緊急事態宣言から2週間がたった4月22日、専門家会議が会見を開いた。今まで何度か専門家会議の会見を見たが、いちばん曖昧だったような印象を受けた。
これまでも強調してきた提言あるいは要請、たとえば保健所の強化、などがあらためて訴えられた。まあ、それはもちろん重要だ。ただ、2週間という節目で会見を開いたという点を考えると、いささか物足りなさは残った。冒頭から、緊急事態宣言の効果を評価するのはまだ早い、今日は評価めいたことは一切しない、という立場を全員が繰り返し述べ続けたため、2週間の節目で会見を開いたことの意味がなくなってしまったのだ。
それでも質疑応答の中で、質問者に強いられて、西浦教授は、「東京で感染者増の鈍化が始まっていることは確実」、という見解を披露した。https://www.youtube.com/watch?v=8Bu0TBScn90 (1時間11分45秒頃から)
すでに私が繰り返し「検証」シリーズで見てきたように、http://agora-web.jp/archives/2045600.html 安倍首相による4月7日緊急事態宣言においては、2週間目の地点における新規感染者増の「ピークアウト」がとりあえず直近の目標とされていた。この目標が達成された、という見解を、私と同様に、西浦教授は披露したのだ。ただし、その見解は、奇妙なことに、記者に質問されて強いられて答えたものにすぎず、なるべく強調したくないような雰囲気の中で、披露された。
もう少し様子を見ないと2週間目の評価も確定的に言えない、という一般論はあるだろう。だがそれよりも、国民意識の弛緩が訪れることを心配したので、あらかじめ評価を口にしないようにするという取り決めを関係者間で図っておいた、そんな雰囲気に見えた。
この点に関して、いくつかの懸念がある。
第一に、最高責任者である安倍首相が緊急事態宣言の際に明言した直近の目標が、完全に無視されていいのか、という問題である。もちろん2週間目に何が起こっているのかということ自体には、途中経過としての意味しかないというのはわかる。だが、だからといって、最高責任者の首相の発言を専門家会議が軽視しているのだとしたら、それは決して望ましい事態だとは思えない。国民が、いったい今何が起こっているのか把握できない不安に駆られる材料にもなる。
第二に、「人と人との接触の8割削減」スローガンの独り歩き傾向が顕著に見える。西浦モデルにそうことが目的になりすぎて、手段の目的化が生じてきていないか、心配になる。8割削減は、感染者数を減らして医療崩壊を防ぐ、という目的に役立って初めて、意義を持つ。たとえば何らかの任意の指標にもとづいて8割削減を達成したと言える状態を作っても、感染者数が減っていなければ、何の意味もない。それどころか血眼になって8割削減をした国民は、無駄に疲弊をしただけ、という結果に終わるので最悪である。「まだ8割削減は達成されていない」、「鈍化が始まっていることは確実」、「まだ緊急事態宣言の効果は評価できない」、「コロナ流行とは向こう1年は付き合わないといけない」といった断片的に語られる発言が、どのように目的・手段関係で結ばれているのか、全く定かではない。余計なことは考えず、それでどうなるのかということも問いかけたりせず、ただひたらすら盲目的に8割削減のことだけを考えて生きてほしい、と頼まれても、なかなかすっきりした気持ちになれない人が多いのではないだろうか。
第三に、上記の諸点と関係する点だが、専門家会議の関心に偏りがないか心配になる。例えばそれは一言でいうと、飛沫感染重点主義、の傾向である。今回の「人との接触を8割減らす10のポイント」を例にとろう。これは「人との接触8割削減を実践するためには」の細かな指針である。だが10もポイントがあると、なぜこれらの10なのか、なぜ12でもないのか、といったことが気になる。10もポイントがあるが、全て「人との接触を8割減らす」ためだけのポイントなので、真面目な人であればあるほど、その点だけに取り組んで、恐らく飛沫感染の可能性を下げるが、かえって接触感染への意識を薄めてしまう、といった現象も起こりかねないように感じる。
4月上旬にクラスターが発生した国立病院機構大分医療センター(大分市)における感染経路は、タブレット端末などを介して感染が広がる「接触感染」だったと推定されている。https://www.yomiuri.co.jp/national/20200408-OYT1T50171/ こうした実例があるにもかかわらず、専門家たちは血眼になって「人との接触の8割減少」を崇高な目的とし、そのための指針は10出しても、接触感染対策については全くふれようともしない、という姿勢をとり続ける。なぜクラスター発生を起こした接触感染の実例は完全に無視して、まだクラスター発生の実例がない公園における人との接触を撲滅することに血眼になって取り組もうとするのか。論理的な理由がないように感じる。
私見では、「三密の回避」は、クラスター発生の防止という明確な戦略的意義があり、「超重点分野」であるがゆえにシンプルなメッセージの効果が期待された素晴らしいものだった。これに対して、「10のポイント」は「人との接触8割削減」の詳細な解説でしかなく、長期の目的や全体的な体系が説明されないことをかえって明らかにする。社会科学者の私に言わせれば、本来測定不可能なものについて、ただ色々なことを詳細に言って情報量の多さで補おうとするのは、全体像を見失わせる危険をはらんだ行為である。
あるいは時系列的な経緯を誤認していないだろうか?3月下旬以降の感染者数の増加が従来のクラスター対応の効果を低下させた、という専門家層の認識がある。それと3月23日頃から小池都知事が強調して急速に人口に膾炙するようになり、4月以降の感染者数増加抑制に役立った、国民の行動変容メッセージとしての「三密の回避」の成功は、別の事柄である。「三密の回避」がクラスター班の発見から生まれていることを知っているがゆえに、専門家層が二つの別の事柄を混同していないか、気になる。3月下旬以降、クラスター対応に限界が生まれたが、その一方で「三密の回避」メッセージは効果を高めた、現在でも依然として有効である、というのが、本当のところではないだろうか?クラスター対策班の発見の意義を活かすことではなく、クラスター対策班という人間集団のことだけに専門家層が気を取られているように見えるのは、懸念材料だ。
とはいえ、いずれにせよ、直近の注目点は、渋谷健司氏の動向である。渋谷健司「WHO事務局長上級顧問」(日本のメディア用肩書)あるいは「元WHO職員」(海外メディアではこちらの肩書になる)は、何週間も前から「日本は感染爆発の初期段階」「日本は手遅れ」「喫緊の感染爆発」と主張し続けている。10万人の感染者が、感染爆発を広げ続けている真実を、すでに学者生命を賭けて、繰り返し雑誌やテレビで報告し続けている。
「鈍化したことは確実」などという篠田と見間違うかのような西浦教授の発言を許しておけるはずはない。黙っていれば、「臨床経験の乏しい医師によるロジックのみを操った危ない話」などとも言われてしまいかねない。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200420-00622587-shincho-soci&p=1&fbclid=IwAR1DYo0dl4TQXylg1lYVQAe8H35BXXmT2mwaMksC-RZQwamY6S-PJmdFtSQ 皇后雅子様の双子の妹君との離婚直後の年下女子アナと電撃再婚で話題を作ったり、華麗に日本と海外で肩書を使い分けたりもする渋谷氏だ。もうすぐ何か派手なやり方で、学者生命を賭けて、西浦教授にも反証してくるだろう。どうなるのか、楽しみである。
(*なお渋谷氏の正式な現在のWHOの肩書については知人を介して調べてみたが、職員リストにはないので契約コンサルタントか何かではないか、と言うこと以上はわからなかった。)
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前回の「検証⑤」も、東京都や全国の感染者数が急激な伸び率を示していなことをもって、単純に⇒【首相が設定した目標どおり、緊急事態宣言から2週間後の時点で、新規感染者数の増加を止めるという意味での「ピークアウト」が達成】という、実施数が未だに不十分なPCR検査に現れない、ただそうみえる(φαίνεται)だけ、そこに現われているもの(φαντάσματα)をもってそう断言するのは、「楽観論者ではない」云々の議論はともかく、あまりに軽率だろう。
前回の⇒【「日本モデル」の緊急事態宣言を通じ…2週間後に到達したかった最初の目標をクリア】という一面的な見解は、目下の数字には表れていないさまざまな兆候に照らせば、容易には導き出せない断定だ。
医師に感染者が出て問題になった慶応大学病院が最近実施した、手術前と入院前のPCR検査で、治療目的が「新型感染症以外」の対象者の約6%(67人中4人)が陽性だったという。さらに、日本医師会会長の横倉義武氏も、どこかは伏せたものの、日本のある大学病院で、新型感染症とは異なる入院患者などを調べたところ、同水準の感染者が確認されたと指摘しており、市中で感染が拡大していなければ考えにくい数値だ。
さらに、ここにきてPCR検査の陽性率が明らかに変化してきており、東京都の例で、3月中の陽性率(平均)は16.4%だったのが、今月7~16日の陽性率は53.5%と3倍以上に跳ね上がっているのも、市中感染の拡大を物語っている。現在の検査体制が感染拡大に追いついていない実態が浮かび上がってくる。
前回⇒【一部「専門家」が主張…あと2週間でコロナを終息させる、などという非現実的な夢物語】というのは、専門家の中でも極端な少数意見の部類で、「検証⑤」として名前が挙がった西浦博氏も、8割の接触削減で急激な感染拡大を短期的に急激に抑える効果について、数理モデル解析に基づき「蓋然的根拠」を示しているけれど、感染を「収束」できるとは言っていない。少なくても1年は状況を注視し、クラスター対策を実施できる水準まで行動変容による制限措置を実施しながら、中長期的に進めるべきだとの発言をしている。
中間段階での評価は早計ではないのか。
もっとも、「収束」とピークアウトは異なるから議論を混同しているわけではないが、政府の専門家会議の陣容からも明白なように、政府の当面の対策は医療崩壊につながる医療現場の混乱や逼迫を招かない、「急激な感染拡大」の抑止が至上命題であり、拡大抑止以外は実質的に特段の指針を出しておらず、医療現場の混乱や機能不全防止策でも、それを「日本モデル」と呼ぼうと呼ぶまいと、全体の感染状況を抑え込むという戦略以外、何もないのが悲しいかな実情だろう。
実施が感染に追いつかないうえに、敢えて発症者、特に重症者の炙り出しとクラスター対策に重点が置かれてきたPCR検査のこれまでの体制不備と増加抑止については、専門家会議というより厚生労働省の方針だったようだから、専門家会議としてはどうしようもなかったのだろう。
数理モデル予測にしろ、それで要請レベルでも大いに危機のメッセージが国民にも伝わってきたのだから、当面の危機管理としては、そう的外れな暴走とは言えまい。
正確には仏教の経典『楞嚴経』二の「如人以手指月示人、彼人因指、當應看月、若復觀指、以月爲體、此人豈亡失月體、亦亡其指」(諸橋轍次『大漢和辞典』巻5、217頁)とあり、指を仏の教えに譬え、月を法になぞらえて、肝腎なものに盲目なことを指す。
連日、哀れな素人論議で、メディアに登場する感染症の「専門家」を糾弾しながら狂態の限りを尽くす道化者を演じて臆する気配もないが、本人の弁では今回の新型ウイルスの格好の餌食になりかねない持病もあるようだから、精々、過度の投稿狂いに現を抜かしてストレスを溜めるより、充分な睡眠でもとって、感染に気をつけたらよい。
昨夜のBSフジの討論番組「プライムニュース」を久しぶりに真面目にみて、最近二度にわたって緊急提言をしている2018年のノーベル賞医学・生理学賞者、本庶佑氏の話を聞いた。
PCR検査の大幅拡大と、東京・大阪・名古屋圏での1箇月完全外出自粛、諸外国で有効性が示されている薬剤使用など治療法の実施という内容は、シンプルだが説得力に富むもので、医療崩壊を回避する当面の対策として専門家会議主導で進む日本の対策の一面性を抉剔していた。
急激な症状悪化など、病態解明が未だに充分でないことを医学的には大きな課題としつつ、人を死なせない医療をどう実現できるかだと強調した。
とにかく、無用に人を死なせない医療が、今後のカギになる、と。
公転の摂理(ὁ κύκλος θεῖον)というのだろうか、天変地異(ὁ σεισμός)、疫病(ὁ λοιμός)、戦争(πόλεμος)に革命(νεωτερισμός)、どんなことがあっても、お天道様は東から上るし、月の満ち欠けも不変だ。はやぶさが、遥か遠い宇宙の彼方から帰還できるのもそのためだ。
それに伴って、春になれば遅かれ早かれ桜は開花する。この時季は暮春というのだろうが、先月訪ねた奈良・春日大社なら藤の花が見ごろになっただろうか。拙宅の庭先にある真紅の大輪の牡丹も、今年は咲き始めてからまだ散らずに楽しめる。昨年は妻の最初の退院後の結婚記念日に咲き始め、妻が喜んだのを思い出す。その妻も、今はいない。
妻は33年前、出産時に大量出血して、投与された血液製剤の原料の血液がC型肝炎ウイルスに感染していたことで、出産後に急性肝炎になり、その後インターフェロン投与を受けながら治療に苦しんだが結局治癒せず、それでも長らく慢性肝炎を養いながら32年生き延び、昨年夏、吐血と肝臓癌が基で死んだ。
生前、他に助命の手だてがなかったことから、不運は恨めしく思っても、何の後悔もないと言っていた。一人息子を授かったからだ。
感染者が増えれば死に瀕する重症患者も増える。副作用も生きていればこそだ。[完]
これも最初から主張していることであるが、目標は、医療崩壊を起さないことであって、Covid19の重症者の命をすべて救うことではないのである。肺炎による死は若い人には少ないが、70歳代4位、80歳代は3位、90歳代は2位で、コロナ肺炎以外の肺炎で亡くなる人は高齢者に多いし、ハンブルグとバーゼルでの、コロナで亡くなった人を解剖した結果、その患者の体内にコロナ菌もいたが、,die Todesursache sei jedoch eine andere gewesen.死因が他の原因であった患者が解剖した61人中4人いたそうである。
https://www.spiegel.de/wissenschaft/medizin/coronavirus-alle-obduzierten-todesopfer-hatten-vorerkrankungen-a-de16d1fb-2601-4848-8e64-702f2593c725
昨日も、ノーベル生理医学大賞を受賞された本庶教授がテレビに出演されて、PCR検査の必要性を熱烈に訴えられていた。ノーベル賞を受賞された医師に対して、主婦カロリーネが反論するのは、本当に僭越の極み、だと常識的には思う。けれども、小学生時代から「先生や親のいうことをきかなくていいから、自分の頭で考え得なさい。」という教育を受けた私はあえて公共の福祉の為に書くと、敵を知らなければ勝てない、と言われる本庶京大教授の主張はそのとおりである。ただ、PCR検査をすることが、敵を知ることなのだろうか?PCR検査をすると、日本社会におけるCovid19の蔓延率、どの人が感染しているか、はわかる。けれども、それでわかったことにはならない。このウィルスが人間の体に入ってどういう作用を引き起こすか、ということが一番大事なのではないのだろうか?
ニューヨークのクオモ知事は、抗体検査に期待をかけておられるが、あれだけ多くの感染者を出したドイツの抗体検査で3.8%しか陽性であった人がいないことを、日本の研究者は重く受け止めるべきだ、と思う。昨夜も夫は、「この話題は、癌の治療法についてなどと違ってだれにでも発言できるな。」と感想を述べていた。確かに癌の治療法について、オブジーボを開発された本庶教授の説明を理解するためには、医学の並々ならぬ教養が必要だと思う。それにもかかわらず、インフォームドコンセントが要求される。それに比べてこの感染症という病は、常識で判断できる世界なのではないか、という確信を得、私は自信をもった。
なぜそう危惧するかというと、現在のPCR検査を元にした数字が10日前の状況だからです。報告の遅れ、長い潜伏期間、感染者が医師に行くまでの日数、PCR検査をしてから結果が出るまでの日数、数字が出るまでに長くかかるのです。新しい感染がまた始まっているのに、それを気づくのが大変遅れるのです。そして感染爆発が再び起こります。そしてそれが高齢者施設に持ち込まれたとき、高い致死率になるのです。そうなれば、健康保険制度、経済にも悪い影響を与えます、そしてそれを防ぐために、行政は厳しい対策を取らざるを得なくなります。
私は、これを生かせないことに承服できません。私たちは先進国ドイツの国民です。我々の健康保険制度は素晴らしく、よく配慮されています。我々はベストな前提をもっているのに、活用しないのです。デジタルシステムの活用に躊躇しています。スマホのデータによる接触調査だけが、現在我々がもっているこのウィルスを抑え込む最良で、ほぼ唯一の方法なのです。私は、このパンデミーにだけ、一時的に期限を定めてデーター保護法を緩めなければならないと思います。近年データ保護(秘密保護)法は、人権法、とライバル関係にあります。ただ、このパンデミーを克服するまでは、私たちは、すべてを得ることはできないのです。
政府も自治体も、そしてメディアも盛んに自粛(ἡ ἐγκράτεια)を呼び掛ける。合言葉は、口を揃えて‘Stay at home’の大合唱である。
ドイツの哲学者ハイデガーなら、それを「決意性に満ちた自己規定」(entschlossene Selbstbesinnung)とか、「真なる自律性」(echten Selbstverwaltung)と称して人びと鼓舞したろうが、きょう23日会見した小池百合子東京都知事は、ゴールデンウィークの人出を警戒して早速先手を打ち、公園や行楽地の駐車場などの閉鎖を求めた。そして、「買物は三日に一度にして下さい」とそっけない。
こういうのを、ある意味「コロナファッショ」(‘corona fàscio’)というのだろう。ファシズム(fascismo⇒fascism, fasiime, Faschismus)の語源は、イタリア語の「ファッショ」(fàscio=束)である。何もそう「十把ひとからげに」(mettere tutto in un fàscio)しなくとも、せめて買い物ぐらい、これまでのように、国民の自主性に任せてもらいたい、というのはあくまで平時の論理で、一層の感染拡大抑止が至上命題であり、国家的非常事態だからそれも已むを得ない側面があるということで、揶揄する声や自嘲気味のぼやきはあっても、異論は少数派のようだ。
日頃は人権への配慮から、当局主導の強制的措置に批判的なメディアも、あまり意気が上がらない。まだまだ我慢の限界には遠い現状を感じているからだろう。
民主制(δημοκρατία)における公共的自由(ἐλευθερία κοινὸν)は、多数決原理に基づく合意形成と、法の下における平等(ἰσότης)であり、古代アテーナイなら、市民はだれでもその才能と人徳によって支配の役職に就けたことで、民主制は公共的自由の一部をなしていた
一方で、ファシズムとの関連で言えば、民主制は独裁者を生み育て、独裁者を権力の座に就かせるのに最も抵抗の少ない政治制度だというのがプラトンの政治認識だ。
『国家』に、「ところで、寡頭制から民主制が生じてくる過程と、民主制から僭主独裁制が生じてくる過程とは、ある意味で同じ仕方によるとは言えないだろうか?」(‘ἆρ᾽ οὖν τρόπον τινὰ τὸν αὐτὸν ἔκ τε ὀλιγαρχίας δημοκρατία γίγνεται καὶ ἐκ δημοκρατίας τυραννίς;’=Res publica, 562A~B)、
「寡頭制のなかに生じて、これを滅ぼしたのと同じ病い(νόσημα)が、ちょうどまたこの民主制のうちに生じて、何でもしたいことができるという自由(自由放任=ἐξουσία)のお蔭で、より多くより強力になり、民主制を倒して奴隷とすることになるのだ。」(ταὐτόν, ……ὅπερ ἐν τῇ ὀλιγαρχίᾳ νόσημα ἐγγενόμενον ἀπώλεσεν αὐτήν, τοῦτο καὶ ἐν ταύτῃ πλέον τε καὶ ἰσχυρότερον ἐκ τῆς ἐξουσίας ἐγγενόμενον καταδουλοῦται δημοκρατίαν.’=ibid., 563E)とある。
プラトンと比べれば遥かに凡庸だが、ギリシア人の一般的考えとして、次のような指摘もある。
‘γίνεται δὲ καὶ ἡ τυραννίς, κακὸν τοσοῦτον τε καὶ τοιοῦτον, οὐκ ἐξ ἄλλου τινὸς ἢ ἀνομίας. οἴονται δέ τινες τῶν ἀνθρώπων, ὅσοι μὴ ὀρθῶς συμβάλλονται, τυραννον ἐξ ἄλλου τινὸς καθίστασθαι καὶ τοὺς ἀνθρώπους στερίσκεσθαι τῆς ἐλευθερίας οὐκ αὐτοὺς αἰτίους ὄντας, ἀλλὰ βιαςθέντας ὑπὸ τοῦ κατασταθέντος τυραννου, οὐκ ὀρθῶς ταῦτα λογιζόμενοι. ὅστις γὰρ ἡγεῖται βασιλέα ἢ τυραννον ἐξ ἄλλου τινὸς γίγνεσθαι ἢ ἐξ ἀνομίας τε καὶ πλεονεξίας, μωρός εστιν· ἐπειδὰν γὰρ ἄπαντες ἐπὶ κακίαν τράπωνται, τότε τοῦτο γίγνσθαι· οὐ γὰρ οἷόν τε ἀνθρώπους ἄνευ νόμων καὶ δίκης ζῆν.’(H. Diels; “Die Fragmente der Vorsokratiker”, hrsg. von W. Kranz; 6 Aufl., Bd. II, S. 404)
もっとも、マケドニアがギリシアを征服したヘレニズム期には、別の自由もあった。アレクサンドロス大王の時代の話だ。
シニシズム(cynicism)の語源となる、所謂「犬儒派」=キュニコス派(ἡ Κυνική)のディオゲネスは、「何も必要としない」(μηδενὸς δείσθαι)、「何の不足もない」(μηδενὸς δείσθαι)極貧生活の中で大王と会った際の逸話が残されている。
ディオゲネスがクラネイオンで日向ぼっこをしていた時に、大王がやってきて、彼の前に立ちながら、「何なりと望みのものを申してみよ」(‘αἴτησόν με ὅ θέλεις’)と声を掛けたところ、彼は「どうか、私を日陰におかないでいただきたい」(‘ἀποσκότησόν μου,’)と答えたというもので、
大王は「余はアレクサンドロスでなかったら、ディオゲネスであることを望んだろうに」(‘Ἀλέξανδρος μὴ ἐγεγόνειν, ἠθέλεσα ἂν Διογένης γενέσθαι.’)と返したという。
「人間らしい生活」(τὸ βίου φιλάνθρώπος)を構成する、あらゆる欲望(ἐπιθυμία)や欲求(πόθος)を放棄して、「幸福であるためには、徳だけあれば充分で、他には何も必要ない」(‘αὐτάρκη δὲ τὴν ἀρετὴν πρὸς εὐδαιμονίαν, μηδεός προςδεομένην’)という、謂わば極端な禁欲で、一切を放棄する犬儒派の生活が、人間としての真の「徳に至る最捷径」(σύντομος ἐπ’ ἀρετὴν ὁδός)とされた。
何んとも浮世離れした、「自由を何ものにも代え難きものとして選んだヘラクレスの生活」(τοῦ βίου λέγων διεξάγειν ὅνπερ καὶ Ἡρακλῆς, μηδὲν ἐλευθερίας προκρίνων.)で、常人の真似のできる芸当、境地ではない。
人間の性向(ἦθος)は、いつの世も変わらない。心魂の構造(κατασκευαὶ τῆς ψυχῆς)に心静かに思いを致すなら、逆境(δυσπραξία)に自分を失わない知恵も浮かんでくる。あまり苛立つ(παροξυνειν)ことなく、大概の詰らないことは大目に見ること(συγγνώμη)、世に多い甘い期待(ἐλπίζειν)からは距離をとる(διάστῆναι)ことで、いろいろなものが見えてくる。
人生は甘く(φιλάνθρωπος)ないが、耐えがたいものでもない。
その点で、朝となく昼となく、新型感染症に関する知見とも言いかねるドイツ仕込みと称するガラクタ情報の寄せ集め、謂わば雑識(δόξα)と俗信(ψευδῆ πίστις)を本欄に、しかも読まれることを真面目の想定しているとも思えない、お粗末かつ稚拙な文章で、論理的には破綻を免れない粗雑さで書き殴って、しかも笑止なことに意地になって(σκληρῶς)8件も撒き散らす(κατασκεδάννυμι)、およそ齢70近い老媼とも思えない、自制心の欠片もない狂態は、さらながら「コロナ狂」(ὁ στέφανος μαίνομαι)とも称するべき間の抜けた独り相撲として、正視に堪えない。
いい歳をして、人間としての修養が何ひとつできていない。ゲーテも何もあったものではない。
みっともない(ἐπονείδιστος)というほかない。醜悪な文章(αἰσχρός λέξις)が、すべてを物語っている。[完]
18日のPCR検査は580人の結果である。(その時の陽性率は15%だったから、陽性者は87人ということになる)。もちろん症状がある人も一緒に検査するわけであるが、60人程度の規模の一度の検査結果よりもよほど信頼性がある。
私は、尾身茂会長をはじめとする専門家会議の面々が、西浦説をたよった、stay homeを掲げる理由がわかった、ような気がした。大阪だけで25万人、その人々の保健所の人々による接触調査は、とても現実的に無理である。
ウィルスは、増殖するために、新たな細胞、宿主を探すのであるが、感染の拡大を防ぐという意味で一番の効果があるのは、そのウィルスの多くがまだ感染者の咽頭部にいて、息や唾液によって多くの人を感染させる、多くの物を汚染する可能性のある感染者を、そうなる前に隔離しなければ、感染の縮小は期待できない。
アメリカニューヨークの抗体検査では、被験者20%に抗体が見つかったそうであるが、人類が抗体を得るためには、集団免疫を得るためには、とてつもない犠牲者が必要なことに驚かされる。https://www.spiegel.de/wissenschaft/medizin/coronavirus-news-am-donnerstag-die-wichtigsten-entwicklungen-zu-sars-cov-2-und-covid-19-a-299a38e2-499a-4101-b0a5-77939e438592
タイの取っている政策は感染者の「隔離政策」、国民の「stay at home]政策ではない。また、リスクグループを4つに分け、その中にゴミ清掃者、市場で働く人々、医療関係者などが、入っているのもいい。現実的に考えて、彼らが一番感染しやすいし、感染を広げやすい人々なのではないのだろうか。
日本の知識人も、欧米崇拝はやめて、アジアの国からも学ぶ姿勢を学んではどうだろう。タイも、韓国と同じ、あるいはそれ以上に、日本と違って、Sars問題でいろいろ学んだのでは、ないのだろうか。
それによって、現在の相当高めの新型感染症の致死率、つまり、感染力の強さとは別な病原性の程度を確認できる。抗体保有者の数を未確認の感染者として算入して現在の致死率を算定し直す、即ち仮に抗体保有者が確認された感染者の10倍になら致死率は10分の1、日本だと昨日23日の2.72%(感染者12,379人、死者337人)は0.27%に下がり、季節性インフルエンザの大凡の致死率0.1倍の2.7倍ということになる。
それでも相当高いが、急激な感染者拡大によって、現在でもその兆候が出始めている医療崩壊(全国60施設対象の調査で、全体の感染者の9.4%=1,086人が院内感染で、医療従事者の感染者が541人)を回避でき、ワクチンや特効薬が未だにない状況でも、既存の薬剤の活用など、医療面であらゆる手だてを講じれば、新型肺炎に戦々兢々として(ὑπερφοβεῖσθαι)、つまり感染や罹患自体より、新型肺炎による死に限って、それを恐れるあまり社会経済活動を「必要以上に」(περισσῶς)制限する必要はないという判断を可能にし、それに基づき活動再開の是非を議論し、社会的合意につなげるという出口戦略も見えてくるはずだ。
もっともその前提として、医療崩壊の根本的原因である急激な感染拡大を抑えつつ、拡大防止とは別に、生命を守る最後の砦(τὸ τεῖχος)である医療態勢の維持と、早急な次善の治療法の確立が求められる。
本庶氏は、その中でも実施国で有効性が示されているものを、副作用も含めた充分な事前説明と了解を得たうえで、急性期にはアビガンなど抗ウイルス剤、重症肺炎段階の炎症反応の暴走時(リンパ球の急激な増大や、所謂自己免疫系の暴走=サイトカイン・ストーム)には、関節リウマチ治療薬のアクテムラ(トシリズマブ)の投与による救命を目指して、治療実績を積み重ねるべきだとしている。
それは緊急時に、死という最悪の事態を回避する緊急避難的意味もあるが、23日に急逝した女優の岡江久美子さんの症例や、埼玉県で軽症で自宅待機中の感染者の急死が相次いだ例が示すように、死に至る過程で急激に肺炎の悪化症状が起こる新型感染症特有の病態の解明が不充分で、最終段階での救命の大きな障碍になっているからだ。
PCR検査の大幅拡充による隠れた感染者の発掘とそれに応じた隔離体制の確立は、これ以上の医療現場の混乱を増幅させないために必須であり、併行して実施すべき抗体検査は、致死率という、ある意味絶対的な基準(κριτήριον)に照らして、新型感染症が他の感染症や病気と比較して、どの程度恐れるべき病原性の強さ=致死率をもつ疾病かを具体的な基準で示し、それが季節性インフルエンザ等と比べてどの程度の水準かを明らかにすることになり、今後の活動再開に向けた合理的な議論に道を開き、その是非を判定する(κρίνειν)ことが可能になるからだ。
同州の感染者は23日時点で263,460人、死者は15,740人で、致死率は5.97%。これまで捕捉されなかった感染者が州全体の感染者の10倍以上に上ることを示す。
先月1日に初めて感染者が出た時点で、既に10,700人が感染していたとの推定を可能にする。この時点で全米の感染者は23人だった。
この結果は、新型ウイルスの感染が当初確認されたよりも早い段階で広がっており、感染者の数も公式統計より遥かに多いのでは、という従来の推測を改めて裏付けた形だ。
今回の抗体検査は、州内で既に新型ウイルスに感染し、抗体をもつ人がどの程度存在するかという実態把握の目的で、18歳以上の3,000人を無作為に抽出して実施した。抗体をもっていたのは州全体では13.9%、中でも最大の感染者が出たニューヨーク市(840万人)に限ると21.2%だったという。同市では約178万人が既に感染している計算になる。
これに伴って、同州の実際の致死率も0.6%に低下するとみることも可能になる。全米の感染者は24日午後6時時点で886,709人、死者50,209人で、致死率5.66%だから、単純な比較、推計はできないとしても、米国全体での致死率も0.57%程度になる計算だ。
クオモ知事は、検査は買い物で外出していた人が対象のため、生活インフラを支える、所謂essential workの従事者はあまり含まれておらず、対象者は家から全く出ない人よりは抗体をもっている可能性が高いとの見方も示した。
ニューヨーク市や同市近郊では軒並み10%割を超えた一方で、州の他の地域は4%以下だったことで、クオモ知事は外出制限の緩和処置などを地域ごとに検討する必要性を示唆した。
そのうえで、検討課題が多いことを認め、以上の要因を踏まえたうえでも、今回の初期段階の検査によって感染状況に対する理解が増したとして、経済活動の再開に向けた判断材料になるとの認識を示し、外出制限の緩和などを地域ごとに検討する可能性があることを示唆した。
一方、専門家の中には、今回の検査の詳細が不明で「検査の詳細を公表するよう求める」という声や、13.9%という数字はこれまでの研究結果に比べて高すぎるという意見、抗体検査で陽性反応が出た人が実際に免疫を獲得したと言えるかどうかは疑問が残るとの慎重な見方もある。WHOも先ごろ、抗体検査技術は十分に検証されておらず、抗体自体についても不明な点が多いとの認識を示している。
いずれにしても、未解明部分が多い感染症に対峙するためには、実態解明は欠かせない。著名な女優の突然の訃報に浮足立つことは人情として已むを得ない面があるが、「コロナファッショ」(corona fàscio)や「コロナ狂」(ὁ στέφανος μαίνομαι)に陥ることなく、冷静に(ἥσύχως)なる必要がある。
昨年末に初期の乳癌手術を受け、1月半ばから2月初めまで放射線治療を受けていた岡江さんが発熱から3日目で容体が急変して集中治療室での治療になり死亡した件も、本当の理由(ἡ ἀληθεστάτη πρόφασις)はよく分からない。実施時期を考えると、3週間程度の放射線治療の影響が新型ウイルスへの免疫低下を招き、今回の突然の死につながったという因果関係に、癌治療の専門家(首藤昭夫・国立がん研究センター中央病院乳腺外科長)は否定的だ。
短絡すると、放射線治療、抗癌剤治療がストップし、現場は一層混乱し、救える命を取り逃がす。[完]
そこでは、感染傾向のピークを、4月12日ころと評価しています。この結論は、篠田教授と同じです。ちなみに中国武漢は2月初旬(3日ころ)、韓国は3月5日が、感染傾向ピークです。ただ、日本の場合は、死亡者のピークは、まだ頂点に達していません。欧米の傾向から、帰納的考えればまもなく達成する(1週間程度遅れる)としていますが、こればかりは、結果を見ないとわかりません。ゆえに、現段階では、篠田教授・藤原かずえさんともに、その論考は、確定的ではありません。1週間様子を見たいです。
一部有識者が、そのうちNYのような「爆発的感染」が起きる!と叫ぶばかりでは建設的ではないと思います。なぜこのような推測を、いまするのかと申しますと「出口戦略」を立てたいからです。トンネル出口の光が見えないと、先を見通した対策が打てないからです。
コロナ対策が命なら、経済も回さないと失業者・自殺者が増えます。経済も命なのです。「コロナ対策VS経済」の図式ではなく、どちらも「命VS命」の図式です。それゆえ、感染の傾向を早く見切って、経済を通常に戻すとともに有効な経済対策を、迅速に打ちたいです。
最初のCovid19の兆候を認識することは、大変大事である。WHOによる現在のデータによると、人が一番ウィルスを他人に感染させるのは、病気ではないか、と感じたその最初の時点なのである。感染はウィルスが多くの細胞内で増殖し続け、人の自覚症状が始まる1-2日前なのである。つまり、多くの感染者において、その人の免疫システムと病原菌との戦いが始まる前なのである。これが、Covid19の感染のしくみなのである。
Der große Spagat der Wissenschaft
このコロナ危機で明らかになったことは、どれほど学問が、時間と価値評価の圧力を受けているか、ということである。世界は、ウィルスに対するワクチンと特効薬を待っている、政治家も、起業家も、家族も、危険なしに普通の生活を取り戻す朗報を待っている。
世界中、研究者たちは専門家として大変期待され、その期待に応えなければならない。間違いや研究していく上での修正の言葉は、受け入れてもらえない。数週間前の前言を翻したり、撤回する専門家だけではなく、中間段階を発表し、それを撤回したことに起因する騒動も許してもらえない。コロナの特効薬として定評の高かったレムデシベルによって、Gilead Sciencesの株価は跳ね上がった。1週間後の木曜日の夜、この薬剤はあまり効果がないことがわかった。その悪いニュースでウオールストリートの株価は6%下がった。
真の学問の為には、背景、根拠の探究、訂正、補足的なチェックが基本であり、その為の時間が必要である。時間が押し迫っていても、我々はその為の時間を与えなければならない。
日本では、トランプ大統領ご推奨のレムデシベルが効果がなかった、とあまり報道されないが、どうしてだろう?アビガンはどうなのだろう?安全性は大丈夫なのだろうか?マスコミ報道がこの状況下にあると、マイナス面がみつかった時、担当者は、それを発表したり、副作用面の補足的な訂正ができなくなる。
とにかく、なにが大切か、なにに重点をおかなければならないのか、それは、本当に実現できるのか、ということをよく考えて、マスコミは報道しなければならなのではないのだろうか。
日本の感染者のピークアウトは4月12日であり、それは首相が緊急事態宣言を出す7日以前、本欄で「検証」と銘打って篠田さんが一連の批判的議論を展開している政府専門家会議・クラスター班の西浦博氏が8割接触削減を打ち出す前に、「日本国民は年度末に感染拡大を阻止する防御態勢を既に整えていた」結果で、「日本は欧米主要国とは比較にならないほど危機意識が高く対応が早い」と評価している。
それは⇒【欧米の主要メディアから「危機意識が低い」「対応が遅い」と罵倒された日本政府が緊急事態宣言を出したのは、10万人に0.35人の時点】とも指摘する。同時に、強制力のある外出・接触に踏み切った欧米諸国が、いずれも⇒【10万人に2~3人の新規感染者が発生した時点で外出制限令…が、感染爆発の発生自体を抑制するには時に既に遅しであった】ことは分かるとして、「日本モデル」の対応というより、日本人の危機意識が急激な感染拡大を食い止めていると、政府の対応の遅れや体制不備、国民の危機意識の欠如を指摘して感染爆発の危機を喧伝するメディアより、国民の所謂「民度」(ὁ πεπαιδευμενος ὅρος)の高さが事態の悪化を防いでいる、と論証している。
結論は明確で、違反者には罰則や罰金を科すしてまで「不要不急の外出を禁止」する欧米より、「不要不急の外出を要請」するにとどまっている日本の優位性を主張するものだ。
日本の累積感染者数の少なさは、欧米と比較してPCR検査の実施件数が極端に少ない特異な事情とほぼ連動しており、政府も対応を見直したほか、その兆候(σημεῖον)や合図(νεῦμα)を示すいくつかのデータや現実もここに来て明らかになりつつある。手術予定者と一般外来の受診者などを対象にした慶応大病院の検査結果=陽性率(5.97%)でも、水面下で相当程度の市中感染が起きている蓋然性(prabability=τὸ ἐἰκός)が高いのを裏付ける。
充分あり得ることとして(κατὰ τὸ εἰκόν)、それを否定する根拠に乏しいことは、現在起きている、また起きようとしていることを注意深く観察するなら、たぶん(εἰκότως)間違いない。
そして藤原氏も認めるように、その議論の根拠になっているのは、表面上のデータ、日本も欧米諸国も7日間移動平均の新規感染者数の「時間変動と外出制限の関係」についての「実データ」の分析、比較検討でしかない。⇒【感染という(複雑系 complex system)】のような事々しく取り繕った表現をを交えているが、⇒【日本で言う「新規感染者数」はあくまでも「新規感染者の確認数」に過ぎませんが、一定の基準で認定が行われている限り、「真の新規感染者数」の時系列変動を反映したものであると考えられ】のように、データの評価について極めて安易で、それ以外は、欧米の動態との比較に終始するというご気楽さだ。
公表されているデータからは、それ以上は踏み込めないという事情は部外者は皆同じだから藤原氏としてもどうしようもないのだろうが、次のような西浦氏の数理モデル解析による流行予測への批判はいただけない。
この程度の一般論を、外野からの贅沢な注文として要求するのは気楽だが、実際の試算にあたって採用されたデータ評価やパラメータの推定に、具体的に踏み込んでその根拠や実効性について何ら論じておらず、無駄話(ἀδολεσχία)というほかない。
⇒【現在のようなデータ取得環境において有効となるのが、データの変動を統計的関係に求める(統計モデル statistical model)】の適用や、「パラメータの柔軟な選択」程度のことなら、西浦氏も現場で苦闘しながら疾うに取り組んでいるだろう。
このあたりは、アゴラが転載した元のサイト、「マスメディア報道のメソドロジー」で展開している、⇒【マスメディア報道の論理的誤謬(logical fallacy)の分析と情報リテラシーの向上をメインのアジェンダに、できる限りココロをなくして記事を書いていきたい】という藤原氏のメディア批評の方法論的考察の意図は分からないでもないが、そのコロナ対策に関する戦略的アプローチなるももの具体像は、西浦氏や専門家会議への注文以上には、何ら具体的にみえてこない。
専門家会議の大半を占める感染症学や公衆衛生学、ウイルス学の専門家による 感染データ偏重の議論の一面性に加え、⇒【統計の専門家、特に時系列分析とデータマイニングの専門家を活用することが極めて重要】という点は異論がないが、それを阻んでいるのはメディアではなく、むしろ政府、特に「危機意識」の欠如した厚生労働省の官僚主義、その弊害を知りつつ事実上放置している政府や政治家という「日本的特殊事情」であることに踏み込まない限り、藤原氏の議論は、他方の専門家の肩車に乗った単なる揚げ足取りの揶揄にすぎまい。
⇒【統計の専門家は、少なくとも「40万人が死亡する」といったような非現実なテール・リスクを想定することはない】という際の「現実」主義、リアリズムとは、⇒【重要なことは、モデルの検証を行うことなしに経済的打撃を際限なく許容する現在の状況】を批判するだけでは、空中戦以外の何ももたらさないし、現実を直視する態度でもなかろう。
3で言及した中国の古言、「指月認指」、つまり「人、手を以て月を指さし、月を認めて指と爲す如くに」(『大佛頂經』=「如人以手指月、認月爲指」)は、指で月を指し示しても月を見ないで指を見ること、つまり、「正しい見え方をしているもの」(ὀρθῶς φαινόμενον)=肝腎なことが目に入らない愚かさを諭すと同時に、都合の悪い、真実を認めないことの譬えでもある。
藤原氏のように聡明な人物によもやその懸念はあるまいが、「出口戦略」とは、性急に社会経済への打撃を説くだけでは見えてこない。
あくまでPCR検査の網にかからない、市中の感染者の問題だ。偏執狂の老媼はそれを見落としている。少なくとも軽視しすぎだ。
35も例によって老媼の悪癖(τὸ κακόηθες)、謂わば病(τὸ νόσημα)であるコピペで私の28の《クオモ・ニューヨーク州知事は23日…が判明した》の71字分、《州人口1,950万人から推定…を示唆する》の41字分を、そのままちゃっかり盗用して(μιμεῖσθια)、愚劣で見当違いな素人論議に余念がない。ドイツの抗体検査のデータでも、都合のよい数値だけしか引証しない。
ここでも問題となっているのは、米国の大量の感染者や死者、医療事情ではなく、市中での感染実態であることを全く無視した退屈な議論に終始する。
何を勘違いしているのか、逆上せ上がって(ἐξεγείρειν)、37⇒【日本のマスコミの報道傾向に警鐘をならすため…der Spiegel】とか、政府専門家会議の姿勢にもの申して、38⇒【真理の翼がはばたかなくなってしまう…】(正確には「真理のつばさはばたけば」⇒神戸高等学校校歌の第二番。作詞は中国文学者の吉川幸次郎)のような道化を演じる。
愚にもつかないことを執念深く(σκληρῶς)、「執拗に繰り返すこと」(καρτέρσις)を妄執(ἀματηλός πλεονέκτημα)というのだろうが、「コロナ狂」(ὁ στέφανος μαίνομαι)の面目躍如で、特効薬どころか、つける薬がない。[完]
>日本が今まで、感染者数や死者を少なく抑えられていた秘密は、クラスター調査、接触調査で、
前の記事のコメントでも申し上げましたが、慶応大学病院のデータによると東京都だけでも、ほぼ確実に20万人以上の感染者がいます。これは公表された感染者数の100倍近い値です。その意味で日本が感染者数を少なく抑えられていた(いる?)とは言えないと思います。
>私は、兼ねてからスマホのアプリによる「接触調査」がこのCovid19の撲滅のカギだと思い、マスコミに登場される日本の専門家が主張、PCR検査を五月雨式に大量にすることには、このCovid19の拡散を抑制する上で、全く意味がないと素人なりに主張してきたが、
東京都だけでも20万人以上の感染者が存在する状況では、スマホのアプリによる「接触調査」は
・感染者の把握
・接触の範囲
という点から、もはや有効ではないと思います。
接触調査を行うためには、まず感染者を把握する必要があります。そのためにはPCR検査を五月雨式に大量に行ってでも感染者を把握する必要があると思います。現在判明している(実際の感染者の1%程度の)感染者だけを対象に接触調査をしても効果は少ないと思います。
接触者を感染者と同じ店にいたり同じ車両に乗った人と定義すると、20万人以上も感染者がいる状況では大部分の人が接触者に該当する(車両に載ったり店に入る度にスマホに接触警告メールが来る)事になると思います。
昨夜も、専門家の方が、市中感染のフェーズに入ったから、とにかくPCR検査をして、重症者を出さないようにしなければならない、と主張されていたが、専門家がなにを主張しているのだろう、専門家の肩書が泣く、と思った。まず、慶応大学病院のPCR調査であるが、67人の自覚症状のない人を調査して、4人の陽性患者が一度でたからといって、東京に20万人以上の感染者がいるとは断定できない、短絡すぎるし、誤差の範囲が多すぎる。それはあまりに検体数が少なすぎるし、調査を一度しかしていないからである。
篠田教授の2020年04月16日
西浦教授に研究者に戻ってほしい
shinodahideaki.blog.jp/archives/34932332.html#commentsのコメント13,14で書いたように、Covid19感染症の拡大、収束を示す指数は3つで、西原理論の基本再生産数2.5ではない。倍増期間、感染者数の傾向、実行再生産数、それを元にして専門家は、Covid19の拡大、収束傾向を知る。日本の場合、それに対しての専門家の客観的なコメントはテレビではまるでない。国民に気のゆるみをもたせないために、不安を煽るコメントのみである、と思っていたら、篠田教授がブログで発表してくださったshinodahideaki.blog.jp/archives/34973467.html 。感染者数の傾向とは、、過去7日の感染者数をその前7日の感染者を比較する。慶応大学の結果は1回だけの調査結果である。、期間設定もないし、傾向の把握もない。本来、東京都が今までしたPCR検査でもっと信頼性がある数字が出せるのではないのだろうか。慶応大学病院の調査は、医療従事者の感染の危険を示そうとした調査結果なのに、それを専門家と自称する人たちが、東京都に20万人感染者がいる、と危険をあおるために利用したのにすぎないのである。真理の追究に役立たないし、学問とは言えない。
無理と言われるが、上海でも、武漢でも実行して封じ込めに成功したのであって、上海の人口は2400万人、どちらの都市も東京より人口が多いし、アプリの対象は、感染者だけではない。ヨーロッパでは独のSpahn健厚相以外に、仏のマクロン大統領もスマホのアプリの活用に積極的で、EU全体で導入する計画がある。障害になっているのが、「基本的人権の尊重」なのであって、日本も弁護士会が強いから、この効果を上げているシステムのメリットが一切日本では報道されないが、ワクチンも特効薬もない、感染力が強く、潜伏期間が5日もあり、その潜伏期間中に感染させるCovid19の感染力をそぐには、感染者を隔離すること、感染者を減らすことに主眼がいかなければならない。本来その為のPCR検査なのであって、重症者をみつけるためのPCR検査ではない。PCR検査では、感染しているか、していないかはわかっても、重症度まではわからないからである。
篠田教授のブログ2020年04月10日
緊急事態宣言・西浦モデルの検証①(4月10日) の
コメント、6,7,8で紹介したように、shinodahideaki.blog.jp/archives/34893461.html#comments Covid19の病態は、発病した後、このように進む、
o フェーズ3: 決断の時間
発症の初期の日々は決定的な意味をもつ。免疫システムが働き、ウィルスの感染の拡大を抑制するために、最初の症状が始まる。気分的には不快かもしれないが、ほとんどの患者は軽症のまま推移し、家で治癒する。
今までの研究では、80%が軽症か中等症である。この数字は中国の数字である。ドイツの研究では陽性と判定された患者の14%が病院で治療を受けている。つまり、86%が軽症か中等症である。
今論議されているのは、いわゆるスーパー感染者で、Covid19以外に他の細菌で侵されている人がいるのである。アーヘンの大学病院では50人のうち4人がそうで、3人に人工呼吸器が必要だった。また、コロナウィルス用ではない抗生物質の投与を受けた患者もいた。
要するに、感染者が大量のウィルスを咽頭から出して、他人に感染させた後、ウィルスが肺の奥深くに入ることで、肺炎を発症し、多くの患者の全身状態は急激に悪くなる。つまり、飛沫感染で感染させてから、重症化するのである。
西浦教授に研究者に戻ってほしいshinodahideaki.blog.jp/archives/34932332.html#comments コメント57に紹介したダルムシュタットの医師にこのような発言がある。
コロナの患者に特徴的なことは、多くの患者は、最初健康である、という印象を受けます。けれども、酸素の値を見ると、大変低いので、びっくりします。コロナ以外の病気ではないことです。他の病気の患者であれば、このような値であれば、すでに肺炎と診断し、人工呼吸をします。その為に何人かは、そんなにひどくないのに、集中治療室送りに私がするので、びっくりするのです、
つまり、その患者が肺炎を併発し、重症になるかどうかは、背景としては年齢、持病のあるなしが大きな要因であるが、病状から見た時、酸素の血中濃度の低下が特徴としてあげられるのである。患者の気分はそう悪くないのに、血中酸素の値が低いのである。埼玉で家で亡くなったコロナ患者さんもそうであったのではないのだろうか?重症度の基準は、血中の酸素濃度であって、PCR検査でみつかるウィルスの量ではない。それは、以前紹介したように、Covid19は人の細胞内で、ウィルスを大量に増殖することができるからである。感染者、特に、重症者を増やしてはいけない、というのは、軽症、中等症のひとびとは、中国のデータでは1-2週間で回復するが、重症の場合は3-6週間かかるからである。それだけの人工呼吸器、医療施設、人員のキャパが、東京都、日本全体にあるのだろうか。本来は、仮想現実を積み上げてむやみやたらに危険を煽るよりも、そうなったら危険になるような現実的な問題を事前に、マスコミの専門家が調べ、解決の為の議論すべきなのである。
免疫システムにつぃては、ダルムシュタットの医師のみたてによると、その働きを終えると、感染した証として抗体を遺す。Covid19が新たに細胞に侵入しようとすると、それを即座に認識する。今までわかったことによると、その抗体はある一定期間コロナウィルスの攻撃からその人を守ってくれる、ということだそうである。そこに、「血清プラズマ療法」の可能性があるのであるが、留意しなければならないことは、専門家と自称する人が主張するように、自覚症状のない人を含めて抗体のある人が、二度とCovid19に感染しないかどうかは、現段階ではわからない、ということである。
素人の主婦、カロリーネは、この騒動が起こってから「大変だ。」と思い、3か月のにわか勉強でこれだけの知識を得たが、専門家と自称して毎日テレビに出演している人々は、この日本国民一人一人の「命、生活全体」にかかわる重大な問題に真剣に向かい合う気持ちがあるのか、と思う。彼らにとって、この問題は、議論の種、自分の顔と名前を売り、お金を稼ぐ道具の一つにしかすぎないのではないのだろうか。
>短絡すぎるし、誤差の範囲が多すぎる。それはあまりに検体数が少なすぎるし、調査を一度しかしていないからである。
・短絡すぎる
申し訳ありません。仰る事がよく理解できません。
・誤差の範囲が多すぎる
検体数が少ないので、仰るように誤差(推定値)の範囲が広くなっています(観測値6%に対して、1.7%~14.6%) 20万人(1.7%)というのは広い誤差範囲の中で最も小さい(楽観的な)値を採用した場合です。
岩田氏は二項検定に基づいて算出されているので
(A) 各患者が感染するかは独立である(他の患者が感染しているかに影響されない)
という条件を満たせば
感染率が1.7%未満であれば、67人中で4人以上感染している確率は5%以下である
(95%以上の確率で感染率は1.7%以上である)
というのは、
サイコロにインチキがなければ(1~6の目が出る確率が全て1/6であれば)、
サイコロを2回降った時に2回とも6の目が出る確率は1/36である
というのと同じ数学的事実です。
検査の対象となった方は入院直後だったそうなので、私は(A)の条件は満たしていると思います(入院してしばらくたってからの検査では、院内感染の可能性もあるので(A)の条件は満たされないかもしれません)
・あまりに検体数が少なすぎる
検体数が少なくても(誤差(推定値)の範囲が広くなりますが)推定はできます。例えば関東地方のテレビ番組の視聴率は1000件弱の検体から推定されたものだそうです。検体で重要なのは検体数よりも
(B) 対象に偏りなく分布している
という条件を満たす事です。例えば視聴率調査でテレビ朝日の社員とその濃厚関係者だけを検体にしていては、(分布に偏りがあるので))いくら検体数が多くても視聴率の正しい推定はできないと思います。東京都が今までしたPCR検査は感染者の発見を目的としている(感染していそうな人を検体としている)ため(B)の条件を満たしていないので、一般の感染率の推定には不適切だと思います。慶応大学病院で検査を受けた方の情報がないので(B)の条件を満たしているかは不明です。しかし慶応大学病院は有名で多くの医療機関から(手に負えない?)患者が送られてくるので、私は(B)の条件を満たしていると思います。
・調査を一度しかしていない
仰るように一度しか調査していないので感染率の変化は分かりません。しかし(A)と(B)の条件を満たせば、その時点での感染率を推計する事は可能です。変化を測定するためには(A)と(B)の条件を満たす検体を調査すればよいと思います。
例えば、毎月6日と16日と26日に、その日が誕生日の東京在住の鈴木さんに対して押し掛けPCR検査をすれば、PCR検査の対象は(A)(B)の条件を満たすので、東京の感染率の10日毎の変化が推計できると思います。
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