前々回の「検証⑨」を書いたのは、5月4日の安倍首相の「緊急事態宣言」の「延長」会見直後の2週間近く前だったが、すでに大幅な減少傾向は明白だったので、「『延長』は『移行』期間になるだろう、と書いた。http://agora-web.jp/archives/2045864.html
実際に、14日には39県で宣言が解除された。残りの8都道府県でも減少は顕著なので、大阪府では「大阪モデル」にもとづいた「移行」が実施されている。
あまりにも低水準になってくると統計的に有意な差を見つけにくいので、私自身、ここのところトレンドを追う動機づけを失い始めているくらいだ。
私は4月5日に「『日本モデル』にそった緊急事態宣言をせよ」という文章を書き、http://agora-web.jp/archives/2045258.html 4月8日に「『日本モデル』の緊急事態宣言を成功させたい」という文章を書いて、「検証」の題名を入れた文章を書き始めた。
その第1回の4月10日の文章において、すでに私は、「最近の1週間の増加率は、鈍化している」と指摘した。http://agora-web.jp/archives/2045379.html その後も一貫して私は4月に入ってからの新規感染者数の増加率の鈍化と、4月中旬以降の減少傾向を指摘し続けた。http://agora-web.jp/archives/2045554.html
しかし、その間も、一部の専門家たちは、日本の破綻を国内外のマスコミを通じて大声で叫び続けていた。特に、根拠不明な肩書である「WHO事務局長上級顧問」を振り回して産婦人科医でありながら日本ではすでに「感染爆発」が起こっているということを説明し続けていたのが、株式会社No Border代表の渋谷健司氏である。http://agora-web.jp/archives/2045743.html 今でも、渋谷氏は、54兆円かけて全国民PCR検査しよう国民運動を推進するなど、怪しい行動をとっている。ただし真面目な専門家で、この場に及んで54兆円国民運動を支持する人はいないだろう。http://agora-web.jp/archives/2045987.html (もちろん渋谷氏は、日本で感染爆発がすでに発生していたことを証明していない一方、間違いを認めてもいない。今後また新たな肩書を作って、新たな動きにでも出てくる可能性はある。引き続き警戒が必要だ。)
しかし、「8割おじさん」こと西浦博教授は、ようやく最近になって、私と同じ説明をするようになった。現在、西浦教授は、増加のピークは3月下旬で峠を越しており、4月に入ってからは実効再生産数も減り続けた、という説明をしている。
結局5月を過ぎてから私と同じ認識を表明するのであれば、なぜ私がすでに「増加率の鈍化が見られる」と書いていた4月10日頃に、西浦教授は、「42万人死ぬ!」といった記事を大手新聞社全てに掲載させ、国民を脅かし続けようとしていたのか?
最近になって西浦教授が「間違い」を認めるようになったと言う人もいるが、私はそうは思わない。国際政治学者の私が4月10日の時点ですでに自信を持ってはっきりと「増加率の鈍化が見られる」と書けたのだから、私以上に数字を追いかけていたはずの西浦教授が、そのことに気づいていなかったはずはない。西浦教授は、全てを知りながら、ただ国民を脅かすという政治的意図を持って「42万人死ぬ!」をやっていた、と考えざるを得ない。徹底した国民の自粛行動を引き出して、収束効果の増加を果たした後、最後の一人をクラスター班で撲滅させる、という願望にもとづいた行動だろう。
要は、正義感にもとづいて、あるいは野心にもとづいて、国民を騙したのである。
嘘も方便、という言葉がある。正しい動機にもとづいて人を脅かすなら許される、という考えだ。
私はこれを意地悪で言っているのではない。渋谷健司氏は元東大教授の偉い人だ、偉い人なのだから、何を言っても許されるし、言ったことを後で言わなかったことにしても許される、だって元東大教授の偉い人だから、と言う人よりは、西浦教授を擁護する人のほうが、よほど健全な考えを持っていると思う。
しかし1億2千万人の生活が大きく影響されたのだ。「ま、結果オーライだ」、で済ませるべき話ではない。
現在、尾身茂氏という熟練した人物が「専門家」層を束ねてくれているので、「日本モデル」は堅実な成果を収めてきている。だが、もし何かのはずみで、渋谷健司氏のような人物が、尾身氏の地位についてしまったら、どうなるのか?
今回のコロナ危機では、あらためて政治と「専門家」の関係が問い直された。「長期戦」が予測されるからこそ、「全てが終わったら」と言わず、現在進行形で、冷静な検討を加え始めていく必要があるように思われる。
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そもそも、そこに過去にはあった、感染者数、死者数の単なる「7日間移動平均」の分析に基づいた検証さえない。現在確認されている日本の感染者数、致死率、10万人当たりの死者数は、致死率を除き、欧米はもとより、その他の諸外国と比べて極端に低く、その真相(ἀληθῆ)は実際のところ解明されていない。
PCR検査数の圧倒的な少なさがその要因である蓋然性は高いが、それ以外に考えられる真の要因(τὸ ἀληθές αἰτία)、所謂未知の「ファクターX」は、確かな証拠(παρτυρία=evidence)という形では、誰も提示していない。篠田さんが信頼を寄せる尾身茂専門家会議副座長の国会答弁が示す通りだ。
西浦博氏が⇒【ようやく最近になって、私と同じ説明…現在…増加のピークは3月下旬で峠を越しており、4月に入ってからは実効再生産数も減り続けた、という説明】も、必ずしも篠田さんと同じことを含意しない。
従って、⇒【結局5月を過ぎてから私と同じ認識を表明するのであれば…「42万人死ぬ!」といった記事を大手新聞社全てに掲載させ、国民を脅かし続けようとしていた】は、試算の前提を無視した議論で、単なる言いがかり(κατασκενάζειν)に等しい。
ましてや、⇒【全てを知りながら、ただ国民を脅かすという政治的意図を持って…やっていた、と考えざるを得ない】というのは邪推で、一定の誘導的な意図をすべて否定しないが、どれほど「徹底した」ものだったのかは措いて(なぜなら、所詮は「自粛要請」だからだ)、⇒【収束効果の増加を果たした後、最後の一人をクラスター班で撲滅させる、願望優先の無責任な行動だ】とか、「正義感や野心」に基づいて、⇒【国民を騙した】というには全く当たらない。
篠田さんの場合は、「7日間移動平均」を表面的になぞって云々した単なる素人論議にすぎない。ピークアウトの時期を「3月下旬」ともしていないし、実効再生産数と「確定日別新規陽性者数」とを照合して、その理由を説明してもいない。
数理モデル解析とは別な手法で、単に限定的なデータ評価を行っただけの話で、「ようやく最近になって、私と同じ説明」というほどの内容でもない。
西浦氏=専門家というのは、検査数が正確に実態を反映しているか否かは留保して、確定データに基づいてパラメータを推定し、「答え合わせ」をしている。結果を導出する補正した計算法を西浦氏は提示可能だろうが(公表しているか否かは措いて)、篠田さんにそれが可能とも思えない。
極論すれば、感染規模予測の専門家である西浦氏には、試算を始めた過去の段階で未知または不確定の要素を補足(προσθήκη)して現象を合理的に説明する自由と責任(ἐλευθερία καὶ αἴτιον)があるけれど、素人の篠田さんには、敢えて「まぐれ当たり」とは言わないが(なぜなら、それほどの内実が伴わないし、「本当のことは」だれにも分からないからだ)、主観的な(δόξαστός)解釈の自由という幻想(φάντασμα)があるだけ。
すべて専門家が正しいわけではなく、間違いも犯すが、それが「専門家と素人」(τεχνίτης καὶ ιδιώτης)を分ける指標だ。そして、専門家が今回のような具体的な政策に関与する実践に関与する場合の、政治家との役割分担(σχῆμα μέθεξις)において守るべき規矩(ὅ ρος)は別問題だ。
新たな材料を提示して議論を補強しているわけでもなく、枕詞(ἐπίθετον)のようにルフランしている。個人的に遺恨(φθόνος)があるとも思えないし、気儘に書かれているブログだから自由だが、少しは自重したほうがよい(「この場に及んで54兆円国民運動」云々も変な日本語で、「この期に及んで…」だろう)。
彌縫策(ἀναγκαία παρασκευή)である日本モデルの過大評価もどうかと思うが、⇒【もし…渋谷健司氏のような人物が、尾身氏の地位についてしまったら、どうなるのか?】も取り越し苦労だろう。長期戦を見据えて、少し冷静になった方がよい。
今回の新型ウイルスには今なお未解明な部分(ἀγνώς μέρος)が多く困惑させられる(παρέχω)要素が多い。新型コロナ感染死亡者が正解に把握されていないという指摘もある。このところ感染者が急拡大しているロシアでは、発生源の中国でもあるまいし、政府が統計を改竄しているとの疑惑もあり、その他に所謂「超過死亡」の問題、例えば米国など敗血症で死亡した患者に感染症の犠牲者も含まれ、コロナ死の統計には反映されていないのでは、とする指摘もある。
篠田さんはよく、PCR検査本来の目的は医療崩壊を回避して重症者の死亡を防ぐこと、首相が緊急事態宣言を出すにあたって国民に訴えたのはその点で、8割接触削減をや検査数増を自己目的化するのは本末転倒だという趣旨の議論から西浦氏や渋谷氏を批判してきたが、問題はもっと複合的で、渋谷氏らによる「陰謀論」(ἐπιβουλη λόγος)云々を含め、それほど単純なものでもないと思う。[完]
「度を過ごすなかれ」(μηδὲν ἄγαν)
すなわち、新型コロナウイルス感染症に合致する症状があるが、まだ検査で確定されていない状態(=疑似症)であっても、確定患者と同等に入院(第19条)などの措置を実施することができたのである。
これによって、コロナの初期にある、一番感染力の高い人々が市民から隔離されたことが爆発的感染を防いだ一番大きな理由なのではないのだろうか。PCR検査自体にも精度に問題がある。
PCR教信者、「WHO事務局長上級顧問」を振り回して産婦人科医でありながら日本ではすでに「感染爆発」が起こっている主張されている渋谷健司氏、同じように「白鳳大学教授感染病の医学博士」を振り回して、2月の初めから首都圏に市中感染があたかも起こっているかのように主張し、「発熱外来」を医療機関に併設して作り、PCR検査を大量に実施しないと、日本にオーバーシュートが起こって大変なことになると、毎日毎日ワイドショーに出て主張している専門家に、玉川徹、石原良純、長島一茂、山口真由などのコメンテーターと司会者の羽鳥慎一が調子を合わせて、あたかも彼らの主張が真実であるかのように報道しているテレビの姿勢が異常なのである。
日本の場合、韓国と違って、運よく、これまでスーパースプレッダーが現出しなかった。そして、日本人の努力によって、日本中ですばらしい成績をあげた。本当によかった、と思う。ただ、あれだけPCR検査をし、コンタクトトレーシングをしている韓国ででも、100人を超える感染者を出し、4次感染まで起こしたCovid19ウィルスは侮れない。今朝のNHKBSの「世界のニュース」でbluetoothを使ったコンタクトトレーシングのことがようやく報道された。感染者の濃厚接触者に、あなたは、感染の可能性がありますよ、と通知するスマホのアプリである。発熱など自覚症状が現われる前に、感染させるリスクのあるCovid19の感染の場合、とにかくスピードが大切である。このスマホのコンタクトトレーシングを日本国民の80%に使ってもらえれば、たとえ、韓国でのように、スーパースプレッダーが現われ、4次感染まで起こったとしても、文明の利器を使った追跡の手法を用いることで、大問題にならないですむと思う。顔と名前の売れた80%おじさんの西原博教授に、今度は「コンタクトトレーシング運動」に参加してもらえれば、などと私は今、期待している。
こんな時、主婦のカロリーネは無力だな、と思う。だれか、立派な医師の肩書のある人が、教えてあげることはできないのだろうか。
途中経過、暫定的な小康状態に「日本モデルの成功」云々と、何とも軽率な判定で、残りは本論とは何の関係もない「日本の戦後政治の成功」とか、私の指摘する日本人の思想的脆弱性(μαλακία)、精神的退嬰性(ἀσθένεια)について何の理解もなく、4⇒【日本人は欧米人と比べて思考能力がない、と断じられる日本の知識人の典型】のような空語を並べている。
思考力(διανοεῖσθαι ῥώμη)、理解力(καταμανθάνειν ῥώμη)の欠如というのは、老媼のような愚劣なおしゃべり(λήρησις)が止まない半可通の(ἡμιπόνηρος)憐れむべき単細胞(ὀ ἐλεήμων ἁπλοῦς)のことを指すし、思想的脆弱性は、融通無碍(εἰκαῖος καὶ εἰκῆ)と同居する日本人の素朴な汎神論的資質や、思想の正統的伝統に無頓着な無原則性(πανοῦργος)と表裏のエートスのようなものだ。
その一方で、お喋り婆さん(ὁ λεγόμενος γραῶν)は、日本人の「平和ボケ」などと、篠田さんの尻馬に乗って、自分をあたかも「例外とするかのように」(ἐξαίρετον ποιεῖσθαι ὡσπερεί)逆上せ上がっているのだから、ご都合主義というか、支離滅裂というのか、何ともご気楽で醜悪な戯画(ἡ κωμῳδεῖν)でしかない。
ミーハーぶりも相変わらずで、7⇒【私は、尾身茂氏のファンだ】のような、夜となく昼となく(νύχιος ἢ καθ’ ἡμέραν)、如何にも他愛のない無駄話(ὁ λεγόμενος ὕθλος)、狂気じみた放埓な(ἀκόλαστος)ドイツ狂いの布教活動(γέννησις ἔργον)に余念がないようだ。
昨今の「自粛警察」、stigma=汚名(差別)や烙印(αἰσχύνη)なる市井の「コロナファッショ」も、「同類は同類を呼ぶ」(ὅμοιον ὁμοίῳ ἀεὶ πελάζει)の譬え通り、老媼のような浅ましい御仁の所業なのだろう。
老媼によれば、日本の例外的な感染者、死者数の少なさは、4②⇒【徹底したクラスター調査と…2019-nCoVによる感染症を法令上「新型コロナウイルス感染症」…感染症法上の似類(二類=筆者註)「指定感染症」に指定したこと】だという。
未知の新型感染症を「指定感染症」にしたところで、それで有効な封じ込めが可能になるわけでもないし、必ずしも必須でもない。指定を受けてPCR検査の結果、たとえ無症状者でも軽症者でも、病原体保有者として法令に基づき隔離されるのが法の規定だ。
ところが、未知の感染症対策を軽視して、全国で感染症指定病床を減らし、当初全国で1,853床しかなかったのが日本の現実だ。感染が拡大すれば不足するのは必至で、急遽増やすか、別の手だてを講じなくてはならない。
そうした急激な政策転換が間に合わなかったのと、事態が自ずと示す必然性から厚労省が打ち出したのは、PCR検査の対象を、武漢からの帰国者とその濃厚接触者、次いで感染拡大の核となる局地的感染者集団、所謂クラスター対策、さらに一定水準以上の発症をもって検査に門戸を開く重症化懸念患者の発掘に限定した。
以上は、指定自体の是非は措いて、見通しもなく指定感染症に指定したことで発生したことは疑いようもない。
武漢由来の初期の感染拡大にクラスター対策が有効だったことは確かだが、それとて、中国型の都市封鎖も大量のPCR検査のいずれの道も封じられていたことから、その時点での伝播動態とウイルスの特性の一部に関する暫定的な知見に基づいて生み出された苦肉の彌縫策であって、当のクラスター班の実質的責任者が証言している通りだ。
尾身氏はそれを否定する見解、証言をどこにもしていない。つまり老媼のクラスター対策及び感染症指定をもって、現在の状況説明の根拠とはならない。でたらめだ。
日本人の生活習慣や公衆衛生意識の高さ、BCG接種率など、特異性との関連性が指摘または推測されるが、いずれも有意味な検証結果または証拠(παρτυρία=evidence)には至っていない。
検査数との関連、つまり検査数が主たる原因(τὸ αἴτιον)なのか、単なる副次的要因(συναίτια)なのかは、未だに明らかではない。それは、「7日間移動平均」で、感染者の確認状況の推移を分析しても何も分からないし、検証になどならないことも明白だ。
東京大学が15日に公表した東京都内の複数の医療機関で、糖尿病などの受診者500人を対象に実施した抗体検査の結果、陽性率は0.6%だった。厚労省が日本赤十字社の献血者を対象に簡易検査キットで行ったものとは異なり、全自動で解析できる大型測定器によるもので、被検対象に一定の偏りがあるものの、統計処理も含めて信頼性は高い。それによれば、東京の未確認感染者は84,000人いることになる。欧米ほどではないが、明らかに市中感染が広がっている。
最近は頻りにスーパースプレッダー狩りのためのスマホ情報に基づく追跡調査に熱を上げている老媼だが、他者に烙印を押し(στίζειν)たがる性向のようだ。それとて個人情報面で課題がクリアされても、どの程度追跡アプリが普及するか、課題は多い。検査拡大を無用にするものでもない。「Bluetooth」など、情報番組でも疾うに取り上げられている。
西浦博氏は、前提を明示して数理モデル解析による流行予測をしたわけで、別に予言(μαντεία)をしたわけではない。いかさま師(γόης)ではなく、騙す、騙される以前の理解力の問題だ。[完]
「盲目にも明らか」(φαίνεται καὶ τυφλῷ)
5月10日付のコメント32、33に翻訳したようにshinodahideaki.blog.jp/archives/35093906.html シュピーゲル紙全体は米国の非も、中国の非も問うものであった。ところが、昨日のテレビ朝日のお昼のワイドショーでは、ドイツ政府の見解として、後半部だけ、ドイツ情報局(BND)の認識によると、中国はWHOにウィルスの発生後、世界への警告を遅らすように要求した。1月21日、中国の習近平主席は、電話でWHOのテドロス事務局長に、人人感染についての情報発信を控え、パンデミー警告を遅らすように頼んだ。ということだけを報道し、ドイツ政府もそう捉えているということを強調して、あたかもテドロス事務局長を中心とするWHO全体が不正な団体であるかのような印象操作をしている。たしかに、BND(ドイツ情報局)の試算によれば、この中国の情報統制のために、世界的に4-6週間ウィルスとの戦いが遅れてしまった、ということで中国に責任があるが、反中主義の中国専門家、興梠一郎氏の主張されるように、中国政府は事件全体を隠ぺいしたわけではなく、12月31日に公表しているし、武漢の検査結果、研究成果を世界に公表してもいる。そしてその研究成果が現在の知見に役立っている。また、前半部分、米国の主張は、計算された、責任をそらす策略と位置付けられている。米国大統領は実験室理論によって、彼自身の失敗から目をそらせ、アメリカ人の怒りを中国に向けさせようとしている、と政府の閣僚に1人が信頼できる書類に記している、という報道は削除している。日本では、印象操作、プロパガンダ的な要素が強いテレビ朝日の報道を前提とするので、次にあげる主張が説得力をもつのであるが、本当にこの米国厚生長官の主張は真実なのだろうか?
オンライン上で開催されているWHOの年次総会で「世界に必要な情報を入手する上で、WHOは失敗し、多くの命を犠牲にした」と指摘。中国を名指ししなかったものの、「少なくとも加盟国の1つが新型コロナ発生の隠蔽を試みたことは明らかで、透明性という義務をあざ笑い、世界全体はとてつもなく大きな犠牲を払った」と述べた。
また「加盟国が誠意に欠く行動をした際に、WHOは情報共有と透明性という中核的な使命を果たせなかった。このようなことは二度と起きてはならない」と語った、とあるが、これはまさに、米国のトランプ大統領の初動の失敗、を隠ぺいしようとするもので、同時に、米国政府も日本のマスコミも、Covid19の死者数の少ない、日本の安倍首相の初動の成功、を全く評価していない不誠実な見解だ、と私は考える。
ベルリンは、2020年サマースクールを計画している
Silke Fokken筆、18.05.2020, 14.59 Uhr
どのように遅れた教科を取り戻すか?ベルリンはサマースクールを提供しようとしている。-特に経済的に恵まれない家庭の子供に。ベルリン市はそのサマースクールへの要望が多い、と試算している。
教育の専門家は早期から、いわゆる保護の行き届いた子供と経済的に困窮している子供の能力の格差は、休校によって、広がり続けている、そして長くなればなるほど、その隔たりは大きい、と警鐘をならしていた。すると、特に他の国よりも重きがおかれている機会均等の原則がくずれる。特に首都ベルリンは、他の地方よりも貧困層が多い、という特徴がある。3人に1人の子供が貧困層である。例えば、バイエルン州は17人に1人である。日本の首都、東京はどうなのだろうか?裕福な人が多い兵庫県の芦屋とは違う、と私が指摘する理由もそこにある。裕福な子供は、学校の授業がなくても、塾のインターネット配信や、親から勉強を教わることができるのではないのだろうか。本来、特に東京や大阪など大都市は対策をとって、サマースクールを開校すべきなのではないのだろうか。
4月8日付のコメント3と4と5で書いたようにhttp://shinodahideaki.blog.jp/archives/34871520.html#comments、
o フェーズ1
雫がコロナウィルスのある種タクシーである。唾液あるいは粘液に覆われて咳、くしゃみ、会話で1000もの病原体が空中に放出され、物体、幸運であれば新しい宿主の顔にかかる。そして宿主の口、鼻、目の粘膜を伝わって、ウィルスは新しい体に侵入する。
ウィルスが広がるためには人間の細胞を必要とする。ウィルスは細胞をつかまえ、ウィルス工場に組み替える。その際、鍵穴に対する鍵のようにウィルスの突起にぴったりの特別な受容体となる細胞の表面のぎざぎざが助けになる。一度ウィルスは細胞に錨を下すと、その細胞はウィルスを受け入れる。そして、病原体は例えばトランスミッターを細胞内に運ぶなど、細胞の機能を利用する。この段階を超えると、ウィルスは細胞の働きを新しいウィルスの製造に利用する。病原菌は、その細胞の中で手ほどきをする。一つの細胞が無数の小さなウィルスのコピーを製造すると、しばしばその細胞は飽和状態になる。コロナウィルスは自由につかまえることのできる新しい細胞を探す。
多くの病原体が新しい宿主細胞を探すと、免疫システムが警戒音を鳴らす。防御反応を元に、感染者はなにかがおかしい、と気づく。体温は上がり、体は咳を通じてウィルスを放出しようとする。Covid19に感染してから発症するまで、大体5-6日かかる。ドイツの67000人の感染者のうち、コッホ研究所がまとめた症状は、咳 52%、熱42%、くしゃみ22%、つまり、ドイツの感染者のほぼ半数は咳をせず、熱のある感染者は半数以下であった。その他の症状としては、下痢、呼吸困難、吐き気、のどや頭や節々の痛み、臭覚や味覚の異常があった
o 最初のCovid19の兆候を認識することは、大変大事である。WHOによる現在のデータによると、人が一番ウィルスを他人に感染させるのは、病気ではないか、と感じたその最初の時点なのである。感染はウィルスが口腔内の多くの細胞で増殖し続け、人の自覚症状が始まる1-2日前なのである。つまり、多くの感染者において、その人の免疫システムの病原菌との戦いが始まる前なのである。そして、ウィルスが肺に入ってしまうと、肺に主要部隊が移動するから、患者の病態は重症になるが、ウィルス自体は口腔内にはいない場合が多く、感染力が落ちる。けれども、肺の中で、ウィルスは増殖するわけで、移らないという保証はないし、現在の研究成果によると、5月14日付コメント46に書いたようにshinodahideaki.blog.jp/archives/35116354.html#comments 、感染の震源はほぼいつも肺であるが、ウィルスは他の器官や組織にも影響を与える。心臓、脳、腎臓、腸。最悪の場合は体全体に。免疫システムが制御できない状況に陥ると、サイトカイン状態となり、患者は多臓器不全という形で死亡する。
Wo das Corona-Infektionsrisiko am größten ist Bloß raus hier
コロナの感染するリスクがどこが一番大きいか
コロナ感染者と接触しても感染しない場合がある。女性研究者がどういう状況下を一番注意しなければならないかをまとめている。
Julia Merlot筆 19.05.2020, 07.52 https://www.spiegel.de/wissenschaft/medizin/coronavirus-wo-das-corona-infektionsrisiko-am-groessten-ist-a-8bbec181-1af9-41f7-adf7-e5aeb08f1524
新型コロナウィルスに感染し、なにも対策を講じなければ、平均2-3人に感染させる。この数ははじめから、多くの人々が知っていたことである。(西浦教授もこの理論を利用された)。けれどもこれは誤解を生みやすい。というのも、これは平均値だからである。この数値はずっと低くもなれば、高くもなる。新型のウィルスを移す、あるいは、自分が感染する危険は状況によって、危険度が違う。決定的なのは、一人の人間が接触するウィルスの量である。研究者たちは、やっとどのような前提、条件で特に注意が必要かの詳細を理解し始めた。
中国の研究者の報告としては、2147の濃厚接触者のうち157人、つまり、6%が感染した。
感染者と親密である、あるいは同一世帯では、感染の危険が高く18-22%。5人家族で一人移ることになる。研究によると、一番感染する場所は、自宅と交通機関で13%、11%だった。一緒に食事をする場合は、7%だった。中国での数百の感染調査によると、家庭あるいは公共交通機関での感染はもっと多い。感染は屋内で起こる。アジアの別の研究結果も似た結果である。家庭内感染の確率は16-17%である。夫婦の場合は、平均で28%である。濃厚に時間を一緒に過ごしたり、同じ公共交通機関で座ると、ウィルスの感染を助ける、
最初に症状が出るころが感染させるリスクが一番高い
接触調査研究で、感染のリスクが一番高い時期はCovid19の最初の症状が現われる頃であることがあきらかである。感染者が症状を自覚する数日前に、ウィルスに感染しているケースが多く記録されている。症状の初期に大勢に人々に接触すると、確実に一人か複数に感染させる。その後、感染の危険は急速に減る。
繰り返しになるが、私がなぜ、スマホの接触アプリを推奨するか、岡田晴恵博士の発熱外来や軽い方は自宅で、を否定する理由がこれを読めばわかっていただけると思うが、症状が現われる日付近が一番人に感染させ、家庭内感染が多いからである。その事実をよく認識すれば、54兆円も出して、国民全員にPCR検査をする必要がないことが、よくわかるのではないのだろうか。
しかし、世の中にはそうではない戯け者(βλάξ)もいるようだ。「コロナ狂い」(ὁ στέφανος μαίνομαι)の偏執狂(παράνοια)の老媼のような妄執(ἀματηλός αὐθάδεια)の主で、激情(θυμός)は知性の程度に反比例するとの譬え通り、夜明けに(ἃμ’ ἕῳ)けたたましく(μετὰ θαρύβου)吠えている(ὑλακτεῖν)。まるで狂犬(μανικός κύων)だ。本日15件目の夕方(ἑσπέρα⇒29=18:50)まで遠吠え(ὀλολυγμός)が止まないところをみると、よほどの重症(ἐπικίνδυνος νόσος)なのだろう。
偶然の一致か厭味かは定かではないが、30の「カリリーネ」(Karoline)ならぬキャロライン氏(Caroline)の指摘はもっともな道理で、狂信家で盲目になっている老媼以外の、「盲目にも明らか」(φαίνεται καὶ τυφλῷ)だ。
私に狂犬ならぬ猛獣使い(ὁ θηρίον τιθασευτής)の趣味はないが、酔狂ついでに、でたらめの根拠とらやを、多少は開示してみよう。
14⇒【当初全国で1,853床しかなかったのが日本の現実だ、と言われるが、そんなに潤沢に感染症指定病床がある国があるのだろうか?】は、老媼の日本の指定感染症対策に関する無知蒙昧をそのまま示している。前世紀末から世界で新たな感染症が増え始め、21世紀になってもSARS、MERS、鳥インフルエンザ、エボラ出血熱と脅威は深刻さを増している。
日本は幸い難を逃れてきたが、そのツケを思い知らされたのが、先のダイヤモンド・プリンセス号での大量の感染者発生だ。速やかに陽性者を感染症病床に収容できなかった結果、船内隔離が惨状を呈したことがそれを端的に示している。
感染症学と公衆衛生学の専門家である岡田氏は、今月1日に台湾で発表された新型感染症の濃厚接触者に関する論文を読んだ上で、現状では回復してからPCR検査で2回続けて「陰性」にならないと退院できない治癒者、自宅またはホテルなどでの軽症療養者に原則2週間を求めた隔離措置や、濃厚接触者に同じ期間の待機を一部見直し、転換する必要性を示唆する重要な意味と、今後の出口戦略にも重大な影響を及ぼす非顕性感染者の捕捉の必要性が一段と増したことで、そのためにもPCR検査を拡充し、有効に活用すべきことを提案している。「ドイツの研究の切れ端」云々の話ではない。
論文は台湾疾病コントロールセンター(CDC)が主導した研究報告で、台湾で新型ウイルス感染の確定診断がついた100人の発症者に濃厚接触した2,761人を対象に、濃厚接触者が最初に患者に接触した時期と、感染の有無との関係について調査したもので、患者のうち9人は無症状としている。
二次感染したのは22人(0.72%)で、軽症者よりも重症者に接触した場合の方が感染リスクが高く、無症状者に接触した91人のうち、二次感染した例なかった。22人のうち10人は、発症前に患者に接触歴があり、残る9人は症状日から3日以内、3人は4日~5日目だった。何らかの症状が表れてから6日目以降に接触しても、感染することはなかった。
つまり、発症から1週間経てば他人に感染させるリスクはないということになり、隔離が実質的に意味をもたず、その分社会復帰が早まる、という理屈だ。
非顕性感染者がこれまで以上に問題になるのは、二次感染者の半数に患者に症状が出る前の接触歴があったが、感染の有無を見分ける指標がなく、接触を避けることは事実上不可能だからだ。
24②⇒【真相はドイツではもう4月のはじめからわかっている】というが、岡田氏がその研究報告を知らないわけでも、無視していたわけでも、岡田氏が出演した番組などで紹介していなかったわけでもない。素人論議しかできない老媼とは異なり、それを傍証する他の報告、しかも別の手法による非顕性感染者の感染力に関する知見を含む研究成果を得て、改めて見直しただけの話だろう。
ものごとの単なる表面や一面だけの知見をもって、戯けた素人論議で、朝から晩まで、文字通り「莫迦騒ぎ」(μάταιος σπουδή)の独り相撲(σκιαμχία)に興じているのは、外でもない狂信家の婆さんの方だろう。
26⇒【私はCovid19ウィルスの全体像を考えた上で、スマホの接触者情報の活用を…訴えているのであって、でたらめ、という烙印…根拠】というが、その前提になるのもPCRをはじめとする、日本では諸外国と比べ圧倒的に不足している検査の拡充であって、追跡アプリの普及割合が課題となる実効性も含めて、単細胞の老媼が考えるほど簡単ではない。
そもそも、改めて注目が集まっている、水面下に多数存在する非顕性感染者の補足は、検査以外に確認も、追跡もしようがない。だから、独りよがりの(αὐθάδης)早とちり、つまり「でたらめ」(φλυαρία)というのだ。
ディオゲネス・ラエルティオス(Διογένης ὁ Λαερτιεύς)『哲学者伝』(“φιλοσόφων βίοι”=“Vitae philosophorum”)、正式には『著名なる哲学者たちの生涯と意見及び各学派の学説の要約的集成』(“βίοι καὶ γνῶμαι τῶν ἐν φιλοσοφίᾳ εὐδοκιμησάντων καὶ τῶν ἑκάστῃ αἱρέσει ἀρεσκόντων ἐν ἐπτόμῳ συναγωγή”)の中のストア派の哲学者キティオンのゼノン(Ζήνων Κιτιεὺς)に関する一節(第7巻49章)が参考になる。
「ストア派の学説では、表象と感覚についての理論が先に置かれる。事柄の真理がそれによって認識される規準は、一般的には表象だからであり、そして(人が表象に与える)同意についての理論や、把握と思惟についての理論は――これらはその他の理論に先立つものではあるが――表象を抜きにしては成り立たないからである。というのは、表象が先に生じ、続いて、表現する(語り得る)力をもっている思考が、表象から受け取るものを言語によって表明(表現)するのだからである。」(‘’Ἀρέσκει τοῖς Στωικοῖς τὸν περὶ φαντασίας καὶ αἰσθήσεως προτάττειν λόγον, καθότι τὸ κριτηρίον, ᾧ ἡ ἀλέθεια τῶν πραγμάτων γινώσκεται, κατὰ γένος φαντασία ἐστί, καὶ καθότι ὁ περὶ συγκαταθέσεως καὶ ὁ περὶ κατάληψεως καὶ νοήσεως λόγος, προάγων τῶν ἄλλων, οὐκ ἂνεν φαντασίας συνίσταται. προηγεῖται γὰρ ἡ φαντασία, εἶθ’ ἡ διάνοια ἐκλαλητική ὑπάρχουσα, ὃ πάσχει ὑπὸ τῆς φαντασίας, τοῦτο ἐκφέρει λόγῳ.’=with an English translation by R. D. Hicks, vol. II; p. 158)
しかし、プラトンが『国家』で使用した、人を欺く(ἀπατᾶν)要因としての夢や言葉や、予兆と併記され、それに続く人間の知識について考察した『テアイテトス』では、「人間は万物の尺度」(“πάντων χρηηάτων μέτρον” ἄνθρωπον εἶναι)としたプロタゴラスの相対主義的な「感覚即知識論」を徹底的に検討した際に、この表象が頻繁に出てくる。
なぜなら、表象はもともと、「何かが誰かに現われる」(φαίνεσθαί τι τινί)、ただそう見える(φαίνεται)、つまり「現われる」(φαίνεσθαι)という動詞を名詞化したものであり、ものごとが、それを経験する個々人によって、それぞれ個別に現われ=知覚されることを前提にしているからだ。
そして感覚(αἴσθησις)=知覚(ἀντίληψις)も、それに基づく判断(δόξα)も、ともに現われ(φάντασμα)、表象(φαίνεσθαι)と呼んで、知覚体験の相対性を浮き彫りにしている。
単細胞の老媼にも、自分が固執する妄想(φαντασία)に欺かれて(ἐξαπατηθῆτε)、議論の迷路に迷い込む趣がある。表象(φαίνεσθαι)は必ずしも妄想でも幻影(φάντασις)でもないが、論理的思考力の欠如が途方もない妄説と妄執を生む。
「思考とは魂が自己自身を相手に行う対話であり、判断とは思考の結びつきにほかならず、『そう見える』とわれわれが言うところのものは(「現われ」)は、感覚と判断とが混じりあったもの」(‘διάνοια μὲν αὐτῆς πρὸς ἑαυτὴν ψυχῆς διάλογος, δόξα δὲ διανοίας ἀποτελεύτησις, “φαίνεται” δὲ ὃ λέγομεν σύμμειξις αἰσθήσεως καὶ δόξης’=ibid., 264 A~B)として、表象を単に感覚だけでなく判断と結びつけ、今日でいう「命題」(ἀξιωματα)の構造分析を行っている。
それに対してアリストテレスは批判的で、『霊魂論』の中で、「表象は、感覚を伴った判断でも、感覚を介した判断でも、また判断と感覚との結合でもあり得ない」(φανερὸν τοίνυν ὅτι οὐδὲ δόξα μετ’ αἰσθήσεως, οὐδὲ δι’ αἰσθήσεως, οὐδὲ δι’ συμπλοκὴ δόξης καὶ αἰσθήσεως,=De anima, 428a24)として、表象を感覚や知性とは異なる、何か独立した心的な能力として扱うことを退け、個別的な感覚的経験(認識)を、普遍的で概念的な認識に媒介する役割、機能を強調している。感覚的な対象に対して思考を働かせるための橋渡しと位置づけている。
表象から思わぬ脱線となったが、論理的に考えるということは、老媼が考えるのとは次元を異にする。[完]
岡田博士は、ワイドショーで、私の見解はまちがっていました、と謝罪し、ワイドショー全体で、誤解を招く印象操作をして申し訳ありませんでした、と謝罪してくれるのだろうか?私は、現在の異常な日本のマスコミの報道体制を正すためにも、この手続きはぜひ必要だと思う。一般の日本国民は、感染病の不安とあいまって、ワイドショーのフェイクニュースを信じ、おかしな「日本の世論」を生み出し、それに政府が引っ張られているのだから。
私は大学に入学した後英語ペラペラになりたくて、ESSに入った。セクションが5つあった、Speech, Debate, Discussion, Drama, Newspaperで、私が興味をもったのは、Debateだった。今から思えば、あのころから国際政治に興味があったのだと思うが、日本国憲法9条を改正すべきか、日本は農業から撤退すべきか、などというテーマが私にとって興味深かった。自分に確固とした信念がないので、全く正反対の視点をもてることも魅力だった。ところが経済研究所に勤めていた父は、そんな私に不満で、自分の京大の学生時代と比べて、専門の勉強をしない、難しいテーマを、英語でゲーム感覚で議論している、とみえたようで、「若きマルクスの思想」の講義をしてくれることになった。反氏から見れば、初歩にすぎないかもしれないが、私なりに、マルクス主義の概要、父の主張はよく理解できた。
今回のWHOのことにしろ、米国や日本の親米知識人は中国を攻撃するが、現在の中国はベルリンの壁のあったころの東欧とは違う。経済的に人々が豊かで、移動の自由がある。東欧のような残忍な秘密警察の話もきかない。論文がパソコンから削除された、ぐらいのことである。また、中国の学者が国際的にCovid19問題に学術協力していることも事実だし、今感染症問題で困っているアフリカを実際に大々的に支援しているのも中国である。台湾問題は一つの中国、ということで、田中首相のころに、すでに台湾は国際連合から追い出されたのではなかったのだろうか。それらすべてをごちゃごちゃにして、あたかも中国が悪の枢軸国であり、WHOが国際機関の体をなしていないかのように報道する日本のマスコミの論調は、一体何かと思うし、これからの日本の外交を考えた時、その姿勢は決して日本を利するものではない、と私は考える。
キャロラインさんも言われたいるように、少し投稿を自制されては如何でしょう。
折角の篠田さんのブログもここを覗いて、うんざりしてしまう方も多いのではと危惧します。
もちろんコメントを書くことは自由ですが、ここまで同じことを繰り返しての膨大な数の投稿は傍迷惑に。
ご自身のブログを立てられてはどうですか。
なにしろコメント数が多すぎるということで。
論点を外すのをやめて下さい。他人のコメントの主旨を読めないことは再三、反時流古典学徒氏にも言われていることではないですか。
自制のみならず自省もおできにならないでしょうか。
ところが、分断する勢力がある。「反安倍」で結束したり、「反中国」で結束しようとする。それでは問題解決はできませんね。反氏も「反独、反中国」です。他人のコメントの趣旨、私のコメントの趣旨を理解していないのは、反氏なのです。反ではなく、協調して国際政治を運営していこう、と主張したのが元独大統領ヴァイツゼッカー氏で、その主張に対して、凡庸である、表裏ある政治家だ、と難癖をつけているのが反氏なのです。
貴女は他人の意見を聞かないのですね。ということはテレビで発言している人と同レベルですね。自分だけが正しくて、少し譲って、自分と同じ意見が正しくて、他はみな出来損ないというなら、相手も同じことを貴女に言い返しますよ。その程度の予見性のない人が、どうして他人を説得できるのですか。出来ないなら犬の遠吠えで、無駄な努力でしょう?
クウォ・ヴァディス(quo vadis)とは、言うまでもなく「どこへ」(quo)を意味する場所の疑問副詞(どこへ=quo、どこに=ubi、どこから=unde、どの方へ=qua)と、行く(vado)を意味する動詞の能相二人称未来形で、ラテン語の授業で比較的初期に習う動詞の第一活用(vadis)であり、直接法だけでも36通りに変化するから、丸暗記させられる。
「あなたは、どこへ」ということで、シェンキェーヴィッチの同名小説“Quo Vadis ”(1896年)なら「主よ、何処に行きたまふや」ということになる。行きつ戻りつして(περιέρχεσθαι)一向に要領を得ない偏執狂の老媼の議論は一体、「どこへ行くのやら」と皮肉ったわけでもないのだろうが、48は典型的な論点ずらしのごまかし(φενακισμός)で、論点窃取(τὸ ἐξ ἀρχῆς αἰτεῖν)とか論点移動(μετάβασις εἰς ἄλλο γέννο)という詐術的議論(παραλογίζεσθαι)。
老媼は論理的思考力など皆無に等しいから、「出まかせ」(ἁμαρτία)で笑止な抵抗しているにすぎない。とにかく、暇をもて余しているのだ。
そして、とても偶然とは思えないが、キャロライン(Caroline)氏が、本欄のならず者(ὁ μοχθηρός)=カロリーネ(Karoline)氏に対する率直な忠告(συμβουλή)だか諌言(ἀντιλογία)、説諭(νουθέτησις)、訓戒(νουθέτημα)だか知らないが、いずれにしても、一言で「盲目にも明らか」(φαίνεται καὶ τυφλῷ)な狂態を諌め(παραιτεῖσθαι)、たしなめ(νουθετεῖν)ているのだろう。
「私物化ヨクナイ」は、キャラロライン氏の思いはともかく、アナグラムで「カツブシヨクナイ」=「カ(=K)潰し善くない」とも読めるわけで、依怙地な婆さんも、少しは思いを酌んで、反省したらよい。
それもまた世に珍しくはない現象で、「同類は同類を呼ぶ」(ὅμοιον ὁμοίῳ ἀεὶ πελάζει)の譬え通り、「驢馬が驢馬を擦る」(‘asinus asinum fricat’⇒‘L’âne frotte l’âne.’)、換言すれば、取るに足らない(φλαῦρος)凡庸な(μέτριος)な人間同士がおべっかを使って仲間褒め(κολακεύω)しあうという、「莫迦が莫迦にお世辞を言う」醜態が展開される。
ドイツ狂いの偏狭的な(ακληρός)党派根性(φιλονεικία)のもち主である老媼は、日頃の言辞とは裏腹に自分と見解を共有しない人間と折り合えない質なのだろう。ケルゼンなど喋喋しているが、自分で自分を知る、つまり自己認識(ἀναγνώρισις)が欠けている。
43~44の議論の愚劣さはともかく、それが一向に私の34~36にかすりもしないのは、老媼が幻影に生きている人物だからだろう。50も自意識過剰という病(τὸ νόσημα)だろう。
よく考えれば、ご気楽な身分で、一種の自覚されざる(ἄγνωστος)奇妙な特権意識を生きているようだ。ひと言で言えば「贅沢な不幸」(τρυφερός δυστυχία)で、騒々しい割には、何の芸も、改行さえない稚拙な文章も酷いが、それにも増して、何の切迫感もない。
疎外(ἀλλοτρίωσις)という言葉はストア派由来で、見解や感覚を共有できない他者はもとより、自分さえもて余すという意味で「親密性」(οἰκείωσις)の対概念であり、自己放棄、フランス語の疎外(aliénation=「精神異常」)に近い。
一方で、ストア派はアリストテレスの論理学的達成を受けて、それを補完する形で厳密な論理的思考を開拓した。アリストテレスの名辞論理学が取り扱わなかった仮言的判断を含む、名辞(ὄνομα=term)にとどまらない推論式、つまり命題(ἀξιωματα=proposition)の包摂関係を考える命題論理学を考案した。
古典期、つまりプラトンやアリストテレスの時代のギリシア人には存在しなかった観念である「義務」(κατῆκον=「適切な行為」の謂い)を考案したのもストア派で、ヘレニズム期、ポリスが政治的独立を喪失するなかで「根なし草」というニュアンスのコスモポリタン=世界市民(κόσμου πολίτης)も再認識された。
この世は寄る辺ない側面はあるが、それは自由と表裏一体で、日本の感染症対策は基本的に要請で動いている。海外は当面無理でも、外出は自由だ。覚悟もなく、焦慮を重ねても仕方ない。大人になることだ。
障らぬ何んとかに祟りなし、なのだろう。οἴμοι.[完]
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