先日、「伊藤詩織さんと左右の場外乱闘」という題名の文章を書いた。https://blogos.com/article/425014/ あえて「保守」という言葉は避けておいたのだが、案の定、今回の山口敬之氏の事件をめぐって、「保守」という概念は、定義が争われるらしい。https://blogos.com/article/425078/
確かに、たとえば山口氏が、小川榮太郎氏を携えて自己の主張を展開している姿は、「常識」的には理解が難しい。あえて、かつてLGBTと痴漢を比較する文章で物議をかもしたあの小川氏を起用するのは、「常識」的な発想の訴訟戦略には感じられない。
SNSで回ってきたので、小川榮太郎氏の「性被害者を侮辱した「伊藤詩織」の正体」と言う題名の月刊『Hanada』という雑誌に掲載された文章を見てみた。https://hanada-plus.jp/articles/230 すると、こんなことが書いてある。
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仕事の世話をしてもらおうという男性との初めての会食で、自ら進んで大量に酒を煽り、陽気に振る舞っていたとなれば、その後の出来事は明確な犯跡がない限り、当事者間で解決すべき痴話に過ぎなくなる。
国連でこの実態を正直に語ったうえで性被害を訴えれば、笑い者になるどころか、逆に厳しく糾弾されるだろう。進んで自ら大酒したことを認めたら、性被害者として打って出る根本が崩れてしまう。
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日本の保守層は、国連を嫌っている場合が多いと感じていたので、小川氏が自らの洞察の裏付けに「国連」を持ち出しているのは、意外に感じる。
しかし酔っぱらってしまったことを「国連」で「正直に語ったうえで性被害を訴えれば、笑い者になるどころか、逆に厳しく糾弾される」という考え方は、「常識」的な「国連」理解に反すると言わざるを得ない。
私は自分の専門分野から、相当数の国連職員を知っている。だが、小川氏の描写に合致する発言をしそうな国連職員は、一人たりとも思い浮かばない。
もし国連職員になりたいという人が、小川氏と同じ「国連」理解をしていたら、それは誤解にもとづくものなので、国連でのキャリアを考え直したほうがいい、と助言するだろう。
上述の小川氏の伊藤詩織さんを糾弾する文章は、「安倍首相と近い山口敬之を貶めたい人たち」への警戒を促す文章で結ばれている。
実際、山口氏も、小川氏も、その他の同じ文脈で言及される方々の多くも、安倍首相との関係が話題になっているらしい。
事件は全く政治イデオロギーが介在するものではない。しかし、一部の人たちが、安倍首相への立場こそが真の論点だ、と主張していることが、事件が「左右の場外乱闘」に発展している大きな原因なのだろう。
ただし、少なくとも「国連」は、そちら側ではない。
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反氏の手法も全く同じで、反氏もようやく、中村元氏の「智慧」という言葉についての解釈、智慧の完成の意味は、ものごとを正しく識別する能力、あるいはすべてを見通す見識、つまり具体的には、先を見通してものごとに対処すること、は認められた。もともと、なぜ、「智慧」という言葉の意味が問題になったかというと、私が、「長谷部恭男教授」には「知識」があっても、「智慧」がない、と主張したからである。本来であれば、芦田均さんやヴァイツゼッカー氏と長谷部恭男教授の主張のどこが違い、どちらが先を見通して物事に対処している、と言えるか、を比較検討すべきなのである。ところが、反氏は私が蜘蛛の巣が張った憐むべき低劣な頭脳しか持たず、その頭の中は、「ヴァイツゼッカー宗」の巫女または、「憲法教(狂)」女祭司よろしく、神懸りになって錯乱しているから、このような主張をする、というイメージを読者に植え付けようとする。これをプロパガンダ、嘘を信じさせる技術、以外になんと表現するのだろう。
私がこのコメント欄に真剣になるのは、この激変する東アジア情勢の中、日本の安全保障にとって、日本国憲法9条の芦田均さん的解釈と「自衛隊の明記」は私を含めた日本人の生命と安全のために、自衛隊を暴走させないために、絶対に必要だ、と思っているからである。
Die Völker Europas lieben ihre Heimat. Den Deutschen geht es nicht anders. Wer könnte der Friedensliebe eines Volkes vertrauen, das imstande wäre, seine Heimat zu vergessen?
Nein, Friedensliebe zeigt sich gerade darin, daß man seine Heimat nicht vergißt und eben deshalb entschlossen ist, alles zu tun, um immer in Frieden miteinander zu leben. Heimatliebe eines Vertriebenen ist kein Revanchismus.
ヨーロッパの諸民族は、自らの故郷を愛しています。
ドイツ人とて同様であります。自らの故郷を忘れ得る民族が
平和に愛情を寄せるということを信じるわけにまいりましょうか。
いや、平和への愛とは、故郷を忘れず、まさにそのためにこそ、
いつも互いに平和で暮らせるよう全力を挙げる決意をしていることであります。
追われたものが故郷に寄せる愛情は、復讐主義でないのであります。
Spiegelの電子版によると、ドイツの海外への武器輸出額は増え、国内で問題になっている、つまり、ロシアのプーチン政権のロシア経済の立て直しのための武器輸出拡大の方針、それに対抗するようなアメリカのトランプ大統領の政策によって、今は軍縮ではなくて、軍拡の時代になっているが、私の疑問は、それがわかった上の、長谷部恭男教授の主張なのか、ということなのである。篠田英朗教授は、国際政治の専門家だから、そのことを抑えた上で主張されているが、法律や憲法や哲学の専門家が、つまりマスコミ知識人が、その現実を認識し、先を見通した上で主張されているのか、ということなのである。そうではなくて、イデオロギー、そうあってほしい、という希望的観測に基づいた空中楼閣の主張なのではないのだろうか。
交戦権は、ヨーロッパにおける17世紀の30年にも及ぶ宗教戦争のあと、平和を構築するために、国際法が、国家に与えた権利であったが、化学技術の進歩により、戦争の方法が変わり、第一次世界大戦が総力戦となり、兵隊だけではなく、民間人を大量に巻き込む惨劇となったために、国際連盟、パリ不戦条約で国際法上、遺法となった。ユダヤ人大虐殺は、広島・長崎の原爆と並んで第二次世界大戦の二つの大事件であるが、前者を技術の進歩の結果、と思わない。組織的であるということと、技術が進歩した、ということは別の問題である。
私の114の、⇒【中村元の説いた解説本によって、『般若波羅蜜多経』の般若=慧の意味や、波羅蜜多(pāramitā)について杜撰なりに引き写したまでは稚拙なりに是として、調子の乗って、104⇒《先を見通した時、長谷部恭男教授の見識と、ヴァイツゼッカー、芦田均…篠田英朗…の見識のどちらが優れているか、は明らか》の部分は、中村の「般若=慧」の解説から明らかに逸脱している】の箇所のどこをどう読めば、122⇒【反氏もようやく、中村元氏の「智慧」という言葉についての解釈、智慧の完成の意味は、ものごとを正しく識別する能力、あるいはすべてを見通す見識、つまり具体的には、先を見通してものごとに対処すること、は認められた】になるのか、誤読しかできない「阿呆」に問い質したいくらいだ。
認めるも認めないも、中村は漢訳で「智慧」(正確に「慧」。慧=prajñāと智=jñānaはほぼ同じ意味内容の言葉だが、サンスクリットでも漢語でも別)をカ氏が引用した素人向けの『般若波羅蜜多経』の解説本で噛んで含めるように、中村自身の嗜好を含め語釈したにすぎず、それをサンスクリットもパーリ語も皆目理解できず、辞書も引けない、憐むべき無学なカ氏が恣意的に引用し、滑稽にも最近知った中村の権威(ἐξουσία)を利用して見当違いな与太話をしているだけ、ということを私が指摘したにすぎない。
カ氏には忌々しいのだろうが、残念ながら中村と同じく私も、カ氏と違ってサンスクリットが読める。その俗語であるパーリ語も中村ほどではないが理解できる。T. W. Rhys Dvis & W. Stede編集のパーリ語の辞書=“Pali Text Society’s The Pali-English Dictionary”, 1921~1925, Oxford.によって確認する程度の基礎知識はある。
そして、それはサンスクリットが理解できない大方の坊主(saṅgha)が何と言おうと、中村であれ、他の誰であれインド学や仏教学の専門家の共通認識であって(皆、同じ辞書の世話になっている)、その程度のことが全く理解できないから、生来の低能も手伝って、カ氏が誤読を繰り返すと指摘している。
しかし、智慧または慧についてはそこまでで、そうした仏教経典の語釈によって、中村がそう言うはずもないが、智慧=般若を敷衍して「先を見通してものごとに対処することです(18頁)、と説明」したまではよいが、それが104⇒【先を見通した時、長谷部恭男教授の見識と、ヴァイツゼッカー、芦田均…篠田英朗…の見識のどちらが優れているか、は明らか】には到底ならない。そもそも問題の領域や対象の性質が異なるからだ。
どんな世界的碩学であっても、中村が憲法解釈や国際政治について、カ氏のように無駄口を叩くはずもない。ただ、「仏教の教えでは平和が大切…」程度のことは言うだろうが。中村は自らの分を弁えない(πλέον ἔχειν)=分を冒す(πλεονεκτεῖν)ほど、愚鈍ではなかろう。
122⇒【もともと、なぜ、「智慧」という言葉の意味が問題になったかというと、私が、「長谷部恭男教授」には「知識」があっても、「智慧」がない、と主張】についても、何を今さらと思うが、元々のきっかけはそうではあるまい。
反論が苦しくなると論点をその都度ころころ変える、カ氏特有の論点移行の誤謬(μετάβασις εἰς ἄλλο γέννο)、平たく言えばごまかし(τερθρύεῖσθαι)だ。
都合が悪いと、記憶は大変良かったらしい父に似ず、勝手に別の話にすり替える。「生まれつきの」(ψυσικός)嘘つき(ὁ ψεύστης=Verlogenheit)=「虚偽体質」たる所以だ。
それ以外は壊れかかった蓄音機の奏でる同工異曲の身の程知らずの逆上せ上がった法螺話で、相手にしようがない。相変わらず対憲法学者との関係で、憲法学者ではない篠田さんに対する憲法学の専門家の多数派の代表格である長谷部恭男氏と篠田さんの構図を、篠田さんと全く異なる、英独語が多少は読める程度の単なる無学で、著しく怠惰な割には何にでも一家言があるかのごとく分を弁えないで愚にもつかない法螺話(122、124~126)を撒き散らしている自分と、私や「政府解釈」氏との対立になぞらえている。
莫迦莫迦しくて話にもならない。自意識過剰で誇大妄想、被害妄想のK印の「阿呆」たる所以だ。
その挙げ句、結局は狂信的な「ヴァイツゼッカー宗」の「巫女」らしく、下らな連邦大統領演説をコピペで張り付けて、怠慢極まる「布教活動」に入れ上げる。
掲載の部分など、敗戦でそれまで住んでいた地域を去らざるを得なかったドイツ人の身勝手な郷愁以外の何ものでもなく、身から出たサビだろう。
欧州大陸からユダヤ人を「事実上」(ἔργῳ)消し去ることになったホロコーストにしても、それと唯一比較可能な米国による犯罪、哲学者のロールズの言なら「正しい戦争のルール」(jus in bello)を踏み外した「極めて大きな過ち」(great wrongs)である原爆投下も、ともに「文明の野蛮」(Zivilisation zur Barbarei)がもたらした結果だという私やアドルノの主張への賛否は措いて、その「意味するところ」(γενικὸν ποινόν)を正確に概念的に把握できないのが、カ氏の決定的な弱点だ。
アドルノの人口に膾炙した言葉=「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」(‘nach Auschwitz ein Gedicht zu schreiben, ist barbarisch’)を引用すると、私がいつのまにかフランクフルト学派の信奉者(ὁ εὔνους)にされてしまい、事もあろうに唯物論者、社会主義者と同類にされ、「フランクフルト学派憎し」として、何やら誇大妄想狂らしき「アラー」氏(カ氏も大差ない)のネット上の記事を剽窃(τὸ μιμεῖσθια)して、大騒ぎすることになる。
さらに、「アウシュヴィッツ以後、詩を」云々については、【「アウシュヴィッツ事件を起こしたような国民の、ドイツの詩及び文化は野蛮だ。」などという主張に、私は納得できなかった】(10月10日・107・36)という、カ氏以外ではあり得ない偏頗な解釈になる。
それをアドルノ批判を含め、他者の言説を盗用してコピペで撒き散らす、もはや宿痾と化したカ氏の悪癖=コピペ病について指摘すると、ある応酬では、⇒【全文567文字中、実に298字、52%、つまり過半数はコピペをして、どこが悪いのかと思う】(今年4月27日・107)と嘯き(εἰρωνεύομαι)、開き直る始末だ。
これで投稿は通算3,000件だが、阿呆相手だと効率が悪い。
「文明の野蛮」でも「道具的理性」(instrumentale Vernunft)でも、後期ハイデガーの「技術的(合)理性」(technische Vernünftigkeit)の専制的支配でも、私の用語である「道具的合理性」(instrumentale Vernünftigkeit[Rationalität])でも、問題意識は共通するが、啓蒙的理性の頽落形態(自然への頽落=Naturverfallenheit)、人間が自らの生み出した文明によって逆に支配され、復讐されるという近代の宿痾は、問題の本質を突き詰めればけっしてドイツに限られる問題ではないことを皆目理解せず、「わが仏貴し」の「偏狭的な党派的感情」(ακληρός φιλονεικία)で敵愾心を自他に煽るしかできない敵意剥き出しの「単細胞」がカ氏というわけだ。
とにかく、偏狭性は凄まじく、特有の信条、信念、信仰に凝り固まっている。もはや治癒困難だろう。死なねば治らない、「不治の病」たる所以だ。
「…ドイツ人というものは威嚇以外には何も理解しないし、また理解もできない。交渉にあたっては情け容赦も仮借もない、有利とみればすかさずつけ込んでくるし、利益のためにはどんな下劣なことでも敢えてする、彼らには名誉も誇りも慈悲もない」(‘…the German understands and can understand nothing but intimidation, that he is without generosity or remorse in negotiation, that there is no advantage he will not take of you, and no extent to which he will not dream himself for profit, that he is without honour, pride, or mercy.’: ‘The council of Four, Paris, 1919’: The collected writings of John Maynard Keynes, vol. 10, p. 5.)というのは、ドイツに心酔したカ氏を見る限り、あながち間違いでもないようだ。οἴμοι.[完]
人間にとって大事なことは、論争に勝つことではなくて、(人間は神ではないので、絶対は無理であるが)できる限り真理に近いものにたどりつく努力をする、ことなのである。その為には、論争の勝ち負けではなく、胸襟を開いた、誠意ある話し合い、が必要なのではないのだろうか。それが民主主義政治の本来の姿だと、私は思う。「ドイツ人というものは威嚇以外には何も理解しないし、また理解もできない。交渉にあたっては情け容赦も仮借もない、有利とみればすかさずつけ込んでくるし、利益のためにはどんな下劣なことでも敢えてする、彼らには名誉も誇りも慈悲もない」というクレマンソー首相の認識に則って、条約交渉にドイツを参加させず、過酷なベルサイユ条約を戦争という脅しを使ってドイツに押し付けたことこそが、ドイツでナチス・ヒトラーが政権を取る起爆剤になり、第二次世界大戦につっこんだ、それは、ヨーロッパの知識人の共通認識である。その反省にたって、Brexit問題でもよくわかるように、現在EUでもNATOでも、公正な交渉が重視されるのである。
凡庸なヴァイツゼッカー元独連邦大統領より炯眼な作家の民族に押せる苦渋に満ちた自己認識(「文化と政治」)がある。ドイツ語で長々と引用するのは嫌味だから、訳文(コピペではない)で紹介し、原文は全集の引証頁を示す。
「われわれの時代に至るヨーロッパの全歴史をもっと幸福な運命へと導いてくれていたであろう方向、精神的な人間の一人ひとりに重大な関わりをもっていた方向、つまり民主的な方向を熱望していた人々に対して、彼は露ほどの共感も示さなかったのである。
民衆を彼は、「最高至高のごろつきども」としか呼ばなかった。そして彼の住居からバリケードに立て籠っている者たちを偵察していた一人の将校に対し、彼らをもっともよく狙い撃てるようにと、これ見よがしにオペラグラスを貸し与えたのであった。これを政治を越えた態度、政治に対する優越といえるだろうか。これは単なる反動的情熱にすぎない――そしてこの情熱を支えているもろもろの精神的根底は、もちろんわれわれにははっきりしている。
…この思想家が政治的反革命的なのは、生に対して批判的な鬱屈した気分と苦悩崇拝のゆえであり、進歩を標榜するデマゴギーの「下劣な楽天主義」に対する憎悪のゆえなのである――要するに彼の四囲には、われわれが余りにもよく熟知している、われわれの故郷そのものといってよいような余りにも親しい感じを催させるドイツ的な市民精神の空気が典型的な形で漂っているのだ――が何ゆえにドイツ的な市民精神なのか、それはまさに、この市民精神が精神的であるからであり、その内面性、その急進主義、あらゆる民主的なプラグマティズムとの絶対的な無縁性、その「純粋な天才性」、その身のほど知らぬ頑冥固陋、これらすべてがドイツにおいてのみ存在しうる特殊ドイツ的可能性であり、法則性である――そしてまた危険性である――からなのだ。」(続く)
デモクラシーの意味は、政治的ないし社会的な事柄を人間的な総体に所属する一要素だと認めることであり、市民的自由に味方することによって倫理的な自由を守ることであるならば、精神の反民主的な倨傲が弁証法的帰結として到達せざるをえないデモクラシーの反対物は、人間的なものの一部分にすぎないもの、外ならぬ政治的な事柄を、自らの力で全体の位置にまで引き上げて全体とし、国家思想と権力思想以外はもはや眼中に置かず、人間と人間的なものとをその思想の犠牲にして、あらゆる自由の息の根を止めてしまうところの、あの理論とあの徹底的に反人間的な実践なのだ。
事の成り行きは仮借のない、悲劇的な一貫性に貫かれている。ドイツにおける精神の政治的真空状態、文化=市民を自負するドイツ市民のデモクラシーに対する不遜な姿勢、自由を過小に評価して、自由という言葉を西洋文明の生み出した修辞の一常套句としか見ようとしないその態度が…国家と権力との奴隷に、全体政治の単なる手足にしてしまったのであり、ドイツ市民が世界精神の前に再びその眼を見開くことのできる道が果たして遺されているのだろうかと疑わしめるほどの屈辱の奈落へと、彼らを突き落としたのである。」(“Kultur und Politik”, 1939.= T. Mann Gesammelte Werke, Bd. 12, S. 854~857、池田紘一訳の一部変更=新潮社版全集第11巻、601~603頁)
「政治から自由でありたいと欲したドイツ的精神が結局は政治の脅威の中で破滅していく逆説」(das Paradox des Unterganges des deutschen Geistes, der politikfrei sein wollte, im Terror der Politik vollendet sich)だ。
まず「サンスクリット語」とは言わない。Sanskrit(saṁskṛram)を所謂「梵語」とは称するが、[saṁskṛram]は原義で「完成されたる言語」の意味で、「サンスクリット語」は屋上屋を重ねる重複表現になる。日本の生んだ世界的なインド学者(ヴェーダ学)で言語学者、辻直四郎による入門書の表題も『サンスクリット文法』(1974年、岩波全書)だ。
【いろいろな知識を振り回して】は英独語しか理解できない「無学な婆さん」の僻み(ζηλοτυπία)だろう。そして、私が議論を混乱させているのではなく、カ氏の蜘蛛の巣が張ったお頭が混乱しているのだろう。
そもそも、仏典を漢語に翻訳する過程でまず最初に意味のずれが生じており、漢語の智慧、智と慧の正確な意味を認識するためには元のサンスクリットかパーリ語、漢訳以前の失われた原典の語釈の参考になるチベット語に立ち返って考えるのが仏教学の基本で、漢訳しか読めない無学な坊主の視点でものを考えても、各宗派の信仰はともかく、問題にもならないというのが中村元も含めた仏教学者の共通認識だ。
田中美知太郎由来の論法は帰謬法(ἡ εἰς τὸ ἀδύνατον ἀπόδειξις)であって、133②⇒【反氏の自慢…論争術は、ソフィスト】と、肝腎なことを何も知らないカ氏が勘違いするソフィストの争論術(ἐριστική=問答競技)ではなく、アリストテレスが争論術やプラトンの概念問答法(διαλεκτική。厳格な概念分類・区分[διαίρεσις]の論法)を改良して定式化した、現代でも論理的議論に使用されている普遍的な議論の法則だ。
134はカ氏の信仰告白で問題外。
K印の「無学」は救いようがない。
だから、もはや相手にするまでもないが、138⇒【本当に、反氏のコメントには難しい言葉がたくさん並んで読むのに一苦労】というのも間抜けというか、余りに凡庸な感想で拍子抜けする。
ある意味、「嘘つき」にしては正直なのだろうが、【反氏のコメント】といったところで、135~136はドイツ特有の知的支配層=教養市民層(deutschen Mandarine)の末裔であるトーマス・マンの文章(「文化と政治」=“Kultur und Politik”, 1939.=Thomas Mann Gesammelte Werke in dreizehn Bänden, Bd. 12, Reden und Aufsätze 4, S. Fischer Verlag, 1974. S. 853~861)で、民主的な政治的合意形成の歴史がなかった祖国ドイツが、経済的苦境など状況的には酌むべき事情があったにせよ、ユダヤ人の国家ぐるみでの計画的な殺戮行為に向かうナチズムに絡め取られるに至った国民の政治的未成熟性の根底にある「非政治性」=政治を軽視、蔑視する精神的資質さがあったことを的確に抉り出している。
同じ教養市民層の出である元連邦大統領より遥かに卓越した眼識のもち主であったことを窺わせる。
ヴァイツゼッカーは政治家だからある意味已むを得ない側面があり、多数の民衆を前にした演説であることを考慮しなくてはなるまいが、内容は如何にも凡庸で陳腐、かつ退屈である。
そして、それに感激する程度の知性を愚鈍という外はない。精神の幼。児たる所以だ。
134⇒【ソクラテスは相手と論争する場合…真実の探求に一生懸命で、その結果、相手の自尊心を傷つけ…論争相手の恨みをかうことになり、死刑の判決を受けた】という場合の相手はソフィストではない。不当な告発の背景には別の政治的事情がある。カ氏が何も知らないだけだ。
ところで、カ氏も信奉する近代的な相対主義的、合理的価値観を追求したソフィストが詭弁家の汚名を着せられた背景にはプラトンの影響が最も大きいが、それは戦略的なものだ。
プラトン以来「悪役」になり戯画化されたソフィストに新たな光を当て、その真価に着目し名誉を回復したのは、ヘーゲルや古典的名著『ギリシア史』の著者G. グロート、英国のプラグマティストF. C. S. シラーらで、実際のところ、むしろソクラテスの方が自らは論難するばかりで一向に真理に辿りつかず、口先だけ達者で底意地の悪い愛嬌のない人物であり、ソフィストの同類としたローマの政治家もいる。
それはともかく、大カトーが「おしゃべり婆さん」と揶揄したソクラテスの中に真の哲学の精神を見出したのはプラトンで、そこに言う真理の意味はカ氏のいう相対的真理観では全くない。
なお田中美知太郎は戦前の名著『ソフィスト』(1941年)の中で、近代以降のソフィストの悪名を固定化させたものとして、19世紀のドイツの哲学史家の影響を指摘している(講談社学術文庫版、191頁)。
今年は個人的にもいろいろなことがあった。無邪気に年末年始、衛星放送の海外ドラマの一挙放送を梯子していたヤンチャな妻も鬼籍に入った。一向に夢枕には立たないので、成仏したのだろう。
今年1年、本欄に随分書いた。カ氏との応酬もあり、前回までで1,736件、1日平均で5件弱(4.88件)、旅行や葬儀もあったから実質5本になる。私は800字ギリギリまで書き込むから、1日当たり400字詰め原稿用紙換算で10枚書いた計算だ。酔狂なものだ。
妻の葬儀後、8月4日に再開してからでも153日間で675件、1日4.41本で一見ペースダウンだが、長期間旅行したから、実際は何も変わっていない。妻の生死を境に、私の認識、論調に何の変化もない。
今年は、憲政史上最も長い政権となった安倍晋三首相が年頭所感で、「戦後日本外交の総決算」と意気込んだが、戦時中の朝鮮半島出身戦時労働者、所謂「徴用工」問題や、1919年3月1日の朝鮮の「3.1独立運動」、同年5月4日の山東問題に抗議した中国の「5.4運動」から100年と、今年が東アジアの近代史上、区切りの年だったことで多難な展開も想定され、日韓関係は戦後最悪の事態に逢着したが、当面は我慢比べだろう。
成果のみえない「外交の総決算」はともかく、もう一つの戦後の置き土産、長年の宿願である憲法改正論議は旗振り役不在で、一向に盛り上がらない。やる気も覇気も戦略もない与党や、反対するだけで安倍政権の敵失頼みの野党、それに加勢するメディアの責任というより、国民の無関心が最大のネックかもしれない。
戦後の平和と繁栄、そして現在(νῦν)の停滞と悲観のなかでバラ色ではありえない未来(τὸ μέλλον)を回避すべく、過去(ἦν)を超克する妙手などないが、平和と繁栄が同時に制約とも桎梏(ζυγόν)ともなる戦後の平和の代償(ἀμοιβή)について、われわれはそろそろ正面から向き合う時期に来ているのだろう。
沈みゆくこの国の民は生真面目だが、懦弱で刹那的な面もあり、退嬰的だから危うい。「冷戦」下の特異な国際情勢が成功の方程式となり、平和と繁栄を謳歌してきたが、同時に戦後という特異な歴史空間の中で頽廃したのだろう。
人は愚鈍ゆえに選択を誤りやすいこと、歴史を見損なうのと、択ぶところはない。取り立ててヴァイツゼッカー演説などもち出さなくとも、人は「無知ゆえに」(δι’ ἄγνοιαν)盲目(τυφλός)なのである。
ところで、アフガニスタンで銃撃され死去した中村哲氏の事件で、私はそれを痛感した。何ごとも犠牲(θυσία)と代償(ἀμοιβή)なくしては、真に獲得され、達成されるものではないこと、何ら変わらないからだ。そして、それさえ永続しない。
私は氏について、その奇特な行為に敬意を覚え、飄々とした人間性に親しみを抱きつつ、その平和観や戦争観、憲法、特に9条の認識については全くの誤りだと思ってきた。氏が骸になった今もそれは変わらない。しかし、その一見して懦弱ともみられる人間認識のうちに、他には容易に見出しがたいしたたかな勁さがあることを、氏の死まで見抜けなかった不明を愧じている。
中村氏は欺瞞と偽善に満ちた「安全地帯」で錯覚して慢心し、惰眠を貪る日本人に向けて、「よく生きること」(τὸ εὖ ζῆν)の一つの形を身をもって示した。人は何ぴともそれぞれの分を尽くして生きるしかないことも。
中村氏は、内戦に明け暮れるアフガンの民だけでなく、生きることの意味を探しあぐねている日本人に、重い問いを残した。
‘Ἴδιον ἀνθρώπου φιλεῖν καὶ τοὺς πταίοντας. τοῦτο δὲ γίνεται,ἐὰν συμπροσπίπτῃ σοι, ὅτι καὶ συγγενεῖς καὶ δἰ ἄγνοιαν καὶἄκοντες ἁμαρτάνουσι καὶ ὡς μετ ὀλίγον ἀμφότεροι τεθνήξεσθε,καὶ πρὸ πάντων, ὅτι οὐκ ἔβλαψέ σε˙ οὐ γὰρ τὸ ἡγεμονικόν σουχεῖρον ἐποίησεν ἢ πρόσθεν ἦν.’(‘‘τὰ εἰς ἑαυτόν’’, VII, 22.)
「過ちを犯す者をも愛することは、人間のみ能くするところである。そしてこの行為は、以下のことに思いを致すときに実現される。即ち、彼らはもともとお前と類を同じくする者であること、無知ゆえにそうとは知らず過ちを犯すということ、われ人ともども遠からず死にゆくものであること、とりわけ、彼らはお前の内なる支配的部分を以前に劣るものとしたのではないから、お前に害を与えたのではない、ということを。」
冒頭の一節は、古代ローマ帝国の五賢帝の一人で、ストア派の哲学者でもあったマルクス・アウレリウスの『自省録』(第7巻22章)にある。『自省録』と意訳された[τὰ εἰς ἑαυτόν]とは、英訳すれば‘To himself’という意味だ。岩波文庫にも精神医学者でハンセン病患者にも尽くした神谷美恵子の訳がある。
「過失のあった者をも愛するということは、特に人間的な行為である」という趣旨は、さまざまに解釈可能だが、テオグニス以来、「過ちは人の常」(‘humanus est errare’)というラテン語の成句がいろいろ語られていて、ローマの人々が「人間性」(humanitas)と呼んだものは、ギリシア語なら人間愛(φιλανθρωπία)というところだろう。
私が過ちだらけの憐むべきカ氏に特別に親近感を抱いているわけではないが、一種の縁があるのかもしれない。
来る年がカ氏や読者各位にとり、佳き年となることを祈りたい。
これから、反氏教養的市民層の末裔である、と反氏が主張されるトーマス・マンについて書いてみたい。本当に彼が反氏の主張されるような偉人であったのか、ということについて、そして、偉人であると私が主張するヴァイツゼッカー氏についても比べて書いてみたい。
日本の国内政治の視点で日韓関係を見る危険shinodahideaki.blog.jp/archives/31346621.html#comments のコメント欄(60,67,78)にも書いたことであるが、(どうして、このテーマなのに、トーマス・マンについてやりあうのか、全く意味不明であるが)、トーマス。マンは、教養的市民層の末裔であったから、信念をもってナチスに反対して、ドイツ国内の収容所に入れられたのち、仲間の助力で、亡命生活をおくった、反ナチスの主張をしたわけではない。反ナチス運動に走ったのは、ヒトラーが政権を取ったすぐ後、ドイツ文化センターに講演を頼まれて、ミュンヘン大学で、ワーグナーの作品の登場人物と自分を同一視するヒトラーを批判したために、講演のための海外旅行の後、ドイツ国内への入国を禁じられたからである。ヒトラーにしてみれば、ノーベル文学賞を受賞した人気者の作家によって、ドイツ国内でそのような定評を得たくなかったわけであるが、だからといって、彼を国内で拘束したわけではない。トーマス・マンは生活費を稼ぐために、自分がノーベル文学賞受賞者である、という名声を武器に国外で「反ナチス運動」を繰り広げ、大金を稼いだのである。けれども、彼の本質、考え方自体は、ドイツ文化偏愛の「国家社会主義」の考え方に近い。そのために、第一次世界大戦の際、戦争を賛美して、兄のハインリッヒ・マンやロマン・ロランに批判されて、『非政治的人間の省察』を書かざるを得なかった。
• 今日から、愛する故郷、国際都市、神戸に帰る。この一年、カロリーネはいかに反時流的古典学徒 氏によって、無学である、嘘つきである、とレッテル付けされたかわからない、と過去のコメント欄を読んで、再認識したが、読者の方々が、この反時流的古典学徒氏の嘘、歪んだ認識にだまされず、私の素人なりに一生懸命書いたコメントにも刺激を受け、既成メデイアに惑わされることなく、憲法改正問題でも、国際情勢でも、安倍政権についてでも、個人としてできる限り真理に近いものにたどりつく努力をしていただけたら、と思います。それがあって初めて、日本は、質の高い、全体主義に流されない「民主主義政治」が確立できるのですから。
144⇒【反氏教養的市民層の末裔…トーマス・マンについて書いてみたい…彼が…偉人であったのか…そして、偉人であると私が主張するヴァイツゼッカー氏についても比べて書】くというが、こうも確認が容易なマンに関するに簡単な事蹟に無知で誤謬だらけでは、何も論じたことにはならない。惨めな失敗作(ἀτυχία)だ。無知かつ無学ゆえに(δι’ ἄγνοιαν καὶ ἀπαιδευσίαν)避けられないことだが、「残念でした、期待していたのに。あ~ぁ」
まず、事実誤認について、145⇒【マンは、教養的市民層の末裔であったから、信念をもってナチスに反対して、ドイツ国内の収容所に入れられたのち、仲間の助力で、亡命生活をおくった、反ナチスの主張をしたわけではない】は、一箇所(「亡命生活をおくった」)を除き、全文間違い。
145②⇒【反ナチス運動に走ったのは、ヒトラーが政権を取ったすぐ後…講演を頼まれて、ミュンヘン大学で、ワーグナーの作品の登場人物と自分を同一視するヒトラーを批判したため】も、後段(「ドイツ文化センターに講演…同一視するヒトラーを批判」)を除き完全な誤り。
その証拠に、①「信念をもってナチスに反対して」おり、②「ドイツ国内の収容所に入れられた」事実はなく、③「仲間の助力で、亡命生活をおくった」のは一面の事実にすぎない、即ちノーベル賞作家としての名声で講演依頼は多く、執筆活動との兼ね合いもあって固辞したが、大学などへの招聘話もあった。すべてマンの実力だった。アインシュタインとともに、ハーヴァード大学の名誉博士号は受けている。
⑤「…亡命生活をおくった、反ナチスの主張をしたわけではない」の部分は、文意が混乱しているが、致命的な誤り。
⑥マンが最初にナチスに批判的見解を表明したのはナチスの政権獲得後(ヒトラーの首相就任は1933年1月30日)ではなく、致命的誤り。
以下、個々について論証する。
①について、第一次世界大戦で西欧流の民主主義に反対し、精神や芸術の政治化を嫌うドイツ特有の非政治的な保守主義的価値観、即ち第一次大戦を「文明(Zivilisation)に対する文化(Kultur)としてのドイツの戦い」と位置づけて擁護するもので、西欧流の進歩主義的理想主義者肌の兄ハインリヒとも袂を分かちつつ祖国支持の論陣を張ったことは事実。その誠実な(ἀληθής)自己認識を明らかにしたのが、名作『魔の山』の執筆を一時中断して書き上げた大著『非政治的人間の考察』(‘‘Betrachtungen eines Unpolitischen’’, 1918年)だ。
しかし、その後民主主義への理解を深め、配色が濃くなったこともあって見解を改め、戦後は一貫して民主主義を擁護する立場に転じ、ナチスに対しては「戦闘的ヒューマニズム」の観点から一貫して徹底抗戦を呼び掛けた――というのが、一般的に理解されているマンの政治思想歴だ。
②については、全くその事実はなく、カ氏の無知ゆえの致命的ミス。③については前述の通り。
ただ、両者が西欧流の民主的合意形成の価値に教養市民層は否定的で冷淡、民衆が偏狭的(国粋主義的)で敵対的な点では一種の共通性がある。これがドイツ民族特有の非政治性=政治的未熟の意味で、リンガー(Ringer, Fritz K.)の『ドイツ・マンダリンの没落』(“The decline of the German mandarins. The German academic community 1890–1933.”, Harvard University Press, Cambridge/Mass. 1969.=邦訳は『読書人の没落――世紀末から第三帝国までのドイツ知識人』、西村稔訳、名古屋大学出版局)詳細に分析されている。なお、ドイツ語版は“Dt. Die Gelehrten. Der Niedergang der deutschen Mandarine 1890–1933.”(Klett-Cotta, Stuttgart 1983.)として英語版から翻訳出版された。
⑤と⑥はまとめて論じる。
まず、マンは第一次大戦後、民主主義支持に転じ、「ヴァイマール共和国の文化使節」的役回りで内外を講演旅行する。その過程で国粋主義的反動、盲目的排他主義(chauvinism)の危険性をいち早く指摘し、ファシズムへの戦いを激化させていったマンが、最初に本格的に国家社会主義の危険性を訴えてナチスを厳しく糾弾したのはナチスの政権獲得後ではない。その2年以上前の1930年10月17日、ベルリンの音楽学校ホールでの講演『理性に訴える』(‘‘Deutsche Ansprache―Ein Appell an die Vernunft’’)だ。そこでは社会民主党と結んでナチスに対抗することを説いた。
さらに、より辛辣な形でファシズムの心理学的解明を意図して同年雑誌に公表して単行本も出た短編『マーリオと魔術師』(“Mario und der Zauberer―Ein Appell an die Vernunft”)では、ファシズムの正体を暴いて、その末路を予言した。同書は最初にイタリアで発禁処分になった。
1932年7月の国会選挙でナチスが608議席中230議席を獲得して勢いづくなか、翌8月、ケーニヒスベルクでナチス党員が不法行為を働いたことに抗議。「ケーニヒスベルクの血塗られた、恥ずべき犯行を知って、国家社会主義を自称する感情的な『運動』の讃美者たち、この中には無駄口を叩きながらこれに追従する牧師、教授、教諭、文士さえ含まれているが、こういう連中が遂に目を開き、この民族的な病気の真の性格がヒステリーと黴だらけのロマン主義のごたまぜであり、メガフォンを通して伝えられるそのドイツ精神なるものが、一切のドイツ的なものの戯画であり野卑化であることに気づくに至るであろうか?」(『われわれが要求しなければならないもの』)と突き放している。
1933年2月10日、ゲーテ協会の招きでミュンヒェン大学講堂でのヴァーグナー没後50年講演『リヒャルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大』(“Leiden und Größe Richard Wagners”)を行い、アムステルダム、ブリュッセル、パリを講演旅行し、ドイツの政情が悪化したのを見て帰国を断念、最終的に亡命を決意する。1936年には全財産を没収され、国籍も剥奪され、ボン大学の名誉博士号も撤回される。
それにしても勝ち目(λογίζεσθαι)があると思って本気で書いているわけでもあるまいが、持前の強情(αὐθάδεια)と負けず嫌い(δυσμεταχείριστος)で醜態を曝すのは控えたらよい。要するに、堪え性がない婆さんの悪あがきでしかない。
146~147は文字通りの法螺話だから相手にしても仕方がないが、ドイツでマンが不人気だという事情について、一知半解のカ氏のコメントでは要領を得ないので若干補説しておくことにする。
マンが20世紀ドイツの最大の作家、文豪として世界的名声があるのにもかかわらず、ドイツでは不人気、というか一般的にあまり馴染みのある存在ではないのは、▼亡命生活が長く、祖国でナチズムの支配に苦しんだ国民の共感を得にくいうえに、祖国を批判して結局帰国しなかった▼ノーベル賞の主たる対象となった『ブデンブローク家の人々』と著名な短編(『トーニオ・クレーゲル』『ヴェニスに死す』)以外、代表作の『魔の山』も『ファウストゥス博士』も、文学に関心の深いインテリ層以外にはほとんど読まれず、特に後者は存在すら知られていない▼長男のクラウスや妹カルラ(女優)が自殺するなど負のイメージも大きい。
さらに、「ゲーテのドイツとルターのドイツ」という観点で、ゲーテを高く評価する一方、ルターの偏狭性と反動性がドイツの暗鬱さや悲劇性の根源にあり、ナチズムまでつながっているという基本姿勢が素朴な民衆の反感を買っているのだろう。
いずれもドイツの歴史が絡んでおり、「ドイツの宿痾」にたじろがず立ち向かった、深く傷を負ったマンに責任があるわけではない。
マンには認識も感情も粗雑なドイツの民衆にとって、喉元に突き刺さって抜けない棘のような「毒」があるからだろう。[完]
145②⇒【どうして、このテーマなのに…マンについてやりあうのか、全く意味不明】のような言い訳をする前に、一人前の立論をすればよいものを、書けば間違いだらけの哀れな惨状を露呈する以外に能がない。
誰がどうみたところで、その比類のない「無学」ぶりは際立っており、今年は対私相手では「百戦百敗」ではないか。それでよく臆面もなく、本欄読者が、147⇒【私の素人なりに一生懸命書いたコメントにも刺激を受け…メデイアに惑わされることなく…できる限り真理に近いものにたどりつく努力をしていただけたら】などと、法螺話を並べられるものだ。莫迦も休み休み言うものだ。
今年も残すところ、2日だ。「有終の美」を飾るため、投稿するコメントにも精魂込め、立論も工夫すべきではないか。
‘Ἐγὼ τὸ ἐμαυτοῦ καθῆκον ποιῶ, τὰ ἄλλα με οὐ περισπᾷ˙ ἤτοι γὰρ ἄψυχα ἢ ἄλογα ἢ πεπλανημένα καὶ τὴν ὁδὸν ἀγνοοῦντα.’(‘‘τὰ εἰς ἑαυτόν’’, VI, 22.)
「私は私本来の務めを果たしており、爾余のものが、私の心を思い煩わせることはない。なぜなら、これらは命なきものか、理性に欠けるもの、ないしは混迷のうちに彷徨し自己の道を知らざるものであるからだ。」(マルクス・アウレリウス『自省録』第6巻22章、鈴木照雄訳、中央公論社『世界の名著』、第13巻、469頁=一部表記を変えた)
カ氏に「真理」(ἀλήθεια)など語る資格(ἀξίωμα)はない。「無学」以前の問題だ。
何を勘違いしているのか分からないが、147⇒【初めて、日本は、質の高い、全体主義に流されない「民主主義政治」が確立できる】など、カ氏が口にするのは百年早い。お呼びではないのだ。
このままでは、
‘Ἐγγὺς μὲν ἡ σὴ περὶ πάντων λήθη, ἐγγὺς δὲ ἡ πάντων περὶ σοῦλήθη.’(ibid.,, VII, 21.)
「あらゆる」ことに対するお前の忘却は、間近にある。お前に対する万人の忘却もまた、間近にある。」(第7巻21章、483頁)
ということだ。
それを避けたかったら、もう少し身を入れて取り組んだらいい。
‘Μηδὲν ἐνέργημα εἰκῇ μηδὲ ἄλλως ἢ κατὰ θεώρημα συμπληρωτικὸν τῆς τέχνης ἐνεργείσθω.’(ibid.,, IV, 2.)
「いかなる行動に際しても、でたらめに為すことなく、それに関する技術の基本的な規準にも悖る仕方は避けて為すべきである。」(第4巻2章、436頁)
ということを、肝に銘じることだ。
いい歳をして来年もこの調子では思いやられる。それなのに性懲りもなくソクラテスを騙り、篠田さんを隠れ蓑に愚劣な無駄口を利くことしかできない。
「無知の知」にも届かぬ「無知後」=ムチノチ、禅坊主なら手痛い痛棒を見舞われ、「鞭の血」=ムチノチまみれになろう。
この際だから「投降」して、「投稿」なんか、「止めちゃえばぁ~」。οἴμοι.
‘μήτε διώκων μήτε φεύγων.’(「去者不追、来者不拒」=(ibid.,, III, 7.)
現実の日本の政治、具体的には社会の政治的合意形成や政権の意思決定過程が、「全体主義に流されない」ようにと、特段警戒せざるを得ないような問題に直面しているとは想定できず、誇大妄想狂であるカ氏の単なる妄想の域を脱してはいまい。
カ氏は、そうしたものが実際にあるのかないのか、現実にはありもしない「真の民主政治」への他愛ない、というか儚い見果てぬ(ἀδύνατον)希望(ἐλπίς)を託しているようだ。民主制は所詮、近代民主制といえども、本質的には歴史上で最初に民主制を導入した古代ギリシアにおける原意である「多数者の支配(優先)」(δημο[ς]-κρατία)にすぎない。ただ、その運用過程が古代と現代とでは異なっているにすぎない。
こうした問題を考える時、私は常に「ハーヴェイロードの前提」(Presuppositions of Harvey Road)という言葉を想起する。『J. M. ケインズ伝』の中で経済学者のハロッドが、ケインズの生家があるケンブリッジのハーヴェイロード6番地にちなんで、ケインズの政治思想をそう評したことで流布した。
成熟した民主的伝統を有する国柄を反映して長らく高等知識層(‘high Intelligenzija’)が国政を事実上動かしてきたという英国の伝統にならって、政策の立案・決定を行う人々は、私心にとらわれない公正無私な知的エリートであることが前提だという言葉だ。
EUからの離脱を決定した近代民主主義の祖国である現在の英国の政治がそうなっているか否かはひとまず措いて、制度化された知的職業エリート(官僚、学者、法律家、金融家、エコノミスト、科学者、一部のジャーナリストら、いわゆる有識者集団の構成員)による政策や知的分野での支配が強まっているのが、昔も今も変わらぬ近代民主主義社会の現実だ。
そして、それを憲法解釈における制度的支配になぞらえたのが、「法律家共同体のコンセンサス」なる長谷部恭男氏の主張だろう。現代社会のあらゆる面にそうした民主義的合意形成の枠組みと並走して、時にそれを凌駕する選ばれた少数者による実効支配がある、という謂いだ。
つまり、民主制の究極の、というか原理的な理想の格率である「民衆の民衆による民衆のための政治」というのは単なる「お題目」、別の言葉で表現すれば「高貴な嘘」(noble lie)ということだろう。
その是非はこの場では問わない。そうした現実が否定できないということを確認すればそれで足りる。
「われわれは文明というものが、ごく少数の人たちの人格と意思とによって築かれた、そして巧みに納得させられ、狡猾に保たれた規則や因襲によってのみ維持される、薄っぺらで、当てにはならぬ外皮であることに気付いてはいなかった。…われわれの一般的な心の状態の原因であり、またその結果として、われわれは、われわれ自身の人間性をも含めて、人間の本性というものを完全に誤解していた。われわれが人間の本性に合理性を帰したために、判断ばかりか、感情の浅薄さをも招いたのである。」
‘We were not aware that civilization was a thin and precarious crust erected by the personality and the will of a very few, and only maintained by rules and conventions skilfully put across and guilefully preserved. …As cause and consequence of our general state of mind we completely misunderstood human nature, including our own. The rationality which we attributed to it led to a superficiality, not only of judgement, but also of feeling.’(“My Early Beliefs”; The collected writings of John Maynard Keynes, London, 1972, vol. 10, p. 447~448.)
ケインズはさらに続けて、
「われわれは伝統的な知恵だの、慣習の掣肘だのを、まったく尊重していなかった。ローレンス(D. H. Lawrence)が認めルートヴィヒ(Ludwig=ヴィトゲンシュタイン)もまた、正当にも、そう言っていたように、われわれには、事物に対しても人間に対しても、尊敬の念がまったく欠けていた。生活の秩序づけのために果たした、先人たちの並々ならぬ業績(今の私にはそのようなものに思われる)とか、この秩序を保つために彼らの創案した精巧な枠組みを、尊重することなど思いも及ばなかった。
プラトンは『法律』の中でこう述べた。すぐれた法典のうち最善の法律の一つは、およそ青年に対しては、それらの法律の中のどれが正しいとか誤りだとか、詮索することを禁じている半面、法典の中になにか欠陥を認めた老人は、自分の気づいた点を、青年が誰もいないときに、統治者なり同年輩の人なりに伝えることが許される、そういう法律だというのである。それはわれわれにとって、その主眼点や重大さをまったく見出し得なかった金言であった。」
‘We had no respect for traditional wisdom or the restraints of custom. We lacked reverence, as Lawrence observed and as Ludwig with justice also used to say―for everything and everyone. It did not occur to us to respect the extraordinary accomplishment of our predcessors in the ordering of life(as it now seems to me to have been)or the elabolate framework which they had devised to pretect this order.’(引用続く)
結局、ケイインズは才気に溢れていた仲間同士との若き日を「今から思うと、人間の心についてのわれわれの考えが、誤りというだけでなく、その軽薄さ、皮相さ加減がいっそう明らかになったようである」(‘the thinness ad superficiality, as well as the falsity, of our view of man’s heart became, as it now seems to me, more obvious;’=ibid. p. 449.)と自戒を込めて振り返る。
世俗性に抵抗する卓越した知性が陥りがちな、「川底の渦や水流には触れないように、小川の表面を、空気のように軽やかに楽々と、優雅にかすめて滑って行くアメンボ(water-spiders)」のような邪気のない境地への、ローレンスらの無知で、嫉妬深く、気短な、敵意に満ちた目に気づいて理解はしても、けっして同情や同調はしない、大衆の情熱がもつある種のリアリティーに宿る一片の真実を正確に見定めようとする典型的なエリート気質の人物の自負心や覚悟、何より抜け目のない聡明さと同時に、一種の諦観にも似た炯眼を窺わせる。
そこで、冒頭引用文でカ氏も言及した安倍政権の真実、憲政史上最長となった背景の認識だ。
昨日29日夜の「NHKスペシャル 証言ドキュメント 永田町・権力の興亡―長期政権 その光と影」での安倍首相をはじめ、関係者の証言を対比させている。民主制という高貴な嘘を権力運用の現場で担う人々の自己認識として興味深い。
結論から言えば、安倍政権の実態は「安倍―麻生」政権だということだ。より端的に言えば、それぞれの祖父に引き戻して「岸(信介)―吉田(茂)」政権のDNAを窺がわせる、ということだ。
そこには、共通して短期政権で苦杯を嘗めざるを得なかった元首相経験者(安倍首相も第一次政権は短命)同士が、石波茂政権の芽を摘むことで共闘し、麻生氏の場合は自らの再登板を封じて、実質的後見人として存在感を維持する。
麻生氏には、「民主主義の根幹は…」、「説明責任」などのような「空語」を一切語らぬリアリズムゆえの揺るぎのなさがある。歯に衣着せぬ、失言批判を恐れぬ率直さも祖父譲りだ。民意を巧みに手繰り寄せる安倍首相の粘り腰にも、安保騒動によって任期半ばで退陣せざるを得なかった祖父の無念を受け継いでいる。擬似「岸(信介)―吉田(茂)」政権たる所以だ。
番組タイトルが示すように「長期政権の光と影」のような紋切り型の視点でしか権力を語れぬメディアや、長期政権の奢りと弊害、日本社会のモラルハザードのような形での政権批判に終始する野党の凡庸さと思考停止にこそ、政治は畢竟、権力の運用であることを没却した現代日本の政治の貧困があるのかもしれない。[完]
161⇒【コメント❶149と150への❷氾濫であるが、➌151の事実認定が認識か間違っているのである。マンはドイツの政情が不安定で帰国しなかったのではなく、ミュンヘン大学の演説の経緯によって、入国を拒否されたのである。❹その後に反ナチズム運動を海外で本格化したのであって、➎ケストナーのように身の危険を感じながら、国内で反対運動をしたわけではない。❻敗戦後もドイツにもどらなかった】は皆、明白な誤りか事実誤認だ(該当箇所を白抜き丸囲み数字=❶❷➌…で表示)。
❶【149と150】ではなく⇒【149から151】、❷【氾濫】ではなく「反論」、➌【151の事実認定が認識か(「か」ではなく「が」)間違っている】ではなく⇒カ氏が無知で誤認しているだけ。
❹【その後(1933年2月=筆者註)に反ナチズム運動を海外で本格化した】というが、カ氏は同時に145(丸囲み数字=①②③は筆者)で、⇒【信念をもってナチスに反対して、①【ドイツ国内の収容所に入れられた】のち、仲間の助力で、亡命生活をおくった、②【反ナチスの主張をしたわけではない】。③【反ナチス運動に走ったのは、ヒトラーが政権を取ったすぐ後】、ドイツ文化センターに講演を頼まれ…講演のための海外旅行の後、ドイツ国内への入国を禁じられた】と論じている。
反論はないようだが①の事実(一体何を根拠に?)はない。②【反ナチスの主張をしたわけではない】ではなく、政権獲得の2年以上前から国家社会主義への批判を強め、ドイツ国民は社会民主党と組んで対抗すべきだと警戒し、厳しく糾弾している。
そもそもカ氏は、145でマンがあたかも海外に出てから、一種の「安全地帯」でナチズム批判をしたかのように論じているが(【反ナチス運動に走ったのは、ヒトラーが政権を取ったすぐ後…講演…で…ヒトラーを批判したため】の部分)、明白な誤りだ。帰国すれば逮捕の危険もあり周囲の助言もあって海外にとどまっただけだ(正式に亡命を表明するのは1936年)。謂わば危険回避の海外脱出だ。
➎【ケストナーのように身の危険を感じながら、国内で反対運動】というが、そもそもケストナー程度の児童文学者とは格が違う。マンは1929年に54歳でノーベル文学賞を受賞した、国際的評価も高い超一流の作家=文豪であり、単なる文士の存在を超えた社会的名士だ。ヴァイマール共和国の「文化使節」の役割を期待され、果たしていたように。
発言の社会的影響力はケストナーの比ではない。さらに夫人のカーチャ・プリングハイムはユダヤ系の富豪一族の出だ。その意味はいくら無学なカ氏にも分かろう。
❻敗戦後、何度も慫慂されてもドイツにも戻らなかったのは、戦後も欺瞞と偽善だらけの祖国や同胞に愛想を尽かし、絶望したからだ。マンが悪いわけではない。
その間の事情は、1945年の公開書簡「私はなぜドイツへ帰らないか」(‘‘Warum ich nicht nach Deutschland zurückgebe’’=Thomas Mann Gesammelte Werke in dreizehn Bänden, Bd. 12, s. 953~962.)に詳しい、以前にも紹介した(3月20日・68~70参照)ので繰り返しだが、一部を紹介する。
‘Ein Kapellemeister, der, von Hitler entsandt, in Zürich, Paris oder Bubapest Beethoven dirigierte, machte sich einer obszönen Lüge schuldig―unter dem Vorwande, er sei ein Musiker und mache Musik, das sei alles. Lüge aber vor allem schon war diese Musik auch zu Hause. Wie durfte denn Beethovens »Fidelio«, diese geborene Festoper für den Tag der deutschen Selbstbefreiung, im Deutschland der zwölf jahre nicht verboten sein? Es war ein Skandal, daß er nicht verboten war, sondern daß es hochkultivierteAufführungen davon gab, daß sich Sänger fanden, ihm zu singen, Müsiker, ihn zu spielen, ein Publikum ihm zu lauschen. Denn welchen Stumpfsinn brauchte es, in Himmlers Deutschland den »Fidelio« zu hören, ohne das Gesicht mit dem Händen zu bedecken und aus dem Saal zu stürzen !’(Werke, Bd. 12, Reden und Aufsätze 4., S. 957~58)
「ヒトラーに派遣されて、チューリヒ、パリ、ブタペストでベートーヴェンを指揮した指揮者は、自分が音楽家であって、だから音楽をやるのだ、それがすべてだ、といった口実で臆面もない嘘をついた責任があります。ドイツで音楽をやるということ自体が、すでに嘘でした。
本来ドイツ人の自己解放の日のための祝祭劇であるベートーヴェンの『フィデーリオ』は、いったいどういうわけで、この十二年間に禁止されなかったのでしょう? それが禁止もされずに、極めて洗練された形で上演されたこと、それを歌う歌手がおり、それを弾く楽員がおり、それに耳を傾ける聴衆がいたというのは、立派なスキャンダルでありました。蓋しヒムラーのドイツで『フィデーリオ』を聞き、顔を手で覆うこともなく、会場から外に飛び出しもしなかったとは、何という鈍感さでありましょう。」
「私が聴衆に対して、ドイツについて述べようとしたことは、一つとしてよそよそしい、冷たい、外側からの知識から生まれたものではないのである。すべてが、私の中に存在し、そのすべてを私が自分の肉体をもって体得してきたことであった、と語ったのです」(ibid., S. 960)とも。
血に飢えた同胞の運命に立ち会い、人間性に仇なす宿業を抉り出す筆に苦衷が滲む。そこに凡百の作家にはない、背筋を匡させる(διορθοῦν)苦渋に満ちた認識がのぞく。ケストナーのように、お子様相手ではないのだ、
スイス在住のヘッセをモンタニョーラに訪ね、消息を伝えている。
「ドイツ人は偉大な、重要な民族だ。誰がそれを否定できよう? ひょっとすると、世の師表かもしれない。だが、政治的国民としては? これはもう論外だ! 私はどんなことがあっても、そういう彼らと今後関係をもつのはごめんだ」(»Ein großes, bedeutendes Volk, die Deutschen, wer leugnet es? Das Salz der Erde vielleicht. Aber als politischen Nation―unmöglich! Ich will, ein für allemal, mit ihnen als solcher nichts mehr zu tun haben. «(ibid., S. 955)と。
最後に、161の4行目以下は「クズ」なので相手にしない。そもそも私は149~151で、それ以降の~153までを含め、ヴァイツゼッカー程度について、何も言及していない。
162も「阿呆」一流の誤読で、そもそも159は麻生太郎、安倍晋三両氏が吉田茂と岸信介の「DNAを受け継いで悪い」との趣旨ではなかろう。つける薬がない。[完]
その影響でもないが、その際にうっかりして、151の5行目、⇒「『マーリオと魔術師』(“Mario und der Zauberer―Ein Appell an die Vernunft”)」から、「―Ein Appell an die Vernunft」以下を削除する旨の記述を脱落させた。凡ミスだ。
ところで、訂正ついでに補筆すると、151でも紹介した通り、ファシズムの正体を暴いて、その末路を予言した注目すべき短編『マーリオと魔術師』は、マン一流のパロディー、アイロニー(Ironie)とフモール(Humor)に満ちた作品で、マン自身の後年の回想によれば、「ファシズムの心理学の」解明という意図をもった作品であることに「気づいた者は当時誰一人いなかった」と、米国版『ヨゼフとその兄弟』の序文、「十六年」の中で述懐している。
もっとも、ファシズムの故国イタリアで同年中に発禁処分になるくらいだから、あくまでも雑誌(»Velhagen und Klasings Monatschefte«, Bielefeld und Leipzig Heft 8, 1930.)への発表直後、または単行本(S. Fischer, Berlin)の出版直後ということだろうが、意味深長だ。「くすくす」ほくそ笑んでいるマンの顔が浮かぶようだ。
この初版本(縦166ミリ、横105ミリ)でわずか143頁の小著(高橋義孝訳の新潮社版全集で43頁)は、マイト(H. Meid)の装画と挿絵があり、当初は副題となった“Ein Tragisches Reisserlebnis”(「ある悲劇的な旅行体験」)と題されていた。
それにしても、161~162、165をみる限り、コピペによる盗用や意味のない引用ができないと、「無学の女王」のコメントも貧弱で悲惨だ。
それを悲劇(τραγῳδία)と呼ぶか、滑稽な喜劇(κωμῳδία)でしかないのか、判断に迷うところだが、とんだ茶番(παιδειίά)には違いない。οἴμοι.
「反ユダヤ主義」(Antisemitismus)の歴史は長く、「反ユダヤ主義者」(Antisemitist)も多種多様だ。
しかし、ドイツ(人)のように、国家ぐるみの合法的で計画的、しかも死体を、工場でもあるまいし、「ベルトコンベアー式」の流れ作業で、ユダヤ人問題の最終解決(Endlösung)の名目で、アウシュヴィッツだけで一日平均710人を四年半にわたって、戦争目的そっちのけで終戦まで燃やし続ける国家と国民、しかも自国内ではなく他人の庭先(=アウシュヴィッツ[Auschwitz]は、ポーランドの寒村オシュフェンツィム[Ośvięcim]のドイツ語名)でやりたい放題の国家や国民など、人類の歴史上、ドイツ以外に存在しない。それが現実だ。
同じことはドイツ以外では起きないどころか、計画もされない。
それを、ジェノサイド(génocide=民族大量虐殺。ギリシア語で種族、人種を意味するゲノス[genos=γένος]とラテン語の接尾辞[coedes]の合成語)▼ホロコースト(holocauste=1950年代末に生まれた造語で、ギリシア語起源の12世紀のラテン語‘holocaustum’=「丸焼き」に由来)▼ショアー(Shoah=ヘブライ語で「破壊」)といずれの名で呼ぼうと随意だが、歴史の中で、天変地異や凶作、疫病の蔓延など災厄に見舞われる度に猖蹶的に何度も繰り返されてきたユダヤ人に対するキリスト教徒による虐殺や略奪である暴虐行為、所謂「ポグロム」(Pogrom)とは、その性質が根本的に異なる。
今回の事件は、単なる犯罪だ。そして血に飢えたドイツ人が手を染めたホロコーストは、悪魔の所業、サンスクリットで言えは人(manuṣya)ではない外道(amanuṣya)=「人非人」(kinnara=キンナラ)の所業ということだ。
ドイツへの醜悪な「胡麻すり」も大概にすることだ。
ユダヤ人問題の最終解決(Endlösung)として、その根拠となる法が制定され、企画立案後、具体的な実施計画が政府機関によって練り上げられ、特定個人の独断ではなく政府機関の合議によって実施に移され、憐れにも囚人、焼却される犠牲の羊となったユダヤ人の移送には軍の協力も得た。
法、行政組織、実行役としての官吏と国民、これだけ揃えば合法的な組織犯罪であることは明らかだ。「集団的な罪」(‘Kollectivschuld’)云々は別問題だ。
旧ソ連での富農粛清や、実務派によって政権内の覇権的指導力を奪われた毛沢東が再び権力を掌握しようと中国共産党内の権力闘争の一環として仕掛けた文化大革命による犠牲(多数の餓死者を出した真の要因はそれに先立つ農業政策=大増産計画の失敗)、ボル=ポト政権やルワンダの部族対立による大虐殺には、法と行政組織による計画性が欠落しており、いずれの国もドイツのような世界有数の先進国家でもない。
そして、「悪法も法」を地で行くこの蛮行を下支えしたのが、ケルゼンらの説くドイツ流の実定法偏重の法実証主義だ。戦後のドイツはその反省から自然法論が主流になる。
自分から頼まれもしないのに、144⇒【トーマス・マンについて書いてみたい】と言い出しておいて、その誤謬だらけの杜撰な尻切れトンボの議論を指摘されても何ら有効に答えられず、結局はそれに窮して「反論の真似ごと」に終始して逃げ回り、ごまかすことしかできない。
実際問題、私の指摘に何ひとつまともに応酬できない。その挙句、頬被りして澄ましている。呆れたものだ。
私はマンについての具体的な事蹟の確認に、H. Bürgin und H.-Otto Mayerの膨大な年譜“Thomas Mann eine Chronik seines Lebens.”, 1965を参照している。無知極まりないカ氏と議論していると、まるで最新装備の米軍に対して自動小銃で向かってくるゲリラのような錯覚を覚える。
それにしても、例えば、172⇒【この事件が、プロイセンのような国家体制で行われたのなら、反氏の主張は正しい。そうではなくて…ワイマール共和国で、起こっている…ナチスは…民主的な手続きで、独裁国家となって…ヒトラーの神がかり的作戦で、物事を進めたのでは】もその証左で、ホロコーストはプロシアのような非民主的な強権体制ではなく、民主制ゆえに起こった国家犯罪だということがどうしても理解できない。ナチスも官吏は神憑りではない。皆法に沿って執行している。173も法的思考ができない証拠だ。法は思想内容でなく、形式がすべてなのだ。
カ氏は瑕疵というくらいだから、頭が悪いのだろう。
まるで、的屋=香具師の口上だが、
175=【自由からの闘争】⇒◎【自由からの逃走】
175②=【リーマンシュタール】⇒◎【リーフェンシュタール】(L. Riefenstahl)
「頭が悪すぎっ!」。証明終わり。「取扱(χράομαι注意」。
頓馬相手は疲れる。莫迦移りそぉ~。
天国の妻「それにしても、貴方が毎日いじめている、あの神戸出身のおばあちゃん、ドイツ通なのに、レニ・リーフェンシュタールも知らないみたいネ」
私「そうみたいだな。しかし何だね。ナチスのプロバガンダがどうのこうのと言っている割には、リーマンシュタールはないよなぁ~。椅子からずっこけたぜ」
妻「そうよね。戦前のベルリン五輪の映画作った人でしょ。とっても美人」
私「まぁ、君といい勝負だな。君だってあのコンビニの経営者に原節子に似てるって言われたんだろ」
妻「そうね。でも昭和っぽくて、あまり嬉しくなかったわ。それに原さんて、貴方が中学生の頃から熱上げてるけど、随分ませてたのね」
私「それほどでもないさ。ところで、原さんはロシアのクウォーター何だぜ」
妻「女のことだとえらく詳しいのね。伊藤詩織さんも美人ね。あなたまさか、それで山口なんとかいうオヤジに冷たいの。伊藤さんって、あんたの学生時代の女友達に似てるゎ、ほんと、眉間のあたりなんかソックリ! まさかおぬし」
私「違いますョ。ところで、リーフェンシュタールって元女優で、ダンサー経験もあるんだぜ。原節子が戦前、ドイツとの合作映画『新しき土』に出てシベリア鉄道でドイツまで行ってヒトラーとも会ってるだろ、その監督がリーフェンシュタールが主演女優として出ていた山岳映画を多数製作したA. ファンクさ」
妻「そうなんだ、何でも知ってんのね。ところで、リーフェンシュタールって、生涯独身だったんでショ、ヒトラーが好きだったのかしら!」
私「どうかね。グレタって、ゲッベルスの奥さんもヒトラー一途だったから、両雄並び立たずじゃない」
妻「女でも両雄って言うの? まぁいいけど。リーフェンシュタールって、戦後はどうなったの? ヒトラーと一緒に死んじゃったの」
私「いや違う。死んだのは子供たちも道連れにしたグレタの方さ」
私「リーフェンシュタールは戦後、ナチスの協力者ということで拘禁されたけど、その後も写真家として活躍して101歳で大往生さ、2003年9月に」
妻「あら、美人薄命って言うけど、随分ね。原さんも長生きしたけど、私早まったかしら」
私「そうだョ」
妻「でもアンタには中邑菫ちゃんがいるでショ~だ。あの囲碁の女の子。伊藤詩織さんも」
私「冗談よせョ!」
妻「ところで、トーマス・マンの奥さんも美人だったんでショ。お姫様みたいな」
私「そうさ。マンの母親も大変エキゾチックな評判の美人さ。ブラジル系ポルトガル人の娘さ。非凡な音楽の才はマンも受け継いでいる」
妻「あんたが参考にした本、年譜っていうの、随分詳しいわね。318頁もあるなんて」
私「神戸出身の瑕疵婆さんは、【小説家のしごとは、物語を作ること…歴史は事実の積み重ねで】とか法螺吹いているけど、年譜も克明な事実の積み上げさ」
妻「そうネ。あんなお年寄りにはなりたくないわ。アンタがあんまり苛めたから、イジケちゃったんじゃない」
私「何、しぶといから心配ご無用さ」
妻「でも、70にはならなくても、やっぱりお歳よネ。だって、スマホで投稿すると金魚に糞みたいで、全然サマにならないんだも。しばらくお休みした方がいいと思う。も~う、きっとボロボロよ。手加減してあげたら」
私「だから、佳いお年をと、一応はご挨拶したじゃない」
妻「それだから、本を読んでる割には女心を知らないっていうのよ。女は何歳になっても褒められたいし、優しくされたいのょ」
私「そんなもんかネ。ところで我が家のお嬢様、そろそろお時間じゃない」
妻「あ、そうか。もうこんな時間、シンデレラ気分ね」
私「極端な自由は極端な隷属に振れる、最高度の自由から最高度の隷属が生まれる、っていうのがナチズムという話をするはずだったけど、次回だね」
何らや勘違いして「お高くとまっている」(ὕβριστος)割には間抜けで、間違いなしには片時も真っ当な日本語の文章さえ綴れない体たらくで、それを糊塗して(τεχνάζω)、怠惰だからついでに手間(περιεργάζομαι)を省こうと、【他人のネット上の文章を、それと明示せずに一字一句引き写し自分の見解のように振れ回る】(=それを世間では「剽窃」[τὸ μιμεῖσθια=plagiarism]と称し、盗みに等しい恥ずべき行為とする)醜悪な人物が本欄に連日、「クズ」に等しい「老残の日記」並みのコメントを寄せて、愚劣にも悦に入っている暇をもて余したただの「主婦」(οἰκονόμος)、即ち「マダム瑕疵」こと、カ氏だろう。
その頭の血(αἷμα)の巡り(ῥοή)の悪さ、つまり低能(πονηρία)と愚鈍さ(ἀμαθία)は、「カ氏」=瑕疵というくらいだから、瑕疵=「可視」化され、時には「数え唄」として、その救い難い実態がカ氏=「歌詞」化され、強がってはいても目下、コピペも叶わずカ氏=「仮死」状態という、それこそ傍から眺めれば滑稽極まりなく、カ氏=(お)「可笑し」くて仕方がない、ということだ。
181⇒【178、179も反氏の作られた物語】というが、敬愛するプラトンにならって、専門用語が理解できず「読むのに一苦労」なカ氏のために対話篇仕立てにしたわけだ。ソクラテスの事蹟もそうすることで、プラトンは師のために不滅の(ἀνώλεθρος)記念碑を遺した。それは紛れもなく人類の遺産だ。
学問的議論、本欄程度でも真理の追求と民主制は別領域で関係ない。民主的な議論で真理に到達できるなら、ニュートンもアインシュタインも要るまい。
愚鈍さの自己証明である「民主主義狂」の狂態は、痛々しい。οἴμοι.
☆訂正 178の19行目、「グレタ」は「マグダ」の誤り。
私は178~179で、日頃はナチスのプロパガンダ政策に象徴される「嘘を真実に言いくるめる」悪質な宣伝工作を糾弾し、「歴史の真実」とやらをしきりに喋喋するカ氏が、こともあろうに175で、⇒【リーマンシュタール】と間違えた、ゲッベルス宣伝相に協力してナチスの党大会を記録したプロパガンダ映画『意志の勝利』(1935年)や、ヒトラーの依頼でベルリン五輪の記録映画『オリンピア』(1938年)二部作、「民族の祭典」「美の祭典」を完成させ注目を集め、ナチスの宣伝工作に比類ない才能を発揮したドイツの女性映画監督で女優でもあったレニ・リーフェンシュタール(1902~2003)が、カ氏が言うように、183⇒【100歳を越えるまで写真家として長寿した、ということと、彼女がナチスの罪に全く責任がない、というのは別問題】といった、わけのわからない意味不明な認識と論点移動でしかない誤読を誘うものではなかろう。
カ氏が夥しい、それだけでも相当重症だが、誤記、誤認、誤読に加え、意図的と無意識とを問わず、如何にまやかしに満ちた、しかもその割には驢馬並みの愚鈍な人物か、これ以上の適例がないほど如実に示していることは明白だろう。
そして、ドイツの国法と国法学の区別も覚束ない「阿呆」だから、19世紀的な実定法偏重、つまり実定法(即ち人の作った法)の正しさの判定基準となるべき客観的な秩序を否定するケルゼンらの極端な法実証主義が、すべて合法的な政策として実行されたナチスによる蛮行=「悪法も法」を正当化させることにつながる法理学的背景を全く理解できない。
こうした流れを受け、その克服には規範的価値論である自然法論以外にない、ということで戦後に自然法論者が大勢となる事情をカ氏は何も理解できず、戯けた民主主義熱に浮かれている。
第二次大戦後の法思想の世界におけるこの顕著な傾向は自然法論の「復興」であり、英国と北欧諸国を際立った例外として世界の学界に共通な特色となり、最も有力なのがカトリック系自然法論であり、現象学のM. シェーラーや存在論のN. ハルトマンらの西独型の自然法論も注目された。
つまり、「非ナチ化」を掲げた戦後の西独で隆盛を極めたのは時代遅れのケルゼンらによる自然法論の否定とは全く逆の現象であることの意味が、「頭の悪い」カ氏には、皆目理解できないようだ。
ここにきて保釈中のカルロス・ゴーン被告が海外逃亡するなど多事多難な一年が幕を閉じようとしている。愛唱しているカンツォーネ(‘Che vuole questa musica stasera’=邦題は『ガラスの部屋』)を聴きながら、筆を擱くことにする。
読者各位の新年のご多幸を祈りたい。
Che vuole questa musica stasera(今宵 この音楽は何がしたいのか?)
Che mi riporta un poco del passato/La luna ci teneva compagnia/Io ti sentivo mia, soltanto mia Soltanto mia/………Il mondo intorno a noi non esisteva(私たち以外の世界など存在しなかった)/Per la felicità che tu mi davi(あなたが私を幸せにしてくれていたから)/Che me ne fassio ormai/Di tutti i giorni miei/Se nei miei giorni Non ci sei più tu(あなたがいない日々を)
………
Che mi riporta un poco del tuo amore(在りし日のあなたの愛をわずかに呼び覚ます)
皆様、いい年をお迎え下さい、
ケルゼンらには法を超えた規範への認識が欠落しており、ドイツを誤導する法理学的根拠として悪用される落とし穴を内蔵させていたという逆説を無視できない。それが、法の科学的客観的認識を目指したケルゼンらの意図に如何に反していようと、歴史が示す紛れもない現実であれば、シュミット以上に問題なのである。
なぜなら、ナチスの政権獲得は合法的であり、反ユダヤ主義的政策も如何に不合理なものであったにせよ形式上は法に基づいた「合法的」なものだったからだ。
ドイツ社会は伝統的に、特にプロティスタント改革以降、自然法論の伝統があるカトリックに比べ「悪法も法」という法実証主義の傾向が根強く、ニュルンベルク裁判でも、ナチスの高官がこぞって、法に従ったと主張して個人的有責性を否定したからだ。
米国に亡命したケルゼンの純粋法学理論も、自然法論が主流で欧州大陸的法実証主義を毛嫌いする伝統がある米国で一般的になることはなかったのが実態だ。ハーヴァードでも国際法の講義をしたのは1年だけで、法思想史が主だった。ケルゼンに救いの手を差し伸べた加大バークレー校も、ポストは政治学教授だった。
時代遅れの法実証主義者である国際法学者、法哲学者としてのケルゼンの戦後における影響は限定的だ。
しかし、186⇒【私から見れば、反氏は頭が悪い】のような、鸚鵡返しに私の措辞をそのまま投げ返すしか能がないカ氏は、よほど救い難い「無学」だし、頭が悪いのだろうと確信する。
カ氏程度と比較されては私も立場がないが、カ氏が無学で知性、知識の程度も低劣、つまり「頭が悪い」ということは、個々の事例を挙げて既に論証済みなので、カ氏以外は周知の事実だろう。
何ら具体的な反証がなく、ただ、⇒【何故これだけ懇切丁寧に説明してもわからないのか】程度では話にもならない。
カ氏が具体的な事例を挙げて、筋道の立った議論で反論したことなど皆無だ。あるのはただ、ヴァイツゼッカー演説に対する信仰と心酔、「お手手つないで仲良く」という幼稚園道徳レベルの国際協調主義、黴の生えた狂信的な民主主義信仰程度で、西洋文明については、ドイツについてさえ雑識レベルを出ない、肝腎のことは何も知らない無知蒙昧が際立ち、論理的思考が全く覚束ない、血の巡りの悪い「低能」ということは、関西学院大卒でも、よほど低劣な部類だと結論づけざるを得ない。
何より、稚拙極まる間違いだらけの文章がそれを雄弁に物語っている。
もし、カソリックが正義だとすると、宗教戦争もプロテスタントに非があることになるが、現実はそうならなかった。思想、信仰の自由を認めよ、ということになった。これが、西洋の民主主義の原点なのである。
189⇒【反氏の把握はまちがって…ナチスが、政権をとったのは、合法であるが、ユダヤ人迫害は、非合法】というのは、明白な誤謬だ。ユダヤ人迫害、とりわけホロコーストに象徴されるユダヤ人に対する国家組織挙げての計画的な殺戮など他の国家では到底許されるはずもないが、合法的独裁にお墨付きを与えたヒトラーへの「全権委任法」を含め、ユダヤ人迫害の個々の根拠規定は、すべて法的手続きに沿った、形式的には「合法行為」であるからこそ、実定法偏重の法実証主義を伝統とするドイツの法体系が、独裁者の暴走を止められなかったのだ。
ケルゼンが主張した法実証主義は、制定された法がすべてでそれ以上の権威、つまり法の上にある、実定法の正しさを判定する基準となるべき客観的な秩序や規範を元々必要とせず退ける形式主義的思考だから「悪法も正義」=合法なのだ。行為内容には関係ない。
ヴァイマール憲法の精神を制定された具体的な個々の法律が裏切っていたとしても、それを可能にしたのもまたヴァイマール憲法なのだ。ケルゼンらの自然法の軽視がもたらした逆説であり、戦後の西ドイツが戦前の法実証主義から現象学のM. シェーラーや存在論のN. ハルトマンらの西独型自然法論が主流になる所以だ。
190⇒【カソリックが正義だとすると、宗教戦争もプロテスタントに非】は、西洋における法理論の歴史に無知なるがゆえの見解で、カソリック系の法学は伝統的に自然法論を主張しているということだ。法理論である以降、法実証主義を含め、それ自体は正義も不正義もない。
そもそも、同③⇒【キリスト教の十字軍…イスラム教徒と戦うのは正義…と論理の柱に】というが、キリスト教以前のプラトンの主張とこキリスト教と何の関係があろうか。
第一次大戦後のドイツの学界で、プラトン解釈をめぐる「三十年戦争」と呼ばれる論争があったには事実だが、それは大衆化社会への転換やロシア革命、ファシズムの擡頭も手伝って、プラトンが『国家』で展開した社会改良主義的な議論が一種のactuarityをもって迫ってきたからだ。
プラトンの見解を時代に迎合させようとした多くの学者、文化人たち(S. GeorgeやJ. Bannes、古典学者ではH. FriedemannやE. Salin、K. Singer、K. Hildebrandt)については以前に紹介した()。
プラトンの恣意的な近代的解釈を戒めたのが古典学会の大御所U. von Wilamowitz-MöllendorffやW. Jaeger、P. Friedländerらだ。
ケルゼンも、プラトンのテキストの具体的分析を碌に行わず、プラトンを全体主義者、国家主義者と断定して民主主義や自由主義を無批判に称揚する議論を、展開したK. ポパー同様(“The Open Society and its Enemies”: Vol. 1, “The Spell of Plato”, 1945参照)の亜流で、最善者政、所謂「哲人王」構想(『国家』473C~D)と僭主政の区別さえ無視して勝手な議論をしている。政治観は正反対だが、C. シュミットの解釈も似たり寄ったりだ。
無知の知、即ち「人間並みの知」(ἡ ἀνθρωπίνη σοφία)を説くソクラテス的「謙虚さ」(κόσμιότης)とは異なるプラトンの「傲慢さ」(ὕβρις)を指弾するが、見当違いも甚だしい。
ところで、プラトンが『国家』で展開した民主制の解剖、民主制の行き着く先が僭主独裁制との議論は、第8巻にみえる。極端な自由が極端な隷従に転落するとの指摘だ。該当箇所を引用する。
‘ἡ γὰρ ἄγαν ἐλευθερία ἔοικεν οὐκ εἰς ἄλλο τι ἢ εἰς ἄγαν δουλείαν μεταβάλλειν καὶ ἰδιώτῃ καὶ πόλει. εἰκὸς γάρ.’(Res publica, 564A)
「というのは、過度の自由は、個人においても国家においても、ただ過度の隷属状態へと変化する以外に途はないもののようだね。」(岩波書店『プラトンx全集』第12巻、藤澤令夫訳。以下も)
‘ταὐτόν, ἦν δ᾽ ἐγώ, ὅπερ ἐν τῇ ὀλιγαρχίᾳ νόσημα ἐγγενόμενον ἀπώλεσεν αὐτήν, τοῦτο καὶ ἐν ταύτῃ πλέον τε καὶ ἰσχυρότερον ἐκ τῆς ἐξουσίας ἐγγενόμενον καταδουλοῦται δημοκρατίαν. καὶ τῷ ὄντι τὸ ἄγαν τι ποιεῖν μεγάλην φιλεῖ εἰς τοὐναντίον μεταβολὴν ἀνταποδιδόναι’(ibid., 563E)
「『寡頭制の中に発生してその国制を滅ぼしたのと同じ病が』と僕は言った、『ここにも発生して、その自由放任のために、さらに大きく力強いものとなって、民主制を隷属化させることになる。まことに何ごとであれ、あまりに度が過ぎるということは、その反動として、反対の方向への大きな変化を引き起こしがちなものだ。』」
最も民主的なヴァイマール体制が独裁に転ずる所以だ。[完]
☆192・9行目の()内は、10月7日・137)
Jahrhundert bleien wird?この世紀からなにがのこるか、というテーマで、ベルリン自由大学の18世紀からの民主主義を専門にしておられる近代現代史家の見解を載せたものであるが、ナチスに政権を取らせたのは、1920年代に民主主義を克服しなければならない、という主張がドイツ国内で有力になり、その中には、プロレタリアート独裁支持の人も多かったが、それ以上に国粋主義者、右派の独裁を夢見た人が多かったのだそうである。要するにドイツの救世主を自称するヒトラーにドイツ国民が頼ったのであるが、その法理論はシュミットがささえているのである。その為にその主張に危機感をもったケルゼンが、民主主義擁護の本を書いたのである。ノルテ教授の言によれば、現在、試練を経たドイツ人は、政治的に自立した民主主義を愛する国民になった、ということである。
翻ってみれは、反氏も元々、民主政治信奉者では、なかったのではないのだろうか?私が主張している、ソクラテスとプラトンの差異は、ホッパーやケルゼンの主張に近いが、長谷部教授の日本国憲法の良識的解釈は、憲法学者だけにできて、安倍晋三首相や、保守の人々、国際政治学者にはできない、だから自分たちの見識に従え、という主張も独断と偏見に満ちたもので、ケルゼンの主張する民主主義政治ではない。
それこそ、カ氏の常套句「タイプミス」で、文字面を眺めれば容易く了解できる程度のミスだ。訂正するなら、もっと遥かに重大で致命的なものがいくらでもありそうに思うが、ものごとの軽重(καῦφοτης καὶ βαρῦτης)を理解できない。添えられた感想めいた書きつけといい、笑止千万である。
カ氏のご都合主義の「虚偽体質」の表れだろう。
コピペをしないと、相当の確率で必ず間違いを犯す、その名の通りの「マダム瑕疵」」(πλημμέλια οἰκονόμος)ということなのだろう。頭も悪いが、要領も手際も悪いから、みていられない。
負けず嫌い(δυσμεταχείριστος)で強情(αὐθάδεια)そのものだし、虚飾に満ちた御仁だから背伸びして、自分では手に余る論題について無駄口を慎むことがどうにもできないようだ。
そもそも、カ氏にケルゼンの法実証主義や純粋法学、自然法論批判など理解できるはずもなく、相対主義者のケルゼンがなぜソフィストの信奉者なのか、一向に見当がつかないのだろう。
何せ、ケルゼンの著作で唯一読んだらしいのは、本欄で度々言及する小著『民主主義の本質と価値』(“Vom Wessen und Wert der Demokratie; Staatsform und Weltanschauung”)だけ、しかも岩波文庫版の新訳だ。
そして、それをあたかも魔法の杖(ἠ ῥάβδος)というのか、こけおどしの女王の笏(σκῆπτρον)のように使って愚にもつかない「民主主義狂」ぶりを発揮している。あとは、C. シュミットの『政治的なるものの概念』(“VomDer Begriff des Politischen”)を利用したシュミット批判だ。
それ以外は何もない。無学で怠惰な「阿呆」だから、見ての通りだ。
ところで、195⇒「ホッパー」って、誰?
ケルゼンの法理学=法哲学上の立場、法実証主義(Rechtspositivismus)、価値情緒説(the emotive theory of value)、つまり事実判断(Tatsacheurteil)と価値判断(Werturteil=Beurteilung)の区別さえ覚束ないのだろう。自然法論(Naturrechtslehre)も同様だ。
一から説明しても構わないが、カ氏には理解できないだろうし、無駄なことはやめ、議論の都合上必要な点だけ指摘する。
ケルゼンが方法論として提唱した純粋法学(Reine Rechtslehre)は、一言で表現すれば、19世紀のドイツ実証主義法学を継承し、依然としてそこに残っていた「法外」的要素を徹底的に排除して、新カント派の手法で法に関する純粋理論、それだけで成立する自律的な法理論を確立する試みだ。
それは、実定法でさえ自然科学の論理で説明しようとする極端な科学主義(法政策学や法社会学)はもとより、実定法の妥当性、正当性を説明する際に、実定法を超えた存在や規範(自然、神、道徳、正義)を導入する規範主義(自然法論)を狭雑物として排除する思想だ。それが、「法外」的な存在だからだ。
このため、ケルゼンは「国家」や「人」といった法の基本概念についても徹底した「イデオロギー批判」に基づく検証を試み、そこにみられるアニミズム的な残滓のため擬人化され実体化された要素を悉く排除する。そこでケルゼンが目指すのは「法それ自体」の認識だ。
そして、純粋法学固有の検討対象を実定法の基本単位である「法規範」に絞り込んだうえで、その一般形式を二面から分析する。第一は謂わば「静態的」分析で、妥当している規範としての法の分析であり、法の成立過程を捨象して、現に妥当しているルールの体系=強制秩序とする(中山竜一「20世紀法理論のパラダイム転換」『岩浪講座現代の法』第15巻、77頁以下)。
そうすることでケルゼンは、「法それ自体」以外の何ものにも拠らない純粋な法の姿を析出し、政治や道徳など他の領域に対する法固有の自律性、自存性を正当化する。
ケルゼンの「純粋法学」は、法は規範(Norm)であり、規範科学としての法学は自然の因果論的説明を目指す一切の自然科学的から峻別された、自然とは異なる「意味」(Bedeutung)の領域の特殊な法則性を追求するというものであり、法と道徳とを素朴に結びつける自然法論に異を唱え、双方を厳格に区別したうえで実定法の評価を意識的に排斥するもので、自然科学とは異なる、「科学としての法学」を志向するものだ。
その意味で反イデオロギー的であり、政治的、倫理的に「無色」であり、それ以前の法学が客観的法(objective Recht)と主観的法(subjektive Recht=所謂「権利」)の二元論を想定していたのに対して、主観的法を分析によって客観的法に還元(Reduktion)する。
しかし、シュミット批判にも明らかなように、ケルゼン自身が自由主義や議会制民主義というイデオロギーに沈潜しており、中途半端との批判も絶えない。新カント派流の事実・当為二元論に拘泥するあまり、法価値についての合理的な論議を放棄する形式主義にすぎないからだ。
それにしても、カ氏は189で「不法な法は法ではない」とする趣旨の主張しながら、それがケルゼンが退ける「自然法論」の見解そのものであることさえ、理解できないようだ。
それこそ「頭が悪い」証拠で、手の施しようがない(呵呵)。[完]
神戸に「帰省中」で、本欄の「寄生虫」の如く、使い方に習熟していないスマホで必死に投稿している「無学な婆さん」であるカ氏のようなケースは例外として、人は誰でも間違いを犯す。
例えば私も、キーボードの操作ミスで隣り合う[t][r]を打ち間違えてサンスクリット=Sanskrit、ローマ字表記で[saṁskṛtam] が、うっかり[saṁskṛram]となる場合はある。
197末尾のように、参照した中山竜一氏の論文の収録本の『岩波講座現代の法』が「岩浪」に化けたりもする。ありがちなケースで、一々目くじらを立てても仕方がないい。
ところが、カ氏の間違いは次元が異なるが、批判的合理主義者のK. ポパーの“The Open Society and its Enemies”: Vol. 1, “The Spell of Plato”など、たとえ翻訳でも読んだことがないのに見栄っ張り(χαῦνος)だから、195⇒【ソクラテスとプラトンの差異は、ホッパーやケルゼンの主張に近い】のような法螺話を撒き散らす。
一体、ソクラテスとプラトンの差異など、何を根拠に喋喋するのか。「ホッパーやケルゼンの主張に近い」が聞いて呆れる。
そして、誰だか分からぬ「ホッパー」だ。文脈から推して、反証可能性(falsifiability)による新たな仮説検証の理論を説き、前掲書で杜撰なテキスト解釈によりプラトンを全体主義者として批判したポパー(Sir Karl Raimund Popper)を指すのだろうが、無駄口を慎む自制心さえあれば、避けられるミスだ。
言ってることが本当なら、両者がソフィストの信奉者であることは当然理解しているはずだが、そこがすっぽり抜く落ちているのは、カ氏が肝腎の著書を一行の読まずに無駄口を叩いている動かぬ証拠だ。
「ソクラテスとプラトンの差異」に至っては、古来、ギリシア哲学の研究者や古典学者を悩ませてきた、所謂「ソクラテス問題」(das Sokratesproblem)も知らずに、何を戯けた御託を並べているのやら。
治癒不能の頭の悪さだ。οἴμοι.
私がロゴス(λόγος)そのものである「屁理屈」の達人か否かはともかく、ケルゼンの法哲学者としての基本的な立場、価値情緒説に基づく法実証主義者としての「純粋法学」の基づく自然法論軽視の姿勢が、巡り巡って「悪法も法」というナチスによる「合法的な」暴走を許した背景への筋道の立った反論は皆無だ。手に負えないのだろう、
そして言うまでもなく、自然法論とは「不法な法は法ではない」という立場で、ケルゼンの実定法がすべてという見解と鋭く対立しこのこと、つまりケルゼン流の相対主義、形式主義の法理論がナチスの擡頭に対して、それを正当化せざるを得なかったヴァイマール憲法同様、無力で、ナチス流の強権支配に道を開いたC. シュミットの法理論より、別の意味で有害であったことを物語っている。
なぜなら、プラトンの慧眼を紹介したように、ナチズムもスターリン型の共産主義の独裁も、畢竟民主主義の「鬼子」的存在として、民主主義が自己崩壊するなかから出現したからだ。民主主義は、そうした自己矛盾を抱えた国制だということは、充分認識されてよい。
ヴァイマール体制が体現した当時としては最も先進的な憲法は、‘ἡ γὰρ ἄγαν ἐλευθερία ἔοικεν οὐκ εἰς ἄλλο τι ἢ εἰς ἄγαν δουλείαν μεταβάλλειν καὶ ἰδιώτῃ καὶ πόλει. εἰκὸς γάρ.’(Res publica, 564A=「過度の自由は、個人においても国家においても、ただ過度の隷属状態へと変化する以外に途はない」)ことを如実に示しているからだ。
従って、私は民主制の敵対者ではないが(現実問題としてそれ以外の選択肢はない)、民主主義「信仰」はない。そうした信念、「如何なる観念の共同体の市民でもない」(‘not a citizen of any community of Idea’)からだ。
それ以上でも、以下でもない。
ナチスドイツのプロパガンダで騙されたドイツ人にも同じことが言えるのである。
そのために、ドイツでは、戦う民主主義、政治体制を独裁に導くような政治活動、無制限な言論の自由をゆるさない現在の政治体制になっているのである。
https://www.hatorishoten-articles.com/hasebeyasuo/15
,
冒頭はソクラテスが死刑を宣告された裁判でのソクラテスの言葉、つまり釈明や反論、呼び掛けを伝えたプラトン『ソクラテスの弁明』(“ΑΠΟΛΟΓΙΑ ΣΩΚΡΑΤΟΥΣ”, 17A~C)の冒頭部分だ。
訳は議論の中で必要に応じてその都度添えるので割愛した。以下で論じるのは、言葉や概念のことだ。
「もう少しで自分を忘れるほど」巧みな告発者の話に「彼らについて私は…唖然と開いた」(αὐτῶν ἓν ἐθαύμασα)というのは、ソクラテス一流のおとぼけ(εἰρωνεία)でもあり、 二重三重の皮肉が込められている。
この点で、カ氏の203~204をみる限り、相も変わらぬ狂信的な(μανικός)「民主主義信仰」が喧しい一方で、お家芸のコピペ=剽窃を封じられて何の芸もない一本調子のケルゼン礼讃、C. シュミット糾弾の俗論は陳腐で退屈極まる。
ケルゼンが自由主義と議会制に基づいた民主制を擁護した点に別に異論があるわけではない。それはケルゼンの、謂わば「イデオロギー」であって、問題は彼の肝腎の法理論は、それを強固に裏付けナチス擡頭を生んだ民主制、議会政治の危機についての対抗重量とならなかった点だ。
C. シュミットが第一大戦を受けて、政治の民主的合意形成の歴史がなく、支配層が英米流の自由主義、民主的伝統やその下地となっている政治を軽視しがちだったドイツに、一種の革命的変化として誕生したヴァイマール体制や憲法に、当時のドイツが置かれた危機を克服する智恵や展望が何もないことを見抜いていたからこそ、根源的弱点を抉剔して『現代議会主義の精神史的地位』(“Die geistesgeschichtliche Lage des heutigen Parlamentarismus”, 1923)のような書物を書いたのだろう。
同書の趣旨は、19世紀後半以来の大衆社会の出現は民主制や議会政治にも地殻変動的な変化をもたらし、「公開の討論」を本質とする議会主義(Parlamentarismus)の原則を多数決原理の形式的な運用によって空洞化させ、それに伴って多元的な社会的意思決定を政治意志に統合する政党は、社会経済的な特殊利益の代弁機関に堕する結果になった、という危機感だろう。
伝統的に職能代表的観念が牢固としたドイツではそうした傾向が顕著だったからだ。
いずれにしても、岩波文庫に同書を翻訳した樋口陽一氏は、明らかにC. シュミットとは政治的見解を異にする。しかし、それでも翻訳したことは、シュミットの民主制や議会政治についての洞察の方が、ケルゼンの古ぼけた民主主義擁護論より、検討に値する洞察を含んでいるとみたからだろう。
学者は別に民主制の旗振り役でも守護神でもない。民主制は政治の原理で、学問や真理の原理ではないからだ。
閑話休題。ソクラテス演説に戻る。
ソクラテスは自分の弁論が、告発者のような「美辞麗句でもって飾り立てられたものではないだろう」、「それはありあわせの言葉でもって、無造作に語られるだろう」(ἀκούσεσθε …καὶ μηδεὶς ὑμῶν προσδοκησάτω ἄλλως)として、告発者たちによって「言論の雄」(ἐμοῦ δεινοῦ ὄντος λέγειν)と警戒され、非難された自分が、逆に「美辞麗句でもって飾り立てらる」(κεκαλλιεπημένους)必要がないことを確信していた。
それにしても、「美辞麗句を用いる」(κεκαλλιεπέω)の受動相(passive)[κεκαλλιεπημένους]は、如何にもギリシア語らしい長い単語だ。ドイツ語と似ている。
自分を美化して、飾りたて、得意になる(いずれもκαλλύνω)衝動は誰にもあるが、カ氏のように、何の衒いもなく無知蒙昧をさらけ出して居直る蛮勇も珍しい。そしてそれを、意地になって撒き散らす(κατασκεδάννυμι)ことも。
上手に(καλῶς)、つまり首尾よくいけば、それはそれで才能だが、カ氏には何もなく知的な貧困は隠しようもない。しかも怠惰だから常に間違いだらけで、すべてをぶち壊す。
それはギリシア人も重んじた「率直な話しぶり」(παρρησιάζεσθαι)とは違う。偏狭的で学問的議論に欠かせない、自由で「ざっくばらんな」(παρρησιαζόμενος)姿勢が欠けている。
それがカ氏の愚鈍さを増幅させる。οἴμοι.[完]
「反氏は…政府解釈氏とつるんで主張」というのも、真っ当な日本語が綴れない品性を疑う下卑た表現で、別に私と「政府解釈」氏が結託して不当な批判をしているわけでもあるまい。
己の実力、というか身の程も弁えず、「政府解釈」氏が通暁している法律解釈にも、私が専門的知見を有する法理学、即ち法哲学にも不案内で特別な知識もなく、無謀な素人論議で混乱、迷走しているのが、如何にも「頭の悪い」間違いだらけのカ氏、瑕疵、お「可笑」し、正月からいかれてお頭が「仮死」状態の「マダム瑕疵」だろう。
趣味は多彩なのだから、投稿など一時中断して、何より「ぐっすり眠って」(καταδαρθάνω)、頭も心も休めたらよいのではないか。少なくとも、何の準備も心得もなく、無謀な二正面作戦を戦い抜くのは、カ氏の手に余ろう。
またぞろ、誤謬、誤記、論路破綻満載で批判の集中砲火を浴び、自滅するだけだ。有効な反論が覚束ない以上、恥の上塗りだ。
「民主主義狂」というのは、政治的合意形成の手段にすぎない民主主義=民主制(δημοκρατία)を、恣意的かつ無軌道に他の非政治的領域にまで拡張して原理的にその妥当性、優越性を主張するカ氏のような無批判な信仰(πίστις)を指す。
例えば、本欄に投稿する機会の平等は保証されるが、公共的な分野にかかわる政策判断などとは性質が異なるから議論内容の優劣は、民主的に判定できないし、その必要もない、ということだ。
チャーチルの民主主義観=‘it has been said that democracy is the worst form of government except all those other forms that have been tried from time to time.’が、カ氏が欠く「真っ当な分別」だろう。οἴμοι.
日本国民は、正当に選挙された代表者を通じて行動し、と書かれてあるのであつて、憲法学者を通じて行動せよ、とか、政治活動家を通じて行動せよ、とは書かれていないのである。それが代議制民主主義の在り方なのであって、国民の国民の為の国民による政治、日本国憲法に定められた民主主義の作法なのであって、その作法どおり、日本国民の為に、与野党が落とし所を探して、憲法論議をしてほしい、というのが私の一貫した主張なのである。
憲法は規範命題にすぎない。それは現実ではなく、達成されるべき目標を羅列したお題目、と考えるのが大人の「真っ当な分別」であり、憲法前文にどう書いてあろうと、212②⇒【国民の国民の為の国民による政治、日本国憲法に定められた民主主義の作法】のような民衆主権は、実際の政治過程について無知な人間による幻想、別の言い方なら主導的影響力や権力を有する特定階層が民衆に向けに現実の好ましい見方を提示した「高貴な嘘」以外の何ものでもない。
いずれにしても、民主主義=民主制は政治的な合意形成と、そうした合意に基づいて政策を実現する少数者の行為=権力の運用にお墨付きを与える票決乃至承認の枠組みを定めた制度的装置にすぎない。
それ自体に何の正統性の根拠も存在せず、ただ、政治参加の平等性(ἰσονομία)という根本原理に基づいて、対立し合う民衆の利害得失を、法と合意に基づき調整する手段の別名に外ならない。
シュムペーターはそれを、「民主主義的方法とは、政治決定に到達するために、個々人が人民の投票を獲得するための競争的闘争を行うことにより決定を行う制度的装置」と定義しているのは、カ氏以外は周知の事実だろう。
理の必然として、民主制の原理が民主制自体の中にないことを熟知していたからだ。
歴史を遡ってみるなら、民主制(δημοκρατία)とは、その名の通り、「多数者の支配(優先)」(δημο[ς]-κρατία)を意味し、民主制を歴史上最初に導入した古代ギリシアの例にならうなら、言葉の元の意味通り、畢竟「多数者の専制」に外ならず、他にトーキュディデースも[δημοκρατία]は「デーモスの勝ち」という意味で、「愚衆の勝手罷り通る」に等しい悪名としている。
民主主義の発祥地アテーナイで民主制が確立するのはクレイステネスの改革以降で、導入された背景には、当時のアテーナイがギリシア世界最大の海軍帝国であったことが最大要因とされる。帝国のギリシア世界の覇権的支配力の根源である海軍力を担ったのが貧民層出身の多数の軍船の漕ぎ手であり、彼らの血のコストに見合う政治参加の要求にこたえたものこそ、民主制だった。5世紀後半の完全な民主制はこの海軍力がなかったら導入されることはなかった(M. I. Finley;‘‘Democracy Ancient and Modern’’, 1985参照)。
つまり、その民主制は政治的意思決定に際して、財政的、軍事的負担を負う富裕層により大きな比重をかける一方、貧民層にも一定の政治参加、即ち役人を選ぶ権利を与えるという妥協の産物だった。
アリストテレスによれば、国家公共体(τὸ κοινὸν τῆς πόλεως)における「正義」とは配分における正義(διανεμητικὸν δίκαιον)を意味したことも、そうした事情を物語る。
幼稚園道徳レベルの民主主義信仰を奉じる同じ人物が、何ゆえに既得権益層による共産党一党独裁で民衆のための政治に正反対な中国を支持するのか、見境のないご都合主義も自家撞着の典型だ。
民主主義的な統治と、自由と人権を掲げ、一国二制度の国際約束を事実上、形骸化させる形で香港で、香港政府を裏から操って、というより公然と圧力をかけて強権支配を強める共産党独裁の中国が、それに抗して民主化運動に取り組む学生たちを「暴徒」呼ばわりして弾圧しているのを、「おべっか使い」の中国贔屓の自称「国際通」の婆さんが、「安全地帯」の極東の島国で、215⇒【私の民主主義解釈、国民の国民による、国民の為の政治が、芦田均…の…新憲法解釈の民主主義…日本国憲法の三大原則…】でもあるまい。
「虚偽体質」の面目躍如で、まともに相手にするレベルではないことは明白だ。
私が、これも前回までに指摘したように、憲法学の概説書さえ通読したことがないのは明らかなカ氏の低劣なる憲法理解や要領を得ない「クズ」同然の駄文をみる限り、「民主主義狂」であると同時に「憲法狂」で、それと現在の稚拙極まる愚劣な民主主義観と、何ごとも「私情で決める」(καταχαρίζομαι)カ氏特有の中国認識は、カ氏の中で一体どう論理的に接合可能なのか、逆に聞いてみたいものだ。
昨年末の香港の区議会議員選挙での民主派の圧勝をみれば、民意の所在はどこにあるか、誰がどう考えても「明晰判明」だろう。
しかし、元々が単細胞の極端な「民主主義狂」にして「憲法狂」で、その上頭が悪くて怠惰だから、215~216は誤謬の宝庫で目も当てられない。
逐一相手にして解体処理していてもきりがないが、掻い摘んで「クズ」処理しておく。
215⇒【天皇機関説…天皇は国民の一部、という考え方…天皇は国民と対立するものではなく、共にあるもの。それは、戦前も戦後も変わらない】――美濃部達吉による標準的な帝国憲法の概説書『憲法撮要』を参照するまでもなく、天皇は国民ではなく、国家という法人の一機関(機能)という位置づけが国家法人説、所謂「天皇機関説」であって、天皇は確かに生物としては国民と種族(γένος)が共通の「ヒト」なのだろうが、憲法上の規定は「天皇は国民の一部」ではない。カ氏の無知と頭の悪さを示す、歴然たる証拠。
216⇒【民主主義の起源は古代ギリシア…としても、民主政治そのものは、ヨーロッパでうまれた】――「近代民主主義」と称されるものが「欧米」(欧州ではない)で発生したのは一面の真実だが、【民主政治そのもの】は既に古代ギリシアにあり、近代以降のそれは古代の復活。
両者を分けるのは、古代ギリシア、実態はアテーナイの場合が極端な直接民主政治であるのに対して、近代以降が代議制民主制のような間接的な統治であること。
しかも、アテーナイの民主制は、無知ゆえにしばしば誤解されるような、衆愚政治ではない。「衆愚政治」という単独の言葉はギリシア語には存在しない。当時の文献を訳し「衆愚政治」という訳語が充てられるのは、「民主制」を指す [δημοκρατία]=デーモクラティアー。
‘La modération des personnes heureuses vient du calme que la bonne fortune donne à leur humeur.’(La Rochefoucauld; Maximes 17.)
216③⇒【プラトンやアリストテレスは、どうだかわからない…古代ギリシアには奴隷…彼らには選挙権が与えられなかった】――両者とも明白な民主制の原理的否定者。彼らの著作に明確に述べられている。読んだこともない「無学な」カ氏が知らないだけ。
18歳以上の成人男子だけが市民権を有し、奴隷(δοῦλος)だけではなく、女性や在留外国人も除外された。そもそも奴隷制の有無と民主政治であるか否かは、問題の性質が異なる。カ氏のような見解は、近代的偏見。カ氏が毛嫌いする左派がよく採用する見解で、実態は似た者同士=心性は「同類」なのだろう。
216④⇒【近代民主主義は、宗教戦争、ローマカソリックの権威がなくなったところから出発…カノッサ屈辱以来、ローマ法王庁の権威が絶対的で、学問の自由も、思想の自由も、表現の自由も認められなかった】――典型的な大風呂敷の妄説(ἀλλοδοξία)で、所謂‘Karoline Doctrine’。続く、216⑤⇒【ローマ法皇庁からの解放と民主主義は一対…それがあって初めてエロティックなギリシア神話も許容されるように】も、史実に基づかないでたらめ。
そもそも、近代的な意味で民主政治が始まるのは英国、米国、フランスの市民革命に由来し、宗教戦争やカトリック教会の権威失墜には何の関係もない。端的にはそれぞれにおける急進派の運動、英=水平派(Levelers=清教徒革命時の急進的平等主義者)、米=急進派(Radicals=南北戦争後の共和党急進派とは別)、仏=山岳派(La Montagne=大革命時代の急進派)に由来する。学問、思想の自由は密接に関係するが、基本的には政治と性質を異にする別問題だ。
彼らはギリシア神話を題材とした裸体描写が頻出する多数の作品を残し、教会は少しも咎め立ててはいない。人間世界ではなく、神話だからだ。「初めてエロティックなギリシア神話も許容」など、欧州文化の歴史の実像を知らない婆さんの与太話。
よって、215~216が誤謬だらけの「クズ」との論証は終了。それにしても、よくもこれだけ間違えられるものだと、感心する。
216⑥⇒【反氏の考えは主客転倒】――それを言うなら精々、古代ギリシアの民主制を重視しすぎて近代民主主義の本質を理解しない「エリート主義」(民衆の政治への関与は古代の方が濃密)とか、ギリシア偏愛の「アナクロニズム」とでも言うのだろうし、むしろ、肝腎なことは何も知らない「無学な婆さん」が、自分の手前勝手な思い込み(δόξασμα)=固定観念(ὑπόληψις)、要するに具にもつかない信念や信条を=「主観的」臆説(ψευδῆ δόξάζειν)を頼りに、学問的に相当程度解明された民主主義の起源やその実態に関する「共通認識」(κοιναὶ δόξαι)、言うなれば客観的知見を逸脱している(頭が悪いから理解できないのだろう)、ということをもって「主客転倒」というのではないか。
215~216など、容易に一本に要約できる。状況から察すると、215程度の「クズ」に20分も要している。哀れ(τάλας)というか、頭も要領も悪く、怠惰この上ない。
ただいま「帰省中」ならぬ、とんだ本欄の「寄生虫」たる所以だ(呵呵)。[完]
カ氏は論点をずらしてごまかすのは必定だが、頭が悪いからごまかし方も拙劣だ。つける薬はない。
しかし、頭が論理的にできておらず、貯め込んだ雑識を組み合わせて妄想すると、⇒【民主主義の起源は古代ギリシアにあったとしても、民主政治そのものは、ヨーロッパでうまれた】という、意味不明な文章になる。
古代アテーナイが発祥のデモクラシー=民衆政(δημοκρατία)は、まさしく民主政治だ。民主主義の起源であり原型でありながら「民主政治そのもの」ではない、というカ氏の奇妙奇天烈な見解はどこから生じるのか。
民衆政、民主制、民主政(治)、民主主義といい、いずれもデモクラシー=[δημοκρατία]であることは、別に古代ギリシアや政治学に通暁しなくても基本的な知識だが、それがカ氏には決定的に欠落している。
直接民主制と間接(代議制)民主制の違いがあるとはいえ、古代アテーナイの方が実質上は「エリート支配」の近代民主主義より、政治への民衆の関与は遥かに大きい。
しかも、カ氏は日本語の理解自体が粗笨(προπέτεια)かつ低劣(πονηρία)で、お子様論議で正月になっても未明の闇の中(04:09~04:29)で喚き散らしている。莫迦丸出しというか、齢70近くになっても一向に智慧が回らず、自己を制御する(κατέχω)ことができないで滑稽な(καταγέλαστος)狂態、つまり狂気の沙汰(ἡ μανικός)に等しい茶番劇(κωμῳδία)を演じている。
「阿呆」なのだろう。
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