昭恵夫人の「私的花を見る会」は、残念な事件だったが、それに対応した安倍首相も、非常に残念だった。「東京都が自粛を要請している公園での花見の宴会ではない」と釈明したうえで、「レストランに行ってはいけないのか」と反論したという。
この首相は、自分が国民に「お願い」していることの内容を、理解していないのだ。そう思うと、本当に悲しくなる。
日本人は、今、「密閉・密集・密接の回避」を中心としたコロナ対策を求められている。首相がそう説明しているはずだ。「東京都が自粛を要請している公園」であるかどうか、「レストランに行ってはいけない」のかどうかは、二次的な問題だ。今、国民一人一人が、ある行為が「密閉・密集・密接の回避」に該当するかどうかを、自分でよく考えたうえで、責任ある判断をすることを求められている。求めているのは、首相だ。ところがその首相が、ある行為が「密閉・密集・密接の回避」にあたるかどうかを考える発想方法を放棄している。そのような態度を、国会中継を通じて大々的に宣伝している。悲しい。
もっとも立憲民主党の杉尾秀哉氏が「予算委で大きい声を出しちゃいけない決まりはない」と指摘したとき、「大きな声で唾が出るようなことは避けなければいけないと言われている。お互いに気を付ける必要がある」と首相が述べたのは良かった。
日本の国会議員や東京都知事の会見は、いつも「密閉・密集・密接」の状態で行われる。ところが政治家の先生方だけは、和牛商品券や内閣支持率の低下だけにとらわれて、自分が言っていることを自分で破ってみせるという行為を繰り返している。
政治家の先生方は、自分たちにはウイルスも遠慮すると信じているのか、あるいは自分たちがウイルスで倒れたら国民は勇敢だったと拍手喝采すると信じてるのか。
そんなことだから、テレビでも「密閉・密集・密接」空間の中で「若者は外出するな!」と大声で説教する老人であふれてしまうのではないか。
クオモNY州知事が、コロナ対策で人気をあげている。そのクオモNY州知事の会見の様子を見てほしい。まずは席の配置だ。これがコロナ危機下で国民に政治家が見せなければならない「密閉・密集・密接の回避」のビジュアル模範だ。https://www.youtube.com/watch?v=WUmmqVb1dGk&fbclid=IwAR2r78lUq2hIZgumc9qUSf2m9BxwCKNlCpkKY92brDQTD7fIkkBCD3mY27g 余裕があったら、クオモ州知事の話し方にも気を付けてほしい。危機管理リーダーの模範とされている要素がつまっている。
クオモ州知事が政治家の責任を語るところなどが注目されているが、私が一番強調したいのは、クオモ州知事が、繰り返し繰り返し、努力する米国市民に感謝をし、いかに一般の市民の活躍が素晴らしく、国家に貢献しているかを強調しているところだ。
クオモは今年の大統領選挙には出馬しなかったが、民主党は、4年後の大統領選挙に強力な候補を獲得した。アメリカは、今回の危機で沈没しそうだが、長期的には復活してくるだろう。
日本の政治家は、恵まれている。日本の感染者数が少ないのは、医療関係者の努力に加えて、一般市民の努力も大きいと言われている。しかし日本の政治家がそういう国民の努力を称賛することもなく、感謝することもなく、模範を示すどころか自分の言葉と食い違う行動を見せ、和牛商品券を配布することがコロナ危機対策だと信じ込むだけで、指導者気取りになっているのだ。
果たして日本は、この状態で、本当にやっていけるのだろうか。
政治家はもっと謙虚になり、国民が見たいものを見せることを心掛けてほしい。そして努力する人を称賛し、感謝をする、という人としての基本の大切さを考え直してほしい。危機の時代だからこそ、まず政治家が率先して国民に見せなければいけない態度を何なのかを、考え直してほしい。
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コメント一覧 (29)
このケースは、よくあるケースでいわゆる写真が発端だが、その写真がとられた時間と場所、いきさつが重要である。都内の自粛要請が本格的にだされたのはオリンピック延期が確定してからのことである。
もし、オリンピック延期後の開催なら少し問題だと思う。ただし、首相夫人だから人間関係も気を遣うことが多く、一存で会合を中止できなかったかもしれない。だから、経緯やいきさつは重要。
昭恵さんが安倍首相の足を引っ張ってきたことは事実なので、模範的行動をしていただきたい。ただし、訳のわからない引っかけ報道とそれに同調する税金無駄遣いの非力な野党に同調しないだけの情報リテラシーが国民にほんとに必要だ。
野党とマスコミは、またぞろ森友加計問題を蒸し返すようだ。アンケートをとれば国民の大部分が詳細を知りたいとでてるそうだが、そのマスコミ主導のアンケートも信用できない。アンケートに答えているのは大部分が高齢者か新聞テレビに依存している層で、失礼だが情報弱者の典型だ。
私の推測では、軽率なコロナ検査推奨のマスコミキャンペーンが逆効果で信頼できないと完全に裏目にでたので、「話題を変えたい」とマスコミは考えていていて、そこにちょうど森友が浮上したという形だろう。
舛添 要一
2020/03/28 06:00 https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/外出自粛要請で都民の不安煽ってしまった小池都知事/ar-BB11OtPk?ocid=spartandhp
東京都とニューヨーク州は違う。ニューヨーク州では、全米の感染者の3分の1が集中するなど、医療崩壊が目前に迫っている現実があるから、私は日系の親友や従弟の健康を心配するのである。東京は今ではなくて、おかしなマスコミ報道で世論が作られた場合のこれからを心配するのである。舛添要一さんによると、新型インフルエンザのときには、ワクチンの開発も迅速で、タミフルやリレンザが効果のある治療薬となることが医療の現場ですぐに判明したのに対し、今回は、ワクチン製造に1年半、治療薬の開発は目処すらたっていないという状況である。そして、このCovid19は潜伏期間が長いことに加えて、無症状の感染者が多い。どうして、この現実を日本のマスコミは国民に伝えないのだろう?それでは元気な若者にストレスがたまるのではないのだろうか。要するに、現実にはこのCovid19の終息時期を予測することは困難なのである。
このCovid19との戦いは長期戦となる、というのが現実の姿なのである。来年まで続くかもしれない。来年の命がわからない母の希望をできるだけ叶え、外に連れ出した私は、つくづく思うのであるが、大事なことはパーフォーマンスではなくて、将来を見据えた上での合理的な解決策、国民にわかりやすい指針である。
それは、広範囲な外出制限や、より踏み込んだ都市封鎖による中国や欧米型の強制的な封じ込め以外に有効な手法が短期的には見出しがたいくらい、感染が市中に広がりつつある蔓延期を日本も迎えている可能性が高まっている、ということなのだろう。
公衆衛生意識の高さに加え、危機管理上の強制措置に法制上の限界を抱える日本的事情、政府の自粛要請を国民が巧みに先を読んで、言うなれば忖度して、決定的な経済的打撃を先送りしつつ、危ういバランスのなかで効果とリスクを秤にかけてきた日本的な「芸の細かい」手法だけでは凌ぎきれなくなってきたのだろう。
それは、日本的な取り繕い、彌縫策ではもはや対処しきれない段階にまで水面下で感染が広がっているのでは、という不安感、恐怖感が、日本でも共通認識になりあるということで、政治的なリーダーシップ(ἡγεμονία)の真価が問われるのは、本当はこれからなのだろう。
その点で、国民の自粛ムードに冷水をかける首相夫人の私的な「観桜の宴」が顰蹙を買うのは避けられないし感心しないが、それをもって直ちに首相が国会答弁を含め鼎の軽重を問われるほどのこととも思えないというのが、常に「上から目線」的な私の感想だ。
日本人の習性は、その程度のことでは良くも悪くも揺るがないからだ。
篠田教授→前記事からの更新が、早いですね!w 我々一般国民は、国のコロナ対策ついては、一喜一憂せず、長い目で対策を見守り、結果を見極めたいです。「春が来ない冬はない」です。政府・専門家会議・厚労省対策チーム及び医療現場の方々が、それぞれ頑張っています。
我々は、安直に日々の目の前の事象で批判するのではなく(それはメディアに任せておけばいい)、支援はできなくても見守って行きたいです。篠田教授には、コロナから話題を”隔離”し、専門の国際和平・憲法などを論じて欲しいところです。
かといって、国民を極端な監視下に置く中国型の統制も、その有効性の一面しか確証されていないのが実態のようだ。中国の感染者統計の基準は、共産党による体制維持の核心であり死命線である経済活動の再開を急ぐ中国固有の政治的事情が見え隠れし、発生源論争を含めた国際情報戦の一環なのであって、近未来の国際社会の指導理念になるようなものでは全くないことも見えやすい道理だろう。
それは、今後の国際社会の政治的な安定や繁栄にとって「必要欠くべからざるもの」(τἀναγκαῖα)などではないからだ。
民主制はさまざまな危機的事態(κίνδυνος ἕξις)や災禍(ὁ λοιμός)に見舞われると、対応策をめぐって国論の分裂を招きやすい政治制度(πολιτεία)であって、民主制の抜本的改革、一種の「民主制の解体」(καταλύσουσι τὸν δῆμον)論議が喧しくなるが、そうした甲論乙駁は民主制固有のものであって、必ずしも中国的な現代版寡頭制の優位性を意味しないことは言うまでもない。
「民主政治というものは思慮を欠き、平等さを欠くものであるから、財産のある上流人に任せた方が、よい政治をしてもらえるという論者がいる。しかし、私の主張は違う。まず第一に、デーモスは全体の名(全市民の政治参加)としてあるが、寡頭制(ὀλιγαρχία)は部分の名だ。」(引用続く)
首相の私的空間にまで批判を持ち込んだ、印象操作といえます。このことは、2~3年前国会で話題を引きづったモリ・カケのモリと構図が似ています。森友学園では首相夫人が、学園の”名誉校長”をしていました。
これは、朝日新聞などの大手メディア・特定野党には、格好の印象操作の材料でした。特定野党・大手メディアは→あの夢を再び< ということでしょうww
‘φήσει τις δημοκρατίαν οὔτε ξυνετὸν οὔτ᾽ ἴσον εἶναι, τοὺς δ᾽ ἔχοντας τὰ χρήματα καὶ ἄρχειν ἄριστα βελτίστους. ἐγὼ δέ φημι πρῶτα μὲν δῆμον ξύμπαν ὠνομάσθαι, ὀλιγαρχίαν δὲ μέρος, ἔπειτα φύλακας μὲν ἀρίστους εἶναι χρημάτων τοὺς πλουσίους, βουλεῦσαι δ᾽ ἂν βέλτιστα τοὺς ξυνετούς, κρῖναι δ᾽ ἂν ἀκούσαντας ἄριστα τοὺς πολλούς, καὶ ταῦτα ὁμοίως καὶ κατὰ μέρη καὶ ξύμπαντα ἐν δημοκρατίᾳ ἰσομοιρεῖν. ὀλιγαρχία δὲ τῶν μὲν κινδύνων τοῖς πολλοῖς μεταδίδωσι, τῶν δ᾽ ὠφελίμων οὐ πλεονεκτεῖ μόνον, ἀλλὰ καὶ ξύμπαντ᾽ ἀφελομένη ἔχει·’(“Ἱστορίαι” Ζ, 39.)
私の奈良滞在もきょうで10日目で、不要不急の寺社巡礼、歴史に親しむことも、人間性の不易の部分を突き放して見定めるのに役立つ点で、まさに「鑑」となる。
一段と混迷を深める社会に埋没することなく距離をとることが、問題の全体像を気づかせることもある。現在を最もよく考え抜くには、単なる現在の雑識の寄せ集めでは期し難いことを痛感する。[完]
間質性肺炎で亡くなるということは悲痛なものだ。末期癌みたいに家族にしか真実を知らせない。あとどのくらいで亡くなるかも医者は経験的に予測できる。
ステロイドを大量に投入して助かるケースも若い人には多いし、社会復帰される人も多い。しかし、持病をかかえた老人でこれにかかると死刑宣告も同じかもしれない。
末期癌よりもつらいかもね。だんだんと首をしめられて少しづつ窒息しかかったような状態になり、何日か経過すると息ができないので殺してほしいとまで思うようになる。最後は楽に死なせるため強力なモルヒネを処方する。
こうなると人工肺も効果ないだろう。こういった難病がまだまだ多い。
1.肺炎で亡くなる日本人の約98%は65歳以上
2.肺炎は年齢が上がるごとに死亡のリスクが高まる
3.肺炎は、高齢になると急激に症状が進むことがある
4.風邪をひく、インフルエンザにかかる、歳をとって体力が衰える、糖尿病、呼吸器や心臓に持病があるといったことが原因になってからだの抵抗力(免疫力)が弱まると、細菌などに感染しやすくなります。こういうときに細菌が肺に入り込むと、肺で増殖し炎症が起こり、肺炎を発症します。
監修:大分大学医学部 呼吸器・感染症内科学講座 教授 門田淳一先生
これは、肺炎球菌の予防についてかかれたものであるが、インフルエンザウィルスも同じような働きをするそうである。Covid19はリスクグループも同じだし、肺に入り込んだ後急激に重症化する人がいる、という現象も同じで、Covid19が特に特殊な細菌とも思えない。つまり、Covid19に、肺炎球菌やインフルエンザのような予防薬や特効薬がないということに違いがあるだけで、肺炎が重篤化してしまえば、同じなのではないのだろうか。
脳梗塞の父も最期は肺炎で亡くなったが、医師にそう予想されていた。父はとても苦しそうであったし、義父にあのような状況では生きていたくないので、胃ろうはいらない、と言われているが、私も同じである。それを加味した時、吉村知事の「重傷者を助けることがなによりも重要である。」などとは到底思えない。重篤の肺炎で生き続けることの方が、ずっと苦痛だからである。 もちろん、若い人でも、2%に入れば亡くなる方もおられるが、これはどんな病気にも当てはまることなのであって、Covid19だけが特殊なものではない。
是非必要なものであるが、不足している、という現実に即する対応である。Von Stefan Schultz
28.03.2020, 21:08 Uhr
https://www.spiegel.de/wirtschaft/unternehmen/coronavirus-weil-beatmungsgeraete-fehlen-suchen-firmen-nach-neuen-loesungen-a-82e94c81-5d63-4a4e-9b2a-7cdd44f466a6 Boom bei Beatmungsgeräten Luft zum Überleben
人工呼吸器が重症のCovid19患者に生きるうえで大切なものとみなされるようになった。Profis,Start-Ups,掃除機会社までもが今、冒険的な製品の世界規模での生産に乗り出した。
Covid19の病状の最悪の進展は、感染者の一部がすぐに肺炎を発症することである。この際、ゆっくりと絞殺される、という感触を患者はもつそうである。生き延びる者もいれば、亡くなる者もいる。多くの政府がこの現状に則して、Covid19によって発症した肺炎患者の医療処置を増やそうとしている。その一番の中心になるのが、人口呼吸器で、患者に自分の肺ではまかないきれない酸素の供給をする装置が必要になるのである。
問題は、人工呼吸器が少ないことである。調査会社によると、ドイツとアメリカの集中治療の現場で、それが必要になるかもしれない100,000人に対して器具が90-120、英国、スペイン、フランスでは30-40しかない、ということである。この不足が多くの国で明らかになり、スペインとイタリアでは人工呼吸器が足りないのでCovid19の患者を飛行機でドイツに運んでおり、アメリカでは一台の器具を二人に交代で使っているようである。
古来卓越したリーダーは数々いても、民主制国家の指導者として思い浮かぶ一人が、古代アテーナイの将軍ペリクレスだ。古代ギリシア世界の世界大戦であったペロポネソス戦争開戦時の指導者で、おまけに開戦二年目で祖国を襲った疫病とも戦いながら、文字通り鋼鉄の意志で、混乱と辛苦の極に達した民衆を叱咤激励して戦争指導にあたった。
極端な直接民主制国家であるアテーナイにあって、常に反対勢力の激しい攻撃にさらされながら、市民に郊外の土地や財産を放棄させて籠城戦に備え、自ら立案した政策と戦略を説得力に富む論理で推し進めた、卓越性という点で当時も今も、望み得る奇蹟的な人物であった。
現在世界中で猛威をふるっている新型感染症への戦略的な対処法、国家的な危機的事態における民主制国家の政治指導者についてあれこれ考える際に、これくらい打ってつけの人物もいないと考え、寺社巡りから戻ったホテルの部屋で連日読んでいる。一人旅の気楽さから普段なら繰り出す馴染みの居酒屋やホテルのバーを避け、「三密」対策も兼ね、思いつくままにページを繰っていると興味深い記述に出くわす。
「以上のようにペリクレスは述べて、アテーナイ人の自分に対する怒りを和らげ、彼らの心情を目の前の苦境からそらそう腐心した。市民たちは国事についてはペリクレスの言葉に従い、もはやラケダイモンには使者を派遣せず、戦争の推進に意気盛んになった。しかし、個人的には深刻な被害を味わっていた。」(引用続く)
しかし、大衆の移り気はほどなくしてペリクレスを再び将軍に任命して、国事の指揮をすべてを彼に委ねた。なぜなら、それぞれが個人的被害について早くも鈍感になりつつあったことも一因だが、むしろ党派を越えた国家全体の要求に応じられる適任者はペリクレス以外にないと人びとが考えたからである。実際のところ、ペリクレスがアテーナイの指導者の地位にあった間は、平時には国家の安全を旨として穏健なやり方で国政をつかさどり、国の守りを万全にしたことで、アテーナイは最大の勢力を築き、戦時に突入してからも、彼は既に戦時における国力の限界を正確に見抜いていたようにみえるからだ。
しかし、ペリクレスは開戦後二年六カ月生きていた。しかし彼の死後、彼の戦争に対する先見の明は、ますます高く評価されるに至った。なぜなら、彼の持論が、アテーナイ市民が軽挙妄動せずに海軍力の充実に努め、持久政策を採用して、戦いによる版図拡張を避けて国家に危険にさらすようなことをしなければ、戦争に勝ち残るとしていたからである。ところが、他の指導者たちは全く逆に、成功したとしても個人の物欲や名誉欲を満足させるにとどまり、失敗すれば国家の戦力を甚だしく低下させる政策を採用した。しかも彼らはこの戦争には無関係であるとして、個人の名声と私利を追求し、アテーナイ自身の上にもまた同盟諸国の進路を著しく阻害した。この相違の原因は次のようなものだ。まずペリクレスは自らの権威と識見を併せもった実力者であった。」(引用続く)
その理由は彼が市民にへつらって政権の座を獲得したではなく、彼が高い声価を維持し、いかなる不満をも反駁論破してこれを得たからである。たとえば、民衆が状況を弁えず羽目を外しているとみるや、言葉で彼らを打ちのめして畏怖を与え、また逆に彼らが理由もないのに恐怖に怯えていれば、元気を取り戻させるような反対の処置をするといった具合だった。斯くして、その名は民衆政と称されたにせよ、実際には第一人者(ペリクレス)の支配となった。」(トゥーキュディデース『歴史』第2巻65章1~9節)
‘Τοιαῦτα ὁ Περικλῆς λέγων ἐπειρᾶτο τοὺς Ἀθηναίους τῆς τε ἐς αὑτὸν ὀργῆς παραλύειν καὶ ἀπὸ τῶν παρόντων δεινῶν ἀπάγειν τὴν γνώμην.
οἱ δὲ δημοσίᾳ μὲν τοῖς λόγοις ἀνεπείθοντο καὶ οὔτε πρὸς τοὺς Λακεδαιμονίους ἔτι ἔπεμπον ἔς τε τὸν πόλεμον μᾶλλον ὥρμηντο, ἰδίᾳ δὲ τοῖς παθήμασιν ἐλυποῦντο, ὁ μὲν δῆμος ὅτι ἀπ᾽ ἐλασσόνων ὁρμώμενος ἐστέρητο καὶ τούτων, οἱ δὲ δυνατοὶ καλὰ κτήματα κατὰ τὴν χώραν οἰκοδομίαις τε καὶ πολυτελέσι κατασκευαῖς ἀπολωλεκότες, τὸ δὲ μέγιστον, πόλεμον ἀντ᾽ εἰρήνης ἔχοντες.
οὐ μέντοι πρότερόν γε οἱ ξύμπαντες ἐπαύσαντο ἐν ὀργῇ ἔχοντες αὐτὸν πρὶν ἐζημίωσαν χρήμασιν.’(引用続く)
‘ὕστερον δ᾽ αὖθις οὐ πολλῷ, ὅπερ φιλεῖ ὅμιλος ποιεῖν, στρατηγὸν εἵλοντο καὶ πάντα τὰ πράγματα ἐπέτρεψαν, ὧν μὲν περὶ τὰ οἰκεῖα ἕκαστος ἤλγει ἀμβλύτεροι ἤδη ὄντες, ὧν δὲ ἡ ξύμπασα πόλις προσεδεῖτο πλείστου ἄξιον νομίζοντες εἶναι.
ὅσον τε γὰρ χρόνον προύστη τῆς πόλεως ἐν τῇ εἰρήνῃ, μετρίως ἐξηγεῖτο καὶ ἀσφαλῶς διεφύλαξεν αὐτήν, καὶ ἐγένετο ἐπ᾽ ἐκείνου μεγίστη, ἐπειδή τε ὁ πόλεμος κατέστη, ὁ δὲ φαίνεται καὶ ἐν τούτῳ προγνοὺς τὴν δύναμιν.
ἐπεβίω δὲ δύο ἔτη καὶ ἓξ μῆνας· καὶ ἐπειδὴ ἀπέθανεν, ἐπὶ πλέον ἔτι ἐγνώσθη ἡ πρόνοια αὐτοῦ ἡ ἐς τὸν πόλεμον.
ὁ μὲν γὰρ ἡσυχάζοντάς τε καὶ τὸ ναυτικὸν θεραπεύοντας καὶ ἀρχὴν μὴ ἐπικτωμένους ἐν τῷ πολέμῳ μηδὲ τῇ πόλει κινδυνεύοντας ἔφη περιέσεσθαι· οἱ δὲ ταῦτά τε πάντα ἐς τοὐναντίον ἔπραξαν καὶ ἄλλα ἔξω τοῦ πολέμου δοκοῦντα εἶναι κατὰ τὰς ἰδίας φιλοτιμίας καὶ ἴδια κέρδη κακῶς ἔς τε σφᾶς αὐτοὺς καὶ τοὺς ξυμμάχους ἐπολίτευσαν, ἃ κατορθούμενα μὲν τοῖς ἰδιώταις τιμὴ καὶ ὠφελία μᾶλλον ἦν, σφαλέντα δὲ τῇ πόλει ἐς τὸν πόλεμον βλάβη καθίστατο.
αἴτιον δ᾽ ἦν ὅτι ἐκεῖνος μὲν δυνατὸς ὢν τῷ τε ἀξιώματι καὶ τῇ γνώμῃ χρημάτων τε διαφανῶς ἀδωρότατος γενόμενος κατεῖχε τὸ πλῆθος ἐλευθέρως, καὶ οὐκ ἤγετο μᾶλλον ὑπ᾽ αὐτοῦ ἢ αὐτὸς ἦγε,’(引用続く)
‘διὰ τὸ μὴ κτώμενος ἐξ οὐ προσηκόντων τὴν δύναμιν πρὸς ἡδονήν τι λέγειν, ἀλλ᾽ ἔχων ἐπ᾽ ἀξιώσει καὶ πρὸς ὀργήν τι ἀντειπεῖν.
ὁπότε γοῦν αἴσθοιτό τι αὐτοὺς παρὰ καιρὸν ὕβρει θαρσοῦντας, λέγων κατέπλησσεν ἐπὶ τὸ φοβεῖσθαι, καὶ δεδιότας αὖ ἀλόγως ἀντικαθίστη πάλιν ἐπὶ τὸ θαρσεῖν. ἐγίγνετό τε λόγῳ μὲν δημοκρατία, ἔργῳ δὲ ὑπὸ τοῦ πρώτου ἀνδρὸς ἀρχή.’(“Ἱστορίαι” Ζ, 65)
そうした卓越した指導者を開戦初期に失ったことで、アテーナイは政治的混乱が増幅するが、よく教科書的な記述に散見される、所謂「衆愚政治」(ὄχλοκρατία=ochlocracy)に陥ったわけではない。しかし、トゥキュディデースが説くようにペリクレスの存在感は圧倒的だったし、喪失感も大きかった。
そして、「さらにこのことに関連してペリクレスは、アテーナイの強みは同盟諸国からの金銭収入にあり、戦争の大局は賢明な政策と財力の余裕によって決せられるのだと説明した」(‘λέγων τὴν ἰσχὺν αὐτοῖς ἀπὸ τούτων εἶναι τῶν χρημάτων τῆς προσόδου, τὰ δὲ πολλὰ τοῦ πολέμου γνώμῃ καὶ χρημάτων περιουσίᾳ κρατεῖσθαι.’)とするように、戦争も危機対応も、戦略の適確さに加え、それを指揮する政治家の聡明さが不可欠なことは昔も今も変わらない。
なぜなら、如何なる体制においても支配は、政治家という少数者に帰属し、国家の命運を握っているからだ。そして、政治家の資質は、国民性とコインの裏表だということもまた、争えない真実なのだ。
「ところがそれに対して、後継者たちは自分たち自身の能力では、相互に比べてもむしろ優劣のない人たちであったから、かえってそれぞれ我こそは首位を占めたいと思って民衆の好みに迎合し、国家の大事を民衆の恣意に委ねることになってしまったのである。その結果、国自体が大きく、そのうえまた他国をも支配するような国であればあるだけ、民衆が政治を左右することによる過失も多かったわけで、アテーナイもその例外ではなく、特にシチリア遠征が酷い結果の代表であった。これは侵攻の相手についての過誤というより、遠征軍を送り出しておきながら、出征軍のために必要な措置をとるのを怠り、個人的な中傷によって民衆に対する指導的地位の争いに明け暮れ、遠征軍の活動を著しく鈍らせ、国内の混乱状態のそもそもの原因をつくったからなのである。」(第2巻65章10~11節)
‘οἱ δὲ ὕστερον ἴσοι μᾶλλον αὐτοὶ πρὸς ἀλλήλους ὄντες καὶ ὀρεγόμενοι τοῦ πρῶτος ἕκαστος γίγνεσθαι ἐτράποντο καθ᾽ ἡδονὰς τῷ δήμῳ καὶ τὰ πράγματα ἐνδιδόναι. ἐξ ὧν ἄλλα τε πολλά, ὡς ἐν μεγάλῃ πόλει καὶ ἀρχὴν ἐχούσῃ, ἡμαρτήθη καὶ ὁ ἐς Σικελίαν πλοῦς, ὃς οὐ τοσοῦτον γνώμης ἁμάρτημα ἦν πρὸς οὓς ἐπῇσαν, ὅσον οἱ ἐκπέμψαντες οὐ τὰ πρόσφορα τοῖς οἰχομένοις ἐπιγιγνώσκοντες, ἀλλὰ κατὰ τὰς ἰδίας διαβολὰς περὶ τῆς τοῦ δήμου προστασίας τά τε ἐν τῷ στρατοπέδῳ ἀμβλύτερα ἐποίουν καὶ τὰ περὶ τὴν πόλιν πρῶτον ἐν ἀλλήλοις ἐταράχθησαν.’(ibid., 65. 10~11)
米国での感染拡大が深刻だ。日本もけっして対岸の火事とは言えない状況だ。民主制は大いなる試練に直面している。[完]
「民主政治」の基本は、優れた政治のリーダーを選出することである。戦前の日本国民は、近衛文麿さんや松岡洋右さんのようなおかしなリーダーを選出したが、それは、マスコミにだまされたためである。戦後の日本国民は、議院内閣制の自民党政権の元、吉田茂さん、岸信介さん、池田勇人さん、佐藤栄作さん、田中角栄さんをなど、優れたリーダーを選出している。田中角栄さんは、金権政治をされたが、手法がそうであっただけで、政策は本当に日本国民のことを考えたものだった。安倍晋三さんに対しても、私はマスコミ政治部記者の描くような政治家だとはまるで思っていない。その日本国民をおかしな方向に導くのは、マスコミの政治部記者なのである。旧会社員さんが、彼らは確信犯である。さらに言えば、彼らは「自分たちが確信犯だ」と自覚していない確信犯である、と形容されている人々である。
を見つけた。
インタビューに答えて、「軽症者や症状がない人など、幅広く検査することはデメリットの方が多い」とし、三つの問題点を挙げておられる。話し手は、地下鉄サリン事件の時、いち早く多くの患者を受け入れ、適切な処理をして助けた聖路加国際病院(東京)のQIセンター感染管理室マネジャー、米国のコロンビア大学の公衆衛生大学院も卒業された看護師の坂本史衣さん、きわめて信頼性の高い現場の看護師の解説である。読んでいただき、考えをかえていただくことができれば、嬉しい。彼女は1か月以上前、2月26日にも、PCR検査についての詳しい説明をBuzzFeedNewsされているが、https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-sakamotoこのような解説を日本のテレビ局がきちんと視聴者にしてくれれば、日本の一般人の理解も違ったのではないか、と思う。
時々いい記事もあるだけに残念だが、まあそんなものだろう。
この人は3月7日にNY州の緊急事態宣言をしたけれど、それまで一体何をしていたんですか?
マジに何一つ対策らしい対策をしていないのです。
NYには膨大な在米中国人がいるし、中国からの観光客も大量にくるのです。 だから2月1日から中国から渡航拒否しても、その前に大量の感染者が来ているのは自明なのに、2月一杯何をしていたんでしょうね?
日本も台湾やシンガポールも、一月から感染者はすでに相当国内に入っている事を前提に、感染抑止に働いていたのに。
NY州知事は3月3日には「日本からNYの留学生をチャーター機で連れ帰って隔離する」なんて言っていたのです。
そして3月7日に慌てて緊急事態宣言出したけれど時すでに遅く、感染拡大抑制など不可能な状況になっていたのです。
こんな愚かし政治家の姿勢を学んでどうするんですか?
なるほど緊急事態宣言以降は何だか派手なパフォーマンスをやっています。
しかし火事が小さい内は見落とし、大火事になってから大騒ぎで消火に励む人間と、最初から火事を出さない人間のどちらがエライんでしょうね?
レストランで食事をすることは、「密閉・密集・密接の回避」の回避に反した事にはなりません。 レストランの営業も、またレストランで食事をすることも禁じられていないし、自粛の対象でもありません。
妻は妻の自主判断でやったことで何で夫が責められるのですか?
先生は妻は夫の付属品か奴隷だとでも思っているのですか?
この騒動でわかったのは、日頃「女性の自立が!!」「女性の人権が!!」と喚いていた人間達の女性蔑視です。
それにしても先生がそういう連中の尻馬に乗って大はしゃぎするとはね。
幻滅しました。
少なくとも27・28のコメントは著しく的外れだと思います。
まず、NY州知事の件については、篠田教授は彼の演説(又は会見)での語り口について論評しているのであって、クオモ知事の新型コロナウイルス肺炎対策やこれまでの知事としての行政手腕について語っているわけではありません。
このことを踏まえて27を読めば、まるで「ヒトラーは演説の名手だった」と語る人に対して「お前はホロコーストを肯定するのか!」と絡んでいるようなレベルです。
28についても、事実を「単なるレストランでの食事」ということに矮小化した上で、初めて篠田教授の所論への批判として成立するものであって、報道のとおり安倍昭恵氏が多人数で会食していたとすれば、 「密閉・密集・密接」に該当していると考えるのが常識的でしょう。慶応病院の研修医たちがどうして批判されたのか、よもぎねこ氏には理解できないのでしょう。
ちなみに、会食の時期には「花見の自粛」が呼びかけられていただけではありましたが、花見は「密閉」ではあり得ず、方法(参加人数に対し相対的に広い場所を確保するなど)によっては「密集・密接」も避けられます。
また、妻の言動について夫がどこまで責任を負うべきかについては様々な見解があるでしょうが、高位公職にある人物が配偶者の言動に関して一定の社会的批判を浴びることは日本社会では一般的なことであり、篠田教授の所論が特異なものともいえないでしょう。ちなみに厳密にいえば、この点についても篠田教授は安倍総理の答弁内容を論評しているのであって、「夫は妻を管理すべきだ!」と主張されているわけでもないようです。
よもぎねこ氏のコメントは、藁人形論法の典型といえるでしょう。
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