今回『集団的自衛権の思想史』を執筆するにあたっては国会図書館で古い文献(多くはデジタル)を渉猟しましたが、国会のやりとりもだいぶ見ました。国会議事録は電子化されているので、検索することもできるのですが、第3章でとりあげた1955616日衆議院内閣委員会でのやりとりは、電子化されている議事録に数行分の欠落があることを私が発見し、国会図書館に通告しました。そのため現在は修復されています。後世にも残る貢献だとちょっと誇らしく思っています。

 電子化されている議事録のやりとりの流れに腑に落ちないところがあったので紙ベースのオリジナル議事録と照合し、発見したものです。やりとりが紛糾して二時間半の臨時休憩が入った後、当時の鳩山一郎首相が、「憲法九条に対しての解釈は、先刻申し上げました通りに、私は意見を変えました」、と述べるに至った自衛権解釈の変更を宣言をする決定的な部分が欠落していたのです。私はこの55616日のやりとりは、単に面白いだけでなく、非常に重要だと思ったのですが、既存の研究でこれまでこの日のやり取りを取り上げたものを見ていません。多くの研究者が電子化されている議事録をまず参照すると思うので、ここで欠落があると、普通はそのまま存在していないものとして見逃すと思います。

 鳩山首相が「意見を変え」たのは何かというと、それまで鳩山首相は「必要な自衛権」を持つことを憲法は禁止していないという立場でした。55616日午前まで「必要な自衛権」の一点張りだったのですが、同日午後になって「自衛のための必要最小限度の自衛力」を持てるという立場に変えたのです。これが極めて意識的な変化であったことは、本人が「憲法九条に対しての解釈は・・・私は意見を変えました」と述べていることから明らかです。

 それにもかかわらず内閣法制局が「195412月」の鳩山政権成立の時から「自衛のための必要な最小限度の実力」を持ち得る戦力の定義になったと1972年以来答弁し続けているのは間違いだ、と私はまず指摘しました(第3章注10196197頁)。おそらく内閣法制局は、「必要な自衛権」と「必要な最小限度の実力」は同じことだという解釈なのでしょうけれども、そのような解釈が語句に対する適切な注意を払っていない解釈であるのみならず、「私は意見を変えました」とまで言った鳩山首相自身の認識と大きく異なる恣意的な解釈であることは、言うまでもありません。

 より実質的な問題は、吉田茂内閣時代の195446日に当日の内閣法制局長官である佐藤達夫が次のような見解を出していたことです。「私どもの考えておるいわゆる自衛行動と申しますか、自衛権の限界というものにつきましては、・・・急迫不正の侵害、すなわち現実的な侵害があること、それを排除するために他に手段がないということと、しかして必要最小限度それを防禦するために必要な方法をとるという、三つの原則を厳格なる自衛権の行使の条件と考えておるわけであります。」(第4140頁)

 吉田内閣=佐藤長官時代は、戦力不保持の憲法解釈を貫いており、自衛隊は戦力ではないという立場でした。そのころ鳩山一郎は、そんなことはまやかしであり、自衛隊は違憲だが、それはおかしいので改憲が必要だという立場でした。では首相になってどうしたかというと必要な自衛力だから自衛隊は保持していいと言いだした。55616日の段階でなお鳩山は、吉田茂の憲法解釈は間違っていたと明言しています。自衛隊/自衛権/戦力をめぐる憲法解釈は大きく揺れ動いていたわけです。

 したがって私は544月の吉田内閣時代の佐藤答弁で政府見解が確立されたとは言えないと考えています。しかも5512月の鳩山政権成立時でもないです。確立されたのは、その後のことであり、むしろ「保守合同」を果たして「55年体制」を作り上げようとする大きな政治的な動きの中においてであったと考えています。

 佐藤長官の部下であり、鳩山政権成立とともに長官になった林修三は、当然議論が紛糾して二時間半の休憩動議が採択された後、首相と相談したでしょう。鳩山が「私は意見を変えました」と言い始めた616日午後、林は滔々と「大体」において吉田と鳩山の間に「大した」違いはなかったのだ、という曖昧なまとめ総括をする答弁を行いました。(第393頁)

 鳩山一郎は民主党でしたが、議論を紛糾させた質問者江崎真澄は自由党の代議士でした。江崎は「意見を変えた」鳩山を評価し、鳩山の見解が自由党の見解と近づいたと述べます。その5カ月後、民主党と自由党は保守合同を果たし、55年体制を確立し、憲法九条解釈が一つ固まります。

 鳩山が苦しんだ「必要な自衛権」と「必要最小限度の自衛権の行使」との間の違いに、今日われわれが無頓着であるとすれば、それはわれわれが無頓着であるからです。

 「最低限の自衛権」は「個別的自衛権」であるという後の内閣法制局の独自見解にもつながる事情は、様々な政治的経緯の積み重ねの中で段階的に生まれたものであることは、まず押さえておかなければならない点でしょう。多くの人たちが思っているほど、抽象的な理論的推論で明晰に導き出されるようなものではありません。

 (なお佐藤が編み出した「必要最小限」を含む「三要件」は、刑法上の私人の正当防衛をめぐる議論を援用したものと推察されますが(第4140頁)、その「国内的類推(Domestic Analogy)」自体が決定的な問題をはらんでいることは、第1章その他で論じたところです。