「平和構築」を専門にする国際関係学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

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過去のブログ記事(『アゴラ』) http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda

 トルコ・イスタンブールにおけるロシアとウクライナの停戦交渉に先立ってゼレンスキー大統領は、ロシア側代表団を「お飾りに過ぎない」と批判した。プーチン大統領が参加するように要請していたからである。これに対してロシア政府のペスコフ報道官はゼレンスキー大統領を「道化師」と呼び、「彼は悲劇的な人物であり、国を壊滅に導いている」と述べた。ザハロワ報道官は、「どんな学問的経験があるかも不明な人物が、立派な学術業績がある人物を馬鹿にするのは敗北者の行為だ」と述べた。前哨戦で感情的な侮蔑的な言葉のやり取りがあったということである。

 この雰囲気を受けて、実際の交渉のやり取りは、厳しいものだったようだ。もっともロシア側の主張は、従来から変わっていない。言葉のやり取りとして、現在ほぼ支配を固めているウクライナ4州に加えて、次回は8州が交渉対象になるぞ、という威嚇があった、と報道されている。ただこれは文脈としては、現在の停戦の機会を逃すと、むしろウクライナは損をするだけだぞ、という意味だ。メディアで伝えらえているように、それらの追加的な州の占領を完成させるまで停戦には応じない、と述べたわけではない。

 さらにロシア代表団を率いているメジンスキー大統領補佐官は、次のように述べた。メジンスキー氏は次のように述べ、ウクライナに屈服を求めた。「我々は戦争は望んでいないが、1年、2年、3年、どれだけ長くても戦う用意はある。我々はスウェーデンと21年間戦った(=170021年にかけて続いた大北方戦争)。あなたはどれくらい戦う覚悟があるんだ?このテーブルに座っている人たちの中には、もっと多くの愛する人を失う者もいるかもしれない。ロシアは永遠に戦う覚悟ができている」

https://news.yahoo.co.jp/articles/e0588406b4db8b80ad6cbfad2518c902c6904780

 メジンスキー大統領補佐官は、文化大臣も経験した経歴を持つが、政治学の博士号を持ち、歴史に関する著作を多数持っている。その学術的水準についてはうかがい知ることができないが、このように歴史的教訓を都合よく引き出してきたりするタイプの人物であるようだ。

 大北方戦争は、300年前の戦争であり、いくら何でも古すぎる印象も受ける。ただ、逆に言えば、なぜこの戦争を参照したのかは、気になる。たとえば59日に戦勝記念日を祝った第二次世界大戦の「大祖国戦争」ではダメだったのか? もちろん、いくつかの細かい条件はある。大祖国戦争はロシアではなくソ連の戦争で、ナチス側に加担したウクライナ人もいたとはいえ、ソ連側で戦ったウクライナ人が多数だ。

 もっともそれらは本質的な点ではないだろう。文脈から言えば、ロシアが非常に長期にわたって戦争をした過去の事例として、大北方戦争が参照されたようだ。ただし最も長期にわたる戦争としては、「コーカサス戦争」があげられる。1817年から1864年まで、約47年にわたって、帝政ロシアと北カフカース諸民族(特にチェチェン人・ダゲスタン人)が戦った戦争だ。ただ、これは国家間戦争の事例としての印象が薄い。また現在ロシア共和国を構成している民族を敵としている構図になってしまうので、政治的に不適切だろう。戦争が続いていたと歴史に記録されている期間の間の実際の戦闘の断続性も頻繁だ。

断続してもいいのであれば、ロシアがオスマン帝国を押し続けた露土戦争も、全部を総計すると、相当に長い。19世紀クリミア戦争どころか、第一次世界大戦でも、ロシアはオスマン帝国と戦った。しかしオスマン帝国との一連の戦争を参照するのは、交渉会議のホスト役を担っているトルコに失礼すぎる。

大北方戦争であれば、ロシアが、トルコ以外で、継承国が現在NATO構成国になっている事例の戦争だ。そしてロシアが、大北方戦争の結果獲得したサンクトペテルブルグを中心としたバルト海に面した地域は、その後300年にわたって、ロシア共和国領であり続けている(コーカサス戦争の敵方にはアブハジア共和国もあり、現在のロシア共和国に全てが残存し続けているとは言い難い面もあり、いくぶん微妙である)。

いずれにせよメジンスキー氏は、ロシアは長期の戦争に耐えうるし、耐えて結果を出してきた実績がある、と言いたかったようだ。

これは明らかに、ウクライナ側に「長期戦に持ち込んで事態を有利に進めていけないか」という意見があることを、強く意識している。

日本でも、停戦を拒絶し、長期戦に持ち込むことによって「プーチン政権の崩壊を待つ」といった主張をされる方が少なくない。「ウクライナは勝たなければならない/この戦争は終わらない」主義の方々である。

万が一キーウが陥落してもなお、最後の一人になるまでゲリラ戦も覚悟して戦い続ければ、やがてソ連がアフガニスタンから撤退していったように、ロシアはウクライナから撤退していくだろう、といった主張でもある。

つまり、「ウクライナは勝たなければならない/この戦争は終わらない」主義の方々の論拠は、最後の一人なっても戦い続ける永久戦争に持ち込めば、ロシアは撤退するのでなければプーチン政権が倒れる、という予測である。

メジンスキー氏は、この見方に挑戦し、否定しているわけである。

果たしてこれは妥当な見方だろうか。上述のように、日本でも、「ソ連はアフガニスタンから撤退した、アメリカはベトナムから撤退した」、といったことを言いたがる方々も多々いらっしゃる。だがこれらは全て状況が異なりすぎている。

断続的な押し引きをしたオスマン帝国や、大英帝国、日本などのとの戦争の事例は、微妙だ。たとえば日露戦争後に樺太南部を割譲している。ソ連として、ロシア革命後に第一次世界大戦から離脱した際のソ連のブレスト=リトフスク条約では、ロシア帝国領の整理を行った。
 だがメジンスキー氏が示唆するように、ロシアが陸続きの領土の併合を宣言して、その領地の防衛を「祖国防衛戦争」と位置付けた後、敗北を認めて領土を譲渡したような事例は、歴史上、見ることができない。ロシアにとっては、ロシア領の一部としてしまったウクライナ東部5州の死守は、すでに「祖国防衛戦争」になっていることには注意が必要だ。

「撤退しないのなら、ロシア国民が立ち上がってプーチン政権を倒すだけだ」と主張する方々も多々いらっしゃる。しかし残念ながら、3年以上戦争を続けてきて、その予兆はない。むしろ最初の1年間のほうが可能性があったように思われる。私が「ロシア・ウクライナ戦争の峠」と呼んでいる2023年春以降には、めっきりロシア国内の反政府運動も見られなくなった。
 私が別途「The Letter」で指摘しているように、ロシア占領地域で、目立った反ロシア運動が見られないことは、かなり重要な点だ。この事情は、ロシア国民の世論にも影響を与えていると思われる。現在の占領地においてすら、反ロシア運動が起こっていないのに、どうやっていずれはプーチン政権が倒れる反政府運動がロシア国内に起こる、と断言できるのだろうか。https://shinodahideaki.theletter.jp/posts/2b8da880-32cc-11f0-ab14-f74094ce99bd?utm_medium=email&utm_source=newsletter&utm_campaign=2b8da880-32cc-11f0-ab14-f74094ce99bd%20#theLetter%20@ShinodaHideaki 

ゼレンスキー大統領はロシア領内施設等への攻撃にこだわっている。ロシア領が攻撃されれば、プーチン大統領の全能のイメージが崩れ、ロシア国民が立ち上がってくれる、といった期待を述べたこともある。その観点から、ザルジニー総司令官を解任して、クルスク侵攻を仕掛けた。だが、8万人近いとも言われる兵士と、大量の欧米諸国提供の最新兵器を失っただけで、撤退した。ゼレンスキー大統領は、諦めきれず、依然としてクルスク州にウクライナ兵を侵入させたり、ドローンでロシア領を攻撃したりしている。それらの多くが、ほとんど軍事的には意味のないものばかりである。

歴史がどう展開するかは、最終的には、やってみるまでわからない。政策判断は、合理的な推論とリスク評価をもとにして、行っていくしかない。

だが日本でスマホでSNSをやりながら「ウクライナ人は必ず最後に一人になるまで戦い続ける!」と怒鳴ってみることが持つ倫理的な意味についても、考えなければならない。

「悪いのはプーチン、次にトランプ、ただそれだけ、結果が出なければ、ただこの二人を責め立て続ける、ただそれだけ」、という態度は、政策決定者なら、なかなかとれない。

すでに「これで戦争継続しかないことがわかった!」と高揚して主張している方々も多々見られる。しかしメジンスキー氏の役割は、3年ぶりに再会された交渉の冒頭でロシアの主張を強く出すことなので、後日プーチン大統領が裁決を出す機会があるとすれば、それが譲歩するときだ。冷静さを失わず、交渉を続けていく姿勢は、むしろ大切だろう。

 

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 59日ロシアで大祖国戦争戦勝80年のパレードが行われた。約30カ国の国家元首・政府首脳が集まる大規模な式典となり、外交会議も多数開かれたようである。ウクライナは西欧諸国にあわせて第二次世界大戦終結を58日と設定してロンドンでのパレードに参加したりした後、9日はウクライナ西部のリビウで「侵略の罪」を裁く「特別法廷」を設置するための準備会合を、欧州諸国・組織の代表者たちと開催した。その後、フランスのマクロン大統領、イギリスのスターマー首相、ドイツのメルツ首相、ポーランドのトゥスク首相が、キーウを訪問した。これら四カ国首脳は、ウクライナのゼレンスキー大統領とともに、「512日から30日間の停戦」をロシアに要請した。そして応じない場合には、アメリカとともに大規模な追加制裁をかける、と主張した。これに対して、プーチン大統領は、15日にトルコで停戦交渉を行うことを提案した。これに対して、ゼレンスキー大統領は、停戦に応じなければ、交渉はない、と主張した。その次には、プーチン大統領がトルコに来なければ、交渉はない、と主張した。

 非常に目まぐるしい動きだが、実質的なことはまだ何も起こっていない。トルコに来る準備をしているのは、プーチン大統領ではなく、ラブロフ外相だと言われている。また、欧州諸国が要求した12日からの「30日間の停戦」は、「最後通牒のような要請には応じない」としたロシアによって無視されている。そして追加制裁なるものも導入されていない。

実はウクライナでは、202210月の国家安全保障・国防会議決定・大統領令で、ゼレンスキー大統領自身の署名をもって、プーチン大統領と交渉をすることが禁じられている。交渉が決まれば、即座に大統領令を取り消す、ということなのかもしれないが、もともとプーチン大統領がトルコに来るはずはない、と信じているので辻褄が合わないことを言っているだけだろう、という醒めた指摘もある。

なお、アメリカのトランプ政権関係者は、追加制裁に同調する、と発言していない。加えて、EUでの全加盟国の同意が必要な追加制裁について、実現可能性を疑う見方もある。ハンガリーやスロバキアが、EUの反ロシア政策に疑念を表明するようになっており、追加制裁に同意するか、不明だからだ。EU指導部は、通常の制裁決定の手続きを回避する手段をとるのではないか、という憶測も流れている。もともとイギリスはEU加盟国ではない。今回は、EUと同調して制裁する、という意思表明を首相が行った、ということだろう。イギリスとともに、有志のEU加盟国が制裁措置をとることはできる。だがそうなると、さらにいっそう賛同国が減り、制裁参加国が減る恐れがある。果たしてそのようなわずかな数の小国だけが行うものが、「制裁」の名称に見合うものなのか、疑念も出てくるだろう。単なる断交に近いものかもしれない。

恐らくは、そのあたりの事情も見越しているのだろう。ロシアは制裁の「威嚇」に全く反応せず、無視している。追加制裁とは、ロシアと貿易をした第三国に500%の関税をかける措置だ、と噂されている。この追加制裁なるものは、「トランプ関税」の拡張版のようなもので、実効性があるのか、疑わしい。欧州人にしてみると「トランプさん、あなた、自国の勝手な都合で中国に145%の関税かけると言ったんだから、ウクライナのために中国に500%の関税をかけるくらい何でもないだろう」といった話なのだが、率直に言って、「トランプ関税」の交渉を中国やインドを含めた相当数の諸国と始めているトランプ政権にしてみると、迷惑な話であると思われる。

 SNSなどでは、「いいぞ、欧州、ロシアをつぶせ!」や、「プーチン、早くトルコに来い!怖いのか!」などの威勢の良い声が見られる。各国指導者の発言や行動は、お茶の間あるいはスマホ前のファン層へのサービスのアピールとしては成功しているようだ。だが停戦交渉の進展には、つながっていない。

 ロシア・ウクライナ戦争は、大規模で凄惨な戦争である。大規模侵攻開始時から3年以上、ドンバス戦争勃発時からは11年以上の長期にわたって続いている。背景となる歴史も深く、当事国の国民感情も重たく複雑なところがある。紛争に関わる「準」当事者のような有力アクターの数も多い。評論家や学者層の情緒的関与の度合いも高く、感情的憎悪関係なども蓄積されてきている。複雑方程式を解くのに、時間がかかるのはやむを得ないところはある。まだ前途は多難である。

 ただそれでもトランプ大統領就任後の変化は、大きい。「ウクライナは勝たなければいけない」と主張しなければ非難されてしまう雰囲気は、霧消した。「この戦争は終わらない」の主張も、あまり聞かなくなった。動いてはいる、ということだろう。今回は、トルコのエルドアン大統領が、調停を取り仕切るために待っている。黒海の玄関口を握り、かつて「穀物交渉」を成立させた実績を持つ。今年の2月24日に、国連安全保障理事会で2022年以降初めてのロシア・ウクライナ戦争に関する決議が採択されたが、それは「可能な限り速やかな停戦を要請する」という内容だ。そろって棄権した英・仏など欧州の理事国以外の全ての理事国の賛成票が集まった。安保理決議は、国連憲章に基づいて、全加盟国を拘束する。

 フランス・ドイツ・イギリスの首脳たちが電車でキーウに向かう際、突然の撮影に見舞われた場面で、マクロン大統領が何らかの白い紙を、メルツ首相が非常に小さいスプーン上の何ものかを、あわてて隠す、という動作があった。これについて、最初は「あの二人、何を慌てて隠しているのだろう」という指摘だったものが、やがて「コカインをやっていたのではないか」という話が広まり始めた。当然、フランス政府などは打消しの声明を出した。しかしロシアの報道官がコカイン解釈を紹介するところまでに至ったため、今度は「親露派バスターズ」界隈の一斉に反応した。「ほんの少しでもこのシーンに関係したことを言ったら、即座に親露派とみなして糾弾の対象とする」といわんばかりの「犬笛」を吹いて、SNS界隈でお馴染みとなった「隠れ親露派狩り」の嵐も吹き荒れることになった。

 私が感じているのは、欧州諸国指導者の世論対策の姿勢だ。ロシアの方は仰々しく派手な大パレードと多国間外交交渉を示したうえで、祖先への感謝といった共同体的価値観を強調するプーチン大統領の姿を強調するシーンで宣伝活動をしている。これに対して欧州諸国は、数名の仲間内の旅行のような雰囲気で、リラックスした服装、リラックスした表情、サークル的な協議風景を前面に出して、宣伝活動をしている。

https://x.com/ShinodaHideaki/status/1921690955674959891 

 ロシアの儀式主義を悪い権威主義だ、と印象付けるために、わざと庶民的な友情の光景をアピールするようなつもりなのかもしれない。だがこれは、一歩間違えると、欧州数カ国の仲間内のインナーサークルの集まりの軽いノリで、数十万人とも言われる犠牲者数が出ている戦争の継続支持をしている、といった印象を、欧州域外の70億人以上の世界の人々に与えてしまうリスクがある。

 西欧諸国のエリート層と付き合っている限り、悪いのはプーチンで、要するにそれだけのことだ、という雰囲気が強い。しかしそのノリで、ロシアを追加制裁で潰す、追加の特別法廷でプーチンを罰する、云々といった強い政策を、ただ欧州の間だけで発言し続けていると、どうしても西欧の外にいる人たちは引いてしまう。気づけば、あらゆる政策が、一部の西欧諸国だけで語っているだけの光景が広がっていってしまう。

 

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 59日のモスクワにおける「大祖国戦争」戦勝記念式典に出席する世界の指導者に対して、ウクライナのゼレンスキー大統領が、安全が保証されないので欠席すべきだと発言したことで、波風が立った。ロシア政府が「テロ予告だ」と反発しただけでなく、スロバキアのフィツオ首相が「脅かしには屈しない」と述べた。アメリカからもウクライナに行動をしないように働きかけている、といった報道も見られた。ロシアは厳重な警備・防御態勢をアピールした。

 結果として、モスクワでは、事件の発生なく、式典パレードが執行された。ロシアのプーチン大統領は演説で、ソ連の赤軍がナチス・ドイツを打ち破って「人類の平和と自由」を守った歴史を「歪曲」する試みは許さない、と述べたうえで、「国益、千年の歴史、文化、伝統的な価値観をしっかりと守る」とも述べた。

 ウクライナ及びその支援国としては、これが政治的出来事として面白くないだけでなく、ソ連の歴史をロシアの侵略とも結びつけている歴史観としても面白くないものだ。5月9日に先立って、ウクライナ政府は、ソ連がナチス・ドイツと不可侵条約を結んで東欧を分け合ったことが、第二次世界大戦の発端だった、と説明する広報ビデオを公開していた。

5月9日にウクライナ軍は、ウクライナと国境を接するロシアのベルゴロド州の政府庁舎を航空機型ドローンで攻撃した。民間施設に対する攻撃で負傷者が出た。ただ、大規模な侵攻をしたクルスク州の東隣の州であり、国境を挟んで向かい合うハルキウ州は、戦場を抱える地域だ。大きな驚きを与えるほどではなかった。

 ウクライナは、西欧側の対ドイツ戦戦勝日である58日にあわせて80年前の戦争の終結に伴うイベントを行うと、9日には欧州指導者たちとリビウで「侵略犯罪」を裁くための特別法廷を設置する協議の会議を行った。さらには10日、フランスのマクロン大統領、イギリスのスターマー首相、ドイツのメルツ首相、ポーランドのトゥスク首相が、キーウを訪問した。独立広場で揃って戦没者を慰霊する献花も行った。これはロシア・ウクライナ戦争の犠牲者に対してなされたものと思われる。

 ただしその裏では、ハンガリーのフィツオ首相は自身のモスクワ訪問を批判したカラスEU外交安全保障上級代表を批判し返す文章を公開するといったやり取りも起こっている。ハンガリーは、自国がナチス・ドイツに味方した、という歴史的経緯から、高官のモスクワ訪問は見送ったが、オルバン首相が欧州の反ロシアの姿勢に懐疑的であることは周知の通りだ。ルーマニアの大統領選挙で、40%を獲得したルーマニア統一同盟(AUR)候補のジョルジェ・シミオン氏が決選投票も勝つと、ウクライナが国境を接するEU/NATO加盟国4カ国のうち、ポーランドを除く3カ国がウクライナ支援に懐疑的なグループとなる。そのポーランド首相と並んでキーウを訪問したドイツ、フランス、イギリスの各国において、同じ思想傾向を持つ「極右」政党の支持率が急伸していることも、周知の通りである。

 欧州主要国の指導者層は、アメリカのトランプ政権の諸政策に感情的なまでの反発を示すことが多い。ロシアに対しても宥和的すぎると批判しがちだ。しかし「30日間の停戦」案で、アメリカと共同歩調をとろうともしている。選挙の洗礼を受ける必要がないEUのカラス上級代表や、フォデアライエン委員長とは異なる事情を、日ごろから世論調査を気にし続けている各国政府の指導者は持っている。「ウクライナは勝たなければならない」の欧州諸国指導者の間で一時期の決まり文句のようになっていた発言は、聞かれることがなくなった。もちろん何と言っても、ゼレンスキー大統領が、ホワイトハウスでの激突以降、「ウクライナは停戦に乗り気だが、合意しないのはロシアだ」という路線でのトランプ大統領を含めた各国へのアピールの修正をしていることも大きいだろう。

 日本でも、トランプ政権発足直後の一時期は、停戦交渉に走るトランプ政権を見限り、徹底抗戦するウクライナを支え続ける欧州諸国と、日欧同盟を結ぼう、といった威勢のいい発言も見られた。だがそれも「トランプ関税」とそれに伴う減税騒ぎで下火になっている印象はある。

 ロシアは手ごわい国である。屈従する必要はなく、信用し過ぎるのは危険なら警戒すべきだが、甘く見るのは、禁物である。欧米諸国が本格的に「制裁」を加えているのを見て、ロシアは崩壊したも同然だ、と言ったことを語る方々がいたが、それはもちろんだいぶ前に消えていらっしゃるかと思う。

 私自身は、ウクライナの自衛権行使は正当で降伏の必要はない、という文章を書いたのを橋下徹氏に見てもらったことから、思わぬ形で有名になったが、「均衡」論者である。別にロシアにおもねる必要はないが、ロシアを破壊することなど、できるはずがない。だからこそウクライナの正当かつ計算した自衛権行使が重要であった。「均衡」以外に、戦争を終わりにする方法はない。

 ロシアの大祖国戦争式典に出席した世界の指導者の国々のリストを見てみよう。首脳級は29カ国を数え、大きな外交の場ともなった。アルメニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンは、旧ソ連構成諸国だ。ウクライナに加えて、そもそもソ連の併合は違法だったという立場をとり、現在はEU/NATO内の対ロシア急進派のバルト三国に、モルドバとジョージアというロシアと距離をとる諸国が参加しなかったが、それら以外の旧ソ連構成諸国はそろった。近隣では、スラブ系住民を持つボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビアのバルカン半島組に、モンゴルが、同じ戦争を戦った同志のような位置づけで、順当な参加である。スロバキアは、スラブ系ではないが、ナチス・ドイツに加担した国としての歴史と赤軍に解放してもらった国としての二つの位置づけを持つ。

第二次世界大戦の記憶を同じ側から共有する国と言ってもいいのが、超大国・中国だ。別格の厚遇を受け、存在感を見せつけると同時に、ロシアとの親密な関係をアピールした。なお抗日戦争の歴史観に立つと、ベトナムも中国と同じような歴史観の立ち位置だ。それに準ずるのがラオスだろう。微妙だが、ミャンマーも同じ系統ではある。なお北朝鮮は、金正恩氏が訪ロを見送ったため、最高議会議長が出席したと見られている。もし北朝鮮を含めると、外国首脳は30カ国となる。

 さらにはロシアとの良好な関係から出席したと言ってもいいと思われるのが、欧州・アジアの域外からの参加である。目立つのが、アフリカ勢だ。ブルキナファソ、コンゴ、エジプト、赤道ギニア、エチオピア、ギニアビサウ、ジンバブエの七カ国だ。中東からは、エジプトを重なって数えてもいいのを除けば、パレスチナ自治政府の参加だけにとどまった。ラテンアメリカからブラジル、キューバ、ベネズエラだ。

 30カ国という数字は、あるいは際立って多いわけではないかもしれない。しかし欧州諸国が、支援国のグループを欧州域外に広げるのに苦心していることと比べれば、堅調であると言える。ロシアの外交力も、軽視することはできない。

 

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