安倍首相の布マスクの配布が話題を呼んでいる。マスクは自分を守ることにはあまり役立たない、と朝日新聞は強調している。https://blogos.com/article/447731/ ところがもう国民は皆知っている。マスクの効用は、自分の飛沫を拡散させないようにすることだ、と。
つまり、日本の首相は、自己防衛手段ではなく、他者防衛手段を、まず先行して国民に配るのである。非常に興味深い。「他人に迷惑をかけない」ことを美徳とする日本の文化に根差したアプローチなのか。海外にも「日本モデル」の象徴として宣伝したい。
軌を一にして、トランプ大統領がマスクの着用を促す発言をしたというニュースや、米疾病対策センター(CDC)もマスクを普及させようとしているというニュースhttps://www.bbc.com/japanese/52116972?fbclid=IwAR12NVHjzNn7C1vJ9JO8S4a5NZzOapXgYFmLOv9EmAyFQ9uJUlKI551gMdQ 、さらにはニューヨクタイムズが紙面を切り抜いてマスクを作る型枠つきの記事を出したというニュースが入ってきた。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200402-00000011-asahi-int ヨーロッパでも同じ動きがあることが伝えられている。
これだけの災害になると、他者を守ることが、社会を守り、自分を守ることにつながる、ということを、皆が肌身を持って感じ始めている。西洋流に言えば、「社会契約」の論理である。「私はお前を殺さない、だからお前も私を殺すな」という考え方が、ホッブズ以来の近代国家成立を説明する「社会契約」の原理である。いささか大げさだが、非常時においてマスクに「社会契約」の意味があることをアメリカ人が気づき始めたというのは、非常に興味深い。
昨日の文章で書いたが、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の理解によれば、「日本モデル」は、クラスター対策・医療体制・行動変容の三つによって成り立っている。http://agora-web.jp/archives/2045194.html?fbclid=IwAR2cUY9kBm40SDMcKNIBFzG1cb322STwiGofX3HEH2aV4-sY4P_wjMSzmwU マスクの使用を奨励して、他人を守ることを通じて自分を守ろうと呼びかけるのは、国民の「行動変容」を促すことだ。また医療機関に使い捨てマスクを優先配布するために一般世帯には布マスクを配布するのは、「医療体制」を守る行為でもある。クラスターの発生を防げば、もちろん「クラスター対策班」を助けられる。
ところで、マスクで思うのは、コンビニのレジ係である。最近は皆、マスクをつけてくれている。ところが時折、だからこそ一層いつもよりも大きな声で「〇〇円です、おつりは〇〇円です、〇〇を使いますか」と「不要不急」な事柄を、ものすごくハキハキと発声してくれる方がいる。
大変に申し訳ないのだが、危険な行為である。
専門家会議『分析・提言』は、「近距離での会話、特に大きな声を出すことや歌うこと」(9頁)を危険な行為としている。
私は普段はメガネをつけないのだが、最近は外出の際には伊達メガネをしている。飛沫感染から目を守るためである。
新型コロナウイルスは、目の粘膜から感染する。目でなければ、コロナ感染は自己努力で相当に防げるはずで、たとえば肌の表面にウイルスが付着していても、石鹸で洗えば取り除ける。ところが、自己防衛がほぼ不可能なのは、他人が自分の目に飛沫を浴びせた時だ。一瞬だ。これをやられたら、どんなに気を付けていても、感染を防げない。
だからこそ「外出するな」の前の「日本モデル」は、「大声を出すな」なのである。
(ちなみに私は、日本人のメガネ着用率の高さが、日本の感染者数の抑制に関係していると秘かに推察している。)
マスクは他者防衛、メガネが自己防衛である。不思議に聞こえるかもしれないが、これが「日本モデル」だ。
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それも日本的な知恵なのだろうが、新型感染症の拡大を食い止めることは困難だとしても、急激な拡大を何とかして抑え込もうと政府の専門家会議主導で取り組んでいる日本型の対策と啓発、日本型システム、日本的スタイル、あるいは篠田さんに敬意を表して「日本モデル」と称する三本柱の感染症対策が、今後ともどの程度有効か、正直、専門家会議が出した1日付の文書「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」を読んでもいま一つ腑に落ちないところがある。
先月来の「引き続き辛うじてもちこたえている」(19日)、「まん延の恐れが高い状況」(26日)から、「今のところ諸外国のような、オーバーシュート(爆発的感染)は見られていないが、都市部を中心にクラスター感染」が相次ぎ、「患者数が急増しており、感染爆発が起こる前に医療供給体制の限度を超える負担」から、医療崩壊につながりかねない「医療現場の機能不全」の危険性を警告しているが、基本的スタンスは変えていない。
3月21~30日の東京都の事例から推定した実効再生産数(感染症の流行が進行中の集団のある特定時刻に、一人の患者が生み出した二次感染者数の平均値)は、同月15日時点の「1超」から推定値で「1.7」に跳ね上がったことが注目されるが、それに即応した特段の対応策のギアチェンジは盛り込まれていない。
そこには、クラスター探索に加え、海外帰国者への検疫や経過観察など、感染経路を洗い出すことで早期に対処してきた手法が有効ではない、感染経路不明の感染者が増えていることが最大の原因で、クラスター班の人的体制の限界や検査の手薄さがネックになっていることもあって、これまでそれなりに有効に機能してきた日本モデルを直ちに大幅に見直したり、放棄して代替的な別プランに移行するわけにはいかない事情があるのだろう。
「行動変容」対策の実効性を上げるための携帯端末を利用したICT活用策は、クラスター対策の補強と広範なデータ収集のためには魅力的なツールだが、個人情報保護との関連から今後の議論をまたなければならず、当面の導入は難しそうだ。さらに、導入した場合のクラスター対策にとどまらない有効性を説得的に国民に呼び掛ける議論を巻き起こす政治のリーダーシップも不可欠で、実際の導入、実施提案は専門家会議の手に余るのが実態だろう。説得は科学的アプローチではないからだ。
このほか、地域ごとの感染状況に違いに応じた「地域区分」の導入による段階差を設定した個別対策は、その具体的取り組みと有効性がいま一つつながらない。
重症患者を死なせない医療態勢づくりは喫緊の課題だし、今後、どの程度の規模かは措いて急増するのは目に見えている多くの感染者、無症状や軽度、中等症に応じた治療や入院措置などの振り分けは、緊急事態の基本なので、国民皆保険で如何に医療体制が整っているとはいえ、急激な感染患者増加に対応する日本独自の対応策、妙案など、基礎疾患を抱えた大量の高齢者層によって逼迫した現在の日本の医療事情ではどこにもないので、こちらも政治の舵取り(κυβερνατήρ)に、今後の帰趨がかかってくる。
日本型の個別的有効性、卓越性は両刃の剣の脆弱さを内蔵していることも頭に入れておくべきだ。日本モデルが通用しなくなった場合の代替可能なBプランに加え、緊急時の対応プラン(emergency plan)を常に用意しておくことが、非常時対応の基本戦略であり、常道だからだ。
現在の日本モデルは、どうみても鉄壁には見えない。少ない資源を有効に活用する日本的な手法で、ある種洗練されてもいるが、ガラス細工のような脆さを感じさせる。論理立てはなかなかだが、「堅忍不抜」的な脆さ、危うさで、少々の見込み違いがあってもビクともしない、という安定感に欠ける。そこには、謂わば「鉄と鋼の論理」(σιδηροῖς καὶ ἀδαμαντίνοις λόγοις)の力強さが欠けている。
妙な譬えだが、ゼロ戦のような強さと脆さだ。日本海軍が誇るこの「零式艦上戦闘機」は、登場当時、その速度と攻撃能力、航続距離と操縦性で他を寄せつけない圧倒的な威力を発揮し、航空戦力主導の時代を切り開き、日本に緒戦での華々しい戦果をもたらした。
天才的設計士堀越二郎が両立しえない注文を、機体の軽量化と独自の設計思想で具現化させた夢の戦闘機だったが、搭乗員の保護を犠牲にせざるを得ず、弱点が見破られたことで神通力を失い、最後は特攻兵器となった。
日本的な技術の強みと弱点が同居した事例は他にもあろうが、ゼロ戦の悲劇ほど典型的なものもない。
ゼロ戦の初出撃は1939年9月13日。中国・漢口から国民政府の拠点、重慶を爆撃し無傷で大きな戦果を上げた。漢口は長江対岸の武昌、漢陽とともに武漢三鎮と称する要衝で、革命後、合併して現在のウイルス発信源、武漢となった。
「その点は、既にさきほどの議論の中のあのところで、われわれにはその通りであることが明らかにされているのであって、ぼくに言わせるなら、しっかりと押さえられ、縛りつけられているのだと言ってもいいよ。それも、いくらか乱暴な言い方が許されるなら、鉄と鋼の論理によってそうされているわけだ。――とにかく、以上みたところでは、そう思われるのだからね。そこで、この堅い論理の縛めを、君なり、あるいは君より威勢のいい他の誰かなりが、打ち破って解き放つのでない限り、いまぼくが言っているのと違った言い方をしたところで、それは適切な言い方になるはずはないのだ。」(加来彰俊訳、岩波書店版『プラトン全集』第9巻、191頁=一部表記を変えた)
‘ταῦτα ἡμῖν ἄνω ἐκεῖ ἐν τοῖς πρόσθεν λόγοις οὕτω φανέντα, ὡς ἐγὼ λέγω, κατέχεται καὶ δέδεται, καὶ εἰ ἀγροικότερόν τι εἰπεῖν ἔστιν, σιδηροῖς καὶ ἀδαμαντίνοις λόγοις, ὡς γοῦν ἂν δόξειεν οὑτωσί, οὓς σὺ εἰ μὴ λύσεις ἢ σοῦ τις νεανικώτερος, οὐχ οἷόν τε ἄλλως λέγοντα ἢ ὡς ἐγὼ νῦν λέγω καλῶς λέγειν:’(Gorgias 509A)
議論の内容はともかく、そこで言われる鉄壁の論理、即ち鉄(σιδηρος)と鋼(ἀδαμαντίνοις)になぞらえるような強固な、普遍的な論理構成が政府の専門家会議の議論には欠けているように思う。
それは、クラスター対策に絞って日本モデルの感染症対策をする場合には、精緻な分析で強みを発揮しているようだが、諸外国での対策に適用可能なのだろうか。
「とにかく、以上みたところでは、そう思われるのだからね」、言い換えれば「まあ、そのように見えそうだ」(ὡς γοῦν ἂν δόξειεν οὑτως)では、少々心許ない気がする。[完]
オーバーシュート: 欧米で見られるように、爆発的な患者数の増加のことを指すが、2~3 日で累積 患者数が倍増する程度のスピードが継続して認められるものを指す。とあるが、その根拠をder Spiegeの電子版でみつけた。Verdoppelungszeit、倍増する期間という指標が大事だそうなのである。https://www.spiegel.de/wissenschaft/verdopplungszeit-die-masszahl-der-pandemie-a-fa7b3f99-cf68-4f63-a172-3d143a802e2e?sara_ecid=nl_upd_1jtzCCtmxpVo9GAZr2b4X8GquyeAc9&nlid=rllbdrav 考えてみれば、このCovid19の基本再生算数はドイツの場合、2.5で、基本的に一人が2.5人に移すことになっているのだから、なにもしないと爆発的に増えることは火を見るより明らかだ。問題はスピードなのである。そのスピードを日本は抑制しているのであってこの感染病の感染力は強いのだから、免疫のない日本人の中では増えざるを得ない、という前提でものを考えなければならない。倍増時間という指標によって、この病気のダイナミックがわかるのである。ドイツでは5日の平均という基準をとって比較している。そうすることで最近の傾向がわかるし、ぶれも少ない。、
日本の専門家会議も、この考え方を軸に、オーバーシュートという言葉は、そう定義されたのかもしれない。
オーバーシュートとは、異常なスピードでの患者数増加 が見込まれるため、一定期間の不要不急の外出自粛や移動の制限(いわゆるロックダウンに類する措 置)を含む速やかな対策を必要とする。なお、3 月 21~30 日までの 10 日間における東京都の確定日 別患者数では、2.5 日毎に倍増しているが、院内感染やリンクが追えている患者が多く含まれている 状況にあり、これが一過性な傾向なのかを含め、継続的に注視していく必要がある
今、感染の一大拠点ミュンヘンにおいて、Covid19の大規模な調査、例えば、どれだけ感染が広がっているか、集団免疫ができるかどうか、抗体検査も行い、学校の休業の有効性を調べるために、親が子供に、或いは、子供が親にどう感染させるか、などの調査と研究が行われているそうであるが、その事実も国民に希望を与える。日本のマスコミのコメンテーター、専門家ぶっている方々も、最近の研究成果を元に、発言されてはどうだろう?主観的な気分で、不安だ、心配だを煽り、安倍首相をはじめとする政府を批判するのをいい加減にしていただきたい。専門家会議の方々もそのテレビを見る視聴者も気の毒である。
自治医科大学附属の医療センターの記事がよくまとまっている。
「マスクの効果と正しい使用方法」
・風邪やインフルエンザ患者は1回の咳で約10万個、1回のくしゃみで約200万個のウイルスを放出する。患者がマスクをつけることで周囲の汚染を減少させることができる
・ウイルス自体の粒子径は0.1~0.2μm、咳やくしゃみではウイルスに水分やほこりが付着し、粒子径は5μm以上とやや大きくなるため、すぐに短い距離に落下し、空間をただようことはない。
・環境や衣類に付着したウイルスが手によって呼吸器に運ばれ感染する場合もあり、マスクだけで風邪やインフルエンザのウイルスを確実に遮断することはできない。
・ただし、風邪やインフルエンザ患者の近くで看病するなど咳やくしゃみのしぶきを直接浴びる可能性がある場合には予防効果がある
以上の通り、どう考えても人口密度の高い場所では効果ある。
さらに、これは重要だが、いろんなものを触った手から自分の口・鼻に感染するので、手で口・鼻をよく触るクセのある人には非常に効果的と考えられる。
また、今朝のNHKニュースでも香港の研究グループがコロナに対するマスク効果を裏付けた。
米国のCDCでもマスクでもなんでもよいから顔を覆ってほしいと勧告している。そのため欧米では口をスカーフで覆う人がたまに見られるようになった。(テロリストもまぎれるが、そんな危機感はコロナパニックで薄れたようだ)
このコロナ危機においても、政権を茶化すことが最優先のとんでもない新聞社だ。記者個人はそれなりに医療情報に詳しいと思われるが、おそらく記者の意思というよりも新聞社内の上位の意向だろう。
朝日新聞は歴史的経緯があって餓鬼に乗っ取られたようだ。これはウィルスのようなもので感染力が強い。SNSでも朝日記事に便乗し、多くの暇な人々がマスクを無意味に茶化している。
そのためマスクを始終つけることにより、自分の手で顔をさわっても口と鼻は自動的にガードされる。ただし、目はガードできない。
よく手を洗うこととマスク常用が現在常識になりつつあるが、それは迷信でもなんでもないと思われる。
ちなみに私はマスクを入手できないので会社で現在マスクは着用していないので「模範的」ではない(家族用には小型マスクを備蓄しているが、私にはサイズが小さい)。95%の社員がマスクを着用しているため内心は白い目で見ているであろうが、それを言ってこないのがいかにも奥ゆかしい日本人らしい。
自宅にマスクが送られてきたら、すぐ着用し、まめに殺菌または洗濯しようと思う。実に有難いことで、こういう男も世の中にいるのだ。マスク配布政策は官僚の助言らしいが、(与太記事にも負けず)マスクの効用や意義をさらに社会に浸透させるだろう。
また、そういった軽い意見とは、別に社会が封鎖されれば医療機関や公的機関などへの様々な物流や商流が遮断され、社会的弱者への深刻な影響も考えられるので微妙なところだ。個人的には、(総合的に判断して)非常事態宣言は出さずに、国民が知恵をだして乗り切るべきと思う。
街の病院では、風邪らしき患者がくると(今までと違って)少しでも呼吸が苦しかったりすると聴診だけですまさずレントゲンをとり肺炎かどうか確認する。患者の何割かは「コロナでしょうか?」と医師にたずねると、医師は「コロナかどうかわかりませんが、あなたは2週間くらいは出来るだけ外出しないでください」と答える。
多くの企業では、毎朝出勤前に社員が体温をはかり微熱があれば出勤しないように要請したり、在宅勤務の部門を徐々に広げている。
夜の飲食店は行政の指導が重要で、パチンコ店などはクラスタ発生を注意深く監視している。感染者用の受け入れ態勢を同時に拡充する。
そうこうしているうちに感染が広がって集団的に抗体ができていくのを待つ感じだろう。日本人の危機管理体制は(バカがひっかき回さなければ)非常に優秀だ。また、この暗黙で微妙な文化を世界に輸出するにはどうすればよいかということは、むしろ篠田氏などの専門かもしれないと思ったりする。
このBCGについても日本モデルの対応は独自だった。日本で予防接種は義務制だと思い込んでいる人が多いが、完全な義務制でなかった。
「予防接種は逆に有害だ」という研究者もあちこちにいたからだ。GHQの医療部が強制しても学術会議に強い反対意見あったらしい。そのため、専門知識のある学者や医師の家族にはBCG予防接種をさせないという人も多かった(これは高度経済成長時代以降も多かったと推測する)。
つまりBCG接種はやったほうがよいが100%それが正しいとも言えないので(例えばどんな副作用があるか完全予測は困難)、専門知識に基づいて強く疑問をもつ場合などは予防接種をしなくて逃げることができて、罰則規定もなかった?らしい。つまり完全義務でなかった。
そういう微温的なところが、逆に日本の良さとも言えるのではないかと思う。
「というのは、ぼくとしてはいつでも同じことを言うわけだが、つまりぼくは、それらのことが本当はどうであるかを知らないのだけれど、しかし、こうして今のように、ぼくが出会って話した人たちの中では、だれ一人として違った言い方をして、笑いものとならずにおられる者はいないからなのだ。」(‘ὅτι ἐγὼ ταῦτα οὐκ οἶδα ὅπως ἔχει, ὅτι μέντοι ὧν ἐγὼ ἐντετύχηκα, ὥσπερ νῦν, οὐδεὶς οἷός τ’ ἐστὶν ἄλλως λέγων μὴ οὐ καταγέλαστος εἶναι.’; Gorgias 509A、加来彰俊訳、岩波書店版『プラトン全集』第9巻、191~192頁)というもので、今回の新型コロナウイルス感染症のように、事態は時々刻々と動いており、政府も新たな対応に踏み切るタイミングを見定めているというのが、目下のところの実情ではないか。
このところの東京での感染者の急拡大からして(3月21~30日の実効再生産数は1.7と推計される)、昨日4日に政府専門家会議のメンバーでクラスター対策の中核を担う西浦博氏が、「早急に欧米に近い外出制限をしなければ、爆発的な感染者の急増(オーバーシュート)を防げない」との数理解析モデルに基づくシュミレーション結果を公表したことは、全国一律はともかく、東京に限っては経路不明の感染者の急増もあって、もはや、現在の自粛要請を超える、一段と踏み込んだ外出や移動規制措置が必要になっていることを、クラスター対策の牽引者自身が認め、公表せざるを得ない事態になっていることを端的に示している。
控え目に言って、それは日本モデルが通用しなくなった場合を想定した提言であり、経済への悪影響を恐れ緊急事態宣言をためらっている現在の自粛要請レベルでの対策の限界を示し、早い段階での対応転換、つまり政治決断を迫っている。
西浦氏の現状認識は、「現在の東京都は爆発的で指数関数的な増殖期に入った可能性がある」として、早急に「自粛より強い外出制限をする」必要性を説くものだ。試算はそれを端的に示す。
それによれば、2割減程度では現在の推移からみて大流行を数日遅らせる程度の効果しかもたず、「爆発的な患者増は抑えられない」としたうえで、さらに小池百合子東京都知事による先週末の外出自粛要請によるJRなどの利用者は7割弱減だったとする分析結果を、「感染者の急増を減らすのには不十分かもしれない」と踏み込んでおり、自粛続行によって今後も7割減が続いたとしても、対策としては不十分な恐れがあるとしている。
現状のまま、新たに特段の措置を講じなければ、「1日数千人超の感染者が出る」ことを明言しており、その通りなら、もはや待ったなしの状況だ。それを回避し、早い段階で減少に転じさせるには、人の接触を「8割減に」することを求めるという、より抜本的な対応転換を促しており、謂わば政府や東京都への最後通牒のようなものだ。
一方で、人的接触を8割程度減らすことができれば、潜伏期間などを踏まえ、10日~2週間後に感染者数を1日数千人をピークに、その後は急速に減少させることができるとしている。
8割減の接触の切断は、まさに安倍首相が緊急事態宣言をめぐる国会答弁で、宣言を出したとしても「フランスなどのような規制ができるかと言えば、できないわけで…」とした現在の欧米諸国並みの厳しい外出・移動規制に相当し、謂わば身内の専門家側から、政治判断が不可避なことを突きつけられたようなものだ。
「日本モデル」の理論的根拠を提供していた当事者によるこの見立ては、東京に限ったことと受け取るにしても、極めて重い。日本モデルはさまざまな要因に支えられて、ここまで一見して有効性を維持してきたわけで、有効性を支えたその前提条件が崩れるからだ。
感染予防上のマスクの有効性とか、感染者が急拡大した場合に医療崩壊を防ぐ態勢づくりなど、従来の発想の延長線上で今後も議論を詰めていく猶予がある課題はともかく、限定的とはいえ、客観的データを基にした当面の感染拡大の帰趨に関する計量的予測は、日本の場合、西浦氏が頼みの綱だからだ。
この点で実効再生産数1.7のもつ意味は重い。感染者1人から平均して1.7人に感染の連鎖が起こるわけで、2.7人となった後の二次感染で2.7+2.89=5.59人、三次感染で5.59+4.91=10.5人となる計算だから、しかもそれは3月21~30日のデータを基にした推計だから、実際にはもっと実効再生産数が上がっていると想定される。
前回、日本モデルの有効性の限界と「ガラス細工的」な危うさを指摘したばかりだが、それを最もよく認識しているのは、結局西浦氏かもしれない。ゼロ戦ではないが、緒戦の勝利は必ずしも最終的勝利を意味しないように、一時的な成功に注意を奪われ「愚を共にする」(συνασοφεῖν)ことなく、長期戦に備えなくてはならないようだ。それは、もはやどうにも否定できない「現実」(τὸ γιγνόμενον)なのだろう。
所謂‘sub specie bienni’(須臾の相の下に)の皮相な認識が、現実によって完膚なきまでに論駁されることは、世の常だからだ。[完]
☆訂正 5のゼロ戦の初陣は、1940年9月13日の誤り。
前回引用したプラトン『ゴルギアス』の後続部分は、
「というのは、ぼくとしてはいつでも同じことを言うわけだが、つまりぼくは、それらのことが本当はどうであるかを知らないのだけれど、しかし、こうして今のように、ぼくが出会って話した人たちの中では、だれ一人として違った言い方をして、笑いものとならずにおられる者はいないからなのだ。」(‘ἐπεὶ ἔμοιγε ὁ αὐτὸς λόγος ἐστιν ἀεί, ὅτι ἐγὼ ταῦτα οὐκ οἶδα ὅπως ἔχει, ὅτι μέντοι ὧν ἐγὼ ἐντετύχηκα, ὥσπερ νῦν, οὐδεὶς οἷός τ’ ἐστὶν ἄλλως λέγων μὴ οὐ καταγέλαστος εἶναι.’; Gorgias 509A、加来彰俊訳、『全集』第9巻、191~192頁)というもので、今回の新型感染症のように、事態は時々刻々と動いており、政府も新たな対応に踏み切るタイミングを見定めているというのが、目下のところの実情ではないか。
このところの東京での感染者の急拡大からして(3月21~30日の実効再生産数は1.7と推計される)、昨日4日に政府専門家会議のメンバーでクラスター対策の中核を担う西浦博氏が、「早急に欧米に近い外出制限をしなければ、爆発的な感染者の急増(オーバーシュート)を防げない」との数理解析モデルに基づくシュミレーション結果を公表したことは、全国一律はともかく、東京に限っては経路不明の感染者の急増もあって、もはや、現在の自粛要請を超える、一段と踏み込んだ外出や移動規制措置が必要になっていることを、クラスター対策の牽引者自身が認め、公表せざるを得ない事態になっていることを端的に示している。
控え目に言って、それは日本モデルが通用しなくなった場合を想定した提言であり、経済への悪影響を恐れ緊急事態宣言をためらっている現在の自粛要請レベルでの対策の限界を示し、早い段階での対応転換、つまり政治決断を迫っている。
ニューヨークの親友も、「日本の首相の判断もそうかもしれないけれど、アメリカの大統領の判断は最悪。自分のことしか考えない。」というので、でもニューヨーク州のクオモ知事はいいでしょう?ときくと、「彼はすばらしい、人間味あふれていて。」、との答えで、安倍首相は、日本のマスコミのおかしなレッテルはりの被害にあっておられる、と再確認した。
日本でも、Covid19患者の重症度によって病院を分ける、ことがテーマとなっていて、特に日本の場合は、重症者は高度な医療を受けられるところへ、軽症者や無自覚者は、自宅やホテルで、という主張がマスコミ界の主流になっているが、ドイツの場合は、重症患者の扱いが日本と違っていると思うので、抜粋して翻訳する。
Heinsberg州ではすでに2月に大規模な感染が起こったために、その中の重症患者50人を、アーヘン大学病院に運んで処置をし、医師がその経験について "Deutschen Ärzteblatt"(ドイツの医師新聞)の中で公表している。この病院は、重症度の患者だけ受け入れたので、軽症患者については書かれていない。
2.男性が三分の二を占め、女性が三分の一である。
3.すべての患者に持病がある。35人が高血圧、29人が糖尿病、25人が呼吸器疾患、
その中にはCOPD,喘息等が含まれる。その他に心臓、腎臓、肝臓疾患、癌患者。
4.80%以上が発熱がある、50%に咳あるいは、はじめから呼吸困難。1%だけが鼻水、或いは、頭痛。2人だけが、のどの痛み。胃腸の不調。吐き気や下痢を初期に訴えたのは、6人の患者だけだった。
5.最初に症状が出てから、病院に搬送されたのは平均で4日。この時間は、武漢の報告書より短い。
6.対象となっている患者の半数、24人は肺が機能しなくなったので、人工呼吸器が必要となった。そのうち8人はECMOを必要とした。
7.重症な肺不全でない他の患者すべては酸素療法が必要だった。
8.肺不全の患者はしばしば慢性の器官の疾患をもっており、肺不全にならないCovid19no 患者よりも肥満で会った。その他の既往症はこのグループでは差を示さなかった。
9.ウィルスの量は肺不全、なしの患者に違いはなかった。武漢のデータは高いウィルス量が重篤化に影響を与えるというものであった。
この研究結果から判断する限り、やはり、65歳以上の高齢者でかつ、高血圧、糖尿病、呼吸器疾患、癌などの持病をもった、肥満な人が重症化する、ということがわかる。同時に、入院生活は長期戦になるし、亡くなる方もおられることから考え、
日本の都道府県も、重篤患者すべてを救おうとするのではなくて、ドイツのHeinsberg州のようにCovid19の重傷者の病院の一元化をした方が、院内感染も防げるし、医療スタッフがCovid19との戦いに専心できるのではないか、と思う。また、日本のマスコミには、主観的な解説ではなくて、このようなデータの裏付けのある報道と解説が求められているのではないのだろうか。
Wie viele Menschen jeden Tag positiv auf das Coronavirus getestet werden, wissen wir. Aber wie oft enden die Untersuchungen mit einem negativen Ergebnis? Das Robert Koch-Institut liefert nun Antworten.
また、Spiegel誌電子版の検査問題、https://www.spiegel.de/wissenschaft/medizin/corona-wie-viele-tests-sind-negativ-a-130acc46-b203-4c2d-845e-0594d1dbf87a を読んで、日本のマスコミと小池知事の異常な騒ぎ方はなになのか、と思った。
ドイツでも、検査結果の信頼性が問題になっていて、どれだけの人が毎日Pcr検査で陽性になったということは、わかっているが、検査結果が陰性であった人がどのぐらいの割合を示すかわからない、検査数を増やしたのだから、陽性者が増えて当たり前だ、という論調になっているが、日本、特に東京の場合、検査の数量を増やしたのだから、陽性の人が増えてあたりまえだし、クラスター班がした検査は、感染経路がわかるが、自発的に医師を訪れて、検査を受け、陽性になった時、感染経路がわからないのが普通で、そうなるのは目にみえている。検査が少ない時は、もっと隠れてはずなのに隠している、検査を増やせば増やしたら、依然と比べてこんなに増えた、と大騒ぎをするのをいい加減にやめてもらえないだろうか。
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