ミャンマー情勢をめぐり、元郵政大臣の渡邊秀央会長が率いる「日本ミャンマー協会」が注目されている。軍政時代に焦げ付いたミャンマー向け円借款約4,000億円の取り消しや、その後の年間1,000億円以上の円借款に深く関わっているからだ。25回とも言われる数の会合をクーデターの首謀者ミンアウンフライン軍司令官との間で繰り返している。https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/05/post-96232.php

この日本ミャンマー協会の役員一覧には政財界の大物が名を連ねていた。10億円以上のODAプロジェクトの契約企業の役員も名を連ねていた。私や、「Tansa」の渡辺周氏も記事で同一覧を取り上げると、https://president.jp/articles/-/45524  https://tansajp.org/investigativejournal/8282/ ウェブサイト上の役員一覧は空欄になってしまった。

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渡邊会長の息子の渡邊祐介氏は、日本ミャンマー協会の常務理事・事務総長を務めている。祐介氏も、ミャンマー軍(以下「タッマドゥ」)と太いパイプを持ち、同氏が副社長をつとめる日本ミャンマー開発機構(JMDP)がミャンマー軍配下の企業であるMECと提携して事業を進めている。https://news.yahoo.co.jp/articles/a3b45b261c828fefeea685035fbafac3bb58692a?page=2

その渦中の渡邊祐介氏が、英字紙『The Diplomat』に英文記事を投稿した。その国軍寄り・欧米批判・日本賛美の驚くべき内容が、日本国内および海外で、ミャンマーに関わっている人々の間に、大きな衝撃を与えている。https://thediplomat.com/2021/05/on-myanmar-japan-must-lead-by-example/

渡邉氏によれば、タッマドゥは、「民主的未来への渇望」を持っている点で「稀な例外」と言うべき軍事政権である。なぜタッマドゥがそのような特別な性格を持っているかと言えば、第二次世界大戦の際に、大日本帝国軍鈴木大佐がタッマドゥの創設に関わったからだからなのだという。その歴史的に特別な日本とタッマドゥとの間の「特別な関係」があり、渡邊氏自身とミンアウンフライン軍司令官との個人的な関係もあるのだという。

そのタッマドゥは「欧米によるミャンマーの民主化に向けた圧力を脅威」とみなし、「民族的反乱軍への軍事支援と同じ」とみなしている。渡邉氏によれば、それは欧米諸国の「ミャンマーの歴史に対する無責任な軽視と救いがたい戦略的な愚かさ」によるものだ。渡邉氏によれば、過去10年の民主化は、民族的対立を深め、中国の影響力を広げる結果をもたらしただけだった。そしてアウンサンスーチーは、ミャンマーにおける中国の浸透を許した張本人だった。渡邉氏は、2月のクーデターこそが、アウンサンスーチー氏が許した中国の開発プロジェクトを差し止めるものだ、と述べる。ただし、そこでタッマドゥがロシアに近づくのを許してしまったのは、欧米諸国が愚かな民主化推進政策をとっているためだという。クーデター後にもミンアウンフライン最高司令官と会話していることを誇る渡邊氏は、2月のクーデターは2008年憲法の沿った行為であった、と同司令官を代弁し、擁護する。

渡邉氏は、自分こそがミャンマーと日本の間の「特別な関係」を指揮(direct)してきた日本ミャンマー協会の事務総長である、と高らかに宣言したうえで、日本は、タッマドゥと、アメリカなどの民主主義諸国の間の架け橋にならなければならない、盲目的に欧米諸国の政策に同調してはいけない、と主張する。

渡邊氏はさらに言う。「日本は今や直接的にタッマドゥと協働し、中国の地経学的影響力を排し、戦略的なインフラプロジェクトを推進しなければならない」。渡邉氏によれば、この日本の政策こそが、アメリカのインド太平洋戦略に役立つことなのだという。なぜなら渡邊氏こそが、タッマドゥと協力して、中国の影響力の拡大を防いでいる人物だからだ。もっとも渡辺氏にそれができるのは、第二次世界大戦中の大日本帝国軍時代に培われた日本とタッマドゥとの間の永続的で「特別な関係」があるからだ。日本は、外国の価値を排し、タッマドゥと協働することによって、歴史に根差した経済発展を主導していくことができる。

渡邊氏に激しい檄文のような論調で、記事を結ぶ。渡邉氏によれば、日本は、タッマドゥとの関係をさらにいっそう強固にすることによって、危機を乗り越えるリーダーシップを見せなければならない。日本はアメリカや他の民主国とたもとを分かつことを恐れず勇気をもって行動し、タトマドゥと共に自由で開かれたインド太平洋のために歩んでいかなければならない。

こうした渡邊氏の主張は、ひょっとしたら日本の高齢者層の中には比較的頻繁に見られる程度のものであるかもしれない(父の渡邊英央会長は現在86歳で、渡邊祐介氏自身は2007年に新潟県議会議員選挙で落選した際の記録から推察すると60歳くらいであろうhttps://go2senkyo.com/local/senkyo/19181/38051)。

正直、国際政治学者としてハルフォード・マッキンダーについて論じた著作もいくつか持つ私には、渡邊氏の記事中でのマッキンダー地政学への参照は、全く理解不能である。マッキンダーの名前で21世紀の欧米諸国が批判している渡邊氏の議論は、渡邊氏が何らかの体系性のある理論的視座を持っていることを疑わせる。ただし、渡邊氏が、とにかく相当な中国嫌いであることは痛いほど伝わってくる。だが英字紙に発表された渡邊氏の議論の水準は、ただの中国嫌いの日本人の意見、という言い訳では収まり切れない衝撃を持つ。特筆すべき点を整理してみよう。

第一に、渡邊氏は、徹底してミンアウンフライン軍司令官を擁護し、徹底してミンアウンフライン司令官中心主義の視点で世界を見る。渡邉氏の世界観は、いわば「ミャンマーとはミンアウンフラインである」というもので、そこにミャンマーの一般市民の視点は一切全く入ってこない。ミンアウンフライン司令官とは、クーデターを起こして自ら終身司令官となり、反対する者を苛烈に抑圧して800人以上を殺害して5,000人以上を不当拘留して拷問等を行っている人物である。その人物との親密な「特別な関係」を誇るということ自体が、極めて異例なことなのだが、さらにクーデターが合法的だったと主張し、クーデターで民主化を停滞させてまで中国の膨張を食い止めているタッマドゥこそが日本の素晴らしいパートナーだと称賛している点において、その異例さは目を見張るレベルに達する。

第二に、渡邊氏は、徹底して欧米諸国を嫌悪し、軽蔑し、馬鹿にする。渡邉氏によれば、アメリカをはじめとする欧米諸国は、本質的に植民地主義者であり、無責任であり、無知であり、愚かである。ここまで日本の唯一の同盟国であるアメリカを徹底的に糾弾し、軽蔑している人物が、「我こそが日本とミャンマーの特別な関係を指揮している」と誇っているという光景は、極めて異例である。その外交的に深刻な意味は、看過できないレベルに達していると言わざるを得ない。

第三に、渡邊氏は、大日本帝国軍への愛着を隠さず、中国嫌いの感情を露わにすることに全く躊躇せず、日本賛美の立場を明確にするあまり、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の内容を骨抜きにして、作り変えてしまっている。渡邉氏にとっては、FOIPとは中国を封じ込めること、であり、それ以上のものではない。本来の日本政府の立場では、FOIPは特定国を警戒するためのものではなく、法の支配の広める自由主義社会のネットワークを広めるためのものであった。しかし、渡邉氏は、そのような公式のFOIPの理解に全く関心を示さず、むしろ完全に否定する。渡邉氏にとっては、いわば公式のFOIPの理解こそが「愚か」なものであるようだ。渡邉氏によれば、アメリカは、中国封じ込めのためにタッマドゥと協力していかないがゆえに「愚か」である。それに対して日本は、自由や法の支配などを一切語ることなく、中国を封じ込めるという目的のために虐殺集団であるタッマドゥとの「特別な関係」を深めているから、素晴らしい国である。

この衝撃的な渡邊論文に、日本人のミャンマーに関わる方々は、一斉に否定的な見解を表明して、反応している。それだけではない。海外の研究者や人権擁護活動家なども、次々と衝撃を表明するSNS投稿などを行っている。ロイターは、渡邊論文の衝撃それ自体で、記事を書いた。https://www.reuters.com/world/asia-pacific/japan-should-not-follow-western-policy-myanmar-diplomat-op-ed-2021-05-26/

果たして本当に渡邊氏こそが、日本外交を「指揮」している人物なのか。

渡邊氏の記事が出た翌日の27日、「ミャンマーの民主化を支援する議員連盟」が、昨年の選挙で当選したミャンマーの国会議員らが構成する「国民統一政府(NUG)」の大統領、首相、諸大臣らと、オンラインで会合を開いた。日本側の超党派の「議員連盟」には、立憲民主党の中川正春議員や石橋通宏議員が中心になりながら、自民党議員らも参加している。そこで逢沢一郎日本・ミャンマー議員連盟会長は、タッマドゥを「賊軍」「反国民軍」と呼び、NUGの正当性を強調した。

それでも日本の外交当局は、これらの国会議員の声は無視し、やはり依然として渡邊氏らの「指揮」に従って行動していくのだろうか。

ミャンマーの民主主義の危機は、今や日本の民主主義の危機にもなりつつある。