新型コロナの感染が広がって、緊張感が広がってきている。他方、10ヵ月ほどの経験があり、以前よりも落ち着いてきたところもあるように感じる。
立場の違いによって懸念点をことさら強調したがる人もいれば、逆の人もいる。新型コロナ問題を見る姿勢が、左右の政治イデオロギー対立と結びついてきている傾向も顕著になってきた。二極分化社会の構造が、新型コロナ対策への見方にも影を落としているアメリカの姿を、いたずらに後追いしないように気を付けたい。
現在の状況の深刻度は、重症者数が医療能力に影響を与える水準になってきたためである。これについて医療施設受け入れ能力(地域間協力)の問題として考えなければならない。他方、毎日の新規陽性者数のニュースは、必ずしも同じ性格の問題ではない。一日当たりの新規陽性者数が「史上最高」とか「二日連続で〇〇人以上」などの「煽り系」の見出しには、あまり意味がない。
私は統計屋ではなく、専門家でも何でもない。奇抜なことを言おうとも思わない。ただ、「煽り系」に人たちの無責任な言説に翻弄されるだけの人生は送りたくない。そこで少しだけ常識を働かせてデータを見ることにしている。それだけでも、だいぶ「煽り系」の人たちに惑わされなくて済むようになる。
新型コロナの新規陽性者数に関して、最初に確認しておくべき常識のポイントは以下の通りのはずだ。あくまでも常識の話だと思うが。
1. 新規陽性者数を観察する最大の目的は、増減の大きな傾向を見ることである。
2. 曜日による偏差が出ることは織り込み済なので、7日移動平均(週平均)を見る。
3. 新規陽性者数の数字のトレンドは、1~3週間程度の前の時点の感染のトレンドである。
すでによく知られている常識の話なので説明は不要だと思うが、念のため確認しておこう。第一に、新規陽性者の絶対数は、検査数の従属変数なので、絶対値だけを見ていても評価ができない。見るべきはトレンドである。
たとえば、市中に100人の感染者がいるときに1日で200人と倍増した場合と、199人の感染者が1日で200人になった場合とでは、同じ200人でも、感染スピードが全く違う。より深刻なのは、前者の場合であり、後者の場合ではない。
「感染者学の専門家で日本医科大学特任教授の北村義浩氏」が、140人だった累積重症者が11月に410人になったことをもって、「1週間ごとに倍々」のペースだ、などとテレビで発言したらしい。「https://news.yahoo.co.jp/articles/09d2145cb020c0204548f6d3c2e8def1176eae91 意識的か無意識的か知らないが、「煽り」だと言わざるを得ない。1週間で倍増するペースとは、140人が11日程度で410人をこえるペースだ。4週間あると、2,240人に達しなければならない。
実際には、10月に150人程度だった数が11月に160人から410人になったので約4週間で310人増えて2.9倍になった増加率である。全く同じスピードで増加したと仮定したら、一週間あたり1.31倍程度の増加率である。
北村教授はただ「毎週140人ずつ増えて3週間強で3倍程度になったように見える」と言いたいだけだったのと思われるが、母数が日々変わっていく対象物の計算の方法に関する常識を欠いた言い間違えでだったと言わざるを得ない。
第二に、一日当たりの絶対数で一喜一憂すべきではない、ということは、常に週平均(7日移動平均の一日当たり新規陽性者数)を見なければいけない、ということである。週末に検査数が少なくて、平日の後半に検査結果がたくさん出てくることに文句を言っても仕方ない。単に慣れてしまえば、それでいい。
第三に、政策介入の効果が新規陽性者数に反映されてくるのは、1~3週間たってからである。今行い始めた政策の効果は、1~3週間たたないと、見えてこない。たとえば、11月9日に政府分科会が緊急提言を行い、尾身茂・分科会会長が記者会見を行った。この効果が出るとしたら、今、見えてきているはずである。
本来であれば、実効再生産数の速報値があるともっとトレンドは見えやすいのだが、正式な実効再生産数の計算は複雑であるため、各種公開サイトで値が出てくるまでに何日も時間がかかるのが歯がゆいところである。素人が、暇を見て計算を済ませるものとは言えない。
そこで暫定値として、週単位(7日移動平均)の増加率の比較をしてみると、だいたいの傾向はつかめる。以下が最近の全国の新規陽性者数を使ったサンプルである。
日付 |
新規陽性者数 |
直近一週間の陽性者数 |
7日移動平均 |
前日からの増加比 |
直近一週間の増加比 |
10/30 |
769 |
4553 |
650 |
101% |
120% |
10/31 |
868 |
4703 |
672 |
103% |
119% |
11/1 |
606 |
4821 |
689 |
103% |
121% |
11/2 |
482 |
4902 |
700 |
102% |
121% |
11/3 |
868 |
5121 |
732 |
104% |
121% |
11/4 |
607 |
5004 |
715 |
98% |
115% |
11/5 |
1049 |
5249 |
750 |
105% |
116% |
11/6 |
1137 |
5617 |
802 |
107% |
123% |
11/7 |
1302 |
6051 |
864 |
108% |
129% |
11/8 |
938 |
6383 |
912 |
105% |
132% |
11/9 |
772 |
6673 |
953 |
105% |
136% |
11/10 |
1278 |
7083 |
1012 |
106% |
138% |
11/11 |
1535 |
8011 |
1144 |
113% |
160% |
11/12 |
1623 |
8585 |
1226 |
107% |
164% |
11/13 |
1704 |
9152 |
1307 |
107% |
163% |
11/14 |
1723 |
9573 |
1368 |
105% |
158% |
11/15 |
1423 |
10058 |
1437 |
105% |
158% |
11/16 |
948 |
10234 |
1462 |
102% |
153% |
11/17 |
1686 |
10642 |
1520 |
104% |
150% |
11/18 |
2179 |
11286 |
1612 |
106% |
141% |
11/19 |
2383 |
12046 |
1721 |
107% |
140% |
11/20 |
2418 |
12760 |
1823 |
106% |
139% |
11/21 |
2508 |
13545 |
1935 |
106% |
141% |
11/22 |
2150 |
14272 |
2039 |
105% |
142% |
11/23 |
1513 |
14837 |
2120 |
104% |
145% |
11/24 |
1217 |
14368 |
2053 |
97% |
135% |
11/25 |
1930 |
14119 |
2017 |
98% |
125% |
11/26 |
2499 |
14235 |
2033 |
100% |
118% |
11/27 |
2530 |
14347 |
2049 |
100% |
112% |
(小数点切り下げ、11月27日新規感染者数は暫定値)
一進一退が続いているという言い方もできるし、最悪の時期は通り過ぎているかもしれないという言い方もできる。いずれにせよ尾身分科会長が「緊急提言」を行った11月第2週に増加が激しく、11月12日木曜日に前の週の同じ曜日の164%増という高い増加率を見せていた。その後は増加ペースを落とし、11月27日には112%となった。
なお東洋経済オンラインは、簡易計算方式で11月26日時点での全国の実効再生産数を1.13と計算しながら、だいたい同じような傾向を示している。
私は決して、新型コロナ対策は必要ない、などと言いたいわけではない。むしろ逆だ。重症者数が医療機関を圧迫し始めているのは確かなようだ。新規陽性者数の高止まりは、医療機関に対する圧迫を重くし続ける。尾身分科会会長が言っているように、全国を少なくともステージ2に十分に押し戻すことが必要なのも確かだろう。
他方、国民の努力の意味を判定することは、意欲を喚起するために、非常に重要である。いたずらに扇動的に脅威認識を高めることだけが、新型コロナ対策ではない。
最近の新規陽性者の拡大傾向の中で、西浦博教授が頻繁にメディアに登場するようになった。11月25日には「報道各社のインタビューに応じ『都市部で感染者が指数関数的に増加している』と述べ」たという。https://www.tokyo-np.co.jp/article/70490/ しかし、上述の全国的傾向は、大都市部でも見られている傾向である。もし、「指数関数的拡大」という概念の意味が、「週の後半になると『一日の最高値』を記録することが何回か続く」、という程度のことであれば、西浦教授は正しい。しかし、それでは、単に「まだ減少傾向に入っていない」ということと「指数関数的拡大」が、同じ意味になってしまう。
11月17日にGoogle AIによる4週間の新規陽性者数と死者数の予測が公開されるようになった。大変に良い企画だと思う。重要なのは、それから10日の間だけでも、実際のデータをふまえた修正が施され続けていることだ。AIが絶えず修正を加えながら、一つの予測を出してくれるのは、参考情報として有益だ。
人間の「専門家」だったら、一度出してしまった予測を守るのに、心理的に必死になってしまう。挙句の果てに、説明を施すこともなく、都合の悪い過去の言動を誤魔化すか、隠すか、してしまいがちだ。その点、こだわりがないのが、AIのいいところだ。
トレンドには、変更不可能な大きな幅がある。拡大基調にあるところで、急に数を半減させることはできない。市中に存在する感染者の数によって、感染拡大の傾向は相当に規定されるからだ。
他方、感染は人間のなせる業であり、可変的な要素も相当にあるはずだ。そのことも冷静に理解していきたい。
そのためには、われわれ人間も、AIのように冷静にデータを見ていきたい。将来に向かって可変的な幅を見極めて、可能な努力をしていくために。
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とにかく、日本国憲法を、独特な解釈をするのではなくて、普通の日本語の読解力で素直に読もうとしないところが、政府解釈氏の非常識さなのである。「統帥権干犯」問題もそれで起こったのである。
本来、その教訓に学び、賢明な、良識ある法律家は、憲法の条文を素直に読むべきなのである。東大系憲法学者は、曲解がすぎるのではないのだろうか。特に、日本国憲法は理解しやすい日本語で書いてあって、ラテン語で書いてあった聖書、文語でかいてある大日本帝国憲法とは違う。わざとわかりにくい用語を多用されるのは、哲学者反氏に似ているが、その動機は反氏と同じ、知的虚栄心なのではないのだろうか。
ラ・ロシュフコーに、「美徳は、川の流れが大海に消え失せるように、我欲(利害)の中に消え去る。」(‘Les vertus se perdent dans l’intérêt.comme les fleuves se perdent dans la mer.’; La Rochefoucauld, Maximes, 171)とある。
それにならって言えば、政府解釈氏が精確に指摘しているように、第一義的には対立する法益の調整原理である「公共の福祉」(εὐτυχία κοινὸν)を、一種の美徳、つまり、あたかも「魔法の杖か玩具」(μαγευτικός ῥάβδος ἤ παίγνιον)のようにみなして笑止で愚劣な「お子様法律論」を展開する精神の幼児(ὁ νήπιος τῆς ψυχῆς)である偏執狂の老婆、しかも度を越したコロナ狂いの「幼児型強弁」(ὁ κρείττω ποιεῖνπ αίοδος)は凄まじく、狂信家の精力というのは、底知れない。
乳癌もその狂態に相手が悪いと恐れをなして退散すればよいのだが、なかなかそういかないのが、この世の皮肉なところだ。
71⇒【私の文章の不手際な引用を「窃盗だ」と指摘する人には、人間としての常識が欠けている】も要領を得な日本語による戯けた言いぐさだ。
それが、私が指摘済みの、直近では前回11月27日・103、全体の84.47%をコピペで切り貼りした老婆の「盗稿」を指すなら、【私の文章の不手際な引用】は、→【私の文章にある、引用符が一つもなく自らの文章と引用部分の区別が明確でない規格外の引用もどき】の誤りだろうし、他人の文章を84.47%も黙って借用するのは、どう贔屓眼に見ても無断借用、つまり「盗み」(ἡ κλοπτή)だろう。
その程度の分別を齢70近くになっても老婆がもち合わせていないから、非常識なのであり、他人によって自らに向けられた措辞をそのまま返すから、幼児性強弁になる。老婆以外には説明を要しない簡単な道理だ。
普通の真っ当な人間は、老婆のような投稿はしない。老婆にはない、良識があるからだ。
ついでながら、カロリーネ氏は「良識」や「常識」といった不確定概念を好んで多用していますが、他人のブログ記事を出所も明示せずに転載することは「良識」も「常識」も欠如した行為であり、著作権法で刑事罰の対象とされている行為です。
恥を知ることだ。
そうした点から検分すれば、69も戯けた莫迦話だ。中ほどの⇒【製薬大手米ファイザーと独バイオ製薬大手BioNTechは11月9日、開発中の新型コロナウイルス・ワクチンのフェーズ3臨床試験について暫定結果を発表。被験者数万人に対し、90%以上の確率で感染を防ぐ効果が示されたと公表した】の部分は引用符なしのコピペによる切り貼りで、コピペをしないと、以前に老婆本人が図らずも吐露したように、文章が書けないらしい(9月11日 05:12・207⇒【記憶力が優れた方ではないので、コピペをしないと…文章が書けない】)。
そうでなければ、コピペで嵩増ししないと、余りに怠惰だから、一気に投稿欲が失せるのだろう。何度指摘されても革まらないのは、もはや習い性となって老婆の心性に食い込んでいるからだろう。有体に言えば、病気(τὸ νόσημα)だ。そして、度を越した狂信(τὸ αύθάδης)がそれに拍車をかける。
この場合の狂信とは、老婆が信奉する「真理」なるものの別名(τὸ ἄλλος ὄνομα)で、「どこか正気を失った人間に誤謬のたねとならないような真理というものは恐らくこの世にはない。」(‘Il n’y a peut-être point de vérité qui ne soit à quelque esprit faux matière d’erreur.’; Vauvenargues, Maximes 32)ということになる。
ところで、米国製薬大手のPfiser社がドイツのBioNTech社と共同開発した新型コロナワクチンが、この11月10日付のニュースサイト記事(Sustainable Japan)だけからは、感染を予防するワクチンという基本的側面に加え、重症化抑止にも効果的か否かは判断しようがない。
いずれにしても、岡田晴恵氏は自他共に認める感染症学の専門家であるからには、ワクチンの各層試験に関する、単なるプレスリリースやニュースサイト記事ではない、その論拠などを提示した専門論文を読んで発言している可能性は大きく、感染予防に加え、重症化リスクの回避にどの程度効果が期待できるかを含めて精査しているはずで、老婆のように、一つの記事を、しかも断片的な素人読みを根拠に愚劣なお子様論議をするほど愚鈍でも世間知らずでもあるまい。
それを、連日テレビ漬けで暇をもて余している婆さんが、放送とほぼ同時に、直情径行的に投稿して狂犬(μανικός κύων)のように騒々しく(μετὰ θορύβξου)一人芝居に興じている。「阿呆」としか、言いようがない。
いずれにしても、焦慮を募らせている割にはご気楽なものだ。それなのに、如何にも修養が足りないから殺気立っている。
今回の28日・4の冒頭部分で、前回末(128)の日下部翁の引いた新訳聖書『マタイによる福音書』の一節、「明日のことを思ひ煩ふな」(‘μὴ … μεριμνήσητε εἰς τὴν αὔριον’; Κατα Μαθθαιον, VI. 34)の口真似などして笑止この上ないが、そういう見当違いの人間に限って、75~77のような金魚の糞のような投稿を平気でする。
蜘蛛の巣だらけのお頭同様、胸中にも「糞」(ἡ κόπρος)のような、臭気の凄まじい妄執が渦巻いているのだろう。[完]
‘Les défaults de l’esprit augmentent en vieillissant, comme ceux du visage.’ ;La Rochefoucauld, Maximes 112.
あす2日から死んだ父の従弟の通夜、葬儀・告別式と続くので日中は呑気に投稿もできないが、前回末尾に「精神の疵(欠陥)は、顔の疵と同じこと、老いるにつれて、ひどくなる」(La Rochefoucauld, Maximes 112)と添えた通り、老婆の憐むべき、驢馬並みのお頭だと、自ら理解不能なことは、すべからく「知的虚栄心」(77)になるらしい。人が皆老婆程度だと考えたらとんだお門違いで、田中美知太郎は、人間は学歴や財力の多寡、美醜、出自以上に、魂の程度における格差のほうがはるかに大きいと指摘している。
学問や精神的修養、職業や社会的経験に伴う苦労が、そうした人間性をどれだけ矯めるか、人それぞれ心掛け次第とも言えるが、問題はその自覚のない、生まれたままの粗野で剥き出しの思い込みに生きる偏執狂の老婆のような人間が、「人間のクズ」(φορυτός ἀνθρώπου)にも等しい狂態を繰り返して愧じる様子もないのは、その度を越した狂信のなせる業だろう。
パスカルはそれを、「人間は、天使でも、獣でもない。そして、不幸なことには、天使のまねをしようとおもうと、獣になってしまう。」(前田陽一訳=‘L’homme n’est ni ange ni bête, et le malheur veut que qui veut faire l’ange fait la bête.’; Pensées, Frag. 358)と説く。
ナイーヴ極まる善意という名の狂信が、人をして天使(ἄγγελος)ならぬ獣、豚(ὁ χοῖρος)にしてしまう悲喜劇は老婆に著しい。
齢70近くまでその自覚なしに生きてきた凡庸の塊、間抜けなおしゃべりな婆さんということでしかないが、政府解釈氏に対する僻み(ζηλοτυπία)、妬み(φθόνος)は相当なもので、自分が理解できないか否かが物事の判断の基準になると思い込んでいる点で、世間知らずの典型だ。
海外留学経験など、その莫迦さ加減を増幅させるだけでしかないことをよく示している。
‘Les esprits médiocres condamnent d’ordinaire tout ce qui passe leur pertée.’; La Rochefoucauld, Maximes, 375.
「三密の回避」を主張したのは、専門家会議の尾身・押谷ペアーで、小池知事ではない。なぜ、彼女を流行語大賞のヒロインにしてしまうのだろう。確かに、彼女はあのような発言もされたが、彼女が主に主張したことは西浦教授と組んでの、[stay home]、「接触8割削減」で、マスクをして、三密の場所を避ければ、外出をしてもいい、と主張し、ロックダウンをしなかった尾身・押谷ペアーと小池・西浦コンビは対極の主張をしておられるのである。どうして、民放は小池知事によいしょするのだろう。また、反氏の主張通り、岡田晴恵氏が自他共に認める感染症学の専門家にふさわしく、ワクチンの各層試験に関する、単なるプレスリリースやニュースサイト記事ではない、その論拠などを提示した専門論文を読んでおられるのなら、なぜ毎日毎日、あのような愚かな主張をし続けたのか、NHKの番組には出演されないのか、反氏は、説得力のある解答をすべきである。
Pille gegen Corona? Pharmaforscher testen neue Medikamente - DER SPIEGEL
J. Blech 27.11.2020 1800
コロナの錠剤、薬理研究者が新しい薬剤をテスト
一番コロナウィルスを攻撃するのに適した場所はどこだろう?Sars-CoV-2は、人の細胞内に侵入し、この細胞を支配下に置く。細胞はプログラム化され、ウィルスの遺伝子物質とそのウィルスの為のたんぱく質を製造することを強制される 永久に新しいウィルスの部分になるたんぱく質を。このウィルスの増殖の極めて重要な役割を果たすのが、あるたんぱく質分解酵素、或る酵素、たんぱく質を分断する酵素である。
ウィルスの増殖をいろんな段階で分断できるが、多くの研究者がたんぱく質分解酵素が最良のターゲットだ、と考えている。「これが、ウィルスのライフサイクルにおける私の大好きな出発点でした。」とM.Dittmannさんは述べる。「ウィルスはタンパク質分解酵素を細胞に入った直後に必要とする。そして、もしたんぱく質分解酵素がなければ、そのサイクルは、ウィルスが増殖を始める前に、すぐに停止してしまう。」
この研究に、Pfizer, Novartis, 日本からもタケダなど、多くの薬品会社の社員が携わっているそうである。そして、時間を無駄にせず、二重に仕事をしないように、協力しながら仕事を進めているそうである。この仕事が成功すれば、コロナウィルスは人の体内で増殖できないから、結果的に、コロナ感染者も減り、重症化も防げる。世界の国際協調による研究者の奮闘に期待したい。
Carova-20 が吠え出すと、知性も理性もやせ細る。完全な環境汚染である。少しは生物学の基礎教養もあれば有効だろうが、どこかのいかがわしい新聞か週刊誌の❝Das BaBaaa spiegel❞とかうるさいこと極まりない。
できるだけ、冷静にコロナと思想信条の自由についてまじめに語ろうとしているのだから、60歳以上の片足を棺桶に突っ込んだ人間はつつましやかな発言をせい❢❢❢
若い人たちの未来を祝福できるゆたかな心を持ち合わせていない人間は去れ❢❢❢
新型コロナ治療の最前線に立つ国立国際医療センターの感染症専門医、感染症専門医・忽那賢志氏によると、重症者数の伸びは想定を上回る勢いで、医療逼迫への懸念が高まっているという。
日下部眞一氏のこの冬で「一山3,000人死亡」説は確定的となりかねないどころか、悪くするとそれを相当程度上回る可能性も皆無ではなさそうだ。
私はこの間、スウェーデンの感染拡大がどの程度で推移するか注目してきた。なぜなら、再び感染の急拡大で苦慮する欧州にあって、北欧諸国など一部を除いていったん収束して以来のスウェーデンの安定ぶりが際立っていたからだ。
同国の集団免疫策の方針については、国外から疑問視や批判的な見解が大勢を占めるが、当の国内世論は支持者の方が多い。第一波で多くの死者を出したのは主として高齢者施設の入所者の集団感染が原因であって、しかも人工呼吸器などによる延命措置に、死生観からも国民が積極的ではなく、そのため施設内での集団感染で大量の犠牲者を出したことについて、衝撃をもって受け止められたにしても、国民の批判は政策転換を促すほどには至らなかったからだ。
大方の国民が政府の対策を支持しているなら、他国があれこれ批判しても仕方ない。その後の安定ぶりからみて、いち早く集団免疫を達成でき、一足先に感染拡大の脅威から脱却でき、しかも社会経済活動への悪影響を比較相対的に抑えることができれば、一つの選択肢ではあったろう。
しかし、事はそう一直線に首尾よくはいかないようで、この1カ月間で次の表が示すように倍以上(2.10倍)に急拡大した。
季節性要因のインパクトは、スウェーデンでも例外ではなかったようだ。死者の伸びは横ばいから上昇基調で1カ月間で860人積み上がったから、1日平均で28.67人死んだ計算になる。このまま上昇が続くようだと深刻だ。
☆7月8日現在
(順に致死率, ☆累計感染者,★死者,*10万人当たり感染者/死者, 末尾は人口:単位千人)
▽スウェーデン7.43%(☆73,344←★5,447=*730.78/54.27)10,036.4
▼日 本4.73%(☆20,174←★980=*16.33/0.77)126,860.3
◆ドイツ4.59%(☆198,399←★9,103=*237.56/10.90)83,517.0
☆11月1日現在
▽スウェーデン4.78%(☆124,355←★5,938=*1,239.04/59.16)
☆12月1日現在(22時)
▽スウェーデン2.61%(☆260,758←★6,798=*730.78/67.73)
▼日 本1.44%(☆148,694←★2,139=*117.21/1.69)
◆ドイツ1.58%(☆1,071,560←★16,917=*1,283.04/20.26)
つまり、新型コロナ感染症は未だに現在進行形で、今後の推移がどうなるかは、特にスウェーデンのような安定性を示していた国でも、他の欧州諸国に遅れて一気に急拡大したことから推して、日本だって冬の劈頭でこの体たらくだから、先が見通せない点では同じ状況なのだ。その場しのぎの、日本モデル的対応など、何の期待もできない。
「神意はさまざまの姿をとりて、顕われ、神々はさまざまの思いもよらぬことを遂げたもう。思い設けしことは成らずして、思い設けぬことを神は成らしめたもう」(‘πολλαὶ μορφαὶ τῶν δαιμονίων, / πολλὰ δ᾽ ἀέλπτως κραίνουσι θεοί·/ καὶ τὰ δοκηθέντ᾽ οὐκ ἐτελέσθη, / τῶν δ᾽ ἀδοκήτων πόρον ηὗρε θεός.’; Euripides, Bacchae, 1388~91)はギリシア悲劇の大団円の台詞だが、先走りは禁物だ。
☆余白に 「Carova-20」ウイルスの主は、戯けた粗雑な問いを発する前に、岡田晴恵氏の説明を理解できない自らの莫迦さ加減とあり余るごまかしを、得と頭を冷やして考えたらよい。阿呆に回答することなど、何もない。
今まで、何度も言ってきたように、❝感染確認者数❞というのは評価しがたい数値である。国内の3月から今日までの厚生省発表の感染者数がどれほど❝実際の感染者数❞を反映しているのかなかなかむつかしいのである。それは、ひとえにPCR検査がどれほど充実して行われるようになってきたかによる。
致死率は、時間が進むにつれてPCR検査数が拡大していくにつれ下がっていく。感染症分科会が設定していた当初の致死率は0.03であったが今では、0.014である。コロナ感染者のPCR検査による捕捉効率はこれが限界だろう。
しかし、現実は、わたしの1000万人蔓延説で評価すれば、致死率は0.00003にすぎない。
感染者数は永遠に捕捉できないのである。
反氏の数値を用いて死者数の予測を行うと、これから5か月後のコロナ死者数が次のように計算できる。
7/8日 死者数 980人 12/1日 死者数 2139人
この間(5か月)に、 1159人(980の1.183倍)が死んだことになる。
したがって、5か月後の推定死者数は
2139 + 1159x1.1183 = 3509.7人となる。
今から5か月後というのは、来年4月下旬までの死者数推定だ。
わたしが、先に、グーグル、黒木先生のデータをもとに2~3月までの死者数を3000 +- 200 と推定した結果と同じである。
そもそも、このコロナ病に集団免疫という概念が成り立つのか誰もわからない。疫学理論というのは、なかなかの妄想理論である。
このコロナで確実なのは、クルーズ船内では感染者数が最大20%であって、発病者は、その半分だったということである。
だから、わたしは、このコロナ病については飽和免疫または社会免疫はありそうだと考えているのである。
❝ではの守❞ ではないが、日本の被災量が英国の50分の1、米国の100分の1であるという事実は2月から今まで、10か月間、一時たりとも変わっていないのである。
Spiegel誌の11月30日付のコロナニュースによると、WHOテドロス事務局長は、コロナウィルスの発生源の幅広い調査をすることを確約した。「我々は、ウィルスの起源を知らなければならない。というのも、それが、将来の感染症対策になるからである。」と記者会見で述べた。WHOは発生源の管理を中国に任せているという批判があるからである。・・「我々は、発生源を知りたい、それを知るためにあらゆることをする。」。米国大統領トランプ氏は、WHOは、コロナ危機と関係のある資料を秘匿した、と批判し、7月初めに米国はWHOから脱退した。WHOはこの数か月、国際的に編成された専門家チームを最初にウィルスがみつかった中国の武漢に派遣する計画をたてている。まだその時期は未定であるが、専門家チームは、中国の専門家と定期的に接触している、と主張した。岩田教授も主張されていたが、私はSpiegel誌を通じて得た、どういう人の症状が重症化しやすいか、という情報は、中国武漢の研究者の成果だし、中国が故意にCovid19感染症を発生させた、などという現米国政府の主張は、いいがかりだと思う。トランプ大統領の「プロパガンダ、嘘」の典型的な例なのではないのだろうか。
その主張は、はるか40年前に書いた論文を再構築しようとしている、ベートーヴェンの「第9」の主張でもある。というわけで、反氏の憶測と違って、私は忙しい。暇に飽かして、コメント欄を書いているわけではないのである。
つまり、無症状者から感染した人の病状は深刻化しなのか、ということなのです。スウェーデンや、最初の頃の英国が近隣諸国に比べて、死者が多い、という事実を考えた時、その疑問が起こるのです。
無症状の人から感染した場合でも、その人の体の状況、免疫がうまく働かなかった場合、周りの感染した人々は無症状で推移しても、その人の病状が重症化するリスクは、かなりあるのではないのですか?ということを問題にしているのです。
より、家庭内感染、職場感染で起こっている。つまり、小池知事を中心とする大きな声の主張、「病院の治療を重症者に特化するために、軽症者、無症状者は自宅介護を。」がこの第三波を引き起こしているのではないのか、と思う。
とにかく、東京都の小池知事の場合、現状を客観的に、理性を使って冷静に分析することをせずに、感性に頼り、その結論をマスコミを使って大々的なキャンペーンをするから、世論がおかしな方向に進み、国民を惑わすのである。
感染を収束するためには、感染のリスクがある人を一般人と接触させないことが一番なのだから、理性的に考えれば、「Go toをしないように、高齢者に呼びかける。」のではなくて、cocoaを使った感染の濃厚接触者の隔離、家庭感染、職場感染をさせない、それに尽きるのではないのだろうか。無症状なのだから、隔離生活に伴う医療現場の負担も少ない。
したがって、5か月後の推定死者数は
2139 + 1159x1.1183 = 3509.7人となる。
別の計算では、
2139 + 1159x1.1183 x 1.1183 = 3760人となる。
この計算では、やや多くなるが、たいして変わらない。
絡まれるのは、好きでないので。
なぜ嫌われるか、考えたことあるの?
ただ、そんな私に3桁のハートマークが2度ついたように、隠れた支持者もいるのです。
要するに、カロリーネ糾弾、これには集団のイジメに近い、ある特有な心理があるのです。
分際をわきまえないのはかまわないが、基礎素養なく、読解力のない頭で、妄想に取りつかれて絡まれてくると、誰でもきらいになるわ 【完】
99⇒【素人である分際を弁えず。思ったまま書くから…そんな私に3桁のハートマークが2度…隠れた支持者もいる…カロリーネ糾弾…集団のイジメに近い】――未明の闇の中で本日も莫迦丸出しの獅子吼を始めた(91→05:25)偏執狂の老婆は、パラノイア気質だから妄想(ἡ πλάνή)、本件の場合は、一方は誇大妄想(Grössenwahn)であり(⇒【隠れた支持者】)、他方は、被害妄想(Beeinträchtigswahn)と迫害妄想(Verfolgungswahn)が顕著だ(⇒【集団のイジメ】)。
それが老婆のような狂信家特有の精神の狭量さ(σμικρολοία)に基づくことは自明だ。古のモラリストはそれを、「精神の狭量は頑迷をもたらす。われわれは自分の理解を超えるものをなかなか信じようとしない」(‘La petitesse de l’esprit fait l’opiniâtreté, et nous ne crpyons pas aisément ce qui est au-delà de ce que nous voyons.’=ibid., 265)と表現する。
ハートマークは大方(ὡς τὸ εἰκός)、悪戯(τὸ τόλμημα)か老婆の狂言(ἡ ἀπατη)であろうが、「不要→240」とか「嫌よ→184」とも読め、一気に大量について後はピタリと止まったから、この期に及んで【隠れた支持者】でもあるまい。生まれつきの嘘つきにつける薬はない。
「集団のイジメ」、もう一人の自称「チンピラ」(βλαβερός)氏によると集団リンチ(ἡ αἰκία)とかになるが、負け犬がいくら吠えても、過去の行状から見てまともに相手にする人間はおらず、みっともない。
「イジメ」(ἡ αἰκία)とは、まるで受難者(πάθητός)気取りで、齢70近い婆さんの繰り言は醜悪だ。
11時から納棺だ。きょうは寒い。
☆訂正 87の1日現在、スウェーデン2.61%(☆260,758←★6,798=*730.78/67.73)のうち、*730.78→2,598.12
最初から言っていたと思うが、このコロナについては、国内はまだしも他国のことについて論評することはなかなかむつかしい。誰しもスェーデンの自然実験については関心がいくが、解釈は難しい。
現在のスェーデンのコロナ発生動態をworldometerで覗いてみると、先のことはわからぬが、とりあえずピークは過ぎて山は越えたと見よう。
すると、この1か月前後で一山として、感染者は136403(=260758 - 124355)で死者数は860(=6798 – 5938)となる。
致死率は、0.0063である。 日本の現在の致死率 0.014 の半分である。
スェーデンの7月までの致死率は 0.074 であったことを思うと、致死率は5分の1に下がっているのである。
❝よく頑張ったなと❞思わぬものはいないであろう。わたしも、スェーデンはよく頑張ったし、頑張っていると期待している。
(反氏86,87)
❝ つまり、新型コロナ感染症は未だに現在進行形で、今後の推移がどうなるかは、特にスウェーデンのような安定性を示していた国でも、他の欧州諸国に遅れて一気に急拡大したことから推して、日本だって冬の劈頭でこの体たらくだから、先が見通せない点では同じ状況なのだ。その場しのぎの、日本モデル的対応など、何の期待もできない。
❞ のように断定できるかな?
単純な計算間違い。
スェーデンの致死率は❝5分の一❞に下がったのではなく❝10分の1❞でした。
コロナで毎日報告される数値のどれがどのくらい信頼性が高いのかはなかなかむつかしいのですが、わたしは、ECMOnetの人工呼吸器装着数を最も信頼して、動態を判断しています。
厚生省発表の重症者数、死者数というのは注意して見ないといけません。
おそらく、重症者数というのは各都道府県で判断基準が違うでしょうし、死者数と同じように病状・死状がコロナによるものか、なかなか判断が難しいからです。
聞くところによると、今年の梅雨頃から高齢者の自然死が例年に比べ、圧倒的に少ないそうです。どこに行ったのでしょうか?
ひょっとしたら、報告されているコロナ死亡者数は過大数値なのかもしれません。
ともあれ、日本のコロナ被災は、英国の50分の1、米国の100分の1であることを、神様に感謝いたしましょう。
退屈しのぎに、コートのポケットに忍ばせた『ソクラテス以前哲学者断片集』(H. Diels, „Die Fragmente der Vorsokratiker“, hrsg. von W. Kranz; 6 Aufl., 1992)のコピーを繰っていたら、
「デモクリトスによると、『トリトーゲネイア(ゼウスの頭から生まれた)』であるアテーナ(Ἀθῆνα)は、『思慮』と考えられている。『だが、思慮を働かせるということからは、次の三つのことが生じてくる』。即ち、然るべきことを正しく考慮し、誤ることなく語りかつ為すことである。」(‘Τριτογένεια ἡ Ἀθηνᾶ κατὰ Δημόκριτον φρόνησις νομίζεται. γίνεται δὲ ἐκ τοῦ φρονεῖν τρία ταῦτα• βουλεύεσθαι καλῶς, λέγειν ἀναμαρτήτως καὶ πράττειν ἃ δεῖ.’; ibid., Bd. II, S. 132)
「シカルベキコトヲ タダシクコウリョシ アヤマルコトナク カタリカツナスコト」(ΒΟΥΛΕΥΕΣΘΑΙ ΚΑΛΩΣ ΛΕΓΕΙΝ ΑΝΑΜΑΡΤΗΤΩΣ ΚΑΙ ΠΡΑΤΤΕΙΝ Α ΔΕΙ.)というのが、当り前のことのように見えて、案外難しいものだ。
真の「教養人」(ὁπεπαιδευμένος)、「専門知をもつ人」(ἐπισθήμων)、別の言い方なら賢慮ある人(φρόνιμος)にあやかりたいなら、余裕(σχολή)とユーモア(ἡ εὐκολία)を失いたくないものだ。それが日下部翁にはあって、老婆には決定的に欠けているものだ。
余裕がなく(ἀσχολία)、テレビばかり見ていて無聊を託つ(κόπος)しか能のない、齢70近くにして何の修養も節度もない老人は哀れだ。
莫迦ウイルスCarova-2に移るので、暇つぶしはここまで。
1の指標が、急拡大時11月20日ころですから、その2週間後のいまが、ピークかも!? しばらく様子を見ないとわかりませんが、第3波はピークアウトしたのかもです。陽性者が急拡大しているとき以降2週間程度が、これまでの経験則だと「医療崩壊」だ!とのデマの類いが出て来ます。欧米では日本の数十倍の新規陽性者数なのに、4月の経験則もあってか、「医療崩壊」は起こしていません。大手メディアが煽っている(ように見える)「医療崩壊」って、あるんですかね!! 陽性者数がピークアウトすれば、たとえ高止まり(日下部説)であっても、日本人もバカではありませんから、医療体制を整えて、有事(感染旧急拡大時)に備えられるように準備をしておくべきです(既にやっているでしょうけど)。
→反さん!!珍しく体調不良の報告ですね。体を冷やさないこと(温める)といいます。お大事にして下さい。
なぜ、第一波の時、緊急宣言が出されたとき、尾身・押谷ペアーが、マスクの着用、三密の回避、あるいは、西浦教授が「接触80%削減」を主張されたかといえば、スーパースプレッダー、一度に多くの人に感染させる人が、症状がある人、熱がある人、とは限らないからである。インフルエンザウィルスのように、熱や咳をする人しか移さないのなら、その症状のある人は自己隔離しましょう、ですむのである。そうではなくて、一見元気で、自由に動き回る無症状の人が、一人で一度に20人近く感染させるから、その危険を避けるために、マスクの着用、三密の回避、接触80%削減の方策をとったのであるが、この病気は乳がんと違って、感染症なのである。他人から感染しなければ、移らない。ただ、無症状の数人の人が、一度に大量に感染させる場合もあるのである。
昨日のファイザー社のワクチンの説明を、どうきいても、感染を90%抑えるワクチンで、岡田晴恵教授が期待されるような「重症化」を抑えるワクチンではない。「アビガン」推奨の時も感じたが、岡田晴恵教授は、童話作家で、科学者ではない。ダイアモンド・プリンセス号事件の時の発言、「市中感染が相当広がっている。」などという「仮想現実」が、彼女の博士号をもつ専門家としてのテレビ解説で、あたかも「現実」かのようになってしまうことが問題なのである。妄想に取りつかれているのは、どちらだろう。私が批判しているのは、妄想にとりつかれている人が、あたかも専門の科学者のようにテレビ、公共の電波を使って解説し、その結果、日本社会に危険な、真実ではないイメージができあがってしまうことである。
小池百合子東京都知事も同類である。彼女は、すべて専門家に頼る。西村大臣のように、感染症の専門家である尾身・押谷教授の提言をきいて、理解して、経済の専門家、政治家として総合的に判断する、というプロセスがない。もしあったのなら、西浦教授の提言、80%削減すれば、東京の経済にどの程度のダメージを与えるかも考えるだろうし、PCR検査ばかりやたらに増やしても、隔離しないのなら、感染は広がる、stay homeは、家庭内感染の温床になるということはわかるはずなのである。要するに、彼女のしていることは「反政府」、尾身・押谷教授を批判する東京都の専門家会議の主張をマスコミを通じて正当化しているだけなのである。
大阪大学の中野貴志さんと、京都大学ウイルス・再生医科学研究所の宮沢孝幸准さんが❝ピークは過ぎた❞とのニュースがYahooに出ている。
篠田さんや、わたしに続いての報告だから、4人が独立して❝ピークアウト❞の判定だ。
医療崩壊が鎮まることを願う。
災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。
死ぬ時節には、死ぬがよく候。
是はこれ災難をのがるる妙法にて候。
日本国(東洋系?)のコロナ被災がなぜ欧米の50分の1ほどですんでいるのか、ある程度その免疫、防御反応が理解されないと、ワクチンもできたとしても、その安全性や有効性についての評価が難しいと思ってきたのだが、昨日、❝改正予防接種法❞が国会で成立してしまった。
大丈夫かな?
すでに数百万人~1000万人市中感染していれば、ワクチンのほとんどは必要なくなるのではないか? そんな心配がよぎる。
東京都議会の「都民ファーストの会」が提出否決された条例案はこれ以上に気になる。❝新型コロナウイルスの検査を正当な理由なく拒否した場合、5万円以下の罰金をかす❞とか? 恐ろしいファシズム社会になってきた。
福岡県議会でも、超党派議員たちが、❝感染者に感染経路などの調査に応じることを義務付けて、正当な理由なく拒否すれば罰金❞の条例を12月の定例会に提案する動きがあるそうだ。 恐ろしい社会だ。
感染経路などを追うことに、一体、どんな意味があるのだろうか?
これだけ、市中蔓延しているというのに。
昨日のニュースで、横浜市立大学の、❝コロナ中和抗体が半年後も98%の人で残っている❞と言ってたことは聞いていたが、朝の【とくダネ!】でいい解説をしていた。
面白いのは❝軽症無症状感染者でも97%が中和抗体を持っていた❞ことであある。
コロナと無関係な人の間での中和抗体測定結果があれば、良かったのだが。
ということは、ワクチン普及を試みるより、❝無症状感染者❞に自由に動いてもらって、無症状感染者を増やしたほうが賢い❝対コロナ防衛策❞ではなかろうか?
PCR検査がなかった時代の防衛策としては当たり前の防衛策なのだが、今の、ひ弱な人間たちには通用しないことはわかっているが。
Krankenhäuser in der Corona-Krise: »Als ob jeden Tag ein Jumbo abstürzt« - DER SPIEGEL
コロナ危機のドイツのクリニック
あたかも毎日ジャンボジェットが墜落しているかのよう。
新規感染者の数は高止まった、しかしドイツの病院の集中治療室の状況は、劇的である。医療従事者はこれからどれだけ持ちこたえられるだろう。
H. Klovert記者、H. Le Ker記者
02.12.2020 21.31
「ドイツの新規コロナ感染患者の数は、ほぼ高いレベルで安定しているが、集中治療室で治療を受けられる患者の数は、それほど増えなくなった。我々は、高原にやってきた。」、といいニュースとしてUwe Jannsens氏はオンライン会議で述べた。
現在集中治療室で治療を受けている患者は3957人、そのうち2353人、59%が人工呼吸を受けている。ドイツには22,270の集中治療室用のベッドがあり、5273があいている。ただ、医療従事者が足りない。Covid19の病状の悪化は通常感染してから、10日しておこる。また経験上、感染者の1-2%の患者が集中治療室を必要とする。例えば、今日20,000人新規感染者が出たとしたら、10日後、200-400の新規患者が、我々の集中治療室にくる、と予想しなければならない。ドイツがそうなのなら、日本でも同じようなことを予想しなければならず、いくら無症状患者が中和抗体をもつといっても、日下部教授のようなバラ色の推移にはならないのではないのだろうか。
宮根屋で世田谷区の無症状介護職員の感染例を伝えていた。
陽性率が5%から10%で、都が現在発表している6.5%と同じ程度であった。
とすれば、市中感染蔓延は5%から10%の程度と想定してよい。
全国の今までの検査陽性率は4.57%だから、東京都の7割程度である。
されば、東京都では50万人から100万人の人たちが感染しており、
全国レベルでは500万人から1000万人のひとたちが感染していることになる。
この事実認識に立って、これからの政策を考えていかねばならぬ。
篠田さんの専門だ。
① しらみつぶしに検査隔離戦略をとるか?
② 放任して、発病者だけを対象として医療機関が面倒を見るか?
③ ①と②の中間策で、何かとれる戦略はあるか?
この女性週刊誌がいかなるものか、全く知らないが❝コロナ感染大爆発❞と書いている。
❝煽り記事❞はもう3度目だから流行らないと思っていたのだが、庶民の方が賢いようだ。
コメント欄を見ると、❝まだ、こんな煽り記事を書いて❞とか、きわめて冷静な判断のコメントが書き込まれていてびっくり、かつ安心した。
バカな記事は、相手にされない。
❝週刊女性PRIME❞とやらも、コロナが過ぎるころにはつぶれているだろう。
日本医師会の中川俊夫が❝コロナに慣れないでください❞としきりに言っている。医療崩壊を目の前にして医師会長としては致し方ないとは思うが、コロナ市中蔓延の状況下で、ちょっとおかしいなと思う。
市中蔓延であれば、国内500万人から1000万人くらい感染しているはずで、死者が2000人位だから、致死率は0.00003から0.00006くらいだ。
並みのインフルエンザよりも危険率は弱い。
一般庶民は、うすうすとこの欺瞞性に気づき始めて、医者の意見に耳を貸していたら自分たちの生活が立ち行かなるということを、察知し始めてきているのである。
医者の愚かさよりも、庶民の賢さの方が上だろう。
医療崩壊を前にして、つくづくと思う。
庶民は、❝コロナに慣れて❞はやく自然免疫をつけることを望んでいるのである。
久しぶりに葬儀に立ち会って故人の骨などを拾っていると、さまざまな想いが去来する。私の住む関東も、ご多分に漏れず新型コロナの新規感染者がこれまでをしのぐ勢いで増加傾向となり、葬儀は旧農村地域である当地の慣行だと自治会組織が関与して、しかも個人は政治家だったから賑やかになるはずだが、さすがにこの拡大局面と高齢の参列者が少なくないことも手伝ってすっかり様変わりし、従来に比べて随分地味になった。
それでも、人々はすっかりコロナ慣れした様子で、感染の危険を恐れてピリピリした雰囲気はない。近年は変わりゆくご時世を反映して自治会の積極的な関与は影を潜め、専ら業者任せの傾向が一層強まっているのも、都市部と変わらぬ時代の趨勢で抗いがたく、何とはなしに味気ない。皆マスクをして粛々と集い、そして去っていく。
「Gくん」氏にいろいろ私の体調のことでお気遣いいただき恐縮するが、湯冷めして少々加減が悪かっただけだから、何の心配もない。私は現在64歳だが、この年まで、風邪にすらほとんど罹ったことはない。最後に医者の世話になったのは宇多田ヒカルがデビューした翌年の1999年3月だから、21年間余り、医者は無用だった。悪いのは口だけだ、ということになる。
そもそも、64年間生きてきて病気らしい病気をしたことがない。ほとんど記憶にないが幼少期、私の家に行儀見習いで家事手伝いに来ていた父親の従妹の若い女性が目を離したすきに、喉が渇いて座敷から廊下に這い出た私が、バケツの雑巾水を誤って飲んで危うく死にかけて以来、無病息災だ。虫垂炎にすらなったことはないから、身体に傷一つない。むろん、入院経験も皆無だ。
学校はよく休んだが、ほとんどズル休み。別に学業が遅れる懸念もなかったし、罪悪感もなかった。不道徳ということもないが、非道徳、つまり「道徳」の基準が世間とは違っていたということだ。
現役世代は、私のような「隠居」の身と違って、師走を迎え何かとご多忙なのかもしれない。
新型コロナの影響と言えば、古書業界も不況だ。つい先日、東京・神田神保町の日本一と言ってもよい老舗の古書肆がこの時期恒例となった目録を送ってきたので、かねてから欲しかった1838年に英国で出版された銅版画集が随分安くなっていたので購入した。ひどく安かった。
2005年というから、15年前に2冊で504,000円した、豪華なモロッコ革装幀の大型本で、中身は英国を代表する画家であるターナーが英国各地の名所や旧蹟、貴族の城や大豪邸などを描いた風景画をエッチングで再現したものだ。当時は、現在のような写真は存在しなかったからだ。
今年は夏前に日本随一の古書店街の各店もご多分に漏れず休業を余儀なくされ、各種イヴェントも軒並み中止に追い込まれたから売り上げは低迷、目録を発行した老舗も、今冬はボーナスが支給されていないようで、年末の格安サービスで売り上げ回復に期待を込めたようだ。正月の餅代の足しぐらいになればと、協力した。
それはともかく、私も贅沢な本をたくさん所持している割にはしがない年金生活者なので、当然金が余っているわけではない貧書生なのだが、これもパレートの法則(Pareto principle=80:20の法則)だ。
つまり、新型コロナの感染伝播の特性、「感染者の8割は他に二次感染させない」というメカニズムに即して言えば、私のような奇特というか酔狂な人間は、それこそ古書店の顧客の2割どころか1割にも満たないが、売上額の8割に匹敵するくらいに売上高に占める割合は極めて大きく、そうした好事家が業界の一端を支えているのは、経験的事実だからだ。
高々182年前の本とは言え、それが日本で流通経路を確保して、それを必要としたり、愛好する人々の手に渡り継承されていくことでこの国の文化に多少の寄与になればと思わないでもない。
本は縦38センチあり、局紙に刷った精緻な版画が2巻で96枚も収められ、解説が添えられている。それを購入者の注文に応じて一流の製本業者が材料を選び、金箔を押した贅を凝らした精緻な意匠で飾る。私が投じた22万円は多分、この革装幀代程度にしかならない。ほとんど美術工芸品と見紛うばかりの仕上がりだからだ。
読者も海外ドラマとか映画で見た経験があろうが、見事に革装幀された古い書物がぎっしりと詰まった背の高い書架が壁一面を飾る貴族の邸宅、皇居の数十倍の所領を擁するその本邸、所謂country houseまたはcountry seatの図書室に並ぶような本は、本それ自体が具えた存在感で所有者を変え、世を継いで後世に伝えられる。手間と多額の費用を投じて。
私が所持している中にも1619年にパリで出版されたギリシア・ラテン語対訳『アリストテレス全集』(“Aristotelis opera omnia quae extant Graecè & Latinè”, authore Guillelmo Dv-Vallio)2巻本のように、英国を代表する貴族の邸宅、Devonshire公爵のチャッツワ―ス(Chatsworthm, in Bakewell, Derbyshire)旧蔵書もある。来歴を調べると、興味深い。
効用の個人間比較の不可能性ではないが、人間はそれぞれ異なる。骨董と同じで、こればかりは身銭を切った人間にしか分からないようだ。博物館でガラス越しに眺める「美術品」に溜め息をつくだけで、館外に出たらもう次の関心事に即座に移れる人間には、無縁の世界だ。
コロナつながりで拡散し、余計な話に脱線した前置きの雑談はこの辺りで切り上げ、本日も意気軒昻な偏執狂の老婆など相手にするだけ時間の無駄だから抛って置いて、効用の個人間比較をK. J. アローの「社会的厚生関数の一般可能性定理」の祖述に即した議論だけでは、「Gくん」氏のような将来ある有為な御仁には不親切だから、「投票のパラドックス」(the paradox of voting)を題材に補説してみる。
アローの議論は先に論じたように、民主制社会の基本理念、例えば市民主権(citizen’s sovereignty)の原則が要求するいくつかの条件を満たしながら、他方において論理的首尾一貫性(consistency)をもつ社会的選好順位を決定するような社会的厚生関数(さまざまな代替的社会状態に関する個々人の選好を基にした場合、それに対応する社会的選好順位を決定する手続きまたは規則の謂い)について、幾つかのごく自然な条件を満たす個人的選好順位の如何なる集計方式が与えられても、社会的選好を非推移的にさせる(推移律を満たさない)ような個人的選好順位が常に存在する、ということを数学的に証明した。
言い換えれば、一般的に言って、民主制的な行動によって社会的厚生関数を最大にするような選好順位の決定は不可能であり、個人の価値(評価)を矛盾なく社会的に(集合的に)集計することはできない、ということだ。
いくつかの条件とは、列挙すれば次のようなものだ。
①個人の選好順位それ自体については、少なくとも三つの選択対象に関して、論理的に可能な如何なる順序づけも許容されてはならない(定義域の非限定性)
③選択対象のある与えられた集合についての順序づけは、その集合の外部にある選択対象の存在によって影響されてはならない(無関係な選択対象からの独立性)
④ある選好対象xとyとの間で、すべての個人がyよりxを好むとしても、社会的選好順位ではyよりxを好まれることはあり得ない(タブーである)という意味で、社会的選択が強要的であってはならない(市民主権。パレート最適性〔Pareto optimality〕)
⑤他の個人の選好にかかわりなく、社会的な選択がただ一人の個人だけの選好によって左右されてはならない(非独裁性)
つまり、アローが提起した問題は、これらの諸条件の下で、すべての選択対象に明確な選好順序を与え、しかもその選好が推移性をもつという意味で合理的社会的選択のルール(社会的厚生関数はその表現)が果たしてありうるか、という文脈から出てきたものであり、結論は先にみたように根源的に否定される。
議論をより身近にするために、以上のある意味抽象的な議論を、より具体的題材である「投票のパラドックス」に移すと以下のようになる。
アローの一般可能性定理をフランスの数学者で哲学者のコンドルセ(Condorcet, M. J. A. N. de C., 1743~94)によって発見された投票のパラドックスに従って敷衍すると、次のようになる。
以下の三つの選択肢、つまり代替案の中から、一つを選ぼうとする3人を想定し、例えば3人が揃って映画を観に行く場合の選択肢をA=恋愛もの、B=歴史劇、C=犯罪捜査ものとする。
3人はいろいろ考えた末にそれぞれの順位づけ、選択順位を示すが、見事に分かれる。つまり、つまり華子はA>B>C、太郎はB>C>A、孝治はC>A>B。
そして、その結果、当然ながら個々の選好に応じた投票の結果は、いずれの場合も2対1で、恋愛ものが歴史劇に勝ち、歴史劇が犯罪捜査ものに勝ち、犯罪捜査ものが恋愛ものに勝つことで、収拾がつかない。投票による多数決の勝者は存在しないという話だ。
この図式は、新型コロナ対策の場合、それぞれ、A=積極的な感染封じ込めによる防止策の徹底を優先(主に感染症専門家)▼B=社会経済活動の維持に重点を置きつつ、感染症対策は重症者抑止に絞る(政府の対策の主眼点)▼C=防止策は既に市中感染が広範囲だから事実上は放置したままで積極的介入措置はせず、医療体制の崩壊防止に注力するか、ワクチンその他による免疫獲得に期待するなど放置または混合型(日下部説もその一種)――のように、想定される対応を分けて考えると分かりやすい。
こうした場合の民主的合意形成、多数決は三つの選択肢のいずれか二つについてはいれずれを選択すべきか決定可能だが、三つ全部を矛盾なく順位づけることは不可能である。
結論だけ言えば、ある条件下で、上記のような何ごとも決められない優柔不断な結果をもたらさないような投票制度、民主的な合意の集計は、三分の二の多数決であれ、加重多数決であれ、その他如何なる投票制度をもってしても避けれれない、ということがアローの「社会的厚生関数の一般可能性定理」の論理的含意になる。民主的な意思決定がほとんどの場合、首尾一貫性を欠く所以だ。
現実の政治過程における選択は、以上の事例ほど個々の選択の食い違いがさまざまの要因で徹底されることはないが、それは民主的な議論が徹底されないことと論理的には同値だ。
つまり、民主的議論の徹底は、論理的には意味がない。民主制の根源的矛盾であり限界だ。[完]
② 放任して、発病者だけを対象として医療機関が面倒を見るか?
これは、最終的には、どちらも「森を見ずに木を見る」ピンポイント、個別の処方である。
それに対して、尾身・押谷戦略は、森、面、集合をベースにしている。感染症は無症状、軽症者、重症者を問わず、Covid19の感染者からしか移らないから、過去にさかのぼったクラスター調査をする、感染者、非感染者を問わず、感染のリスクを減らすためにマスクを着用させる、大勢が一度に感染するリスクの大きい場、つまり三密を回避する。つまり、Covid19をマスでとらえているのが、「日本モデル」なのである。
重症化、にしろ、コメント8に書いたように、武漢の例で、大体の重症化する人の傾向はわかっている。けれども、重症のリスクの高い人々にも自分のquality of lifeを望む権利がある。母が癌で亡くなったので、この問題は随分考えたが、ただ生きて、長い期間闘病生活をすることが本人の幸せではない。そのことが、小池知事にはわかっていない。ただ、重症者を減らすために、リスク要因のある人の行動の自由を減らす、他の深刻な病気の人のことを考えずCovid19の死者を減らせばいい、でいいのだろうか。重症で、呼吸器をつけて生きるというのも、治るのならともかく、その人にとっての精神的、肉体的負担は大きい。
反氏はコメント118に、学校はよく休んだが、ほとんどズル休み。別に学業が遅れる懸念もなかったし、罪悪感もなかった、と書かれている。私の場合、優秀な子供が集まる国立の付属中学校出身なので、特に取り柄のない私は、精勤賞をねらうことにした。そのせいか、健康で、学生時代精勤した母も私も弟も数学が得意だったが、京大の哲学科を卒業した論理性のあるはずの父は不得意である。父は病身で学校を長期間休まざるを得なかったから、そうなってしまったのだと思うが、やはり、なにごとも積み重ねは大事である。メルケル首相がそうであるように、数学や物理こそ、論理的で客観的な思考力を養う、一番の科目なのではないのだろうか。
感染症対策と経済
Covid感染症と他の重篤な病気、
つまり、極端に一方に偏らないようにすること、
批判、糾弾に明け暮れるのではなくて、
いろんな分野の良識のある専門家のいろんな意見をきくことで、多方面に考慮することができ、互いに話し合い、妥協することで、各部門の専門家、政治家が、つまり、この問題に携わる責任者みんなで、
日本国民のために、いい対策を作り上げていただきたい、ということである。
国民の代表者が、公共の福祉に責任をもって話し合った末、共に決断する。
それが民主主義政治の本質であり、それが、国民が、隷従ではなく、自由な人間でい続けるための方法である。
https://s.kakaku.com/tv/channel=4/programID=12194/episodeID=1422098/
一方、世田谷区の社会的検査の結果は下記世田谷区ウェブページ掲載の通りで介護事業者等の全体の陽性率は1%程度のようです。市中感染率を推測する意味では社会的検査全体の陽性率を用いる方が相当ではないかと思い、ご紹介いたします。
https://www.city.setagaya.lg.jp/mokuji/fukushi/003/005/006/011/d00188032.html
余談ですが、新型コロナウイルスのウイルス特性については解明されていない点が多くあり本コメント欄でも様々な意見があるように思われます。一方で、人に伝染する能力を有し人の知性と理性を減退させる特性を有する「新型カロ婆ウイルス」(Carova-20)が極めて凶暴な「ウイルス」であるという点ではほとんど異論がないように思われます。また、ウイルスと細菌の相違に思い至らず、ウイルスである「インフルエンザ」の趣旨で「インフルエンザ菌」とした致命的瑕疵に自覚が全くなく自説を強弁し続けたカロリーネ氏に生物学の基礎素養(コメント108)があるとは到底思えません。
中国の信奉者であるカロリーネ氏には「治療薬」として雑誌「外交」(Vol.64 Nov./Dec. 2020)に掲載された下記の読書案内をご紹介いたします。
(「いまを読む5冊 江藤名保子(アジア経済研究所)」)
http://www.gaiko-web.jp/test/wp-content/uploads/2020/11/Vol64_p142-145_five_books.pdf
併せて、気になっていたが最近会えないでいる私の恩人と電話で話し、無事を確認した。当地の有力企業人の一人で、長らく優良企業である石油小売り会社の社長、会長を務め、長男が引き継いで現在は引退した身だが、この数年は癌を患って自宅療養中だ。最近は日課の散歩もままならないようだが、症状は基本的に安定しており、安心した。1932年生まれの88歳、所謂米寿をこの秋、無事に迎えた。
卓越した審美眼をもつ趣味人、蒐集家にして蔵書家で、地域を代表する文化人として知られる。大学は家業の関係で東大で経済学を専攻したが、ドイツ文学の研究に転じ、京大で大山定一、歌人でもある高安国世、谷友幸の下でリルケを研究した。先代である父親の死去に伴い、学究生活を切り上げて帰郷して家業を継承、以降は経営の傍ら、当地の有能な若手研究者や芸術家の支援に回った。そのため、自宅は多くの経済人、政治家に加え、研究者、芸術家が集い、サロンのような雰囲気を醸し出していた。私も公私ともに大変お世話になっている。
ガンダーラ彫刻の石の仏頭、宋代の磁器や大型の唐三彩の俑が並ぶ応接間で、南宋の青白磁の盃で名酒を楽しむ至福の時間を何度か経験した。年齢差は24歳と私とは親子ほどの開きがあるが、ほとんど気にならない。
文学や人文諸科学、東洋美術に加え古代ギリシア美術、特にギリシア彫刻にも精通していて、アルカイック期のクーロス(χλωρός=kouros)とかコレー(κόρη=kore)と呼ばれるタイプの大理石像について、専門の研究書を買い込んで勉強する熱の入れようだった。
真の意味で、人生や社会経済はもとより、学芸百般に通じた趣味人が身近に存在することを実感して励みになった。貴族的な風貌のもち主で、その余徳にあやかりたいと思っている。
今回のコロナ禍で、実際の人的被害に加え、どれだけ社会経済活動に悪影響が出るか見通しがつけにくいが、感染症対策に限らず、問題を安全保障というもっと広い視点で眺めたとき、法制度の不備に加え、彌縫策に終始する当局の対応をみる限り、政治の貧困を思わざるを得ない。それは、野党や政府に批判的なメディアの影響とばかりは言い切れないところに、日本の真の病巣が潜んでいる。
篠田さんの本ブログでの議論にはTwitterと異なりほとんどで出てこないが、一昨日2日に香港の民主化運動の若いリーダー、元デモシストの黄之鋒氏や日本でもお馴染の周庭氏ら3人が実刑判決を言い渡され、収監された。昨日3日には香港政府に批判的なメディアの創業者、黎智英氏も再び拘禁されるなど、コロナ禍に乗じて思想弾圧、反転攻勢に躍起となっている中国政府の強権的手法が一段と際立っている。
欧米とは異なり、この問題で日本は政府も野党もおしなべて反応が悪い。メディアの取り上げ方もニュースを流すだけで、踏み込んだ取り扱いはほとんどない。民主制や人権を奉じる国家の国民でありながら、国民の反応も如何にも内向きで鈍い。抗議デモ一つない。憲法前文の精神など、実態的には如何に空疎か分かる。
コロナを正しく恐れることは当然だが、いたずらにコロナを恐れて自由への抑圧に対抗できるはずもない。中国の圧倒的多数の民は、共産党支配への隷属状態(δουλεία)だ。経済的繁栄のお零れに与って一見して不平不満は影を潜めたようにもみえるが、それこそ奴隷の平和(ἡ εἰρήνη δοῦλου)、奴隷の幸福(ἡεὐδαιμνία δοῦλου)に安住しているにすぎない。
「昔は、人も時代も上等だった」(田中美知太郎)とされる所以だ。憲法前文に謳われた空疎な理想などどうでもよいが、そうした志操さえ喪失して紊乱の世に浮遊する泡沫のような存在に堕したのは、何も今に始まった話ではない。
この自由な(ἐλευθέριος)、精神の伸びやかさを欠いて、自己と周囲の関心事や安寧に逼塞して何も考えないことを「奴隷根性」(ἀνελευθερία)というなら、この退嬰的な姿勢、態度こそ精神の脆弱性(ἀσθένεια τῆς ψυχῆς)というものだろう。
日本人は意図せずに、自分で自分を奴隷にする(ἀνδραποδίζομαι)のである。根深い危機の本質は、左翼やメディア禍などではなく、そこにある。
ところで、ギリシア語の徳(ἀρετή)とは、人間としての「卓越性」のことだが、日本語で「徳」と言う時、われわれはすぐ「道徳」を連想し、言葉がもつ意味を個人の内面的な問題に短絡させがちだが、元々の含意は、人がもっている優れた性質、他に秀でた強さのことだ。この卓越性、強さが人をして徳のある、優れた人とする。
徳を意味する英語の[virture]はギリシア語を受けたラテン語[virtus]に由来するが、[vir]はラテン語で「男」「男らしさ」を意味する。男のもっている強さというものが、人間としての徳、人としての善さの基本にあると言ったら、世の情けない男どもと比べはるかに有能で卓越した男勝りの女性たちのお叱りを受けそうだが、自由のために死をも厭わない勁さ、勇敢さ(ἀνδρεία)が「男らしさ」=徳の根源にある。
そうした意味での精神の懦弱さ(μαλακία τῆς ψυχῆς)が戦後の日本人を蝕んできたことは、もう少し自覚されてよい。[完]
わたしは、どちらかというと直感的な人間で、❝仮説理論は完結明瞭であらねばならぬ❞というのが、座右の銘の一つです。
だから、1%でも10%でもたいした変わりはないように思ってるんですが、一つ言えることは、現在(9月~)の、陽性率の推定値の多くは、若年世代の陽性率を過少推定しているのではないかと思っています。直感ですが、だから、1%と指摘されても、まあ、やはり5%くらいだろうな、という❝目の子❞感じです。
ついでに、付け加えますと、現在、重症者数の増加と言ってますが、コロナが高齢者死亡をsweep outしてるのかな? なんて、思っています。
コメントありがとうございました。
感染対策を検討するには市中感染の状況を把握する必要があるので、厚労省が現在実施している2回目の抗体保有調査とは別に、日下部氏が以前から提唱していたランダム標本調査としての唾液PCR検査を実施すべきように思います。
(130)もう香港はすでに7月からの「香港国家安全維持法」施行により、中国本土化は既定路線だと思います。132中段では(篠田さんの本ブログで・・・如何に空疎か分かる< の段落)、反さんが解説しています。さすが、大新聞のコラムニストだと思いましたw
中国については、欧米(日)とは、統治原理が違う異質の国だと思っています。南・東シナ海の「力による現状変更」がその典型例です。また、人民解放軍って、中華人民共和国(以下”中国”とする)の軍隊ではなく、中国共産党の軍隊というのは公知の事実です。
遠藤誉さん(筑波大名誉教授)によりますと→最近中国でも、人民解放軍を党でなく国家(中国)の軍隊にしてはどうか!?という議論があるそうです。しかし、当の人民解放軍が、頑なに拒んでいるそうです。中国の権力が、なへんにあるかを示すエピソードだと思いました。Gは、中国国民(人民)の多数が、共産党統治を容認しているようにも見えます。
大事なことは、国際交流、ジスカールデスタン時代のフランスが、ベルサイユ条約時代のクレマンソーとは違って、ドイツへの敵対行為をやめて、友好的に交流をして、EUの基礎を作ったように、日中関係もお互いに理解し合うことを考えてはどうですか?戦前、日本は中国と敵対したから、日本は外交政策を失敗した、という側面もあるのだから。
篠田さんへご迷惑をかけ始めてからずっと、ランダム標本調査を言ってるのですが、なぜか、疫学関係者は❝ランダム❞とか❝標本調査❞という概念が全く分からないようです。
統計学の伝統がある日本国なのですが。
ランダムPCR検査なら数日で結果がわかるでしょうに?
たまたま菅総理の記者会見があってるのを聞いていたが、ちょっと残念だった。いろいろやってるのを官僚から上がってくることを伝えるのはいいんだけど、この時には、やはり国民、庶民を元気づけるような言葉が必要だったのではないか?
やはり、英国や米国に比すれば数十分の一の被災にとどまっている旨を伝えて、医療崩壊に憂慮しつつ、社会経済活動に励む旨の❝元気玉❞が大切なのではなかったか。
さもなくば、日本社会経済文化は下落の一途をたどるであろう。
ユーモアを交えるのもいいと思います。コロナなどで暗い世相を吹き飛ばす!です。むかしレーガン米大統領が、ピストルで射殺(暗殺)されそうになりました。病院で検査して、ホワイトハウス(WH)に戻るときに報道陣:WHに戻ったら先ず何をしますか!? レーガン大統領:椅子に座るよ!< (報道陣大爆笑) 為政者たるもの、世相の暗さを吹き飛ばすユーモアも必要です(無いものねだりか)。
言霊の国でのこの体たらくは、有能なスピーチライターの不在とか、それを重要視する政治文化の欠如という以前の、政治の貧困に直結する弱点には違いない。以心伝心は、日本古来の「政」(まつりごと)の神髄のようにみえて、実態は普遍的な政治の技術ではない。
ペロポネソス戦争でアテーナイを率いたペリクレスとか、古代ローマのカエサルを引き合いに出しても役者が違うから詮ないが、仮令重みのあるレトリックを駆使しなくても、「真の雄弁は、語るべき一切を語り、かつ語るべきことのみを語る」(‘La véritable éloquence consiste à dire tout ce qu’il faut, et à ne dire que ce qu’il faut.’; La Rochefoucauld, Maximes 250)という、政治家のスピーチの要諦など、仕事熱心な新首相には、薬にしたくともない。
これでは、テレビ画面の向こうの国民一人ひとりの心に届き、疲弊の度合を深める医療関係者を奮い立たせるインパクトなど、生まれようもない。
しかも、そこには「声の調子や眼差しや表情には、言葉の選び方だけではない豊かな雄弁がある」(‘Il n’y a moins d’éloquence dans le ton de la voix, dans les yeux, et dans l’air de la personne, que dans le choix des paroles.’;ibid., 249)という心魂の活力さえ希薄だ。
よく、危機に臨んだ政治的指導者には、「懦夫をして起たしめる」弁舌の力強さが求められるれるが、それ必ずしも能弁を意味しない。問題は、情熱のほとばしりが会見を通して、耳を傾ける者に伝わってこないことかもしれない。
しかし、意とするところを国民に酌んでほしいということでは、政治家失格だ。
だから古のモラリストも、「情熱は必ず相手を説き伏せずにはおかない唯一の能弁家である。それは自然の技巧とも言うべく、その方式には狂いがない。それで能熱のある最も朴訥な人(芸のない人)でも、情熱のない最高の雄弁家よりもよく相手を承服させる。」(‘Les passions sont les seuls orateurs qui persuadent toujours. Elles sont comme un art de la nature dont les règles. sont infaillibles; et l’homme le plus simple qui a de la passion persuade mieux que le plus éloquent qui n’en a point.’;ibid., 8)と付け加えることを忘れない。
日下部翁が指摘し、Gくん氏も賛同する「元気玉」という措辞を私は使わないが、死んだ妻も、同じ言葉を使って「心の友」(ὁ φίλος τῆς ψυχῆς)である遠く離れた友人を励ましていたことを思い出した。
ちょうどその1カ月前、最初の吐血の後の検査で肝臓に重篤な癌が見つかり、手術はもとより抗癌剤治療も当面は肝臓の状態の回復を待たないと無理と専門医から宣告され、懸命に自宅療養中の朝の発信だ。遅咲きの桜の季節だった。
「おはようございます。先ずは、お手紙と、大好きなお菓子、ありがとうございました。本当は、お手紙を書きたかったのですが、起きているのが辛いので、メールでごめんなさいね。
毎日、倦怠感から横になっている日々。起きていると、腹水が、胃と肺を圧迫していて苦しいです…★子さんの事、ほんとうに心配してました。もしかして、お母様や妹さんの事で、心身ともに疲れ、入院してしまっているかも? と。
…毎日疲れて辛いでしょうね。そんな中、わたしの事でまた気を遣わせてしまい、ほんとうにごめんなさい。息子とは電話で話しました。電話の向こうで泣いてましたが、強く生きてもらうためにも、今泣いたら、あとは前に向かって生きてくれるようにと言いました。」
5月8日に肝臓の専門医の許可が下りれば、レンビマという、昨年3月に認可されたばかりの抗ガン剤を開始します。副作用も、効果も不明ですが、手術も何も出来ない今の、ただ待つだけのジリジリした日々よりは……
長いメールになりましたが、私と同じ肝臓の病と向き合ってがんばっているお友達にも、元気玉送ります‼ ありがとうございました」(2019年4月29日)
相手は、離婚した前の夫との間に生まれた一粒胤の息子と東京で同居した東大生の母親で、佐賀県在住。二人は、時折電話をしたり、メールのやり取りをするものの、一度も会ったことはない。
相手は九州だから台風や大雨があると妻から、当地は地震が多いからその度に友人から、互いに気遣って連絡を取り合っていた。二人は同い年だった。
友人は、元々病弱なうえに、実家の近所に住む実の妹が世話をしていた実母の介護を引き継いだ。妹が癌になったからだ。母親は娘が相手だから遠慮がなく、我儘のし放題。友人は心身とも疲れ果ててしまい、窮状を妻に打ち明けていた。
病魔に侵され、「どれほどの時間が残されているのか」分からない人間にも、相手を気遣い、寄り添う「元気玉」を送れるようだ。
そしてそれから90日後に妻は死に、友人は蘇った。妻が死んだ後、スマホを覗いて思わず胸を衝かれた。
人の言葉には、そういう力がある。一国の首相に登り詰めるほどの男にそれがないわけではなかろう。
ないとしたなら、溜め息が出るような話だ。[完]
例えば、私はドイツ狂、と揶揄されるほど私はドイツSpiegelの電子版を読み、普通の日本人よりドイツの情報が多く入るから紹介しているのであるが、ドイツのBiontech社は米国のファイザー社と共同して実用化一歩直前のワクチンを開発したし、コメント31. カロリーネ2020年11月23日 10:12に、
「換気」、ということで、Spiegel誌に興味深い、示唆に富む記事を見つけたので紹介した。
Corona und Schulen: So einfach ist es, Schulen coronasicher zu machen - DER SPIEGEL
コロナと学校、こんなに簡単、学校をコロナから安全にする方法
Das einfachste Mittel gegen Corona: Lüften
専門的技術的な方策で、教室の感染リスクはかなり下がる。Marco Evers 20.11.2020「Go To」問題の再整理を② ~たとえばマスクと換気が論点~ : 「平和構築」を専門にする国際政治学者 (blog.jp)
けれども、空気清浄機を製造し、全国各地に配置するには、ワクチン配布と同じように時間がかかる。ドイツのメデイアは、ワクチン配布は、この冬には間に合わない、ことを正確にドイツ国民に伝えている。仮想現実ばかりを報道する日本のマスコミの報道とは違うのである。また、現実のドイツでは、感染者は高止まり、病院は医療崩壊の危機にある。倉持仁医師のように、できもしないことを政府に要求する、批判するだけでは、間に合わないのである。そしてその、「現実の医療崩壊の危機」を救うのが、国民全体の、マスクの着用、三密の回避、手洗いなのである。
日本のマスコミの人々は、「人権人権」と騒ぐわりには、「言論の自由」という名のもとに、他人を誹謗中傷することがまるで平気である。どうして、現実をしっかりみつめ、できることとできないことの差を見極めることがまるでできないのだろう。現実は映画や小説の世界ではない。それを混同して「弁舌さわやかな嘘」、「プロパガンダ」を公共の電波に載せるから、トランプ人気や小池人気、橋本人気、吉村人気が起こるのである。そして、「堅実でまっとうな政治をされている」安倍前首相、菅首相、兵庫県の井戸知事が嘲笑の対象になる。
やはり、大事なのは、情熱ではなくて、理性、知性なのではないのだろうか。情熱におぼれるから、「世界に冠たるドイツ」、「自国第一主義」、ナチスドイツが力をもったのである。
私は、母が発病した同じ歳、67歳で癌になった。母への介護生活、昨日のことのようなのに、もうあれから20年以上たったのだと思う。自分がなってみて母の心境がわかると共に、本当の意味で強い人だな、と思う。病気のことばかり考えず、前向きに、他人をも配慮しながら、明るく、さわやかに、自分の与えられた仕事をこなして、人生を生ききる、それが人生の美しい終わり方なのではないのだろうか。
日本経済新聞のコラム❝春秋❞氏が、Gクンはじめわたしたちと同じような、❝総理会見印象記❞を書いている。屋上、屋だから、書いても無駄だ。
面白かったのは、並んで載っていた【文春】と【新潮】の週刊誌広告である。
【新潮】は
❝人災のコロナ危機❢❞と称して、この2~3日わたしが書きこんでいた高齢者重症者数、死者数への疑問を
❝報道されない「高齢者の死亡率激減❢」、演出される「医療崩壊」❞の見出しで書いているようだ。
【新潮】は、初めっから❝コロナ騒ぎすぎ❞路線の報道であったのに対し、
【文春】は、やや下火になったとは言え、初めっから❝コロナ怖い❞、❝コロナ煽り❞路線の報道であった。
【文春】が、コロナに対して、これからどんな報道していくのか追跡していかねばならぬ。
生物の死亡原因が何かを判断するのは難しい。ましていわんや高齢ともなると自然死なのか既往疾患なのか流行病のせいなのかの判断はなおさらだ。厚労省に上がってくる地方の死因判断が既に悩んだ結果なのであろう。
したがって、コロナ下で、高齢者で既往疾患のある場合の死因は2分の1にしたほうが良いのかもしれない。
ということは、11月からの高齢者コロナ重症者数、死亡者数は3分の1くらい差し引いて考えていたほうが良いかもしれない。
ということは、年明け2月ころまでのコロナ死亡者数は、先の予測、3000 +- 200 よりやや多くなって 3500 +- 300 くらいになる可能性がある。
新潮、文春に目を通してないのでどんなことが書かれているか、面白い発見があったら、また書きます。
1 単なる内政問題ではないことについて
反時流的古典学徒氏が以前に指摘されていたと思いますが、香港の「一国二制度」のもとで、香港に適用される自由権規約等に反する中国の行為は、批准され法的拘束力のあるとされている英中共同声明に明確に反する国際条約違反ですし、人権問題については「人道的介入」という概念や「国際人権法」という法分野があることからも明らかなとおり、単なる内政問題にはとどまらない国際的な問題なのです。
また、カロリーネ氏が好きなドイツが主導する形で日本、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、カナダのG7を含む39か国が国連総会第3委員会で、中国の人権(特に新疆ウイグルとチベット)や香港情勢に重大な懸念を示す下記の共同声明を出しています。
https://new-york-un.diplo.de/un-en/news-corner/201006-heusgen-china/2402648
2 菅首相の記者会見について
菅氏は、参謀として力を発揮する実務型の政治家であり、内閣官房長官としての記者会見はこなせてもトップリーダーである首相としての発信力には難点があります。リーダーに必要な「人を惹きつける人間的な魅力」はトランプ大統領の方が格段に上です。本人もそれを自覚しているので、「グループインタビュー」なる前例のない手法を用い正式な記者会見を避けてきた側面もあり、「ぶら下がり会見」も自信のなさが目立ちました。また、記者会見ではありませんが、国会答弁も拙さが目立ち、長期間に亘る通常国会に耐えられるか心配になります。
3 重複感染について
日本において重症者が増加したのは重複感染が原因ではありません。逆に、一般的な感染対策の徹底により、インフルエンザはこれまでと比べて激減しており、一般的な感染対策とは別に特別な「重複感染対策」なるものが必要というわけではないのです。政府が実施したのも、同時流行に備えるための観点での検査体制の充実やインフルエンザワクチンの供給を増やす対策であり、「重複感染対策」としてのものではありません。
けれども一国の政治指導者、首相や大統領は、マイケルジャクソン的なカリスマ性、人間的魅力だけで選んではいけないのである。結婚相手を決める場合も、自分の人生を一緒に作ってゆく人なのだから、恋愛と違って、信頼感が人を引き付ける人間的な魅力の上にこなければならない。
その政治家を決める基準が、日本のマスコミの政治報道はいい加減で、全く意味をもたないのである。番組内での政策論争を避け、政治家のパーフォーマンスばかりを映像で報道して、人気投票にしてしまっている。菅首相が決まる時も、マスコミが石破茂さんを応援していることは、その報道姿勢からよくわかったが、派閥がもう決めているから、もう菅首相で仕方がない、という報道ばかりで、日本国民のために、三人の政策の違いをじっくり報道する、どこが同じで、どこが違うか、視聴者にわかりやすく伝えるという誠実な報道姿勢をみせたマスコミの番組はなかった。民主主義の名のもとに、「表現の自由、報道の自由」を錦の御旗に、視聴者を自分たちの印象操作対象のように扱う、馬鹿にしているのではないか、とさえ思った。
循環器の病気 13.2%
糖尿病 9.2%
高血圧 8.4%
慢性の呼吸器 8.0%
がん 7.6%
(2/16~2/24 中国国内薬56000人の検査の結果)緊急事態宣言・西浦モデルの検証①(4月10日) : 「平和構築」を専門にする国際政治学者 (blog.jp)
もちろん、軽症者でも、臭覚障害が残る人、疲れやすい人という後遺症が残るし、ワイドショーはそれを大問題にしているが、もっと大問題、もしこのような持病を持つ人が、Covid19に感染して、病状が重篤化するのなら、それは医療崩壊の原因にもなる。感染した場合、致死率が、健康な若者と比べて格段に高いからである。そういう人が特に大勢いるところが、医院や病院である、ということを政府解釈氏は認識しなければならない。とにかく、机上の空論、法律論の為の法律ではないのである。、人間が社会で混乱なく生きていくために法律がある、という当たり前の常識を政府解釈氏は、きちんと身につけてほしい。
買い物で、文春と新潮を立ち読みというほどでなく、眼を通してみた。
週刊新潮は、❝コロナは学術的には5類相当❞としている。
週刊文春は、なんのこの掻き立ててはいるが、❝コロナ煽り❞の矛先をおさめるにはいかないようで、❝やはりコロナは怖い❞と締めくくる。
早く、PCRランダム検査でもしたらいいのに、なぜか、抗体検査まで待ちたいようだ。
どうなるか、見ものだ。
日が変わって未明に書いた144~145で言及した、死んだ妻の九州在住の「心の友」(ὁ φίλος τῆς ψυχῆς)から、佐賀名産のミカンがきょうの午前中に届いた。
妻を介した天の配剤(ἡ κατάστασις)、つまり神慮に依って(θείᾳ μοίρᾳ)それが実現したとも思えず偶然でしかないが、それも悪くはない。早速お礼の電話をして、久しぶりに長話をした。
一方で、一向に話の通じない狂信的で独善的(μανικός καὶ αύθάδης)な御仁もいる。偏執狂の老婆だ。その素人コロナ論議は愚劣そのもので、相手にするだけ時間の無駄だから、日下部翁や政府解釈氏に任せるとして、病膏肓のドイツ狂い(Γερμνανία μανία)も深刻なようだ。取り憑かれている(ἐνθυσιασμός)から、如何ともしがたい。お子様法律論、小児性民主制論も相変わらずだ。
日下部翁が、本欄の環境汚染要因である「Carova-20」の拠って立つ»Das BaBaaa spiegel«への妄信ぶりを指摘しているが(85)、Der Spiegelとは、「鏡」(τὸ ἔνοπρον)の謂いだ。この戦後創刊の週刊誌は、時代を映す一種の鏡なのだろうが、「鑑」(κριτήριον)では必ずしもないようだ。しかも老婆の場合は、同じ鏡でも狂信で「曇った鏡」(ein trüber Spiegel)であるか、歪んでいるのだろう。
「鏡は嘘をつかない」(Der Spiegel lüge nicht)と言うが、実際はとんだ間違いで、鏡像(ἐμφαίνειν εἰκών=Spiegelbild)は錯覚(ἡ πλάνή)、つまり虚像(εἴδωλον)であり仮象(φαίνεσθαι)であることは、科学的に証明された事実であり、注意深く観察すれば分かる経験的な事実だ。
つまり、実際には鏡に向かって前後が逆になっていることでしかないように。だから、[Spiegelfechten]は、「ごまかし、ペテン、いかさま」になる。
そう言えば、シラーの処女作である戯曲『群盗』(Die Räuber)に登場する盗賊は、[Spiegelberg]という。老婆も剽窃を平気で繰り返す「盗癖」があるから、Der Spiegelにのめり込むのは道理かもしれない。もっとも、Spiegelは男性名詞だから、»Das BaBaaa spiegel«というのは、聊かちぐはぐだが。
ところで、 『論語』の「巧言令色鮮矣仁」(陽貨第十七)の直前に、
「子曰。古者民有三疾。今也或是之亡也。古之狂也肆。今是狂也蕩。古之矜也廉。今之矜也忿戻。古之愚也直。今之愚也詐而已矣」(「子曰わく、古えは民に三つの疾(やま)い有り。今や或いは是れすらも之れ亡き也。古えの狂や肆、今の狂や蕩。古えの矜や廉、今の矜や忿戻。古えの愚や直、今の愚や詐(いつわ)るのみ」=学而第一、陽貨第十七)とある。
吉川幸次郎の語釈では、「過去の時代には、人民のもちやすい欠点として、三つのものがいわれた。いまはその三つの欠点さえ、なくなりかけている。過去の無法者は、無法者ながら、自由奔放(狂=筆者註)というよさがあった。現代の無法者は、ただ出鱈目である。過去の傲慢なものは、かどがあり、骨があったが、現在の傲慢なののは、はらを立て、人と衝突するだけである。過去のおろかなものは、愚直であったが、いまのおろかものは、卑屈に人をだますだけである。「無法、傲慢、ばか、という悪徳さえも、現在は堕落し、それはそれなりにもった良さを、喪失している。」(吉川幸次郎述『世界古典文学全集』第4巻、278頁)
机上の空論(τὸ φάντασμς λόγῳ)、ものごとの軽重(καῦφοτης καὶ βαρῦτης)、印象操作(κακῶς εἰκάζειν περί)でも、老婆には「自称」(ἑαυτόν)云々を含め愚劣な独自基準(ἴδιος κριτήριον)があり、「話が通じない人」(βάρβαροι)との典型だ。
菅首相の会見が詰まらない内容で、他と比較して見劣りするのは明白な事実であって、何もヒトラーやトランプ大統領と比較するまでもなく、議論を拡張させる必然性はない。いつにも増して他愛ない無駄話で、検討にも値しない。
昨夜久しぶりで、BSの討論番組を見た。新型コロナに感染して、最近復帰した参院議員で医師の桜井充氏(立憲民主、宮城県選出)の経験談と分析が興味深かった。
桜井氏は医師として専門的知見もあり、感染防止に細心の注意を払ったにもかかわらず感染した原因について、事細かに分析・推定し、接触感染の危険性について改めて注意を促した。大型コンピュータによる飛沫の拡散状況のシュミレーションなどから、首から上の経路による感染のみに必要以上に焦点が当てられているが、接触感染の危険性は無視できないからだ。
ウイルスは粘膜を通じて体内に侵入する。粘膜とは目、口、鼻に加え、生殖器と肛門だ。トイレが危険なのだ。マスクの着用や手指衛生を徹底させても、思わぬ盲点があるということだ。
最近はエアロゾル感染一辺倒で、「superspreader狩り」に狂奔する老婆の素人論議が、いかに近視眼で一面的か分かる。単細胞だから、新旧を含めて自らの低劣な理解力で受け付けた知見以外に関心が向かないようだ。しかも、尋常ではない(ὕπουλος)杜撰な空中楼閣(ἡ εὐχη)的議論に執心して、幻影(τὸ φάντασμσ)に生きている。
阿呆につける薬はない。[完]
コロナパンデミー期間の死者数増
どれだけの人々が例年より多く亡くなっているか。
国 例年より多い死者数 登録されたコロナの死者
人口10万人あたり 人口10万人あたり
スペイン 64.709 41.431
17.11.2020 138 89
ベルギー 14.008 12.352
03.11.2020 123 108
英国
13.11.2020 72.878 66.793
110 *101
米国
07.11.2020 310.576 233.093
95 71
ポルトガル
24.11.2020 9,489 4,023
92 39
イタリア
25.08.2020 51.554 34,738
87 59
オランダ
20.11.2020 13.301 8,805
76 51
フランス
10.11.2020 44.936 42,174
70 65
南アフリカ
17.11.2020 38.229 20,406
65 35
スウェーデン
10.11.2020 6,431 6,239
62 60
スイス
15.11.2020 2,928 2,943
34 34
オーストリア
15.11.2020 2,810 2,183
32 25
ドイツ
20.10.2020 9,306 9,862
11 12
ノルウェー
10.11.2020 236 257
4 5
デンマーク
10.11.2020 180 718
3 12
この数字は、その国のコロナによる死者が50人より増えた週から数え始めた。そしてそれぞれの期日までに登録された死者数を記した。
*修正された資料からとった
資料: The Economist
これを見ると、コロナによる自殺者がコロナによる死者を上回る日本と違って、欧米の国々は、どれだけコロナによる犠牲者が多く、同時に、集団免疫をとっているスウェーデンの10万人あたり60人以上がコロナで亡くなっていることの深刻さが、近隣の国ノルウェー5人、デンマーク12人、ドイツ12人と比べてわかるのではないのだろうか。三密回避、マスク着用を嘲笑する米国が71人というのも興味深い。「安倍のマスク」と日本のマスコミのコメンテーターによって、嘲笑された日本の首相と、人間的な魅力に優れた米国大統領のどちらのころな対策が優れていたかは、日本のコロナによる死者数で明らかなのではないのだろうか。
その醜悪で憐むべき見本が162~163ということになる。如何にも、「クジラの髭並み」の強靭な(狂人?)神経のもち主らしく、神経が行き届いていない点は、間違いだらけで矯激な「お子様論議」と同傾向だ。
例えば、各国ごとの数値の中に、
スペイン→17.11.2020▼ベルギー03.11.2020――のような、註記のない数字が紛れ込む。位取りのコンマ[,]が、ピリオド[.]でも一向に意に介しない。元秘書とはとても思えない杜撰さだ。何より、見づらく、表の役割を果たさない。
女性の割には美的感覚が、知性同様決定的に欠落している。一覧表は例えば、以下のように表記すれば、一目瞭然だ。
▽スペイン⇒☆64,709→★41,431→*138※89(11日17日現在)
▽ベルギー⇒☆14,008→★12,352→*123※108(11日3日現在)
▽英 国⇒☆72,878→★66,793→*110※101(11日13日現在)
▽米 国⇒☆310,576→★233,093→*95※71(11日7日現在)
…………………………………………………………………………
▽スウェーデン⇒☆310,576→★6,239→*62※60(11日10日現在)
▽ノルウェー⇒☆236→★257→*4※5(11日10日現在)
▽デンマーク⇒☆180→★718→*3※12(11日10日現在)
▽ドイツ⇒☆9,306→★9,862→*11※12(10日20日現在)
▼註 国/☆例年より多い死者数(A)→★登録されたコロナの死者(B)→*人口10万人あたりA/※同B=単位:人。出所: The Economist〔発行日不明〕)
無神経なならず者に、つける薬はない。
わかりやすく表をまとめていただき、ありがとうございました。
コピペの画面から整頓しようとすると、うまくゆかず、食事の用意、友人たちとの待ち合わせの時間があり、時間の制約があったものですから、ずさんな表をだしてしまいました。お手数かけました。
ただ、反氏の整頓されたまとめで歴然としているように、100万人あたりの死者数を見ると、強いロックダウンをかけたスペインやフランス、逆に集団免疫を志向してなにもしなかったスウェーデンや初期の英国、トランプ政権の米国の死者数は多く、三密の回避、クラスター調査をし、厳しいロックダウンまではしなかった日本、ドイツ、ノルウェイの死者の数は少ないのではないか、ということを主張しているのです。
しかるに、老婆が提示する「表」もどきの杜撰な代物は、「解読」を必要とする、その幼稚で見当違いなコメントと同様に「出来損ない」(πονηρός)だ。
老婆は、資料を駆使してものごとを明解に解き明かす能力に欠ける。思いつきで表を転記しようとしても、元秘書でパソコンの機能に詳しいはずだが、必要なソフトを使いこなせない。
編集者でもない、ただの素人のコメント狂だから、地の文に違和感のないように数値を織り込んで論述することもできないし、何より手間暇のかかることを一切嫌う度を越した横着者だから、162~163のような、越後の長褌並みのだらだらした数値を並べてても、一向に愧じない。
何ごとにも無神経で怠惰、しかも愚鈍な割には虚飾(ἀλαζονεία)、虚栄(χαυνότης、虚勢(προσποιησις)の三位一体(ἡ ἁγὶα τριάδα)だから、結果は目にも当てられない惨状を呈する。それで齢70近い、普通なら一人前の分別をもち合わせていることを期待されるはずが、それと真逆の外道となる。しかも、それを憚る気配もない。ひたすら狂信的な莫迦話を撒き散らす。
コロナ禍で、以前のようにご気楽に遊び惚けることも、海外旅行もままならず、気が立っているのだろう。哀れなものだ。
人は、加齢とともに内面の本質が自ずから姿形に現われる。醜悪な表しか作れない、それも自分で苦労して挑戦した結果がそうなら改善や同情の余地もあろうが、老婆の場合はただコピペしたものを、何も考えなしに羅列しただけだから、手の施しようがない。
☆訂正 164で試作の表のうち、スウェーデン⇒☆6,431の誤り。「Carova-20」ウイルスの影響かもしてない。
桜井充氏は、昨年、所属していた国民民主党を離党し、党には所属しない形で参議院の院内会派である「立憲・国民.新緑風会・社民」(当時の会派名。現在は分離)に所属したままでした。しかし、今年の5月に院内会派も退会し参議院の院内会派である「自由民主党・国民の声」に所属し現在に至っています。なお、桜井氏は自民党員にはなっていないので無所属のまま自民党系の会派に所属している形態となります。
https://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/202005/20200516_11003.html
これらからこの新型コロナウイルスに関する議論、どうなりますかね。占うに4月の「第1波」~8月の第2波までは、専門家・非専門家入り混じって百家争鳴状態でした。しかし、今は知見が溜まって、専門家がその現場の現象レベルの知見を”フィードバック”して、この未知のウイルスの動向に関する科学は、飛躍的に発展途上< の段階にあるのだと思います。そこは、餅は餅屋専門家の専門家たる所以です。
ゆえに、何を言いたいのかといいますとカロリーネさんはもちろん、ブログ主の篠田教授も、この新型コロナウイルスに関する所見(内容)披露は、そろそろやめる段階に近づいて来ていると思います。それでも中身にはいらず外形的政治的な指摘はあり得るとは思います(一般のいち国民の立場として・篠田教授は危機管理の専門家として)。
たしかに、専門家にふさわしい、餅屋は餅屋、と思える卓見をもっている専門家もおられる、篠田教授も私も尾身茂・押谷仁さんがそうだと考えているが、それが正解だと思わない、彼らを批判、糾弾ばかりする専門家が一日中テレビに登場して、彼ら本意の日本の世論を作っているとしか思えない場面が多すぎるのである。日本の国に無尽蔵なお金があるわけでもないし、現実には、失業問題、別の医療問題もある。例えば、吉村大阪府知事は、コロナで亡くなる人0が目標であるが、看護者をどうするのか、その副作用として、通常の病気の手術を含めた医療措置ができず、他の病気の患者が困っている問題はどう対処するのだろう。日本のマスコミ報道は、コロナ問題にかかりきって、そういう大所高所から見た、バランス感覚のある具体的な問題解決の視点が欠ける。そして、報道関係者が、大変だ、大変だ、と政府批判しかないことが、日本社会の一番の問題だ、ということにGくんは気づけないのだろうか。
【免疫力をつけて、コロナにそなえよう】
今日は、福岡はいい天気であった。あと1週間が今年の最後だろうと散策に出かけた。二山超えて福岡城の方へ出たのだが、途中、老舗割烹が店じまいしていてなんとも言葉が出なかった。
たまたま舞鶴公園二の丸の梅園を通りかかると、平和台陸上競技場でスピーカーが鳴っていた。忘れていたが、今日は福岡国際マラソンの日だったらしい。例年、そうなのだがコロナでてっきり忘れていた。❝…に金メダルが授賞されます。二位は大塚祥平さんで、銀メダルが授賞されます。…❞らしい声が流れていた。
人出は、ままあだが、いいカップルもマスク姿であわれである。コロナ教になり伏した感染症学界のご託宣によって国内を覆いつくしたコロナファシズムの最盛期なのであろう。
Gくんによれば❝コロナの科学的知見も煮詰まった❞とか、
まさか、❝じゃ、なんで10か月もたつというのにコロナの致死率も推定できないの。バカにするな。無能な感染症専門家集団❢❢❢❞
自分の命は、自分で守らないといけないそうだから、体力を維持し、免疫力を上げ、マスクをはずしてコロナへの免疫力をつけよう❢❢❢
いろいろ感染伝播のメカニズムや病態に関する知見が積み上がってきたとしても、未だに未知の側面を残す新型コロナウイルスに、武器なしの(ἄοπλος)素手の(γυμνός)状態で対処するのは無謀でしかない。「何の裏付けもない言論」(ψιλὸς λόγος)に等しいからだ。
それは、本欄に盤踞するコロナ狂いの偏執狂の老婆が、一知半解のにわか知識でいくらメディアに登場する関連分野も含めた感染症の専門家や医師を糾弾しても、何の益もないどころか、真面目な検討や相手にされる可能性すらない事態が端的に示していることと同じだ。
同じことは、当該分野の専門家、感染症やウイルス学の専門家、感染症専門医ではなくとも、日下部翁のように生物学的なアプローチなら専門性を生かせる人間とも異なる、所詮は他愛ない素人論議の限界を突きつける。
さらに、老婆には感染動態や規模を数学的に解析する数理疫学の知見も、生命体の多様な現象を分析、記述する個体群動態学(population dynamics)の基本的知見も、それを感染症に当てはめる数学的手法に関する基礎知識も、統計的処理のための基礎的知見も皆無なことは、愚劣な素人論議を眺めていれば、一目瞭然だ。
ドイツの高が週刊誌の解説記事を鵜呑みにする程度の老婆に、実質的な内容について、立論する余地などどこにもない。
憐むべき無学を剥き出しにする(γυμοῦν)以上のことは、何もできまい。しかも、条理を尽くして、明晰な日本語でそれをまとめ上げることもできないようでは。
専門家には、未知な部分を日々新たに加わる知見で補足する自由と責任があるが、素人には主観的な「解釈の自由」という幻想だけしかない。
老婆に可能なのは、新型コロナをだしにして党派心に凝り固まった矯激なメディア批判に利用することだけだ。以前のように行動が思うに任せぬことで積もり積もった鬱憤をメディアや野党批判にすり替え、暇つぶしの材料にするだけの毎日とは、そろそろおさらばした方がよい。
老婆が何を素材にして語っても結局そこに行き着くのは、愚劣な側面を併せもつメディアが老婆と照応し、毒にも薬にもならない点で、似たり寄ったりだからだろう。何より、外野で吠えている分には、メディア批判くらいご気楽なものはないからだ。
メディアの人間はまだ世間の批判の矢面に立つリスクもあるが、本欄のような匿名の素人批評は、何のリスクも負わない分、何も生まない。新聞の投書欄にも劣る面だ。しかも投稿者が、内容や議論の水準について、自己抑制や検証を怠るなら。
「わずかのことがわれわれを悲しませるので、わずかのことがわれわれを慰める。」(‘Peu de chose nous console parce que peu de chose nous afflige.’; “Pensées”, Frag. 136, Œuvres de B. Pascal par L. Brunschvicg, Tom. 13, p. 51)とはパスカルの『パンセ』(“Pensées”)の言だが、苛立つのも半ばにして、人はコロナと共存するしかない。
人間だけに都合がよいようには、この世界はできていないからだ。それを充分自覚しないところに、所謂ヒューニズム、人間中心主義(πάντων χρημάτων μέτρον ἄνθρωπος)の陥穽がある。
今後にも続く別種の新型コロナを目覚めさせるのもまた、人間である。
‘Les vieillards aiment à donner de bons préceptes, pour se consoler de n’être plus en état de donner de mauvais exemples.’; La Rpchefoucauld, Maximes 93.
コロナはしょせん流行り病だから、
本当の問題を論じたほうが賢いね❢❢❢
コロナは尾身さんにまかせよう、
みなさん、頑張って日本国、世界の為に頑張ろう❢❢❢
ばかばかしい、コロナ騒ぎを退けて、本当ににほんじんというか、人間は素晴らしいなと感じた一日であった。
❝コロナ、コロナ、飛んでいけ~~~❢❢❢❞
尾身茂のバカが、人の動きを減らさないといけないとか言ったらしい。
バカとしかいうほかない。
人の動きを減らすかどうかというのは、4月からわかっていたことだ❢❢❢
問題は、人の動きを減らして、感染がどれだけ低くなり、
どれだけコロナ自殺が増加し、
どれだけ日本経済が沈滞するかである。
自動車事故死を上わまらない、コロナ死になぜ騒ぎ立てるのか、
バカも休み休みにセイ❢❢❢
日本を自滅させているのは、
尾身茂を筆頭とする感染症バカ達である❢❢❢
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