように、日本国民が、真実と嘘、を混同せず、権威に惑わされず、正しく真実と嘘を認識することがとても大事だ、ということをもう一度強調したい。
あらゆるタイプの愛の根底にあるもっとも基本的な愛は、「兄弟愛」である。私のいう兄弟愛とは、あらゆる他人にたいする責任、配慮、尊敬、理解のことであり、(生きている人すべてに平等に訪れる死や老いを前提として)その人の人生をより深いものにしたいという願望のことである。私が過去に、hikikomoriさんにコメントしたのは、そういう趣旨である。フロムは、私たちが一つという感覚に比べると、才能や知性や知識のちがいなどとるにたりない。もし、私たちが他人の表面しかみなければ、ちがいばかり目につくが、もし核まで踏み込めば、私たちが同一であり、兄弟であることがわかる、と主張している(愛するということ、紀伊国屋書店、p28)。
Nein, Friedensliebe zeigt sich gerade darin, daß man seine Heimat nicht vergißt und eben deshalb entschlossen ist, alles zu tun, um immer in Frieden miteinander zu leben. Heimatliebe eines Vertriebenen ist kein Revanchismus.
いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、いつも互いに平和で暮せるよう全力を挙げる決意をしていることであります。追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義ではないのであります。
大阪G20でも、「令和の時代」にふさわしく、「違い」ではなくて、「共通点」をみつける努力を「ホスト国日本」は、したのではなかったろうか。
その「国際協調」への努力の中に、「平和構築の鍵がある」のだし、さまざまな楽器や声部を駆使しながら、和声感をもちながら、最後は「調和の美」で終わる芸術、音楽を演奏する場合に、演奏家が求められているものでもある。
カ氏の応答、24や27、29~33(越中の長褌)を見る限り、訂正の必要を認めない。そうした惨状を「自らの力で」(καθ’ αὑτό)自覚(εἰδέναι)せず、「どうすることもできない」(ἀνέλεγκτος)無能さ(ἡ ἀδυναμία)を、木偶の坊(ἡ ροχθηρία)とか、「悲惨」(πονηρία)というのだろう。
精々、自分を見つめ直して(θεάομαι)精進することだ、とも。しかし、性根が腐っている(μοχθηρία)とか思っても、カ氏が「人間のクズ」だとまでは断定(λῆμμα)していないから、勘違いしないことだ。
いずれにしても、厳密な(ἀκριβῶς)議論というものは厳しい(σκληρός)ものだし、時に無慈悲な(ἀγριος)ものなのだということを発見(εὕρεσις)することもまた、真理(ἀλήθεια)への第一歩(ἡ πρῶτος βασῖς)、出発点(ἀρχὴ)だと肝に銘じたらよい。
少なくとも、何の用意もなく、ナイーブな(ἁπλοῦς)正義感や善意(ἡ εὐμένεια)で、精神の幼児(ἔκγονος)に等しい人物が、国家公共の事柄(τὰ τῆς πόλεως πράγματα)を不用意に(ῥᾳθυμηος)論じることなど、如何にも軽薄(κοῦφος)で、身の程知らずの(πλεονεκτεῖν)愚行(μωρός πρᾶξις)、慢心(ὕβρις)という外はない。
‘μηδὲν ἄγαν’ (分を越すな=デルポイ神殿の銘文)
それが嫌なら、甘ったれた態度、他愛ない小中学生レベルの愚劣なおしゃべり(λήρησις)を改め、自らの技量(τέχνημα)を磨き、論理の刃(σπάθη)を研ぎ澄ますことだ。
それには、時に「地獄の」(ἐν Ἅιδου)苦しみ(ἡ ἀναγκη)が伴うかもしれない。Der SpiegelやWikipedia程度でごまかし、コピペでレポートをでっち上げる劣等学生の真似(μίμησις)をしている場合ではなかろう。それこそ、愚鈍の証明(τεκμήρια)に外ならない。
怠慢(ῥᾳθυμία)の「言い訳」(ἀπολογία)は、重ねれば重ねるほど見苦しく(αἰσχρός)、そもそもWikipediaは、正確さ(ἀκρίβγβεια)を期するための道具(ὄργανον)ではない。現状では、さらに恥(αἰδώς)の上塗りをするか、コメント欄の老いた「子羊」(τὸ ἀρνιον)として、「犠牲の祭壇」(ἡ δεξίμηλος ἐσχάρα)に上るしかあるまい。
この世は所詮、「万人の万人に対する闘争」(bellum omnium contra omnis)なのであって甘くないのだ。齢70近くになれば、その程度の弁え(σύνεσις)というか、「世間知」(τὰ ἔνδοξα)はあろう。
カ氏が挙げた、2017年8月19日の本ブログ(20日は誤り。「憲法学者を騙したのは、丸山真男か、カール・シュミットか」=筆者註)が、27⇒【憲法学者と共に二人を批判】というのは、如何にも単細胞の粗笨な読みで、話にならない。篠田さんは、シュミットを批判などしていないのは、明々白々だ。
日本語が碌に読めず、リンカーンも、「トリリンガルな同時通訳者」もなかろう(呵呵)。
☆訂正 26の5行目以下、「93, ibid. p. 423.」は「p. 415.」の誤り。
「論理学の創始者)アリストテレスの目からみたら、その惨状はカ氏の文章に典型的なように、『クズ』に等しい代物」という趣旨のことを反氏は書かれているが、E.フロムは、アリストテレスの「正統の論理学」に、「逆説論理学」、中国やインドの思想を対立させ、「正しい思考を重視する」アリストテレス的姿勢は、カトリック教会と原子力の発見を生み、逆説的論理学、「正しい行為をすることを重視し、人間を変えること」、を主眼にする姿勢は、寛容と、自己変革のための努力を生んだ、と結論付けている(E.フロム、愛するということ、神への愛、p101-125)。
また、選挙権をもつ有権者である、ということは、国の「政治指導者」を決める力をもっているのだから、きちんと国家公共の事柄についての意見をもつことが必要なのであって、マスコミやSNSを通じた世論に流されてはいけないのである。私は、世論調査の結果を知るたびに、識者のコメントや映像が与える影響の大きさに危惧をおぼえるのである。それは、私は、海外生活や社会人としての経験を通じて、日本の大学生時代の様に、ナイーブな正義感や善意で、ものを考えられなくなったせいかもしれない。
善意の人だけではなくて、悪意のある人がこの世には存在することもよくわかったのである。私たちの高校の先輩、樺美智子さんが、「日米安保条約反対」の政治運動の為に亡くなったが、大学時代なら同じように思ったかもしれないが、今現在、日本が軍備をもたない方が、米国と同盟をもたない方が、言い換えれるなら、「集団的自衛権」をもたない方が、外国が攻めて来ず、平和な「国際社会」が構築できる、などという風にはとうてい思えないのである。
36⇒【E. フロムは、アリストテレスの「正統の論理学」に、「逆説論理学」、中国やインドの思想を対立させ、「正しい思考を重視する」アリストテレス的姿勢は、カトリック教会と原子力の発見を生み…「正しい行為をすることを重視し、人間を変えること」、を主眼にする姿勢は、寛容と、自己変革のための努力を生んだ、と結論付けている】なのだそうだ。
しかし、そうしたフロム自身が使用する概念、推論の論理法則・様式はシナのやインドの論理学ではない。「愛と寛容」は結構だが、われわれは近代文明の恩恵を受けて生きている。シナやインド由来の論理学では、コンピュータ科学も成り立たず、旅客機も飛ばない。原子力は近代科学の所産だが、それなくしては最先端の癌治療も覚束ない。
カトリック教会の「カトリック」は、その名=[cathoricus]の通り「普遍的な、一般の」という意味で、名詞[cathorica]は、全体、総体、世界(宇宙)を指し、ギリシア語の「普遍性」(καθόλου)に由来するが、その神学体系をアリストテレス哲学を使ってトマス・アクィナスらが最終的に体系化したとしても、キリスト教会の東西分離以前の神学論争でもアリストテレスをはじめ、ギリシア哲学の概念や思考法が駆使された。
そうでなければ、女(γυνή)と乞食(πτωχός)、漁師(ὁ ἁλιεύς)と大工(οἰκοδόμος)の宗教と揶揄されたイエスの素朴な(εὐηθικός)教えが、世界宗教である今日のキリスト教になることもなかったろう。
キリスト教全体の歴史からみれば、プロテスタントなど、泡沫のうたかたにすぎない。ミケランジェロの偉大な芸術も生まれまい。
今日、「論理学」(Logic=λογικόν)の名(ὄνομα)で知られる、世界共通、つまり人類共通の普遍的な(καθόλου)推論(συλλογισμός)の法則(κατὰ τὸν νόμον)を発見(εὕρεσις)し、19世紀までほとんど修正の必要のない完璧な体系に仕上げた学問(μάθημα)の創始者は、言わずと知れた、西洋における哲学者(φιλόσοφος)の代名詞的存在である、「万学の祖」アリストテレス(Ἀριστοτέλης, 384~322BC)に外ならない。
2341年前に死んだ人物だが、その卓越した知性は西洋哲学史上に聳え立っている。それと併称し得るのは、アリストテレスの師、プラトン以外に存在しない。当然ながら、フロムは元より、ゲーテなどものの数ではない。
その規制力は、思考(διάνοια)、即ち「首尾一貫した」(‘sequitur’)推論の法則である論理を発見したのみならず、凡そわれわれがものごとを「筋道を立てて」(κατὰ μέθοδος)「考える」(διανοεῖσθαι)枠組み(παράδειγμα)を創案したことにある。
論理法則が言語に内属する(ἐνυπάρχειν)ことを、最も明確かつほぼ完全な形で取り出したのがアリストテレスである。
それは、定言三段論法(συλλογισμός)と称されるもので、専門的には名辞論理学と呼ばれる論理学の一分野であり、数学的には「束」、つまり「半順序集合」の一種で、所謂「クラスの理論」と呼ばれる。
ものを考えるということは、主語Aと述語Bの包摂関係(περιέχής)を通して、思考内容を組み立て(συγκρίνειν)、言語化する営みだ。その後にストア派が考案し、中世後期のスコラ哲学が体系化した命題論理学は、名辞(ὄνομα=term)ではなく、命題(ἀπόφανσις=proposition)、つまり文の包摂関係を扱う点が異なる。
アリストテレスの偉大さは、論理学を記号化したことで、その後の発展に先鞭をつけた。ソクラテスが追求した「普遍的に定義すること」(ὁρίζεσθαι καθόλου)と帰納法的論法(ἐπακτικὸς λόγος)、プラトンが追求した二分法(διαλεκτική=概念問答法)による厳格な概念分類・区分(διαίρεσις)を一歩推し進めて、論理法則の体系化を為し遂げた。
例えば、前提(λήμματα)と呼ばれる二つの文と、結論(ἐπιφορά)と呼ばれる一つの文との結びつきが、「前提が共に真(ἀληθής)とされるなら、結論もまた真」という性質をもっており、それを論理的必然性(ἀνάγκη)といい、この論理的必然性は定言三段論法において三つの文をつくる三つの語(名辞[ὄνομα, ὅρος=term])の意味内容(γενικὸν ποινόν)によらず、それらの文章内の相対的位置関係によって真偽(ἀληθής καὶ ψεῦδος)が決まる関係(パターン)になっている。
推論の真偽にかかわる妥当性(Gültigkeit)とは、この推論の形式性に一致することであり、論理学とは、論理的必然性の非経験的特質と推論のパターン的抽象性、規則性に基づいて、論理的必然性をもつ推論のパターンを研究することに外ならない。
ちなみに、アリストテレスの三段論法の四つの命題(A, I, E, O)、即ちA=全称肯定命題(τὸ καθόλου καθαφατικὴ πρότασις=すべてのAはBである)とE=全称否定命題(τὸ καθόλου ἀπόφατικὴ πρότασις=いかなるAもBではない)、I=特称肯定命題(μερικὴ καταφατικὴ πρότασις=あるAはBである)とO=特称否定命題(μερικὴ ἀποαφατικὴ πρότασις=あるAはBでない)は、アリストテレスの独力での創見であり、その強靭な思考力の賜物である。なお、A, I, E, Oは「肯定する」を意味するラテン語[affirmo]と「否定する」[nego]の母音をそれぞれ二つずつ(肯定⇒a, i、否定⇒e, o)採ったものである。
なお、インドやシナにも古来「論理学」と称されるものがあるが、真の(ἀληθής)意味での論理学は存在しない。それは、西洋の論理学との類比によって(τῷ ἀνάλογον)、論理学とされるにすぎない。
シナの論理思想は「墨家」の墨翟(Moh Tih, ca. 479~381BC)に始まるとされ、彼自身には帰納法(ἐπαγωγή)の萌芽がみられるが正確なものではなく、代表的な存在として公孫龍らシナ版ソフィスト=「名家」があり、さまざまな詭弁的論法を駆使したが、シナ思想の実践的性格が災いして合理的論理学体系を生まなかった。
インドやシナかぶれのフロムの「論理学音痴」にも困ったものだが、近世以降のドイツはライプニッツやフレーゲを生んだ割には正統の論理学的伝統が希薄で、その根源にプロテスタンティズムがあるのは、以前指摘した通りだ。
しかし、「古因明」は論理的には不要な要素を含んでいるので、それを除いて論理的に整合的な推理形式を編み出したのが龍樹以降の仏教によって発達し、5世紀に陳那(Dinnāga, ca. 400~ca. 480AD)よって完成された三支作法(three membered syllogism)による「新因明」の論理学で、仏教の論理学の骨格をなす。
仏教論理を古来「因明」(hetu-vidya)と称したのはそのためだが、このシナより遥かに高度で精密な推理形式を含む論理学も、妥当な推理式としてはようやくアリストテレスの定言三段論法の第一格第一式(Barbara式)に相当する推理式を考案したにすぎず、推理にかかわるあらゆる論理的可能性を追求したアリストテレスには、到底及ばないのが実情だ。
「平等」の本来の意味など知るはずもない幼稚な婆さんが、37⇒【九品仏の世界…生前にした行為で、行く場所が決まる…それは、キリスト教でも同じ】と、何やら抹香臭い話でお茶を濁し(τεχνάζω)ているのも「老生常譚」の典型で、滑稽極まる。
救い難い「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)の懺悔(ἡ ὁμολογία)でもしたらよさそうに思うが、そちらには思いも及ばないらしい。
「嘘つき」(ὁ ψευδής)に、天国(ὁ οὐρανός)は無理だろうが(呵呵)。[完]
フロムの意見によれば、アリストテレスの論理学は、AはAであると同時に、非Aであることはあり得ない、という論理学だそうである。つまり、二律背反で、野党に属している代議士が、親自民、反野党であることはあり得ない、ところが、例えば、自民党の経済政策「アベノミクスには反対」であるが、自民党の安全保障政策、「集団的自衛権は合憲である。」と考えている議員も野党の中にはいるはずなのである。 Spiegel誌で、この「政治の世界のあれかこれかのどちらか」がよくない、とDie Mensch-Maschine:Entwederoderismus
https://www.spiegel.de/netzwelt/web/hass-im-internet-entwederoderismus-die-sprache-der-wut-a-1082563.html というエッセイの中で、Sascha Loboが書かれている、ことを過去に紹介したが、私も、政治の世界でのこのコンピュータ的な二律背反がよくない、と考えているのである。
そして、民主主義の基本である、for the peopleがない。日本国憲法は、信頼できる「人」を選べ、と定められているのであって、「二大政党制の、あれか、これか」の二者択一を迫っているわけではないのである。
それにしても稚拙(πονηρός)である以上に、居心地が悪い文章である。新聞社のデスクを務め、コラムニストだった私の目からは、とても人様の前に出せる代物ではなく、即刻ゴミ箱入りで、書き直しを命じたろう。「クズ」(τὰ ἐρείπια)たる所以だ。外資系企業で翻訳もしていたらしいが、その水準は恐ろしく低いはずだ。
文中【もたない】という表現(ῥῆμα)が三度ある。二番目の方は「米国と同盟しない」または「米国と同盟を結ばない」とでもすればよく、三番目は「集団的自衛権を維持しない」とか、「集団的自衛権を放棄する」とすれば、日本語として遥かに自然な表現になる。カ氏のものは、まるで出来の悪い学生の直訳調の生硬な文章、悪文を読まされているようで、居心地が悪い。
日本語の能力(δύναμις)が外国語の理解力(ἡ δύναμις συνιέναι)に比例(ἀναλογία)することはよく知られた経験的な事実だから、カ氏の外国語能力の程度も知れる。もっとも、母語だから流暢な日本語やドイツ語を読み書きできるとしても、その当の人物が、日本文化やドイツ文化について通暁はおろか、正確な知識を欠いていることは珍しくないから、元西独留学経験者によるドイツに関する知見は、どの程度かということも凡そ推察できるわけだ。カ氏を見ていれば、言うだけ野暮(ἄγροικος)かもしれない。
37②⇒【欧州で「マルクスレーニン主義国家の現実」を知った】迂闊さも、それに通底する。世間知らずで間抜け(ἀφροσύνη)なのだろう。
そもそも、2341年前の紀元前322年に死んだアリストテレス以前の水準であることは明白で、「白痴」(ρωρία)に等しい(ἰσότης)存在であることが分かる。
「白痴」も[ἡ ἄνοια]、[ἡ ἀφροσύνη]と、他にいろいろ表現はあるが、いずれにしてもカ氏の論理的思考能力は「無に等しい」(ὡς ούδέν)。
それでいながら、以前はあれほど散々批判していたソフィスト(σοφιστής)の技術(τέχνη)である詭弁術(σοφιστική)を弄して、正確な意味を知悉(ἐπίσταμαι)しているのかどうかも怪しい口ぶりで、「逆説論理学」(ἡ παράδοξος λογικόν)などと称して、無用の詭弁(σόφισμα)を弄している。
「正しい思考」(δίκαιο διὰνοια)がすべての前提だとしても、それが必ずしも「正しい行為」(δίκαιο πράγματα)に結びつかない逆説について、何も語られていない。
落ち目のメルケル独首相の尻馬に乗って、「嘘と真実を混同しないこと」(直近だと、30日05:10・1)と盛んに喋喋しておきながら、とんだご都合主義で、開いた口が塞がらない。生まれつき(φύσει)の「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)である所以で、何やら信心深い御託を並べているが、とても「真実」(τὸ ἀληθές)など語れる立場ではなかろう。
地獄(Ἅιδης)で閻魔様に舌を抜かれよう。(呵呵)。
フロムの意見によれば、アリストテレスの論理学は、AはAであると同時に、非Aであることはあり得ない、という論理学だそうである。つまり、二律背反で、野党に属している代議士が、親自民、反野党であることはあり得ない、ところが、例えば、自民党の経済政策「アベノミクスには反対」であるが、自民党の安全保障政策、「集団的自衛権は合憲である。」と考えている議員も野党の中にはいるはずなのである。 Spiegel誌で、この「政治の世界のあれかこれかのどちらか」がよくない、とDie Mensch-Maschine:Entwederoderismus https://www.spiegel.de/netzwelt/web/hass-im-internet-entwederoderismus-die-sprache-der-wut-a-1082563.html というエッセイの中で、Sascha Loboが書かれている、ことを過去に紹介したが、私も、政治の世界でのこのコンピュータ的な二律背反がよくない、と考えているのである。
カ氏の論理学(λογικόν)というか、論理=ロゴス(λόγος)に関する無知蒙昧(ἄγνοια καὶ ἀπαιδευσία)ぶりは、驚異的(θαυμαστός)である。
間抜け(ἀφροσύνη)なことに、43⇒【フロムの意見によれば、アリストテレスの論理学は、AはAであると同時に、非Aであることはあり得ない、という論理学…つまり、二律背反】と、意味(διάνοια)も了解できずに、無謀にも喋喋しているが、それは「フロムの意見」などではなく、アリストテレスがわれわれの言語、延いては思考の法則として明確に取り出した排中律(tertium non datur, law of excluded middle=「Aまたは非A以外の何ものも存在しない」)のことで、現代の記号論理学の手法で形式化すれば、⇒a∪ā=I(a∨ā=T)のようになる。
以前にもカ氏には縷縷説明した(1月31日・133)が、「低能」(ἀμαθία)だから、何一つ理解できなかったらしい(‘C’est de l’allemande pour moi.’)。もっとも、私の説明はどの論理学の教科書にも出てくる初歩的なもので、大学で論理学の授業を受講し、「いい成績を取った」というカ氏の証言(μαρτυρία)と矛盾する(ἀντικεῖσθαι)。カ氏の話の信憑性(τὸ πειστικός)も知性の水準もその程度、ということなのだろう。
43②⇒【つまり、二律背反】と早速早とちりしているが、「二律背反」(ἄτοπος=Antinomie)と排中律は違う性質ものだ。素人だからカ氏が何も理解できないのではなく、元々愚鈍で、自ら理解できない、手に負えない(ἀνέλεγκτος)ことを受け付けない質だからであろう(‘La petitesse de l’esprit fait l’opiniâtreté, et nous ne crpyons pas aisément ce qui est au-delà de ce que nous voyons.=「精神の狭量は頑迷をもたらす。われわれは自分の理解を超えるものをなかなか信じようとしない。」[La Rochefoucauld; Maximes 265, Œuvres complètes, Bibliothèque de la Pléiade, p. 439.])。
矛盾律についてアリストテレスは二種類の説明をしていて、一つは「同じものは同じ条件の下では、同じものに同時に属し、かつ属さないということはできない」(‘τὸ γὰρ αὐτὸ ἅμα ὑπάρχειν τε καὶ μὴ ὑπάρχειν ἀδύνατον τῷ αὐτῷ καὶ κατὰ τὸ αὐτό’; Metaphysica 1005b19~20)、他方は、「矛盾的に対立する言明は、同時に真であることはできない」(‘τὸ μὴ εἶναι ἀληθεῖς ἃμα τὰς ἀντικειμενας φάσεις’; ibid. 1011b15)というもので、当り前のことを当たり前に、アリストテレス特有の表現で無味乾燥に表現している。
それは人間の思考の習慣(ἔθος)、つまり言語使用に関する共通認識(κοιναὶ δόξαι)に立脚しており、別にアリストテレスを知らなくとも、いわんやフランクフルト学派の落ちこぼれであるE. フロムの見当違いな御託などもち出さなくとも、真っ当な分別(ὁ ὀρθὸς λόγος)さえあれば、分かる人には分かる基礎的な認識で、それがカ氏には全く欠如(στέρησις)している。
それを「無学」(ἀπαιδευσία)という。カ氏に論理的思考の欠片もない。つまり、逆上せ上がった神がかりの(ἐνθυσιασμός)猿芝居に等しい「独り相撲」(σκιαμχία)だ。
阿呆だから、32分も間隔を開けて二重投稿(43⇒07:03、49⇒07:35)している。「故意」(ἑκουσίως)なら、投稿自体が自己目的化している何よりの証拠だ。
留学中の見聞(περιπτωσις)や体験(πείρα)を、取り立てて「大いなる値打ちがあると思って」(περὶ πολλοῦ ποιεῖσθαι)過大に評価する(ποιέω)あまり、逆上せ上がって(ἀγωνία)我を忘れて(ἀσχολεῖσθαι)、饒舌(ἀδολεσχία)になることもない。外野席から「国家公共の事柄」(τὰ τῆς πόλεως πράγματα)に焦慮(μανία)を募らせ、見当違いな悲憤慷慨(ὀργή κὰι θυμός)に憂さを晴らしたりもしない。
彼らはそれを半可通(ἡμιπόνηρος)の愚劣な老生常譚、「他愛もない婆さんのおしゃべり」(‘ὁ λεγόμενος γραῶν ὕθλος’)ということを本能的に理解している。カ氏にそうした弁えが全くないのは、中途半端な‘intellectual yet idiot’(頭でっかちの知恵なし、高学歴の大莫迦)という自己認識(ἀναγνώρισις)にも至らない、それこそ精神の幼児(ἔκγονος)だからだろう。
キリスト教全体の歴史からみたら、プロテスタントなど「泡沫のうたかたにすぎない」のは歴史的事実で、プロテスタントはカトリックから派生した西方教会の「末流」だ。東方教会を含めた全体の歴史は悠久というだけのことで、カ氏は如何にも近視眼的(μύωψ)だ。脳みその容量(ἀγγεῖον)も小さいのだろう。
カトリックはイタリア、フランスをはじめ今なお健在で、いい加減なところも、「狂信的」なルターやカルヴァンの急進的改革に基づくプロテスタンティズムより、遥かに健全だ。ルターはドイツ的偏狭性(σμικρολογία)の象徴だろう。
「田舎者根性」丸出しだから困る。[完]
私には文才はない。夫には、音楽の才能はないが、文才がある。それで、どうやって文才をつけるの?ときいたら、すぐれた文学作品を読んで、作家がどのような言葉を使っているか、その連関を覚えようと努力する、という返事で、私は、そのような文章の読み方をしたことがないな、と思った。それで、翻訳家としてもいい仕事はできないと思ってなる気はないが、それと論理的な文章が書けない、嘘を書いている、ということとは全く違ったことである。
昔、父たちの相続の裁判の記録を読んだことがある。日本文学を専攻した叔母の文章を読むと、妙に説得力がある、父は、そんなに無能な、人非人みたいな人なのか、とその文章だけを読んだ父を知らない人は思うだろう。ただ、いくら、相続裁判に勝つため、と言っても、人間としてどうなのか、と思った。反氏の文章にも、似たようなものを感じるのである。
ルター派のプロテスタンテイズムは、現在も健全で、近いところでは、彼らのライプチヒでの月曜デモが、ドイツ統一の原動力になった。
西洋古代哲学、古典学の研究者、学徒には周知の事実だが、アリストテレスからの引用は、学界の長年の慣習として、1831年に刊行されたドイツの古典学者インマヌエル・ベッカー(August Immanuel Bekker, 1785~1871)校訂のプロシア王立アカデミー版『アリストテレス全集』(“Aristoteles Graece”, editit Akademia Regia Borussica, Berolini, Apud Georgium Reimerus; Vol. 1~2, Textes graecus ex recognitione Immanuelis Bekkeri, 1831.)の第1、2巻(左右2欄=左をa右をb。通し頁で1462頁。このうち、『形而上学』は第2巻980~1093頁まで)に基づく。
校訂本は英国のOxford 古典叢書版(“Oxford Classicat Texts”)、ドイツのTeubner版(“Bibliotheca Scriptorum Graecorum et Romanorum Teubneriana”)、フランスのBudé 版(“Collection des Universités de France, publiée sous le patronage l’Association Guilliaume Budé”)が代表的で、それぞれ各頁ごとに、ベッカー版の対応ページが記されている。個々の校訂本や註釈書も、同様だ。
ベッカー版自体は校勘も良く、当時知られた数多くの写本を参照し、それまでの水準を抜く批判的全集として、学界からstandard editionとして高く評価されてきた。しかし、その後に研究も進み、各著作について決定版とは言えず各国から新版が出ているが、引照には依然としてベッカー版の頁、行数を以ってする便利な慣行を維持している。
しかし、ベッカー版と各校訂本の頁付けは微妙にずれており、今回も改めて手持ちのベッカー版に照らして、正確を期した。
身の程知らずの「無学な婆さん」(ἀπαιδευτος γραῦς)であり、ご大層なことを宣っては何やら逆上せ上がっている「夜郎自大」を地で行くカ氏は、無知(ἀμαθία)も相当だが、それ以上に無恥(αναίδεια)、つまり恥知らずな(ἀναισχυντία)、あきれ果てた人物だ。
13番目の枕詞「醜悪な人」(ὁ αἰσχρός)に相応しい人物で、親族にも八つ当たりしている。
53⇒【文才のある人の怖いところ…文章で、嘘を本当のように錯覚させてしまう】と、何やら自分が不当な(ἄδικος)攻撃(ἐπιχείρησμα)を蒙り、誹謗(λοιδορέω)と中傷(συκοφαντεῖν)に遭った、あたかも被害者(ὁ πάσχω)であるかのように装って「しらばっくれて」(εἰρωνεύομαι)いるが、カ氏の文章が要領を得ないどころか無内容で、凡そ意味のない「クズ」(φορυτός)同然の代物であることは、どうあがいても客観的事実(οἷα ἦν ἢ ἔστιν)だろう。
47~48で試みたのはその理由(πρόφασις)を、文章の具体的分析を通じて客観的に明らかにすることで、さらにそれが書かれるに至った背景、俗悪な(φαῦλος)心理的メカニズムの一端を、個々の言葉遣い(ῥῆμα)、レトリック(ῥητορική)とも呼べない粗末で陳腐な(πρόχειρος)措辞(λέξις)に至るまで明らかにし、特に論理性の欠如を剔抉した。
滑稽なことに、匿名をいいことに親族の恥を曝しているが、カ氏こそ面汚し(ανάξιος)であろう。
‘L’intérêt met en œuvre toutes sortes de vertus et de vices.=「私欲はあらゆる種類の美徳悪徳を総動員する。」(La Rochefoucauld; Maximes 265, Œuvres complètes, Bibliothèque de la Pléiade, p. 437.)
‘die unbeherrschte Sehnsucht wird als völkische Rebellion kanalisierte, die Nachfahren der evagelistichen Schwarmgeister werden nach dem Modell der Wagnerschen Gralsritter in Vershworene der Blutsgemeinschaft und Elitegarden verkehrt, die Religion als Institution teils unmittelbar mit dem System verfilzt, teils ins Gepränge von Massenkultur and Aufmärschen transponiert. Der fanatische Glaube, dessen Führer und Gefolgschaft sich rühmen, ist kein anderer als der verbissene, der früher die Verzweifelten bei der Stange hielt, nur sein Inhalt ist abhanden gekommen. Von diesem lebt einzig noch der Haß gegen die, welche den Glauben nicht teilen. Bei den deutschen Christen blieb von der Religion der Liebe nichts übrig als der Antisemitismus.’(“Dialektik der Aufklärung”, 1947., ‘Elemente des Antisemitisums―Grenzen der Aufklärung.’:引用はMax Horkheimer Gesammelte Schriften., Bd. 5, 1987, S. 206)
ここに言う「ドイツのキリスト教徒」とは、教会とナチズムとの結合を目指したプロテスタント系の運動で、第二次大戦中、偏狭なルター主義の「後裔たち」=プロテスタントはユダヤ人迫害に深く関与した。抵抗したカトリックとの違いは明らかだ。
プロテスタンティズムのドイツ的偏狭性は、根が深い。
過去に、早稲田のエクステンションセンターの授業を取っては、とアドバイスして断られたが、「反ユダヤ主義」というのは、一神教の、キリスト教教徒共通の現象で、カトリックのスペイン、フランスにも起こっている。また、現在は、コメント欄で紹介したように、長年イスラエルが、熱戦、中東で戦争をし続けたことで、反ユダヤ主義は、「イスラム教徒」の間にも芽生え、欧州では「戦争による難民」として受け入れたアラブ系の人々によるユダヤ人への襲撃事件が起こっている。その治安上の理由で、アラブ系難民の受け入れ反対、反ユダヤ主義のドイツ人の数が増え、冷戦の終結以来、ソ連からドイツに移民し、人数的に増えていたユダヤ系人々のうち、イスラエルに戻りたい人が増えているのである。つまり、「反ユダヤ主義」は、過去のドイツの問題ではなくて、「現在の国際問題」なのである。
ヒトラーの生まれたハプスブルグ帝国も、ヒトラーが「反ユダヤ主義」を煽ったミュンヘンも、カトリックが多く、ヒトラー自体がカトリック信者である。
ワグナーは、キリスト教芸術のすべてを否定し、「ドイツ民族」の神話をつくりあげたのであって、プロテスタントの為に音楽を作ったわけではない。その為の音楽を作ったのは、信徒であるバッハとメンデルスゾーンとブラームスである。たた、このようなことを、反氏が「無学」とレッテルをつけられた私が、いくら説明しても、反氏は納得されないのであろうから、元ジャーナリストの肩書を利用して、ドイツ文化センターのドイツ文化についての「学のある方々」に直接インタビューされることをお勧めしたい。
だから、トランプ大統領と金正恩さんの一見仲のよさそうな映像上のパーフォーマンスに特段の意味があるとはまるで思えないし、おかしな政治指導者のいる隣国と仲良くすべきだとも思えないのである。
それにもかかわらず、慰安婦問題、徴用工問題、レーザー照射問題、などさまざまな日本に対しての反友好的な政策を取っているのは、だれか、ということなのである。米国とその同盟国に軍事的に守ってもらった結果、日本に経済援助をしてもらった結果、今繁栄している韓国があるという感謝の気持ちがまるでない。また、現政権の金正恩の北朝鮮との朝鮮統一を果たす、ということは、朝鮮戦争など必要がなかった、ということにもなり、この戦争で命を失った米兵をはじめとする連合国の人々は、犬死である。そして「核兵器をもった」統一朝鮮が、隣国になり、突然攻めてくるかもしれない、という危惧を感じるとなおさら、戦後その趣旨で、日本国憲法が作られたように、「集団的自衛権は合憲である。」ということを日本国民が認識しなければならないのではないか、という思いを強くする。
カ氏は読んだことも調べたこともないから、当然と言えば当然だが、「無知にして無学ゆえに」(δι’ ἄγνοιαν καὶ ἀπαιδευσίαν)何も知らないようで、『啓蒙の弁証法』は、同じ内容のテキストがそれぞれアドルノ全集第3巻(Suhrkamp Verlag、20巻22冊)、ホルクハイマー全集第5巻(S. Fischer Verlag、18巻)に収録されており、ホルクハイマー全集にあるからといって、同全集からの引用が、あたかも単独での「ホルクハイマーの主張」にはならないし、読まないと普通なら批評は成立しようがないが、「偽り」(ψεῦδος)というなら虚偽の論拠を示さなくてはならない。
ところが、カ氏はその理由(πρόφασις)の一片たりとも提示しておらず、できもしない。莫迦の一つ覚えのように繰り返す、57②⇒【早稲田のエクステンションセンターの授業】云々は、何ら反論にはなり得ない程度のことが理解できない程度に、愚鈍である。
異論(ἀμφισβήτησις)があるなら、それを覆す別の根拠乃至議論を示さなければ、何ら反論(ἔνστασις)にはなり得ない。ドイツでナチスに抵抗(τὸ ἐναντίωμα)したのはカトリックであり、プロテスタントではない。
日本の戦時中でも、この世の不正に抵抗する(ἐναντιοῦσθαι)こととは全く逆のプロテスタントの当局への迎合(κολακεία)はひどかった。プロテスタントの語源である「プロテスト」は、ラテン語の抗議(protestatio)、その基になる[protestor]=抗議する、証言(証明)するに由来するが、カトリックへの異議申し立て(ἀμφισβήτησις)が聞いて呆れるほどの権力への追従だった。
プロテスタンティズムは一見して生真面目ながら、自らの見解(δόξα)とは相容れない(ἐναντιότης)者に対する攻撃性(ἐπιχείρημα)は比類がなく、普遍性(τὸ καθόλου)や正統性(ἡ ὀρθότης)の顧慮を欠いた視野狭窄(μύωψ)が拭いきれない所以だ。
それがドイツ、特にルター派において顕著なことは数多くの証言が存在する。後期のルターがユダヤ人に対して行った反ユダヤ主義的「罵詈雑言」も周知の事実だ。
「総統と心酔者とが誇りとする狂信的信頼関係」(‘Der fanatische Glaube, dessen Führer und Gefolgschaft sich rühmen’)、「そのうちで今日でも生きているのはただ一つ、同じ信仰を分け持とうとしない者に対する憎悪ばかり」(‘Von diesem lebt einzig noch der Haß gegen die, welche den Glauben nicht teilen.’)。「『ドイツのキリスト教徒』のもとで愛の宗教のうちに残されたものといっては、反ユダヤ主義以外に何者もない」(‘Bei den deutschen Christen blieb von der Religion der Liebe nichts übrig als der Antisemitismus.’)。
「愛の宗教」(der Religion der Liebe)も何もあったものではない。古来宗教を口実にして数多の残虐行為が正当化されたが、‘Quid haec ad Christum?’(それはキリストと何の関係があるのか?)と、ドイツに問わなくてはならない。
プロテスタンティズムのドイツ的偏狭性(σμικρολογία)は、根が深い。その信奉者の反ユダヤ主義は、愚かなドイツの民衆を使嗾する総統(Führer)の掛け声にあわせて踊り、偏狭(σμικρότης)の限りを尽くしてユダヤ人を死に追いやり、浅ましい欲望(ἐπιθυμία)と見当違いな憎悪(μῖσος)に駆られて、やがて破滅(φθορά)したのであろう。騙された(ἐξαπατηθῆτε)と称して被害者(ὁ πάσχω)面をしているが、すべては身から出たサビなのだ。そうでなければ、間抜け(ἀφροσύνη)なのだろう。
この国民(πολίτης)にして、この指導者(τὸ ἡγεμονέω)あり、ということだ。
ミケランジェロは、ルネサンス期、カトリックが生んだ偉大な芸術家で、プロテスタンティズムなど何の関係もない。
そもそも英仏伊などと同じ意味ではドイツにルネサンスはなく、メランヒトンを除いて碌な人文主義者を輩出しなかったことは英仏伊との際立った違いで、18世紀の終わりごろまで、文章語としての標準ドイツ語、つまり統一ドイツ語が形成されなかった事情もそれを如実に物語る。
その背景には、今日のドイツを含む神聖ローマ帝国が、所詮は選帝領邦諸侯の連合体、即ち「寄せ集め」にすぎず、12世紀末以降、諸侯が勢力を伸張させ、「統一国家」としての内実を失っていったからであり、皮肉屋のヴォルテールはそれを、「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない」と揶揄したことは以前にも紹介した(8月24日・76)。
ようやく現れたその言語=共通文章語として東部中部諸方言を基盤に形成された標準ドイツ語も、話し言葉は低地ドイツ語型の発音で行う方式を採用したことで、言語学者に「低地ドイツ語の音声による高地ドイツ語」(W. G. Moulton)と揶揄される、ドイツの文化的後進性の一端をはしなくも示す、ドイツ的「寄せ集め」の好例だ。
[deutsch]=ドイツ語という単語は、786年のラテン語文献の中に[theodiscus]という形で出現するのが最初とされるが、それは当時の高地ドイツ語で「民衆」を意味した。[diet]から派生した[diutic]のラテン語形であって、当時の知識階級、即ち上流階級の公用語であったラテン語に対する民衆の言語を意味した(小学館『独和語大辞典』、2682~83頁)。
ドイツが現在でも事実上の中央集権国家ではなく、地方分権の連邦体制である遠因は言語的にも裏付けられる。その証拠に、低地ドイツ語のように、フリッツ・ロイター(Fritz Reuter, 1810~74)のような作家の存在にもかかわらず、文章語としては未だに確立されていない方言もある。
つまり、ドイツは神聖ローマ帝国の枠内で、教会勢力との主導権争いに苦しんだ結果、領邦諸侯という、事実上独立した「小君主」が乱立する、「ルネサンス以前」の「中世状態」が長らく続き、英仏など当時、西欧で徐々に始まった国王による中央集権的な統一国家形成の動きと対蹠的で、ドイツ的後進性の主要因となる。
そうした政治的分裂状況にさらなる深刻な打撃を与えたのが1517年にルターによって始められた宗教改革で、国内は新旧双方の党派抗争が激化する内戦状態となり、欧州列強の介入を招いた結果、「三十年戦争」(1618~48年)に発展する。
その終結を刻したのが1648年のウエストファリア条約(der Westfälische Friede)で、長年に及ぶ戦乱で国土は荒廃を極め、皇帝権は一層衰退し、逆に領邦国家が「ほとんど完全な主権と独立を獲得」(Erich Brandenburg und Hugo Hantsch=『ブリタニカ国際大百科事典』第14巻、164頁[Encyclopaedia Britannica第15版からの転載])する。
さらに、フランス革命後の啓蒙主義的改革の動きが自国に波及するのを嫌う保守反動と小国分裂の現状維持を志向する動きが、ナポレオンの失脚後に一段と高まり、旧秩序回復を狙ったウィーン会議によって解体された神聖ローマ帝国は、35王侯国家と4自由市による「ドイツ連邦」に移行し、反動化を決定的にした。
しかし、国民の政治意識は長年にわたる「中世状態」を反映して極めて未熟であり、それとは対蹠的ながら、支配階級であるユンカー階級や知識層は、英米流の民主主義に基づく政治的合意形成の非効率性と世俗性を侮蔑、忌避して官僚性的専制支配を是認する傾向があり、自らは政治について特段の見識をもたず嫌悪する傾向のあった「非政治的」人間であることをもって、むしろ極めて高度な学識を有する「教養市民層」だという強固な自負心に支えられていた。
それが結果として支配層と民衆との政治意識の乖離を生み、統一ドイツは「近代技術の力を駆使する18世紀国家」(H. ラスキ)とされた所以だ。
いずれにしても、ヒトラーの出現をまたずとも後年のファシズムにつながる特異な政治風土と歴史がドイツにはあったとも言え、その根底に宗教改革やプロテスタンティズムも深くかかわっている。それだけ、毒にも薬にもならない文士ゲーテと異なり、ルターは極めて特異な人格だということだ。
戦後はそうでもないが、カントとヘーゲルを生み、音楽と並んでドイツが世界に冠たる哲学もその論理思想に関する限り脆弱で、特にドイツ観念論は、良くも悪くもプロテスタンティズムの所産、教養あるプロテスタントの中流家庭、特に牧師家庭が生み出した特異な性格を有し、哲学的論理はアリストテレスの衣鉢を継ぐ正統な継承者=スコラ哲学以来の論理学発展の圏外で形成されたため極めて未成熟で、大きな弱点になっている。
極言すれば、ドイツ観念論はプロテスタント神学を世俗化したものだ。[完]
誤謬(ἁμαρτία)の宝庫(τὸ ταμιεῖον)というのは「無学な婆さん」カ氏の文章や立論のことで、横柄な(αὐθάδικός)粗忽者(ὁ ὀλίγωρος)なのは本人も認めているが、底なしの「無学」であることは、58⇒【反氏が「無学」とレッテルをつけ】のような口ぶりで、自らがあたかも「無学」ではないかのような口ぶりで惚けて(εἰρωνεύομαι)、なかなか肯んじない。
私のように、殺伐非常に端的に指摘されては、実力の割には高慢ちき(ὑπερηφανία)だから、如何にもプライド(φρόνημα)が傷つくのであろう。
プライドというのも「中身」が伴っての話で、ギリシアの昔から、あまりよい意味はない。矜持(μεγαλοψυχία)は立派だが、大体は尊大(ὕβρῖς)であったり思い上がり(ὑπερηφανία)だったりする。[ὁ ὄγκος][ ἡ ὑπεροψία][ ἡ χλῖδή]と、皆似たりよったりだ。
その時々、気儘に議論を喰い散らかして、愚にもつかない幼稚な(νήπιος)印象(ἡ εἰκών)や感想(ἡ σύννοια)、思いつき(ἔννοια)の類を、暇つぶし(διατριβή)に無邪気に(ἁπλοῦς)「日記」(ὑπομνημα)のように書き散らすのが癇癪もちの(χαλεπότης)齢70近い暇な婆さんの日課だから相手にするだけ野暮なのだが、こちらも酔狂だから、付き合うことになる。
それもこれも、私が戯れ(παιζειν)に『カ氏誤録』と名付けた膨大な「クズ投稿」の解体処理のためで、ネット投稿の「愚者の楽園」化防止策の一環だ。
とにかく、書けば同時に間違うカ氏だから、本人は【私の間違え…そのほとんどが形式的なミスで、スペル或いは誤字脱字のミス】(6月20日・114)のようごまかしてばかりだが、驚くべき頻度と程度で、西独留学の「金看板」が泣くという惨状だ。
37⇒【ミケランジェロの「最後の審判」】は、ヴァチカン美術館ではなく、「システィーナ礼拝堂」の誤りだろう。
ただ実際には、この「免罪符」発行で、ローマ法王庁はお金を集め、ミケランジェロやラファエロなど、天才的な芸術家を集めて、ヴァチカン美術館の至宝を作り上げた。そして、美を愛し、イタリアを愛したドイツ文化人ゲーテは、カトリックが現出させた世界を好んでいるし、私も同じである。イスラム教の場合は、「旧約聖書」、「新約聖書」、「コーラン」が聖典で、聖書にのっとって「偶像崇拝」を戒めているイスラム教の原理主義者たち、タリバンは、現在も尚、多くの貴重な文化財を破壊しているが、von Neumannについても言えるが、大事なことは、異文化を尊重し、貴重な文化財をむやみに破壊しないこと、ではないのだろうか?
システイーナ礼拝堂は、ヴァチカン美術館の一部で、昔、ヴァチカン美術館として入場券を買った記憶があるが、現在でも、同じではないのだろうか?
つまり、キリスト教徒と反ユダヤ主義、反ユダヤ主義とアウシュビッツの大虐殺は関係があっても、プロテスタントを創始したルターはドイツ人、それは「プロテスト」という特異な政治風土と歴史がドイツにはあったからで、それがアウシュビッツの大虐殺を生み出した、などということは、言えない、と私は思う。ルターが生まれ、活躍したのは、ローマからはるか離れた東部ドイツで、ヒトラーが生まれたのは、南部のカトリックの牙城であり多民族国家、ハプスブルグ帝国なのだから。
ヴァティカーノ宮(Palazzi Vaticani)、所謂サン=ピエトロ大聖堂(San Pietro=Città del Vatinano)内のシスティーナ礼拝堂(Capella Sistina)にあるのがミケランジェロ(Michelangelo, 伊Michelagnilo Bounarrotielo, 1475~1564)の祭壇画「最後の審判」(Giudizio universale、1535~41)で、この縦13.7メートル、横12.2メートルの巨大なフレスコ画は、カ氏同様、プロテスタンティズム的なケチくさい信仰心を薙ぎ払うような筋肉隆々の、元々は巨大な裸体が乱舞する世界だった。
原作者の意図とは異なる後世の修正というか改竄によって、ほんのごまかし程度に剥き出しの局所が覆われてはいるが、不世出の芸術家による、所謂「ルネサンスの精神」が横溢している。
ヴァティカン美術館(Musei Vaticani)という呼称は、一般的にはヴァティカン絵画館(Pinacoteca, Città del Vatinano)を含む展示スペースを指しており、宏壮なヴァティカーノ宮の付属施設であって、施設自体はあくまでも作品、というか付属物の展示、管理、保存、調査研究という管理区分上の都合でそう分類されているわけで、例えば教皇ユリウス2世、レオ10世時代のヴァチカン諸宮殿とそれに接するベルヴェデーレの中庭(Cortile del Belvedere)の巨大な縮尺100分の1のブラマンテ(Bramante Lazzari)による原案の復元模型というものがあるが、そうした資料も展示している(現在の実際の展示状況は定かではないが)。
ラファエロ(Raffaelo Santi)の有名な底辺7.7メートルの巨大なフレスコ壁画『アテーナイの学堂』(Scuola d’Athene)はヴァティカーノ宮の「署名の間」(Stanza della Segnatura)にあるわけで、絵画館に属する『キリストの変容』(Trasfignazione)とは違うのである。
「無学な婆さん」(ἀπαιδευτος γραῦς)に言うだけ無駄だが。
身分不相応にプライド(φρόνημα)ばかり高い滑稽な婆さんは、69⇒【反氏の主観的歴史観、はどうしようもないと思う】とか、72⇒【反氏は、どこまでドイツ人を悪者にして、「反ドイツ主義」を貫くのかと思う】のような、自らの見解と相容れない(ἐναντιότης)ものに対する狂信的な(μανικός)敵意(ἔχθρα)、怒り(θυμός)を剥き出しにしているが、その知性(νοῦς)とも呼べない「ちっぽけな料簡」(σμικρολογία ψυχῇ)、言うなれば「俗信」(δοκεῖν)に執心して(ἐπιθυμέω)、早朝からとち狂っているようだ。御苦労なことだ。
「憤激は知性の程度に反比例(ἡ ἐναντίκος ἀναλογία)する」ことの、何よりの症例(παράδειγμα)だろう。
72②⇒【アウシュビッツのユダヤ人のガスによる大虐殺も、ヒトラーの考えが色濃く反映…ヒトラーがカトリックであった、ということは、大事な視点】のような極論というか暴論を平気で(θαρραλέος)並べる。ヒトラーの悪行とカトリック信仰の関係について、寡聞にして専門家からそうした見解を聞いたことがない。ヒトラーだけでは解き明かせぬ「最終解決」(Endlösung)の根は深い
何事にも独善(δόγμα)を押し通すカ氏独自の見解だろう。一人の狂信的なカトリックの信徒がいたとしても、それだけでは彼自身の行為とカトリシズムは何の関係もない。カトリックの総本山・ヴァティカンがあるイタリアはファシズムは生んだが、ユダヤ人大量殺戮の歴史はない。
日頃は歯の浮くような「国際協調」とかの綺麗ごとを並べているお為ごかしの醜悪なる自分と真逆な(ἔμπᾶλιν)ことにに気づかないようだ。
73⇒【下層階級に生きるヒトラーのウィーンの上流階級に生きる貴族や市民、ユダヤ系芸術家へのルサンチマン】のような、如何にも陳腐な「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)はよくある俗説の一種で、何やらユダヤ人であるマルクスやフロイトの見解に対する卑俗な理解に通底する俗臭が漂っているが、それはカ氏のような「ルサンチマン」(ressentiment)感覚まみれの人間にはそう映るのだし、ヒトラーの立場だったらカ氏も同じことを感じ、しかねない、ということの表れだろう。
そう言えば以前、【革命を志向する社会主義は、ルサンチマンを根にもつ】(6月3日・13)なる、如何にも反共産主義者らしいニーチェ張りのルサンチマン論、というか法螺話(ἀλαζονεία)を読みもしないカトリックの現象学者M. シェーラー(Max Scheler=カ氏にかかると「シューラー」になる)に事よせて披歴していて滑稽だったが、懲りない(ἀκολᾶτος)婆さんだ。
カ氏の支離滅裂な議論の揚げ足取りをしても仕方がないが、73②⇒【プロテスタントを創始したルター…が生まれ、活躍したのは…東部ドイツで、ヒトラーが生まれたのは、南部のカトリックの牙城であり多民族国家、ハプスブルグ帝国】のような立論は、両者の宗派を越えた際立った偏狭性(σμικρολογία)を覆い隠しはしない。
最後に、私は別にドイツを敵視していない。粗野な民衆は嫌いだが、ゲーテも14冊本のハンブルク版全集(J. W. von Goethe Werke Hamburger Ausgabe in 14 Bänden.; hrsg. von Erich Trunz, 1955~60)でそれなりに読んだ。
昨今は、詰らない男だと思うが、それでも、ルターとは対照的な心性で、遥かにましだと思っている。[完]
このため、英仏伊のような形ではルネサンスを経験しなかったうえに、近代化の指標である工業化も大幅に遅れた。支配層の公用語は古くはラテン語、近代以降はフランス語といった状況で、フランス語でドイツを評して長らく複数形で侮蔑的に‘Les Allemagnes’(‘C’est de l’allemande pour moi.’=「私にはチンプンカンプンだ」)としていたのもそのためだ。
近世の世界史上にポルトガルに始まって、スペイン、オランダ、英国と覇権国家が交代を繰り返したが、ドイツが常に後塵を拝したのもそのためで、欧州大陸の中原の田舎国家に甘んじざるを得なかった。啓蒙専制国家プロシアによる上からの政治的統一が不可避だった所以だ。
それが19世紀以来の急速で跛行的な近代化のひずみとして、ドイツのその後の歴史を制約した。英仏に代表される統一国家形成や民主化が決定的に遅れたドイツが孕む近代化の跛行性と、ドイツの民衆の政治意識の未発達については、火を見るより明らかだろう。
ユダヤ系の英国の政治学者H. ラスキの指摘=統一ドイツは「近代技術の力を駆使する18世紀国家」を借りるまでもなく、ドイツ(人)の政治と政治意識には民族的特異性がある。それが巡り巡って二度にわたって世界大戦を引き起こし、惨憺たる結末を招いたのが偶然ではないことを物語る。おまけに、おぞましいホロコーストまで引き起こした。
「反ユダヤ主義」)も、早稲田大の生涯学習講座で学んだ割には無知なカ氏が考えるほど単純なものではなく、ドイツ的な特異性が刻印(ἐπῖσημαίνειν)されている。
77②⇒【ドイツ人たちは、本当に、フランスの様な中央集権制の国、を樹立したい、と考えたのだろうか?】と言うが、「考えた」からこそ、二度にわたって無謀な戦争に訴え、二度とも惨憺たる敗北を喫したのだろう。
そもそも、ゲーテ(1749~1832)とシラー(1759~1805)が⇒【小国分立時代に…ドイツ文学を世界文学の一つの高みまで引き上げた】といったところで、それはようやくその程度の水準(「世界文学の一つ」)に達したという話で、ダンテ(1265~1321)やペトラルカ(1304~74)を擁するイタリア、チョーサー(c.1340~1400)やシェイクスピア(1564~1616)の英国、モンテーニュ(1533~92)やモリエール(1622~73)、ラシーヌ(1639~99)のフランス、セルバンテス(1547~1616)のスペインにドイツが必ずしも匹敵するわけでもなく、時代も下って、ラシーヌの死後一世紀以上も遅れてようやく追いついた、という程度の話だろう。
ドイツの際立つ卓越性は音楽と哲学であって、文学など二番煎じにすぎない。
ドイツ文化への、しかも特定の対象へのカ氏の滑稽なほどの「自己陶酔」(αὐτὸς τέρψῖς)はどうでもいい話で、問題は、創作活動(ποίησις)の一領域である芸術だけでは、国家も国民も立ち行かないということであって、カ氏の‘ethnocentrism’(文化的自民族中心主義)は、ドイツ的な劣等意識(ὕστεροψυχία)ゆえの僻み(φθόνος)、田舎者(ἄγροικος)根性の裏返しだろう。
ファウストは、快楽的なギリシャ生活の後、ドイツに戻って海の土地をもらう。そしてこの土地を埋め立て、堤防を作り、「海」という偉大な力には向かおうと試みる。沼のはけ口を作り、埋立地を完全に安全地とした後、人々を呼び楽園として住まわせる夢を見ます。海の脅威もない安全な土地。ファウストは「日々に自由と生活とを闘い取らねばならぬ者こそ、自由と生活を享くるに値する」という叡智の最高の結論を得ます。その拓かれた土地で勤勉な民が住む。自由な土地の上に自由な民と共に生きる。その光景を夢半ばに思いつつ、満足を感じ、悪魔メフィストーフェレスとの約束のもと、死に至ります。その後、ファウストとの恋愛の為に、自殺を余儀なくさせたグレートヒェンの計らいで、天国に昇天することもできるのである。
ゲーテは、民衆を信頼している。「私には学識や権威があるから、私の命令に従え。」などという傲慢な様子はまるでない。本来、「民主主義」とは、民衆への信頼から、はじめて生まれるのではないのだろうか?
首尾一貫した思考(διάνοια)、即ち推論(συλλογισμός)の基本である矛盾律(contradictio)も排中律(tertium non datur)も知らず、「二律背反」(ἄτοπος=Antinomie)と混同(ἁμαρτάνω)する有様の「論理学音痴」が、手に負えなくなると、フランクフルト学派を脱落した御贔屓のE. フロムをもち出しては、正統な論理的思考(κύριος λογιστικόν)、つまりアリストレテスが定式化した、「筋道を立てて」(κατὰ μέθοδος)ものごとを論理的に(λογικός)考える(διανοέομαι)という大原則を放棄するような発言をしておいて(「排中律」の放棄、36⇒【フロムは、アリストテレスの「正統の論理学」に、「逆説論理学」、中国やインドの思想を対立させ、「正しい思考を重視する」アリストテレス的姿勢は…】と問題視)、今さら「論理だてて、ものを考えること」もないものだ。
その際に、わけも分からずフロムの口車に乗ってもち出した「逆説論理学」、中国やインドの(論理)思想については、議論の中身には全く言及しないという(言及することもできないのだろう)、憐れむべき「無学」ぶりを曝しておいて、議論を喰い散らかしたまま、綺麗に口を拭って頬被りしている。
「逆説論理学」と言えば、カ氏が激しく糾弾したソフィストの論法(σοφιστική)、論争のための論争の技術(ἀντιλογική)である争論術(ἐριστική)そのもので、以前、【ソフィスト的生き方がよくない、と私が主張したのが、反氏の論争のはじまり】(1月24日・30)と正面切って宣っていた当の本人の発言とも思えない。
臆面もなく自認するように、さすがは見境のないヴァイツゼッカー宗の巫女(προφῆτις)よろしく、「神懸かりの状態」(ἐνθυσιασμός)でお告げ(μαντεία)を取り次ぐのが役目だから、少しも意に介さないのだろう。錯乱している(ἀπόπληκτος)のか酩酊(μέθη)しているのか、いずれにしても相手にしようがない。
「神がかり的に物事を決めるのではなくて」とは、文章の書き方を間違えたのであろう。「神懸かりの状態」でこそ、ご利益(κᾶτᾶνύτειν)もあるというものだ。
そしてヴァイツゼッカーの後は、お定まりのようにゲーテである。芸(τέχνη=ars)がないというか、「ゲーテもの(φαῦλος)趣味」なのか、いずれにしても田舎文士をこう持ち上げてくれる異国人(ξένος)も珍しかろう。一種のドサ回りの田舎芝居で、侘しいことこの上ない。
そこには、雄渾な(ὑψηλός)ホメーロスの英雄譚はもとより、壮麗な(λαμπρός)ダンテの冥界(ἐκεῖ)での遍歴(πλανητός)や、宮廷劇の趣のラシーヌの優雅さ(ἡ χάρῖς)もなく、芸達者な(ποικῖλος)シェイクスピアの前では、その魅力も色褪せがちだ。モンテーニュほどの滋味掬すべき(φιλοτεχνία)ものもなく、モリエールの哄笑(μεγαλογέλως)も、ペトラルカほどの博雅(πολυμαθία)もない。
ドイツの粗野(ἄγροικον)と野暮ったさ(ἡ ἄγροικία)は、ヒトラーに踊らされた民衆の愚鈍さ(ἀμαθία)にも通底する。
‘L’hypocrisie est un hommage que le vice rend à la vertu.’(「偽善とは、悪徳が美徳に捧げる敬意である。)=Rochefoucauld; Maximes 218, Œuvres, p. 432.)
やはり、基本は、私が子供の頃に習った、「よく見、よく聞き、よく考えよう。」なのではないのだろうか?
最近、『立憲主義という企て』(東京大学出版会)という新著を出した東大大学院法学政治学研究科教授の井上達夫さんの師である法哲学者、碧海純一が文化大革命が猛威をふるった1960年代後半当時、「陰謀逞しい」(ἐπιβουλεύειν)中国共産党の指導者毛沢東を指して、「人間公害」と称したのに倣ったものだが、カ氏はよほど小型で、学識(μάθημα)のレベルは話にもならないが、その虚偽(ψεῦδος)まみれの醜悪な人間性(τὸ ἀνθρώπειος)は瞠目すべき(θαυμάσις)ものがある。
「詐術的議論」(παραλογίζεσθαι=論理的には論点窃取の誤謬)を繰り返すことから以前進呈した枕詞(ἐπίθετον)「論過の人」(παραλογισμός)どころの騒ぎではない。
さすがにこちらの品性(ἦθος=Ethos)が問われる(ἐρωτηθεὶς)から、「クズ(φορυτός)投稿」とは称しても、「人間のクズ」(ὁ φορυτός)とは表現(ῥῆμα)していないが、カ氏の行為は事実上(ἔργῳ)、人間のクズの所業(ἔργον)にも等しいことを自らが日々、証明している。
‘L’hypocrisie est un hommage que le vice rend à la vertu.’(「偽善とは、悪徳が美徳に捧げる敬意である。」)=La Rochefoucauld; Maximes 218)というのは、それへの嫌味だ。
カ氏に限らず、凡庸な(μέτριος)老人(γέρων)とは、歳を重ねて(γηρασκω)も一向に進歩(ἐπίδοσις)しないもので、カ氏が繰り出す話の内容も大概、▼判で押したような型通りの戦前の軍部、体制批判や韓国批判▼古色蒼然とした共産主義批判▼過激なメディア批判のほかは、▼ゲーテとヴァイツゼッカーへの滑稽極まる度を越した「自己陶酔」(αὐτὸς τέρψῖς)▼ドイツの週刊誌Der Spiegelの気ままかつ偏頗な紹介▼ウィーン在住日本人ジャーナリストの陳腐な記事の紹介と迎合▼毎日熱心に視聴して気を揉み、怒りを募らせているテレビの政治討論番組に登場する有識者への批判▼国立大付属校で受けた初等教育の思い出▼京大哲学科卒でマルクス主義者だった父との確執や、対照的な実業家の祖父や無学な母親への哀惜▼漢学者だったらしい母方の祖父に触れる際の極めて凡庸なシナ文化への認識▼仏教やキリスト教に関する愚劣な無駄話▼西独留学中の思い出と外資系企業での経験▼ウィーンなど海外旅行での見聞▼定期的に参加しているお勉強会の講師であるドイツ人元教授とやらから仕込んだ陳腐な話――と、思いつくままに数え挙げても退屈極まる内容で、それを要領を得ない、稚拙極まりない文章で、長短取り混ぜて連日撒き散らしている。
もう一つ忘れてならないのが、面倒な読書(ἀναγιγνώσκειν)を補う「無料電子知恵袋」のWikipediaからの引用という名のコピペ、時に剽窃(κλοπή)で、文明の利器に散々世話になっておきながら、43⇒【コンピュータ的な二律背反がよくない】などと抜かしている。
パリサイ的偽善(ἡ ὑπόκρισις)と欺瞞(ἀπάτη)の塊(ὄγκος)であるヴァイツゼッカーの「操り人形」(θαῦμα)であるカ氏の並べる綺麗ごと(κάλλος)も、暇つぶしをして生きるしかない人間の宿命について、パスカルが神なき人間の悲惨(‘misère re de l’homme sans Dieu’)の最たるものとした気晴らし(divertissement)=暇つぶしに興じるしかない齢70近い憐れな魂のカ氏は、39歳で夭折した天才が遺した断片、
「人間は、天使でも、獣でもない。そして、不幸なことには、天使のまねをしようと思うと、獣になってしまう。」(‘L’homme n’est ni ange ni bête, et le malheur veut que qui veut faire l’ange fait la bête.’=“Pensées”, Frag. 358Frag. 358[前田陽一訳]: Pascal, B.:Œuvres. publies suivant l’order chronologique avec documents complementaires, introductions et notes par L. Brunschvicg, et P. Boutroux. , 1925, Tom. 13, p. 271.)の典型だろう。
幼児(ὁ γέπιος)にも劣る(φλαῦρος)というのか、「甘い酒」(ὁ γλυκύς οἶνος)に酩酊している(μεθύειν)ようだ。
ゲーテの論理学の水準は中世スコラ学の足下にも及ばない。ライプニッツの弟子、クリスチャン・ヴォルフ(C. Wolff, 1679~1754=ドイツ語の哲学用語を確立した人物)の著書で、ドイツのプロテスタンティズムの代表的教科書『人間悟性の諸能力についての理性的考察』(“Vernünftge Gedanken von der Kräften des menschlichen Verstandes”, 1712)に拠っており、ドイツの論理学の水準はヴォルフ以降、つまりゲーテの時代、さらに低下する。
ゲーテは、カントの『純粋理性批判』(1781)さえ、まともに読んでいない。「素人にもわかりやすく」というのは、「通俗的」(φορτικός=vulgar)という意味だろう。87⇒【本を読まずに意見を書く、と…批判されるが、大意はわかる】という程度の知性の水準の人物にはお似合いかもしれない。
学問的議論(ἀκριβολογεῖσθαι)は、「大意はわかる」では、そもそも成立しない。それをソクラテスは、「思いなし」(δοκεῖν=臆説[δοξάζειν])として退けている。
87②⇒【「ドイツ文化センター」がGoethe Institut】などということは、真理(ἀλήθεια)や学問とは何の関係もない。[完]
‘οὐδὲν τῶν πεπραγμένων οὔτ’ εὔλογν οὔθ’ ὁμολογούμενον αὐτὸ ἀὑτῷ φαίνεθαι.’(‘Nothing of what has been done seems rational or honest or consistent.’=Demosthenes, 1114)
中国や北朝鮮やロシアは日本から近いのだから、もっと現実的なニュースが入ってもいいのに、どうして、日本の知識階級の発想はいつも欧米経由なのか、意味がわからない。自分の目で見て、わからなければ、事情を知る人にきいて、自分で考えられればいいのではないのだろうか?
百聞は一見に如かずだから、と思い、私は、中国も訪れ、旧東欧とは違う、という印象を受けたのである。そういう主張をする私のどこが、その虚偽まみれの醜悪な人間性なのか、意味がわからないが、反氏の場合、あまりにも、本や権威に頼りすぎておられるのではないのだろうか?
関西学院大学という大学は、国際色豊かな大学で、欧米人の先生方も多かったし、欧米に留学する人も多かった。要するに偏狭性とは程遠い大学だったし、ヴァイツゼッカー氏のお人柄も、彼の演説も、「反」、つまり対抗ではなくて、「共に」、つまり、キリスト教の「愛とゆるし」の精神が満ち溢れ、国際性にあふれている。逆に、反氏にとって退屈な、ウィーン在住日本人ジャーナリストがムンジェイン大統領について述べられているようにblog.livedoor.jp/wien2006/archives/52241892.html 、「反日感情」を煽る「カトリック」信徒の韓国大統領、ムンジェインさんの方に、国際性と、キリスト教の「愛、ゆるし」の精神が欠けているのではないのだろうか?
カ氏の今回冒頭、1⇒【「集団的自衛権は憲法違反である」という解釈に疑問をもった理由…憲法学者たちの「ドイツ国法」的解釈の影響…という篠田教授の主張に、疑問をもった為…「ドイツは集団自衛権で国を守っている」現実からみてドイツ国法、というより…「ドイツ哲学」、特に「カント的解釈」の影響である、事実を知り】を読んで、私は驚愕(θαυμάζω)した。
何も分かっていない婆さんは、基礎的理解を欠いたまま闇雲に投稿を重ねていたのだと、納得した。カ氏は一年前、【ドイツ国法学の悪口を言われると、カチンとくるのは、大学時代から慣れ親しんだドイツ文化が大好きなせい】(5月30日・1=「『自由民主党の憲法改正条文イメージ』に関する覚え書き」)のような、実にナイーヴな疑問(ἡ ἐρώτησις)を投げかけ、当時そのトンチンカンな理解を解消させようと私が縷縷説明し、篠田さんも遠慮がちに助け舟を出したが、一度こうと思いこんだカ氏は譲らず、最後まですれ違いだった。
「ドイツ国法学の悪口」といったところで、カ氏に何の理解もない。カ氏は代表的学者イェリネク(G. Jellinek)を「イエルネック」とか「イエネリック」と何度も間違える程度の「無学」で、もとより『一般国家学』など読むはずもない。
Wikipediaや通読的解説書、篠田さんの著書で聞きかじったことを頼りに、危うい素人論議(τὸ ιδιωτικόν)を展開しただけで、H. ケルゼンやC. シュミットについても、同程度だ。
その際の虚勢を張った常套句(ἀρχαιολογεῖν=clicè)が、個々の著書を一行も読まなくても、【三人の理論の差はわかる】だった。しかし、カ氏が強調しその後も繰り返すのは結局、Wikipediaから孫引きしたシュミットへの批判が専らで、ケルゼンはともかく、イェリネクなど影も形もない。
篠田さんが「八月革命説」を唱えた宮澤に批判的で、そのアイデアを提供した丸山にも懐疑的であって、丸山がシュミットを評価していたことから、てっきりシュミットについても篠田さんは批判的なはずだ、と「早とちり」したのであろう。
「無学ゆえの」(δι’ ἀπαιδευσίαν)喜劇(κωμῳδία)というか、とんだ茶番(κωμῳδία)の「独り相撲」(σκιαμχία=a fighting against a shadow)で結局は綺麗に口を拭って、次々と下らない御託(λήρησις)を撒き散らす(κατασκεδάννυμι)狂態(γαστρίμαργος)の限りを尽くしている。
そうした人物が、今さら「良識」(εὐγνωμοσύνη)でもなかろうし、87⇒【シュミットやトーマス・マンやフランクフルト学派の考え…ドイツの良識派の考えではない】もないものだ。それは、ドイツの保守派の一部に偏したカ氏の為にする議論で、如何にも「歴史家論争」(Historikerstreit)も知らなかった無知蒙昧が、「ドイツ通」を騙るのも滑稽だ。
結局、87②⇒【国際社会でドイツ通と言われている人びとの良識派の意見として定評があるのが、ゲーテとヴァイツゼッカー】というのも、「ご本尊尊し」の巫女の「世迷いごと」で、語る⇒騙る(ἐξελαύνω)に落ちる(συμπίπτειν⇒陥る)愚劣な強弁(τὸν κρείττω ποιεῖν)の見本だ。
94⇒【「無学」とはなにをさすのか、と思う】などと今さら惚けている(εἰρωνεύομαι)が、カ氏のように、議論に際して独力では碌な調べものもできず、Wikipediaの記述がいかにいい加減かも認識できず、コピペでごまかしては、劣等学生並みに愚にもつかない「クズ」投稿を繰り返す、基礎的な学識も論理的思考力も、何より真っ当な分別(ὁ ὀρθὸς λόγος)もなく、古典語(欧米の場合ならギリシア語やラテン語)の辞書も引けないような、‘intellectual yet idiot’にも達しない人物のことを指す以外に、どんな答えがあろう。
94②⇒【自分の目で見て、わからなければ、事情を知る人にきいて、自分で考えられればいい】という「なれの果て」(τέλος)が、カ氏の惨憺たるたる(ἄθλιος)現状だとすれば、「ドイツ熱」で逆上せ上がった頭を少し冷やすといい。カ氏程度の世間知らずのお人好し(ἠλιθίους)にも可能な「百聞は一見に如かず」というのは、凡庸さの証明に外ならない。
95⇒【関西学院大学…は、国際色豊か…欧米人の先生方も多かったし、欧米に留学する人も多かった】ということと、カ氏もヒトラーに騙されたと称するドイツの民衆も際立って偏狭で(σμικρολογέομαι)田舎者だということは、論理的にも実際的にも別なことだ。
首尾一貫した(ταὐτὰ λέγειν)論理的な思考ができない証拠で、一方で、density=ἡ πυκνότης(愚鈍さ)は見事に首尾一貫しているようだ(呵呵)。「頑迷固陋」(ἡ αὐθάδεια καὶ σκληρότης)というのだろう。[完]
私の留学していた時は、国際色豊かな町だった。ミュンヘンオリンピックが1972年に開かれたし、私の住んでいる学生寮は40%が外国人で、60%がドイツ人、国籍も様々な人がいたし、学生通しのこと、国際恋愛も華やかだった。だから、私はそのイメージを今までもっていたのであるが、ヒトラーの活躍していた時は、違ったのかもしれない、国粋主義の街だったのかもしれない、とふと思った。巨万の富をかけてルードヴィッヒ2世の建設されたノイシュバンシュタイン城は、ワーグナーの楽劇の舞台で構成されているし、バイロイト祝祭劇場も、ルードヴィッヒ2世が建てたものである。国際色とは、程遠い街だったのではないのだろうか?少なくとも、港町神戸、西宮とは違う。
主語(κατηγορούμενα)は「実業家の祖父と無学な母親の政治感覚」で、述語(κατηγορία)は「正しかった」だ。一方、左翼思想に染まった父の「政治意識」は、祖父・母親の「政治感覚」とある一定の関係(τὸ πρός τι)を有することは確かだが、そこに比較を可能にする共通性(κοινόν)がない。
なぜなら、「政治意識」と「政治感覚」とは、言葉(ῥῆμα)が違うように、意味内容(γενικὸν ποινόν)が異なるからだ。
定義(ὁρισμός)の問題ではない。その外延(extension=名辞の指示対象)も内包(connotation=定義を構成する「意味」)も異なり、名辞論理学、即ち推論される名辞(ὄνομα=term)を単位としてその包摂関係(περιέχής)を基に考える場合、名辞の外延の間で考えるか、内包の間で考えるかで、極めて厄介な問題が生じるうえ、カ氏の文=命題は、その前提(πρότασις)さえ調っていない。
従って、如上に文章は形式的に真偽(ἀληθής καὶ ψεῦδος)を決定することが不可能な虚偽(ψεῦδος)の命題、即ち無意味(ἄσημος)な言表ということになる。
よって、カ氏の「無学」は過不足(πᾶλλον καὶ ἦττον)なく証明(τεκμήρια)された。
なお、意味論的にみて、「政治意識」に優劣(εὐσχημοσύνη καὶ ἀσχημοσύνη)は存在しない。それを論じるなら「政治感覚」の方だろう。
カ氏の脳みそには蜘蛛の巣(ἀράχνιον)が張っている。
93⇒【89、を読んで、私如きものを毛沢東さんと比較…驚嘆の至り】のような寝言(ἀλλοδοξία)を語っており、こちらも、驚愕した(θαυμάζω)。
随分以前のことながら、次のような趣旨のことを書いた。「法哲学者の井上達夫氏の師で、所謂『京城学派』の法哲学者・尾高朝雄の後継者、碧海純一は、文化大革命の時期、毛沢東を『人間公害』と称したが、カ氏の浅ましい正体(τὸ τί ἦν εἶινι)こそ、それに相応しいと自ら証明している(συμβιβάζειν)ようなものだ」と(1月22日・215)。
それにしても、「無学」だから、碧海純一(1924~2013)など皆目知らないのだろう。おとぼけ(εἰρωνεία)でもなさそうだ。頑迷固陋(δυστράπελος κὰι σκληρότης)なうえに,何ごとにも思い込み(δόξασμα)が激しいから、覚えてもいないのだろう。
ペニシリン注射によるショックで急逝した尾高朝雄の後継者として東大の法哲学講座を継いだ法哲学者の碧海による毛沢東批判は、文化大革命について、この表現を「Pickwickianな表現」と揶揄し、文革自身を「毛沢東という古今未曾有の人間公害」と呼んだ。
[Pickwickian]とは、人前で言うことが憚られる言葉に添えて使う文句であり、その場だけの特殊な意味で、というほどのニュアンスで、英語とドイツ語に関しては「語学の天才」とされた碧海ならではの才気を感じさせる。
碧海は文革の初期から「狂信的な毛派が『ひとにぎりの権力派』を攻撃すると称して、時代錯誤的な精神主義と排外思想を7億の民に強制している」(「総選挙と中国の文化大革命」、『社会思想研究』1967年2月号)と厳しく批判し、その後も、何度も新聞や雑誌などで批判を公にする。
京大教授で東洋史学の大家宮﨑一定ら一部を除き中国研究者の大部分も文革を礼讃するか沈黙を余儀なくされた当時、一般の情報媒体で文革・毛沢東批判を繰り返した勇気は特筆すべきで、田中美知太郎や福田恆存のような保守陣営以外にも慧眼の士が存在したことを物語る。
碧海の教え子の太田知行氏(東北大学名誉教授=「碧海先生を偲ぶ」、『書斎の窓』同)は、「先生は、重要な問題については、世間の空気に異を唱えることを厭われませんでした。とくに目立つのは、文化大革命…毛沢東思想への批判です。文革の初期から…批判され、その後も、このような批判を何回も公にしておられます」(「バランス思考のすすめ」、『Voice』1979年2月号109頁)。
当時、文革に関する日本の大新聞の論調は、「サンケイを除いて…中国権威筋の公式発表に多少の尾ヒレをつけて報道するだけで、戦争中の新聞の大本営発表と比べてさして変わ」らない状態(碧海「日本の言論界の自己検閲について」、『経済論壇』1981年8月号)であり、大学には「造反有理」、「革命無罪」のスローガンが溢れ(安田講堂封鎖は1968年7月)、中国研究者大半も文革への正確な認識は少なかった。
そうした時代に、メディアで繰り返し文革批判、毛沢東批判の論陣を張ったことは、その洞察と先見の明を認めなくてはならない。
それでも、碧海や田中ほどではなくとも、93②⇒【日本の知識層、特に左翼の知識層は、毛沢東を亡くなるまで、崇拝し続けた】というのも、カ氏の特有の思い込みであり、一種の「神話」だ。
また、反氏のコメントに、碧海純一は、文革の初期から「狂信的な毛派が『ひとにぎりの権力派』を攻撃すると称して、時代錯誤的な精神主義と排外思想を7億の民に強制している」(「総選挙と中国の文化大革命」、『社会思想研究』1967年2月号)と厳しく批判し、その後も、何度も新聞や雑誌などで批判を公にする。ソ・中の共産主義体制が日本の左翼に強い影響を及ぼしていた時代に、とあるが、なぜ、日本では、ソ・中の共産主義が日本のマスコミ知識人の間に強い影響力を及ぼしていたのか、ということを考えるべきなのである。私の中高時代、1967ごろは、学生運動の影響で、左翼でなければ、利己的で、政治意識が低いかのようだった。
日本の東大系憲法学者や左翼系の影響力のあるマスコミはそうではないのである。戦後すぐは、ソ連を含めた「全面講和」を主張して吉田政権を苦しめたし、日本の防衛の基本「日米安保条約」改定には、猛反対したし、「ベトナム戦争」では、米国が悪の枢軸国、のような印象操作をしたし、現在は、「冷戦が終わったから、日米安保条約はいらない。あのようなものがあるから、戦争好きのアメリカにひきずられて、国際社会は、「平和」が構築できない。」、そして、「集団的自衛権は、日本の世界に誇るべき平和憲法違反である。」という主張を、あたかも正論のように、まき散らすのである。私ではなくて、「日本社会に影響力の大きい」、「名誉教授や教授の肩書をつけた」このような一群の人々が、本当の意味で、毛沢東の『人間公害』に、匹敵する人々なのではないのだろうか?
そのことを端的に(ἁπλῶς)示す(ἀληθεύειν)一つの格好の文章(λόγος=sentence)、論理学的には言表(φάσις)、つまり命題(προτατικός=proposition)がある。構造をより明確にするため、①②③、Α)Β)のように記号を挿入したが、削除箇所【…】を除いては原文のままである。即ち、
96⇒【プロテスタンティズムのドイツ的偏狭性は、根が深い…とあるが、とても納得ができない…①指導者、総統ヒトラーがカトリックである②私の卒業した関西学院大学も、プロテスタントの大学③私が巫女であるヴァイツゼッカー氏も…ドイツ福音主義教会の常議員…つまり、ルター派のプロテスタント…Α)関西学院大学という大学は、国際色)豊かな…欧米人の先生方も多…欧米に留学する人も多…偏狭性とは程遠い大学…Β)ヴァイツゼッカー氏の…人柄も、彼の演説も、「反」、つまり対抗ではなくて、「共に」…キリスト教の「愛とゆるし」の精神…国際性にあふれている】
「最終解決」(Endlösung)という名の国家の政策としてドイツが先の大戦中に行った人類史上未曽有の蛮行、しかも20世紀という、マックス・ウェーバーがいう「呪術から解放された世界」(die entzauberte Welt)、啓蒙された文明社会で起きたユダヤ人大量殺戮というドイツ(人)の罪業について、①【総統ヒトラーがカトリックである】という命題は、「プロテスタンティズムのドイツ的偏狭性」を「論理的に」(λογικός)否定しない。
それは、ある一人の凶暴なカトリック教徒が存在した、というだけのことで、カトリックの教義が直ちに著しい偏狭性を含意(ἔμφασις=implication)するわけではない。理性の鑑のようなトマス・アクィナスもカトリック教徒だし、フランスやイタリア、あの異端審問が特に激しかったスペインでさえ、つまりカトリック的伝統が牢固とした民主的伝統をもたない国家だって、歴史上、「ホロコースト」に匹敵する残虐行為の事実はない。
②カ氏の卒業した【関西学院大学も、プロテスタント】系の大学であるということも、前項同様、「論理的に」何の反証(ἀπόδειξις)にもならない。
歴史上、さまざまな形で証言されている、時にカトリックをも凌駕するプロテスタンティズム、とりわけその代表的指導者であるルターやジュネーヴの「王者」と揶揄されたジャン・カルヴァンの偏狭性は、一面熱烈な信仰心、不屈の叛骨精神の現われだとしても、否定できない「事実」である。ルターとエラスムス、カルヴァンと彼に反対して宗教的寛容を説いたS. カステリヨン(Sébastien Châtillon[Castellion], 1515~63)とを比べてみれば、それは了解できる。
③カ氏が巫女として心酔するヴァイツゼッカー元連邦大統領が、【ドイツ福音主義教会の常議員…ルター派のプロテスタント】だったとしても、前二項同様、「論理的に」何の反論にもならない。仮令ヴァイツゼッカー氏が、パリサイ的(Φαρισαῖου)偽善(ἡ ὑπόκρισις)と欺瞞(ἀπάτη)の塊(ὄγκος)だったとしても、必ずしも偏狭な人物であることを意味しないのと同様だ。
それだけ、「~でない」ということを証明する(συμβιβάζειν)ことは、個々の事例、つまり具体的な証拠(τεκμήριον)や証言(μαρτυρία)、文献的論拠(τὸ διότι)を示して、「~である」ケースを証示することと違って非常な困難を伴う。
カ氏がその程度のことも理解できないのは、「論理音痴」であり、「無学」だからだ。しかし、気に病む(δυσφορεῖν)必要はない。訓練を受けていない大概の人間はそうなのだから。カ氏が躍起になって(σπουδάζω)否定する(ἀρνεῖσθαι)のは、その虚飾に満ちた(ἀλαζονικός)救いようもなく(ἀνηκέστως)醜悪な人間性によるのだろう。
Α)=関西学院大のカ氏が列挙するような特性、Β)=元連邦大統領の人柄やキリスト教精神、国際性も同様、「プロテスタンティズムのドイツ的偏狭性」の何の反証にも「弁明」(ἀπολογία)にもならない。それは、論理音痴のカ氏の「自己防衛」(αὐτὸς φυλακή)でしかない。
「異論」(ἀμφισβήτησις)があるなら、まずはルターから始めて論理的に論証する(αποδείκνυμι)ことで、その手間(περιεργάζομαι)を省いて居直っていても仕方なかろう。
それができず、論旨や論題がころころ変わって(ἀστάθμητος)首尾一貫せず、支離滅裂(ἐναντίος)で、それでも懲りずに(ἀκολᾶτος)、104~106のような愚劣な議論しかできないから、「無学」という。[完]
‘μήτε γράμματα μήτε νεῖν ἐπίστωνται’(Leges 689D=「文字も知らず、泳ぎも知らず」)
ユダヤ人問題の「最終解決」という名の国家の政策としてドイツが先の大戦中に行った人類史上未曽有の蛮行、「アウシュビッツの大虐殺」でも、それを決めたのは、ナチスドイツの政治指導者、ヒトラー総統であり、偉大なドイツの社会学者マックスウェーバーが、19世紀に「プロテスタンティズムのドイツ的偏狭性」について、万人を納得させる論文を書いていたとしても、アウシュビッツの大虐殺は、あくまでも、20世紀にドイツの政治独裁者ヒトラーの決断したことである。確かに、1933年にドイツ福音教会 (DEK) が設立された当時、ナチズムにはっきりと親近感を持つドイツ的キリスト者 (DC) が出現していた。福音主義教会のトップになった帝国教会監督は筋金入りのナチス共鳴者であり、ナチス・ドイツ時代を通じて数多くの州教会はドイツ的キリスト者の圧力を受けて指導されていた。けれども、1945年、ヘッセン州トライザ(現シュヴァルムシュタット)において、開催された教会会議で新しいドイツ福音主義教会 (EKD) が成立し、新しい教憲を制定した。このような現象は、軍国主義時代の日本で、国家神道や日蓮宗の宗徒が戦争を煽ったのと同じことなのではないのだろうか。
そうしたカ氏を突き動かしているのは恐らく、並み外れた自己愛(φιλαυτος)かもしれない。「政治意識」と「政治感覚」との違いを全く意に介しない(104⇒【「政治意識」と「政治感覚」は違う、と主張されるが、私は、ほぼ同じ意味で使っている。どちら…も、中立的な言葉】)らしい鈍感さ(ἀναισθησία)でよく、「国家公共の事柄」(τὰ τῆς πόλεως πράγματα)である政治(τὰ πολιτικός)について論じる気になると呆れるが、Wikipedisaで何か知った気になっても、実際のところ何も知らない(ἀγνοεῖν)に等しいということは、そうしたことなのだろう。
人間には思想(διανόησις)、信条(πίστις)の自由というものがある。どの統治形態、政治体制(πολιτεία)を理想(παράδειγμα)とし、如何なるものを政治に求め、「価値がある」(ἄξιος)とするか、そのための政治的選択、行動をどうするかに関する各自の一般的な認識や心的な傾向を通常、政治的なもの(τὰ τῆς πόλεως)の意識(αἴσθησις)を総称して「政治意識」と言うのだろう。それには特定の見解や価値観が伴っており、個人間で相違や対立もあろう。
‘L’intérêt parle toutes sortes de langues, et joue toutes sortes de personnages, même celui de désintéressé’(La Rochefoucauld; Maximes 39, Œuvres, Bibliothèque de la Pléiade, p. 408.=「私利私欲は、あらゆる類の言葉を口にし、あらゆる類の役を演ずる。無私無欲の役柄さえも。」)
民主政治を擁護しようと、否定しようと、中国のような異形の社会主義体制を賞讃しようと、打倒して民主化すべきだと考えようと自由で、そうした政治的自由を保障するのが民主制だ。国家転覆の陰謀でも計画、準備、実施などしない限りは。政治意識はそうした主観的な性格をもともと帯びているために、一種の信念体系ともなり、何らかの実践的性格をもつようになるのは避けがたい。
従って、現実を「ありのまま」(ἀληθῆ)にとらえていない、カ氏に著しい独善的な自己主張も含めた虚偽意識性(das falsche Bewußtsein)をもつのも「政治意識」の特性だ。
「政治感覚」は同じ政治についての思い(ἔννοια)、広い意味での認識ではあっても、そうした価値認識以前の直観的な考え(νόημα)や感情(πάθη)、つまり経験(ἐμπειρία)などを通じて得た素朴な実感に基づく表象(φαντασία)の知覚(ἀντίληψις)であって、勘(ὕπόνοια)から判断力(διανόημα)まで幅広く、個人間の能力差も大きい。
‘nach Auschwitz ein Gedicht zur schreiben, ist barbarisch,…’(Theodor W. Adorno; “Prismen, Kulturkritik und Gesellschaft”, Gesammelte Schriften Bd. 10-1, Suhrkamp, 1977, S. 30.)
ヒトラー内閣成立後間もない1930年2月27日、国会議事堂放火事件が発生した。 そして、ヒトラーはヒンデンブルクに迫って民族と国家防衛のための大統領令とドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令の2つの大統令を発出させた。これにより、ヴァイマル憲法が規定していた基本的人権に関する114、115、117、118、123、124、153の各条は停止したのである。
そして、ヒトラーとナチ党はこの大統領令を利用し、反対派政党議員の逮捕、そして他党への脅迫材料とした。また諸州の政府を次々にクーデターで倒し、ナチ党の支配下に置いた。この時点で他の政党には、ナチ党の暴力支配に抵抗するすべはなくなった。
この状況下で制定されたのが『全権委任法』である。この法律自体ではヴァイマル憲法自体の存廃、あるいは条文の追加・削除自体は定義されなかったものの、政府に憲法に違背する権限を与える内容であった。そして、制定されたのがユダヤ人をターゲットとした「人種法」なのである。
そのような議論を前提にしては、「主権者」の政治的な意義も正しく規定できない、などと国際法学者ケルゼンらを激しく批判して、状況によっては、独裁制を可とする、「全権委任法」を成立させる手伝いをしたのである。それらがなければ、ヒトラーも、ナチスドイツも、アウシュビッツのユダヤ人の大虐殺ができなかった、というのが歴史の現実だからである。
(参考 カールシュミットの議会政治批判 https://philosophy.hix05.com/Politics/schmidt/schmidt03.gikai.html )
‘nach Auschwitz ein Gedicht zur schreiben, ist barbarisch,…’、つまり、「アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮だ」という意味で、このアドルノの断章の意味はそれぞれの立場で受け止めればよく、反撥も自由だが、同じドイツの劇作家ブレヒトが、「文化という豪邸は犬の糞の上に建てられているのだ」と毒づいたというように、深刻極まる認識である。
そうしたアドルノも1969年8月6日、休暇で滞在していたスイスで心臓発作で急死する。65歳だった。ドイツでも戦後の欺瞞(ἀπάτη)と偽善(ἡ ὑπόκρισις)を追及する声を上げた学生運動の昂揚のなか、年初に学生活動家と対立して同年の講義は妨害され憔悴していった末の悲劇だった。教室でアドルノの前で胸をはだけてからかう女子学生に困惑する写真が、Der Spiegelを飾った。
その3年前、次のようなことを主著『否定弁証法』(“Negative Diakektik”, 1966)の中で書き残している。
「アウシュヴィッツの後でも、お前は生き続けることができるのか。偶然まぬがれはしたものの、当然殺されてしかるべきであった者であってみれば、いっそう生き続けることなどできるものだろうか。このような者にとっては、ただ生き残るためだけのためにも冷酷さが必要なのだが、この冷酷さこそほかならぬブルジョワ的主観性の基本的原理なのであり、それがなければアウシュヴィッツもありえなかったことであろう。アウシュヴィッツは、生き残ってしまった者が犯し続けている苛酷な犯罪だということになる。」(Gesammelte Schriften Bd. 6, Suhrkamp, 1973, S. 355f.=訳文は木田元氏)
アドルノは戦後ドイツの「非ナチ化」(Entnazifizierung)という名の見境のない、しかし不可避な生存戦略など眼中にないようだ。この時点でも「異形」の峻烈なモラリストの視点は、近代文明そのものに向けられている。「文明の野蛮」(Zivilisation zur Barbarei)に。
と、あるが、当然殺されてしかるべき者であったのに、生き残ったユダヤ人は、アウシュヴィッツの後も、ドイツで生き続けた。そのような人が、ドキュメンタリーで語り手になっているが冷酷さはない。「ヒトラーの演説」のドキュメンタリーで一番印象深かったのは、捨て子としてユダヤ系の養父に育てられ、養父は第一次世界大戦でドイツ兵として戦ったのに、ユダヤ系であるからという理由で収容所送りになり、早世、彼はドイツ兵としてナチスに協力し敗戦を経験した。その彼は、90を過ぎた今でも、ナチス時代のことをドイツの子供たちに語り、「隣人と平和に生きる。」ことの大事さを伝えている。反氏は、生き残るためには冷酷さが必要で、それが、ブルジョア的主観性の基本原理、だと主張されるが、そうではない。ヴァイツゼッカー氏の言われるように、お互いにその悲劇を心に深く刻み、許し合う、努力が必要なのである。 大事なことは、反XX主義を煽るのではなくて、なくすことだ、ということを痛感する。
ヴァイツゼッカー宗の巫女(προφῆτις)だから血迷って(βακχεύω)というか「神懸かって」(ἐνθυσιασμός)おり、口から泡を噴いているかどうかは知らないが、信心深い(ἀνόσιος)ことを宣っているようで、実際はさながらお告げ(μαντεία)を取り次ぐようでもあり、その戯言(ἀλαζονεία)に等しい「言い逃れ」(ἀπολογία)も笑止この上ない。
110⇒【私が、無学、或いは、生まれつきの「虚偽体質」…反氏の主観的評価】のように「とぼけて」(εἰρωνεύομαι)おり、取り繕っている(τεχνάζω)が、「無学」(ἀπαιδευσία)も生まれつきの(φύσει)「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός⇒生来の([ψυσικός])嘘つき([ὁ ψευδής]の謂い)も既に論証済みの「客観的事実」(οἷα ἦν ἢ ἔστιν)であり、これ以上繰り返す必要はあるまい。
感想を古のモラリスト(La Rochefoucauld)の言を藉りて述べるなら、「私利私欲は、あらゆる類の言葉を口にし、あらゆる類の役を演ずる。無私無欲の役柄さえも。」(‘L’intérêt parle toutes sortes de langues, et joue toutes sortes de personnages, même celui de désintéressé’(Maximes 39)ということになろうか。
☆訂正 113,116の‘nach Auschwitz ein Gedicht zu schreiben, ist barbarisch,…’の[zur schreiben]は[zu schreiben]の誤り。
おまけに、日本語の文章さえ碌に読解できず、117冒頭は例によって私の直前のアドルノの『否定弁証法』(“Negative Diakektik”)からの引用を御苦労にも、該当するSuhrkamp版全集の巻、頁まで引き写しコピペしてコメントの字数を嵩増し(全体の37.7%、254字)したうえで、愚にもつかない、「無知ゆえの」(δι’ ἄγνοιαν)、117⇒【生き残ったユダヤ人は、アウシュヴィッツの後も、ドイツで生き続けた。そのような人が、ドキュメンタリーで語り手になっているが冷酷さはない】のような素っ頓狂な感想を並べている。
賛否はともかく、アドルノの言わんとする趣旨を全く理解できていないうえに、117②⇒【反氏は、生き残るためには冷酷さが必要で、それが、ブルジョア的主観性の基本原理、だと主張】のような悪意(κακοήθεια)に満ちた曲解(ἑτεροδοξία)を交える。指摘箇所は、自らコピペした『否定弁証法』の一節であることを看過している。
しかも、ホロコーストの生存者は、117⇒【アウシュヴィッツの後も、ドイツで生き続けた】というのは例外的なケースで、約3000人程度であることを見落としている。たぶん、知らない(ἀγνοέω)のだろう。
カ氏の議論にはそうした、基本的事実を知らない(ἀγνοωσία)が故の「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)が著しい。
「無学」だからだろう。
断っておくが、これはあくまでドイツ国籍のユダヤ系市民の話だ。
強制収容所での「最終解決」(Endlösung)で、そのうち少なくとも16万5千人が殺された。生き残った3万5千人に、非ユダヤ人と結婚していた「配偶ユダヤ人」(Mischehen)1万5千人、地下に潜伏して難を逃れた2000人の合計5万2千人が終戦時の生存者になる。
彼らの大半は、当然のことながら戦後ドイツに留まる気などなく、新たな居住地を求めてドイツを去り、その後に東欧などから難民などとして流入してきたユダヤ人も大方同じ選択を行ったため、1955年時点で、東欧からの移住組も含めて旧西独のユダヤ人人口は1万6千人程度だった。
時代も変わり統一後の1992年時点で約3万人に増えた。さらにその後に別の理由で増え、現在は11.9万人(総人口の0.15%)に上る(統計はThe Economist, 2012.6.28)。
しかし彼らは、戦前のユダヤ人同胞(Mitbürger)とは全く異なる。カ氏の挙げた例は例外的ケースで、ユダヤ人のほとんどがドイツから姿を消した戦後に、どんな綺麗ごとを並べ、一部に賠償して取り繕おうとドイツの犯した「悪業」は消えないし、ドイツの見え透いた(εὐθεώπρητος)言い訳など、空しく響く所以だ。
ドイツ語でも対抗、反対、否定を意味する接頭辞[anti]の語源は、ギリシア語の[ἀντι](「~に対して」の謂い)だが、ヴァイツゼッカーの御託など押しのける「真実」(τὸ ἀληθές)がそこにはある。
カ氏の思想的な奴隷根性(δοῦλοψυχία)も困ったもので、盛んに主張する[mit](英語のwith)は、「みっと」もない、とも読める(呵呵)。[完]
現実をよく把握しないで、フランクフルト学派のユダヤ系学者の説を信仰して、「虐殺問題」を「サリンテロで明白になったように」日本にも起こりうる問題ととらえずに、「ドイツ民族」や「オウム真理教と違って」まともな宗教である「キリスト教ルター派」に「狂信的宗教」という汚名を着せた上にその責任を帰着させるというのは、浅はかで愚かだし、それでは、真の意味の「歴史の教訓にならない」、と私は思う。
【約20万人のユダヤ人が強制収容所に】というのは、ナチス政権成立後の1933年6月時点でのドイツのユダヤ人人口502,799人のうち、1933年から敗戦の45年までの間、うち27万人が亡命または国外に移住し、残った約20万人が強制収容所に送られた、という意味だ。
121⇒【オランダ…アンネ・フランクや、ポーランドなど、ナチス・ドイツに併合された東欧の国々に住んでいて、殺されたユダヤ人】は、ドイツ政府の統計には、当然含まれていない。ドイツ国籍ではないからだ。
カ氏の議論は、日本語の文章がまともに読めない、いかれた(μανήομαι)「ドイツ狂い」の「狭量な心」(σμικρολογία)ゆえの間違いで、ヴァイツゼッカー演説に心酔して故意に(ἑκουσίως)間違えたとも想定しにくいが、無知ゆえに(δι’ ἄγνοιαν)無意識に(λανθάνειν)間違えたのだとすれば、ドイツのユダヤ人問題を何一つ(οὐδέν)理解していない致命的な(θανάσμος)錯覚だ。当然ながら、論理的思考能力(λογιστικόν)もないのだろう。
問題は、他の欧州諸国、特に東欧地域に多数居住していた他国籍のユダヤ人ではなく、まさに第一次世界大戦を共に戦い、その大半は戦後も共に苦しんだ「ユダヤ人同胞」(Mitbürger)の生き残りは約5万2千人いて、その大半が戦後はドイツに住むことを拒否して、移住していったことだ。
ドイツの戦後のユダヤ人政策とは、そうした戦前からのユダヤ系市民がほとんど消えた(戦後の東欧からの難民を含む1955年の旧西独のユダヤ人人口は1万6千人程度)「安全地帯」での「自己欺瞞」(αὐτὸς ἀπάτη)だということだ。
政治(τὰ πολιτικός)とは、そういうものだ。
以前にもカ氏の「無知蒙昧」ぶりを指摘したが(6月25日・23)、カ氏は過去、【文化大革命の犠牲者は、なんと4000万人】(6月24日・15)としていた。
何の説明もなしに半分に減った理由は不明だが、いずれも根拠薄弱で、文化大革命の犠牲者に関する公式推計は中国共産党当局の公式資料には存在せず、内外の研究者による調査で40万人~1,000万人以上と諸説ある。数百万人~1,000万人以上ともされるが、2,000~4,000万人ではない。
こうした「致命的な」(θανάσμος)事実誤認は、文革以前の1958~61年にかけての大増産政策、所謂「大躍進政策」の失敗による餓死者を加えたと推測される初歩的なミスで、Wikipediaを真に受ける愚も滑稽だ。
未だにそれに気づかない愚鈍さ加減はカ氏ならではだが、【「思想信条的な」の理由で殺害】と餓死を混同するようでは話にならず、私を評して、121②⇒【現実をよく把握しないで、フランクフルト学派のユダヤ系学者の説を信仰】もあるまい。私は、ドイツ国籍のユダヤ人人口の確認に、「フランクフルト学派のユダヤ系学者の説」など採用していない。
ましてや、国家による組織的な民族浄化策であるホロコーストを、121③⇒【「サリンテロで明白になったように」日本にも起こりうる問題ととらえずに…】のような一カルト集団のテロ行為と比較可能な問題であるかのように矮小化して、他の戦争や内乱などでの残虐行為と相対化可能であると論じる見え透いたドイツの自己弁護こそ、【真の意味の「歴史の教訓にならない」】ということだ。
莫迦も休み休み言えばいい。
【①「ドイツ民族」や②「オウム真理教と違って」まともな宗教である③「キリスト教ルター派」…】(①②③は筆者が挿入)と言うからには、「ドイツ民族」は「まともな」ではないことになる。もっとも、ドイツを「第二の祖国」とするカ氏がそうした不孫な立論をするはずもなく、【「ドイツ民族」や】を【「ドイツ民族」に、】として分節を明らかにすれば、「汚名を着せ」られたのが、敬愛する「ドイツ民族」と「キリスト教ルター派」なのが分かり、「奇妙さ」は氷解する。
ことほど左様に、カ氏の文章は幼稚な割には意味不明な箇所、文脈の乱れ、用語用字の誤りや不適切が頻出する。要するに、その驕慢な人格(ἦθος)同様、知性の程度の低劣さ(πονηρία)を物語っている。ご尊父であるマルクス主義者の父親の娘(θυγάτηρ)への諫言(ἀποτροπή)や忠告(συμβουλή)は無駄だったようだ。
「親の心、子知らず」というが、齢70近くにして、この体たらくだ。大体、父親に対する口の利き方がなっていない。躾も悪かったのだろう。
「ルター派」のプロテスタントの偏狭性はドイツならではで、新旧問わない近代以前のキリスト教徒の暴虐ぶりは、しばしば「それはキリストと何の関係があるのか?」(‘Quid haec ad Christum?’)とされたが、先の大戦中のドイツのプロテスタントの行動はそれを再び裏付けた。
「抹殺主義的反ユダヤ主義」(Eliminationalist Antisemitism)と呼ばれるもので、ドイツの国民精神の宿痾とする研究者も少なくない。
「愛の宗教」(‘Bei den deutschen Christen blieb von der Religion der Liebe nichts übrig als der Antisemitismus.’)とやらの、それが実態だ。
「ドイツ民族」や、「オウム真理教と違って」まともな宗教である「キリスト教ルター派」に「狂信的宗教」という汚名を着せた上に、その責任を帰着させるというのは、という意味で、法律の改正で、独裁者としてのその権限を得たヒトラー総統ではなくて、ドイツ民族とキリスト教ルター派に、その責任を帰着するのは、浅はかで愚かだ、というのがその趣旨です。
121⇒【「虐殺問題」を「サリンテロで明白になったように」日本にも起こりうる問題ととらえずに、「ドイツ民族」や「オウム真理教と違って」まともな宗教である「キリスト教ルター派」に「狂信的宗教」という汚名を着せた上にその責任を帰着させるというのは、浅はかで愚か】という虚偽の命題(ἡ ψευδής προτατικός)、つまりその内容もさておき、形式的に真理値(truthe values=真偽[ἀληθής καὶ ψεῦδος] )が成立(ἔπαινος)しない
その解消法は、125でのカ氏が述べた見当違いな手法ではなく、【「ドイツ民族」や】を【や】を削除して元の位置から、【汚名を着せた上に】の後に、「てにをは」を調えたうえで移動すればよい。
論理的に(consistent)考えるということは、そういうことなのですよ、「無学なお婆ちゃん」(ἀπαιδευτος γραῦς)。
論理学が扱う、論理の形式、推論(συλλογισμός)=論理的思考(λογιστικόν)の必然性(ἀνάγκη)とは、定言三段論法(συλλογισμός=所謂「クラスの理論」)において三つの文(λόγος=sentence)をつくる三つの語(名辞[ὄνομα=term])の意味内容(γενικὸν ποινόν)によらず、それらの文章内の相対的位置関係によって真偽(ἀληθής καὶ ψεῦδος)が決まる関係(パターン)になっている、というのはそうした趣旨だ。
それはともかく、ルターやカルヴァンらプロテスタントの偏狭性とは、「動機」(ὁρμή)や目的(προαίρεσις)⇒with what motive?(τί βουλόμενος)が何であれ、歴史的な事実である。目的や動機の正当性(ὀρθότης)は、実際にやったこと、その際の手段(σκῆψις)必ずしもを正当化(ὀρθόω)しないのである。
「それはキリストと何の関係があるのか?」(‘Quid haec ad Christum?’)と言うべき出来事が彼らの周囲で、余りに多かったからである。
いずれも、守るべき価値や人間的自由を掲げて争ったのであろうが、そうした問いを発したのは宗教的な寛容さ(ἐλευθέριος)に不寛容(ἀνελευθερία)であったルターら宗教者ではなく、ユマニスト(humaniste)と称された人文主義者たちだった。その代表格が、後年にルターと袂を分かつエラスムスである。
‘Quid haec ad humanitatem?’という問い掛けも、ローマ時代に、本末を転倒して根本義を忘れた議論や行為を諫めて、「それはヘルメス(ローマ神話ならメルクリウス)と何の関係があるのか?」(‘Quid haec ad Mercurium?’)とされた言葉をユマニストがもじったものだ。
そうした人文主義的伝統、つまり英仏伊のような形ではルネサンスを経験することがなく、ルネサンス文化の域外にあったのがドイツで、メランヒトン以外に碌な人文主義者を輩出していない所以だ。
ルネサンスの潮流を押し戻した反動のうち、特に顕著なものが1527年の所謂「ローマ劫掠」で、ローマがルネサンス文化の影響を享受していなかったドイツとスペインの軍隊によって占領された結果、ローマのアカデミーも破壊された。貴重な古代の遺物のほとんど全部が掠奪され、破壊された。
その様子は「疲弊したギリシアと眠れるイタリアから、平和と学問と芸術という飾りをドイツは奪った」だった(歴史家パオロ・ジョヴィオ)。
だから、「聖書に還れ」といったところで、「聖書」(ἡ γρφή)の正確な解釈は歴史的な積み重ねの産物で、旧約ならヘブライ語、新約ならただギリシア語の原典に戻ればいい、といった単純なものではない。ルターの主張は聖書解釈の主導権争いを主張したにすぎない。
しかも、エラスムスの不完全な校訂本を基に。
その結果として、カトリックの典礼を、プロテスタントは使うことができないので、ドイツ語の詩篇に曲をつける、バッハの音楽が生まれたのも、歴史的な事実なのである。ドイツが誇ることができるのは、哲学と音楽だけだと反氏は主張されるが、ルターがプロテスタントを起こし、その典礼にラテン語の曲が使えず、ドイツ語の曲が必要だったから、バッハの音楽の様なドイツ語、ドイツの音楽が発展したのであって、それも立派な一つの文化だし、カトリックだけではなくて、このプロテスタントがキリスト教の宗派として認められたからこそ、多元的なものの見方、カトリック法王庁に支配されない、学問の自由が、保証されたのである。私が、バノン氏が信頼できないのは、このウェストフェリアー条約を肯定的にみないためで、彼のやり方だと、多様性を押しつぶし、独裁制になるのではないのだろうか?
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