「平和構築」を専門にする国際関係学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

2024年10月

ハマスのガザ地区最高責任者で、政治局長とされていたシンワル氏が、1016日殺害されたことが確認された。一年以上にわたるイスラエルの軍事作戦にもかかわらず、シンワル氏の所在はつかめていなかった。死亡説や逃亡説が流れては、ガザ潜伏情報によって打ち消される、といったことが続いていた。

イスラエル国民が歓喜しているという画像が多数流れた。ネタニヤフ首相は「暗闇の勢力」から「光の未来」に来るために降伏・投降せよ、とハマス戦争員に呼び掛ける演説を公開した。

アメリカでは、バイデン大統領やハリス副大統領が、シンワル氏死亡を画期的な成果と称賛しつつ、戦争の終結を考える時が来た、と呼びかけた。

だがネタニヤフ首相は、戦争自体はまだ続いている、と強調している。「ハマスの壊滅」はまだ達成されていないという認識だ。実は、イランへの報復攻撃をまだ実施できていない。事実上の侵攻作戦に踏み切ったレバノンにおけるヒズボラ掃討作戦も、区切りをつける契機がない。もともとネタニヤフ首相はトランプ氏の再選を望んでいると考えられており、バイデン政権の呼びかけに応じる気配は見せない。

そのトランプ氏は、イスラエルは良い仕事をしていると述べた後、抑制を図るバイデン政権を批判するコメントを残した。非常に雑駁な言い方にとどめており、再選された場合により具体的にどのような中東政策をとっていくつもりなのかは、読めない。ただ、少なくとも大統領選挙が実施されるまでは、何を見てもバイデン政権の失策だと述べ続ける今の態度を取り続けていくことは確実だ。

シンワル氏が「戦士」として「殉教者」の「英雄」となったイメージが強く歴史に刻まれたことは、今後の国際世論に与える影響としては、非常に大きいと思われる。
 イスラエル政府はこれまで、ハマスの政治指導者はカタールの高級ホテルで贅沢な暮らしをしており、昨年107日の攻撃を立案指揮したと考えられているシンワル氏らは、ガザのトンネルの奥深くに隠れているだけだ、と宣伝してきた。ところが今回、シンワル氏が、非常に少数の側近とともに、陸上でイスラエルを攻撃する戦闘に従事していたことが判明した。無名と思われたハマス戦闘員の死亡者の中から、シンワル氏と特定できる人物が発見された。これはイスラエル政府の宣伝と食い違う事実を残して、シンワル氏が死亡したことを意味する。

イスラエル政府は、自らの力を誇示する形で、シンワル氏の死亡を確定的に示すために、頭部が割れて四肢も揃っていない状態の激しく損壊したシンワル氏の死体を公開した。さらには右腕がちぎれ、埃だらけにもなっていて、瀕死の状態で建物の二階にいた生存中のシンワル氏を映したドローン動画も公開した。シンワル氏は、ドローンに気づくと、残された左腕で棒状の物体を投げつけた。そこで動画は終わる。ドローンが爆発したのだと想定される。シンワル氏の遺体は、崩壊した建物の地上部分で瓦礫の中で横たわっている状態で発見された。ドローンの爆発で建物が瓦解し、死亡したと考えられる。

この「シンワル氏の最後の瞬間」の動画及び遺体の画像は、SNSで急速に拡大した。そのほとんどには、シンワル氏を「最後まで占領者と闘った殉教者の英雄」として称える言葉が添えられている。その代表例が、イランのアラグチ外相の言葉だ。

https://x.com/araghchi/status/1847251815793877038 

これらの出来事を見て、われわれはどのような状況の理解をしておくべきだろうか。

第一に、ハマスは軍事組織としての実体を失ってきていたが、カリスマ的存在であったシンワル氏の喪失によって、その傾向は強まるだろう。

第二に、ただしそれがハマス戦闘員の完全投降なるものを導き出すとは考えにくく、原状では同じ混沌が続くという短期的な見通しを持っておかざるをえない。ハマスとの交渉に応じないイスラエル政府の態度は、さらにいっそう強くなった。カリスマ指導者を失ったハマスの指導体制の行方は不透明で、イスラエル軍の撤退なしに人質解放問題に応じるといった大きな判断を予測できる事情はない。なお、ガザにおいて武装しているのは、狭義のハマス戦闘員だけではない。イスラエルの占領統治政策に、長期的安定を見据えた打開策がない事情は、シンワル氏の死亡後も、何ら変わらない。

第三の大きな論点は、シンワル氏が、パレスチナの抵抗の象徴として、強烈な印象を残して死んでいったことの影響の評価だ。

これまで何人もの武装組織の指導者が、アメリカやイスラエルの標的殺害の攻撃によって、死亡してきた。アメリカの「対テロ戦争」の軍事作戦では、逃走後に拘束されて裁判にかけられて死亡したイラクのサダム・フセイン元大統領や、パキスタン領内に潜伏中に特殊部隊の急襲を受けて殺害されたアル・カイダ勢力の首領オサマ・ビン・ラディン氏らが思い出される。イスラエルも、おびただしい数の外国勢力の指導者を暗殺してきた。ここ数カ月だけでも、ハマスのイスマイル・ハニヤ政治局長、ヒズボラ最高指導者のナスララ師などが暗殺されてきた。ガザにおいては、軍事部門トップのモハメド・デイフ氏の殺害がすでに確認されていた。だが死亡時の状況が必ずしも明らかではないデイフ氏を除き、暗殺された政治指導者たちは、戦闘中に死亡した、という状況ではなかった。今回、政治局長の座にあったシンワル氏が、最後の抵抗を示しながら、地上での戦闘行為の中で死んでいったことが画像証拠で示されたのは、非常に珍しい。

恐らくは、シンワル氏のイメージは、組織としてのハマスの存在を越えて、パレスチナ抵抗運動の象徴的な姿の一つとして、地域の人々の記憶に残存し続けるだろう。

イスラエル政府が、最後まで戦い続けたシンワル氏の姿を公開したのは、政策としては失敗だった、とコメントしている人物も多数いる。恐らくは、イスラエル国内の世論対策を重視するあまり、地域情勢の安定に配慮した行動をとる余裕が、イスラエル政府側にもない、ということだろう。
 アラブ諸国の反イスラエルの傾向は、強まっていくだろう。
無力なアラブ諸国の政権には、国内外の世論の冷たい視線が浴びせられる。ハマスの軍事勢力としての減退によって、イスラエルの軍事作戦を消極的に支持する動機は減った。

中東におけるイランの存在感は、さらに増していくだろう。ガザ危機は、イスラエル対ハマスの戦争というよりも、パレスチナ抵抗運動の歴史の中で位置付けられ、さらには中東における植民地主義の歴史の中で理解されていく傾向が強まっていくだろう。イランのアラグチ外相は、エジプトやトルコを歴訪して、イスラエルの報復攻撃の可能性に、外交面からの準備をしている。

かつて中東では、イラクやシリアにおける宗派対立の激化などの事情から、中東でスンニ派とシーア派の対立が深まり、イランとサウジアラビアの地域的覇権争いも激しくなった時期があった。イランは孤立している、と言われたこともあった。しかし、イラクとシリアの情勢の相対的な安定化の傾向が、状況を変え始めていた。そこに今回のガザ危機に起因する中東全域の混乱が、イランが、イスラム世界を代表して、イスラエルと対峙する、という構図を強めた。ウクライナ情勢も反映して、イランとロシアの結びつきも強固になった。武器供給などの面だけでなく、もはやイランを非難する新たな国連安全保障理事会の決議は採択されないだろうことなど、その意味は大きい。宗派対立と地域覇権争いを利用して、イスラエルが「アブラハム合意」派の国を広げていけるような気運は、遠のいている。

国際刑事裁判所(ICC)検察官が、逮捕状請求の対象として名指ししたハマス指導者3名のうち、すでにハニヤ氏、デイフ氏、そしてシンワル氏の全員が、イスラエルによって殺害された。残っている逮捕状請求対象は、イスラエル政府のネタニヤフ首相とガラント国防大臣だ。ICCとイスラエル政府の全面対峙の構図が強まった。アメリカなどはイスラエルを擁護するために、ICC組織・職員に対する金融制裁措置などをとってくると言われている。だがもしICCがその圧力に屈したら、米国の同盟国以外の信任を失うだろう。

シンワル氏の死亡は、組織としてのハマスの弱体化を意味するだろう。しかしそれは戦争の終わりではない。まして国際社会の構造的な対立の緩和を意味しない。ガザ危機は、ハマスの組織的な存在をこえて、さらに国際社会に動揺をもたらしていく。シンワル氏の死亡は、その大きな流れの中の一つの象徴的な事件として記憶されていくことになるだろう。

 

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石破首相の発言「国が何をしてくれるかを聞くな、一人一人が国のために何ができるかを聞けとケネディが言いましたね。それはそうだと思う」が話題のようだ。

https://x.com/himuro398/status/1846193671047385098

なんといっても、石破首相は、この言葉を引用して、消費税を下げることは考えていない、という政策を正当化しようとした。これは確かに違和感の残る話である。引用と政策論が、結びついていない。

これでは石破首相は、「国のため」に、黙って言われた通りの額面の消費税を払い続けろ、と言っているかのようだ。それはどう考えても不適切である。もし総理大臣がこのような主張を始めたら、政策論争も何もあったものではない。

石破首相は、読書家で知られる方ではあるが、乱読気味なのではないか。沢山の本を読んでいるとしても、その一方で、重要な問いを立て、その問いに答えを出すために、体系的に関連文献を渉猟していく、という論文作法にそった読書の経験をしたことがあるのだろうか。あるいは民間セクターで言うところの「問題解決」型の情報収集と整理の経験があるのだろうか。

折しも「アジア版NATO」などの独自概念設定が、波紋を投げかけている最中だ。論理的説得が求められる場面で、「読書家」(だが体系的研究やプレゼンテーションの経験は不足している)であることが、かえって足かせになったりしないのか、首相の今後の動向が不安になる。

石破首相は、これはジョン・F・ケネディ米国大統領の1961年就任演説の中の有名な言葉を引用しようとしたものだと思われる。これは正確には、次のような演説であった。

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世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機にさらされているときに、その自由を守る役割を与えられた 世代はごく少ない。私はその責任から尻込みしない。私はそれを歓迎する。われわれの誰一人として、他 の国民や他の世代と立場を交換したいと願っていない、と私は信じる。われわれがこの努力にかけるエネ ルギー、信念、そして献身は、わが国とわが国に奉仕する者すべてを照らし、その炎の輝きは世界を真に 照らし出すことができるのである。

だからこそ、米国民の同胞の皆さん、あなたの国があなたのために何ができるかを問わないでほしい。 あなたがあなたの国のために何ができるかを問うてほしい。

世界の市民同胞の皆さん、米国があなたのために何をするかを問うのではなく、われわれが人類の自由 のために、一緒に何ができるかを問うてほしい。(ask not what your country can do for you--ask what you can do for your country. 

最後に、あなたが米国民であれ、世界の市民であれ、今ここにいるわれわれに対して、われわれがあなたに求めるのと同じ力と犠牲の高い基準を求めてほしい。善良な良心を唯一の確かな報奨として、歴史を われわれの行為に対する最後の審判として、神の祝福と助けを求めながらも、この地球上における神の御 業を真にわがものとしなければならないことを知りつつ、われわれの愛するこの土地を導いていこうではないか。

https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2372/ 

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格調高い名演説である。これが日本の2024年の消費税率の政策の正当化で引用されるとしたら、故ケネディ大統領がびっくりするだけではない。現代のアメリカ人の多くも仰天するのではないか。

日本語で、中央政府のことを「国(クニ)」と呼ぶ。実は、これは語法として、問題がある。戦前からの日本独特の政治文化の中で培われた文化であろう。しかしそれはそれとして、習慣として「国」が首相を頂点として存在している「政府」のことを意味してしまうのが日本である以上、「国のために何ができるか考えろ、そして文句を言わず国に消費税を払え」、と言っているかのように解釈されてしまう発言は、しないほうがいい。

ケネディ大統領が述べた「あなたの国」の「国」は、「カントリー(country)」で、「国家/州(State)」や「連邦/州政府(government)」とは明確に区別される概念だ。アメリカに「カントリー音楽」といった言い方があることからもわかるように、この場合の「your country」には、対応する行政組織がない。消費税率の正当化のために参照するのは、全く不適切である。

日本国憲法で、税徴収などの財政に関する権限に関する条項で「国」という概念が出てくるが、こちらは起草時のオリジナルの英文テキストでは国家機構を意味する「State」である。

そもそも日本国憲法が前文において「人類普遍の原理(a universal principle)」と単数形で表現している「厳粛な信託」の「社会契約論」の論理で言えば、税金とは、政府の統治活動と引き換えに国民=人民(people)が渡す委託料のようなものだ。「国」に奉仕するために税金を出すのではない。業務委託契約の成立にあたって、委託主が実施者に渡す「委託費」のことだ。

知識があるのは、悪いことではない。だが知識は、単に見せるためだけに使っても、単に混乱を広げるだけだ。

 

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日本の国会が解散して、衆議院選挙戦が始まる。折しも中国軍が台湾を取り囲む軍事演習を行った。台湾海峡をめぐる危機の発生は、数年単位の時間の問題だ、と考える研究者も多い。日本はどう対応するのか。

石破首相は抑止力を高めるための安全保障政策の充実に関心があるようだ。だが、聞こえてくるのは、「アジア版NATO」のような実現性が乏しい抽象論にとどまっている。これについては元防衛大臣の小野寺五典自民党政調会長が検討して取りまとめることになったという。ただ石破首相の様子は、曖昧模糊としている。自説が批判にさらされてひるんだが、まだ未練は残っている、といった具合だ。とりまとめの先行きは不透明と言わざるを得ない。また現在、外務大臣も防衛大臣も元防衛大臣だ。自民党主導の議論が、どのように両省と歩調をとって進んでいくのかも、見えてこない。

岸田前政権では防衛費の倍増という派手な政策が導入された。しかし倍増して何をするのか、それでどんな結果を期待する(責任を取る)のか、という肝心の点は、実際には、議論が忌避されているのが実情だ。

そんな中、選挙戦の文脈もあるのだろう。SNSで岸田首相が「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」というメッセージを出した。もちろん過去2年半の間に繰り返し見たメッセージである。https://x.com/kishida230/status/1845798066710081784

あまりに見慣れてきたため、感覚的にだけ捉えることが簡単にできるようになった。ウクライナを他人事とみなさず、親身になってみていこう、というメッセージである。ウクライナの苦境を考えれば、否定しがたい情緒的なメッセージだ。だが、果たしてこれは政策論として、何を意味しているのか。

親身になるのだから、巨額の支援をする、ということがメッセージの内容だと、感覚的に受け止められている。そのため最近では、その通りなのでお金を沢山渡していい、という反応と、それにしてもお金を渡しすぎだ、という二つの情緒的な反応を引き出すだけになってきている。

岸田首相のXでは、次のような言葉が添えられている。

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ウクライナに一日も早く平和をもたらさなければなりません。

そしてその平和は、国連憲章を含む国際法の諸原則に基づく、「公正かつ永続的な平和」でなくてはならず、力や威圧による一方的な現状変更の試みを正当化するようなものであってはなりません。

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これは現実を認められない、という現状認識の表明としては、わかる。だが果たしてどれくらいの国民が、このメッセージを具体的な目標を持った具体的な政策の説明として理解することができるだろうか。

ロシアの全面侵攻開始直後であれば、現実を認めないために、現実に抵抗しているウクライナを支援する、という日本政府の態度の表明として、理解できた。だがその時からすでに2年半の時間が経過した。最初の立ち位置の説明を繰り返すにしては、長すぎる時間だ。ウクライナを支援するのが日本の立場であることは、わかった。だが202410月の現実を見ながら、いったい何を目標に定めて、どれくらいの資源を投入してその目標を達成するという見込みなのかは、全く不明である。

もし仮に「ウクライナが、ロシアを軍事力をもって完全に駆逐し、軍事力をもって領土を全て奪還し、軍事力をもって再侵攻を防ぐ抑止を働き続けさせられるように、たとえ何十年、何百年、何十兆円、何百兆円かかっても、果てしなく戦争継続のための支援を続ける」とSNSに書いてあったら、当然、国民の反応はよりいっそう硬化するだろう。だが果たして岸田首相は、違うことを言っているのだろうか。

時間の経過によって、現実と理念のギャップが大きくなっているのは、単に戦争の進展がウクライナにとって厳しいからだけではない。すでに2年半にわたって、あるいはクリミアについては2014年以降の10年にわたって、ウクライナ東部地域では、ロシアの占領統治体制のほうが「現状」になってしまっている。戦争を通じた軍事的な力や威圧によって「現状」変更の試みを続けているのは、ウクライナのほうである。

もちろんロシアの違法な侵略を認めてはならないし、国際的な正当性はウクライナの側にある。しかし、それを認めてもなお、「現状」を言うのであれば、ロシアの占領統治体制は「現状」だ。力でそれを変更しようとする試みを続けているのが、ウクライナだ。数カ月の占領統治なら、戦争の継続状態と同じと言えたかもしれないが、2年半にもわたる占領統治では、「現状」が変わってしまっていることを認めざるを得ない。したがって「力や威圧による一方的な現状変更の試みを正当化」という文言は、2年半前とはニュアンスを変え始めてしまっているのである。

このように書くと、私がロシアの占領を正当化しようとしている、と意図的に誤解する読者も出てくるだろう。そうではない。なぜなら、たとえば、戦争以外の方法で領土を取り返す方法は、少なくとも理論的には、可能である。「いや不可能だ、プーチンがそんなことを認めるはずはない」というのが、反論の常套句である。だがそれでは戦争を続けていれば、必ず領土の奪還は「可能だ、プーチンに軍事力で無理やりに認めさせてみせる」と言えるのだろうか。「たとえ不可能でも、仮に戦争が永遠に続くとしても、戦争を続けなければならないのだ」、ということであれば、それも一つの立場ではあるだろう。だがその場合、三つの立場を選択肢として検討する政策論がなされなければならない。

1に、仮に時間がかかっても交渉を通じて領土の返還を求める立場(停戦を視野に入れる)、第2に、永久戦争を受け入れる立場、第3は、期間を限定して戦争を行いつつ、タイミングを見て第1の立場に移行する立場、である。

全面侵攻当初であれば、第2の立場と第3の立場は、それほど違いはなかった。初動の防衛措置は、いずれにせよ必要だったからだ。だが、2年半もの時間が経てば、当然、事情は異なってくる。
 パレスチナ問題を例にとって比較してみよう。世界中の諸国が、イスラエルの違法占領を認識しながら、現在は「停戦」を支持している。イスラエルの違法占領を駆逐するまでハマスは戦い続けるべきだ、と主張している国は、存在しない。しかしウクライナでは、日本を含めたウクライナ支援国は、異なる姿勢を取っている。

そのように考えてみて、あらためて「今日のウクライナは明日の東アジア」というメッセージは何を意味しているのか、わからなくなってくる。現実の日本のウクライナ政策をそのままあてはめると、「侵略されても戦い続ける」というメッセージだろう。その際に仲間が少ないと負けてしまうので、米国や欧州諸国を味方に引き込むために、欧州での戦争でできるだけ恩を売っておきたい、ということだろう。だがそれで「戦争に勝てる」という絶対的な保証の約束をするのか。あるいは「仮に勝てなくても永久戦争に受け入れる覚悟をする」ということなのか。

もちろん期待する議論の方向性は、石破首相が述べているように、「できれば東アジアでは抑止の機能を高めて戦争が起こらないようにする」、ということだろう。

だがそうであれば、本来、発するべきメッセージは、「今日のウクライナが、明日の東アジアにならないようにする」というものであるはずだ。そして「なぜウクライナでは抑止が働かなかったのか」という問いこそを、真剣に検討していかなければならない。つまり、単にウクライナ支援策をすごいことであるかのように宣伝するだけではなく、「今、日本が行っているウクライナ支援は、将来のさらなる惨禍の発生を予防する抑止効果があるか」という問いこそを設定して、検討しなければならない。

おそらく、自民党の国民向けメッセージと、実際にやりたい政策論の間には、大きなギャップがある。問題は、首相をはじめとする政治家層が、そのギャップを明らかにしないどころか、自分たちで気づいてすらいないように見えることだ。

ロシアを敵視して軍事力を強化する政策をとる。中国を敵視して軍事力を強化する政策をとる。こうしたわかりやすい短絡的なスタンスだけが、「今日のウクライナは明日の東アジア」という文言とともに、独り歩きしているように見える。

だがそれが具体的に何を意味するのか、現実に可能なことなのか、という面倒な問いは、忌避される傾向にある。せいぜい「アジア版NATO」といった現実離れした抽象的な構想が口走られるだけなのが実情だ。

短絡的な政策は、相手側の強硬な姿勢を、必ず引き出す。いわゆる「安全保障のジレンマ」である。そして最後は勝つか負けるかの世界に陥るだけになる。ロシアとウクライナの関係である。そのとき、勝つのは大きく強い方であり、負けるのは小さく弱い方である。小さく弱い側は、「アメリカが参戦してくれないか」といったことだけに、最後の望みを託すだけだ。

このいわゆる「安全保障のジレンマ」に、中国と比較して圧倒的な劣位にある日本が、積極的に自らを追い込んでいこうとするのは、少なくとも望ましいことではない。これはウクライナの対ロシア政策の教訓と言ってもいい点だろう。

現在、日本の軍事評論家や安全保障の専門家層は、ウクライナが負ける、というシナリオの可能性を考えること自体を拒絶している状態にある。そんなことを認めるくらいなら、永久に戦争をする覚悟を定めるしかない、といわんばかりの様子である。だが、実際には、言うまでもなく、永久戦争など、不可能である。

果たして、「今日のウクライナは明日の東アジア」、とは、実際には何を意味しているのか。日本は、そのメッセージから、どのような教訓を得ようとしているのか。そろそろ冷静な検討に本腰を入れる時期に来ているのではないか。

 

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日本では、アフリカのニュースが少ない。もちろん、よく探してみたら、どこかで誰かが扱っているのが見つかったりすることはある。しかし1010日にエリトリアの首都アスマラで開催されたエジプト、ソマリア、エリトリアの三カ国の首脳が集まった会議については、日本では文字通り全く報道されなかった。検索をかけても、全く出てこない。かなり徹底している。

この三カ国の国家元首がエリトリアという「アフリカの北朝鮮」の異名を持つ国に集まり、安全保障面での協力を協議した。これは、東アフリカあるいは「アフリカの角」と呼ばれる地域で、エチオピア包囲網が形成されていることを意味している。共同声明では、地域内諸国の主権・独立・領土的一体性が尊重されなければならないことが謳われた。これはエチオピアに対するけん制である。

エチオピアは人口12千万人を抱えるアフリカの地域大国の一つである。アフリカ連合(AU)の本部が首都アディスアベバで置かれていることでも有名だ。ヨーロッパ列強の植民地化に最後まで抗して独立を守っていた国としての威信を持つ。16万人以上の兵力を擁して空軍力まで持つ国は、アフリカでは珍しい。

しかしエチオピアの軍事力は、エジプトと比較できるものではない。エジプトは34万人の兵力を持ち、アメリカからの軍事援助などもふまえて、近代的な武器装備を持つ。実力のランクが違うと言えるだろう。

 エチオピアとエジプトは、「大エチオピア・ルネサンス・ダム(GERD)」の建設・稼働をめぐって、険悪な状態が続いている。ナイル川下流のエジプトが、上流のエチオピアに建設されたダムによって水流に悪影響が出ると主張している。エチオピアはその主張の妥当性を否定しているため、折り合いがつかない。

 幸いなことに、エチオピアとエジプトは陸続きに接した隣国ではない。そのため偶発的事態で武力衝突に至る可能性は抑えられてきている。しかし両国の間に位置するスーダンが、昨年4月から激しい内戦に突入している。これにともなってエチオピアとスーダンの間の国境地帯での軍事的小競り合いが絶えない。スーダンと接するエチオピアの国境地域は、エチオピア連邦の仕組みで言うと、アムハラ州が位置するのだが、エチオピア連邦政府とアムハラ州軍が、民族問題などに起因する対立で、事実上の内戦と言ってよい軍事的衝突を繰り返している状態にある。非常に荒れている地域だ。

 エチオピアとソマリアの関係は、今年1月に劇的に悪化した。エチオピアが、ソマリア領土内の事実上の国家であるソマリランドと、港湾使用(軍港を作る予定と考えられている)の協定を結んだ。その協定に、見返りとしてエチオピアが将来ソマリランドを独立国として認めることをほぼ約する条項があったため、首都モガデシュ近辺を実効統治するソマリア連邦政府が猛然と抗議したのだ。

 エチオピアとソマリランドは、その後も軍事訓練などを含めた交流を活発化させている。代わりにソマリア連邦政府実効統治地域に展開していたアフリカ連合の平和活動(現在はATMIS、来年からAUSSOMという名称のミッションに移行する予定)の中核を担っていたエチオピア軍が、ソマリアから撤収することになった。長期にわたってソマリアにおけるアルシャバブ掃討作戦に従事してきたエチオピア軍の撤退は、現地社会に波紋を投げかけ、残留要請の運動が起こったくらいであった。しかしソマリア連邦政府は、むしろエチオピアと険悪な関係に陥って久しいエジプトに急接近し、軍事援助を引き出すとともに、エチオピアに代わるAUSSOMへの兵力提供をする約束を取り付けた。エジプトが、エチオピアに代わり、アルシャバブ掃討作戦に従事することになるのである。これは地域情勢に、様々な影響を与えていくだろう。

 エリトリアは、現在のアビイ政権が成立してすぐにエチオピアと和解を果たした。そして2020年に勃発したエチオピア北部におけるティグレイ紛争では、エチオピア連邦軍とともにティグレイに展開して軍事介入を行った。その際のエリトリアの蛮行は、悪質な戦争犯罪行為として、激しく非難された。もともとエリトリアとエチオピアの国境地帯にあたるティグレイ州の勢力と、エリトリアは対立的な関係にある。

 しかしこのティグレイ紛争が、2022年にアフリカ連合の調停で「プレトリア合意」という停戦合意にたどり着いた。エチオピア国民にとっては凄惨な内戦の終了は歓迎すべきことであり、ティグレイでは戦後復興の再建に向けた政策が導入されてきている。日本政府も、国際機関への資金提供などの形をとって、復興支援に関与する姿勢を見せている。しかしこのティグレイ紛争の終結は、エリトリアにとっては、望ましいことではなかった。「プレトリア合意」後は、エチオピアとエリトリアの関係は、冷却化したとみられていた。

 その状況で、エリトリアの首都に、エジプトとソマリアの政治指導者が集まり、三カ国の首脳会議を開いた。そのため、エチオピアを取り囲む包囲網の成立として、アフリカを見ている者たちの間では、大きな注目を集めることになった。

 こうした状況は、日本にいると単にニュースで見ることがないだけでなく、そもそも何も関係がない、というふうに感じるものであるかもしれない。しかし石破首相も、あらためて「自由で開かれたインド太平洋」を推進する所信表明演説を行った。「インド洋」は、東アフリカまで続いている。エチオピアと国境を接するジブチには、自衛隊の唯一の海外基地があるが、ジブチ政府は地域情勢の悪化に懸念を深めている。三カ国首脳が集まったエリトリアが面しているのは紅海で、ガザ危機に反応したイエメンのフーシー派が船舶攻撃を行い続けているため、海上交通がほとんど遮断されているような地域だ。フーシー派と交戦状態にある米軍も展開しており、中東情勢をめぐる事情での緊張も高まっている。

 いくら日本から離れているといっても、21世紀の今日、とにかく全くゼロの関心、というわけにはいかないはずである。

 

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1011日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に、ノーベル平和賞が贈られることが発表された。素晴らしいことである。素直に歓迎をしたい。

メディアやSNSには、歓迎と祝福のコメントがあふれた。ただ中には政治的立場からの見解が述べられている場合もあり、幾分かのやり取りも発生しているようだ。もともと核政策をめぐる政策的立場の違いが、左派と右派の確執として、立ち現れてきやすい分野である。長年にわたって被団協は、ノーベル平和賞候補だったが、むしろ受賞が遅れた背景に政治的・組織的複雑さの事情があるとも言われていた。

核廃絶論者は、日本政府の核廃絶に関する曖昧な立ち位置を批判する。今回のノーベル平和賞受賞に際しても、左派系の野党の方々や、リベラルと自認する言論人の方々の中に、このパターンの反応が多かったように思える。

これと真逆の政策的立ち位置に、核武装論者がいる。これらの右派・保守系の方々の中は、ノーベル平和財団は左翼組織だ、あるいはノーベル平和賞は必ずしも核廃絶推進だけを導き出すわけではない、といった類の言い方をしがちだ。受賞をあまり歓迎していない雰囲気である。

国内のイデオロギー対立の構図をこえた外交政策との関わりで見ると、さらに興味深い現象があった。「陰謀論」系の流れでは、ノーベル平和賞は「グローバリスト」あるいは「ユダヤ資本」に牛耳られており、核廃絶推進への関心は、ロシア・北朝鮮・イランといったアメリカに対抗する勢力をけん制しようとする意思表示であり、警戒すべき陰謀だ、という見解があった。

これに対して、今回のノーベル平和賞を見て、ロシアに対抗する意思をさらに強めるべきだ、といった軍事的観点を強調する方もいた。こちらの系統では、イスラエルやアメリカの議員層にガザにおける核兵器使用の妥当性を示唆した有力者がいることなどが参照されることはない。

被爆者は一人ではなく、過度の一般化はできない。被爆者の数だけ、異なる考えや感情があるとも言える。あるいは一人一人の心の中にも複雑な葛藤があるだろう、という意味では、被爆者の数以上の考えや感情がある、とも言えるくらいだ。

しかし核廃絶を共通目標として、日本被団協をはじめとする社会運動を指導してきた団体が、ある種の共通性を被爆者の間に作り出してきたのもまた、事実だろう。核廃絶も包み込む共通の土台は、人道主義にもとづく平和主義だ。被爆者ではないわれわれも、政策的・イデオロギー的立場にとらわれて、その共通性を見失うことがないようにしたい。

今年8月、長崎市長がイスラエルを平和祈念式典に招待しなかったことが話題となった。実は広島でも、ロシアを招待しないならイスラエルも招待するべきではない、という被爆者からの意見はあった。1011日の会見では、日本被団協の箕牧智之代表委員は、「ガザの団体が受賞すると思った」と述べつつ、「ガザがね、子どもがいっぱい血を流して抱かれている」と述べて涙ぐんで絶句した。その姿と言葉は、中東諸国をはじめとする世界各国で報道された。

今回のノーベル平和賞をめぐり、政策的観点からの議論が深まること自体は、悪いことではないし、自然なことでもある。しかし、だからといって、日本被団協の存在価値、そして日本の被爆者の功績が、矮小化されてしまうことだけはないようにしたい。

私は平和構築と呼ばれる国際社会の政策領域を専門に研究しているため、世界各地の紛争(後)国を訪れたことがある。といってもジャーナリストではないので、最前線の戦場に行くことはない。戦争を経験した国に生きる人々の様子を見て、話を聞かせてもらうのだ。

どの国にも立派な方はいる。戦争で悲惨な被害を受けながら、なお前を向いて未来を構想して人並外れた献身的な努力をされている方は、世界各地にいる。

しかし日本の被爆者の方々のように、原爆の惨禍の後の後遺症に悩みながら、なお被爆証言活動を中心とした広範で長期にわたる平和運動を集合的に行い、仲間を誘い、訪問者に影響を与え続けている事例は、際立っている。

世界に誇るべき日本の平和主義の文化の結晶である。

私は、広島を訪問する外国人のための研修の講師などを何度も務めたことがあるが、必ず聞くのは、「被爆者はアメリカを恨んでいないのか」「被爆者はなぜ復讐ではなく平和運動をするのか」といった問いである。21世紀の対テロ戦争の時代には、いっそう切迫性が増した問いであったと言ってよい。

被爆者の方々が、被爆直後から証言活動などの平和運動を行っていた、と考えるのは、間違いである。「広島平和記念都市」構想を推進して広島の復興の立役者となった戦後直後の初代公選広島市長の濱井信三氏の政策に、当初は多くの広島市民は冷淡だった。「平和よりも、まず食べ物、住居、そして仕事をくれ」、というのが、切実な思いだったからだ。たとえば、今では当たり前のような広島の観光資源になっている原爆ドームも、根強い反対論のために二十年にわたる時間をへて、ようやく保存が決まった。長崎では、浦上天主堂は、いち早く解体されていた。https://agora-web.jp/archives/240814070141.html

被爆者の方々が、現在われわれがよく知る平和運動の文化を確固たるものとしていくまでには、長い時間と、多くの人々の構想と努力と、そして一人一人の被爆者の方の葛藤とが、必要だった。

その苦闘が、ノーベル平和賞に値する水準まで到達したことについては、日本は、国家として、称揚をするべきだろう。そして国家のアイデンティティの象徴としての位置づけを、確立していくべきであろう。

2016年にオバマ米国大統領が広島を訪問した際、沿道に集まった広島市民は、歓喜していた。涙を流して手を振る高齢者の姿などが、目についた。外国人記者らは、「謝罪を要求するのかと思ったら、泣いて喜ぶというのは、いったいどういうことなのか」、と質問した。

恐らく普通の広島市民は、自分自身では、理知的かつ論理的には、説明しないだろう。実践者なのだから、そのことに無理はない。誰か第三者が、説明すべきだ。

もし説明がなされないと、「原爆を落として痛めつけると従順な人間に生まれ変わるので、ガザにも原爆を落とせばいい」と公言してはばからない人物が現れるのを防ぐことができない。

広島市民は、広島を訪問するオバマ大統領の姿を見て、感激した。自らが達成した奇跡の復興の意味の大きさを感じ取って、感激したのだ。

原爆投下後、勝ち誇るアメリカ人たちを横目で見ながら、広島に生きた人々は、草も木も生えないと言われた土地に残った。多くの人々が、広島を離れ、放射能汚染の偏見を恐れて、違う町の出身だと偽って、違う町で暮らしていった。それでもなお先祖伝来の土地を復興させるために広島に残った人々は、アメリカのへの復讐心を、奇跡の復興を果たす、という目標に置き換えて、努力を続けた。

そして遂にアメリカの大統領ですら、広島の奇跡の復興の偉業を認め、広島に敬意を表するために、広島を訪れてきた。広島市民は、復讐を試みることなく、その偉大さを、アメリカ大統領に認めさせたのだ。

自分の町を誇りに感じさせる感覚が、そして自分と自分の先祖の苦闘が報われた、と実感する感覚が、広島市民に涙を流す感動を与えた。

このような感動的な出来事を世界各地で起こせれば、世界は平和になる。残念ながら、簡単なことではない。そのため世界は平和ではない。しかしだからこそ、被爆者の方々の苦闘を称賛することは、世界史的な意味を持っている、とも言える。

被爆者の方々自身に自らの偉業を解説するように求めるのは、少し違う。むしろ日本人が、国家としての日本が、被爆者の方々の偉業を称え、その精神を日本の平和主義のアイデンティティの根幹を象徴するものとして確立していくことが必要だ。

それによって日本が、自国の歴史に誇りを感じる国になり、そして世界各国における平和構築に少しでも貢献していけるようになるのであれば、それほど素晴らしいことはない。
 今回の日本被団協のノーベル平和賞受賞が、そのような方向に向かう気運の契機となることを、願ってやまない。

 

「篠田英朗 国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月二回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。https://nicochannel.jp/shinodahideaki/

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