先日「トランプ大統領よりも冷静さを欠く野党」という文章を書いた。http://agora-web.jp/archives/2043682.html 野党の皆さんには申し訳ない題名だが、野合ではなく、政策で頑張ってほしい、という気持ちのゆえである。
関連して、ソレイマニ司令官殺害事件以降、日本で、「トランプ大統領の行動なんて全て選挙に勝つためにやっていることさ」、といった文章が大量生産されているのが気になる。トランプ大統領の頭に政策なんてないさ、ただ選挙に勝とうとしているだけさ、という訳知り顔の文章である。たいてい分析の一つもない皮相な言葉の羅列である。
わけがわからない。これは評論家のほうが無責任だ。
政治家が選挙に勝とうと思わなくなったら、民主主義の終わりではないか。代議制民主主義は、選挙を通じて政治家の行動をコントロールできる、という考え方によって成り立っている。
選挙民は、間違った政策をとる政治家を好まず、良い結果を出す政治家を好む。選挙は、世論調査とも違う。選挙民は、長期的に望ましい結果をもたらす政策を好み、合理性がなく破綻していく政策を見捨てていく。
したがって、重要なのは、「政治家が選挙に勝とうとしている!」、などと当たり前のことを指摘することではない。重要なのは、その政治家の政策は本当に多くの選挙民に評価される政策であるか?という問いだ。その政策は、数年後の選挙で政治家を勝たせる政策か、政治家が勘違いでとってしまった政策か、を問わなければならない。
「この政治家は選挙で勝とうとして行動している!」などと指摘する暇があるのであれば、むしろ「本気で選挙に勝つために合理的に行動しているか」という視点で、政治家を評価すべきだ。
日本の野党はどうだ。いかにも選挙に勝つ気がない。現有議席数を維持するために固定ファンにアピールすることだけしか考えていない。あるいは金の取り合いと揶揄されるような合併騒ぎで、選挙民の信頼を手放していく。
選挙で勝つために合理的な行動をとることを目指さず、既得権益の維持ばかりを目指す政党ばかりになったら、民主主義は終わりだ。溶解していく。
トランプ大統領の独特のスタイルを見習え、とは言わない。しかし、既存政党も飲み込んでしまったあの強烈なアピール力は、日本の野党に最も欠けているものではないか?
どうやったら次の選挙で勝てるのか、毎日毎日、真剣に自問自答を続け、ぎりぎりの中で見出した政策論を国民の前に投げかけている野党政治家が、今の日本に、どれくらいいるのか。
自分ほど日本の将来を憂いている者は他にはいない、自分の政策論こそが絶対に最も国益にかなう、という言葉を、国民に真剣に投げかけている野党政治家が、いったいどれだけいるのか。
政治家や政党が選挙に勝つことを目指すのは当然であり、そうしてくれなければ困る。問題は、どれだけ真剣に選挙に勝とうとしているのかだ。
選挙民は、確保したい利益を持っている。そのために、選挙民は、国政を託すのに最善と思う人物・政党に、投票したい。仮に一度間違えたと思えば、次の選挙では違う投票行動をとりたい。
大事なのは、政治家が、本当に「次の選挙」「次の次の選挙」で勝つために悩みぬいているか、だ。
次の選挙で絶対に勝つ、自分自身の力で必ず勝つ、そういう気概を、日本の野党政治家に見せてほしい。
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Wir dürfen den 8. Mai 1945 nicht vom 30. Januar 1933 trennen.つまり、敗戦1945年の5月8日からドイツ国民の苦難が始まったのではなくて、ヒトラーをドイツ国民が政権に着けた日、1933年の1月30日から、ドイツ国民は、非道な歴史を始め、その結果として戦後、ドイツ国民として、辱めを受けた、と。反氏の掲載されている前のブログの反氏のコメント欄にあるトーマス・マンの主張がそのことを明快に示している。
Während dieses Krieges hat das nationalsozialistische Regime viele Völker gequält und geschändet.
Am Ende blieb nur noch ein Volk übrig, um gequält, geknechtet und geschändet zu werden: das eigene, das deutsche Volk. Immer wieder hat Hitler ausgesprochen: wenn das deutsche Volk schon nicht fähig sei, in diesem Krieg zu siegen, dann möge es eben untergehen. Die anderen Völker wurden zunächst Opfer eines von Deutschland ausgehenden Krieges, bevor wir selbst zu Opfern unseres eigenen Krieges wurden.
この戦争中(ドイツの)「国家社会主義の政権」は多くの民族を虐待し、嘲りました。最後にいじめられ、隷属させられ、辱められたのは、ドイツ民族でした。ヒトラーは何度も、もしドイツ民族がこの戦争で負けたら、ドイツ民族は没落するだろうと演説しました。他民族がまずドイツの始めた戦争の犠牲になり、我々自身が我々自身の始めた戦争の犠牲になったのです。
大切なことは、選挙に勝とうとする政治家、その太鼓持ちのようなマスコミやSNSに踊らされず、有権者一人一人が、政治家を見極める目をもつことで、戦後のドイツ人は、トーマス・マンのドイツ人に対する批判、政治は人間社会の一つの機能であり、政治への関心は人間精神の全体性に属するものであって、人間が自然界にだけ所属するのではないように、政治は悪にすぎないと決まっているわけではない。ところがドイツ人は、政治は悪に決まっていると考える。だから、政治がドイツ人を不具にし、毒し、破滅させるのも不思議ではない、という批判にこたえて、優れた政治家を選出することに決めたのである。その延長線上に、アデナウアー、ブラント、コール、メルケル各首相が続くのであり、4人とも、ただヒトラーのように、ムードに乗って選挙にかちさえすればいい、という政治家ではない。道徳的にも立派で、政策的に優れた立案能力をもつ、国際感覚のある視野の広い政治家を選んでいるのである。
トランプ大統領やムンジェイン大統領の選挙手法であるが、ヴァイツゼッカー氏が批判されたヒトラーの選挙手法そのものである。敵を作って、国民を団結させようとする。トランプ大統領の場合だと、中国やイラン、ムンジェイン大統領の場合だと日本であるが、自国はまとまるかもしれないが、「国際協調」の姿勢がないから、緊張がはしり、民衆が安心できないのである。反xxを煽るのではなく、Dealをするのではなく、妥協して、互いの意見をききあって、一緒に世界を作っていこう、という姿勢が、「世界の政治のリーダー」には求められているのである。ところが、「選挙に勝てば、選挙戦略が優れてさえすれば、優れた政治家だ。」となっていること自体が、ヴァイツゼッカー氏の教訓「歴史に目を閉ざす者は、現在に盲目になる。」を忘れていて、国際社会にとって危険なのである。本来は、マスコミは「プロパガンダ」を作る媒体でもあるのだから、自分支持の政党によいしょするかわりに、有権者が客観的な判断することのできる尺度となる、与野党双方の、真実の情報を流す努力をすべきなのである。ドイツのマスコミと違って戦後、戦争責任を取らずじまいできた、日本のマスコミにその精神が欠けていることが、日本社会の問題なのではないのだろうか。
ところが、トップダウン型の政治がいい、とあたかも大統領制の国の決定の仕方が学問的知見では正しい、かのように主張する「学問の病」にかかった専門家が主張するから、普通の日本国民が惑わされ、おかしなことになるのである。民主主義とは、妥協の政治、他人の経験を重んじ、他人も尊重してする政治であるとすれば、トップダウンなどはあり得ないのであって、現場を知る人の経験を重んじるボトムアップであるはずだし、伝統的な日本の自由民主党の政治のやり方でいいのである。親分のいうことを子分が無条件にきく、という田中角栄さん譲りの政治手法が、独裁的なのであって、それぞれが親分に忖度せず、自分の意見を自由に言うことができる制度が自由民主主義なのである。現在おかしくなってしまったのは、イデオロギー支配、親分支配になっているせいなのであって、自分の考えを、人になにを言われようと、自分の公正の尺度で発言する勇気、が民主政治、一人一人の政治家には必要なのではないのだろうか。
近代民主制は間接(代議制)民主制で、有権者である民衆の政治への関与は、各級の選挙を通じた政治的有資格者の選択があるだけで、政治過程の実態は実質的な支配層であるエリート層の手に委ねられている。
それでも現代社会が高度な文明と政治参加の平等という建前に基づく民衆の意向とその時々の気分、経済的状況、それらをまとめて「欲望」(ἐπιθυμία)と呼ぶなら、選挙によって集合化された欲望=大衆の情動(πάθος)によって大きく揺さぶられる大衆社会であるから、選挙に勝たなくては実現したい政策の実現さえ覚束ない。
最大野党である立憲民主や国民民主は国会では合わせて三分の一以下の弱小勢力ながら一定の支持層に支えられて抵抗の橋頭堡的な議席を維持しているがその足元、つまり地方組織は脆弱で自民党はもとより、共産党や公明党にも遥かに及ばず、国政選挙で浮沈を繰り返す「国会政党」でしかない。
その上、両党の合流協議は難航しており、前回総選挙で大挙して合流するはずだった希望の党の排除に遭い有権者の同情を集めた立憲民主が躍進した一時的な成功体験が強烈だったのが足枷になり、現状維持の退嬰化が際立つ。立憲民主は55年体制の社会党の再現でしかない。
社会党はかつての中選挙区制度で、他の護憲勢力とともに憲法改正発議を阻止する三分の一の議席を死守することが自己目的化した政治勢力で、自民党の補完勢力に甘んじてきた。
鼠を取らない猫に譬えられ揶揄されたが、今なお微温湯に甘んじ、政権獲得意欲など微塵もない。
民主制は選挙に勝ってなんぼの世界だ。
シュムペーターはそれを、「民主主義的方法とは、政治決定に到達するために、個々人が人民の投票を獲得するための競争的闘争を行うことにより決定を行う制度的装置」と定義しているのは、「コピペ狂い」の「無学な婆さん」であるカ氏以外は周知の事実だろう。
職業政治家、政治指導者の形態や本質から説き起こし、政治の本質的な属性(τὸ συμβεβηκός)が暴力(Gewalttätigkeit)であることを論じ、政治という苛烈な闘争場裡に身を置く政治家の資格(ἀξίωμα)と覚悟(πίστις)を説いて自民党政治家の愛読書である現代の『君主論』と称される政治哲学の古典、マックス・ウェーバーの『職業としての政治』(‘‘Politik der Beruf’’, 1919)を引くまでもない。
ウェーバーはさらに、いかなる支配形態においても補助手段としての人間「装置」はつきものであって、それが近代国家における官僚性の発展や政党組織の高度化によってより一層肥大化する運命にあり、政治の作用、つまり権力の運用は非情であることを免れない事情を解き明かす。
そのうえでウェーバーは政治家に欠かせない資質として、仕事に対する情熱と責任感、現実に対する冷静な判断力を挙げ、その行動が一種の冷笑主義的なニヒリズムに陥ることを戒める信念の大切さを指摘する。しかし、信念や信仰に「魂の救済」を縋るような懦弱な精神も退ける。
実践を通じて、可測的不可測的とを問わず己の行為の結果への責任を引き受け、自らの信念に従って果断に行動するという確信をもつ者のみが、政治を天職とする有資格者だとするウェーバーの規準に、当てはまる政治家など、野党のどこにいようか。
選挙に勝つ野望と戦略なき野党の政治的貧困の証左だ。
民主制の先達、古代のギリシア人にとっても、政治における正義(δικαιοσύνη)とは観念的なものではなく、第一義的に個々の常に対立する「利害得失」の争いにおける調整の規準(ἀξίωμα)としての「配分における正義」(τὸ διανεμητικὸν δίκαιον)だった。アリストテレスが、その細部にわたって入念に検討している。
寛容(ἐλευθέριος)と相互承認(τὸ ἐνδεχόμενον)に基づく自由な議論が民主制の理想だが、この世が畢竟ホッブスの説く「万人の万人に対する闘争」(bellum omnium contra omnis)であり、民主制の下でさえ、法の支配や人権は、それを調整し、持続可能にする被膜(κρύψις)にすぎない現実の中で、政治家は選挙に勝たなくてはならない。
そうした因果な宿命に正対せず、選挙に勝つ意欲も戦略もない人間が職業政治家たることは根本的欠陥を抱えているのを意味する。そこには何の政治的な正統性(legitimacy=γνήσιος)などないことは言うまでもない。懦夫をして立たしめる気概と見識が求められる所以だ。
その点、中国発の悪質な選挙宣伝のプロパガンダに抗して次期台湾総統選で過去最高得票を得て再選を果たした蔡英文氏に学ぶ点は多い。
「一つの中国」という国際政治の力学に翻弄される小国の運命を切り開こうとする気概が凡庸な指導者習近平国家主席に一矢を報いた結果で、台湾人の意地をみた思いだ。[完]
また、民主制の下では政治家は選挙に勝たなくてはならない、ということが至上命題であるとしても、メデイア戦略や、フェイクニュース、プロパガンダを多用して選挙に勝ってもいいのか、それが問題だと思う。政治資金規正法、など日本は金の流れに厳しい目が向けられているが、現実は、マスコミの力や、ドイツではロシアの関与が問題となっているSNSを使った世論誘導、つまり、社会心理学的要素、も選挙結果に大きな影響を及ぼしているのではないのだろうか。
齢70近くにして精神の幼児でしかないカ氏と異なり、一人前の大人には良識や節度というものがある。私のような哲学の研究者の端くれで、ヴィトゲンシュタインのひそみに倣って、「哲学者は如何なる観念の共同体の市民でもない。そのことがまさに彼を哲学者にする」(‘Der Philosoph ist nicht Bürger einer Denkgemeinde. Das ist, was ihm zu Philosophen macht.’:L. Wittgenstein, “Zettel”, Frag. 455)と奉じている人間でも、言論の作法というものは心得ている。
少なくとも、トピックスが変わって開口一番、1⇒【朝起きて、反氏のドイツ人についてのコメントを読んで…】のような書き出しは、絶対ない。職業的な自制心が働く。甘ったれのカ氏にはない、プロの自覚であり矜持だ。襟度(μεγαλοψυχία)ともいう。
自分で言うのも気が引けるが、狭量な心(σμικρολογία)ゆえに狂信的なカ氏には微塵もない心の宏さ(ἐλευθεριότης)、畢竟、「雅量」(πολυμαθία)のことだ。
カ氏程度の「頭の悪い」単細胞を完膚なきまでに議論で「屈服させる」(δουλόω)ことは容易だが、自らに厳守している格率がある。
無責任な書き捨ての投稿は一切しないことだ。800字の制限が許す範囲で論点を尽くすのもそのためだ。
以前にコピペを強弁して「印刷機」とか嘯いて開き直ったが、その見境のない狂態(γαστρίμαργος)は目に余り、「ならず者」による自暴自棄の乱暴狼藉でしかない。[γαστρίμαργος]とは、「気違い沙汰」という意味だ。カ氏以外に、だれもそうしたことはしていない。
カ氏にはない、真っ当な分別があるからだ。いかれたK印の「阿呆」=「☆人」(ὁ μαίνομαι)たる所以だ。前回の浅ましい行状はその動かぬ証拠で、御苦労にも自分でそれを証明しているのだから嗤えない。
2は相変わらずの「布教活動」で大半はコピペで手を抜く「似而非反論」の常套手段。前回101では字数の関係で削除したが、ヴァイツゼッカーの父親はナチスに仕えた外交官で、独ソ不可侵条約(1939年)を外務次官として締結をとりまとめた張本人だ。
そのことを押さえて演説を読めば、(⇒【独ソ不可侵条約が締結…秘密の付属議定書には…ポーランド分割についての規定があり…条約は、ヒトラーのポーランド進攻を可能にするために結ばれた…当時のソ連指導部はこのことを重々承知しておりました。独ソ条約がヒトラーのポーランド進攻、そして第二次大戦を意味していることは、政治について考えている当時の人間ならだれもが知っていること】)、いかにヴァイツゼッカー演説が欺瞞と偽善に満ちているか分かる。
1⇒【反氏の…前のブログの…マンの主張がそのことを明快に示し】も日本語の文章がまともに読解できない典型で、マンの主張はドイツ人の政治的未熟さが招く災厄。
9~11はお家芸のメデァア批判の「クズ」。みな、カ氏ほど愚鈍ではなかろう。οἴμοι.
Am 23. August 1939 wurde der deutsch-sowjetische Nichtangriffspakt geschlossen. Das geheime Zusatzprotokoll regelte die bevorstehende Aufteilung Polens.
1939年8月23日の独ソ不可侵条約の秘密条項には、ポーランドの分割案が規定されていたのである。つまり、ヴァイツゼッカー氏の父親は、第一世界大戦で失ったポーランド地域をドイツ領に戻したかったからこの条項があるのであるが、彼はできれば、チェコのズデーデン地方のように、戦争のない併合の形にしたかったのではないのだろうか。
彼女の批判の矛先は、極右を支持する旧東独人に向かっているのであって、夢ばかり追い、自分の能力の限界、現実をわきまえず、自分の不満、旧西独人並みの給料、待遇を得られない原因を政府や政治エリートの責任にして、糾弾するのは、政治的に成熟した姿勢とは言えない、と主張しているのである。また同時に、旧西独の人に、ただ第三者的に傍観しているのではなく、旧東独の人々がした経験から学ぶべきこともあるはずだ、と戒めているのである。
ヴァイツゼッカー演説の欺瞞、ヴァイツゼッカーという人物の一種特有の偽善体質について論じた際に、独ソ不可侵条約を実務担当者としてまとめた外務次官の父親エルンスト(Ernst von Weisäker)に言及してある(2018年9月6日・12)。1年5箇月前の話だ。何を寝言を言っているのか分からないが、14⇒【反氏は、私がコメント欄で説明したことを全く無視して、同じことを主張】など、事実と異なる。言及は私の方が早い。
兄のカール・フリードリヒ(Carl Friedricht von Weisäker)についても同様で、米国に原爆開発を進言したユダヤ人核物理学者H. A. ベーテとの関連で、ドイツの原爆開発にかかわったことも含め論じてある(2019年6月25日・170)。
父親の方は、⇒【父親がナチス親衛隊の名誉少将に任じられていた点、外務次官として独ソ不可侵条約締結をとりまとめ、またユダヤ人迫害への加担でも有罪になっていることなどについて回想録では一切触れていない】と記述しており、その後も同様だ(2018年9月26日・159、2019年1月26日・70)。
ついでに、ヴァイツゼッカー大統領が1966年まで勤務したベーリンガー・インゲルハイム社が、「当時ベトナム戦争で使用される枯葉剤の原料を生産していた」ことも紹介している。それは、ドイツがガス室でのユダヤ人大量虐殺で使用したとされる、シアン化合物系の殺虫剤ツィクロンB(Zyklon B)を髣髴とさせる。
16も問題外で、メルケル独首相のトーマス・マンへの言及、ドイツ民族の非政治性=‘Unpolitischen’(「非政治的人間」)という意味は、何も東西統一後の東独に限らない問題だ。基本的には政治を軽視または嫌悪することによる知識層と民衆とを問わない民主的な合意形成に対する未熟さを意味する。
メルケルの主張は一面的だが、一廉のインテリだから問題の所在を意識している。
カ氏ほど「阿呆」ではない。
shinodahideaki.blog.jp/archives/34075832.htmlの 私のコメント147(12月29日0633)で書いたように、ヴァイツゼッカー氏は、戦争中ベルリンで学生をし、兵隊にも行き、父はニュールンベルグで戦犯として裁かれ、兄は、失敗したといっても、ナチスドイツに協力して、原子爆弾を作ろうと頑張った物理学者である。つまり、家族全員がナチスに協力し、敗戦後その現実を受け入れ、批判され、なぜそうなったか、を加害者として向き合わざるを得なかった人たちなのである。
ヴァイツゼッカー氏は、彼の回想録、Vier Zeiten(4つの時代)の中にHilfsverteidiger in Nuerunberger Prozess des Vaters (父のニュールンベルグの裁判の補助弁護士)(p112)を務めた、若い頃この仕事に取り組んだことが、自分の人生に役立った、とまで書かれている。それは、程度は違うが、私の家族にもあてはまる。私の家族は、積極的に戦争に協力したわけではなかったが、その他大勢の日本人と同じように、戦争に協力することが日本の為だ、と考え、祖父は経済パージにもなった。ヴァイツゼッカー氏の演説の言葉を借りると、
たいていのドイツ人は、自分たちの国の良い目的の為に戦い、苦しんだ、と信じていた。そして、そのすべては、無益で意味がないだけではなくて、犯罪的な指導者の非人間的な目的に役立っていたのである。疲労困憊し、途方に暮れ、新たな心配が増えた、というのが、大方のドイツ人の感情を特徴づけていた。
祖父を含めて、たいていの日本人も、そうだったのである。
ヴァイツゼッカー氏の場合も、彼や彼の家族の負の経歴を含めて、彼の下した結論がドイツ国民に、世界の政治指導者に受け入れられたから、無投票で大統領に再選され、東西ドイツの統一式典で、統一ドイツの大統領として、演説をすることがおできになったのである。1989年のあの演説も、1985年の演説と並んですばらしい、と思う。ドイツでヴァイツゼッカー家というと、アメリカのケネデイー家と同じ響きをもつ、そうであるが、そのこと自体が、どれだけRヴァイツゼッカー氏が今も尚、ドイツ人に敬愛されているかを示している。
(参考 Vier Zeiten, Erinnerungen, Richard von Weizsaecker, Siedlerverlag)
一般的理解では、古代ギリシアの直接民主制とは異なる間接(代議制)民主制である近代民主制における選挙とは、民衆の意見や意向の実現を担う「代表」を選ぶ行為、制度的手法であって、民衆はすべての個々の問題について明確かつ合理的な意見をもってといるということを必ずしも前提としていない。
例えば、経済政策の合理性とか妥当性について、昨今の日本なら、異次元の金融緩和により長年続いたデフレから脱却して日本経済は史上最長の景気拡大を遂げたが、名目GDPの伸びが停滞して民衆の大半は好況や豊かさを実感できないように、民衆の知見はほとんど当てにならない。
民主制に関する理想論としては、「民主主義的装置の第一義的な目的は、選挙民に政治問題の決定権を帰属せしめることにあり、これに対して代表を選ぶのはむしろ第二義的なこととされる」(J. A. シュムペーター: “Capitalism, Socialism & Democracy”, 1950, p. 269=中山伊知郎、東畑精一訳『資本主義・社会主義・民主主義』、429頁)。
シュムペーターは理想論が主張する役割の優先順位を逆にして、決定を行うべき人々の選挙を第一義的な優先課題とし、選挙民=有権者による問題の決定を第二義的なもの、つまり民衆の役割は政府をつくること、または「国民的行政執行府」(executive=「支配人」の謂い)をつくり出すべき中間体をつくることにあると仮定したうえで、彼の民主政治に対する有名な定義(「民主主義過程の理論の改良」と称している)⇒「民主主義的方法とは、政治決定に到達するために、個々人が人民の投票を獲得するための競争的闘争を行うことにより決定を行う制度的装置」(ibib., p. 269、邦訳430頁)を示す。
シュムペーターによれば、それによって、「われわれは民主主義的な政府を他のものと区別するための有効な基準をもつことになる」とする。
さらに定義の改良によってもたらされた効用として、政治過程における選ばれた側の主導力(leadership)について古典学説では排除された議論の余地を確保したとする。つまり、古典学説的な理想論に従えば現実を無視して必要以上に選挙民に創意(問題の決定力)を帰属させて、実際の主導力を無視する結果になった弊を免れるとする。実際の政治過程において、民衆はこの指導性を受け入れて行動せざるを得ないメカニズムになっているからだ。
民衆の意思が如何に強固で明確なものであろうとも、それを政治的な要因に転化、つまり政治的に実現を目指す課題として、政治的指導者によって政策メニューの俎上に上らない限り現実化することはなく、潜在的なものにとどまるからだ。
もっとも、こうした民主政治観の「改良」が、「主導力を獲得するための競争という概念の明確化に寄与する以上に出るものではない」ことはシュムペーター自身も認めている。なぜなら、政治において民主政治以外でも、民衆の賛同を集めるための何らかの競争が常に存在していて(実際には潜在的であっても)、その点で民主主義なるものが競争的闘争を遂行する是認された一つの方法にすぎないことは考慮する必要があるものの、同時に実際問題として、あらゆる規模の社会にとって実際に実行可能な手法は選挙という方法以外にないことを考えれば、正当性を主張できると考えられるからだ。
しかも、民主制が社会を構成する個々の「能力に応じて」(κατὰ τὴν ἀξίωσιν)ではない政治参加の「平等の権利」(ἰσονομία)に基づく政治体制で、選挙を含めた個々人の意思の集計は、民主的手続きを尽くせば尽くすほど綻びが出ることは集合的選択理論によって明らかにされており、民主主義が根本的パラドックスを内臓した制度であることは周知の事実だ。
それを数学的に厳密に証明したK. J. アローの「社会的厚生関数の一般可能性定理」(General possibility thorem of Social welfare function=“Social Choice and Individual Values”, 2nd. ed., 1963)によれば、「個人的選好に客観的な個人間比較可能性が全くあってはならない」ことを示すもので、併せて無関係な選択対象からの独立を前提とするなら、可能な社会的選択機構はいずれも、社会的選好の非推移性(intransitivity)や可能な個人的順序の範囲に対する制限を伴わなくてはならない。
ただ、現実の政治過程で定理が想定する完全な民主的集計はあり得ず、現実的な政治過程のなかで決定される政策目標こそが社会的厚生関数の部分的顕現と言える。また、民衆が専門家の間でも議論が分かれる問題について、正しい政治的(政策的)選択ができるという前提は成り立たない。
不確実性と集合的選択の矛盾、この両者を解消する合理的な手立ては存在しない。政治が科学ではなく説得の優劣を競う闘争で、その制度的手法である選挙こそ、すべての政治的選択の出発点であり要諦たる所以だ。
残念ながら、国民はもとより、野党にはその自覚も認識もない。[完]
「この不幸な国民が世界に与えた言語道断な振る舞いを前にしては、ほとんど不道徳にすら感じられる」と。
そして、政治と文化の対立という近代を通じてドイツを支配した特有の精神風土が、支配層や知識層、一般の民衆を問わず政治的な合意形成の成熟を促すことなく、むしろ西欧流の民主的な政治社会構造を軽視し、敵対視する特有の政治意識を生み、跛行的な近代化、産業化を推し進めた結果、官僚と軍閥を支配した封建的ユンカー貴族層と、それに癒着した富裕な重工業資本家とがKaiserの権威の許で「隔絶型」の支配様式で民衆に君臨するという、「近代技術の力を駆使する18世紀国家」(H. ラスキ)と揶揄された特異な発展を遂げた政治体制を念頭に、
「私は今、ドイツ人の本質の中に潜む、世界を求める性向と世界に対する臆病さとの結びつき、国際人気質と田舎者気質との結びつき」によってもたらされた精神的相克が、ドイツをして「ドイツ的世間知らず」や「ドイツ的非世俗性」、「思想深遠なる処世下手の現代的国家主義の形式」の迷走を生み、その特有の精神像、「いつも何か滑稽で薄気味悪いもの、秘密めいた不気味なもの、ひそかなデモニッシュ(悪魔的)なものが付着した非世俗的田舎者的なドイツの世界市民性」が、生真面目な深遠さを生むと同時に、そのエネルギーが思弁的要素と社会政治的な要素とに分裂を深め、前者が後者に対して「完全な優位性を占め」て結局は破滅につながった事情を、ドイツの精神史を遡って解き明かす。
「ドイツ的本質の巨大な化身、マルティン・ルターは、非常に音楽的でありました。私は彼が好きではありません。これは率直に申し上げます。純粋培養されたドイツ性、分離主義的反ローマ的なるもの、反ヨーロッパ的なるものに、私は嫌悪と不安を感じるのです。たとえそれが、プロテスタント的自由や宗教的解放として現われても。そして特にルター的なもの、即ち胆汁質的野人的なもの、罵詈雑言、唾棄、激昻、恐ろしく逞しいもの、しかもそれが繊細な心情の深さや、デーモンや悪魔や畸形児に対する頑迷極まる迷信と結び付いたものに、私は本質的嫌悪感を覚えるのです。…ルターが『悪魔の牝豚、暴皇』と呼んだ温和な人文主義者レオ10世、ジョヴァンニ・デ・メディチとの方がずっと仲良く付き合っていけるだろうと確信しています」とニベもない。
さらに、ゲーテという対極的精神類型と比較して、
「私は、ルターと洗練された穿鑿家のエラスムスとの反立を全然必然的なものと認めません。ゲーテはこの対立を超え、それを融和させます。彼は教養を備えた、充溢せる民衆力であり、都会的に洗練されたデモニーであり、精神にしてしかも同時に血、即ち芸術であります。…現実においては、ドイツはますますゲーテよりもルターに加担していったからです」と、ドイツ的反動性の根源にルター的な偏狭性をみている。
マン特有のドイツ像、「ルターのドイツとゲーテのドイツ」との対立だ。ドイツ史におけるルターの存在の大きさを認めつつ、信仰の解放者であったと同時に、保守的革命家として歴史に暗い影を落とす反動の源泉だったことを抉り出す。
しかし、それが同時にドイツにとって疫病神的な存在となった事情を、近代的な内面の自由を切り開いた同じ人物が、キリスト者としての自由には真摯でも、政治的自由、市民社会的自由という価値観には冷淡で、むしろ敵愾心を燃やしていた逆説を指摘し、それがドイツ特有の政治への無理解、未熟さの淵源になったことを浮き彫りにする。ルターは「自由の英雄だったが、ただしドイツ流でしかなかった」と。
ルターは領邦諸侯と結んで宗教改革を成し遂げる一方で、宗教改革によって鼓舞された農民一揆を憎悪し、口を極めて罵り、一揆に敵対する諸侯たちに「農民を狂犬のように打ち殺せと命じ、今こそ百姓どもを屠殺し、絞殺することによって天国を手に入れることができる」と煽動した保守革命家だった。
マンは、社会民主主義者であるヴァイマール「ドイツ共和国の初代大統領が、『私は革命を罪のように憎む』」としたことに、ルター的ドイツの底流をみている。ルターの反政治的な敬虔さこそが、「民族的衝動と政治的自由の理想との分離という、ドイツ特有の事情を、記念碑的かつ強情に示す」として、それが一つの「国家主義的解放運動」(eine nationalistische Freiheitsbewegung)だったと位置づける。
こうした自由概念のドイツ特有の倒錯がナチスが、「ドイツの解放運動」(einer deutschen Freheitswebegung)を僭称した背景にもある。ナチスの暴虐行為が解放と同居する皮肉だ。
マンはドイツの自由の概念は専ら外部に向けられていて、「それはドイツ的である権利、それ以外の何ものでもなく、それを超える何ものでもない権利を意味した」とする。
また「外部に対する、つまり世界との、ヨーロッパとの、文明との関係における傲慢なる個人主義は、内部においては嫌悪を催すほどの自由、幼稚さ、鈍感な卑屈さと両立していた。それは、戦闘的な奴隷根性(militanter Knechtssinn)だった。そして今や国家社会主義がこの外的自由要求と内的自由要求との間の不釣り合いをさらにつりあげて、ドイツのような国内では不自由な一民族による世界奴隷化の思想に至らしめた」とも。
ドイツの自由への衝動が常に内部の不自由に帰着せざるを得ない宿命について、「ドイツがまだ一度も革命を経験したことがなく、国民という概念を自由の概念と結びつけることを学んだことがない。…『国民』というものは、フランス革命で生まれた。それは革命と自由の概念であり…フランスの政治的精神のあらゆる魅力的な点は、そうした幸運な一致に基づいている。ドイツの国粋主義的熱狂の、人を萎縮させ憂鬱にする一切の点は、この一致がけっして形作られなかったことに基づいている。『国民』という概念そのものが、自由の概念と結びついたものとしては、ドイツにはそもそも存在しない」として、精神的自由と政治的自由との背馳という、「ルター的二元論」の桎梏を説いている。
歴史的に、あらゆるドイツ的革命、1525年の革命、1813年の革命、ドイツブルジョワジーの政治的脆弱性を露呈した1848年の革命、そして1919年の革命――ドイツは、中途半端か矯激にすぎてすべて失敗に帰した。
20世紀の最終盤になって、今さら革命の成功もないものだ。メルケル独首相の戯けた自画自賛は、ドイツ民族の政治的貧困を如実に物語っている。
それをもって回るカ氏に至っては、肝腎なことを、何も知らない。
「私がドイツについて皆さんにお話ししようとしたこと、あるいはせめて暗示的にでも示したいと試みたことは、どれひとつとしてよそよそしい、冷たい、局外者的知識から生まれたものではなかったのです。私はそれを自分の中にももっていたのです。私はそれをすべて、われとわが身で体験したのです。
換言すれば、私が時代に迫られて提出しようと試みたことは、ドイツの自己批判の一片でありました――そして、たしかに、私はまさにこれをしたことによって、ドイツの伝統にこの上なく忠実に従うことになったのです。しばしば自己嫌悪、自己呪詛にまで至るような自己批判への傾向は、まさにドイツ的であります。そして、これほどに自己認識の素質をもった民族が、同時に世界制覇の考えを抱くなどということがどうして可能なのかは、永遠に不可解でありましょう。世界制覇のためには、何よりもまず無邪気であり、視野の狭さに恵まれており、無計画的でさえなければなりませんが、ドイツ人の場合のように、高慢と悔恨が相伴って並んでいるような極限的精神生活は必要ではありません。
ヘルダーリンやゲーテやニーチェといった偉大なドイツ人たちがドイツについて述べた仮借ない言葉に比肩しうるような言葉は、かつてどんなフランス人、イギリス人、それにどんなアメリカ人も自国民に面と向かって述べたことはありません。ゲーテは少なくとも口頭で語った対話の中では、ドイツ人が他の諸民族の中へ散らばってしまうことを願うところにまで行っています。『ドイツ人は、ユダヤ人のように、世界中に移植され、分布されねばならぬ』と、彼は語り、そしてさらに次のように付け加えています。『――彼らの中にある大量の良きものを、完全にかつ諸国民の幸福に役立つよう、発展させるためには』と。」(青木順三訳、新潮社版『トーマス・マン全集』第10巻、673頁)
Nichts von dem, was ich Ihnen über Deutschland zu sagen oder flüchtig anzudeuten versuche, kam aus fremdem, kühlem, unbeteiligtem Wissen; ich habe es auch in mir, ich habe es alles am eigenen Liebe erfahren.
Mit anderen Worten: was ich hier, gedrängt von der Zeit, zu geben versuchte, war ein Stück deutscher Selbstkritik―und wahrhaftig, ich hätte deutscher Tradition nicht treuer folgen können als eben hiermit. Der Hang zur Selbstkritik, der oft bis zum Selbstekel, zur Selbstverfluchung ging, ist kerndeutsch, und ewig unbergreiflich wird bleiben, wie ein so zur Selbsterkenntis angelegtes Volk zugleich den Gedanken der Weltherrschaft fassen konnte. Zur Weltherrschft gehört vor allem Naivität, eine glückliche Beschränktheit und soger Vorsatzlosigkeit, nicht aber ein extremes Seelenleben wie das deutsche, worin sich der Hochmut mit der Zerknirschung paart. Den Unerbittlichkeiten, die große Deutsche, Hölderlin, Goethe, Nietzsche, über Deutschland geäußert haben, ist nichts an die Seite zu stellen, was je ein Franzose, ein Engländer, auch ein Amerikaner seinem Volk ins Gesicht gesagt hat. Goethe ging wenigstens in mündlicher Unterhaltung, so weit die deutsche Diaspora herbeizuwünschen. »Verpflanzt« sagt, er, » und zerstreut wie die Juden in alle Welt müssen die Deutschen werden !« Und er fügte hinzu: »―um die Masse des Guten, die in ihnen liegt, ganz und zum Heile der Nationen zu entwickkeln.«(Thomas Mann Gesammelte Werke in dreizehn Bänden, Bd. 11, Reden und Aufsätze 3, S. Fischer Verlag, S. 1146~1147.)[完]
‘La vivacité qui augmente en vieillissant ne va pas loin de la folie.(La Rochefoaucauld; Maximes 416.=「老いてますます血気盛んとは、狂気の沙汰だ。」)
ドイツはフランスやイギリスと違って、統一国家になったのが1871年でそれまでは、小国分立、ブレーメン、ハンブルグ、マンの出身地リューベックなどは都市国家だった。逆にオーストリアは巨大な多民族国家ハプスブルグ帝国の一部だった。だから、ドイツ帝国内は、それぞれが、主権意識が強かったのである。そのために、軍事は「ドイツ帝国が取り仕切る」ということで統帥権という言葉が使われたほどである。そんな二つの国なのに、両方とも敗戦したから、という理由だけでヴェルサイユ条約で、ドイツ語圏でない領土を取り上げられ、同じドイツ語圏なのに両者は英仏の反対で、合併もできない。そのオーストリアからドイツ人としてヒトラーは政治指導者になり、ドイツ民族が一番優れている、外国の不公正は許さない、ドイツ人よ団結しよう、と愛国心に訴えたから、祖国愛が燃え上がった。その様が、ヴァイツゼッカー演説にある、自国がよくなる、と信じて闘い耐えた、ということなのであって、そうなるのが人間の自然の姿で、ドイツにしかない国粋主義的熱狂の、人を萎縮させ憂鬱にする性向ではない。
それと共に、中学生のころ、授業中、教科の先生の出された課題について、4人グループで話し合い、ある一定の時間内に4人の意見は大体まとまり、発表できたあの頃に比べて、なぜ延々と反氏と討論を戦わせなければならないのか、と思う。反氏は、私は頭が悪く、「阿呆」であるから、と主張されているが、あの頃、私は「頭がいい」と言われていて、成績もよかったが、成績の悪い生徒の意見だから、その意見が間違っている、などとは思わなかった。頭がよく、成績のいい生徒の意見でも、間違っていることもあるし、私はそういうことと関係なく、「自分の頭で考えた意見」を述べていたし、それは現在でも変わらない。私のコメントは、正解かどうかはわからないが、それによって、正解にたどり着く一助になればいい、と思っている。
今朝、私を西独に留学させてくれた父を偲んで、小池百合子知事で有名になったヘーゲルのAufheben 止揚という言葉の意味について調べてみた。日本語の辞書で調べるとよく意味がわからないが、ドイツ語のWikipedia https://de.wikipedia.org/wiki/Dialektische_Aufhebung で調べるとよくわかる。
Hegel sah in dem deutschen Wort Aufhebung den spekulativen Geist der Sprache, der in der Lage ist, gegensätzliche Bedeutungen in einem Wort zu vereinen. Er stellte die drei Momente der dialektischen Aufhebung folgendermaßen dar:
1. die Beendigung, Überwindung einer Entwicklungsstufe (Negation, tollere), z. B. Aufhebung eines Gesetzes, Erlasses.
2. das Erhalten ihrer zukunftsträchtigen Seiten (Aufbewahrung, conservare),
3. die Integration dieser Seiten in die höhere Stufe der Entwicklung, wodurch sie eine neue Funktion erlangen (Erhöhung, elevare)[1], i. S. v. etwas vom Boden aufheben.
弁証法的なAufhebungはヘーゲルの哲学の中心概念である。彼は、二つの相反する主張の克服の過程を、積極的で価値のある要素を保持し、しかも改良され、否定的な要素をなくすという意味で、そう名付けた。ヘーゲルはドイツ語のAufhebenという一つの言葉の中に、相反する二つの意味が含有されている、言語もつ思弁的精神をみた。
1.改良の過程における終了(否定的克服) 例えば法律や政令の廃止にAufhebenという言葉は使われる。
2.将来に備えて現在の(大事なもの)を保持(保管しておく)という意味でもAufhebenという言葉は使われる
3.この相反する両者を組み合わせることによって、新しい機能、より高度な発展(高める)に到達する なにかを地面からもちあげるときも、Aufhebenという言葉を使う
それが闘争、階級闘争、革命闘争、に変わってきてしまったのは、ヘーゲル左派の影響なのである。ヘーゲル学派には、右派と中央派と左派があり、左派のシュトラウス、バウアー、マルクスたちは、ニーチェも含むかもしれないが、キリスト教否定であり、ヘーゲルを批判し、その帰結が、マルクスの唯物論、共産主義なのである。そして、このマルクス主義は、言論、思想の自由を認めない独裁体制であることもその後、判明した。
私は、大学生時代に父にヘーゲル左派、の話を聞いたから、ウィキペデイアで調べてみただけだし、長谷川良さんが歴史について述べられているようにblog.livedoor.jp/wien2006/archives/52265903.html、哲学について、私は専門家になる気もないし、反氏の主張通り私は無学で、反氏は専門家なので、ヘーゲル学派の詳細については反氏に任せるが、ヘーゲル中央派には、J.E.エルトマン、クーノ・フィッシャー、エドゥアルト・ツェラーのようなヘーゲルのAufhebenをめざしたドイツ哲学の伝統に根ざす「ほんものの哲学者」が存在したのではないのだろうか。ただ、ゲーテの主張するように、哲学者は難しい言葉で表現しすぎる、から一般人が理解することが本当に難しい、とつくづく思う。
私の方は、誰が投じるのか分かりようもないし、少なくとも私が指示したり依頼しているわけではないので何とも言いようがないが、順調にポイントを重ねている。トーマス・マンの終戦直後の米国講演である『ドイツとドイツ人』(“Deutschland und die Deutschen”)はフィッシャー書店版13巻本全集の第11巻に収録された(1126~1148頁)23頁の小篇だが、読まずにメルケル独首相の演説を引いて見当違いな御託を並べるしかない哀れな婆さん、ドイツ語が読めるはずなのに現物を確認せず、見当違いな法螺話を撒き散らすしか能がない、何より怠慢で相変わらず私の文章の使用も、引用符など全くつけずコピペで手を抜いて、投稿の体裁を整えているといった体たらくで目を蔽うばかりだ。
読者心理に寄り添えば、意向を明確に意識して説得のために知恵と技術、つまり措辞と論理構成を工夫するのが一人前の文章作法でプロの私と比べても気の毒だが、それにしてもカ氏のはただの恥のかき捨てならぬ「書き捨て」で救いようがない。
百年一日の如く、壊れかけた蓄音機さながら、ドイツの保守派礼讃の下らぬ御託しかない。
‘μήτε γράμματα μήτε νεῖν ἐπίστωνται’(Leges, 689D)
それくらい下らない、陳腐で退屈極まる「唐人の戯言」ならぬ老婆の幼稚園理論=「同工異曲」の愚劣な議論(λήρησις⇒‘Karoline Doctrine’)のオンパレードで、「他に言うことはないのか?」(‘Changez de refrain ! .’)という体の自滅(αὑτὸ φθορά)、自壊(αὑτὸ ὄλεθρος)のルフラン(refrain)だ。
私以外には誰にも相手にされないからだろう。
39②⇒【メルケル演説によると…の理由を考えなければならない、と主張】の条など、いかにも旧東独出身らしいメルケル首相の手前勝手な「東独革命論」など牽強附会の「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)の法螺話以外の何ものでもない。
37⇒【「ベルリンの壁崩壊」こそ、東ドイツ民衆が平和裏に勝ち取った「独裁政治」から、「自由と民主主義」への革命】は、自称「国際通」の割には国際政治の力学を全く知らない典型的な「物語思考」の妄説。
どこまで無知でお目出度いのか、ベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦構造の崩壊が、37②⇒【アメリカ型の政治、経済システムがソ連型の政治、経済システムに勝ったのではなくて、「旧東独」の市民が、命をかけて「旧西独」型の自由と民主主義を求めた結果】のような噴飯ものの愚劣な分析、37③⇒【一番影響力のあったのは、ソ連のゴルバチョフ書記長の決断、他国の政治に介入しない、という方針】には唖然とさせられる。
37③⇒【香港や天安門のような暴力デモではなくて】も誤りで、深い寸前の旧東独政府と強大な中国とでは、相手が違う。天安門事件の際に「暴力デモ」はない。軍が武力鎮圧に乗り出したから抵抗しただけだろう。
旧ソ連型のシステムの敗北は明らかで、ゴルバチョフの意向など関係ない。グラスノスチ(情報公開)も新思考外交も結局は旧ソ連体制の維持にはつながらず、旧ソ連は結局崩壊しているではないか。ベルリンの壁崩壊以上の世界史的事件だ。カ氏は無学な(ἀμαθής)うえに「K」印の「阿呆」(ἠλίηθιος)だから、歴史の構造的認識、ものごとを総合的に考える(συλλογίζεσθαι)ことができない。
ゴルバチョフの英断などどこにもなく、ゴルバチョフこそ、政治指導者失格なのだ。ただ、救いというか、彼が聡明だったのは無益な悪あがきをしなかったことだ。米国との核軍縮交渉、つまり核兵器削減交渉(START)でも主導権を発揮してはいない。
38⇒【本来の民主主義は、「国民の、国民のための、国民による政治」】に至っては、近代民主主義の本質を知らぬ精神の幼児の、民主主義の古典学説にも劣る幼稚な議論で、論評に値しない。
阪神淡路大震災の「忌日」ということもあろうが、皆が漸く起き出す午前6:13~6:16(37~39)に、作法と節度を弁えぬ無学なならず者(ὁ μοχθηρός)の怨み節(ἐπονείδιστον)を並べて自滅の暇つぶし(διατριβή)に余念がないようだ。
‘El tonto es vitalicio y sin poros.’ということなのだろう。οἴμοι.
☆余白に J. E. Erdmann、Kuno Fischer、Eduard Zellerはいずれも42⇒【ヘーゲルのaufhebenをめざしたドイツ哲学の伝統に根ざす「ほんものの哲学者」】ではなく、有能だが単なる哲学史家。
米国と兵器開発競争をした結果、ソ連は民生部門に陰りが生じ、親欧路線を取ったゴルバチョフ方式で、国力の下がったロシアは、冷戦時代に開発した兵器を石油マネーで潤う中東に売ることで、現在は生計をたてているのであって、現在は、親欧から、ユーラシア、中東重視に舵を切っている。売るものが、武器と石油関連しかないからであるが、このロシアのプーチン体制は、国際社会にとって、危険この上ないのではないのだろうか。
前回45の末尾=「☆余白に」に、⇒《J. E. Erdmann、Kuno Fischer、Eduard Zellerはいずれも42⇒【ヘーゲルのaufhebenをめざした…「ほんものの哲学者」】ではなく…単なる哲学史家》と書いたが、少々乱暴だったと反省して以下、⇒【哲学について…私は無学で、反氏は専門家】ということなので、補説する。
如上の三人を含め、所謂「ヘーゲル中央派」(中央党)は、有能な哲学史家を多数輩出した。ヘーゲル自身がその『哲学史講義』で、現在の哲学史研究に先鞭をつけ、歴史哲学の盛行も含めその影響が著しいうえに、19世紀はドイツの偉大な歴史家、ランケやニーブルの影響も加わって、ドイツ学界の哲学史研究が世界を席巻した。
ドイツ人の几帳面な性格も合致したのだろう。私も恩恵に浴しているZellerの大著『ギリシア人の哲学』(‘‘Die Philosophie der Griechen in ihrer geschichtlichen Entwicklung dargestellt’’, 1919~1923)はその後の改訂もあり全3巻6冊の蒼然たる大著で、各冊本文678~1106頁、総頁数5,309もある。記述の大半は、頁の半分以上を占める考証的註で、基本的に古びてはいない。
初版(1844~55年)完成までに8年を要し、その後も死ぬまで改訂を続けた。Erdmann、Fischerにもそれぞれ大著の主著があり、前者は19年、後者は23年を費やした。
よく哲学は「独創的思考」が第一義とされ、哲学史研究は二義的とされるが、俗説の典型で、多くの独創的的思想家は歴史に淘汰され、やがて消え失せる。
田中美知太郎も比類なき学殖が認められても「独創性に欠ける」として日本の学界で軽視されるが、田中は世界標準ではない、ドイツ哲学偏重の日本的傾向を歯牙にもかけなかった。
ヘーゲルの偉大さもaufheben、つまり弁証法(dialektik=διαλεκτικήに由来)の哲学者たる点にあるのではない。弁証法は論理学的には全くナンセンスだが、人間の自由に関するヘーゲルの洞察は、自由より必然を優先させたマルクスを遙かに凌ぐ。
Erdmannの『近世哲学史の学的叙述の試み』にはヘーゲルの『哲学史講義』(‘‘Vorlesungen über die Geschichte der Philosophie’’, 1843~43=講義録なのでヘーゲル死後の全集に収録された。編集はK. L. Michelet)の影響が残っていて、歴史的発展を跡づける記述は、哲学の歴史的発展を構成する主動的要因である「事実的因子」(sachlich-ligischer Faktorまたはpragmatischer Faktor)、つまり「ものごと自体」(Sache an sich)に含まれている、即ち哲学理論自体に含まれている論理的必然性によるのが本来だが、ヘーゲルの場合は、過去の哲学学説を自分の哲学に至る発展(Entwicklung)の前段階(Vorstufe)とみる傾向が顕著で、さすがにヘーゲルのように歴史的事実をすべて自己に都合がよい弁証法的発展=論理的必然のように裁断し、歴史を歪曲することはないが、理論的必然という側面を重視する傾向はErdmannにもあったので、歴史研究としては課題を残していた。
それでもErdmannは丹念に資料を掘り起こしており、ヘーゲル流の論理偏重の「先天的構成」(apriori Konstruktion)は免れている。
私事になるが、私は大学入学当時(1976年)、東京・神田神保町の洋古書店で同じErdmannの『哲学史綱要』(‘‘Grundriss der Geschichte der Philosophie’’, 1866)という、より理論的考究と歴史的研究が一体化した書物を2巻本の名著を購入し、出版から110年たっていたが愛読した。
カ氏の反論にも何にもならない、原理主義的な「民主主義信仰」の証左である47をみると、「頭が悪い」がゆえの一種の幼稚な理論信仰をみるようで、何とも痛ましい。
ケネデイー大統領が国際社会で尊敬されたのも、自由と民主主義を守ろうとされたからだし、戦後自由と民主主義ががなかったことを身をもって知るドイツのメルケル首相が一番大事だ、と思っておられるのも、自由と民主主義である。C.シュミットが「政治的なものの概念」で、反氏のような主張をし、政治は「敵味方」ルールで始まっているということに対して、猛然と反論したのも、「民主主義」を守りたかったH.ケルゼンである。日本の野党も、ムンジェイン大統領下の民主化運動指導者も、ほんとうの民主政治がわかっていない、と思うが、民主化運動と言うのは敵対することではなくて、妥協してわかりあおう、とする姿勢である。「話せばわかる」と言って暗殺された首相が戦前おられたが、お互いに理解し、妥協する努力をすれば、テロも戦争も起きない。反xx主義を煽るから、起こるのである。
とにかくその場しのぎのいい加減さで、単なる思いつきか思い込みの杜撰な議論しかできないカ氏の姿勢、事実関係を確認するための必要な作業を怠り、愚にもつかない法螺話を撒き散らすしか能がない愚劣で怠慢なカ氏とは違い、丹念な議論を心掛けるからだ。それによって、メルケルの独りよがりな姿勢を論証できた。
本欄読者の反応も概ね好意的で、マンの原文を引いた箇所にもハートマークが2つついている。他は4~3と関心をもっていることが分かる。50も含めカ氏の一本調子の議論が如何に手抜きだか分かる。とにかく、よくものを考えないで条件反射的に投稿を繰り返す浅ましさは比類がない。莫迦丸出しという外はない。
46の議論は支離滅裂の典型で、旧ソ連型の硬直したシステムが米国に完全に敗北したことが、ゴルバチョフが遅きに失した改革を訴えた背景にあり、それでも結局、傾いた体制を立て直すことができなかった、という私の指摘に、⇒【なぜ、ソ連型の経済モデルが失敗し、中国型の経済モデルが成功し…ているか、考えるべき】のような、見当違いな立論で反論の真似ごとをするしかできない。
冷戦崩壊前夜の旧東ドイツの体制転換と「中国型の経済モデル」云々の議論に何の関係があろう。カ氏は直前、「反氏こそが、肝心なことを、何も知らない、ことを明白に物語っている」のような負け惜しみも含め、39⇒【ソ連型の政治、経済システムに勝ったのではなく…旧東独…市民が…自由と民主主義を求めた結果】のような戯言を並べるだけで、中国システムに具体的言及はない。
恥を知るべきだ。
(参考:Der Spiegel, Geschichte, Die Weimarer Republik, Deutschland erste Demokratie,Der Sprengsatz, 歴史、ワイマール共和国、ドイツー最初の民主政治 爆薬,)
ところで、カ氏が過半をコピペでお茶を濁した44は、カ氏が如何に概念的思考(διάνοια)に向いていないかを示す典型的な事例で、おまけにドイツ語の水準も日本語同様に憐れむべき凡庸さなのがよく分かる。
ドイツ語を50年近く学び、今なおドイツ人の元教授とやらを講師に熱心に「お勉強会」を続け、「長い間ドイツ文化を勉強し…神髄を知る年長者のつとめ」(2018年9月14日・23)を自負する割には、何ともお寒いありさまだ。添えられた初学者並みの悲惨な訳文を検討しながら、検証する。
まず、訳文で区別を入念に示していないが、小池百合子東京都知事が滑稽にも「知ったかぶり」を発揮して使って記者を煙に巻いたヘーゲル哲学の中核概念[aufbeben]は、普通、「止揚」とか「揚棄」と訳される。ドイツ語の一般動詞である[aufbeben]には他の意味があり、ヘーゲルの用法は極めて特殊なものだ。
大文字の[Aufbeben]は[aufbebenする]という意味だ。元々は仰々しい騒ぎを意味する雅語。[viel Aufhebung(s) machen]は「大騒ぎする」「大げさに言う」の意味。
そもそもドイツ語の[auf]はいろいろな言葉の前につく前置詞として、合成語をつくる。①(空間的に)「~の上に」「~の方へ(向かって)」「~を目指して」「~に(で)」「~を用いて」 、②(時間的に)「~の間」「~の後で」「~に続いて」「~に応じて」「~にかけて(またがって)」「~に際して」――などの意味合いを付加する。
一方、[Aufhebung]は、哲学用語として[aufbebenする]ことで、他に会議などの「お開き」の意味で、終結、廃止の意味もある。[Aufhebungsklage]は取り消し訴訟、特に賃貸契約関係の解除を意味する。
このことを押さえて、44のドイツ語の記述を読むとよい。
最初の、⇒‘Die dialektische Aufhebung ist ein zentraler Begriff der Philosophie G. W. F. Hegels.’は、【弁証法的なAufhebungはヘーゲルの哲学の中心概念である】でも間違いでもないが、何のことか要領を得ない。「弁証法としての[aufbebenする]ということはヘーゲル哲学の中核概念」という意味だ。
続く、‘Er bezeichnet den Vorgang der Überwindung eines Widerspruchs, wobei die positiven, wertvollen Elemente erhalten und fortgeführt werden und die negativen entfallen.’は、⇒【彼は、二つの相反する主張の克服の過程を、積極的で価値のある要素を保持し、しかも改良され、否定的な要素をなくすという意味で、そう名付けた】としては何の意味かさっぱり分からない。
正確には「彼は矛盾の克服を、肯定的で価値ある要素を生かし継続させる際に、否定的な要素を解消することで、そう(Aufhebung=[aufbebenする]と)呼んだ(意味した)」というほどの趣旨だ。
[Widerspruchs]とはヘーゲルが一切の現実(Wirklichkeit=ἔργον γιγνόμενον)の発展的展開の推進力として最も重視した「矛盾」のことだ。「二つの相反する」は矛盾のことだろうが、「主張の克服の過程」とか、「しかも改良され」とか、カ氏が議論の内容を全く理解できていないがゆえの冗語が目立つ。
内容を理解できないで訳語を怖いもの知らずの素人感覚で充てていく、元劣等学生ならではの莫迦丸出しの「珍訳」だ。
カ氏のように「相反する二つの意味が含有されている、言語もつ思弁的精神をみた」では、「?」――「哲学音痴」のカ氏は、父親がHegelianの偏頗な左翼思想の信奉者だったにもかかわらず、「薫陶空しく」何も理解できていないようだ。阪神大震災で自宅が崩壊したにもかかわらず、「泰然自若」としていたという父親への日頃の悪態もどうかと思うが、父親の知的水準には足許にも及ばないようだ。確かに「出来損ない」(ὁ πονηρός)だ。
もっとひどいのは、続く⇒‘Er stellte die drei Momente der dialektischen Aufhebung folgendermaßen dar:’の部分を脱落させたまま、今なお(17日午後10時50分)放置している杜撰さと莫迦さ加減だ。気ままにコピペして、投稿の嵩増しを繰り返している安直さがその根底にはある。
「彼は弁証法的に[aufbebenする]ことの三つの契機を次のように示す」というほどの意味だ。三つの契機(Moment)とは、定立(These=θέσις)と反定立(Antithese=ἀντίθεσις)とのさらに新しい統一(Einheit)への移行である総合(Synthese=συναγωγή)のことだ。
つまり二つの矛盾(Widerspruch=ἀντίφασις)する概念(Begriff)が第三の概念の契機を構成することを止揚的契機(aufgehobenes Moment)といい、その過程が弁証法、即ち最も普遍的な概念や第一原理に到達する論理的方法になる。
ヘーゲルが、一切の現実(Wirklichkeit)は理性(Vernunft)、即ち理念(Idee)の表現(Ausdruck)であり、すべての存在(Sein)は実現された思想(Gedanken)にしてすべての生成(Werden)は思惟(Denken)の発展(Entwicklung)とする極端な主知主義者(Rationalist)であることにつながる。
汎論理主義者(Panlogist)であり、一種の非合理主義者(Irrationalist)でもあるヘーゲルを象徴する有名な一節、‘Was vernünftig ist, das ist wirklich;und was wirklich ist, das ist vernünftig.’(「理性的なものこそ現実的であり、現実的なものこそ理性的である」=‘‘Grundlinien der Philosophie des Rechts.’’, 1821)と説いた所以だ。
相手にするのも憚られる愚鈍さで、52⇒【反氏の主張は、文学的アプローチ】とか、意味不明なことをほざいている。莫迦が移るから相手にしない。⇒【どこにでもいる善良な人が、このような犯罪を起こした】の前に、「ドイツ(人)の」と付けなくてはならない。
国家の政策として欧州大陸のユダヤ民族を絶滅させようと、法律を作って合法的に、官僚組織を使って計画的に、流れ作業式に殺し続けた。どこにも「文学的要素」などない。
それにあたったのは「普通の」凡庸なドイツ人だ。H. アーレントは中心人物でホロコーストの実行責任者A. アイヒマン(Eichmann, K.A=親衛隊中佐)の裁判を論じた『イェルサレムのアイヒマン―悪の凡庸さについての報告』(“Eichmann in Jerusalem, A Report on the the Banality of Evil”, 1963.)で、それを縦横に論じている。[完]
篠田教授のブログのテーマが、政治家が選挙に勝つのが民主主義、とあり、その考えには私も賛成であるが、両極端にある、例えば保守と革新の二大政党制の政党の選挙に勝った政党のどちらか一方が好き放題の政策を実現する、例えば現在のアメリカのトランプ大統領や韓国のムンジェイン大統領のやり方、が民主主義、とは必ずしも思わないのである。ものごとの真理というものは、あれかこれか、ではなくて、その中間にあることが多いのであって、妥協し、話し合うことにより、よい法案や予算案、ができるのではと思うからである。
また、現在の糾弾、審議拒否、に偏った野党の姿勢から生産的なものはなにも生まれないし、日本が戦前軍国主義の日本になったのは、軍閥の主張と政権を取りたい立憲政友会の思惑が相まって、「統帥権干犯」や「天皇機関説反対」の政治運動が起こり、マスコミの応援も得て、軍部のテロと結びついたからである。この二つこそ、あれかこれか、の最たるものではないのだろうか。きっと蓑田胸喜さんの主張には、人の心をうつ説得力があったのだろう。
「帝国市民法」
「帝国市民法」は、「国籍所有者(Staatsangehörige)」と「帝国市民(Reichsbürger)」を明確に区別し、「帝国市民」は「ドイツ人あるいはこれと同種の血を持つ国籍所有者だけが成れる」と定め、「帝国市民」だけが選挙権や公務就任権など政治的権利を持つと定めた。さらに「帝国市民」はドイツ民族とドイツ国家に忠誠を誓う意志を持たねばならず、それはそれにふさわしい態度をとることでのみ証明されるとした
「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」
「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」は、ユダヤ人と「ドイツ人ないし同種の血を持つ国籍所有者」の婚姻、婚姻外性交渉を禁止したものであった。また45歳以下の「ドイツ人あるいはその同種の血を持つ女性国籍所有者」がユダヤ人家庭で雇われることやユダヤ人がドイツ国旗を掲げる事もこの法律で禁止された
https://ja.wikipedia.org/wiki/ニュルンベルク法
なのであって、この二つの法律が制定されてから、ユダヤ人迫害がよりひどくなったことは事実であっても、ナチスが法律を作って合法的に、官僚組織を使って計画的に、流れ作業式に殺し続け、ドイツ国民がそれを黙認していたわけではない。また、この法律を成立させた頃、ナチスの政敵は、収容所に収容され、政治活動ができなかったことも付け加えたい。そういう面では、日本中の大学で「天皇機関説」美濃部理論が禁止になった、以上の激しい思想弾圧、政治弾圧をナチスドイツはしているのである。
Ich möchte zum Schluß noch einmal Thomas Mann zitieren.
Er hat auch gesagt, Fantasie haben heißt nicht sich etwas ausdenken,
es heißt aus den Dingen etwas zu machen.
Für mich bedeutet das
Nehmen wir einander wahr,!
Hören wir einander zu!
Lernen wir aus unseren unterschiedlichen Erfahrungen!
Bauen wir auf ihnen im besten Sinne phantasievoll unsere gemeinsame Zukunft!
最後に、もう一度トーマス・マンの言葉を引用したいと思います。
マンは、ファンタジー、想像力、を持つ、というのは仮想現実を作り上げるのではなくて、事柄から何かを作りあげることです、とも言いました。
私にとって、その言葉は、
お互いに気づきあい、お互いに意見をよくききあい、
お互いにお互いの経験から学び、
想像力を駆使して、一番いい形で我々の共同の未来を作り上げていく、という意味です。
そして、メルケル首相が、民主的に共同して一番いい形の明るい未来をつくりあげるためには、妥協の必然性を強調していることも、もう一度繰り返しておきたい。
移転が都議会でも承認されていた東京中央築地市場の豊洲移転について、小池氏が土壌汚染の影響に懸念を表明していたのは事実だが、土壌を入れ替えても基準値を大幅に上回る移転敷地の汚染実態を示す地下水の具体的な数値や、用地獲得に動いた東京都と最初は渋っていた東京ガスとの水面下の交渉が明るみになるのは小池氏の当選以後、具体的に政治判断で移転計画をいったん白紙に戻して再検討に着手してからの出来事だ。
カ氏の議論は事実関係の推移を逆転させており、虚偽的な議論の典型だ。「頭が悪い」うえに怠惰だから問題の全容を理解できないのだろうが、小池都知事は白紙の政治判断をすることによって真相解明を目指し、真の、所謂「安心で安全な」市場を目指したというより、当面振り出しに戻して安全性を再確認したうえで移転・開場すれば選挙前の公約に沿い批判をかわせる上に、石原都政下で決まった移転計画自体ではなく、石原氏への政治的攻撃材料に利用することで、知事当選後も議会では多数派だった都議会自民党に対する攻勢を強める布石だったのだろう。所謂、「悪しきポピュリズム」政治の典型だ。
同じ神戸出身の婆さんだからでもあるまいが、カ氏がヘーゲルが説く[aufheben]の本質など何も知らない小池氏同様、41~42で戯けた議論を展開して露呈したドイツ語の理解の低劣さを57~61での冗語の割には一切言及せず、頑なに頬被りしているのも、小池氏同様、「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)だからだろう。
止揚=[aufheben]したあともそれぞれの矛盾的契機、つまり止揚的契機(aufgehobenes Moment)は残っており、次の段階に移行しただけだからだ。ヘーゲルはそれをより高い発展段階(die höhere Stufe der Entwicklung)と呼び、現実(Wirklichkeit)は絶えざる矛盾の対立による、矛盾を駆動因、つまり発展の起爆剤にする生成の過程だとした。
60⇒【反氏のコメント57の事実認定はまちがっている】というのも笑止な話で、事実認定誤認の対象となる記述が57末尾の前の段落を指すなら、カ氏自身も認めざるを得ないように(60②⇒【二つの法律(「帝国市民法」と「ドイツ人の血と名誉を守るための法律」=筆者註)が制定されてから、ユダヤ人迫害がよりひどくなったことは事実】)、法律を根拠に、国家の政策として欧州大陸のユダヤ民族を絶滅させようと合法化する根拠を提示しており、官僚組織を使って行政組織が計画的に、流れ作業式に工業的に、罪悪意識のない普通の凡庸な市民が日常的にユダヤ人を殺し続けたというのが、ホロコーストの紛れもない実態なのである。
竹山道雄(「ダハウのガス室」)ではないが、「ドイツ狂」のカ氏も含め如何にドイツ人が常に自分が正しいと言い張る癖(rechtshaberei)がある独善家(Haberecht)だか、如実に示す。メルケル独首相の強弁もその一環だ。
今回も♡マーク82獲得(18日11:50現在)の私に対し、カ氏=ゼロの意味は重い。ゼロで錯乱状態のK印の「阿呆」の自壊は近いようだ。οἴμοι.
「策士策に溺れる」の譬えもあるように、側近政治の塀もあって政治家本来の最も大切な資質である大局的判断力で致命的なミスを犯した。メディアを利用し手玉にとったつもりだったろうが、得意のメディア戦略の誤りで逆に攻撃され追い落とされる形で、お山の大将の希望の党を率いた前回衆院総選挙で記録的な大敗を喫し、自身は遠く異国のパリに「逃亡する」体たらくだった。
カ氏の64⇒【都知事選で豊洲移転反対をはっきり言われなかったとしても…】云々は、59で⇒【政治的主張は、豊洲移転反対で…理由を土壌汚染や水面下の交渉…とし、様々な数値や疑惑を提出することによって、都民の支持を得て、選挙に勝った】という致命的な事実認識の言い訳にも何にもなっていない。
どこかからコピペで引き写した文章で煙幕を張っても無駄だ。豊洲移転延期の政治判断と知事選勝利に何の因果関係もない。都知事選で移転延期を具体的に示唆してもいない。
[aufuheben] =止揚についても同様で、このヘーゲルの弁証法論理に基づく述語は、ヘーゲル哲学の骨格となる思考法を理解しなければ、戯けた素人論議をいくら並べても唐人の戯言にすぎない。Wikipedia程度の稚拙な解釈さえ誤独する「頭の悪い」カ氏には手に余ろう。
65⇒【私の主張がまだ理解できないのか】のような泣き言を並べる前に、ドイツ語の真っ当な読解さえ覚束ない自らの惨状を得と思い知ることだ。私相手にヘーゲル論など百年早い。
[aufuheben]が65②⇒【正反対の意味、廃止すると保管する、という二つの意味】といっても、それは、③⇒【それを話し合うことによって、妥協すること】という意味ではなく、矛盾の自己運動を示す弁証法論理を示したにすぎない。οἴμοι.
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