「平和構築」を専門にする国際関係学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

2024年10月

 イスラエルが、レバノンの国連PKOである「UNIFIL(United Nations Interim Force in Lebanon(国連レバノン暫定駐留軍)」に、国境地帯から撤収するように要請した。その後すぐ、イスラエルの戦車がUNIFLの監視塔に攻撃を加え、2名の負傷者が発生した。

 レバノン駐留の国連PKO(平和維持活動)UNIFILは、10,058名(2024年9月2日現在)の軍事要員と、その他に約800人程度の国際・現地文民職員を擁する大規模ミッションである。https://peacekeeping.un.org/en/mission/unifil

現在の国連のPKOミッションの中では、4番目に大きく、アフリカ域外で、伝統的な停戦監視だけを主任務にするミッションとしては、最大規模である。

UNIFIL

基本的に停戦監視だけを行い、文民の職員を擁するような複雑任務にあたっているわけではなく、なお1万人以上の要員を擁しているのは、それだけの軍事的プレゼンスが必要となる危険な地域だからだ。設立以来、326人もの殉職者を出している。

UNIFILが設立されたのは、1978年である。当時レバノンに展開していたイスラエル軍の撤退を可能にするために、派遣された。1978年当時のイスラエルのレバノン侵攻は、同国内に存在していたパレスチナ解放機構(PLO)に対抗する措置だという名目であった。ただし南部レバノンの占領は、そのような理由では認められないとレバノン政府が抗議した。そこで国連安全保障理事会が、イスラエルの撤退と引き換えにレバノン政府の治安維持活動を支援するUNIFILを設立した。

しかしイスラエルは、1982年に再びレバノン南部に侵攻し、段階的に撤収したものの、駐留し続けた。UNIFILは、イスラエル軍展開地域から撤収せざるを得ず、後背地から人道援助を行うことになった。この期間にも、イスラエルの砲撃によってレバノン市民が多数犠牲になり、UNIFIL要員も死傷者を出す事件などが起こった。イスラエルの最終的な撤退は、2000年になってからのことであった。

しかしレバノン南部で台頭したヒズボラがイスラエル領内に攻撃を加えるようになり、2006年にイスラエルは、大規模な攻撃とともに、再びレバノンに侵攻した。この時のイスラエルの2006年内の撤退を可能にするため、UNIFILの強化が図られて、治安維持にあたるレバノン政府への支援をより積極的に行うことが求められた。

国連安全保障理事会常任理事国の一つであるフランスは、歴史的にレバノンと深いつながりがある。その事情も反映して、イタリアやスペインといった南欧諸国が、UNIFILに相当数の兵員を派遣してきている。

だが現在のUNIFILの最大要員提供国は、インドネシアだ。全体の1割以上を占める1,231人の要員を派遣している。次がイタリアの1,068人で、欧州グループの中東への貢献の代表のようになっている。それに、903人のインドが続き、そして833人のマレーシアが続く。

中東から離れており、歴史的にも深い結びつきがあるとまでは言えない東南アジアのイスラム圏の有力国であるインドネシアとマレーシアの二カ国だけで、全体の2割以上の要員を提供して、UNIFILを支えているわけである。なお南アジアのイスラム圏有力国であるバングラデシュは、UNIFILでは120人の要員派遣で、国連PKO全体で5,724人で世界第3位である。

インドネシア、マレーシア、バングラデシュのUNIFILへの大きな貢献は、私が、ガザ危機の未来も、アジアのイスラム圏の諸国を招き入れる仕組みで切り開いていくのが望ましい、と主張し続けている理由でもある。これらのイスラム文化の代表者でありながら、中東の問題には第三者性を持って関与することができる諸国の存在は、貴重だ。PKOの経験が豊富だということになれば、なおさらである。そうした諸国があれば、欧州諸国や、アラブ諸国も、参加しやすくなる。イスラエルとの国境地帯という要所を担当しているため注目されることになったアイルランド(UNIFILへの派遣要員数370人)のような中東に貢献する準備がある欧州の国の参加も、確保しやすくなる。

UNIFILがイスラエルに駆逐されてしまわないようにできる限りの努力をするのは、全ての国連加盟国の責務であると言ってよい。だが、それだけではない。UNIFILの存在感は、やがてガザ危機の打開にも、大きな意味を持ってくる。

 

「篠田英朗 国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月二回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。https://nicochannel.jp/shinodahideaki/

 昨年107日のハマスによるイスラエル攻撃から一年がたったところで、幾つかの媒体に中東情勢を分析する論考を執筆させていただいた。

https://gendai.media/articles/-/138658

https://www.fsight.jp/articles/-/50918
 あるいはインタビュー記事を掲載していただいた。https://digital.asahi.com/articles/ASSB71H0WSB7UPQJ00KM.html 

 状況は厳しいが、それだけに実は、未来を構想するためにやらなければならない作業は多い。NHK「日曜討論」にも主演させていただいたのだが、そこでは現在のイランとイスラエルの間の緊張関係から議論が始まり、それからガザ危機に話題が展開していった。https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2024100605090?cid=jp-GG149Z2M64 

 やはり現在の中東を見る際のポイントは、この流れの自然さにある、と言えるだろう。『フォーサイト』さんに書かせていただいた拙稿では、ガザ危機によって引き起こされた構造的な変化を、「二国家解決の行き詰まり」、「アラブの大義としてのパレスチナ問題の認識の行き詰まり」、「自由民主主義の勝利の物語の行き詰まり」として描いた。
 「二国家解決」は、イスラエルの苛烈なパレスチナ政策によって行き詰まっているのだが、実はガザと西岸が違う運命を辿っていることにも関連している。「アラブの大義」は時代遅れになりつつあり、パレスチナ問題はアラブ世界をこえて中東全域の戦火の中心となり、さらには世界的な政治対立の温床になっている。「自由民主主義」の規範的地位を前提にした国際秩序は、ガザ危機で露呈した推進者である欧米諸国の二重基準の態度によって、世界的に、特にイスラム世界で、威信を失っている。

 これらの構造的な変化の全てに関わっているのが、実は、イランだ。西岸に対する影響力はより限定的かもしれないが、ハマスへの支援を通じて、ガザには影響力を行使できる立場にある。レバノン、イエメン、シリア、イラクなど、イスラエルが軍事行動を展開する場所には、ほぼ間違いなくイランの影響力が及んでいる。だとすればパレスチナ問題がアラブ諸国の問題にとどまらないことは、必然だ。中東だけを見ても、(非アラブ・非スンナ派の)イランとイスラエルの対抗関係を軸にした構図の中で、パレスチナ問題も展開している。アメリカがイランを徹底して敵視する一方、ロシアはイランと親密な関係を築き上げており、イランを媒介にして中東情勢が世界的な大国間政治に連動していることがわかる。

 日本外交は、伝統的にパレスチナ問題をイスラエルとアラブ諸国の対立として捉えてきた。そして安全保障面で依存するアメリカの同盟国としてのイスラエルへの配慮と、原油輸入で依存するアラブ諸国への配慮のバランスを取る形で、進められてきた。しかしこの構図は、ガザ危機以降に顕著になったパレスチナ情勢・中東情勢・世界情勢においては、限界がある。

 もっともガザ危機を、イスラエルと「アブラハム合意」派のアラブ諸国の力だけで乗り切ろうとしているバイデン政権のアメリカ外交も、時代遅れの情勢認識に依拠しており、限界を抱えているように見える。
 そこで日本としても、イランの存在感の大きさに気づいていながら、それに気づいていないふりをしているところがあるだろう。アメリカに気を遣うあまりである。

 しかしイスラエルがイランを木っ端みじんに破壊して、その影響力を極小化する、といった見込みは、非常に現実離れしたものであるように感じる。だとすれば、イランを取り込んだガザ危機の打開、中東和平を構想しなければ、世界的な大国間の緊張関係にまで悪影響が及ぶ。日本がどんなにアメリカに気を遣わなければならない事情を持っているとしても、アメリカへの気遣いと現実の冷静な分析とは、切り離しておかなければならない。

 

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 イスラエルのイランに対する報復措置の実行が懸念されている。イスラエルにとっては、ガザ、西岸、レバノン、イエメン、イラク、シリアでの軍事作戦に重ねて、イランとの軍事的対立も激化させていこうというのだから、普通では考えられない状況にある。しかし始めてしまった軍事作戦を終了させる前に、そしてアメリカの大統領選挙あるいは新大統領の就任前に、できるだけ優位な状態を作り出してしまいたい、それによって自身の国内政治での立場の強化を図りたい、という動機づけが、ネタニヤフ首相に強く働いてしまっている。https://agora-web.jp/archives/240731093717.html 

 遂にフランスのマクロン大統領までイスラエルへの武器供給を止めるべきだと発言した。それにネタニヤフ首相が激しく反発し、「恥を知れ」、となじる演説を行った。同時に、イスラエル軍が、レバノンにあるフランス企業トタル施設を爆撃した。ネタニヤフ首相の心理状態も、かなり切迫してきているようだ。

 かつてアメリカのリチャード・ニクソン大統領は、自分は非合理的で気まぐれだという印象を相手に意図的に与えて、相手方の不安をかきたてることを通じて、交渉を有利に進めようとしたとされる。この考え方は、「狂人理論(madman theory)」と呼ばれる。ニクソン政権では、キッシンジャー補佐官/国務長官が、ある種の司令塔として機能していた。ニクソンの「狂人」性を、キッシンジャーが交渉で上手く活用する、という仕組みであった。

 ニクソンに続いて「狂人理論」の観点から関心を集めてきたのが、トランプ前大統領だ。非合理的で気まぐれに行動する印象を、「取引」交渉に活用するのを、好んでいる。トランプ前政権では、キッシンジャー氏に相当する人物は存在していなかった。ただワンマン企業の社長であったため、もともとトランプ氏は自らが直接的に交渉を指揮する仕組みを好んだ。大統領が「狂人」の役割と司令塔の役割の双方を担ったわけである。

 この「狂人理論」のトランプ氏の本領発揮とも言える発言が、イスラエルのイランへの報復攻撃の可能性をめぐって、飛び出した。バイデン政権が、イランの核施設への攻撃を控えるようにネタニヤフ首相に働きかけているという報道をめぐり、トランプ氏が、それは間違いだ、と発言したのである。トランプ氏は、イランの核開発の脅威を考えれば、むしろ真っ先に核施設を狙った攻撃を仕掛けるべきだ、と主張した。

 この発言は、メディアで大きく取り上げられた。多くは、トランプ氏はイスラエルの大規模報復を望んでいる、という論調で、トランプ氏の発言を紹介した。

 果たしてそのメディアの理解が正しいかについては、留保が必要である。まず、トランプ氏が述べたのは、「核施設を攻撃しない」というメッセージを攻撃前にイランに送ることは間違いだ、ということだろう。常に過激な方法の選択肢を示しながら、交渉を進めるべきだ、という「狂人理論」的なトランプ氏のスタイルからすると、限定的な手の内を見せてから行動に入るのは、賢くない、ことになる。

 加えて留意しておくべきなのは、トランプ氏は、決して大規模戦争を望んでいると言ったわけでも、イランを核兵器で攻撃するべきだと言ったわけでもないことだ。この機会に核施設の破壊を行うべきだという発言は、実は、それを行ったうえで限定攻撃にとどめて戦争の大規模化を防げれば一番いいシナリオだ、というニュアンスもある。

 だが、イラン側も、核施設をイスラエルの攻撃から守るための万全の態勢を取っているはずだ。そこで、果たしてイスラエル側にそれをかいくぐって核施設だけを限定攻撃する能力があるのか、という点が問題になる。ドローンを駆使して市街地で暗殺攻撃をしたり、レバノン各地でポケベルを爆破させたりするのとは、次元が違う。

 2022年に大ヒットした米映画『トップガン・マーヴェリック』は、「ならず者国家」が建設して稼働させようとしているウラン濃縮プラントを、主人公たちが戦闘機で破壊する作戦を中心に物語が展開した。この映画の中の「ならず者」国家は、中東の国のようだった。トランプ大統領は、まさにこの映画を再現する作戦行動をイスラエルがとることを止めてはいけない、ということを言っているわけである。

 しかし、映画のような実施不可能な作戦を、イスラエル空軍が行えるとは、到底思えない。イスラエルは、かつて1981年に戦闘機を使ってイラクのサダム・フセイン政権が開発中だった軍事施設を破壊してみせたことがある。しかし今、それを最大警戒中のイランに対して行うのは、ほぼ不可能と思われる。

 『トップガン・マーヴェリック』は、ドローンが航空攻撃の主流になり、パイロットたちの役割は軽視されてきた、という現代的な時代背景を、モチーフにしている。どれほどドローンが駆使されようとも、人間にしかできないことがある、というテーマにそった物語だった。

 しかしイスラエル軍が、そのような発想にとらわれることは、全く想像できない。イスラエルは、ドローンによる標的殺害の方法を世界に先駆けて開発した国である。その方法を使って、イランの核科学者を暗殺してきている。したがってイランの防空システムを突き破るミサイルあるいはドローンによる攻撃を成功させるしか、方法はないだろう。エリート・パイロットが現場で発揮する奇跡的な能力や判断ではなく、イスラエルの軍事力の技術的能力で、イランを圧倒するしかない。果たしてそれは可能なのか。

現在、ネタニヤフ首相は、必死の作戦立案をすると同時に、アメリカの参戦を期待しているだろう。アメリカが攻撃に加わってくれれば、事態は一変する。しかしアメリカの参戦の可能性はないだろう。

「狂人理論」が効果を発するのは、交渉に向けた計算と、能力の優位とがあるときのみである。今のイスラエルには、前者は決定的に欠落している。後者についても、イランに対して保持しているのかは不透明だ。「狂人理論」を駆使できない「狂人」は、まさに文字通りの「狂人」として立ち現れて、終わってしまうしかない。

ネタニヤフ氏は、「狂人理論」を駆使する戦略家なのか、単なる「狂人」なのか。近く明らかになろうとしている。

 

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 10月1日、イランが、イスラエル領内空軍基地やモサド本部などに180発以上とされる弾道ミサイルによる攻撃を行った。ハマス政治部門最高指導者ハニヤ氏の殺害を含むイラン領内でも度重なるイスラエルによる暗殺攻撃に加え、レバノンでのヒズボラの最高指導者ナスララ師の暗殺を含む攻撃、さらにはイエメンに対する爆撃など(イスラエルの攻撃はイラク領やシリア領にも及ぶ)に対する報復的措置であるとされる。イランのペゼシュキアン大統領は、「イランと地域の平和と安全を守る」目的にそった自衛権の発動であると説明した。

これについて「第三次世界大戦の始まり」だとか、「中東全面戦争」だ、といった言説が、SNSなどで駆け巡った。

石破首相は、イランを非難しつつ、事態の鎮静化を求める、という二点を表明した。言うまでもなく、前者が同盟国アメリカをはじめとするG7系のイスラエル友好諸国向けで、後者がその他の諸国向けである。

日頃から親イスラエルの活動を続けている日本の国会議員が、この機会にイスラエルがアメリカとともにイラクに報復攻撃をすることを期待するかのような言説を表明する事案も見られた。

 佐藤正久イラン
佐藤正久

だがこうしたポピュリスト的な扇動的言説にかかわらず、客観的に見れば、中東で戦火が広がって日本の利益になることなどない。一部右翼的親イスラエル派の国会議員の姿勢にかかわらず、日本の国益が、事態の鎮静化=ディエスカレーションにあることは間違いない。

イランは、攻撃が終了するよりも前から、国連に自衛権行使を報告するとともに、イスラエルが報復したら再攻撃を加える、つまりイスラエルが報復しなければ攻撃は継続しない、という意思表明をしていた。継続的な全面戦争をする意図ではない、というメッセージである。

このイランの態度から、英文SNSでのやりとりでは、「エスカレーションを通じたディエスカレーション(De-escalation through Escalation)」という説明も、広く見られた。「エスカレーションを通じて、ディエスカレーションを達成する」、というのは、強い態度を見せて、相手の態度の抑制を図る、ということである。

ある紛争当事者が、過剰な暴力に訴えている場合、しかもそれが暴力の抑止力が自分には働かないと信じているがゆえに発生している事態である場合、他の紛争当事者が強い手段をとり、対抗措置を保持していることを見せることによって、事態の抑制を図る場合がある。紛争管理の基本パターンの一つだと言ってよい。

端的にわかりやすい例をあげれば、我を忘れて暴力を振るっている人物に、「やめろ」と言っても変化が期待できない場合には、威嚇射撃を行って、暴力を止める場合がある。威嚇射撃でもまだ不足である場合には、急所を外した実力行使をするだろう。緊急避難の場合には、むしろ最初から暴力を働いている者の急所を狙う。そうではない行為をするのは、威嚇射撃または急所を狙った発砲という強い手段が、実は暴力を止めるという抑止的効果を発揮するのを期待してのことだ。

つまり「エスカレーションを通じたディエスカレーション」とは、自分を抑止できる者はいないと信じて暴力を働いている者に、あえて脅威に感じるはずである手段を行使する実力を見せることによって、考えを変えさえて、抑止を図るための措置である。

イランは4月にもイスラエル領内を攻撃したが、より限定的な措置であった。いわば威嚇射撃であったと言ってよい。101日の攻撃は、空軍基地やモサド本部などのイスラエルの重要軍事拠点を標的にした。イスラエルに明白な軍事的損害を与えることを狙っていた点で、4月の段階よりもエスカレートした措置であったと言える。しかしなお「イスラエルが報復したら再攻撃する(報復がなければ再攻撃しない)」というメッセージをイランが繰り返したのは、攻撃の性格を変えたとしても、なお「エスカレーションを通じたディエスカレーション」を狙った措置であることの説明である。実際に、イランは、101日以降、イスラエルへの攻撃を仕掛けていない。

イスラエルの後ろ盾であるアメリカは、イランを強く非難したが、実際にはイスラエルの報復措置の抑制を働きかけ、限定的な軍事行動のオプションを提示していると見られている。戦争の拡大を望んでいないからである。

イスラエルは、イランへの報復をほのめかしてはいるが、実際にはシリア領内のロシア軍基地を攻撃したり、レバノンの首都ベイルートを爆撃したりしている。イスラエルは、イランの行動の過剰化を通じて、アメリカの直接参戦が狙えるのであれば、それを望むだろう。しかし現実にはアメリカは及び腰である。そうであるならば、イスラエルもイランとの全面対決を避けるしかない。報復をしない、という意思表明は、イスラエル国内政治の事情から不可能なので、イランにとっては実質損害がない範囲内の軍事行動を取って、それを報復と呼んで偽りにならないような方法を模索するしかない。

アメリカでは、イランの攻撃を見たトランプ共和党大統領候補が、イスラエルの苦難はバイデン=ハリス政権の失政によるもので、政権交代がなければ第三次世界大戦が起こる、と述べた。イスラエルは見放さない(見放せない)が、だからこそ戦争の拡大を望まず、むしろ停戦を望む、という意思表明である。

バイデン政権側からすれば、政権の拡大がイスラエルの早期の完全全面勝利に終わる見込みが高いのであれば、日本の佐藤正久参議院議員のようなジンゴーイズムの態度もとれるだろうが、それは楽観的過ぎる見込みであり、危険が大きい、と考えているはずである。もしイスラエルにさらなる大きな損失が出るようであれば、トランプ前大統領の格好の攻撃材料となり、11月の大統領選挙に向けた致命傷になりかねない。選挙の直前に火遊びは禁物である。表向きイランを非難しながら、実際にはイランの態度を計算して、イスラエルの抑制を求めて、戦火の拡大を防ぐ方が得策だ。

イスラエルのネタニヤフ首相も、この事情はわかっているはずである。ただ、国内政治事情から、冒険的な行動をとりたい願望も捨てきれないのも確かだろう。次の展開の全ては、ネタニヤフ首相が、合理的行動を求める国際社会の気運を無視し、国内政争の事情を優先させた非合理的なジンゴーイズムの政策判断を選択してしまうかどうかで、決まってくる。

日本政府は、まずは冷静に現状を把握しなければならない。そして親イスラエルの国会議員らのジンゴーイズムの声などに惑わされず、むしろ日本の国益にそって、「事態の鎮静化」に向けた外交努力、あるいはせめてそれを求める国際世論の醸成に貢献するための努力をしていかなければならない。

 

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 昨日の記事で、石破茂内閣が、多数の防衛大臣経験者を要職に配置して、防衛関係の政策案件を推進する構えであるように見えることを書いた。https://agora-web.jp/archives/240930131232.html 

 より具体的には「92項削除」論として知られる憲法改正案と、「アジア版NATO」と呼ばれている同盟改編案であろう。どうも両者は、石破氏の構想の中で、結びついているらしい。https://agora-web.jp/archives/240930060254.html

 昨日の記事では、石破氏が典型的な「憲法学通説」の憲法解釈を採用したうえで「だから改正が必要だ」と主張するタイプの改正論者であることを述べた。石破氏も第二次安倍政権期の2015年平和安全法制成立の推進にあたっていたはずだが、実際には集団的自衛権違憲論への配慮の気持ちが見えるときがある。石破氏は、集団的自衛権は抑制的に使わなければならない、という主張を、各所で繰り返し行ってきている。

 伝統的な憲法学通説の教科書では、日米同盟を嫌悪する立場から「集団的自衛権」を絶対悪としつつ、国連中心主義に合致する「集団安全保障」を善としている場合が多い。集団的自衛権は違憲だが、全ての国連加盟国が一致団結して取り組む集団安全保障なら憲法の平和主義の精神に矛盾していない(日本は武力行使については独自の制約があるが)、と日本の憲法学者が憲法学の教科書で説明している場合がある。

この考え方は、2015年平和安全法制に先だって導入された1992年国連PKO協力法の成立の際に、基本的に踏襲された。国連安全保障理事会の決議に裏付けられて集団安全保障の一環として行われる国連PKOであるならば、武力行使の範囲にさえ気を付ければ、日本も参加していい、という憲法解釈であった。

 石破氏は、「アジア版NATO」は、「集団安全保障」の仕組みなので、憲法問題に抵触しない、といった主張をしているらしい。その理由は、こうした日本の憲法学通説の伝統であろうと思われる。

 残念ながら、この議論は、日本の「憲法学通説」の範囲でのみ成立する机上の空論である。国際的には、破綻している。NATOの存在を国際法で裏付けているのは、国連憲章第51条の集団的自衛権である。実態として、地域的な集団安全保障としての要素がある、という分析は可能なのだが、それはNATOの存在が国際法上は集団的自衛権によって裏付けられているという事実を変更しない。

 国際法上の集団安全保障は、国連憲章第7章の強制措置のことであり、国連安全保障理事会決議をへなければ、発動されたことにならない。アジアの幾つかの諸国が自発的に結ぶ条約の加盟国をいくら増やしても、それはどこまで行っても集団的自衛権でしかない。NATOも同じであるので、NATOは集団的自衛権を根拠にして成立している組織でしかない。

 さらに付け加えて言うならば、このような混乱は、憲法学は国際法学ではない、といった当然のことによって生まれている混乱ではない。憲法学通説が、政治イデオロギーを振り回して偏向した奇妙な議論を積み重ねてきたことによって生じた混乱である。

 そもそも日米安全保障条約ですら、その前文で、国連憲章第51条の集団的自衛権を根拠として条約が成立していることを明示している。集団的自衛権を忌み嫌って、日米同盟を何か違うものに作り替えてしまおうとするのは、現行の条約体系をひっくり返す巨大な地殻変動を起こす革命的な政策である。石破政権の日本国内での支持率がどれほど高まろうとも、相手のあることなので、端的に言って、実現不可能だろう。

 昨日の記事では、「War Potential」という連合国の行政用語の「戦力」という日本語への陰謀論的な翻訳を通じた、憲法学通説によるオリジナルな憲法典の曲解についてふれた。憲法92項では、「交戦権」概念も論点になるので、今回は、これについても付記として、ふれておこう。

 日本国憲法92項は、「国の交戦権は、これを認めない」と謳っている。注意すべきは。憲法は、「交戦権」を放棄する、と言っているのではなく、「認めない(will not be recognized)」、と言っている点である。 

なぜ憲法は「交戦権」を認めないのか。理由は簡単である。そんなものは存在していないからである。

国際法において、「国の交戦権(憲法起草テキストにおけるthe right of belligerency of the state)」などという概念は、存在していない。存在しているはずがない。そんなものが存在していたら、国連憲章24項の武力行使の一般的禁止原則が、付帯的な憲章51条の自衛権と7章の集団安全保障の規定と合わせて、有名無実化してしまう。「交戦権」は、国際法で存在してはならない概念なので、日本国憲法は「これを認めない」と宣言している。

それではなぜ日本国憲法は、存在していない幽霊のような概念をあえて取り上げて、「これを認めない」と念押しする条項を作ったのか。

第二次世界大戦中の大日本帝国が、明治憲法の「統帥権」規定を根拠にして、国家には自由に宣戦布告して戦争を開始することができる権利がある、などと主張していたからだ。

たとえば、戦時中に『戦時国際法講義』(1941) や『戦時国際法提要上巻』(1943年)を著した信夫淳平は、次のように説明していた。

「国家は独立主権国家として、他の国家と交戦するの権利を有する。之を交戦権と称する」。「国家の交戦権は、交戦に従事する者の行使する交戦者権とは似て非なるものである」。「開戦」の方式は、「当該国家の交戦権の適法の発動に由るを要すること論を俟たない。その権能の本源如何は国内憲法上の問題に係り、国際法の管轄以外に属する」。

つまり信夫ら戦中の戦時国際法の解説者らは、自らが解説している戦時国際法に根拠がない「交戦権」を、大日本帝国憲法という国内法に規定された「統帥権」概念だけで、正当化しようとしていた。こんなことを許したら、真珠湾攻撃も、日本の国内法だけを根拠にして、合法になってしまう。そこで連合国は、念のため、幽霊である「交戦権」について、「これを認めない」と国内法で宣言させることによって、戦中の信夫ら大日本帝国時代の学者の議論が復活するのを防ごうとした。
(篠田英朗『はじめての憲法』(ちくまプリマー)、篠田英朗『憲法学の病』などを参照。)

「交戦権」概念は、石破氏の苦闘にもかかわらず、集団的自衛権と集団安全保障の違いといった話とは、全く関係がないのである。

現代の安全保障政策は、的外れな憲法解釈論争に振り回されることなく、現実をふまえて、進めていくべきである。

 

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