7月4日は、アメリカにおいて「独立記念日(Independence Day)」として知られる祝日である。1776年に、13の北米の英領植民地が、イギリス王の支配から逃れるため、独立宣言を公布した日だ。
前年の1775年から始まっていた独立戦争が進行中の最中に、その戦争の大義と目的を明らかにするために発せられた宣言であった。独立諸国家群は、ジョージ・ワシントンを総司令官とする「大陸軍(Continental Army)」を形成し、フランスなどを同盟国として、1783年まで戦い抜いた。
今年は、1776年から250年目にあたる。そこでアメリカでは「独立250周年」として節目を祝う行事が企画されているようだ。ところがトランプ大統領の企画には参加したくないといったミュージシャンが続出して、企画が実行できないなどの混乱が起こっているのだという。
このことを取り上げて、日本のメディアは「建国250周年」という表現で描写している。あるいはメディアをこえて、「建国250周年」という表現は、日本ですっかり定着しているようだ。
だが上述のように、正しくは「独立250周年」である。日本語の「建国」に相当する英単語は、アメリカでは使われていない。そもそも今年は「建国」から250周年ではない。
250年前の1776年に独立宣言を発したのは、「大陸会議におけるアメリカの13の連合した諸邦の代表者たち」である。1776年「独立宣言」は、複数形で表現された複数の「植民地(colonies)」が「自由で独立した諸国(states)」になったことを明記しており、日本人が想像する「アメリカ合衆国」という単一の国家は、このときには誕生していない。
「独立宣言」後に13カ国によって批准された1777年『連合規約(Articles of the Confederation)』は、第2条で、「各国家が主権、自由、独立を保持する」と明確に定める。「連合」は、諸国間の恒久的同盟と定められ、連合会議には、宣戦と講和、外交使節の交換、条約の締結など対外関係に関する権限が与えられた。しかし内政に関する権限は各国に残されたままであり、外政部分についても、連合として行動するための執行権を持った政府は設置されなかったので、戦争がなくなれば、連合が共同行動をとる機会もほとんどなくなる仕組みであった。
当時の人びとは、北米大陸に13の主権国家が生まれたが、イギリス王に対抗するために戦争では「大陸軍」という連合軍を作っている、という意識だった。そのため1783年に独立戦争が終わると、「大陸軍」は解散してしまった。
独立戦争後の北米13州は、自由を謳歌しつつ、共通の政策を持たず、仲違いも激しかった。このままでは諸国間の衝突が起こるのでなければ、再びイギリスのような外国軍が攻め込んでくる、と危機意識を持った者たちが集まって実施したのが、1787年の「制憲会議」であった。
この会議で起草された合衆国憲法が発効に十分な数の批准を集めたのが1788年であったので、アメリカ合衆国(United States of America)という国家体制が誕生したのは、1776年ではなく、1788年だと言うべきである。ちなみにジョージ・ワシントンが初代大統領に就任したのは、1789年のことである。
なお1887年の時点で合衆国憲法を批准したのは、11「州(State)」にとどまっていた。難色を示していたノースカロライナとロードアイランドを含めて13州全てが批准し終わったのは、ようやく1790年になってからのことであった。
制憲議会で憲法起草した「フェデラリスト」たちの議論では、合衆国憲法体制において、主権は、州と連邦に「分割」されて行使される。この「分割主権(divided sovereignty)」の教義は、絶対主権論が流通していたヨーロッパ(特に大陸諸国)では異端視されなければならないものだったが、当時のアメリカ人は、むしろ「神の恩寵」にしたがった共和国からなる「新世界」で可能になった誇るべき仕組みだと考えていた。南北戦争に至るまでの時期のアメリカでは、「分割主権」論こそが正統な原則であり、合衆国最高裁判所も「分割主権」論を明示する判例を繰り返し作った(拙著『「国家主権」という思想:国際立憲主義への軌跡』(勁草書房、2012年)第1章参照)。
このあたりの史実の重要性は、単なる歴史的な経緯の正確な把握という次元を超えて、憲法(The Constitution)」という政治共同体を構成する(constitute)諸原則を作る作業の理解の作法に大きく関わってくる。
憲法を作る、という作業は、極めて人間的な思想的・政治的営みである。国家は、憲法に謳われた諸原則によって形成されるものであり、逆ではない。
しかし日本では、先に国家があって、その先天的な国家なるものが、自らの憲法を後付けで生み出したかのような史実の理解が一般的であるため、憲法がなくても国家が「建国」されているのが普通だ、という観念が強くなるのだろう。
現在、皇室典範改正の動きをめぐり、論争が起こっている。そもそも皇室典範は、明治期に政治的判断でプロイセン憲法を模倣して1889年に大日本帝国憲法が制定された際に、あわせて1889年に導入された法律の名称でしかない。
プロイセン憲法は、国王を男性と定めていたが、それは国王が国軍の最高指揮官で、当時のプロイセンが男性だけを対象にした徴兵制度を持っていたからだ。つまり国王は男性に限る、というプロイセン憲法の条項は、当時のプロイセンの軍国主義の思想の産物であった。富国強兵政策を推進していた当時の日本は、そうであるがゆえにプロイセン憲法を模倣して、大日本帝国憲法第11條「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」という規定を挿入した。後に「統帥権干犯問題」を引き起こす「統帥権」規定である。
女性天皇を認めない立場を取る者は、ことを、あまり快くは認めたくないようだ。古代から連なる男性・男系の「万世一系の天皇」の神話が、憲法を上回る権威を持っているかのように理解しようとする。大日本帝国憲法も、日本国憲法も超越する、「万世一系の天皇」なる存在があるかのように振る舞おうとする。
しかしそれは社会契約論の考え方に依拠する「立憲主義(constitutionalism)」の思想を否定する態度である。
アメリカ人自身が「独立250周年」と呼んでいるものを、何とか強引に日本語では「建国250周年」と言い換えようとする日本のメディア関係者らの努力は、意識的であるか否かにかかわらず、社会契約論に依拠する「立憲主義(constitutionalism)」の意味を貶めようとしているに等しい。そのことは、決して過小評価されるべきではないだろう。
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