4回目の緊急事態宣言の「検証」になる。国際政治学者の私が継続して書いているのは奇異だが、「専門家」がやってくれないので、仕方なくやっている。
日本のメディアで活躍する「専門家」と言えば、「42万人死ぬ8割減らせ」で有名な西浦博・北大教授/クラスター対策班メンバーや(メディアは専門家会議メンバーとも紹介するがhttps://www.j-cast.com/trend/2020/04/07383835.html?p=all 政府公式専門家会議メンバーリストには西浦氏の名前はないhttps://www.cas.go.jp/jp/influenza/senmonka_konkyo.pdf )、何週間も前から「日本は感染爆発の初期段階」「日本は手遅れ」「喫緊の感染爆発」を主張し続けている大学教員の渋谷健司「WHO事務局長上級顧問」(日本のメディア用の肩書)あるいは「元WHO職員」(海外メディアではこちらの肩書になる)などばかりが活躍している。
https://www.news24.jp/articles/2020/04/05/10620503.html
https://bunshun.jp/articles/-/37301?page=4
(*なお渋谷氏の正式な現在のWHOの肩書については知人を介して調べてみたが、職員リストにはないので契約コンサルタントか何かではないか、ということ以上はわからなかった。)
それにしてもロンドンの自宅にこもっているだけであるはずの渋谷「WHO事務局長上級顧問」・「元WHO職員」は、どうやって政府統計の10倍の10万人の感染者が日本国内にいる、と把握し、日本のテレビで報告できたのか?すごい調査能力である。http://jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-04-18/2020041801_04_1.html
渋谷氏は、以前は、皇后・雅子様の双子の妹君との離婚と、即座の年下女子アナと電撃再婚で話題を作ったことのある人物である。https://jisin.jp/domestic/1623641/?fbclid=IwAR11tFO5FX01hSfTbvTcl-OgzcilISdLfKwYYZUr2gQsr0UTfhi_ja7VwXI https://zaitakudemamawork.com/2018/04/03/funahashiakie/ https://corocoro-tabi.com/shibuyasetsuko-husband-marrige 今回も、日本のメディアと海外のメディアで肩書を使い分けるなど、切れ味抜群の方のようだ。
私が知っている政治学の分野では、新聞やテレビでこんな発言ばかりしていたら、学者生命が終わるかどうかの瀬戸際になる。渋谷氏はよほどすごい調査をしたのだろう。そうでなければ1億2千万人の人生を左右するようなことを簡単にテレビで主張できるはずがない。学者生命の全てを賭けて、新聞やテレビで発言している専門家(肩書は変幻自在)には、つくづく感服する。
私のような三流学者は、学者生命を賭けて秘密の調査結果を披露する余裕はない。せっせと公開されている数字を見るくらいしかできない。以下の文章は、それだけのものである。
*
さて、前回3回目の検証(4月15日)では、増加率の鈍化の傾向が明晰であったように思えたので、私としては少し踏み込んで、次の段階では徐々に鈍化の傾向が強まるだろうという予測めいたことも書いた。http://agora-web.jp/archives/2045469-2.html
そこから5日間は、その通りに進んできている。
日本のメディアは、感染者数が少ない日は何だか元気がなく、感染者が多いと興奮を隠しきれず「史上最高の一日の感染者数」と騒ぐ。しかし一日の感染者数を、陸上競技のようにとらえ、最高値が一度出るとそれが公式記録になるかのように考えるのは、間違いである。まず検証すべきは感染拡大のスピードであり、それは一日ごとの絶対数だけを見ていてもわからない。
統計処理をする際には3日移動平均値でグラフを作っていったりする。世界中からチェックされているFinancial TimesのJohn Burn Murdoch氏は週単位の移動平均で統計処理している。https://www.ft.com/coronavirus-latest たとえば、東京などを見ると検査体制などに曜日によるムラがあるのは織り込み済なので、日本の場合も週単位で見ていくのは理にかなっているように思える。(なお東京のPCR検査数が恣意的に減ったり増えたりしていると主張する方もいらっしゃるが、PCR検査数も週単位で見るとそのような傾向は見られない。)
Murdoch氏の「片対数スケール」のグラフでの一日あたり感染者の主要国比較を見てみよう。
(John Burn-Murdoch/Financial Timesのデータ)https://www.ft.com/coronavirus-latest
水色の線の日本(Japan)のDay 1は3月5日である。日本が3月20日頃から増加のペースを上げたのがはっきりわかる。ただ、それでも欧米諸国が経験したほどではなかった。そして日本の感染者数の増加スピードは、最近になって鈍化し初め、横ばいになり始めている。
安倍首相は、4月7日に緊急事態宣言を発出したが、その際の以下の発言は、4月5日の時点の東京都の感染者数のデータを基にしたものであった。
――――――――――
東京都では感染者の累計が1,000人を超えました。足元では5日で2倍になるペースで感染者が増加を続けており、このペースで感染拡大が続けば、2週間後には1万人、1か月後には8万人を超えることとなります。
――――――――――
4月19日は、4月5日からちょうど2週間がたったところである。5日で1.3倍のペースにまで落ち、東京都の感染者総数は1万人には到達しなかった・・・、それどころか、ようやく3,000人を超えたようなところである。これから2週間での8万人到達は、相当に確率が低いように見える。(・・・おっと、これは学者生命を賭けて「感染爆発」を主張し続けている専門家に禁止されている発言か。)
すでに過去の「検証」で指摘しているように、3月下旬に急速な増加を見せた東京(日本)の感染者は、3月25日小池東京都知事「自粛要請」の効果が見え始めるはずの4月2週目には、増加率の鈍化を示していた。今はさらに緊急事態宣の効果も徐々に加わってくるところである(潜伏期間は14日だが大多数の発症者は感染後5~6日で発症する)。そのため私は、すでに前回の5日前の4月14日時点の数字を見た「検証」の時点において、合理的な推論としては、今後さらなる増加率の鈍化が見られるだろう、と書けたわけである。
あらためて東京の様子を見てみよう。https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/ 各週の様子を、最後の累積感染者数(括弧内はその週の新規感染者数)と、一つ前の週と比べたときのそれぞれの増加率を示すと、以下の通りである。
4月13~19日: 3,082人(1,015人): 1.49倍(0.97倍)
4月6~12日: 2,068人(1,036人): 2.00倍(1.72倍)
3月30日~4月5日:1,032人(602人): 2.4倍(2.06倍)
3月23~29日: 430人(292人): 3.11倍(6.08倍)
このように3月下旬に急激に上昇した増加スピードは、3月25日小池都知事「自粛要請」の効果が徐々に出始めるにつれて鈍化し、さらに緊急事態宣言の効果も徐々に加わってきたはずの直近の週でさらなる鈍化を示した。
画期的なのは、一週間の新規感染者数が、前週の新規感染者数を下回ったことだ。これは、特筆すべき注目点である。(・・・おっと、これは学者生命を賭けて「感染爆発」を主張し続けている専門家に禁止されている発言か。)
同じ様に全国の様子を見てみよう。(https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/)
4月13~19日: 10,219人(3,603人): 1.54倍(1.05倍)
4月6~12日: 6,616人(3,425人): 2.07倍(2.21倍)
3月30日~4月5日:3,191人(1,544人): 1.93倍(3.52倍)
3月23~29日: 1,647人(438人): 1.62倍(1.73倍)
全国規模では3月25日小池都知事「自粛要請」の影響が小さいが、それでも4月に入ってから増加率の鈍化が見られ、緊急事態宣言の効果が徐々に出ているはずの直近の一週間で顕著な増加率の鈍化が見られる。非常に重要な点だが、週ごとの新規感染者数が1倍程度になっているのは注目点である。
ちなみに、当然だが、累積感染者数は、常に1倍以上である。したがって当面の重要到達地点は、新規感染者数(それぞれのカッコ内の数)の1倍以下だろう。東京ではすでにそれを達成し、全国においてもほぼ達成してきている。
私は、これは国民の努力の結果として、素直に好意的に見ていい数字ではないかと考えている。(・・・おっと、これは学者生命を賭けて「感染爆発」を主張し続けている専門家に禁止されている発言か。)
さて、安倍首相は、4月7日に次のようにも発言していた。
――――――――――――――
しかし、専門家の試算では、私たち全員が努力を重ね、人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができます。
――――――――――――――
この目標設定の「2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、」の点だけを見ると、宣言から12日間がたった時点で、かなり着実な緊急事態宣言の効果が表れてきている、と評価できるように思える。東京都は、すでに増加率1以下を達成しているので、あと2日間の平均新規感染者数が180を上回らなければ、緊急事態宣言から2週間後の4月21日に、週移動平均で増加率1倍以下としての「ピークアウト」という安倍首相の目標を達成する。(・・・おっと、これは学者生命を賭けて「感染爆発」を主張し続けている専門家に禁止されている発言か。)
すでに過去の「検証」で指摘したように、安倍首相の緊急事態宣言会見は、「医療崩壊を防ぐ」という目的の説明で始まっていた。今後、5月6日までの間に、医療体制の拡充と総合して勘案し、どこまで減少させることが「医療崩壊を防ぐ」ことになるのかの査定をすることになるはずだ。
ところが、日本国内の議論は、そのように進んでいない。そして安倍首相の行動は何もかもが失敗続きだという評価が広がっている。なぜだろうか。
実は、西浦教授が、各種メディアを通じて、「8割削減」すれば収束できるというバラ色の未来を語り続けているからである。そのバラ色の西浦教授モデルを達成するには、崖を飛び降りるようなジャンプ急降下があるかどうかが試金石になる。
しかし、西浦モデルを現実のものとするのは、大変な試みである。そもそも抽象的なモデル計算上の「人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減」という命題を、1億2千万人の1か月の生活にあてはめて計算可能な尺度として運用することは不可能だ。
4月16日に変更された新型コロナウイルス感染症対策本部決定 「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」には、「30日間に急速に収束に向かわせることに成功できたとすれば、数理モデルに基づけば、80% の接触が回避できたと判断される。」(3頁)という記述がある。https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000622473.pdf
要するに、8割削減が収束をもたらすというよりも、収束したら数理モデル上の8割削減があったとみなす、ということなのである。
「国民全体の人と人との接触機会の8割削減」など、計算できるはずがない。抽象的な条件にもとづく架空の想定モデルの中の話だ。だから、収束したら8割削減があったとみなす、としか言えないのである。
どうやって戦争に勝てるかと言えば、勝てる力を持ったときだ。だから勝てる力を持つまで頑張れ。勝てる力を持てば必ず勝てる。という話なのである。
西浦教授が指導する大衆動員運動では、国民が8割の移動の減少を果たしていない、ということを、ひどく問題視する。なぜかと言うと、西浦教授が、「8割減少」による「収束」を情熱的に強く追い求めているからである。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20200414-OYT1T50041/
https://www.asahi.com/articles/ASN4H3J87N4HULBJ003.html
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200415-00000033-mai-soci
だが、新聞の見出しが与える印象とは異なり、「欧米並みのロックダウン」で、事態を「収束」させた国など、世界に一つもない。中国共産党並みの武漢の激烈ロックダウンで2カ月半かけてようやく収束宣言に至ったが、実際には今現在も感染者は発生し続けているのが実情だ。それにもかかわらず、西浦教授は、その天才的な洞察力で、世界のどの国も達成できていないことを、日本だけは達成できる、と新聞やSNSなどを通じて啓蒙し続けている。
私も検査技師・保健所を含めた医療関係者の現場の方々への感謝と尊敬心は持っている。、何としても医療崩壊は防ぎたいという政策に全面的に同意し、人並みに自宅にこもっている。しかし、「収束」まで行かなければ、それは国民が努力を怠ったことを意味する、と脅かされると、意気消沈してくる。
大変に僭越な言い方だが、西浦教授のグラフだけを頼りにして、世界に前例がない課題を達成するのは、私のような一市民にはあまりにも壮大すぎる課題だ。上述のように、「8割削減」の定義は、結果として収束するかどうか、なので、西浦教授は絶対に失敗しない。失敗したら、ただ国民が怠慢を叱責されるだけだ。非常に苦しい取り組みである。
クラスター対策班が最後の一人の感染者を処理し、大々的に収束を宣言する記者会見を行うまで、私はこのまま脅かされ続ける運命なのだろうか。
それにしても、そもそも数字を超えた真実を知る専門家の方々にとっては、増加率が鈍化しているかなどはどうでもいいだけでなく、幻のようなものでしかないのかもしれない。国民は、「まだ42万人死ぬ可能性はある!」「すでに感染爆発は起こっているが日本政府が隠しているだけだ!」と言われ、歩み続ける。
学者生命を賭けて「感染爆発」を主張し続ける渋谷氏のような専門家を、私などあえて否定するつもりはない。学者生命を賭けて「感染爆発」を主張し続ける渋谷氏は常に永遠に正しいのなら、渋谷氏が正しいのだろう。
三流学者の私は、ただ単に数字を見てわかることを書くだけだ。
ただ、なぜ、渋谷氏が新聞やテレビで主張していることは常に絶対に正しいのか、その理由は、私には皆目見当がついていない。
コメント
コメント一覧 (29)
私がイライラして、コメントばかりするのは、このようなおかしな専門家の提言に従っていると、具体的には、西浦博教授の数理モデルからもたらされる理論に一生懸命に従っていると、日本国内で本当にCovid19感染者が爆発的に増えて、現実に医療崩壊し、大変になるからで、もう一度プリンセス・ダイアモンド号でのできごとを思い出せば私の危惧がわかる、と思う。
本来、あの船を停泊させて、2週間たてば、乗客は全員降りられるはずだった。症状のある人、濃厚接触者31人はすでに、検査済み、感染者は隔離済みだったし、乗客通しは、隔離されていた。その意味では他人との接触は0%である。ところが、その時、症状もなく、濃厚接触者でもないはずの船の乗客にPCR検査をすればするほど陽性患者が増えていったのである。西浦理論よりも厳しい基準、100%接触をたっているのに、2月17日、コロナ患者が下船してから3週間以上たって陽性と判明した人が、99名にもなった。
2/20 19 18 17 16 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5
13 79 88 99 70 67 44 39 65 6 3 41 10 10
(https://mato-memo.net/life/corona-diamond-princess.html
(14,と11日の陽性患者は発表がなかったのか0)
この対策は非現実的だし、医療関係者、スーパーの従業員、物流関係の人々に大きな負担をかける方策なのである。ちょっと合理的に考えると、西浦博教授のやり方は、現実的にできないし、それをたとえしたところで、ピークアウトするなどとはとても思えないのに、専門家である、という肩書だけで信じ、一日中その理論を日本国民に洗脳し続ける人々、マスコミの人々の頭の構造はどうなっているのだろう?要するに、理解していない、自分の頭で考えていない、としか思えないのである。
感染病なのだから、感染病の保菌者、特にその菌を発散させそうな人を避けるのは、病気の予防上、肝心なことだし、マスコミの人が糾弾していることが、日本国憲法上おかしいのである。前のブログのコメント18shinodahideaki.blog.jp/archives/34932332.html に書いたように、日本を除く国際社会では、コロナ感染者をみつけ、隔離する方法が探されている、のが現実の姿なのである。その感染者を隔離しないと病気が拡散してしまうからである。それを否定しているのが、人権上の観点から、あたかもみんながコロナ感染者のように考えて対策をしている日本なのである。アメリカのハーバード大学のR.Dhillon博士が、すでに天然痘のころから、環境調査は行われていた。感染者は身元照会され、隔離するために接触者が調査された。ワクチンができてから、我々は感染の鎖の調査の元に、感染した人の周囲の人々にも注射をした。原理はシンプルである。感染した人と接触のある人々の数をできるだけ少なくすると、感染の波をコントロールでき、感染の鎖を断つことができる、とその理由を説明をされているのにもかかわらず。公共の福祉が、人権より上に来るのである。人の命がかかっている。
Covid19に感染している時だけ、その濃厚接触者を含めて避け、病気が治れば、親密にかかわる、それを徹底することこそが大事なことなのである。一昔前の結核などと同じである。
とにかく、日本のマスコミの人がイデオロギーに流されず、常識をもつことが、日本社会で一番求められていること、だと私は思う。
また、アゴラ記事「コロナ自粛継続なら最大で自殺者6万人!? 出口戦略の早期検討を!」で、加藤琢磨さんが→国際政治学者として憲法学界に鋭い異論を放ってこられた篠田英朗氏も、政府の専門家の数理モデルを批判的に検証されてます< と肯定的な評価です。
ロンドンの大学教授・渋谷健司氏(WHO上級顧問!?医師)は、日本はこれから「感染爆発する」との言説です。今の東京は、2~3週間前のニューヨークだ!!< と似たような言説です。オオカミ少年の一種ですw 感染者・重症者・死者のデータに基づくエビデンスあるんですかね!?疑問です。
本文データに示してあるとおり、感染増加率の”鈍化”の傾向が、見られます。もう少し(あと1週間ぐらい)様子を見て、その確実性を判断したいところです。そして、トンネルの出口の光が見え始めたら、アゴラで加藤琢磨さんが書いているとおり、出口戦略の検討を始めるべきです。しかし、もう少し様子を見ないと予断できないと思います。
渋谷健司氏は、その肩書や取材に応じた経緯はともかく、「専門家」として、指摘された映像や記事をみる限り、それほど途方もないことを言っているとも思えない。感染者の急増に伴い、救急診療の逼迫や院内感染の多発など、態勢と物心両面で日本の医療現場が混乱し、このまま推移すれば医療崩壊を招きかねない状況が各地で広がっているのは事実だろう。
築地の国立癌センターのような高度医療施設でもスタッフに感染し、予定された手術を8割見送らざるを得ない事態に追い込まれている。確認された感染者が欧米諸国と比べ圧倒的に少ない現在の日本でもこの状況だから、一層の増加抑止に精力を振り向けることには合理性がある。
対策を抜本的に強化するとしても、欧米や中国のような強制的措置は日本では不可能だし、検査体制の拡充による状況捕捉は現実問題として追いつかないから、数理モデル解析による、大幅な接触削減による擬似的な強制的メッセージの発信は、他に有効な合理的手法が見当たらない以上、避けられない。そして、直近の未来を正確に予知できるか否かと、数理疫学的アプローチの有効性云々は、分けて考える必要がある。推定の計算法は明確だから、充分科学的だ。
PCR検査数の少なさも手伝って足下の感染の蔓延状況をつかみ切れておらず、そのために現在より遥かに多数の感染者が存在するだろう、という見解は、渋谷氏独自のものではなく、蓋然性がある。検査数の少なさは、最近になって緊急提言を行った本庶佑氏なども指摘しており、この点で日本が立ち遅れていることは、明白だ。
本庶氏も指摘しているように、専門家会議は新型感染症対策の指令本部という性格上、感染症、疫学の専門家に偏った構成で、現在の局面で当面の対策を講じるための指南役としては已むを得ないが、幅広い経験や人脈、学術的見識など、もっと影響力のある医療研究者がいてもいい。
役割がよく分からない、弁護士や保健学の二人の女性メンバーのように、何とも頼りない。立派な研究実績をもつ人物も含まれているが、発信力はそれほどではなさそうだ。国立大学教授の肩書はあっても、日本的な合意形成の場ではアウトサーダーで、しかも42歳の西浦氏の軽輩ぶりを侮るあたりが、如何にも厚生労働省らしい。
メンバーを一人ひとり検分すると、いろいろなことが見えてくる。
脇田隆字(1958年生=感染症学、ウイルス学)国立感染症研究所長(名古屋大医学部卒)▽尾身茂(1949年生=感染症学、地域医療、地域医療機能推進機構理事長(自治医大医学部卒)▽岡部信彦(1946年生=小児科医師)川崎市健康安全研究所長(東京慈恵医大医学部卒)▽押谷仁(1959年生=感染症学、公衆衛生学)東北大大学院医学系研究科教授(東北大医学部卒)▽釜萢敏(1953年生=小児科医師)日本医師会常任理事(日本医大医学部卒)▽河岡義裕(1955年生=ウイルス学、獣医師)東京大医科学研究所感染症国際研究センター長(北海道大医学部卒)=この項続く
脇田氏は世界で初めてC型肝炎ウイルスの増殖に成功し、HCVワクチン開発に貢献した。尾身氏は元WHO西太平洋地域事務局長、WHO執行理事。押谷氏は1991年以降、途上国でウイルス学の指導や感染症対策の現場で活躍。WHO西太平洋地域事務局の感染症対策アドバイザーも。
河岡氏は獣医師で2016年に「インフルエンザウイルスの病原性の分子基盤解明とその制圧のための研究」(インフルエンザウイルスを効率的に人工合成する画期的なリバースジェネティクス法を開発。それによって、鳥インフルエンザウイルスが病原性を獲得するメカニズムを解明)で日本学士院賞。
一方、武藤氏は真に保健学界の代表? 中山氏は政府や自治体、各種団体の委員を兼務する弁護士。元東京第二弁護士会副会長。
それぞれ有為な(ὅτου τι ὄφελος)人材なのだろうが、クラスター班に比べ印象は薄い。
日本の現状は、本当のところどうなっているのだろうか。きょう19日も東京で100人を超す感染者が確認され、医療現場の逼迫ぶりは大変なものだが、それでも欧米各国に比べれば難を免れている、というところだろう。
しかし、先の読めない展開が国民からおおらかさ(πρᾳότης)を奪っているようだ。平常心(ἦθος)を失わず、気を引き締めてもらいたいものだ。
クラスター対策のように、日本モデルの芸の細かい対応は初期段階では有効だったとしても、今後は心許ない。日本だけが例外であり続けるというのは単なる希望、というか気休め(παραμῦθέομαι)であって、8割接触削減というも、これまで例がなかった「万已むえない必要」(καθ’ ὅσον μὴ ἀνάγκη, ὅτι μὴ πᾶσα ἀνάγκη)、所謂「必要悪」(ἀναγκαῖον κακόν)として、「人間らしい生活」(τὸ βίου φιλάνθρώπος)は、しばらくはお預け、ということだ。
それでも、欧米と比べたら随分緩い。
考えようによっては、こういう事態になると、つまり一種の耐乏生活を余儀なくされる(ἀναγκάῖον)と、本当に必要な(ἀναγκάῖον)ものがだんだん分かってくる。「そうみえるけど、実はそうではない」(εἶναι δὲ μή)ものは、この世に少なくない。
これまでの欲望(ἐπιθυμία)や欲求(πόθος)を自制して、単なる安楽さから「精神的な幸福」(εὐφροσύνη)などといった野暮なことは言わない。自分にとって「最も必要なもの」(ἡ ἀναγκατάτη)について、落ち着いて思いを巡らすいい機会かもしれない。
何の不足もないこと(μηδενὸς δείσθαι)に馴らされ、謂わばかりそめの贅沢な生活(τρυφῶσα βίος)に流されてきたことに気づき、それがあれば何もいらない(μηδενὸς δείσθαι)、と言える本当に大切なものを再確認するきっかけになる。[完]
日本語の資料を探していたら、笛吹きおじさんの、中高年が健康で快適に生きるための情報があった。https://ranzanst.net/5440.html
これは、アメリカの2月12日から3月16日の重症のコロナ患者についての資料である。“Severe Outcomes Among Patients with Coronavirus Disease 2019 (COVID-19) — United States, February 12-March 16, 2020”
(コロナウイルス2019(COVID-19)患者に関する深刻な結果)
米国疾病予防管理センター(CDC)のデータによると、
この資料を見ると、中国の武漢の資料と同じで、0歳から19歳の死亡率は低く、85歳以上の死亡率が高いことが明らかである。日本のマスコミ報道は、子供でも、赤ちゃんでも重症化することがある、と報道する。確かに重症化するが、死亡は0である。その数字がないから赤江珠緒が迷われるのであって、この数字があれば、娘は大丈夫、と安心されるのではないのだろうか。著者は、このデータから、感染者が爆発的に増えると、人工心肺が足りないとか、医療崩壊すると、さらに死亡者や重症者が 増える可能性もあります、と分析されていて、その心配なら、私も納得できる。
ドイツのSpiegel誌に、Entwicklung der Fallzahlen weltweit世界の感染者数の推移がある。https://www.spiegel.de/thema/coronavirus/ 日本は感染者数が少ないために、ランク外で記載がないが、これは、日本政府、日本の専門家会議の成果、を本来示したものである、と私は思っているが、一日29000人感染者が増えて感染者の総数が766,212人に達しているアメリカも、4500人増えて200,210になっているスペインの評価もコンスタントで、一日2500人増えて146,293人となっているドイツは、なんと下がっている、と評価されている、比較している数字は、過去7日間の平均値と、その前の7日間の平均値の数値であるが、その結果をふまえて、増えているか、そのままか、減少しているか、を比較するから、このような結果になるのである。それが国際社会の専門家の増えているか、減っているかの判断の基準なのである。日本のマスコミ報道の基準と違うのである。日本で、もしこんな数字が上がってくると、日本のマスコミは大喜びで、「大変だ、大変だ。」と一日中大騒ぎし、岡田晴恵博士は、神妙な顔で「ほんとうに、大変でございます。私は、本当に本当に心配しております。」とコメントされるのではないのだろうか。ちなみにドイツの死者は、前日と比較して220人増えている。この数字は、日本のマスコミ知識人が大好きな、John Hopkins CSSEがまとめた数字を元にしている。
今の最重要課題は医療崩壊をさせないことで、その為には、感染者と循環器、呼吸器系の持病を持つ人と接触させない、医療従事者を感染させない、備えとして人工心肺が多く必要なのではないのだろうか。具体的には、防御服、医療用の高性能マスク、人工心肺を作る生産ラインを日本国内に作ることが早急に求められている。 また、日本人が惑わされず、自分の頭を使って正しい判断ができるために、米国、ドイツ、中国のように、政府は大事な数字をきちんと国民に公表し、専門家と自称する人は、きちんと分析してほしい。そうすれば、比較対照もできるし、専門外の篠田英朗教授が、分析する手間が省ける。私も、気をもんで、同じような内容のコメントばかり書かなくても済むし、日本国民は正しいCovid19像がつかめる。
これから、PCR検査の量が非常に増えるそうであるが、実像をつかむためには、感染者の数だけではなく(検査数が増えれば、感染者の数は爆発的に増えるのはわかり切ったことだ)、感染率、つまり、全体の検査数のうちの陽性者のしめる割合、も同時に発表してほしい。
またおかしな人が勢いづき、人との接触を5%にしましょう、とか、みんなの命を守るためです、これから10日間家に閉じこもる東京の都市封鎖をしましょう、などという対策が、説得力をもって、まかり通ってしまうから。
足下の感染状況が、実態としてどうなっているか、いくつかの指標(δεῖγμα)からは、われわれはそれを正確に判断する(κρίνειν)確かな証拠(τεκμήριον)をもっていない。一方で、現在確認されている1万人余りより、日本の未確認の感染者は遥かに多いのではないか、ということを示す兆候(σημεῖον)、シグナル(νεῦμα)は随所に表れている。
それは、このところの感染拡大に伴う救急医療の逼迫状況だったり、医療機関や福祉施設で相次ぐ院内感染、集団感染だったりする。昨日20日は新型感染症に伴う死者が25人とこれまでの国内最多を記録し、行き倒れや在宅中に突然死し、死後に初めて確認される水面下の感染者が5都県で11人報告されるなどして増えているように、「事前の兆候として」(ἀπ’ σὐδεμιᾶς προφάσεως)、市中感染の広がりを窺わせる事例に事欠かない。
緊急事態宣言に伴う一段の接触削減要請によって国民の自粛も強まり、一定の効果があったものとみられるが、それを凌ぐ勢いでウイルスが蔓延している蓋然性は、けっして低くはない。実際はそうではない(εἶναι δὲ μή)のに、「そうであればよいのに」(προαιρεῖσθαι)という仮象(φαίνεσθαι)、謂わば「まやかし」(γοητεία τις)にとらわれ、それを引き起こしている真の原因(τὸ αἴτον)に正面から向き合おうとはしないようだ。
さまざまな兆候が、密かに告げている(ἐπινεύειν)ものを受け止める心の準備ができていない表れなのだろう。
米国カリフォルニア州サンタクララ郡やドイツのオランダ国境に近い北部の町(ノルトライン=ヴェストファーレン州ガンゲルト)で実施され、相当程度の割合が確認された(米国で実施住民3,300人の2.8~4.2%、ドイツは1,000人の約14%)。厚生労働省も、導入を検討しているようだ。
米国の例だと、実施地域でPCR検査によって陽性が判明した人数の50~80倍に相当する比率だとされ、米国最大の感染者数を抱えるニューヨーク州も、外出制限の緩和や経済活動再開に向けた判断材料とするため、3,000人を抽出して調べる検査に着手した。
事態は刻々と変化しており、目を背けなければ、ただそう見える(φαίνεται)だけではなく、「正しい見え方をしているもの」(ὀρθῶς φαινόμενον)に迫ることは可能だ。
病気の症状(σημεῖον)にしろ、そのサイン(σῆμα)をも逃さないのが大事だ。希望や願望はともかく、「~とみえているが、実はそうではないもの」(τὸ φαινόμενον αλλ’ οὐκ ὄν)に欺かれないために。
哲学者ハイデガーは、真理(ἀλήθεια)の意味を、「存在が覆い隠されていないこと」という意味で、「Unverborgenheit(不覆蔵性⇒「存在が覆い隠されていないこと」の謂い)とか、「その覆いを取る(発見する)こと」という謂いのEntdecktheit(開蔵性)という特異な用語で表現する。
ギリシア語[ἀλήθεια]の理解、特にプラトン解釈(『プラトンの真理の理説』、1930~31年)としては牽強付会のこじつけに近いが、一般論としてなら、言わんとするところは的外れではない。
いずれにしても、事態を注意深く観察するなら、「兆候が密かに合図を送っている」(νεῦματι ἀφανεῖ χρῆσθαι)ことを見落とすことはあるまい。
テレビをつければ、特に制作コストが安価で、各局の番組編成でドラマやバラエティーをしのぎ相当割合の情報番組は、朝から晩までコロナ禍が話題の中心だ。
メディア批判に躍起になっている老媼の批判はともかく、キャスターも出演者も、深刻な表情で非常事態を説き、深刻な危機を訴えることで、自ずから視聴者にも同調を促している。
教育とメディアは、元々知識や情報の伝授が主たる任務、役割だから、不偏不党の「媒体」に徹することが求められる。いろいろ理屈はあっても、自己の頭で考えることは邪道だから自制的で、教育なら正確な知識と公共的な価値観、メディアなら「真実」という名の事実や証言の断片を伝えることに専心する。
双方とも、真実が志向する、本来の意味での真実や真理は実はどうでもよく、広く承認された共通的、平均的な価値観に基づいて、「皆がそう思うもの」、所謂「常識」以上のものを目指さないことが、知識や情報伝授における優秀さと同じくらい、職務遂行上求められる重要な規範になってくる。
だから、自らの独自の見解や信条を、知識も経験も不十分な子供に吹き込み、感化しようとする教育は、独善的教師のあるまじき「偏向」となる。特に公教育では、教師の価値観や信念など、教育目的を逸脱した余計なものになる。教師もまた「媒体」だからだ。真理や真実を追求する研究と教育との根本的違いはそこにある。
この原則はメディアも同じで、伝えようとするものの本当の真理、真実なるものに根本的に無知で関心を払わない、という点で教育同様、誠に無責任な存在と言える。そうした大それたものは、最初から求められても、期待されてもいないからだ。
何やら、柄にもなく、あまり好きでもない宮澤賢治の「雨ニモ負ケズ」みたいな文言だが、プラトンの『国家』第6巻にある著名な章句だ。
突撃隊に心酔し、ナチスの主張にドイツの運命を託して政権成立直後にフライブルク大学総長に就任するとほぼ同時にナチスに入党した、明白な加担者であるハイデガーが行った著名な就任講演「ドイツの大学の自己主張」(“Die Selbstbehauptung der deutschen Universität”, 1933)にも引用された。「偉大なるものはすべて、嵐(χειμῶν)の中に立つ」と。
現在もまた嵐の前夜の状況なのだろう。コロナ禍の嵐に耐え(φέρειν)、ストレスに負けない耐性(καρτερία)をもちたいものだ。[完]
日本人の「ものわかりのよさ」(συγγνώμη)は、その民度の高さによく表れている。阪神淡路や東日本大震災でみせたその行儀のよさも、世界にまず例がない。同じ東洋人でも、そこに中国人との際立った違いがある。
孔子が礼を説いたシナに現在、礼など欠片もない。それが形骸化した法と手続きの別名だった昔からそうだが、中国共産党によって、礼は単なる秩序に成り果てた。
日本は歴史上、古代シナを文明の中心(「中華」)とする秩序、所謂「華夷秩序」の東の端、東瀛に浮かぶ東夷の島として非文明圏に甘んじてきたし、連綿と続いたシナ文明のような世界水準の影響力を全くもたなかった。
そうした後進性をこの国の先達は充分認識し、近代の荒波を乗り切った果てに今日がある。深刻な国内対立などから近代の産業化に手間どり、国土を蚕食されるなど混乱を極めたシナに比べ、明治の急激な近代化を成し遂げ、日清、日露という二つの戦争に勝ち抜いた日本は戦前、五大国の一角を占めたが、同時に先の大戦での大敗という蹉跌も経験した。
しかし、愚劣な戦争指導にもかかわらず、世界最強の米国相手に3年8カ月余りの戦いを維持し得たことも、とりも直さず、それを支えた国民の血の滲むような努力を抜きには成立しない。戦後の飛躍的復興は、戦後の冷戦が幸いしたとはいえ、復興の主体である日本人の特性=民度の高さを抜きに語れないように。
しかし、それはまた両刃の刃ともなる。日本的特殊事情が、そのまま日本の、日本人の優越性、日本の優位性に短絡するなら、身の程知らずの驕慢に陥る。
退潮の気配がみてきたとはいえ、日本人の民度の高さが今なお失われていないとするなら、8割接触削減という政府の現在の要請は、けっして乗り越えられぬ課題ではあるまい。
欧米各国が、より厳しい外出制限で経済活動が停滞するなか、日本だけが例外という都合のいいシナリオは、期待しないほうがよい。
o フェーズ1 感染
雫がコロナウィルスのある種タクシーである。唾液あるいは粘液に覆われて咳、くしゃみ、会話で1000もの病原体が空中に放出され、物体、幸運であれば新しい宿主の顔にかかる。そして宿主の口、鼻、目の粘膜を伝わって、ウィルスは新しい体に侵入する。
ウィルスがそこで広がるためには人間の細胞を必要とする。その助けがなければ、ウィルスは増えない。ウィルスは細胞をつかまえ、ウィルス工場に組み替える。その際、鍵穴に対する鍵のようにウィルスの突起にぴったりの特別な受容体となる細胞の表面のぎざぎざが助けになる。一度ウィルスは細胞に錨を下すと、その細胞はウィルスを受け入れる。そして、病原体は例えばトランスミッターを細胞内に運ぶなど、細胞の機能を利用する。この段階を超えると、ウィルスは細胞の働きを新しいウィルスの製造に利用する。・・一つの細胞が無数の小さなウィルスのコピーを製造すると、しばしばその細胞は飽和状態になる。コロナウィルスは自由につかまえることのできる新しい細胞を探す。しかし、しばらくすると免疫システムが、ウィルスの行動を感知し、次の段階に進む。
多くの病原体が新しい宿主細胞を探すと、免疫システムが警戒音を鳴らす。防御反応を元に、感染者はなにかがおかしい、と気づく。体温は上がり、体は咳を通じてウィールスを放出しようとする。Covid19に感染してから発症するまで、大体5-6日かかる。ドイツの67000人の感染者のうち、コッホ研究所がまとめた症状は、咳 52%、熱42%、くしゃみ22%、
最初のCovid19の兆候を認識することは、大変大事である。WHOによる現在のデータによると、人が一番ウィルスを他人に感染させるのは、病気ではないか、と感じたその最初の時点なのである。感染はウィルスが多くの細胞内で増殖し続け、人の自覚症状が始まる1-2日前なのである。つまり、多くの感染者において、その人の免疫システムと病原菌との戦いが始まる前なのである。これが、Covid19の発症なのである。これがCovid19の感染のメカニズムである。
o ところが岡田晴恵博士の解説にかかると、肺にCovid19のウィルスが多数存在して、スポーツをすると激しく息をするから、肺からウィルスが出て、人に移るように主張される。肺にウィルスに入り込んでから感染させるのはサーズなのである。4月15付のコメント25に書いたようにshinodahideaki.blog.jp/archives/34908534.html 人が一番ウィルスを他人に感染させるのは、病気ではないか、と感じたその最初の時点になるのは、Covid19の感染が、咽頭感染だからである。肺炎になってしまった後、Covid19ウィルスは、咽頭にはほとんどいなくなる。逆に言えば、咽頭にいるから、咳やくしゃみや息で、簡単にウィルスが放出されて、他人に移すのである。日本のマスコミ報道は、無症状な人が移す、とあたかも透明人間が移すようであるが、真実はそうではない。発症直前の人が移すのである。
今回、新型感染症対策の先頭に立つ各国の指導者もそれぞれで、ある者は評価を上げたのに、安倍晋三首相の緊急事態宣言の発動に伴う記者会見などに一種の物足りなさを感じるのは、内容が政策紹介が中心なことにもよろうが、レトリックへの配慮が足りないからだろう。そして、古代ギリシア以来の弁論術(ῥητορική)、問答競技(ἐριστική)の伝統に培われた欧米と、それを欠く日本とでは、元々見劣りがするのは已むを得ない。
民主制とは、畢竟、説得の巧拙を競う政治制度でもあるからだ。そして、
「民主国で貧乏暮しをしている方が、王侯の下で仕合せと呼ばれるような生活をしているよりも、はるかに望ましい。それは自由と隷属との相違なのだ」(‘ἡ ἐν δημοκρατίηι πενίη τῆς παρὰ τοις δυνάστηισι καλεομένης εὐδαιμονίης τοσοῦτόν ἐστι αἱρετωτέρη, ὁκόσον ἐλευθερίη δουλείης.’=H. Diels; “Die Fragmente der Vorsokratiker”, herausgegeben von W. Kranz;6 Aufl., 1992, Bd. II, S. 195)
というデモクリトスの言葉(断片251)があるように、たとえささやかな、他人には一見して詰まらないようにみえるそれぞれの人生にも、各々が好むところ好き好きの生活をする(τὸ ζῆς ὡς βούλεταί τις)権利が保証されているところに、「人民共和国」を名乗りながら、実態は逆の中国のような抑圧的体制とは異なる、民主制国家の最も大切な価値がある。
つまり、アリストテテスも説くように、「民主制の基本は自由である」(‘ὑπόθεσις τῆς δημοκρατικς πολιτείας ἐλευθερία’)からだ。
しかし、やがていずれの国も力強く再生するだろう。ウイルスとの戦いに強権国家のような手法がとれないなか瀬戸際の戦いを余儀なくされ、克服に向けた制約が大きい。だが、そうした困難を克服して活路を切り開くところに民主制国家の強靭さも宿っていることを、歴史は教える。困難や制約が、国家や民衆を鍛えるからだ。
各国で現在、国民が不自由な生活を余儀なくされているのは、もとより自他の生命や家族、地域社会、生計の糧を守るためだが、掛け替えのない自由を守るためでもある。そうした「自分たちの自由を守ろうとしない」(οὐδ’ ἡμῖν αὐτοῖς βεβαιοῦμεν αὐτο)ところに、民主制の未来もない。
それぞれ思想信条や立場は違っても、法を犯さない(οὐ παρανομοῦμεν)限り、「国家の中でだれでもしたいことができる」(ἐξουσία ἐν αὐτῇ ποιεῖν ὅτι τις βούλεται)ような体制を守ることが、「公共的な側面」(πρὸς τὸ κοινὸν)にも、「個人的な相互関係」(πρὸς ἀλλήλους)にも資するのが、法の下での自由(ἐλευθερία κατὰ νόμους)ということだ。
そうするなら、「あくまで自由をしっかりと保持して、これを守り通すなら、いま戦争で失ったものも、自由がすぐさま取り返してくれる」(‘ἐλευθερίαν μέν, ἢν ἀντιλαμβανόμενοι αὐτῆς διασώσωμεν, ῥᾳδίως ταῦτα ἀναληψομένην’=“Ἱστορίαι”, Β. 62. 3.)と同胞に奮闘を促したのがペリクレスだった。
疫病(ὁ λοιμός)との戦いも、忍耐も(καρτέρησις)、多少の不便を大目に見ること(συγγνώμη)も、皆同じだ。
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