先週、「外交問題としてのコロナ」という記事を書いたがhttp://agora-web.jp/archives/2044664.html 、松川るい参議院議員の「『国際宣伝戦にも勝つ』との意識を」(夕刊フジ3月10日号)という同趣旨の記事を見て、我が意を得たり、という気持ちになった。松川議員のように語学堪能の国会議員の方には、特に頑張ってもらいたい。
私自身は、この一週間アフリカに出張していたが、まだ感染者が出ていない国でも、入国時に全員の熱を測ってくる。旅行者がホテルで見るのは、CNNやBBCばかりで、いずれもトップニュースはコロナ・ウィルスだ。世界的に関心は高い。
この一週間で、一気に日本の感染者数を欧州諸国が抜き去っていった。ところが、まだまだ世界の一般の人々の間では、コロナ・ウィルスは東アジア人から広がるという印象が根深い。中国人も日本人も見た目では区別できない、ということだけではなく、日本の状況が知られていないのだ。そのため、日本人に対する入国規制も広がり続けている。
今どきは、アジア諸国の政治指導者でも、CNNやBBCのインタビューを受けて、英語で直接メッセージを発するのが普通だ。ところが、日本の場合には、これがない。 代わりに、どこから現れるのか無名の日本人が、欧米人が好みそうな内容を、根拠も示さず、あまり上手とは言えない英語で、ボソボソと喋っている。それを外国のテレビで見るたびに、私は嫌な気持ちになる。彼らがしきりに、「日本にはもっともっと沢山の感染者がいる」といった話を力説し続けているからだ。
政権に批判的な人が欧米系のメディアで受けてはいけないとは言わないが、ちょっといびつすぎる。 なんとかして日本を貶めようとするだけでなく、日本よりも欧州で感染が広がりやすい要素があるかもしれないこと、たとえば握手文化その他の濃厚接触、手洗い環境の不足やトイレの衛生状況、マスクをしたがらない文化などの点を示唆してあげても、人類全体の利益にかなうところがあるのではないだろうか。
客観的に政府の立場や日本社会の状況を英語で伝える人物を、CNNやBBCに出演させる方法はないのだろうか。
私自身は、この一週間アフリカに出張していたが、まだ感染者が出ていない国でも、入国時に全員の熱を測ってくる。旅行者がホテルで見るのは、CNNやBBCばかりで、いずれもトップニュースはコロナ・ウィルスだ。世界的に関心は高い。
この一週間で、一気に日本の感染者数を欧州諸国が抜き去っていった。ところが、まだまだ世界の一般の人々の間では、コロナ・ウィルスは東アジア人から広がるという印象が根深い。中国人も日本人も見た目では区別できない、ということだけではなく、日本の状況が知られていないのだ。そのため、日本人に対する入国規制も広がり続けている。
今どきは、アジア諸国の政治指導者でも、CNNやBBCのインタビューを受けて、英語で直接メッセージを発するのが普通だ。ところが、日本の場合には、これがない。 代わりに、どこから現れるのか無名の日本人が、欧米人が好みそうな内容を、根拠も示さず、あまり上手とは言えない英語で、ボソボソと喋っている。それを外国のテレビで見るたびに、私は嫌な気持ちになる。彼らがしきりに、「日本にはもっともっと沢山の感染者がいる」といった話を力説し続けているからだ。
政権に批判的な人が欧米系のメディアで受けてはいけないとは言わないが、ちょっといびつすぎる。 なんとかして日本を貶めようとするだけでなく、日本よりも欧州で感染が広がりやすい要素があるかもしれないこと、たとえば握手文化その他の濃厚接触、手洗い環境の不足やトイレの衛生状況、マスクをしたがらない文化などの点を示唆してあげても、人類全体の利益にかなうところがあるのではないだろうか。
客観的に政府の立場や日本社会の状況を英語で伝える人物を、CNNやBBCに出演させる方法はないのだろうか。
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モーニングショーのやり方だと、Covid19を封じ込められない.米英、韓国がどうあろうと、ものごとを文明的、合理的に考えるべきなのである。PCR検査は万能薬ではなく、日本中の国民の検査を全部したところで、刻々と変わっていく状況の変化に対応できない。またその要求は日本の医療システムのキャパを超え、救える人を救えないことにつながる。今までのPCR検査で大体の傾向はわかるし、微分、積分ができても、状況次第で刻々と変わっていくCovid19の患者数がこれからどう推移するかなどということは予想できない。玉川氏というのは、京大農学部卒だそうであるが、数学がわかっているのだろうか?
1・ インフルエンザと違って、人類にはCovid19の免疫がないので、 大人の70%はかかるだろう、と予測している。
2.ドイツの場合、ウィルスは、早く拡散しすぎて、医療システムのキャパを超えるので、隔離はしない。
3.インフルエンザとの違いは、予防と薬の差である。もちろん、中国でさまざまな薬が使われ、Covid19の薬剤が開発されているが、許可された薬剤や療法はない。インフルエンザにはワクチンがあり、特効薬がある。
4.Covid19の生命を脅かすような重症化率はインフルエンザより高い。感染力はWHOのデータによるとインフルエンザウィルスより強い。一人が2人から2.5人感染させる。
5.インフルエンザの潜伏期間、感染してから自覚症状が出るまで3日程度であるのに対して、Covid19は、5-6日である。インフルエンザは、自覚症状が出る前に他人に移しているが、Covid19は発症する24-48時間前に人に感染することがわかった。WHOによれば、その症例はめずらしく、ほとんど感染に役割を果たしていない、ということであるが、この事実は、Covid19への対処を安易にするかもしれない。
6. 子供の場合、インフルエンザのように明白な症状を出さない。子供は、大人と同じように感染するが、健康であり続ける、という分析がある。また、子供は大人からこのCovid19を感染するが、大人は子供から感染しない、とされている。子供がこの病気の拡散にどのような役割を果たしているか、今までのところはっきりとはわかっていない。
7.インフルエンザの場合、重症の経過をたどる危険なグループに子供、妊婦、高齢者、慢性疾患をもつ人とされたが、Covid19の場合、今までの研究では、子供と妊婦は危険なグループに含まれていない。
ところで、今回もパラノイア気質の偏執狂の老婆が早速、1の冒頭から「コピペ狂い」ぶりを発揮して大騒ぎしている。まるで狂乱状態で、1は全部で334文字のうち篠田さんの文章を214字分=64%もコピペして貼り付け、「ドイツ狂い」らしく、⇒【どうしてドイツのマスコミのように、まともな人がコメンテーターならず、おかしな人を専門家】と書き殴って溜飲を下げている。
5などは、前回のものとはいえ、まだ1日しかたっていない9日08:30・60のドイツの週刊誌Der Spiegel電子版に掲載のドイツの知見というだけの文章を、「インフルエンザとCovid19の差」なる表題を付して全文を「断り書き」もなく651字分、そのままコピペして再投稿するという大胆さで、偏執狂の妄執をみせつける。
お頭の方は、さっぱりのようで、4⇒【重傷者(重症者=筆者註)を治すことが目的ではない…本来救える命を医療破壊によって、死なせないようにする…が目的】のような、自家撞着に気づかない。6⇒【重病化する人、高齢者、慢性疾患を持つ人をグリーンゾーン…日本の医療システムのキャパをのこして】のようなことは現実には不可能なことにさえ、思い至らない。
☆余白に 前回75⇒【ドイツのアラマン族】とあるが、厳密には「アレマン」(Alemán[Alemana])とは、スペイン語でドイツ人の意味。ドイツは[Alemania]。元々は蔑称。
また、水際対策としての初期段階での入国制限実施の適否など、国際標準に照らして、検疫に甘い国だと誤解されたり、侮られたりする面も否定できない。それらは直接間接に日本の国際的信用を失墜させ、諸外国に伍して国益を追求する際に不安要因とも足かせともなる。そして、今回の篠田さんの指摘を待つまでもなく国際的な情報戦で弱点をさらけ出し、諸外国の後塵を拝する由々しき事態を招くことになる。元外交官の自民党参院議員、松川るい氏の説くように、「国際宣伝戦に勝つ」展望と戦略は欠かせない。
その視点から政府や政治家の情報発信をみると、何とも心許ないのは事実だ。それは単なる語学能力不足だったり、メディア対策の立ち遅れだけではなく、本篇のタイトルが示す通り、それこそ、危機対応に臨む日本固有の、日本的戦略的思考の欠如、謂わば、克服すべき「伝統的な課題」ということになる。
その点で、油断ならないのが中国で、早速、体制維持のため、至上命題である経済再生に向け、なりふり構わぬ宣伝工作、プロパガンダに踏み出したことは周知の事実だ。
中国当局発表の数値をそのままにわかに信用できないものの、感染がイタリアなど欧州で10日前までは想定もできなかった急激な拡大をみせるのを尻目に、習近平主席が10日午前、「震源地」の武漢を視察して成果と指導力をアピールしたように、防疫策とは次元を画した局面で、国際社会の新たな駆け引きが始まっている。
平仄を合わせるかのようにテドロスWHO事務局長が9日、感染が世界105国・地域に拡大し、「pandemic(世界的大流行)の脅威がより現実味を帯びてきた」と危機感を募らせる、各国に一層の拡大防止策の徹底を呼び掛ける一方、感染確認国・地域の79は感染者数が100人未満という現状認識とともに、「pandemicの判断にはなお状況の見極めが必要」として最終判断を留保し、「人類が初めてpandemicをコントロールできる最初の感染症」として大流行を抑えられると、半ば居直りともとれる強気の発言に終始したのは、世界全体の感染者数(107,807人)の74.9%を占める中国で、感染者の74.2%が既に退院し回復しているとの中国当局の「宣伝工作」が影響しており、WHOをめぐる陣取り合戦の様相だ。
中国以外の感染者が27,000人を超え、死者も525人に達した現段階が既にpandemicの状況を示しており、感染対策の司令塔WHOの責任者の責任逃れの時間稼ぎ的発言の側面もあり、この点でも認識と評価をめぐって、「国際政治がうごめいている」。
そうした観点から中国の地図をみると興味深い。武漢市のある湖北省の周辺に、東に安徽省、浙江省、江蘇省、南に湖南省、江西省、広東省、西に四川省と重慶市、北は河南省と陝西省。感染者は最大の広東省が1,353人(死者8)から最小の陝西省245人(死者1)で、1,000人を超すのは河南1,272人▼浙江1,215人▼湖南1,018人にとどまる。
河南、湖南はこの5日間増えていない。北京市も429人で5日間で15人増えたが、新たな死者は出ていない。上海市は4人増え342人。
回復を示す退院率は安徽99.4%▼河南98.0%▼浙江98.0%▼湖南97.1%▼広東93.9%――で、不自然な数値が並ぶ。
中国はそういう国だ。
初期にこういう報道があった事をご存じでしょうか。
「管轄国イギリスもアメリカの船会社も頬被りし、ニューヨーク・タイムスは日本叩き」
http://blog.jog-net.jp/202003/article_1.html
(引用開始)
「我々は細菌培養皿の中にいる-コロナ・ウイルスはいかにクルーズ船を破壊したか?」と、おどろおどろしいタイトルで、その記事は始まっている。冒頭のリード文はこうだ。
__________
日本が検疫を課すまで3日以上もかかった。この遅れと、その他の失策によって、中国以外での最大のウイルス感染が引き起こされた。[Rich、2020、拙訳]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
タイトルの背景の写真は、2月2日、日本への到着前夜のダンスパーティの様子だ。恐ろしいウィルスの存在を知らされずに、乗客たちがダンスに興じている。迫りくる破滅に気がつかずに最後の夜を楽しむ乗客たち。いかにもホラー映画の一場面だ。ニューヨーク・タイムズ(以下NYT)2月22日付けの記事である。
記事は長々と、日本の「失策」のために乗客と船員たちが「細菌培養皿」の中で危険に晒された「悲劇」を詳細に描いているが、根本の所の事実誤認があり、それが明らかになると、すべてが崩れてしまう内容となっている。
(引用終了)
記者は"Motoko Rich"。肩書きは同紙の東京支局長でNYTの東京支局は朝日新聞社内にあります。
日本の極左が、海外と日本でキャッチボールをして騒ぎを大きくしています。この記者は、朝日新聞の従軍慰安婦キャンペーンを今でもやっています。
この番組でフェイクニュースを流された厚生労働省がツィッターで反論したという出来事があったことをネットで知った。唖然としたのは、それに対して番組関係者が「権力側からの圧力だ」と非難したとのこと。
彼らは、ネットでウソのニュースやデマが流れたら「フェイクニュース」と批判するくせに、自分たちが「フェイクニュース」だと批判されたら「弾圧だ」と抗議するのである。
電波の私物化と言わずしてなんと言えばよいか。
彼らは、自分たちのエセ報道が公けに知られることを恐れているのだ。真実を報じているという自負があるなら客観的事実をもとに堂々と対決するはずだ。こういった甘えを助長したのが、いわゆる日本の記者クラブ、それと新聞社とテレビの「マスメディア集中」である。
先進国では、マスメディア集中排除原則があることが多くの日本人に知られてきたが、まだまだ知られておらず、歯がゆいものだ。特に新聞テレビしか見ない高齢者はほとんど知らない。私の母親などもメディアに関心が強いが全く知らなかった。
ところが、今やドイツの感染者数は日本を追い抜いている。日本の検査数が少ないという指摘があるが、検査数が増えても、感染者数の増加速度がそれほど変わってないということは、そこそこ抑制に成功しているということだろう。
篠田さんは、公共の交通機関を気にされていたが、交通機関は意外とドアの開け閉めや換気で車内の空気が入れ替わっている。それに対して、ライブハウスやスポーツジムのような汗の発散が多く、長時間に渡って滞在する空間がヤバそうである。
・近代を振り返るに明治の時代は、福沢諭吉や岡倉天心、新渡戸稲造、それにラフカディオハーンのようにキラ星のようにすぐれた発信能力をもつ国際人が多かった。
・ところが、マスメディアが世に台頭し、世界の近代国家の脆弱な民主主義を翻弄したが、日本は特にマスメディアの皮相性が悲惨だった。
・帝国主義や共産主義など各種イデオロギーに翻弄され、大正リベラリズムの時代を経て軍部も台頭し、経済恐慌やブロック経済など現実の混乱を目の前にして、思想や言論は自立性を無くし、大衆メディアが世論と政治をかく乱した。
・混乱した知性の代表が一世風靡した徳富蘇峰などだったと思われる。
(そして、戦後)
・言論空間はほぼ左翼の独壇場となり、相変わらず幼稚なマスメディアが世論と政治を左右する。日本の左翼が構築した海外の共産主義勢力とのネットワークが、共産主義衰退と並行して、海外の自称リベラルと連携した反日ネットワークに移行していく。(反日ネットワークや自称リベラルは北朝鮮の地獄や中国の独裁などを問題とせず、いかに日本の戦争反省を蒸し返すかに全霊を傾けた)
・この反日ネットワークをいかに突破するかが、過去しばらくは日本の課題であったが、ネット普及後の現在においては、「反日ネットワークは泳がせておけ」「泳いで泳いで馬脚をあらわしたら見世物にしろ」という戦略に変わりつつある。
・近代を振り返るに明治の時代は、福沢諭吉や岡倉天心、新渡戸稲造、それにラフカディオハーンのようにキラ星のようにすぐれた発信能力をもつ国際人が多かった。
・ところが、マスメディアが世に台頭し、世界の近代国家の脆弱な民主主義を翻弄したが、日本は特にマスメディアの皮相性が悲惨だった。
・帝国主義や共産主義など各種イデオロギーに翻弄され、大正リベラリズムの時代を経て軍部も台頭し、経済恐慌やブロック経済など現実の混乱を目の前にして、思想や言論は自立性を無くし、大衆メディアが世論と政治をかく乱した。
・混乱した知性の代表が一世風靡した徳富蘇峰などだったと思われる。
(そして、戦後)
・言論空間はほぼ左翼の独壇場となり、相変わらず幼稚なマスメディアが世論と政治を左右する。日本の左翼が構築した海外の共産主義勢力とのネットワークが、共産主義衰退と並行して、海外の自称リベラルと連携した反日ネットワークに移行していく。(反日ネットワークや自称リベラルは北朝鮮の地獄や中国の独裁などを問題とせず、いかに日本の戦争反省を蒸し返すかに全霊を傾けた)
・この反日ネットワークをいかに突破するかが、過去しばらくは日本の課題であったが、ネット普及後の現在においては、「反日ネットワークは泳がせておけ」「泳いで泳いで馬脚をあらわしたら見世物にしろ」という戦略に変わりつつある。
ついでに?書きますと、国際社会は、日本国内の複雑怪奇な思考ゲームにはほとんど興味ないだろうし、日本特有のエセ学問がいかにガラパゴス的に幅をきかせているかも理解不能でしょう。(もし、そこまで洞察力のある外国人なら、自国の実践的社会活動や知的活動など、もっとマシな他のことに洞察能力を使っているはずです)
「エセ学問」とは、公務員試験の出題を牛耳っているから俺様たちは日本の学問の権威だ、賢者の共同体!だという連中もそうでしたが、
朝日新聞の大佛賞を篠田氏に与えながら、篠田氏が憲法学者を批判しはじめると、今度はギリシャ哲学を盾にして憲法9条を守ろうという訳のわからない学者に大佛賞を与えてバランスをとろうとしているようにしか見えない陰湿な光景です。
こういった不思議なネットワークが出来上がっていて、それらが、あたかも知の権威であるかのように守旧マスメディアに持ち上げられはされるが、不思議なことに誠実で活発な議論がほとんどなされない。
ネットでこきおろされることもあるが、自称「知の権威」は煙をまくような議論を高台から発射するだけでシャバに降りてくることもない。
本当の「知の権威」とは、風変りなレトリックでごまかすでもなく、万人または市井の人々の常識を進化させるような対話能力または知的誠実さこそに表れるのではないか。
昨日の、政府の専門家会議の見解も、陽性と判定された人の80%には、感染力がない、であった。また、昨日のプライムニュースで、元経産省の官僚、細川昌彦さんが、確かにPCR検査の総数は日本は少ないが、日本のCovid19の死者数が少ない。また、医師に発病の可能性がある、という理由で勧められて検査をした人を含めたPCRの陽性率が諸外国と比べて低い、ということは、日本は諸外国と比べて、Covid19が蔓延していないのではないか、と主張されていたが、私も不良品が出た場合の、自動車の部品の抜き取り検査を例に、同じような主張をした。国家公務員試験の上級試験は、法律だけではなくて、数学的なセンスがなければ高得点が取れないのであって、特に、経済産業省のような人気官庁の官僚には、数学のセンスがある人が多い。
「パラノイア気質の偏執狂の老婆」、ではなくて、「知的好奇心旺盛な老婆」が文明的、合理的に考えた結果は、Covid19は夏になれば収束する病気でもないし、中国の例で明らかになったように、退院した13%が、再び陽性になること、感染力が強い病気であるということから考えて、Covid19は、封じ込められたり、勝利できる病気ではない。長い期間の戦い必要である。ただ、発病しても、80%は軽症で、80%の感染者は他人に感染させない、という事実もある。また、L型は感染力が強いが、S型は低いこともわかっている。また、この病気は、感染者が潜伏期間中の無自覚状態の期間、発症する前の48時間から24時間の間に感染させる多くの菌を放出する、というSpiegel誌の報道もある。日本の場合を考えても、大規模なクラスターが実際に起こった場所は、ライブ会場やさっぽろ雪まつり、スポーツセンターで、元気な人が行く場所で、仕事でもないから、通常、体調の悪い人はいかない。つまり、L型に感染した発症前48-24時間の人が、大規模なクラスターの感染源になっているのではないのだろうか。もし、PCR検査でL型、S型の差がわかるのなら、大規模クラスターの濃厚接触者のうち、まだ発病していないL型の人々を一定期間、完全に隔離することで、感染者数を大幅に減らすことができる。
普段だと、薔薇の指さす(ῥοδοδάκτυλος)夜明けに(ἃμα τῇ ἡμέρᾳ)先立って、性懲りもなく狂犬(μανικός κύων)のように吠えるのだが、本日11日は、東日本大震災の忌日ということもあるのか、「クズ」投稿の大量生産は幾分影を潜めているようだ。
しかし、中身は相も変わらぬヒステリー状態(δυσχερής ἕξις)同様、何ら変わりはないようで、イライラする(δύσάρεστος)自分を自分でけしかけるように興奮して(ταράσσεσθαι=be agitate)、益体もない下らない御託を並べ、残りは愚劣な言い逃れ(πρόφασις)と弁解(ἀπολογία)、愚痴(σχετλιάζειν)と怨み(φθόνος)で、それに飽きると、早速軽躁な(ῥᾳθυμηος)本性を剥き出しにして、おしゃべり屋(ἀδολέσχης)の老婆特有の他愛もない無駄話(ὁ λεγόμενος γραῶν ὕθλος)に終始する。
笑止な自己弁護に我を忘れて(ἀσχολεῖσθαι)、大方の読者がこれまでの醜態を大目にみる(ἐάω)と勘違いしているのか、未だに中国寄りの「保身体質」もあってパンデミック(pandemic=世界的大流行)宣言を渋っているWHOが言い出したらしい「インフォデミック」(infodemic)なるご都合主義の造語をもち出して、印象操作(κακῶς εἰκάζειν=give a false impression)を言い募り、自らの過去の行状=経過を歪曲して(διαστρέφειν)平気で嘘をつき(ψεύδομαι)、見当はずれな法螺話に浮かれている。
誇大妄想と被害妄想が一体化した典型的な偏執狂の症状で、19⇒【「知的好奇心旺盛な老婆」が文明的、合理的に考えた結果】には言うべき言葉をしらない。
19③⇒【私は、できるだけファクト、公式の機関、具体的にはder Spiegel誌に掲載されるコッホ研究所、WHOを「コピペの手法」を使って訳して紹介し、それに基づいて、自分の意見を作り上げている】も、「コピペの手法」は余計で、ただの単なる怠け癖だろう。
偏執狂には「ファクト」(ὅτι=Tatsache)、「客観的」(καθόλον=objektive Tatsache)「独自の」(ἴδιος=eigen)、「意見」(δόξσμσ=Meinung)に、それこそ「特異な」(eigenartig)莫迦げた(μῶρος)定義(ὁρισμός)という名の手前勝手な基準(κριτήριον)があるようで、以前にコピペを称して「印刷術」と称していたようなK印(Κ σημεῖον)の狂信家だから、相手にするだけ莫迦莫迦しい(καταγελάσιμος)。
常人には理解を絶する(ἀξυνήμων)莫迦話(λήρος)でしかなく、莫迦げた言いよう(φλυαρεῖν)をからかっても仕方がない。
矯激なメディア批判では同類(συγγενής)らしい「旧会社員」氏の、放蕩息子(υἱός ἀσώτως=ζῶν ἀσώτως)の帰還ならぬ再登場を援軍(ἡ βοήθεια)か救い主(ὁ σωτήρ)のように無邪気に喜んでいる辺りに、老婆の滑稽さとお目出度さがある。
何んともご気楽だから、毒にも薬にもならないと高を括る諸氏が多かったせいで、本欄でのここまでの増長(ὑψηλὰ)と愚劣な議論(λήρησις⇒‘Karoline Doctrine’)の跳梁を許したのだろうが、「阿呆」を無責任に(ἀνεύθυνως)おだてたり、面倒を嫌って言及を憚ったり(αἰδεῖσθαι)、適当にあしらって放置するのは、一面、柔軟な(μαλακός)ようで、日本人特有の懦弱さ(ἀσθένεια)の表れであり、無責任(ἀνυπευθυνος)で不誠実な(ἄπιστος)な態度だろう。一種の奴隷根性(δοῦλοψυχία)と言える。
無責任で矯激な言辞には、その資性と責任を問う(ἀἰτιάομαι)というのが当たり前の誠実な(πιστός)態度であって、それを逡巡したり(μέλλειν)怯む(ἀποκνεῖν)のは単なる怯懦(δειλία)であり、知的な鷹揚さ(ἐλευθεριότης)とか寛容(ελευθερία)とは呼ばないし、賢い対応とも言えない。高が、トチ狂った婆さんのヒステリーではないか。
老婆の議論が如何に愚劣かは、政府の専門家会議が公表した見解のうち、《(2)一定条件を満たす場所からの感染拡大》と題した項目の記述、⇒【これまでに国内で感染が確認…のうち重症・軽症に関わらず約80%…は、他の人に感染させていません。一方で、一定条件を満たす場所において、一人の感染者が複数人に感染させた事例が報告】の部分を、確定した科学的証拠=evidenceのように読み違えて、74⇒【Covid19は…二つの感染病(感染症⇒スペイン風邪とペスト=筆者註)と違って、子供の病状は軽く、潜伏期間が長く、80%の人は感染させないが、残りの20%が感染させる力が驚異的に強く…ということが、中国の研究でわかってきた】のような主張に短絡することだ。
【重症・軽症に関わらず約80%…は、他の人に感染させていません】という主張は、感染者の「80%は他人に感染させる能力がない」と、反証可能な(falsifiable)証拠を提示して断定しているわけではない。もとより、個々の感染者の感染力の数値(基本再生産数)をつかんでいない。
感染者のウイルスを遺伝子レベルで解析して個々の特性を確定し、具体的な感染連鎖のメカニズムを実証していない。あくまでも仮説に基づく蓋然的な議論をしているだけだ。「感染させていません」ということの含意は、「感染させた」と合理的に推定可能な証拠がない、示すことができない、というほどの意味だろう。
その意味では、同じく「この一両日で明らかになった」という限定がつく、報告書の《(1)症状の軽い人からの感染拡大》の部分、⇒【これまでは症状の軽い人からも感染する可能性があると考えられ…北海道などのデータの分析から…症状の軽い人も…感染拡大に重要な役割…なかでも、若年層は重症化する割合が非常に低く、感染拡大の状況が見えないため…多くの中高年層に感染が及んでいる】は、単なる帰納法的仮説で、「そう考える以外に合理的に説明できない」という以上の説得力(πειθώ ῥώμη=οὕτω πιθανῶς⇒「もっともらしさ」)をもたない。
いずれにしても今回の新型感染症の科学的解明は始まったばかりで、政治家が指揮を執らざるを得ない防止対策は、説得力をめぐる戦いなのだ。
その点で、安倍晋三首相の全国一斉休校要請も合理的根拠を欠く点では同じだが、感染症対策の大原則=封鎖を一種の外科的措置(τομή=surgical operation)として決断したわけで、非常時の政治家の行動としてはけっして非合理的ではない。[完]
政府の休校措置など自粛要請期限、本来なら3月2日からですから、それから2週間(≒潜伏期間)の3月16日が期限です。国の専門家会議尾身茂副座長によると3月19日まで、今の政府の活動自粛要請を継続してくれ!!ということです。自治体を含む各種措置の効果の検証には、19日まで見てみる必要があると、NHKのTV出演で発言していました。(昨日NHKニュースW9)
いつ、日毎感染者数がピークになるのかなったのか!?現時点では、わかりません(感染源の中国は明らかにピークアウトしたようです)。専門家会議としては、19日まで待ってその日までの各種データから、今回の政府の施策の結果の検証及び医学はもとより数学と統計学を使って、今後の見通しを判断できるだろう!ということだ!とGは、理解いたしました。
感染が急拡大するイタリアで現在、拡大の勢いを力ずくで(κατὰ τὸ καρτερός)抑え込もうとすれば、日本でもその一部が実施されているような強硬措置(τομή)は、最善(βέλτιστος)ではないとしても、しかもその効果が、数学的期待値(mathematical expectation)として前もって計算できず不確実だったとしても、最悪の(χείριστος)事態を回避する(φεύγειν)ために、緊急避難的に避けられない選択肢なのだろう。
代替可能な(ἀποστροφή)次善の手立て(ὁ δεύτερος πλοῦς)を手探りする政治的決断はそのためにある。即ち、犠牲を払う(θύειν)ことなしに八方が丸く納まる「正解」(δίκαιος ἀπὸκρισις)などどこにもない世界で、見解の相違を超えて難問(ἀπορία)と向き合い、自らの見解(δόξα)とは相容れない(ἐναντιότης)相手に対し、説得(πείθεν)を試みるのが政治であり、説得力のある(πιθανός)議論は科学者や専門家にできても、決定の主体、役割は政治家のものだ。
昔だったら唯一人の(ἑνός)決定権者である専制君主(τυράννους)、未開社会だったら神官(ἱερεύς)の役割になるが、現在社会では政治家しかいない。神官はもとより、科学者や専門家といえども、不確実な将来を予見する(ἀπομαντεύομαι)ことはできない。虫の知らせ(μαντεύεσθαι)もあろうが、説得力を生まない。
帰趨を前もって、(κακῶς)を掌握することは何ぴとにもできない。将来にかかわる不確実性(τὸ ἀφανές)の領域だからで、相当程度の計算(λόγος)が可能なのはリスク(ὁ κίδυνος)だけだ。
そして、この世は計算できてもリスクなしに(ἀκίδυνος)済むことは滅多にないから、人々は危険を冒す(κιδύνευμα)ことをますます嫌い、虫のいい話ばかりする。よりましな(βελτιων)結果を覚悟するより欲張って、タイミング(ἡ εὐκαιρία)を失い、ぐずぐずして(ἐνδοιάζειν)より悪い(χείρων)結果を招き寄せがちだ。
そして、メディアの影響力による世論形成などの混乱があっても、民主制の下での合意形成に伴うコストとして、ある程度受忍せざるを得ない。
しかし、世界には別種の力と思惑で動く国家がある。典型的な例が新型ウイルスの震源地であり、目下、感染拡大を封じ込めたと自称する中国であり、感染者は一切出ていないと強弁しながら、朝鮮人民軍兵士に既に180人の死者が出て、3,700人が隔離されたとの報道もある北朝鮮だ。抜け穴だらけの国境を接して国連の経済制裁をかいくぐってきた北朝鮮は現在、国境を完全封鎖している。何が起きているかは、相当の蓋然性をもって推測できる。
中国の統計で最も不自然なのは、最近の発生者数であり、回復を示す退院者数の推移だ。7~10日はそれぞれ、46⇒40⇒17⇒13人と減り続けている(累計80,778人)。人口14億人を超す国家で、徹底した感染防止策が最近話題になっている南京市のような統制が全土で可能とも思えない。死者は湖北省のみ22人増え、3,158人に。
欧州は大変だ。イタリアの感染者が1万人を超え10,149人に、死者も一気に168人増え631人だ。スペインの急拡大も際立つ。2,026人にまで増え、死者は47人。ともにフランスを抜いた。
数字は正直だ。中国は、新型感染症を別の病気に分類し始めたのかもしれない。科学では解明不能だ。偏執狂の老婆なら、分かるかもしれない。
本来、ものごとは、専門家かどうかわからない人が作っている「マスコミの世論」の惑わされずに、専門家の知見、データに基づいて政治家はものごとは考え、決め、指揮をとらなければならないのではないのだろうか。
Corona-Krisenpolitik Regieren oder nicht regieren
コロナ危機の政治、管理するか、しないか
Ein Kommentar von Sebastian Fischer
解説:セバスチャン。フィッシャー
危機は行政府の出番である。という言葉はどうすばらしい意味か。行政がうまく統治したと示すことができるからすばらしいのである。コロナ危機はその教材を提供している。
11.03.2020, 19:02 Uhr
https://www.spiegel.de/politik/deutschland/angela-merkel-und-das-coronavirus-regieren-oder-reagieren-a-a4fce55c-b300-4726-a715-bfa60b3e9b4a メルケル首相は、厚生大臣とコッホ研究所の専門家を引き連れて指揮を演出し、国民を安心させようとした。「私たちドイツ国民の団結、分別、心が試されている。私の望みは、私たちがこの試練を克服することである。
今、このシーンを演出することは、虚栄、無駄ではない。逆である、指導者としてこれは大変に重要なことである。メルケル首相は、フランスのマクロン大統領と違って、国民をあまり長く待たせなかった。危機の際には、国民には自分たちの選んだ代表者への信頼が必要である。民主主義において、信頼が一番重要な政治の資本である。政治家の問題解決権限に信頼をおくものだけが、彼らの勧めに従うからである。
「連邦主義は、責任を他者におしつけるものではない。」とメルケル首相は述べられているが、日本もすべてを首相におしつけるものではないのである。都道府県知事も、国民が選んだ代表者だし、地方行政が一番わかっている。また仁坂知事は、PCR検査を適正に運用して、感染拡大をおしとどめておられるのではないのだろうか。
日本のマスコミから、良識のある政治部記者があらわれ、彼らから分別のある発言を聞く日は、いつ訪れるのだろう。
また、医療関係者をイタリアのように、疲労困憊させてもいけないのである。大事なことは、PCR検査を多くすることではなくて、PCR検査の使い方なのである。
本欄の「ならず者」も、例外ではないようだ。この陽気だから、狂い咲き(ἄκαιρος ἀνθεμώδης)を促すのだろう。
パラノイア気質(παρανοεῖν)の偏執狂の無学な婆さんが自らの莫迦さ加減を棚に上げて(ἔζω)、相も変わらず、28⇒【日本中の学校休業の判断は、まともな専門家の見解をきいていない】と法螺話を並べるが、急激な感染拡大の強制的抑止策の一環である安倍晋三首相による全国休校措置要請の政治判断は、老婆の支持する政府の専門家会議の状況判断、即ち、「この一、二週間がcriticalで、感染拡大のスピードが行ってしまうのか、ある程度抑制できるのか瀬戸際にあるという問題意識」、つまり危機感に促されたのが原因だろう。
政治家に専門的知見を提示して対応を促すのは、当該事象について最も幅広い知見を有する専門家の役割で日本政府もそれを軽視していない。しかし、どういった政策的選択肢が現実的で有効か、社会全体の機能不全を起こさず、経済活動に深刻な悪影響を与えない範囲で実施すべき対策を躊躇する(μέλλειν)ことなく決定し、果断に実施や理解、協力を呼び掛けるのは、政治家固有の役割だろう。
安倍首相がしたのは、自らの政治的責任を明示したうえでの政治的決断であって、ことが将来の不確実性に関する課題であるだけに、しかも実効性を期するためにグズズズ(ἀποκνεῖν)せず速やかに着手する必要があり、正確な状況判断に当たって幅広い見地から問題を分析、検討する専門家と、それに応じて幾つかある選択肢の中から、その段階で実行可能なメニューを選択する社会的正統性がある政治家の立場は分かれるのである。
科学的に判断する根拠をもたない政治的決断について、公的に是非を表明する立場にない専門家の規矩を守ったわけだ。
「感染病」ではない「感染症」(λοιμός=infectious desaese)を今に至るも、28②⇒【特効薬、ワクチンがないことだけで、感染病】とか、同③⇒【中国の研究で…わかってきて、未知の感染病ではない】程度の初歩的な誤記を繰り返す素人論議に狂奔する。
同④⇒【民間療法、加持祈祷で治そうと】したらいいのは、連日のテレビ漬けで「阿呆ウイルス」に感染し、ヒステリー状態(δυσχερής ἕξις)で朝から大騒ぎして(χαλεπῶς φέρειν)「クズ」投稿を量産している偏執狂の婆さんだろう。
病態を含めた全体像の解明はもとより、新型ウイルスの感染のメカニズムには未だに未知の領域が多い。だから日進月歩だ。感染力をめぐっても、専門家会議の提示した《重症・軽症に関わらず約80%は、他人に感染させていない》という主張、つまり感染力の強度を示す「基本再生産数」が専門家会議の9日時点の現状認識=「急激な感染拡大をようやくもち堪えている」(横ばい状態)との判断の前提となった実効再生産数=1には、専門家の中にも疑念が多い。分析対象の問題もあって、基礎的データとしての信頼性が充分に担保されていないからだ。
ようやく「パンデミック宣言」を出さざるを得なかったかったWHOの推定(暫定値1.4~2.5)よりかなり低い。
尾身氏の公聴会での「どうにかもち堪えている」という発言自体、専門家としての「科学的発言」というより、対策が始まった以上、それと齟齬しないよう気遣った政治的色合いの濃いものだ。
だから、何も分かっていない婆さんの素人論議は、他愛なくとりとめもないと同時に、喧しい専門家批判は退屈で愚劣極まる。偏執狂特有の妄執(φιλοψυχία)で、誇大妄想がすぎる。
選抜大会の中止判断への異議は、子連れの政治論の典型で、高校球児には同情するが、経済活動に直接ストップをかけるような政策手法は現段階では現実的に不可能なわけで、イベントを中心に人の交流を一部止めるという、ある意味原始的な手法をあれこれ駆使して対応せざるを得ない以上、甲子園大会はアナウンス効果が大きく、中止には合理性がある。
まともな立論を心掛けるなら、国民の関心が高いからといって、妙な「応援団」に頼らないことだ。野球以外の全国大会はほとんど中止だ。
pandemic宣言を受け、「今後警戒を緩めることなく必要な対策は躊躇なく決断して実行していく」とした安倍首相の危機意識は明確で、政策に責任を問われる(ᾐτιαμένων)立場にある政治家と専門家との役割の違いを明確に示した。
私も19日から奈良に長期逗留するが、恒例の東大寺二月堂のお水とりが予定通り行われた。天平以来中止はなく、1,269回目だという。
滞在先のホテルによると、中国人観光客が消えた南都は静かなようで、往年の佇まいを思い出しながら、静かに御仏の表情でも眺めてきたい。[完]
つまり、それを防ぐために、仁坂和歌山県知事も、専門家委員会も、必死になって、クラスター探しをしておられるのであって、高校野球のように、同じメンバーが固定しているときは、二次感染で終わるわけで、感染のスピードが高まるリスクは低いのである。感染のスピードが速まれば、全快するまでの患者の入院期間は同じなのだから、ベッドが足りなくなるのは目にみえている。つまりCovid19の感染のスピードを抑えなければならない。私が感染力の強いL型を探すべきだ、といっているのはそのためである。
また、リスクグループが老人と持病をもっている人であるということがわかっているのに、日本のマスコミに出演する専門家は、どうして重病者になる可能性のある人の感染から減らす対策をしてくれないのだろう。
Covid19に50歳以上の人がかかると重症化するし、80歳以上では命にかかわる。持病をもっている人も同じである。特に、高血圧、糖尿病、循環器疾患、ぜんそく、がん患者。ドイツ人の45%は50歳以上で、6.5%が80歳以上、ほぼ、540万人いる。
この対策のさらなる目的は、それらの人々への感染を防ぐことである。ベルリン細菌学者、Christian Drosten氏によると、9-10月まで子供をおじいちゃん、おばあちゃんに預けるのをやめること、若者がおじいちゃん、おばあちゃん、両親の買い物をし、彼らがスーパーマーケットに行かないようにすること、雇用者は、もし可能なら、慢性疾患の人々が家で仕事ができる環境にしてあげることを勧めている、そうであるが、日本中の学校を休校にしたり、親が子供の世話をしながらテレワークするより、このシステムの方がよほど、合理的なのではないのだろうか?子供を含めて80%の人々は、Covid19に感染しても重症化しないのだから、重症者用のベッドもいらないし、医療スタッフもいらない。
本欄でも連日狂乱状態(παραφρονεῖν=be mad)の矯激な(νεωτερίζοντες)パラノイア気質の偏執狂の老婆が、未明から夜まで、堂々めぐりする(περιέρχεσθαι)愚劣な議論に躍起になって、ヒステリー状態(δυσχερής ἕξις)で大騒ぎ(χαλεπῶς φέρειν)している。
桜の開花が迫る春という季節的要因もあって、それでなくとも浮かれて(ἰλιγγιᾶν)口からでまかせ(λέγειν συμφορά πρῶτον)の法螺話に猛り狂い(ἐκπλήσσειν)、「ドイツ狂い」にもの言わせて宣る。軽佻浮薄(ἡ ῥᾳθυμία καὶ σκοτοδινία)ゆえの狂躁(ἐξιστάναι)で熱狂している(λυσσᾶν)。昔、ヒッチコックに同名の映画があったが、まさに逆上(ἡ λύσσα=frenzy)している。
昨日12日、東京五輪の採火式が、異例の無観客方式で、ギリシア・オリュンピア(Ὀλυμπία)のヘラ神殿であったが、ゼウスの妻で、あの嫉妬深い女神、「白い腕の」(λευκώλενος)ヘラ(Ἥρα=Ἥρη)も、偏執狂の老婆のような常軌を逸した(οὐδένι κόσμω)狂乱ぶりはなかっただろう。
五輪の採火式はナチスのプロパガンダでお馴染の1936年、ベルリン大会が最初だが、採火にあたる巫女の銀座の高級クラブのホステスのような衣装を眺めながら、行方が危ぶまれるオリンピック(Ὀλυμπιάς)と同時に、巫女を自称する老婆の「ドイツ狂い」を想った。
断定があるだけで、感染症を「感染病」と誤記する無学な老婆からそれ以上の言及はなく、何のことか皆目分からないが、私の主張は、安倍首相の全国小中高の休校措置要請はこの状況認識と不可分で、首相自身も国会などで繰り返し表明しているという周知の事実を、28⇒【日本中の学校休業の判断は、まともな専門家の見解をきいていない】とする老婆に対し、示したまでだ。
偏執狂K嘔によれば、首相に瀬戸際での即座の対応を促した専門家会議(専門家委員会ではない)も尾身茂副座長も、「まともな専門家」ではないことになる。首相が「専門家の意見を聞いて判断したわけではない」としたのは、それが専門家には求められていない政治判断だからだ。政治決断を専門家の責任に帰し、自分はそれを楯として責任逃れをする気がないからだ。
そして、将来の不確実性相手の強制操作的政策手法は、尾身氏とは感染状況の認識が異なる上昌広氏が主張するように、「医学的に根拠…がないことを判断するのが政治の仕事」で、その実効性は誰にも分からないし、科学的に正確な予測が困難だからだ。
無知な点で専門家も政治家も同じだが、政治家、首相には決定する政治的正統性があるというだけで、それ以上でも以下でもない。
問題は、政府の専門家会議のもう一つの仮説、感染力を示す実効再生産数=1が専門家の間でも異論があり、新型ウイルスの現在の世界的感染拡大を説得的に説明できないことだ。
一足先に終息宣言が出た「武漢での感染拡大の隠蔽が世界各国のウイルス封じ込めを2カ月遅らせることになった」(オブライエン米大統領補佐官)という現実の重大さを、老婆も知るべきだ。
株価を下げるだけである。ほんとうなら、中国や欧州と国際協力して、Covid19問題を解決するべきなのである。中国政府は、自分たちの医療経験をイタリアに伝えるために、物資と人をイタリアに出発させたし、EUとの関係もいい、と述べている。考えてみれば、篠田教授の一つ前のブログのコメント2と40で紹介したように、ドイツの衛生学の権威、Alfons Labisch教授は、日本と中国の提携大学と共同研究をされ、2016年に彼は北京外国研究大学から、名誉教授号を与えられている.そして、その Labisch教授は許されれば、北京に飛行機で行きたい、という希望をもっておられるほど、中国と密接なコンタクトをもっておられる。要するに、これだけグローバル化が進み、人とモノの移動が多いと、感染症も世界中に伝播するのだから、国際協力して、この問題を解決すべきなのである。米国は、資源も豊富で米国だけで完結させられるかもしれないが、資源のない日本は、マスク一つ、感染病対策の医療用の服、石油一つとってみても、中国や中東、欧州との協力が不可欠である。
‘La vivacité qui augmente en vieillissant ne va pas loin de la folie.’(La Rochefoucauld; Maximes 416=「老いてますます血気盛んとは、狂気から隔たること遠くない。」)というが、気性が激しく(ὀξύς)、怒りっぽい(ὀργίλος)、気分の鬱屈した人物(μελαγχολικός)による、向こう見ずな(θρασύς)遠吠えは痛ましい。
誠に、限りなく(ἄπειρον)無学な(ἀματής)、抑制のない人物(ἀκρατής)、劣悪な(φαῦλος)老婆の退屈な法螺話は、論理の肌理の粗さ(τὸ τραχύ)といい、「頭が悪い人物」(φαῦλος)特有の極端な(ἄκρος)解釈といい、中身は皆無だが、それに反比例するかのように、「阿呆」なりにそのエネルギー、というか情熱(τὸ θυμικόν)は大したもので、疲れる(κοπώδης)ことを知らぬかのようだ。
しかし、老婆の域に達すると、もはや端的に狂気(τὸ πανιώδες)というほかはない。パラノイア気質の偏執狂(παράνοια)だから、さもありなんということだろうが、歳を重ねる(γῆρας)ということが必ずしも人を賢くはしないことの典型で、
‘Pe de gens savent être vieux.’(Maximes 423=「老人たる術を心得ている人物は滅多にいない」)ということになるのだろう。
世に鬱屈した癇癪もち(ἀκρόχολος)や、わけもなしに義憤に駆られる人(νεμεσητικός)、気むずかし屋(δύσκολος)は珍しくないが、老婆もその例に漏れないようだ。
嫉み深さと言えば、直前の私のコメント40に♡マークが4つついた程度のことも気になるのだろう。そして、むきになって噛みついているコメンテーターは、いずれも一廉の専門家なのに比して、単なる無名の(ἀνώνυμος)知恵が足りない(ἀφροσύνη)主婦にすぎない自らの真相(οἷόν ἐστιν)を忘れて、癇癪もち(ἀκρόχολος)のように胆汁気質(μελαγχολικός)の本性が顔を出す。
‘Les esprits médiocres condamnent d’ordinaire tout ce qui passe leur portée.’=Maximes 375(「凡人は概して、自分の手の届かないものをすべて断罪する。」)というように、いかにも未消化な(ἄπεπτος)議論を、舌足らず(τραυλότης)で幼稚な文章で7件も並べても、一向に要領を得ない。
誰も読まないし、浅ましい狂態を、まるで汚ないもの物、「クズ」のように眺め、忌避する(φεύγειν)だけだろう。
自制心の欠片もない、極道者(ἀνοσιουργός)も同類の堪え性のない老婆の感情剥き出しの言辞を、病気である(κάμνειν)と判別(κρίνειν)しているようだ。
懲りもせず「ドイツ狂い」ぶりを発揮しているが、抑制のない人物(ἀκρατής)による、莫迦げた何の芸もない愚劣な議論など、誰も相手にしない。「あぁ、また始まったか」と眉をひそめるだけだろう。
Weizsäckerの巫女(προφῆτις)を自称するくらいだから、まるで憑きものが乗り移っている(θεομανής=driven mad by the gods)かのような、憐れむべき(ἐλεεινός)有様に憐れ(ἔλεος)を催す。
老婆は自己愛の強い人物(φίλαυτος)であり、恥知らずな(ἀναίσχυντος)はったり屋(ἀλαζών)の食わせ者(ἀλαζών)だと皆お見通しだ。
ウイルスは見えないもの(ἀόρατον)だ。その恐怖に世界中が怯え、世は騒然としている。WHOのパンデミック宣言をまつまでもなく、世界的な流行は必至だ。政府の専門家会議の認識も感染症の実態を知る者にはある意味はっきりしており、国民への協力要請とは裏腹に、手段を尽くしても感染が拡大することを想定して動いている。
「この一、二週間がcriticalで、感染拡大のスピードがある程度抑制できるのか瀬戸際にある」とは、感染拡大の速度はある程度抑えられ、対策のための時間稼ぎは可能だが、感染拡大自体は防ぎようがない、という趣旨だ。
それを前提に新型感染症患者を含めた混乱に伴う犠牲者の最小化を、医療とは別にあらゆる手段を講じて速やかに、集中して実施するほかはない。実効性の検証は後からでもできるからだ。
感染者の広がりはPCR検査が進まないことで実態は推定以上につかみようがないが、経済への決定的な悪影響を可能な限り抑える手段は、それほど多くはない。東京五輪も風前のともし火だ。
世界中がそれどころではなくなっている。
偏執狂の老婆をみていると、いつも思い浮かぶ言葉がある。
‘L’homme n’est ni ange ni bête, et le malheur veut que qui veut faire l’ange fait la bête.’ (Pascal, B, “Pensées”, Frag. 358=「人間は、天使でも、獣でもない。そして、不幸なことには、天使のまねをしようと思うと、獣になってしまう。」)[完]
偏執狂の老婆程度がありがたがる、41⇒【ドイツの知的な週刊誌、der Spiegel誌を参考にして】、要領を得ない堂々めぐりする(ἐφοδεύειν πέριξ)自己矛盾する(ὑπεναντία λέγειν αὐτὸς αὐτῷ)議論を展開することをもって、客観的な(καθόλου)‘evidence’を示すことにはならないし、具体的事例を示さずに、41②⇒【反氏が事実を曲げて主張…私は…「ドイツ狂い」にもの言わせて…軽佻浮薄ゆえの狂躁で熱狂しているわけではない】と一方通行の異議申し立て(ἀμφισβήτησις)だけでは、とんと要領を得ず、相手にしようがない。
安倍晋三首相の全国一斉休校要請が、41⇒【この考えは、もともと橋下徹氏が、大阪府知事時代、新型インフルエンザ蔓延の際に周囲の反対を押し切って取った政策、岡田晴恵博士の持ち出された第一次世界大戦中のスペイン風邪の例…という二つの主張に大きく影響された】というのは、カ氏によくある、実際の日本の政治的意思決定過程に「無知なるがゆえの」(δι’ ἄγνοιαν)妄想(φαντασία)の類だろう。
連日テレビ漬けで入れ上げているから錯覚する(παραισθάνομαι)のだろう。あたかも一部の情報番組や討論番組がもたらす世論形成の影響力を如何に過大視しているかが分かる。それは錯覚(παραισθησις)に基づく幻想(φάνταμα)にすぎない。
首相の政治判断は専門家会の状況認識に基づいており、首相もそれを明言している。それ以上は語らず、決断に際して専門家の主張をどういう形で政策に反映(ἔμφασις)させたかは明言を避けている。
しかしそれは、首相が闇雲に独断専行で政治決断したことを意味しない。「全国一斉休校」措置の効果について、専門家に尋ねても有意味な回答など得られないから、政治家の責任で決断したことや、緊急を要する事態で議論を尽くす時間的な余裕がない事情を述べたまでだ。
橋下氏や岡田氏が主張したのは急激な感染拡大に伴って現在の医療資源では患者の集中発生に対応できず、つまり医療機関が混乱して日常的な業務が混乱したり、院内感染による機能不全によって医療崩壊を招くことを危惧して一般的な議論として警鐘を鳴らしたもので、政策判断への影響力は皆無に等しい。首相が、専門家会議を飛び越して最終決断の参考にした形跡もない。
常軌を逸した(οὐκ ἀκόσμως)老婆の典型的な一方的思い込みの産物だろう。
41②⇒【おかしな専門家が…口から出まかせの法螺話、解決法ににたけり狂い、専門家の肩書によって、視聴者を洗脳するから、私は心中穏やかならず、たけり狂う】は、癇癪もち(ἀκρόχολος)の婆さん特有の反応であって、わけも分からず興奮して(ἐξεγείρειν)見当違いな敵意を剥き出しにするあたりは、狂人(τὸ πανιώδες)の作法でしかない。
もち前の軽薄(κοῦφος)にもの言わせて、道化者のように饒舌に語る(πολύλογέω)のは勝手だが、それは単なる狂乱(παραφρονεῖν=be mad)にすぎず、行きつ戻りつして(περιέρχεσθαι)一向に要領を得ない議論からは、何もみえてこない。
そこにあるのは、老婆の度を越したドイツへの偏愛であって、それは、「第二の祖国」とやらへの単なる執着、ご機嫌とりの(ἄρεσκος)ごますり(κόλαξ)、傲慢(ὕψηλός)かつ高慢な(ὑπερήφανος)さもしい人物(ἀνελεύθερος)による猿芝居でしかない。
正気に戻す(σωφροσνιζω)すべはなさそうだ。οἴμοι.
専門家会議がすっきりした判断を示せるか否かもはっきりしない。前回の「急激な感染拡大をようやくもち堪えている」というのは、感染症学の用語にはなじみのない表現で、科学的な表現とは言いかねる。いずれにしても、推定を示すにすぎないから、大きなトレンドの変更がない限り、あまり期待できない。
現在の政府の対策は経済活動に急激なストップをかけるような選択肢はなお手控えている状況だ。現在日本で行われている検査は、事実上は発症者の一部、特に重症者を捕捉して隔離、治療することと、現時点で全国で22確認されているクラスター(局所的集団感染)の探索が専らで、検査件数も未だに9,195件と、1万人に達していない。
現在の対応は、たとえ軽症であっても発症または感染が確認されれば、指定感染症として隔離することになっている。それで特段の混乱も起きず、死者も少数にとどまっているのは、感染実態による影響を、検査範囲が限定的なことで皮肉にも免れている側面がある。知らぬが仏なのだ。
その転換が迫られるような実態の方が先に来るか、先手を打って、当面収束は望めなくても次の対策を効果的に打ち出すきっかけや判断材料が得られるか、注目される。
私の奈良長期逗留の初日も19日だ。新幹線がストップするようなこともないだろうとの楽観的展望だ。人生は落とし穴が潜んでいる野原を目隠しして歩くような面を常に含んでいるから、思い悩むことはない。
不要不急の旅ではないが、それもまた人生(‘c’est la vie’)だ。
それがほとんど消えたわけだから、昔にタイムスリップしたようだ。こうしたことは今後そう望めまいから、花見も兼ねて出かけることにした。5箇月前に予約を入れた時は今回のような事態は想像もできないから、人は生きていられるのかもしれない。
昨年は桜の開花に先立って妻が吐血したことで急遽、入院することになったから、花見どころではなかった。肝臓の癌も重大だったが、肝硬変も進んでおり抗癌剤剤治療も当面は肝臓機能が回復するまで無理だと、地域の癌治療拠点病院の医師に告げられ肩を落としながらも、この春が見納めになるかもと、事もなげに語っていた妻の無邪気さが胸に堪えた。
多数の死者を出している中国でもイタリアでも、人間の死にはそれぞれ個々の名前と、それを取り巻く家族がある。新型感染症で死ぬばかりが人間の死ではないし、不幸でも突然の喪失でもないが、人為的な混乱の犠牲になるような死をできるだけ回避することが、数少ない人類の進歩なのだろう。
ものごとには両面があって、イタリアの医療事情は相当厳しいようだ。EU加盟国ではギリシアに次いで財政悪化が進むイタリアは、EU政府の指示に基づいて700を超す病院が閉鎖に追い込まれ、医師や看護婦不足も深刻らしい。EU統合には負の側面も少なくないようだ。いち早く、中国の一帯一路構想に参加を表明したのはそうした事情もあるのだろう。
不幸は思わぬ形で人々の穏やかな暮らし(ἡσύχιος δίαιτα)に牙を剥くものだ。[完]
これが私の人格描写、コメント48の大意であるが、私が提出した疑問、なぜ、PCR検査を大規模にしなければならないのか、発熱外来を作らなければならないか、の疑問に全く答えていない。
その道理がいつまでたっても理解できない、マスコミのコメンテーターや司会者こそが、「頭が悪い」、「理解力のない人」だと私は思っている。「みんなが正しく行動し、世界が協力し合えば被害は当時の数十分の一に抑えられる」という信念をもって、我々は前向きに生きていかなければならないのではないのだろうか。
人生は一度しかない。健康で自由に活動できる期間も、我々にはそう長く残されていない。反時流的古典学徒 さん、奥様の分まで、奈良の長期逗留を楽しんできてくださいね。
けれども、クラスター探査は違う。この病気は、感染力が強く3の二乗倍で感染していくから、感染者の濃厚接触者を早く発見しなければならない。つまり、PCR検査は、クラスターの調査に使うべきである、という指針に貫かれた、日本の現在のマスコミ知識人から不評の、PCR検査の仕方が、日本でのこのCovid19の爆発的感染をかろうじて抑え込んでいる、というのが、私の結論、だからなのである。
55⇒【反氏の主張は、まさに私への人格攻撃】のように反撥しながら、55②⇒【これが私の人格描写、コメント48の大意】と称する割には、55の似而非反論の大半は、例によって横着者の象徴である「コピペ狂い」(κλοπή μανικός)らしく、全部で479文字ある文章のうち72・4%=347文字は、私の48からコピペした文章をそのまま借用して切り貼りしてでっち上げた呆れた代物だ。「大意」もへったくれもない。生来の虚偽体質(ψεύστης ψυσικός)を如実に示しており、救いようがない。
間抜けなのは、ラ・ロシュフコーの『箴言』(Maximes)の引用部分、碌に読めもしないフランス語を、御苦労にも‘Pe de gens savent être vieux.’と、誤記を再生産して莫迦さ加減を増幅させている(正しくは‘Peu de gens savent être vieux.’)。
「人格攻撃」と不満なら、何もルフラン(refrain)することはない。
老婆が見せかけ(χαυνότης)だけのはったり屋(ἀλαζών)、食わせ者(ἀλαζών)で、抑制のない人(ἀκρατής)、さもしい人(ἀνελεύθερος)であることをよく示している。他を論難する以上、少しは自ら省みて(λογίζομαι)、態度を改めたらよい。
61の自意識過剰も滑稽だが、癇癪もちの老婆としては精一杯の気遣いで、60⇒【奥様の分まで、奈良の長期逗留を楽しんできてくださいね】と言われてはこれ以上厭味を並べても大人げないので、以下、気になった箇所について、具体的に反論する。
日本のPCR検査の実施状況は、極めて抑制的だ。検査能力の不足や、政府方針が地方への不徹底、民間検査機関活用に及び腰なことに加え、医師の判断で依頼可能になり保険適用になったが、依然として帰国者・接触者センターを窓口とし、37.5度以上の発熱が4日以上続き、強いだるさや呼吸困難がある場合(高齢者や基礎疾患保持者は2日)に限られるなど、実質的な検査抑制が続いている。
それは、実態はともかく、感染者、患者の大量発生による医療機関への殺到懸念が先立ち、感染が確認できても現状ではそれを受け入れる体制が整っておらず、受け入れることは状況を悪化させるだけ、という判断が暗黙の共通理解になっているからだろう。そうすることで、皮肉ながら少なくともイタリアのような惨状は回避できている。
専門家会議の方針は、現状は感染拡大の核となるクラスラーを発見して重点的に対処することと、重症患者の対応が主で、検査もその方向で運用されているから、未だに通算して1万件に達していないことを既に指摘した。
以上を前提に老婆の問いに答えるなら、PCR検査は感染の真の実態を把握するために必要で、現状のような時間稼ぎのための運用調整は国民の理解を得られないし、あくまで暫定対応だ。クラスラーの発見、重症者対策だけでは、急激な感染拡大防止の根本的対策とはならないし、国民の不安や不信を増幅させることは、防止に協力を呼び掛けるうえでも得策ではない。
早晩訪れる大量の感染者の出現(急激な拡大を必ずしも意味しない)に合わせ、体制を整え、対応の焦点を見誤らないためにも、無症状感染者や軽症者への対処法を明確に打ち出すことが必要で、そのためには推定ではない、検査による現状把握が欠かせない。
免疫がないから大量感染する可能性が高いのは確実だろうし、避けられない。検査が一部しか行われず確認できていないだけで大量の感染者が存在しても不思議ではない
問題は感染力の強さとか、大量に感染することではない。有効な初期段階での対策を講じなければ感染が急拡大することが医療体制に致命的な打撃をもたらし、死なずに済む重症者も犠牲になる危険性が高まる、ということだ。半年や一年かけてスローペースで感染が拡大するのは、仕方がないということだ。
それは別に老婆がDer Spiegelに掲載された報告を特筆大書して論拠にするまでもなく、感染症対策の基本だ。
私が、2月23日・237⇒【橋下徹氏は感染症対策における危機管理の常道を説いた…急激な感染拡大で医療機関の対応の限度を超える大量発生を抑止するという、最終的に政治家が…下さなくてはならない対応を指摘】とか、同238⇒【10月ごろから春先までのインフルエンザ対応で混乱が起きないような条件を整える…短期間に感染が急拡大し、患者が殺到するような、検査、医療対応のピークを越えるような事態を回避する人為的対応が必要】、2月28日・301⇒【対策の有無にかかわらず大規模感染は必至だが、たとえ同規模の感染者数でも、つまり最終的積分値は同じでも、ピークを抑え時期をずらすことで医療崩壊を回避でき、死者を減らせる】と繰り返し指摘してきたのはそうした趣旨で、当時、老婆が如何にずれた認識を示していたか、想い起こすことだ。[完]
なんども書くように、PCR検査をするメリットは、陽性の人を隔離して、感染を伝播させない、伝播の速度を鈍らせるためなのであって、その陽性の人を隔離できない場合、周りの人は陽性の人がまき散らすウィルスによって感染するから、結果がわかってもほとんど意味をなさないのである。だから、我々のできることは、重症化しそうな人々の保護と隔離なのである。このCovid19は、今までの臨床例から明らかなように、感染してから、陽性になるまでの期間、発病するまでの期間が長いから、時間がたつほど、陽性者が多くなり、2週間たっても、ダイアモンドプリンセス号と同じ、収束の見通しはたたない。・・私の主張はあの頃とまるで変わらない。PCR検査の大量実施は意味がない、重症化しそうな人の保護と隔離することが意味があることだ、と主張している。そのために、ワイドショーの岡田晴恵博士の主張をきくいらいらしてくるのである。
61、67で同趣旨の主張を繰り返しているが、私にはとんと腑に落ちない。
例えば、従来のコメントを再読して、「今、…気づいた」とかいう、61⇒【岡田晴恵博士と私の考えの違い…どうすれば、Covid19の重症者を減らせるか、が違う…重傷(重症=筆者註)者が増えれば…ベッドが満杯になり、医療崩壊…の認識は同じ…違いは、岡田博士…は、感染者の早期発見が重傷(重症)者の減少に…主婦カロリーネの場合は、重症化しやすい人々をCovid19に感染させるべきではない】――どう見ても老媼の分が悪い。
PCR検査の位置付けについてはそれぞれ見解があるから、活用法の是非は措いて、重症患者を生命の危険から一人でも多く救うには、早期発見に越したことはない。岡田氏の主張には、合理性がある。
高齢者や基礎疾患保有者は通常の基準と異なり、通常は①37.5度以上の高熱が4日続き②強いだるさや息苦しさ(呼吸困難)がある場合に検査対象となるところを、同じ症状がが2日続いた場合とされているから早期対応は一定程度可能だとしても、現状ではすぐというわけにはいかない。2日待つうちに症状が悪化し、命を落とす可能性はある。
感染が急激に拡大しない限り、現段階で重症感染者でベッドが直ちに満杯になったり、院内感染でも起きて医療崩壊の引き金になる、というわけではない。
発熱外来への命名変更を含む岡田氏の主張の趣旨は、それをできるだけ抑止するためだろう。有効な治療法が確立していない現状で、早期発見がどれだけ実効性を上げられるか未確定の部分があるから次善の策にはすぎないが、それでも、医療現場の混乱を招かない範囲で実施すれば多少の効果はあろうし、新型感染症ではない他の肺炎や感染症だったら、なおさらだ。
PCR検査が空振りでも、とにかく早めに治療にあたれれば、総合的見地からして、救命につなげられる。
早期発見、早期治療は、重症者の救命、重症化する前に治療に着手するという点で、基本的に対症療法しかない現段階では有効と考えるのが自然だろう。少なくとも、それが可能な段階では、だ。
「感染させない」というが、相手は目に見えないウイルスで、クラスター化しやすい場所に近づかなくても、どこで感染するか分からない。発症者よりは感染力が弱いとしても、無症状感染者から感染するリスクは依然ある。家庭内感染も想定すると、重症化しやすい高齢者や基礎疾患保有者をいたずらに自宅に閉じ込めておくことには限界がある。
「感染させない」といっても、考えられている以上に難しいからだ。それが今回のウイルスの特性だ。
67⇒【PCR検査をするメリットは、陽性の人を隔離して、感染を伝播させない、伝播の速度を鈍らせる】も一面的な見方だ。
感染を急拡大させない(もはや、感染を「拡大させない」ではなく、「急拡大させない)、「爆発的感染をさせない」に頭を切り替えるべきだ)ため、感染拡大に有力因子のクラスター探しと早期対応に検査は有効だが、それと同等に患者の発見が大事だ。多くは無症状で受診するわけではなく、クラスターの関係者(感染被疑者と濃厚接触者)の解明も大事だが、検査による感染者の確認はすべての基本だ。
ただ、陽性と判明した時点で、現状のようにすべて入院隔離とはせず、症状に応じて柔軟に対応するしかない。
安倍首相が改正特措法成立を受け緊急記者会見をした。国民に危機意識の共有と協力を呼び掛ける意味で、結構な内容だった。世界との協力にも言及したが、米国、EU、WHOは挙げても、会見中、中国への言及はなかった。含むところがあるのだろう。今後は情報戦だ。
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