先日、「安倍・ロウハニ会談こそが、日韓対立克服の試金石」という題名の記事を書いた。日本にとっても意義があるということを書いた。http://agora-web.jp/archives/2041587.html
だが、それでは、ロウハニ大統領との会談それ自体に何らかの突破口があると言えるのか?本当はそこが問題だ。
「イランさん、もう少しアメリカの言うことを聞いてくれませんか?」と誘っても、のってくるはずはない。イランは制裁対象となって経済的には苦しいとされているが、そんなことは通常の選挙民主主義国とは違って、政治指導者層には大した問題ではない。制裁解除がレバレッジになると考えるのは無理だろう。
おそらく重要なのは、イエメンである。安倍首相は、どうやって効果的に「イエメン」という単語を口にするか、よく考えるべきだ。
イエメンの「フーシー派」の名前は現在、サウジアラビア東部州石油施設攻撃の主体であったかどうかだけで日本のニュースで言及されている。極めて視野が狭い。
イランを糾弾するアメリカのポンペオ国務長官の糾弾に対して、ザリフ・イラン外相は、イエメンの窮状の写真を掲載して対抗した。https://twitter.com/JZarif/status/1174002704483520514 イエメン情勢に関心を払わないアメリカが、サウジアラビア石油施設への攻撃でオロオロしてイランを批判しているのは茶番だ、という指摘である。イエメンではアメリカを後ろ盾とするサウジアラビア主導の連合軍が軍事介入し、イランを後ろ盾とするフーシー派がそれに対抗して、サウジアラビアに攻撃をし続けている。
実はアメリカでも民主党主導の議会は、イエメン情勢を憂い、サウジアラビアに対する武器供与をトランプ政権にやめさせる決議を出している。トランプ大統領が拒否権を発動しているだけだ。イランの立場には説得力がある。
もちろんイランは人道的な理由だけでイエメンを見ているわけではないだろう。だがそれも含めて、イエメンの重要性を、ロウハニ大統領との会談にあたっては、まず強調すべきだろう。
フーシー派が、事実上の停戦提案を、サウジアラビア側に対して出した。極めて注目すべき動きだ。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190921-00000027-reut-asia
湾岸諸国がフーシー派の駆逐を、もはや非現実的な目標だとして断念するかどうかが問われている。フーシー派の存在の認知こそがサウジアラビアを含めた湾岸諸国の安全を保障する措置である、イランに圧力をかけても何も進まないぞ、という示唆は、強力だ。
サウジアラビアとイランの関係に関して言えば、シリアよりも、イエメンのほうが、重要である。イエメンにおけるフーシー派の存在を認める国際社会の流れは、イランに対する大きなレバレッジになる。
もちろんムハンマド・ビン・サルマン皇太子(MBS)が主導する形で引き起こされたサウジアラビア主導のイエメンへの軍事介入は、簡単には終わらないだろう。日本がMBSを説得できるはずもない。しかし、MBSがイエメンでフーシー派を完全駆逐できると今でも信じているとも思えない。日本がイランと対話できるのは、イエメンに関して中立的であるからだ、とも言える点を、よく認識するべきだ。
アメリカとイランを直接対話させるなら、イエメン和平の国際会議を開き、両者が参加する形をつくるしかない。もともとイエメン情勢を度外視して、アメリカがサウジアラビアと対立するイランと交渉して成果を出す状況など、想像できないのである。
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私が引用したドイツ近代史家、林健太郎が最初は1968年にプエルトリコであったアジア研究協会主催のThe VI. Seminar of the Conference on Modern Japanでの研究報告で同年雑誌に掲載され、一冊本選集『歴史と体験』(1972年、文藝春秋社)に収録された「1930年代の日本とドイツ―一つの比較試論―」は、日本とドイツの比較として均整のとれた論考だ。
同じ全体主義国家でも、日本とドイツが如何に異なっているか、手際よく分析している。ドイツに留学した割には、カ氏が専攻違いとはいえ、肝腎なことは何も知らないことを痛感させる。
9~11のようなクズ投稿は一本にまとめればよいものを、よく考えずに書き出すから、1930年代を経て大戦に至る両国の政治と歴史について、肝腎な議論が何も出てこない。
最近話題の元侍従職による昭和天皇の『拝謁記』などをもち出して議論をすり替えても、何ら有効な反論にはならない。カ氏が如何に、真面目に議論などする気も、その知識もない憐れむべき「無学」か、自ら証明しているようなものだ。
林の趣旨は、丹念に比較すると英米仏に比べ日本とドイツが遅れてきた列強として個々の点で共通点があるものの、同時に如何に異なっているか、多面的に論じている。一種の形容矛盾ともみられるドイツの「国家社会主義」(Nationalsozialismus)がドイツ固有の近代化の産物であることを教え、少しも古びていない。
9⇒【あれから、何年経っているのだろう】のような寝言は、カ氏がその時々の新奇な話題に飛びつき、幼稚な素人論議を展開するしか能がない、お調子者でしかないことを痛感させる。林は手堅い実証主義的手法で問題の核心をついており、史料批判の初歩も弁えないカ氏のような「無学」とは異なる。
莫迦丸出しだから、よく考えてコメントしたらよい。
林健太郎の特色は、若い青年時代からのマルクス主義へ傾倒し、その本質を見てきたことである。そして、以下の言葉にマルクス主義への洞察があらわれている。
「戦後日本の思想界で猖獗を極めたと言ってもよいマルクス主義の勢力は今日ではすっかり衰えた。それは前にも言ったように、そのマルクス主義を実践した共産主義国家の実態がすっかり明らかになったからである。また唯物論とか弁証法とかいう理論が、人々の心情にさっぱり訴えなくなったということもある」
「しかしそのようにマルクス主義の理論そのものは衰退したとはいえ、それが残した後遺症のようなものは根強く存在している。それは国家というものに対する誤った考えである。マルクス主義は国家を支配階級の道具と規定し、それを闘争と打倒の対象とした。そしてその理論はなくなっても、国家を否定の対象とする心情は残った。平和とか国際主義とかいう観念が、そのような反国家主義の心理的支柱になっているようである」
林健太郎も滝川事件に失望した通り、戦前の国家主義を批判するのは良しとして、(フランス革命を生ぬるいと考えるほどの異様な破壊屋の)マルクス主義者たちが、真正の平和主義者や国際主義者のようにカムフラージュし、多くの日本人が悲しくも洗脳されていったという戦後日本の悲喜劇を示唆している。
戦前は、似非インテリが、日本が大陸の泥沼にはまっていくなかで、ファシズムとマルキシズムという左右の全体主義にひかれて、(日本の自由主義者はナチスドイツと組んではならないと警告したが)、結局は戦争の道に進んでいった。
戦後は、ファシズムは完膚なきまで粉砕されたが、またまた、似非インテリどもが、今度は「マルキシズムこそがファシズムを退治するものだ」と信じこんで日本に大混乱をもたらした。
戦前は日独伊三国同盟を煽り、戦後はソ連や北朝鮮、中国を称賛した朝日新聞がその愚劣な似非インテリの象徴だ。そして、この連中は言論の自由や思想の自由を唱えながら、すぐに言論を封殺しようとする。公正は議論に応じない。姑息な印象操作だけに生きている。
そして、戦争の反省を主導する正義の使者こそ我々だと己惚れて、中国や韓国の反日を煽りまくって、にっちもさっちもいかない状態に日本の外交を追い込んだ。性懲りもなく、間違った方向に世論を誘導し、完全に頭がおかしいのである。本物の啓蒙家ではなく、ただの思想かぶれの野次馬であった。朝日新聞の記事を鵜呑みにして、その社説をオウム返しに繰り返す大学教授の知的レベルも信じられないほど低い。実社会にでて自分の目で実態を観察することが不可能。語学と論文書き物だけしかできない痴呆である。
真正の自由主義者の平和主義の考え方は、篠田氏などのように国際協調の正統的な考え方にもとづき、人類の理想を解析し、それを正しく受け継ごうという思想がある。その際に過剰に自虐的にならずに、かといって安易で楽天的な期待に安住させるでもなく、人々を正しく啓蒙する。
これに対して、マルクス主義者はまず憎悪というものが先頭にくる。なんでもかんでも憎悪を煽るのがマルクス主義者の流儀なのである。それは書籍を読んでいるだけでは絶対にわからない。
たとえば80年代以降にマルクス主義者やそのシンパに流行していた「平和教育」とは以下のようなものである。
その一)まずナチスのホロコーストによるユダヤ人の悲惨な死体の山の写真を子供たちにみせる。そして、ナチスを嫌悪させ、人類の敵と教える。
その二)次に、中国の南京での戦場後につみあげられた戦火による大量の死体の写真を見せる。そして、両者が同一次元のものとして、ナチスを憎むのように、こうした死体を生み出した戦前日本という国家を憎悪させる。
その三)そして、手のこんだ方法で現代の日本もその罪を背負っている。ところがドイツほど日本は反省していない。それは今の政府が悪いからだ。
これが典型的な日教組教員による平和教育だった。マルクス主義者の平和教育とは革命の戦士を育てるために、どんな手段を使っても現政府または国家を憎悪させることであったのである。
ところが、日本の戦後の場合は、
・朝日新聞など守旧マスコミが膨大な地方紙を含めてほぼ完全に同一論調
・テレビも新聞社の支配下で完全に新聞論調に追随
・学校教育は、日教組とその講師団が中枢を掌握(朝裁判日記事を教材に積極使用)
・学界はマルクス主義者やそのシンパが陰湿な徒弟制度で中枢を掌握
・出版業界も大学教員の言うまま。伝統ある出版社は朝日記者を崇拝
その結果、出版業界の片隅で雑誌にのせた言論さえも、目をつけられたらタカ派または国粋主義者やナチスなどと悪魔化されてむちゃくちゃなレッテルをはられて言論弾圧された。
(竹山道雄は米国空母寄港を肯定し危険人物と悪魔化され、渡部昇一はナチスの優性思想の信奉者とされて袋叩き。いずれも言論界の主流から抹殺された)
この左翼の決定的な特徴はひとつ。「決して反論を許さない」ということである。上記の竹山道雄も渡部昇一も、一切反論を許容されなかった。
圧倒的な部数と報道力をもった新聞紙面にわずかばかりの反論機会を与えることもなかった。それで延々と紙面で罵詈雑言を繰り返した。
あの異様性は、やはりソ連や中国の人民裁判とそっくりである。若い人々はまったく知らないと思える。
もしあれで、マルクス主義者が日本の政権を掌握していたら、恐怖の言論弾圧が実行されただろう。実際に、日本社会党などは、戦前の日本を肯定するような言論人は、ドイツでナチスを讃える言論が許容されないように、処罰すべきと主張した。そしたら、外国人でも戦前の日本を肯定したら言論弾圧するのかというくらい狂った話である。狂ったファシストとマルキストは病的な偏狭性において実にそっくりであった。
現在の、米国のトランプ大統領の「国際協調を無視」した「自国第一主義」、なんでも二国間協議にして、武力や経済力を背景にデイールや圧力で片づけよう手法は、危ないのであって、日本政府は、同じ価値観をもつ国と協力して、日本国憲法にあるように、自国のことのみに専念して、他国を無視することなく、再び、国際社会に、多国間の枠組みで、妥協と協調を基盤とする「民主主義」を取り戻す努力をしてほしい、そして、中東問題、シリア、イエメンにもいい解決策がみつかれば、と思う。
つまり、似非知識人は、自分の考えを「絶対視する」から、言論界でこのような態度に出られるのだし、「日本社会党」や「共産党」などのマルクス主義者が日本の政権を掌握していたら、恐怖の言論弾圧が実行された、ことは確実だろう。狂ったファシストとマルキストは病的な偏狭性において実にそっくりであったからこそ、第一次世界大戦後、H.ケルゼンがC;.シュミットに対抗して、「民主主義の本質と価値」を書いたのであり、現在、「シュミットの理論」が復興し、現実に独裁的に政治を推し進めているトランプ大統領、ジョンソン首相、ロシアのプーチン政権、韓国のムン政権、ハンガリーのオルバン政権、ポーランドのモラヴィエツキ政権など、を思い浮かべた時、日本人は、「中国共産党」だけを敵にするのではなくて、「自国中心主義」の「国家社会主義」思想にも警戒感をもち、現実に、「自由」と「民主主義」を守る政権、を支持していかなければならない、と私は思っている。
ただし、少数の極めて優秀な一部の支配階層(世界有数の教養市民層、所謂ドイツ版‘mandarinism’=「文化的保守主義」を特質とする知的教養層)を除いては、さらに1932年までは総人口の1%未満にもかかわらずドイツの学術や文化を支え、同国のノーベル賞受賞者の29%を占めたユダヤ系市民を除けばの話だ。同じドイツ語圏のオーストリアに目を転じれば、ウィーンの宮廷文化は、実質的にはユダヤ文化なのだ。
カ氏が言及した大山定一も指摘するように、ドイツにはメランヒトンを除いてまともな人文主義者がおらず、従って伊仏英のようなまともなルネサンスさえ花開かなかった。だから粗野で野蛮なのだ。
その典型が、ルネサンスの潮流を押し戻した反動のうち、特に顕著なものとされる1527年の所謂「ローマ劫掠」で、ローマがルネサンス文化の影響を享受していなかったドイツとスペインの軍隊によって占領された結果、ローマのアカデミーも破壊された。貴重な古代の写本や文物など遺物のほとんど全部が掠奪され、破壊された。
三十年戦争で国土全体が荒廃する百年前の出来事だ。三十年戦争は後進性の原因ではなく、後進性を加速させただけだ。少しはお勉強するといい。
その様子は、蛮行に立ち会ったアカデミー館長をして、「疲弊したギリシアと眠れるイタリアから、平和と学問と芸術という飾りをドイツは奪った」とされたほどだった(歴史家パオロ・ジョヴィオが書き残した=J. E. Sandys, “A History of classical Scholarship”, vol. 2に詳しい)。
‘Les fous et les sottes gens ne voient que par leur humeur.’(La Rochefoucauld; Maximes 414, Œuvres, Bibliothèque de la Pléiade, p. 458.)
カ氏がよく例に挙げるルター訳聖書で使用されたのは「東部中高ドイツ文章語」であるザクセンの官庁語マイセン・ドイツ語で、それが「新高ドイツ語」(Neuhochdeutsch)=文章語の地ならしのために貢献したことは事実だとしても、カ氏の物語思考が描き出す「ルターが聖書をドイツ語に翻訳してから、学問や芸術の分野でもドイツ文化が花ひらいた」ようなことは、言語学的には少しも裏付けられない。
「新高ドイツ語」の成立期(1650年ごろ)とルターの聖書訳完成(1543年)との間に百年以上あることも、近代ドイツ語確立の跛行性を裏付けている。エリート層から截然と分離された民衆の特有の粗野さ(ἄγροικον)の背景には、ようやく18世紀後半~19世紀初頭にかけて共通文章語として東部中部諸方言を基盤に形成された標準ドイツ語が、話し言葉は低地ドイツ語型の発音で行う方式を採用した結果、言語学者に「低地ドイツ語の音声による高地ドイツ語」(聖書言語学者のW. G. Moulton)と揶揄されたような特異な言語的事情が後進性に拍車をかけた。
政治的後進性はいうまでもない。およそ300前後の大小さまざまな領邦国家、教会領や独立権をもつ帝国自由都市に分裂した小国が、「ほとんど完全な主権と独立を獲得」(Erich Brandenburg und Hugo Hantsch=『ブリタニカ国際大百科事典』第14巻、164頁[Encyclopaedia Britannica第15版からの転載]))するという、文字通り田舎の群小領邦国家群に「神聖ローマ帝国」(das Heilige Römische Reich=962~1806)の冠を戴かせただけで、長らく停滞にまどろんでいたのだ。
その元凶は古代ローマの歴史家タキュトスの『ゲルマーニア』をみるまでもなく、いろいろあろうが、功罪を含めて厄病神の一人は紛れもなく宗教改革の指導者=イデオローグのルターで、彼がどれほど狂信的な人物かは、試しにその反ユダヤ主義的な数多の発言をみれば歴然としている。
「愛するキリストよ、ご存じあれ。そして、断じて見まちがうことなかれ。大悪魔を別とすれば、毒気に満ちた執拗な手強い敵としてあなたが恐れなければならない敵はただ一人、真にユダヤ的たろうとする意志を備えた真のユダヤ人なのです。この毒蛇、執拗な神の敵手を迎え入れ、その栄光を讃えながら、彼らに思う存分、盗み、掠奪、凌辱、呪詛を行わせたいと思う者は、ただ単にユダヤ人を背負い込むだけでよいのだ。…ユダヤ人の肥溜の中を這いずり回り、その聖所を崇め奉り、それによって慈悲の精神を実行に移し、悪魔とその末裔の増長に手を貸したことを鼻にかけるがよいのだ。こうして、わが愛する主と、われらの罪の購いとなった尊き血を好きなだけ冒瀆することができるであろう」(『ユダヤ人とその虚偽に抗して』、1542年)=引用はレオン・ポリヤコフ『反ユダヤ主義の歴史』第1巻、272頁)
癲癇もちらしく(メニエール病の症状)狂信的な男だ。「毒蛇」「凌辱」「呪詛」「肥溜」「悪魔」…、聖職者にあるまじき、聖職者ならではというべきか、おぞましい言辞が並ぶ。
国家社会主義(Nationalsozialismus)と、ヴァイマール体制下のドイツに際立った精神史的傾向である「保守革命」(die konservative Revolution=それを歴史上の術語としたのはArinim Mohler)については、カ氏も名前ぐらいは知っているであろうシュペングラーはともかく、その代表的論客モーラー(A. Möller Van den Bruck, 1876~1925=政治評論家、美術史家)もユング(Edger Jung, 1894~1934=政治評論家、弁護士)も自分で調べれば分かるだろう。その程度にドイツ語は読めるのであろう。日本語で「精神史的傾向」をも落とす粗忽者で、トンチンカンな議論に終始し、あまつさえ、11⇒【反氏は、なにか勘違い…】のような寝言をほざいているが、「何か勘違い(ἑτεροδοξία)していませんか、お婆ちゃん」。
最後に、私が「似而非」とはいえ「知識人」の端くれか否かは措いて、20⇒【一番顕著な例は、前のブログのコメント46】以下は、カ氏の単なる僻み(ζηλοτυπία)だろう。嫉妬深い(ἐπίφθονος)婆さんの相手をこれ以上しても仕方ないが、碌に読みもしないプラトン(ソクラテスに著作はない)に言及するのは滑稽だと指摘したまでだ。引証箇所を示した原文にすべて書いてある。
民主制は政治の原理で、真理の基準(κριτήριον)ではない。莫迦の護符(μοῖρα)ではないことを思い知ればよい。
頓馬相手にこれで通算2601件目。οἴμοι.[完]
ここまで書いて、ブログのテーマとこのコメントは、どこがつながっているか、とふと思う。
ただ、同じイスラム文化圏とはいっても、独仏間に代表されるように、各国、各民族独自の文化があるのだから、それを尊重し、ユダヤ人、イスラエル問題もそれと絡めて理解することが、国際協調、中東での平和確立の道かもしれない、と思う。
実際のところ、別に改めて補足するまでもないのだが、日本語の文章も満足には読解できない「無学」(ἀπαιδευσία)でしかも怠惰(ἀργία)だから剽窃(τὸ μιμεῖσθια=plagiarism)紛いのコピペを多用したやっつけ仕事の「クズ投稿」に現を抜かす以外に余念がないカ氏のような知的に低劣な(πονηρός)憐れむべき半端者(ὀ ἐλεεινός ἥμιγενής)にして厚顔無恥(ἀναισχυντία)で傲岸無礼(προπηλόακισμός)な相手に、しかも滑稽この上ないことにソクラテスの「無知の知」(μὴ οἶδα οὐδὲ οἴομαι εἰδέναι=Apologia Socratis, 21D)をもって回るご都合主義を、個々に事実を添えて指摘する以外に、他に術はなかろう。
前回のトピックス=22日・46で私が指摘したことは、ただ中には全く不適切な「解説書に頼る以外術がないだろうが、ソクラテスが『神だけが本当の知者』(‘τῷ ὄντι ὁ θεὸς σοφὸς εἶναι’)という含意」は引用した文章にはっきり示されているような自覚だということを、端的に原資料で示したにすぎない。
古代ギリシア語が読めなければ、引証箇所(Apologia Socratis 22E~23B)、つまり『ソクラテスの弁明』のどんな簡単な翻訳書にも欄外に示してある、ステファヌス版『プラトン全集』(H. Stephanus [Henri Estienne];Platonis opera quae extant omnia [Latin tr. by Jean de Serres], Genf[Geneva], 3 voll.,1578.)に準拠した第1巻22行E~23行Bの箇所を参照すればよい。
その程度の「初歩の初歩の」学問的基礎知識もなく、25⇒【いくら書いても、反氏との溝は埋まりそうもない】も何もない。端的に「無学」なのだ。
手間暇を惜しんで、知ったかぶりの、しかも間違いだらけの俗説を恥ずかしげもなく撒き散らす神経が尋常ではないことを思い知ればよい。
ゲーテがどうだというのだ。高がドイツの文士ではないか。
ゲーテが生まれたのは、神聖ローマ帝国内の帝国自由都市フランクフルトであり、そのため、公用の書き言葉はラテン語であったろうが、大学で法学部を卒業し、見染められて、神聖ローマ帝国から切り離されたヴァイマル公国宮廷顧問、そののち枢密顧問長官、つまり宰相を務めたのである。その時の公用語は、ドイツ語であったろう。つまり、日本のように中国から切り離された独立国ではなく、神聖ローマ帝国の一部であったドイツの公用の書き言葉はドイツ語ではなくて、ラテン語であったのであるが、ゲーテがヴァイマル公国の宰相として、政治をドイツ語で行い、話し言葉であったドイツ語で、詩を書き小説を書き、劇を作ったのである。そんな理由もあって、第一次世界大戦後、ゲーテにちなんで、国名が、ヴァイマル共和国、憲法がヴァイマル憲法となったのであって、ゲーテはドイツ人にとって特別な存在である、ということを反氏は認識されなければならない、と私は思う。
「分かる」(ἐννοέω)、理解する(μανθάνω, ξυνιέναι)ということの意味を厳格にとらえれば、その通りだろう。京大哲学科の古代哲学専攻者は皆そう考えており、戦後初期から京大哲学科の「主柱」として、哲学教育の改革に大鉈を振るった田中美知太郎やその後継者藤澤令夫だったら、ためらいなくそう言い切ったろう。
田中は同僚でデカルトやカントの卓越した研究者だった野田又夫に、「ギリシア語ができなくてはプラトンについて議論できない」と断言しており、野田も「その理に服していた」とエッセー(『野田又夫著作集』第5巻、334頁)で明言している。
ソクラテスは一切著作を残さず、その消息を最もよく伝えるのがプラトンの対話篇で、クセノポンやアリストテレス、アリストパネスに加え、アイスキネスその他のソクラテス学派の現在では失われ、古代やそれ以降の著作に引用された「断片」の形で残っているさまざまな証言を含め、ソクラテスの実像を問う、所謂「ソクラテス問題」は古代哲学上の重要テーマだからだ。
翻訳は一部で、その読解には、それに関する膨大な註釈も含め史料批判に専門的な知識を要し、ギリシア語やラテン語が必須だからだ。
「ソクラテスの思想」に関する素人論議(τὸ ιδιωτικόν)は、厳密な学問(ἀκριβῶς μάθημα=strenge Wissenschaft)として哲学研究には値しない(ἀνάξιος)。その前提を満たさぬ議論は、研究としては無意味ということだ。
西欧の本格正統の教養人、知識人(ἐπιστήμων)なら当然の嗜みである古典語、つまりギリシア語やラテン語の知識がない、僻み(ζηλοτυπία)の塊のようなカ氏は不平不満(λοιδόρημα καὶ ἀκούσιον)たらたらだが、「無学」というのは憐れなものだ。
「芦田修正」については以前からネットでよく議論をしたことがある。どんな議論をしたのか忘れていたが、過去に議論した雑文が残っているので、ひさしぶりに見直してみると、2000年以降にこういう議論をした形跡がある。
(Aさん)
「芦田修正」により、憲法9条は侵略ではなく自衛のため戦力をもつことは許容されている。これにより憲法9条の改正は基本的に不要なのである。
(私)
けれども護憲主義者または左翼は、その芦田証言は終戦直後のものではなく、その後10年くらい経ってからの芦田氏の証言であるから無効と主張している。
というのは、終戦直後は、芦田氏は軍隊を廃止することを強調するために条文に追加したと証言したが、その後、朝鮮戦争などの極東の状況が発生した後に、「自衛のための戦力まで否定しないことを示すため条文を追加した」と証言を変えた。後者が有効というのは、Aさんの解釈だろうが、護憲主義者は、憲法制定直後の(一番目の)芦田証言こそが法的に有効である。だから、二番目の芦田証言は憲法9条の肉付けとして実効性がないものであると主張する。
これに対して、どう反駁するか、Aさんからは納得できるような返答がなかった。最新の議論ではどうなっているのだろうか。とっくにこのコメント欄で結論がでていることなら、申し訳ございませんが、見逃したか読み損ねたようです。
想像するに、
本書やその他の著作が社会に拡散 → 護憲信者たちが内容を読まず「どうせ日本会議の回し者だろう」と思い込んで検索! → 日本会議が候補ワードとして上昇!→ますます上位にくるので、そう思い込んで必死に検索。
というサイクルが発生していることが考えられる。
デマであれば人騒がせであり誠に申し訳ないが、真正面から反論できないものだから、なんとか危険人物として印象操作して葬りさろうとしている可能性があると思われた。
憲法を編むことは、それほど難しいことではないとしても、それを実践することは、容易ではない事業である。我々が万一にもその仕事に成功しなければ、日本民族の行く末はどうなるであろうか。祖先に対し、子孫に対し、そして監視している世界に対し、われらは名誉にかけて、新憲法に肉と血を付ける事業に全力で傾倒しなければならない。それが敗戦の日本に残された唯一の生きる道であると思う。・・私はその健全な発育を朝夕神に祈っている。とあった。
そして、憲法9条の解釈を読んで驚いた。護憲派の憲法学者の主張、私たちが学校で習った解釈とはまるで違ったからである。
これを読んだとき、正直私は、興奮し、怒った。私たちが「日本国憲法9条の解釈」として信じてきたことは、なにだったのか、と思った。そして、精魂込めて日本国憲法と取り組まれたにもかかわらず、「芦田解釈」と揶揄されている芦田均さんは、不当に卑しめられている、と感じた。この文章どおり日本国憲法を解釈すれば、「自衛の戦争」の為の、「個別的自衛権」、「集団的自衛権」も憲法上認められるし、自衛隊は違憲ではない、なによりの証だからである。私が「満州事変」を「自衛戦争」ではなくて、「侵略戦争」だと認めるべきだ、と主張するのも、このことに起因しているのであるが、ドイツもフランスも「軍隊」をもち、「集団的自衛権」で国を守っているのに、篠田英朗さんを「右翼の軍国主義者」の一員であるかのような印象付けをしたり、その本からうかがい知ることができる「国際法、国際政治」の卓越した洞察力をもたれる芦田均さんを「無能呼ばわり」する、日本の学会やマスコミ界に多数存在する「自称知識人」の「知性や品性」は、どうなっているのか、と正直思う。
たしかに、私の場合、ドイツ語を勉強したことで世界が広がった。けれども、語学に驚異的な才能のある人、語学を勉強することが大好きな人を除いて、多くの言葉に熟達することは、普通の人には難しい。大事なことは、多くの語学ができる、ということよりも、その人の語る内容なのではないのだろうか。
トウンベリさんは、涙ながらに、生態系を破壊する「環境破壊」に対する大人の責任を訴えておられたが、一番生態系を破壊する兵器は、「核兵器」なのである。それをよく考えて、北朝鮮問題でも、イラン問題でも、日本は、国際社会にメッセージを発信しなければ、日本は国際社会に名誉ある地位をしめられない、のではないかと思う。
‘On ne se peut consoler d’être trompé par ses ennemis et trahi par ses amis, et l’on est souvent satisfait de l’être par soi-même.’=「人は敵に騙されたり、味方に欺かれれば大騒ぎするくせに、しばしば自分身を騙したり、欺かれて悦に入っている。」(Maximes 114: La Rochefoucauld; ‘‘Réflexions ou Sentences et Maximes morales’’, 1678. Œuvres complètes de La Rochefoucauld, Bibliothèque de la Pléiade, p. 418)
前回29で無思慮な(ἄφρων)素人論議(τὸ ιδιωτικόν)を戒めた(νουθεοτεῖν)手前、芦田修正如き取るに足らない問題について冗語を重ねるのもどうかと思ったが、芦田均に心酔する粗忽者の老デマゴーグであるカ氏が、愚にもつかない信仰告白に及んでいるのを望見して、その杜撰かつ粗雑な論理とも呼べない立論に、少しは真面目に旧会社員氏の問いを受け止められないものかと思い、少々補説する。
もとより、日本国憲法9条の厳密な学問(ἀκριβῶς μάθημα=strenge Wissenschaft)としての考察を意図したものではないが、篠田説の基本的命題と歴史的経緯の一端について明らかにする程度のことは、ギリシア哲学を専攻する一古典学徒の私にも可能かもしれない。
前口上(προοίμιον)を重ねることになったが、冒頭のエピグラフは、‘À laver la tête d'un âne, on perd sa lessive.’(「驢馬の顔を洗っても洗剤が無駄なだけ」)とでもいうべきか、迷盲から覚める、即ち治癒の見込み(ἰατος)のないカ氏に進呈して、議論に移る。
憲法9条一項に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」、二項に「前項の目的を達するため」を挿入する、所謂「芦田修正」は、それが芦田が言う「自衛戦争」を退ける趣旨だとしても、篠田さんの提示する「国際法基準」の解釈に従えば全く不要の、あってもなくても困らない「盲腸」のような存在ということだ。解釈の付属物(τὸ συμβεβηκός)にすぎない。
それは、戦力、軍隊の定義(ὁρισμός)に伴う混乱(ταραχή)や誤解(ἁμαρτία)というより、国の交戦権(right of belligerency of the state)を含め、篠田さんが憲法学主流派に顕著な憲法のドイツ国法学的解釈、つまり国際法上の解釈を無視した国内法=憲法優位の「国内的類推」に偏した、しかも、英米法的発想、概念構成に基づく日本国憲法を、帝国憲法では有効だった旧弊のドイツ国法学由来の概念構成で行う「ガラパゴス的解釈」であることも、論をまたない。
それは、憲法上に何の規定も根拠(τὸ διότι)もない手前勝手な解釈(ἐξηγέομαι)を、ドイツ国法学の装いでもち込む(hineinlegen)ことであって、条文本来の意図と含意を、具体的な条文や先例の裏付け(διὰ τι)に基づく説得力(πειθώ)なしに、恣意的に取り出す(herauslegen)ことにほかならない。拡大解釈(zur viel verstehen)たる所以だ。
宮澤俊義の「八月革命説」は、歴史的経緯からみて本来は憲法外の事後的解釈だが、護憲派の説く、所謂「絶対平和主義」を9条に読み込むナイーヴさは、憲法に如上のような願望(βούλησις)、つまり「そうあれかしと望む」(προαιρεῖσθαι)ことを投影しているにすぎない。
憲法の上に「平和」、「平和主義」の上に絶対を冠する他愛なさ、事大主義がそれを端的に示す。そのうち「純粋平和主義」も出てこよう。
いずれにしても、芦田修正は前文と9条とで充分根拠づけ可能な「自衛権」を「侵略戦争」にあらざる「自衛戦争」と早合点し、日米同盟や再軍備は必要で不可避だったとしても、二項が禁止じた「戦力」が「軍隊」だと誤読した芦田をはじめ、従来のほとんどの憲法学のドイツ国法学的解釈に災いされた固定観念(φαῦλος ὑπόληψις)に基づく、戦後を支配した壮大な「9条文学」の賜物である。
戦後の日本人の精神的空白、真空状態と田中美知太郎が危ぶんだ日本人の精神的惰弱性(μαλακία)がそこによく表れている。
会社員氏がもう一つ紹介する、⇒【「芦田修正」により、憲法9条は侵略ではなく自衛のため戦力をもつことは許容されている。これにより憲法9条の改正は基本的に不要】も幼稚な議論で、許容されているのは、「自衛のため戦力」ではなく、「自衛のため軍隊(軍事同盟)」ということだ。
「軍隊」=「戦力」と短絡するがゆえの「平和ボケ」の論議で、(Aさん)と選ぶところはない。
カ氏が莫迦の一つ覚え(ὑπόληψις καὶ δόξασμα)のように繰り返し、盛んに賞讃する(ἐγκωμιάζω)、芦田均の僅か99頁のパンフレット『新憲法解釋』(1946年)なる憲法公布直後の熱狂(μανία)の中で書かれた、筋違い(ἄπορος)の「詭弁」(σόφισμα)に等しい議論については、福田恆存が「芦田修正の如きは、三百代言の放言にすぎぬ」(4月18日・23、5月4日・12参照)と批判した通りで、繰り返さない(4月18日・23参照)。
いずれにしても、篠田さんの9条解釈の利点の一つは、憲法学主流派とは別の視点で、「芦田修正」を全く必要としない論理を構築したことだ。
芦田本人の別の発言⇒【第九条第二項が原案のままでわが国の防衛力を奪う結果となることを憂慮いたした…総司令部はどんな形をもってしても戦力の保持を認める意向がないと判断して…修正の辞句はまことに明瞭を欠くものでありますが…一つの含蓄をもってこの修正を提案】と、如何にも確信のなさを覗かせる(憲法調査会『憲法制定の経過に関する小委員会報告書』=1964年、503頁)。
それに比較すべきは、政府作成の改正草案が枢密院に諮詢された際、枢密顧問官として審査にかかわった美濃部達吉が、改正手続きそのものに疑義を呈し、明治体制の合理主義的な国家観、国家像を確立した志操堅固な行政法学の大家らしく、「草案の前文では、國民みずからが憲法を制定するようになつていて、これはまつたく虚偽である。現在第73絛の失効の結果、憲法改正の手續は未定の狀態にある。したがつて、枢密院でも審議することもできない。この案は撤回して、まず、憲法改正手續法を次の議会で作るべき…このような虚偽を憲法の冒頭に掲げることは國家として恥ずべきことではないか」(「憲法制定の経過に関する小委員会報告書」444頁)と痛烈に批判したことだ。
芦田修正などどうでもよいと思うが、カ氏の如何にも中身のない議論、ただの愚劣な信仰告白(32~33)に比べれば、多少はまともな回答になったであろうか。[完]
☆余白に スウェーデンの少女の国連演説など子供の政治利用=愚劣な「子連れの政治論」の典型だ。カ氏の「現実」の他愛なさを如実に示す。
5月28日付の篠田教授のブログ、「憲法学者vs.オールド・リベラリスト」の中で、篠田教授は私の説を全面的に取り入れてくださっている。
第九条の規定が戦争と武力行使と武力による威嚇を放棄したことは、国際紛争の解決手段たる場合であつて、これを実際の場合に適用すれば、侵略戦争といふことになる。従って自衛のための戦争と武力行使はこの条項によって放棄されたのではない。又侵略に対して制裁を加へる場合の戦争も、この条文の適用以外である。これ等の場合には戦争そのものが国際法の上から適法と認められているのであつて、一九二八年の不戦条約や国際連合憲章に於ても明白にこのことを規定しているのである。(芦田均『新憲法解釈』[ダイヤモンド社、1946年]36頁。)
とにかく、反氏を含めた日本のマスコミ関係者に主張したことは、自分と違う結論に達した人におかしなレッテルはり、をすることはやめて、能うかぎり真実を直視し、客観的な真実はなにか、を追究していただきたい、ということである。
https://kenpoudoutei.com/ashidashusei/#toc4
これは、「戦争」には至らない自衛権行使までを禁止する趣旨ではないとは思いますが、「制裁戦争」や「自衛戦争」も含めた全ての「戦争」が否認されることになります。立法者意思を探求するとすれば公式な議事録を参照すべきであり、公式の議事録の発言の趣旨が不明確な場合には、参考資料として別の資料を参照することはあり得ますが、公式の議事録に明らか反する芦田の見解は、単に芦田の個人的見解を示すものに過ぎず、これを参照するのは誤りです。
「憲法学者 VS. オールド・リベラリスト」(昨年5月28日)で、40⇒【篠田教授は私の説を全面的に取り入れ】は、勘違いも甚だしい冗談だろう。誠に厚かましい。
そこで篠田さんが指摘したのは、
①芦田均は国会での帝国憲法の改正審議に影響を与えた。「芦田修正」と呼ばれるもので、姑息で破綻した修正だと唱え続ける態度は、「通説」憲法学者の存在証明②芦田は砂川判決時の最高裁長官田中耕太郎とほぼ同世代で、国際法秩序に調和して生きる日本を理想とし、戦前の日本の失敗を、国際法秩序からの逸脱と考えた③オールド・リベラリストの芦田が主張の趣旨は、憲法の国際主義――というだけのことで、無学なカ氏の「説を全面的に取り入れ」たわけでもなかろう。
篠田説を厳密に展開すれば、「自衛戦争」という時代錯誤の概念を排除することにつながるのは必然的で、カ氏が理解できないだけだ。「戦争」についてのカ氏の理解が通説の憲法学者並みだということだ。
篠田さんは直後の投稿(「『自由民主党の憲法改正条文イメージ』に関する覚え書き」)で、自衛隊は「憲法上の戦力」ではないが、「国際法上の軍隊」とする政府解釈に触れ、それが合憲であることを「軍」という語を用いて、明晰化するよう求めている。
カ氏は「誇大妄想(ὑπερβολή)狂」なのだろう。莫迦莫迦しくて、話にもならない。
もちろん、憲法を含む法解釈においては立法者意思のみ決まるものではありませんが、立法者意思をもとに解釈するのであれば、まずは公開されている議事録を精読すべきです。
芦田均さんという政治家は、のちに再軍備の「政治運動」を行われた政治家なのであって、9条を定言命法的に解釈して、絶対平和主義、を志向した政治家ではないし、吉田茂さんにしろ、米国のダレス国務長官に再軍備を要請されたときは、軍閥の復活の危惧、当時の日本の経済力、敗戦に憔悴しきっている人心の問題で拒否されたが、米国に日本の基地を提供する「日米安保条約」に反対した、非武装中立を唱えた東大総長に「曲学阿世の徒」と言い放った政治家である。国際政治は生きている。どのように動くか、最悪を考えながら、ものごとに対処していくべきなのではないのだろうか?
「憲法普及会会長」という肩書も挙げていますが、「だから何?」ということです。
侵略したのはどちらで、自衛したのはどちらなのか、それはどのような国際組織で、それは実際にはどこの国が担ったのか、ということもよく考える現実的対応が必要だし、それは、決して私だけの信仰告白ではない。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/seikengikai.htm
その代表格が、レオキッポスとともに古代原子論の祖とされるデモクリトス(Δημόκριτος)で、プラトンと同時代の、しかも謂わばライバル関係にあったこの人物については、プラトンはその対話篇で極力無視する姿勢を貫いており、言及は一箇所もない徹底ぶりだ。厳しく批判したソフィストの多くも、著作は断片以外ほとんど残っていないが、それ比しても極端な「差別」で、明らかに意図的なものだ。
だから、それにならって考えれば、師ソクラテスの事蹟と思想について精彩ある筆致で紹介し、西洋哲学史上、不滅の記念碑を建てたプラトンの対話篇について、われわれは、それがクセノポンやアリストテレスとともに、著作を一切残さなかったソクラテスを知るうえで圧倒的に重要な資料だとしても、慎重に取り扱わなくてはならないことは、学問(μάθημα)の鉄則、つまり、真理探究(φιλαληθής)の前提条件(ἡνούμνον)だ。
先に、20で⇒【ギリシャ語がわからない者は、「ソクラテスの思想」がわからない、かのよう】 と異論を唱えたカ氏に対し、「分かる」(ἐννοέω)、「理解する」(μανθάνω)ということの意味を厳格に考えればその通りだろう、としたのは、真実を探求する原文批判にはギリシア語やラテン語の知識が実際不可欠だからだ。
‘Il n’y a point de gens qui aient plus souvent tort que ceux qui ne peuvent souffrir d’en avoir.(La Rochefoucauld; Maximes 386, Œuvres complètes, Bibliothèque de la Pléiade, p. 454.)
メルケル独首相のハーバード演説を引き合いに、「嘘と真実」(ψεῦσμα καὶ ἀληθές)を見分けることが大切と法螺話を並べているが、自らはその枠外というご都合主義で、カ氏に真実を語る資格などない。
西洋思想史上の重要テーマである「ソクラテス問題」とは畢竟、ほとんど一体化して分別しにくいプラトンからソクラテスを正確に分離することだ。原文批判、即ちギリシア語の知識は欠かせない。参照しなくてはならない多くの資料が翻訳では読めない。
「無知の知」一つとっても、端的に「無知の知」(ἀμαθής γνῶμη)」といった表現は原文には一切出てこない。ただ、「知らないことを知っている」(μὴ οἶδα οὐδὲ οἴομαι εἰδέναι)だけだ。ギリシア語が読めれば分かることだ。
学問的議論は厳しく、無学な主婦の手に余る(ἄπορος)ことだろう。ゲーテ程度とはわけが違う。知的禁欲派の「憲法9条の政府解釈について」氏を見習ったらよい。大人と子供の喧嘩にしか見えない。カ氏はゴールポストを動かす韓国人の真似をしている。それしかできない。
‘νηπίοισιν οὐ λογός, ἀλλὰ ξυμφορὴ γίνεται διδάσκαλος.’(「愚か者どもには、言葉ではなく不運が教師になる」)。デモクリトスの断片(76)だ(Diels-Kranz;“Die Fragmente der Vorsokratiker”, 1992, Bd. II, S. 159)。
少しは「蜘蛛の巣が張った」頭を冷やすといい。
日本人としては恥ずかしいというに尽きる。だが、芦田氏が主張したことは当時の良識派としての最大限の抵抗であったとも思われる。根本的には、安全保障をろくにわからない憲法学者たちが、日本の左翼(旧社会党など似非リベラルで似非平和主義者)と歴史的に共同戦線をはるようになったことが悲劇である。そして、彼らは非武装中立を正式な政策にしようと画策したが日本国民から否定されたので、いわば憲法をバリケードにして閉じこもり、安全保障を真正面から議論することもなく、憲法改正のハードルが高いことに安住し、改憲勢力を嘲笑することに精神が費やされた。現在、マスコミの洗脳という呪縛から解きはなれたれた国民からは軽蔑されているのである。
個人的には、もし北朝鮮の暴発等が起こり、日米安保が発動した際に、米軍のみが犠牲となり、自衛隊が憲法9条を盾にして米軍を隠れ蓑にしたら、それこそ日本人は未来永劫、軽蔑されつづけるだろう。以前は、それを心配していたが、安倍内閣で平和安全法制が成立し、そのような事態だけはある程度防がれたと考えている。しかし、左翼はそれすらも真っ向から廃止しようとし、現に国民民主党までが野党間で廃止にむけて提携しているので、世論を喚起することは極めて重要だ。
その場合、日本は北朝鮮の進化しつづける大量破壊兵器に対して丸裸となって対峙することになる。中国の領海侵犯に対抗する力も弱まり、南シナ海に真空地帯が生じるだろう。日本が戦場にならなかったのは平和憲法があったからだとメディアに思わされてきた日本国民は大きなリスクに直面する。
万が一の事態が発生したら、野党連合は、「有事において米軍が日本を守るのが筋だ」と開き直るだろうが、そんな連中はろくに相手にされないだろう。そして、「1000年に一度の津波なんか心配してもしょうがない」と言った蓮舫の民主党の神経が復活し、「北朝鮮や中国だってバカじゃないから戦争なんて起こりっこない」と政権を手にして安穏と楽観論をふりまく。こんなのが政治家といえるだろうか。世界的に見ても完全にガラパゴスだ。韓国でさえ、北朝鮮との平和的統一と同時に戦争のシナリオを考え、戦時やミサイル発射時の避難経路は完全に確保されている。
そのことは、すぐさま論点をずらし、自らの幼稚かつ支離滅裂な議論を糊塗するため(それに対する自覚があれば悪質だし、なければただの愚鈍)、もう一つの支離滅裂な議論を、別のコメント投稿に事寄せて、有体に云えば迎合(κολακεύω)して逃げ回るしかない。
日頃は「曲学阿世」と他者の肩車に乗って威勢のいいことを宣ってはいるが、独力では(καθ’ αὑτό)何もできないのだろう。「曲学」にも値しない無学である。
世に阿る(θωπεύειν)おべっか使い(κόλαξ)でしかないことを如実に示すのが、56⇒【旧会社員さん、ありがとう。いわゆる憲法学者の見解ではなくて、芦田均…の見解を踏襲するべきだ、と私が主張したのは、日本の安全保障の観点からだった、ことがよくわかりました】。
何が「よく分かった」のか一向に判然としないが、見境のないおべっか(ὑπερκολακεύειν=flatter excessively)である。悲鳴にも聞こえるおべっか(θῶπες λόγοι=flattering words)は、滑稽を通り越して悲惨そのもの。
56②⇒【反氏の主張…神がかり的に人を信仰しているわけではなく、言動、業績で判断】も意味不明だが、以前の布教宣言(9月22日・45⇒【だれかが、本物を布教しなければ、嘘が蔓延…「本物」の布教活動に邁進していきたい】)の撤回だろうか。
騙される(ἐξαπατηθῆτε)のは愚鈍だからだ。
「騙されるのは愚鈍だからだ」と言い切ったが、補足すれば、そうでなければ、賢明な人物でもわざと(ἑκουσίως)騙されているのだ。騙されたふりをしているということだ。欲得(κέρδος)もあれば、保身もあろう。
いい歳をして、その程度のことが分からない単細胞(ἁπλοῦς)のカ氏ほど、皆お目出度く(εὐήθεια)はないだろうし、ナイーヴ(ἁπλοῦς)でも軽薄(κοῦφος)もなかろう。カ氏が旧東独出身のメルケル独首相と自らを比べるのも滑稽だ。
57⇒【百聞は一見にしかず、体験なのである】と、愚鈍な人物はよく口にする。ただ、「酷い目に遭って幼児のように学んだ」(ὥσπερ νήπιον παθόντα γνῶναι)だけの話で、昔から「愚か者どもには、言葉ではなく不運が教師になる」(デモクリトス、断片76)という。
真実(τὸ ἀληθές)などと軽率に(ῥᾳθυμηος)言ったところで、
「しかし真実には、われわれは何も知らないのだ。真理は深淵のなかにあるのだから」(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』、加来彰俊訳、岩波文庫、下巻、161頁)という。デモクリトス伝の中にみえる。
フランス語で‘La vérité est au fond du puits.’(「真実は井戸の底にある」⇒「真実は見つけるのが難しい」の謂い)、ラテン語で‘veritas est in puteo’(「真実は井戸の中にある」)という。
ギリシア語の「深淵」(χασμᾶ)という言葉に井戸の意味はないが、ラテン語やフランス語の成句は、類比によって(τῷ ἀνάλογον)、デモクリトスの故事(「真実は見つけるのが難しい」という含みで「デモクリトスの井戸」[‘le puits de Democrite’と称される)から、なかなか明らかにはならない深遠な真理の奥深さ=「深淵」を、深い井戸になぞらえることで生まれたのかもしれないが、事情を詳らかにしない。
カ氏は凡庸だ。今後も何度でも騙され続けるのだろう。つける薬はない。
戦後日本では、悲劇を「軍隊や軍事力」、つまり無機質な物のせいにして、なぜ、本当に「軍国主義」を推し進めて、日本国民を悲惨な状況に追いやった責任のある「軍人」や「軍閥」それを支持した「政治家」や「マスコミ」の責任を問わないのか、はかりしれない。
「民主主義」は、民衆の為の政治である。お互いに人格を尊重し、民主主義を正しく実行し、平和を愛する精神をもって世界の諸国と交わりをあつくすること、の三大原則を大事にし、「日本国憲法」に肉と血をつける事業に全力に取り組むことが、芦田均さんをはじめとする偉大な先人が託された私たちの務めだと思う。
60は見苦しい言い訳だ。帝国憲法の改正時の議会審議の内実を示す、「日本国憲法制定時の関係会議録」は、当時秘密会であった部分も含めて公開されており、カ氏が盛んに喋喋する「真実」が探り出せる可能性があるのに、真面目に調べる気は、さらさらないようだ。
自分の手(能力)に余る(ἄπορος)と正直に言えばよく、ついでに面倒臭くて乗り気がしないと言えばよいものを、そうはできずに、その理由を⇒【一つは、しなければならないことがあって、莫大な時間をその研究にかけられない…もう一つは…いい加減にして調べても、私の期待するような文章には巡り合う可能性が極めて低い】からだという。
「研究」とは大きく出たが、カ氏の「調べもの」が「いい加減」なことは少しは自覚しているようだ。クズ投稿に執心するのは暇をもて余しているからだろうが、何やら「しなければならないことが」あるらしい。
コピペでやっつけ作業をする以外は、辛抱強く資料にあたることなど真っ平御免で、ヤル気がないだけの話だろう。どこまでも怠惰で、真理への探究心など微塵もないことが分かる。
それ以上に、所期の目的にかなった遣り取り、即ち「私の期待するような文章には巡り合う可能性が極めて低い」ことも意欲を殺いでいるらしい。思い通りの結論を導き出す資料を探し当てることが望み薄だと見越して、調べる前に尻込みするような人間に、真実を語る資格はない。どこまで甘ったれた考えのもち主なのか、改めて唖然とさせられる。
真実は、事柄自身(πρᾶγμα αὐτό)の展開に応じて認識の赴くところ(ἐπισθημονικός)、自ずと判明する。それが、学問に限らず真理探究(φιλαληθής)というものだろう。
田中は余裕のない思考法を戒め(νουθεοτεῖν)、余裕こそ自由な仕事の本質であるとしたうえで、「限られた時間のうちに何らかの實績をあげようとする、餘裕のない仕事はすべて奴隷の仕事」と、学問探究の絶対条件を説く。
そして、「眞の探求者は、時に結果を忘れて、悠々と探究を樂しみ得るのである。そしてこれは一般に學問の心掛けであるばかりでなく、特にまたプラトンを讀むための大切な心掛けである。世の才人がプラトンを理解し得ないのは、始めから純悴な學問的精神を缺いてゐるためか、あるひはその頭腦中に蓄へた無用の雜識を放下し得ないためか、またはその餘裕のない讀書法のためなのである。しかしプラトンの書はかかゝる奴隷人のためではないのである」と(田中訳『テアイテトス』、「序説」、24頁)。
さらに、「世人が効果のない無駄話として嘲ったソクラテスの談話のうちに却って眞の學問的精神をみたプラトンは…哲學者はかゝる遊戲を解しなければならぬことを敎へてゐる」とも。
暇つぶしに投稿すること自体が目的のカ氏は、暇をもて余していても暇がないという凡庸さの塊だから、田中を引き合いに出しても虚しいだけだが、とにかくカ氏の安直さは比類がない。言うだけ野暮だが、凡庸な魂とは、そうしたものなのだろう。
63の如き「愚問」は国際法の教科書でも読めばいい。
婆さんは誠に無邪気かつ気楽でいい。
ご指摘の「芦田修正」ですが、この修正文挿入が提案されたとき、内閣法制局と起草者のGHQ民政局もその含意に気が付いた。GHQ民政局もその含意に気が付きながら、日本側の修正に内諾を与えたとあります(西修『図説日本国憲法の誕生』)。このとき提案者の政府自体も新憲法成立まで、上記有権解釈を変えていません。芦田委員長自身も、政府の有権解釈に従いながら、含意があることを政府(内閣法制局)とGHQ民政局に認めさせたという事実で、満足したということではないでしょうか。
そういう日本の歴史の現実があるから、「文民条項」が日本国憲法に挿入されたのであって、忌まわしい過去をもつ我々日本国民は、その事実を、深く認識しなければならない、と私は思う。
もともと、米国のGHQの草案は、「国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」なのであって、それは、米国をはじめとする世界の国々が日本は「無頼漢」で好戦的な国である、という日本に対する「不信感」からの「条文」なのである。「平和を構築する」ための国際連盟で、「満州事変」に関して「常任理事国」であるにもかかわらず、「棄権」のタイを除くすべての国が「侵略行為である」と認定をしたにもかかわらず、その判定を受け入れず、戦線の拡大「熱河作戦」を行い、「国際連盟」を脱退する、そのあとも、国際社会に対しては「不拡大方針」を言明しながら、現実には戦線を拡大させていく、しかも、それを「自衛戦争」と抗弁し、「事変」と名付けることで、「戦争」と認定しない。そういう国を「国際社会」は、「無頼漢」と認識するのであって、無条件降伏をした後、9条は、そういう国にふさわしい条文として、米国が起草したものである。
ただ、そのことと、他国から侵略されるかもしれないから個別、集団を問わず「自衛権」を日本がもつべきだ、ということは、別問題で、交戦権は否定されているが、第9条1項が自衛のための戦争を否認するものではない、というのが政府見解だと、同じ本に書いてあるのではないのだろうか。
(参考:新憲法解釈 芦田均)
69~71は、カ氏の立論の弱点を如実に示して(εἰπεῖν)おり、その生態、特徴はカ氏が唾棄する護憲論者と共通なものがある。いずれも、国際法に準拠した憲法9条の論理的、整合的解釈を盲目的に(τυφλόστομος)拒否する(ἀνανεύειν)点では全く同じ心性だ。
つまり、カ氏の脳みそは常に(αἰεί)「仮死」状態であり、間違いだらけの「瑕疵」状態であって、今回のクズ(φορυτός)=69~71はそれを「可視」化するのに役立っているということだ。
誠に名(ὄνομα)は体(τὸ ἀληθές)を表す(λέγειν=declare in words)とはよくいったもので、カ氏=瑕疵なのだ。その態度がカ氏⇒「菓子」(πέμματα)のような甘ったるい(ἡδύς)御託(μωρολογία)なのに似て。
宗教者が行うカ氏⇒「加持」祈祷というのもあるが、カ氏は「芦田均教(狂)」の巫女(προφῆτις)だから、なにやら早朝から呪文(ἐπῳδή)のつもりで唱えているのかもしれない。例の「布教活動」とやらだ。異論(ἀμφισβήτησις)を唱えると祟り(ἡ δίκη)があるかもしれない。
いずれにしても、芦田修正はカ氏にとって、魔法(γοητία)の杖のように便利なもののようだ。それが、苦し紛れにクズを撒き散らす憐れむべき人間性(τὸ ἀνθρώπειος)を糊塗する(τεχνάζω)ものかどうかは知ったことではないが、呪文のような迷言は畢竟、恥ずべき(αἰσχρός)自己防衛(φυλακή)の「楯」(ἀσπίς)なのだろう。
前口上が聊か長過ぎたが、カ氏は自衛隊は軍隊(στρατιά)ではあっても戦力(war potential)ではない、という篠田説の基本的な命題(προτατικός)を少しも理解していない。芦田修正は基本的に不要(ἀρχαῖος)なのだ。篠田さんの基本的な、本人は「極めて単純」と称する解釈を敷衍すれば、芦田修正を無化する。従って、「自衛戦争」のような文言は単なる冗語でいかない。
カ氏は篠田さんの新著『憲法学の病』の76頁4行目以下にある芦田修正に関する篠田さんの記述を反論の「楯にする」(προβάλλω)だろうが、無効だ。そこで篠田さんが「憲法学者たちは、『芦田修正は破綻している』といったプロパガンダを繰り返し強調し、芦田の名とともに憲法の国際主義を葬り去ろうとした」(77頁)と書いたのは、domesticなガラパゴス解釈に籠城する憲法学者への二重の「あてこすり」でしかない。
芦田修正などなくとも、憲法は論理的整合的に首尾一貫したものとして解釈できるということを示したのが篠田説だからだ。それ以上でも以下でもない。
憲法66条二項の文民規定に関するカ氏の妄言は、連合国極東委員会による挿入要求を知らないからだろう。ひょっとして、極東委員会自体を知らない可能性もある。
丸山眞男は、70⇒【「超国家的論理と心理」】ではなかろう(「超国家主義の論理と心理」)。何んとかにつける薬はない。οἴμοι.
‘Les vieillards aiment à donner de bons préceptes, pour se consoler de n’être plus en état de donner de mauvais exemples.’(La Rochefoucauld, Maximes 93; Œuvres completes, Bibliothèque de la Pléiade, p. 415)
つまり、第9条第2項に「前項の目的を達するため」という語句が加えられていたことに極東委員会が注目したため、文民条項問題は再浮上することとなった。すなわち9月21日の会議で、中国代表が、日本が「前項の目的」以外、たとえば「自衛という口実」で、実質的に軍隊をもつ可能性があると指摘した。そのため、検討の結果、同委員会は文民条項の規定を改めて要求することになった(同月25日決定)。同委員会の意向は、ホイットニー民政局長から吉田首相に伝えられ、貴族院における修正により、憲法第66条第2項として文民条項が追加された。つまり、中国が強硬にそれを主張するのは、過去に軍閥が、言い換えれば軍人、陸軍大臣が「自衛」という口実「自衛戦争」という言葉を使って、中国大陸で戦線を拡大した、という過去があるから、中国が極東委員会で文民条項の規定を強硬に要求して、文民条項が規定されたのである。
どこをどう読めば、カ氏の浅ましき生態は、さすがにこちらの品性が問われるから「クズ投稿」とは称しても、「人間のクズ」とは表現しないが、カ氏の所業は事実上、人間のクズにも等しいことを御苦労にも自ら日々、証明しているのだろう?
まったく意味不明である。
直前の2件の投稿(72⇒08:36、73⇒08:39)の後、必死になって(σπουδάζω)、早速76⇒09:40、77⇒09:41のような意趣返しにもならない下らないクズ投稿に憂き身をやつしている。
そうした激情家は、本欄の投稿者を見渡しても、「無学な婆さん」(ἀπαιδευτος γραῦς)のカ氏ぐらいだろう。中身もないが、文章にも何の芸もない。私だって相手を嘲笑する(καταγελάω)にも、文章には気を遣う。それに比べカ氏は、莫迦の一つ覚えの「無智」一辺倒で、暇が心の余裕(σχολή)を生まない哀れな老人だ。
前回75末尾のエピグラフ=‘Les vieillards aiment à donner de bons préceptes, pour se consoler de n’être plus en état de donner de mauvais exemples.’は、「年寄りは悪い手本を示すことができなくなった腹いせに、良い教訓を垂れたがる」という意味だが、齢70近くにもなって歳相応の分別(σύνεσις)もなく、「七十而從心所欲、不踰矩」=『論語』為政第二)という心境からは程遠いカ氏の無軌道(ὕβριοτής)ぶりは、ドン・キホーテ並みの無謀な「突進」(stampede)を思わせて、悲惨だ。78も日本文が理解できな愚鈍の証拠。
精神の幼児に等しいから、やれ「旧会社員さん、ありがとう」「Gくん、投稿ありがとう」と、幼稚園児のエール交換でもあるまいし、阿呆らしい。徒党を組むのが好きなようだ。ナチズムに掬い取られた粗野(βαρβαρικός)で偏狭な(ακληρός)ドイツの民衆と同じ心性だ。
ユダヤ人を追い詰めなければ、実質的にユダヤ人科学者が開発した核兵器が誕生しなかったとも思わないが、ドイツ(人)の間接責任も重大だ。
カ氏は、何ごともお先棒を担ぐのが好きな頓馬な道化者(βωμολόχος)なのだろう。οἴμοι.
国際連盟に日本を訴えたのも、中国だし、芦田均さんの意図、前項の目的を達するため、という文言の挿入の意図を素早く見抜き、「自衛という口実で、日本は実質的に軍隊をもつ可能性がある」と極東委員会を通じて中国が圧力をかけた結果、芦田均さんは、帝国議会の本会議において、『「前項の目的を達するため、」ナル文字ヲ挿入シタノハ、戦争抛棄、軍備撤退ヲ決意スルニ至ツタ動機ガ、専ラ人類ノ和協、世界平和ノ念願ニ出発スル趣旨ヲ明カニセントシタノデアリマス』と答弁するしかなくなってしまったのである。
1972年の内閣法制局の10月の答弁に関しても、ヴェトナム戦争は継続中だし、米国の基地のある沖縄は日本の領土になったし、日中国交正常化は9月なので、中国を刺激しないために、ああ、答弁するしかなかったのではないのだろうか?やはり、日本は世界の中の日本だ、と認識すると共に、そういう国際政治の局面で日本政府がしなければならない配慮も、合わせ考えなければならないのだ、と改めて思った。
先に、芦田均が、帝国議会の衆議院本会議において、『「前項の目的を達するため、」ナル文字ヲ挿入シタノハ、戦争抛棄、軍備撤退ヲ決意スルニ至ツタ動機ガ、専ラ人類ノ和協、世界平和ノ念願ニ出発スル趣旨ヲ明カニセントシタノデアリマス(拍手)』と答弁したのが昭和21年8月24日のことです。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/s210824-h35.htm
その後の同年「9月21日の会議で、中国代表が、日本が「前項の目的」以外、たとえば「自衛という口実」で、実質的に軍隊をもつ可能性があると指摘した。そのため、検討の結果、同委員会は文民条項の規定を改めて要求することになった(同月25日決定)。」のです。
https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/126shoshi.html
確認が足りませんでしたね。お詫びします。
ただ、そういう経緯なら、同年の10月下旬に書いた著書に、したがって、自衛のための戦争と武力行使はこの条項によって放棄されたのではない。又、侵略に対して制裁を加える場合の戦争もこの条文の適用外である。これらの場合には戦争そのものが国際法の上から適法と認められているのであって、1928年の不戦条約や国際連合憲章においても、このことを明白に規定しているのである、と書いたのだろう。中国の了解もとったから、日本国憲法上、「自衛という名目」で、日本も実質的に軍隊をもつことができる、ということを将来の日本を担う若者に、その可能性、その道をさししめしたかったのだろうか。
中国側が文民条項の挿入を要求したのは戦力不保持の徹底を図ろうとしたものと理解するのが自然であり、「中国の了解もとったから」、憲法9条によって「自衛戦争」は放棄されていないといういう見解を「新憲法解釈」で明らかにしたわけではないように思います。
なお、芦田の「新憲法解釈」は、下記の国立国会図書館のウェブサイトで公開されています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1045378
「満州事変」や「上海事変」のような、「自衛戦争」は絶対に許さない、というのが中国の意志であるが、客観的に見た時に、これは、日本の「自衛戦争」といえるのだろうか?軍部が作ったレトリックなのであって、そういう日本の手法について、国際連盟の各国は、「無頼漢」と鉄柱を下したのである。
芦田均さんの主張される「個別」あるいは「集団的」自衛権を基盤とする「軍隊」は、それとは異質なものである。正義と秩序を基調とする平和な世界を創造する、「侵略」から日本国民を含めた諸国民を守る、軍隊である。
それが、「国連軍」をはじめとする「国連憲章」で認められた国際法上適法の戦力だし、シリア情勢、イエメン情勢を見た時、あるいは、過去空爆でようやく解決したユーゴスラヴィア紛争、を振り返った時、残念ながらその軍事力が必要である、ということがわかるのではないのだろうか?
憲法9条の背景には、当時の連合国の大きな圧力が存在する。そのため、幣原もマッカーサーの意向を受けて「皇室を守るために非武装化を受け入れた」という解釈は根強く存在する。当時の日本人の暗黙の了解事項のひとつだったかもしれない。
芦田の文章を読んでも、しっかりした当時の立派な日本人の文章であり、芦田のたった一人の息子は海上自衛隊に入隊しているのだ。
ただし、それは「戦争への報復を恐れると同時に明日食うにも困っていた当時の時代背景」を考えなければならないのであり、その後、日本が経済大国になってもアジア地域の自由主義国のリーダーの一員となっても(そのような役割を欧米が日本に求めていても)、「憲法9条成立の背景がどうだこうだ。思い出せ」と安全保障の現実的議論を棚上げしてまで、日本国民を洗脳してきた左翼や守旧メディアは、やはり相当に異常なのである。くどいが、やはり根本の問題はそこである。
日本の分割統治も計画の遡上にあがっていたということは重要。米国大統領を補佐する参謀長ウィリアム・リーヒーの分割統治案では北海道や東北地域をソ連に統治させるという案だった。なお、その案では中華民国は四国を統治させるという案である。
「日本を分割統治させてはなるものか」と日本人が命がけで連合国と腹をさぐりあい、交渉している大変緊迫した物語が、腐りきった日本の左翼の手にかかると、「天皇制を護持するための猿芝居」と見えるのだ。そういう切り口をひたすら、浸透させようとしてきたのが朝日新聞などだ。
訳わからないのだが、「皇室を継続させたいなら憲法9条を守るべきだ」とでも言いたいのか。でも、それは当時の時代の一断面であり、現代の安全保障をどう考えるかという本質とは関係ない。
しかも、戦前は威勢よく戦争を煽り、戦後は発狂したように一億玉砕を煽りながら、敗戦後は(堂々と連合国の矢面に立って交渉にあたった)日本人の陰にこそこそと隠れて陰口ばかりほざいて、GHQから報道への圧力かかればコロッと掌を返したようにGHQにすり寄ってゴマすりばかり、占領期間終われば、これまた(ソ連や北朝鮮こそ地上の天国と信仰する)ボンクラ左翼の宣伝塔をみずから買って出たという新聞社が何をいまさらという感じがする。
戦後は発狂したように一億玉砕を煽りながら
↓
戦中は発狂したように一億玉砕を煽りながら
※書き込んでから校正するクセを直したい今日この頃
私も、芦田均さんが「外交官」としてロシアに赴任し、ロシア革命も目撃している、という事実を重くみています。反氏にかかると、私だけが「芦田均教(狂)」の巫女みたいだけれど、篠田先生も、「憲法学の病」の中の本当の憲法の前文「法則」の中に、国際政治学者の細谷雄一が、「芦田の国際主義こそが、日本を救った。むしろ、芦田こそが、本当の憲法の国際協調主義を深く理解していた。」(p158)と書かれていた。私が、細谷雄一氏の著書を読んで違和感を感じなかった理由も、それが理由だったのだ、と思う。篠田教授の考えも、基本的に同じなのではないのだろうか。
最悪なのは日本のメディアの品質である。私は日本のマスコミは「犯罪者」だと確信している。
慰安婦騒動では10年以上に渡り、森友や加計騒動では1年以上に渡り、それこそ狂ったような報道を続けたが、その後、前者は吉田清治のご子息、後者は森友学園理事長のご子息が真正面から父親を批判しているが、マスコミは完全黙殺した(産経は読まないが例外的に報道しているかもしれない)
どちらの子息も証言も極めて重要なものだった。ところが、マスコミはあらかじめ国民を特定の結論に誘導したいので不都合な情報はほぼ100%隠蔽する。どう考えても悪質な「犯罪者」だ。
主張する際には、まず「事実」、それと当時や現在の「通念」、最後に自分なりの「解釈」の3つのうちどれを主張しているのか整理することを心掛けている。マスコミが作為的に重要な報道を報じないというのは多くの事例がある厳然たる事実。マスコミが犯罪者だという解釈・見方は現日本国民の通念には反するが、個人的には以前から確信していることである。
こういう人達が生まれたのも、日本のメディアや言論界のせいであり、お父さんは当時の似非インテリの一般的通念にやられただけかもしれません。
読み込めば、ドストエフスキーが共産主義者の悪魔性を徹底的に批判していることが明らかなのに、そういった極めて重要な事実が意図的に隠蔽された。だから、スターリンはドストエフスキーを発禁にしたのだが。
そして、日本の高度経済成長時代に、共産主義を信奉する若者世代において狂ったような学生どうしの殺し合いや拷問の応酬が起こり(浅間山荘は氷山の一角。東大などの社会学系の秀才の学生たちが次から次へと殺された)、当時の聡明な知識人たちは、ドストエフスキーが正しく予言したものを目の当たりに実感して、その予言の正確さに震撼したのだった。
「共産主義こそが、民主主義の一形態または進化した形態である」と多くの戦後知識人が思い込んだことが、どれだけ日本に害毒をおよぼしたか想像を絶するものがある。うわべだけの教科書や記事だけを読んでいるだけではわからないだろう。日本の無能マスコミがむちゃくちゃになってしまったのも、日本のリベラルが訳わからないのも、根本的には、そこに歴史的根源があるのは間違いない。正統的な民主主義やリベラルから離れて異端になってしまったのである。政権掌握して責任ある立場につかなかったからこそ、北欧の福祉はすばらしいなどと口先だけを文章に書きつられてさえいれば、新聞テレビしか見ない大勢の日本人から「ああ、これが教養か」と完全にだまされたのだ。
これを暴いたソルジェニーツィンなども日本の左翼は黙殺した。その他にも世界的には反共で有名なベルジャーエフなども日本ではあまり紹介されなかった。その代わり、ナチスの罪を糾弾する作品だけは執拗にとりあげられた。スターリンはナチスに匹敵する政治的粛清や虐殺をやっているにもかかわらずだ。スターリンによるユダヤ人粛清も相当なもの。(ただし、反ユダヤについてはロシアのギリシャ正教から由来する長い伝統も関係ある)
一方、日本においては政権を掌握しなかった左翼は独特の「民族自立」の作戦にでた。それは朝鮮民族を煽り立て、革命の闘士として日本を攻撃させることだった。その手口は異様にこんだもので、憎悪を煽り立てるだけ煽り立てながら、あたかも民族の友好と融和を唄っている善良な教養人のように見せかけることに成功した。(だから、だまされる日本人が後を絶たなかった)。それにも、護送船団方式で(ジョージオゥエル1984顔負けの)全国から地方紙まで(押し売りの販売店網を駆使し)くまなく同一論調で塗りつぶした日本の雑魚メディアによるおそるべき集団洗脳で大衆は左翼が正義であると信じ込まされた。
それは、「最近ボランティア活動が一部で広がっているが、戦前も関東大震災からはじまったボランティアがファシズム勢力に利用されていった。警戒すべき」という主張である。
こういう観点にこそ異常性が集約されている。まず、第一にファシズムを煽ったのは善良なボランティアではなく日本のメディアや似非インテリである。第二に、「外国のボランティアはよいが、日本のボランティアは何に化けるかわからない」という「日本だけ貶め」の執念(これは愛国心や軍隊などすべてに渡る。中国や韓国の愛国心の正義は善だが、日本のそれは悪)。
第三に、どうでもよいことにわざわざ関心をむけさせ、はるかに重要なものを隠蔽するという低次元な印象操作。たとえば守旧マスコミは日韓対立をなげくが、日韓関係がごごたごたしようが、実際は北朝鮮のほうが100倍深刻な問題。何万人もの日本人がミサイルや化学兵器で死傷する可能性がある、西側の名だたるシンクタンクも何度も警告している。日韓は大量死人がでるような問題ではない。しかも、その日韓対立と混乱をつくりだしたのは慰安婦騒動を世界的にした朝日新聞の工作。長年に渡って北朝鮮の兵器開発や工作活動を見逃すように誘導したのも朝日新聞。新聞とテレビの報道ワイドショーくらいしか見ない高齢者はそういうことを全く知らない。
そして落ちぶれるだけ落ちぶれた朝日新聞など極左が最後にすがりつくのが、「われわれは平和憲法を守ってきた」という、偽善きわまりないが、いまだに信じ込まされた日本人が多いメッセージである。
現実は、「日本国憲法9条」があったから、日本に、70年間平和が続いてきたのではなくて、米国の軍を含めた抑止力があったから、日本は侵略されなかった、ということを日本人は認識し、日本の戦前、政策のどこを間違えたのか、と認識することが大事なのではないのか、とこの果てしなく続く日本国憲法9条をめぐる「神学論争」を見ていて思う。
Die meisten Deutschen hatten geglaubt, für die gute Sache des eigenen Landes zu kämpfen und zu leiden. Und nun sollte sich herausstellen: Das alles war nicht nur vergeblich und sinnlos, sondern es hatte den unmenschlichen Zielen einer verbrecherischen Führung gedient.
大部分のドイツ人は、自国をよくするために戦い、辛抱した、と思っていた。けれども、今、これらすべてが無駄で、意味がなかっただけでなく、犯罪的な指導者の非人間的目標に奉仕していたことが判明したのです。
と述べておられるが、日本も子供を含めて日本人全体が「お国の為に」と戦い、辛抱した目標のうち、「自国」の弱者、例えば、東北地方の餓死寸前の人々、身売りを余儀なくされた少女、の為に少しはなったかもしれないが、中国をはじめとして、南方の島々の人々の暮らしに、破壊活動によって、非常な打撃を与えたのである。つまり、日本のマスコミ報道に踊らされて、自国やアジアの人々を救済する為に戦った、辛抱した、と大部分の日本人が思ってした努力は、犯罪的な日本の政治指導者の非人間的目標に奉仕しただけなのではないのだろうか?「英米」から東南アジアを解放し、「日本」が支配したら、東南アジアの人は幸せになれたのだろうか?日本人は、中国でしたのと同じことを、東南アジアでしただけなのではないのだろうか。東京裁判での中国やフィリピンの日本に対しての厳しい反応が、そのことを示している。
実は、左翼全盛の時代のなかで、同じ左翼として、その偏りを是正しようとした吉本隆明などは将来も読まれる価値があると考えている。手弁当ひとつで地方の高校にでかけて講演するなど善意なども評価したいのだ。このように個人の知識人への執拗な貶めは偏狭的な風潮を産むため、決して好むものではない。
しかし、それでも左翼のおそろしさや卑劣さは総体的に筆舌に尽くしがたいものだったということをひとりでも多くの日本人に伝えたいと考えざるをえない。左翼の洗脳は、日本人の「戦争へのトラウマ」に病的につけこむことによって日本独特にいびつに「発展」をとげて完成した。日本人の精神が病むように巧妙に仕向けたのである。がらんとした研究室で読書でひまつぶしするくらいしか特技ないようなボケ老人が大部分という日本の人文社会系の自称研究者たちが(朝日新聞等を熟読した偏波な思い込みで)世論に悪影響を与えることも日本の将来を考えると座視できないのだ。
そんなこともあって、私は、村山政権のころ、「社会民主党」に期待したのである。けれども、左翼の自称知識人の影響なのか、学者の影響なのかわからないが、先祖返りをしてしまった。韓国の「従軍慰安婦」をけしかける福島瑞穂さんをはじめとする「反自民一辺倒」の人々には、まるで興味がない。
ちなみに、ドイツの現政権は、極右を排除する目的での、メルケル首相のキリスト教民主連盟と左翼の社会民主党政権の連立政権である。
その結果どうなったか。東ドイツでない正統なドイツのほうは、右の全体主義も左の全体主義も拒絶し、すぐに自由主義陣営の一員として地位が確立したが、日本は紆余曲折の大混乱を経て、その後自由主義陣営の一員に定着するまで長い道のりを歩むことになった。
「所詮は指導者が権力を持っているのだから全責任は指導者にある」と言いきれるだろうか。まがりなりにも民主主義体制の場合は驚くほど世論に影響を受ける。そして、日本はメディアに(その付和雷同するだけの能力とは不釣り合いなほど)大きな権限を与えたことにより、国民が自発的に議論しながら考えて物事を決定していく習慣が根付かなかった。政府や公共機関の広報能力や国民との対話能力、海外または国内の情報収集能力も著しく劣ることになった。政治家や官僚はマスコミの顔色をうかがうようになった。
明治天皇の五か条の御誓文の第一は「広く会議を興し万機公論に決すべし」だったが、指導者がその後の社会の設計を間違ったのだろう。貴族主義のようにただイデオロギーに毒されやすいメディアだけが新聞社内でこっそりと「会議を興し」、そこで出た結論が「万機公論」として国民に押し付けられていく。メディアが重要でないと考えたものは官僚が結論をだす。どうせ怒涛のような印象操作報道で撃沈されると無能な政治家はメディアと真っ向から議論する意欲をなくし、権謀術数に精をだす。そういうあざとい政治家が権力を手中にしていく。そんなガラパゴスの政治家が国難を処理できるわけがなかった。
経済や福祉の面で社会民主党に期待されたのかもしれないが、それは八百屋にダイヤモンドやジュエリーを求めるようなものだ。科学的知識や統計知識も経済理論もなーんにもない、ただ情緒とレトリックだけで経済を語る連中だから。そういうのは、最近「ポエム」と呼ばれている。
朝日新聞が日中対立や日韓対立を煽りまくっていた時代に、歴史認識について軽々しく発言することは朝日など極左を利するだけで、日本にはなんのメリットもないことを当時の政治家は自民党を含めて理解できなかったのである。
その背後には、日本人の戦争贖罪ムードにつけこんで、長年の狂った報道を帳消しにしてやろうというマスコミの算段があった。むしろ、このとき自民党の政治家が主張しないといけなかったことは、朝日新聞の戦争報道や歴史認識報道を調査し、いかに南京報道なども含めて日本をおとしめるだけの歪曲が多かったか、このままいくと中国や韓国の反日ポピュリズムを刺激し、外交を損なうかを告発し、国民にむけて毅然と説明すべきだった。
朝日新聞たち極左が80年代以降に(キャンペーンは90年代以降)普通に暮らしている元慰安婦たちに同情を仕向けたのは朝鮮人に同情したからではない。北朝鮮帰国に仕向けて大変な地獄の苦しみに仕向けられ、当時なお生きるか死ぬかの境目にいた北朝鮮帰国者や拉致被害者への人権侵害、あるいは中国共産党のおそるべき弾圧など共産主義による人権侵害から日本人の目をそむけさせるためである。
貧困者に手をさしのべようというのも偽善である。財源である国力を豊かにしようというなどの真の社会貢献など何ひとつなく、極左マスコミの手先となり、混乱ばかり巻き起こし、しかも政治経済や国際情勢にしろ「冷静に客観的議論しよう」という空気を抹殺しようとした連中である。新聞紙面で討論させることなどはほとんどゼロ。冷静に議論すれば「化けの皮がはがれる」のを自覚しているのである。
私の安全保障政策は、西独から帰国後、欧州の修羅場を見たせいか、「非武装中立」といことは考えられず、小松一郎さんに近いから、細野豪志さんの気持ちがよくわかったし、「安全保障」のような大勢の人の生死や、都市の存亡にかかわる大事な問題で、「政党」に排除の論理、があるのは当然だ、と思ったが、日本のマスコミの大きな影響力で、「排除の論理はいけない」ことになり、国民民主党は、「集団的自衛権違憲、憲法改正反対」でゆくことになった。要するに、政界では政治家個人の意見を言うことはできず、マスコミや自称知識人の政治グループの政見を踏襲しないと、野党の公認取れない、ということを、そのことは如実に表している。それが「真の意味」の、代議制の民主主義政治、と言えるのだろうか?
宮沢にとってはそのムードにのっかり、(強すぎで摩擦を起こした)日本の経済を内需型に主導し日本の金融制度を国際化することなどに専念し、中国の鄧小平の改革路線も軌道にのれば北朝鮮も開放されていくだろう、もはや防衛問題など優先順位は低くなり、安全保障問題などデリケートな問題は後回しでよいという感覚である。
けれども、それではさすがに総理はつとまらないので、カンボジアPKOなどは積極的に推進した。しかしPKF論争などでは腰砕けだった。
そのため、結局は「日本の左翼のおそろしさを見誤った」のである。
また吉田茂の本質を見誤まり、「吉田茂は欧米重視だったが、宮沢喜一はアジアを重視していく、それが保守本流であるという妙な気負いをもっていた」ので左翼につけこまれた。朝日新聞なんかも宮沢喜一のお人好しを最大限に利用したのである。所詮政治家の器でなく官僚タイプである。この時代に慰安婦騒動と日韓関係崩壊の種がまかれた。
そして、朝日新聞など滅茶苦茶な極左との「対決姿勢」で日本を守ってきた自民党の遺伝子が消滅した。もちろん、あまりに復古主義的な遺伝子は受け継がれなくてよかったと思う。そういう意味で吉田茂は非常にバランスがとれていた。吉田は日本の天皇への深い敬意をもちながら、子供のころに習った論語など中国古典は非常に人生の役に立ったと振り返り、また欧米からアジアでの実践的外交経験をもち、ロシア文学まで堪能する教養の幅広さ、そして最後の葬儀はカトリックで行われた。融通無碍であり深みがあり、純粋培養されたような人間とはほど遠い。
だから、朝日の慰安婦キャンペーンで世界中に騒ぎが広がっていっても、宮沢は他人事のような感覚であった。よくいえば純粋な人間だったので、極左の憎悪うずまく世界や外交のおどろおどろしさにはまるで鈍感だったのだろう。
両者の共通点はメディアのイデオロギー(虚偽意識性=das falsche Bewußtsein)体質への糾弾で、言われていること自体は過去の立論の延長で新味はなく、退屈な代物だ。それぞれメディアに対して思うところがあるのだろうが、自意識過剰の観念論の域を出ていない。
イデオロギーという言葉が主に左翼系知識人やメディアを標的に、共産主義批判の文脈で語られているが、二人自身の党派性、即ちイデオロギー体質については驚くほど無頓着だ。
そうした思考法が、安易に自明のものとして展開され、イデオロギーという言葉自体がほとんど無意味と化しているがその自覚など微塵もなく、何ともご気楽だ。軽率かつ素朴な素人論議の典型だ。
社会哲学者の徳永恂氏によれば、イデオロギーとは、単なる感情の表白や行動に伴う直接的、無媒介的な反応ではなく、「何らかの理論的な定式化を含む認識装置であり、思想体系」だとして、それ自体が純粋に客観的な理論や認識などではなく、「何らかの動機ないし理論関心(Interesse)によって制約」されざるを得ない主観的な性格を指摘する。
それは内在的に「論理的な首尾一貫性によって評価されるよりより、外在的な社会的・政治的な機能もしくは影響の面で評価され」、人をして「何らかの行動に駆り立てる『信念体系』もしくは『民衆の心を掴んだ理解』として、何らかの実践的性格」を有する。
「虚偽意識性」である所以は、「現実をありのままに捉えていない」とか、「独善的な自己主張」でしかないからだとされる(以上「フランクフルト学派の反ユダヤ主義研究」、『ヴェニスのゲットーにて』273~74頁)。
つまり、「イデオロギー批判」はマルクス的発想法でもあるわけで、カ氏や旧会社員氏の議論は、期せずしてマルクスの手のひらで踊らされている結果になっている。
そうしたネガティヴな虚偽意識性としての「イデオロギー」概念の使用は、徳永氏も指摘するように、その後、イデオロギー偏重への批判から実証主義的中立性以外には、「批判の規準となる真理概念が相対化されて曖昧になるにつれて、イデオロギー概念は、『特定の政治目的のための理論武装』という意味で、あるいは自称され、あるいは中傷として使われるようになっていった」(同274頁)とされる所以だ。
イデオロギー自体を硬直的にとらえる思考法もまた、イデオロギーに絡めとられしまう危険性を常に孕んでいることを自覚すべきだ。
84~106までの取るに足らない粗雑な議論は、そうした致命的な弱点を内蔵している。個々の事実誤認や牽強附会、弱論強弁を指摘すれば枚挙に暇がないが、84⇒【要するに、言葉の定義…】などといったところで、カ氏が厳密に言葉の定義を提示して首尾一貫した議論をするのをみたことなどない。ただの修辞法として無邪気に乱用しているだけで、その前段の真っ当な議論がなく、「要するに」(ὅλως)も何もないものだ。そこには日本人の思想的脆弱性(μαλακία)が露わだ。
‘ἐτεῆι δὲ οὐδὲν ἴδμεν• ἐν βυθῶι γὰρ ἡ ἀλήθεια.’(Democritus, Frag. 117)
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