先日、「日韓併合を憲法学者は、どう説明しているのか」という文章を書いた。http://agora-web.jp/archives/2041187.html わかりにくかったかもしれないので、少し補っておきたい。以下は、私が書いたことの要約である。
かつての憲法学に日韓併合の法的効果を否定する議論はなかった。ところが現在では韓国政府だけでなく、日本の「知識人」たちも法的効果を否定している。そこで現代の憲法学者が、どう捉えているのかが気になる。しかし、それは不明である。
しかし、不明では困る。曖昧になっているから、「日本の韓国に対する戦争責任」などという頓珍漢な言説まで広まる社会現象も起こってしまうのではないか。http://agora-web.jp/archives/2041157.html https://www.sankei.com/politics/news/190823/plt1908230033-n1.html
大日本帝国の法制度については、私自身、いずれもう少し勉強したいと思い始めている。ただ今現在は、『憲法学の病』を公刊した後で、本当の専門分野(国際政治/平和構築)の仕事に時間をあてているところだ。そこで、まずは専門の近い憲法学者を含めた「知識人」同士で、議論を進めておいてほしいと思っている。
石川健治・東大法学部教授の論文から引用しよう。
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かつての大日本帝国は、複数の異「民族」によって構成された多民族帝国であり、今風にいえば、複数の異「法域」をかかえ込んだ「一国多制度」の国制であった。
(石川健治「憲法のなかの「外国」」早稲田大学比較法研究所叢書41『日本法の中の外国法
基本法の比較法的考察』所収[2014年])⒔頁http://www.waseda.jp/folaw/icl/assets/uploads/2014/10/A79233322-00-0410013.pdf#search=%27%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%81%A5%E6%B2%BB+%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E5%A4%96%E5%9B%BD%27
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一元的な「帝国」の中に、異なる法制度を持つ地域があった、と言うのは、まあ、わかる。一つの大日本帝国の中に、地域ごとに異なる法制度の部分もあった。
ところが、この論文で石川教授は、「帝国憲法が及ばないという意味で、『外地』は永らく<憲法のなかの「外国」>とも呼ぶべき『法域』だった」、とも書いている。これは修辞的な表現なので、混乱する。
大日本帝国憲法が適用されないのであれば、「憲法のなか」などではない。「外国」だ。逆に、憲法が適用されるのであれば、それは「外国」ではない。
「多民族帝国」の国制は、異なる複数の法域を抱えた法制度であった、というのであればまあわかる。憲法が適用されても、地域ごとの特別法は存在する。だがそれは、「憲法のなかの外国」などといった修辞的表現で言い換えたりする話にはつながらない。
現代の「知識人」たちに気を遣っているのだろうか。混乱する。
石川教授の師匠の師匠であり、戦後憲法学のスタンダード基本書の一つを提供し、改憲に反対する社会運動でも「護憲派」の旗手として行動した清宮四郎の戦中の著作に、『外地法序説』(1944年)というものがある。それに先立って清宮が1940年に発表していた「帝国憲法の外地適用」という論文は、『憲法の理論』(1969年)に収められている。
清宮によれば、「帝国憲法の外地適用とは、帝国憲法が何らかの仕方において、外地といわれる地域に通用することを意味する」(131頁)。「全面的適用説」を唱える佐々木惣一・京都帝大大学教授に反して、清宮は、美濃部達吉・東京帝大教授、宮沢俊義・東京帝大教授らと同じく、「一部適用説」を主張する。それは、憲法の外地での適用のされ方には、様々な法制度にもとづいた様々な形態がある、という意味である。「朝鮮・台湾及び樺太の如きもの」=「狭義の領土たる外地」に適用されても、「関東州及び南洋群島の如きもの」=「狭義の領土たらざる外地」には適用されない帝国憲法規範もある(152頁)。朝鮮半島は、全面適用地域である。
それぞれの外地ごとの憲法適用の違いは、「天皇の裁断」によって決まる。なぜなら「外地領地は内地領地と相合して帝国の綜体領域を形成し、外地領民と内地領民とは相合して帝国の綜体領民を形成し、いずれも、帝国に所属し、帝国における統治権に服する」からである。「外地に対する統治権と内地に対する統治権とは、ともに、帝国における統治権として、究極において、或る一点に帰一し、統一され、一元化されていなければならない」。「国家において、何人が統治の主体であり、統治権の総攬者であり、最高の統治者であるか、に関する規範は、統治の本源に関し、統治の根本のまた根本に関する規則である。これを基本的統治法たる憲法と名づけて置く。」(152-154頁)。
清宮によれば、「外地」の全てに、天皇の「統治権」が及んでいる。だから、憲法の適用の仕方も「天皇の裁断」次第で決まるのであった。<=朝鮮半島には、「天皇の裁断」によって、帝国憲法が完全に適用された。>
ところが石川教授は、「『外地』は永らく<憲法のなかの「外国」>とも呼ぶべき『法域』だった」といった謎めいたレトリックを駆使する。清宮四郎は、そんなことは言わなかった。むしろ清宮は、「外地は、いうまでもなく、外国ではない」、と断言していた(152頁)。だからこそ清宮は、「基本的統治法たる憲法は、必ず、内地・外地に共通に通用し、一元的でなければならない」と力説した(153頁)。
清宮研究に造詣の深い石川教授は、「大日本帝国は、複数の異『民族』によって構成された多民族帝国」だったと言いながら、なぜ「『外地』は永らく<憲法のなかの「外国」>とも呼ぶべき『法域』だった」、などといったオリジナルなレトリックも使うのだろうか。石川教授のオリジナルなレトリックのほうは、根拠が不明である。石川教授自身の説明が必要だと思われるのだが、見つからない。
だから私は、現代の憲法学において日韓併合は何だったのかが、「不明である」、と書かざるを得ないのである。
そこでまた同じ文章で、今回も結んでおかなければならない。
日韓関係の緊張関係にともなって「歴史認識」問題が深刻な外交問題にまで発展している。日本の憲法学者のきちんとした見解の表明が待たれる。
https://www.amazon.co.jp/憲法学の病-新潮新書-篠田-英朗/dp/4106108224/ref=as_li_ss_tl?_encoding=UTF8&pd_rd_i=4106108224&pd_rd_r=e52baea4-9be2-11e9-8924-833d5d723e91&pd_rd_w=me2vR&pd_rd_wg=ww7Ii&pf_rd_p=ad2ea29d-ea11-483c-9db2-6b5875bb9b73&pf_rd_r=9W7YKT9T9T0MXGXN29S7&psc=1&refRID=9W7YKT9T9T0MXGXN29S7&linkCode=sl1&tag=gendai_biz-22&linkId=d150abdf96ba32cef0709356c4c0824c&language=ja_JP
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こうしたポピュリズムのなかで、韓国人は「韓国主導で朝鮮半島を平和統一して北朝鮮に対して実質的勝利を」と「日本とは、国際社会に訴えて歴史戦の勝利を」という2つの勝利を切望している。このうち、日本にとって前者は、深刻な北朝鮮の安全保障の脅威がなくなるため歓迎すべきである。後者であるが、ここまで日韓関係がこじれたのは、(リベラルに見せかけて本質は質の悪い左翼でしかない)朝日新聞や岩波書店などの背後にいた職業的知識人たちであるから、日本国民や日本の政治家がこれら職業的知識人を相手にせず、自国のプライドは自分たちで守るという意識を持てば、左翼のプロパガンダにやられることも韓国のいいなりになることも今後ない。単純なことだ。
しかし、戦後ドイツ(もちろん西ドイツ)の学者は、いくら過去を蒸し返しても、実際の政治や社会に深刻な混乱をもたらさなかった。真実の追及より政治的成果を切望したりしなかった。それは、政治の力で、共産主義者という、いわゆる(リベラルに見せかけた)ただの左翼の陰謀をおさえこんでいたからだ。このため、外交を混乱させられなかったのである。
篠田氏の初期の言論では、国際関係論などが岩波書店の書籍に掲載されていたと記憶するが、現在はほとんど岩波など左翼系出版社からお呼びがかからないであろう。これが日本の病巣である。米英のリベラル系なら活発に議論の土俵にのせて議論する。もちろん、岩波書店や朝日新聞はむちゃくちゃなことをやってきた過去があるので、その資格も度胸もないことは自分たちが内心知っている。
これも噴飯物であり、実態は強烈な全体主義体制と強制収容所で民族対立をうわべだけ抑え込んでいただけであるが、共産主義イデオロギーに毒された日本の言論界では信じる人が多かった。その燃えカスみたいなものは、文章の一部だけ読んでもすぐわかる。まったく人騒がせな話である。
90年代以降にネットで多くの憲法論議を見たり参加してきたが、90年代から、「日本憲法は今のままで常識的範囲で集団的自衛権も行使できる」と芦田修正を前提に述べている人がいたが、当時の自分にはあまり理解できなかった。篠田氏の丁寧な解説を今まで読んで、「ああ、あの人はこういうことを言いたかったのか」と一応納得できるようにはなった。
法律とは、あくまで法治国家を認め、ある程度の常識をもつ集団のなかでしか通用しないものだろう。今の韓国のような法律の外の、いわば場外乱闘みたいな活用は法律の範囲を超えており、単なるイデオロギーに思える。
石川教授は、youtube立憲主義と9条③ 私的領域を守る立憲のシステム、の中で、あたかも日本国憲法9条が、私的領域を守るかのような主張をされている。そして、日本国憲法9条は、軍事的権力を否定する為の条文で、改憲をすると、政治的権力の軍事的権力に対する優位性がなくなってしまう、という主張なのである。そして、そのことによって、国民の私的領域が失われる、かのような主張までしておられる。
(参考:立憲主義と9条③https://www.bing.com/videos/search?q=%e7%9f%b3%e5%b7%9d%e5%81%a5%e6%b2%bb&&view=detail&mid=313BAD44C03E968B8EEF313BAD44C03E968B8EEF&&FORM=VRDGAR )
もっとも、近著『憲法学の病』の第2部「ガラパゴス主義の起源と現状 12. 石川健治教授の謎の『クーデター』」(258頁以下)をみる限り、本ブログの焼き直し=再説の域を出ていないので今後に期待したいが、長谷部氏とは別の意味で気になるのだろう。
その点で以前、テレビの討論番組で、同じ東大法学部教授で、ただし政治学科の法哲学講座担当でラディカルな9条削除論を説く井上達夫氏を石川氏が理論的整合性を認めつつ、「憲法学者と法哲学者の見解の違い」を強調して正面からの議論を避け、「庄屋殺しの破壊衝動」と揶揄したのに対して、井上氏が現状の矛盾を放置し、代替的安全保障策を全く示さずに自衛隊解体論を説く石川氏の護憲主義の欺瞞(ἀπάτη)を評して、「賢明なる憲法学者のご託宣に従えという彼は、プラトン的哲人王でも気取っているのか。彼は国民を責任ある政冶主体としては認めていない」と手厳しく批判したのとは別の意味で、憲法学者と法哲学者との「平和共存」とはならないようだ。
私は前回、篠田さんが言及した石川氏の「非生産性」については、別の意味で一定の了解(συνιέναι)が可能だと思い、どちらかと言えば同情的(ἔυνους)だが、篠田さんは当事者だからそうもいかないのだろうが。
東大教授という顕職が陽の当たるポストには違いないが、結構大変なのだと思う。益体もない論文や著書を出すことが、その本業にほとんど有意味な価値や意味を付与するものではないからだ。
幻想(φάντασμα)故の独り相撲(σκιαμχία)、勘違い(ἑτεροδοξία)に陥る危険性と倨傲(χαυνότης)を孕んでいるが、それもまたアカデミズムの世界かもしれない。
憲法学について、法律学を専門に勉強したことはなく門外漢(ἀνεπιστήμων)の私にはそれ以上のことは言えないが、旧帝大の名門講座の継承者の重責と孤独だったら、私にも哲学との関連で、類比的に(κατ’ ἀναλογίαν)想像がつかないわけではない。
それは西田幾多郎以来の(厳密には前任者の「桑木嚴翼」以来、とすべきだが)京都(帝国)大学哲学科・哲学哲学史第一講座(所謂「純哲」)の継承者たちの立場を思いやれば、という点からだが、東大も似ている。
1906年(明治39年)9月11日、西田の前任者から発して西田⇒田邊元⇒高山岩男⇒山内得立⇒三宅剛一⇒野田又夫⇒辻村公一⇒木曾好能⇒伊藤邦武、と続き、1996年の制度改革をもって京大哲学科はひとまず終焉を迎えるが、日本人の哲学に関心を抱くものならともかく、ハイデガー研究の泰斗辻村あたりまでは聞き覚えはあろうが、木曾以降(1988年以降)を知る者は、業績も含め、ほとんどいないだろう。歴代担当者の辛苦は相当のものだった。
京大哲学科に比べ、認知度でははるかに劣る東大哲学科の歴史は古く1877年に遡るが、第一回卒業生(1880年)が井上哲次郎や岡倉覚三(天心)ら七人で、西田(1894年)や桑木(1896年)はその卒業生に当たる(ただし、西田は「選科」修了なので厳密には卒業とは言わない)。
問題は、伊藤は学識には全く問題はないが(岩波書店が刊行した戦前を代表する『岩波哲学小辞典』[1930年]の編者)、教授になっても単行本どころか論文さえ一向に発表しなかったことだ。
「教授に推薦するためには、いくら学力が十分でもそれが認められるに足るだけの業績が発表されなくてはならない」(出隆の証言)からで、教授会の資格内規にも、「博士の学位を有する者またはこれに準ずる業績のある者」とあり、桑木も窮して、結局教授会で、出版が予告されていた『岩波哲学小辞典』が「伊藤の編集した力作」で、「学位論文も出来ていて近々提出されるはず」として押し切った(『出隆著作集』第7巻『出隆自伝』、勁草書房、以下同)。
しかし、その約束は結局果たされなかった。同僚の出隆(古代哲学研究者で東大教授、アリストテレス『形而上学』の訳者)の判断では、「あの年齢(45歳前後)のあの地位で、いざ自分の処女作をとなると、他人の業績に対するいつものきびしい批評の眼が自分に向けられて、なかなか自分の気に入るものは書けず、気に入らないものは書かない、というわけで、結局、書かずじまいになったものらしい」ということになった。
伶悧(δεινοτής)で博識(πολυμαθία)すぎるが故の「不毛」(κενός)という、しばしば繰り返される訳知り顔の釈明が、宮澤の「八月革命説」をもって、「KelsenとSchmittの野合」(「八月革命・70年後――宮沢俊義の8・15」、『法律時報』2015年6月第87巻6号)とする石川氏のケースに当てはまるとも思えないが。
それを出は、「多読博識に過ぎて自分で自分を批評し自分でまとまりがつかない」と評した。それを伊藤教授の「スパヌンクの哲学」と揶揄した(「スパヌンク」⇒spannung[緊張]、つまり弦や鋼が張ることを、伊藤の「イト」にかけた駄洒落)。
出が伝える伊藤のこの挿話には後日談があり、結局伊藤は「学位論文」を提出したものの、出が伝える和辻哲郎の懐古談によると、「まるで人を喰っている! たった20枚の序文だけさ」という。伊藤は大変な癇癪もちで、後年「教授会で下らない発言がつづくと鉈豆煙管で瀬戸の灰皿を叩き割る」(渡邊二郎「斎藤忍随先生を思う」、『みすず』305号=1986年)ことがよくあり、極度の緊張体質だった。
長々と書いたが、石川氏も「実力者」とはいえ、重責を担い、「大変なんでしょ」。
退嬰的な政治行動は批判しつつも、宮澤俊義の欺瞞に満ちた「八月革命説」を批判し、憲法9条に中世スコラ哲学者のシトー会修道士、クレルヴォーのベルナール(Bernardus Clairvaux, 1090~1153)の神学的自由論(人間存在を自由の「三層構造」とみる)を髣髴とさせる自由の「三層構造」を読み込む石川氏が、如上の番組で真の関心事は自由(ἐλευθερία)であって、平和(εἰρήνη)ではないと断言したことに、私は呆れるより、内心では共感する(συναλγεῖν)くらいだから、精々気張ってほしい。
人間の尊厳(σεμνόν)は奴隷の平和より、自由にある。死んでも中国共産党の言いなりになどならない、という少女の覚悟がシナの未来を拓くのだろう。
勇者(ὁ ἀνδρεῖος)に犠牲(θυσία)は已むを得ない。[完]
憲法9条2項「戦力」不保持と「交戦権」否認について論じた、という自負がある< ということですから、気を付けて読んでみます。Gは遅読派ですから、読了まで時間かかると思います。感想は自己のブログなり、短評はこのコメ欄なりにします。
東大教授という陽の当たるポストにおられて、それが心地よく、益体もない論文や著書を出しても、その本業にほとんど有意味な価値や意味を付与するものではない、という理由で書かれないのであったら、自分の肩書を権威にして、あのような主張をして、政治運動をなさらなければいい。「安全保障」、というのは、日本人全体の命運がかかっているから、どうでもいい問題ではなく、大事な政策選択なのである。どうして、民衆が選んだ政治のリーダーを馬鹿にするのだろう。学問があるからだろうか?
「民主政治」、というのは、芦田均さんが主張されるように、民衆の、民衆による、民衆のための政治なのであって、その民主政治についての解説も、日本国憲法9条修正についての解説も、日本国憲法が実施されて10年後に書かれたものではなくて、「日本国憲法」の交付前、1946年10月下旬に書かれた、ということを書き記したい。
これも別に他意はないが、実際問題として、東京外国語大教授とは違って東大教授は研究以外の領域でいろいろ厄介な事情もあり、「大変なんでしょ」と同情したわけだ。
私はカ氏と異なり、党派の論理やイデオロギー、即ち集団的思考に寄りかかってものを考える習慣が全くないから、事柄自身(πρᾶγμα)が要求するところに従って、できるだけ客観的かつ厳密に思考することに徹している。
篠田さんに阿っておべっかを使う(κολακεύω)カ氏とは違うし、共感のエール(「頑張って下さい」「応援してます」なる御託)など、もっての外と考える。本欄に精神の幼稚園児の感想は無用だ。
「自由の三層構造」という石川氏の着想は、スコラ学のBernardus Clairvauxを挙げるまでもなく、興味深い。
なお、「無学」だから仕方ないが、日本版Wikipediaに拠った、前回の37(30日)、今回の16⇒【朝鮮文学の発展が見られ】なる記述は、朝鮮語(所謂ハングルは文字のことで、言語名ではない)の記述として意味不明だし、諺文=ハングルは第4代朝鮮国王・世宗が1443年に制定、1446年に公布して以来、植民地統治下で再び注目されたとしても、毫も「発展」などしていない。
朝鮮語に「無知ゆえの」(δι’ ἄγνοιαν)致命的誤謬で、それを二度もコピペする。莫迦莫迦しいにもほどがある。
(憲法話題から大きくずれますが)
可能性は5%から10%くらいでしょう。
CIAや韓国の特殊部隊による北朝鮮の首領の暗殺や、経済包囲網による北朝鮮内クーデター(中国による支援も減っていくので)なども、平和的統一に一応含みます。
戦争が起これば数十万人が戦死するのは間違いないので、それ以外が望ましい。私の推測では、最後は、韓国と米国の合同作戦で北朝鮮への先制攻撃もあるだろうと考えています。それでしかソウルを守れないからです。これは、絶対に北朝鮮に悟られないようにして日本にも知らせず、極秘に進めるはずです。その直前まで北朝鮮へは懐柔策をとるに違いない。
もし、先制攻撃をしたとしても、ロシア中国や非難するにしても国連で非難決議までされないでしょう。占領後に北朝鮮のおどろくべき政治体制の狂暴性が世界に暴露されるに違いない。強制収容所には何万人という政治犯が収容され、北朝鮮の現代史が暴露される。そのとき、北朝鮮を支援してきた日本の極左は悲鳴をあげるだろう。小泉訪朝で日本人拉致が発覚したときの騒ぎさえも超えるような衝撃になる。
こういう器用な人間が出世すると見える。(まあ民間企業でも似たような面はあるが)
国旗や国歌の法制化のときは左翼代表として反対していたが、そもそもフランスやドイツでさえ憲法で国旗や国歌が定められているように、先進国で憲法等で法制化されるのは特に異常なことではない。しかも、日本では公然と日教組が日本の国旗国歌を唾棄し、それが極左のシンボルステータスであったほどだから、マスコミが総出で法制化への非難合戦を繰り返しても、法制化に対して一定の国民の支持があったのである。
東京帝国大学と新聞社が結託し、世論を思うがままに右往左往させるというのも戦前そのまんまの愚劣な風潮であろう。たとえば古くは「七博士意見書」で東京帝国大学や学習院大学の博士たちが、「満州を失えばロシアから日本を守れない」と大新聞社と結託し、新聞等で大キャンペーンを行い、いわゆる「主戦論」や好戦主義を煽った。
伊藤博文は「大砲が足りない。この馬鹿学者ども」と嘆いたのである。このバカ学者と新聞社のコンビのくだらない啓蒙で大日本主義が小日本主義を制していく。そして、帝国主義に飽きたバカ学者やバカ学生の興味は次にヨーロッパで流行となりつつあった共産主義に向かっていく。
ただ、公正な議論をやってほしいというそれが第一である。それは、たぶんカロリーネさんも同様ではないか。恐縮だが、その議論の過程で、篠田氏の論理の穴が発覚するかもしれないし、相手側の陥穽に落ち込むかもしれない。
でも議論しないことには始まらないのだ。
安全保障は年金ほどではないが、国民の安全に関わり強い関心をもたれるテーマのひとつであり、憲法学者や国際政治学者の区別は無意味である。総合的議論をしなければならないのだから、安全保障や非常時法制の専門家まで広い範囲の専門家が横断的に議論する必要がある。そういう議論の土俵が成立しない日本の閉鎖性が何より残念である。そして、その根源は、「報道しない自由」か何か知らないが自分たちの主張に都合の悪い意見は黙殺し、まるでこの世に意見が存在しなかのように振る舞う、言論機関の住人たちの卑劣な慣習から来ているに違いないと確信しているのである。
なぜなら、命を惜しんで脱獄することは、「われわれ国法と国家全体をお前の勝手で一方的に破壊する」(‘τε νόμους ἡμᾶς ἀπολέσαι καὶ σύμπασαν τὴν πόλιν τὸ σὸν μέρος’=Crito, 50B)ことにつながるからだ、と。
カ氏が何やらそうしたソクラテスを、こともあろうに、自然(φύσις)に対して時と所によって異なる人為(νόμος=法)の優位性を説くソフィストばりの価値相対論、価値情緒説を奉じ、実定法解釈を重視する法実証主義(Rechtspositivism)偏重のケルゼンに比定して、如何にも素人じみた妄説(ἀλλοδοξία⇒‘Karoline Doctrine’)を展開しているのも滑稽だ。
曰く、19⇒【亡命を余儀なくされ…オーストリアからも、ドイツからも、米国からもほとんど年金をもらえず、経済的にずいぶん苦労…ソクラテスも、今でこそ偉大な哲学者、とされているが…アテネの裁判所で死刑を裁定された人物…今どきの言葉でいうと、扇動罪で裁かれた死刑囚】。
「老生常譚」(老婆の他愛ないおしゃべり⇒‘ὁ λεγόμενος γραῶν ὕθλος’;Theaetetus 653A)とはよく言ったものだ。
時と状況によって、というかカ氏の場合は移り気な(ἀσύμφωνος)、その時々の気分次第で論旨がころころ変わる(ἀστάθμητος)、如何にも首尾一貫しない(ἐναντίος)支離滅裂な(ἀκατάσταος)主張(ἀπόφανσις)は、古代アテーナイの弁論家デモステネスなら、‘οὐδὲν τῶν πεπραγμένων οὔτ’ εὔλογν οὔθ’ ὁμολογούμενον αὐτὸ ἀὑτῷ φαίνεθαι.’(‘Nothing of what has been done seems rational or honest or consistent.’=Demosthenes, 1114)ということになるのだろう。
その点で、ペロポネソス戦争開戦一年目(紀元前431~430年)の冬、国葬(τῷ πατρίῳ νόμῳ)が行われ、アテーナイの指導者ペリクレスが祖国のために戦い、戦場で斃れた兵士を悼む追悼演説(ἐπιτάφιος λόγος)の中で、同時にアテーナイの国制である民主制の価値を称揚したのとは事情が異なる。ソクラテスやプラトンは、原理的な民主制否定論者だからだ。
なお、「国葬」と訳したパトリオス・ノモイ‘πάτριος νόμοι’ は、言葉自体の意味は父祖伝来の「祖国アテナイの恒例の仕来たり」という意味で、ソクラテスやプラトンは祖国のために死ぬことを厭わない点で「愛国者」(ἀγαθὸς πολίτης)だが、民主制を奉じているわけでは全くない。
プラトンを実際に成心なく読めば分かることだ。
それより、香港の民主化デモを抑圧するシナの革命政党こそ、糾弾すべきだろう。
戦争は、侵略しなくても、侵略されて起こることもあるし、今香港での「民主化運動」のデモにしろ、デモ隊に対しての西側メデイアの支持が熱いが、中東の内戦は、「民主化運動」の激化を体制側が鎮圧しようとして、内戦に発展し、悲惨な状況になり、結果的に大量の難民が出ているのではないのだろうか?本来、ものごとは、デモ、実力行使ではなくて、言論、議会制民主主義、話し合いと妥協で解決すべきなのである。北朝鮮問題にしろ、北朝鮮の現実は、旧会社員さんのコメントどおりだと思うが、その現状をどうして、日本のマスコミは報道しようせず、おかしな専門家ばかり、テレビに登場させるのだろう。そういう意味で、日本国民にこの「憲法改正問題」、「集団的自衛権問題」を十分に考える機会を与える、という意味で、「集団的自衛権賛成」の、国際事情に精通されている国際政治学者の篠田教授と「集団的自衛権反対」の権威ある東京大学憲法学教授の石川教授との議論が望まれる、と、私も考えている。
プラトンが「民主主義の否定」である、ということは、よくわかっている。
ソクラテスにあのような判決を下した裁判の結果を、ソクラテスを敬愛するプラトンが受け入れられるわけがない。
私が民主主義を肯定したというのは、その裁判の結果を受け入れ、
死刑囚となった、ソクラテス、である。
人間自然の性情(ἡ φύσις ἀνθρώπων)は変わらない(ἀκίνητος)と説いたのは、古代ギリシアの歴史家トゥーキュディデースだが、人間は進歩も発展もしない、厄介な政治的動物(ζῷον πόλτκόν)という見立ては、千年王国を奉じるキリスト教由来の、ある意味ユダヤ教的な救済史的直線的な歴史観とは対蹠的だ。
それにしても、現在の状況は一年前と何ら変わっていない。従って、論述に工夫を凝らしてはいるが、言われた内容はほとんど変わっていない同工異曲の議論が並ぶような印象をもたれる向きもあろう。
一年前に似たような議論をしていた。即ち、
【最近でこそ、急激で執拗な膨張策への警戒感から米国との通商戦争の色彩を帯びてきた。トランプ政権が昨年末に策定した外交・安全保障政策の指針「国家安全保障戦略」は明らかに、米国の最大の「競争国」(仮想敵)が中国であることを示唆している。仮令、米国追従だろうと、日本の選択肢はそれほど多くはない】(8月16日・12)
【1989年の天安門事件の評価については、自由主義各国のメディアや関係者に見解の対立はないが、メディアや知識人の時局認識の面で禍根を残したのが、毛沢東が仕掛けた主導権争いを巡る深刻な政治闘争で1966年に始まった「文化大革命」…その評価をめぐって今日、基本的に対立はないが、当時の反米親中ソ的な進歩的知識人の錯誤と迷走は酷かった。もっともこれは日本だけの現象ではなく、所謂「五月革命」の指導者だったフランスの左派知識人、マルクス主義者の中には、明らかな「毛派」が存在した。「五月革命」の指導者以外でも、サルトルは「文化大革命」を支持していた】(8月16日・13)
京大の中国文学科や東洋史学科が、他大学のように新中国のプロパガンダのお先棒を担ぐことがなかったのは、吉川と中国史学の大家、宮﨑市定の影響である。京大文学部の三学科、哲学・史学・文学が「毛沢東公害」から自由だったのは、哲学科の田中美知太郎も加わった三人の指導者の優れた見識の当然の帰結である】(同)
【四千年に及ぶシナ文明に沈潜した不世出の中国文学者、吉川幸次郎の事蹟を調べて…真の学者の驚嘆すべき学殖を改めて思い知り、「日暮れて途遠し」の感が愈々濃厚となったわが身の「無学」を省みる良い機会になった。
日頃よく考えもせず、「博大精深」「博大深奥」と気楽に語感だけで判断しがちだが、「博大眞人」の体現者である真の学者はやはり格が違う…単なる物知り莫迦、専門莫迦、高学歴莫迦…博識は悟りを教えない、というが、欧米にも‘intellectual yet idiot’という蔑称、戒めがあるように…厄介だ。
さらに、idiot はギリシア語由来の言葉で、いずれも、私的=ἰδιωτεύειν▽私的、素人=ἰδιώτηςとか▽私的=ἵδιοςという意味で…ギリシアの都市国家の正式な構成員である市民の間では、「私的」であることが侮蔑の対象】(同14)
【進歩派的見解をとる知識人では、法哲学者の碧海純一のようなケースは極めて稀で、中国研究者の大部分も文革を礼讃するか沈黙を余儀なくされた当時、産経を除くメディアの毛礼讃一辺倒の中で、一般の情報媒体で文革・毛沢東批判を繰り返したその見識と勇気は特筆すべき】(同)
何やら、今回のテーマとも通じる。
一流の学者が本性的に必ず具えている、ものごとの真相(ἀληθῆ)に肉薄する鋭い直観力、精妙な言語感覚、それを背景として支える外国語の知識(単なる語学力ではない)と博大な歴史的素養(古典の読書、特に古典的歴史書を繰り返し繙読することで身につく)。それが、一流の証である筋道の通った(ἐαυτῷ σύμφωνεῖν)博捜につながる。ただし、文献の博捜による事態の正確な把握は認識(γνῶσις)の第一歩、つまり前提にすぎず、真の学問の入り口に立つ資格を得たに留まる】(同15)。
カ氏についても、【この学問の門前で立ち止まった状態を、言葉の正しい意味、勝義の「無学」という。つまり、概念上、教養ある「無学」がこの世に氾濫していることになる。例外的な存在で笑い話のような事例だが、該博な専門知を具えた「無学」も存在する。本ブログの読者なら誰何するまでもなく、心当たりがあろう。
問題なのは、その自覚がないと判断せざるを得ない(「宮澤俊義の」=筆者註憲法学者)後進である。小林直樹、芦部信喜、樋口陽一、長谷部恭男、石川健治…、思いつくままに並べたが、後の三氏は「立憲デモクラシーの会」の中核メンバー…(樋口氏は共同代表)】(同15~16)
…古典学徒として「遅れてきた(古代)ギリシア人」を自称する私も、拠るべき古代ギリシアのポリスがもはや存在しない以上、一通りの愛国の徒、ドイツの政治学者ミヘルスの説く「鐘楼のパトリオティズム」という有名な規定が含意する、国家への抑制的立ち位置を採る愛国者(ἀγαθὸς πολίτης)の端くれで、その限りで国際人でも世界市民志向でもないが、知的頽廃(Verfall)の典型である、いわば学問の本筋とは無縁な9条解釈ごとき不毛な論戦で「内乱」に現を抜かす酔狂は持ち合わせていないのが本心だ。
だが、篠田さんの情熱、極めて合理的で首尾一貫した「新」解釈に出会い、しかも、平和構築の現場で日本のために汗を流している憲法学の専門外の国際政治学者の動機が、知的虚栄心や一層のキャリアー形成のためではないことが分かって、態度を改めた】(同16)
☆余白に 29⇒【私は、プラトンのことは、一言も言及していない…私が民主主義を肯定したというのは、その裁判の結果を受け入れ、死刑囚となった、ソクラテス】というが、自らは「黒衣」に徹して一切の著作を残さなかったソクラテスの言説を再構成しているのは外ならぬプラトンであり、古代哲学の研究領域で「ソクラテス問題」と称されるもので、カ氏の幼稚な立論は成り立たない。
‘Avez-vous un texte?’
いずれにしても、学識ある「無学」は徳、卓越性と訳されるアレテー(ἀρετή)とも無縁である。
覇権拡大に余念がない(σπουδάζω)、北朝鮮より厄介な存在である中国に始まって、とんだ所に論が及んだが、盆休みもきょうで終了。新たな激動の予感がする国際情勢である。
東夷北狄西戎南蠻(『禮記』曲禮下、諸橋轍次『大漢和辞典』第2巻588頁)、東西南北で並べれば、東夷西戎南蠻北狄――という、かつての東アジアに君臨した中国(シナ)中心の世界秩序。周辺の蛮族=言葉の通じない異邦人(βάρβαρος)の意であるさまざまな「夷狄」に準えれば、わが国は東贏の島国で東夷になる。
この度し難い自民族中心主義(ethnocentrism)はビジネスでもない限り付き合いづらいが、吉川幸次郎ではないが、何といっても「孔孟李杜」の文明国でああり、神品と呼ばれる陶磁器(宋瓷)を生み、士大夫と呼ばれる世界有数の知的支配層を生んだ文明国に対して、歴史に相応しい隣国になってもらうよう、わが方も盲目的排他主義(chauvinism)ではない智慧を絞りたいものだ】(同17)
最近の香港情勢をみると、末尾は楽観的すぎるが、民主化団体「デモシスト」(Demosīst)の華奢な女性リーダーは、時代精神(Zeitgeist)を背負っているのだろう。[完]
「ナショナリズム」という素地があったから、ドイツの若者の熱狂的な支持を受け、ヒトラーは政権をとれたのである。2012年、日本政府が韓国・中国との領土問題で国民感情を刺激した際には「日本の政治家はヒトラーの結末を見よ」と朝日新聞に村上春樹さんは批判寄稿されたそうであるが、私は、韓国のムンジェイン大統領と韓国の若者を含めた国民に同じことを進言したい。
そして、日本ペンクラブこそが左翼の巣窟であり、左翼の広告塔であった。
それは、ドクトルジバコを書いたロシアの作家がソ連で発禁となり、ノーベル賞受賞を強制的にソ連が辞退をさせた(中国共産党でさえそんなことはやらなかった!)ときに、なんとソ連に抗議するのではなくソ連に擦り寄ったということこそに、日本ペンクラブの歴史的由来と本性が象徴されているのである。
「左翼」と見苦しい党派的な争いをすることは知性の退廃であるということはたしかに一面の真理ではあるが、戦後日本の混乱の本質を洞察するためには「日本の(特に戦後の)左翼とは一体なにだったのか?」とテーマは避けられない部分である。
amazonコメントで浜田山さんのコメントがすぐれていると本コメント欄で紹介させていただいたが、浜田山さんが(おそらく一橋大学であろうか)杉原やすおの憲法学授業の回想から始まり、集団的自衛権の論争までを振り返り、憲法学者の「醜態」を見事に要約している。
このなかで、フランス革命と日本国憲法を結合させるところは、まさに左翼の流儀であるが、集団的自衛権論争のところまでの歴史的経緯として、憲法学者の重鎮の反米感情が基底にあったとするのは正しいと思う。
しかし、ここで、ある歴史的な悲劇が極めて重要で決定的な役割を演じたのである。それは500万人近くの民間ベトナム人が亡くなったという、20年間にも渡るベトナム戦争(激しい期間は10年間くらいだったか)である。これこそが、日本の左翼の攻勢につながったのである。そして、前述の日本ペンクラブなども、ほぼ完ぺきに左翼によって制圧されるのである。そして「米国の戦争に日本がまきこまれるな」という声が日本社会に浸透し、ソ連や中国、北朝鮮、東欧等の共産主義独裁体制のおぞましさが巧妙に左翼によって隠蔽され、激しくベトナム戦争の反戦運動の世界的盛り上がりに便乗したを朝日新聞が激しく日米を糾弾しつづけることによって「高級紙」としての地位を築いていく。
それほどベトナム戦争というものは、ボロをだしつつあった日本の左翼が驚くべき勢力挽回をすることにおいて決定的な影響を日本に与えたし、憲法もその論点(日本がベトナム戦争のようなものに巻き込まれないか)がほかの論点を圧倒していく。そして日米安保反対闘争にも多大な影響を与えていく。
中国共産党が(ノーベル平和賞ではなく)ノーベル文学賞を強制的に辞退させることはなかったと曖昧な記憶に基づいて書いたが、勘違いであった。
中国人のノーベル文学賞は高行健のただ一人であるが、彼は中国国籍もあるがフランス国籍も所持していたので、(いくら文化大革命や天安門事件を批判したといっても)強制的に中国共産党が辞退させることは難しかったろう。しかも国際的圧力の強さもソ連の時代などとは数段異なる。
最初は、韓国の北朝鮮シンパの団体がそれに応じたが、だんだんと普通の韓国人まで扇動されていき、政治家もその線に沿って政治活動をするようになったということである。もともと旭日旗を韓国は問題にもしてなかった。朝日新聞など極左が前世紀に旭日旗を執拗に攻撃していたのである。以上は本を読んで知ったのではない。リアルタイムで歴史を見てきたので間違いない。日本の左翼ほど異様な勢力は、ほかの先進国で見られない。その第一の理由は、メディアの要所を左翼が占有してしまったことに起因する。それも戦前から続いた悪弊である。
逆にいえば、韓国でも「反日種族主義?」など理性的な知識人はいるので、あとは日本の訳わからない極左のデマ言論を批判して公正な議論が行われるようになれば日韓関係は落ちつくところに落ち着く。しかし、日本にとって大問題の関心事はなんといっても共産主義国家の世界遺産である北朝鮮や中共の結末である。
(誤)韓国でも「反日種族主義?」など理性的な知識人はいるので
(正)韓国でも(全体主義的で非理性的な)反日主義を「反日種族主義」などと批判する理性的な知識人はいるので
一時代前のベストセラーで、左翼、進歩主義陣営で戦後長らく支持された歴史観を象徴するものだった、岩波新書『昭和史』(遠山茂樹、藤原彰ほか著、1955年初版、59年新版)に代表される、戦前の歴史を天皇制を支持する反動勢力(左翼用語)とそれに抵抗する共産党の抵抗の歴史という構図で、誇大妄想的に描き出しているのを、別の意味で髣髴とさせる。
それもまた、『昭和史』同様、極めて偏向した歴史観であって、『昭和史』が実際は弾圧に遭って幹部の大半が昭和初期に逮捕、収監され転向も相次ぐなど壊滅状態で歴史のプレーヤーなどではあり得なかったのが明白な事実である共産党という「虚」の視点から、戦前の悪事を極彩色で描いているのと同じ気配を感じる。
共産主義者は「至上の目的」のためには平気で嘘をつき、仲間を裏切るものだが、それはそれで「政治至上主義」という一種の目的合理性に貫かれており、国家でも個人でもこの世はすべて「万人の万人に対する闘争」(bellum omnium contra omnis)であってみれば、「洗脳」云々と、俗流心理学の概念で裁断する(κρίνω)偏狭性(σμικρολογία)の莫迦莫迦しさ(τὸ καταγελάσιμος)はカ氏と選ぶところはない。
死んだ妻の大伯父も川端康成の後の日本ペンクラブ会長だったが、泉下で苦笑していよう。
正邪のこの皮相な(λεπτός=flimsy)側面は、ソフィストのプロタゴラスが明らかにしたその偽善性(ἡ ὑπόκρισις)とととももにわれわれを失望させる。
今回のテーマであり、すべての問題の根源(ἀρχὴ)にある1910年の朝鮮併合の法的な正当性と、それに関する憲法学者の見解に引き戻せば、畢竟その帝国憲法や当時の国際法規範の面での合憲性(τὸ ἔννμον)や合法性(τὸ ἔννμον)、言うなれば正当性(rightness=νόμῖμος)が問われようし、同時に正統性(legitimacy=ἡ ὀρθότης)も問題にならざるをえない。それはまた、正義が個人的なものであるよりも公共的なものであり、「公明正大」という形で要求される公開性の半面という点を見落とせない。
いずれにせよ、歴史認識を云々するなら、自らの問題として真面目に考えることだ。「左翼」がどうのこうの、という党派の論理からは何も出てこない。
もっとも、日本の朝鮮に対する植民地支配は、天皇機関説事件で発禁処分になったとはいえ、帝国憲法の最も正統的な教科書である美濃部達吉の『憲法撮要』にも畏れ憚る(αἰδεῖσθαι)ことなく、植民地(殖民地)への憲法適用の如何を論じているのだから、戦前の通説は植民地支配を否定していないし、その必要もなかったことは明らかだろう。
Ἀθῆναι: Ἐλπίς δὲ κινδύνῳ παραμύθιον οὖσα τοὺς μὲν ἀπὸ περιουσίας χρωμένους αὐτῇ, κἂν βλάψῃ, οὐ καθεῖλεν· τοῖς δ᾽ ἐς ἅπαν τὸ ὑπάρχον ἀναρριπτοῦσι (δάπανος γὰρ φύσει) ἅμα τε γιγνώσκεται σφαλέντων καὶ ἐν ὅτῳ ἔτι φυλάξεταί τις αὐτὴν γνωρισθεῖσαν οὐκ ἐλλείπει. ὃ ὑμεῖς ἀσθενεῖς τε καὶ ἐπὶ ῥοπῆς μιᾶς ὄντες μὴ βούλεσθε παθεῖν μηδὲ ὁμοιωθῆναι τοῖς πολλοῖς, οἷς παρὸν ἀνθρωπείως ἔτι σῴζεσθαι, ἐπειδὰν πιεζομένους αὐτοὺς ἐπιλίπωσιν αἱ φανεραὶ ἐλπίδες, ἐπὶ τὰς ἀφανεῖς καθίστανται μαντικήν τε καὶ χρησμοὺς καὶ ὅσα τοιαῦτα μετ᾽ ἐλπίδων λυμαίνεται.〔Θουκυδίδης; Ἱστορίαι, Ε.103.〕
アテーナイ使節団「希望は危機の気休めである。力に余裕のあるものが希望をもつのならば、害を受けこそすれ、滅びることはあるまい。しかしすべてを望みに賭けた者は(希望とはその性質上、高くつくものであるゆえ)、夢の破れた時にその何たるかを知り、気づいて用心しようとした時には、もう既に望みもなくなっている。諸君の都市は弱力で、しかもその運命はまさに諸君の一存にかかっているのだから、災いを避ける方途をよく考えるべきだ。諸君は人事も尽くさず、事態の圧力の前に、もはや手段はないと諦めてしまって、望みを占いや預言にのみ見出して身の破滅を招いた多くの者たちと同じ轍を踏んではなるまい。」(『歴史』5巻103章)
日本がアテーナイで、弱者(ἥττονων)の朝鮮がメーロス島だったのだろう。弱者の歴史認識は被害者(ὁ πάσχω)意識に彩られ観念的なものだ。[完]
当時の保守派とまともなリベラルが力をあわせて闘わなければならないほど、当時の左翼が勢力を拡大させていたからではないか。当時の良心的な知識人が左翼の猖獗を極めた現状を危惧し、また左翼マスコミがベトナム戦争でのテト攻勢を見て、さらに彼ら左翼が「東側支持のイデオローグ」として団結し、平和を愛する日本国民の感情を手玉により「洗脳の大攻勢」をかけていくのを見るに見かねたのではないか。
どう考えても彼らはまぎれもなく左翼である。自分たちが左翼であることを自覚しているから、ことさら左翼という用語に抵抗を示すのであろう。学生運動の過激派も実際には「左翼過激派」であるのだが、イスラム過激派とは言うが、左翼過激派とは呼ばない。そのくせ、すぐに誰彼構わず右翼とかネットウヨクとレッテルをはるのだ。
なにも左翼の言論を封じようというつもりはない。彼ら左翼言論人は絶対に公開の場で公正な議論をしようとしない。いつも背後で人民裁判もどきのリンチを行い、言論でなく工作に生きている。朝日新聞捏造の従軍慰安婦騒動についても、もしNHKや民放で公開議論さえすれば、朝鮮総督府の生き証人もいたことだし、左翼の一方的洗脳は防がれたのは間違いない。彼らにとって言論の場とは知識人生命をかけた真実探求の場ではなく陰湿な宣伝活動でしかない。
左翼と極左の違いは何だろう。日本歴史の文脈のなかではソ連や中国の共産党への忠誠度とか、革命実現への熱度、革命手段の過激さなどが指標となるだろう。また、どのくらいなりふりかまわず日本をおとしめようとするかという反日の度合いも指標となるかもしれない。
しかし、日本の文脈を離れて、たとえば韓国を見れば、これは一種の概念の遊戯であるが、金正恩が極左、文在寅が左翼と言いうるのではないか。
金正恩が極左とはもう過去の共産主義者の敷いたレールから逃れない宿命をもった人間ということ。
それに対して、文在寅が左翼というのは、一種の教養のアクセサリーとしての親社会主義的なリベラルの概念もとりこんだ、ぼんやりした思想である。
それは、朝鮮戦争の悲惨さを直に体験したり、韓国の軍事政権への抵抗を通して養成されたものであろう。
もちろん自由は誰だって欲しい。しかし、その民主化運動の熱意は、過去に北朝鮮支持の日韓左翼による功名な洗脳によって植え付けられて、どこか歪曲しているという点が重要である。
これから文在寅はどこへ行くのだろうか。平和主義の左翼が戦闘しかないと反転すれば徹底的にやりぬく可能性がある。北朝鮮との平和統一はもう絶望的となり北朝鮮暴発の危険を悟れば、政権末期ころの最後に北朝鮮の内部崩壊をはかるため、韓国軍やKCIA(北朝鮮への地下放送をしきっている)を北朝鮮に突入させる可能性もあると個人的には見ている。
そして、最後につけたりであるが、朝日新聞など左翼マスコミは企業寿命を延ばすなどのため、くれぐれも右傾化しないで欲しいと願っている。それこそ日本にとって大迷惑である。冗談抜きで、マスコミが訳のわからない中国攻撃を続ければ、日本と中国とが戦争になるかもしれない。
前回45で昨年5月以来の投稿件数が2,500件、原稿用紙換算で5,000枚に達したので遠慮しようと思ったが、せっかくのお訊ねなのでお答えする。
昨日31日に届いたスペインの哲学者オルテガ・イ=ガセの全集(José Ortega Y Gasset; Obras Completas, Madrid: Revista de Occidente, 1983, 12 vols.)も読みたいが、スペイン語だから少々手間取りそうだし、妻が死んで夕食の支度は別にないから、まあ気楽な境遇になった。
田中先生(普段は田中美知太郎と書くが、師藤澤令夫の敬仰する師匠で、亡き昌子夫人とも言葉を交わしたことがあるので、そう呼ぶ)が小林秀雄や福田恆存と計らって日本文化会議を設立し、理事長を死ぬまで引き受けたのは、戦後の日本の「真空状態」に対する危機感で、単なる左翼や共産主義革命に対する危機感とは異なる。
戦後「保守論壇の主柱」と祀り上げられ、左翼や護憲派の嫌がらせもあったが、意に介しなかったようだ。主たる関心はプラトンの原典研究で、左右を問わない日本人の思想的脆弱性を説き、西洋の本格正統の哲学の研究に心血を注いだ。
60年安保の前年6月から読売新聞で論壇時評を通算72箇月担当したり、論壇誌への投稿も少なくなかったが、その論調は静謐そのものだ。どんなに際どい問題でもタブーなしに、冷徹に論じた。三島由紀夫の自決にも、司馬遼太郎のように「狂気」とたじろぐこともなかった。
日本の真の危機は安全保障や擬似属国意識ではないことを見抜いていた。日本人のようで、実質はプラトンの生まれ変わりだった。恐ろしいほど醒めており、大量の仕事を遺した。演習で時事問題に言及するのを禁じた厳しさ、晩年藤澤とも論争した学問の鬼だった。
新潟出身で職業軍人の父を早く失い、苦学した反骨の人で、インテリの他愛のなさを熟知していた。恐ろしく早熟で戦前の無産主義者やアナキスト団体、右翼団体にも10代半ばで出入りした。どこまでも、自由な人だった。
それはそれで正論です。ただし、冷静で沈着な哲学者に相違ないでしょうが、左翼に危機感を持っていなかったというと、そうとは思えず。そこは見解の相違ですね。
「日本の知識人(その系譜と役割)日本文化会議編 」PHP研究所
昭和55年6月に田中美知太郎は、この本の冒頭で「序に代えて」を書く。
なかなか婉曲で微妙な文章を書かれているが、ストレートに要約すると
「にせ知識人」
「戦後の流行に乗った人や時局便乗型の知識人」
「知識のかけている知識人」や「インテリジェンスのないインテリ」
これらが「本当の知識人」を苦しめる時代が続いているという現状認識をもち、これらの「にせ知識人」の特色は「世界の大勢」などという言葉を多用しながら、実際には「何が本当に世界の大勢なのか」を追及するための思考力も情報も道徳観もないと断言しているのだ。
ただし、これは、戦前の「にせ知識人」にも向けられている。
そして、新井白石や河合栄治郎をとりあげたこの本のなかのメインデッシュは、なんといっても粕谷一希の「戦後日本の知識人とマルクス主義」とその後の対談などであろう。ちなみに、この対談のなかで田中美知太郎は「いわゆる左翼知識人」という言葉で厳然たる左翼の存在を意識している。
ただし、時事問題の批評などには禁欲的である。それは世界に通用する学問をめざした理想高き学者として(余計な誤解など受けぬよう)学問の本分を守るという意識から生じたものだろう。それは当然理解できることである。
もう一度ざっと読みなすと、「いわゆる左翼知識人」がなぜ共産主義にいれこんだかというと、その理由のひとつに、「共産主義こそが西側の圧政に苦しむ植民地を解放するのだ」という幻想があったのだとか。(これは戦前からの日本人の「アジア解放思想」につながっている。ちなみに、これは当時の朝鮮戦争前の朝鮮人たちも特にインテリが信じていたらしい。単なる自由主義思想などは完全に無力と思われていたのである。その幻想が壊れるのが朝鮮戦争らしい)
そして、共産主義がすでに色あせて実用的政治では死滅していて、(共産主義などをほとんど信じていないにもかかわらず)共産主義者の弟子や継承者たちが、いまだに日韓併合という「植民地」の「解放」に執着するのは、いまだにその共産主義者の先祖たちの「植民地解放思想」の燃えカスを追いかけているということだ。
もちろん現在は植民地でないにしろ、日韓併合無効化とか訳のわからない法的テクニックに見せかけたペテンで、過去の恩師の陰を追いかけているのだ。現代の日韓関係がどうなろうが知ったことじゃない。その怨念と幻想をいかに学問らしく仕立てるかが「恩師の残した宿題」であった。その宿題をいまだに完成させようとしているということだ。滑稽であるが、それをもっともらしく日本人に思わせるのが左翼メディアの役割であったということ。
(ちょと辛らつに書きすぎただろうか申し訳ない、笑)
ただ、我々が生きていくうえで、一番心配なのは安全保障なのである。北朝鮮とも、韓国とも、中国とも戦争をしたくない。ただ、北朝鮮は、専制と隷従の国、圧迫と偏狭の軍国主義の国で、餓死者を出す国、戦後ずっと朝日ジャーナルが報道したような「地上の楽園」とほど遠い国、というのが現実の姿なのである。人権上も中国とは、比べ物にならないぐらいひどい国であることを、日本人はきちんと認識すべきなのである。その上に「反日」を煽るムンジェイン大統領のおられる韓国、兵器を売りたいプーチン政権のロシア、もし、アメリカのトランプ大統領に煽られて、中国ともうまくいかなくなったら、今までの平和で豊かな生活を日本は維持していけなくなる、ということを前提として危機意識をもつべきなのではないだろうか。
通説の憲法学者の方々は、日本の政治をコントラルールするために、立憲主義、憲法上「自衛隊を違憲」と定義することで、「軍縮」を達成しようとされていますが、本当に必要なのは、ヨーロッパが1975年8月1日に結んだデタントを促す「ヘルシンキ宣言」の「アジア版」なのではないのでしょうか。
本来、この方向にいかなければならないのに、米国のトランプ大統領は、米国製の武器を売りたいので、中国の危機を煽る。そして、大統領選挙に勝つために、「自国第一主義の保護貿易主義」をとろうとする。この方針は大恐慌後の国際社会のように、国際社会を緊張させることにつながり、国際社会の安全保障を危機に陥れるものだと、私は思う。
旧会社員氏が50で言及された、元雑誌『中央公論』編集長の⇒【粕谷一希の「戦後日本の知識人とマルクス主義」とその後の対談】との関係で言えば、既に本欄で戦後の「編集左翼」の凄まじい実態を紹介してある(11月17日・6~9=「吉次公介『日米安保体制史』の誤りと岩波新書」の項)。
興味のある向きは、全26巻に及ぶ全集(筑摩書房、1987~1990)があるから、被見されるとよい。日本版Wikipediaは、このわが国を代表する哲学者、プラトン学者について、ほとんど何も教えてはくれない。
専門研究者の間での圧倒的な評価と声望は今なお揺るがないが、一般読者へのかつての浸透も時代の変化とともに、色褪せた。一種のゴシップ紙(サイト)Wikipediaもそれを象徴する。
主著『ロゴスとイデア』、全4巻に及ぶ『プラトン』(共に岩波書店)は現在いずれも品切れ状態で、『ロゴスとイデア』(最終増刷は2003年、6刷)には版元の普及版がない。漸く数年前に文藝春秋社から出た。清水幾太郎の「主著」『倫理学ノート』(1972)が講談社学術文庫(2000年)から出るまで版元に「塩漬け」されたのよりは「厚遇」だが、「戦後保守論壇の主柱」とされた田中への編集左翼の意趣返し(ἀντιπεπονθός)による黙殺だ。
「田中先生の弟子ということで、およそ哲学者とは思えない陰湿な攻撃にさらされた」という趣旨の述懐(11月18日・23参照)を筆者宛ての私信で吐露した藤澤の著作集(全7巻)や、田中のギリシア語文法『ギリシア語入門』(松平千秋との共著、1951年初版)、岩波新書『ソクラテス』(1957年初版)のように、代わるべきものが存在しない名著は、例外として現在も増刷というご都合主義の欺瞞に満ちた二重基準も、商売左翼の真骨頂だが、それもまた人生である。
それでも、否定できない事実として、田中や藤澤が育てた有能な弟子が、新版『アリストテレス全集』の主力をなしている。詰まらぬ新書や小冊子で儲けて、どこからも文句の出ない、岩波でしか出せない学術書を出せば、その存在意義はあるのだろう。
田中先生も偉丈夫の藤澤も、心中不快とは思いつつ、皮肉な言い方ながら「莞爾」としていた。それまで左翼雑誌にすぎなかった『中央公論』で改革を試みた粕谷を含め、「岩波」にも、そして「朝日」にも心ある編集者、記者が存在するものまた、この世の現実だからだ。
以前、致命的な誤植と片付けられないミスを篠田さんが指摘した岩波新書の吉次公介『日米安保体制史』に対する新書編集部の杜撰な対応に篠田さんが瞋恚(ὀργή)を募らせるのを諫め(ἀποτρέπειν)たことがあるが(11月18日・23)、並ぶ者なき碩学の田中にしてこの扱い、というか体たらくだから、少々のことでは驚く必要はない。οἴμοι.
‘Der Philosoph ist nicht Bürger einer Denkgemeinde. Das ist, was ihm zu Philosophen macht.’(L. Wittgenstein, “Zettel”, Frag. 455; L.W. Schriften, Bd. 5, S. 380)
19世紀末から20世紀初頭の朝鮮半島で、日本に対して弱者(ἥττονων)の朝鮮がメーロス島だったとして、その強国に抵抗して希望(ἐλπίς)が語られる。
ΜΗΛ:Χαλεπὸν μὲν καὶ ἡμεῖς (εὖ ἴστε) νομίζομεν πρὸς δύναμίν τε τὴν ὑμετέραν καὶ τὴν τύχην, εἰ μὴ ἀπὸ τοῦ ἴσου ἔσται, ἀγωνίζεσθαι· ὅμως δὲ πιστεύομεν τῇ μὲν τύχῃ ἐκ τοῦ θείου μὴ ἐλασσώσεσθαι, ὅτι ὅσιοι πρὸς οὐ δικαίους ἱστάμεθα, τῆς δὲ δυνάμεως τῷ ἐλλείποντι τὴν Λακεδαιμονίων ἡμῖν ξυμμαχίαν προσέσεσθαι, ἀνάγκην ἔχουσαν, καὶ εἰ μή του ἄλλου, τῆς γε ξυγγενείας ἕνεκα καὶ αἰσχύνῃ βοηθεῖν. καὶ οὐ παντάπασιν οὕτως ἀλόγως θρασυνόμεθα.〔Θουκυδίδης; Ἱστορίαι, Ε.104.〕
メーロス委員団「諸君もよく知っているように、諸君の兵力と幸運の前には、同じような兵力と幸運に恵まれない限り、到底対抗できないことを知っている。しかし、我々は清廉潔白で不義に直面しているのだから,天佑の有無に関しては諸君に劣るとは感じていない。また、我々の軍兵の不足は,盟邦であるラケダイモーン人が補ってくれると信じる。つまり、ラケダイモーン人は我々が彼らと同じ系族である誼と廉恥心から、何を措いても必ず我々を救援すべき立場だからだ。希望には根拠があり、我々の大胆さには理屈が通っている。」(『歴史』5巻104章)
ΑΘ:Τῆς μὲν τοίνυν πρὸς τὸ θεῖον εὐμενείας οὐδ᾽ ἡμεῖς οἰόμεθα λελείψεσθαι· οὐδὲν γὰρ ἔξω τῆς ἀνθρωπείας τῶν μὲν ἐς τὸ θεῖον νομίσεως, τῶν δ᾽ ἐς σφᾶς αὐτοὺς βουλήσεως δικαιοῦμεν ἢ πράσσομεν. ἡγούμεθα γὰρ τό τε θεῖον δόξῃ τὸ ἀνθρώπειόν τε σαφῶς διὰ παντὸς ὑπὸ φύσεως ἀναγκαίας, οὗ ἂν κρατῇ, ἄρχειν· καὶ ἡμεῖς οὔτε θέντες τὸν νόμον οὔτε κειμένῳ πρῶτοι χρησάμενοι, ὄντα δὲ παραλαβόντες καὶ ἐσόμενον ἐς αἰεὶ καταλείψοντες χρώμεθα αὐτῷ, εἰδότες καὶ ὑμᾶς ἂν καὶ ἄλλους ἐν τῇ αὐτῇ δυνάμει ἡμῖν γενομένους δρῶντας ἂν ταὐτό. καὶ πρὸς μὲν τὸ θεῖον οὕτως ἐκ τοῦ εἰκότος οὐ φοβούμεθα ἐλασσώσεσθαι· τῆς δὲ ἐς Λακεδαιμονίους δόξης, ἣν διὰ τὸ αἰσχρὸν δὴ βοηθήσειν ὑμῖν πιστεύετε αὐτούς, μακαρίσαντες ὑμῶν τὸ ἀπειρόκακον οὐ ζηλοῦμεν τὸ ἄφρον. Λακεδαιμόνιοι γὰρ πρὸς σφᾶς μὲν αὐτοὺς καὶ τὰ ἐπιχώρια νόμιμα πλεῖστα ἀρετῇ χρῶνται· πρὸς δὲ τοὺς ἄλλους πολλὰ ἄν τις ἔχων εἰπεῖν ὡς προσφέρονται, ξυνελὼν μάλιστ᾽ ἂν δηλώσειεν ὅτι ἐπιφανέστατα ὧν ἴσμεν τὰ μὲν ἡδέα καλὰ νομίζουσι, τὰ δὲ ξυμφέροντα δίκαια. καίτοι οὐ πρὸς τῆς ὑμετέρας νῦν ἀλόγου σωτηρίας ἡ τοιαύτη διάνοια.〔Ἱστορίαι, Ε.105.〕
その法則は我々が人に強いるために決めたものでもなければ、初めて己がために供しているものでもなく、以前から存在し、遍く永遠に受け継がれていくものであって、我々はそれに則って行動しているにすぎない。そして諸君ばかりでなく他の如何なる者でも我々と同じ権力の座に就けば、必ずや我々と同じ行動を取るに違いない。
このように神明の計らいに関しては、当然何ら恐れる謂われはない。ラケダイモーン人に関する諸君の期待――つまりラケダイモーン人が廉知を知る故に必ず諸君の救援に来るであろうと信じる諸君の判断に――そのお目出度さを我々は祝福しこそすれ、決してその愚かさを羨むものではない。
ラケダイモーン人の他に比類なき人徳は、己自身や国法に対してのみ向けられるものであって、他の国民に対する態度に関しては毀誉褒貶は周知の事実であり、我々の知る限りでも、彼らは快楽を善と心得、利益追求こそ正義となしている。このような彼らの思想は、決して諸君の現在のような理を弁えぬ来援への期待と相容れるものではなかろう。」(5巻105章)
「人間自然の性向に基づく限り、このようなことやこれに近いことが将来もまた起こるだろう」(3巻82章)――人類永遠のテーマである重い問いが喉元に突き刺さった棘のように、癒えない傷のように疼く。弱者=朝鮮民族の癒されぬ苦悩と怒り、われわれには強者に相応しい覚悟(πίστις)が要るだろう。[完]
曲はすばらしくて気に入ったが、その詩の内容自体は、「その時代の流行に乗った人」のものではないのか、という印象を受けた。そのような差について、大学時代「美学概論」の講義で「芸術作品」の評価についての項目で習ったおぼえがあるが、大事なことは、「ほんものと一過性のもの」、を見極める目をもち、埋もれている「時代遅れだ」とレッテル付けされている「ほんもの」を甦らせること、つまり、クラシックを見極める目をもつことだと思う。(このクラシックの解釈も反氏とは違うのであるが)。
そして、「日本国憲法」や「民主政治」、「立憲政治」について考える場合、嘲笑の対象になっている「芦田均」さんや、「忘れられた思想家」ハンス・ケルゼンを蘇らせ、再評価することが求められている、と私は思う。
トゥーキュディデースはペロポネソス戦争の歴史(“Ἱστορίαι” )を執筆するに至った動機(ἡ ὁρμή)として、人間性の不変(ἀκίνητος)、即ち「人間自然の性情(性向)」=‘ἡ φύσις ἀνθρώπων’を挙げ、それが変わらぬ限り、同じか似た出来事は将来もまた起こるだろうとする。即ち、
καὶ ἐπέπεσε πολλὰ καὶ χαλεπὰ κατὰ στάσιν ταῖς πόλεσι, γιγνόμενα μὲν καὶ αἰεὶ ἐσόμενα, ἕως ἂν ἡ αὐτὴ φύσις ἀνθρώπων ᾖ, μᾶλλον δὲ καὶ ἡσυχαίτερα καὶ τοῖς εἴδεσι διηλλαγμένα, ὡς ἂν ἕκασται αἱ μεταβολαὶ τῶν ξυντυχιῶν ἐφιστῶνται. ἐν μὲν γὰρ εἰρήνῃ καὶ ἀγαθοῖς πράγμασιν αἵ τε πόλεις καὶ οἱ ἰδιῶται ἀμείνους τὰς γνώμας ἔχουσι διὰ τὸ μὴ ἐς ἀκουσίους ἀνάγκας πίπτειν· ὁ δὲ πόλεμος ὑφελὼν τὴν εὐπορίαν τοῦ καθ᾽ ἡμέραν βίαιος διδάσκαλος καὶ πρὸς τὰ παρόντα τὰς ὀργὰς τῶν πολλῶν ὁμοιοῖ. 〔Γ. 82.2〕
「内乱のために国家も国民も数多くの苦難に見舞われることになった。それは人間の性情(自然的条件=φύσις)が同じである限り、始終起こっていることであり、これからもいつも起こるだろう。たまたま一緒に起こることが、それぞれ変化することによって、程度はもっとひどいこともあるし、またもっと緩やかなこともあり、形態もいろいろ変化するとしても。というのは、平和で事がうまくいっている時には、国家も個人も不本意な仕方で強制に屈服させられるというようなことはないから、その考え方も比較的よい状態にある。しかし戦争は、不自由のなかった日常生活を知らぬ間に取り崩し、手荒な教師となって、現在の状況に合わせて大衆の感情を同化させるからである。」(第3巻82章2節)
しかし、ヘーゲル、フォイエルバッハを経てマルクス以来の唯物論に接合された唯物史観(史的唯物論)を含めて、あたかも無前提のように語られる歴史主義的「単線史観」自体が19世紀以来の歴史の産物であり、ユダヤ教の終末論的救済思想が世俗化したものであって、ギリシア人本来の発想法ではない。
トゥーキュディデースの二世紀後の歴史家ポルビュオスの循環史観とも異なる。だから、そこに込められた認識は、単に「歴史は繰り返す(ἀναλαμβάνειν)」という意味の凡庸な経験知や今日的な歴史法則、歴史主義を意図したものではない。
「法則」に相当するギリシア語ノモス(νόμος)はまた、法、風習,習わし、しきたりという人為的なもので、循環史観が想定する恒常的な必然性(ἀνάγκη)とは逆で、自然(φύσις)に対立するものだからだ。
トゥーキュディデースはさらに、
καὶ ἐς μὲν ἀκρόασιν ἴσως τὸ μὴ μυθῶδες αὐτῶν ἀτερπέστερον φανεῖται· ὅσοι δὲ βουλήσονται τῶν τε γενομένων τὸ σαφὲς σκοπεῖν καὶ τῶν μελλόντων ποτὲ αὖθις κατὰ τὸ ἀνθρώπινον τοιούτων καὶ παραπλησίων ἔσεσθαι, ὠφέλιμα κρίνειν αὐτὰ ἀρκούντως ἕξει.〔ibid. Α. 22.4〕
「それでこの朗読を聞いても、そこには物語めいた要素がないので(興味本位の話が皆無であることは)、恐らく聴衆を楽しませるところが少ないだろう。しかしながら、過去の出来事や、これに似たことは人間普通のやり方に従って再び将来にも起こるものだということを明確に知ろうとする人が将来出てくるとして、この本を有益と認めてくれるなら、それで充分だろう。」(1巻22章4節)
ἁπλῶς τε ἀδύνατον καὶ πολλῆς εὐηθείας, ὅστις οἴεται τῆς ἀνθρωπείας φύσεως ὁρμωμένης προθύμως τι πρᾶξαι ἀποτροπήν τινα ἔχειν ἢ νόμων ἰσχύι ἢ ἄλλῳ τῳ δεινῷ.〔ibid. Γ. 45.7〕
「人間の自然的条件が作用して、何かをしようと心が傾く時は、法の拘束力や威嚇をもって、これをやめさせることができると考える人は、よほど単純でおめでたい。」(3巻45章7節)
ξυνταραχθέντος τε τοῦ βίου ἐς τὸν καιρὸν τοῦτον τῇ πόλει καὶ τῶν νόμων κρατήσασα ἡ ἀνθρωπεία φύσις, εἰωθυῖα καὶ παρὰ τοὺς νόμους ἀδικεῖν, ἀσμένη ἐδήλωσεν ἀκρατὴς μὲν ὀργῆς οὖσα, κρείσσων δὲ τοῦ δικαίου, πολεμία δὲ τοῦ προύχοντος· οὐ γὰρ ἂν τοῦ τε ὁσίου τὸ τιμωρεῖσθαι προυτίθεσαν τοῦ τε μὴ ἀδικεῖν τὸ κερδαίνειν, ἐν ᾧ μὴ βλάπτουσαν ἰσχὺν εἶχε τὸ φθονεῖν.〔ibid. Γ. 84.2〕
「危機がこの時点に達し、国内の生活がひどく混乱すると、人間の自然的条件(ἡ ἀνθρωπεία φύσις)が法や習慣の外に出ても不正を行うのが日常になり、感情には流されても正義には従わず、およそ優越するものを敵視するという正体を、好んで人前にさらすようになる。」(『歴史』3巻84章2節)
または、こうも訳せる。
「このような危機に臨むと、生活は社会とともに混乱に陥り、人間の自然の性情が人の世の法に勝ち、法に逆らって不正を犯すのが日常となり、激情には負けても正義には譲らず、およそ自分の上に立つもの、自分より優れているものを憎むという正体を、好んで人前にさらすようになる。」
οὐ γὰρ ἂν τοῦ τε ὁσίου τὸ τιμωρεῖσθαι προυτίθεσαν τοῦ τε μὴ ἀδικεῖν τὸ κερδαίνειν, ἐν ᾧ μὴ βλάπτουσαν ἰσχὺν εἶχε τὸ φθονεῖν.(「なぜなら、敬神(τε ὁσίου)より復讐(τιμωρεῖσθαι)を先にして、不正(ἀδικεῖν=ἀδικία)を犯しても利益を先にするというようなことは、妬み嫉みが少しも損なわれることなしに、かくも破壊的な支配力をもっているのでなかったら、起こり得なかったに違いないからだ。」
直前の84章3節では、
ἀξιοῦσί τε τοὺς κοινοὺς περὶ τῶν τοιούτων οἱ ἄνθρωποι νόμους, ἀφ᾽ ὧν ἅπασιν ἐλπὶς ὑπόκειται σφαλεῖσι κἂν αὐτοὺς διασῴζεσθαι, ἐν ἄλλων τιμωρίαις προκαταλύειν καὶ μὴ ὑπολείπεσθαι, εἴ ποτε ἄρα τις κινδυνεύσας τινὸς δεήσεται αὐτῶν.
「人間はこれらの事柄について共通普遍の法(掟=νόμους)を求めるのであって、そのような法があれば、万人誰でも自分が躓いた時、自分を救ってもらえる望み(ἐλπὶς)が残っているわけだが、相手に仕返しをするとなると。もしかしたらまたいつか、自分が危険に見舞われ時、その法の援けを必要とするかもしれないのに法を忘れ、予めほかに跡形も残さぬような仕儀に至るのだ。」
いずれも、公共の(κοινός)言論を装いながら美名(κάλλος)を語り(騙り)、実際は嫉妬心,私怨や対抗心、支配欲から、目的のためには手段を選ばない人間性の一面を炙り出している。
「戦前は国家の名において、戦後は平和の名において、国家的エゴイズムだけではなく、個人的エゴイズムをも美名をもって正当化し、両者の露骨な対立抗争を避けてきた」(福田恆存『現代国家論』、1965年、『福田恆存評論集』第6巻、279頁以下)とされるように、よく言えば現実主義的、悪く言えば偽善的な(必然的選択の)日米同盟によって破綻を免れてきた日本的戦後の微温的性格は否定できない。それが、護憲派改憲派を問わない戦後の欺瞞的思考の実態であり、それが思想的脆弱性につながる。
所謂「現実主義」とリアルな現実認識とは必ずしも同じではない。「現にあるもの」(παρὸν πάθος)だけを頼みとするのが「現実的」だとするなら、結局刹那主義に行き着く。「ただ現にあるものだけを信じ、希望によって欺かれるな」という思想は、それだけでは正確な現実認識を生まない。
民主主義を機能させるという視点に立てば、民主主義「信仰」は不要だ。必要なのはリアルな現実認識と、自由以上に戦後の日本人に欠落した正義の感覚だろう。
日本人の生命が何より尊重されるべき、という戦後的価値観=「共同幻想」から速やかに脱却すべきなのだろう。
およそ感傷性(μαλακία)から遠い点では人後に落ちない古代ギリシア人は、民主制の発案者であると同時に、民衆政への厳しい内在的批判者でもあった([δημοκρατία]は「デーモスの勝ち」という意味で、「愚衆の勝手罷り通る」に等しい悪名[δισβολή]だった)。
民主制を生かす原理が民主制自体の中にないことを熟知していたようだ。
思えばそれが田中美知太郎の同胞への遺言(διάθεσις)だった気がする。[完]
30年間戦争をして、ローマンカトリックだけではなく、ルターの福音派のキリスト教が認められ、ようやく、ヨーロッパでは正統と異端の二律背反ではない、「学問の自由」が認められるようになった。結果として、ケルゼン風「民主主義」、「話し合いと妥協の政治が花開いた」のだから、その「民主主義を信仰」して続行すればどうだろう。そうした方が「正義」と粋がって戦争をするより、よほど、人々が幸せである。
まず、ルターの信仰(πίστις)、実質的にはカトリック教会との聖書解釈の主導権争いと、民主主義をその趣旨に沿って実効性のあるものとするためにはその価値を闇雲に信奉する、即ち信仰する必要はない、という私の議論とは全く問題の性質が異なるのをカ氏は理解できていない。
民主主義=民主制(δημοκρατία)は政治制度であって、信仰とは別の領域だ。つまり、政治と宗教、政治的選択や合意形成と信仰の自由は明確に区別する(διαιρεῖσθαι)ことが近代社会の基本原理で、カ氏の議論が両者を混同する(μίγνυσθαι)、つまりはき違える(πλημμελέω)前近代的思考の典型であることを物語る。
聖書と憲法の解釈を同一次元で論じる愚劣さは、冷静に考えれば明らかで、ルターと長谷部恭男氏を比較すること自体がナンセンスだ。陰湿な反ユダヤ主義者であるルターをメニエール病の癲癇もちの老婆に、抜け目のない長谷部氏を狡猾な狐に譬えるなら、老婆と狐という種の異なる動物の優劣を比較するようなものだからだ。
聖書のギリシア語からの直接訳も、議論の趣旨とは関係ない。聖書の文言をそのままに受け取ることが必ずしも正確な理解をもたらさず、当時の時代背景を加味して真意に迫らざるを得ないのが、良識(εὐγνωμοσύνη)だろう。
ルター派は30年戦争に先立つ1555年のアウグスブルク和議で容認されており、30年戦争後ではない。それを言うならカルヴァン派、再洗礼派、ツヴィングリ派だろう。
ドイツ狂のあまりの無知(ἀμαθία)に唖然とする。
日本の通説の憲法学者は、日本の安倍首相をヒトラー扱いにしているが、現実は、韓国のムンジェイン大統領なのではなのだろうか。
宗教改革や宗教戦争とは言っても、何も聖書解釈や信仰の自由ばかりをめぐって引き起こされたわけではないことを、カ氏も知らぬわけでもあるまい。
69⇒【ドイツの30年戦争について、ウェストフェリア条約の意味について、der Spiegel誌の記事…フンボルト大学の政治学の教授、H. MuenklerさんのMordlust und Glabensfuror(殺人欲と信仰の狂気)を出典になんども説明…】というが、例の「早稲田のイクステンションセンターで習った」云々と同様、だから何なの?(So What?)という程度の話でしかない。
68末尾で指摘したことを詳述すれば、ルター派は、「三十年戦争」に先立つ1555年に招集されたアウグスブルクの帝国議会で公布された「宗教平和令」に基づき、その第三条、四条において、カトリックとルター派両宗派の諸侯は、相互に相手の宗派の教義や教会慣習などには干渉しないことで平和を維持することを宣言している。その93年後のウェストファリア条約(der Westfälische Friede)はその内容を「追認」したものにすぎない、ということは、高校の「世界史」レベルの基礎知識だ。
カ氏が本欄で何度繰り返したかしれない、「領主の宗教がその領土で行われる」という原則を歴史上初めて確認したのは、無知なカ氏が主張するウェストファリア条約ではなく、アウグスブルクの宗教和議だ。だから、それ以降ルター派はドイツに根を下ろし、やがてデンマーク、ノルウェー、スウェーデンなど北欧にも広がっていくことになる。
いずれにしても、ウェストファリア条約どころか、1618年に始まる三十年戦争は、和議から63年後の話で、カ氏のでたらめさ加減は類をみない。
プロテスタントは別のボヘミア王を立てて抵抗したが、皇帝はスペイン軍の力を借りて討ち破った。しかし、北欧にまで広がったプロテスタント勢力も黙ってはおらずドイツ全域はもとより、デンマーク、スウェーデンも巻き込み、全欧州的な長期戦になった。プロテスタントもルターの衣鉢を継いで充分好戦的なのだ。
ルター派のデンマークは、新教系では同じ英国やオランダから資金援助を得て、領土拡大の意図もあってドイツに侵攻する。1629年にいったん講和が成立したが、それに逆らって翌1630年、今度はスウェーデン国王が、宗旨はプロテスタントなのに、カトリックのフランスの支援を得て参戦。宗教的関心より北欧、バルト海をめぐる覇権争いで1632年にその国王が戦死すると、今度は3年後にフランスがスペインに宣戦布告するありさま。
カトリック、つまりローマ教皇を頂点とする普遍的な(καθόλου=カトリックの原義)教会組織によって一元的に支配されていた中世的秩序の破壊者であるルターという厄病神が播いた種が、世俗的な権力者たち(皇帝、国王、諸侯)の政治的な意図も手伝って戦火を拡大したのが三十年戦争で、ドイツは謂わば身から出たサビなのだ。
高が週刊誌のDer Spiegelや、フンボルト大教授の論説がどうこうという話でごまかせる話ではない。
カ氏が「無知ゆえに」(δι’ ἄγνοιαν)にはき違えて(πλημμελέω)いるか、混同している(μίγνυσθαι)だけの話だろう。カ氏の紹介自体が当てにならない。
まるで現在の文在寅政権と同じで、約束を一方的に破ってゴールポストを移動させる。そういうのを古代人のアリストテレスは、「論点移行の誤謬」(μετάβασις εἰς ἄλλο γέννο=Aristoteles; De Caelo, 268b 1)、即ち、ドイツ語で表現すれば、「全く別の問題領域への不当な移行」(‘einen unberechtigten Übergang in ein völlig anderes Problemgebiet’)という。
故意または無意識に論点を変更する誤謬のことで、カ氏のような論理的思考が元々出来ない「無学」が陥りがちな「虚偽」だ。
もっとも、「論理(学)音痴」の生まれつきの極端な「虚偽体質」だから、ドイツ語だろうと日本語だろうと、てんで認識できまいが。それで、落ち目の女性宰相メルケル婆さんの戯けたハーヴァード演説を楯にして(προβάλλω)、「嘘と真実」(ψεῦσμα καὶ ἀληθές)の見極めが大事とか称しているのだから、噴飯ものだ。
カ氏は何よりもそうした肝腎の「自分について無知」(αὐτὸ αὑτὸ ἀγνοεῖν)で、盲目であることを充分に自覚していない、つまり憐れにも気づかないか、しらばっくれてているから、つける薬がない。懲りずに益体もない言い訳を重ねるから、何度でも間違いを繰り返すし、今後もそうするのだろう。
浅知恵とも呼べない悪あがきもいいところで、それは浅ましい人間性の証左として観察的な興味はあるが、反論らしき「クズ投稿」である69~70は、高校生程度の「世界史」の知識さえ覚束ない、無学ゆえの怖いもの知らずの素人、謂わばドン・キホーテ並みの人物の蛮勇、即ち無分別の赫たる一症例として、座興(παιδειίά)の慰みにはなるかもしれない。
しかし、愚劣(νήπιος)で退屈(ἀναισθησία)この上ない。
一修道士にすぎなかったこの男のある行動をきっかけに起こったカトリック教会内部の改革運動が、世俗の政治権力を巻き込んだ運動になるのは、その舞台となった16世紀のドイツの特殊な事情を理解する必要がある。
フランスの啓蒙思想家ヴォルテールによって、「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない」と揶揄された神聖ローマ帝国がおよそ300前後の大小さまざまな領邦国家、教会領や独立権をもつ帝国都市に分立して、英国やフランス、スペインなどのような中央集権国家体制ヘの転換が遅れていたのが、まさにドイツだ。
ドイツ国王は神聖ローマ皇帝を兼ねていたことで、「世界国家」の理念の基に超国家的政策を追求し、同時に皇帝の座を事実上世襲していたハプスブルク家が自己の勢力拡大に傾注してドイツの国家的統一にはほとんど無関心だった。そうした政治的な分裂状況も手伝って、ドイツは教皇庁の最も重要な財源となっていた、つまり喰い物にされ、教会組織を通じて富を吸い上げられる形となり、憐れにも「ローマの牝牛」と揶揄されたが、それに不満を募らせていたドイツの中小商工業者や農民層の利害が、宗教的な動機に名を借りて爆発したのが宗教改革で、その点火役(イデオローグ)がルター、それを庇護して利用したのが、お尋ね者となったルターをヴァルトブルク城にかくまったのザクセン選帝侯ら改革派=ルター諸侯というだけの話で、生臭いというか、きな臭い話だ。
それが近代の一つの推進力となったのは事実だろうが、カ氏の欧州に関する歴史認識の杜撰さは目も当てられない。
愚劣にもヒトラーになぞらえる隣国の大統領を嗤えまい。οἴμοι.[完]
70⇒【「政教分離」があってはじめて、「民主主義」政治が確立】という命題(προτατικός=一応カ氏の「クズ」のような幼稚な文章でも、愚劣なりに一定の論理的な意味内容[γενικὸν ποινόν]を含んでいるので、そう呼ぶ)と、67⇒【長谷部教授流の…憲法9条を字義通りとる必要はなく、安全保障面の配慮し…常識をはたらかせて…解釈すべきだ、となるのだけれど、ルターは…聖書は言葉通りに解釈すべきだ、と…】とが、どう論理的に接合(κατὰ τὸ στοιχοῦν)するのだろう。憲法と聖書を同一次元で論じる当否はひとまず措いて。
後者は意味不明の(ἁμφιβολος)、真理値(truthe values)が存在しない、「虚偽的な命題」(ἡ ψευδής προτατικός)だから、まともに相手にするまでもないが、その支離滅裂さ(τὸ ἀστάθμητος)に唖然とする。
道理で、頭に蜘蛛の巣(τὰ ἀράχνια)でも張っているわけだ。多分、針金製で容易には取り外せないのだろう。
67②⇒【長谷部流…に…常識を働かせればいい、と考えないドイツ人】というが、ゲーテを金科玉条に盛んに「常識」(τὰ ἔνδοξα)を喋喋し、篠田さんの尻馬に乗って盛んに通説に拠る憲法学者を糾弾しておいて、とんだご挨拶だ。
その時々によって主張がころころ変わって(ἀστάθμητος)首尾一貫しない(ἐναντίος)。その無軌道(ὕβριοτής)ぶりには辟易するが、カ氏に最も欠けているのは、良識(εὐγνωμοσύνη)なのだろう。
文在寅大統領を盛んにヒトラー呼ばわりしているが、気に入らないと、何でもかんでもヒトラー呼ばわりは、真っ当な分別(ὁ ὀρθὸς λόγος)を具えら大人だったらまずはしない。文大統領同様、朝から頭に血が上って(ἀγωνία)、トチ狂っているのだろう。
何やら「巫女」(προφῆτις)らしいから、「神がかり状態」(ἐνθυσιασμός)なのだろう。「政教分離」どころの騒ぎではない。
「ウェストフェリアー条約」なのであって、それによって、「国の交戦権」が認められるようになったのである。それが、ヨーロッパの歴史学の常識なのである。「クラシック」にしろ、「無知の知」にしろ、そうなのであるが、「その常識」が反氏に通じないのはどうしたわけなのだろう。そういう「教育を受けられた」からなのではないのだろうか。今日、テレビを見て、韓国のベストセラー、イ・ウヨン氏の「反日種族主義」について、韓国人の若者が、学校で習う歴史の教科書と内容がまるで違うので、驚いた、とインタビューで答えていたが、私は、西独留学中に韓国育ちの韓国人とつきあったので、その感想にまるで驚かない。韓国の人々は戦後、「反日に歪曲された歴史」を学校で習って育っているのである。私たち日本人も、日教組によって歪曲された歴史を学んでいる面もあるが、真実の日韓併合はどのようなものであったのか、日韓基本条約は、日韓で認識にどのような隔たりがあって、あのような玉虫色の文章になったか、を本来マスコミが両国民に知らせ、考えさせるべきなのである。今の歴史認識は、あたかも韓国の歴史認識が正しいかのようだから、清宮四郎の影響を受けているはずの石川教授も、「他民族帝国」ではなく、「植民地主義」と位置づけ、「否定的」にみておられる。
ゲーテの言っている「常識」というのは、ものごとを判断する場合、難しく哲学的に考えず、常識に従って判断すればいい、と主張しているのであって、憲法を常識的に解釈すべきだ、などとは主張していない。
ウェストファリア条約については、下記の書評にある「ウェストファリア条約 その実像と神話」・明石欽司著(慶應義塾大学出版会)が興味深いです。https://lex.juris.hokudai.ac.jp/csdemocracy/ronkou/endo091001.html
ラテン語が堪能なドイツ人の元教授に、この条約の下、国の交戦権が認められるようになった、ということを知った私は、ウェストフェリア条約は、なにも変えなかった、は少なくともドイツに関する限り、違う、と思う。
それにしても、論理的意識が全くないから、論点ずらし=論点窃取(τὸ ἐξ ἀρχῆς αἰτεῖν=petitio principii)の詐術的議論(παραλογίζεσθαι)、論点移行の誤謬(μετάβασις εἰς ἄλλο γέννο)という、平たく言えばごまかし(τερθρύεῖσθαι)ばかりだ。
語る(εἰπεῖν)に落ちる(πίπτω⇒διαψεύδειν)というのか、1555年のアウグスブルクの宗教和議を、事もあろうに、77⇒【「アウグスブルクの宗教和議」という宗教界の現象ではなくて、ヨーロッパの政治秩序が変化したのが「ウェストフェリアー条約」】と来た。
何んとかにつける薬はない、というが、驚くべき無知蒙昧(ἄγνοια καὶ ἀπαιδευσία)だ。ウェストファリア条約と違って、ルターの死から9年後の出来事だ。「宗教界の現象」などという言い逃れは、何も知らないから、苦し紛れなりに自らが犯した致命的な誤りを言い逃れ可能だとたかをくくって並べているのだろうが、見当違いも甚だしく、「宗教界の現象」などではない。
1546~47年のシュマルカルデン戦争でルター派諸侯に勝利した余勢をかい、宗教的にも政治的にも強硬な政策姿勢に転じた神聖ローマ皇帝カール五世が、息子のフェリペを皇位継承者にしようと謀り、ドイツとスペインを恒久的に一体化させようと目論んだものの、それがドイツの新旧諸侯の利害を全く無視したことで、旧=カトリック諸侯からも強い反撥を招き、1547年に選皇侯になっていたザクセン公モーリッツも皇帝を裏切って再び寝返ってカールに敵対するなかで起きた「政治的」妥協だ。
内容は、72で指摘した通り、「宗教平和令」に基づき、その第三条、四条において、カトリックとルター派両宗派の諸侯は、相互に相手の宗派の教義や教会慣習などには干渉しないことで平和を維持することを宣言したもの。カ氏がわけも分からず繰り返す、「領主の宗教がその領土で行われる」という原則を歴史上初めて確認したものだ。
中世は政治と宗教、つまり世俗の権力と教会とが分かちがたく結びついた世界で、例えば司教や大司教といった高位聖職者は、同時に強大な封建領主であったわけで、宗教界独自の現象など存在しない。「無学」だから避けられないが、莫迦も休み休みいうものだ。
67⇒【30年間戦争をして…ルターの福音派のキリスト教が認めら】のような史実は存在しない。その遥か以前だ。77②⇒【ヨーロッパの政治秩序が変化したのが「ウェストフェリアー条約」】では反論にならず、「論点移行の詐欺」だ。
ウェストファリア条約は、30年戦争後の戦後秩序を規定した多国間の国際条約の先駆けという点では画期的だが、カルヴァン派などの信仰も公認され、オランダとスイスの独立も承認された以外は、ほぼ100年前のアウグスブルクの宗教和議の内容を確認したものだ。
81⇒【西独で音楽学を学ぶと、コペルニクス的転換がおこる】。利いたふうなことをほざいて論点をごまかして逃げを打つ。悔しかったら、本論で真っ当な立論をしてみたら如何、「無学なお婆ちゃん‼」(ἀπαιδευτος γραῦς)οἴμοι.。
ところで、哲学の世界では「コペルニクス的転換」とはあまり言わない。今日なら「パラダイム転換」の先駆とされよう。
ところで、ここに言う転回[Umwärtung]とは、プラトンの重要な概念である魂の向け変え、転向(περιαγωγή=ペリアゴーゲー)のことで、『国家』篇第7巻(514B, 515C, 532B)の中で、洞窟の壁に向かって縛られている人間が、頭を後ろに廻らす、つまりそれまで壁に映る影を実在(εἶναι, οὐσία)だと思っていたのを、影を生じさせる火の光の方へ向きを変えることで、魂および魂の神的な器官、即ち知性を生成流転する(μεταβάλλειν)世界から真実在(イデア=ἰδέα)の方へ転向させる意味合いがある。洞窟(σπήλαιον)の比喩だ。
カ氏は実に無邪気(ῥᾳθυμηος)だ。実際は邪気(κακοήθεια)がないどころではないほど、虚飾に満ちた(ἀλαζονικός)驕慢な御仁だが、単純(ἁπλοῦς)でお目出度い(εὐήθεια)ところがあるから、何でも簡単に口にする。
それはともかく、如上の言葉は、カントの『純粋理性批判』第2版序文(1787年)に出てくるだけだが、あまりに有名で、カ氏のような「哲学音痴」でも、飾りとして弄びたいのだろう。論旨は全く不明だが。
「この事情はコペルニクスの主要な思想とまったく同じことになる。コペルニクスは、すべての天体が観察者の周囲を運行するというふうに想定すると、天体の運動の説明がなかなかうまく運ばなかったので、今度は天体を静止させ、その周囲を観察者に廻らせたらもっとうまくいきはしないかと思って、このことを試みたのである。」『純粋理性批判』第二版序文(Vorrede)=篠田英雄訳、岩波文庫、上巻33頁)
哲学にそれほど興味のない人間には、カントより、岩波書店発行の論壇誌『世界』の初代編集長で戦後の平和運動の中心的役割を担った吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』の主人公コペル君の方が通じやすいかもしれない。主人公の叔父である哲学愛好家が、少年にいろいろ教えるなかで登場する。
カ氏は気ままな(ἀκολασία)性格で移り気(ἀσύμφωνος)なのだろう。論旨が首尾一貫せずこところ変わることは既に指摘した通りだが、いろいろな議論を仕掛けては中途半端(ἥμιγενής)なままで放置する。意地になって熟慮せずに書いた、苦し紛れの85も悲惨だ。「無学」以上に、つける薬がない。
それは表記法にも明瞭で、ウェストファリア条約(der Westfälische Friede)でも、85はそのままだが、他に「ウェストフェリアー条約」(77, 82)だったり「ウェストフェリア条約」(69, 82)、時に以前のように「ウェストファーレン条約」だったりする。怠け癖(ἀργία)でコピペを繰り返しているのも影響しているのだろうが、気分次第なのだろう。
82⇒【ラテン語が堪能な(ギリシア語を解さない=筆者註)ドイツ人の元教授】といい、カ氏の知的虚栄心(ἐξαπατηθῆτε)をくすぐるのだろう。
妻が死んでいくら暇でも、相手にするだけ莫迦なのだろう。οἴμοι.
日韓関係はますます対立を深め、関係改善は困難になる気配だが、昼下がりの韓流ドラマの盛行ぶりは変わっていない。妻が時間帯ごとにセットしてあるので、突然、画面が切り替わり、思わず苦笑する。
ハングル(한글)は言語の名称ではなく、文字(表音文字)の意味。公共放送の「ハングル語」講座という呼称は、学術的には朝鮮語で専門家の間では何ら対立はないが、韓国語と言えば南に、朝鮮語と称すれば北に、というように政治的な色合いがつくのを忌避した思惑が文字であるハングルに逃げ場を求めて帰着した結果だ。
「ハン」は偉大な、「グル」は文字の謂いだ。李氏朝鮮の第4代国王世宗が1443年に考案した「訓民正音」で、漢字が読み書きできない民衆でも文章が書けるよう内密に制作され、支配階級の両班層の抵抗を退けて3年後に公布したものだ。知識層は「諺文」(オンモン=언문)と呼び侮蔑の対象にした。長らく女文字(アムクル)とされ使用者は女性が主だった。知識層の男は漢字=真書(シンソ)を使い続けた。
ところが、日本統治下で改めて文字自体の合理性と文化的独自性が再認識され、広く使用されるようになった。戦後、北朝鮮は漢字を全廃してハングル専用となった(조선글=「朝鮮文字」と称する)。韓国は朴正煕大統領時代の1970年に漢字教育を全廃したが、その後復活し、21世紀初頭まで、ハングル専用論者と漢字併用論者との対立は熾烈だったが、現在はハングル専用論が優勢だ。
シナの文化の正統な継承者意識である「小中華」を自認する国柄ではあっても、だからこそと言うべきか、その桎梏からの独立を意味するハングルの民族的独自性への盲目的排他主義(chauvinism)が息づいているのが韓国という国家だ。彼の国は、どこに向いても難しい国なのだ。
それが89②⇒【大事なことをどうでもいいと思い、どうでもいいことを大事に考える】ことか否かはこの際措いて、カ氏のように何も知らない(ἀγνοέω)で国家公共の事柄(τὰ τῆς πόλεως πράγματα)を喋喋する無謀さと慢心は戒め、齢70近く、歳相応の分別(σύνεσις)もつきそうな年齢なのだから、精神の幼児(ἔκγονος)並みの悪あがきは程々に、得と蜘蛛の巣の張った頭を冷やして考えたらよい。
言語学者が一致して朝鮮語と称する朝鮮民族の言語を、なぜ公共放送が政治的な思惑もあって、文字の呼称をとってハングル(한글)とし、なぜ、それまで固有の文字を有せず、漢字の読み書きできない民衆のために国王の創案で開発された訓民正音(훈민정음)なる人口文字が、支配層や有識者によって「諺文」(언문)と蔑まれ、普及がどれほど遅れたか、それが朝鮮の歴史と如何に不可分(ἀμερής)に結びついているのかを、何も知らないがゆえに無駄口を叩く(ἀδολεσχεῖν)のが、極端なイデオロギー体質のカ氏で、滑稽で身の程知らずにも、それで性懲りもなく「無知の知」(μὴ οἶδα οὐδὲ οἴομαι εἰδέναι)由来の「無智」などを振り回している。
ところで、小森寿太郎て、誰?
現地の体験(πείρα)や見聞(περιπτωσις)、つまり素朴な直接経験というものが、ものごとを根底から本格的に考える、しかも種々の要素を加味して総合的に考える(συλλογίζεσθαι)、つまり、相互に矛盾対立(ἀντίφασις)するものを含め混沌とした現象(φαινόμενον)、畢竟「現実」(τὸ γιγνόμενον)をとらえるうえで、いかに他愛もなく(ῥᾳθυμηος)役立たない(ἀχρεῖος)ものであるかを痛感させる。
それもこれも、カ氏の「比類なき凡庸さ」(τὸ ὑπερβολή μέσος)と我執(πικρία)、軽薄さ(κοῦφος)の為せる業だろう。
現実は複雑な構造であり、単なる経験知(φρόνησις)を越えた、そう成る(γίγνεσθαι)べくして成立した必然的な(ἀναγκαῖος)もの=現実(ἔργον γιγνόμενον)、つまり「他でもあり得るもの」(τὸ ἐνδεχόμενον ἄλλως ἔχειν)ではなくして、まさにそうであって「他ではあり得ないもの」(τὸ οὐκ ἐνδεχόμενον ἄλλως ἔχειν)としての必然的なものなのだ。
「幼な児のように酷い目に遭って学ぶ」(ὥσπερ νήπιον παθόντα γνῶναι)以外に知恵がない、しかも怠慢極まるカ氏が何も知らないだけだ。
カ氏はその意味で、スペインの哲学者オルテガ・イ=ガセ(José Ortega y Gasset, 1983~1955)が『大衆の叛逆』(‘‘La leberión de las masas.’’, 1930)の中で描き出した大衆(masas)、即ち「平均人」(‘el hombre medio’)そのものなのだろう。
No se entienda, pues, por masas soló ni pricipalmente 《las masas obras》. Masa es 《el hombre medio》.(‘‘La leberión de las masas.’’, Obras Completas, 1983, Vol. 4, p. 145)
「大衆という言葉をただ単に『労働者大衆』を指すものとか、または主に『労働者大衆』を指すものだと解さないでほしい。大衆とは『平均人』のことである。」
月末に届いたオルテガ・イ=ガセの全集をめくっていると、人間自然の性情(ἡ φύσις ἀνθρώπων)は変わらないなと痛感すると同時に、オルテガが『大衆の叛逆』を執筆した1930年当時のヨーロッパが、現代大衆社会の本格的な幕開けだったのだなと改めて思い知る。
93でカ氏に進呈した「平均人」(‘el hombre medio’)なる、大衆に関するオルテガの判断についても、本欄で二度紹介済み(2月17日・350と2月19日・369)だから、改めて繰り返すまでもないが、この社会の大半の人間は事の本性上「大衆」でしかない道理だから、その自覚の有無を含め、「上から目線」の哲学者の嫌味として、人ごとでは済ませられない。
ヤスパースも、大衆社会化の本格的始動時期における精神的状況を凝視した『現代の精神的状況』(‘‘Die geistige Situation der Zeit.’’, 1931)で、精神病理学者ならではの冷徹な「診断」を示している。
現代社会の工業化、生産、経営の合理的組織化によって、一切の作業の合理化と機械化に伴い組織に組み込まれた人間が、代替可能な画一的な一機能(eine Funktion)に陥ってしまい、「単独者」(der Einzelne)としての人格的で自由な人的交流を喪失して「平均人」(‘el hombre medio’)としての大衆に埋没してしまった、戦間期の「時代精神」(Zeitgeist)を剔抉している。
民衆の論理や心理との乖離、違和感は、30年代の精神状況を抉り出したオルテガの『大衆の叛逆』にも通じる。
現代の文明批評として卓抜な視点を示し、そこでは全体意志による、つまりは国家による教導や調整に限界があることを指摘しており、ナチスが政権獲得に向かう時代状況に警鐘を鳴らしたが、窮状に追い詰められ猛り狂ったドイツの民衆を前には為す術がなかった。
「現代の病理」は、戦間期のドイツの精神状況の中に典型的に現われており、それを現存在の実存分析による「頽落」(Verfallen)とみたハイデガーとの共通点は少なくないが、ハイデガーと異なり、時代の困難を突破する「決断」への通路としてナチズムに期待感を寄せた前のめりな政治的傾斜はヤスパースには皆無に近い。「国内亡命」を選んだヤスパースは戦後も孤独だった。
ドイツの戦後の「非ナチ化」(Entnazifizierung)という国民的な合意が、精神面では如何に皮相な(λεπτός=flimsy)ものだったかをうかがわせる。
もっとも、ヤスパースの時代は、ドイツが東西冷戦の最前線に位置したこともあり、共産化への防波堤として経済復興が急務だったから、ドイツ人にとって「悪夢」であるナチスの蛮行に向き合うことは不充分で、隠蔽されるか無視された事実も多く、専らそれをヒトラーとナチスの罪過として遣り過ごした。ナチズムの蛮行への国民の関与に関心が芽生え、本格的な議論が始まるのは、ドイツでも学生叛乱が起きた1960年代末期の出来事にすぎない。
祖国を破滅に追い込んだナチスの暴走を憎悪しつつ、「戦時中の苦しみを共有しなかった」という点で、戦後のドイツの民衆の共感を得にくかった海外脱出を選択せざるを得なかったユダヤ系知識人や西欧流民主主義者の亡命知識人が見直され、ドイツで正当に理解され始めるようになるのは、さらに遅れて1970年代以降だ。
そこで現代の病的現象として論じられたのは、「エリート」固有のノーブレス・オブリージェ(‘noblesse oblige’)を放棄して現状肯定に安らっている知的職業人や経営エリートら、経済がグローバル化した現代社会の中で通常「国際派」と目される、もう一つの「大衆」=「似而非エリート」だった。
ラッシュは、グローバル化とかコスモポリタニズムというお題目=美名(κάλλος)を隠れ蓑に国境を越えて流動する経済に狂奔し、グローバルなネットワークに依存しながら、‘noblesse oblige’を放棄して市民社会を(民主主義も)を掘り崩しつつある知識人、経営エリート層の自己閉鎖的な精神的頽廃を抉剔した。
それに倣えば、政治の実態についてほとんど何も知らないに等しい単細胞が、知的な越権(πλημμέλεια)から、とんだ思い違い(ἑτεροδοξία)に基づき、熱病(θερμόν)に浮かされたような俗悪(φαῦλος)で陳腐な(πρόχειρος)かつ「とるに足らない」(φλαῦρος)たわけたお喋り(μωρολογία)に汲々としているのが、本欄の「道化者」(βωμολόχος)たる老媼の実態だろう。
私情(ιδιώτης)にかられて、自己目的化した「投稿のための投稿」に日々勤しんで暇つぶし(διατριβή)に余念がない(σπουδάζω)ようだ。
パスカルが神なき人間の悲惨(‘misère re de l’homme sans Dieu’)の最たるものとした ‘divertissement’(気晴らし)に通じる。οἴμοι(あ~ぁ)[完]
ヒトラーと安倍晋三さんを同一視して論をすすめ、その対談をされた当時2017年10月3日の日本が、ワイマール末期のドイツとよく似ている、と石田教授は主張しておられるが、ワイマール末期のドイツは、敗戦から15年しかたっていなかったから、戦争の傷は癒えていなかったし、英仏に対する膨大な賠償金の支払い、大恐慌に端を発する猛烈なインフレで、失業者が街にあふれ、庶民の生活がたちゆかなかったのである。2017年10月当時の日本とどこが似ているのだろう。
あのころ、「緊急事態条項」という言葉をよくきいたが、このブログに出会う前だったので、調べもせず、そのまま聞き流していたが、ナチスが異常な権力をもったのは、「緊急事態条項」ではなくて、国会焼き討ち事件を契機とする「全権委任法」なのである。1933年3月24日に成立した「全権委任法」は、正式には「民族および帝国の困難を除去するための法律」略して授権法ともいうが、この法律は、内閣に対し無制限の立法権を賦与し、大統領の諸権限は縮少さるべきてないと規定した。要するに、この法律によって、議会政治がこれで否定され、内閣が無制限な立法権を有したから、ユダヤ民族を標的とする「人種法」が制定されるのである。
これもきっと、「民族と国家の困難除去のため」だろうが、そんな韓国のムンジェイン大統領の方が、議院内閣制の枠内で政治をされている日本の安倍首相よりも、ずっと、ヒトラーに近い、と私は思う。
お詫び、コメント89で、小村寿太郎を、小森寿太郎としてしまいました。お詫びして訂正します。
韓国の次期法務部長官(法相)候補で文在寅大統領の側近である前民情首席秘書官曺国(チョ・グク)氏に対する疑惑が深まっている。会見での言い分を聞いていると、その見苦しい説明は、カ氏の89⇒【反氏お得意の、私の誤字、脱字ケアレスミスをつく作戦を展開…】以下の戯けた言い方にも通じる。
もっとも、あちらはカ氏とは異なり頭脳明晰な(ἀγχίνους)能弁家だから、碌な応酬の作法さえ覚束ないカ氏とは対蹠的だが、見苦しいことに変わりはない。
そんな自分を(αὐτός)棚に上げて(ἐάω)、謂わば自分を等閑にして(ἀμελέω)思い上がっている(ὕβρίζω)カ氏くらい、臆面もない御仁も珍しい。厚顔無恥(ἀναισχυντία)という言葉はドイツ語(Unverschämtheit)にもあるはずだ。
しらばっくれて(εἰρωνεύομαι)て、懲りずに(ἀκολᾶτος)益体もない(ἄχρηστον)御託を並べ、こともあろうに、「道徳」(91⇒「徳のある国のすることか」)と嘯いて(εἰρωνεύομαι)いるが、笑止この上ない。
カ氏に他を語る資格など皆無だろう。それにしても、よく間違える。以前も、【私に学識がないというのは、ほとんどがタイプミス…瞬時に訂正できない、ということから由来】(12月1日・221)のような種類の弁解を何度も重ね、一向に革まる気配がない。無学は客観的事実で、もはや証明済みだ。これ以上証拠を追加してどうする。
驚異的で、病気(νόσος)だし、魂の欠陥(κακία)だろう。οἴμοι.
‘Les fous et les sottes gens ne voient que par leur humeur.’(La Rochefoucauld; Maximes 414)
つまり、併合の歴史について今日明らかにされた事実と歪みなき認識に立って振り返れば、もはや日本側の解釈を維持することはできない。 併合条約は元来不義不当なものであったという意味において、当初よりnull and voidであるとする韓国側の解釈が共通に受け入れられるべきである、と韓国人だけではなくて、100名を超える日本の文化人が考えておられる。日本の人口1億人からすると、微々たる数なのであるが、ノーベル文学賞を受賞された作家もおられるし、大学教授もマスコミ関係者も多い。2010年に日本の良識派の知識人が、そう主張している以上、「道徳観のない」安倍政権が悪い、と韓国人が思うのは、当然だ、と思う。
大事なことは「歴史の真実を探求」すること、「良識派と自称する」知識人には騙されてはいけない、ということが、最近、韓国の実証経済学者、イ・ウヨン氏に学んだことである。
『箴言』はいずれも短文で、手元のプレイヤード版全集(Œuvres complètes, Bibliothèque de la Pléiade)をめくり、その時々の気分にしっくり合うエピグラムを選ぶ。結果的に、その時々の心模様を映す鏡にもなる。心模様次第で、同じものでも印象が異なる、つまり、心にしっくりくる感じが違ってくる。
カ氏がウェストファリア条約の表記について、特段の理由なく多彩に変えているのを(いずれも間違いではないが)、「怠け癖…でコピペを繰り返しているのも影響…気分次第なのだろう」(88)と散々な書きようだが、あまり他を嗤えない。殺伐非情の私にも、当然ながら、感情があるのだろう。
ところで、ものごとを考える際に、人間が最も警戒すべき(φυλακτέον)なのは、自分自身である。人は、気づかぬうちに(λανθάνειν)自分で自分を騙す(ἐξαπατάω)、つまり自分によって体よく騙される(ἐξαπατηθῆτε)ことがあるからだ。言い換えれば、自分で自分に嘘をつく(ψεύδομαι)ことになる。
この気づかれない嘘(ψεῦσμα)は、無知ゆえの偏見(ὑπόληψις)だったり固定観念(φαῦλος ὑπόληψις)だったりもするが、感情を制御(κυβερνάω)できないことにもよる。
そういう時には、気分を変えるに限る。昨日4日、妻の死去でほったらかしの屋敷内の草を刈った。1箇月で相当伸びる。涼しかったので助かったが、300坪あるから結構大変だ。
カ氏も頑張っているが、そう殺気立つこともない。私には「頭を悪くするだけョ」と亡き妻が言っているようだ。οἴμοι.
私がプラトンを引用するのは、プラトンが古代アテーナイ発祥の民主政治(δημοκρατία)について、最も根源的な洞察をしているからだ。ソクラテスを事実上殺す(ἀποκτίνω)のもまた、民主政治なのだ。
定義(ὁρισμός)云々なら、そもそも民主制は、言葉の元の意味通り、「民衆(多数者)の支配(優先)」(δημο[ς]-κρατία)、畢竟「多数者の専制」に外ならず、他にトーキュディデースも([δημοκρατία]は「デーモスの勝ち」という意味で、「愚衆の勝手罷り通る」に等しい悪名)、シュムペーター(「民主主義的方法とは、政治決定に到達するために、個々人が人民の投票を獲得するための競争的闘争を行うことにより決定を行う制度的装置」)も援用している。
いずれも、民主制の原理が民主制自体の中にないことを熟知していた。経済学者のK. J. アローは、民主的合意形成には根本的パラドックスが内臓していることを数学的に証明している(“Social Choice and Individual Values”、2nd. ed., 1963の中の「社会的厚生関数の一般可能性定理」)。
優れた舵取り役(κυβερνήτης)を欠くならば、民主制それ自体に価値はない。
90⇒【「二大政党制」による「与野党対立」が…「民主政治」にとってよくない】というが、中選挙区制時代の社会党を筆頭に、野党は常に【「妥協、話し合い」ではなく、「糾弾、審議拒否」】だったことは、カ氏も熟知していよう。立憲民主の手法は先祖が返りなのだ。
二大政党制の眼目は政権交代の可能性を高める装置だということで、要は制度によっては、野党政治家の本質は容易に変わらないだけの話だろう。
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