レーダー照射問題が、日韓関係に影を落としている。ビデオ公開は正しい対応だ。うやむやにするべきではなく、日本の立場は明確にしておくべきだ。
もちろん韓国は、重要な隣国だ。しかしだからこそ、曖昧な態度をとるべきではない。ただし怒りを見せるべきではない。重要なのは、日本は批判を目的にしているのではなく、あくまでも危険行為の「再発防止」を求めている、と強調することだろう。
レーダー照射が韓国側の政治判断であった可能性は低い。しかしだからこそ曖昧にしてしまっては、再発の恐れを残すことになる。そんなことでは現場はたまらない。あくまでも韓国の政治対応を期待する態度を貫きながら、冷静に、「再発防止」のための徹底した検証を求めていくべきだ。
それにしても由々しきは、韓国のマスメディアが海上自衛隊が自らを「Japan Navy」と名乗ったことを問題視している、などという事態だ。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181230-00000006-jct-soci 困った話である。組織の固有名称ではなく、属性として「NAVY」という表現を使ったとしても、何も問題はない。軍事関係者の間で国際的なこういった表現を問題視する者はいないだろうと思う。
しかし、韓国内に、日本国内の憲法学者らの存在を利用して自衛隊の地位を貶めようとする動きがあるようだ。とんでもない話である。何を見ても、「戦前の復活」「いつか来た道」などの常套句を多用して、自分勝手な思い込みで相手をやり込めたつもりになる、あの紋切り型の論争術である。
このブログでも繰り返し繰り返し書いている。自衛隊は憲法上の戦力ではなく、国際法上の軍隊である。http://agora-web.jp/archives/2030765.html
政府はそのことを公式に表明している。http://agora-web.jp/archives/2030702.html
そこに矛盾を感じる人がいるとしたら、私の著作やブログを見てほしい。
政府の見解を否定して、憲法学者らの特定の社会的勢力の見方だけを絶対視するのも、まあ一つの立場だろう。だがそうするのであれば、安易な気持ちでやるべきではなく、その影響を鑑みてから、やってほしい。
2018年12月
マティス辞任とアメリカの介入主義の終わり
マティス米国国防長官が辞任を表明した。これでトランプ政権発足時の最後の重要閣僚がいなくなる。マティス長官は、数少ない良識派の役割を担っていた。トランプ大統領は、公職歴を持たず就任した大統領として、輝かしい経歴を持つ元職業軍人であるマティス長官だけは切りたくなかったのが本音だろう。トランプ大統領は辞任に不満で、「私は彼が手にしたことのないようなあらゆる権限を与えたのに」、とツィートした。
何がそこまでマティス長官を追い詰めたのか。単なる制度論の話ではない。もっと根源的な倫理的部分でのアメリカの外交姿勢の話のようだ。
公開された退任願いでは、同盟国との関係の重要性が説かれている。マティス長官にとって、NATO同盟諸国に対するトランプ大統領の慇懃無礼な振る舞いが不愉快なものだったことは想像に難くない。だが直近の要因は、シリアとアフガニスタンのようだ。
アメリカは限定的ながらもシリアに軍事プレゼンスを置いていたが、トランプ大統領は、その撤収を、エルドアン・トルコ大統領との電話会談の最中に命じたと伝えられている。見放されるのは、ISIS駆逐の先頭に立ったクルド人勢力である。
アフガニスタンからの米軍の大規模撤収も行われる見込みだという。トランプ政権になってから、駐アフガニスタンの米軍も増強されていた。もし完全な撤収が実施されるのであれば、国内外に激震が走る。多くの者が、マティス長官と同じように、自分も「それは間違いだ」と大統領に進言する、と思っているだろう。
日本では、憲法学者の教えに従って、平和主義とは反米主義のことだ、とされているので、アメリカのアフガニスタン撤収の巨大な意味は、理解されないのだろう。だが、巨大な影響が出る。アフガニスタンの米軍から間接的に恩恵を受けていた日本にも、影響は及ぶだろう。
9・11から約20年、ついに世界はアフガニスタンを、再び見放す。多くの関係者が、マティス長官と同じように、自分がその苦痛に満ちた役割を主導することを、拒絶するだろう。そしてマティス長官のように言うだろう。それだけは勘弁してほしい、自分にはできない、と。
トランプ大統領の経営者の視点から見れば、「長官の言う通りにアフガニスタンで増派した、しかし治安は悪化する一方だ、結果が出ていない、撤退だ」、と命じることに、合理性がある。それはよくわかる。
だが国家は企業ではない。軍事活動は商取引ではない。アフガニスタンからの米軍の撤退は、儲けが出なかった投資先から撤退することとは違う。
いよいよ本格的にアメリカの介入主義の時代が終わるのかもしれない。
いずれにしても、マティス長官の辞任は、アメリカの外交政策が、あらためて新しい段階に入ったことを意味することになるだろう。
東京地検プレゼン力問題の顛末
以前のブログ記事で、東京地検の久木元伸次席検事の発言を、「最低の対応」と書いた。http://agora-web.jp/archives/2035966.html 久木元次席検事は、海外からの批判に対して、日本には日本の文化がある、と居直った際、「裁判所の令状に基づいて行っており、何ら問題はない」とも発言していた。
ところが裁判所が拘留延長を認めない決定を下すと、同じ東京地検幹部の発言として、「延長が認められない可能性は低いと考えていたので非常に驚いている。・・・裁判所の判断は不当だ」、などといった言葉が報道されてしまっている。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181220/k10011754051000.html?utm_int=detail_contents_news-related_001 それどころか、「ありえない」「裁判所は一体何を考えているんだ」といった際立った「検察幹部」の声まで報道されている事態になっている。https://www.sankei.com/affairs/news/181220/afr1812200038-n1.html
醜態だ。
長期勾留が必要なのは、通訳が入っているうえに、資料の多くが英語だから、だという。https://www.sankei.com/affairs/news/181220/afr1812200038-n2.html
自分たちの能力と仕事のぺースにあわせて市民の拘留期間は決定されるべきだ、という考え方が大前提だが、つまりそれが尊重されなければならない日本文化というものなのか。
東京地検特捜部はガラパゴス組織なのか、という疑念が高まる。
このブログでは、独善的で国際法蔑視の日本の憲法学のガラパゴスな性格を問題視する文章を、何度か書いてきた。
日本の検察官は、日本の憲法学の最良の優等生たちか。
日本は国際法対応の充実を急げ
元徴用工問題で、関連企業の資産差し押さえ手続きが開始される期限である24日が近づいている。差し押さえ手続きが開始されれば、問題はさらに新しい段階に入る。日本も、準備が必要である。
対抗措置についての議論もなされている。http://agora-web.jp/archives/2036009.html 政策判断になるが、いかなる対抗措置も国際法上の妥当性を確保することが必須となる。日本は、国際法を味方について、対抗をしていかなければならない。
戦後の日本では、伝統的に、国際法の地位が軽んじられてきた。巨大メディアは、派手な憲法学者の政治的言動だけを、あたかも社会の良心であるかのように扱ってきた。その陰で、国際法学者の方々は、コツコツと地味で職人的な仕事を続けてきた。
今回の元徴用工判決問題は、そのような日本社会の現状に問題提起をする良い機会だろう。今こそ国際法研究を充実させ、政策的・理論的な準備を進めていかなければならない。
このブログで、今まで何度か日本の憲法学の「憲法優位説」の発想のガラパゴスな危険について指摘をしてきた。今回の韓国大法院の判決にも同じような自国「憲法優位説」が感じられる。うっかりすると国際法の論理が、韓国の「憲法優位説」的な発想によって飲み込まれてしまいかねない。危険である。
国際法の世界は、裁判所だけでなく、法的拘束力のない勧告をする条約委員会などが活発に動くなど、複雑な世界だ。たとえば、先月、「強制的失踪委員会」が、日本政府の慰安婦問題に対する対応を遺憾とする見解を表明した。他の人権条約委員会で慰安婦問題に関する勧告がなされていることに追随したものと思われるが、衝撃的な事実である。
多国間条約を基盤にして成立している条約委員会は、その活動を条約によって規定される。強制的失踪委員会については、2010年「強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約」35条で、「委員会は、この条約の効力発生後に開始された強制失踪についてのみ権限を有する」旨が規定されている。つまり、そもそも条約締結後の事件しか取り扱わないはずなのだ。それだけに慰安婦問題への言及は衝撃的であった。
10名の強制的失踪委員会の委員のうちの1名が日本の国際法学者だが、アジアからの委員は日本の委員のみだ。ほとんどの委員が欧州か南米の国からの選出だ。https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/CED/Pages/Membership.aspx 慰安婦問題について十分な情報を得て、機微にふれる審議をしたうえで、判断をしているとは思えない。法的拘束力がない見解だけに、条文解釈も緩やかになりがちかもしれない。
一部の報道には、日本の委員がいるのになぜ慰安婦が議題になることを防げなかったのか、といったことを匂わせる論調があった。https://www.sankei.com/world/news/181121/wor1811210003-n1.html しかし、日本の委員は、日本関連の議題には審議に加われないため、慰安婦問題には関与できないのが実情だ。
日本の外務省は人出が足りないとされるが、対応が不十分になる体制のまま、条約に加入するくらいなら、入らない方がいいかもしれない。もちろん理想は、条約に加入したうえで、外交的なバックアップも提供する体制をとることだ。
そのためには日本国内で国際法の重要性に対する理解を深めていくことが大切だろう。
日本人委員の数を確保することだけで満足するのではなく、外交的な努力を払って、条約委員会のお世話もしていくべきだ。
それは条約委員会の議論に政治的圧力を加える、ということではない。条約委員会が正しい知識を持ち、正しく運用されるように、バックアップする、ということだ。
しかしそうした労力を日本の外務省にとらせるためには、前提として、日本国内で国際法に関連する事項を常に議論していく土壌を育んでおくことが必要だろう。
元徴用工問題を契機に、日本で国際法の重要性への理解が深まるのであれば、それは良いことだ。今こそ日本における国際法に関係した諸問題への対応の充実を図らなければならない。
順天堂大学コミュ力問題と、東京地検プレゼン力問題
先日、ゴーン事件をめぐる東京地検の態度に、プレゼン力の欠如を感じるという内容のブログを書いた。http://agora-web.jp/archives/2035966.html
順天堂大学医学部が「コミュ力の高さ」を理由に女子受験生の一律減点をしていたという事件を見ても、日本社会が抱える問題の根の深さを感じる。
私自身は、家族や知人の入院・出産等をへた経験からは、欧米諸国の医者と日本の医者では、圧倒的に欧米諸国の医者のコミュニケ―ション能力が高いと感じている。そもそも根本的な態度のところで、決定的な差があると感じている。
医者のような人間を相手にした仕事で、人間とコミュニケーションをとる能力は、職業能力の中核を占めるはずだ。欧米社会では、そういう価値観が当然視されていると思う。日本では違うらしい。
日本の法律家の間でも、司法試験対策で憲法学の基本書を丸覚えしたペーパー答案を書く能力だけを競い合い、基本的なコミュニケーション能力、あるいはそもそも物事を丁寧に議論する態度を軽視したりする傾向が生まれていないか。
「篠田の言っていることは芦部信喜『憲法』と違っている、したがって篠田は間違っている」といった思考態度が蔓延していないか。
12月10日発売の雑誌『VOICE』に元徴用工問題を論じた拙稿を掲載していただいた。編集側で、「教条的な国内法学者の異常さ」という題名をつけていただいた。
日本政府は韓国大法院判決を、「国際法違反だ」という立場をとっている。それはそれでいいと思うが、東大法学部の憲法学者の権威に訴えるペーパー答案作成技術のようなものだけで、この状況を乗り切れると思ったら、痛い目にあるだろう。国際社会に効果的に訴え、韓国とも上手に対峙していくコミュニケーション能力が必要だ。
受験で不利な立場に置かれた者たちにこそ、活躍の機会を与えなければ、今後ますます日本社会は立ち行かなくなっていく危機感を感じる。