5月19日は、4月7日に緊急事態宣言が発出されてから、6週間がたったところだった。そこでこれまでの大きなトレンドをまとめてみたい。全国の各週の一週間の新規感染者数と、それを前の週の新規感染者数と比較したときの増加率である。
5月13~19日: 358人: 0.54倍
5月6~12日: 662人: 0.44倍
4月29日~5月5日: 1,497人:
0.63倍
4月22日~28日: 2,345人: 0.69倍
4月15日~21日: 3,386人: 0.89倍
4月8日~14日: 3,796人: 1.84倍
4月1日~7日: 2.061人: 2.17倍
3月25日~31日: 947人: 3.08倍
国際的な水準にてらして、劇的な減少だと言っていい。一週間の新規感染者数は、3月中旬の水準になった。次に東京都を見てみよう。
5月13~19日: 83人: 0.41倍
5月6~12日: 200人: 0.30倍
4月29日~5月5日: 648人: 0.85倍
4月22日~28日: 760人: 0.76倍
4月15日~21日: 996人: 0.85倍
4月8日~14日: 1,167人: 1.69倍
4月1日~7日: 688人: 1.93倍
3月25日~31日: 355人: 1.95倍
これもやはり劇的な減少である。東京都は緊急事態宣言の効果が全国平均よりも4月中は鈍かったが、5月に入ってから巻き返した。東京では、平日よりもゴールデンウィーク連休中により大きな移動の減少が図られたのだと思われる。一週間の新規感染者数が83名というのは、小池都知事が最初の自粛要請を行う前の3月中旬の水準である。
「大阪モデル」で「日本モデル」を牽引している大阪府も見てみよう。
5月13~19日: 24人: 0.37倍
5月6~12日: 64人: 0.48倍
4月29日~5月5日: 133人: 0.65倍
4月22日~28日: 204人: 0.44倍
4月15日~21日: 455人: 1.10倍
4月8日~14日: 413人: 1.74倍
4月1日~7日: 237人: 2.32倍
3月25日~31日: 102人: 3.4倍
劇的な減少であり、一週間の新規感染者数は、やはり3月中旬の水準になっている。
これまでずっと指摘しているように、増加率のピークは3月下旬で、4月に入ってからは増加率の鈍化が始まり、4月中旬以降は減少に転じた。そして今も減少率は加速する一方である。この結果、新規感染者数は、大幅増加が見られる前の3月中旬の水準に戻った。3月下旬から4月中旬にかけての増加率の高まりを、その後の1か月の減少で元に戻したのである。欧米の「厳しいロックダウン」でも、これだけの劇的な減少を示した事例は珍しい。
4月に入ってすぐに増加率の鈍化が始まっている背景として考えられるのは、第一に、3月中旬以降に段階的に導入されて入国制限措置があるだろう。これによって国外からウイルスが持ち込まれるルートが遮断された。第二に、3月の三連休の前後で大阪と東京で移動・外出自粛要請が出されたことによって、すでに3月下旬から人の移動の減少が始まっていたことは指摘しておきたい。加えて第三に、3月下旬以降に、今は常識となった「三密の回避」などの行動変容の意識改革が、本格的に国民に広がったことも、私には看過できない。今は「三密の回避」があまりにも常識化しているので忘れられているが、この一大行動変容原則が、社会に浸透し始めたのは、3月19日の専門家会議「状況分析・提言」以降であった。http://agora-web.jp/archives/2045006.html
もちろん4月中旬以降の劇的な減少を見れば、4月7日以降の緊急事態宣言にも相当な追加的な効果があったと考えていいだろう。緊急事態宣言の効果は2週間目以降にしか効果が出ないはずだと言う人もいるが、実はほとんどの発症者は、感染から5日程度で発症すると言われている。4月中旬からの新規感染者数の劇的な減少に、緊急事態宣言の効果が含まれていると考えるのが自然だろう。
この素晴らしい国民の努力に対して、「期待したほどではない」、と言い放った人物がいる。「8割おじさん」西浦博教授である。http://agora-web.jp/archives/2045808.html 西浦教授は、「42万人死ぬ」で有名だが、「人と人との接触を8割削減して一カ月で収束」命令を国民に発していた人物でもある。その西浦教授からすれば、世界でも類例を見ないような減少でも、期待外れなものでしかない。西浦教授は、現実の他の事例と日本の事例を比較するなどということは、決してしない。常に自分が作成した抽象的な数理モデルとだけ現実を比較し、現実が数理モデル通りに動いていないと、期待外れだ、と言ってのけるのである。
池田信夫氏は、「『42万人死ぬ』シミュレーションはどこが間違っていたのか」と問いかけた。http://agora-web.jp/archives/2046128.html?fbclid=IwAR0J3rINbhlk2geOuHs1jMj4T6TaOrkbORGd2oCV9uWDFpLcglxMEpKKNmA 他方、私は「西浦教授は国民を騙したのか?」と問い、次のように書いた。
――――――――――――――
最近になって西浦教授が「間違い」を認めるようになったと言う人もいるが、私はそうは思わない。国際政治学者の私が4月10日の時点ですでに自信を持ってはっきりと「増加率の鈍化が見られる」と書けたのだから、私以上に数字を追いかけていたはずの西浦教授が、そのことに気づいていなかったはずはない。
西浦教授は、全てを知りながら、ただ国民を脅かすという政治的意図を持って「42万人死ぬ!」をやっていた、と考えざるを得ない。徹底した国民の自粛行動を引き出して、収束効果の増加を果たした後、最後の一人をクラスター班で撲滅させる、という願望にもとづいた行動だろう。要は、正義感にもとづいて、あるいは野心にもとづいて、国民を騙したのである。http://agora-web.jp/archives/2046115.html
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確信犯として動いている西浦教授は、現状に満足していない。さらに一層の「人と人との削減」を求めて、当たるはずのない予言を出し続けている。全ては、どこまでも人々を脅かすためである。
5月15日、東京都新型コロナウイルス感染症対策最新情報に小池都知事と出演した西浦教授は、6月1日に緊急事態宣言が解除され、「元の生活に戻ったら」、その2週間後から感染者数が激増し始め、7月10日頃には一日200人の新規感染者数を超え、さらに指数関数的に激増し続けると、断言口調で、予言した。https://www.youtube.com/watch?v=aI8zvZAdSTM&feature=share&fbclid=IwAR2C2NIWGx7o6VFH96ZcS1o1eEcXZpRoxhpU_NbrFQy-svSDEgpVhgLHVlE
小池都知事は、西浦教授の追っかけファンのようになっている。そのため、西浦教授が、カリスマ熟女キラーのようだ。しかし発言内容に中身がない。小学生のお絵かきのレベルだ。
かつて西浦教授は、何もしないと4月1日に1,000人を超えた東京都の累積感染者数は、一か月後には8万人になる、と予言していた。「期待外れ」とはいえ、緊急事態宣言で、ようやく5,000人まで抑え込んだということのようだが、最初から8万人になるというモデルが奇妙なものだったのは明らかだ。
そもそも西浦教授の予言で、今まで当たったものはない。結局、人を脅かすことが目的で予言者のように熟女の前で振る舞っているだけなので、最初から予測をするつもりなどなかった、というのが真相であるとしか思えない。
西浦教授は、自分の予言がどうして当たらなかったのか、といった分析は、一切しない。脅かすことだけが目的の予言だったからだろう。最初から真面目な予測を試みるつもりなどないので、後で反省したり分析したりすることもない。
さすがに今は、7月半ばに東京都に8万人の感染者が生まれる、と言うのは控えるようだ(なぜなのか理由は説明がないので不明だが)。そこで、「元の生活に戻ったら」3月から4月半ばの新規感染者の動きが再現される、と予言することにしたらしい。しかしこれでは、「同じ形の山をもう一つ書いてみました」と言っているだけの話なので、小学生でもできる作業であり、大学教授の「専門家」がわざわざ東京都知事に講釈してみせるような話ではない。
西浦教授は、東京都知事と都民に対して、「元の生活戻ったら」という表現を、「タイムマシンに乗って3月1日に戻ったら、3月1日以降の生活が繰り返される」といった意味のないことを言うために用いている。しかし、緊急事態宣言解除日が、「タイムマシンに乗って3月1日に戻る」こととは全然違うことは、自明である。入出国規制が緊急事態宣言とセットで撤廃されるという話は聞こえてこない。「3密の回避」の浸透をはじめとする社会意識の度合いも全然違う。「タイムマシンに乗って3月1日に戻ったら、3月1日以降の生活が繰り返されるので、もう一つ同じ形の山を書いてみました」と、感染症数理モデルの専門家が熟女に講釈して見せることに、いったい何の意味があるのか?意味不明だ。
吉村大阪府知事の「大阪モデル」は、西浦教授のモデルと決別し、ロジカルな路線を進んでいる。http://agora-web.jp/archives/2045885.html 他方、西浦=小池べったりコンビは、徹底して情緒的かつ扇動的だ。自分たちの意地と感情にもとづいて1,400万人の都民の生活を動かそうとする。ところが、後で責任をとるつもりは、一切ない。研究者でありながら、分析は全くせず、ただひたすら予言、予言、予言、予言、予言と、ひたすら当たらない予言だけを語り続けている。
何度も書いていることだが、安倍首相の感染症対策本部も、尾身茂氏の専門家会議も、「長期戦」を見据えた国民の行動変容を重視している。大阪府が、東京都に先行して移行段階に入ったのは、「長期戦」を見据えた行動変容を訴えているがゆえにだ。
ところが西浦教授は、このような社会の動きに、真っ向から挑戦する。東京都知事とともに、「三密の回避なんて甘すぎる、とにかくさらにいっそうの人と人との接触の削減に努めてください!」と訴え続ける。
5月19日・20日の東京都の新規感染者数は5人ずつである。人口約1,400万人の都民がいて、たったの5人ずつである。この状況で、なお西浦教授・小池都知事べったりコンビは、「気を緩めてはいけない!さらにいっそうの人と人との接触の削減に努めてください!」と訴え続け、そうでないと恐ろしいことが起こるのです!と必死で恐怖心を煽り続ける。
本当にそれでいいのか?本当に「専門家」の肩書を与えられた者とは、何を言っても責任を取る必要がなく、しかも後で思い出して検証したりする必要もない特権的地位を持つ者のことなのか?
私は、むしろ一連のコロナ危機における「専門家」の発言と行動は、徹底して継続的に、検証し続けていかなければならないはずだ、と考えている。
コメント
コメント一覧 (58)
これ以上、研究者としての評価を毀損するやもしれぬ時事評論はやめて、篠田氏の世間の不条理への怒りや有り余るエネルギー、そして時間を、本来の研究に注いでほしい‥という私の主張も、もはや繰り返しになってしまっていますね。
反氏の私の印象操作、歳相応の節度や良識はもとより、常識など通用しない、何かに取り憑かれたかのように、興奮して大騒ぎし、錯乱しているかのように、独りよがりの下らないおしゃべりをする老婆、という形容は、私、「主婦カロリーネ」に対する甚だしい人権侵害だと思うが、仮にそうであっても、主婦カロリーネがこのコメント欄でいくら騒ごうと、体制に影響がない。読みたくない人は、読まなければいい。
そして、今「旅行」について話題になっているが、日本と比べて非常に多くの感染者が出ている海外から観光客を来ていただかない方針を篠田教授の空港での検疫の強化、に大賛成な私は、全面的に支持するが、どうして、県境を越えた人の移動、旅行まで禁止にするのだろう。最初の頃、県境を越えた人の移動でクラスターが広がったころと違って、東京、大阪を含めて日本国内の感染者が減っているし、コントロールできている。感染している疑いの強い帰国者、来日者さえ空港の検疫で隔離し、スマホのアプリを使った接触者情報を活用すれば、離れた感染者予備軍も追え、日本国民はこの夏、国内旅行を楽しめるのではないのだろうか。
関心の薄い人に啓蒙しようと言いながら、片方では「(自分が)いくら騒ごうが、大勢に影響がない。」と言い切るところに矛盾があることを理解できないのですか?意味のないことを自覚してはいないのですか?はた迷惑ということが理解できないのであれば、一日中ほかの人に投稿の機会を与えないほど書き続ければ良いでしょう。言い足りないのでしょうから、もっともっと投稿して、誰にも紙面を譲らないようにして下さい。ご尽力期待しています。
民主主義は、反権力だと考えておられる方が多い、と思うが、本当はそうではない。国民の信任によってなりたっている。安倍晋三さんは、間接的に我々国民が選んだ政治のリーダーなのである。その人を中心に政治をしていくこと、が本来の「民主主義のあるべき姿」なのである。反体制が国民の意見ではない。もちろん、リーダーはまちがえることもあるから、批判は大いに必要であるが、現在マスコミによって十分すぎるほど十分に安倍首相は批判されているし、現実の安倍晋三さんは、自分の考えに固執せず、いろんな人の意見をきいて、妥協をはかって政治を行っておられる。また、最後は自分の決断で、政治に責任をとっておられる、つまり、現実には、民主主義日本のリーダーにふさわしい器なのである。それに対して、小池百合子東京知事は、徹頭徹尾メデイア戦略、そのイメージに国民が騙されているのである。現実は、篠田英朗教授の形容そのままの個性の政治家である、西浦教授にべったりして、徹底して情緒的かつ扇動的だ。自分たちの意地と感情にもとづいて1,400万人の都民の生活を動かそうとする。そして、後で責任をとるつもりは、一切ない。私もそう思う。それは、都民の生活を本当に考える政治家であれば、あのような対策を取り続けられるわけがない、と考えるからである。
要するに、マスコミ知識人の求める強い専門家を中心とするリーダーシップというのは、現実には独裁になるのである。机上論ではうまくいくのかもしれないが、現実の東欧の「共産主義」やナチスや大日本帝国を生み出した国内の弱者に配慮する「国家社会主義」。いくら一介の老婆であっても、いや老婆だからこそ、そのような体制の国や都市に住みたいとは思わない。
ただ、現実の中国に満足している中国人は大勢おられる。それは、つきあっている中国人の感触からわかる。その意味で興梠一郎さんなどのマスコミ知識人やバノン氏が主張されている「反中」である必然性が、私には正直よくわからないのである。
私だって、嫌われながら書きたくない。けれども、篠田英朗教授が猛烈に批判されている3人+岡田晴恵博士が、専門家として、嘘のはた迷惑な情報ばかりテレビでまき散らし、このままゆくと、日本国民が彼らの言説に洗脳される。そして彼らの計画が日本国内で実現されたら私たち日本人の生活が悲惨になる、という老婆心が投稿を続けさせるのである。660人にのぼる学者と法律家が安倍首相を刑事告訴したそうであるが、この緊急事態下、一体なにを考えているのだろう。それを応援しているマスコミもマスコミである。
『ほんとうの憲法』や『集団的自衛権の思想史』などの著作には感嘆したが、『憲法学の病』に至っては、同じ話の繰り返しや特定の個人の批判が多く、ちょっと読むに堪えなかった。新型コロナウイルス感染症に関する言説も、社会科学研究者として、他とは違うユニークな視点が多くて面白かったのだが、残念。でもやはりファンなので、これからもこのブログやFacebookなどは読みたいと思いますけどね。
それにしても10も20も続けて書き込んだり、わけのわからない外国語をつらつらと注記したり、良識や常識のないコメントが多いね。他人のブログではなくて、どこか別の場所で思う存分やったら?
アメリカの歴史学者アンドリュー・ゴードン(1952-)が5月16日の『JBPress』で、こんな記事を書いている(「ソフトな緊急事態宣言を受け入れた日本人の不思議」)。「日本には戦前から地域コミュニティや民間団体を使って、政府が上から「説得による誘導(moral-suasion道徳による行動変容)」で国民を教化する歴史があった」というのだ。それが今回のソフトロックダウンにおいても機能するだろうかと見守っていたそうだ。それはみごとに機能した。人々は言われないでもルールを守り、それどころか「自粛警察」なる気色悪いものまで出現した。これを「民度の高さ」と呼ぶ人たちもいるが、どう考えるかはあなた次第だ。ゴードンらしいリベラルな北米の地域スタディむき出しの議論で、海外の学者にかかると何もかもが大げさになる。
欧米メディアも同じである。日本がうまくやるのが不思議というか、気に食わない。だが我々「空気の文化」に生きる者にしてみれば、不思議でも何でもない。外国文化を掘るということはそういうことであり、別に日本に限ったことではない。日本の研究者が外国文化を探るときだって同じことが起きる。飯山陽というイスラム学者はバンコクに暮らし、その獰猛なTwitterが話題を呼んでいるが、彼女はタイで「巣籠もり」生活をしながらイスラム文化圏で起きている事件を小気味よく発信している。飯山は篠田さんの仲間の一人だ(因みにわが高校の後輩でもある)。
篠田さんもまもなく回復するだろう。『現代ピジネス』、『JBPress』、『アゴラ』などに書きまくっているが、そのネタはすべて彼のTwitterだ。こちらのほうが早いし、リンク先もおもしろい。コロナに関しては永江一石氏や倉本圭造氏のほうがおもしろい。西浦博という人も私はおもしろく感じる。彼の理論はまちがっていないし、顰蹙を買っている活動もちろん確信犯。篠田さんも西浦さんのこと好きだと思うよ。二人は似ている。二人とも「陽」でoutgoing。渋谷とか岩田はその逆で「陰」――個人の直観ですけどね。
老婆特有の愚劣なおしゃべりで錯乱している偏執狂(παράνοια)の老媼と同列に並べる意図はないし、ある意味で全く動機(ὁρμή)が異なるとは言え、生真面目な(σπουδαῖος)つもりで、本人も気づかない袋小路(σκοτεινὸς στενωπός)に迷い込んでいるようだ。何と言っても、常軌を逸した(οὐκ ἀκόσμως)文章からしていけない。
⇒【研究者でありながら、分析は全くせず、ただひたすら予言、予言、予言、予言、予言と、ひたすら当たらない予言だけを語り続けている】のような、品性(ἦθος)やユーモアの欠片もない文章は、今回限りにしてもらいたい。
そうした「予言」が14箇所(1箇所は「予言者」)、「熟女」が3箇所も出てくる。一方、専門家会議などを除き、括弧つきの「専門家」が3箇所、他に1箇所(「感染症数理モデルの専門家が熟女に講釈」)ある。
いずれにしても、⇒【西浦=小池べったりコンビは、徹底して情緒的かつ扇動的…自分たちの意地と感情にもとづいて…】と論難する割には、節度を欠く大人げない煽情的な(στασιαστικός)姿勢は感心しない。
いっそのことタイトルを改め、「熟女と専門家と予言、一名『いかさま師』」とでもしたらよい。外野で「大となく小となくあれこれ難癖をつける」(ἔγλημα μικρὸν αἰτίον τ’ ἑτοιμάσας)座興(παιδειίά)としては一興かもしれないが、ほどほどということがある。
憂さ晴らしなのかもしれないが、池田信夫氏に同調して専門家の倫理性(ἤθους ἀρετή)、道義性(ἠθικὴ ἀρετή)を問うには、とても嗜みのある(χαρίεις)良識的な(συνητόν)態度とは言えない。饒舌に語る(πολύλογέω)割には、言葉だけが踊っていて、中身がない。意地になって(ἀπαυθαδίζομαι)、執拗に冗語を重ねているのは、篠田さんも同じだ。
本ブログをはじめ、人を説得する(πεῖθειν)言説とは、煽情的な言葉や表現で、あたかも老媼のような単細胞を唆し(προτρέπειν)、一定方向に仕向ける(πειρᾶσθαι)ことではあるまい。
剥き出しの悪意を隠そうともしない粗野(ἄγρός)で下卑た(ἄγρικός)文章は外にもあって、⇒【小池都知事は、西浦教授の追っかけファンのよう…西浦教授が、カリスマ熟女キラーのよう…しかし発言内容に中身がない。小学生のお絵かきのレベル】のような、如何にも書き殴りの駄文は、今参局氏も嘆いたように、研究者としての評価を毀損する(κολοβῦν)やもしれぬ、低俗な「時事評論」と選ぶとことはない水準だ。
西浦氏を予言者(ὁ μάντις)、専門知識(ἐπιστήμη)を楯に初歩の高等数学を理解できない無辜の国民を欺き、何の根拠もない託宣(χρησμός)を取り次ぐ託宣師(μαντεία)、平たく言えば悪質な(φαυλότης)まやかしの主であるかのように印象(τύπωσις)づける今回の議論は、それこそ悪質な印象操作(κακῶς εἰκάζειν περί=give a false impression of)と択ぶところはない。
それは、リンク先の文章でひたすら自然免疫論を説く憐むべき過激な素人論議に余念がない池田氏も同列だ。⇒【西浦教授は…常に自分が作成した抽象的な数理モデルとだけ現実を比較】というのが、数理モデルに基づく流行予測の科学的な意味を理解しない素人の推量論法(ἐνθύμημα)で、池田氏同様、堂々めぐりの循環論法(κύκλῳ γίνεσθαι τὴν ἀπόδειξιν)にすぎない。
前提を明示して試算する定量的予測は、一定の法則性を頼りに将来を予測する=予め知る(προγινώσκειν)合理的手法であって、将来を何の前提や手法も示さずに予断する(προυπολαμβάνειν)行為、言うなれば予言とは根本的に違うことは分かり切っている。
ただ、数理解析に使用されるSIRモデルは、今回の新型感染症の流行規模の予測には、大いに改良の「余地がある」(ἐγχωρεῖν)というだけの話だろう。
池田氏がBCG接種が今回の日本の際立って低い感染率に影響しているとの自説を根拠づけるために飛びついた自然免疫論を説く免疫学者の宮坂昌之氏(大阪大免疫学フロンティア研究センター招聘教授)さえ、「私は西浦教授の理論自体は正しいと思っているのですが、『このウイルスは何も対策を立てないと人口の6割が感染して何十万人もの人が死ぬかもしれない』という前提は間違っていると思います」としているにすぎない。
つまり、集団免疫を考える際に、獲得免疫だけではなく自然免疫も考慮に入れるべき、と主張しているにすぎない(新型ウイルスの集団免疫閾値は60%より遥かに低く20%)。
今回の議論に、中身がない所以だ。[完]
☆余白に 各位の諌言にもかかわらず、「話の通じない人」(βάρβαροι)である老媼は見え透いた言い訳はしても聞く耳をもたず、平行線(παράλληλοι)のようだ。狂信家に、つける薬はない(‘À laver la tête d’un âne, on perd sa lessive.’=直訳すれば「驢馬の顔を洗っても洗剤が無駄なだけ」)。
実際にSIRモデルで計算して(R0=2.5)みると、厳しい時期の日々の新規陽性判明者の凸凹の山だけをなぞった結果に合わせることはできますし、そこから「何もしないと42万人死ぬ」という「予測」も荒唐無稽とは思われません。西浦教授がクラスター対策班で数理モデルを扱える研究者として、(信頼度は最小なのでしょうが)最悪ケースを示さざるを得なかったと想像しますし、そのことには同情します。(計算根拠を示さなかったことについては私も批判的ですが)
さらに言えば、最近アクティブな感染者は横ばいになっていますが、SIRモデルは60%程度の感染力削減(social distanceなど)が効いていることを示唆していますし、緊急事態宣言解除で感染力削減効果が減れば、感染者が増加する可能性は十分にあります。
新型コロナは年寄風邪なので年寄だけが自粛してもらうだけで十分ということもSIRモデルからわかります。
おそらくこのブログを覗きに来られている方々は余りTVのワイドショーなどを見ておられないと思いますよ。
専門家というだけでその意見を鵜呑みにしてはいない故に、専門家である篠田氏の意見にも、時には反論が出てくるのでしょう。
もっと客観的な判断をされています。
ご自分が気に入っている政治家や学者、作家の意見であれば100%支持するような貴方が、他人を啓蒙したいということ自体がこの場では見当違いでしょう。
もっとワイドショーで白熱議論しているようなブログを探して、そちらで意見を述べられたほうが有意義では。
客観的にというついでに、ご自身が思っておられる人間像と他人が見ている像を比べて、他者の見ている像のほうが正しいかも知れない、いえ、正しいのだという客観的な認識を一度、持ってみられては。
自尊心も叩き壊してから再構築できてこそ、人として成熟するのではないでしょうか。普通はもっと若い時にしますけれど、きっと甘やかされた環境におられたのでしょうか。
ブログのテーマと拘りのないことを偉そうに書いている自分もまた、恥ずかしくは思っています。
小池知事は国際的なインテリジェンスのあふれた政治家であるかのようなイマージであるが、これは外見によって作られたイメージである。それに比べてメルケル首相は、外見はいかにも田舎臭くやぼったいが、彼女の中身は正真正銘の知性派の国際人である。今、小池知事の記者会見をきいたが、篠田教授の主張通り、合理性がなくて、きわめて情緒的である。東京の陽性率が1%を切る現状で、どうしてPCR検査を多くすれば感染の拡大を抑止できるかまるでわからない。危険になったらレインボーブリッジを赤く点灯するそうであるが、点灯したら、そのレインボウブリッジから感染を抑止する光線でも出るのだろうか?大事なのは、クラスターが発見された後、どのように感染の拡大を防止するか、なのであって、その対策なしにレインボウブリッジの色を変えても、意味がないのである。角栄さんは現実の雪国対策をされたから、立派な政治家なのである。
私は投稿名にもあるように、「滔々たる時流に抗して」、無意識裡に人びとを支配している時代の共通の価値観に阿らない、と言えば聞こえがいいのか悪いのかはともかく、甚だ時流から離れた、時代遅れのコメントを連ね、昨日21日の17で通算3,859件になった。
「離群索居」の気楽な日常とはいえ、酔狂なものだと、われながら聊かの感慨がないでもない。篠田さんの寛容な精神に感謝している。
昨年死んだ妻が無類のテレビ好きだったこともあり、元新聞記者だった経験も手伝ってメディアの内情は承知しているが、最近は人気の絶えただだっ広い家でラジオ変わりにつけているとはいえ、テレビはほとんど観ないし、新聞さえ見出し以外は読まない日もある。別にそれで世の中が変わるわけでもないからだ。世の中との接点は、本ブログを含め数少ない。隠居生活のようなものだ。
コメントもそうした立場から書いている。人間の本性、所謂「人間自然の性情」(ἡ φύσις ἀνθρώπων)、「人間の自然的条件」(τῆς ἀνθρωπείας φύσεως)など、そう変わるものではないからだ。
「さきにありし物はまたのちにあるべし、さきに成りしことはまたのちに成るべし。日の下には新しき物あらざるなり。」(‘τί τὸ γεγονς, αὐτὸ γενησόμενον• καὶ τί τὸ πεποιημένον, αὐτὸ τὸ ποιηθησόμενον• καὶ οὐκ ἔστιν πᾶν πρόσφατον ὑπὸ τὸν ἥλιον.’=“ΕΚΚΛΗΣΙΑΣΤΗΣ”, I. 9.; Septuaginta. Id est Vetus Testamentum graece iuxta LXX interpretes, edidit A. Rahlfs, Vol. II, p. 239.)ということは、恐らく真理なのだろう。
「より良い立論には、強制を伴わない強制力がある」(zwangloser Zwang des besseren Arguments)と説いたドイツの哲学者がいるが、見え透いた言い訳はしても偏狭で独りよがりな確信(πίστις)は微塵も揺るがず、老媼のような「説得に動じない者」(ἀμετάπειστος)もいるわけで、それまもた世の常である。
しかし本欄の議論は、元々篠田さんの晴朗な(εὐθυμητέον)気風もあって風通しがよく、多少品が悪く(ἄγροικος)てもタブーのようなものは一切なく、自由闊達(ἐλεύθερος καὶ ἐλευθέριος)を旨とするから、遠慮したり(ἀποκεῖσθαι)気後れする(ἔκπληξιν παρέχειν)必要はない。
そうでないと、頑迷固陋(αὐθάδίσματα κὰι σκληρότης)で陋劣な(αὐθάδης καὶ πονηρός)老媼のような偏執狂によって本コメント欄が、さながら「愚者の楽園」(τὸ ἄφοβον μακάρων νῆσος)になりかねない。
厚かましく(ἀναισχύντως)行き当りばったり(ἐπίτυχών)な見当違いのクズ投稿を撒き散して愧じる(αἰσχύνειν)様子もない相手に、別に恥ずかしく思う(δεινὸν ποιεῖσθαι)こともない。
議論というのは一種の戦い(μάχη)で、遠慮など無用だ。その分、論旨を尽くして徹底的に論じればよい。
よく、「和をもって貴しとなす」日本的な協調精神、精々「和して同ぜず」(「君子和而不同、小人同而不和」(『論語』子路第十三)というが、言葉の前半部分を強調しすぎる。
端的に言えば曲解のきらいがある。自説を不本意に(ἀκούσιον)枉げて他者に追従(ἀρέσκεια)または迎合する(κολακεύω)ことは討論以前のもたれ合いで、本来の対話(διάλογος)とも呼べない。その点で、篠田さんの異議申し立て(ἀμφισβήτησις)の精神自体は、誠に頼もしい。現実認識を遮るのは、現実への追随である。
ところで、私が酔狂にも収録した『カ氏誤録』というのがある。如何にも他愛ない老婆のおしゃべり(ὁ λεγόμενος γραῶν ὕθλος)⇒26は止めどがないから、老媼が如何に狂信的(μανικός)かを理解する一端として紹介する。
①【私の投稿で少しでも、ドイツの文化、歴史、政治への視野が広がってくださればいいな、と…一生懸命投稿してきました…そんな私には、ドイツ人として二度の世界大戦の敗戦を体験し、壁のある西ベルリンの市長をされるなど、責任ある政治家として、苦難な道を進んだ末に、到達されたワイツゼッカー氏の真理のメッセージを、次世代のドイツ人への心をこめたメッセージを、偽善であるとか、所詮政治的なメッセージにすぎない、などという主張はとても許せなかったのです】(2018年9月4日 04:10・65=「北朝鮮問題の行方」)
②【私は、「平和を構築する」ための篠田教授のブログのコメント欄を使って、ドイツ人に対する偏見、先入観を植えつけようようとする反氏が許せないのである】(同9月10日 02:24・58=「欧州で日本の人口減少を考える」
③【私は、一貫して、同じ意見である…ヒールシャーさん(南ドイツ新聞の東京特派員=筆者註)がそう言われて、本当だな、と私も思った…また、ヒールシャーさんとは関係なく、私は、現在も北朝鮮が恐ろしいのは、過去の大日本帝国だから、と思っている】(同9月7日 08:18・21=同)
④【私は、アウシュビッツよりも広島よりも、もっとショックを受けた場所がある。それは、鹿児島県に親戚旅行をした時、弟の提案で行った「知覧の特攻隊の基地」である。特攻隊員たちの遺書を読んで猶のこと、戦争が負けるとほぼ見えているのに、どうして、死ぬことが確実である任務を有為ある健康な若者にさせたのだろう、と思った】(同8月8日 04:03・61=「砂川判決と国際法の理解」)
①②はそのまま、自説を否定する相手に敵意を剥き出しにするドイツ狂い田舎者根性(ἡ ἄμουσος φύσις)、③④はものごとの軽重(καῦφοτης καὶ βαρῦτης)を弁えない軽薄さ(κοῦφος)のなせる業で、余計な註釈は不要だろう。自覚されざる無知に伴う錯誤がそれに輪をかける。
老媼の偽善(ἡ ὑπόκρισις)や欺瞞(ἀπάτη)への感度は極度に低い。要するにお子様で、止めどないおしゃべりは凡庸で陳腐、退屈この上ない。
道徳で言えばパリサイ(Φαρισαῖος)的偽善(ἡ ὑπόκρισις)であり、心理的には道徳以前の感傷(φῖλοικτίρμων)にとどまっている。気楽でいい。[完]
「私欲はあらゆる種類の美徳悪徳を総動員する。」(‘L’intérêt met en œuvre toutes sortes de vertus et de vices.’=La Rochefoucauld; Maximes 253)
各数値の単純比較では、その差がどこから生じるのか、判定しがたい。感染者の年齢構成や気候など地域差もあろうし、検査数や医療事情も考えられる。
以下は、感染者2.5万人以上の主要国の致死率(括弧内は前回5月15日の順位=丸囲み数字。☆感染者数★死者数、人口=2019年推計値[単位1,000人]=10万人当たりの死者数、順位)。
無駄口を叩くより、得と違いを見極めた方がよさそうだ。
①ベルギー⇒16.34%(①16.40%=☆56,235←★9,186=11,539.3=➊79.60)
②フランス⇒15.52%(②=☆181,826←★28,215=65,129.7=❺43.32)
③英 国=⇒14.36%(③=☆250,908←★36,042=67,530.2=❹53.37)
④イタリ⇒14.25%(④=☆228,006←★32,486=60,550.1=❸53.65)
⑤オランダ⇒12.92%(⑤=☆44,700←★5,775=17,097.1=❼33.78)
⑥スウェーデン⇒12.03%(⑥=☆32,172←★3,871=10,036.4=❻38.57)
⑦メキシコ⇒10.93%(⑦=☆59,567←★6,510=127,575.5=⑯5.10)
⑧スペイン⇒9.97%(⑧=☆280,117←★27,940=46,736.8=❷59.78)
⑨カナダ⇒7.56%(⑨=☆81,324 ←★6,152=37,411.000=❿16.44)
⑩ブラジル⇒6.46%(⑩=☆310,921←★20,082=211,049.5=⑭9.52)
⑪スイス⇒6.18%(⑪=☆30,694←★1,898=8,591.4=❾22.09)
⑫米 国⇒5.94%(⑬=☆1,621,196←★96,359=329,064.9=❽29.28)
⑬イラン⇒5.60%(⑫=☆129,341 ←★7,249=82,913.9=⑮8.74)
⑭中 国⇒5.59%(⑭=☆82,971←★4,634=1,433,783.7=⑲0.32)
⑮ドイツ⇒4.64%(⑮=☆179,021←★8,309=83,517.0=⑫9.95)
⑯ポルトガ⇒4.27%(⑯=☆29,912←★1,277=10,226.2=⑪12.49)
⑰インド⇒3.01%(⑰=☆119,419←★3,599=1,366,417.8=⑳0.26)
⑱ペルー⇒2.89%(⑱=☆108,769←★3,148=32,510.5=⑬9.68)
⑲トルコ⇒2.77%(⑲=☆153,548←★4,249=83,429.6=⑰5.09)
⑳ロシア⇒1.00%(⑳=☆326,448←★3,249=145,872.3=⑱2.23)
▼日 本⇒4.82%(☆16,513←★796=126,860.3=*0.63)
◇欧州の致死率、☆感染者数、★死者数、人口、*10万人当たりの死者
ハンガリー⇒12.94%(☆3,678←★476=9,684.7=*4.85)
ルーマニア⇒6.59%(☆17,585←★1,159=19,364.6=*5.99)
アイルランド⇒6.49%(☆24,391←★1,583=4,882.5=*32.42)
デンマーク⇒5.02%(11,182←★561=5,771.9=*9.72)
ポーランド⇒4.77%(20,379←★973=37,887.8=*2.57)
フィンランド⇒4.71%(☆6,493←★306=5,532.2=*5.31)
オーストリア⇒3.86%(☆16,404←★633=8,955.1=*7.07)
ウクライナ⇒2.92%(☆20,148←★588=43,993.6=*1.28)
ノルウェー⇒2.83%(☆8,309←★235=5,378.9=*4.37)
ルクセンブルク⇒2.74%(☆3,980←★109=615.7=*17.70)
セルビア⇒2.17%(☆10,919←★237=8,772.2=*2.67)
ベラルーシ⇒0.55%(☆33,371←★185=9,452.4=*1.85)
◇東・南アジア・豪州
インドネシア⇒6.34%(☆20,162←★1,278=270,625.6=*0.47)
フィリピン⇒6.30%(☆13,597←★857=108,116.6=*0.79)
韓 国⇒2.37%(☆11,142←★264=51,225.3=*0.52)
パキスタン⇒2.10%(☆50,694←★1,067=216,565.3=*0.49)
バングラデシュ⇒1.43%(☆28,511←★408=163,046.2=*0.25)
オーストラリア⇒1.42%(☆7,095←★101=25,203.2=*0.40)
シンガポール⇒=0.076%(☆30,426←★23=5,804.3=*0.40)
◇中南米
エクアドル⇒8.32%(☆35,306←★2,939=17,373.7=*16.92)
コロンビア⇒3.56%(☆18,330←★652=50,339.4=*1.30)
ドミニカ⇒3.28%(☆13,657←★448=10,739.0=*4.17)
チ リ⇒=1.02%(☆57,581←★589=18,952.0=*3.11)
◇中東・アフリカ
エジプト⇒4.64%(☆15,003←★696=100,388.1=*0.69)
南アフリカ⇒1.93%(☆19,137←★369=58,558.3=*0.63)
イスラエル⇒1.67%(☆16,690←★279=8,519.4=*3.26)
UAE⇒0.88%(☆26,898←★237=9,700.5=*2.44)
サウジアラビア⇒0.54%(☆65,077←★351=34,268.5=*1.02)
カタール⇒0.044%(☆38,651←★17=2,832.1=*0.60)
「日本国憲法9条」を改正すると「軍国主義」、平和が損なわれる、というのも、マスコミが作り上げた印象操作なのであって、北朝鮮に侵略されても平和は乱されるのである。そのために、「日米安保条約」で日本を軍事的に守ってくれる米国の意向を気にせざるを得ないのである。
「トランプ大統領の発言は嘘満載だそうである。不動産関係で、彼との約束を信じてひどい目に合ったニューヨーカーは多くいる。彼は自分のことしか考えない。アメリカの知識階級は彼の言っている嘘を信じないが、トランプ大統領が就任以降、アメリカの経済をよくしたこともあって、労働者階級は彼を支持しているし、キリスト教福音派の人々は、彼に熱狂的につき従っている。」ということであった。米国に50年近く長く住み、ニューヨーク在住、仕事上アメリカ人との付き合いも多く、英語ペラペラの彼女の主張だから、彼女の見解を私は信じる。そして、どうして日本のマスコミはこんな大事なことを日本人に知らせないのだろう、と思った。「ベルリンの壁」のあったころの東欧の実情を日本の読者に知らせず、米国社会と比べてあたかも「地上の楽園」のように報じたのと同じである。
つくづく日本のマスコミの人々には、人をみる目がない、と痛感する。そんな人々の見識に従っては日本の針路をまちがえてしまう。また、その当事者にその反省がまるでない、ことが問題なのである。
客観的な認識力をもつことは必要なことである。ただ、それは、マスコミの作り上げる「世論」ではない。みんながそう言っているから、自分も、にするから、言葉の詐欺師たち、プロパガンダ、に惑わされてしまうのである。社会心理学者フロムはその著書「愛するということ」で書いている。優れた「民主主義者社会」を作り上げてゆくためには、「理にかなった信念」をもつことが必要である、と。この信念は、自分自身の経験や、自分の思考力・観察力・判断力にたいする自信にねざしている。根拠のない信念というのは、或る権威、あるいは多数の人びとがそう言っているからというそれだけの理由で、何かを真理として受け入れることだ、と。篠田英朗教授も、大阪の吉村知事も、和歌山の仁坂知事も、「理にかなった信念」をもっておられる。私が信頼する政治家や学者、作家は「理にかなった信念をもった人」だと、私が確信する人である。けれども、100%支持ではない。篠田教授に対しても、吉村知事にも、違うと感じる点はコメントしている。全般的に言えることは、現在の日本では、コメンテーターを含めて、大多数の人が、或る権威、あるいは多数の人々がそう言っているから、という理由で、そう考える人が多く、私の人物像も、反氏の巧みな文才、同じ言葉の繰り返しによって刷り込まれておられる、ということである。
(参考:愛するということ、E.フロム、紀伊国屋書店)
とにかく、現場は外国研究者とも協調しながら、外国の優れたやり方を取り入れながら、Covid19に実際に取り組んでおられるのだから、よく事情がわかっていないマスコミの解説者が、パニックを煽るような批判したり、見下すことをやめることが、まともな日本の新しい生活につながる、と私は思う。
すべてを反時流古典学徒さんの作ったイメージのせいとする責任転嫁はお気楽で良いですね。
何人かの方が述べられているのは、コメント数が多すぎ、内容が同じ主張の繰り返しと自己顕示欲の強さが目障りということです。
それに対しての返答が、若い人たちに伝えたい、自分の考察が正しいと確信しているので啓蒙したい、ということですが、そうした自己満足的は啓蒙はこの場において見当違いではないか、ということです。
また、「反氏の巧みな刷り込みで作られた人物像」に惑わされているなどと思うのも検討違いで、誰も反時流古典学徒氏の悪態を鵜呑みにしている訳もなく、それほど愚かだと思っておられるのでしょうか?
以前に言いたかったのは、イメージによる人物像というのではなく、自分自身の思考の仕方を一度、逆立ちしてみてはどうか、ということにすぎません。自分自身が持っている自分のイメージは自尊心の塊のようなものですから、それを繭に包んで傷つけたくなくても、一度は壊してみても損はないという考えです。
ヴァイツゼッカー氏の演説は政治家としての素晴らしい演説であって、ヒトラー政権の不正に対する人道的な見地に留まっていることに欺瞞を感じる意見もあって、反時流古典学徒氏の謂いすることも耳を傾ける必要があると思います。
米のトランプ氏への見解も嘘満載の発言をするという友人の言葉をそのままに、政治家としてヒトラー同様というのはどうでしょうか。褒められた人柄ではないでしょうが、嘘満載というのなら、大手新聞主導の「ロシアゲート」疑惑もFBIの資料公開から雲行きも怪しくなっていたり、プロパガンダ合戦の真相など藪の中で、一面的な捉え方ではないでしょうか。
ともあれ、余りにブログの主旨とかけ離れてくるので止めます。
同じアゴラ内の秋月涼佑氏の記事で、
>>蓄積されるデータを日々見ていて、日本でパンディミックが回避された状況がますます明らかなのに、まったく反比例する世論と政治対応に驚愕。インフォデミック(情報の情報爆発)が発生した、との確認に至る。
とされる秋月氏、また池田信夫氏との同調の論考は専門家の社会的、経済的影響に対する警鐘? 篠田氏は安部首相の感染症対策本部も、尾身茂氏の専門家会議も、「長期戦」を見据えた国民行動変容を重要視している。ところが、というように書かれているので、小池氏はともかく、政府の対応批判でもないのですね・・・
ただ、未知のウィルスに関して、まだもっと検証されなければいけない時期に、性急な断定的な判断が正しいかどうか疑問もがあります。
『コロナの拡大・収束の予測はバリデーションが不可欠』という記事が出ているので参考のため。
http://agora-web.jp/archives/2046155.html
よろしくお願いいたします。
後で気づいたのですが、藤原かずえさんが23時間時間前私と同じ主張をされています。
「言った者勝ちのワイドショーの悪質な無責任デマを記録・検証することは、国民の利益に適うものであり、言論に圧力を加える行為とは全然違います。コロナ事案で不安を煽りに煽ったワイドショーがどれだけ日本社会と医療現場に迷惑をかけたか、徹底的に検証することが重要です。」
私も彼女の意見に全面的に賛成です。
例によって、あっという間にコメントが続いてしまったので少しさかのぼるが、私もテレビのワイドショーなどほとんど見ない。また、他人のブログのコメント欄で議論したり、自説をくどくどと並べて他人を啓蒙したりする気も、さらさらない。通りすがりかもしれないが、あくまで感想を述べる程度の場であると心得ている。「議論」とはいっても、所詮、他者がわからないような外国語や難解な言葉をならべて、さも高尚な見解であるかのように見せているだけだろう。
学生時代、憲法を専攻していた私にとって、篠田さんの憲法(学)に対する見解は、とても斬新だった。実は誰もが、なんとなく気付いているんだけど声に出して言えない、いまひとつ何かモヤモヤしている、そんな状態のところにピタッとピントを合わせ、国際政治学の視点からぼやけた輪郭をくっきりと見せてくれた。まさに学問が持つすばらしさを、体感させてくれた。
一連の新型コロナウイルス感染症に関しても、早くから日本人独特の行動様式に着目したり、眼鏡をかける率の多さに言及するなど、ユニークな視点がとても面白かった。日本における感染拡大のピークのとらえ方も、全く同感。だからこそ、特定の個人攻撃に走っているかのような最近の言説は、ちょっと残念だ。個人のブログとはいえ、もったいない、と思う。
狂信家によくある、「被害妄想」(παρανοία)だろう。
見るに見かねて、せっかく老媼の狂態(γαστρίμαργος)をたしなめ(νουθετεῖν)、諌めた(παραιτεῖσθαι)各位の諌言(παραίτησις)は無駄だったようだ。齢70近くまで培ってきた「内なる人間性」(ὁ ἐντὸς ἄνθρωπος)は、容易なことでは変わらない。特に、自己愛(φιλαυτος)の塊である老媼のようなパラノイア気質(ὁ τρόπος παρανοίας)は。
老媼は身の程を知っている(σωφροσύνη)という意味で節度を守る(σωφρονέω)ような性格ではなく、それを充分自覚している(ἑαυτῷ συνειδέναι)わけでもない。謂わば、虚勢(προσποιησις)、虚飾(ἀλαζονεία)、虚栄(χαυνότης)が揃った、中身がからっぽ(χώρα)、空虚な(μάταιος)「四虚の人」で、明朗闊達さ(εὐθύμίη)を欠くのも、「生まれつきの」(ψυσικός)嘘つき(ψεύστης)という意味で、「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)の然らしむるところだ。
ここまで書いたところで、クォ・ヴァディス氏の説諭(παραίνεσις)⇒42である。事実認識の論駁に移る。
典型的な法螺話が、以下の妄説(ἀλλοδοξία⇒‘Karoline Doctrine’)だ。
【北朝鮮が恐ろしいのは、過去の大日本帝国だからである。先軍思想の、全体主義国家。軍事を手放して、後になにがの残るのだろう? 日本の戦前の場合は、軍国主義者たちは、天皇の権威を利用するために、神仙思想(?意味不明=筆者註)唱えたり、国家総動員法を成立させたりしたが、現実の昭和天皇は立憲君主主義を貫かれ…天皇が、まず、国民のことを、第一に考え…判断されたから、終戦を迎えられたのである】(2018年6月14日 17:32=「トランプ大統領が米朝関係に持ち込んだ『人間臭さ』という新しい要素」)
その極端に歪んだ歴史認識は改めて指摘するまでもないが、その根底にあるのは、老媼の無知無学ゆえの(δι’ ἄγνοιαν καὶ ἀπαιδευσίαν)思い込みなのは言うまでもない。そもそも、前段と「天皇の権威を利用するため」以降が論理的に接合しない議論であり、論理的に破綻している。
そのうえで内容を検分すれば、憲法上、天皇は血統が絶対視される統治権の総攬者だが、北朝鮮のように党が国家の上位にくる特異な政治体制の絶対君主ではない。天皇を北の三代の指導者並みの独裁者と同一視することはできないし、軍部も同様だ。
しかも、不完全な形ながら当時も選挙制度があり、現実の政治への天皇の関与は極度に限定されていた。天皇の統帥権と「先軍思想」は別物だ。しかも、戦前の日本は五大国の一つとして世界有数の軍隊を保持していたが、「先軍思想」を内外に表明したり、国策の基本方針とした事実はない。
国際連盟脱退や三国同盟加盟、日米開戦には政府や軍内部に常に慎重な意見や反対勢力が存在しており、権力構造は常に多層的だった。政府は各省の権限が大きく独立性も強いため、首相の権限が相対的に弱いという弱点があったくらいだ。
軍国主義ファシズムという名で糾弾される軍部独裁は昭和前期の病理的現象で、建国初期から独裁国家だった北朝鮮とは組織も状況も全く異なるし、軍部独裁の日本型ファシズムが国政を壟断した2.26事件以降でさえ、軍部、官僚、財界が翼賛体制を構成するという構造で、ドイツやイタリアのように擬似革命やクーデターの形をとった一極支配とは異なる。
戦前の悪の権化のように指弾される東條英樹も、実際には内閣と軍の調整に腐心した軍人官僚にすぎない。北朝鮮との共通点など、どこにもない。老媼のお頭に盤踞する妄想だ。
老媼の場合、戦前を「暗黒時代」と位置付け全否定するほとんど左翼まがいの歴史観に外ならず、戦前の歴史を天皇制を支持する反動勢力(左翼用語)とそれに抵抗する共産党の抵抗の歴史という構図で誇大妄想的に描き出すのと同工異曲の「暗黒史観」であり(護憲平和主義者ら進歩主義陣営や多くの近代主義者も同調)、精々、それとは別に軍部の専横で政治的意思決定過程から不当に排除されたとする爾余の既得権益層や自由主義者の怨念(φθόνος καὶ μῖσος)を反映したような勧善懲悪式の「単線思考」にすぎない。
そもそも、老媼の妄説では、それを焚きつけ、煽動したのはメディアという「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)になるが、北朝鮮のメディアは裁量権など存在しない党の代弁者にすぎず、最初から恣意的な報道の余地はない。
読みもしないクラウゼヴィッツ(K. von Clausewitz;“Vom Kriege”)など喋喋すること自体が噴飯もので、破れかぶれの老媼に戦略(Strategie)も戦術(Taktik)もあるまい。
そこで、改めて論点を転じると、クォ・ヴァディス氏の鄭重なもの言いには鄭重にお応えするのが礼儀であろう。悪態(κακηλογία)と言えば、悪態には違いない。しかし、愚行に対処する要諦は、余裕をもって嘲笑する(καταγελάω)のが一般的に最も効果的だ。
議論(λογός)というのは本来仮借のないものだ。しかも、論点ずらしを常套手段、悪癖とする特異な人間相手には、さまざまな手法がある。また、建設的な議論などというのも一種の幻想(φάντασμα=illusion)にすぎない。
議論は事柄自体(πρᾶγμα αὐτό)に応じて認識の赴くところ(ἐπισθημονικός)に従えばよい。
人間には人柄としての器量(ἠ τοῦ ἤθους ἀρετή)と知的な器量(ἡ διανοητικὴ ἀρετή)との両面があるが、議論は対話(διάλογος)であれ論争(ἀμφισβήτησις)であれ、馴れ合いは邪道で、論理的に徹底するしかない。相手を心胆寒からしめるレトリックを駆使して。それが無類の議論好き(φιλόλογος)であったギリシア人の作法にも適うものだからだ。私は生体は日本人だが、頭の中身はそうではない。
その点で、あたかもスフィンクス(Σφίγξ)のように黙して語らぬ篠田さんの自由闊達な精神に感謝している。
しかし、私も元プロの物書きだから、仰せに従って工夫(στροφή)しなくてはなるまい。単なる感想めいた片言隻句には全く興味がないので、争論的な手法は変わるまいが。
もってお答えとしたい。[完]
新型感染症の脅威を軽視していたボアソナロ大統領の中途半端な対策もあろうが、ブラジル以外に中南米で感染が急拡大していることは、ウイルス固有の感染力の強さと、それ以外の要因が重なっているのだろう。
日本は、本欄での篠田さんの論調を含め内向きの論議が目立つが、そこは国際政治学者としての知見や在外での情報網を駆使して、特に平和構築の当事国とも重なる要素の多い途上国での感染拡大懸念について、思う存分論じてもらいたい。
致死率も高く医療崩壊が起きたエクアドルの惨状は早い段階で報じられていたし、致死率こそ低いもののペルーやチリ(2.89%~1.02%)の感染者の多さも際立っていたが、ここにきて人口が424万人程度のパナマの感染者も1万人を超し、急拡大している。そうなると、遙かに人口が多く1万人を超え、経済もデフォルト状態のアルゼンチンや内政の混乱が続くヴェネズエラも気になるところだ。
さらに感染者は多いものの、致死率、死者数はドイツと比べても極めて低く抑えられている中東(大半が1%未満)は措いて、アフリカ諸国が気になる。
人口構成は若年層が厚いし肥満者も少ないから、「年寄り風邪」の側面もあるウイルス自体の病原性と併せ、欧米のような惨状が単純に再現するとは限らないし、PCR検査による実態把握も追いつかないだろうが、未確定要素の多い日本の感染者、死者が極端に少ない「ファクターX」問題で安易な素人論議を重ね、熟女や専門家に難癖をつけ迷宮(λαβύρινθος)に彷徨う前に、見識を期待したい。
人口が1.1億人を超えるテドロスWHO事務局長の祖国エチオピアも、中東が近い割にはいやに少ない(感染者433、死者5)。検査も行き届いていないのだろう。
世界は動いている。
長くカロリーネ氏とやり取りをされていることから、本当に馴れ合いを楽しんでおられるのかと思ってしまいました。
考えてみれば、初対面同様の方にいきなり失礼をいたしました。
ネットの怖さで一方的に勘違いをして、いらぬ戯言を言ってしまったことをお詫びいたします。
書き込みの内容については常々、勉強になることが多く有難く思っています。もう若くもなく、未熟なままですが、知的好奇心は持ち続けたいと思います。今後とも、いろいろとご教授頂けると幸いです。
https://www.youtube.com/watch?v=T3OjUex9DLw
カリフォルニアン・マンイーター
直訳すると、小池はマンイーター、かなw
笑えない
ここにジョーンホプキンス大学のCSSEのまとめたCovid19についての国別資料があるが、現在、世界規模でみると、540万以上の人が感染し、34万人以上が亡くなっている。https://www.arcgis.com/apps/opsdashboard/index.html#/bda7594740fd40299423467b48e9ecf6?sara_ecid=nl_upd_1jtzCCtmxpVo9GAZr2b4X8GquyeAc9&nlid=rllbdrav 今、ブラジルの「普通の風邪にすぎない。」と主張しているボアソナロ大統領の元で、Covid19の感染が爆発的に広がり21,000人亡くなり、米国は感染の押さえこみつつある欧州とは違って、トランプ大統領の元で、感染はまるで収束の気配をみせず、96,000人亡くなっている。特に現在、医療事情の悪いイランやアフリカでCovid19が広がっている。私がコメント18の奥永さつきさんの、「新型コロナは年寄風邪なので年寄だけが自粛してもらうだけで十分ということもSIRモデルからわかります。」という主張に反論したのは、そう考えていた英米の首相、大統領の元で、そして、現在ブラジルの大統領の元で、Covid19の爆発的感染が広がった(て)いるからである。Covid19をなめてはいけないのである。
5月24日4:06現在の国際比較をすると、日本の感染者数は現在40位、死者数は796人で27位、そして東京を含めた日本は、歴然とした収束傾向にある。マスコミが2週間後東京もこうなる、と予告した都市、ニューヨークの死者数は28、926人、パリ、ロンドン、ベルリンのある国の死者数は、それぞれ28,218人、36,757人、8,261人である。けたが日本とは1桁、2桁違うのである。どこが、日本の初動が遅れ、Covid19対策が失敗しているのだろう。国際比較もせず、欧米の悲惨な都市の映像を移し、東京や日本がこうなる、と脅し、それを防ぐためには、ロックダウン、あるいは、ドイツのようにPCR検査を増やすべきだ、第2波に備えるために、54兆円かけて国民全員にPCR検査をしなければならない、と主張している自称専門家の主張が異常なのである。ドイツは、日本の10倍以上の死者数がある。それが世界をよくご存じの国際政治学者の篠田教授は指摘されたいことのであって、私も全く同じだから、家事をしながらワイドショーをきいていると、いらいらしてくる。そして、「専門家の肩書」のある人々のこの「間違った主張に惑わされないで」、という気持ちが先行して、同じ趣旨の繰り返しになるのである。
親友の話によると、ニューヨークも同じ、ニューヨークに打撃を与えているのは欧州経由のCovid19だそうだ。武漢発のものは、トランプ大統領がすぐに中国全土との渡航禁止をしたのでニューヨークには来なかったが、欧州とはすぐに遮断しなかったので、ニューヨークに入り込んだ、そうだ。日本も、お彼岸で日本人が気が緩んだから感染が拡大したのではなくて、欧米帰りの人々がもちこんだ、そのことは手間のかかるPCR検査の遺伝子解析ではっきり出ていたし、篠田教授の主張でもあるが、その真実が、なぜ日本では広まらないのだろう。「日本の初動が遅かった。」ということも含めて、嘘がまかり通っているのは、すべて、ワイドショーなどテレビのせいだ、と私は考えている。昨日のワイドショーにコメンテーターとして出演していたドイツ人女性も日本語で「ドイツ人は、日本は初動が遅かった、とみている。」と述べていたが、最近のSpiegel誌に、日本のことはほとんど報道されないし、実際の「日本の初動がドイツより早かったから、日本の成績は、今までのところ、ドイツの成績よりいい。」という前提がまるで抜けている。
とにかく、日本のマスコミの人々は近視眼的で、煽情的、視聴率を取れさすればいいという人々が多すぎる。専門家会議の尾身茂副座長の主張、「国際社会におけるCovid19についての援助についても、考える余裕をもってほしい。」という言葉は、現実的にはとても重い。
現実に、中国やドイツはCovid19の国際協力を行っているし、その行動に対して国際社会で評価、支持を得ている。篠田教授のTweetに書かれた「日本政府は国際情勢を見ながらコロナを見ないと、痛い目にあう。」という言葉は重い。
子供の9月入学にしろそうである。どうして現実の子供の学校生活を犠牲にするのだろう。オンライン授業は、教科学習には有効かもしれないが、社会生活はどうだろう?今引きこもりが多いが、勉強は優秀なのであって、問題は社会生活能力の欠如である。私は留学経験者である。3月に卒業して、ドイツの場合は11月入学であったことが、幸いした。生活に慣れ、語学力をつけるために使えたからである。語学力がなければ、人との交流もできないし、学業にもついていけない。サマータイムでも同じである。日本は極東の国である。欧州とリアルタイムでやり取りするのには、ない方が、便利なのである。彼女の発想は、ハイセンスだけれど、現実に機能しないのである。
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