6月19日付『朝日新聞』の長谷部恭男・早稲田大教授と杉田敦・法政大教授との間の「対談」を読んだ後、気分が悪くなった。なぜだったのか、一晩寝かしてから、もう一度考えてみた。
「安倍政権マフィア化」という品のない題名も、ハッとはする。政権は個人攻撃をしているからマフィアだと言いながら、首相の個人攻撃に終始する記事を載せているのは、同じ学者として、暗澹たる気持ちになる。が、ここ数年の政治運動の仕組みを考えれば、特に今さら驚くほどのものではないのかもしれない。
気分が悪くなったのは、自衛隊に関する記述部分だ。「改憲の道具として自衛隊利用」という見出しの欄で、長谷部教授は、次のように述べた。
「自衛官の自信と誇りのためというセンチメンタルな情緒論しかよりどころはありません。そう言うといかにも自衛官を尊重しているように聞こえますが、実際には、憲法改正という首相の個人的な野望を実現するためのただの道具として自衛官の尊厳を使っている。自衛官の尊厳がコケにされていると思います。」
ここでは自分は自衛隊員を尊重しているが、首相はコケにしている、という文脈だ。自己説明では「俺は言っていない」ということだろう。だがそうであれば、首相もまた「俺はそんなことは言っていない」と思うに決まっていることは当然だろう。論争相手の尊厳を一切認めず、誹謗中傷だけを繰り返す、「子どものケンカ」である。
しかし何と言っても「子どものケンカ」の題材に、「自衛官の尊厳」なるものを、勝手に持ち出し、あたかも自分こそ自衛隊員の立場を代弁しているかのように振る舞う態度が、私の気分を悪くさせた原因だ。
これは禁じ手だと思う。というのは、憲法学者が、自衛隊員自身が発言を行うことを憲法違反として禁じているからだ。自衛隊員が自ら何かを言うと、一斉に批判の声を上げ、黙らせようとする。その上で、自衛官のことを本当に代弁しているのは、私、憲法学者であるという話を、全国紙を通じて流布しようとする。ルール違反ではないだろうか。
自衛隊員が、憲法改正を含めて一切の政治事項について発言するのを、「違憲だ」とまで表現して、禁止する。
次に、「首相は自衛隊をコケにしており、自衛隊員を尊重しているのは憲法学者だ」と主張する。
さらに、全国紙を通じて自分の政治的思想を「自衛官の尊厳」の名で広める政治運動を展開する。
憲法学者は、こういった論理構成に慣れている。「主権者・国民」こそが絶対的で、政府を常に制限するのが国民だと主張しながら、ただし「国民」は何も発言しないので、憲法学者のコミュニティが学会の多数派意見で「国民」の一般意思の内容を決める、と言う但し書きをつける。こういった発想を常識とする人々だけのコミュニテイに、数十年も浸かっていると、その論理の奇妙さに気づかなくなるのだろう。
改憲に反対したり、首相が嫌いだと言ったりしたいだけなら、ただ「私は改憲に反対する、首相は嫌いだ」、と発言すればよい。そのうえで、自分の主張の根拠について、相手の論拠にも対応した精緻な学術的な議論を提供することに努力を払うように心がけるべきだろう。
自衛隊員の発言を違憲として禁止するのであれば、勝手に自衛隊員の気持ちを代弁するのも違憲に等しいと考えるべきだ。学界で最高権威を持つ憲法学者であれば、代弁しても許される、それどころか立憲主義の進展につながるのだ、といった発想には、私は根拠がないと思う。
コメント
コメント一覧 (13)
自衛隊が違憲と言い続ける限り、自衛隊の倫理的優位性が際立ちます。
気分が悪くなるのは、護憲派が非倫理的だからでしょう。
公務員の政治的表現の自由を大幅に制限することを肯定する最高裁判決(猿払判決等)に対しては表現の自由が民主主義社会にとって極めて重要な人権であることから批判的な学説が多数説であり、引用の対談でも、長谷部教授は、自衛隊員自身が発言を行うことを憲法違反として禁じているという趣旨の発言はしていないと思いますが・・・
自衛隊員の政治的発言には全く問題がない、という長谷部先生の学説については、しっかり引用していきたいので、出典根拠を教えて頂けますか。根拠がない場合には、情報源である貴殿の実名でも結構です。
篠田先生の念頭に置く憲法学者が、どの憲法学者の見解に基づくものなのか定かではありませんが、別の憲法学者の見解だとすると、それで長谷部先生を批判するのは筋違いではないかと思います。長谷部先生の公務員の政治的行為の制限に関する見解は、新世社の憲法の教科書第3版の209頁以下等にあるようですが、篠田先生の念頭に置く憲法学者が長谷部先生でないとすると、いかなる理由で、それをもとに長谷部先生を批判する論拠となるのかを論証された方が良いのではないかと思います。
更に言えば、仮に、「自衛隊員自身が発言を行うことを憲法違反として禁じている」、「自衛隊員が、憲法改正を含めて一切の政治事項について発言するのを、「違憲だ」とまで表現して、禁止する。」という趣旨の主張をする憲法学者がいたとしても、それが長谷部先生自身の見解でなければ、長谷部先生を批判する論拠にはなり得ません。
ニュートラルにそう捉えても憲法学者さんだとアウトってことなんかな?政治的中立問題を持ち出すのは飛躍しすぎのような…それはこの対談内では問題にしてないでしょ。篠田さんもだいぶバイアスかかっちゃってるような…
ま、長谷部さんも「道具として使った」って表現はかなり憎悪が滲んじゃってますけど(^^)
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