石破茂元自民党幹事長の発言は、ニュースで頻繁に取り上げられる。もっぱら安倍首相の批判者としての役割を期待されてのことだろう。
ホルムズ海峡における民間船舶護衛の有志連合への参加は、「現行法では難しい」という。https://www.jiji.com/jc/article?k=2019071201221&g=pol
9条3項改憲は、1項・2項を無効化するもので、「整合性が取れない」という。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190712-00010000-kinyobi-pol
石破氏は大変な読書家だという評判らしいが、私の本は絶対に読んでくれない(篠田英朗『集団的自衛権の思想史』、篠田英朗『ほんとうの憲法』、篠田英朗『憲法学の病』)。
では2014年安保法制懇談会の議論などはどうか。安保法制懇は、憲法9条1項にそって2項を読む解釈を簡潔に示した。しかし石破氏の視野には、安保法制懇の議論も全く入ってこない。
井上武史・関西学院大学教授のような良心的な憲法学者も視野に入らない。https://live2.nicovideo.jp/watch/lv320670835
どこまでもただ一部の憲法学者の見解だけが存在し、それ以外の憲法理解は、この世に存在していないのと同じのようだ。
一部の憲法学者だけが、まず9条2項を彼らの主張する独特の「戦力」「交戦権」の理解に従って読み、それから9条1項に戻って憲法を解釈しなければならない、と主張している。これによって国際法遵守を求めているはずの9条の全体が、国際法に反した独特の意味を持つようになる、と説明している。
この一部の憲法学者による、2項によって1項の意味を変える「ちゃぶ台返しの解釈」は、法解釈として「尋常ではありません」、と憲法学者の安念潤司教授は指摘する。(「集団的自衛権は放棄されたのか―憲法九条を素直に読む」松井茂記(編)『スターバックスでラテを飲みながら憲法を考える』[有斐閣、2016年])。
それもそうだ。この「ちゃぶ台返し」の解釈によって、「不戦条約」や「国連憲章」のコピペの文言でできている9条1項までもが、なんと国際法に反した意味を持つなどと説明されてしまうのだから。確かに「尋常ではない」。私は、この一部の憲法学者による「ちゃぶ台返し」解釈は、奇異で根拠のない憲法解釈だ、と主張している。
しかし、石破氏らは、一部の憲法学者によるこの「ちゃぶ台返し」解釈だけを、唯一無二の憲法解釈として信奉し、それ以外の憲法解釈の余地を認めない。解釈を確定させるための9条3項を追加しても、ダメらしい。ただ3項が1項・2項を無効化してしまうだけだ、という。
2項が「ちゃぶ台返し」で1項の意味の逆転させることを要求する。その後、3項がさらに2項・1項の意味を逆転させる「ダブルちゃぶ台返し」を行うことになるのだという。
なぜこのような複雑怪奇な憲法解釈に固執するのか。
素直に1項から順に2項を読み、その流れで憲法解釈を確定させるものとして3項を読めば、それで済む話だ。それなのになぜ「尋常ではない」法解釈に固執するのか。なぜ石破氏は、そこまで徹底的に一部憲法学者への忠誠心を強く持ち続けるのか。
いずれにせよ、国際的に理解される議論ではない。ホルムズ海峡問題は、参院選後に切迫してくるのではないか。一部憲法学者の「尋常ではない」憲法解釈のために、また日本の国家政策が迷走していくのかと思うと、残念でならない。
https://www.amazon.co.jp/憲法学の病-新潮新書-篠田-英朗/dp/4106108224/ref=as_li_ss_tl?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E6%86%B2%E6%B3%95%E5%AD%A6%E3%81%AE%E7%97%85+&fbclid=IwAR1aWx9KSAo-jM9AHojhLIXzMrVRcOaPQiQ_eu_TpoMOC_XHUpjZJ5LFGx0
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ドイツナチスの問題にしろ、日本と共通な面もあれば、全く違う面もある。「共産主義」は「民主主義」ではなくて、「ナチズム」や「ファシズム」と同じ「全体主義」である、ということを受け入れない権威ある方々が、現在もおられるから、まともな理解がそがれるのである。共産主義も、「自由」な考えを認めず、同じ「思想」を強制する、あるいはまた、「敵」を作るから「ナチズム」とある意味同じなのである。
「日韓問題が最悪だ」、ということであるが、日本の韓国に関する関係は、ドイツのポーランド人に対するようなものであるのに、彼らが、ユダヤ人に対する関係にあたる、と主張するから、おかしくなるのである。ユダヤ民族は、ナチスの思想では、金融資本家、共産主義者と同一視され、「世界に害毒をまき散らす、国際社会から、抹殺しなければ存在である」、と考えたから、「ホロコースト」を起こしたのであって、あえて言えば、「オウム」の「霊性が低いから抹殺していい」という理屈の「ポア」と同じなのである。
そして他のヨーロッパの人々に対して、ヴァイツゼッカー氏はどう考えているか、
Wir können des 8. Mai nicht gedenken, ohne uns bewußtzumachen, welche Überwindung die Bereitschaft zur Aussöhnung den ehemaligen Feinden abverlangte. Können wir uns wirklich in die Lage von Angehörigen der Opfer des Warschauer Ghettos oder des Massakers von Lidice versetzen?
Wie schwer mußte es aber auch einem Bürger in Rotterdam oder London fallen, den Wiederaufbau unseres Landes zu unterstützen, aus dem die Bomben stammten, die erst kurze Zeit zuvor auf seine Stadt gefallen waren! Dazu mußte allmählich eine Gewißheit wachsen, daß Deutsche nicht noch einmal versuchen würden, eine Niederlage mit Gewalt zu korrigieren.
ロッテルダムやロンドンの市民にとっても、ついこの間まで頭上から爆弾の雨を降らしていたドイツの再建を助けるなどというのは、どんなに困難なことだったでありましょう。そのためには、ドイツ人が二度と再び暴力で敗北に修正を加えることはない、という確信がしだいに深まっていく必要がありました。
第一次世界大戦前の植民地は、ヨーロッパにもあった。ポーランドはヨーロッパの列強の植民地となり、ロシア、ドイツ、オーストリアの3か国に分割された。それらをいろいろ考え合わせたとき、「日本人は、植民地支配をした韓国人の気が住むまで謝り続けなければならない。」などという主張は、いかに日本人のノーベル文学賞候補の作家の発言であったとしても、とても同調することができないのである。大事なのは、権威に惑わされずに、「真実と嘘」、をきちんと吟味すること、「その真実」をはっきり、わかりやすく主張することだ、と私は思う。
「真理」の探求、本来、それが学問や学者のあるべき姿、なのではないのだろうか?
コメント9で、旧会社員さんと書こうとして、元会社員さん、としてしまいました。訂正してお詫びします。
EUという組織は、ヴァイツゼッカー演説にも出てくる、フランス人 ロベール・シューマンの発案による、経済と軍事における重要資源の共同管理の為に1952年7月23日に欧州石炭鉄鋼共同体(英: ECSC)が設立された後、 経済分野での統合とエネルギー分野での共同管理を進展させる為、別々であった、欧州経済共同体(英: EEC)と欧州原子力共同体(英: Euratom)の3つの共同体を1つの運営機関のもとでそれぞれの目的を達成することでヨーロッパの統合を進めるべく、1967年にヨーロッパ共同体(英: EC)という1つの枠組みの中に3つの共同体をおくことで統合の深化が図られたものである。つまり、カールシュミット的な「友・敵」関係」ではなくて、「mit共に」 の精神で設立されている。ヨーロッパは、カトリック、プロテスタント、いろいろあっても、キリスト教道徳の国で、ドイツ憲法の前文の初めにその言葉がでてくるように知識人も「神の存在」を信じている人が多い。それが「日本の進歩的知識人」との決定的な差ではないのだろうか。
彼女はその就任演説の中で、お互いが論争するのではなくて、共同して問題を解決して強く自信の満ちたヨーロッパの未来の為に闘いたい、主張されていたが、日本の政治が東アジアの政治がそうなるのは、いつだろう。
それでも、「美食でつなぐ4日間台湾縦断の旅」の謳い文句よろしく、連日、高級ホテルを梯子しながら冷房の効いた室内で喰っては飲んでばかりいたのでよい休暇になったものの、消化吸収に専念する(σπουδάζω)あまり、頭脳(ἐγκέφαλον)にはとんと血(αἷμα)が巡らず、思考(διάνοια)と呼べるのものから解放(ἐλευθεροῦντες)された連休だった。
病気療養中の妻の気分転換を兼ねてビジネスクラスを奮発したが、こちらでも出入国ラウンジから機内までワインを飲んでばかりで、持ち込んだゲーテ全集の一冊も多くは放擲されたままだった。「それもまた人生」(‘C’est la vie.’)であろうか。
「愛しき人よ、きみと共に往かまし」(‘Möcht’ ich mit dir, o mein Geliebter, ziehn! ’)ではないが、アンブロワーズ・トーマの歌劇『ミニヨン』(1866)の中の「きみよ知るや南の国」でも人口に膾炙したゲーテの著名な抒情詩(‘‘Mignon’’= ‘Kennst du das Land, wo die Zitronen blühn, Im dunkeln Laub die Goldorangen glühn, Ein safter Wind vom blaunen Himmel weht, Die Myrte still und hoch der Lorbeer steht, Kennst du es wohl? Dahin! Dahin Möcht’ ich mit dir, o mein Geliebter, ziehn!…’)がある。
それに倣って言えば、台湾でも最も暑いという8月を前に南国は現在約3カ月の夏休み中で、色鮮やかな花々に彩られ夏の日盛りの中にたゆたっていた。
台湾は観光立国としても、電子機器を中心にした製造業でも国力は充実した事実上の(ἔργῳ)独立国家だが、よく考えてみれば気づくように、そうした「国」にユネスコの世界遺産は、ただの一つもない。中国のあからさまな「嫌がらせ」、「横車」=妨害だろう。中国への配慮が文化財の認定をめぐっても国際機関や国際世論を明らかに動かしている。
紛れもない覇権国家(δύνάστης)そのものである中国からみればその上に台湾も位置する中国流の防衛ライン「第一列島線」は、同時にわが国にとっても安全保障上の極めて重要な防衛線、利益線でもあるわけで、既往の確立された戦後の国際秩序に挑戦的な大国の恣意的な膨張を食い止めるため、将来にわたって死守しなくてはならない主権(ἡ κράτος)と国益(ἡ συμφερτός ἀγθόν)の海上の城砦(ἡ ἀκρόπολις)なのかもしれない。
再開の前口上(προοίμιον)はこの位にして、本題に入る。
その前に、昨日16日来のコメント1~14をみる限り、極めて低調のようだ。判で押したような陳腐な(πρόχειρος)メディア、左翼批判も退屈で、如何にも思考が粗雑で相手にするのも憚られる。「無学な婆さん」(ἀπαιδευτος γραῦς)の相も変わらぬ、支離滅裂な(ἀσύμφωνος)「ままご・コピペ投稿」よりはましだが、如何にも偽善(ἡ ὑπόκρισις)の国ドイツに対して甘いのが惜しまれる。
それは畢竟、ホロコーストのような究極的な罪劫(κακία)を、カ氏のように一カルト集団のテロ行為の域にまで矮小化することにつながる。事柄自体(πρᾶγμα αὐτό)に応じて認識の赴くところ(ἐπισθημονικός)に従えばそうなる。
本当の悪、即ち「根源悪」(das Böse)こそ、歴史上未曾有のドイツ(人)の犯罪で、ドイツは実は「真の反省」(ἡ ἀληθής λογίζομαι)などしておらず、ただナチスと自分たちとを切り離した(χωριζειν)にすぎない。占領統治下以来の戦後の根本政策だった所謂「非ナチ化」(Entnazifizierung)とは、そういう欺瞞(ἀπάτη)の別名だ。
多弁な敗軍の将、石破茂元自民党幹事長の憲法解釈はどうでもいい話で、篠田さんともあろう国際政治学者が一々気にする相手でもないと思う。9条解釈は修正的護憲派に近く、形式的な中身は第二項削除論、つまり二項を削除したうえで明文規定によって自衛の実力組織の保有、行使を正当化するものだ。法哲学者の井上達夫氏が「三善案」とするもので、戦力統制規範を盛り込む。石破氏が幹事長時代にまとめた自民党案がベースだ(井上『立憲主義という企て』、307頁)。
それより、立憲民主の山尾志桜里氏の専守防衛、個別的自衛権の範囲内で戦力の保有、行使を認める所謂「立憲的改憲」が提唱され、九条削除論が持論の井上氏はそれを次善案(ὁ δεύτερος πλοῦς)とするが、より整合的で合理的な篠田説については、新著のどこにも言及がない。
看過すべきではない。[完]
けれども、「ドイツ脅威論」ではなくて、親ドイツ的、mit-共に、な考えをもつフランス外相ロベール・シューマンが、1950年5月9日、ヨーロッパの石炭と鉄鋼という、戦争で用いられる兵器の製造に欠かせない2つの素材に関する産業を統合することを目的とした共同体の設立を趣旨とする、いわゆるシューマン宣言を発したのである。
シューマンの声明に基づいて、1951年にフランス、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクと西ドイツは欧州石炭鉄鋼共同体を設立するパリ条約に署名した。条約署名の翌年に発足した欧州石炭鉄鋼共同体はルール国際機関の機能を引き継ぎ、またドイツに対する工業生産の制限を緩和した。欧州石炭鉄鋼共同体の発足で設置された最高機関と共同総会は、それぞれのちに欧州委員会、欧州議会となっていく。最高機関の委員長にはジャン・モネが、就いた。
翻って、北朝鮮のしていることはなんなのだろう。国際原子力機関、核燃料と核管理をする国際機関、の査察を拒否し、核開発を続けているのである。国際社会から見て、危険だから、国際連合の経済制裁を受けているのである。本来、米朝交渉以前の問題である。ムンジェイン大統領の行為は、国際社会の一員として、言語道断である。日本のマスコミの人びとには、どうしてものごとの本質が見えないのだろう。本来、「国際平和」の為には、北朝鮮の核開発をやめさせる世論を形作らなければならないのに、日本のマスコミは、トランプ大統領はどう出るか、このままいくと「安倍外し」となる、などと茶化して、北朝鮮の戦略にまんまと乗せられている。
「日本国憲法9条」の解釈といい、「ドイツの国」の理解といい、「平和構築の仕方」といい日本のマスコミで活躍している人々は、いつになったら、まともな「国際感覚」をもつことがおできになるのだろう。
ユダヤ人、ユダヤ教徒、というのは、キリスト教徒から見れば、考え方の違う民族なのであって、「選民思想」、自分たち民族が救済されるために、自分たち民族の戒律を厳格に守る結果、他の民族と軋轢を引き起こす民族で、その為に、キリスト教文化圏のヨーロッパでは、中世以来迫害され続けてきた民族なのである。
多弁な敗軍の将、石破茂元自民党幹事長の憲法解釈がどうでもいい話にならないのは、彼が、防衛大臣や、幹事長のキャリアもあり、立法府で、憲法の改正の発議をしたり、法律を成立させる権力をもっておられるからである。マスコミを通じての多大な影響力をもっておられるし、選挙に強い、ということは、国民の信頼、支持も高い、からである。
つまり、人は神から才能(タラントン)を授かり生きていて、その才能は多く与えられる者もいれば、少なくしか与えられない者もいるが、その与えられた才能を十分に生かし、その才能を使って世界に貢献して死ぬべきだ、と聖書は教えている。その言葉通りの生き方をし、死んだのが前の二人の召使い、少ない才能しか与えられていないから、といって、努力をせず、何もすることなく死んでしまったのが最後の召使い。その召使は、怠惰な召使、と評される。聖書はそれだけで終わっているが、ルサンチマンで、才能にあふれた「国際法学者」芦田均さんに意地悪をした人は、最低である。
マスコミの作る世論に流されず、聖書や法律を素直に読めば、おのずから、なにが真実かどうすることが、自分を幸せにし、社会に貢献する道なのかが、わかるのではないのだろうか?
18⇒【反氏にかかると、どれだけ説明しても、「偽善の国ドイツ」としが(か?)、認識されない】と、性懲りもなく繰り言(μεμψιμοι)を並べるが、真っ当な日本文も綴れないカ氏程度の「ドイツオタク」が、「説明」(ἐξήγησις)の体を為していない杜撰な論理で、愚劣かつ「無学ゆえの」(δι’ ἀπαιδευσίαν)素人論議(τὸ ιδιωτικόν)をいくら並べ立ててみたところで、同情してくれるのは過激なメディア批判論者の元会社員氏ぐらいだろう。
ドイツがどれだけ欺瞞(ἀπάτη)に満ち、偽善的(εἰρωνικός)かは、ドイツの東西それぞれ異なった戦後の歩みをみれば歴然としており、戦後40周年のヴァイツゼッカー元西独連邦大統領のボン演説を仔細に検討すれば、明白だろう。
そこには戦後ドイツを一貫する論理である、第三帝国時代の身の毛のよだつ悪行をすべてナチスの責任(αἰτία)に帰し、国民はその不本意(τὸ ἀκούσιον)な犠牲者(παθητός)で、敗戦によってその悪夢から「解放された」(ἐλευθερόω)とする誠に都合がよい、敗戦直後の民族存亡の危機を生き抜くためのなりふり構わぬ自己防衛(φυλακή)の「共同幻想」(κοιναὶ φάντασμα)の論理をそのまま踏襲した、愚劣かつ醜悪な「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)がある。
唾棄すべき「似而非道徳」(eine verlogene Moral)もいいところで、高潔さ(μεγαλοπρεπής)はもとより、倫理性(ἠθικὴ ἀρετή)の欠片もない政治的動物(ζῷον πόλτκόν)の便法だ。愚鈍にも信じる者にはご都合主義の「空念仏」(ἐπῳδή)になる。
「しかし日一日と過ぎていくにつれ、5月8日が解放の日であることがはっきりしてまいりました。このことは今日われわれ全員が共通してロにしていいことであります。国家社会主義の暴力支配という人間蔑視の体制からわれわれ全員が解放されたのであります。1945年5月8日と(ヒトラーが政権についた)1933年2月30日とを切り離すことは許されないのであります。1945年5月8日がドイツ史の誤った流れの終点であり…5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。ドイツの強制収容所で命を奪われた600万のユダヤ人を思い浮かべます…」
自分の国で、愚鈍な連中も多い国民を相手に唱えている分には勝手にすればよいが、「ドイツかぶれ」のどこかの婆さんのように、それをご大層にもって回るお調子者がいて、やれ歴史の教訓(ἡ διδασκαλία)だとか「国際協調」だとはしゃいでいるから、醜悪この上ない。
真に受けるだけ、お目出度い(εὐήθεια)のだろう。浅薄な(ἁπλοῦς)人間性(τὸ ἀνθρώπειος)がよく表れている。何のことはない(ἀτεχνῶς)、知慧が足らない(ἀπορέω)のだ。
「我々が第二次世界大戦を思い描く際、アウシュヴィッツが重要な位置を占めることは比較的新しい現象で、70年代末に始まる。終戦直後、ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅その他の悲劇的な出来事の一つとして現われ、文化と知的論争においては副次的にしか扱われなかった。支配的な態度は沈黙だった」(E. トラヴェルソ『アウシュヴィッツと知識人 歴史の断絶を考える』(Enzo Traverso; ‘‘L’histoire Déchirée, Essai sur Auschwitz et les intellectuels’’, Paris, 1997=右京頼三訳、2002年、岩波書店、5頁)というのが、米仏を含めた実態なのだ。
だから、「戦後一貫してホロコーストに立ち向かった」のはドイツ社会でないのは明白な歴史的事実であって、ここにも、歴史の記憶の変形(ἀλλοίωσις)、書き換えがある。そこには批判者の姿勢へのドイツ人側の反撥も燻っていた。
ドイツは戦後、連合軍によって次々と暴かれるナチスの蛮行の事実に「人々は息を呑み、立ちすくみ、声を挙げられなかった」(三島憲一)とされる。どんな説明をしてもアウシュヴィッツで行われた重すぎる事実に沈黙を強いられるしかなかったからで、ドイツの戦後史はそれとの対峙と居直りが交錯する全体像(τὸ ὄλος)としての歴史だった。
国家の法的措置を伴った戦争目的そっちのけの政策(ἡ προαίρεσις)、従って「合法的な」(νομοθετικός)犯罪(ἁμάρτημα)として、計画的に工業的(ベルトコンベアー式)に、罪悪認識の根本的に欠落した市民によって「業務」(ἐπίτήδευμα)として日常的に、淡々と(θαρραλέος)行われ、相当部分が廃棄された膨大な記録を遺した「最終解決」(Endlösung)という名のユダヤ人大量殺戮という歴史上、未曾有の一民族の絶滅策について、カ氏ぐらい鈍感な(ἀναίσθητος)人物も珍しい。そのご都合主義的軽薄さにかかれば、ユネスコ精神も国際協調もあったものではない。
中国の文化大革命やカンボジアのポル=ポト政権で、20⇒【考え方の違う中国人2000万人の命を犠牲にした罪は、「中国人」の…「根源悪」ではない…ポルポト…により、150万人から200万が飢餓、処刑、病気、過労で亡くなった罪は、「カンボジア人」の…「根源悪」と規定しない】というが、民主的合意形成の伝統がない社会や発展段階では、内戦や政治的対立に伴ってそうした残虐行為は歴史上、しばしばが繰り返されてきた。文革の犠牲者は2000万人でもない。
しかし、ホロコーストは次元が異なる。
【ヒトラーとその側近の罪】だけで、戦争遂行上は余計なコストを伴う一民族の大虐殺が行われるはずがない。ナチスは狂信的カルト集団ではない。政権獲得にも民主的手続きを踏んだ、西欧の先進国家の政党だということを看過してはならない。カ氏の立論が見境のない妄言たる所以だ。
ナチスが欧州ユダヤ人の絶滅政策をユダヤ人問題の「最終解決」と決定したのは、対ソ連戦の開戦(1941年6月)前後とされる。それまでの暴力や掠奪を伴ったとはいえ殺害はせず、国民生活からユダヤ人を排除したり、国外に追放するのが主体だった政策の延長線上で、その中にはパレスチナへの移住計画に加えて、ポーランド東部のルブリンやマダガスカル島への強制移住構想も真面目に検討されていた。
ヒトラーは対ソ連の名目の一つに、ボルシェビキ=ユダヤ人の撲滅戦争という「お題目」を掲げたが、その真偽はともかく、国外追放から殺戮へのユダヤ人政策の方向転換は、一体だれによって、どういう過程を経て最終決定されたかは、欧米のユダヤ人絶滅政策に関する研究者の見解は「意図派」と「機能派」に分かれ、論争を繰り返してきた。
彼女の経歴を読むと、東京外国語大学英文科卒業なのだから、偏差値も、英語力も相当にある人物だと思うが、思い込みが激しいタイプなのではないのだろうか?記者時代から上智大学・千葉大学・日本福祉大学・日本女子大学・琉球大学の非常勤講師、横浜国立大学大学院の客員教授を務めた、とあるが、そのような人物が朝日新聞の肩書で授業をすると、純粋で、若い未熟な学生は、彼女に洗脳されるのではないのだろうか?今問題になっている「新聞記者」の映画の作者、望月衣塑子記者にも言えることであるが、自分で作り上げたストーリーに固執するのではなくて、ジャーナリストは真実を伝えてほしい。
90年代以降は、G. アリーのように、挫折した東部ゲルマン大帝国建設構想との関連で、多数のユダヤ系現地住民の追放とドイツ人の移住政策との関連性を指摘する研究者もいる。
そうした論争の背景には、ヒトラーの政治的指導力をめぐる論議があり、意図派がヒトラーの指導力を過大視する一方、機能派は国家内部の諸勢力のせめぎ合いや均衡、国際関係から総合的に説明しようとする。つまり、ヒトラーのヘゲモニー=指導力(ἡ ἡγεμονικὸν)は状況の函数(機能)、つまりパラメータと強調する。
実態はその中間かもしれず、ヒトラーの指導力の比重の置き方も千差万別だ。現在の主流はこの複雑な絡み合いを重視する方向で研究が進んである(Ch. R. Browning; Ordinary Men, Reserve Police Battalion 101 and the Final Solution in Poland, rev. ed., 2017=谷喬夫訳『増補 普通の人びと―ホロコーストと第101警察予備大隊』、ちくま学芸文庫、503~517参照)。
カ氏のような「単細胞」には、無縁な世界だ。
23⇒【聖書や法律を素直に読めば、おのずから、なにが真実か】が分かると思い込んでいるような狂信的な(ἐμάνην)巫女と、これ以上の議論は無駄だろう。[完]
‘Les vieux fous sont plus fous que les jeunes.’(「老いた狂人は、若い狂人よりさらに狂っている。」=La Rochefoucauld; Maximes 444, Œuvres complètes, Bibliothèque de la Pléiade, p. 461.)
はっきりさせたいことは、ユダヤ人をせん滅することが、ヒトラーの戦争の目的ではない、ということである。ヒトラーの目的は、第一次世界大戦で負けて、ドイツが失った領土の再獲得とサン・ジェルマン条約で禁止されたオーストリアとドイツの統合、ヨーロッパの政治の主導権を取ることであって、ユダヤ人を抹殺するというのは、戦争目的ではなくて、それが国際社会の為、という「ヒトラーの信念」である。
(参考: ナチスドイツの思想:https://www.weblio.jp/wkpja/content/ナチス・ドイツ_ナチス・ドイツの思想)
「おままごと投稿」である文意不明解(ἁμφιβολία)な「反論(ἔνστασις)のための反論」に何を言い出すのかと思いきや、23⇒【「人間は、平等に造られていない。」という反氏の主張…キリスト教の聖書では、そういう意味で「平等」という言葉は使われていない】といった、要領を得ない(σομφός)話ばかりだ。
暇をもて余した婆さんの「暇つぶし」(διατριβή)の「日記」(ὑπομνημα)みたいなものだからなのだろうが、如何にも益体もない、「老婆の他愛ないおしゃべり」(「老生常譚」⇒‘ὁ λεγόμενος γραῶν ὕθλος’)の域を出ない。
ギリシア語にも、今日の意味での「平等」に相当する言葉(ῥῆμα=語句、表現、言葉遣いの謂い)がある。政治参加における「権利の平等」「平等な権利」という意味での「イソノミアー」(ἰσονομία)または、「イソノミコス」(ἰσονομικός)だ。単に等しいという意味での等しさ、平等、「等し並み」、公平ということなら「イソテース」(ἰσότης)ということになる。
等しい、対等な、平等な、は「イソス」[ἴσος]、「等しくなる」「等しいものである」は[ἰσόμαι]、「等しくない」は[ἄνισος]となる。「同等な者」は[ὁ ἐξ ἴσος]、そうでなければ「同等でない者」[ὁ μὴ ἐξ ἴσος]になる。
「法の下での平等」の原則とか、「民主制」(δημοκρατία)の原理としての平等という観念(ἔννοια)が古代のアテーナイにはある。「平等は友情を生む」(‘ὡς ἰσότης φιλότητα ἀπεργάζεται’: Leges 757A=「友情は平等の基盤の上にしか育たない」)という諺(παροιμία)もある。
その理由は単純明快で、「なぜなら、等しくないものに等しいものが無差別に与えられるならば、その結果は等しくなくなるだろうから。実際、この二つによって国内には争いが絶えない。」(‘εἰ μὴ τυγχάνοι τοῦ μέτρου-διὰ γὰρ ἀμφότερα ταῦτα στάσεων αἱ πολιτεῖαι πληροῦνται.’ : ibid. 757A)というわけだ。
民主政治というのは、甘くないのである。
『マタイ伝』(Κατα Μαθθαιον)25章に、22⇒【イエスはたとえ話として…「タラントン」の話で、もともと通貨の意味…現在のタレント=才能という単語の語源】のような如何にもギリシア語の辞書も引けない無学な人物らしい無駄口を叩いているが、「タラントン」(τάλαντον)はもともとは重量の単位で、取引での交換行為の要件として重量測定の必要性が生じ、紀元前7世紀前後に貨幣を媒介として商取引が行われるようになって以来の単位であって、26.241キロに相当する。
最も代表的な基準通貨の単位はドラクメー(δραχμή)で、20ドラクメーで金8.6グラムとされる。1タラントンはドラクメーの百倍である1ムナの60倍の価値、つまり6000ドラクメーになる。イエスの時代は1タラントン=6000デーナリオン(δηνάριον)。
少しはまともなお勉強をしたらよい。
ヴァイツゼッカー演説の巫女(προφῆτις)だから調子に乗って見当違いの長広舌をふるって(πακρολογέω)いるが、カ氏には凡そ、歳相応の真っ当な分別(ὁ ὀρθὸς λόγος)と自制心(σωφροσύνη)が皆無に近い。
何をそう向きになって(σπουδάζω)「おままごと投稿」=「クズ」(φορυτός)を量産しているのか、石破茂氏の憲法9条解釈以上に訝しむ。
カ氏にある才能(δύναμις)と言えば、一種の執念深さ(τὸ ἐπιθυμέω)と詐欺師(φέναξ)並みの生まれつき(ποῖος)の「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)、つまり「嘘つき」(ψεύστης)の資質(φύσις)だろう。
さらに党派心(φιλονεικία)剥き出しの際立って狂信的人物らしく、その憐れむべき知性に反比例(ἡ ἐναντίκος ἀναλογία)するように、独り相撲の「悲憤慷慨」にわれを忘れて(ἀσχολεῖσθαι)いる。
31⇒【身の毛のよだつ政体】ではなく、身の毛のよだつ、ドイツ人以外は仕出かしようもない残虐行為がホロコーストだろう。何をトチ狂って寝言をほざいているのか。「共産党を支持」の大手メディアなど、どこにもない。
悪名高き大日本帝国陸軍でも、歴史上未曾有の一民族の抹殺行為は、実施はおろか、計画もしていない。日本とドイツは決定的に違う。
ドイツに尻尾を振る(κολακεύω)婆さんの憐れさと醜悪さは、比類がない。頭を冷やしたらいい。[完]
私は、1929年に書かれたハンス・ケルゼンの「民主主義の本質と価値」を読んでみた。カール・シュミットの「政治的なものの概念」を最初に書いたのが1927年、田中浩さんたちが訳されたのは、1932年版、ヒトラーがドイツで政権を取ったのが1933年1月だから、このシュミットの書は、明らかにワイマール憲法に定められた政治体制とはまるで違う、ナチスドイツのヒトラーの政治の仕方を肯定させるための理論書、として書かれたことを示しているし、ハンス・ケルゼンが1929年に「民主主義の本質と価値」を書いたのは、カール・シュミットの考え方を、危険視した為だと思う。
また、反氏の政治や法律(憲法)、歴史の解釈にイエスの教えも糸瓜もない、という主張であるが、ヴァイツゼッカーさんも、メルケルさんも、フォン・デア・ライエンさんも、キリスト教をバックグラウンドにする政党、キリスト教民主同盟の政治家だし、ハンス・ケルゼンも、ユダヤ人であったが、同時に、キリスト教徒であった事実も、つけ加えておきたい。
北部ドイツにおいて最有力国家であったプロイセン王国の首相オットー・フォン・ビスマルクは、「大ドイツ」最大の国家でありながら非ドイツ系住民を多数包含するオーストリア帝国を排除して、プロイセン中心(小ドイツ主義)の君主制によるドイツ統一を目指した。彼はいわゆる「鉄血演説」を行って、ドイツ統一のために軍備拡張政策を追求することを宣言した。これを「鉄血政策」と呼ぶ。
(参考: ドイツ統一https://ja.wikipedia.org/wiki/ドイツ統一)
故意(ἑκουσίως)にか無意識に(λανθάνειν)か、しばしば論点ずらし(τὸ ἐξ ἀρχῆς αἰτεῖν)の詐術的議論(παραλογίζεσθαι)を繰り返していることでも分かる通り、論点などお構いなしに懲りずに不得要領な「愚劣なおしゃべり」(λήρησις)の類か、愚にもつかない体験談、親族をも含めた下らない打ち明け話、信条・信念告白で憂き身をやつしている。そそっかしさも比類がなく、粗笨な読みで珍説を恥ずかしげもなく曝している。
無知かつ無学ゆえに(δι’ ἄγνοιαν καὶ ἀπαιδευσίαν)、にわか仕込みの知識とも呼べない雑識(δόξα)を滑稽にも振り回して妄言を撒き散らしては、逆上せ上がっている。
最近だと米国の原爆開発にかかわった天才数学者のJ. von Neumannだし、今回のトピックスなら慰安婦報道で悪名高き「朝日」の某女性記者を槍玉に挙げて、莫迦莫迦しい(καταγελάσιμος)一人芝居に興じている。
自らの愚劣さを棚に上げた夜郎自大の「悲憤慷慨」(ὀργή καί θυμός)ぶりは、自己目的化した「投稿のための投稿」=投稿慷慨(公害)であり、まさに「嘲笑されるに値する」(χλευαστικός)醜悪さで、言うこと為すことがそのまま当の本人に返ってくる体の滑稽さを含め、もはや茶番(κωμῳδία)とも呼べない「戯画」(ἡ κωμῳδεῖν)の趣を呈している。
すべてをそれなりに承知したうえで確信犯的に社会の木鐸という名の世論操作に勤しみ、警鐘を鳴らしているつもりのメディアの驕慢さや偽善を批判するのは自由だが、外野席の限られた情報や知見で、実態を碌に知らない人物が、どこかで聞いたような陳腐この上ないメディア批判を書き散らしても、所詮は安全地帯=匿名で悪態をついて溜飲を下げているだけであって、負け犬の遠吠えに等しい。
相手を議論で有無を言わさず「屈服させる」(δουλόω)だけの見識(φρόνησις)や技量(τέχνημα)を素人に求めるつもりはないし、上品さ(εὐσχημοσύνη)や博雅(πολυμαθία)は望むべくもないとしても、もう少し丁寧な議論を心掛けるべきだ。
「文は人なり」で、一廉の矜持(μεγαλοψυχία)ある人物は、旧会社員氏のような、粗雑で品性(ἦθος)を疑われるような文章は、商売でも書かないものだ。
8⇒【こう書くと元も子もないが】は、「身も蓋もない」の形容違いだろうが、それほど若くもないのだから、措辞には精々用心したらいい。巧みな(τεχνικός)文章ではなくとも、「技術に適ったやり方で」(τεχνικῶς)意図(προαίρεσις)が読む者に正確に伝わる文章を心掛けるべきで、知性、品性とも最悪な(χείριστος)「道化者」(βωμολόχος)の婆さんの真似をすることもあるまい。
別の言い方なら、カ氏のような常軌を逸した「ならず者」(ὁ μοχθηρός)の所業は控えるべきだ。[μοχθηρός]は、「人」として「悪い、堕落した、駄目な、劣等な」を意味する。
「出来損ない」(ὁ πονηρός)の役回りなら、カ氏に任せることだ。
①‘ὡς ἰσότης φιλότητα ἀπεργάζεται’: Leges 757A=「平等は友情を生む(友情は平等の基盤の上にしか育たない)」
②‘δοῦλοι γὰρ ἂν καὶ δεσπόται οὐκ ἄν ποτε γένοιντο φίλοι, οὐδὲ ἐν ἴσαις τιμαῖς διαγορευόμενοι φαῦλοι καὶ σπουδαῖοι-τοῖς γὰρ ἀνίσοις τὰ ἴσα ἄνισα γίγνοιτ᾽ ἄν’: ibid. 757A=「というのは、奴隷と主人とではけっして友情が生まれないだろうし、下らない人間と優れた人間とが等しい評価を受ける場合も、やはり友情は生まれないだろう。」
③‘εἰ μὴ τυγχάνοι τοῦ μέτρου-διὰ γὰρ ἀμφότερα ταῦτα στάσεων αἱ πολιτεῖαι πληροῦνται.’: ibid. 757A=「なぜなら、等しくないものに等しいものが無差別に与えられるならば、その結果は等しくなくなるだろうから。実際、この二つによって国内には争いが絶えない。」
いずれも、当り前のことを当たり前に述べたまでのことだろう。いい歳をして、何を寝言を並べているのか知らないが、41⇒【‘All men are created equal.’】というのは事実(ὅτι)でもなく、現実(τὸ γιγνόμενον)でもないというのが、いい歳をした大人の(ἐκτελής)「真っ当な分別」というものだ。‘All men are created equal.’というのは、単なる「そうあれかしと望む」(προαιρεῖσθαι)「規範的命題」(normative proposition)にすぎない。
気の利いた子供にでも分かりそうな理屈で、近代啓蒙主義の祖で『人間不平等起源論』(“Discours sur l’origine et les fondements de l’inégalité parmi les hommes”, 1755.)を書いたルソーでも、カ氏のような幻想(φάντασμα)は抱いていない。
事実(ὅτι=Tatsache)に基づいて「現実的に考える」(διανοεῖσθαι καὶ ἐνέργειαν)規準(κριτήριον)となる「事実判断」(Tatsacheurteil)は、価値判断(Werturteil=Beurteilung)の領域に属する規範的命題とは異なる。規範とはまさに「そうあれかし」であって、新約聖書のギリシア語(Κοινή)で 「アーメン」(ἀμήν)という。
カントの「定言命法」(kategorischer Imperativ)もそうした規範的命題の一種で、経験という事実からは、ただちに有意味な規範的な判断(ἡ ἐπιτάττουσαι ὑπόληψις)、つまり規範的命題は生まれない。それを冒すのを自然主義的誤謬(naturalistic fallacy)というが、カ氏には何のことかさっぱり分からないかもしれない。お頭が論理的にできていないからだ。
その意味で、‘All men are created equal.’とは、立法上の仮構(‘as if’=‘als ob’)に基づく要請(αἰτεησις)、つまり仮象(φαντασία)にすぎない。
人間の不平等(ἄνισος)について、近代になってそれを最も痛切に表明しているのは、ほかでもない近代的な統治原理に先鞭をつけたロックなど英国の経験論者やフランスのルソーらで、彼らは経験を重視する観点から、経験的に確認できる事実であった人間個々の不平等性について、つまり各々の身体的、精神的な資質や能力など、本人の属性とも言える諸特性について着目した結果、「平等」であることが事実によって「否定」されることを首肯せざるを得なかった。
最高法規(τέλεον νόμος)としての憲法(Verfassung)もまた規範的命題の最たるもので、そこに盛られているのは現実などではなく、達成目標としての理想、「プログラム」(ὑπογραφή)にすぎないことは言うまでもない。
「日本国憲法は日本の改造を目標としたイデオロギー的、プログラム的色彩のつよい憲法で…その目標は自由主義的かつ福祉国家的な法秩序の建設にある。この点で基本組織法的色彩の強い明治憲法と著しくその性格を異にする」。一方、それに対する「アカデミックな法律学者による憲法解説は、明治憲法の解説におけると同じように、分析的に、法実証主義的に、憲法を固定的なあるものとし、平面的な規範体系として描写し、よりプラグマチックな態度で…憲法を、動的なプロセスとして描写」していないと疑問を呈している(「世界的にみた日本国憲法の性格」、1960年1月『自由』)。
要するに、英米法の文脈で起草され構成された日本国憲法という、謂わば「英文テキスト」を、ドイツ文法で読み解く不作法(ἐπαριστερότης)を指摘しているわけだが、この期に及んで、42⇒【19世紀ドイツ国法学、という表現が気になり…】、43⇒【その頃のドイツの法律を未だに、「日本国憲法解釈の根拠」に…日本の「憲法学の病」】のような珍妙な議論は、ドイツ国法学とドイツの法律を完全に混同(ἁμαρτάνω)するがゆえの無駄話の典型だ。
蜘蛛の巣(τὰ ἀράχνια)が張ったお頭というのは、何とも奇怪な想念が渦巻いていて、カ氏の「ドイツ狂い」も病膏肓のようだ。[完]
例えば、米国は南北戦争をしたが、その頃の黒人は無条件に「奴隷」、白人は「主人」、であった。歴史の教訓にすべきとして、1924(大正13)年7月1日に施行された排日条項を含む「外 国移民制限法」が、日米戦争の引き金になっている、と楠山義太郎さんは指摘されているが、日本人も人種差別の影響を受けている。
米国はもともと移民の国なのである。日本人移民も20世紀に入り増加し、192 0(大正9)年までに約21万人にのぼり、その間の中国人移民約4万300 0人の5倍に達した。日本人移民たちは白人労働者の賃金の半分で人一倍熱心でていねいな仕事を した。その優秀な労働力が白人労働者を失業へと追い込み、反発とウラミを買 ったのである。その結果、 1922(大正11)年、米最高裁は日本人移民から出された帰化権について 「白人とアフリカ人以外に帰化権はない」との判決を下したのである、つまり、「主人にあたる白人」と「奴隷にあたる黒人」にあたらない優秀で手先が器用で、教会にも行かず、土日も働く仕事熱心な黄色人種の日本人は、門前払いされたのである。私は、楠山義太郎さんの応援もあって、はじめて1974年にアメリカに行った時、シアトルのワシントン大学の「アメリカ学」のセミナーを受けて、「理想と現実」の差、黒人と白人の学生の差を感じた。黒人は、確かに、あの頃から音楽やスポーツの世界では大活躍していたが、知的なキヤリアを築くことは、本当に大変だ、と実感した。だから、オバマ氏が大統領になられた時は、すごい、と思った。
その意味から考えると、貧しい白人の猛烈な支持を受けておられる現在のトランプ政権は、「中国」への対処の仕方といい、「移民」への取り組みといい、「核兵器」への取り組みといい、「アメリカ」人の建国以来積み上げてきた努力、歴史を、良識を逆方向に舵をきろうとしている、米国の政治指導者なのではないのだろうか?(参考:ジャーナリストから見た日米戦争 maesaka.sakura.ne.jp/bk/files/030715_comu.pdf )
それにしても、41⇒【コメント36の反氏の考え方、(奴隷と主人とではけっして友情が生まれないだろうし、下らない人間と優れた人間とが等しい評価を受ける場合も、やはり友情は生まれないだろう…なぜなら、等しくないものに等しいものが無差別に与えられるならば、その結果は等しくなくなるだろうから…この考え方が、ナチズムを生み出し、ホロコーストを生み出した】というのも、いかれた(μανήομαι)「ドイツ狂い」の「狭量な心」(σμικρολογία)に囚われた「無学な婆さん」であるカ氏らしい、見境のない、敵意(ἔχθρα)剥き出しの暴論だろう。
相手にするのも憚られる(αἰσχύνω)が、アリストテレスはもとより、プラトンなどまともに読んだことのない無学をこれ以上からかったり(καταγελάω)、愚弄(χλευάζειν)しても仕方ないし、丁寧な議論をすること自体については吝かではない(οὐδεὶς φθόνος)ので、少々補説する。
‘All men are created equal.’ということが、憲法にどう規定されようとも、単なる「そうあればいいと望む」(προαιρεῖσθαι)「規範的命題」(normative proposition)であり、この世の現実などではないことは、自明だろう。それを現実と取り違えることは、愚鈍を証明しているようなものだ。
程度の差こそあれ、それを知悉する(ἐπίσταμαι)ことが一人前の大人になる(ἔφηβος)ということであって、カ氏のように齢70近くにして、未だに大人になりきれない(ἄνηβος)御仁は、端的に幼稚(νήπιος)なのであって、単純(ἁπλοῦς)、でお目出度い(εὐήθεια)所以だ。要するに、「知慧が足りない」(ἀπορέω)のだ。
‘ταῦτα μὲν γάρ ἐστιν ὁ λεγόμενος γραῶν ὕθλος’(Theaetetus 653A)
‘ἡ μὲν αἵρεσις οὕτω γιγνομένη μέσον ἂν ἔχοι μοναρχικῆς καὶ δημοκρατικῆς πολιτείας, ἧς ἀεὶ δεῖ μεσεύειν τὴν πολιτείαν: δοῦλοι γὰρ ἂν καὶ δεσπόται οὐκ ἄν ποτε γένοιντο φίλοι, οὐδὲ ἐν ἴσαις τιμαῖς διαγορευόμενοι φαῦλοι καὶ σπουδαῖοι-τοῖς γὰρ ἀνίσοις τὰ ἴσα ἄνισα γίγνοιτ᾽ ἄν, εἰ μὴ τυγχάνοι τοῦ μέτρου-διὰ γὰρ ἀμφότερα ταῦτα στάσεων αἱ πολιτεῖαι πληροῦνται. παλαιὸς γὰρ λόγος ἀληθὴς ὤν, ὡς ἰσότης φιλότητα ἀπεργάζεται, μάλα μὲν ὀρθῶς εἴρηται καὶ ἐμμελῶς: ἥτις δ᾽ ἐστί ποτε ἰσότης ἡ τοῦτο αὐτὸ δυναμένη, διὰ τὸ μὴ σφόδρα σαφὴς εἶναι σφόδρα ἡμᾶς διαταράττει. δυοῖν γὰρ ἰσοτήτοιν οὔσαιν, ὁμωνύμοιν μέν, ἔργῳ δὲ εἰς πολλὰ σχεδὸν ἐναντίαιν, τὴν μὲν ἑτέραν εἰς τὰς τιμὰς πᾶσα πόλις ἱκανὴ παραγαγεῖν καὶ πᾶς νομοθέτης, τὴν μέτρῳ ἴσην καὶ σταθμῷ καὶ ἀριθμῷ, κλήρῳ ἀπευθύνων εἰς τὰς διανομὰς αὐτήν: τὴν δὲ ἀληθεστάτην καὶ ἀρίστην ἰσότητα οὐκέτι ῥᾴδιον παντὶ ἰδεῖν. Διὸς γὰρ δὴ κρίσις ἐστί, καὶ τοῖς ἀνθρώποις ἀεὶ σμικρὰ μὲν ἐπαρκεῖ, πᾶν δὲ ὅσον ἂν ἐπαρκέσῃ πόλεσιν ἢ καὶ ἰδιώταις, πάντ᾽ ἀγαθὰ ἀπεργάζεται:’ (to be continued)
「このような形での選挙は君主制と民主制の中間に当たりますが、国制はつねにこの両者の中間でなければならないのです。というのは、奴隷と主人とでは友情はけっして生まれないでしょうし、くだらない人間と優れた人間とが等しい評価を受ける場合も、やはり友情は生まれないでしょう。なぜなら、等しくないものに等しいものが無差別に与えられるならば、その結果は等しくなくなるでしょうから。じっさい、この二つ(独裁制における極端な不平等と民主制における無差別な平等=訳者註)によって国内は争いが絶えないのです。確かに『平等は友情を生む』という古い諺は真実であって、まったく正しく、適切に語られています。」(引用続く)
戦前、特に1930年以降は、日本人は「お国」、「天皇陛下」の為に生きなければならない、と強要され、「国」や「天皇陛下」の為に「戦争」に勝つこと、だけが日本人として生まれた者としての最大の任務で、他の考え方は許されなかった。戦後は、「国際協調」の精神で、外国と広く交流ができるようになり、文化を実地に知ることができるようになった。また、「国民の統合の象徴」である「天皇陛下」つまり、民衆の為に、生きることの大事さ、が歌われた結果、「思想の自由」も許されるようになった。
つまり、その名前を冠にした「自由民主党」の政治が優れていたから、今、私たちは豊かな生活ができているのである。ところが、その幸せが、冷戦時代を現実感をもって経験しなかった日本人にはわからないのである。その大切さを一番わかっているのが、分断国家であり、一部西側への旅行を許されなかったドイツ人なのである。
というのは、二種類の平等があって、それらは名前は同じですが、実際は多くの点でほとんど正反対のものだからです。一方の平等は、どんな国家、どんな立法者でも、栄誉を与える際にそれを容易に導入することができます。これは尺度、重量、数による平等で、分配に籤を用いることによって、それを適用することができます。しかし最も真実な、最もよき平等は、誰にでも容易に見分けられるというものではありません。なぜなら、それを判定する能力はゼウスのものであって、この能力が人間の助けになるのは、いつもわずかだからです。
しかし、国家なり個人なりにとって、それが助けになるかぎり、すべての善きものがそこから生みだされるのです。なぜなら、それは、より大きなものにはより多くを、より小さなものにはより少なくをと、双方にその本性に応じて適当なものを分け与え、とくに栄誉については、徳において大いなるものにはつねに大いなる栄誉を、徳と教養とにおいて反対のものにはそれにふさわしいものを、双方に比例的に分け与えるからです。
じっさい、政治というものも、わたしたちにとってはいつも、まさにこの正義のことなのです。いまもわたしたちは、クレイニアス、この正義を目指し、この平等に眼を向けて、現在誕生しつつある国家を建設しなければならないのです。
そしてもし誰かが、他の国家を建設することがあれば、この同じものを目標にして、立法すべきです。少数の、あるいは一人の僭主なり、あるいは民衆の支配なりをではなく、つねに正義を目指すべきであり、この正義とはいま述べられたもの、すなわち不平等なるものにそれぞれの本性に応じて与えられる平等のことです。」
しかし、それはまさにこの世の「現実」を直視したうえでの考察であって、彼の博愛精神と必ずしも矛盾しない。認識する(γνωρίζειν)ことが直ちにそれを是認する(στέργειν)ことを意味しないからだ。認識(γνῶσις)と行為(πρᾶξις)とは必ずしも一致せず、むしろ不都合な現実を変えていくためにこそ、冷厳な認識が必要になることは論をまたない。
「平等の権利」に基づく民主制についても、既にプラトンが主著『国家』(562B~565E)の中で、のちに「多数決のパラドックス」(παράδοξος διά πλῆθος δικάζειν)、さらにその前提となる「自由のパラドックス」(παράδοξος διά ἐλευθερία)とされるものと同様の原理的な洞察を提示している。
民主主義の自己矛盾(αὐτό ἀντίφασις)と言うべきもので、要するに、多数者(οἱ πολλοί)が単一もしくは少数の人間(οἱ ἐλάσσονες)に政治上の支配を委ねるということを、民主的な手続きで決定(δικάζειν, κρίνειν)すれば、多数決そのものによって独裁(μοναρχία)が正当化(ὀρθόω)される、という趣旨で、1933年のドイツであったヒトラーへの全権委任法の国会決議はその典型例だろう。
民主制を生み出した古代ギリシア人にとって、正義とは多くの場合抽象的な概念ではなく、「配分における正義」(τὸ διανεμητικὸν δίκαιον)を意味した。それを最も明確な形で示したのがアリストテレスだが、その師プラトンにもその萌芽がはっきりした形でみえる。
彼らの民主主義は、カ氏にはない、大人の分別なのである。[完]
例えば、「社会主義者」の主張に従えば、「弱者や貧者」により多く分配されるべきだ、となるが、「自由主義者」の主張に従えば、頑張った人に多くの分配がされるべきだ、となり、「賃金格差」、「生活格差」是認になる。極端な例が、アメリカ合衆国なのである。米国の貧富の差にも驚いたが、欧州の東側の人びとの生活を見た者、の実感としては、業績を度外視して、「分配」を同じにすると、いかに労働意欲がなくなり、国内経済が伸びないのか、よくわかった。そして、やはり、人間には本質的に、競争意識があるので、競争や刺激が必要だ、ということがよく認識できた。そういうことが、「机上の空理空論論者」、「イデオロギー絶対論者」にはわからないのではないのだろうか?
それに対して、ハンス・ケルゼンは、「議会制民主主義」肯定派である。「国家意思」が一つの党派利害の表現であるべきでないとすれば、可能な限りあらゆる党派利害が自己主張し、相互に競争することの保障が必要である。その結果、最終的には諸利害間の妥協となる。(p84-85)それを阻害している要因として、ケルゼンが指摘している点が興味深い、これは、議事妨害権である。戦後ずっと「日本社会党」によって、現在は、「立憲民主党」によって使われている作戦である。少数派が議会の仕組みを一時的に麻痺させることにより、その意に沿わない決定がなされることを困難にし、さらに不可能にするために濫用される可能性のある権利である。ただそれは、多数派と少数派の間の妥協をもたらそうとして遂行されることが少なくない、と容認もしている。
日本の法律を作り、予算を承認する「最高権力」はどこにあるのか、をよく理解し、主張することは主張し、妥協するところは妥協できる「国民の代表者」にふさわしい人は、だれなのか、ということを、マスコミの作り上げる「世論」に惑わされず、明日の「参議院選挙」ではよく考えなければならない、とつくづく思う。
(参考:政治的なものの概念、C シュミット、未来社、田中浩・原田武雄訳、
民主主義の本質と価値、ハンス。ケルゼン、岩波文庫、長尾龍一、上田俊太郎訳)
>朝日新聞は偏向している、ということはよくわかっているが、具体的にどのジャーナリストが偏向させているのか、わからない、というか、そこまでの関心ももっていなかったのである
松井やよりについて、もっとも本質をとらえている分析は、朝日新聞の同僚であった以下の記者によるものです。
「崩壊 朝日新聞」 長谷川熙 (著)
経済部だったので、社会部の毒からある程度はのがれていますが、社内でずっと疑問を持っていたようです。1970年代には公害問題に取り組んだ記者です。広岡知男、秦正流、森恭三、田中慎次郎などの朝日新聞社の幹部が左傾化路線の基礎をつくり、反対は許されなかったようです。岩波なんかも同じでしょう。
なお本多勝一などとは大きな違いがあります。松井やよりはマルクス主義への共感がさほどでないことです。その代わりにキリスト教の熱心な信者であったので、そのパイプも生かして海外に慰安婦騒動を広げました。
しかし、日本ではアデナウアーと同じく、戦前の日本を反省しながらも、共産主義の日本への侵入を強く警戒した吉田茂が、政治で主導権をもちながらも、言論界では圧倒的に少数者(οἱ ἐλάσσονες)とならざるを得なかった。
それが日本の悲劇であった。
この日独の違いを分析することこそが、極東や中国大陸の共産主義脅威と対峙しながらも、(ドイツと違って日本国民の真意でもないのに)言論界を共産主義者が席巻せざるをえなかった民主主義の自己矛盾(αὐτό ἀντίφασις)を解明することにつながるのである。
個人的には、20個くらいの要素を特定したが、そのなかの大きな要素は、メディアの違いであり、ドイツは占領軍により戦前メディアはほとんど廃止されたが、日本はほぼそのままで温存されたことである。この戦前メディアこそが、戦前の反動で逆方向に暴走し、国民や世論をミスリードしたのである。
まずユダヤ虐殺には、ヨーロッパの偏狭的キリスト教によるユダヤ人迫害が間接的には強い歴史的影響をおよぼしていたが、占領軍中枢である米国はキリスト教精神で建国された国だったので、その影響の検証は黙殺された。ドイツで健全なキリスト教精神が復活すればナチズムのような忌まわしい思潮は一掃されるだろうと考えたのである。(それに対して、日本ではマッカーサーが熱心にキリスト教布教にやってきたように、日本古来の天皇信仰や神道がファシズムの温床とされた)
ドイツの健全な自由主義者は、多くがキリスト教精神を基盤としていたので、それが温存されたことで自由主義の精神は深刻に破壊されなかった。(だが、そのため、逆にドイツの左派系学者は「米独の裏取引で本格的清算がなされず、ナチス関係者が戦後も温存されて体制に残った」と批判を行うのである)
まったく手を汚さず思想界に君臨した共産主義者の言う「過去の清算」というレッテルは、日本の思想界や言論界で陰湿なパージ(purge)を大量生産し、神による浄化のごとく見せかけた「粛清(säubern)」だった。それが真正の民主化につながる洗礼であると日本人はだまされたのである。
だがドイツ人はそうでなかった。
極左がリベラルであるかのように見せかける猿芝居の原点はこの辺だろう。そして、戦前は国粋主義だった右翼が戦後は左翼に転向し、右の全体主義から左の全体主義へ「スムースな移行」が行われた。ただし、左翼は政権をとらなかったので、言論やジャーナリズム、教育などで陰湿な全体主義的なマインドコントロールが行われた。
そして、実定法(Positivität=positives Recht)、即ち人の定めた法の正しさの判定基準(διαιρεῖν κριτήριον)となるべき客観的秩序が自然に内在するとするなら、その秩序(τάξις)、つまり自然法(jus naturale=Naturrecht)の認識は、われわれの主観とは独立に与えられているとするのがプラトン的観念だとすれば、それとは逆に人為的、相対的側面に注目するのがソフィスト的な感覚ということが、ケルゼンがカントに依拠して、究極的な価値の妥当性(Gültigkeit)を客観的に論証することは不可能だとする価値情緒説(the emotive theory of value)を採る価値相対主義者たる所以であることも説いた。
とりもなおさず、それは事実(ὅτι)から価値(ἀξία)を導出する(ἄγω)価値客観説の一種である自然主義を排斥するのはもとより、プラトンや伝統的自然法論(Naturrechtslehre)がそれに属する、自然法の認識は知的直観に基づくとする直観主義的思考に対する批判に通じる。
ラートブルフが影響を受けたのは、同じ新カント派でも、ケルゼンが属したマールブルク学派とは異なる西南ドイツ学派(バーデン学派)で、その代表者であるH. リッケルト、E. ラスクに加えM. ウェーバーの影響が大きい。
ケルゼンの『純粋法学』(Reine Rechtslehre, 1934)は、法は規範(Norm)であり、規範科学(normative Wissescfaft)としての法学は自然の因果論的説明を目指す一切の自然科学的から峻別された、自然とは異なる「意味」(Bedeutung)の領域の特殊な法則性を追求するというものであり、法と道徳とを素朴に結びつける自然法論に異を唱え、双方を厳格に区別したうえで実定法の評価を意識的に排斥するもので、自然科学とは異なる、「科学としての法学」(Rechtswissenschaft als Wissescfaft)を志向する。
その意味で反イデオロギー的であり、政治的、倫理的に「無色」であり、それ以前の法学が客観的法(objective Recht)と主観的法(subjektive Recht=所謂「権利」)の二元論を想定していたのに対して、主観的法を分析によって客観的法に還元(Reduktion)される。
法にとって一義的に重要なのは権利(Recht)ではなく義務(Pflicht)であるとする点に、カント的な思考の徹底とも残滓とも言える特徴が窺えるが、同時に権利主体としての人格を不要にする。
ラートブルフを含め、ケルゼンとウェーバーは事実と価値の峻別というカント的な方法二元論(分析哲学的には「自然主義的誤謬」を否定する立場)を徹底させる点では共通で、ウェーバーの価値情緒説的な見解の基本である、所謂「没価値性」(Wertfreiheit)のテーゼは、理論的な認識(Erkenntnis)と実践的な評価(Stellungnahme)との間にある異質性(Heterogenität)、換言すれば実践的命令の規範としての妥当性、他方で経験的事実認定の真理としての妥当性が、それぞれ絶対的に異質な問題平面に属するとの認識だったといえる。
ケルゼンもウェーバー同様、理論的認識と実践的評価との間の異質性の認識では一貫しており、マールブルク学派の創始者であるH. コーエンとのつながりもあって、法学の「科学としての学問」の存立条件を探ったもので、科学としての法学は、法をありのままに認識することを唯一の役目とすべきことを説く形で、法学独自の意味領域の確立を企図したのに外ならない。
ラートブルフが法的価値言明の主体の区分として、究極的価値を個人に置く個人主義(Individualismus)に加え、個体に置く超個人主義(Überindividualismus)、文化に求める超人格主義(Transpersonalismus)の法の公理論的手法を追求したのも、正義の問題を学問の領域外に置くケルゼン的形式主義に飽き足らなかったためだ。
その宮澤を師同様に敬仰した法哲学者の碧海純一は、事実判断にはカール・ポパーによる批判的合理主義、価値判断には論理実証主義をという形で、二つ異なる哲学的立場を論理実証主義的思考を追求しながら使い分け、批判的合理主義の折衷的受容も可能であるかのようにみられた。
しかし、井上氏は二つの立場は「棲み分け」を許さない原理的対立を孕んでおり、価値情緒説は検証主義的意味論を前提とし、価値判断は検証不能なるがゆえに認知的意味を欠き、「主観的感情の表出・惹起という非認知的意味しかもたない」と、その論理的亀裂を主張する。
しかも、批判的合理主義は検証主義的意味論を否定し、原理的に検証不能な自然科学の法則命題が認知的意味をもつのと同様、価値判断も何らかの客観的・共同主観的な妥当性を問い得る認知的意味をもつことから、価値情緒説とは両立し得ない。
碧海がラッセルと並んで敬仰したポパー自身も、「価値判断には真理値(真偽)とは異なるが、正・誤という客観的な妥当性査定値が帰属する」から、価値情緒説を含め価値相対主義一般を明示的に斥ける。ところが、ポパーのこの価値相対主義批判に対して、碧海は「『慇懃なる無視』(benign neglect)とでも言うべき態度をとった」ことに碧海哲学の亀裂がある、と。
価値相対主義はどこまでも二元論の緊張に堪えるのが本領とするなら、「八月革命説」という、一種の規範的命題に改憲正当化の法理を見出さざるを得なかったこと自体、宮澤が事実と価値との峻別を本領とする価値相対主義とは異質な矛盾を抱え込んでいるのを示唆する。
戦後のドイツは、戦前にナチズムの跳梁跋扈を許したことへの反省、つまりはその「反動」から、従来の大陸法的な実定法解釈を重視する法実証主義(Rechtspositivism)偏重への不信感が一挙に高まり、ケルゼンら新カント派流の形式主義、相対主義にも徹底した批判が向けられた結果、自然法論(Naturrechtslehre)が興隆して戦後の公法学の大きな潮流になる。裏を返せば、その点でC. シュミットの批判は正鵠を射ていたことになる。
そして、価値情緒(相対)説とは対立する価値客観説が浸透したことを思えば、日本の憲法学界がどこまでも、旧弊な実定法重視の戦前のドイツ国法学的伝統に解釈に軸足を置き続けることは、特殊日本的な現象であることは否めない。
ケルゼン自身、先行する思想家、特にデモクリトスやプラトン、ヘーゲルへの否定的な思想史的解釈、評価の点で、価値情緒説を厳しく批判したポパーの見解に驚くほど近いことは、碧海自身もいち早く指摘している。
碧海はかつて、学問の各領域間の境界線を絶対視する固定観念的見解を、分析哲学者の市井三郎に倣って、「知的モンロー主義」と揶揄したが、同じ法解釈とは言え、日本国憲法解釈におけるドイツ国法学の影響は、ケルゼンという過去の亡霊にひれ伏すに等しい。
西欧型民主主義の特質を教科書的に分類すれば、①多数決原理②複数政党制③政治権力に対する各種の抑制装置(三権分立、司法審査権、リコール制度など)が挙げられ、旧社会主義体制の民主集中制と際立った対照をなしている。
新カント派的価値相対主義、つまり究極の価値判断は絶対的には論証不可能という「消極的立場」からそれに取り組んで民主制の正当化を試みる注目すべき考察を示したのがケルゼンやラートブルフだ。
ラートブルフは「相対主義は、政治上、社会上の相異なる信念の真理内容が科学的に認識され得ぬこと、従って、これらの信念は等価として取り扱われるべき」としながら、「政治的平等は多数決の組織、即ち民主主義に帰着する。相対主義は民主国家を要求する」として民主制を擁護した(田中耕太郎訳『法哲学』)。
一方、ケルゼンは民主制は多数を獲得したすべての信念に対して、その内容や価値如何を問わず権力を寄託するもので、すべての政治上、社会上の意見の等価を前提にする、つまり相対主義の立場を採ることなしには徹底することができない、とするものだ(H. Kelsen, “Vom Wessen und Wert der Demokratie; Staatsform und Weltanschauung”, 1955)。
そこで強調されたのは、相対主義は如何なる見解にも寛容であるが、自らが絶対であると僭称する見解に対して寛容ではあり得ない、という民主制の自己矛盾で、その普遍的な寛容主義、形式主義の限界を露呈している。
いずれにしても、宮澤俊義や碧海の師で宮澤とノモス主権論争を演じた尾高朝雄ら、わが国でも多くの共鳴者を見出したことは、カ氏以外は周知の事実だろう。[完]
この「ベルリンの壁」の建設の経緯は、往来が自由であったベルリン市内の境界線を経由して東側から西側への人口流出が続き、東ドイツに深刻な影響を及ぼした。東ドイツは自国の体制を守るべく、1961年8月13日、突如として東ドイツによって、作られたものであって、そのころから、東西の政治、経済のシステムの優劣は、すでに、普通のドイツ人だけでなく、ヨーロッパの人にも明らかであったのである。だから、アデナウアー首相の後継者になったブラント首相は、社会民主党の党首、つまり、左翼であったにもかかわらず、「親米、反ソ」だったのである。
また、現在の日本の「韓国報道」についても、私はとても不思議に思う。命をかけて、川をわたって、中国に渡り、のちに韓国に渡っている北朝鮮出身者が多くいて、言葉も同じだから、韓国人は、北朝鮮の社会の様子が本来わかっているはずなのである。彼らは、北朝鮮のような政治、経済のシステムの国に住みたいのだろうか?本来、その体制になるのを恐れて、西ドイツが親米、親英仏、となったように、韓国は、親米、親日になるはずだのに、反日感情が強く、従軍慰安婦問題でも、徴用工問題でも、正論は日本にあるのに、日本が韓国に譲らないと、韓国人が、「反日、親北朝鮮になるかのような」報道する。なぜなのだろう?とにかく、日本のマスコミ報道は「現実」を報道するのではなくて、「イデオロギー」のバイアスがかかっている気がしてならない。
ソクラテスが「無知の知」を主張したように、神だけが知者 sophosであるとの立場から,知者でないがゆえに知 sophiaを愛求する有限的存在としての人間の本質を規定し、したがって philosophiaは,いわゆる賢者や知恵の本性が神と比すれば無にも等しいものであることを明らかに自覚することに始る、というソクラテスの見解をケルゼンも私も支持しているからである。その意味で、長谷部教授は、ソクラテスも、ケルゼンも支持されていないのではないか、という印象を私は受ける。
笑止(καταγέλαστος)なことに、基本的な知識(ἐπιστήμη)はもとより、興味(τὸ συμφέρον)も関心(προσήκειν)もない哲学(φιλοσοφία)について、何を勘違い(ἑτεροδοξία)しているのか知らないが、72⇒【philosophiaは…賢者や知恵の本性が神と比すれば無にも等しい…ことを…自覚することに始る、というソクラテスの見解をケルゼンも私も支持】のような法螺話(ἀλαζονεία)を、恥ずかしげもなく並べている。
またぞろ、ネット上の記事のコピペか何かなのだろうが、典型的な俗説で、もはや相手にするまでない、世に多い「ソクラテス文学」、つまりソクラテスが追求した厳密な知識などには皆目興味がない人士が、何やら教訓(ἡ διδασκαλία)めいたものを求めて撒き散らす処世訓(ἐπίγρμμα)と哲学とをはき違えて(πλημμελέω)いるのだろう。
それはともかく、ケルゼンはソクラテスやプラトンの紛れもない批判者で、紀元前5世紀にアテーナイを中心に活躍したソフィストによって、社会の自然からの解放、即ち旧弊な掟や諸制度がもっていた人為的、恣意的、相対的な側面を尖鋭な形でついて、その桎梏から人々を自由にした功績をソフィストに帰して、高く評価しているくらいだ。
ドイツを追われた後、米国で出版した労作『社会と自然』(H. Kelsen, “Society and Nature”, 1943)に詳しい。何も知らずに無駄口を叩く悪癖は改めたらよい。
‘ἀνδρεῖα καλεῖν, ἃ δι’ ἄνοιαν οὐδὲν δέδοικεν; ἀλλ’ οἶμαι τὸ ἄφοβον καὶ τὸ ἀνδρεῖον οὐ ταὐτόν ἐστιν.’(Laches 197D)
「妥協の大切さ」を説くケルゼンが、口先三寸で自分の説を正しい、と思い込ませる「詭弁家」を賛美するわけはない。要するに、ヒトラーも、彼の「専制政治」の法的裏付けを与えたカール・シュミットも「詭弁家」なのである。「自らが絶対であると僭称する見解に対して寛容ではあり得ない」と、それに猛然と対抗したのがハンス・ケルゼンなのである。「法律」と「イデオロギー」を混同してはいけない、と主張したのもケルゼンなのである。
それに猛然と、反論した、コンセンサス重視のケルゼンが、宮澤俊義教授の日本の「8月革命説」を本当に支持したのだろうか?彼の師、上杉慎吉教授が、あたかもイエリネック教授の論であるかのようにみせかけて、「絶対君主制」を日本に押し付けたように、権威づけのために、「ケルゼン」の名前を使ったのではないのだろうか?ケルゼンの考え方、法律をイデオロギーから切り離すべきだ、という考え方は、学問の研究を哲学から切り離すべきだ、と考えるゲーテに近いが、日本の知識人は、あまりにも、この西洋、特にドイツから輸入されたイデオロギーや哲学を重視した結果、日本国憲法9条解釈を含めて、「世界の現実からかけ離れた理論」が多すぎるのではないか、それに、日本のマスコミが追従するから、日本の世論がおかしくなってしまうのではないか、と私は考える。(参考:民主主義の本質と価値、ハンス・ケルゼン、岩波文庫)
ケルゼンの『純粋法学』(Reine Rechtslehre, 1934)の思想は、ナチズムの難を逃れて滞在していたスイス・ジュネーヴでまとめられたもので、彼の学説の第二次世界大戦前の総決算的内容を含んでいる。
それによると、法は社会現象であるが、社会と自然は異なるから、「法学」も自然科学になってしまわないように、法と自然を峻別を説く。
法は何より規範(Norm)、つまり「そうあるべきもの、対象」であり、規範科学(normative Wissescfaft)としての法学は、自然の因果論的説明を目指す一切の自然科学から峻別された、自然とは異なる「意味」(Bedeutung)の領域の特殊な法則性を追求する(第一章「法と自然」)。
ケルゼンが、法と道徳とを素朴に結びつける自然法論(Naturrechtslehre)に異を唱え、退けるのはそのためであり、双方を厳格に区別したうえで実定法(Positivität=positives Recht)の評価を意識的に排斥するもので、自然科学とは異なる意味での、厳密な(ἀκριβῶς)「科学としての法学」(Rechtswissenschaft als Wissescfaft)を志向する。
「科学としての法学」は法を「ありのまま」(ἀληθῆ)に認識することを唯一の任務とする、という意味で反イデオロギー的であり(第二章「法と道徳」)、法実証主義の立場からとらえられた法は、外的で強制的な秩序として、一種の特殊な「社会的技術」とされ、それ自体は政治的、倫理的に「無色」(ohne Farbe)である(第三章「法の概念と法規の理論」)。
法にとって一義的に重要なのは権利(Recht)ではなく義務(Pflicht)であるとする点に、カント的な思考の徹底とも残滓とも言える特徴が窺えるが、同時に権利主体としての人格を不要にする(第四章「法学の二元論とその克服」)。
そして、一つの法秩序は「根本規範」(Grundnorm)を頂点とした段階的構造をなし、個々の国内法秩序は統一性を維持しつつ並存し、さらに一層高次の国際法によって統一される(第五章「法秩序とその段階構造」)。このあたりは、如何にもカント主義者らしい見解が覗く。
法解釈は法の段階的創設の過程における、上位段階から下位段階への移行に随伴する精神活動とされ、上位規範の内容は下位規範定立作用を拘束するが絶対的なものではなく、謂わば枠組み(Rahmen)の意義をもつにとどまる(第六章「解釈」)。
法秩序の段階的構造の動的考察から、公法と私法という伝統的区別は相対化され(第七章「法創設の方法」)、さらに純粋法学の立場からは伝統的な法と国家の二元的対立は否定され、両者の同一性が強調される(第八章「法と国家」)。
伝統的な国家主権というドグマは、国際法と国内法との関係について国内法優位に導くが、それは国際法の否定に外ならず、国際法優位の構成を、単に矛盾を含まないという消極的意義にとどまらず、積極的に根拠づけようとする意図がみえる。
つまり、純粋法学は、国家概念を相対化して、一切の法の認識的統一を確立することによって、将来の世界政府にもつながる中央集権的世界秩序への道を開く、と(第九章「国家と国際法」)
その意義は、『純粋法学』が書かれた1934年という時代環境、ナチスの政権獲得で自由な学問が圧殺されたなかで、それに果敢に反論しようとした自由主義者の、時代と学界へのアンチテーゼであることにある。
「法律」と「イデオロギー」の混同を戒める立場はケルゼンに限らないが、それは、カントの定言命法(kategorischer Imperativ)が、事実と価値の峻別を説く理論的認識とは別に、因果律の支配する必然ではなく、人間的な自由の対象となる道徳や信仰の領域を確保するための要請(Postulat)から生まれたように、自然の因果論的説明を目指す一切の自然科学とは別の領域で、規範科学としての特殊な法則性を追求する法学独自のの領域を確保するためだったことに外ならず、それが正義(δικαιοσύνη)の問題を学問的検討の領域の外に置く行き過ぎた形式主義に行き着いたことで一種の袋小路に陥り、結局は時代への対抗重量にならなかった所以だ。
ドイツの戦後は、ケルゼンらの抵抗の意義を認めつつ、行き過ぎた法実証主義から自然法論に回帰したのもそのためだ。
最後に、ソクラテスはプラトンとともに民主主義の原理的否定者で、彼がそのために死に、重んじたアテーナイの法秩序(νόμιμος)とは、民主制などではない、父祖伝来の(πάτριος)祖法(νόμος)のことである。[完]
ヒトラーが政治家として産声をあげたミュンヘンやベルリンで活躍した法学者カール・シュミットとはバックグラウンドがまるで違うのである。また、戦後、西ドイツが「闘う民主主義」を標榜したが、それは、「如何なる見解にも寛容であるが、自らが絶対であると僭称する見解に対して寛容ではあり得ない。」という、ハンス・ケルゼンの思想そのものである。
プラトンは、政治家やジャーナリストの役割をしていた作家、詩人たちに、政治問題についてよく考えているか疑わしい、とするソクラテス(p128)の言葉から、考えを深めて、
「哲人政治」を主張したのだけれど、20-21世紀に生きる私の目から見て、マルクスも哲学者だったし、ゲッペルスも、ドイツで哲学の学位を取った哲学者であるが、彼らは民衆を幸せにしたのだろうか?悲惨にしただけではないのか、と考え、その結果として、ゲーテの叡智、「日々に自由と生活とを闘い取らねばならぬ者こそ、自由と生活を享くるに値する」という思想におちつき、自分たちが責任を取る、責任政治、民主政治が一番、だという考えに落ち着いたのである。今日の参議院選挙では、よく考えて、投票してくださいね。
それにしても肝腎なことは「何も知らない」(οὐδέν ἀγνοεῖν)「無学な婆さん」(ἀπαιδευτος γραῦς)であるカ氏の無知蒙昧(ἄγνοια καὶ ἀπαιδευσία)は凄まじい(δεινός)。
「大体において(ὠς ἐπί τὸ πολύ)、憤激(θυμός)の程度は、攻撃(者)の知性の程度(νοητός μέτριον)に反比例(ἡ ἐναντίος ἀναλογία)する」(M. Warnock; “Ethics since 1900”, 1960., p. 85.)ということの、生きた症例(παράδειγμα)だ。
それでも性懲りもなしに、未だにソクラテスの「無知の知」(‘οὐκ οἶδα, οὐδὲ οἴομαι’)などをもって回っている。「無知の知」を何か護符(μοῖρα)かまじないの呪文(ἐπῳδή)のように唱えているが、それは単に「知らないことを知っている」(‘οὐκ οἶδα, οὐδὲ οἴομαι’=Apologia Socratis 21D)ということにすぎない。
74⇒【「無知の知」を知るからであって、プラトンの国家論に出てくるソクラテスの語り】のような法螺話を並べているが、『ソクラテスの弁明』その他僅かに初中期の片々たる対話篇3作を読んだという程度の人間が、「プラトンの国家論」もないものだ。
74②⇒【「妥協の大切さ」を説くケルゼンが、口先三寸で自分の説を正しい、と思い込ませる「詭弁家」を賛美するわけはない】もとんだ勘違いで、ケルゼンが評価するのはソクラテスやプラトンでなく、法規範(νόμος)や制度(ἐπιτήδευμα)のもつ人為的、恣意的な性格、つまり相対性(τὰ πρός τι)を抉り出し、謂わば近代的とも言える合理的で明快な社会の解釈に先鞭をつけたのが、不当にも後世において「詭弁家」(σοφιστής)の悪名(διαβολή)を着せられたソフィストだということだ。
英米の分析哲学者やマックス・ウェーバーと同様、価値情緒説(the emotive theory of value)の信奉者であるケルゼンは、アテーナイの古風な父祖伝来の(πάτριος)祖法(νόμος)や法秩序(νόμιμος)を何より重視したソクラテスとは、その立脚点がが根本的に異なる。
ケルゼンはソフィストが、自然と社会を原理的に同質なものだと解釈する、素朴な一元論を打破するのに果たした役割を高く評価する。それは、「社会の自然からの解放」、つまり社会の古い「しきたり」(ἐπιτήδευμα)や掟(θέμις)、習わし(νόμος)など、伝統的な諸制度の根底に横たわる因習から自由だっだ、大半がアテーナイ市民ではなく外国人居留民(μήτοικος)乃至逗留者の外国人教師であるソフィストであり、「自然の社会からの解放」謂わば擬人的世界解釈、神学的道徳的宇宙論から脱却する因果律的世界観につなげる端緒となったのが、原子論者のデモクリトスであったからだ。
「無学ゆえの」(δι’ ἀπαιδευσίαν)一知半解は恥を曝すだけだから、少しは自省したらよい。
宮澤俊義がケルゼン主義者なのは、彼が価値情緒説に依拠する価値相対主義者だからだ。
75⇒【彼の師、上杉慎吉教授…】は、「美濃部達吉」の誤りだし、79も粗忽者の甚だしい勘違いの産物で、ケルゼンはドイツの大学に学んだ、ドイツ国法学の代表的な法学者だろう。オーストリア国籍はこの場合は関係ない。
これ以上書くと莫迦が移りそうだから、この辺で切り上げたい。
反氏は、私が嘘つき体質、となんども書かれる。「その嘘」をなんども読むと、読者は、そう錯覚する。コメントを書いたのは、その誤解を解くことと、ケルゼンの法学者としての偉大さ、学問に対する真摯な向き合い方を伝えたかったためである。
(参考:民主主義の本質と価値、H.ケルゼン、岩波文庫、長尾龍一、上田俊太郎訳)
莫迦が移りそう、というか、多少は伝染したようで、酔狂ついでに補説の補説。
莫迦莫迦しさを通り越して憐れを(ἐλεεινός)を催すというか、カ氏の誇大妄想(ὑπερβολή)というのも相当なものだ。
言うに事欠いて、恥を曝して愚にもつかない(φαῦλος)子供だまし(παιδῖκός)の「おままごと投稿」=「クズ」(φορυτός)製造に日々躍起になっている(προθυμέομαι)のは、暇つぶしではなく、80⇒【危惧からで…今の日本を含めた「国際政治」の政治風土が、ナチス的だから】だそうである。
ものは言いようで、どこにそんな危機があるのか、不可逆的な人口減少社会に突入して国際社会で埋没しかねない危機に現在の日本が立ち至っていることは事実で、それはそれで危機的状況だろうが、別に「ナチス的」だからではなかろう。
戦前に軍部が国政を壟断した時代があったが、それでも政権中枢を軍部が掌握していたわけでもなく、権力の多重構造は健在だった。丸山眞男ではないが、往時の日本型ファシズムは、とても「ナチス的」と呼べるほどのものではなく、あの「超国家主義」は一種の無責任体制だった。日本的な合意形成のシステムと天皇制の関係など厄介な議論を外せば、それが大日本帝国の國體=国制(πολιτεία)だった。
現在に至っては安倍内閣が在位史上最長を窺う形勢で、「独裁的」だという野党の批判はともかく、とても「ナチス的」とは言えない。
【「国際政治」の政治風土】というようなわけの分かったような分からないような言辞を振り回すが、‘Klima’のような中途半端な概念をもち出しても何の説明にもならない。トランプ政権だって、大統領の特異なギャラクターは措いて、とても「ナチス的」とは言えない。中国を警戒し批判的なのは野党の民主党も一緒だ。ナチス的ファシズムの要素はどこにもない。
カ氏は妄想癖が過ぎるようだ。生まれつきなのだろう。
トランプ政権の手法が、80②⇒【「ナチス」政権を生み出したカール・シュミット「敵・味方」理論そ、のものだから】というが、類比の論理によって(τῷ ἀνάλογον)語るには、あまりに実態が懸け離れているし、ナチス政権を生み出したというが、順序が逆だろう。
政治的概念(τὰ πολιτικά νόημα)の定立(θέσις)にあたって、敵味方の区別から出発するシュミットの論争的性格は際立っているが、それとても彼がおかれた時代状況と政治観、国家観の反映であって、それがシュミットの言うように、道徳上の善悪、美学における美醜、経済活動における得失の区別と同等の固有の属性か否かは別にして、その「敵」とは単なる私的な敵対者ではなく公的な目的追求の上で相対立している人間集団、つまり公的な敵対者であって、そのもっとも先鋭化した敵対者が交戦国となるわけであって、議論自体は筋が通っている(“Der Begriff des Politischen”, 1927)。
しかも、シュミットは19世紀型法治国家の形式主義的合法主義を批判し、政治的なもののの多元的対立の解消を、主権的権威者、即ち国家とその指導者の権威=権力的決断によって実現しようとする権力主義的国家観を展開したことで、謂わばナチス政権誕生の地ならしをしたといえなくもないが、一学者の政治理論で政治が動くほど、世の中は単純にはできていない。
シュミットが国際連盟の権威や仲裁による戦争廃止の試みに冷淡で、ヴェルサイユ=ワシントン体制を、強国の弱小国に対する帝国主義的野望の偽装にすぎないと批判したのも、的を射ている。
皆でお手手つないで簡単に仲良いくとはいかないのが国際社会で、プラトンが『国家』で展開した政治学的な国制分析は、民主制の問題点を剔抉しており、ゲーテなどお呼びでないことを物語っている。
正確な読解力という意味での読む方はともかく、話したり聞く能力は私より上かもしれない。私は下手の横好きで英仏独伊は一応読めて、専門のギリシア語とラテン語も不自由しないが、所謂語学の才能はないから、イタリア旅行の際前に、「難しいラテン語を読めるのに、(その俗語から出た)イタリア語を話せないなんて、信じられない」と、蔑みの眼で出立まで会話の勉強をするよう言いつけられたことがある。、H. ケルゼン、岩波文庫、
それはともかく、84⇒【ケルゼンの経歴も、同じ本の、訳者解説(岩波文庫版、長尾龍一、上田俊太郎訳『民主主義の本質と価値』=筆者註)から、書き写し…学生としてドイツで学問をしたことはない】などと言い訳する前に、英語版Wikipediaでさっさと調べればよさそうだが、怠惰だから、その気はないらしい。
貧弱な日本版と違って英語版Wikipediaの‘Hans Kelsen’はよほど充実していて、雲泥の差がある。その‘Biography’の[Kelsen and his years in Austria up to 1930]の項に次の記述がある。即ち、
‘In 1908 Kelsen won a research scholarship which allowed him to attend the University of Heidelberg for three consecutive semesters, where he studied with the distinguished jurist Georg Jellinek before returning to Vienna.’
つまり、彼は26~27歳の時期に、Heidelberg大学のGeorg Jellinekの下で3学期分、国際法のゼミに参加している。ケルゼンはイェリネクの名声を慕って同じ東方ユダヤ系(Ashkenazim)でウィーン大学の先輩でもある先達を訪ねたわけだ。それに先立って、ケルゼンはカトリックに改宗している(‘Kelsen’s conversion to Catholicism was contemporaneous to the book's completion in 1905.’)。23歳の時だ。
アデナウアーは著名なカトリック信者だ。
正確な読解力という意味での読む方はともかく、話したり聞く能力は私より上かもしれない。私は下手の横好きで英仏独伊は一応読めて、専門のギリシア語とラテン語も不自由しないが、所謂語学の才能はないから、イタリア旅行に出かける前に、妻に「難しいラテン語を読めるのに、(その俗語から出た)イタリア語を話せないなんて、信じられない‼」と、蔑みの眼で見られ、出立まで会話の勉強をするよう言いつけられたことがある。
それはともかく、84⇒【ケルゼンの経歴も、同じ本の、訳者解説(岩波文庫版、長尾龍一、上田俊太郎訳『民主主義の本質と価値』=筆者註)から、書き写し…学生としてドイツで学問をしたことはない】などと言い訳する前に、英語版Wikipediaでさっさと調べればよさそうだが、怠惰だから、その気はないらしい。
貧弱な日本版と違って英語版Wikipediaの‘Hans Kelsen’はよほど充実していて、雲泥の差がある。その‘Biography’の[Kelsen and his years in Austria up to 1930]の項に次の記述がある。即ち、
‘In 1908 Kelsen won a research scholarship which allowed him to attend the University of Heidelberg for three consecutive semesters, where he studied with the distinguished jurist Georg Jellinek before returning to Vienna.’
つまり、彼は26~27歳の時期に、Heidelberg大学のG. Jellinekの下で3学期分、国際法のゼミに参加している。ケルゼンはイェリネクの名声を慕って同じ東方ユダヤ系(Ashkenazim)でウィーン大学の先輩でもある先達を訪ねたわけだ。それに先立って、ケルゼンはカトリックに改宗している(‘Kelsen’s conversion to Catholicism was contemporaneous to the book's completion in 1905.’)。23歳の時だ。
アデナウアーは著名なカトリック信者で、ケルン大学の創設メンバーの一人だ。
Hitler hat stets damit gearbeitet, Vorurteile, Feindschaften und Haß zu schüren.
Die Bitte an die jungen Menschen lautet:
Lassen Sie sich nicht hineintreiben in Feindschaft und Haß
gegen andere Menschen,
gegen Russen oder Amerikaner,
gegen Juden oder Türken,
gegen Alternative oder Konservative,
gegen Schwarz oder Weiß.
Lernen Sie, miteinander zu leben, nicht gegeneinander.
Lassen Sie auch uns als demokratisch gewählte Politiker dies immer wieder beherzigen und ein Beispiel geben.
Ehren wir die Freiheit.
Arbeiten wir für den Frieden.
Halten wir uns an das Recht.
Dienen wir unseren inneren Maßstäben der Gerechtigkeit.
Schauen wir am heutigen 8. Mai, so gut wir es können, der Wahrheit ins Auge.
若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
ロシア人やアメリカ人、
ユダヤ人やトルコ人、
オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
黒人や白人
これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。
民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
自由を尊重しよう。
平和のために尽力しよう。
公正をよりどころにしよう。
正義については内面の規範に従おう。
今日五月八日に際し、能うかぎり真実を直視しようではありませんか
トランプ大統領も、ムンジェイン大統領も、むやみに、偏見と敵意と憎悪をかきたてておられるのではないのだろうか?オバマ大統領の頃は、ウィンーウィンの関係が重視されたが、今、中国に対しても、他の国に対しても、同じであるが、米国の利益になるように押し切ろうとされる。
ケルゼンのことは、確かに、確認が足りなかった、と反省している。反氏の指摘のおかげで、イエネリックを調べることができた。彼は1867年からウィーンで学びはじめ、教壇には立つのであるが、ユダヤ人であったために、カトリックに改宗しても、ウィーン大学の正教授になれず、オーストリアーハンガリーアカデミーから脱退して、ドイツのハイデルベルグの教授となり、1907年ハイデルベルグ大学で最初のユダヤ人の学長となるのである。ちょうどそのころ、ケルゼンも名声にひかれてウィーンから法学生としてやってきた。上杉慎吉が同じ法学生として留学した時期でもある。語学のハンデイ、文化のギャップ、優秀な学生、日本人の上杉慎吉は、さぞや大変だったと推察するし、その結果として、天皇を神のように崇拝するあのような「絶対君主制」論者になってしまわれたのではないか、と思う
戦前の日本の軍部が、自らの主導権を取るために、「統帥権の干犯」という概念を使って、「内閣」に政治の責任を負わせなかった、ことが一番の問題なのである。「文民」内閣に権力をもたせると、国際協調をはかり、「軍部」の思い通りにならない。軍人の例えば石原莞爾や哲学者の大川周明が考えていたことというのは、ナチスドイツと同じ、侵略戦争をして、武力で外国を制圧し、「大日本帝国の領土」を広げよう、ということだった。だから「世界最終戦争はアメリカと。」という考え方になるのである。違いは、ナチスドイツは、その演説で、その目的をはっきりさせたのに対して、日本の軍国主義者たちは、口では何も言わず、「政府」の不拡大方針とは逆の「戦争の拡大」を行動で示したのである。マスコミも「政府」ではなくて、「軍部」の味方についた。また、戦地が外国で、連戦連勝を重ねていた当時の日本人にとって、戦争は悲惨さと直結していなかった。ナチスドイツが敗戦の結果、多額の賠償金と領土を取られ、その悲惨な状況からの「救い主」を求めていたのとは違う。ナチスがドイツ国民の支持を得られたのは、「英仏の利権」ばかりにこだわった、「ヴェルサイユ条約」が極めて不公正なものであった、からに他ならない。
立憲政治は責任政治である。・・いわゆる統帥権の名によって、政府はその権力を麻痺され、軍部のわずかな力だけで内閣が倒された。例えば、満州事変以降終戦に至るまでにおいて、日本政府はことごとく軍部の手によって倒れたといっても過言でない。このため、政治、外交、経済の各部門に渡り軍部の支配力が絶対の地位を占め、軍人でなければ人でないというような観念を表すようになった。もとより、明治憲法は必然的にこのような欠点をもつものではない。
つまり、これは、「日本国憲法9条」と同じ、「明治憲法」の解釈の問題なのである。日本国憲法と同じ、作った人の意図とは違った解釈がなされた結果、日本は悲惨な歴史を作りあげたのである。
本来、優れた国際法学者であり、外交官として現実の「国際情勢」を知り、このGHQ草案修正の実質的な改正の責任者である「芦田均」さんが昭和21年に書かれた「新憲法解釈」を葬り去りところに一番の問題があるのである。
その結果、「日本の平和と繁栄を守ってくれる」日本国憲法9条の「憲法改正」などとんでもない、という日本国民によって、今回の参議院の改憲勢力は3分の2を割ったが、「反安倍」の大合唱のこの世論の仕掛け人たちは、日本をどの方向に進ませるつもりなのだろう。
それにしても、自らの「極楽とんぼぶりを棚に上げて、丸山眞男の日本型ファシズム分析が、現実を認識していないというのも、ご大層な物言いで畏れ入るというか、その身の程知らずな驕慢さに呆れる。
まず、1914年3月22日生まれだから、終戦当時31歳だった大正世代の丸山が、「当時まだ学生だった」から「現実」(τὸ γιγνόμενον)を洞察(γνώμη)する能力や資質がなかったとは言えまい。
東京帝大法学部政治学科に入学するのが2.26事件の二年前の1934年で、37年の卒業と同時に法学部助手として研究者のキャリアーをスタートさせている。40年には助教授になり、二年後の42年には政治学政治思想史第三講座(東洋政治思想史)を担当する。戦時中は研究者として過ごしたわけで、「当時まだ学生だった」わけではない。
人は20代も後半になれば、それなりに真っ当な分別も生まれ、古来、「三十而立」(『論語』為政第二)というように、学問同様、人生の基礎が確立されている。齢70近くにして「七十而從心所欲、不踰矩」という域に達しない甘ちゃんのカ氏がいうことでもなかろう。
日本型ファシズムを分析した丸山の一連の論文の劈頭を飾る「超国家主義の論理と心理」が論壇誌『世界』の巻頭を飾るのは終戦翌年の1946年5月号で、このころには「思想の科学研究会」や、清水幾太郎らの二十世紀研究所に参加しており、新進気鋭の研究者として注目されてもいた。
もっとも、丸山自身、こうした政治評論に属する現代政治の分析や評論の仕事を、「夜店」と称して、専門の江戸期の儒教思想の研究者としての実績を「本店」と区別していたように周囲を韜晦するポーズをとっていたが、この「ヘーゲルとC. シュミットのhybrid」とも言うべき一種のドイツ理想主義哲学的でロマン主義的政治評論である論考は、それが「ある意図」から執筆を慫慂され、丸山の経歴からは異例の巻頭論文として掲載された事情を考えると、「本店」の仕事を提供する『國家学会雑誌』への発表を意図したものではなかったように、まさに時代、謂わば時代精神(Zeitgeist)が生み出したもので、極論を厭わぬならその限りでも特異な意味があることは争えない。
父親の丸山幹二が元ジャーナリスト(「大阪朝日」。母のセイは雑誌『日本及日本人』を発行する政教社社主)で自由主義者だったから、極端な遅筆の割には一気に書き上げたと言われるのも、時代を読み解く才能は瞠目すべきものがあったのだろう。
もっともそのヘーゲル解釈は素人水準で、本店の仕事に属する丸山の学位論文で代表作の『日本政治思想史研究』について、加藤尚武が評したように(「訣別―丸山真男論(進歩主義への葬送)」、『進歩の思想・成熟の思想 21世紀前夜の哲学』所収)、救い難い知的スノビズムと、旧制高校レベルの通俗的理解で哲学的概念を本来の含意や歴史的文脈を無視して論理構成に不用意に使用し、修辞的にも拘泥するという凡そ学者本来の姿からほど遠いお粗末さを抉り出していている。
加藤はヘーゲル哲学の専門家らしい仮借なき、ほとんど絶滅させるに等しい批判を加えている。
以前にも本欄で紹介したが(2018年8月9日・5)、初出の雑誌連載時、新聞紙上(論壇時評)で取り上げた故西部邁をして、「この論文により、丸山の権威は地に叩きつけられた感がする」と評したほどの衝撃的内容だ。
私自身は丸山の戦後に寄せた希望(ἐλπίς)、トロツキー紛いの「永久革命」への熾烈な希求を垣間みせられても何の感興も湧かないし、例の人口に膾炙した啖呵「私自身の選択についていうならば、大日本帝国の『実在』よりも戦後民主主義の『虚妄』の方に賭ける」(『現代政治の思想と行動』「増補版への後記」585頁)というはったりも、60年安保騒動でみせた書斎人らしい行動も、周囲から祭り上げられた末の軽挙妄動ぐらいにしか思えない。むろん、丸山自身は醒めていたようだが、「人間自然の性情」(ἡ φύσις ἀνθρώπων)というものは、丸山にあってもそういうものだ。
「理性的なものこそ現実的であり、現実的なものこそ理性的である」(‘Was vernünftig ist, das ist wirklich;und was wirklich ist, das ist vernünftig.’)と説いたヘーゲルが精力的な政論家の側面を併せもつのに比べ、ヘーゲリアン丸山の方は幾分頼りない面はあるが、「戦争と戦争直後の精神的空気を直接に経験していない世代の増加」に警戒して、「過去の忘却の上に生い立つ、戦後思想史の神話化」(同584頁)に警鐘を鳴らしているのは首肯に値する発言で、政治的立場の相違を超えて共有されるべきだろう。
われわれが真に問題とし、肝に銘じるべきは、丸山のそれはそれとして正確な戦前の分析が、戦後の日本と国際政治の現実を全体として受け止める気魂を欠いていることで、それこそが現実と願望(βούλησις)、つまり待望すること(τὸ προαιρεῖσθαι)とを混同する愚昧というものだろう。
東ドイツ政府が消滅したことによって、マルクス主義の欠陥もよくわかったはずだし、それを生み出したヘーゲル左派の考え方にも「問題がある」、ということが、本来わからなければならないのである。また、ニーチェの「キリスト教ルサンチマン」説にしろ、ライプチヒのプロテスタント教会が「東ドイツ政権を倒す大きな役割」を果たしたのだから、誤りである、と言えるのではないのだろうか?
また、カール・シュミットは、丸山真男さんが1946年に「超国家主義の論理と心理」を書かれた時は、日本の専門家にとって著名なドイツ法学者だったかもしれないが、現実のシュミットは違う。
1945年4月26日にアメリカ人に捉えられ、1946年10月10日までベルリンの様々な拘置所に収容され、またその半年後、もう一度逮捕され、ニュールンベルグに移送され、ニュールンベルグの裁判の為に1947年3月29日から5月13日まで独房に留置された。
それでも、シュミットの「反ユダヤ主義」に変わりはなかった。
Auch nach 1945 wich Schmitt nicht von seinem Antisemitismus ab. Als Beweis hierfür gilt ein Eintrag in sein Glossarium vom 25. September 1947, in dem er den „assimilierten Juden“ als den „wahren Feind“ bezeichnete: „Denn Juden bleiben immer Juden. Während der Kommunist sich bessern und ändern kann.
1945年以降も、シュミットは反ユダヤ主義を捨てなかった。その証拠として、ここに1947年9月25日に書かれた断片がある。そこに彼は、「同化した」ユダヤ人が本当の敵であるとしている。というのも、ユダヤ人は、ずっとユダヤ人のままであるが、共産主義者は、改心させ、改善することができるから、だそうである。彼は本物の「人種差別主義者」なのである。「敵味方理論」を含めて、このような「人間」に対しての、歪んだ感性をもつ人物の理論を「正当な」ものとして取り上げた、「超国家主義の論理と心理」が信頼と尊敬に値するまともな理論なのだろうか?
(参考:Carl Schmitt ウィキペデイア ドイツ語版https://de.wikipedia.org/wiki/Carl_Schmitt#Nach_1945 )
そうではなくて、E・フロムが説くように我々が歴史や、現実を、できるだけ、客観的に、理性的に把握し、ヴァイツゼッカー演説にあるように、so gut wir es können, der Wahrheit ins Auge能う限り真実を直視する努力をしなければならないのである。「反ユダヤ主義」しろ、「鬼畜米英」の「反英米主義」にしろ、理性や客観性ではなくて、マスコミの作り上げる世論、虚妄、「感情」につき動かされた「結果」であり、それが「戦争」や「大虐殺」に導いている。戦後まで、「反ユダヤ主義」を持ち続けたカール・シュミットのそれは、具体的に言えば、「同化」したユダヤ人、「アデナウアー首相」に認められた」法学者「ハンス・ケルゼン」への反感なのである。
現在国際社会は、平和ではない。紛争も特に中東やアフリカで起こっている。隣国北朝鮮が核兵器を開発している。米中が緊張している。それが、国際社会の現実である。「平和ボケの日本人」も、そろそろ「夢」から覚めて、「国際社会の現実」を直視し、真剣に、理性的に客観的に「ケルゼン的な意味」の「民主的」な手法で、「日本国憲法9条」問題、「日本の安全保障」、「集団的自衛権問題」を考えなければいけないのではないのだろうか?(参考:憲法学の病、篠田英朗、新潮新書、p228)。
現実に、ホルムズ海峡問題や、朝鮮半島問題があるのだから、「日本国憲法9条改正」問題を、参議院選挙の争点にすべきだったのである。強力な「反対論者」が野党にいるのだから、議論も盛り上がり、議論も深められたはずなのである。国民も各党のその論戦をきいて、「9条改正問題」を考えたはずなのである。
ところが、「9条を改正すると、日本は戦争に巻き込まれる」という幻想をもつマスコミの人びとは、世論調査の結果をもとに、「憲法問題に、特に、日本国憲法9条改正問題に、日本国民は関心をもっていないし、与党公明党の議員も賛成もしていない。」から、争点にはならない、というムードを作り上げて、「争点」からはずす工作をしたのである。「憲法学者」に負けず劣らず、マスコミの「政治部記者」も「国際政治の現実をみない」という病にかかっておられるのではないのだろうか。
時々刻々と変わるその時々の状況(διάθεσις)に合わせて、というか翻弄されてものを考えることは、真に(ἀληθῶς)「現実的に考える」(διανοεῖσθαι κατὰ ἐνέργειαν)ということにはならない。
「現実」(τὸ γιγνόμενον)とは、事態が常に生成変化(μεταβάλλειν)のただなかにある、つまり生成変化して止まるところなき「現にあるもの」(παρὸν πάθος)としての「現在」(παρουσία)、つまり変化し(ἀλλοιοῦσθαι)、新たな事態や状況(διάθεσις)が生まれる(γίγνεσθαι)変幻(ἀλλοίωσις)極まりないものなのである。
常に固定化を拒み(ἀνανεύειν)止まることなく移ろい(φορά)、変化し(ἀλλοιοῦσθαι)、消滅しては(φθείρεσθαι)は、新たなものに変わっていく。ある時、まさにそれこそが「現実」だと思って捕捉、把握する(καταλαμβάνω)ものが、次の瞬間には別のものに変化してしまうのが、所謂「現にあるもの」としての現在であり、通俗的に多くの人々を支配している「現実」なるものの観念(ἑπίνοια)なのである。
そうした仮象(φαντασία)に欺かれないためには、人は現実の観念を脱却して、現実を生み出す(γίγνεσθαι)、謂わば現実を構成する現実の構造(ἔργον γιγνόμενον)を見極めなくてはならない。
リアリズムとは現実に迎合する(κολακεύω)ことではなく、現実との距離(διάστημα)を保ち、不断に生成変化する「現にあるもの」としての「現在」に執着することでそれを現実と取り違え(ἁμαρτάνω)、そのままものごとの真相(ἀληθῆ)や真実(τὸ ἀληθές)と取り違える愚を避けることだ。
なぜなら、「愚鈍」とは現実と希望(ἐλπίς)や願望(βούλησις)、待望すること(τὸ προαιρεῖσθαι)とを混同する(μίγνυσθαι)、つまりはき違える(πλημμελέω)ことが原因だからだ。
現実は経験によって出会い、発見する(εὑρίκειν)ものではない。それは、構成されたもの(τὸ σύνθετον)だ。そうした事態に目を塞ぐ(ἀμελέω)ことを無思慮(ἀφροσύνη)とか、盲目(τυφλός)という。
ヘーゲルの説く、「理性的なものこそ現実的であり、現実的なものこそ理性的である」もそうした位相から考えると際めて示唆的なテーゼだ。そこにいう現実的とか、現実的なもの(‘wirklich, was wirklich’)とは、単なる偶然の結果ではなくそう成る(γίγνεσθαι)べくして生まれた、即ち必然的な現実の構造、つまり現実態(エネルゲイア[ἐνέργεία]、ドイツ語の[Wilklichkeit])としての現実のことである。
従って、現実的にものごとを考えるということは、そうした必然(ἀνάγκη)に従って、「他でもあり得るもの」(τὸ ἐνδεχόμενον ἄλλως ἔχειν)と、「他ではあり得ないもの」(τὸ οὐκ ἐνδεχόμενον ἄλλως ἔχειν)との間でその真偽と軽重とを見極めることに外ならない。
「超国家主義の論理と心理」と同じ1946年に上梓された芦田均の『新憲法解釈』のような軽佻浮薄なパンフレットは、滅びるままに任せたらよい。[完]
日本国憲法9条の解釈も同じである。芦田均さんは、外交官として、革命前のロシア、におられた。ということは、ロシア、ソ連の現実が、ボルシェビキやメンシェビキの現実が、本での知識しかない丸山真男さんよりはるかに、わかっておられたのではないのだろうか。百聞は一見に如かず、である。大事なことは、ドイツのメルケル首相がアメリカのハーバード大学で述べられたように、「真実と嘘を取り違えないこと」だと考える。
これは、 Spiegel誌に載った、歴史家John Roehl氏のものである。https://www.spiegel.de/plus/wilhelm-ii-und-der-erste-weltkrieg-seine-schuld-ist-viel-groesser-als-gemeinhin-unterstellt-wird-a-00000000-0002-0001-0000-000029968612
S: Wilhelm ware bis 1914 ein gewöhlicher Antisemitist. Wurde sein Judenhass während des Krieges schärfer
R: Ich glaube, die Niederlage und seine erzwungene Abdankung ließen ihn zu einem wirklich eliminatorischen Antisemiten werden. 1919 bezeichenete er die Juden als „Giftpilz am deutschen Eichbaum“, der ausgerottet und vom deutschen Boden vertilgt werden müsse. Und 1927 ließ er bei Frity Haber, dem Erfinder des Giftgases, anfragen, ob es möglich sei, ganze Großstädte zu vergasen.Aus dem gleichen Monat stammt dieses schreckliche Zitat, in dem er die Presse, Juden und Mücken als „ Pest“ befreien müsse. Er notierte handschriflich dazu, „Ich glaube , das Beste wäre
Gas“
Roel: 戦争の敗北と強制的な退位が、彼を本物の「反ユダヤ絶滅主義者」に変貌させたのです。1919年彼は、ユダヤ人をドイツのオークの土壌の毒キノコ、つまり、絶滅させ、ドイツの地から絶滅させなければならない民族と名付けています。1927年、毒ガス発明家のF.ヒーバーに、大都市全部を毒ガスで殺害することが可能か、を尋ね、同じ月に、こんな恐ろしい表現を新聞紙上に発表しています。「“ペスト”の元になるユダヤ人と蚊から解放されなければならない。」彼は、さらに、手書きでその文章に付け加えています、「私は、最上方法は、毒ガスだと思う。」。
つまり、ユダヤ人知性派が多く参加した「ドイツ革命」によって退位させられたヴィルヘルム2世のユダヤ人への憎しみは日に日に高まり、彼の支持者、「保守派」のユダヤ人への不信感、も高まったのではないのだろうか。「ドイツ革命」によって成立したワイマール共和国は、ヴェルサイユ条約によって、戦争の全責任を押し付けられ、国土を減らされ、その上、莫大な賠償金を支払うために、ドイツ「国民」に悲惨な生活を強いた。そこに、ヒトラーの付け入るスキが生まれ、反金融資本主義、反社会主義、「反ユダヤ主義」の流れになったのではないのだろうか?
「歴史」を「政治」をうごかすのは、情念であり、感情である。つくづく人間の怨念、憎しみ、は怖い、と思うと共に、民衆が、客観的に、理性的になってはじめて、「平和」を構築できるのだ、と感じ、「国際協調」の必要性を痛感させられる。
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