「平和構築」を専門にする国際関係学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

2023年10月

パレスチナ自治区ガザの病院で17日に爆発があり数百人が死亡したことを受け、上川陽子外相は、「強い憤りを覚える」とする談話を発表した。そして「病院や一般市民への攻撃はいかなる理由でも正当化されない」と訴え、「これ以上一般市民の死傷者が出ないよう、全ての関係者が国際法を踏まえて行動すること」を求めた。

 日本の外相が、ようやくガザをめぐる状況に対して、「国際法」の遵守を求めた。これまで中東情勢をめぐって、岸田首相ら政府高官は、「お悔やみ申し上げ」たり、「エスカレーションを避け」ることを願ったりしているだけで、何らかの規範に従って事態を見る、という態度を示してこなかった。

本年5月には、岸田首相はG7広島サミットの主要テーマに「法の支配に基づく国際秩序の堅持」を掲げ、「法の支配に基づく国際秩序を守り抜く」という決意を繰り返し表明していた。あの頃の岸田首相は、内閣支持率も押し上げる気概があった。

しかし内閣支持率はすっかり変わり果ててしまい、守勢に回っている岸田首相は、中東情勢をめぐっても、「法の支配に基づく国際秩序を守り抜く」覚悟などはぐっと押し殺し、ただ「エスカレーションがないように」祈り続けているだけのような雰囲気である。

大丈夫か。

欧米諸国は孤立し始めており、日本の立ち位置も不安定になり始めている。国際情勢の日本にとって非常に深刻なものになっている。

各方面に気を遣っているということはわかるが、立ち位置に一貫性がないのは、日本という国家に対する他者の視線を曇らせる。もちろん中東情勢は複雑怪奇だ。だが、だからこそ、何らかの座標軸を確認することが大切だ。指針を持たないまま、ただバランス感覚だけで乗り切ろうとするのは、かえってリスクが大きい。

岸田首相そして上川外相に、今一度、「国際社会の法の支配」を中東に向けても語ってもらい、日本が何を信じているか、何を手掛かりに生き抜いていくか、を内外にはっきりと示してほしい。

 ハマスによるイスラエル領内での凄惨なテロ攻撃に対して、イスラエルが苛烈な報復攻撃を始めた。ハマス(あるいは「ハマス等テロリスト勢力」)のテロ攻撃は凄惨であるだけではない。ガザ地区住民の生活を犠牲にして、イスラエルの過剰反応を引き出すことを狙った行為だと言わざるを得ない点で、極めて残忍なものだったと言える。

ハマスの勢力は、ガザ地区内でも、海外からの支援の面でも、減退気味であった。暴発的な作戦を行い、イスラエルに過激な反応をさせることによって、あらためて存在感を高めることを狙った行為であったと言える。それに対し、イスラエル政府も、イスラエルとの連帯を表明した欧米諸国も、ハマスの計算通りに過剰反応しようとしているようだ。

イスラエルでは、悪評高い司法改革で、ネタニヤフ首相が支持を失っていたところだった。自らの保身のための起死回生の作戦とすることを狙っているかのような扇動的な態度で、ハマス撲滅のための軍事作戦を開始した。開始当初を見ると、その内容は、懸念だらけだ。

まずガザ地区全域で水・食料・電気・燃料等を止める住民封鎖をした。これは明白に戦争犯罪行為である。また住民に避難せよと警告しているとも言われるが不明瞭なものであり、実質的に無警告に近い状態になっていないか懸念がある。ハマス関連施設だけを攻撃しているというイスラエル軍のわずかな広報内容(後付けで公開)と矛盾して広範に被害が出る爆撃をしている懸念がある(その印象を与える動画がいち早く世界中に拡散されている)。数多くの民生施設が破壊されている。イスラエルのハマス関連施設の定義は広すぎて、ガザにあるもの全てが該当してしまうようなものだ。少なくとも国際的な基準にそったものではない。これから地上戦が開始されるというが、明白な戦争犯罪あるいは戦争犯罪の疑いが強い行為が助長されていかないか、大きな懸念がある。

この様子は、ハマスの狙ったものだと言わざるを得ない。

 近年に積み上げてきたイスラエルの外交努力は水泡に帰し、中東での孤立が高まることは必至だ。イスラエルとの連帯を表明している欧米諸国は、戦争犯罪の共犯扱いをされ、中東あるいはイスラム圏全域での評価を下げる。

 ロシア・ウクライナ戦争は、いよいよ欧米ブロックvsロシアの縄張り争いだとイスラム圏でみなされる度合いは高まり、解決に向けた多国間外交・国際世論喚起は、欧米諸国が協力に支援するウクライナに不利に働くだろう。そもそもロシアの全面侵攻に国際的な注目が吸い寄せられていた状態こそが、ハマスが打破したかった状態であったはずだ。欧米諸国は、その罠にはまった、と言わざるを得ない。

 日本の立ち位置は曖昧模糊としている。日本は、中東政策全般で、欧米諸国よりも中東諸国の意向に配慮した態度をとってきている。今回のハマスのテロ事件後も、非人道的な行為を非難しつつも、暴力のエスカレーションの回避を求める、といった曖昧な言い方に終始した。欧米諸国のように積極的にイスラエル支援を打ち出してイスラム圏との反目に巻き込まれるのを避けたいという意図の表れで、それは曖昧な範囲で、効果を持っているだろう。

 だが日本にとって、同盟国・友好国である欧米諸国の権威が失墜し続けるのは、望ましいことではない。もちろん日本にできることが限られている。それを当然として冒険的な態度に出ることは控えるとしても、ただ曖昧なだけでいいとも思えない。

 ロシアのウクライナ全面侵攻以来、岸田首相をはじめとする政権高官は、「国際社会の法の支配」の重要性を訴えてきている。イスラエル・パレスチナ問題に接しては、「国際社会の法の支配」を言うことを控える、というのは、全く望ましくない。あるいは欧米諸国の建設的な関与を引き出すためにも、実際のところカギとなるのは、「国際社会の法の支配」だ。

 蛮行に対抗して市民を保護するための「イスラエルの自衛権の行使」については、支持や理解を表明していい。他方、その自衛権の濫用を少しでも予防するため「国際人道法にのっとった武力行使」の重要性を愚直に訴えていきたい。またイスラエルの占領が国際法違反であることも、繰り返しあらためて確認してよい。

 混迷する中東情勢に、明確な座標軸がないように感じられるだろう。しかし前に進むための手がかりは、自らが標榜しているはずの「国際社会の法の支配」にこそある。

↑このページのトップヘ