「平和構築」を専門にする国際政治学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

2020年11月

新型コロナの感染が広がって、緊張感が広がってきている。他方、10ヵ月ほどの経験があり、以前よりも落ち着いてきたところもあるように感じる。

立場の違いによって懸念点をことさら強調したがる人もいれば、逆の人もいる。新型コロナ問題を見る姿勢が、左右の政治イデオロギー対立と結びついてきている傾向も顕著になってきた。二極分化社会の構造が、新型コロナ対策への見方にも影を落としているアメリカの姿を、いたずらに後追いしないように気を付けたい。

現在の状況の深刻度は、重症者数が医療能力に影響を与える水準になってきたためである。これについて医療施設受け入れ能力(地域間協力)の問題として考えなければならない。他方、毎日の新規陽性者数のニュースは、必ずしも同じ性格の問題ではない。一日当たりの新規陽性者数が「史上最高」とか「二日連続で〇〇人以上」などの「煽り系」の見出しには、あまり意味がない。

私は統計屋ではなく、専門家でも何でもない。奇抜なことを言おうとも思わない。ただ、「煽り系」に人たちの無責任な言説に翻弄されるだけの人生は送りたくない。そこで少しだけ常識を働かせてデータを見ることにしている。それだけでも、だいぶ「煽り系」の人たちに惑わされなくて済むようになる。

新型コロナの新規陽性者数に関して、最初に確認しておくべき常識のポイントは以下の通りのはずだ。あくまでも常識の話だと思うが。

 

1. 新規陽性者数を観察する最大の目的は、増減の大きな傾向を見ることである。

2. 曜日による偏差が出ることは織り込み済なので、7日移動平均(週平均)を見る。

3. 新規陽性者数の数字のトレンドは、1~3週間程度の前の時点の感染のトレンドである。

 

すでによく知られている常識の話なので説明は不要だと思うが、念のため確認しておこう。第一に、新規陽性者の絶対数は、検査数の従属変数なので、絶対値だけを見ていても評価ができない。見るべきはトレンドである。

たとえば、市中に100人の感染者がいるときに1日で200人と倍増した場合と、199人の感染者が1日で200人になった場合とでは、同じ200人でも、感染スピードが全く違う。より深刻なのは、前者の場合であり、後者の場合ではない。

「感染者学の専門家で日本医科大学特任教授の北村義浩氏」が、140人だった累積重症者が11月に410人になったことをもって、「1週間ごとに倍々」のペースだ、などとテレビで発言したらしい。「https://news.yahoo.co.jp/articles/09d2145cb020c0204548f6d3c2e8def1176eae91 意識的か無意識的か知らないが、「煽り」だと言わざるを得ない。1週間で倍増するペースとは、140人が11日程度で410人をこえるペースだ。4週間あると、2,240人に達しなければならない。

実際には、10月に150人程度だった数が11月に160人から410人になったので約4週間で310人増えて2.9倍になった増加率である。全く同じスピードで増加したと仮定したら、一週間あたり1.31倍程度の増加率である。

北村教授はただ「毎週140人ずつ増えて3週間強で3倍程度になったように見える」と言いたいだけだったのと思われるが、母数が日々変わっていく対象物の計算の方法に関する常識を欠いた言い間違えでだったと言わざるを得ない。

第二に、一日当たりの絶対数で一喜一憂すべきではない、ということは、常に週平均(7日移動平均の一日当たり新規陽性者数)を見なければいけない、ということである。週末に検査数が少なくて、平日の後半に検査結果がたくさん出てくることに文句を言っても仕方ない。単に慣れてしまえば、それでいい。

第三に、政策介入の効果が新規陽性者数に反映されてくるのは、1~3週間たってからである。今行い始めた政策の効果は、1~3週間たたないと、見えてこない。たとえば、119日に政府分科会が緊急提言を行い、尾身茂・分科会会長が記者会見を行った。この効果が出るとしたら、今、見えてきているはずである。

 タイトルなし

 

本来であれば、実効再生産数の速報値があるともっとトレンドは見えやすいのだが、正式な実効再生産数の計算は複雑であるため、各種公開サイトで値が出てくるまでに何日も時間がかかるのが歯がゆいところである。素人が、暇を見て計算を済ませるものとは言えない。

そこで暫定値として、週単位(7日移動平均)の増加率の比較をしてみると、だいたいの傾向はつかめる。以下が最近の全国の新規陽性者数を使ったサンプルである。

 

日付

新規陽性者数

直近一週間の陽性者数

7日移動平均

前日からの増加比

直近一週間の増加比

10/30

769

4553

650

101%

120%

10/31

868

4703

672

103%

119%

11/1

606

4821

689

103%

121%

11/2

482

4902

700

102%

121%

11/3

868

5121

732

104%

121%

11/4

607

5004

715

98%

115%

11/5

1049

5249

750

105%

116%

11/6

1137

5617

802

107%

123%

11/7

1302

6051

864

108%

129%

11/8

938

6383

912

105%

132%

11/9

772

6673

953

105%

136%

11/10

1278

7083

1012

106%

138%

11/11

1535

8011

1144

113%

160%

11/12

1623

8585

1226

107%

164%

11/13

1704

9152

1307

107%

163%

11/14

1723

9573

1368

105%

158%

11/15

1423

10058

1437

105%

158%

11/16

948

10234

1462

102%

153%

11/17

1686

10642

1520

104%

150%

11/18

2179

11286

1612

106%

141%

11/19

2383

12046

1721

107%

140%

11/20

2418

12760

1823

106%

139%

11/21

2508

13545

1935

106%

141%

11/22

2150

14272

2039

105%

142%

11/23

1513

14837

2120

104%

145%

11/24

1217

14368

2053

97%

135%

11/25

1930

14119

2017

98%

125%

11/26

2499

14235

2033

100%

118%

11/27

 

2530

14347

2049

100%

112%

(小数点切り下げ、1127日新規感染者数は暫定値)

 

グラフ

 

一進一退が続いているという言い方もできるし、最悪の時期は通り過ぎているかもしれないという言い方もできる。いずれにせよ尾身分科会長が「緊急提言」を行った11月第2週に増加が激しく、1112日木曜日に前の週の同じ曜日の164%増という高い増加率を見せていた。その後は増加ペースを落とし、1127日には112%となった。

なお東洋経済オンラインは、簡易計算方式で11月26日時点での全国の実効再生産数を1.13と計算しながら、だいたい同じような傾向を示している。

 実効再生産数

私は決して、新型コロナ対策は必要ない、などと言いたいわけではない。むしろ逆だ。重症者数が医療機関を圧迫し始めているのは確かなようだ。新規陽性者数の高止まりは、医療機関に対する圧迫を重くし続ける。尾身分科会会長が言っているように、全国を少なくともステージ2に十分に押し戻すことが必要なのも確かだろう。

他方、国民の努力の意味を判定することは、意欲を喚起するために、非常に重要である。いたずらに扇動的に脅威認識を高めることだけが、新型コロナ対策ではない。

最近の新規陽性者の拡大傾向の中で、西浦博教授が頻繁にメディアに登場するようになった。1125日には「報道各社のインタビューに応じ『都市部で感染者が指数関数的に増加している』と述べ」たという。https://www.tokyo-np.co.jp/article/70490/ しかし、上述の全国的傾向は、大都市部でも見られている傾向である。もし、「指数関数的拡大」という概念の意味が、「週の後半になると『一日の最高値』を記録することが何回か続く」、という程度のことであれば、西浦教授は正しい。しかし、それでは、単に「まだ減少傾向に入っていない」ということと「指数関数的拡大」が、同じ意味になってしまう。

1117日にGoogle AIによる4週間の新規陽性者数と死者数の予測が公開されるようになった。大変に良い企画だと思う。重要なのは、それから10日の間だけでも、実際のデータをふまえた修正が施され続けていることだ。AIが絶えず修正を加えながら、一つの予測を出してくれるのは、参考情報として有益だ。

人間の「専門家」だったら、一度出してしまった予測を守るのに、心理的に必死になってしまう。挙句の果てに、説明を施すこともなく、都合の悪い過去の言動を誤魔化すか、隠すか、してしまいがちだ。その点、こだわりがないのが、AIのいいところだ。

トレンドには、変更不可能な大きな幅がある。拡大基調にあるところで、急に数を半減させることはできない。市中に存在する感染者の数によって、感染拡大の傾向は相当に規定されるからだ。

他方、感染は人間のなせる業であり、可変的な要素も相当にあるはずだ。そのことも冷静に理解していきたい。

そのためには、われわれ人間も、AIのように冷静にデータを見ていきたい。将来に向かって可変的な幅を見極めて、可能な努力をしていくために。

 

https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%82%92%E7%85%BD%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-WAC-BUNKO-330-%E4%B8%8A%E5%BF%B5/dp/4898318304/ref=tmm_pap_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=1606172835&sr=1-1

 

 「第三波」の到来に日本が騒然としている。過去10ヵ月の経験から、春先よりは落ち着いた雰囲気がある。他方、「煽り系」の人たちが「よし、出番だ!」と、また躍起になって活動し始めた雰囲気もある。

あらためて、われわれは今どこにいるのか、について落ち着いて考えてみたい。

世間では「第三波」の概念がすでに確立されており、私もそれを踏襲している。ただし「波」は人工的な概念操作によって成立しているものでしかないので、政府のように「波」の定義がないので、「第〇波」であるかどうかは言えない、という立場もとることは可能である。http://agora-web.jp/archives/2048896.html

なぜ政府は「第三波」の概念設定を嫌うのか。かつて緊急事態宣言終了時に西村大臣が用いた「ハンマーとダンス」の概念を参照して、考えてみよう。

西村大臣のハンマーとダンスの修正の必要性

「ハンマーとダンス」とは、強い制御策である「ハンマー」を用いる政策や、穏健な抑制策である「ダンス」を踊ったりする対策で、感染拡大の管理をしていく、という考え方である。

 西村大臣の説明では、「第一波」を「ハンマー」で制御した後、異なる抑制策での「ダンス」が続いていくことになる。緊急事態宣言中の説明であったという事情もあり、西村大臣は、「ダンス」期間中にはほとんど「波」のようなものがないかのような説明をしていた。

4

 この時の西村大臣の説明は、すでに「第三波」の段階にあるという現在の現状認識と、大きく異なる。西村大臣の説明を杓子定規に捉えると、「第一波」の新規陽性者数を超えた「第二波」「第三波」が来た際には、その都度「ハンマー」を振り下ろさなければならない。そうだとすれば、現在まだ緊急事態宣言を発しない政府の行動は、矛盾したものになる。こう考えると、政府が「ハンマーとダンス」はもちろん、「波」の概念も嫌うのは、当然だろう。

 西村大臣の説明で修正すべき点は、明瞭である。ウイルスを根絶することが不可能に近い以上、「波」への対処が完璧であることはない。「第一波」への対処の後、繰り返し感染拡大局面が訪れる可能性があることは、当時から自明であった。「波」は、繰り返し、複数回来る。

ただし、緊急事態宣言を発出するかどうかは、新規陽性者の絶対数だけで決めるものではない。すでに4月の緊急事態宣言の際から、発出の基準は「医療崩壊」の危険性であることが、安倍首相の口から明言されている。

小池東京都知事のハンマーとダンスの修正の必要性

 小池東京都知事が、「第二波」の後の9月に、「ハンマーとダンス」の概念を用いて、状況を説明したことがある。5月の西村大臣の説明と異なったのは、明瞭に「波」が複数回繰り返し訪れることを示した点である。

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 しかしこの東京都の説明は、「第二波」以降の感染拡大は、対策が進むからだろうか、「第一波」と比してどんどん小さくなるかのような印象を与えるものになっている。これは現実と食い違っている。

小池東京都知事の説明で修正すべき点は、明瞭である。残存する感染者は累積することを考えると、むしろ後続の「波」のほうが大きくなることは大いにありうる。偏見を持たずに状況を分析するべきだ。

ただし、緊急事態宣言の発出は、新規陽性者の絶対数だけで決めるものではないので、「波」の大きさと、用いる「ハンマーとダンス」の手段の選択は、固定的な関係ではない。そのことを、あらためて確認しておけばよい。

死者数・重症者数でみるハンマーとダンス

日本は、2月に旧「専門家会議」が招集されて対策方針が確立されてから、重症者に重点を置く方針がとられているはずである。ただし、メディアではそうなっていない。政府の中でも意思統一が図られていないようにも感じる。

もともと日本のPCR検査は、CT値が高く設定されている(PCR検査が非常に敏感で、無症状者の陽性判定を多く出す傾向を持つ)。同じようにCT値を高く設定している欧米諸国は危機にあり、低めの東アジア諸国は、概して成績が良好だ。敏感に新規陽性者の推移を見るだけなら、敏感なPCR検査でいいのだが、他の指標と合わせてみる冷静な態度がないと、いたずらに「煽り系」の人たちにビジネスチャンスを与えるだけの結果に終わる。

「死亡者数」のグラフを見てみよう。すると、「第一波」が最も高く、「第二波」はそこに到達しないまま終わってしまい、現在の「第三波」もまだ「第一波」の水準にまでは達していないことがわかる。死亡者数の「波」を見ると、「ハンマーとダンス」が異なる形で適用されるべき根拠があることもわかってくる。

death Japan

ただし、一部の方々が主張したような「弱毒化の結果、人が死ななくなった」かのような様子はない。致死率が下がっただけである。検査数の増加、高齢者・基礎疾患者の社会的防御の進展、対応医療能力の進展などによって、死者数が「抑制」されている、と考えるのが、自然である。

ただし、実は重症者数でみると、それぞれの波が同じくらいの大きさに見える。人工呼吸器装着者数を見てみよう。
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 「第三波」が、「第一波」の水準には達していないものの、「第二波」の水準を超えたことがわかる。その理由が、「第三波」が、それ以前の「波」よりも、高い水準で開始された点にあることも見てとれる。現在まだ進行中の「第三波」が、「第二波」よりも深刻に受け止められているのも妥当だろう。「第二波」の際に落ち着きを失わなかった分科会(旧専門家会議)が、「第三波」にあたっては、政府に対して連続して踏み込んだ提言を出しているのも、理解できる。「第一波のハンマー」以下だとしても、「第二波のダンス」以上の抑制策が求められているのである。 

ここ数日で、連日のように「史上最高の感染者数(新規陽性者数)」といった報道がなされている。大きなトレンドで言うと、112週目の新規陽性者数の増加率(絶対数ではない)が極めて大きく、3週目は少し抑制された。さらに細かく言うと、113週目の前半は週末であったことを加味しても、増加が抑制気味で、連休前の数日において増加が激しかった。 (絶対数ではなく増加率でトレンドを見たい理由については機会を改めて書いてみたい。)

Go Toキャンペーンの旅行パックにPCR検査が含まれている」場合が多かったため、「自費で検査を受ける人が多くなった結果、無症状の保有者が洗い出されてきた」、その場合の「問題点として、自費検査で陽性になった場合、陽性者は保健所に報告され陽性者数に加えられますが、陰性の場合、その陰性の検査数は全てのPCR検査数に上げられないという不都合が起きてしまい、PCR検査数に対する陽性率は、実際より高い数字になってしまう現象がおきてしまいます。」という指摘もなされている。https://www.takedaclinic.com/news/747/

新規陽性者数の増大は、もちろん良いことではない。しかし他の指標ともあわせ、その時々の状況も加味しながら、冷静に推移を見守っていきたい。

 「『命か経済か』の不毛な論争を超えて~『Go To』問題の再整理を」という文章(http://agora-web.jp/archives/2049021.html) を書いた翌日の1121日、菅首相が、「Go Toトラベル」の運用見直しと、「Go Toイート」の見直しの方針を表明した。三連休の初日の夜の表明になったことで、混乱した印象は否めない。ただ、分科会提言をすぐに受け入れた連携については、妥当だったと考えたい。

 「Go To」がどれだけ感染を拡大させたのかについては、定かな証拠はない。ただ調査がなされていないし、大々的な調査をする余裕もないので、わからないと言うしかないだろう。

 要するに、現実に、止めたい新規陽性者の拡大が続いているので、国家事業で行っている新型コロナ対策の見直しをする、ということだ。それは仕方がないことだと思う。

前回書いたように、「Go To」の趣旨は、新型コロナを忘れて経済至上主義を貫くことではない。「ウィズコロナの時代の新しい生活様式」を普及させることだ。そうだとすれば、新型コロナ対策の観点から事業の改善を図るのは、当然だ。

 「Go To」をめぐっては、中止か、一時停止か、時短か、継続か、4人以下か以上か、東京を外すか入れるか、といった、やるかやらないか、あるいはその中間のどこか、といった議論しか見られない。もちろんこうした議論も必要だろうし、確かに調整政策の一部だろう。しかし、ただそれらだけでは、事業の趣旨にそった「新しい生活様式の普及」には必ずしもつながらない。

より具体的に言えば、たとえば、マスクと換気が、課題ではないか。

分科会も政府関係者も、あれほどマスクにこだわっている。これに対して一般には、マスクをしながら食事が楽しめるか、という反発が強い。このままうやむやになる恐れが強いと感じる。

論理的に解釈すれば、飲食店におけるマスク基準の厳格化には、反発が予想されるからこそ、マスクを励行する業者が不利にならないように、国家が「Go To」で後押ししようとしている、と考えるべきだろう。

より厳格なマスク基準を遵守しない顧客には、「Go To」特典を付与しないというルール作りの明確化があっても仕方がないのではないか。

業者側の努力も、現状では不明瞭ではないだろうか。新型コロナ対策で、換気装備を充実させた、複数の窓の開放だけでなく換気扇の位置を明示している、露出形ベンティエールを導入した、といった業者が「Go To」で恩恵を受けて、事業促進を後押しされた、という話を聞かない。

 より厳格な換気基準の適用を、「Go To」見直しを連動させるのは、仕方がないのではないか。

 日本の新型コロナ対策の最大の弱点は、法制度が十分ではないため、強制力のある措置がとれないためだ。そこで導入された「Go To」は、基準を遵守しない業者を罰するのではなく、基準を遵守した業者に特典を与える、という趣旨だろう。

 私個人は、憲法を改正して緊急事態条項を入れること妥当であり、必要だと考えている。感染症の問題だけをとっても、新型コロナだけで終わる保証はどこにもない。

 しかし当面の手段として「Go To」のような政策があるのだとしたら、その見直しの際には、あくまでも事業の趣旨に論理的に沿う形で、検討を進めるしかない、ということだろう。

日本医師会の中川俊男会長が、新型コロナの感染拡大と「Go Toトラベル」との関係について「エビデンス(証拠)がなかなかはっきりしないが、きっかけになったことは間違いない」と発言したことが、波紋を広げている。

この問題の背景には、結局われわれは何をしているのか、についての意識共有が図られていないことが存在していると思う。船橋洋一氏などは、「日本モデル」という概念を使うのは「日本特殊論だからダメだ」と言い続けているが、他国をどれだけ模倣できたかどうかを評価の中心に据えなければならない理由はない。http://agora-web.jp/archives/2048784.html 

Go To」をめぐる論争を考えるにあたっても、私たちが今何を目標にして、そのために何をしているのかを意識化する作業が、まず大切ではないかと思う。

「命を取るか、経済を取るか」の短絡的で不毛の論争が広がりすぎた。そこにいつのまにか、どうしても全てを政府の責任したい左翼勢力と、それに反発する勢力のイデオロギー論争がからみあってきて、大変なことになってきている。

日本は、2月の段階から、ウイルスの撲滅を目指すのではなく、「重症者中心主義」で「社会経済活動との両立」を基調とした「抑制管理」を目指している。http://agora-web.jp/archives/2048347.html

Go To」をめぐる論争も、まずはその点をよくふまえたうえで、行うべきだろう。

私は「第二波」の際に「日本モデルvs.西浦モデル2.0」という文章を連続シリーズで書き、最後は「日本モデル」の勝利を宣言して、終わりにした。http://agora-web.jp/archives/2047913.html その時の大きなテーマは、「第一波」の際に大きな論争を呼んだ「人と人との接触の8割削減」だけが新型コロナ対策なのか、あるいは日本が追求してきている「抑制管理」アプローチに妥当性はあるのか、ということだった。私が「日本モデル」の勝利を宣言したのは、過剰な「人と人との接触の削減」を求めることなく、新規陽性者数の抑制に成功したからである。

ただし「第二波」の抑え込みは、感染者数をゼロにしたことを意味せず、「第二波」以前の緊急事態宣言終了直後の状態に戻ったことも意味しない。「第三波」における医療施設の負担が「第二波」のときよりも大きいのは、「第一波」終了時ほどの低水準までには、入院者数などが下がっていないところから「第三波」が始まったためだ。そこに早くから予測されていたとおり、冬に入って「換気」の徹底が不十分になる季節では、新規陽性者数の拡大の力学が高まり、いわゆる「第三波」の状態への突入が始まった。したがって「第二波」への対応と全く同じ対応で全く同じ結果が得られるとは言えない。政府の分科会が10月の段階から冬に備えるべきことを提言していたように、https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/bunkakai/teigen_12_1.pdf また119日に緊急提言という形で記者会見も行ったように、https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/bunkakai/seifu_teigen_14.pdf 「第二波」とはまた違う対応が求められていたことは間違いない。

ただ、それはもう「人と人との接触の8割削減」をするかどうかの選択ではない、ということは、はっきりしている。

ウイルス撲滅を目指して国家財政が破綻するまで全国民毎日PCR検査に狂奔するか、ウイルスなど存在していないと強弁して何もしないか、の選択肢も、検討されていない。

「命か経済か」で言い争う必要もない。

政府は邪悪で無能なので否定されるべきかどうか、の国民投票を実施する必要もない。

すべては過去10か月ほどの間に蓄積した経験と、さらなる理論的推論とを組み合わせて、より精緻に行う「抑制管理」の政策の問題だ。

その観点から「Go To」キャンペーンについて考えてみよう。

Go Toトラベル」のウェブサイトを見ると、次のような記述が見られる。

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Go To トラベル事業は、ウィズコロナの時代における「新しい生活様式」に基づく旅のあり方を普及、定着させるものです。https://goto.jata-net.or.jp/ 

―――――――――――――――

 「Go Toイート」のウェブサイトにも次のように書かれている。

―――――――――――

Go To Eatキャンペーンは、感染予防対策に取り組みながら頑張っている飲食店を応援し、食材を供給する農林漁業者を応援するものです。https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gaisyoku/hoseigoto.html 

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これらの事業趣旨は、全く国民に理解されていないと言っていいだろう。「煽り」系メディアの意図的な扇動報道によるところが大きい。ただ、与党政治家たちが、「経済は止められない」といった誤解を招く悲壮感あふれた発言を繰り返すために、誤解が助長されている面があることも否めない。

日本の「抑制管理」を目指すアプローチでは、社会経済活動を止めるのでなく、感染拡大を防ぎながら、社会経済活動を続ける方法こそが、重要である。そこで政府は、事業主が積極的に感染拡大防止策を導入することを推奨する目的で、十分な予防策をとっている事業者を選定し、広く公にし、その事業者の感染予防と両立した活動を奨励する目的で、「Go To」を導入しているのである。

したがってまずは、この目的を十分に周知徹底する「コミュニケーション」のあり方を検証すべきだ。

さらにチェックして奨励している「感染予防策」が、果たして適切で十分な内容を持ったものであるかを、一定期間をへた後に検証する作業も、当然あっていいだろう。それがなければ国民の信頼も得られないし、事業の趣旨にも合致しない。その際に、「Go To」に対して不信感を持っている方々の意見も、より具体的なレベルで、よく聞いてみたらいい。

「日本特殊論はダメだ!」と言われているうちに、本当に「命か経済か」の不毛なイデオロギー論争に陥ってしまい、これまでの日本の現実的で堅実な取り組みの意義が全否定されてしまうことがないように、切に願う。

(11月24日に上念司さんとの対談を収めた本が公刊されます。https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%8D%E5%AE%89%E3%82%92%E7%85%BD%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-WAC-BUNKO-330-%E4%B8%8A%E5%BF%B5/dp/4898318304/ref=tmm_pap_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=1605836014&sr=1-1 )

 9日、尾身茂・分科会会長の記者会見が久しぶりに開かれた。感染拡大傾向に入っているので、警戒心を持って取り組みたい、ということで、政府に行った対策提言の細かな説明がなされた。

 これに対して、質疑応答では、いつものように、生産的ではないやり取りが繰り返された。記者から「第2波と同じ波が来るのか」「欧米と同じ波が来るのか」といった質問が相次ぎ、尾身会長や脇田(国立感染症研究所)所長から「寒くなったら拡大するという見方にエビデンスはない、そういう傾向があるとしても今日語っているのは人間のファクターが大きいということ」という説明が繰り返された。

 記者たちは、相変わらず専門家に気象予報士のような役回りを期待しているらしい。あるいは西浦主義の余韻だろうか。「42万人死ぬ、もし8割削減すれば撲滅できる、中間はない」という考え方がこびりついてしまっているらしい。

 記者たちに限らず、気になるのは、新型コロナウイルスの流行に「波」があることが当然視されていることだ。冬を迎える日本には「第3波」が到来している、ということらしい。それでしきりに人々が、「第3波は大きいのか小さいのか」云々といったことを心配しあっているのである。

 社会科学者として痛切に感じるのは、この「波」という概念が「物象化」されて独り歩きしているということだ。あたかも海の波と同じような自然現象であるかのように捉えられてしまっている。

しかし、言うまでもなく、ウイルス感染の「波」は、単なる比喩の表現でしかない。

 自然現象としての海で起こる本当の「波」は、人間が関知することなく発生する。たまたま人間のいるところを襲ったりするだけだ。これに対してウイルスの流行は、人間が自分たちで作り出している現象である。ただ、意図せず無意識のうちに作り出しているだけで、人間的な営みの結果として流行が発生することに違いはない。実際には、「波」など存在していない。存在しているのは、ウイルスを伝播させている人間の活動だ。

 物理的には存在していない事柄を、抽象概念で表現しているうちに、あたかも物理的に存在しているかのように誤認していくのは、社会科学者が「物象化」と呼ぶ錯誤である。

 かつてマルクスは、人間の労働という具体的な行為が商品経済を通じて法則化されて人間を支配していく「物象化」を、資本主義のメカニズムの中に見出した。その後、「物象化」は、具体的な人間の行為の総体が抽象化されて人間を支配するようになる現象一般を指す言葉として、使用されるようになった。

 ニーチェは、「雷が光る」という言い方は間違いで、「光っているのが雷だ(ある種の光の現象を人間は雷と呼んでいる)」と言うのが正しいと指摘し、人間の暴力的な抽象化思考が主語にならないものを主語にして人間の思考を支配している有様を、そして主語を隠ぺいすることによって人間が認識者としての自らの行為の介在も隠ぺいしてしまう偽善を、指摘した。

 難しい話は置いておこう。

要点は、「波」は自然現象ではなく、人間的な営みだ、ということである。

 ウイルスが人間社会に侵入すると、人間の行動を通じて、人間の間で、ウイルスの伝播が広がる。「第1波」だ。そこで流行を抑制する行動を人間がとると、「第1波」が終了する。ところが抑制行動を緩和させると、「第2波」が到来する。そこで抑制行動をさらに調整すると、「第2波」が終了する。このプロセスが繰り返されるのが、「波」という比喩を用いてグラフ上で可視化させている現象である。「第3波」の場合、たとえば冬を迎えて窓の開閉を面倒がって喚起しなくなることが感染の拡大傾向に影響しているとしたら、暖房方法の改善という政策努力で、「波」は抑制可能である。

 いたずらに「今度の波は大きいかもしれない、怖いから高台に逃げよう」といった自然現象の津波の対策と同じようにウイルスの流行への対策を考えるのは、愚の骨頂である。そのように考えると、「全国民毎日PCR検査で感染者を全部あぶりだして周囲にいるかもしれない感染者から逃げよう」という発想しかできなくなる。

 また、「波」が小さくなったのはウイルスが弱くなったからだ、というふうに、常に外部条件にのみグラフの曲線移動の理由を求めることも、正しいとは思えない。人間的な営みとしての「波」の発生と、抑制策の繰り返しを、あたかも完全に自然現象であるかのようにみなすことに、私は懐疑的である。

 いわゆる「第2波」が到来したとされていた時、日本では新規陽性者数に対して死者数が抑制されていた。これをもってウイルスが弱毒化した云々といった議論もあったが、実際には高齢者や慢性疾患者の致死率(だけ)が高いことがさらに広く知られて社会的防衛の方法が進んだことや、治療方法の進展があって、致死率が下がったのではないか。少なくとも万人に対して等しくウイルスの殺傷性がなくなったわけではない。

 グラフを見てみよう。日本の「第2波」は、「第1波」と比べて、一日当たり新規陽性者数では2倍程度の大きさになっているように見える。Japan 20201109

 ところが一日当たり死者数で見ると、3分の2程度の大きさで抑制された。Japan 20201109death

これを見てウイルスが弱毒化した、と考える人もいたが、証拠がないと思う。人為的な努力によって死者数が抑制された、「第2波」では、「第1波」の時以上の学習効果が働いた、と評価する方が、より自然だ。

 現在、ヨーロッパを巨大な「第2波」が襲っているとされる。これは私に言わせれば、巨大な「第1波」に対する厳しいロックダウンなどの対策の効果が薄れた後に発生している現象である。日本と比したときの欧州諸国の「波」の大きさや長さの違いは、流行の度合いや社会政策の度合いによって決まっている。

 致死率だけを見ると、ヨーロッパ全域で劇的な改善が見られる。「第1波」を大きく超える新規感染者が発生しているにもかかわらず、「第1波」を上回る死者数を記録している国はない。日本と同じで、学習効果が働いていると評価することができる。

 日本と異なるのは、絶対数が大きい(波が大きい)まま振れていることだ。抑制していても、感染拡大の規模が大きくなりすぎれば、やはりなお看過できない絶対数にまで死者数も達する恐れがあるために、次々とロックダウンに踏み切ることになる。欧州でとられているのは、日本の「第2波」対策よりも、強い措置だ。しかし、春先の「第1波」に対する措置と比べれば、各国とも緩和した措置だけをとっている。なぜなら、死者数の相対的な抑制を図りながら、日本と同じように「医療崩壊を防ぐ」を判断基準にして、社会政策の内容を決定しているためである。

 現在のヨーロッパで注目すべきは、たとえばオランダだろう。致死数を下げて、「第1波」の死者数を上回る状態に達する前に、緩和された社会政策で、「第2波」の新規陽性者数の抑制に成功し始めたように見える(ベルギーも似た傾向があるが、相対的に成績が悪い)。

 グラフを見て一目瞭然だが、オランダの「第2波」の一日当たり新規陽性者数は、「第1波」の際の約10倍の高水準に達した。
netherlands 20201109

 だが「第2波」の死者数は、現時点で「第1波」の際の半分を超えた程度の水準である。netherlands 20201109 death

もちろん、死者数は、陽性者数の遅行指標と考えるべきものなので、今後数週間にわたって死者数の増加が見られることはほぼ確実である。しかし逆に言えば、新規陽性者数がピークアウトしたのであれば、死者数もピークアウトする。最終的には、「第1波」の10倍の新規陽性者数で「第1波」と同程度の死者数になった、ということになりそうである。この場合、致死率は10分の1程度にまで下げた計算になる。

 ヨーロッパでは様々な条件から、日本よりもいまだ「波」が大きい(陽性者数と死者数の絶対数が多い)。オランダとベルギー以外では、まだ「第2波」の抑制の糸口が見えていない。むしろ一部の国、特にフランスの状況は非常に悪い。ただヨーロッパが目指しているのは、日本とほぼ同じものである。恒常的な対策と、段階的な社会政策の導入による抑制管理が、進められている。オランダが目に見えた結果を確定できるかどうかは、注目点だ。

 オランダ政府は「インテリジェント・ロックダウン」の概念を好んで用いて、部分的かつ段階的な社会政策を導入する姿勢をとっている。11月に入ってからのピークアウトは、10月中旬に導入した飲食店の閉店措置によるものだろう。ただしその他の目立ったロックダウン措置はとられておらず、日常生活の中での一層の配慮が求められているだけだ。国境封鎖も導入されていない。

オランダでは、10月になってからようやく公の場におけるマスク着用が要請されるようになっただけで、マスク着用率も日本と比べると非常に低い。その他の社会行動の変容も、日本人からすれば「手ぬるい」ものだ。とはいえ、ソーシャル・ディスタンスや除菌剤などは普及しているし、喚起の重要性なども徹底されてきているので、全般的に気を付けていないわけではない。「知性的な対応」を強調しているだけあり、少なくとも「第1波」の段階と比して目に見えた改善は図っている。

私は、ここまでくると、一概に日本のほうがオランダより優れている云々といったことはあまり言えないと思っている。オランダはもともと高齢者の安楽死を合法化しているような国だ。新型コロナの犠牲者数の捉え方も、日本と全く同じではないだろう。何を、どのように、いつ行うかは、議論を通じて決めるべき政策判断事項なのだ。

そもそもウイルスの蔓延をゼロにしたいのであれば、全国民に強制的に睡眠薬を飲ませて何か月も眠らせておくしかない。そうではなく、社会的に持続可能性のあるやり方で抑制管理を図りたいのであれば、どの程度の水準での抑制を目指して、どのような措置を、いつとっていくかを、しっかりと議論して判断していかなければならない。

「波」は自然現象ではない。人間が作り出しているものである。尾身会長が、「人間のファクターが大きい」と説明しているのは、そうした意味だ。そのことを意識化せず右往左往していたのだとしたら、意識化しよう。そして、何を、どこまで、いつやるのかを、人間自身がしっかりと考えて決めていく、という政策判断を行っていこう。

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