忙しくてブログの更新等も一か月ほどしていない間に、新型コロナの新規陽性者が着実な減少を見せた。一か月前の前回の記事は、「正月の大きな山を下っていく新規陽性者数:感染拡大も減少も、人間的営みの結果」という題名で書いた。

今では、111日頃に今回の「第3波」のピークがあったことは、論証不要なほどに明らかになっている。

私が116日に書いた一か月前の文章は、正月の後のピークを越えて、新規陽性者数の減少が着実に進んでいることをはっきりと書いていた。

押谷仁教授が、正月後の異常な新規陽性者数の増加を、「疫学的に見ると異常な増え方」と描写していたことを前回の記事では紹介した。だが、押谷教授の洞察力を尊重せず、瞬間的な衝動に駆られた「専門家」の方々は、1月中旬でもなお、新規陽性者数の増加が継続し続けていることを主張し、2月にはさらに大変な惨事が訪れる、などといったことを主張していた。

前回の記事では、僭越ながら、こうした相変わらずの「煽り系」自称「専門家」の方々を、「季節労働者のような」「感染拡大期用の煽り系の専門家」と呼ばせていただいた。失礼ながら、「感染が減少してくると休暇をとる」が、「拡大期に入ると荒稼ぎをする出稼ぎ労働者といってもいい類の専門家」の方々とも書かせていただいた。

大変に失礼な言い方だったが、「私は、以前はこの人たちの言説をチェックしたりしていたが、もはや面倒でチェックもしていない」とも書いた。本心であった。正直、批判するインセンティブも失ってしまっている。価値がない。

私が尾身茂・分科会会長や、押谷茂・東北大学教授を「国民の英雄」と呼んで称賛し続けていることをもって、私に何かそのように行動する政治的な思惑があるのではないか、といったことを言い続けている人もいる。反論の必要もないナンセンスな話である。

なぜ2月に感染爆発すると主張していた人を軽視していたからといって批判されなければならず、感染拡大の回避を主導した方々を称賛したことをもって批判されなければならないのか。

ナンセンスもいい加減にしてほしい。

私は、昨年は、尾身会長や押谷教授が体現しているものとしての「日本モデル」に関心を持ち、文章を書き続けた。だがもはや結論ははっきりしている。

盲目的に「欧米を模倣せよ!」と主張し続けている人たちの言っていることには、何ら妥当性はない。

日本の取り組みが完璧だったということではない。しかし少なくとも「欧米を模倣せよ」に何の妥当性もないことだけは明らかだ。

冷静に「日本モデル」の長所を認めてそれを伸ばしていくことを中心に据えながら、ただ淡々とその短所を補う努力も欠かさないで行っていく姿勢を続けていきたい。