「平和構築」を専門にする国際関係学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

2024年10月

国際刑事裁判所(ICC)赤根智子所長が、国連総会で行った年次活動報告の演説が、注目を集めている。なぜなら非常に異例なことに、赤根所長が、「前例のない脅威・圧力・強制的措置」がICCを襲っていることを述べたからだ。赤根所長は、「われわれは諦めることはできない。われわれは諦めない。」とも述べた。

https://www.icc-cpi.int/news/icc-president-addresses-united-nations-general-assembly-present-courts-annual-report-1 

脅威がどこから来ているかは、ICCの現状を考えれば、明白である。カーンICC検察官が、ガザ危機をめぐって、ハマス指導者3名とあわせて、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント国防相に対する逮捕状の発行の許可を裁判部に要請したのは、今年5月のことであった。それから5カ月以上が経過した。ハマスの指導者層3名は全員、イスラエルによって殺害された。イスラエル側2名が残った。ところがこの2名に対する逮捕状は、まだ正式に発行されていない。これは異例なことである。

通常は逮捕状請求の発表などはしない。内部で手続きを進めて、粛々と正式逮捕状にする。逮捕状発行の決定は、手続き的事項だ。実質審査は裁判で行う。ところがその手続きに5カ月を要するというのは、全く前例がない。

そもそも早く正式な逮捕状発行にしてから発表すればいい逮捕状発行の要請という事柄を、カーン検察官が公に発表したところから、異例であった。普通に考えれば、逮捕状の正式発行を決める権限がある裁判部(予審部I)が、ある種のサボタージュをすることを恐れて、要請を公にした、と推察できる。つまり検察官は、裁判部に圧力をかけた。ところが、これが様々な動きを招いた。

イギリスは、ネタニヤフ首相らに対する逮捕状の請求に反対する立場から、意見書を提出するとした。これは7月のイギリス総選挙で労働党が政権奪取したことによって立ち消えになったが、手続きが遅れる一因にはなったとされる。

より強硬な姿勢を示したのがアメリカである。6月に下院が、ICC関係者に制裁を科すことを可能にする法案を可決した。この法案は、まだ上院と大統領署名を通過していない。だが可決の可能性はゼロではない。11月の選挙をへて、上院で共和党の勢力が広がり、大統領が交代となれば、可決の可能性はさらに高くなる。

アメリカによる金融制裁が発動された場合、オランダの銀行に預けてある職員の資産のみならず、ICCの資産も使えなくなると懸念されている。給与支払いも全てストップしてしまえば、ICCは活動停止に追い込まれる。

これはオランダを本拠地にする銀行等も、ニューヨークを本拠地にする株式市場等の金融関係の諸制度から排斥されてしまうことを恐れて、アメリカ政府の方針に従わざるを得ないために発生すると想定される事態である。以前のトランプ第一期政権の時代に、ICCがアフガニスタンにおける戦争犯罪の捜査を開始することを決定した際、当時のベンスーダ検察官らに対する制裁が導入されたことがある。それによってベンスーダ検察官がアメリカに入国できなくなっただけではない。資産凍結によって、大きな不利益と活動の制約が引き起こされた。現在、タリバン政権の復権もあり、ICCはアフガニスタンの捜査を行っていない。

当時、赤根氏はまだ任命されたばかりの判事だった。ほとんど最初の仕事が、予審部でアフガニスタン捜査開始の審理を行う作業だった。このとき、赤根氏の予審部は、ICCの資源の限界を指摘して、捜査開始を許可しなかった。この決定は、ICCを強く支持してきた世界のNGOや法律家層から、厳しい批判を浴びた。法の原則を政治的考慮で捻じ曲げている、というわけである。当時のベンスーダ検察官は、再審理を求めた。再構成された新たな予審部は、捜査を許可せざるをえなかった。

今、アフガニスタンの戦争犯罪の捜査はどうなっているか。アメリカの制裁によるダメージと、タリバン政権の復権によるアフガニスタン国内での捜査の不可能に見舞われて、捜査は打ち止めとなっている。

ICC関係者は、この騒乱をよく記憶している。そしてイスラエルに対する捜査が、さらにいっそう激しいアメリカの反発を招くだろうことを予測し、恐れている。

1024日、衝撃のニュースがICCから発出された。締約国会議議長が、カーン検察官の女性の部下に対する取り扱いが不適切だ、という糾弾の内容の声明を出したのである。これに対して、カーン検察官は、全く根拠がない、とすぐさま反発した。実際のところ、声明文は、検察官の不適切な行動が見つかった、としか述べていないので、どういう状況なのか、全く不明である。なお締約国会議議長はフィンランドで、副議長がポーランドである。https://www.icc-cpi.int/news/president-asp-statement-alleged-misconduct-icc-elected-official 

さらに1025日、逮捕状発行を決定する権限を持つ予審部Iのルーマニア出身の判事が、健康上の事情を理由にして、パレスチナに関する事件の担当を辞退したいと申し出てきた、するというニュースが入った。代わってスロベニアの判事が入る。

これらの不透明な動きが、全て欧州、特にイスラエル寄りの色彩が強い東欧出身の外交官や裁判官によって進められていることは、非常に怪しい雰囲気を醸し出している。

もしICCがネタニヤフ首相の逮捕状を発行しなかったら、アフリカの加盟国は反発するだろう。かつてアフリカ人の犯罪者ばかりを裁いている、という理由で、アフリカ諸国が反発して脱退の動きが広がろうとしたときがあった。このときはブルンジだけの脱退で終わったのだが、南アフリカはほとんど脱退間際だった。今回、ICJ(国際司法裁判所)にジェノサイド条約違反でイスラエルを提訴したのが、南アフリカだ。もしICCが「圧力」に負けてイスラエル政府高官の訴追を見送ったら、どのような反応をするか、わからない。とにかく大変な事態にはなるだろう。

ICCにとっては、進むも地獄、退くも地獄、という状況だ。厳しい状況だが、そうだとすれば、戦争犯罪を処罰する国際機関として存在している以上、進むしかない。だがそれによって発生する脅威によってICCが倒されてしまわないかどうかは、わからない。

非常に気になるのが、ロシアのウクライナ侵攻については「国際社会の法の支配」などの観点から、ICCを非常に重視し、頻繁にICCへの支援を口にしていた日本政府が、ガザ危機をめぐっては、沈黙を貫いているかのように見えることだ。
 赤根所長は、日本の検察の出身だ。最近、何かと不祥事等で話題になることが多い、あの日本の検察である。ただし赤根所長は、検察コミュニティの中で、多数派とは言えない国際畑を歩んできたキャリアを持つ稀有な人材で、日本の検察ではトップにならないとして、国際裁判所ではトップになった、という人物である。ICCに対しては法務省と外務省の二つがかかわり、法務省関係者の中の派閥がかかわる。都合のいいときには「うちが」になるが、都合が悪くなると「うちじゃないだろう」になる。
 ICCの浮沈は、日本外交にも影響する。大丈夫だろうか。心配な状況である。
 

「篠田英朗 国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月二回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。https://nicochannel.jp/shinodahideaki/

衆議院選挙が終わった。裏金問題で自民党が大きく議席を減らした選挙であった。
   一部で話題になっているのが、裏金問題を明らかにした調査報道をしたのが「赤旗」新聞であり、その他の自民党を追い込む活動をしていたのが共産党であったのに、結果として共産党が議席を減らしたのは奇妙だ、という点である。

確かにそのような言い方をすれば、その通りである。私は国政選挙について研究しているわけではないので、投票行動の詳細及び変化を把握しているわけではない。ただ立憲民主党が大幅に躍進し、れいわ新選組が共産党の議席数を追い抜く、という現象を見ると、共産党が衆議院選挙の制度の中で埋没したことは明らかである。よく知られているように、共産党は地方議会議員の数などでは、堅調な存在感を見せている。ただそれも下降気味だといえば、そうなのかもしれない。

国際関係を専門にしている学者の視点からすると、気になることがある。平和安全法制の取り扱いである。集団的自衛権を違憲と主張する野党の反対に遭いながら、平和安全法制が成立したのは2015年だ。それからほぼ10年たつ。この法律の存在を前提にした現実が進展している。自衛隊の編成などにも影響しかねず、今から廃案にしたら、日米同盟の運営体制に大きく影響するため、大混乱は必至である。こうした事情もあり、国民の理解度も進んでいる。https://survey.gov-online.go.jp/r04/r04-bouei/gairyaku.pdf 

しかし共産党は、廃案を主張している。今この立場を取っているのは、共産党だけだろう。

当時、共産党と歩調を合わせて違憲を唱えていた民主党の流れをくむ立憲民主党は、平和安全法制の違憲部分のみを見直す、などと説明している。玉虫色の説明で、これはこれで政権担当するような場合に持ちこたえられるのかは、不明だ。ただこの立場をとる同党の意図は明瞭である。憲法論上の立場を変えたという経緯をとることなく、なるべく現状変更を避けたい、ということだろう。

同じように左派として分類されることが多いれいわ新選組は、日米地位協定を抜本改定することを公約にしていたが、特に平和安全法制についてはふれていない。基地周辺の犯罪問題などがあり、地位協定改定の方が具体的な意味が想定しやすい公約である。新興の政党であるため、2015年当時のしがらみを持っていない、という点も自明である。

ガザ危機を憂慮した対応などにおいて、れいわ新選組の議員と並んで、共産党の議員の方々の中には、熱意がある方が少なくない。共産党の方々が、現在進行形の国際問題にも関心をお持ちであることがうかがえる場面に何度も出くわしたことがある。しかし党として国際問題に取り組んでいる、というイメージは、あまり持たれていない。むしろ憲法学通説の絶対性を前提にした憲法論に拘泥しているという印象が強い。

私自身は、もともと日本国憲法は集団的自衛権を禁止していない、という立場である。それを主張するために、平和安全法制成立の後の数年で、著作を何冊か出した。私の学説に納得さえしてくれれば、集団的自衛権違憲論と引き換えに、憲法改正の必要はなくなる、というのが私の立場である。国際問題に関心を持ってくださる政党の存在は貴重であるだけに、集団的自衛権違憲論の主張は、私個人は、非常に残念である。

年齢別の投票行動を示す資料を見ると、共産党は高齢者層の方に強く、れいわ新選組は若年者層の方に強い。衆議院選挙をへて、非自公政権の可能性も出てきただけに、平和安全法制の取り扱いについて各政党に柔軟な思考がありえたら、それは日本にとって望ましいと、私は感じている。

 

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選挙戦が終わり、衆議院選挙の日となった。私個人の感想として残念だったのは、国際問題が選挙戦でほとんど話題にならなかったことだ。もちろんそれは日本国内に問題が山積しているからだろう。国際情勢にまで目を向ける余裕がないことを、悪いことだ、と言いたいわけではない。

ただ現実には、国力が疲弊すれば疲弊するほど、国際情勢に翻弄される度合いも高まる。むしろ国際情勢を分析していくことの重要性は高まる。選挙で話題にしなければ、そのまま国際情勢に関わることなく、平和に暮らしていけるわけではないことは言うまでもない。選挙の争点にしなかったことが、国際情勢に対する無知や無関心を意味しないことを、祈るだけである。

この流れを作り出したのは、自民党の石破総裁だろう。総裁就任前に「アジア版NATO」などの国際的な防衛安全保障の議論を喚起しようとする素振りが見えた。選挙中は、それを徹底的に封印した。「この話はヤバい話だ」という雰囲気を与党関係者に作り出すのに貢献しただろう。
 あえて言えば、憲法改正についてふれる政党は複数あった。しかし憲法9条を語った場合であっても、憲法とは国内の問題である。少なくとも国際情勢にからめて憲法論を展開した政党があったという印象はない。

アメリカではウクライナやガザをめぐる立場の違いが、大統領選挙の大きな争点になったり、候補者に対する評価の理由の一つになったりしている。日本はアメリカほどには目立った外交政策をとっているわけではない、外交政策に関しては超党派の合意がある、といった事情も、あると言えばあるのだろう。それにしても、これらの現下の国際情勢の最重要事項が、選挙とは全く関係のない出来事として扱われたのは、やはり残念ではあった。

例外的な存在は、れいわ新選組であった。れいわは、中東情勢をめぐって明確にイスラエル批判を行っている唯一の党だろう。ロシア・ウクライナ戦争についても、独自路線をとっている。

ただ、イスラエル批判を日本の外交政策にどう反映させるか、という点において、具体性に欠けた印象はぬぐえない。より明快な態度をとるべきだ、という主張は、外交政策の方向性を示す大きな論点ではある。だがもう少し「それでは日本はまず何をするべきなのか」が語られないと、有権者の関心も得られにくい、ということは言えるだろう。

政治家の「外遊」が、お金の無駄遣いだと批判される機会が増えた。これについて大雑把な擁護論もあるが、欧州の観光地に大挙していく「外遊」の意義について、国民が精査を求めるのは、おかしなこととは思えない。

日本の国会議員には、官僚出身者が多い。この階層は、省庁の予算で留学させてもらっている階層だ。国際経験が皆無ではない階層である。私もロンドンのLSE留学時代に、たくさんの政府官僚の方々とお会いした。ただ欧米の有名大学にこだわり、あとは旧来の冷戦時代からの政府間の付き合いにだけ流されていると、視野が狭くなる。非欧米系の担当になると霞が関における地位が低いかのような偏見が生まれる鋼鉄の人事体系も根深い。

激動の国際社会の中で、未来を構想する視野を培うための経験を持っている方々が、果たしてどれくらいいるのだろうか。

 

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1022日、ロシアのタタルスタン共和国カザンで、BRICS首脳会議が始まった。24日までの日程で20カ国の国家元首・政府首脳を含む33カ国の代表団が集まった会議が開かれる。

BRICSの重要性は日増しに上がっている印象が強いが、今年は特別に注目されている。実際の会合の成果が明らかになる前に、なぜ重要だとみなされるのかについて、整理をしておこう。

1に、ロシアが主催国となって開催される会議である点だ。ロシアのプーチン大統領は、国際刑事裁判所(ICC)の逮捕要請の対象で、思うようには外国渡航ができない。当然ながら、自国がホストになる会合であれば、その点は気にしなくていい。ただ招待国が自重するのであれば、参加国は伸び悩むだろう。ロシアの国際政治上の位置づけを見定めるための象徴的な意味あいがもたされた会議となった。BRICSメンバーの参加はもちろん、主要な加盟申請国の首脳の参加を確保したことで、ロシアの政治的威信が保たれる形になっていることは、開催とともに明らかになった。

ただし例外は、ブラジルのルラ大統領である。大統領自身が欠席し、ヴィエイラ外相が外交団を率いている。自宅で転倒して後頭部を打ち、軽い脳出血を起こしているため、飛行機での長距離移動を一時的に避けるよう医師に助言された、という理由である。テレビ会議方式で首脳会議に参加するとも言われているので、実際にその理由は事実であるのかもしれない。ただ年11月にブラジルで開催されるG20サミットには出席しないと、プーチン大統領が表明した直後のことだ。ブラジルがICC加盟国であるためだ。ロシア政府は、ブラジルに迷惑をかけないように配慮した、と説明したが、結果として、欠席が続くことなる。このことは後述するBRICSの地域性の問題とも関わり、一つの注目点である。

2に、BRICSのメンバー拡大が注目を集めている。昨年、5カ国の新規加盟を決め、今年から9カ国がBRICSの正式メンバーだということになっている(サウジアラビアが加盟が決まった後に態度を留保し始めている)。昨年から始まった大幅な加盟国増加路線が、今年も継続していく予定であり、すでに数十カ国の加盟申請がなされているとされる。今回のカザンの会議では、メンバー以外の13カ国からの国家元首・政府首脳が参加していることになり、これらは有力な加盟候補諸国であると言えるだろう。

報道では、BRICSは新たに「パートナー」という枠を設けて、正式メンバーではない諸国の受け入れをする体制を整えているという。拡大をすることは確実な情勢だが、最終決定がなされていないためか、最終結果がどうなるのかはいまだ不明だ。注目点は、拡大の仕方と、不拡大の領域だ。

昨年の拡大国は、イラン、UAE、エジプト、エチオピア、そしてサウジアラビアだった。上述した通り、サウジアラビアは決定後に、態度を保留する姿勢をとっている。アメリカなどからの相当な働きかけがあったという推察もなされている。いずれにせよBRICS側の拡大の意図ははっきりしていた。

なんといっても、世界の原油取引の大部分を握る中東の産油国をBRICSのメンバーにするという意図が明白であった。現在BRICS諸国だけで、世界人口の4割以上を占めるだけでなく、世界の天然資源の相当量を抱えている。ここに中東の産油国が加われば、BRICSの政策協調による天然資源市場への影響が絶大になる。イランとアラブの産油国であるUAE及びサウジアラビアを同時加盟させた。同時加盟させないと、残った国を取り込みにくくなるからだろう。サウジアラビアが態度を変えたとしても、BRICS側がさらなる翻意を待ち続けているようであるのも、こうした戦略的意図があるからだろう。

エジプトというもう一つのアラブの有力国を加入させると同時に、東アフリカでエジプトと対立するエチオピアも同時加入させた。これもどちらかを先に入れてしまうと、BRICSがアフリカに拡大していく際の足かせになるという判断が働いた措置だろう。よく配慮された措置であったと言える。

イエメンのフーシー派が紅海を航行する船舶を攻撃するため、紅海を通じた貿易取引が止まっている。これに対抗するためにイスラエルがソマリア領内のソマリランドにイスラエル軍を駐留させることを許可するように働きかけているという報道がある。ソマリランドの後ろ盾は、エチオピアであり、UAEである。しかしソマリランドと対立するソマリア連邦共和国政府には、エジプトが接近している。これは、ある見方ではBRICS加盟国内の不穏な関係を示している事情と言えるかもしれないが、少なくとも現時点では、地域的な対立を越えてBRICSが浸透していくアプローチとなっている。

ただし注意すべきは、昨年からの拡大によって、BRICSがユーラシア偏重になり始めていることだ。もともとのBRICS5カ国は、ブラジル=南米、ロシア=ユーラシア中央、インド=南アジア、中国=東アジア、南アフリカ=アフリカと、異なる地域それぞれの有力国が集結しているという仕組みをとっていた。それが昨年の拡大によって、ロシアから中東を貫いてアフリカに到達する太い線が形成されることになった。BRICSは引き続きユーラシアの太い線を充実させ、ロシア=イラン=インドを結ぶ「南北輸送回廊」を発展させ、一帯一路に接続していく方向性を強化していきたいだろう。ちなみに今回の首脳会談の会場であるカダンは、ロシアのイスラム圏の有力都市であり、「南北輸送回廊」の要衝であるロシアのカスピ海沿岸の町アストラハンに通じるヴォルガ川の上流に位置し、中国とロシアを結ぶ陸上交通路の中間点でもある。象徴的な意味に着目して開催地に選んだのだろう。なおあとアゼルバイジャンが加入すれば「南北輸送回廊」の主要交通路に位置する国の全てが、BRICS加入を果たすことになる(アゼルバイジャンはカスピ海航路の場合には抜かされる)。アゼルバイジャンのアリエフ大統領は、当然今回の首脳会議に出席している。

BRICSが次に関心を持っているのは、東南アジアである。昨年はASEANの雄であるインドネシアの加入が大きな焦点となった。結果は、インドネシアが中立的外交姿勢を維持するためにOECDとの同時加盟を望んでいることなどから、見送られた。しかし今年のBRICS首脳会議に外相を送り込んでおり、BRICS関与の姿勢はまだ捨てていない。もっとも先にBRICSに加入する可能性が高くなっているのが、マレーシアだ。アンワル首相が出席していると報道されている。他にはラオスの首相が出席している。BRICS加入に強い関心を持っているとされるタイからは外相が出席している。東南アジアを一つの地域とみなすならば、BRICS加入国が存在していなかった地域だ。新規加入が有力と思われる。

懸案となるのが南米だ。昨年はアルゼンチンの加入が注目されたが、首脳会議直前の大統領選挙で新自由主義を旗印にするミレイ氏が当選して、BRICS加入も立ち消えとなった。その後も、親米的な路線をとっている。もともと中南米はアメリカのお膝元と言っていい地域であり、いかにBRICSにも関心があると言っても、アメリカの影響力及び働きかけも強い。今回のカザン首脳会談でも、新規加盟を見据えた出席国の中に、南米からの国の姿は少ない。BRICSが標榜する「多元主義」が、中南米においてどのような展開を見せていくのは、一つの注目点である。

第三の注目点は、「脱ドル化」に向けた政策を、どこまで具体的に打ち出してくるか、という実質的措置に関わる点である。これは今後の国際社会の全体動向に関わる大問題であるが、現時点では情報が限られている。少なくとも会議における討議内容が判明してきた後に、あらためて検討していくことにしたい。

ただ「脱ドル化」に関して一つだけ指摘しておくと、日本で広範に「人民元はドルに代わる基軸通貨にはなれない」という主張が流通しているのは、的外れである。BRICSは人民元の基軸通貨化ではなく、現地通貨や新規取引手段を通じた決済方法の「多元化」を目指している。

中国とインドが同盟関係を結ぶはずはない、といった話も目にすることがあるが、BRICSNATOのような軍事同盟化を目指しているわけでもなく、これも的外れである。インドは人民元の広範な流通を望まないかもしれないが、今回のBRICS首脳会議にあわせて中国との国境紛争を解決する合意も達成した。BRICSの存在価値を、加盟国はそのような点に見出している。BRICSNATOにはならない、BRICSEUにはならない、といった的外れな評価は、冷静な分析のために、百害あって一利なしである。

 

 

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1019日、初のG7国防相会合が開かれた。1970年代にオイルショック後の世界経済情勢を協議するために開催された会議を発端とするG7は、伝統的には経済問題を主眼とする議題を話し合ってきた。他方、近年は、広範な問題を扱うようになってきており、首脳会議で安全保障問題を話し合うことは常態化していた。外相及び経済関係の閣僚の会議は、毎年行われている。その意味では、国防相会合の開催は、驚きには値しないかもしれない。

折しもロシアでBRICS首脳会議が開催される直前のタイミングだ。BRICSは、「脱ドル化」の共通関心を前面に出しながら、昨年に倍増させた加盟国の数を、さらにいっそう増加させてくると見られている。購買力平価GDPでは、BRICS諸国は、G7よりも大きくなっている。BRICSの存在感は高まる一方だ。G7としてはさらに強く対抗する姿勢を見せることが必要なのかもしれない。

だが、日本(とEU)を除くG7メンバーが、NATO加盟国だ。EU加盟国とNATO加盟国もほとんど一致している。日本がNATO会議に招かれる機会が増えてきており、連携の度合いは高まっている。安全保障面での政策協調は、NATOが中心になるのが当然だ。G7で安全保障問題を話し合っても、NATOで話し合われている路線と異なることを決めていくことは想像できない。
 もちろん、様々なチャンネルを持ち、繰り返し懇談する機会を持って、悪いことはないだろう。確かに実態としては、拡大しすぎたNATOの中には、異なる意見を持つ諸国が目立ちがちだ。ウクライナ加盟をめぐって、ハンガリーがすでに反対を表明していることなどが、その象徴的な事例だ。その点、G7は結束度の高い国際協調体制を見せることはできるだろう。
 中央アジア諸国が加入しているOSCE(欧州安全保障協力機構)が機能不全に陥っている現在、G7諸国にとっては、たとえ日本だけでも、アジアの国と政策協調をする機会は、貴重だ。他にない、と言うほど、米欧諸国の外交チャンネルの裾野は狭まっている、という残念な状況の裏返しでもある。

今回のG7国防省会合の機会に発出された「共同宣言」文を読んでみたが、実際に目新しいところはなかった。https://www.g7italy.it/en/joint-declaration-of-the-g7-ministers-of-defence/

議長国イタリアが開催を提案した、と報じられており、その関心対象であるレバノン駐留のUNIFILの安全確保の重要性を訴える内容は入っている。これは最近の事件に対応している、という意味で、多国間協議を通じて公式文書に入ってきたのは、あるいは初めてかもしれない。ただイタリア、スペイン、フランスなどの欧州諸国のみならず、その他のUNIFILに要員を提供している40カ国が共同で発した声明などは、すでに発出されている。

しかも「共同宣言」では、ハマスやイランが、イスラエルへの攻撃を理由に名指しで非難されているのに対して、イスラエルを名指しした非難はない。むしろG7諸国は、イスラエルの安全保障に関与している、といったことが謳われている。UNIFIL要員の安全確保に加えて、一般的な市民の保護に関して、国際人道法の遵守が謳われている。しかしイスラエルの行動を問題視している具体的な記述は、そこには登場しない。

このG7防衛相会合共同宣言では、冒頭から国連憲章の原則を遵守することの重要性が強調され、「自由で開かれたルールにもとづく国際秩序」への挑戦を許さない、といったことが書かれている。つまり国際法に挑戦している勢力として名指しでイラン、ハマス、ヒズボラ、フーシー派、などが、非難の対象とされている。しかしイスラエルの名は非難対象ではない。ただイスラエルの安全が保障されなければならない、と語られるだけである。

ガザ危機をめぐっては、国際刑事裁判所(ICC)検察官が、イスラエルのネタニヤフ首相とガラント国防相の逮捕状請求を行ったことを発表している(ハマス指導者にも逮捕状請求がなされたが、対象者は全員イスラエルによって殺害されている)。それだけではない。国際司法裁判所(ICJ)は、イスラエルの行為に対するジェノサイド条約の適用可能性をふまえて軍事行動停止の仮保全措置命令を出している。またパレスチナ占領地の違法な存在をめぐって、即時の撤退を要請する勧告的意見を発出している。国連憲章にのっとった国際法によって裏付けられている最高権威が、イスラエルの行動を問題視し、軍事行動の停止のみならず占領地からの撤退を求めているのである。

ところがイスラエルは、これらを全て真っ向から否定して無視する態度を公に表明している。そして国連憲章を中心とした国際法の遵守を謳うG7は、イスラエルの敵だけを非難し、イスラエルは非難せず、ただ防御対象であることだけを強調している。

こうしたあからさまな国際法の権威を形骸化させる「二重基準」の態度によって、「自由で開かれたルールにもとづく国際秩序」なるものは有名無実化してしまっている。全く説得力がない。

恐らくは今後、さらなる外部からの挑戦者に直面していくだけではない。NATOEU加盟国内の懐疑派諸国の無関心や、それぞれの国の中の懐疑派の突き上げにもあっていくだろう。前途多難である。

果たして、このようなG7諸国の自家撞着的な世界観にそった共同声明をあらためて発してみせることに、何か意味はあるのだろうか。にわかにはつかみきれない気がする。米欧諸国は今、世界経済におけるシェアを減退させ続け、人種差別的な二重基準を批判され続けながら、準同盟国であるイスラエルなどに武器を提供し続けている。ここでなお米欧諸国中心主義的な世界観を強調してみせることに、果たして外交的な意味がどれくらいあるのか、つかめない気がする。

日本では、NATOと接近するのは良いこと、G7諸国と仲良くするのは良いこと、いずれにせよアメリカと歩調を合わせるのは良いこと、と無批判で仮定する風潮が根強く存在する。その方向性で、欧州や中東に対する政策的態度を決めている様子がある。

国際情勢を上手く統御できていないアメリカを初めとする他のG7諸国も、たとえ国力を急速に衰えさせ続けている日本であっても、積極的な安全保障政策の領域への参入は歓迎する雰囲気だ。もっともそれは、米欧諸国が切り盛りしている既存の政策プラットフォームに日本が入ってくる、という前提の話であり、日本が独自に「アジア版NATO」の創設を提唱する、といったことは、受け入れられない。

直近では、こうした情勢の中で、日本の石破首相の外交政策のあり方が問われてくる。中期的には、米欧諸国主導の安全保障協議・実施体制に一方的に吸収されていく政策的態度の妥当性が問われる。最も根源的に、長期的には、米欧諸国主導の政策フォーラムが、その存在価値を維持していけるのかどうかが、問われていくだろう。

 

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