74日はアメリカの独立記念日だ。2か月前、バイデン大統領は、74日までに成人の70%が1回目のワクチン接種を終えるようにする、という目標を立てていた。残念ながら、この目標は達成されなかったという。バイデン大統領は、72日の記者会見で、変異ウイルスによる感染が広がっていることを強調し、ワクチン接種の重要性をあらためて訴えざるを得なかった。

 早期のワクチン開発に成功し、一日400万人接種を行い始めたアメリカの「ワープスピード作戦」について、私は称賛の論考を書いたことがある(「軍のロジスティクスを接種に活かせ」『VOICE20215月号)。イノベーションを生み、精緻な計画を実行して、リーダーシップを発揮していくエリート層の存在で、アメリカは世界にその底力を見せた。バイデン政権の最初の半年間で、アメリカはその威信をそれなりに取り戻したと思う。

 だが接種者数の目標を達成できなかったのは、バイデン政権にとって大きな痛手だ。すでに広く知られているが、民主党の知事がいるようなリベラル系の州では、目標を超えるような接種率を達成している。接種数が伸び悩んでいるのは、バイデンが大統領選挙で勝利することができなかったような保守系の州だ。接種が伸び悩んだのは、全米レベルの供給体制の問題ではない。アメリカの保守層に感情だ。接種に対する否定的な見方が根強いため、接種を希望する者が思うように伸びてくれないのだ。

 ワクチン接種開始前のアメリカは、新型コロナ対策の不備が災いして、世界最悪の甚大な被害を出した。日本のように一般庶民の地道な感染予防対策で、被害をそれなりに抑え込んできた国などと比して、好対照の成績であった。アメリカは、自由主義を謳歌する国であるがゆえに、エリートは強固であるが、一般庶民の平均的能力は必ずしも高くなく、それが新型コロナに直面したときの劇的な被害と、劇的な挽回とを生み出してきた。

 今も同じ状況が生まれている。確実な効果が見込まれるワクチンの普及に対して、障害になっているのは、人々が享受する「自由」だ。

 ワクチン接種に関心を示さない一般庶民層は、アメリカが標榜する自由の理念によって守られている。大統領をはじめとする誰にも、接種を拒否する者に接種を強いることはできない。

だが、このままでは、「ワープスピード作戦」の成果も、中途半端なままで終わってしまう。集団免疫の夢はもちろん、被害の拡大の停止も、どこまで実現できるかわからない。

今年初めに25万人を超えた全米の一日当たりの新規陽性者数は、6月半ばに12千人程度にまで減少した。しかしその後、漸増し始めている。死者数は、1月には一日あたり3千人以上だったが、現在は300人以下に抑え込んでいる。しかし0人にはなりそうにない。新型コロナを封じ込んだ、と言えるレベルではない。一人当たりの新規陽性者・死者数は、緊急事態宣言後の現在の日本の水準にまで到達できていない。

 自由主義の雄は、新型コロナ危機に対して、まず自由主義の脆弱性を見せ、次にその実力を見せつけ、そして今やまたその限界を露呈している。

 中国共産党は、自由主義の限界を、再び勝ち誇った視線で見守っていることだろう。

 バイデン政権は、「自由主義諸国vs.民主主義諸国」の競争の時代を勝ち抜くという「バイデン・ドクトリン」と呼ぶべき世界観を打ち出して、その政策を体系化しようとしている。

 だが日本では、外務省OBの田中均氏らが、中国外相とともに、「インド太平洋」概念の放棄を訴えている。
 外務省OB田中均氏の「日本は米中双方に自重を促せ」は正しいか – SAKISIRU(サキシル)
 中国外相、インド太平洋戦略は「ごみの山に」 - 産経ニュース (sankei.com)

現役の外務省の北米局長の市川恵一氏ですら、「『民主主義対権威主義』という一種、単純な二項対立で国際社会を規定するのは、この地域(アジア)とコミュニケーションするうえで、決して有用なやり方ではない」と断ずる。https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/62725.html 

 私事になるが、私の最終学位は、ロンドンのLSEという大学のPh.D.だ。社会科学分野では、ハーバード大学に次いで世界2位とランクされている大学院大学である。LSEのような大学では、何年もかけた研究を、「一言で要約せよ」、と指導教員に何度も言われる。

 日本では、政治家は何を言っているかよくわからないのが、一般的だ。それどころか日本では、曖昧な言い方に終始する政治家や官僚こそが、かえってよく出世したりする。それに対して、欧米社会では、自分の伝えたいことを簡明なメッセージで伝えられる人間こそが、優秀な人間である。

これまでもアメリカは、アジア人が見ると「単純な二項対立」と言わざるを得ないようなメッセージを発して、強く国際社会をリードしてきた。「世界は複雑だ、簡単には描写できない、あえて何かを言おうすればどうしても曖昧になる」といったことをブツブツ言っているだけの者に、国際社会をリードすることなどできない。

しかし同じアジア人とはいえ、中国人は、日本人とは違う。

中国人ならば、欧米の帝国主義者と、非欧米世界を対比させる。あるいは放漫な欧米人と、規律正しい中国人を対比させる。そして後者の優位を主張する。

日本人は、「バイデン・ドクトリン」を拒絶しようとしているが、中国人はしっかりと受け止めている。そのうえで、勝ち抜こうとしている。

日本人が「世界はそんなに単純じゃないよ・・・」と苦情を言っている間に、二つの超大国は、単純な世界観にしたがった競争を進めているのである。

ワクチンもまた競争だ。自国内の新型コロナの封じ込めだけではない。世界に、どちらのワクチンを普及させることができるかも、「単純な二項対立」と言わざるを得ないような形で進展している。「単純な二項対立」を拒絶する日本ですら、実際には「単純な二項対立」の世界観に従った形でしか、ワクチン普及を行えていないのが、否定できない現実ではないか。

二つの超大国は、今後長い年月をかけて、競争を行い続ける。その間、日本が、ひたすら「単純な二項対立」を拒絶し続けようとするのは、勝手だ。しかし実際には、国力を疲弊させた日本に、超大国の行動を変える影響力などない。結局は、日本も「単純な二項対立」の世界でしか生きていくことができないのだ。

アメリカは、日本をあてにはしていないだろう。日本も、「バイデン・ドクトリン」にしたがってアメリカを助けるつもりはないようだ。

だが、結局は日本の命運も、自由主義陣営の雄であるアメリカの浮沈によって、大きく左右される。ワクチン競争後の世界が、どのように開けていくのか。その結果で、日本の未来も大きく左右される、という現実だけは直視しておいたほうがいい。