4月7日に緊急事態宣言を出した際、安倍首相は、「人と人との接触機会を最低7割、極力8割削減することができれば、2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせることができます」と述べた。
その日から3週間がたった4月28日の時点での様子を見てみたい。
これまでの『検証』と同じやり方で、東京都の週ごとの動向を見てみよう。累積感染者数(括弧内は新規感染者数)と前の週と比べた時とのそれぞれの増加率である。https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/
4月22~28日: 4,059 人( 753人): 1.22倍( 0.76倍)
4月15~21日: 3,307人( 988人): 1.42倍( 0.87倍)
4月8日~14日: 2,319人( 1,125人):
1.94倍( 1.67倍)
4月1日~4月7日: 1,194人(
673人): 2.29倍( 1.92倍)
3月25日~31日: 521人( 350人):
3.04倍( 3.46倍)
私は、一連の『検証』シリーズで、4月になってから増加率の鈍化が見られ、さらに4月中旬からは新規感染者数は減少傾向に転じたことを指摘してきた。現在も、この傾向が顕著に続いている。
全国的な傾向も見てみよう。https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/
4月22~28日: 13,422 人( 2,448人):
1.22倍( 0.70倍)
4月15~21日: 10,974人( 3,465人):
1.46倍( 0.93倍)
4月8日~14日: 7,509人( 3,692人):
1.96倍( 1.91倍)
4月1日~4月7日: 3,817人(
1,930人): 2.02倍( 2.43倍)
3月25日~31日: 1,887人( 792人):
1.72倍( 2.57倍)
これまでの『検証』で確認してきたように、4月に入ってから増加率の鈍化が認められた全国の新規感染者数だが、東京と同じように、4月中旬以降に減少傾向に入り、それは今週も続いた。
減少傾向に入っていることは画期的であり、国民の努力の成果として、素直に賞賛すべきものだと私は考えている。
日本よりも厳格とされるロックダウンを導入した欧米諸国の中の幾つかの国々は、死に物狂いで増加率の停止にまでこぎつけても、なかなか顕著な減少傾向を作れずに苦しんでいる。これまでも何度か示してきFinancial TimesのJohn Burn-Murdoch氏の「片対数スケール」のグラフで新規感染者の増減率の比較を見てみよう。https://www.ft.com/coronavirus-latest
アメリカやイギリスは、何とか増加率の上昇を止めたものの、なかなか下降傾向に入れないで苦しんでいる。これに対して、日本が下降モードに入り始めた様子がわかる。
これについてクラスター対策班の西浦博・北海道大学教授は、4月24日に、次のように述べたという。「患者はねずみ算式に増えていたが、4月10日ごろから伸びがやや鈍り、今週に入ってさらに鈍化した・・・。感染から潜伏期間を経て診断を受けるまでの時間を考慮すると、小池百合子都知事が3月25日に外出自粛を要請した効果とみられる。」https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200424-00000161-jij-soci&fbclid=IwAR3XsZ45Sx_EchADWXYR7fPLtq8-sF8RO8yJWW2NNOPbl3RJ9MbozxJsqys
この認識は、この『検証』シリーズで私が繰り返し述べてきていることと、同じである。(西浦教授の場合、絶大な政治的影響力を保持しているので、政治家のように『緩みも懸念される』ので『対策の徹底を要請』と政治発言をしなければならないのだが)。
この状況にいたって、大きな混乱が見られているようだ。特に週の初めに少なめの新規感染者数が発表されると、テレビのコメンテーターが動揺し、数字を信じるな、政府の陰謀だ、といったことを力説し、少し新規感染者数が増える日があると安堵する、といった現象が起こっているようである。さらには月曜・火曜のワイドショーが盛り上がらないので、週末をはさんだ後の新規感染者数の報告が減る傾向を何とかしろ、と無茶苦茶な要求までしているようだ。
曜日に偏差があるのは当然なので、John Burn-Murdoch氏ら世界中のウォッチャーが7日移動平均を採用している。私も大枠を掴むために週単位の数字で動向を見ている。曜日の偏差が気になるなら、自分で週単位の比較をすればいいだけだ。
ところがほんの少しの努力もしない代わりに、月曜・火曜のワイドショーも盛り上げるために週末もたくさん検査をしろ、と要求するという態度には、茫然とする。私を含む国民のほとんどは、粛々と家にこもっているというのに、テレビ番組で「週の初めもワイドショーが盛り上がる数字を持って来い」と叫んでいる人たちは、いったいどこまで偉いのか。
相変わらずPCR検査数が少ないので、数字は信用できない、という主張も根強い。しかし検査数で絶対数の見え方を抑え込むことはできるかもしれないが、増加率に恣意的影響を作り出すのは、簡単ではない。まして曲線を描く変動を、検査の絶対数だけで操作するというのは、ほぼ不可能だろう。報告された数字それ自体の改竄を行うのでなければ、曲線の操作はできないと思う。
こうした常軌を逸した主張をするコメンテーターばかりがテレビ番組に出演するのは、やはり渋谷健司氏のような方が、何週間も前から「日本は感染爆発の初期段階」「日本は手遅れ」「喫緊の感染爆発」と主張し続けているからだろう。
以前は皇后・雅子様の双子の妹君との離婚と、即座の年下女子アナと電撃再婚で話題を作り、今回も華麗に機会に応じて肩書を使い分けるなど、切れ味抜群の「産婦人科医」の渋谷氏に魅了されているので、テレビのコメンテーターは皆、「数字は信じられない、信じられるのはあの産婦人科医の渋谷健司氏の言葉だけだ」、という気持ちになるのだろう。
渋谷氏には、学者生命を賭けて、すでに起こっている日本の感染爆発を証明する義務がある。
精緻な学術論文はもう少し時間がかかるということであれば、日本の雑誌がいくらでも、渋谷氏の学者生命を賭けた日本の感染爆発証明論文を掲載してくれるはずだ。
まさか今さら、新規の大型契約の受注がないと公表しない、などということはないはずだ。
日本の迷えるTVコメンテーターを救うために、産婦人科医・渋谷健司氏は、学者生命を賭けて、一刻も早く日本の感染爆発を証明する論文を公表せよ。
*
(渋谷健司氏については、肩書が多彩であるために、どのように紹介していいか、いつも迷う。渋谷氏は、日本のマスコミでは、「WHO事務局長上級顧問」である。ところが海外のメディアで英語で日本批判をする際には、「元WHO職員(former WHO official)」になる。渋谷氏が代表を務める上杉隆氏が社主である株式会社No Border代表としての肩書は、「WHOコーディネーター」である。
渋谷氏は、2001年からWHOに勤務し、2005~08年に「coordinator for the Health Statistics
and Evidence Unit」というコーディネーターの肩書を持った。https://www.who.int/bulletin/volumes/84/3/news10306/en/ 東京大学は、この「コーディネーター」職しか、渋谷氏とWHOの関わりを認めていない。http://www.ghp.m.u-tokyo.ac.jp/profile/staff/kshibuya/ したがって渋谷氏は、海外では、「元コーディネーター」の「元WHO職員」であるようだ。ここまでは情報が確認できる。
しかし日本では、肩書は変わる。たとえば渋谷氏が創設して2012年にPresidentに就任した「Japan Institute for Global Health (JIGH)」という団体の紹介文では、2005~08年のWHOとの関わりは「Coordinator」ではなく「Chief」ということになっている。http://jigh.org/en/about/
「Chief」の肩書で登場する職務の部分は、渋谷氏の自己申告で作成されている経歴のようなので、「Coordinator」が「Chief」になった経緯は不明である。また、さらに現職として日本のマスコミで「WHO事務局長上級顧問」になる経緯も不明である。WHOが公式に公表している「Senior Advisor」や「Special Advisor」の中には渋谷氏は含まれていない。https://www.who.int/dg/who-headquarters-leadership-team WHOの幹部職員である私の知人に聞いてみたところ、WHOの職員リストには渋谷という人物は出てこないので、可能性としては、契約コンサルタントか何かではないか、とのことであった。
なお渋谷氏はもともとは産婦人科医である。また、公衆衛生の論文執筆はあるようだが、感染症に関する業績は見つからない。)
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感染症の数理モデル流行予測は、厳格な知的操作を経て構成されるもので、渋谷氏の主張と関係があるとも思えない。
データ評価やパラメータの推定は注意深く行われなくてはならない。得られたデータの内容と特性によって異なる推定手法を柔軟に対応させなければならないが、だからと言って、数理モデル的思考になじまない雑多な要素を放り込んで方程式や確率論的モデルを通じたパラメータ推定を複雑にすればよいという問題でもない。
一つひとつの現実的要素を考慮する度にモデルは複雑性を増すし、数理式やプログラムが複雑化するだけでなく最適化も困難になる。
そうした場合、技術的、手法的にはマルチンゲール法を駆使するなど他の方法が必要となるとにわか勉強したが、渋谷氏はともかく、西浦博氏は、標準的な手法は駆使していると思う。伝播動態を最も太い線で的確に捉えることに、流行規模がシステム上は一義的に決定してしまう数理解析の利点や特性、言うなれば強みがある。
数理モデルと言えども、万能でも魔法の杖でもない。共著論文で西浦氏も認めるように、それは必ずしも現実を完全に説明できるものではなく、「推定を目的とした統計モデルでさえも何らかの非現実的想定に基づかなければならないことも多い」。感染症に限らず、それは他の一般的な数理モデルも共通で、だから「内在性(感染症の伝播メカニズムそのもの)の想定をどこまで論理的・現実的に描写できるかによって定性的・定量的に妥当性の高いモデル構築」が可能になる点を考慮するべきとする。
いずれにしても、有効活用することだ。それにとって代わる、最適な手法などない。現実(τὸ γιγνόμενον)は現実を超越することから見えてくることがある。数理モデルもその手段だ。
渋谷氏について他に書くことはないが、執拗に繰り返す身辺情報が重要なのだろうか。
ただ、この人の主張が信じられるかどうか、学者として信頼できるかどうか、を判断するときに大事なことは、肩書ではなくて、主張していることの中身である。私がコメント欄を使って説明したような比較を篠田教授も採用され、曜日に偏差があるのは当然なので、John Burn-Murdoch氏ら世界中のウォッチャーが7日移動平均を採用している。私も大枠を掴むために週単位の数字で動向を見ている。曜日の偏差が気になるなら、自分で週単位の比較をすればいいだけだ、と主張されているが、要するに、ワイドショーに出て来る数字は、世界の専門家の数字ではなく、日本特有のものだし、コメンテーターは専門家と称して、月曜・火曜のワイドショーも盛り上げる為、視聴率を上げるための解説をしているのである。岡田晴恵博士がその典型なので、彼女を例にして述べると、数字から「心配でございます。」の理由を巧みにみつけて、視聴者の好奇心をかきたてる。「心配でございます。」と専門家に言われたら、だれでも、「なにが?」と心配になり、番組を見続けるのではないのだろうか。真理を見つけなければならない専門の学者として、良心がいたまないのだろうか?これは、経歴詐称以前の問題である。
前のブログのコメント27に書いたようにshinodahideaki.blog.jp/archives/35007922.html ドイツの感染症専門家は、PCR検査を元にした数字は10日前の状況なので、新しい感染がまた始まっているのに、それを気づくのが大変遅れるのです。そして感染爆発が再び起こります。私たちは、このウィルス感染が再び拡大しようとした時、闘う武器をもっていません。ワクチンもありませんし、特効薬もありませんと述べておられる。私には、こちらの方がずっと心配である。岡田博士は、特効薬として、アビガン、レムデシベルだ、と騒いでおられるが、現実は、レムデシベル投与で致死率が上がり、強い副作用が現れた、と研究成果が出たように、Covid19についての可能な治療の方法に関する情報があまりに少なすぎる、のが実態なのである。なぜ、岡田博士だけが、神がかり的に、どの薬を投与すれば治癒する、とわかるのだろう。また、軽症、無症状の人が脳梗塞になるという報道もあるが、https://www.msn.com/ja-jp/news/coronavirus/「軽症・無症状」が脳梗塞に-30%ef%bd%9e40代相次ぐ-合併症か/ar-BB13jNl1?ocid=spartandhp 世界の現実はこの感染症とウィルスが体に与える影響もよくわかっていないのである。
テーマは、「スマホによる接触者探査」である
「コンタクト トレーシング」がこの何週間このパンデミーと闘う戦略、感染者をできるだけ早く隔離し、更なる拡散を防ぐため、つまり感染のチェインを破断するための中心テーマであった。トレーシング、いう言葉は、モダンで活動的でデジタルに響く。ドイツでは今まで「コンタクトトレーシング」はこのようになされていた、保健所の職員が感染者から最近の数日、数週間接触した感染者の住所と電話番号を含めてききだし、その人に感染の可能性があることを連絡する。その段階で、間違った電話番号にファックスを送る場合もあった。このやり方は、費用が掛かりすぎるだけでなく、時間がかかり、データにも穴がある。-というのも、知り合いとコーヒーを飲んだことは思い出せても、旅行中の列車の隣の席の人と接触があったことは思い出せても、名前や電話番号はわからないからである。
Bluetoothのデータを交換するスマートフォンがこれを是正できる。もし使用者が感染したら、彼は彼の携帯で彼の近くに接近した人すべてに、その人たちの名前を知ることなしに、警告することができる。すべて匿名で行われる。
いつになったら、日本の政策決定者の優先順位の指標が、マスコミ主導の「PCR検査」や「アビガン」、集団免疫の指標となる「抗体検査」から、「クラスター探査」、「接触探査」、つまり、スマホを通じた「コンタクトトレーシング」へ切り替わるのだろう。
「新型コロナウイルスSARS-CoV-2のゲノム分子疫学調査」
https://www.niid.go.jp/niid/images/research_info/genome-2020_SARS-CoV-MolecularEpidemiology.pdf
現在、日本を脅かしているのはヨーロッパで変異した型らしい。
これをもとに振りかえってみると、感染を防いだニュージーランドが3/19になんと全世界からの入国禁止に踏み切ったことが正解だった。
ところが、ほとんどのマスコミは入国禁止を推奨するどころか(差別だ、やりすぎだなどと)妨害していたから、マスコミ報道は決して自分たちの非を認めないだろう。
それどころか、相変わらず「PCR検査が少ないから日本は問題だった」と論点をすりかえ、重症者や死者が少ないことも、「統計でひろえてないからだ」と印象操作しつづけるだろう。
実に今回も愚劣きわまりない報道だった。鵜の目鷹の目で政権の粗探しをして、人の言動の揚げ足をとってあげつらって執念深く罵倒しつづけ、権力の敵失を一個でも収集することが「反権力マスコミの勲章だ」などと言いたげな「モリカケ脳」は今度も健在だった。特にマスク騒動では、そんなのばっかりだった。
厚生労働者や首相が信用したモデルの件はどうだったか。右派側は首相の危機意識の強い判断に好意的だったし、左側は首相批判に必死で煽り立てるだけだからどちらかというと軽視されていた。
しかし、このシリーズの言わんとする通り、緊急事態宣言をいつまで続けるかは、経済損失と国民の生活に直結するので、その判断がこのモデルに依存しているとすれば緻密な検証が必要だ。
だが、専門家や自民党議員は西浦モデルを批判することに慎重なように見える。もし再び感染拡大したら糾弾されることを恐れているのかもしれない。
そうすると感染傾向・死亡者数傾向の両者から、傾向がダブルチェックできます。この両者の指数が、そろえば篠田教授などの主張する、今度の新型コロナのトレンドが、確定できます。まだ、篠田教授ご指摘のような感染傾向は、確定的には判断はできない< と考えています。
感染(重症者数・死亡者数含む)の傾向が確定すると、あとは「出口戦略」です。経済活動を正常化させるとともに必要なところに予算の「選択と集中」です。ただ、緊急事態宣言「解除」のタイミングは、難しいです。まえ篠田教授が、指摘していたように第三波・第四波もありえます。安易な予測はできませんが、仮にあっても今回の感染の勢いよりは小さいと見ます。
旧会社員さんのご指摘も賛成したいです。中国(武漢)発の新型コロナは、政府による3月19日までの最初の自粛要請と中韓からの入国制限で、止めました。報道によるといま巷に感染中なのは、欧米からの第二波のようです(3月19日~3月末日)。ご指摘のように緊急事態宣言の解除については為政者側の保身もあります。ざっくり明日から”解除”ということにはならないでしょうね。
このような事実が判明するのも、科学の力なのである。時間と手間のかかる数少なくしかできない従来の日本のPCR検査の結果、なのであって、ドライブスルー方式の簡易システム、抗体検査だとこのような結果は出せない。PCR検査は、感染しているかいないかを判定するだけのリトマス試験紙ではない。ゲノム解析なのである。私がずっと気になっているのは、L型とS型はどうなったのか、ということである。保菌者のうち20%しか人に移さないのなら、感染力のあるL型の保菌者だけを隔離できないのか、とずっと考えてきたが、専門家はそのようにはまるで考えない。また、欧米型が主流である、ということは、あまり人に移さない武漢型のウィルスが減り、感染力の高いウィルスが主流になったのかもしれない、と思う。
今回も、このままいけば、いい結果が出ないのは、人の接触を80%減らさない「普通の日本人」の責任にされそうであるが、「普通の日本人」が、並大抵の努力をしていることに気づくべきで、専門家たちの数理モデルがまずかった、という可能性も同時に認めるべきなのである。また、子供はリスクグループにふくまれていないのに、いつまで子供を学校に行かせないつもりなのだろう。感染者数、死者数共に日本よりはるかに多い欧州は、子供を学校に行かせようとしている。サマータイム導入に熱心であった小池知事は、また9月入学、などと主張されているが、秋になると第3の波がやってくるし、外国に留学するのなら、4月入学の方がいいのである。岡田晴恵博士も、留学生活を振り返って、9月入学と言われているが、私は日本の大学を3月に卒業し、4月に渡独し、語学学校に4か月通ったから、超劣等生を経験しながらも、大学の授業についていけたのであって、あの準備期間がなければ、学業と生活の両立は難しかった。二人とも、本当に、海外での留学生活の大変さがわかっておられるのだろうか?私は、数字がいいのなら、接触制限政策を少し緩和し、社会生活を再開すべきだと思う。糖尿病などの慢性の闘病生活と同じである。
現実に、「80%おじさんのやり方」で接触制限生活を続けて東京の数字がもっとよくなったとしても、次に、秋に第3の波が確実にくることは予想される。そして、現実には、ドイツの例でもわかるように、PCR検査を異常に増やしても、この問題の解決にはあまり役立たないのである。だからこそ、スマホの接触アプリを導入すべきだ、と私は主張しているのである。
それ自体は「離群策居」の古典学徒の浮世離れした閑文字にすぎないが、アカデメイアは、内部で教授されたことは門外不出、漏らせば破門どころか罰っせられたらしいピュタゴラスの学校のような閉鎖性はなく、より公開的に(πολιτικώτερν)自らを開放していた。
つまり、「師の御言葉」(Αὐτὸς ἔφα=Ipse dixit)、本欄になぞらえれば西浦説によって拘束されることはなかった。それでも、年長研究生(πρεσβύτεροι)と若年生(νεανίσκοι)の区別があって、前者には聴講が許された「秘教的、秘伝的なもの」(ἀκροατικά)講義は、後者は除外された。
素人には難解なうえに謎めいた(αἰνιγματωδῶς)ところがあり、理解どころか、何も理解せずに排撃されるのは数理モデルに限らない。ましてやそれが、人びとの自由な行動を無慈悲に制限する呪文(ἐπῳδή)と誤解されれば。
しかしそれは、特にグラフ(διαγραφή)を含め、説明の方便として(διδασκαλίας χάριν’)利用されているわけで、性格は秘教的な説明を拒む、説明を拒絶した「不立文字」ではなく、「顕教的・公開的なもの」(ἐξωτερικά)だ。
そうした事情を複雑にしているのは、実は政治や行政の責任であり、謂わば「お上」の事情だ。
孔子が「民は之れに由らしむべし、之れを知る可からず」(『論語』泰伯第八)とするのも政治だ。
従って、民は冥迷=「冥い」ものであるゆえに、「正道を以って之れに教うれば、必ず従わん。如(も)し其の本来を知らば、即ち暴なる者は或いは軽んじて行わず」と註記しているという(吉川幸次郎述『論語』、『世界古典文学全集』第4巻、124頁)。
随分民衆を侮った説で、なるほど如何にもシナらしい。孔子の本意は別にあると、吉川は他の註釈の存在を紹介するが、一足早く新型感染症を封じ込めたとして、先に延期になった全人代(全国人民代表大会)の来月開催を決めた中国にも通じる専制支配を髣髴とさせる。
民衆は経済発展のおこぼれでも与えておけば多少の不平不満はあっても従順であり卑屈で、余計な説明は不要で服従させるに限るというのが、中国共産党流の統治の論理だから、さもありなん、ということなのだろう。もっとも、公式統計をはじめ、説明自体が怪しいから、人民には同情する外はない。
別解釈(何晏)は、「人間の法則というものに、人民は知らず識らずに従っている。だから、人民に、それに従わせることは可能であるが、知らず識らずにやっていることの理由を、はっきり自覚させることは、むつかしい」(同)というもので、「人民の全部が知ることが理想であるが…随順させることはできても、一々に説明することはむつかしい」(同124~125頁)という朱憙も同趣旨だ。
「聖人の心」は計りがたしい、ということだろう。
遺憾ながら、それが彼の国の政治の本質かもしれない。
「われわれは伝統的な知恵だの、慣習の掣肘だのを、まったく尊重していなかった」(‘We had no respect for traditional wisdom or the restraints of custom.’)としていた若き日のケインズ、大英帝国の繁栄を支えたヴィクトリア朝的旧来の価値観、支配層に対する反逆児だっだった卓越した経済学者にして思想家だった人物が後年、自らの軽薄さ(「判断ばかりか、感情の浅薄さ=‘a superficiality, not only of judgement, but also of feeling.’)を認め、「われわれは文明というものが、ごく少数の人たちの人格と意思とによって築かれた、そして巧みに納得させられ、狡猾に保たれた規則や因襲によってのみ維持される、薄っぺらで、当てにはならぬ外皮であることに気づいてはいなかった。」(‘We were not aware that civilization was a thin and precarious crust erected by the personality and the will of a very few, and only maintained by rules and conventions skilfully put across and guilefully preserved.’)とする「回心」の心境について回顧したことを以前に紹介したことがある(昨年8月4日・13日)。
それを指摘したエッセー『若き日の信条』(“My Early Beliefs”, 1949)の中でケインズは、プラトンの最晩年の対話篇『法律』に言及しながら、それが政治や人間についての卓越した洞察=「金言」(dictum)だとして次のように主張する。
「プラトンは『法律』の中でこう述べた。すぐれた法典のうち最善の法律の一つは、およそ青年に対しては、それらの法律の中のどれが正しいとか誤りだとか、詮索することを禁じている半面、法典の中になにか欠陥を認めた老人は、自分の気づいた点を、青年が誰もいないときに、統治者なり同年輩の人なりに伝えることが許される、そういう法律だというのである。それはわれわれにとって、その主眼点や重大さをまったく見出し得なかった金言であった。」
‘Plato said his “Laws”(原文はイタリック=筆者註)that one of the best of a set of good laws woule be a law forbidding any young man to enquire which of them are right or wrong, though an old man remarking any defect in the laws might communicate this observation to a ruler or to an equal in years when no young man no present. That was a dictum in which we should have been anable to discover any point or significance whatever.’=“My Early Beliefs”; The collected writings of John Maynard Keynes, London, 1972, vol. 10, p. 448.)
そこに言う指摘は、プラトンの最晩年の対話篇『法律』の最終巻の中で提示された、人びとが寝静まっている未明に国家の重要事項にかかわる法を監視する人たちの会議、「夜明け前の会議」(νυκτερινὸς σύλλογος=Leges, 908A, 951D~952C, 961A~Cほか)をめぐる議論だろう。
プラトンは、強者や勝者は自分の利益に合わせて法律を制定する、つまり「正義とは強者の利益である」(‘τὸ τοῦ κρείττονος συμφέρον ἐστίν.’=ibid., 714C)とか、「国家においては必ず勝者が法律を制定する」(‘ὧδε. τίθεταιτοὺς νόμους ἐν τῇ πόλει ἑκάστοτε τὸ κρατοῦν.’=ibid., 714C)というような、ソフィストが主張するような自然主義的な法律観を「それが自然に適った」(κατὰ φύσιν)こととは認めず退けるけれど、一方で、法律が主人で支配者は下僕であるべきこと(「法律が支配者の主人となり、支配者が法律の下僕となっているような国家において、国家の安全をはじめ、神々から国家に恵まれる善きことの一切が実現されるのを、私ははっきりと見るからだ。」⇒‘ἐν ᾗ δὲ ἂν δεσπότης τῶν ἀρχόντων, οἱ δὲ ἄρχοντες δοῦλοι τοῦ νόμου, σωτηρίαν καὶ πάντα ὅσα θεοὶ πόλεσιν ἔδοσαν ἀγαθὰ γιγνόμενα καθορῶ.’=ibid., 715D)とするようなリアリストでもあった。
しかしその一方で、プラトンは、理想的な支配者の前には、法(成文法)は絶対的なものではないことを主張する。
「もっとも神の恵みによって、世の中の誰か、生まれながらに充分な能力を具えた者が現われてきて、そのような絶対的な支配者の地位に就くことができたとすれば、その人は自分自身を支配すべき如何なる法律をも必要としないだろう。」(‘ἐπεὶ ταῦτα εἴ ποτέ τις ἀνθρώπων φύσει ἱκανὸς θείᾳ μοίρᾳ γεννηθεὶς παραλαβεῖν δυνατὸς εἴη, νόμων οὐδὲν ἂν δέοιτο τῶν ἀρξόντων ἑαυτοῦ:’=ibid., 875C)
つまり、究極的には「知」(ἐπιστήμη)の支配こそ最善であることに変わりはないからだ。だから、「法の支配」は次善の策(τὸ δεύτερον αἱρετέον)でしかないが、人間性の現実をリアルに認識するなら、それは已むを得ない必要(καθ’ ὅσον μὴ ἀνάγκη)と認めたうえで、「法の支配」を可能にする前提条件を突き詰めることが、シチリアでの政治関与で重大な蹉跌を経験した『国家』以降の国制論の基本命題になる。
つまり、『国家』で主張したような所謂「哲人政治」(哲学の支配)の理想が放棄されたわけではないが、真の意味での法律の守護者として「夜明け前の会議」を設置するような目配りを含め、知と統治に関する認識を深化させていったものと思われる。
「知性がすべてのものの支配者であるのが当然だからである。もしもその知性が、その本来あるべき姿通りに、本当に真正なものであり、自由なものであるならば。しかし現実には、そのそのような能力を具えている者は、どこにもけっして見出されはしないのである。ただし、いくらかそれらしい能力を具えている者はいるけれども。」(引用続く)
「次善のもの」とは文字通り、二番目の(δεύτερος)望ましい(αἱρετός)方策。「次善の策」(ὁ δεύτερος πλοῦς=直訳して「第二の航海」)とも。
「夜明け前の会議」については、批判もある。民主制の否定、民衆蔑視につながる時代に逆行する「エリート支配」(ἀριστοκρατία)を髣髴とさせるからだ。
命名の由来は、「ところで、その会議というのは、年の若い者たちと長老たちとが入り混じて構成されており、彼らは毎日必ず、夜明け前から太陽の昇るまでの間(‘ὄρθρου μέχριπερ ἂν ἥλιος ἀνάσχῃ)、会合することになっているのです。」(‘οὗτος δ᾽ ἔστω νέων καὶ πρεσβυτέρων μεμειγμένος, ἑκάστης μὲν ἡμέρας συλλεγόμενος ἐξ ἀνάγκης ἀπ᾽ ὄρθρου μέχριπερ ἂν ἥλιος ἀνάσχῃ,’=ibid., 951D)
世の中も政治も、民衆が枕を高くして寝入っている間に決しているのかもしれない。[完]
☆訂正28日・34、学生が学問生(οἱ μαθηματικοί)修業生(οἱ ἀκουσματικοί)に分かれていたのはピュタゴラス派の学校。
Bundesregierung geht von schwerster Rezession der Nachkriegszeit aus
ドイツ政府は、戦後最悪の景気後退を予測している。
ドイツ政府はコロナウィルスパンデミーの影響で、経済が激しく崩落することを予期している。国内生産は、6.3%減るだろう。https://www.spiegel.de/wirtschaft/corona-krise-bundesregierung-geht-von-6-3-prozent-bip-rueckgang-aus-a-aa76f0b6-a3b9-4874-a7d5-2d72961bc211
また、自動車業界も政府にコロナ危機を克服するための販売助成金を要求する見通しである。 https://www.spiegel.de/wirtschaft/unternehmen/autoindustrie-will-in-corona-krise-kaufpreispraemie-vom-staat-und-dividenden-ausschuetten-a-dd62d8d8-1255-4acf-924e-b203f9bfda41?sara_ecid=nl_upd_1jtzCCtmxpVo9GAZr2b4X8GquyeAc9&nlid=rllbdrav
日本のマスコミは、ただただ「命が一番大事」と騒ぎ、わけのわからない感染症学者をもちあげているが、失業者が増え、経済状況が悲惨になっても、自殺者が増えて、命を守れない。社会不安も増す。ドイツは大恐慌後のそんな状況下、ヒトラーがさっそうと登場したから、ドイツ国民は騙されてしまったのである。そのことをよく考え、同じようなプロセスをたどった日本も、その教訓を生かし、だれが信頼できる学者であり、だれが信頼できる政治家であるかを見極める目を国民がもてるような報道をすることがぜひ必要だと思う。
現実は、ドラマではない。
実情は、試験を監督した米国立アレルギー感染症研究所の所長ファウチ氏がホワイトハウス(White House)で記者らに対し、「レムデシビルには、回復までの期間を短縮させる点において、明確かつ有意で、好ましい効果があることが、データで示された」と表明。その結果を受けて日本の安倍首相は、日本で承認する、と決定された。あのような報道をしたder Spiegel誌はどのように報道しているのか、調べた
Patienten schneller genesen Erster Erfolg mit Ebola-Medikament lässt US-Virologen hoffen https://www.spiegel.de/wissenschaft/medizin/coronavirus-medikament-remdesivir-verkuerzt-behandlungsdauer-von-covid-19-patienten-a-9dd4eae2-250f-47f8-9acb-bcd55f7c0114
新型コロナウィルスの薬剤として、米国の学者は成功を期待できる結果を出した。臨床研究で、抗ウィルス薬レムデシベルのCovid19感染者の治療期間とプラセボ・偽薬患者の治療期間を比較したとき、30%短縮された、と米国立アレルギー感染症研究所は発表した。所長のファウチ氏は、「明確な、重要な、肯定的な効果があった。」と答えた。この臨床研究には、米国、ヨーロッパ・アジアの国から1063人参加している。彼らは米製薬企業ギリアド・サイエンシズ社から、この薬剤はもともとエボラ出血熱に開発されたものであるが、レムデシベルか、偽薬を受け取る。レムデシベルを投与した患者は平均11日に治癒し、偽薬を投与された患者は15日で治癒した。致死率はあまりかわらなかった。レムデシベルを服用しても8%が亡くなった。偽薬服用者は11.6%だった。学者によると、この差は少なく、その差を薬剤の差にすることはできない。ということだった。
私の引用したder Spiegel誌では、検体数が158人で、レムデシベルを服用した人の致死率は13.9%、偽薬服用者は、12.8%であった。けれども、この差の方がもっと少ないから、薬剤の差にすることはできない。ただ、治療期間の15日を11日に短縮された、ということがたいしたことなのか、と正直思うし、致死率は高い。その上に投与をやめなければならない副作用も発生する。つまり、このレムデシベルは希望の星であるにすぎないのである。そんな薬を簡単に承認して大丈夫なのだろうか。
日本のマスコミは、舞い上がって、ホワイトハウスの思惑通り報道するのではなくて、本来、内容をよく精査して、客観的に報道すべきなのではないか、と思う。患者が気の毒である。
が02.03.2020, 22.29 に書かれた資料を見つけた。
Welche Massnahmen hat Deutschland bisher zur Eindaemmung von Covit19 getroffen?
ドイツ今までCovid19を封じるためにどのような対策をとってきたか?
https://www.spiegel.de/gesundheit/diagnose/
ドイツ政府は今までCovid19の発生を抑制するために数多くの対策をとってきた。目的は、感染症をドイツで発生させないことではなくて、ドイツの医療システムに負荷をかけすぎないように、発生の時期をできるだけ長期にわたらせることである。「カーブをなだらかにしよう。」という掛け声のもと、ソーシャルデイスタンス、接触者や感染者の隔離によって、コントロールされたウィルスの拡散を志向した。
3月16日から全国の学校と学童を少なくとも2週間休校にする。
オーストリア、スイス、フランス、デンマーク、ルクセンブルグの国境は閉鎖(入国するドイツ人、仕事上の物流業者は例外)
Baden-Wuerttemberg州のドイツのすべての空港への乗客の移動は禁止
• ハンブルグ、ベルリン、バイエルン、Nordrhein-Westfalen州は公共生活に大規模な制限をかける、その中には、クラブ、バー、プール、スポーツセンター、劇場、映画館、美術館が含まれる。
• バイエルン州は非常事態宣言をする。
• Schleswig-holsein州の北海の島、東海の島の観光の禁止
• ドイツの鉄道は、3月18日から普通列車の本数を減らす。
• レストランは18時に閉店し、朝は6時以降に開店する。
• あらゆる宗教の礼拝活動と集会の禁止。
日本よりも、感染者数も死者数も多い、ドイツの3月に決めた対策がこうである。ドイツの4月29日現在の感染者の数は157,641人、死者は6,115人である。それなのに、このところの感染者数が減ったから、ということで、国境を超える遠距離の旅行は禁止のままであるが、学校は早期にはじめ、この対策を緩和する方針である。それは、ドイツは短期決戦を望んでいなければ、封じ込めもねらっていない。医療体制にみあうコントロールされたCovid19の発病を国の方針にしているからである。
ドイツのマスコミが、Covid19の特質、ドイツ国民のおかれている現状をきちんと国民に知らせ、目的を明らかにしているから、国民も安心し、民主主義の政治、妥協の政治をつらぬくメルケル首相の信頼感も高い。日本のマスコミのように、スピード感のないゆるゆるの安倍首相は信頼できない、危機には強力なリーダーがいい、とコメンテーターが一日中主張し、国民に希望的観測ばかり与えて、現状を知らせず、テレビ局が少しでも高い視聴率を取るために、映像と言葉を通じて日本国民に心配ばかり煽っていたら、日本国民の心理状態がはどうなるのか、と本当に心配する。
まあ…そう言う事なんだなと、大概の方は思うでしょうね。
このブログで篠田氏を批判しても「お門違い」というところでしょうか。
丑三つ時(19⇒30日01:58~22⇒02:03)に始まって、未明(23⇒02:58~25⇒03:33)、早朝(26⇒05:58)では足りず、陽が高くなっても(27⇒10:19~28⇒10:20)、夕方が近づいても(29⇒15:55~31⇒16:00)錯乱は続き、合わせて13件という念の入りようだ。
この時節、枕を高くしてぐっすり眠れない人間は、どこか病んでいる(ταράσσειν)のだろう。本人のその自覚がないのが致命的(θανάσμος)だ。
そうした度を越した(περισσός)妄執(ἀματηλός καρτέρσις)を「コロナ狂」(ὁ στέφανος μαίνομαι)というのだろうし、精神医学でいう「妄想性障害」とか「偏執症」、所謂パラノイア(paranoia)との違いに見極めがつかいないという意味で、「お病気」(τὸ νόσημα)とか、トチ狂っている(μανήομαι)というのだろう。
いずれにしても、常軌を逸した(οὐκ ἀκόσμως)、真っ当な分別(ὁ ὀρθὸς λόγος)を失った人間が、一種の「コロナファッショ」(corona fàscio)状態のメディアや世の中を批判して独り相撲(σκιαμχία)で何を言おうと、もはや冗談(παίζειν)を通り越して戯画(ἡ κωμῳδεῖν)というほかない。
それは「自分で自分を知らない」(αὐτὸ αὑτὸ ἀγνοεῖν)、つまり身の程知らずの(πλέον ἔχειν)道化者(βωμολόχος)の愚行でしかなく、弁え(σύνεσις)もなく「ドイツ狂い」でクズ情報を撒き散らし溜飲を下げているとするなら、我執(πλεονεχία)そのものでしかない自己満足(αὐτάρκεια)は、そのまま自己欺瞞(αὐτὸς ἀπάτη)ということになるのだろう。
そうした「阿呆」を相手にしても仕方がないが、酔狂(ἀτοπία)ついでに言えば、例によって悪癖(τὸ κακόηθες)が収まらない「コピペ狂い」(κλοπή μανικός)で冒頭に並べている、
23⇒【民衆というものは政府(お上)の施政方針に従わせるだけでよく…「由」は「従う也」としているくらいだ。】(165字)は、後続の⇒【民衆は経済発展のおこぼれでも与えておけば…というのが、中国共産党流の統治の論理】(76字)とともに、肝腎の13末尾の孔子の言、「子曰、民可使由之、不可使死知之」(「子曰わく、民は之れに由らしむべし、之れを知る可からず」(『論語』泰伯第八)に対する議論だということを見落としている。
コピペ率は二つ合わせて241字で23全体(445字)の54%で、夜中に投稿することだけが自己目的化している実態を明からさまに示している。
それを、23⇒【一つの反氏の政治主張】などとごまかしても仕方がない。既に漢代の古註(鄭玄)見える通り、礼をもって人間性の基本とした孔子の考えから、自ずと出てくる政治観であることは、否定しようもない。
偏執狂の老媼の議論はこの種の、何の具体的な論証もない、無内容で陳腐な自らの独善的な見解、要するに間違いだらけの「同工異曲」の妄説(ἀλλοδοξία⇒‘Karoline Doctrine’)か、益体もない(ἄχρηστον)、愚にもつかない俗説(ψευδῆ δόξάζειν)以外に何もない。
憤激(θυμός)の程度は、攻撃者の知性(νοῦς)の程度に反比例(ἀντιπεπόνθησις)するということだ。
ギリシアの古い諺で「老媼は二度子供になる」(ὁ γέρων δὶς παῖς γίγνεται)と言うが、老いぼれて暇をもて余した、性格は凶暴な(θήρειος)婆さんが、意のままに(ἐπ’ αὐτῷ)ならないと業を煮やして世を憂い、悲憤慷慨(ὀργή κὰι θυμός)しているさまは狂信家(ὁ μαίνομαι)の猿芝居(σκιαμχία)であり、メディアの空騒ぎ(μάταιος σπουδή)以上に疎ましい。
狂信的な性向は、ドイツ狂い、ゲーテ信仰、ヴァイツゼッカー狂(正確な発音は、「ヴァイツェッカー」)にも顕著な、ドイツ仕込みの独善性(Selbstgefälligkeit=ἡ αύθάδης)、根拠なしに常に「自分が正しいと言い張る癖」(rechtshaberei)によるもので、それは自らをナチスの蛮行の被害者だとして愧じる様子もない、戦前戦後で変わらないドイツ(人)の独善家(Haberecht)ぶりにも顕著だ。
ドイツ人の間に広く見られる、フランスかぶれの文豪(ゲーテ)に寄せる賞讃や帰衣感情にしたところで、この権威主義、国家主義とは無縁と思われる詩人を一種の聖域(τὸ ἱερός=sanctuary)にすることで、野蛮極まるナチズムによって傷つき失った自信や誇り、自業自得としても蒙らざるを得なかった民族としての汚辱から自らを何とかして救出する「よすが」にしたいという異常な崇拝熱につながり、それを指導者(Führer=総統)への熱狂や帰衣感情と分ける境界は、実はあいまいなのが実態だ。
現実には、社会に文化と野蛮、つまりゲーテとヒトラーを截然と分ける基準など存在しないし、被害者意識自体が欺瞞であり、幻想であることは言うまでもない。ドイツは見え透いた言い分に拘泥する不幸な歴史を背負っている。それほどドイツが背負わなくてはならない歴史は特異だ。
ユダヤ人大量虐殺(génocide, holocauste)を引き起こした反ユダヤ主義(Antisemitismus)はドイツに限らない。今回のような疫病が蔓延するたびにキリスト教徒によるユダヤ人への突発的な「集団リンチ」、所謂ポグロム(Pogrom)が猖獗を極め、罪のないユダヤ人がとばっちりを受けて掠奪や殺害に遭うことは珍しくなかったが、それと一民族を欧州全土から消し去るという国家ぐるみの計画的な大量虐殺は次元が異なる。
「過去の克服」(Bewältigung der Vergangenheit)と言ったところで、自らも犠牲者にするしかないのでは、高が知れている。ドイツ人の尻馬に乗って、ヒトラーの洗脳や狂気、独裁の恐怖を語っても、空しいだけだ。
ドイツという「培養器」がなければ、ヒトラーも生まれないし、猛威をふるうことはなかった。
狂信家が増長して(φρονεῖν μέγα)跳梁跋扈している。28⇒【日本のマスコミは、舞い上がって、ホワイトハウスの思惑通り報道…内容をよく精査して、客観的に報道すべき…患者が気の毒】、31⇒【現状を知らせず…少しでも高い視聴率を…映像と言葉を通じて日本国民に心配ばかり煽っていたら、日本国民の心理状態がはどうなるのか】――何を勘違いしているのか、法螺話は尽きることがない。
幸い、日本の民衆の民度は、ドイツの民衆レベルより高い。ドイツに学ぶべきものなど、実際には、何もない。[完]
”感染爆発”の定義にもよりますが、
https://www.buzzfeed.com/jp/yutochiba/cluster-japan-senmonka
によると、西浦氏(8割おじさん)は記者会見で
本当の感染者は現在の10倍以上いるのではないかという渋谷健司医師の指摘に
対しては、「抗体調査などさらなるデータがなければわからない」としながら、
「10倍を超えるような規模で感染者がいるという認識をしています」
と回答しています。つまり、渋谷氏が学者生命を賭けて既に起こっている日本の感染爆発を証明しなくても、西浦氏は渋谷氏の指摘に同意しています。
西浦氏がこの認識の根拠として示したのは、2月の段階で北海道での感染が拡大した際に日本へ渡航し、その後帰国した際に新型コロナ感染が確認された人の数をもとに北海道における感染者のリスク計算をした際の結果だそうです。その数は累積で900人を超えており、その段階で実際に感染確定が判明していた患者の10倍程度の数を示していたとそうです。
どのテレビのコメンテーターが、少なめの新規感染者数が発表されると
動揺し、数字を信じるな、政府の陰謀だ、といったことを力説し、少し新規感染者数が増える日があると安堵したのでしょうか?そのような事実を確認されたのでしょうか?
少なめの新規感染者数が発表された時に、”これで安心してはいけない”と力説するコメンテーターは存在しますが、東京都知事も同様の事を力説しています。
>さらには月曜・火曜のワイドショーが盛り上がらないので、週末をはさんだ後の新規感染者数の報告が減る傾向を何とかしろ、と無茶苦茶な要求までしているようだ。
どのワイドショーがそのような要求をしたのでしょうか?そのような事実を確認されたのでしょうか?事実を確認せずにそのような事を述べているのであれば、フェイクニュースと言われても仕方がないと思います。
>スマホの接触アプリを導入すべきだ、と主張する理由はそこにある。
スマホの接触アプリは、感染者が分かっていないと効果がないと思います。
西浦氏が認識しているように、全体の1割の感染者しか判明していないのであれば(9割の感染者と接触しても認識できないので)効果が薄いと思います。
政府が提唱している緊急事態宣言や接触の8割減というのは、癌細胞が全身に転移しているので癌細胞だけを摘出する事はあきらめて(正常な細胞にも大きな被害がある事を承知の上で)抗がん剤を使っているように思えてしまいます。
どうして篠田教授と同じ印象をAlbrechさんはもたれないのだろうか。ワイドショーで、特に週の初めに少なめの新規感染者数が発表され、数字が少ないことに対するコメントを、司会者に求められると、テレビのコメンテーターは、「この数字はですね、」と始める。「民間の検査結果だけで、行政機関は土日、検査をお休みするから、数字が少ないんです。」とテレ朝のモーニングショーで27日に岡田晴恵博士と玉川さんが主張されたが、それは要するに、「数字を信じるな、政府の陰謀だ。」と主張したことと同じである。玉川さんは次の日、番組内で、自分一人の責任と謝罪されたが、同じコメントをした、しかも専門家であり、感染症に詳しい岡田晴恵博士は、「自分は専門家なのに、間違った解説をして本当にわるうございました。」となぜ謝らないのだろうagora-web.jp/archives/2045745.html 。要するに二人とも、感染者の数字が少ないと、PCR検査数自体が少ないから、土日だから、感染者は少なくてもこのところ死亡者数が多い、陽性率が高い、と力説して、あたかも日本の状況が改善していないかのような雰囲気を作って、視聴者を心配させるのである。
2.医療体制をひっ迫させないこと
3.80%削減の接触制限を守ること
これが、緊急事態宣言を解除する条件である、などということを本気で考えておられる方が、専門家会議のメンバーである、ということこそが、国民の不幸なのである。この提言内容は、机上の感染学という学問では正解かもしれないが、現実の日本社会では無理である。
日本のマスコミ報道の影響で、韓国がPCR検査をたくさんしているから、昨日の感染者0だった、という思い込みをしている人が日本では多いみたいであるが、韓国では、スマホの接触者情報を受け取った人が、PCR検査をして、陽性なら隔離されている、つまり感染させる人が隔離され、他人に移さないから、感染者0なのである。20%でも人と接触するのであれば、もしその中に感染させる人がいれば、感染は0にはならない。
医療崩壊は、院内感染でも起こるが、同時に重症者が大量に発生しても起こる。Der Spiegel誌に実際にドイツで重症患者担当の看護師のインタビュー記事が載っていたので。抜粋翻訳する。
Intensivpflegerin über Covid-19 "Die Patienten werden sehr schnell sehr still"
Covid19の集中治療の看護婦 「患者は大層早く、大層静かになる」
生命にかかわるほど病状が重くなると、集中室送りになる。看護師が、Corona患者が他の重症肺炎患者とどう違い、なにがその治療費を押し上げるのかを説明した。
Irene BerresによるVoegeli さんのインタビュー• 30.04.2020, 22.37 Uhr https://www.spiegel.de/gesundheit/diagnose/intensivpflegerin-ueber-covid-19-die-patienten-werden-sehr-schnell-sehr-still-a-5bde4ff6-fdd6-4d28-a5c4-bb3e1976bd41
V. 病状で印象的なことは、患者の病態が急速に悪化することです。呼吸困難がおこるのですが、興味深いことに、彼らは不安、やパニック状態には陥らないのです。彼らは急速に静かになるように思われます。それはまるで彼らの肺で、突然ガスの交換が行われなくなる、かのようです。この集中治療室に運ばれるとすぐ、人工呼吸器につながれます。そして、他の肺炎と違うところは悪化の兆候を示す呼吸困難が即座に起こることです。これが重要な違いです。
Spiegel: このような重症な患者を一人の看護師が同時に何人看護できますか?
V: Covid患者の場合、現在のところ最大2名です。それ以上は無理です。まず、集中治療患者であること、そして、部屋に入るたびに、看護師は防御服を着なければならないからです。その着脱に大変時間がかかります。そしてFFPマスクとゴーグルをつけた仕事は、大変な緊張感を強いられます。一人の患者を人工呼吸器からはずすとき、一対一の対応が求められます。
Spiegel: この人工呼吸器を外す、とはどう機能するのですか?
V; たいていは、睡眠薬を減らし、しばらく待ち、患者が起きているサインがあるか、しかめっ面をするか、自己呼吸をするか、みきわめます。
目的は、平衡をみつけることです。患者は一人で呼吸できるぐらい十分起きていて、同時にストレス状態に陥らないために、薬剤によって、十分保護されている状態でなければならないのです。
S: 患者は起きるとどう反応しますか?
V:普通反応は期待できません。すぐに目覚めるわけではないからです。多くの場合しばら異次元にいます。というのは、体が薬剤を分解しなければならないからです。多くの患者は高い血圧値、心拍数を示し、汗をかき、人工呼吸に抵抗したり、人工呼吸器のコードをつかんだりします。看護上大変重要なフェーズです。
篠田さんが渋谷健司氏に、問題の「学問的な証明」(επιστημνονικη απόδειξις)を迫って、⇒【学者生命を賭けて、すでに起こっている日本の感染爆発を証明する義務がある】と不似合いな啖呵を切って、感染爆発を証明する学術論文の提出を求める真意を計りかねるし、人づてに知ったツイッター投稿で、渋谷氏を標的に「頭にきた。渋谷氏、何週間かかけて、潰す」(4月18日)と書き込んだような粗野(ἄγρός)極まる言辞が本物なら、おべっか使い(κόλαξ)の偏執狂(παράνοια)の老媼と違ってとてもついていけない。
篠田さんの議論に散在するいくつかの留保をみれば、それが数理モデル予測自体というより、その政治的なバイアスや‘halation’、主導している西浦博氏の説明手法(コミュニケーション能力)に向けられているということは承知しているが、どうにも飛ばし過ぎだ。偏執狂のようなお調子者はそれによって浮かれているが、多少のやんちゃはともかく、自制を促したい。
「7日間移動平均」による比較によって「確認された感染者」の増加率は低下しており、既にピークアウトしたという本欄での篠田さんの主張は、その点に限定するなら間違いではない。しかし、PCR検査実績の少なさも加味すれば、このところ確認されている感染者をそのまま現実の姿と考えることは不適当で、感染経路が捕捉できない「孤発例」の陽性者がかなりの割合で存在し、実質的に検査を絞った対象者の陽性率が相当高いことから、水面下により多くの未確認の感染者が存在する蓋然性が大きく、表面上の数値(ἀριθμός)に現われた増加率の逓減傾向や、さらに同じ条件でピークアウトを確認できても、それだけでは論証に説得力を欠く。
緊急事態宣言の延長を提言した本日1日の専門家会議会見で、尾身茂副座長が、実効再生産数について、東京(3/14=2.6⇒4/10=0.5)、全国(3/25=2.0⇒4/10=0.7)とも大幅に低下したことを指摘したが、その対象は公表数値との連動だろう。
以上は、あくまで私の推察にすぎないが、当面の「急激な感染拡大(伝播)」を防ぎ、同時に「短期間」で収束させて一定程度にまで確認感染者数を減らし、再びクラスター対策を主軸とした効率的な感染拡大防止対策につなげたいとして、西浦氏が試算に際して前提(πρότασις)として提唱した、「8割接触削減」という行動制限が未だに充分に達成されたとは言えないことも、併せて示された。
1日は、東京で再び165人の感染者が確認されたようだが、如何にも検査数が少ない、この1カ月の東京での検査数(実質値=医療機関が保険適用で実施した分その他を除外)を都のホームページ上で公開されているデータで、4月29日の189人から40日程度遡ると、84(28日)←279←314←272←289←470←233←167←276←304←337←314←482(16日)←160←91←250←57←503(11日)←362←344←346←271←356←62←65←551(3日=東京の最大実施数)←469←164←145(3月31日)←41←331(29日)←244←143←87←95(25日=小池百合子知事の緊急会見=「感染爆発重大局面)←74←56←1(22日=三連休最終日)←44←15←49(3月19日=尾身副座長「辛うじてもち堪えている」)――で、29日までの累積検査数(実質値)は11.254人にすぎない。確認された感染者は4,152人だから、陽性率は36.89%と、異様に高い。
「ドイツ狂い」の老媼が、42⇒【世界の統計をみると、感染者数も、死者数も日本は枠外】というのも、基本的な問題として、同じ水準で比較すること自体に無理があるためだ。
尾身氏が会見で認めざるを得なかったように、それは「医師が必要と認めた場合や濃厚接触者を中心にしたわが国の検査は一部を把握しているにとどまり、感染者をすべて把握しているわけではない」からで、倍加時間が2日台から3日台に伸びており、「大きな傾向としては減少傾向」が続いていることは表面上の数値からは指摘できても、それをもっと確実性の高い他の論拠によって確証できるような段階にはとても至っていないからだ。
尾身氏が宣言解除の条件として、感染者数が一定水準以下に低下することや、充分な医療態勢が確保されることに加え、「必要な検査が充分に提供されているか」を、重要なポイントとして挙げたのもそのためだろう。
要するに、いくら数理モデルを駆使しても、感染症の流行予測は厳密な論理的論証とは異なる。それはデータと合理的な推論に基づく記述で、如何に確証(proof)をもって事態を予測、説明できるかという意味での合理性にとどまる。一方で、一定の制約を免れない表面上の数値をいくら即物的になぞっても、それは蓋然性(probability)以上のものをもたらさない。
現在の姿が、現実の正しい像、姿(ὀρθου εἰκών)であるか、単なるみせかけ(εἴδωλον)の「それらしい説明」(εἰκώς λόγος)でしかないかは、別問題だ。
そしてそれは、数理モデル解析の不備、限界というより、われわれの経験的認識が、どうしたら臆測に基づく推論=蓋然性を免れることができるかという、帰納法(ἐπαγωγή)の問題に帰着する。[完]
「コロナ狂」(ὁ στέφανος μαίνομαι)ぶりを発揮して早朝から錯乱した議論を展開する偏執狂の老媼の議論には、思わず「?」と首を捻る、論理的に了解不能な主張や文章が珍しくない。
新型感染症が、47⇒【人から人の感染だから、人の接触を削減…という西浦博教授の主張は、端的に間違っている】というのは、端的に(ἁπλῶς)論理矛盾である。それに気づかないほど低能だとも思わないが、頑迷固陋な主張に拘泥するあまり、意味不明な(ἄσημος)議論になる。
「ヒトヒト感染」なら、接触を削減して感染リスクを低減させることができるのは、子供でも分かる道理だ。それ以上のリスク回避を求めるなら、感染者の完全な隔離が必要になり、新型感染症も法律上第二種感染症に分類されており、隔離、入院が前提になるが、それでは大量の拡大感染者が出た場合、限りのある医療資源に極端な負荷をかけるから、別種の社会全体に網をかける行動制限を日本は採用している。
非顕性感染者の存在や検査体制の脆弱さを含め、どこに感染者が潜んでいるか分からない、少なくとも充分に捕捉できないことを前提にすると、⇒【感染者との接触をなくしてください】とは現実的にはいかないし、実効性も期し難い。従って、社会機能の一部に対する制限措置が最も基本的な対応になる。
それを罰則、罰金つきの強制措置で実施せずに、国民の民度の高さを頼りに、要請ベースで行うことが人権と公共の福祉(εὐτυχία κοινὸν)との兼ね合いで、最も妥当な手法だというのが、ほぼ国民的な合意だろう。
しかし、老媼のような狂信家は、一部の有効性に固執してスマホ情報を活用した隔離、監視などに飛びつき、頑なに主張する。単細胞(ἁπλοῦς)はものごとの総観的(σύνοψις)視点から、文字通り「総合的に考える」(συλλογίζεσθαι)ことができない。
子供騙しの主張がそれを物語る。οἴμοι.
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