「平和構築」を専門にする国際関係学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

2024年07月

ハマスの最高指導者として知られるイスマーイール・ハニーヤ政治局長が、テヘラン滞在中に殺害された、というニュースが世界を駆け巡った。その半日前には、レバノンのヒズボラの最高位の軍事司令官フアド・シュクル氏が、空爆によって殺害された。「実行声明」は出ていないが、いずれもイスラエル以外に実行する能力と意図を持つ組織体は存在しないだろう。ハニーヤ氏の暗殺の状況についてはまだ詳細の報道がなく、場所がテヘランであることから、単純にイスラエル領内からのミサイル爆撃の可能性は低いとしても、高度な諜報活動と何らかの精密誘導兵器を組み合わせた暗殺であると思われる。

ハニーヤ氏の「殉教」を、ハマスは冷静に発表した。20年前の2004年にハマスの創設者アフマド・ヤースィーン氏も、イスラエルの無人機を擁した精密誘導兵器による標的攻撃で暗殺された。こうした事柄が起こるときには起こるということは、一定の想定の範囲内であったと思われる。

昨年107日のテロ攻撃を首謀したとされるハマスのガザ地区の最高指導者であるシンワル氏は、全く姿を見せない。イスラエルも過去10カ月における殲滅作戦を通じても、シンワル氏の所在をつかめていない。ハニーヤ氏は、政治交渉を担うために露出度が高い役割を担っていた一方で、イスラエルによる暗殺の可能性は常に高いという想定の中で暮らしていたはずだ。ハマス側が動揺して態度を軟化させる、という可能性は乏しい。むしろ今後、停戦交渉がいっそう難しくなり、暴力の連鎖が高まっていく力学が働く。

イエメンのフーシー派が、ネタニヤフ首相が米国訪問を終えて帰国して矢継ぎ早に暗殺作戦が実行されているのは、アメリカがイスラエルと共謀しているからだ、という趣旨の声明を出した。恐らくはアメリカ政府が戦争の拡大を望んでいる、と考えることには、飛躍がありそうだ。しかし米国議会で「文明と野蛮の戦い」にアメリカと共に勝利することを誓う演説をしたネタニヤフ首相が、アメリカの後ろ盾に一定の感触をつかんで、強硬な政策を遂行し続けている、とは言えるだろう。

トランプ前大統領は、ハリス大統領との差を明確にするイスラエル寄りの立場で、ユダヤ人票を確保する姿勢を明確にしている。ハリス副大統領は、ガザの惨状に懸念を持っていることをネタニヤフ首相に伝えたが、イスラエルの軍事作戦に反対しているわけではなく、外交経験が乏しい政治家として、イランやイスラム過激派に弱気だというイメージを持たれることは避けたいだろう。ハリス氏は、副大統領として、いずれにせよバイデン政権の既定路線に拘束され続ける。そのバイデン大統領は、大統領選立候補の辞退を決めてから、存在感をいっそう減退させている。ネタニヤフ首相と会談した際も、何らかの政策的姿勢を強調するような素振りが全くなかった。イスラエルが冒険的行動に出ても、具体的な行動を通じて、イスラエルに圧力をかける外交をすることはないだろう、とみられている可能性が高い。

ネタニヤフ首相としては、どんなに強硬な姿勢をとっても、アメリカが離れることはない、という計算をしているだろう。もしハリス氏が弱気な姿勢を見せれば、トランプ氏に攻撃してもらい、トランプ当選の可能性を高めてもらうだけだ。自らの国内の権力基盤の整備のためにも、バイデン大統領が求めていた停戦交渉の可能性などは潰してしまい、「文明と野蛮の戦い」にどこまでもアメリカを引きずり込んでしまいたいところだろう。

バイデン大統領の任期が残っている間に、強硬な姿勢でアメリカをさらなる軍事作戦の深みに引きずり込みたい動機は、トランプ氏の当選を恐れるウクライナも、似たような状況にある。

アメリカの政治家層のイスラエルとウクライナを見る目は異なっている。しかし、アメリカが強力な軍事的後ろ盾であり、後に引き返せない程度にまでアメリカを軍事作戦の深みに引きずり込みたいという動機づけを強く持っている点では、両国の立場は、同じだ。それは大統領候補がややこしい外交術を使ってくることがなく、しかし外交攻勢をかける余力がないレイムダック化したバイデン政権の残り任期の間になるべく強硬な手段を取ってしまっておきたい、という動機づけを共有している、ということでもある。ヨーロッパと中東の深刻な戦争で、事態を好転させることができないアメリカの友好国が、見切り発車の強硬手段を取りやすい環境にあるのだ。

そのアメリカにしても、ヨーロッパでも中東でも、事態の打開の糸口を見出すことができないまま、ただロシアに対して、イランに対して、弱みを見せないように強硬な態度を取り続けたい、という動機づけを持っているだけだ。そもそも非常に苦しい立場にある。

バイデン政権の残り任期は、まだ5カ月ほどある。大統領選挙まで先が見通せない不透明期間だけでもまだ3カ月以上ある。国際情勢が流動化しやすい非常に不安定かつ危険な時期だと言えるだろう。

 マリ北部で、軍事中央政権を支援してアル・カイダ系勢力のJNIMと戦っていたロシアの民間軍事会社ワグネルグループの戦闘員5080人が戦死したというニュースが出た。

 注目すべきは、戦果につられたのか、ウクライナ国防省情報総局(GUR)報道官が「マリ反政府勢力に必要な情報を与え、ロシアの戦犯を相手に成功的に軍事作戦を遂行した」と明らかにしたことである。『キーウポスト』が、マリ反政府勢力がウクライナ国旗を持って立っている写真も公開した。

 ウクライナのアフリカでの反ロシア活動は、かねてより様々な局面で指摘されてきたが、GURが自ら堂々と認めるのは、異例である。華々しい戦果が出たところで、存在を誇示したくなったということか。

 マリでは、2012年から内戦が続いている。当初は北部トゥアレグ人たちの独立運動が発端だったが、すぐにアル・カイダ系のイスラム過激派組織が勢力を伸ばし、中央政権と長期に渡る戦争を遂行している。治安の改善が果たされないため、2020年に成立した軍事政権は、国連PKOやフランス軍の撤退を求め、代わりにロシアの軍事作戦を歓迎していた。

 一部報道では、GURはトゥアレグ人系のAzawad勢力を支援したということだが、Azawadは過去10年ほどの間、アル・カイダ系のJINIM系の諸勢力に押されて、ほとんど活動できていなかったはずである。ワグネルとの大規模な衝突を前提とする軍事作戦を遂行する能力を持っていたとは想像しにくい。GURJNIMを支援したと考えるほうが、自然である。もしそうでなければ、西アフリカサヘル地域でアル・カイダ系の勢力としのぎを削るイスラム国(IS)系の勢力とつながっているという想定も出てくる。IS系の勢力が、モスクワなどロシア国内で頻繁にテロ攻撃を行っている状況との関連性は、かねてより疑念がささやかれていたところだ。

 ウクライナGURは、スーダンなど他のアフリカ地域においても、ワグネル戦闘員に対する攻撃を行ってきていると、従来から指摘されてきていた。

 ウクライナにとっては、敵の敵は味方、アフリカの天然資源がロシアの資金源として活用されるのを防ぐ、といった発想方法があるのだろう。だがサヘル地域各国で、旧宗主国のフランス軍が次々と追い出され、ニジェールに置かれていたアメリカの軍事拠点も追い出されたのは、テロ組織掃討作戦に成果が見られないことが主な理由である。ウクライナが、マリでテロ組織系の反政府勢力を公然と軍事的に支援するという状況は、アフリカ人には受け入れられないはずだ。

 欧米諸国もウクライナの動きを熟知しているようには見えない。日本では、政府も研究者もジャーナリストも軍事評論家も、ウクライナの評判が下がることについては、従来の見ざる言わざる聞かざるの政策を取り続けるだけだろうが、欧米諸国にとっては、米国大統領選挙も佳境に入った時期での複雑な事態の展開だ。

 ヨーロッパとアフリカの戦争が結びつき、今後の国際政治情勢にさらなる暗雲をもたらす事情を示す動きだと言える。

 パリでオリンピックが進行中だが、競技とは別場面での話題が豊富なようだ。その典型例が、開会式におけるイエス・キリストが処刑される前夜を描いたレオナルド・ダビンチの「最後の晩餐(ばんさん)」をモチーフにした場面だろう。女装して踊る「ドラッグクイーン」らが「最後の晩餐」の構図を再現したことが、「キリスト教をやゆしている」と受け止められ、多方面から批判された。

https://news.yahoo.co.jp/articles/75864ca7043f4032e621f0416fe67b2e527d02dd?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20240729&ctg=wor&bt=tw_up

 興味深いのは、担当者が「フランスのパロディー文化」に非常に意識的なことだ。開会式の演出の担当者は、「多様性について語りたかった・・・。フランスには創造や芸術の自由がある。我々には多くの権利があるのだと伝えたかった」。
 残念ながら、18世紀のフランス革命で斬首された王妃マリー・アントワネットと思われるキャラクターが自分の首を持って声高らかに歌うという演出とあわせ、評判がよくない。美しくないからだろう。「多様性」「自由」「権利」に関する説教だけで、感動をもたらすことはできない。

 1980年代頃には、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズらがけん引したフランス現代思想は、世界最先端の評価が高く、欧州各国のみならず、日本やアメリカにすら、絶大な影響を与えた。それは「ポスト・モダン」であり、「ポスト構造主義」の思想と性格づけられた。近代の思想が一つの完成段階に到達したことを前提にして、その体系性の「脱構築」を図るものだった。欧米中心の近代主義に疑義を呈したパリ5月革命を経験した「68年世代」が主な担い手であった。

 このことは、現代国際政治を見る際にも、大きな意味を持っている。

 1990年代以降の「ポスト冷戦時代」は、「自由民主主義主義の勝利」による「歴史の終わり」の物語を掲げる英米圏の保守主義的な思想が、勢いを持った時代であった。フランス現代思想の潮流は、現実の国際政治においては、何も影響を見ることがなかった。

 ただし欧米各国の「リベラル」層の「ポリコレ」文化の中に、フランス現代思想の影響は色濃く浸透していくことになった。LGBTQの権利拡張を代表例にして、欧米家父長制度の近代主義を「脱構築」する思想が、「多様性」の「自由」に基づく「権利」の体裁をとって、欧米社会の価値規範の土台を形成するようになった。
 このため「民主的平和」理論にもとづく民主主義の輸出を通じた紛争後国の国内社会を立て直す平和構築の試みでは、欧米の「リベラル」層が影響力を持った。

 事情が複雑なのは、英米圏の保守主義者たちが、現実の国際政治において「文明の衝突」の対立を激化させる「対テロ戦争」を扇動していったことだ。フランス現代思想は、欧米中心の近代主義に疑義を呈するものだった。ところが「対テロ戦争」の文脈では、非欧米圏の文化に対する誹謗の意味合いも持つことになった。「フランスのパロディー文化」は、イスラム主義者にとっては、認めることができないイスラムへの侮辱であり、むしろ欧米人の文化帝国主義の表れだ、として攻撃の対象になった。英米圏保守主義の底の浅さは、フランス現代思想の限界と微妙に折り重なって、21世紀の欧米諸国の威信低下をもたらした。

 フランス国内でのテロ事件や、人種的対立、文化的寛容性の問題が深刻化しただけではない。中東からアフリカにかけてのイスラム圏で、フランス文化への評価は低落した。その象徴が、西アフリカの仏語圏諸国で相次いだ反フランスの民衆運動であり、フランス排斥を掲げて「サヘル同盟」を形成しているマリ、ニジェール、ブルキナファソだ。フランス人にしてみれば、これらの諸国の独立以降、政治的配慮をしながら、資金と人命の巨大な投資をしてきた。しかしこれらの諸国の現在の政治指導者にしてみれば、それは一方的で(あるいは無意識的な)フランス帝国主義思想でしかない。彼らは今、フランスとアメリカを追い出して、ロシアを招き入れる政策を取っている。

 ロシア政府は、すかさずパリ・オリンピックの状況を揶揄しながら、文化戦争を扇動する発言を繰り返している。https://news.yahoo.co.jp/articles/bf01f7659ffb0d5bb08b0ad7fbbde570b9e8b6e8

 プーチン大統領が、「リベラル」嫌いで、特に反LGBTQの思想を強く持っていることは、広く知られている。ロシア・ウクライナ戦争の背景に、そうした「価値をめぐる闘争」が厳然として存在し、正教会の分派争いもからみあって、宗教戦争の様相を呈していることも、周知の事実だ。

 パリ・オリンピックの開会式におけるフランス現代思想の低落は、現実の国際政治における欧米諸国の低落と、不可分一体の関係にある。

 イスラエルのネタニヤフ首相が、議会演説を終えた後、(事実上の)民主党大統領候補のハリス氏、共和党大統領候補のトランプ氏と面談した。立ち位置の違いを反映した対応の違いが出た。

 ハリス氏は、ガザにおける惨状に懸念を表明したうえで、停戦合意を促した。記者の前でその様子を披露した際に、「私は沈黙するつもりはない」という描写を付け加えたことによって、ネタニヤフ首相に挑戦的な姿勢で臨んだことが印象付けられた。

 ハリス氏はバイデン政権の副大統領である。ガザの惨状の認知と、停戦合意の促進は、バイデン政権が取り組んできている路線である。したがってこのこと自体によって、ハリス氏はイスラエルを擁護しているバイデン政権の路線を変更する意図を表明したわけではない。ましてイスラエルのジェノサイド条約違反やネタニヤフ氏の戦争犯罪にふれるようなことを述べたことを全く意味しない。

ただ「私は沈黙しない」という発言によって、共和党のトランプ氏が「沈黙する」だろうことを見越して、自分がトランプ氏とは違うことを印象付けた。これは選挙戦術としては意味があっただろう。
 トランプ氏は第一期政権の際の政策のため、親イスラエル寄りの印象が強い。ハリス氏が、イスラエルとの親密さを競ってみたところで、トランプ氏から票を奪えるはずはない。それよりもスウィング州(都市部)のマイノリティ層やリベラル層の票を狙った方が合理的である。

もっともアメリカでは、反イスラエルの姿勢は、政治のメインストリームから外れてしまう印象を作り出す。政界・財界からの支援に、見えない制約は出てくるだろう。

ネタニヤフ首相は、わざわざフロリダまで足を延ばし、726日に、私邸でトランプ氏と面談した。トランプ氏は、ハリス氏の態度を「非礼だ」と描写したという。

トランプ氏は、自らの親イスラエル寄りの姿勢にもかかわらず、2020年の大統領選挙直後にバイデン大統領との関係構築に動いたネタニヤフ首相を快く思っていないとされる。2020年大統領選挙後には、ネタニヤフ氏に対する批判的な言動も目立った。しかし現状では、ネタニヤフ氏は、明らかにトランプ氏を頼っている。トランプ氏としては、選挙におけるユダヤ系の票のみならず、イスラエル・ロビーの支援を固めるために、ネタニヤフ氏のラブコールを余裕で受け入れることが利益だ。26日にネタニヤフ氏と会った際には、「中東に平和をもたらし、全米の大学キャンパスに広がる反ユダヤ主義と闘う」と述べたという。

実際には、トランプ氏は、これまでの一連の発言を整理すると、ハマス殲滅の目標を共有しながら、人質解放交渉に専心することによって早期の停戦合意を達成したい意向を持っているとみられる。

 トランプ氏は、中東の不安定化はバイデン政権の失策が原因だと批判してきている。自分が大統領に返り咲けば、「中東に平和をもたらす」とも強調している。ハリス副大統領が勝利すれば「第3次世界大戦が起きるかもしれない」と述べたとも報道されている。

 いつもの通りの誇張気味の表現だが、長期化しているガザの戦争に満足しておらず、ウクライナの場合と同様に、早期に平和をもたらす人物として、有権者にアピールしたいと思っているようだ。

 こうしたトランプ氏の発言は、トランプ氏が必ずしもネタニヤフ首相と一心同体ではなく、ネタニヤフの次の首相をにらんでいることも示唆している。

 恐らくはメディアが図式化して報道しているほどには、ハリス氏とトランプ氏の中東政策の間に差異はない。違いは、言葉の表現から生じるイメージによるところが大きく、それはかなりの程度に選挙を意識して操作されているものだ。

 もちろん少しの差異が、大きな結果の違いをもたらすことは、常に可能性としてはありうる。だがどちらがどのような結果をもたらすのかについては、簡単には予測できない。イスラエルがアメリカを頼っているのは確かだが、それでもアメリカに従順だと言えるほどではなく、イスラエル以外の中東諸国に対するアメリカの影響力は、目に見えて減退しているからだ。
 たとえば、ネタニヤフ首相とバイデン大統領の会談は、ほとんどサイドショーのようになってしまっている。実質的な政策論には、全く進展がない。

 バイデン政権の時期にガザ危機が進行し、その渦中で、アブラハム合意派を含む中東のエジプト、UAE、サウジアラビア、そしてイランという地域有力諸国が、今年からBRICSに加入した。この新しい体制での初めての首脳会議が、ロシアで10月に開催される。主要な議題は、ドル基軸通貨体制への挑戦である。それまでにガザ危機が終息している見通しはない。事態の展開に、注視が必要である。

 724日、イスラエルのネタニヤフ首相が、米国議会で演説した。ネタニヤフ節が炸裂した内容であり、過激ではあるが、目新しさはない。ただ、アメリカ議会で喝さいを浴びながら演説を行ったことの国際政治上の意味は、小さくないだろう。https://agora-web.jp/archives/240725161359.html 

 ネタニヤフ氏は、演説冒頭で、世界が混乱しているのはイランのせいである、と述べながら、次のような世界観を披露した。

「これは文明の衝突ではない。これは野蛮と文明の衝突である。(This is not a clash of civilizations. It’s a clash between barbarism and civilization)」

言うまでもなく、「文明の衝突」とは、1990年代前半に、ハーバード大学の政治学者サミュエル・ハンティントン教授が、冷戦終焉後の世界を見通すための視点として提示して、有名になったものだ。
 すでに1989年に公刊されていたフランシス・フクヤマ氏の「歴史の終わり?」論文が一世を風靡しており、冷戦終焉後の時代には「自由民主主義の勝利」が前提になる世界が広がる、という風潮を作り出していた。ハンティントン氏が1993年に公刊した「文明の衝突?」論文は、それに代わる世界観を提示したものとして、注目された。その後30年以上にわたり、フクヤマの「歴史の終わり」とハンティントンの「文明の衝突」の対比が、冷戦終焉後の世界をめぐる理解の違いを体系的に示す見取り図となってきた。私自身も過去の複数の著作の中で、何度も参照してきた。

フクヤマ氏は、シカゴ大学で政治思想を専攻した哲学者である。同じ経歴を持った人物に、「ネオコン」のイデオローグの筆頭格でジョージ・W・ブッシュ政権で国防副長官として2003年イラク戦争開始に影響力を持ったポール・ウォルフォウィッツ.氏らがいる。フクヤマ氏自身は、「自分はネオコンではない」と繰り返し強調し、イラク戦争以降は、「歴史の終わり」の通俗的な理解から距離を取る意図を持った著作を多数公刊してきている。しかしいずれにせよ「自由民主主義の勝利」(これは「アメリカの勝利」の物語でもある)としての冷戦終焉の理解は、2003年イラク戦争の大きなイデオロギー的基盤だった。

最も通俗的な「ネオコン」的な思想では、次のような理解になる。民主主義国は相互に戦争をしない(「民主的平和論」)。したがって独裁国家を民主主義国に作り変えるための戦争は、平和のための戦争である。民衆は平和的な民主主義国を歓迎するので、それを実現する外部軍事介入国である超大国アメリカを、民主主義陣営の指導国として歓迎する。アフガニスタンに続いてイラクがそのような親米民主国に生まれ変わると、間に挟まれた(かつてアメリカを追い払った憎々しいイスラム原理主義を採用する)イランにも、ドミノ現象で民主革命が発生する。「歴史の終わり」は不可逆な歴史運動なので、遅れていて「歴史の終わり」をまだ経験していない中東諸国も、このようにアメリカの力によって加速させられて、「歴史の終わり」を経験するようになる。

「ネオコン」は、今日では市民権を失ったような雰囲気があるが、それはイラク戦争が「正しい戦争」の地位から転がり落ちて、「間違った戦争であった」という評価で、アメリカ人の心の中で思い出されるようになってしまったからだ。

そうなるとハンティントン氏の方が正しかったのか、ということになる。いかに正義の旗を振ろうとも、イスラム文明圏でアメリカが軍事行動を遂行してしまえば、全ては「文明の衝突」の構図に陥って、無限の闘争の構図に引き込まれる。だからイラク戦争は、やってはいけない戦争だった、ということである。

ネタニヤフ氏にとっては、苦々しい結論である。ネタニヤフ氏としては、イスラエルの勝利によって、ともに戦うアメリカも再び勝利を味わう、という流れに持っていきたい。だからアメリカはイスラエルと一心同体になって最大限の支援も行うべきだ、というアメリカ国内の世論を盛り上げたい。

そこでネタニヤフ首相は、ハンティントンの「文明の衝突」論の視点を否定した。そしてイスラエル=アメリカが「善」の「文明」そのものを代表する勢力として、「悪」の「野蛮」と戦っている、という物語を強調した。

そのネタニヤフ首相が代表する「善」そのものとしての「文明」が、20世紀あたりに成立した現代国際法などによって「占領」などと呼ばれて否定されるようなものではないことは、ネタニヤフ首相によれば、「アブラハム、イサク、ヤコブが祈り、イザヤとエレミヤが説教し、ダビデとソロモンが統治した」ことを示す聖書の教えによって、裏付けられる。

ちなみに今回のネタニヤフ首相の議会演説を実現したマイク・ジョンソン下院議長は、かつて「アメリカがイスラエルを支援するのは聖書の教えにしたがってのことだ」「神は、イスラエルを支援する国を祝福する」などと発言してきている人物である。

神の恩寵は、国際人道法を凌駕する。もはや自由民主主義の勝利ですら、主要な関心対象ではない。

アメリカ=イスラエルが、「善」と「文明」を代表している。この世界観を受け入れるか、受け入れないか。

これこそが、ネタニヤフ氏が、アメリカの議員たちと、世界に回答を迫っていることである。

言うまでもなく、世界の大多数の人々は、早々とこのような馬鹿げた大言壮語を見限り、イスラエルのみならず、アメリカからも、よりいっそうの距離をとろうとして、突き放して見ている。イスラエルの長期にわたる苛烈な「占領」、そして昨年10月以降少なくとも約4万人と言われる市民の犠牲と、繰り返される強制移動と飢餓状態の苦境こそが、より重要な現実である。

ただしそれでも、世界の大勢に反し、なんとかイスラエル=アメリカが最終的な勝利をおさめてしまい、中東全域がイスラエル=アメリカを指導国として崇め奉ることによって安定する日が来ないのか、という未練を捨てきれない人々も、少数だが、残っている。

残念ながら、たとえば日本の政治家、役人、学者、評論家層には、まだ相当数のそのような人々が残存しているようだ。少なくとも代替案がなく、代替案を作るために動く意思はもっとない。果たして、そのような日が来ることを祈り続けることが、日本外交にとって合理性があるのかどうか。やがて歴史の審判が、現実の結果として下されていくことになるだろう。

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