ここ最近、医学の専門家の方々が、社会運動家してきているのが目立つ。社会的使命を感じて行動されているということなのだろうが、非常に特異な状況になってきていると感じる。
時の人と言ってもいい「クラスター対策班」の西浦博・北海道大学教授については、私はしばらく前に、こう書いたことがある。
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今、日本において、西浦教授ほど重要な人物は他にいないのではないか。私が政治家なら、即座に巨額の研究資金を西浦教授に預けるために奔走する。http://agora-web.jp/archives/2045006.html
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私がこう書いたのは、全国の保健所の方々が持っている情報などを集積・分析して進める研究には、相当な労力が必要だ、と思ったからだ。しかし私の期待は外れた。
西浦教授は、もっぱらメディアやSNSを通じた発信や政治家への影響力行使に関心があるようだ。個人ツィッターでの濃厚なやりとりだけでなく、新規に開設した「新型コロナクラスター対策専門家」というアカウントでは、非常事態宣言を通じて人の移動を8割減らそう、という運動系の話が中心になっている。
安倍首相は、4月7日の非常事態宣言会見の際に、次のように述べた。
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東京都では感染者の累計が1,000人を超えました。足元では5日で2倍になるペースで感染者が増加を続けており、このペースで感染拡大が続けば、2週間後には1万人、1か月後には8万人を超えることとなります。しかし、専門家の試算では、私たち全員が努力を重ね、人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができます。
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これは西浦教授の理論を信じて安倍首相が非常事態宣言を発令したことを意味している。「西浦理論」と言えるのは、これが4月3日の日本経済新聞に出た西谷教授のモデルの話だからである。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57610560T00C20A4MM0000/?fbclid=IwAR3U7Zh8naAM0xSijpQ1bfMGFO_pgYhPjniOT34Qod-SgVVfmvj3iRG5NGU
日本経済新聞に掲載されたグラフは、西浦教授が提供したもので、架空の条件にもとづいた抽象的な試算モデルだ。東京の未来を試算したグラフではない。それを日本経済新聞があえて東京の未来の予言としてしか読めないような記事に入れこんだ。ただし、この記事が西浦教授の意図で掲載されたものであったことは、「新型コロナクラスター対策専門家」ツイッターで西浦教授がこのグラフの解説を行ったことによって明らかになった。
日本経済新聞の記事の問題性については、私も一度書いたことがあるし、http://agora-web.jp/archives/2045258.html 池田信夫氏も複数回にわたって書いている。http://agora-web.jp/archives/2045256.html http://agora-web.jp/archives/2045327.html
一言で言えば、東京の今後について書かれた記事に掲載されたグラフは、東京の今後についてのグラフではなかった、ということである。
早く緊急事態宣言を出させる圧力が正義だという風潮の中で、とにかく地獄のシナリオと克服のシナリオを国民や首相に見せることが正義だという思惑があったかのように感じざるを得ない、不思議な記事だった。
自民党の二階幹事長が「8割削減なんてできるわけない」と発言したことがニュースになった。これは西浦教授⇒安倍首相のルートで首相会見に入ってしまった内容について、自民党が不満を感じていることを示唆しているように見える。https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20200408-00000057-jnn-pol&fbclid=IwAR2LhEt65yTZmxdjiJ6jQgQeBqiWNZK8wmi2KzcV07P0hdhPdVGbUxw83_U
確かに、そもそも首相会見の冒頭の「医療崩壊を防ぐために緊急事態宣言をする」という説明だけなら、「人と人との接触機会を8割削減」は不要だった。人工呼吸器の数と、「人と人との接触機会を8割削減」は、論理的に結びついていない。
「8割削減」は、西浦教授のルートが首相に結びついて挿入されたものに見える。だから、当然、自民党は不満だろう。
西浦教授は、自らを「専門家」と呼んでいるが、今や完全に永田町の重要政治アクターになっている。
大きな政治論点になっている、西浦/日経/安倍理論の中身について整理しよう。
① 東京では、感染者数が千人を超えた4月5日の2週間後の4月19日に感染者数が1万人になる。非常事態宣言の効果は2週間現れないので、この予測は絶対である。<計算上、4月10日金曜に少なくとも2千人を超え、4月15日水曜には少なくとも4千人を超えて、4月19日までに1万人を超える。一か月後に8万人になるかどうかは緊急事態宣言後の情勢次第だが、東京において4月10日2千人、4月15日4千人、4月19日1万人は、絶対である。1億2千万人に影響を与えた問題である。恐らく西浦教授が学者生命を賭けて絶対視している予測だろう。>
② 非常事態宣言の「10日後~2週間後」、感染者数は、劇的に減少し始める。つまり4月18日~22日頃、累積感染者数は6分の1程度になる。
③ そこから20日経過した5月8日~5月12日頃には、コロナ危機はほぼ収束する。
上記のうち、①は絶対に発生する事柄である。②・③には条件がある。「人と人との接触を8割削減する」ことである。
もっとも日本人同士の接触が一カ月ほど「8割削減」されると、日本列島においてコロナウイルスが撲滅される、ということが、本当に科学的に証明されているのかどうか、私は知らない。西浦教授がそれを学術的に証明する論文を書いたのかどうかも、私は知らない。
むしろ欧米諸国の様子を見ると、交通利用者を8割減らすと「10日後~2週間後」に劇的に減少が始まる、などということは言える実例は皆無であるように見える。
佐藤彰洋・横浜市立大教授(データサイエンス)は、「
東京都の場合、公共交通機関の乗車時間と面会する人数を各個人が98%減らす必要」があるという記事を毎日新聞に出した。
しかしいずれにせよ、「西浦理論」の「8割削減」を目標にして、一カ月の緊急事態宣言が運用されることが明言された。1億2千万人の日本国民に、この「西浦理論」だけにもとづく課題が与えられた。
私は「医療崩壊を防ぐ」という目標は、社会的意義と内容が明確で、良い目標だと考えている。しかし「8割減少」は、架空の条件下の抽象モデルの話を、具体的な日本の現実に強引に当てはめようとするだけの考え方で、果たして現実的な意味があるのか定かではないと思っている。
私はむしろ、「8割削減」というのは、架空のモデルに即した極度に抽象化された目標なのではないか、と疑っている。真面目に現実にあてはめようとしても、測定不可能な政治スローガンとしてしか働かないのではないか、と疑っている。ある人は渋谷の街の歩行者の数を見て「8割」を測定しようとするし、別の人は自分が一日に会った人の数で測定するし、また別の人は他人と話した時間の長さで測定するかもしれない。そもそも「三密の回避」を重視する立場からすれば、「人と人との接触」の感染リスクは、接触の様態によって大きく変わる。「8割削減」を機械的な数値で一律測定するなどという「質」を無視した考え方と、「三密の回避」には、根本的な矛盾すらある。
仮に実現不可能であるだけでなく測定不可能なスローガンであるとしても、「まあ後で一人でも感染者が減れば、それでいいじゃないか、国民はなるべく焦らせるべきだ」、という意見もあるのかもしれない。
しかし、非常事態宣言によって経済は停滞し、財政赤字は膨張し、失業者が増大し、数多くの人々が経済的苦境を経験する。政治家なら、「まあ、一人でも感染者が減ればそれでいいじゃないか」、という態度はとれない。巨大な「責任」を背負うのだ。政治家に影響を与えた「専門家」も、当然、「責任」を負うと考えるべきだろう。
われわれ社会科学者は、通常、自分の発言には社会的責任がある、と考える。明言したことが事実と異なれば、社会的責任を負う。あるいは、わからないことをわからないと言い、推測であれば推測でしかないことがわかるように言う責任を負っている、と考える。
「専門家」の予測にも当然責任がある。まして自ら積極的にマスコミ・SNS・政治家に働きかけたというような経緯があったのならば、なおさらだ。
このことは、事態の推移を見守りながら、今後時間をかけてしっかりと検証していく必要がある事柄だと考える。
コメント
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今回のことでも、私はずっと尾身茂副座長のファンだった。それは神がかりというのではなくて、尾身さんの主張に納得できたからである。また、尾身茂さんは、民主主義の基本、専門家がアドバイスして、オプションをいくつか出して、その中から政治家が決める、も実行しておられる。西浦教授のように、メディアやSNSを通じた発信や政治家への影響力行使によって、自分の仮説を日本で実験しようとする野心があるわけでもない。現実に、尾身副座長は感染症の専門家としてのアドバイスを西村大臣にされ、安倍首相、西村大臣ははそれを元に、政策を判断されているのではないのだろうか。
1.公共空間では、生計の違う人々、二人以上は同席しない。
2.少なくとも他人と1.5mの距離をおくこと。
3.家族や同居人とは、これからもずっと一緒に外出できる。
4.この制限を2週間かける。
5.外出制限とは、ある目的以外には外出できない、というものである。その政策を
バイエルン州とサールランド州がそれを採択した。
これによると、ドイツでは、外出制限は州単位でかけている。
公共空間で、生計の違う人々、二人以上は同席しない、という趣旨も、家庭内感染を前提にしたものである。日本のような狭い住空間、同居人が感染したら、自分が感染しないわけがない。夫が感染したら、私も感染するとお互いに考えているが、西浦教授の対策、人との接触8割減らしても、2割の人の中に感染力の強い人がいれば、その接触した人は感染する、という現実がまるで考慮されていない。そして、スーパーマーケットや医院や薬屋は、体調の少し変な人、言い換えれば、発症初期のCovid19の一番感染力のある人が、行く可能性が一番ある場所ではないのだろうか?その近くにいる人は確実に感染する。そのような理論を無条件に信じる、マスコミ関係者、東京都知事の気がしれない。
学校を休校にすることがCovid19対策として意味のあることかどうか、今日はそのテーマについて考えてみたい。(学校の一斉休校も、岡田博士や橋下徹氏の猛烈な発言で国民は正しいことのように思わされているが、私ははじめから、この措置が本当に必要なのか、疑問をもっていたが)。
「認識のバイヤス」とは、自分の考えが確証されたと感じたり、我々の考えが正しそうだ、という理由で、我々が特にその情報を本当だ、と受け取ったり、強調することをさす。そして、他の人は、同じ理由で、本当だ、と強調しない。学校の休校についての、新しい研究成果がThe Lancet Child & Adolescent Health に公開されているが、その結果は、私の個人的な望み、学校、なかんずく学童はできるだけ早く開き、現在の家庭での特別な状況を正常化してほしい、に近いものがある。
研究の仕事は、公表前に”Peer Review"同分野の人の評価のプロセスを経ることが必要である、もちろん時折ある間違った先入観をチェックする、という目的のために。
もちろん、私にも「認識のバイヤス」がかかっている可能性もあるが、一日中、テレビやSNSで洗脳されると、普通の人は、専門家と自称する疑似専門家に洗脳されてしまうのではないのだろうか。
ヨーロッパのコロナ警報システム,プロジェクト Pepp-PTが10日の間に完成、という記事をみつけた。
08.04.2020, 10:32 Uhr
https://www.spiegel.de/netzwelt/apps/europaeische-corona-warn-app-soll-ende-der-osterferien-fertig-sein-a-9270f162-cc4f-4170-9624-182941987dc1?sara_ecid=nl_upd_1jtzCCtmxpVo9GAZr2b4X8GquyeAc9&nlid=rllbdrav
ヨーロッパで開発されたスマートフォンの技術をCovid19感染症の抑圧に使う、この機器はイースターのすぐ後、実用化されたコロナ警戒機器がお目見えする。ブース氏、Pepp-PTのプロジェクトリーダーの一人であり、ドイツ政府デジタル審議会に属するIT経営者は、4月15-19日の間に最初の機器をオンにする、と述べた。
このコンセプトは先週ヨーロッパ8か国の130人の専門家によって開発され、ドイツ連邦軍によって、ベルリンでテストされた。
Bluetoothを基本とするこの機器は、人々にすばやく、匿名で、彼らがコロナウィルスの陽性反応のあった人々と接触があったことを伝える。今までは、この情報は保健所の職員を通じて感染者の記憶の元に行われていた。彼らは、感染者が思い出したすべての接触者にそのことを知らせようと努力していた。大変手間と費用のかかるやりかたである。どれほどPepp-PTがこの方法を簡単にし、早くするか、をここで紹介する、
と続くが、日本も早く、中国、韓国、シンガポールで成功し、また、これからヨーロッパで導入されようとしている文明の利器を使うことを考えなければ、人との接触を80%減らす、などという、わけのわからない専門家の洗脳に惑わされていると、Covid19との戦いに負けてしまうのではないのだろうか。
サイレントマジョリティの声を代弁すれば、
「ここ毎年インフルエンザで3000人亡くなっている。たしかに新型コロナは変異するしワクチンもないので恐れることはわかるが、そこまで死者は増えないだろう」
「しかし世界はこのウィルスとの戦争をすると決めたので、日本だけ呑気でいることは許されないことは理解できる」
まあ、こんな感じだろう。
安倍首相は、「諸外国を見習って法的限界の都市封鎖に近いところまでやれ」という勢力と「日本は諸外国のように経済停止までして国民の生活を圧迫することはない。今までの延長線上の措置を」という勢力の板挟みとなって悩まれただろう。
今回は、メディアと有象無象の「専門家」を中心とする前者の圧力に負けてしまったと見るが、まあ仕方ないことと思う。
緊急事態宣言は一度出してみて、その効果を測定するためにも意味があったと考えてもよいかもしれない。ただし、一か月という長期がどういう影響を与えるかわからない。社会が不安定となり無能な野党が政権交代したような旧民主党の時代には戻らないでほしいと切に思う。
人間どうしの接触をさける無人店舗や自動運転、オンライン教育、オンライン診療、在宅ワークなどの仕組みの進化がさらに強く後押しされるだろう。
医療関連の仕事をこころざす若者も増えるような気がする。
ただし、それらはあくまで緊急事態を想定した社会構造の変化であり、もう一方で人間らしい生活としての人間的なコミュニティ、自殺者を防ぐような精神ケアの成熟などが(コミュニケーション過疎化社会と同時並行で)進化することも予想される。
それとマスコミが情報定食を与えるのでなくネットの発展によりもたらされた情報自由化により、様々な各種専門家の真贋を(今回のように社会の死活問題として)判断するための高度な常識、それは生活に根差す知恵だけでなくリベラルアーツ的教養も含むものだと思うが、必要とされる時代になる。
特に政治家や集合知を牽引する情報発信者にもそれらが必要とされるということを今さらながら感じた。
言い換えれば、国民の大半は、二階俊博自民党幹事長と同様、本音では「7~8割」削減は無理だと考えているようだ。その意味では、危機意識(ἐπ’ ἀκμὴν ἥκειν)は半ば他人事、ということだろう。
危機意識とか危機(ὁ ἀγών)に関する認識は、ある意味、言葉自体が示すように単なる感覚(αἴσθησις)や実感(ἡ ἐπαφή, πάθημα)とは別な意識的な知覚(εἰδώς ἀντίληψις)だから、今回のテーマである数理疫学的な知見は、実感が伴いにくく、今回の篠田さんのような違和感がもたげるのだろう。
しかし、敢えて反論するなら、それはけっして、⇒【架空のモデルに即した極度に抽象化された目標】などではないし、⇒【測定不可能な政治スローガンとしてしか働かない】ものではない。経済への打撃を恐れるあまり彌縫策に終始するのは、責任逃れだ。先進国的には標準的な対応である感染症疫学に関する数理モデルを利用した予測や抑止対策は、その実効性の事後検証や対策の根拠の明示化が可能だという点で、最も合理的な手法だからだ。
「日本モデル」が現段階でも明確に破綻していないからといって、日本だけが今後とも特異な対策を続けて首尾よく危機的事態(κίνδυνος ἕξις)を回避できる保証などどこにもなく、政府の専門家会議でこの分野を主導する西浦博氏の専門家としての暴走や、専門知の独裁を批判することは的外れだろう。
日本にその伝統や蓄積がないとしても、感染症の流行に関する数理的研究には長い歴史がある。なかでも、数理感染症学は、集団レベルにおける観察と説明に関して、最も妥当性を有する理論化に成功した研究領域とされ、流行に関する定性的分析は、生態学的に大きな意義を有する説明を可能にしてきたし、その手法である数理モデルを駆使した解析と予測は、力学系・確率論や、確率過程・位相幾何学・統計学的推定など、広範な分野にわたって研究が進み着実な成果を生んでいる領域だというのが、専門家の一致した見解だ。
SARSの流行や新型インフルエンザに加え、天然痘ウイルスを利用したバイオテロなど、その研究対象は応用的側面に富む領域であることから、近年は社会的要求度の高い感染症の予測と推定、流行抑止対策の評価が実施されるなかで、従来の架空のモデルに基づく単なるシュミレーションという先入見を退け、現実性の高い議論が可能になってきたことは、もう少し認識されてよい。
これには、個体群生態学領域における個体群動態(population dynamics)の数理モデルで利用されたような安定性分析を、感染症疫学モデルの研究にも適用できるようになったことが大きく与っていると指摘されるが、同時に観測機器や手段が高度に発達し、コンピュータ科学の進化もあって、複雑で大量のデータ処理が可能になったことも、数理モデルによる理解や情報の分析、整理の有用性と必要性を後押しした事情がある。何と言っても分析手法の改良が進み、安定性が出てきたことも大きい。
西浦氏自身が以前の共著論文で指摘したように、感染症分析は現在、「内在性(intrinsic; 感染症の伝播するメカニズムそのもの)及び外因性(extrinsic; ワクチンをはじめとする流行抑止対策など)の妥当な想定に基づいて」数理モデルを構築することが求められており、それが現在の国際標準の知見だということだ。
「即ち、感染過程(infection process)と発症に至るまでの各疾病の特性を考慮した上でデータを取り扱う必要があり、それに従って諸々の統計学的推定手法をモデルに応じて使い分けなければならないために方法論は複雑になる傾向がある」からだ(西浦博、稲葉寿『感染症流行の予測:感染症数理モデルにおける定量的課題』、「統計数理」、2006、第54巻第2号、462頁)。
論文は、感染症に関する数理的アプローチを公衆衛生活動に適用する際のギャップを埋める部分に該当する確率論的な(stochastic)モデルに関連した推定を中心に、「直接伝播する感染症の流行(epidemic)あるいは集団発生(outbreak)の観察データに基づいて実施する定量的諸問題を総説」したもので、他分野の研究者向けに、先進的な研究状況を紹介する通説的な議論の域を出ていないが、実際の解析や流行(伝播)予測に使用される数学的手法を、初学者向けに懇切に説いており、役立つ。
それによれば、感染症数理モデルは、「その個体群動態を想定して、個体群レベルの流行メカニズムを考慮したボトムアップ式の過程で構築され、その中でも最も簡単な直接伝播する感染症の決定論的(deterministic)なモデル」であって、対象となる閉鎖人口(closed population)について興味の対象である感染症に依存した三つの状態に区画分けして行う区画モデル解析(compartmemt model analysis)として行われる。
各区画間の時間当たりの変化を表現したのが、度々紹介した次の常微分方程式系、
dS(t)/dt=−βS(t)I(t) dI(t)/dt=βS(t)I(t)−γI(t) dR(t)/dt=γI(t)………(2.1)
で、βは感染率、γは回復率や隔離率であり、βI(t)は時間tにおける感染力(force of infection)と定義され、流行規模やその速度はβやγによって特徴づけられる。
総人口サイズを1に固定した場合、感染者が対象人口に(過去を含めて)存在しない平衡状態(S(t),I(t),R(t))=(1, 0, 0)で(2.1)を線形化すると、以下が得られる。
dI(t)/dt=(β−γ)I(t)………(2.2)
少数の感染者が侵入した初期に、感染者はI(t)≈I(0)exp{(β−γ)t}というように指数関数的増加する(マルサス法則)。このことから病気が集団に侵入可能となる条件は、マルサス係数がβ−γ>0となることであり、書き方を変えると
R0=β/γ>1………(2.3)となる。
このR0(=R nought)が、感染症が集団に侵入可能となる条件を決定する基本再生産数(basic reproduction number)で、「(全ての個体が初期に感受性を有する状態で)1人の感染者当たりが生産する二次感染者数」を意味する。R0<1であれば流行が発生しても次第に感染者人口は減衰すると考えられ、R0>1であれば感染者は初期に指数関数的に増大する。R0はパラメータβとγに依存しており、この解の定性的挙動に関する現象を閾値現象(threshold phenomena)ということは、既述の通りだ。
以上は決定論的モデルで、解析的研究や想定された流行モデルの定性的な解の挙動に関する理解に役立つとして、パラメータ推定を伴う定量的な検討をする場合は、推定値の精度や元々の対象データの変動を定量化するための確率論的モデルに基づく推定を行うことが求められる。
dS(t)/dt=−βS(t)I(t) dE(t)/dt=βS(t)I(t)−εE(t) dI(t)/dt=εE(t)−γI(t) dR(t)=γI(t)………(2.4)
のように表わす(εは暴露後に感染性を得る率であり、ε−1は感染待ち時間が指数分布に従うと仮定した場合の平均値)。
各パラメータ、即ち感染待ち時間と潜伏期間(incubation period=感染から発症までの期間)の違い、感染性期間(infectious period=感染から感染性獲得までの期間)と症候性期間(symptomatic period=症状を有する期間)については、感染待ち時間と感染性期間は感染性を根拠に分類され、潜伏期間と症候性期間は症状を根拠に分類され、感染→感染性獲得→発症→理論上の回復→症状消失のように推移する。通常、潜伏期間は感染待ち時間よりも若干長い傾向にあり、症候性期間は感染性期間よりも長い傾向にある。
このほか、実際のデータ分析において、感染率βが流行時刻によって変動することや、感受性が宿主毎に異なる場合、さらに一人で異常に多くの二次感染者数を産み出した感染源=スーパースプレッダー(superspreader)の問題を含め、対象となる流行や感染症ごとにデータの性質が異なってくるため、その内容と特性によって異なる推定手法を柔軟に対応しなくてはならないのは当然だ。
さらに、接触頻度の違いを原因とする感染率の異質性(heterogeneity)を処理する方法として、均一な接触パターンをもつ複数の亜集団(subpopulation)に分けて考えるマルチタイプ型流行(multitype epidemic)モデルなどを駆使する。
以上のように、一つずつの現実的要素を加味するごとにモデル形成は複雑性を増すため、数式やプログラムが複雑化するだけでなく最適化(optimization)も困難になる。
論文の中で西浦氏は「感染症は統計データに富む一方で、将来予測や抑止対策評価という大きな目標と動機があるために現実的想定に関する批判的見方が厳しい」(473頁)と、実際の感染症対策に適用される場合、数理モデル的解析は、必ずしも現実を完全に説明できるものではないことを認める。
一般的に数理モデルを駆使した多くの分析に共通した課題だが、「推定を目的とした統計モデルでさえも何らかの非現実的想定に基づかなければならないことも多い」(同)事情も認めている。内在性の想定をどこまで論理的で現実的に沿った形で描写できるかによって、定性的、定量的に妥当性の高いモデル構築できるかが、数理感染症学の変わらぬ課題だからだ。
しかし、それをもって、⇒【西浦教授は、自らを「専門家」と呼んでいるが、今や完全に永田町の重要政治アクターになっている】のような批判は当たらない。
現実に対処する確立された操作的アプローチ法として、数理感染症モデルに代わる、有効な解析、予測、対策の科学的手法など、実際のところ、他にどこにも存在しないからだ。
最後に、池田信夫氏の「アゴラ」4月5日付「東京都に緊急事態宣言は必要か」と題する杜撰な主張の一面性を指摘しておきたい。
⇒【指数関数的な感染拡大を想定すると、こういう風になることはおかしくないが、問題はどういう条件で】は、本人がどれだけ自覚しているか否か測りかねるが、批判の態をなしていない。
釈迦に説法だが、反証可能な科学的な議論は、その前提とデータ、分析手法を明示して行うもので、西浦氏も参画する政府の専門家会議が、3月21~30日の東京の実効再生産数を1.7としたのに、「8割接触削減という結論ありき」で試算を行い、ありもしない足下の危機を煽っているとの主張のようで、基本生産数と実効再生産数の違い、その他のファクター、直近のデータなどを織り込んで、危機対応の大原則である最悪の事態(χείριστος κατάστσις)を回避するために必要な条件を提示しただけのことだろう。
⇒【感染者数は医療資源にとって本質的な制約ではない】というのも、バランスを欠く、近視眼的な思考だ。感染者数の急拡大は、さまざまな側面で医療資源を食い潰す。新型感染症で死ぬだけが悲惨な死でも何でもないが、感染力の強さからみて、医療態勢維持に脅威であることに変わりはない。欧米諸国がそれを示している。人工呼吸器の多寡は、問題の本質ではない。経済への壊滅的打撃で自殺者も出ようが、自殺者対策の優先順位は低い。
都市封鎖など最初から放棄している日本にとって、⇒【日本人の自粛で感染の拡大が止められたというのは神話…(欧米との)大きな死亡率の差を説明できない】は、それこそ真偽を検証しようのない主張だ。
致命的な危機に(ἐν χρείᾳ τύχης)なりかねない瀬戸際に、経済が気になって「問題は始まったばかりで、まだ危機ではない」(ἐν ἀρχῇ πμῆα, κοὐδέπω μεσοῖ)かのような主張で、危機意識が足りない。[完]
Nach Hilferuf aus London Bundeswehr liefert Beatmungsgeräte nach Großbritannien
ロンドンから助けの叫び、ドイツ連邦軍は人口呼吸器をイギリスに運んだ。
https://www.spiegel.de/politik/deutschland/corona-krise-bundeswehr-liefert-beatmungsgeraete-nach-grossbritannien-a-9d27f9c9-0ff7-4ef6-b851-f7caad959f7b?sara_ecid=nl_upd_1jtzCCtmxpVo9GAZr2b4X8GquyeAc9&nlid=rllbdrav イギリス政府は医療崩壊を恐れている。
Von Matthias Gebauer und Jörg Schindler
09.04.2020, 14:58 Uhr
イギリスでは60000人がCovid19ウィルスに感染し、すでに7000人が亡くなっている。ジョンソン首相の容態が重症化したので、月曜日に病院に運ばれた。
イギリスの医療は、コロナ危機前も問題があったが、現在すでに限界にきた。英国は、この危機の山は来週であると考えているが、それまでに少なくとも18000の呼吸器が必要なのに、現在ロンドンには10000しかない。ドイツ軍の呼吸器がその一部を穴埋めする。ドイツ軍はコロナによって負担が増えているイギリスのクリニックを支援する。情報によると、ドイツ軍は速やかに60台のモビール式の呼吸器をNatoパートナーに届ける。英国防衛相は、多くのNATOパートナーに助けを求めた。短期間の審査でカレンバウアー防衛相(CDU)はその照会を受理した。この援助に対してドイツ政府は請求書を発行しない。この危機の克服の為の小さな、けれども効果的な貢献である、ことを望んでいる。イギリスはBrexitをしたが、NATOの信義をドイツは守っている。
ドイツのメルケル政権は、アメリカのトランプ政権と対極にある。反氏は、ドイツ人に不信の目を向けられるが、私がつきあったドイツ人は、日本人の私にいつもこのような大きさとやさしさを併せ持つ人が多かった。日本のマスコミの人々も、英米の基準で日本政府を批判するのをやめて、もっと大きな国際的視野をもって、ものごとを判断する努力されればどうか、と思う。
Auf diese Therapien setzen Ärzte weltweit
https://www.spiegel.de/wissenschaft/medizin/covid-19-die-langwierige-suche-nach-der-rettenden-arznei-a-79095a70-18e6-4f0c-8022-da451c2e02f3?sara_ecid=nl_upd_1jtzCCtmxpVo9GAZr2b4X8GquyeAc9&nlid=rllbdrav
この前コメント欄で紹介した,韓国で成功した、治癒した人から抗体をもった血漿を使う、という治療法、はどうなのだろうか?この方法は、薬剤と違って、副作用の心配もなく、いい印象をうけるのだけれど。
もちろん、アビガンもドイツに大量に輸入されたわけで、Spiegel誌にも、フジフィルムと富山化学によるウィルスを増殖を促す酵素をブロックする効き目のある有力な薬品として紹介されているが、一番にきているのは、完治した人の抗体をもった人の血漿を使うBlood Plasma法である。
Coronakrise EU-Finanzminister einigen sich auf Milliarden-Rettungspaket
コロナ危機:EUの財務大臣たちは、数10億ユーロ規模の救済策に合意した
EUは5兆ユーロの規模でEUの国々企業を支え、雇用を守る、このことを数日間の議論の末に財務大臣たちは合意した。
09.04.2020, 22:26 Uhr
https://www.spiegel.de/politik/ausland/coronakrise-eu-finanzminister-einigen-sich-auf-milliarden-rettungspaket-a-e573f526-12dc-4dbd-9b8f-c9e27526d627
救済策は3つの要素からなっている。
1.ESM(ヨーロッパ安定メカニズム)による、特にパンデミーによって痛めつけられた国への2兆4000万ユーロまでの支援
2.2兆ユーロまで使えるEIB(欧州投資銀行)の企業債の為の保証ファンド
3.EU委員会に提案された”Sure"と名付けられた1000億ユーロ規模の「短期労働者」プログラム、その他に経済を回復するための期限付きの”Recovery Fund"についても合意された。
この金額はどこから捻出するかはまだ確定していないが、パンデミーで大変傷ついた国を含めこの危機を共同して克服するというたEUの結束を表現したものである。
考えてみれば、世界大恐慌の時、敗戦国ドイツは賠償金は支払わされたが、このような支援を受けられず、国内に多くの失業者を抱えて、政治がおかしくなり、第二次世界大戦を引き起こしたから、ドイツ政府は自分たちが得にならないこのような合意を受け入れたのだと思うが、日本のCovid19の経済問題も、今からが大変である。日本国内に多数の失業者が出るだろう。
テレビのコメンテーター、専門家と自認している人々は、日本のこれからの失業対策、企業対策についても総合的に合理的に考え、発言するべきではないか、と思う。ドイツ人は混乱の中、ヒトラーを救済者と錯覚し、政治指導者として選び、敗戦国となり、反省し、学び、今日の結論に達しているのだから。
先に紹介した西浦博氏の共著論文(西浦博、稲葉寿『感染症流行の予測:感染症数理モデルにおける定量的課題』、「統計数理」、2006、第54巻第2号、462頁)の一節だ。
感染症への科学的アプローチとはそうしたもので、日本では斯学の研究者も研究蓄積も極めて貧弱だが、国際水準の、確立した思考法、手法であることは言うまでもない。
その点で、老媼の16⇒【どうして、その本場の欧州は、人との接触を80%減らしましょう、という政策をとらないのだろう】は、都市機能の強制的制限措置に踏み切っている欧州諸国の共通の数理感染症学に基づいた緊急時の標準的社会政策を無視するもので、御門違いのマルクス経済学批判をもち出すなど、何の理解もない証左だろう。17⇒【微分、積分、数理モデルなどを持ち出すから、問題が複雑に】なり、国民をミスリードするのではなく、その程度の高等数学に恐れをなして、数理解析の実質について何の理解もないから途方もない勘違いをするのである。
それを普通は、無知(ἀμαθία)とか無学(ἀμαθής)いう。
むろん、数理免疫学の高度の知見をもち合わせた有能な研究者であっても、今後の帰趨の正確な予測に失敗することはある。しかし、それは感染症の流行予想モデルの不備や数学的手法の不適合というより、データの見方や評価に関する過誤やパラメータ推定の不適切に基づく推定値の変動であって、その誤差が大きければ端的に予測の失敗だが、データやパラメータを見直すことで誤差の原因を科学的に説明できる、という点で科学的合理性がある。流行予測は根拠なき予言(μαντεία)、占い(μαντεία)とは異なる所以だ。
政治は民主制国家であると否とにかかわらず、不確実な将来(ἀμφίβολος μέλλον)に向けた選択であり、将来の不確実性(τὸ ἀφανές)に関係する正確な予測の困難さは、専門家(τεχνίτης)も無知な大衆(ὄχλοι)も基本的には変わらない。
不確実な将来を対象とした政策的選択において、ケインズも説くように合意可能な「正解」はない。「なぜなら、そのような計算を行うための基礎が存在しないからである」(since the basis for making such culculations does not exist.)。
しかし、リスク(ὁ κίδυνος)に関する相当程度の計算(λόγος)は可能で、現在の状況を可能な限り正確に捕捉したうえで将来に対応するための計算=合理的なシュミレーションは有用であり、リスクを前もって分散する(συγκινδυνεύειν)ための方策を行使できる。
不確実性はどこまで行っても無にはならないが、リスクは計算できるのであり、感染症数理モデルに基づいたい外出・接触制限には合理的な根拠がある。研究の蓄積がある欧米諸国が、そうした知見に基づいて罰則付きの強制的な接触制限に踏み切ったことは、政治的な正当性(rightness=νόμῖμος)があるのである。
3月29日付の「Googleモビリティ」によると、商業・娯楽施設や交通機関、職場への人の利用、勤務状況をビッグデータを基に集計した東京、大阪と、ロンドン、マドリードの、人と人の接触に関する計測値によると、人手の減少割合は、【娯楽・小売】東京63%、大阪21%→ロンドン87%、マドリード94%、【駅】東京59%、大阪30%→ロンドン80%、マドリード89%、【職場】東京27%、大阪7%→ロンドン62%、マドリード65%――だったという。
緊急事態宣言前の数値だから現状と単純に比較できないが、外出・接触制限が上記の項目以外の要素を含めた全体的な接触度合で8割減を目指すものだとして、経済活動への打撃を恐れたり、テレワークなどへの切り替えが容易に進まない現状からみて、職場での達成は至難の業に近い。
それを促すのが政治的に強いメッセージだが、国民個々の自粛=自助努力では、休業対策の問題もあって限界がある。その言い訳が、感染症モデルによる対策への不信や反感、控え目にみて違和感だとすれば、そこに日本人特有の日本的特殊事情への拘泥や日本的優位性への驕り、誤認がある。日本にだけ都合のよい抜け道や妙手などなく、「最悪」(χείριστος)を想定した非常時対応としては邪道だ。
日本モデルのクラスター対策や「三密回避」は今後も部分的有効性をもつだろうが、経路不明の感染者が急速に増えており、急激な拡大を抑止しなければ感染爆発に呑み込まれる。現在でも逼迫している医療崩壊の危機をもち堪えられるか否かは、全体の感染状況の帰趨にかかっている。
左右を問わない行政への過剰な期待も政府批判も、日本人の「おかみ依存体質」の裏返しだ。[完]
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