ソレイマニ司令官の殺害は大事件だ。だが、おそらく事件前にソレイマニ氏のことを全く知らなかっただろう日本の人々が、「イランの国民的英雄」といった言葉に、「第三次世界大戦」といった無責任な言葉を付け加えて、意味不明なお祭りをしている様子には、茫然とさせられた。
ソレイマニ司令官は、イラン革命防衛隊の特殊作戦部隊の司令官を20年近く務めている超重要人物であったが、要するに秘密裏の海外軍事行動を通じて「シーア派の孤」を作り上げ、他国の混乱を助長していた人物である。国内のデモ隊の苛烈な鎮圧もしている。言葉の普通の意味で、怪しい危険な人物であり、そこが特殊業界での彼のカリスマ性の源泉であった。
アメリカによるソレイマニ司令官殺害作戦は、大胆な作戦だったが、論理的に破綻しているわけではない。国際法の観点から見ても、私に言わせれば、少なくとも2003年イラク戦争の場合などよりは相当に自衛権の論理に合致したところがあり、少なくとも検証に値する事例である。http://agora-web.jp/archives/2043613.html 政治的に見ても、彼の殺害作戦にはリスクもあっただけで、リターンもある。ソレイマニと同じ役割を完璧に果たせる人物はすぐには生まれないはずだ。http://agora-web.jp/archives/2043569.html ソレイマニの死は信奉者にとっては悲劇的な死であったかもしれないが、ソレイマニが数万の無名の人々の死に責任を持つ人物であったこともまた事実である。
イランの外交政策に、誰も制御できないソレイマニの行動が影響を与え続けていた構造も、極めて不健康であった。
トランプ大統領は、ソレイマニ殺害作戦後、「戦争を避けるためにソレイマニを除去する作戦を行った」、と説明した。これを日本のマスコミは、全く支離滅裂な狂人の戯言のように扱った。しかし、イランによるイラク領内アメリカ空軍基地への計算された報復攻撃と、その後のアメリカの自重を見れば、ソレイマニの除去には、確かにイランとアメリカの間での外交的な計算を成り立たせやすくする一面があったこともわかる。
ソレイマニを除去した上で、「イランは対決姿勢を後退させつつある」とシグナルを送るトランプ大統領の姿勢は、日本のマスコミにとっては拍子抜けするものだったかもしれない。だが一貫性が認められる。「イラン国民や指導者に告ぐ、われわれはあなた方の偉大な未来を望んでいる」と述べたところは、「取引」好き大統領の面目躍如だった。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54192930Z00C20A1000000/?fbclid=IwAR1B7ZsM5tAILpfNSPHDj-MroftozuulE5dxdseto_a06yiPDTOoh4hQYkU また、アメリカはエネルギー自立性を持っており、中東の戦略的重要性はむしろ低下している、NATOがもっと関与すべきだ、という発言は、イラン国民に向けられているだけでなく、同盟国に対して発せられている。そのことを、日本人ももう少し真剣に受け止めるべきではないだろうか。
少しでも武力を使うと、世界大戦だ、と騒ぎだす。同じ人物が別の機会に武力を使わないと、豹変した、などと騒ぎだす。政策的判断による軍事力行使の方法を全く認めない。日本のマスコミの悪弊である。
日本の話になると、もっとひどい。少しでも自衛隊を動かすと、戦争を求めている!と騒ぎだすという風習である。
ソレイマニ司令官殺害のニュースが国際的に大きく取り扱われているのを見て、浮足立った日本の野党勢力が、「自衛隊の派遣をやめろ」、と言い出した。その他の野党系のコメンテーターの言葉を見ていると、「第三次世界大戦が始まろうとしているのに自衛隊を派遣するなんて安倍首相は狂っている」といった勇ましい論調が多々見られる。
冷静になってほしい。
ホルムズ海峡ですら、民間船舶が行き来しているのだ。危ないところに自衛隊を送るな、と叫ぶだけでは、政策論になっていない。少なくとも真面目な情勢分析を提示したうえで、どのような政策論の中で自衛隊派遣の中止を訴えるのか、国民の知的レベルをバカにすることなく、真剣に説明するべきだ。
「ソレイマニはイランの国民的英雄だった、狂気のトランプが思いつきで暗殺した、第三次世界大戦が来る!」という物語を振り回して、ただ安倍内閣の支持率の低下だけを生きる目標にしているような態度は、世界の笑い者だ。
あわせて「自衛隊の中東派遣に「反対」 憲法学者125人が声明を発表」という記事も見た。https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/264181 いったい憲法のどの条項のどういう解釈に自衛隊派遣が違反しているという憲法論なのか?と思えば、「平和主義にとっても民主主義にとってもきわめて危険」といった極度に抽象的なイデオロギー空中戦をしているだけの記事だった。こういう声明を紹介するのに、いちいち「憲法学者」とか無関係なことを見出しにするべきなのだろうか。たまたま同じ政治イデオロギーを持っている大工さんだか会社員だかが集まって自衛隊派遣の中止を訴えたとしても、「大工さんと会社員125名が声明を発表」などといった見出しにはしなくていい。同じように、法律家としての憲法論を提示しない人々を、あえて憲法学者と紹介する必要はないように思う。
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コメント一覧 (108)
日本の野党勢力や政府に批判的なメディア、自衛隊の中東派遣に「反対声明」 を出す125人の憲法学者同様、真の現実も危機もみてはいない党派的な見解、畢竟、平和ボケの寝言にすぎない。
相変わらず間違いだらけのヨレヨレの投稿=「盗稿」を続けている言い訳を、4⇒【大事件がふたつ起こって、マスコミ報道の識者という人の意見や反氏と自分の意見が違ったから】とするが、見え透いた嘘で、少なくとも保釈中のゴーン被告の海外逃亡への検察の対応や日本の司法制度批判については、⇒【反氏と珍しく意見が合う】(1月3日・2)と称していたはずだ。その場に応じて言うことがころころ変わるカ氏の見境なさ、虚偽体質の表れだ。
寓話的童話である『星の王子さま』(“le petit prince”)が好きなのは随意だが、国際協調とは、ただ「お手手つないで仲良く」の幼稚園道徳の世界ではあるまい。妄想癖を童話で膨らませることは、やめることだ。[Antoine de Saint-Exupéry]の日本語表記は、正確には「サンテグジュペリ」だ。
カ氏に最も欠けているのは、大人の「真っ当な分別」(ὁ ὀρθὸς λόγος)だ。当のサンテグジュペリはフランスがドイツに降伏後、米国に亡命し、ファシズムからの解放戦争が始まると空軍パイロットとしてアフリカやイタリアで偵察飛行を行い、任務中にコルシカ島で墜落死した人物だ。常に自らを危険な極限状況において人間性の行方を見つめた。
カ氏のような、世間知らずの甘ったれた国際協調主義者とは異なる、戦士なのだ。[完]
‘Les vieillards aiment à donner de bons préceptes, pour se consoler de n’être plus en état de donner de mauvais exemples.’
⇒【日本はどうなるか…反氏はまるで考えない】というが、篠田さんの問題的に答えるのが先決だろう。
齢70近くにして大人としての「真っ当な分別」(ὁ ὀρθὸς λόγος)がないから如何ともしがたいのだろうが、蜘蛛の巣が張ってスカスカ、何の知恵もない血の巡りの悪い「お頭」は、概念的思考には全く不向きらしく、いたずらに妄想を逞しくして、北朝鮮の核危機への恐怖を募らせている。裏返しの平和ボケの証左だ。
5の末尾に書いたように、「平和ボケ」とは、自らは何の危険もない「安全地帯」から、ただひたすら平和を叫び、無思慮な「国際協調」を訴え、現実に地域に紛争を引き起こす不安定さを招く構造的要因には理解も関心も示さず、ただ相手を刺激しないよう「自制」を説き、戦争の悲惨さを言い募り、その災厄と危険性を指摘して非難すれば、まるで平和が他の具体的な措置や労苦を講じなくても維持できるかのように夢想するカ氏のようなお目出度い人間を指す。
北朝鮮が国連制裁などで追い詰められ、体制維持と窮状打開のためミサイル発射実験を繰り返している核危機など、「正しく恐れ」警戒を怠らないことは重要だが、現実的に日本を標的にミサイルが飛んでくる可能性は絶無に近い。
冷酷な北の独裁者、金正恩朝鮮労働党委員長は、冷酷無比の「殺人狂」、謂わば「人でなし」(amanuṣya)ではろうが、「狂人」(ἄνθρωπος μαίνομαι)ではないようだ。
★余白に イラン語という言語はない。イランはペルシア語で、サンスクリットとともにインド・イラン語派に属する。
官僚的手法の北朝鮮外交は独創性に欠ける分、不確実性は案外少なく、暴発する恐れはほとんどない。
そうした軍縮交渉の実態を全く知らないカ氏のような単細胞が、特段の根拠もなく、いたずらに不安を募らせるように開発や発射実験を繰り返して仕向けるのも北朝鮮の典型的な手法で、一転して友好ムードを演出して世論誘導の平和攻勢をかけるのも同じコインの裏側ということだ。
それに踊らされ、莫迦の一つ覚えのように恐れ慄くカ氏のような人間を「平和ボケ」という。憲法9条や日米同盟基軸ではない全方位的平和外交を説き、外交に現実的な推進力をもたらす軍事を忌避する(自衛隊の存在を否定または宙づりにして)護憲平和主義的な「平和ボケ」と、お目出度さ、不毛という点で択ぶところはない。
所詮は、核などそれに代わる有効な手段をもちえない北朝鮮が、外交交渉の梃子にする手段なのだから、使用する兵器ではあり得ないのは自明の理。それが北朝鮮に限らない核戦略の常道であり、体制維持のためにも役立っている所以だ。核がなければ、将来の国家統一を展望する韓国はともかく、北のような中国の半ば属国を米国が相手にする理由はないし、中国にとっても、北に暴発されてはせっかくの交渉カードを失うことになる。
そうした舞台裏の現実的な交渉や彼我の力関係に全く無頓着だから、カ氏は阿呆なのだ。
米軍は、アフガニスタンを含め中東地域に約60,400人を派兵して、血のコストを払っている。憲法を隠れ蓑にした日本の議論など、問題外だ。
篠田さんが国際政治学者であることを忘れているようだ。下らない身の上話ばかりで、具体的反論は何もない。οἴμοι.
その時、日本は一体どうするのだろうか?
本文の最後の段落 、日刊ゲンダイ「自衛隊の中東派遣に「反対」 憲法学者125人が・・・・」での篠田教授→・・・同じように、法律家としての憲法論を提示しない人々を、あえて憲法学者と紹介する必要はないように思う< には、笑いました。
Gも憲法学者は、他の憲法条文(国民の権利とか統治機構とか)についてはともかく、9条解釈論については、安全保障論と国際法を勉強していない(勉強していても故意に無視か)方々ゆえ、専門家ではないと見ています。シロウトとは言いすぎですが、シロウトに毛が生えた程度です。ゆえに、篠田教授の最後の文脈は、それに対する強烈な皮肉か!?ww
この日刊ゲンダイ記事と同じ趣旨で、きょうの朝日新聞社説・中東情勢緊迫 「自衛隊派遣の見直しを」< とありました。その主張の核心は、派遣すればアメリカからの何らかの要請を断れない< という朝日の思い込みがあるように思われます。この前提、果してそうだろうか!?、個人的には疑問を持っています。
冒頭の【反氏は、戦争目的そっちのけで、ユダヤ人をベルトコンベヤー方式で殺し続けた邪悪なドイツ人、と主張】の箇所、私は最近(1月7日・2)で次のように論じた。
⇒【「闘う民主主義」といったところで、戦時中は独裁者に騙された(ἐξαπατηθῆτε)称して狂奔し、ユダヤ人をベルトコンベアー式に殺し続けたドイツ(人)の論理など、それこそドイツ的特殊事情で、恥ずべき歴史に向き合うのはドイツだけで勝手にすればよい。日本人が付き合う理由はない】。
ちなみに、細かいようだが、私はベルトコンベアー「式」と書き、ベルトコンベアー「方式」とは書かない。
いずれにしても、ドイツ(人)が、第二次大戦中、欧州大陸のユダヤ人を絶滅させるため、国家の政策として、法律に基づく合法的行為として立案し、官僚制的に計画的に、膨大な記録を残し、流れ作業式に工業的に、日常的にユダヤ人を処理=殺し続けた、しかも戦争目的とは直接関係なしに、時に戦争計画の障碍となっても、特段に残酷とも言えない普通の人々が日常業務として、という趣旨である。
書いていて、身の毛のよだつようなおぞましい「人非人」の行為だが、それをすべてヒトラーやナチスの責任とし、彼らの罪悪とするのが、戦後一貫したドイツ人の見え透いた弁明の論理だ。つまり、自らの罪過をすべてヒトラーとナチズムに押しつけて、自分たちが被害者、犠牲者だと言わんばかりの口ぶりで、ドイツの敗戦によって自分たちは解放されたと言い募る。これほど恥知らずな国家と国民はない。
その戯けた言いぐさの代表格が、ドイツの「太鼓持ち」=カ氏が心酔する1985年のヴァイツゼッカー元西独連邦大統領演説で、責任逃れにもち出した「集団的な罪」(‘Kollectivschuld’)の否定だ。
その根源にある敗戦直後に哲学者のヤスパースが説いた弁明の論理、「ドイツ人という(名の)国民」は存在せず、従って存在するのは常に特定の個人であり、個々の立証可能な法律違反の残虐行為の実行者など、一握りの国民の法的責任を問うほかは、道徳的な罪(Schuld)に基づく責任(‘Verantwortung’)があるだけで、それ以外にはけっして法的責任(法的罪責=‘Haftung’)はない、という呆れた理屈だ。
ホロコーストのような残虐行為が行われていたとは、戦後になって知らされるまで、皆知らなかったらしい。
そうした見え透いた言い逃れは普通は通用しないが、ドイツ人を「集団的な罪」でしょっ引いていたらどのくらいの範囲まで拡大するかしれず、ナチス幹部でも、自分は法律に基づき命令されただけで、合法的行為だから責任を問われる謂われはないと開き直る国民性だから、なおさらだ。
その背景には、呆れた連中と思いながら、戦後の東西冷戦で、西独が共産主義に対抗する欧州の最前線になったため、西独を西側自由主義陣営に引き止め旧ソ連陣営と対峙する必要から、政治的配慮で大目に見るしかなかった事情がある。
ヒトラーに騙され、巧みなプロパガンダに洗脳されたというのが、カ氏がヒトラーの『わが闘争』を引いて論じる趣旨だ。
莫迦莫迦しいことこの上ないが、そうしてカ氏は頼まれもしない弁明に我を忘れている。何の借りがあるのか知れないが、ドイツの「犬」(κύων)なのだろう。道理で、夜明け前からよく吠える。
15(144字)もわけの分からない立論で、論評に値しない。カ氏は、紛争当事国の和平協定後の再発防止策=国際社会による紛争後国家への組織的な干渉という趣旨の平和構築(peacebuilding)の意味さえ正確には理解しない「阿呆」だから、書くことすべて、唐人の戯言に等しい。οἴμοι.
昨日の「天安門事件」のドキュメンタリーを見ても、感じたことであるが、「自由」と「民主主義」の本質はなにか、と思った。広場に集まって、シュプレヒコールをあげて、体制反対、とデモをすることが、「自由」と「民主主義」なのだろうか。私が中学生の時、大学紛争花盛りだったから、余計に批判的に見るのかもしれないが、絶対反対、とデモをするのではなくて、妥協点を見つけて話し合いをしてこそ、ものごとは解決するのであって、過激な暴力的なデモをしても、なにも解決しない。それを続けると、中東でそうなったように、鄧小平さんがそう定義されたように、「動乱」になってしまうのではないのだろうか。私は、天安門事件よりも、中国における「文化大革命」や日本の「昭和維新運動」が、なにを引き起こしたか、を報道すべきだと思う。
ドイツ人の問題点、はフロムの「自由からの闘争」で詳しく説明されているように、民主主義体制であるはずなのに、ヒトラーを「救世主」だと信じ、その政治体制を放棄し、全権をヒトラーに委任したことなのであって、ヒトラーの命令を、神の命令であるかのように受け入れたことである。「全権委任法」、これは、立法権を含めてすべての権力をヒトラーが握ったことをさし、そこから、ユダヤ系の人々の公民権停止、アウシュヴィッツが続くのである。アウシュヴィッツの虐殺について知らなかったドイツ人の方が多かったろう。現在のポーランド領で、ミュンヘンなどからなどは異常に遠い。けれども、公民権停止はそのころ、合法であったし、その政策のおかげで、普通のドイツ人は、元はユダヤ人のものであった財産で人並みの生活を確保できたのである。要するに、当時のユダヤ人は、現代でいうゴーンさんのような人々、寄生虫のような人々、とドイツ人に見られていたから、公民権が停止され、財産を没収され、ドイツから出ていく、ことに対してドイツ人の反発は少なかったのだと思う。逆に、日本は、選挙で決めた政治家が戦争を決断しているのに、戦争の責任を、天皇陛下にきせることこそ、反氏は異常だと思われないのだろうか。
「自由からの逃走」を「自由からの闘争」としてしまいました。
お詫びして訂正します。
私は、あの「ペリーの道」のドキュメンタリーを見てから、国際情勢に危惧をいだくようになったが、米国の国防長官時代、軍縮交渉で、ソ連を訪れ、具体的に機器が米国の都市を標的にしている現実を見て、怖くなった、と言われていたが、米国は、それがあるから、ロシアに対して強くものが言えないのだと思う。核保有国は、単に外交の手段に使っているのではなくて、裏にその生々しい現実があるのである。
イスラム系テロリストは、死後の幸せを考えるから、地球環境の悪化を考えないのではないのだろうか。北朝鮮は、経済的な発展のために技術を売るのではないのだろうか。第一次世界大戦は、ナショナリズムによって、なんとなく始まってしまった、という教訓を忘れてはならない。
西独が共産主義に対抗する最前線になったのは、西独がそういう選択をしたからなのであって、それには、西独国民に民主的に選ばれたアデナウアー首相とブラント首相の貢献が大きいのである。戦争でドイツは敗北したために、オーデルナイセ川で、ソ連とアメリカの軍隊が出会い、国土はそこで分断された。他の連合国、英軍、仏軍の占領地もあった。そして、政治システムが違う西側と東側は統治方法が違ってきた。また、朝鮮戦争などの熱戦の勃発もあり、東西融合とはいかなくなったために、西独アデナウアー首相は仏と結びつくことを選び、東独とは後に統一するという意志を表明するために最高法規を憲法、ではなくて、基本法という名前にしたのである。
以下は戦後、西ドイツが国家主権を回復し、NATO加盟に至る歴史的経過の概要を、年表形式でまとめたものだ(2018年6月21日・59参照)。
▼1945.6.5=ベルリンに4カ国司令部設置
▼1947.6.24=エルンスト・ロイター、ベルリン市長に選出されるが、ソ連の拒否権で就任断念
▼1948.6.18=西側地区で通貨改革▼6.24=ベルリン封鎖始まる▼7.1=米英仏占領軍司令官、11州首相に対して西ドイツ建国に関する「ロンドン勧告」を手交▼9.1ボンで憲法制定会議始まる
▼194.5.8=憲法制定会議、ドイツ連邦共和国基本法を可決▼5.12=ベルリン封鎖終了▼5.23=ドイツ連邦共和国基本法を公布、施行▼8.14=西ドイツ、第1回連邦議会選挙を実施▼9.15=連邦議会、アデナウアーを連邦首相に選出▼9.20=第1次アデナウアー内閣発足▼1.7=ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立
(◆1950.6.25=朝鮮戦争が勃発)
▼1950.8.29=アデナウアー、西ドイツの防衛力整備に関する2通の覚書作成▼10.24=プレヴァン仏首相、西独を含む欧州軍構想(プレヴァン・プラン)を提唱
▼1951.1.9=ドイツの軍事貢献に関するペータースベルグ交渉が始まる▼7.30=トルーマン米大統領、欧州軍構想の支持を決定
▼1952.5.26=ボンでドイツ条約調印▼5.27=パリで欧州防衛共同体(EDC)条約調印
▼1953.3.19=連邦議会、ドイツ条約とEDC 条約を可決
▼1954.8.19~22=ブリュッセルのEDC 6カ国会議、仏の修正案を否決▼同8.30=仏議会がEDC 条約を事実上否決
▼同9.28~10.3=ロンドン9カ国会議
▼同10.23=パリ条約調印。西ドイツの主権回復、再軍備、NATO加盟を承認
▼1955.5.5=パリ条約が発効、西ドイツは国家主権回復▼5.9=西ドイツ、NATOに加盟
カ氏は一旦間違いを認めるか、無視して論点をずらす、または無視を決め込むか、理由なく見解の相違、相手の主観的臆測のような主張を繰り返すのみで、ほとぼりが冷めれば性懲りもなく元の謬説を繰り返す。
▼同20日・51①⇒【冷戦と、ドイツと朝鮮の分断を一緒にされるが、本当にそうなのか?】のような、東西冷戦はドイツと朝鮮の分割統治とは無関係な「独立変数」で、あたかも戦後から5年弱経過した朝鮮戦争を機に冷戦が始まったかのような認識を基に、
▼同②⇒【分断されたのは、敗戦後、ドイツが、ソ連、米英仏に分割統治をされて、普通のドイツ人がソ連型統治をいやがり、移動しようとするから、壁ができ、冷戦構造になってしまったから】のような、表面的事象をことさら重大視して、
▼同③⇒【北朝鮮の金日恩(金正恩の誤り⇒「金日恩」‼が最初に登場した記念すべき投稿)さんのおじいさんが…南朝鮮を攻め、主に米国軍がそれを押し返したことで分断が起こっている】(1950年6月の朝鮮戦争勃発以前に、韓国=大韓民国の建国宣言は48年7月17日、北朝鮮=朝鮮民主主義人民共和国の建国は同年9月9日で、分断は朝鮮戦争で始まったわけではない)――のような途方もない議論を始め、おびただしい誤謬を撒き散らして愚劣な議論をしていた時代の話で、現在のカ氏の狂態の「原点」(ἀρχὴ)といえる。
元々血の巡りが悪いうえに「蜘蛛の巣」(τὰ ἀράχνια)が張って混乱したお頭が前提にする歴史的事実=経緯が余りにもでたらめなので『近代日本総合年表』(第3版、1991年や戦後に西独が再軍備に至る事情に関する概説書(岩間陽子『ドイツ再軍備』、1993年)などを参考にまとめてカ氏に提示したものだ。
「頭が悪い」から混線、今回のような極端な脱線は、カ氏のお家芸のようだ。
冷戦の起源に関して、カ氏が根本的に認識を誤っている事情は、【「金日恩」‼さんのさんのおじいさん】発言直後の⇒【(終戦直後の一時的な米ソ蜜月状態から=筆者註)米国にとっての敵国が、ドイツ・日本から、ソ連・中国に変化したのが、中ソに支援されて起こった朝鮮戦争なのです】(2018年6月21日)にも明らかだ。
一般に、「ヤルタからマルタまで」と称される冷戦の起源についてはさまざまな議論があるのは承知しているが、カ氏にそうした基本的知見は皆無に等しい。西独が西側自由主義陣営にとって共産主義の拡大を防ぐ最前線=橋頭堡として、ナチスの犯罪追及を中途半端に、謂わば国益を優先する形で大目に見てでも充分政治的には引き合うほど、いかに重要かという認識が西側各国にあったからだ。
ドイツ人の戯けた言い訳など、その前ではどうでもよく、西独の利用価値は別にある。国際政治とは常にそういうものだ。
さらに、戦後の西独を率いたアデナウアー首相の側近、内閣府次官としての右腕として重用されたハンス・グロプケ(ニュルンベルク人種法=1935年の起草者の一人で註釈書の著者)のような人物が、政治的妥協の産物だった事情の象徴的事例として指摘してあるが、カ氏からの応答はない(2019年1月26日・57)。
実際問題として、ナチスの犯罪に対する民族としての「集団的な罪」(‘Kollectivschuld’)を問うことはもとより、すべての個人を法に照らして裁くことなど実務上も現実的ではなく、大勢の「犯罪者」が口を拭って戦後を生き延びたということだ。
それは、良くも悪くも西側自由主義陣営の一員として、冷戦の最前線で共産主義勢力と対峙する西独の避けては通れない必然だったからだ。
「頭の悪い」お子様のカ氏には思いも及ばない冷厳な世界だ。
ナチスやホロコーストという「過去の罪劫」をさまざまな形で矮小化、無害化する方向に向かい、西側各国も政治的な思惑からあえて徹底して罪責を追及せず責任逃れの弁明を見逃した。それだけ、冷戦期の旧ソ連による赤化の脅威は深刻なものと受け止めらたからだ。
それをいいことに、ドイツ国民は、特にホロコーストのような目を背けたい罪悪は「知らなかった」「思いもよらなかった」「ヒトラーの責任だ」「国家が一部の暴徒に壟断、占拠されてしまった」「いつまでも過去にかかずりあうのを止め、未来を目指すべき」「東側でやっていることはもっと酷い」式の、反ファシズム・反共産主義の国民合意によって厄介事を後景に押しやる意識的無意識的な傾向を生んだ。
カ氏の浅ましい、今回の論題を逸脱した早朝の戯けた19~26のクズ=「ドイツ放送」は、ドイツ文学者の竹山道雄が「ダハウのガス室」(1963年)で説いたように、「罪の意識…戦後の日本人は罪の意識の塊りで、髪をむしり胸を叩いてわれとわが身を責めたが、ドイツ人にはむしろ他人事のように思っている気配が多い。つねにおのれが正しいとする癖(レヒツハーベライ)はまだ残っているようだ」(筑摩書房『現代日本思想体系』第35巻所収、131頁)という症例のようなものだ。
カ氏には日本的美徳=潔さ(廉直)の欠片もない。[完]
1963年6月26日、最初で最後となった西ベルリンをケネディは訪問した。市内のパレードでアデナウアー首相、ブラント市長とともに100万人の市民の歓呼に答え、ベルリンの壁近くの市庁舎前広場で30万人のベルリン市民を前に Ich bin ein Berliner. 演説されたので、概要は、私の主張を裏付けているのではないのだろうか。
今年のウィーンフィル管弦楽団の「ニューイヤーコンサート」は、ラトビア出身で現在ボストン交響楽団の音楽監督を務めるA. ネルソンスが指揮した。
再放送を眺めながら、演奏の白眉である名曲『美しき青きドナウ』を作曲したJ. シュトラウスも東方ユダヤ人(Ashkenazi)系のユダヤ人だったが、作品があまりに「オーストリア的」だったために当局も禁止リストに入れず、演奏を禁じなかったことを思い出した。
華やかなウィーンの文化は同化ユダヤ人が主役で、「音楽の都」ウィーンは「ユダヤの都」と揶揄されたほどだ。マーラー、シェーンベルクも、皆ユダヤ人だ。H. ケルゼンが教授を務めた当時のウィーン大学の法学部、医学部のユダヤ人学生の割合は30~50%、教員も2~3割はユダヤ系だった。
多民族国家で文化的・社会的多様性があったはずのオーストリアで、第一次大戦後に成立した社会民主党中心の連立政権を率いたのは、首相のK. レンナーはじめ、外相のO. バウアー、蔵相J. A. シュンペーター、憲法を起草し憲法裁判所判事だったケルゼンらユダヤ系が中心だった。1911年に死去したG. イェリネクもラビの子だ。
第一次大戦で旧領土の大半が民族自決によって旧帝国を去ったことで、オーストリアは一気に中欧の小国に転落した。国民の心理的空白感、閉塞感は大きかったろうが、サン=ジェルマン条約で同じドイツ民族のヴァイマール・ドイツとの統一は許されない。1938年のドイツへの併合(Anschluss)には、ユダヤ系が優位な社会への庶民の反撥が、親ドイツ感情を生み出した側面も無視できない。ドイツの一方的な軍事的圧力による併合という一般的イメージは、必ずしもオーストリア人の本音を反映していない。
今日のオーストリアの反ユダヤ主義的勢力の擡頭に向けられた西欧各国の厳しい視線は、冷戦下で同国が1955年以後に中立政策に転じ旧東独同様、「戦争責任」問題をあいまいにしてきた側面もある。
32⇒【概要は、私の主張を裏付けているのではないのだろうか】というはずがあるまい。
西独が戦後、共産主義の拡大を食い止める西側自由主義陣営の最前線=橋頭堡になったのは西独自身の選択などではなく、ドイツの意向などお構いなしに、そうせざるを得ない国際政治の力学が働いていたということだ。
第二次大戦後の米ソの一時的な蜜月状態は早い段階で終わっており、ベルリン封鎖やベルリンの壁建設前に既に根深い対立になっていたのだ。チャーチルが冷戦を象徴する有名な「鉄のカーテン」(an iron curtain has descended across the Continent)発言をするのは、1946年3月に訪米した際に行った演説の中でのことだ。
その後、米英仏の占領区域とソ連の占領区域を基に具体的な分割統治が始まり、1948年7月1日、米英仏占領軍司令官が11州首相に対して西ドイツ建国に関する「ロンドン勧告」を手渡している。西独建国前から分断統治の固定化は既定路線だったのだ。ベルリン封鎖は翌49年の出来事でしかない。1961年8月のベルリン危機(8月13日に東独が壁建設に着手)など、ただ冷戦が激化した一現象でしかない。
西独をナチスの犯罪追及で大目にみたのも、余りに苛烈に罪悪を追及すると、結果として西独を東側に追いやりかねず、それは旧ソ連陣営を利するだけだから抑制して、いい加減なところで政治的に妥協したのだ。
非ナチ化(Entnazifizierung)と称するドイツ人の猿芝居に付き合う利益は、米英仏にはなく、共産主義との対決に共同戦線を組む以上、他に選択肢はなかったからだ。
1~3で篠田さんの主張への反対の意向を示し、愚劣で幼稚極まりなお子様「国際協調主義」の立場から持論を旗幟鮮明にしたまではよかったが、後が続かない。度を越した「ドイツ狂」らしく、2⇒【ドイツは…イラクに「平和構築」のための新たな人員を派遣】云々と、カ氏としては珍しく「平和構築」(peacebuilding)という用語を正しく使っているが、普段は紛争当事国の和平協定後の再発防止策への国際社会による組織的な関与という趣旨の言葉の意味さえ取り違え、予防外交や外交交渉による平和な関係づくりと同義だと勘違いして、何ごとにも「平和構築」と喋喋している。
「阿呆」だから思い込みが激しく、いたずらに焦慮を重ね、自意識過剰の妄想癖を膨らませ、壊れかけた蓄音機宜しく、聞き飽きた昔のメロディーを奏でて自己陶酔しているだけだ。ゲーテ、ヴァイツゼッカー、芦田均、ケルゼンへの信仰しか出てこない。何にでも適用可能だと思い込んでいる単なる政治の原則、民主主義=民主制への熱狂も相当のものものだが、その呆れ果てた二重基準のご都合主義は解消されてはいない。ソクラテスへの執着も並み外れているが、剽窃して取り憑かれたらしい「TANTAN…」狸解釈にご執心で、相変わらず意地になってコピペを繰り返しており、嗤うしかない。
11⇒【イランや中国が悪の枢軸国で…平和構築に協力的でない、ロシアや北朝鮮がそうでないのか、まるでわからない】のような「?」という意味不明な主張が後を絶たない。かつてC. W. ブッシュ米国大統領が「テロ支援国家」として北朝鮮やイラン、イラクを念頭に「悪の枢軸」=“axis of evil”と名指したことがあるが、中国に対しては寡聞にして聞かない。ロシアが悪の枢軸とも思えない。
宮澤俊義が、「下々のおまえたち」云々と言ったとも、奢りがあるとも断定できない。篠田さんの立論の趣旨が理解できないための、カ氏の妄想だろう。カ氏には、「八月革命」が宮澤の芦田均への「嫉妬原因説」という妄想癖=「夢物語」もある。
ギリシア語でプラトンが読めない腹いせに、私に難癖をつけても仕方がない。
25⇒【関西学院…卒…ドイツの語学学校の劣等生…誤字脱字が多く、コピペやウィキペデイアを多用する主婦の意見なら嘘…?問題は…中身…もし、反氏の主張が正しいのなら、どうして今のEUの委員長がドイツ人の女性政治家なのだろう】も奇妙奇天烈な主張で、前段はただの僻みとして、誤字脱字以外にも間違いが多く、平気で剽窃を繰り返す人間でも可能な「中身のある」議論にお目にかかりたいものだ。
いずれにしても、低能なカ氏の惨状や立論の妥当性と、EU委員長がドイツ人女性政治家云々は、何の関係もなかろう。
いかれたお頭が、スパークして結びつけたのだろう。
莫迦が移るから、蔡英文氏の台湾総統再選を祝し、この程度にしたい。οἴμοι.
日本は、たしかにユダヤ民族を虐殺することはしなかったが、それは、宗教上の理由である。それ以外は、日本人も戦前の一時期、同じようなことをしたのではないのだろうか。例えば、軍閥のイデオロギーを作った人々は、弱者救済の国家社会主義をとり、財閥解体、政党政治の離脱、軍国主義、日本人至上主義を取ったのではなかったのだろうか。
前回36で指摘した、25⇒【もし、反氏の主張が正しいのなら、どうして今のEUの委員長がドイツ人の女性政治家なのだろう】の論理的に何の関連もない意味不明な議論にも驚かされたが、37の前段、⇒①【西独をナチスの犯罪追及…旧ソ連陣営を利するだけだから…政治的に妥協…という反氏の主張…は事実ではない。】なる180字分の文章と。後段⇒②【マルクス哲学は…ナチスの支持者が増えたほどである。】なる226字分の文章は何の連関もない。
つまり、戦前のドイツの犯罪追及を西側陣営が中途で妥協して徹底しなかったのは、共産主義の拡大を防ぐために旧ソ連陣営と接する最前線に位置する西独を西側陣営につなぎ止め、反共の砦、橋頭堡とする政治的な思惑が働いたためだとする私の主張を、「事実ではない」とする立論の材料を何ら提供していない、という趣旨だ。
カ氏がとにかく無知で頭が悪い婆さんだということは承知しているが、これほど低劣だとは正直、唖然とさせられた。ほとんど、論理的思考の点では「白痴」に等しい。反論する有意味な命題になっていない、ということだ。
低能極まるカ氏向けに譬え話で言うと、「きょうは暖かいね」という私の感じ方は「事実ではない」ということを論証するのに、「明日からハワイに旅行するから、ハワイに比べたら寒い」と主張するようなものだ。
東西冷戦の中で、東西双方の政治的攻防の中で、東西に分裂したドイツは欧州の冷戦の最善として極めて重要だったため、西独を戦争犯罪追及で相手側に追いやることを西側は控えた、というだけのことだろう。しかも戦後の西独は親イスラエルでもあった。
日本だって、戦争直後の相当民主的な改革と、冷戦の激化、特に朝鮮戦争後の占領政策が大幅に変化しているのは同じだ。
38が主張する、戦後に不充分なものながら西独がナチスの戦犯を裁き、一定の補償をしたのも、イスラエル寄りの外交姿勢の表れで、⇒【東独は社会主義にシステムを替えた…を言い訳にしてナチス協力者を裁かず…社会の指導者層に据え置いた】というのは一面の真実だ。しかし、国家を建て直して復興を進めるうえで、ナチス時代の人材は東西ドイツとも貴重だったから、西独でも下級官僚や法曹関係者、学者などは一部を除き温存され厳しく処罰されることはなかったのが実態だ。アデナウアーの右腕、グロプケはその典型だ。
いずれにしても、ドイツは東西とも冷戦で対峙する東西双方の陣営の政治的コマだった、ということだ。
戦前の体制を一挙に刷新することは、ドイツのようにユダヤ人大量殺戮を計画も実施もしていない日本の場合でも戦犯の訴追や公職・教職追放があっても不充分だったくらいで、朝鮮戦争を期に解除されたくらいだから、欧州で共産主義陣営の拡大攻勢に備えなければならない西独は戦争犯罪の追及より、共産主義につけ入る隙を与えない復興が最優先され、そのための人材確保も課題で、法的には「合法行為」だったナチスの犯罪追及も手ぬるかったということだ。
ドイツの戦後が、欺瞞と偽善だらけな所以だ。
ヴァイツゼッカースピーチにも、Schonung unserer Gefühle durch uns selbst oder durch andere hilft nicht weiter. Wir brauchen und wir haben die Kraft, der Wahrheit so gut wir es können ins Auge zu sehen, ohne Beschönigung und ohne Einseitigkeit.
私たち自身によって、あるいは、他人によって、自分たちの感情を美化することは、自分たちの為にならない。我々は真実をできる限り、美化することなしに、一方的になることなしに、直視する必要があるし、その能力ももっている、とあるように、西独人たちは、ニュールンベルグの裁判の後、自分たちでナチスの犯罪者たちを裁いたのであって、東京裁判は、勝者の裁判である、と断じて、その後戦争犯罪人を裁かなかった日本人とは違うのである。
ヴァイツゼッカー演説にも、
Ehren wir die Freiheit.
Arbeiten wir für den Frieden.
Halten wir uns an das Recht. Dienen wir unseren inneren Maßstäben der Gerechtigkeit.
自由を尊重しよう、
平和の為に尽力しよう。
公正さをよりどころにしよう。
正義については内面の規範に従おう。
とあるが、これは、ドイツ人にだけではなくて、時代を超えて、国際社会のすべての人にあてはまる真理なのではないのだろうか。
それは、戦後のドイツの国民的合意である「非ナチ化」(Entnazifizierung)、「離脱」や「除去」を意味するドイツ語の非分離動詞の前綴り(ent)があるように、「非ナチ化する」⇒entnazifizieren(denazifizierung)で、元々はドイツ人の発想ではない。
「非ナチ化委員会」(Entnazifizierungskomeeission)という、いかにもドイツ語らしく長ったらしい名称の、終戦と同時に1945年にドイツに駐留した連合国によって設置されたナチズム(Nazismus)、即ち国家社会主義(Nationalsozialismus)のあらゆる影響、制度的人的残滓をドイツから切り離し、取り除こうするプロジェクトに由来する。
ドイツ語を50年近く学び、今なおドイツ人の元教授とやらを講師に熱心に「お勉強会」を続け、「長い間ドイツ文化を勉強し…神髄を知る年長者のつとめ」(2018年9月14日・23)と称する御仁の問いとも思えないが、
40⇒【反氏の場合、非ナチ化、とはなにをさすのだろう? ユダヤ人600万人を虐殺したことをさすのか、国家社会主義をさすのか、軍国主義をさすのか。民族差別主義をさすのか】のような戯けた御託を並べている。
そして、日曜の朝、猛り狂ったように、浅ましいクズ=43~47を撒き散らしている。
同じファシズム国家であり、ユダヤ人差別も強かったカトリックのイタリア同様、日本もドイツのように、戦争目的そっちのけで欧州大陸にユダヤ人を抹殺しようと国家の政策として合法的に殺戮するようなことは、中国人に対してもしていないし、計画すらなかった、あの悪名高き大日本的帝国陸軍の最強部隊「関東軍」でさえ、ということだ。
ドイツのやったことは、ホロコーストの象徴であるアウシュヴィッツ(Auschwitz)を例にとれば、流れ作業で、ユダヤ人問題の最終解決(Endlösung)の名目で、一日平均710人を四年半にわたって終戦まで燃やし続けるという人非人の所業だ。
そのおぞましい歴史を正視し、過去の記憶を胸に刻むなどと称したところで、その実態はヴァイツゼッカー演説に象徴されるように、自分たちは敗戦によって「ナチス政権下のドイツ」(Nazideutschland)から解放された被害者(ὁ πάσχω)であり犠牲者(παθητός)であるという臆面もない見え透いた(εὐθεώπρητος)自己防衛(φυλακή)の言い逃れ(ἀπολογία)の論理だ。
悪いのは皆、「ヒトラーやナチの奴らだもんネェ~」というわけだ。似た響きのNazarethの人、つまり神の子ナザレのイエス(’Ιησυῦς)が聞いたら卒倒するするような話だ。
ドイツ人は真に罪を悔い改め(μετανοέω)てなどはいないと。οἴμοι.
逆境にあって(ἀτυχεῖν)、懸命になって罪の追及を遣り過ごそうと、民族の共同防衛のため、頭を低くして(ταπεινόω)戦後の生存(ζωή)に余念がなかった(σπουδάζω)人々が、汚辱にまみれたおぞましい歴史から自らを切り離し、別の解放の歴史にすり替えた醜悪な自己欺瞞(αὐτὸς ἀπάτη)の物語以外の何ものでもない。トーマス・マンがそうした同胞に違和感を拭いきれずに、結局帰国を断念した所以だ。
そして良くも悪くも、冷戦の存在がドイツへの事実上の「免罪符」となり、ドイツ人自らを盲目にする(τυφλόω)、良心(ἡ συνείδησις)さえ麻痺させ被い隠す(καλύπτω)役割を果たした。
ナチスからの解放と決別、切断という「まことしやかな物語」(εἰκός μῦθος)が、ドイツ人の戦後を支えた共同防衛の神話(μῦθος=虚構)だった「共同幻想」(κοιναὶ φάντασμα)の物語思考(εἰκὼς λόγοι)にとって代わった所以だ。
1967~68年に西独でも起きた学生叛乱は、戦後世代によるこの「非ナチ化」という戦後ドイツの偽善(ἡ ὑπόκρισις)に対する異議申し立てだった。
EUの議長にドイツの前防衛大臣が就任したのは政治の産物で、NATOの一員であるドイツはもはや、毒にも薬にもならない米国の核の傘にすがる庇護国だからだろう。「ドイツへの信頼」を読み込むのは勝手だ。
これ以上43⇒【ヴァイツゼッカースピーチにも…】云々、44⇒【…とSpiegel誌は報道している】云々に付き合う必要はあるまい。莫迦が移る。
45⇒【このままいけば、第三次世界大戦なる】と妄想する神懸かり=いかれた女祭司(χρησμῳδός)の布教活動は自由にすればよい。ただし、余所で。[完]
「第三次世界大戦」の予感に怯える誇大妄想狂は他愛ないが、中国湖北省武漢を発生源とするらしい新型コロナウイルスに警戒感が深まっている。以前大量の感染者、700人を超す死者を出したSARS(重症急性呼吸器症候群)ウイルスと同じタイプの新型らしい。とうとう死者が出た。
SARSウイルスの時は当初、中国当局が事案の発生を隠蔽したために感染を広げ、被害を拡大させた経緯がある。1989年の人民解放軍による民衆虐殺の「天安門事件」については、発生から30年を経過した今なお、発言もネット検索も禁じている呆れた経済大国で、昨日11日に投開票された次期台湾総統選で再選を果たした蔡英文氏がテレビ画面に映ると、すぐさま暗転するという救い難い監視国家だから今後の動向が気になるところだが、間もなく民族大移動ならぬ「人民の大移動」を現出する旧暦正月「春節」が迫っているから、隠蔽というわけにもいかなかったのだろう。
本欄にも「莫迦ウイルス」を平気で撒き散らす凶暴な人物がいて、ウイルスに感染したわけでもなかろうが、前回48で【非ナチ化委員会(Entnazifizierungskommission)】の綴りを間違えた。うんざりするほど長い単語だが、最後の「委員会」に相当する間違えた部分は、言うまでもなく[kommission]だ。ヴァイツゼッカー演説の巫女(προφῆτις)忌避に触れて罰があたったのだろう。「祟り」(δίκη)かもしれない。
蔡氏の再選は近来稀な痛快事だ。「台湾人」の良識というより、屈辱的な「奴隷の繁栄」を拒否して意地を見せたのだろう。権力欲は旺盛でも凡庸さが漂う習近平国家主席が昨年初め、台湾にも一国二制度による統一の意欲を示して警戒感を招き、香港での民主化デモで心ある台湾人を敵に回した結果が蔡氏の圧勝だった。中国に21世紀の展望を切り開く政治理念などないことの証明だ。
「二流」大国の凡庸なお山の大将の渋面が浮かぶようだ。トランプ氏の足許にも及ばない。
一国二制度の危機に立ちあがった昨年来の香港の学生中心の民主化要求と、当時のエリート学生による党内民主化要求では性格が異なるので一括りに民主化運動というのも問題はあるが、とにかく改革開放のリーダーだった元中国共産党総書記、胡耀邦の死去を悼む集会から始まった運動がエスカレートし、最高実力者鄧小平の退陣要求による民主化要求にまで至った背景には、社会主義的強権体制による上からの革命の限界を突破して民主的な合意形成の必要性に目覚めた将来のリーダーたちの「革命後の将来像」にかかわる真面目な認識を反映していた。
それを党内権力闘争の動乱行為として、徒手空拳の民衆に銃を向け装甲車で轢き殺したのが共産党指導部だ。当初出動を命じられた首都北京を守る精鋭部隊、第38軍の司令官が「人民に銃口を向け」武力鎮圧することに難色を示すと直ちに解任、有無を言わさず武力で民衆の声を踏みつぶした。
当局による公式死者数は319人。実際は10,000人とも数千人規模、千人程度とも言われる。概要が不明なのは、軍が直後に現場から死体を片付け、大量の血痕以外、一切の証拠を残さなかったからだ(事件当時の英国大使館一等書記官)。
確かなことは、当局発表の319人が「明らかに虚偽」(同)だということだ。そして、事件について今なお語ることさえ許さない。そういう国に覇権国の資格はない。
中国の繁栄が奴隷の平和(τὸ δουλεύω)=隷従(δουλεία)たる所以だ。
カ氏が講師の話を正確に理解しているかどうかも怪しいし、私は欧州の反ユダヤ主義について、英仏独伊西の各国語の文献にあたって独力で実態を調査、確認できる。文献資料も所持している。
講師のレベルを確かめようもないが、カ氏が52~53で並べる、昨今の高校生レベルにも劣る認識なら、カ氏が受講した講座の講師は欧州の反ユダヤ主義の全体像について、カ氏に正確なイメージを植え付けることに失敗している。
講師の責任か、カ氏があまりに「頭が悪い」のか、現状ではいずれとも判断はつきかねるが、たぶん後者だろう。それなら、センターの名誉は保たれる。
52⇒【基本的な認識が欠けて】とは誰を相手にものを言っているのか、莫迦莫迦しくて話にもならないが、ユダヤ、キリスト、イスラムの各宗教が「同じ宗教」ではなく、「同じ根をもつ」一神教で、半ば敵対関係にあることは、中学生の知見だろう。カ氏に指摘されるまでもない。
52②⇒【中東は宗教も文化もイスラム教、女性はベールをかぶるし、男尊女卑】というのは一面的理解だ。トルコは被らない。歴史上はイスラムだけではない。中東地域に昔から紛争が多いのは、宗教だけに要因があるのではない。
致命的な誤りは、52③⇒【日本の仏教は、多神教】。神仏習合のことを指しているわけでもあるまい。仏教は神の存在を否定する。確かにインド由来の神々を仏を守護する眷族としてはいるが、神という至高の存在を否定する。カ氏は多神教と仏教を混同している。
ポーランドは、かつてガリツィアを中心に300万人を擁し、カトリック教徒と共存していたユダヤ人コミュニティーを破壊したのは独墺露のポーランド王国分割であり、ユダヤ人に消えない心の傷を残したのは、ドイツによるアウシュヴィッツでの大虐殺だろう。
全部、ドイツが悪い。
大アジア主義講演で言ったことにつきるのであって、その講演は、1924年(大正13年)11月28日、孫文が神戸で神戸商業会議所など5団体を対象として、現在兵庫県庁となっている場所にあった旧制神戸高等女学校講堂において行われた。
孫文の演説は東洋の王道、西洋の覇道を区分し、東洋の王道をたたえ、その先端を行く日本の近代化への賞賛と行き過ぎによる覇道への傾斜を非難したものとされているが、現在の習近平の中国が、西洋の覇道なのか、東洋の王道なのかが分岐点になるだろう。講演が行われた旧制神戸高等女学校は、神戸高校の前身なので私の縁のある学校であるが、頭の悪い人、あるいは教育が悪い人が、そのような学校と縁をもつことができるのか、考えてみればいい、と思う。(参考 ウィキペデイア 大アジア主義講演、https://ja.wikipedia.org/wiki/大アジア主義講演
)
無知蒙昧で「民主主義狂」のカ氏の受け止め方は、独特なようだ。国民(人民)を守るための軍隊だから「人民解放軍」と称するはずだが、中国の場合は全く異なっていて、為政者、しかも政府ではなく、憲法上も政府の上にある中国共産党を守るため、その手先となって徒手空拳の学生を重武装の精鋭部隊が銃口を向けて殺戮し、装甲車で轢き殺すようだ。反対する司令官は解任し、命令に従わせるために、監視要員を張りつかせる。
番組には学生鎮圧に反対した事件直前までの共産党総書記で、解任後はずっと軟禁状態だった趙紫陽の側近だった党中央委員の鮑彤もインタビュー取材に応じ、「(歴代の共産党指導者が)自らの権力維持のために、階級闘争の名を借りて、自分以外を敵として」民衆を弾圧するのを厭わなかった実態を証言した。
自ら起用して総書記に抜擢した趙紫陽と対立した最高実力者の鄧小平も例外ではなく、それが「共産党の宿命のようなもの」だとして、「共産党にとって指導者だけが人間であり、それ以外は人間ではない。(人民解放軍や民衆は)権力維持のための道具であり、戦場で散る粉塵なのだ。事件を契機に民衆は権力に服従するしかなくなった」という趣旨の発言をすて、天安門事件が中国の進路を大きく変えた剥き出しの権力闘争だったことを明かした。
カ氏は、番組のどこをどう観て、寝言のような戯けた認識を語っているのか、愚劣極まる。
天安門事件を、『人民日報』社説で「動乱」とするよう指導した鄧小平はもとより、共産党一党独裁の中国に、「王道」も何もない。果たした役割も功罪もそれぞれ異なるが、毛沢東も鄧小平も、その点で同類だ。
57⇒【文化大革命…リビアやシリアの状況…どれだけの民間人の犠牲者が出ているのだろう。天安門事件の比ではない】というのも、粗雑極まる議論だ。
「人間公害」毛沢東が権力再掌握のために仕掛けた文化大革命でも、別に人民解放軍を使って相手を追い落としたり、殺害したわけではあるまい。愚鈍な「大衆」のエネルギーを利用して「造反有理」「愛国無罪」のスローガンで権力奪取に狂奔した「建国の父」も醜悪極まるが、将来のエリート層となる学生の、理想主義的で未熟な政治行動を武力で鎮圧するのを厭わない鄧小平の非道さは、元々「王道」などあり得ない政治の論理そのものだ。
リビアやシリアの問題は性格が異なる。いずれも政策運営に失敗しても権力にしがみついて反対派、敵対勢力を弾圧して独裁色を強めたことに内戦の真の原因がある。アサド・シリア大統領が権力者失格なので、民主化運動の形をとった退陣要求を非難しても仕方がない。民衆の支持を失った為政者が失格だ。しかも、事態は権力に執着し、報復を恐れるがゆえの内戦だ。
「日本の場合…」の何を勘違いしているのか知らないが、陸軍青年将校の叛乱は、民主化運動のデモのような生易しいものとは違う。実態は陸軍内部の権力闘争だ。後半部分は論旨不明で、議論自体が錯乱している。カ氏は本当に「頭の悪い」出来損ないだ。
58⇒【頭の悪い人、あるいは教育が悪い人】が神戸高校に入学した実例がカ氏だろう。カ氏は神戸高校在籍者の「クズ」なのだろう。
どんな弁解をしようと本欄読者の周知の事実だし、それを御苦労にも日々、カ氏自身が証明している。
孫文も打つ手なしだ。οἴμοι.
昨年が30周年だった天安門事件のドキュメンタリー番組でもそうだが、カ氏は 一体、番組の何を観ているのか、中国当局寄りの戯けた寝言のような認識で、言い分はまるで中国に尻尾を振る(κολακεύω)「犬」だ。
18世紀末から三次にわたった独墺露のポーランド王国分割も酷い。それによってポーランド東部、ガリツィアを中心に300万人を数えたユダヤ人が、どれほど過酷な流浪の運命を強いられたか想像してみるがいい。安住の地を追われ、ロシアやハプスブルク帝国域内へと東西両方向に移住せざるを得なかったのだ。
ヴァイツゼッカー演説は、ドイツ人が敗戦によって追われるまで暮らしていた東欧のドイツ人居住地域を「故郷への愛」(Heimatliebe)とか称して感傷的に語るが、度重なる移住を強いられたユダヤ人の苦難の歴史に思いを寄せる想像力を欠き、「過去に対する盲目」云々もないものだ。
そして、ユダヤ人が多数居住したポーランドの古都クラクフの西方50キロ余に何があるか、カ氏は血の巡りの悪い頭で得と考えたらよい。
すっかりEUの優等生気取りで逆上せ上がったドイツの民衆は、東部戦線におけるドイツ兵の勇敢さを讃えるより、国防軍が親衛隊によるユダヤ人大量殺戮に陰に陽に関与、協力していたことや、ドイツ国内からのユダヤ人の移送に帝国鉄道がどのような割引料金を徴収していたか、知るべきだ。
それなくして、世界遺産になって「脱色」されたオシュフェンツィム(Ośvięcim=Auschwitzはドイツ語名)やヴァイマール近郊のブーヘンヴァルト(Buchenwald)のことなど軽々しく語るカ氏のワイヤー並みの神経を嫌悪する。
頭が悪い以上に醜悪だ。
ただ、これも「中国の文化大革命」と同じ、プロパガンダ、「大衆」のエネルギー、狂気を利用したものだ。マスコミの人が憲法記念日に、安倍首相似のヒトラーの仮面をかぶせて、憲法改正反対運動を盛り上げたように、攻撃対象に偽りの仮面をかぶせ、作り上げた嘘でまことしやかにその人物や集団を攻撃し、人々の不信感や憎しみを煽り、その人が悪の根源であるかのようなイメージを作り上げる、文革の犠牲者は、中国共産党第11回中央委員会において、死者は40万人、と発表されているが、1000万人という説もあって、ナチスによるユダヤ人犠牲者と変わらない。ナチスの論理でも、ほんとうは、偉大なユダヤ人もたくさんいるのに、世界の寄生虫であるユダヤ民族は、駆逐しなければならない、というプロパガンダ、巧みな演説に人々が載せられ、歯止めがきかなくなったのである。高学歴者も参加したオウムのポアも同じである。左翼運動も、国粋主義運動などの政治運動も同じである。我々は、理性的に思われている高学歴の人間にも、そういう側面もある、ということをよく自覚し、嘘のプロパガンダを作らないように、特に影響力の大きいマスコミの人々は、よく注意しなければならない、のではないのではないかと思うし、我々国民は、そのような嘘のプロパガンダに騙されないようにしなければならない、と思う。
前回61の末尾で「頭が悪い以上に醜悪だ」とか、その直前の60で、カ氏の表現を借りれば「頭の悪い人、あるいは教育が悪い人」【が神戸高校に入学した実例がカ氏…神戸高校在籍者の「クズ」なのだろう】と言ったことに怒り心頭、意趣返し(ἀντιπεπονθός)に本欄を舞台に大暴れという「狂気の沙汰」(ἡ μανικός)に等しい(ἴσος)の行状だ。
まさに「本性」(τὸ ἀληθές)みたりというところだが、英国の女性哲学者M. Warnockが主張する如く、カ氏くらい「大体において、憤激の程度は、攻撃(者)の知性の程度に反比例する」(“Ethics since 1900.”, 1960., p. 85.)の典型例(παράδειγμα)はない。
西独留学もしていることだし、当初は所謂「高学歴の大莫迦」(‘intellectual yet idiot’)かとも誤認したが、本欄読者も周知のように、誤謬、誤記、論理破綻、論点ずらし、無断盗用=剽窃のオンパレードで、カ氏にはとてもそれに値する(ἄξιος)着実な知見も学識も存在しないから‘intellectual’とは、とても呼べない。ただの「頭の悪い」狂信的な婆さんということなのだろう。
もっとも、神戸大学附属小中学校でも、神戸高等学校でも、関西学院大学でも、世間並みにはそれ相当の教育機関だが、カ氏に限っては例外中の「クズ」として混じっていたのだろう。母校の「面汚し」たる所以だ。
カ氏の「頭の悪さ」は62~69の一連の「クズ」投稿をみても顕著だから、もはや論証済みだが、性懲りもないというか、その我執の凄まじさには畏れ入る。
ソクラテスを騙る割には、肝腎の自己認識(αὐτὸ αὑτὸ νοεῖν)が足りないようだ。
カ氏は一筋縄ではいかない偏狭的な人物で、特有の信条、信念、信仰に凝り固まっているうえに、愚鈍ゆえに本人も充分自覚していない生まれつきの「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)、つまり大嘘つきで、剽窃(τὸ μιμεῖσθια=盗用)を意に介しない醜悪さと、立論の際の論理的推論に至っては、「白痴」にも等しいその度を越した未熟さ(ἀλελῆ)と慢心(ὕβρις)で、己の惨状を棚に上げて「投稿を続けているのは、未熟な若者が、おかしなデマゴーグに騙されてほしくない」と臆面もなく書き連ねる厚顔無恥(ἀναισχυντία)さだ。
クジラの髭かワイヤー並みの強靭な(στερεός)神経で狂態(γαστρίμαργος)を繰り広げるその姿から、まさになかなかお目にかかれない「☆人」(ὁ μαίνομαι)であるのは確かなようだ。K印の「阿呆」たる所以だ。それが本物の「狂人」(ἄνθρωπος μαίνομαι)か否かを指摘することはさすがに憚られる(αἰδεῖσθαι)が、所謂「気違い」=「気じるし」というのは、存外少なくないようだ。
確か毒舌家の作家G. K. チェスタートンだったか、狂人とは「少しも知性に変調を来している人物ではなく、自分だけだが正しいと思い込んでいる狂信的な人物だ」という趣旨の警句を残していたが、無知蒙昧なうえに逆上せ上がっているカ氏こそ、そうした意味での「狂人」には違いない。
62~69の「クズ」に返す言葉などないのだが、本日のような「巫女」に相応しい錯乱状態(ἐνθυσιασμός)で、日本語の文章の真っ当な理解さえ覚束ない婆さんだから少々補足して責めを塞ぎたい。
その歴然たる証拠が、事件発生から30年たっても中国が事件の存在そのものを隠蔽し、事件について知ることも論じること、ネット検索さえ許さず隠蔽している実態に如実に表れている。
番組の中で、当時の学生リーダーで米国に亡命した王丹氏が事件を隠蔽し続ける祖国に対して、「記憶のない民族に未来はありません。過去の出来事を知らないのは間違っています。天安門事件に対して肯定も否定も結構だが、抹殺してはなりません。これが今の政府の最大の問題です。批判もさせない。真相も知らせない。政府が正しくないのであれば、政府が抹殺しようとしていることを口にし続けなければなりません」と語った。何も付け加える必要のない「正論」(δίκαιος λόγος)で、中国という国家、その中核にある中国共産党の異様さを逆照射している。
それが、「民主主義狂」の「過去の歴史を胸に刻む」派であるカ氏の日頃の言辞と如何に真逆かも。
62で59の私の主張を引用符なくコピペして、あくまで趙紫陽の側近「鮑彤の見方」だとか番組制作者の見解と主張するのみで、カ氏に具体的論拠に基づいた主張は何もない。
滑稽にも⇒【ゲーテやシラーが求めた「思考の自由を」】云々と、法螺話でお茶を濁している。
65⇒【ユダヤ人が多数居住したポーランドの古都クラクフの西方50キロ余に何があるか、を考えるのなら、ワイマールのそばのブーヘンバルト強制収容所を考えた方が反氏の趣旨にそう】も唐人の戯言で、クラクフの近郊にあるのが絶滅収容所アウシュヴィッツ。ドイツは輸送の手間を省くため、ユダヤ人が多数居住する地域、他国の領土で大虐殺を繰り返した、ということだ。
65②⇒【「中国の文化大革命」と同じ、プロパガンダ、「大衆」のエネルギー、狂気を利用したものだ】も全くのまやかしで、欧州大陸からユダヤ民族を抹殺するというドイツ(人)の史上未曽有の悪行は、国家の政策として合法的に、官僚制的に膨大な記録とともに粛々と計画的に、流れ作業のように工業的に、普通の人々によって日常的に行われた。狂気的なこの大虐殺に、逆説的ながら狂気などどこにもない。
カ氏の主張なら民衆はヒトラーやナチスに騙されてユダヤ人の迫害、追放、収容所送りに狂喜したかもしれないが、ホロコーストの実態を「知らなかった」のなら、大衆のエネルギーなど、どこにも働いていない。
文化大革命とホロコーストは基本的に次元が異なる。旧ソ連時代のスターリンによる富農層虐殺とも、ポル=ポトのインテリ層を中心とした敵対勢力大虐殺とも、ルワンダの部族抗争に伴う虐殺の応酬とも根本的に異なる。
65③⇒【文革の犠牲者は、中国共産党第11回中央委員会において、死者は40万人、と発表…1000万人という説も…ナチスによるユダヤ人犠牲者と変わらない】――カ氏の趣旨は犠牲者数も含めて文化大革命とホロコーストを比較が可能、相対化可能とみてその根源的な異質性を矮小化するドイツの保守派に顕著な歴史修正主義(Revisionismus)と同類のまやかし。
カ氏はその認識や評価をめぐって1986年に始まり、当時の西独を揺るがせた「歴史家論争」(Historikerstreit)さえ知らない「阿呆」だが、カ氏の推奨するドイツのたかが週刊誌Der Spiegelと有力日刊紙FAZ(Die Frankfurter Allgemaine Zeitung für Deutschland)は、それぞれの編集長も深く保守派に寄り添った論調を展開した、謂わば歴史修正主義者の「走狗」。
文化大革命についてのカ氏の「無学ゆえの」基本的認識の誤りは、中国政府の公式推計は中国共産党当局の公式資料には存在せず、内外の研究者による調査で40万人から1,000万人以上と諸説あり、数百万人から1,000万人以上ともされることを知らず、さらに、文革以前の1958~61年にかけての農業政策=所謂「大躍進政策」の失敗による飢餓の犠牲者を加えるという初歩的な誤りをかつて犯していたことを現時点でも頬被りしていること。
かつてカ氏はホロコーストの犠牲者数を矮小化する意図で、⇒【ホロコーストによる犠牲者は、だんだん減って310万人ぐらい、それに対して…中国の文化大革命の犠牲者は、なんと4000万人とされおり、どちらも甲乙つけがたい】(2018年6月24日・15)と喋喋していた。
「甲乙つけがた」という措辞をこうした場合に使う教養以前の杜撰な神経に驚いたことを今も覚えている。
A「オタクは何人の年寄りから年金騙しとったの?」、B「まぁ、80人くらいかな」、A「俺は125人だぜ。金額が少ない雑魚も多いけど」、C「命まで取ったわけじゃないから、まぁ、いいっショ。それにしても、甲乙つけがたいネ」――というのと同じ神経だ。
カ氏の故郷の神戸など阪神・淡路地区を襲った阪神淡路大震災から今月17日で25年、つまり四半世紀になるが、神戸出身ではなくとも、大人の真っ当な分別(ὁ ὀρθὸς λόγος)を弁えた人間は、「阪神淡路も6,434人(災害関連死919人を含む)と酷かったけど、東日本大震災も死者・行方不明者18,428人(昨年12月10日時点)で酷かった。東日本は阪神淡路よりずっと広域だから単純な比較は難しいけど、甲乙つけがたい」と、良識(εὐγνωμοσύνη)のある人間は果たして口にするだろうか。
カ氏には学識はもとより、良識も自制心の欠片もなく、人間としての修養など皆無に近い我執(πικρία)の塊、つまり「餓鬼」(preta)で、仏教でいう6種類ある衆生(sattva)の業(karman)のうち三悪道の中位に位置する出来損ないだから、「無知」=別名「無明」(avidyā)ゆえの煩悩(kleśa)を憐れむしかない。
65⇒【我々国民は…嘘のプロパガンダに騙されないようにしなければならない】などと、法螺を吹いている場合ではなかろう。οἴμοι.[完]
「汝自らを知れ」(γνῶθι σαυτόν=デルポイの神殿の銘)
市井の、大学教育はおろか、外国語もまともに読み書きできないような無学な民でも聡明な人物は少なくない。筋道の通った立論ならきちんと理解できるし、学歴や肩書で人を判断することの愚かしさを案外ちゃんと知っているから、愚にもつかない軽薄な言辞やお為ごかしの綺麗ごとでものごとの本質を見誤ったりもしない。
要するに真っ当な分別、デカルトが人間には皆、本来具わっているとした良識(bon sens=εὐγνωμοσύνη)を欠いていない。その強みは「自己を知っていること」(τὸ γνῶναι αὑτόν)で、カ氏とは異なって、ヴァイツゼッカー演説程度の欺瞞や偽善は本能的に見抜く知恵(σοφία)がある。
なるほど、演説はいろいろ高尚な御託を並べて、高邁な理想を語っているのは分かる。戦後40年も経って見事に復興を果たしたどころか、EUの優等生として欧州の政治と経済を牽引している。だからドイツ国民が「いつまでもナチス時代のことを指弾され手も敵わない。忘れたわけではないから、いつまでも追及するのはいい加減にして、この機会にやめてもらい、今後は別のことを話したい」というのも分かる。
しかし、続けて「責任はヒトラーやナチスにあって、本当のところは騙された国民にはない。ただ、悪いなりに法律に従って強制されたことで、ホロコーストのようなあんな酷いことが起きているとは、薄々は感づいてはいたが、はっきり知っていたわけでもないし、責任の取りようがない。みんな、余所の国だって人間なんてそんなものだろう。大多数の国民は全体主義の犠牲者、被害者であって、敗戦によって漸く解放された」というのは話が違う、と。
それじゃあ、何も反省も謝罪したことにもならない。体のいい居直り、開き直りの強弁に等しい。ドイツ国民向けの演説だから、しかも終戦40周年でリップサービスしたのだろうから知ったことではないが、そりゃあ、ちと料簡を間違えているのと違いまっか」ぐらいには考えるものだ。
美辞麗句にそう易々と乗せられ騙されるほど、こちとらもそんなに「うぶ」(ἁπλοῦς)でもお目出度く(εὐήθεια)も御座んせん、と。
市井の民は、自らの実力を知り、というか、それによって自分が能くする範囲を控え目に見立て、分を弁えず(πλέον ἔχειν)、つまり、滅多に分を冒す(πλεονεκτεῖν)ことがない。
そうした賢さが生む着実さと一種の落ち着きが市井の聡明な人々のしたたかな生き方(ἡ δίαιτα)を支えている。当然ながらヴァイツゼッカー演説程度の政治家の法螺話には騙されない程度の器量は身に着けているということだ。
単細胞で驕慢なカ氏に最も欠けた本質的な賢さ、知性=「思考の働きとしての器量」(ἡ διανοητικὴ ἀρετή)とは別な、「人柄としての器量」(ἡ ἠθικὴ ἀρετή)だ。
舌足らずなもの言いで要領の得ないクズ投稿をこの期に及んでも並べているが、笑止千万で76も77もただの負け犬の遠吠え。
天安門事件を隠蔽し続ける中国はどう見ても異常だし、「国益」に関係しなければ大統領が国民向けに法螺演説をしても国際社会は呆れても、意に介さない。
76⇒【反氏は、ジャーナリズムに載ったことばかりを論証の材料に…本当に現地に行って取材を】――「?」「?」ということだが、立論上必要な材料は提示しており、現場主義は全体像を必ずしも伝えない。天安門事件を隠蔽し続ける中国の強権体質は、別にメディア報道を利用せずとも、その後の推移で明らかだろう。
徒手空拳の民衆を、完全装備の精鋭部隊が銃を向けて有無を言わさず殺戮し、そうでなければ装甲車で追いまわして轢き殺す。敵国相手ではない。相手は同胞、しかも学生という非戦闘員だ。こんな暴挙はそうあるものではない。事件から30年経っても、人民に銃口を向けた中国共産党の釈明不能な歴史的暴挙として、隠蔽せざるを得ないだろう。一党独裁の強権支配が続く間は。
私はカ氏と違って、テレビはほとんど見ない。妻が死んで人気のなくなった家で、あまりに静かだから音楽を聴く以外は、ラジオ代わりに点けているのを聴くとはなしに聴くだけだ。
テレビの討論番組で、某コメンテーターが「どうのこうの」、ドキュメンタリー番組で「ああでもないこうでもない」、66⇒【今Spiegel誌の電子版…】もと、過激なメディア批判を繰り返している割には、メディア漬けで、益体もない法螺話に興じるしか能がないのは、むしろカ氏自身ではないか。
今回の天安門事件についても、昨日11日の20⇒【昨日の「天安門事件」のドキュメンタリーを見て…】と、「私が中学生の時、大学紛争花盛り」とかに事よせて単なる恣意的な印象をコメントに名を借りて撒き散らしただけだろう。カ氏の二重基準のご都合主義は今に始まったことではないが、自分のやっていることを棚に上げて見当違いな難癖を相手に投げつける、ほとんど病気だ。
「メディア依存」と言えば、66~67など6割近くがコピペででっち上げた投稿件数嵩増しの、クズ「盗稿」ではないか。
「普通の中国人市民」が取材に応じたり、まともに事件について話したりすると考える方がどうかしている。事件の当事者、例えばデモに参加して子供が殺されたり、行方が分からなくなった親でさえ、事件の全容など知りようもないのだ。
当該番組は、胡耀邦の追悼から始まった天安門広場での集会が、共産党改革を求める民主化デモになり、それを反革命文分子の「動乱」とされたことで一気に反撥を強め、鄧小平や保守派の李鵬首相らの退陣要求にエスカレートするなか、共産党最高幹部の協議で鄧小平に「動乱」社説の撤回を促して拒否さて解任された趙紫陽の側近「鮑彤」に加え、学生を武力鎮圧した第38軍、39軍の下士官や兵士、当時の学生リーダーやデモ参加者、被害者、その遺族、学生と党の間を仲介した知識人、事件当時の軍の動きを逐一観察し、本国に報告していた英国大使館書記官、駐中国米国大使など、取材に応じる可能性のある広範囲の人々に取材しており、現地に行くより充実している。英国外務省の極秘電報の一端も紹介された。
カ氏程度が、76②⇒【文化大革命では大変な目にあった人の話は直接聞いた…イタリア…親戚に毛沢東の非人間性の話を聞いた】程度のことは、「だから何んの?」ということでしかない。「莫っ迦じゃないの」、取材は、街頭インタビューとは違うのだ。
76③⇒【鄧小平は、中国を豊かな国に変貌させた立役者…だいじなのは、イデオロギー闘争ではなくて、結果…ソ連は経済運営に失敗…中国は成功】――鄧小平の評価は歴史家の研究に委ねられようが、少なくとも人民を殺戮した血塗られた権力者ということだ。
「新憲法は、侵略戦争ばかりでなく、どんな戦争でも戦争というものを全部否認している。
いわゆる自衛戦争――すなわち、外国から攻められたときに自分の国を守るためにはじめる戦争―も、やってはいけないというのである。」
Jüngere und Ältere müssen und können sich gegenseitig helfen zu verstehen, warum es lebenswichtig ist, die Erinnerung wachzuhalten.
罪の有無、老幼のいずれを問わず、我々全員が過去を引き受けなければなりません。全員が過去からの帰結に関わり合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。心に刻みつけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼が互いに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
ヴァイツゼッカー氏の主張されていることは、歴史の真実に目を向けろ、その歴史の真実を心に刻め、ということなのであって、私は、日韓問題でも同じである、と主張しているのである。日韓友好のために、歴史の真実を曲げるべきではないのである。それが、日韓問題を混乱させている真の原因だと考えるからである。
本当に、日韓併合、従軍慰安婦、徴用工についての韓国政府の主張が歴史の真実なのか、ということを客観的に、学問的に検討し、その歴史の真実に照らして、謝罪すべきかどうかを日本政府は決めるべきだ、と主張しているのである。それがほんとうの意味の真理愛、学問なのであって、「憲法学の病にかかっている」憲法学者のように、巧みな世論操作で真実を曲げることは、学問上邪道なのではないのだろうか。
中国政府は30年たった今なお、事件のあった事実さえ隠蔽し、中国国民が知ることも論じることも、書籍の出版や販売はもとより、ネット上で検索することさえ許していない。政府や憲法上その上に位置する共産党にとって、「不都合な真実」だからだ。
この時代の潮流に逆行する人民弾圧は、欧州で同年11月にベルリンの壁が崩壊し、翌12月3日の米国G. H. W. ブッシュ大統領とソ連ゴルバチョフ書記長によるマルタ会談で、東西冷戦の終結と新時代の到来を宣言、併せて核兵器削減交渉(START)と欧州通常戦力交渉(CFE)の1990年合意を表明する共同記者会見で、冷戦が幕を閉じた年だ。
会談に先立ってゴルバチョフは同月1日、ローマ教皇と会談して70年間以上もの対立関係を清算して和解、同日の記者会見で「プラハの春」をワルシャワ機構軍が武力で踏み潰した1968年のチェコスロバキア(当時)への軍事介入を誤りと認めた。
天安門事件は、東西関係が次代に向け大きく転換するする同じ時期の出来事だけになおさら、アジア的後退性、アジア的停滞を印象づけた。
前回81でも指摘通り、功罪合わせた鄧小平の評価は歴史家の研究に委ねらようが、鄧が自国軍を使って非戦闘員の、⇒【少なくとも人民を殺戮した血塗られた権力者】ということは動かない事実だ。
先の戦争中、軍部の愚劣な戦争指導もあって300万人を超す日本人将兵・軍属が死んだのは戦争の結果で、自国の軍隊に殺戮されたわけではない。82は何の反論にもなっていない。83~88はただの「クズ」で論評に値しない。
「頭が悪い」からだろう。
2019年に行われた「今メルケル首相の統一後30年」演説で彼女はこのような主張をしている。https://www.bing.com/videos/search?q=Deutsche+Einheit+Rede+Merkel&&view=detail&mid=8DE3513031E8C74C47108DE3513031E8C74C4710&&FORM=VRDGAR&ru=%2Fvideos%2Fsearch%3Fq%3DDeutsche%2BEinheit%2BRede%2BMerkel%26FORM%3DHDRSC3
「頭が悪い」人間に限って饒舌だし、「コピペ狂い」の婆さんは、陽が高くなっても往生際が悪く、何やら益体もないことを喚き散らしている。
妻の死後に、鰥夫となった私の境遇を憐れんで時折、電話をかけてくる妻の友人の弁によれば、「あのカロリーネさんとかいう、神戸出身のおばあちゃん、私がスマホで篠田英朗さんのブログを覗いてみたら、あんなに一生懸命、毎日朝から投稿しているのに「いいね」がちっとも集まらなくて、今回なんかゼロョ。言っていることが支離滅裂で、如何にも意地の悪いお年寄り根性剥き出しだからみんな引いちゃって。あれって惨めよね。判官贔屓の☆★ちゃん(妻の名)が生きていたら、なんて言うかしら」だ。
「離群索居」の生活に移ってちょうど二年前、私は携帯電話契約も解約しており、むろんスマホにも縁がないが、携帯用カメラや妻の知己との連絡用に妻の分は契約を継続しているスマホで確認したら、なるほど、「あるわあるわ」、現時点(13:30現在)で通算40件ある私のコメントにハートマークのポイント、というのか何やら賛意が106も寄せられたのに、カ氏は直近の91まで「ゼロ」だ。
本欄のaudienceは明らかに私に軍配を挙げているようだ。それで、82⇒【反氏のコメント…私の弱点をついてどうしても私に勝ちたい、という意欲しか感じないが、私が…やっきになるのは、やはり】の意味が、漸く腑に落ちた。カ氏との勝ち負けなど決まり切ったことで、歯牙にもかけてはいないが、嫉妬深い婆さんは、敵方のハートマークにも業を煮やして八つ当たりしているのだ、と妙に納得して侘しくなった。
91冒頭、⇒【『トーマス・マンはドイツ人は…を促すことである。』】の404文字も例によって「コピペ狂」の悪癖であるクズ「盗稿」だ。
この数日のカ氏の狂態は断末魔の愚行そのもので、「莫迦は死なねば治らない」というが、「自滅」(αὑτὸ φθορά)の日も近いようだ。οἴμοι.
カ氏の指摘、93⇒【反氏の応援団、奥様がいなくても、がんばれ、という意味】という歪んだ解釈は、どうみても根拠薄弱だ。何ごとも見栄っ張りで負けず嫌いなのだろうが、如何にも品性卑しいカ氏らしい、「下司の勘ぐり」ということだろう
同②⇒【反氏お得意のプロパガンダ】ということからして、意味不明だ。カ氏は自分にとって都合の悪いことは、須らく相手側のプロパガンダであり、主観的臆測、仮想現実になるらしい。
何とも身勝手なご都合主義の独善的体質で、生まれつきの嘘つき、即ち「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)の面目躍如だ。
それにしても、よく見ている。改めて分かったことは、同③⇒【この前のブログのコメントあたりから、反氏のコメントにいいね、が増え…それも律義に…二つずつ】の箇所にみえる苛立ちだ。
「そんあもんかねぇ~」と思い、改めて確認してみると、賛意は2~5までそれぞれあって、御贔屓筋による初期段階のエールなのか否かは分からないが、2ポイントどまりは直近の92を含め、カ氏の言う「律義に…二つずつ」が2ポイントを指すなら、集計対象の41件112ポイント(15:10現在)のうち件数で45%、ポイントで30%にあたる17件(34P)で、残りは3 P=19件、4 P=4件、5 P=1件だ。
初期の2ポイントは少なく4件で、55以降12件と増えるのは、そろそろ飽きてきたからだろう。
以上、客観的事実(οἷα ἦν ἢ ἔστιν)から判断すると、カ氏のプロパガンダ説は「被害妄想」だ。
それにしても、語るに落ちるというか、カ氏の僻み根性は相当なもので、‘El tonto es vitalicio y sin poros.’ということだろう。οἴμοι.
綺麗ごとを並べた措辞も凡庸(μεσότης)で、ある意味俗悪(φαῦλος)なところがあり、ソフィストの弁論術でも伝授したいくらいだ。畢竟、道徳で言えばパリサイパリサイ(Φαρισαῖος)的偽善(ἡ ὑπόκρισις)であり、心理的には道徳以前の感傷(sentimentalité=φῖλοικτίρμων)にとどまっている。
ニーチェなら、次のように言うだろう。
「徳、それは聞くものが薄笑いして、教師もそのような言葉では、もはや何も考えることができないような時代遅れの言葉なのだ。」(‘Tugend ist ein Wort, bei dem Lehrer und Schüler sich nichts mehr denken können, ein altmodisches Wort, über das man lächelt – und schlimm, wenn man nicht lächelt, denn dann wird man heucheln.’=(『反時代的考察』第三篇「教育者としてのショーペンハウアー」=F. Nietzsche: ‘‘Unzeitgemäße Betrachtungen’’, Drittes Stück, Schopenhauer als Erzieher, Werke in drei Bänden, hrsg. von K. Schlechta, 5. Durchgesehne Aufl., München 1965, Band 1, S. 292.)と嘲笑するだろう。さらに、
「実のところ、われわれは先祖が蓄積したところの道徳の相続遺産を増やすことなく、ただ食い潰しているだけなのであり、この遺産を浪費することのみ心得ている。」(‘Es gibt keine Berühmtheiten und kein Nachdenken jener Art mehr; man zehrt tatsächlich an dem ererbten Kapital von Sittlichkeit, welches unsre Vorfahren aufhäuften und welches wir nicht zu mehren, sondern nur zu verschwenden verstehen’(ibid., S. 292.)とも。
有能な政治家であるための第一の条件が、人間のもつ善と悪の能力について深い洞察をもつことだとすれば、ヴァイツゼッカーにはそれがない。ニーチェはもとより、ヒトラーにも劣り、「下らない」の一言に尽きる。
そこで、以前にも、つまり昨年の今ごろ⇒2019年1月26日・63~72で論じたから詳細はそちらに譲り、ポイントだけ書く(【】内は演説の引用)。
演説はまず、敗戦直後のドイツ人の心情をもち出す。旧ドイツ領から命からがら故国に戻ってきた民衆もいる心象風景だ。
①【こちら側がかつてやったことに対し、今度は向うが何倍もの仕返しをしてくるのではないか」…大抵のドイツ人は自らの国の大義のために戦い、耐え忍んでいるものと信じておりました…が、一切が無駄であり無意味であったのみならず、犯罪的な指導者たちの非人道的な目的のためであった、ということが明らかになった】。
冒頭から、旧政権への責任転嫁、怨み節だ。
しかし、すぐさまご都合主義の戦後ドイツの逆転の論理、敗戦⇒「解放」をもち出す。
②【しかし日一日と過ぎていくにつれ、5月8日が解放の日であることがはっきりしてまいりました。このことは今日われわれ全員が共通してロにしていいことであります。国家社会主義の暴力支配という人間蔑視の体制からわれわれ全員が解放されたのであります…
1945年5月8日と(ヒトラーが政権についた)1933年2月30日とを切り離すことは許されないのであります…1945年5月8日がドイツ史の誤った流れの終点であり、ここによりよい未来への希望の芽がかくされていたとみなす理由は充分であります。
5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります】
しかし、第3節になると、臆面もない、剥き出しの居直りの弱論強弁(τὸν ἥττω λόγον κρείττω ποιεῖν)が始まる。
まずは、ヒトラーが悪の元凶だとして、ドイツ人(民族)自身の中に潜む反ユダヤ意識については口を拭っているわけではないが、後回しにする。しかし、抜け目がなく老獪だから、単純なカ氏のように、大多数のドイツの民衆が後になって弁解するのを真に受けて、「知らなかった」はずだと強弁するような軽率さは巧みに回避されている。しかし、言っている内容は強弁そのものだ。
③【暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公の場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。
歴史の中で戦いと暴力とにまき込まれるという罪――これと無縁だった国が、ほとんどないことは事実…しかしながら、ユダヤ人を人種としてことごとく抹殺する、というのは歴史に前例を見ません。この犯罪に手を下したのは少数です。公の目にはふれないようになっていた…。】(続く)
省略したが、⇒【シナゴーグの放火、掠奪、ユダヤの星のマークの強制着用、法の保護の剥奪、人間の尊厳に対するとどまることを知らない冒瀆があったあとで、悪い事態を予想しないでいられた人はいたでありましょうか。目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした…現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていた】とあって、カ氏が繰り返す、ホロコーストを「知らなかった」という、ドイツ人の大半の言い逃れが通じないことをヴァイツゼカー自身が認めている。
そこで飛び出すのは、哲学者のヤスパースが戦後直後に上梓した『罪責論』(“Die Schuldfrage”)で展開した弁明の論理の焼き直しである、所謂「集団的な罪」(‘Kollectivschuld’)の否定だ。これについては既述の通りなので省略する。
特定の立証可能な法律違反の残虐行為の実行者等、一握りの国民の法的責任を問う以外は頬被りするもので、その臆面のなさに、呆れて言うことはない。
④【一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。…ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。…われわれ全員が過去を引き受けねばなりません】
大統領は明らかに国民、特に保守層の民衆に媚び、他の西欧諸国に右顧左眄して、同国人に都合のいい、ナチスからの解放という「物語の思考」(εἰκὼς λόγοι)を繰り広げているにすぎない。
⑤【問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。
心に刻むというのは、歴史における神の御業を目のあたりに経験すること…これこそが救いの信仰の源であります。この経験こそ希望を生み、救いの信仰、断ち裂かれたものが再び一体となることへの信仰、和解への信仰を生みだす…われわれ自身の内面に、智と情の記念碑が必要であります】
結局最後は、「神の御業」だ、信仰だ、「希望」だとくる。「内面に、智と情の記念碑」のような御託を並べることで無駄口を叩く(ἀδολεσχεῖν)ことしかできない。
第4節はもっと愚劣で性懲りもない。見え透いた責任転嫁の論理だ。防戦一方の弁明に嫌気がさして反撃(ἐπιχείρησμα)即ち「告発」(κατηγολία)に回るわけだ。これだから、所詮は田舎者(ἄγροικος)根性丸出しのドイツはいただけない。
⑥【第一次大戦が終ると一連の平和条約が締結されました。しかし、これには平和を樹立する力が欠けておりました。民族主義的な激情の炎が再び燃え上がり、社会の窮状と結びつくこととなった…災いへの道の堆進力はヒトラーでした。彼は大衆の狂気を生み出し、これを利用しました。脆弱なワイマール期の民主主義にはヒトラーを阻止するカがありません…西側諸国も無力であり、そのことによってこの宿命的な事態の推移に加担した…アメリカは第一次大戦のあと、また(孤立主義の立場をとって)内に引きこもり、30年代にはヨーロッパに対して影響力をもっておりませんでした。
1939年8月23日、独ソ不可侵条約が締結…秘密の付属議定書には…ポーランド分割についての規定があり…条約は、ヒトラーのポーランド進攻を可能にするために結ばれた…当時のソ連指導部はこのことを重々承知しておりました。独ソ条約がヒトラーのポーランド進攻、そして第二次大戦を意味していることは、政治について考えている当時の人間ならだれもが知っていること】。
ヴァイマール体制下の1922年に「ラッパロ条約」を結び、西欧諸国で最初にソ連を承認したドイツが言うべきこととも思えない身勝手な言い分。ヴァイマールドイツの政治的敗北の証左で、終戦後三年、破綻の予兆とされた。それは同時に、西側民主主義陣営に対する重大な裏切りだった(「ラッパロの悪夢」)。
第三帝国時代のドイツ国民は、ユダヤ人絶滅計画の「受益者」でもあったという実態を詳細に検証している研究者はドイツにもいる(ゲッツ・アリー『ヒトラーの国民国家―強奪・人種戦争・国民的社会主義―』)。ヒトラーとナチスの独裁を国民が熱烈に支持した事情と心理、カ氏が強調するような「イデオロギー」などではなく「経済的利得」に目が眩んだ浅ましい実態を抉り出している。
ドイツ人が忌まわしい過去として「忘れたい」汚点だ。[完]
「善い人間は、たとえ誘惑に惑わされても、正しい道を忘れない。」ということは、「悪い人間は、悪い道へ人々をいざなう。」のである。それが、東洋の覇道と王道の差なのではないのだろうか?ヒトラーもゲッペルスも悪人だ、ということをヴァイツゼッカー氏は主張しておられるのであって、1945年5月8日、彼らから解放されたドイツ国民はまともな道に戻ったのである。ニーチェは政治家になれず、精神を病んだが、ヴァイツゼッカー氏は、ゲーテと同じように多方面で活躍し、ドイツの良心として、現在も尚、ドイツ国民に、いい影響を与えているのではないのだろうか。
「『可能性の術』としての政治は、それが芸術と同じように精神と生、理念と現実、願わしいものと不可避なもの、良心と行為、自由と必要性、倫理性と力との間を創造的に調停する立場をとる限りにおいて事実、芸術に似た領域である。それは、苛酷なもの、不可避なもの、非道徳的なもの、残忍性、権力本能、シニシズム、あまりにも人間的なもの、そして卑俗さにつきまとうものを多く内に孕んでいるのであって、自分の国をひとつにまとめて強国に高めることに成功した時、その成功の高みにあって、自分がまだ真っ当な人間の一人でありうるかどうか分からないと言明した政治家のことを、再び思い出すべきである。
悪魔的で犯罪者的なものに変質し、人類の醜悪な敵となり、しばしば譲歩の気に満ちたまさしく血の滲む情熱的なその創造性を、恥ずべき犯罪者的な不毛に変えてしまうものでなければ、政治というものは理念的で精神的な要素をけっして完全には放棄しえないし、本来それがもつ倫理的で真人間らしい部分をすっかり拒否することも、不道徳で野卑なものや、殺人や欺瞞や詐欺や暴力に下落しきってしまうことも、けっしてできないものである。そうなればもはや術ではないし、物ごとを創造的に調停して実現するイロニーでもない。それは非人間化した盲目的な狼藉であって、何ひとつ現実的なものを創りあげることもできず、当座の間だけはぞっとするような繁栄を遂げるものの、既に遠からずして世界を破滅させるようなニヒリスティックな、そしてまた自己破壊的な作用をするに至る。なぜなら、全くの不道徳は生に反するものだからである。」
何も知らない単細胞は何でも語り、莫迦さ加減を振れ回る。
「政治に生まれつき、政治を得意とする国民は、良心と行為、精神と権力の政治的な統一を、少なくとも主観的に常に守る術を心得てもいる。彼らは政治を生と力の術として営む。その術には、生のための必要悪や余りにも地上的なものが混じり込まないで済むというわけにはいかないが、しかし、より高いもの、理念、人道的にまじめで倫理的なものを、すっかり目から離してしまうことはけっしてない――まさしくこの点で彼らは「政治的に」ものを感じ、そうしたやり方で世界および彼ら自身の問題を片づけるのである。
政治というものを極めてぶざまに誤解するドイツは、政治が不得意であることを証明している。本来けっして邪悪ではなく、精神的なもの、理念的なものに向いた素質をもっているのだが、政治のことは殺人、欺瞞、詐欺、暴力、ただ全く穢ならしいだけのものとしかみず、政治に身を委ねなければならないと思うや、たちまちそこから相応した哲学をつくり出し、その哲学によって政治を実践する。「ドイツ人は、優美でありたいと思うと、窓から飛び出す」とフランス人は言う。政治を行おうとする時もその通りだ。そうなると、人類から聴覚も視覚も失われてしまうような振る舞いをしなければならないと思い込む――それこそが政治だと思うのだ。
商人を演じたがるものの、どんな高利貸しにもまして無作法極まりない貴族のようなものである。「政治的」になったドイツ人に対して「国是」が保証を与え、責任を取らなければならないすべてのこと、これは言うに言いがたい。そうなったドイツで生じるような暗く反人間的なおぞましい概念は、世界のどこに行っても言葉で表せるものではない。最近味わわれたことはその見本なのである。」
そんなわけで、ヨーロッパの真ん中に猛獣哲学としての政治が成立すれば、この大陸は血と野蛮のうちに衰えて破滅する危険をもつことになる。そして、もっとも精神的でもっとも内面的なこの国民の終焉が、外的で現実的な世界の物ごとに関する、本来は高貴な不器用さの招いたものであるということになれば、それは歴史の皮肉というものであろう。」
「1933年3月。絶え間ない政治的な種類の正規の暴力沙汰に必ずつきまとうミュンヘンでの殺人と恐怖の話で、私の耳はがんがんしている。ユダヤ人に対する荒んだ虐待のことだ。あのHなる白痴は、禁止令を出しても効果が上がらぬ無政府状態に絶望しているなどとぬかす。暴力沙汰は凪ぐことを知らぬ」――作家の透徹した目が同胞の狂気と人間性の深淵を仮借なく抉り出す。
ドイツ民族の「悲劇」はすべて、身から出たさびなのだ。[完]
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