4章においては内閣法制局の集団的自衛権は違憲であるという見解が定まったのが1972年であったこと、つまり沖縄返還の年にそうした憲法解釈の方針が決まったことは、偶然ではない、ということを論じました。今までそういうふうに72年見解を描写した論者がいなかったということは、私には非常に不思議でした。それまで不可能と思われていた沖縄返還は、「基地の自由使用」は可能だとニクソン政権に感じさせることによって、達成された。「基地の自由使用」が不可能だろうから沖縄返還も不可能だろうと思われていたのであり、ひとたび日本政府が「基地の自由使用は当然可能だ」と言い始めてくれたからこそ、にわかに沖縄返還もまた可能なことになったのです。「自由使用」によって、日本と集団的自衛権の問題の整理が必要になったことは、自明であったはずです。
 私はそこで国会答弁を渉猟し、集団的自衛権の行使は違憲だという踏み込んだ言い方がなされるようになるのは、1968年に沖縄返還に関する声明を佐藤栄作首相が当時のジョンソン米大統領と行ってた後、1969年1月にニクソン政権が誕生して、佐藤政権が猛烈に沖縄返還に向けた政治工作を開始した頃の数カ月の間であることを確かめました。
 ただし拙著第4章の議論については、やや複雑な気持ちを抱いていないわけではありません。というのは
72年政府見解と沖縄を明示的に結び付ける確定的な証拠文書というものはないからです。「沖縄返還を達成するためにこのたび明快に集団的自衛権を行使することは違憲だと明言することにしました」、と述べたのんきな政府高官などはいませんでした。すべてはいわば状況証拠と言うべきものです。そのため第4章ではクドクドクドクドと国会答弁の流れなどを羅列して、状況証拠を並べ立てるような作業をしました。
 ただ、私としては、誰かが「沖縄返還にあたって集団的自衛権の扱いはこうする」と宣言していないことは、さほど奇異なことではないと思っています。政治的理由でそのような発言をするはずがなかったことは当然だからです。また、さらに言えば、思想史の分野ではよくあることですが、人間の思惟は時代の状況によって意識的・無意識的に拘束されているので、無意識的な拘束を論じるためには、いわば状況証拠を積み重ねて「歴史的背景」というものを描き出す作業しかないことはやむをえないからです。あるいはむしろそれこそが有効だと言えるからです。拙著の題名を『思想史』としたのは、そのあたりの事情もあります。