8月4日に「止まらなかった陽性者拡大~ 日本モデル vs.西浦モデル2.0の正念場④」という文章を書いておいた。http://agora-web.jp/archives/2047457.html 7月上旬をピークに東京の新規陽性者数の拡大ペースは鈍化をしていたが、4連休の際に跳ね上がったように見えたので、それを記録しておきたかったからだ。もちろん本当に重要なのは、その後のトレンドだ。
新型コロナの感染発症者のほとんどは、5日以内に発症すると言われる。他方、2週間程度の間は発症の可能性があるともされる。4連休中の影響が出尽くしてくるのが、2週間を経過してしばらくしてからの8月10日からの週であろう。
すでに先週から、新規陽性者数の増加に再び鈍化の傾向が見られている。週ごとの大きなトレンドを見てみよう。
|
新規陽性者数 (7日移動平均) |
増加率 (前の7日間との比較) |
8月4日~10日 |
335人 |
0.99 |
7月28日~8月3日 |
338人 |
1.34 |
7月21日~27日 |
252人 |
1.15 |
7月14日~20日 |
219人 |
1.30 |
7月7日~13日 |
168人 |
1.69 |
6月30日~7月6日 |
99人 |
1.94 |
これを日ごとの7日移動平均値をとったグラフで見るとこうなる。https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/
4連休後の週に新規陽性者の拡大がスピードの変動は、実効再生産数の推移でも見ることができる。
こうした言い方は、連日のメディアの報道では採用されていない。だがそれは単純に、メディアの「ただ目の前の視聴率の向上だけを考えたい」という徹底して無責任な煽り報道の方針のためである。「テレビに出ているのだから偉い人なのだろう」という根拠がないどころが、今や単純に事実に反する思い込みをもった視聴者層に煽り報道を売りつけるだけのビジネスモデルで、私のような言い方が採用されないだけだ。
もう少し具体的に言うと、二つの点に留意する必要がある。
第一に、感染拡大を、陸上競技の記録会のように報道するのが、端的に間違いである。「〇〇日ぶりに〇〇人台」といった報道の仕方は、あたかも百メートル競走の実況中継をしているかのような臨場感のあるやり方なのだろうが、間違いである。毎日の新規陽性者数は、あたかも陸上競技者がスタートラインに戻って一から始めるようなものではない。前日までの陽性者の数が違うということは、日々の新規陽性者数は、異なるスタートラインから始めているということだ。
新規陽性者数が同じ1,000人だった二つの異なる週の場合のことを考えてみよう。仮にそれぞれの前の週の陽性者数が100人だったら、当該週は陽性者数が10倍になった急速拡大の週である。ところが前の週にすでに1,200人の陽性者が出ていたとしたら、当該週はむしろ拡大スピードが減少していることになる。新規陽性者を拡大させる人の数が違うところからスタートしているので、絶対数では拡大のスピードを見ることができない。
第二に、それでは絶対数はどのように評価すればいいのかといえば、日本政府はこれまで一貫して「医療崩壊を防ぐ」ことを目標に掲げているので、それが危うくなる水準が、危険領域である。4月よりも数が多いとか少ないとかということは、関係がない。「日本モデル」では一貫して「重症者中心主義」というべきアプローチをとってきているが、新規陽性者の中から重症者が生まれるわけなので、医療崩壊が懸念される程度にまで重症者数が増える可能性が見えてきた新規陽性者数が、懸念すべき絶対数である。
私はこのところ「日本モデルvs.西浦モデル2.0」という視点で文章を書いてきているが、「日本モデル」と「西浦モデル」は、重症者中心主義であるか、感染者中心主義であるかという着眼点において、鋭く対立する。http://agora-web.jp/archives/2047305.html
尾身茂会長をはじめとする旧専門家会議=現在の「分科会」メンバーは、7月の新規陽性者の拡大に落ち着いた対応を見せた。それは、検査数の増大に伴う確定新規陽性者数の絶対数の増加と感染拡大傾向のあぶりだしは、重症者数が医療崩壊を懸念させる水準に達するまでは深刻にとらえすぎる必要はない、と考えているためだろう。新規陽性者数の拡大は、鈍化し続ければ良好な傾向であり、深刻になる前に拡大が止まれば、それで良い指標だ。
そこで「日本モデルvs.西浦モデル」の対決ポイントは、行動変容等を通じて感染拡大は止まる可能性を模索するか、あるいはロックダウンのような措置が導入されなければ果てしなく指数関数的拡大が続くと仮定するかの違いになってくる。
「西浦モデル」では、現状は際限のない指数関数的拡大の真っただ中ということになる。

5月3日に西村大臣が日本の政策の説明で用いた「ハンマーとダンス」の表現を用いると、「日本モデル」の観点からは、一つのダンスの形を模索している最中である。https://twitter.com/nishy03/status/1257303798516613124
私は7月末に「正念場」が来ると書いたことがあるが、4連休の影響で微妙なせめぎあいが発生したため、8月に「正念場」がもつれこんでいるような様相になっている。
現時点で結論を出すのは早いが、「日本モデル」の観点からは、新規陽性者数は拡大が止まればそれでいい。メディアのただ「今日の視聴率が上がればそれでいい」方針の煽り報道のトーンとは異なり、「日本モデル」はまだそれほど劣勢にはなっていない。
なお私自身は、尾身会長をはじめとする「旧専門家会議」「分科会」メンバーのこれまでの貢献を高く評価し、現在も強く支持し続けている。特に押谷仁教授の役割は、大絶賛をし続けてきている。最近いささか世間での「分科会」に対する風当たりが強くなってきたことをふまえて、Twitterに「尾身先生・押谷先生を守る会を作りたいくらいだ」と書いたところ、多くの方々の賛同を得た。実際には、私はそうした運動系のことを自分自身で主導するのは苦手なので、代わりに「日本モデル」がなぜ「押谷モデル」であるのかについて、今後数回にわたって書いていくことにする。そしてそれをもって私の熱烈な押谷先生への称賛の証としたい。
現在でもポイントとなっている「日本モデル」の重症者中心主義は、2月下旬ころからはっきりと形になってきた。尾身先生・押谷先生らが構成した「専門家会議」が2月中旬に招集されたからだ。
2月25日に決定された新型コロナウイルス感染症対策本部の「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」では、次のような考え方が示されていた。https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/th_siryou/kihonhousin.pdf
――――――――――――――
・感染拡大防止策で、まずは流行の早期終息を目指しつつ、 患者の増加のスピードを可能な限り抑制し、流行の規模を抑える。
・重症者の発生を最小限に食い止めるべく万全を尽くす。
・社会・経済へのインパクトを最小限にとどめる。
―――――――――――――――――
日本は当初から、感染の流行の終息の可能性を求めるものの、現実には「重症者対策を中心とした医療提供体制等の必要な体制を整え」ながら、「患者の増加のスピードを抑制すること」を目標としてきた。
一日あたりの新規陽性者数を〇〇人以下にする、などといった思慮のない目標は、一度たりとも立てたことがない。マスコミが勝手に言っているだけの事柄である。
結局、マスコミが新型コロナでやっているのは、自衛隊を中心とした防衛政策をとって日本を守っている政府に対して、自衛隊を違憲として廃止したうえで完全な日本の安全を達成していないから政府はダメだ、とキャンペーンして糾弾しているような無責任かつ非現実的なことである。
前回の文章でも書いたように、この背景には、2月中旬の段階で、感染の封じ込めは事実上は不可能と厳しい判断をしたうえで、新型コロナは感染力は高いが重症化率は低い(危険なのは高齢者と基礎疾患保持者)という的確な洞察にもとづき、重症者(死者)の抑制に優先的に資源配分できる体制をとるべきだと考えた押谷教授らの英断があった。
SARSやMERSの被害経験があった諸国では、早期の中国からの入国制限などの水際対策措置が取られていた。台湾、韓国、シンガポール、ベトナムなどの超優良成績の諸国は、経験を生かして早期に動き、その後も封じ込め政策をとり続けている国々である。
これに対して3月になってから短期間で慌てて強力なロックダウン措置をとりながら医療機関の負担を考えずに指針なき盲目的な検査などを行い続けた欧米諸国では、医療崩壊現象が起こり、膨大な数の死者が生まれてしまった。当時はそれが標準的な新型コロナの被害想定だとみなす「西浦モデル」的な理解もあったが、それから数カ月たち、世界各地の感染状況も見るならば、単純に当時の欧米諸国の致死率が異常であったことが明らかである。
現在の欧米諸国は、もはや封じ込めは目指さず緩やかな感染速度の管理を目指す政策に転換している。結果は、致死率の大幅な改善が果たされている。
「日本モデル」の過大評価は、3月の欧米諸国の経験とのみ比較して、日本の成績を過度に良いものとみなしすぎる態度である。逆に「日本モデル」の過小評価は、早期対応で封じ込め政策をとることが可能となったアジア諸国とのみ比較して、日本の成績を過度に悪いものとみなしすぎる態度である。
「日本モデル」は、封じ込めが不可能になった諸国(SARS/MERSの直撃を受けなかった諸国)の中で、極めて良好な成績を保っている。なぜなら早期対応で封じ込めを狙った諸国に後れを取ったため、もはや封じ込めは不可能だと判断することになった諸国の間においては、最も早くその判断を行ったのが、日本だったからだ。
すべては押谷教授ら真正な専門家たちの素晴らしい状況判断が2月中旬に行われたからである。
今頃になって、国民自己負担も課して数十兆円を投入し、経営悪化した病院関係者を片っ端から検査技師に作り替え、管理費なども上手く業務委託して、全国民毎週PCR検査を行って新型コロナを撲滅する国民運動を起こそう、といったことを厚顔無恥にもテレビで主張している人たちがいる。
罪深いことだ。
ロックダウン解除になったばかりの時期のニューヨークを都合よく脚色して宣伝に使っているようだ。それで、もしニューヨークだけは絶対に今後も感染者の増加することはありえないという大胆な主張が外れた場合には、丸坊主にでもなってテレビに出て謝罪して「自分の学者声明は終わりました」と宣言してくれる覚悟だというのだから、すごい話である。
私自身は、謙虚に押谷先生らの功績を認めることが本当に大事であると考えている。そして、今後も引き続き国民の英雄と呼ぶべき尾身先生・押谷先生らを強く支持していきたいと思っている。
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2-5m離れた距離で、研究者たちは病院に搬入されてきたコロナ患者の感染力のある検査気体を取り出した。この距離は、ドイツで公式に規定され、推奨されているソーシャルデイスタンスの距離、例えば1.5mよりも離れている。それにも関わらず、研究者たちはこの検査で、Sars-Cov-2ウィルスを分離することに成功した。このウィルスは、患者から直接採取されたウィルスと全く同じものである、と著者は説明している。つまり、病院内の別の患者から採取されたものではないのである。ただ、この研究はPeer-Reviewを経ていないので、外部の鑑定が欠けてはいるのであるが。
エアゾルの専門家、Linsey Marr氏は、この研究の成果は指針となる、と評価している;空中から生きたウィルスを採取したということは、一つの決定的な証拠である、とこの研究に参加していない彼女はTweetしている。
ただ、一つの浮遊物にからみついたウィルスが人を発病させる量に充分であるかどうかの研究成果が欠けているので、この米国の研究者は慎重である。ただ、この調査は、感染者から遠く離れた場所にある感染者から吐き出されたエアゾルウィルスが感染力を持っているということを証明している。
臨床では、いわゆる多くのスーパースプレッダー事件、例えば体のコンタクトがない合唱団での感染など、この理論を実証する多くの事件が起きている。3月の初め、シアトルの北の小さな町、Mount Vernonの教会での合唱練習で、たった一人のCovid19の症状のある合唱団の一人から、52人の団員が感染し、3人は病院で治療を受けなければならなかった、という事件もそれを示している。
エアゾルの研究は特に厄介である。というのは、1000分の1ミリメーターの大きさしかない為に、見えないからである。バクテリアやウィルスが粒子に付着するとBioaerosoleと呼ぶ。漂流気体のウィルスを引き離すのは、その形状の小ささの為に大変費用がかかる。最近の研究では、病原菌をすぐに保存し、その後ゆっくりと静かにウィルスを引き離すために、研究者は、塩、砂糖、卵黄たっぷり入れた液体を使っている。WHOはようやく7月になって、公式にSars-CoV2はエアゾルによって感染することを認めた。その前に239人の科学者が公式文書をWHOに送り、その中で彼らは、コロナウィルスは空気によって感染拡大をする、ということを認識するように要求した。
つまり、Covid19の感染モデルの中で一番恐ろしいのは、エアゾル感染、つまり、ダイアモンドプリンセス号、島根県の高校のサッカーチームがそうであるように、一人のスーパースプレッダーが多くの人に感染させることである。この現象を、尾身・押谷ペアーがすぐに見抜かれたから、「日本モデル」となり、三密回避、マスク着用、過去にさかのぼったクラスター調査となったのである。それに対して、マスコミ推奨の全国民への「いつでも、どこでも、なんどでも」英米式は、Covid19のスーパースプレッダーには無力なのである。PCRの検査費用ばかりかかり、どの一人が、多くの人に感染させるか、全くわからないからである。マスクなしのソーシャルデイスタンス1.5mもあまり効力をもたない。
日本の宝、尾身茂・押谷仁さんを信頼して、「日本モデル」を進化発展させることが、日本を感染拡大から防ぎ、社会経済状態を米英のようにしない道だと私は信じる。今日からお盆ですが、皆様、健康に気をつけて、楽しくお過ごしくださいませ。私は、親友との奈良旅行はとりやめたが、夫と「Go to キャンペーン」に協力することに決めた。
イギリス在住の免疫学者医師の小野昌弘さんなどは、封鎖を解けば感染再拡大(ピークシフト戦術から一概に悪いことではない< とする)がある!と、4月の段階で述べています。日本の6月中旬以降の検査陽者数拡大も規制を緩めれば、そうなると予測していた専門家(国の分科会のなかでも)もいたはずです。感染症対策の要点をまとめた記事→経済産業研究所・関沢洋一「感染症の基本法則とパラドックス」https://www.rieti.go.jp/jp/columns/a01_0567.html から
あっそれと前投稿→Gは「対案を出す」< とは言っていないのですよね。カロさんが、そう引用しただけです。Gが言いたいのは、(将来外れるリスクを負ってでも)自己の見解をも示すべき!、批判専門ではダメということです。中間とは、「ほどほど」< とは言っていません。ゼロリスクでもなく、野放図でもない、その中間(その解は1~99の間にあって、25かも知れないし50かも知れないし75かも知れない)に最適解があるはずだということを言いたいのです。
35でコメントしましたが、つぎのような傾向が見られるようです。
【1群】スペイン、イタリア、ドイツ、フランス、カナダ、スェーデン、ベルギー、オランダ、スイス、アイルランド、オーストリア、デンマーク、のrウェー、フィンランド、ルクセンブルクなど
4月波が強かった国の夏波における死者数はほとんどゼロに近い。
【2群】ポーランド、ルーマニア、オーストラリア、ブルガリアなど
4月波が弱かった(ロックダウンなどで)国は夏波が大きく、死者数も多い。
41の結論部分→重傷者(ママ)を医療崩壊させない程度に封じ込める<
を”重症者”に訂正しておきます。重症者の治療を最優先にするために、医療資源のキャパシティから逆算して、医療崩壊させない程度=”中間の最適解”として、こう結論いたします
「Gクン」氏は、自分の莫迦さ加減と被害妄想、つまるところ驕慢と度を越した自己愛ゆえの自意識過剰をごまかす(τερθρεύσθαι)ことに躍起になっている「虚偽体質」(ψεύστης φυσικός)の偏執狂の婆さんと違って生真面目であり、マナーも悪くない、察するところ64歳の私と比べはるかに若いと推察される有為な若い世代のようだから。
48⇒【前投稿→Gは「対案を出す」とは言っていない…カロさんが、そう引用しただけ】――前投稿とは、23⇒【自己の対案を示してやるべき】、「カロさんが…引用」は、34⇒【対案を出さない、という批判】を指すとすれば、「対案を示す」と「対案を出す」は「示す」と「出す」の違いは存在する。しかし、個々の単語(「示す」、「出す」)ではなく、単位文(「対案を示す」、「対案を出す」)の全体としての意味内容を考えれば、通常の理解としては同じと考えて書き手の意図を曲解することにはならない。
対案(ὁ ἐναντὶον λόγος, ἡ ἐναντὶον γνώμη, ἡ ἐναντὶον ἐπάγγελία)、類語の代案(ἡ αἵρεσις)を含めてもよいし、さらに「出す」と「示す」を言い換えた場合に、それぞれ提案する(ἐπάγειν, προσφέρειν)と提示する(προτείνειν, ἐκτείνειν, ὀρέγειν)のいずれに相当するか考えれば明瞭なように、「対案を示す」と「対案を出す」に、有意な意味内容(γενικὸν ποινόν)違いは存在しないと考えても不当とはいえない。
それは、指示対象、つまり実体(οὐσία)は同じものだが、記述、つまり名称(τὸ ὄνομα)や呼び名(ἐπωνυμία)が異なっている、実体はいずれも金星(Ἀφροδίτης ἀστήρ)である「明けの明星」(ἑωσφόρος)と「宵の明星」(ἕσπερος)ほどの違いもない。
危機管理上の感染規模推定は当初の試算から外れた場合に一概に批判される性格のものではなく、想定しうる損害や犠牲を最大限に見積もって、不確実な将来に向けて選択しうる手段を議論する前提を提供するのが本旨だから、当たり外れは二義的だ。
いたずらに国民の不安を煽ることは慎むべきだとしても、本来の目的が軽視されたり不鮮明になってよいはずもない。リスクコミュニケーション上の問題があるが、それは主に国民をどう説得するかという、専門家ではなく政治の役割だ。
「対案を示す」の前後の、23④⇒【専門家を安易に批判するのはいただけません…批判だけならだれでもできます】というが、専門家批判は自由だし、それぞれ好きにすればよい。ただし、批判は誰でもできるといっても、批判対象に対する知見の確かさとそれを首尾一貫した立論に仕立てる能力には自ずと優劣差があるから、意味のある妥当な批判と、愚にもつかない批判とがある、というだけのことだ。
そしてそれは対案の有無とは関係ないから、「批判専門ではダメ」ということはない。
48②⇒【中間とは、「ほどほど」とは言っていません】のうち、「ほどほど」(μέτριος)は、「真理は(または「正解」)は中間にある」という「Gクン」氏のテーゼ(θέσις)、謂わば断定(λῆμμα)は、根拠が提示されざる単なる「思い込み」(δόξασμα)にすぎない、という趣旨の私の解釈を分かりやすく説明ために使用したので、以下補説する。
ところで、48③⇒【ゼロリスクでもなく、野放図でもない、その中間(その解は1~99の間にあって、25かも…50かも知れないし75かも…)に最適解があるはず】というもう一つの主張は、正直に書いているのだろうが、前半部分のリクスの問題と、後半部分の真理の基準の論議が一緒くたになって、全体として混乱した主張だ。
前半は感染症対策において、リスクなしに(ἀκίδυνος)、つまり社会経済活動などへのマイナス面の影響をなくすことは不可能だという見解を提示しただけだろう。分科会会長の尾身茂氏はそれを両者のバランス(ἡ ισόρροπία)、「両立(ἡ σύμφωνία)を図ることが大前提」のように表現する。そして[moderate]とは「バランスのとれた」(ισόρροπος)という意味だ。
一方、何の論理的必然性もないという点で、中間に最適解=真理があるという主張は一個の独断にとどまる。そして、真理解明を目指すそれぞれの立論の首尾一貫性と真理とはまた別の問題、即ち前者は推論の形式的整合性にかかわるから「1~99の間にある」という性質のものではなく、後者は事態を成立させている個々の要因の発見を含むアプローチの客観的妥当性の問題で、その検証可能性を含め、中間とは関係ない。暫定性は否定できないが。
思うに、中間とは「他ではあり得ないもの」(τὸ οὐκ ἐνδεχόμενον ἄλλως ἔχειν)という必然性にかかわる真理の基準(κριτήριον)というより、擬似的な真理である実践的領域における人間的な尺度(μέτρον)にすぎない。[完]
マスコミのコメンテーターは、性善説に頼るのはよくない、と言われるが、たとえ、店関係者がみな性善であったとしても、スーパースプレッダーが来店し、エアゾル感染が起こった時、そばの誰かが感染することは防げないと私は思う。問題はその後である。密を避け、いっぺんに大量に感染させない方策、はやく感染者を隔離して、その人たちが他の場所に行って、大量感染させない方策が求められている。つまり、「木をみないで、森をみる」、日本モデルが求められているのである。小池知事は、「西浦モデル」だから、PCR検査を全員にして、店にチェック項目を厳守させれば、感染は0になる、と考えておられるが、Covid19はそういう単純なウィルスではない。もっと狡猾である。多少のもれはしょうがない、大きな感染クラスターを作らないとする「日本モデル」に立ち返るべきだし、この優れた「日本モデル」を周知徹底することこそが、日本に感染爆発を起こさない道だと私は思う。
そして変な例えになりますが、映画の出演者エンドロール風にいいますと「特別出演」(大物俳優の肩書!?)は、 日下部眞一さんです。やはり、父親は、このサイトを開設していて、自由な投稿を許している篠田教授だと思うんですよね。管理人であるブログ主にもそれなりの敬意を表していいのではないか!?と思い、前各投稿をした次第です(いろいろご無礼がありましたらお許しください!) 。
そのように感じられるのは結構ですが、この場でのコメントとしては適切だと思いません。何を以て格付けなどされるのか。。。
普通の人間の習性として、「われわれは誰でも腹を立てる時はいつでも正気ではない」(μαινόμεθα πάντες ὁπόνταν ὀργιζώμεθα)ものだ。そのことがまさに多くの人々を凡俗のままにとどめる。
若いうちは変に気兼ねしたり、失敗を恐れて萎縮したりしないことだ。かくいう私も、前半生は、「自分がよいと思うことはどんなことでも実行した」(ἔπραττεν ἃ δόξειεν αὐτῷ)。
読んでいて思わず可笑しかったのは、55⇒【本サイトの長女格は、カロリーネさん】なる条だ。女性の投稿者は極めて少ないから、本欄で傍若無人に振る舞う執念深い(αὐθάδης)齢70近い老婆が「長女」(ἡ πρῶτη θυγάτηρ)と言えなくもない。ただ、いったんは退場を宣言して、その舌の根も乾かぬうちに舞い戻って来た「出戻り」(ἡ ἀπόπεμψις)だ。
だから、遠慮する(ἀποκεῖσθαι)ことはない。言説は誰が言ったかではなく、言われた内容がすべてだ。幸い本ブログの主宰者である篠田さんは、元々晴朗(εὐθυμητέον)で自由闊達(ἐλεύθερος καὶ ἐλευθέριος)な性だから、「それなりの敬意を表する」ことはもっともだとして、篠田さんに対してさえ、気後れする(ἔκπληξιν παρέχειν)必要はない。
不撓不屈な香港の民主活動家・周庭氏の愛唱する欅坂45『不協和音』の「♪絶対、沈黙しない 最後の最後まで抵抗し続ける」こともまた、「愚者の楽園」化を回避する自由な「ロゴスの精神」(ἡ λόγου ψυχή)だ。
精々精進されたい。
「より良い立論には、強制を伴わない強制力がある」(„den zwangloser Zwang des besseren Arguments“: J. Habermas; „Der pholosophische Diskurs der Moderne“, S. 131)
大体が、本来なら、ブログの主、篠田教授が先生であるはずなのに、篠田教授は、その姿勢を取られず、自由な投稿を許しておられる。反氏の態度は、マスコミ知識人と同じ、いきすぎである。
愚かで不遜な学者に、大胆な主張が外れた場合には、丸坊主にでもなってテレビに出て謝罪して「自分の学者声明は終わりました」と宣言していただいても、Covid19によって失われた人の生命は取り戻せないし、経済、社会生活を止めた結果、失業し、生活が困窮した結果、命を断った人の生命、も取り戻すことはできないことを、強調したい。PCR検査では、「Covid19]に感染していることは「判定できて」も、「感染していないこと」を、「判定できない」のである。
皆様、このコメント欄を「権威主義」とは無縁の、ブログの主、篠田英朗教授にふさわしい、「自由で民主主義の社会、日本」を体現するすてきなコメント欄にするために、がんばりましょう。、
東京、大阪、そして沖縄も、ともにピークを過ぎたように見えます。
暑さに気を付けて体力、免疫力が低下しないように、配慮してください。
【全国人工呼吸器装着件数】168件(13日)165件(12日)155(11日)139(10日)135件(9日)7月15日最小52件
【全国ECMO装着件数】 19件(13日)21件(12日)18件(11日)16件(10日)16件(9日)7月28日最小6件
【大阪府人工呼吸器装着件数】 52件(13日)54件(12日)49件(11日)45件(10日)
【大阪府ECMO装着件数】 4件(13日)4件(12日)3件(11日)3件(10日)
【東京都陽性率】 6.4%(13日)6.6%(12日)6.9%(11日)7.0%(10日)7.0%(9日)7.0%(8日)7.0%(7日)7.2%(6日)7.0%(5日)6.9%(4日)7.1%(3日)6.8%(2日)6.5%(1日); 6.5%(26日)6.0%(19日)6.1%(12日)
【都内重症患者数】 21名(13日)21名(12日)22名(11日)24名(10日)23名(9日)25名(8日)23名(7日)21名(6日)21名(5日)22名(4日)15名(3日)15名(2日)15名(8月1日)16名(31日)22名(30日)22名(29日)
【大阪府陽性率】 9.1%(13日)9.3%(12日)9.7%(11日)10.0%(10日)9.1%(9日)9.3%(8日)9.2%(7日)9.1%(6日)9.1%(5日)9.3%(4日)9.2%(3日)9.3%(2日)9.3%(8月1日)9.9%(31日)10.5%(30日)10.1%(29日)9.8%(28日)9.4%(27日)6.6%(22日)
東京、大阪、そして沖縄も、ともにピークを過ぎたように見えます。
暑さに気を付けて体力、免疫力が低下しないように、配慮してください。
【全国人工呼吸器装着件数】168件(13日)165件(12日)155(11日)139(10日)135件(9日)7月15日最小52件
【全国ECMO装着件数】 19件(13日)21件(12日)18件(11日)16件(10日)16件(9日)7月28日最小6件
【大阪府人工呼吸器装着件数】 52件(13日)54件(12日)49件(11日)45件(10日)
【大阪府ECMO装着件数】 4件(13日)4件(12日)3件(11日)3件(10日)
【東京都陽性率】 6.4%(13日)6.6%(12日)6.9%(11日)7.0%(10日)7.0%(9日)7.0%(8日)7.0%(7日)7.2%(6日)7.0%(5日)6.9%(4日)7.1%(3日)6.8%(2日)6.5%(1日); 6.5%(26日)6.0%(19日)6.1%(12日)
【都内重症患者数】 21名(13日)21名(12日)22名(11日)24名(10日)23名(9日)25名(8日)23名(7日)21名(6日)21名(5日)22名(4日)15名(3日)15名(2日)15名(8月1日)16名(31日)22名(30日)22名(29日)
【大阪府陽性率】 9.1%(13日)9.3%(12日)9.7%(11日)10.0%(10日)9.1%(9日)9.3%(8日)9.2%(7日)9.1%(6日)9.1%(5日)9.3%(4日)9.2%(3日)9.3%(2日)9.3%(8月1日)9.9%(31日)10.5%(30日)10.1%(29日)9.8%(28日)9.4%(27日)6.6%(22日)
夏波もおさまらぬうちに、❝もう、冬波?❞と非難されそうですが、35,49コメントについて考え続けていたので書き加えておきます。
実は、辛坊治郎さんが一昨日、TBS「グッとラック」に出ていて、❝辛坊コロナ論❞を頑張っていました。たまたま、見ていたのですが、一か所だけわたしの見解と違っていたところがあったのです。
違っているとは、その時には感じず、❝なぜ、今度の冬のコロナ危険性を警鐘しないといけないの?❞という疑問でした。
それで、49コメントにつながるわけです。
おそらく、辛坊さんは、❝コロナが冬のオーストラリアで猛威をふるっている❞ので、北半球の国々も❝今度の冬は危ないよ❞と警鐘をならしたのでしょう。
わたしの生物学的感覚では、おそらく、オーストラリアで夏波(彼の国にとっては冬波)に死者が多いのは、❝寒いという環境条件❞が原因ではなく、単に、❝4月波(第1波)が弱かったから冬波で死者が多く出ている❞ということになります。
つまり、❝生物がある地域に侵入すると、どんな物理的疎外条件(ロックダウンなど)があっても環境抵抗が示す閾値まで侵入拡大する❞という❝生態学の原理❞にしたがって考えただけです。
感染症医者、研究者が❝コロナ緊急事態宣言❞で4月波がおさまったと考えているのは、間違いでしょう。
worldometer corona で、累積感染者数のグラフは波打って右上がりですが、累積死者数のグラフはほとんどの国で❝ロジスティック・カーブ❞をえがくわけです。
だから、わたしは❝コロナの冬波は他のインフルエンザと混在した穏便な季節性インフルエンザ波となる❞とすでに、主張していたわけです。もちろん、どうなるにせよ、10月くらいまでには万全の体制を整えておく必要があります。
で翻訳したSpiegel誌の、Irene Barresさんの執筆によるフェーズ3と4も抜粋が根拠となっている。https://www.spiegel.de/wissenschaft/medizin/coronavirus-die-vier-phasen-von-covid-19-a-1bab9807-d869-4e96-8a77-ee8ea01ee02d
Von Irene Berres
06.04.2020, 18:37 Uh
特に危険なのは、その人の免疫システムが病原体をとめられず、ウィルスが肺の奥深く入り、体が酸素と二酸化酸素を血液と呼吸で交換できない時である。免疫システムが病原体を攻撃し始めると肺炎となる。症状が軽い人もいるが、多くの患者の全身状態は、急激に悪くなる。攻撃の反動で、肺胞は液体に満たされ、ガス交換は滞り、十分な酸素が血液に達しないために、二酸化炭素がたまる。酸素不足と闘うために、呼吸が苦しくなり、心臓が強く鼓動する。特に心臓に持病のある場合には、過剰負荷がかかる。また、呼吸が完全にできなくなる。コッホ研究所は、発症から入院まで、平均4日というモデルを作っている。それは、最初にアーヘン大学病院で処置された重症の50人の患者から割り出されたものである。発病から入院まで8日かかることもあった。その他に、Covit19は心臓を侵す場合もある。北イタリアでは、53歳の女性でその前の週に熱と咳症状があり、心筋の炎症を起こした。
今論議されているのは、いわゆるスーパー感染者で、Covid19以外に他のウィルスで侵されている人がいるのである。アーヘンの大学病院では50人のうち4人がそうで、3人に人工呼吸器が必要だった。つまり、Covid19以外に他のウィルスですでに侵されていると、危険度が増すのであって、その細菌の中には、新型インフルエンザウィルスも含まれるのである。両方のウィルスに感染されている、いわゆるスーパー感染者は病状が重篤化するのではないのだろうか。
その為にドイツでは、冬に備えてインフルエンザワクチンを備蓄しているそうだ。
これから特に、❝寒くなるのでコロナが猛威をふるう❞といった、煽り記事や煽りメディアも増えてくるでしょうから、皆さん注意してください。鈴木貴博の記事は、本人が❝ふゅーちゃリスト❞を自称してるようですから、なおさら注意して見ましょう。
彼の第3予言「夏のコロナの死者数は優位に少ないが、11月から2月にかけて死者数は急増する。」 は本当でしょうか?
❝これは医学ではなく統計学的な分析からの予測です。❞と書いているが、❝統計学❞にもならず、単に数合わせ、都合よい数のつまみ食いによる憶測にすぎない。
彼は、ブラジルの例を引いているのだが、ブラジルはコロナ発生源から遠いためか4月初めになってようやく自国におけるコロナ患者の発生が始まったのである。そして、おそらく国土が広いためであろうと考えるがまだ第1波が進行中なのである。この連続性を無視して4月波と冬波にわけて考えているところは、完全に間違いである。彼に言わせると、もっともらしく❝統計分析からの推論ではありますが」❞と書いているが、統計分析以前の数値認識においてすでに間違っているのである。
❝コロナ煽り芸人岡田春恵❞が、羽鳥ショーで今朝、また煽っていた。
メディア露出人間にとっては❝危機はありません、危険性はさほどありません❞というような、発言は商売ネタにはならないのである。わたしみたいに❝感染爆発はぜったい起こらない❞とか❝コロナの冬波は高々季節性インフルエンザなみでしょう❞というような主張は❝煽りがいという自己満足❞とはならないのである。
「正しく恐れ」、そして「正しく準備しよう」。
9日の日経の春秋で、コロナの感染者数などの❝数❞に囲まれた現代社会の悩ましさを述べて、❝数を読む力を手に入れたい。❞と力んで締めていた。
はたして日本経済新聞は❝数を読む力❞が手に入ったのであろうか❓
今日の特集❝正しく恐れて❞なみでは、とても読めてるとは言えない。
❝「第1波」となった今春は、医療崩壊につながりかねない重症患者が急増した。5月初旬には患者全体に占める重症患者の比率が5%台に達した。❞と書いている。5月初旬の患者数は15000人くらいだったから、この時すでにこの20倍くらいの無症状感染者を見落としていたのである。つまり、少なくとも全国で(おそらくは、東京~~~博多の幹線沿い)30万人位の無症状感染者が市中往来してコロナを振りまいていたのだ。この事実を認識できていないことは、つまり、日本経済新聞は❝数が読めていない❞のである。
なんどでも言っているが、4月波と夏波の感染波の内実はかなり異なっているから、感染者数がかかわる数値(この記事の場合は❝重症者率❞)は信用にならない数値なのである。
それにしても「重症者率、第1波の5分の1」と認識できたのには、5点満点で2点くらいは認めようか。
E. フロムの正確な引証か否か怪しい限りだが、60⇒【正反対だった意見の人も、お互いに知識を得て、両者が深い洞察力をもつ】など、お子様道徳レベルの幻影(φάντασις, εἴδωλον=英illusion、仏chimère、西fantasmagoría、独Chimäre)でしかない。
「上から目線」(ὐπερφρονεῖν)云々は単なる「不毛な感情」(ἄπρακτος πάθημα)、つまり僻み(φθόνος)だろう。老婆のようなただの俗物(τὸ πλῆθος=Spießbürger)によくみられる性向だ。
俗論や他者の陳腐な思考の枠組みに囚われず、かといってはるか頭上から見下ろす鳥瞰でもなく、専門家ですら専門とする当該分野を除いては大衆の一人でしかない多数者の視点からではなく、頭一歩抜け出してものごとを観察する視座が大切だと主張しているにすぎない。
あらゆる事柄の総体的認識、批判自体の構造論的(struktural, 構造的=strukturellではない)批判をこととする哲学とは元々そうしたもので、「殺伐非情」(ἀπαραίτητος καὶ ἀγνώμων)と並んで私の謂わば座右の銘である、「哲学者は如何なる観念の共同体の市民でもない。そのことが彼を哲学者にする」(„Der Philosoph ist nicht Bürger einer Denkgemeinde. Das ist, was ihm zu Philosophen macht.“: L. Wittgenstein, „Zettel”, Frag. 455; L.W. Schriften, Bd. 5, S. 380)とは、そうした問題意識だ。
自己の見解と相容れない相手を攻撃し糾弾することをもって「自分の頭で考えること」(Selbstdenken)として、独善と取り違えている老婆との、決定的な違いだ。
議論の内容に関しては情け容赦なく(ὠμῶς)、相手の論点の弱点や破綻をついて、完膚なきまでに、絶滅に等しい批判を加えるのが、理=ロゴス(λόγος)に基づいて、つまり「ロゴスに従って」(κατὰ τὸν λόγον)徹底的に考える「ロゴスの精神」だ。思い遣り(συγγνώμη)など、無用の世界だ。
その程度の覚悟(πίστις)も矜持(μεγαλοψυχία)もない人間が、愚にもつかない泣き言や繰り言、怨み節を並べて、お門違いの言論の火遊びに興じている。
そして、ドイツ語が読める程度で思い上がっている田舎者根性(ἡ ἄμουσος φύσις)剥き出しの狂信家(ὁ μαινόμενος)、「中途半端に愚劣な人間」(ἡμιπόνηρος)が老婆ということだろう。
そうした人間に限ってその時々の都合に限って記憶さえ、コロコロ変わる(ἀσύμφωνος)、まさに節操がない、無定見なἀστάθμητος)浅ましさを露呈する。
「というのも、人間というものは自分の経験に合わせて、過去の記憶をつくり変える。」(οἱ γὰρ ἄνθρωποι πρὸς ἃ ἔπασχον τὴν μνήμην ἐποιοῦν; Thucydides, Historiae, Β. 54. 3)というのは、狂信家に限らず人間自然の性情(ἡ φύσις ἀνθρώπων)だからだが、老婆の場合は、そのご都合主義、見え透いた健忘症ぶりが並外れている。
60⇒【父との議論と同じで、楽しくもないし、時間の無駄だな、と思った…コンサートを控え…練習に集中しなければ、とも思った】は「虚偽体質」ゆえの大嘘(τὸ μήγα ψευδής)だ。
「退場宣言後」48時間と経たない老婆の「出戻り」の事情は以前も指摘した(2019年3月21日・88)ことがあり改めて繰り返さないが、退場(ἡ ἀναχώρησις)の事情は「コンサートの準備」云々などでは全くない。
それは老婆に対する「一通行人」氏による次の投稿が契機で、何をいまさら「しらばっくれている」(εἰρωνεύομαι)のか、それこそ「気がしれない」。
2018年9月3日・58⇒【反時流的古典学徒氏とカロリーネ氏との「議論」?…第三者的に判定するとカロリーネ氏の惨敗…カ…氏は、反論されたことに真正面から答えず全く関係のない与太話の類を延々と…誤字脱字等の形式面の誤りも非常に多く…反省も全くありません…見るに堪えない代物…世の中にはこんな人に議論が成り立たない人もいるんだな~と観察している分には面白い】(2018年8月「北朝鮮問題の行方」の回)に尽きる。
退場の弁は、同9月4日・65⇒【周りを色々見ていて、老害、も確かにある、とも思います。そして、私も老害である、床屋談義である、と批評された以上、私のコメント投稿は、ここで終わりにしようと思います】というだけのことだろう。「老害」(γεραιὸς κακός)を自覚していた分、当時の方がまだ現在よりましかもしれない。
現在と何ら変わらず、未明(04:10)に塩らしいコメントを寄せていたのを、笑止にも頬被りしている。
「復活」(ἡ ἀναπνοή)のきっかけは、2日後の9月6日の未明に北海道胆振地方で発生し、全道で停電に見舞われた大地震の直後。今回のコロナ禍ではないが、世が騒然とすると疼き出す病い(τὸ νόσημα)を抱えているのだろう。
暇つぶしのタネに興じることを「公共の福祉」や「真理の探究」と取り違えることを、気晴らし(divertissement)で憂さを晴らすしかない人間の悲惨(misère de l’homme)という。
狂気は若者より、老人に親和性がある。私は若者に幻想をもたないが、それでもいい年をして思い通りにならないことにイライラしたり(δύσάρεστος)、ヒステリー状態(δυσχερής ἕξις)になっているコロナ狂いの老婆をはじめ、対象と距離をとる(διάστῆναι)ことができない現在の憐むべき年寄り連中を望見して、早くあの世に行った方が恥をかかずに済むのにと思う。
だから、「外よりお前の身にふりかかることが、お前の心を乱して正道より逸脱させているとでもいうのか。とまれ閑暇を生み出し、もって何か善きことを習得してその知識を増すべく心掛け、いたずらに世俗の中を右往左往するのをやめよ。」(第2巻7章=‘Περισπᾷ τί σε τὰ ἔξωθεν ἐμπίπτοντα; καὶ σχολὴν πάρεχε σεαυτῷ τοῦ προσμανθάνειν ἀγαθόν τι καὶ παῦσαι ῥεμβόμενος. ἤδη δὲ καὶ τὴν ἑτέραν περιφορὰν φυλακτέον˙”, II, 7)と戒めたらよい。
最後に、61⇒【大体が、本来なら、ブログの主、篠田教授が先生であるはずなのに】のような資質、超越神アラーへの絶対帰依者を意味するムスリム(muslim)でもあるまいし、篠田さんへの依嘱感情(Abhängigkeitsgefühl)も病膏肓だ。そういうのを奴隷根性(ἡ δοῦλου ψυχή)という。
昨今の篠田さんも素人論議に夢中で、どうかと思う。[完]
まともな思考力のある日本人はそう思うのではないのだろうか。岡田晴恵博士の主張に、独創性はあっても、合理性はまるでない。私は4月8日の時点からSpiegel誌の医学的な知見をよりどころに、私はこう主張している。
http://shinodahideaki.blog.jp/archives/34871520.html#comments
5. カロリーネ
2020年04月08日 06:54
最初のCovid19の兆候を認識することは、大変大事である。WHOによる現在のデータによると、人が一番ウィルスを他人に感染させるのは、病気ではないか、と感じたその最初の時点なのである。感染させるのはウィルスが多くの細胞で増殖し続け、人の自覚症状が始まる1-2日前なのである。つまり、多くの感染者において、その人の免疫システムのウィルスとの戦いが始まる前なのである。今専門家たちは、その割合がどのぐらいか、ということを調査している。例えば、「ダイアモンド・プリンセス号」の場合、ほぼ半数が無症状の感染者であった。そしてそののち、症状を訴えた。少なくとも確実なことは、無症状の彼らがウィルスを感染させることができるか、ということである。発症前48-24時間に感染させる確率が高いという事実を元に、発熱外来ではなくて、接触者外来のままでいい、という主張は、Der Spiegel誌の記事を手掛かりにして、私がずっと主張してきたことであるが、妄想癖のある、神がかり的な主婦のカロリーネの主張として反氏に馬鹿にされ続けてきた。それについて、医学専門のジャーナリスト、Irene Berresが、WHOの見解を交えて、きちんと科学的に論証されている。
岡田博士、小池知事の主張は、だれでも、感染者になる可能性があるから、接触を80%に削減し、熱がある人は、PCR検査をしましょう、であるが、発症前48-24時間の感染者は、つまり、その人の免疫システムがウィルスの闘い始める前は、原則発熱はしないので意味がないのである。こういう思考方法を、合理的な、知的な思考力というのであって、岡田博士や小池東京都知事の思考方法は、それが崩壊し、知性のかけらもない、夢見る夢子ちゃん、「白昼夢の世界」なのではないのだろうか。戦前、神風が吹くから、日本は戦争に勝利する、と声高に叫んだ人と同じ発想法である。
良寛(1758/31)が文政の三条大地震(死者1600人)に出くわしたのは70歳ちょっとのころだ(1828)。その時の手紙に❝死ぬ時節には、、、❞の一節がある。この時の歌が、
うちつけに しなばしなずて ながらへて かかるうきめを 見るがわびしさ
なにか災難が起こるたびに思い返す。
この頃の漢詩に「地震後詩」というのがあって、
己れに慢り(おごり)人を欺いて好手と称し
紫を以て朱となすこと凡そ幾時ぞ
鹿を呼んで馬となし曾て知るなし
大地茫々 皆な斯くの如し
吾れ独り惆悵(ちゅうちょう)して阿誰に訴えん
凡そ物は微より顕に至ること亦た尋常
の一節がある。
ほぼ200年前の、わたしと同じ年頃のときの心境だ。
このあと2年ちょっとで亡くなったことになる。貞心尼と出会ったのは地震の1年ほど前であった。
「歸去來兮」(歸んなんいざ)で始まる3、4行目に「既自以心爲形役/奚惆悵而獨悲」(既に自ら心を以って形〔からだ〕の役〔しもべ〕と爲しつつ/奚(なに)ゆえ惆(おも)い悵(むす)ぼれつつ獨り悲しむや)とある。
惆悵の惆が「うらむ」、即ち「がっかりして凋(しお)れる」謂いで、悵は「うらむ、いたむ」、思いが後に尾を引くことだ。
自ら求めてそこに飛び込んだ役人生活で疲弊した、つまり心=精神をして形、即ち心を容れる形骸=肉体に隷属させてきた、それでなくては生計の道が立ちゆかなかった役人生活、畢竟政治への奉仕に倦み疲れ、その支配に自らの心がおもいむすぼれ曇っていたとの自覚と悲哀だ。
役人生活ならずとも、食うために屈辱に耐えそれに没頭せざるを得ず初志や本来の精神の伸びやかさを失って、多くは隠忍自重の日常を生きることは分限とはいえ陰鬱だ。
愛する家族や守るべきもののため、匹夫は己の私利私欲で生きていくしかない。淵明のように慨歎することすら叶わない。
人間も生物の一つでしかない。半生物のウイルスと根源的には変わらない。
詩人の西脇順三郎は「人間の存在自体模様にすぎない/地球つてあまりいいところではない/なにしろ住みにくいところだ/生殖が終つたらすぐ死ぬといい/豊饒の女神のへそにたまる/けし粒になる方がいい/繁殖は破壊にすぎない」(「天国の夏」、『禮記』所収)と詠んだ。
茫漠たる宇宙、存在の中ではそういうことだろう。人間が滅びても困る生物はない。
盂蘭盆であれこれ想う。人間の偉大さも悲惨も事態の表裏だ。
コロナ禍も自業自得かもしれない。
「已(すで)に往きしときの諫(あらた)むべからざるを悟り/來る者の追(つぐな)うべきを知る/實(まこと)に途に迷うこと其れ未だ遠にあらず/今は是(ただ)しくして昨(きのう)は非(いつわり)なりしを覺(さと)る。」(訓読は吉川幸次郎『陶淵明伝』)
過去は取り返しがつかない。だから「來者」=未来の時間を、自由で真実の生活を回復するために追補する貴重なものとして認識する。
選択の誤りは是正されなくてはならない。もし、それを認識しているなら。「日本モデル」と囃し立てたところで、それが畢竟日本的特殊事情に伴う窮余の選択=彌縫策でしかなかったとすれば。
新型コロナとの戦いが「長期戦」(μάχη μακρὸν χρόνον)とするなら、まだ対応は終点(τέλος)まで至っていないことは幸いだ。人間のすることは過誤の堆積でしかないからだ。
むろん、真実の途、正しい対応策など暗中模索するしかない。時に引き返して、首尾よく危機を回避できたかに見えた緒戦の成果が単なる偶然(τύχη)、僥倖(εὐτυχία)によるものでしかなかったかもしれないと道半ばで、既往の誤りに気づくこともまた幸いというものだ。
何ぴとも「幸福であることを願う」(εὐδαιμονεῖν βουλόμεθα)ことは事実だとしても、「われわれ次第のもの」(τὰ ἐφ᾽ ἡμῖν)ではないウイルスに対して、「正しい理に従って行為すること」(τὸ κατὰ τὸν ὀρθὸν λόγον πράττειν)は容易ではない。
必然的なもの(τὸ ἀναγκαῖον)にかかわる理論的考察(θεωρία)など皆目ない人士が、77⇒【日本のマスコミ、知的にはほとんど崩壊している】などと口真似で嘯く狂態に、つける薬はない。
莫迦は死ぬまで治らない。
OLをしていた時、仕事は問題の解決だ、と感じたことがあった。実際にモノが国境を越えて動き始めると様々な問題が起こる。それを調整して、問題解決していかなければ、売り上げはあがらない。反氏のような、「人生とは」の諦念でや他人への批判だけは、普通の仕事は進んでいかない。要するに、マスコミの人、というのは、外野席から高見の見物で許されるから、批判し、心配を煽っていればすむからそうなのであろう。木村隆さんの書かれた、東洋経済の「部活クラスター」と大騒ぎの人々に映る深い闇 誰が感染してもおかしくないのに責めてどうする、ということを、後先考えない言動が、平気でできる人たちなのである。
その為、思ってもいないところで、大きなクラスターを作り、大量感染が起こるのである。それまで0であっても、スーパースプレッダーの感染者が一人加わることで、その場所で感染者が大量発生する可能性がある、という事実をなぜマスコミはきちんと報道しないのだろう。また感染者のうち、80%は軽症である、という事実もある。そのため、押谷仁教授の「木をみないで、森をみる。」理論ができあがるのである。そしてこのCovid19対策は、現在の「日本モデル」でいい成績をあげているのではないのだろうか。
も、反氏の「ドイツ人はユダヤ人をアウシュビッツで組織的に大量虐殺したから」、政治的に未熟で野蛮である、というものと変わらない。
問題解決は、数学と同じで、正しい公式にあてはめなければ、正解にゆきつかない。マスコミの感染症専門家のあてはめる公式は、尾身茂・押谷仁教授のもの正解に導く公式ではなくて、まったくまとはずれな、まちがった公式にあてはめておられるのではないのだろうか。
私は、高校時代、同級生のスポーツ選手ではなくて、数学の問題をすばらしく解く教師にあこがれた過去をもつので、老婆となっても、どの人の解き方が正しいか、ぐらいはわかる。
東京、大阪、そして沖縄も、幹線地域もともにピークを過ぎたように見えます。福岡も陽性率7%とか言ってましたから、幹線地域の感染状況は同じようなものでしょう。
暑さに気を付けて体力、免疫力が低下しないように、配慮してください。
【全国人工呼吸器装着件数】169件(14日)168件(13日)165件(12日)155(11日)139(10日)135件(9日)7月15日最小52件
【全国ECMO装着件数】 20件(14日)19件(13日)21件(12日)18件(11日)16件(10日)16件(9日)7月28日最小6件
【大阪府人工呼吸器装着件数】 53件(14日)52件(13日)54件(12日)49件(11日)45件(10日)
【大阪府ECMO装着件数】 4件(14日)4件(13日)4件(12日)3件(11日)3件(10日)
【東京都陽性率】 6.1%(14日)6.4%(13日)6.6%(12日)6.9%(11日)7.0%(10日)7.0%(9日)7.0%(8日)7.0%(7日)7.2%(6日)7.0%(5日)6.9%(4日)7.1%(3日)6.8%(2日)6.5%(1日); 6.5%(26日)6.0%(19日)6.1%(12日)
【都内重症患者数】 24名(14日)21名(13日)21名(12日)22名(11日)24名(10日)23名(9日)25名(8日)23名(7日)21名(6日)21名(5日)22名(4日)15名(3日)15名(2日)15名(8月1日)16名(31日)22名(30日)22名(29日)
【大阪府陽性率】 8.7%(14日)9.1%(13日)9.3%(12日)9.7%(11日)10.0%(10日)9.1%(9日)9.3%(8日)9.2%(7日)9.1%(6日)9.1%(5日)9.3%(4日)9.2%(3日)9.3%(2日)9.3%(8月1日)9.9%(31日)10.5%(30日)10.1%(29日)9.8%(28日)9.4%(27日)6.6%(22日)
ただ、出演させるコメンテーターの人選を、少し考える必要があるのではないだろうか?コメンテーターのコメントで、せっかくの真実の報道が、発見が、正しく視聴者に伝わらない。我々一人一人がコロナウイルスに注意しましょう、の月並みな物になる。そうではなくてだいじなことは、我々が具体的に何かに注意をし。なにに、さほど神経質にならないか。ということなのではないのだろうか?
陽射しが高くなるとクマゼミの騒鳴一色だったのが、近頃はツクツクボウシが張り合うようになってきた。着実に、夏が過ぎ去っていっている様子です。夏コロナももう少しの辛抱です。
【東京が悪者なのか?未報道「都内コロナ感染の地域差」を明かす】
医療ガバナンスの瀧田盛仁さんが「幻冬舎ゴールドオンライン」で、都内の感染拡大の様子を示す地図を公開しています。
(1)4月の時点ですでに都内全域で罹患者が出ていたということ、
(2)6月にも都内全域で罹患者が出現しているということ、
(3)7月には、確かに新宿、渋谷の両区は高くなっているが都内全域が1ランクアップしていること、
の3点が注目されるところです。
7月の全域のランクアップは、①人の社会活動が次第に戻り始めたこと、②多湿、長雨でウイルスの伝播機会がふえたこと、③多湿、高温で人の体力、免疫力が低下したことなどが考えられます。
おそらくこのような罹患者の分布状況が、4月ころから東京を超えて、川崎、横浜、横須賀へとつながっているのでしょうし、名古屋近辺、神戸~大阪~京都近辺、福岡近辺へとつながっていたのでしょう。そういうことを思わせる貴重なデータでした。
4月の頃は、感染爆発、感染者の倍増日数が問題になっていたが、篠田教授の主張されているとおり、東京都は最近感染者の人数が倍増しているわけでもない。また、検査数の伸びが尋常ではないから、陽性者の人数が急拡大しているが、日下部眞一教授の毎日掲載くださっているとおり東京都、陽性率6%にほとんど変化がない。
専門家会議のクラスター調査は、クラスター内の濃厚接触者を追っていくのが目的なので、人数は変動があるし、急に多くなることもあるが、東京都の場合、そういうわけでもなさそうだ。もしその意図なら、感染経路不明があれほど多いわけではない。要するに、小池知事の意図は、大変なことが起こっている、と印象操作をして、安倍首相が無能でなにもしていない、ことを印象付けたいという意図、自分はこれだけ頑張っている、という印象操作以外の理由が思い浮かばないが、なさっていることは、全く的を射ていない。こういうタイプの政治家をほんとうに、信頼することができるのだろうか。
ところが、世の中にはそそっかしい一知半解の単細胞(ἁπλοῦς)がいるもので、「コロナ狂い」の偏執狂の老婆のように、死者の霊と向き合うこの盂蘭盆の時期にも意気軒昻というか、狂信家(ὁ μαίνομαι)特有の軽躁さで、早朝から耳障りな空騒ぎ(μάταιος σπουδή)が止まない。
おべっか使い(κόλαξ)の道化者(βωμολόχος)だから、窮余の彌縫策(ἀναγκαία παρασκευή)でしかない日本的な対応について、80⇒【「日本モデル」が、真実の途、正しい対応策だと考えているから、マスコミの喧伝する「西浦モデル」】のような、検証されざる秘儀(τελετήs)への度を越した熱狂、単なる信仰告白と、相容れない見解への敵意しかない。日本モデルと西浦モデルとは、二者択一的な対立関係にはない。
そもそも押谷仁氏の口真似で、新型感染症への日本的アプローチの特性を「木を見て」(βλέπειν εἰς τὸ δένδρον)「森を見ない」(οὐ βλέπειν εἰς τὴν ὕλην)欧米流と明確に分けられると主張するが、内実もよく認識しないで、あたかも魔女狩り(ἡ κυνηγία φαρμακίδα)的な発想で、その探索と隔離に躍起になっている一人で大量の一次感染者を生み出すsuperspreaderなるものが、老婆の主張=定義通りなら、それこそ「森」(ἡ ὕλη)ではなく「木」(τό δένδρον)そのものであることに気づいていない。
「大規模クラスター」という森を生み出すのは、一次感染者を生み出さないか感染させても少数にとどまる特定の個人とは明確な差をもたない(少なくとも固有の遺伝子特性など有意な差が解明されていない=5月29日の専門家会議記者会見で押谷氏が明言)、しかし感染連鎖の起点(ἀρχὴ)にはなる(一人で大量の一次感染者を生み出す)特定の個人としてのsuperspreaderではないことを、老婆は何ら理解していない。
要するにsuperspreaderとは、superspreadingな現象を生み出す「場の特性」=三密要因の関与を表現しているにすぎず、老婆のような、恣意的な拡大解釈こそ、新型感染症の実態について正確な認識を欠き、肝腎なことを取り違えて莫迦騒ぎしている、ということになる。
なぜなら、superspreaderを発見するためには際立った伝播上の特異性を発揮する特定の個人を発見しなくてはならない理屈で、それこそ「森を見る」のではなく、「木を見る」追跡調査を徹底させなくてはならないからだ。
ところが、老婆は81⇒【Covid19は、感染者の吐き出した息…を吸い込んだ人がエアゾル感染…スーパースプレッダーを隔離しない限り】とか、81②⇒【スーパースプレッダーの感染者が一人加わることで、その場所で感染者が大量発生する可能性がある】のような逆の発想の妄言に終始する。
感染は飛沫や接触もあって「エアロゾル」感染に限らないし、幽霊のようなsuperspreaderを「森を見て」発掘することは、至難の業だ。
メディアの事実認識が特段誤っていたり、そうと認識していながら故意に報道していないわけではなかろう。
とにかく、Der Spiegelではどうのこうのと、「ドイツ狂い」が昂じて自分の理解の範囲内で都合のいい新型コロナ像を作り上げて、愚にもつかない論理と小児並みの幼稚な文章で、クズ投稿を書き散らしている。
さらに、特異な条件、範囲でしか機能しないともみえるクラスター対策の有効性を過大評価し、偽陰性だけに着目してPCR検査を過小評価して、バランスを欠く自らの新型コロナ像を現実のコロナ論議にもち込んでいる。
そうした戯けた法螺話が、82⇒【「日本モデル」を批判する感染症の専門家たちには、Covid19ウィルスの特性がわかっていない】で、肝腎なことを何も理解せず、篠田さんのお先棒を担いで逆上せ上がっているただの阿呆は、老婆の方だろう。
82②⇒【問題解決は、数学と同じで、正しい公式にあてはめなければ、正解にゆきつかない】も笑止で、一部解明され共通認識となっている知見を除けば、新型コロナについて、対策全般に当てはまる公式など、現在も存在しない。
ご都合主義で、幼稚な「数学」云々をもち出す莫迦さ加減を、得と自覚することだ。
1,000万人規模の国内市中感染を前提に、このところの感染再燃を「PCR検査偽装拡大」と説く日下部氏の見解を援用するのも滑稽で、老婆は市中感染など存在しないと一貫して否定してきたことに何ら言及せず、86②⇒【検査数の伸びが尋常ではないから】のような特定要因に偏した見当違いな理由で、小池氏が政治的な策を弄している(ἐπιβουλεύειν)という陰謀論(Παρασκευή λόγος)にいきなり飛躍する。
現在の感染をつくり出しているウイルスは、先に新宿エピセンター説を提示した児玉龍彦氏や、それを大筋で追認する結果になった国立感染症研究所の遺伝子解析結果でも明らかな通り、第一波で主役を務めた欧州系統株が6塩基変異した新タイプとされており(突然変異速度は24.1塩基変異/ゲノム/年=1年間で24.1回の変異を想定)、感染研は、流行が収束しきらなかった感染者群を起点として6月中旬から「突然顕在化」し、同月下旬以降、第一波で最多の感染者が確認された東京だけでは収束せず「全国拡散へ発展してしまった可能性が推察された」としており、経済活動の再開も要因に挙げている。
つまり、検査増やクラスター調査の不徹底だけが主要因でないのはほぼ明らかで、政治陰謀説のような婆さんの寝言は通用しない。メディアもその程度は押さえた議論をしている。
「知的に崩壊」しているのは、元々知性(νοῦς)に無縁な老婆の方だろう。[完]
だからこそ、篠田英朗教授のような、まっとうな学者が、勇気をもって、持論を繰り広げられていることに、私は、一縷の期待をもち、応援したくなるのである。
トランプ大統領は、今、自分の所属する共和党からの攻撃も受けていて、彼は、「リンカーンプロジェクト」をも恐れなければならない、という記事である。リンカーンプロジェクトとは、アメリカの共和党員を含む有識者が、「government of the people, by the people, for the people」演説をしたリンカーンにちなむ、つまり、アメリカの民主主義を守るためのプロジェクトで、7月から中頃から、開始していたものであるそうであるが、その具体的なヴィデオをみると、示唆に富む、現在のアメリカ社会の断面を映しているものであるだと思うので、紹介するhttps://lincolnproject.us/video/。皆様の視野を広げるのに、役立てば、嬉しい。
どの観察数も頭を打った様子がうかがえます。しばらく天井が続くのか、漸減していくのか、しばらく天井が続けば夏波による被災は4月波の死亡者数の5分の1、漸減していけば死亡者数10分の1くらいが予測されます。
感染爆発は起こらず、夏波は4月波の5分の1から10分の1くらいの波ですみそうです。
暑さに気を付けて体力、免疫力が低下しないようにコロナ夏を乗り越えましょう。着実に、秋のおとずれを感じます。
【全国人工呼吸器装着件数】173件(15日)169件(14日)168件(13日)165件(12日)155(11日)139(10日)135件(9日)7月15日最小52件
【全国ECMO装着件数】 21件(15日)20件(14日)19件(13日)21件(12日)18件(11日)16件(10日)16件(9日)7月28日最小6件
【大阪府人工呼吸器装着件数】 54件(15日)53件(14日)52件(13日)54件(12日)49件(11日)45件(10日)
【大阪府ECMO装着件数】 5件(15日)4件(14日)4件(13日)4件(12日)3件(11日)3件(10日)
【東京都陽性率】 5.9%(15日)6.1%(14日)6.4%(13日)6.6%(12日)6.9%(11日)7.0%(10日)7.0%(9日)7.0%(8日)7.0%(7日)7.2%(6日)7.0%(5日)6.9%(4日)7.1%(3日)6.8%(2日)6.5%(1日); 6.5%(26日)6.0%(19日)6.1%(12日)
【都内重症患者数】 23名(15日)24名(14日)21名(13日)21名(12日)22名(11日)24名(10日)23名(9日)25名(8日)23名(7日)21名(6日)21名(5日)22名(4日)15名(3日)15名(2日)15名(8月1日)16名(31日)22名(30日)22名(29日)
【大阪府陽性率】 8.5%(15日)8.7%(14日)9.1%(13日)9.3%(12日)9.7%(11日)10.0%(10日)9.1%(9日)9.3%(8日)9.2%(7日)9.1%(6日)9.1%(5日)9.3%(4日)9.2%(3日)9.3%(2日)9.3%(8月1日)9.9%(31日)10.5%(30日)10.1%(29日)9.8%(28日)9.4%(27日)6.6%(22日)
ヨーロッパでは、1975年にむすばれたヘルシンキ宣言(Helsinki Declaration)またはヘルシンキ合意(Helsinki Accords)によって、「全欧安全保障協力会議(Conference on Security and Cooperation in Europe:CSCE)」が設立され、この全欧安全保障協力会議にはアルバニアを除きソ連を含めたヨーロッパ33ヵ国、アメリカ、カナダの計35ヵ国の首脳が参加した(そして全参加国が同文書に調印)ことで、平和が維持されたのである。体制が違っても、平和、友好関係は維持できる。
「反中国」を煽るのではなくて、ヴァイツゼッカー演説にある「親中国」、日本も、中国と協力して、東アジアに、ヨーロッパのこのプロセスを取り入れるべきだと思う。トランプ大統領の「反ー」は間違っている。
特に、安田菜津紀さんの「未熟な主張」、彼女のような人が専門家といえるのか、と思うが、先の戦争に突き進んだ責任をすべて戦前の政治家に押し付けて、戦前のマスコミ、自分たちの先輩の責任を認めない、あるいは、男性に押しつけて、戦争をすることが正義であるかのように主張した女性、の責任を考えない一面的な主張は、わかっているのか、と思ったし、ふと、少女時代の母のことを思ったが、今のCovid報道の大本営発表と同じように、日本のマスコミ報道に日本人が扇動された面も多いのである。
つまり、Covid19問題にしろ、この戦争責任問題にしろ、日本のメデイアの伝え方が、異常に偏っているから、問題が健全な方向に解決しないのである。勉強不足も本当にいい加減にしていただきたい。
TVメディアも❝コロナねた❞や❝徴用工ねた❞に飽きたのか、静かである。
興味深いのは、ハンギョレが伝えている、南朝鮮のコロナ感染増加だ。
彼の地も❝54日間続いた歴代最長長雨❞らしいので、いままではコロナも低迷していたのかもしれない。
南朝鮮も梅雨が明けたらしいので、これから1か月ほどは、コロナが元気になるかもしれない。注意して観察しよう。
東京都の新型コロナウイルスに関する諮問機関(専門家会議)の正式名称は「東京都新型コロナウイルス感染症対策審議会」ですが、同審議会の会長は東京都医師会の猪口正孝副会長であり、大曲貴夫・国立国際医療研究センター 国際感染症センター長は平の委員です。マスコミ報道も確かに誤報はありますが、カロリーネ氏の方が遥かに間違いだらけなのです。
https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2020/04/10/documents/27_01.pdf
カロリーネ氏は、大曲氏がウイルスが弱毒化したと結論付けたとする根拠を挙げていないため何を根拠にカロリーネ氏がそのように判断したのかは全く不明ですが、下記の記事では、「大曲氏は、これらの要因(政府解釈注・医療機関で高齢者施設などでの感染防止策の徹底等による高齢者のクラスターの減少)に加え、ウイルスの「弱毒化」の影響についても「十分あり得ることだ」との認識を示した。また免疫を持つ人が増加する「集団免疫」の形成によって「徐々に発症しても軽症化していく」可能性に関しても、「十分考えられる話だ」と述べた。ただ、こうした見方については、「もう少し、具体的な事実を見ながら科学的に検討し、判断するというのが慎重な態度だ」とも語った。」と記載されています。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-08-13/QEZDWNDWLU6L01
上記記事によれば、大曲氏は、ウイルスの弱毒化については一つの仮説として「十分あり得る」と述べたもので決して結論を出したわけではありません。カロリーネ氏が大曲氏の発言を誤解して不正確に紹介し不正確に理解をもとに的外れな批判をしているに過ぎないように思います。反時流的古典学徒氏が再三に亘り指摘している通り、カロリーネ氏は単に「独り相撲」をしているだけなのです。
まずはカロリーネ氏自身の発信内容を予め充分にファクトチェックすることが先決かと思いますし、他人の説を紹介する場合にはその発言内容を正確に理解した上で正確に内容を紹介をする必要があるように思います。
現実はその反対だ、と主張しているのが篠田英朗教授や私なのである。
アランの
「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志によるものである。気分にまかせて生きている人はみんな、悲しみにとらわれる。否、それだけではすまない。やがていらだち、怒り出す。」(93.誓わねばならない)を思い出した。
補足すると、
「希望は、平和や正義みたいに、望みさえすれば実現できるほどのものの上に築かれるのだから、これを保持するにも意志に頼るしかないのだということを。それに対し、絶望は、どっしりと構え、絶望しているというただそれだけの力でひとりでに強められていく。」(68.楽観主義)
自戒したい、とっても素晴らしい一節があった。
「憂鬱な人に言いたいことはただ一つ。「遠くをごらんなさい」。憂鬱な人はほとんどみんな、読みすぎなのだ。人間の眼はこんな近距離を長く見られるようには出来ていないのだ。広々とした空間に目を向けてこそ人間の眼はやすらぐのである。夜空の星や水平線をながめている時、眼はくつろぎを得ている。眼がくつろぎを得る時、思考は自由となり、歩調はいちだんと落ち着いてくる。全身の緊張がほぐれて、腹の底まで柔らかくなる。」(51.遠くを見よ)
映像の世紀「三人の独裁者」ムッソリーニ、とヒトラーとスターリンを見て、「国際協調」の観点がなく、国の政治指導者どおしが覇権争いをすると、世界は、民衆の生活は悲惨になる、とつくづく思った。3人とも、理想郷づくりの「夢」がある。秀才であったムッソリーニは、落ち目であったイタリア社会においての「古代ローマ」の復興を、ヒトラーは、ユダヤ人の作り上げた金優先の「金融資本主義」ではなくて、ワーグナーの描いたドイツ民族が先導する「愛の世界」を、スターリンは、弱者に目配りをした「共産主義」の世界を、それぞれがそれぞれの考える「理想郷を作ろう」とし、彼らのカリスマ性に大勢の人がついていくのであるが、自分の意を通す為に独裁となり、意見の違う人を迫害し、覇権争いのための、血みどろの戦いをする。
なお、カロリーネ氏の投稿について言えば、細部に留まらずに根本的な誤り、論理矛盾、論理法則無視が多数存在していることは反時流的古典学徒氏が再三に亘って指摘してきたとおりであり、本ブログの読者にとっては争うようもない「公知の事実」なのです。
TVメディアで見かける感染症関連の医師、評論家はコロナがあたかも❝強い意志❞でも持っているかのように❝コロナの感染拡大❞とか、❝コロナを抑え込むには❞とか、さながら❝コロナ制圧❞の十字軍気取りである。
わたしは、新型コロナの場合、どれほど免疫概念が成立するのか疑わしいと思っているので、❝新型コロナと人との親和性❞という言葉を使うようにしているのだが、これからどんな動態をえがいていくのか?
先走るが、❝冬のコロナ❞のことばかり考えている。
南アフリカがコロナニュースで話題になっていたので、南半球のことだし、検討してみた。
ブラジルと同じく、コロナ発生源から遠いためか5月初めに感染者が出始めていてピークは過ぎたようだが、まだ第1波は沈静化してないようだ。死亡者も結構出ている。今までのところ、
人口 5940万人 感染者 583653人 死亡者 11677人
英国にくらべると、被災は3分の1にすんでいます。沈静化終わりまでにもう少し増えたにしても、英国に比べて、高々、半分くらいにすむかもしれません。
南アフリカの冬は5月から8月だそうで、平均気温は0~15℃くらいだそうだ。そうすると、❝冬のコロナは危ない❞というのは今のところ根拠ないのかもしれません。
また、誰も総論としては反対し難い抽象的な理念を呼び掛ける(唱える)だけでは当然のことながら平和は実現しないのです。
なお、トランプ大統領の自国(アメリカ)第一主義が批判的に評価されることが多いですが、これ自体は国家として当然のことを述べたに過ぎません。
それにしても、未明の午前4時台に始まって、既に午前中で11件で、それでも足りず昼過ぎに4件である。莫迦さ加減にもまして、比類ない無知蒙昧ぶりを発揮して狂犬のように浅ましく吠えている偏執狂の老婆がいる。狂信(τὸ αύθάδης)即ち狂気(μανιῶδες)は倦むことがないのだろう。
魔女狩り気分のsuperspreader論議などその典型で、、ダイヤモンドプリンセス号では、老婆にかかると一人で700人を超す一次感染者を生んだことになるらしい。
それは三密空間に代表される感染伝播が起きやすい場、状況のもつ働き(ἔργον)、つまり機能(δύναμις)を実体(οὐσία)と取り違える、即ち実体化する(βεβαιοῦν τῷ ὄντι)、独立存在化する(χωριστὰ ποιεῖν)という誤謬で、単に感染を増幅させる機能(superspreader現象)をもって、あたかも特定の個人であるsuperspreaderが前もって存在しているかのように取り違えている。
要するに思考力(διανοεῖσθαι ῥώμη)、理解力(καταμανθάνειν ῥώμη)の問題で、知性とも呼べない憐れむべき低劣な(μοχθηρός)お頭しかもち合わせてはいない老婆には、何を言われているのか、見当もつかないことかもしれない。
東京都の連日の新規感染確認者の公表をもって、お門違いの類比の論理で、先の大戦中の大本営発表になぞらえる判で押したのような紋切り型の認識や措辞をはじめ、当時のメディアにも全く責任がないとは言えないが、91⇒【「日本人が戦争をすることが正義だ」、とマスコミが煽った結果、日本国民が戦争に突き進んでしまった】というのは、主客転倒、つまりメディアによる戦意高揚は副次的要因であることを没却している。
プロパガンダ、宣伝工作といい、洗脳と称したところで、その主体となるのは国民の意を体した国家または特定の指導者であって、権力の監視を主張する一方で国民に媚び(κολακεύειν)、阿り(θωπεύειν)、諂い(ὑπέρχεσθαι)、追従する(ἀρέσκω)、つまり太鼓持ち(κόλαξ)でありご機嫌とり(ἄρεσκος)、虎の威を借りるこけおどし(θρασύδειλοι)はできても、戦争を主導する力などメディアにはない。
もっとも今回のコロナ禍を、昨日15日が「終戦の日」とはいえ、すぐに戦前の当局の愚劣な戦争指導に短絡させる飛躍した思考は、老婆の非難する左翼的見解のもち主と立場こそ違え、硬直的な、教条的な資質において老婆も同類で、何ら変わるとことはない。コインの表裏のようなものだ。
それにしても、いかに「左翼紛い」とはいえ、101冒頭は、【左高信】ではあるまい。「佐高信」氏だろう。あまりに莫迦莫迦しいのは、特別区の世田谷のトップが、選りにも選って「蜘蛛の巣の張った」お頭のもち主の老婆にかかると、保坂展人「知事」になるらしい。東京都には知事が二人いることになる。
ことほど左様に、老婆の誤謬は、単なる表記や肩書などの事実認識においてさえ間違いだらけ、その水準は気違いじみている。
superspreaderの位置付けでも、早とちりした「ファウチ解任」でも、過大評価でも過小評価でもないPCR検査の正確な理解でも、政府解釈氏が指摘するウイルスの「弱毒化」仮説でも、老婆の混乱した議論を数え挙げれば切りがない。取り消しようのない表記の間違いと同じ程度に、老婆の議論の中に途方もない間違いが潜んでいる蓋然性が極めて高いことが透けて見える。
暇にあかせてトチ狂ったように量産される幼稚な文章といい、「クズ」投稿たる所以だ。
お頭が低劣だと、居直りの口上も稚拙で、愚劣な素人論議しかできない分際で「識見の差」など喋喋し、「弱毒化」仮説には何の関係もないのに、篠田さんを引き合いに出して、106②⇒【現実はその反対だ、と主張しているのが篠田英朗教授や私なのである】のような狂態を演じ、いかれた「道化者」ぶりを発揮している。
108⇒【日下部教授のコメントに希望がわいた。そして私も書こう】――は、昨夜見たテレビ番組を枕に他愛もないお子様政治論をしたいだけの話で、ほとんど何の脈絡もない。老婆の他愛もないおしゃべり(ὁ γραός ὕθλος)たる所以だ。
腹立ち紛れか調子に乗ってか、脳内に狂気の火花でも散るのだろう。眺めている分にはただの「阿呆」の遠吠えにしかみえない。「大曲貴夫」⇒「大曲喜夫」の突然変異は癇癪もち(ἀκρόχολος)の婆さんらしい発作的反応で、挙句が113⇒【私の言う国際協調とは、音楽の概念】――猛暑より質の悪い心中の狂熱も、「虚偽体質」特有の想念ゆえか、尋常ではないのがよく分かる。
いい年をして少しも自分を知らず、我を忘れて他を語る「道化者」は世に珍しくないが、本欄の婆さんの愚行はさしずめ、以下の通り。
「世の中には、みんなの役に立つよう莫迦げたことを言ったりしたりするだけが取り柄だから、その行いを変えたら何もかもおしまい、という人物がいる。」(‘Il y a des gens don’t tout le mérite consiste à dire et à faire des sottises utilement, et qui gâteraient tour s’ils changeaient de conduite.’; La Rochefoucauld, Maximes, 156)
莫迦が移るから、この程度にしておく。[完]
当事者の政府解釈さんでもないのに、横からすみません。
>政府解釈氏は、言葉を文字通りしか取れない、つまり些細なことばかりを気にして、肝心なことがつかめない人なのだ、といつも感心するが
いくらなんでもこれは酷すぎるでしょう。
しかもその後に続くのは、政府解釈さんから具体的な指摘をお受けてもなお聞く耳を持たない、「・・・との解釈もなりたつ。」なんて言って再反論に代えようとしている、ただの老婆の妄想でしかないです。
最近は見かけなくなりましたが、デパートのおもちゃ売り場で仰向けにひっくり返って「あれ買ってぇー!」と手足をバタバタさせている幼児の喚き声であって、これを「強弁」というのも「法螺話」というのも「道化者」というのも、 117の反時流的古典学徒さんはカロリーネさんを褒めすぎです(笑)
しかし、それにしても、私よりはお若いと思われる政府解釈さんの冷静な対応には頭が下がります。馬齢を重ねてきただけの我が身が本当に恥ずかしいです。
「反中国」、「親中国」という点では、私は桜井よし子さんと意見が違うが、メデイアがきちんと事実関係を伝えない、という点では、私は、桜井よし子さんと同意見なのである。大曲氏のウイルス弱毒化仮説もその延長線上にある。
「ドイツでは、PCR検査を、いつでも、どこでも、なんどでもしている。」と野党の厚労族の長妻昭議員が述べられていたが、それはバイエルン州だけのことで、それをドイツ、という言葉を使うことによって、日本のPCR検査は少ない、日本政府はなっていない、というイメージ操作をしているのである。すべてその調子だから、「日本モデル」のすばらしさは認識されないし、あたかも日本の安倍首相が無能であるかのような世論がつくられるのである。マスコミが煽った結果、国民が戦争に突き進んでしまった、というのはよくあることで、旧ユーゴスラビア紛争がそうだし、古くはルターの宗教戦争がそうだ。ドイツで活版印刷が発明されていなければ、ルターは闇に葬られ、あの戦争はなかった。
また、私をこれだけやれ、虚偽体質だ、誇大妄想狂だとたたいて、私がやり返したら、酷すぎる、などというのは、はっきり言って、甘えなのではないのだろうか。大人になれば、批判は批判として、受け入れる度量をもたなければ社会はわたっていけない。安倍首相をはじめとする大人たちは、どれだけの悪意のある批判に耐えておられるのだろう。
何をどうやり返した積りでおられるのでしょうか。
笑ってしまいましたが、甘えているのはカロリーネさんでしょう、恥を知らないからですかね。
119のようなことを言っていたら、「・・・ルターは闇に葬られ、・・・」などと言っていたら、貴女の大好きなドイツからも顰蹙を買うでしょう。また「私がやり返したら・・・」と、ご自分では批判したと思っているらしいが、貴女の「やり返し」は論点外しの暴言・放言ですので、相手には批判として受け取られていません。論理の上でも文脈の上でも批判になっていないということです。勝手に一人相撲を取って、勝手にこけていると言われているのです。それも理解できていないということです。
119⇒【どこが妄想…社会心理学を勉強されたことがないのだろうか】は、老婆特有の虚勢ゆえのはったり(βαναυσία)だ。「社会心理学」が聞いて呆れるというもので、メディアが社会、戦争に及ぼす影響、戦争の誘因となるような強固な社会的強制力について、具体的な論証が皆無だ。
メディアが「事実関係を正確に伝えない」云々は、言論の自由という前提があって、社会心理学的なテーマというより、民主制社会におけるメディアの役割、つまり媒体としての公正性や中立性、透明性と同時に、世論形成上は自由な選択が許容される独自の見解や政治的立場の表明、「社会の木鐸」としての機能に加え、企業体としての経営戦略も絡むから、当局の情報を伝達するだけの公聴・広報機関ではない以上、程度問題だろう。
しかも、放送法上の許認可を得た半独占的利益を享受する放送と、新聞や出版の違いもある。
PCR検査に関するイメージ操作と称して、冒頭でこけおどし(θρασύδειλοι)のように「社会心理学」云々のような論点ずらし(μετάβασις εἰς ἄλλο γέννο)を行い、結局は満足な論証など何もない大風呂敷な議論でお茶を濁すのは、老婆のごまかし以外の何ものでもない。
社会心理学というより、生まれつきの嘘つきで、度を越した自己愛に終始する偏執狂の老婆の深層心理、異常心理の解明こそふさわしいだろう。
逆に、常に慎重な姿勢を崩さず、論調も抑制的で、言葉遣いも折り目正しい政治解釈氏と比較して、「通りすがりの老人」氏が義憤を抑えきれなかったように、クズ投稿16件を含め、老婆が異様なのである。
「日本モデル」の評価が一致しないのは、社会心理学なテーマではない。政府のリスクコミュニケーション能力の問題で、権威主義体制ではないのだから、根強い異論があっても不思議はない。
旧ユーゴの内戦は、複雑な民族構成とカトリック、東方正教会、イスラム教が混在する宗教事情、労働者の自主管理による独自の社会主義建設を主導したクロアチア出身のティトーの死後の集団指導体制の綻びに経済不振が重なって民族対立に発展したもので、メディアの影響というより、構造的問題が内乱に発展したただけのことだ。
宗教戦争に、ルターはともかくメディアの影響など聞いた試しがない。ルターがドイツ語に翻訳した聖書や著述、つまり思想を普及させるのに、ルターの誕生以前に死んだグーテンベルクが考案した活版印刷術=メディアが大きな役割を果たした点は事実だが、識字率も低く、宗教戦争へのメディアの影響は極めて限定的だ。
ルターはカトリックに対抗して信仰の内面的自由を主張し、それを庇護する反ローマ教会勢力の思惑も加わって新たな教派を確立したが、ルターの教えを「再洗礼主義」にまで拡張したT. ミュンツァーやそれに結びついて自らの解放を訴えた農民戦争に対してルターは激しく批判して領主側の利益を代弁する結果となったし、ツヴィングリやカルヴァン派との対立、危機感から立て直しに動いたカトリック側の反攻もあって結局、その改革運動がドイツに齎したものは民族の結束ではなく、かえって激しい内部対立に伴う混乱だった。
内乱はルターの死後、1555年のアウグスブルク宗教和議によって一旦は収まったが17世紀に入って再燃した三十年戦争によって国土の荒廃と小国分立を決定的にした。メディアの影響など皆無に近い。
119③⇒【私がやり返したら】というが、政府解釈氏は相手にもしていない。
横から口を挟んだことは重ねてお詫びしますが、そもそも98で貴女が「弱毒化の結論を出したのは、東京都の専門家会議の座長、大曲貴夫センター長なのであって」とおっしゃったことに対して、政府解釈さんが104・105で反論されたことに対し、「政府解釈氏は、言葉を文字通りしか取れない、つまり些細なことばかりを気にして、肝心なことがつかめない人なのだ」と暴言で答えたことが問題なのです。
メディアが事実関係を伝えないという点には私も同意しますが、「桜井よし子さんと同意見なのであるメデイアがきちんと事実関係を伝えない」に続けておっしゃる「大曲氏のウイルス弱毒化仮説もその延長線上にある」とは論理的につながりません。
もし、つながるとすれば、105で政府解釈さんが言及されているブルームバーグが誤報を流しているということですが、貴女はその点については触れていません。
106では「「十分あり得る」と主張しているということは、「弱毒化」していることも視野に入れて対策をとっている、」とおっしゃいますが、「弱毒化していること『も』視野に入れて対策をとる」ということは「感染力強化・強毒化した場合のことを考えていない」ということにはなりませんよ。
「弱論強弁」にも至らない「幼児の喚き声」はもうたくさんです。
どの観察数も頭を打ちました。
この1週間が熱夏のピークでしょうから体力、免疫力が低下しないようにコロナ夏を乗り越えましょう。着実に、秋のおとずれを感じます。
感染爆発は起こっていません。
【全国人工呼吸器装着件数】170件(16日)173件(15日)169件(14日)168件(13日)165件(12日)155(11日)139(10日)135件(9日)7月15日最小52件
【全国ECMO装着件数】 20件(16日)21件(15日)20件(14日)19件(13日)21件(12日)18件(11日)16件(10日)16件(9日)7月28日最小6件
【大阪府人工呼吸器装着件数】 49件(16日)54件(15日)53件(14日)52件(13日)54件(12日)49件(11日)45件(10日)
【大阪府ECMO装着件数】 5件(16日)5件(15日)4件(14日)4件(13日)4件(12日)3件(11日)3件(10日)
【東京都陽性率】 5.9%(16日)5.9%(15日)6.1%(14日)6.4%(13日)6.6%(12日)6.9%(11日)7.0%(10日)7.0%(9日)7.0%(8日)7.0%(7日)7.2%(6日)7.0%(5日)6.9%(4日)7.1%(3日)6.8%(2日)6.5%(1日); 6.5%(26日)6.0%(19日)6.1%(12日)
【都内重症患者数】 25名(16日)23名(15日)24名(14日)21名(13日)21名(12日)22名(11日)24名(10日)23名(9日)25名(8日)23名(7日)21名(6日)21名(5日)22名(4日)15名(3日)15名(2日)15名(8月1日)16名(31日)22名(30日)22名(29日)
【大阪府陽性率】 8.1%(16日)8.5%(15日)8.7%(14日)9.1%(13日)9.3%(12日)9.7%(11日)10.0%(10日)9.1%(9日)9.3%(8日)9.2%(7日)9.1%(6日)9.1%(5日)9.3%(4日)9.2%(3日)9.3%(2日)9.3%(8月1日)9.9%(31日)10.5%(30日)10.1%(29日)9.8%(28日)9.4%(27日)6.6%(22日)
西村大臣の説明によれば、5月3日時点で、一応Covid19の抑え込みに成功したが、感染は0にはならない。これからも、感染者は、増えたり、減ったりするだろう。日本の得意な、世界のどの国もやっていない日本の「クラスター対策」で、感染爆発をしないように抑え込む、と大臣が、日本の国の方針を明確にされているのであって、「いつでも、どこでも、だれにでも」方式でPCR検査を増やすことや「ロックダウン」的な接触削減で、感染を抑え込む。」などということは、国の方針として、西村大臣は一言もおっしゃっていないのである。
それをあたかも、そうしない日本の対策が無能で無策だ、と主張しているのがマスコミなのである。それを含めてメディアが事実関係を伝えない、と主張しているのである。「集団免疫」の形成によって「徐々に発症しても軽症化していく」可能性https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-08-13/QEZDWNDWLU6L01、にしろ、国際的な知見で、「集団免疫」ができるかどうかもまだわからない、実際に実験した結果できない可能性がある、とされているCovid19に関して、根拠のまるでない楽観的な見通しを発言される動機は、「「日本モデル」vs「西浦モデル2.0」」争いの余波で、日本が誇る「感染症」の専門家、尾身茂・押谷仁さんを無能扱いして、ご自身の知見、「東京都のモデルに統一したいせい」ではないのか、と主張しているのである。
とにかく、若い人に告げたいことは、マスコミの人がしているような、ささいな表面的なことを針小棒大にして与党の政治家を批判したり、糾弾するのではなくて、その発言や説明や真意をよくきいて、ものごとの本質を、真理を探る努力をしてほしい、ということである。
日本の昭和初めの戦争への歩みも、野党のしかけた、マスコミが応援した政争から始まっている。どういうプロセスで戦争になったのか、をよく勉強し、理解してほしい。日本国内に武器があったから、軍隊があったから、戦争になったのではないのである。
そして、接触を断つ結果いろんなデメリット、特に高齢者の場合鬱、体力低下、認知機能の低下が起こるのではないのだろうか。現在は、病院に入院させることだけでも、そのリスクを考えなければならない、というご時世である。
その危険についての記事がコロナ禍で-老化が進む人-が激増しかねない訳-感染恐れて外出減り体力-食欲-気力が低下https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E7%A6%8D%E3%81%A7-%E8%80%81%E5%8C%96%E3%81%8C%E9%80%B2%E3%82%80%E4%BA%BA-%E3%81%8C%E6%BF%80%E5%A2%97%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%AD%E3%81%AA%E3%81%84%E8%A8%B3-%E6%84%9F%E6%9F%93%E6%81%90%E3%82%8C%E3%81%A6%E5%A4%96%E5%87%BA%E6%B8%9B%E3%82%8A%E4%BD%93%E5%8A%9B-%E9%A3%9F%E6%AC%B2-%E6%B0%97%E5%8A%9B%E3%81%8C%E4%BD%8E%E4%B8%8B/ar-BB181cH5?ocid=msedgdhpに載っている。
政策を考えるとき、コロナのことだけを考えるのではなくて、さまざまなことに注意を払う広い視野が求められているし、そのための、尾身茂さんが提唱された分科会なのではないのだろうか?その中に、おかしな発想の、独裁的な専門家が入り、マスコミを多用して、分科会をハイジャックすると、すべてが水の泡になる。
この減少のうち、どれくらいが❝コロナ恐怖❞によるものか、今のところ推定手法を考えつかないのだけど、惨憺たる思いがめぐる。
❝ただのコロナ❞で対応していたら、これほどまでにはならなかっただろうに、
人災はほとんど受けなかったが、この落ち込みはとうてい挽回できるほどのものではなかろう。
貴女の8月9日の98で、「客観的な歴史の真実に目を向けてほしい」と述べています。ところが、8月17日の129では、「これが現在ドイツの歴史観であって…」と、違う側面から述べています。歴史の真実を客観的に認識できるのですか?それとも歴史は、出来事の解釈としての歴史観でしかないのですか?
貴女にとって、この二つの表現に整合性があると思われますか?
整合性があると言われるなら、その理由を開陳してください。
神経症の一種であるパラノイア(paranoia=παρανοία)と、私が「コロナ狂い」の老婆を評して偏執狂(παράνοια)、パラノイア気質(ὁ τρόπος παρανοίας)と称する擬似的症状は必ずしも同一ではないが、時折、最近は頻繁に、完全に「いかれている」(παρανοεῖν, παραφρονεῖν=be mad)と思わせる言辞が目立つ。
パラノイアの語源は、ギリシア語で[παρανοεῖν][παραφρονεῖν]と、いろいろ同義語があれど、最初の動詞[παρανοεῖν〔不定法、直接法単数現在は[παρανοέω]〕]=パラノエインとは、原義は思い違いをする、錯覚する、誤認する[think amiss, misconceive, misunderstand]に加え、気を狂わせる、正気を失う[to be deranged or senseless, lose one’s wits]状態、つまり、何かに取り憑かれた正常な判断ができない状態を指す。
そして、形容詞形の[παρανοητέον] =パラノエーテオンは、正常な分別を逸脱した人物[one must deviate from accurate thougt]を指し、名詞形の[παρανοησις]=パラノエーシスと同じ名詞形のパラノイア=[παράνοια]は、端的に錯乱、狂気[derangemet, madness]である(以上はA Greek-English Lexicon, by H. G. Liddell & R. Scott, rev. by Sir H. S. Jones with the assistance of R. Mckenzie, 1968, p. 1319)。
我を忘れて(ἀσχολεῖσθαι)正気を失った(οὐ φρονεῖν)、少なくとも常軌を逸した(οὐκ ἀκόσμως)、正常な思考を逸脱した状態で(ἐν τοῖς λόγοις)ということになる。
老婆の反論の名に値しない見苦しい言い訳や泣き言や被害妄想でしかない怨み言に加え、それに窮すると逆切れして、自分の間違いを棚に上げ感情的、攻撃的な反応に終始する。
独りよがりの狂信的な思い込みや信奉する対象への度を越した傾倒を表明することはあっても、それを冷静かつ説得的な論理で説くことができない。
貴女の言う歴史の客観性とは、時代とともに変わるということを認めている訳でしょう!歴史観が時代と共に変わることを認めているのですから。
歴史の真実は、「協力して見つけ出す努力・・」と言います。誰もが納得する真実は見つかるのですか?
98と129の発言に、整合性があるかとの問いに、応えていませんね。またも論点ずらしですよね?
そこで被害妄想(παρανοία=Beeinträchtigswahn)である。あらかじめ断っておくと、私は「コロナ狂い」の「虚偽体質」の老婆の精神状態を、精神医学でいうパラノイア(Dementia paranoides=妄想性痴呆症)と同一視しているわけではない。ただパラノイア患者(Paranoiker)に指摘される一般的兆候と、老婆が実に多くの共通性をもっていると観察して、興味深く思うだけである。
精神分析の創始者フロイトに、『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析学的考察』(„Psychoanalytische Bemerkungen über einen autobiographisch beschriebenen Fall von Paranoia(Dementia paranoides)“, 1911)という著名な論文がある。そこには、老婆が度々指摘する迫害妄想(Verfolgungswahn)に関する記述もある。
はったりで「社会心理学」など喋喋する割には、老婆は自身について何も知らないことがよく分かる。
フロイトの説くところでは、パラノイア患者には一般神経症患者とは異なる際立った特性、特異性(Eigentümlichkeit)が認められるという。それは、他の神経症患者が秘密として隠しているもの(無意識)を、「歪曲された形で」(in entstelleter Form)で自ら漏らす点だという。だから、患者に対して「内面の抵抗を克服せよ」(Überwindung ihrer inneren Widersände)と説く必要はないわけだ。
本欄の老婆も実におしゃべりである。私はそのコメントを「老婆の他愛もないおしゃべり」(ὁ γραός ὕθλος)とするのは、故なきことではない。齢70近いとはいえ、脳軟化症(Hirnerweichung)という懸念はない。幻覚性妄想状態(halluzinatorischer Wahnsinn)もなさそうだ。
しかし、神経錯乱(Nervensturz)を思わせる兆候が時にないでもない。
フロイトが紹介するパラノイア患者の妄想に関する主治医の報告書には、次のように記述されている。
「患者の妄想体系は、自分が世界を救済し、人類に失われた幸福を、再び取り戻すべき使命を帯びていると信ずる時に絶頂に達した。彼の主張によれば、ちょうど予言者から教えられるように、神から直接与えられる霊感によって自分はこの使命を課せられたのであった。……彼の救済事業の最も本質的な点は、何よりもまず、彼自身の女性への転換(Verwandlung zu Weibe)が行わなければならないという点にある。」(„Das Wahnsystem des Patienten gipfelt darin, daß er berufen sei, die Welt zu erlösen und der Menschheit die verloren gegangene Seligkeit wiederzubringen. Er sei, so behauptet er, zu dieser Aufgabe gekommen durch unmittelbar göttliche Eingebungen, ähnlich wie dies von der Propheten gelehrt wird; …… Das wesentlichste bei seiner erlösenden Mission sei, daß zunächst seine Verwandlung zu Weibe zu erfolgen habe.“; Sigmund Freud, Gesammelte Werke, Vol. VIII, S. Fischer, 7. Aufl. 1973, S. 248)
老婆に世の動向を何とか変えたい、それによって自らも思うに任せぬ逼塞状況から解放されたいという救済妄想(Erlöserwahn)、妄想コンプレックス(Wahnkomplex)は存在するかもしれないが、報告書の脱男性化妄想(Entmannungswahn)に相当するものはさすがにないだろう。ただ、被害妄想が迫害妄想や誇大妄想につながっている可能性はあるのかもしれない。
そこで、妄想形成(Wahnbildung)の出発点というか、特異な思考形成(Gedankenbildung)の萌芽となった要素を検討する必要があることになる。
とんだ見当違いなりに老婆が抱き、投稿に躍起になる独善的な一種の使命の根拠(Berufungsbegründung)が何かは措いて、その妄想的表現(wahnhafte Äusserung)の背後に考えられるのは、マルクス主義者で、老婆のさまざまな葛藤(konflikt)が投影(projizieren)され、感情の基調(Gefühlston)を形成する役割を果たしているらしい父親の存在だ。それは、老婆の感情生活の形成に、父親コンプレックス(Vaterkomplex)として大きな影を落としているのかもしれない。
例えば、老婆が相手の批判、非難に対して、相手が使った同じ言葉をそのまま返すという子供じみた作法、謂わば「幼児のしっぺ返し」(infantile Retourkutsche)をフロイトはパラノイアの表現目的(Darstellungszweck)を満たすものとみるが、「今は亡きわが父」(mein seliger Vater)のことを老婆が言及する度に、自我の防衛機制としての抵抗(Widerstand)という形に姿を変えた抑圧(Verdrängung)が覗く。パラノイアの特質(der paranoische Charakter)だろう。
そして、フロイトが自体愛(Autoerotismus)から対象愛(Objektliebe)に移行するリビドー発達の一段階と位置づける自己愛(Narzissismus)は誰にでもある現象だが、異常に長い間その段階に留め置かれ、のちの発達段階でも固着点(Fixierungpunkt)として残存させている人間もいて、老婆のような擬似「パラノイア性疾患」(paranoische Erkrankung)を生む。
歴史の客観性など、歴史を構成する視点からみて虚妄という点にすら思い足らない幼児が無邪気に歴史を語る(134)のも、パラノイア現象だろう。[完]
「どこか正気を失った人間に誤謬のたねとならないような真理というものは恐らくこの世にはない。」(‘Il n’y a peut-être point de vérité qui ne soit à quelque esprit faux matière d’erreur.’; Maximes 32, Moralistes Français, Œuvres de Vauvenargues, F. Didot, 1836, p. 516)
人間は、神ではないので、真理がなにかはわからない。けれども、謙虚に、真理を追求して行くのが、学問のすがたなのである。それがわかれぼ、オウム真理教が、邪道であること、はわかるはずだし、その考えがベースで西洋は、中世から、近代になるのである。
日本の戦争責任についても、70年談話のとき、満州事変を侵略戦争ではない、と発表してほしい、というお願いをした専門家がおられたようであるが、客観的に見れば、日本が、その裁定を不服として国際連盟を脱退したことが、世界大戦の誘因になっている。国際協調、を乱す元となっている。こういう主張も、専門知識はあっても、大局観のない、国際感覚のなさ、客観性のなさ、を如実に表している、と思うが、それに追従しているマスコミの思考回路は、どうなっているのか、と老婆カロリーネは、疑問をもっているのである。
どの観察数も頭を打ったことには異常はありません。
感染爆発は起こらず、どの観察値も頭を打っています。
人工呼吸器装着数も頭を打ったままです。
日本経済新聞のコロナHPが、❝陽性率は上昇中❞で通してきたのを、
やっと❝東京都で検査を受けた人数に占める陽性者の割合(陽性率)は8月14日は5.9%だった。5月下旬は1%未満だったが、現在は6%前後で推移している。❞ と、書き替えました。
沖縄も新規感染者数がピークを過ぎて4~5日していますので、ここ数日が辛抱の時です。
体力、免疫力が低下しないようにコロナ夏を乗り越えましょう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f0af755e46eeba60842da5d40e12eed92e8385e7
このような妄想はカロリーネ氏の平常運転なので全く驚きませんが、コメント92の「世田谷区知事」には以前の「トランプ首相」と同様に流石に仰天いたしました。