「平和構築」を専門にする国際関係学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

2024年11月

 ソマリアは、不思議な国である。その領土内の北部のアデン湾に面した地域にソマリランドとプントランドという二つの未承認国家を抱える。ロシア・ウクライナ戦争が続行中の時期であるだけに、2014年以降に未承認国家として存在していたドネツク人民共和国とルハンスク人民共和国の未承認国家の事例も想起される。ただ、旧ソ連圏に多々存在する未承認国家とは異なり、ソマリランドやプントランドは、中央政府に反旗を翻して分離独立運動が起こった結果として生まれたようなものではない。ソマリアの首都モガデシュとソマリランドの「首都」ハルゲイザの間には民間航空路線もあり、一定の交流もある。1990年代初頭に多数の軍閥が闊歩する無政府状態になったソマリアにおいて、一定の国家機能を樹立した地域が生まれた。それがソマリランドであり、プントランドである。ある意味で、狭義の現在のソマリア連邦政府よりも国家機能を運営してきた歴史が長い。

 首都モガデシュを中心とする地域を実効支配するソマリア連邦政府は、主権国家としてのソマリアを代表する。しかし領土内に未承認国家を抱ええているだけでなく、南西部ではアル・カイダ系のイスラム原理主義集団であるアルシャバブが浸透している。ソマリア連邦政府は、アルシャバブとは長期に渡る交戦状態にあり、首都モガデシュを始めとする市街地におけるテロ攻撃も頻発している。アルシャバブを一網打尽にすることは著しく困難であるため、あるいはそもそもソマリア連邦政府を維持するため、2007年以来、アフリカ連合の平和活動ミッションが駐留している(当初はAISOMAfrican Union Mission in Somalia:アフリカ連合ソマリア・ミッション]・現在はATMISAU Transition Mission in Somalia:ソマリア移行ミッション]・20251月からAUSSOMAfrican Union Support Mission in Somalia])。ソマリア連邦政府の実力は、現在もなお、自らを維持し続けるには、十分なものになっているとは言えない。

2006年にアルシャバブの前身であるイスラム法廷連合を首都モガデシュから追い払ったのは、隣国エチオピアによる軍事介入であった。現在でもATMIS構成軍事部隊の主力はエチオピア軍である。その他の兵力提供国は、ケニア、ウガンダ、ジブチ、ブルンジであり、近隣諸国の軍隊が、ソマリア連邦政府をアルシャバブの脅威から守り、その存在を支えている形となっている。MOgadishu
(ソマリアの首都モガデシュ)

 ソマリアでは国連は側面支援の役割に徹しており、政治調整を支援する組織として2012年からUNSOMUN Assistance Mission in Somalia:国連ソマリア支援ミッション)が、そしてロジスティクス面での支援組織として2015年からUNSOS UN Support Office in Somalia:国連ソマリア・支援事務所)が活動してきた。ATMISからAUSSOMに移行するのにあわせて、UNSOMは、今月202411月からUNTMISUN Transitional Assistance Mission in Somalia)となり、あと2年で活動を終了させる予定である。

 ソマリアではAUSSOMなどに財政支援をしているEUの存在感もそれなりに大きく、多様な組織が分業体制をとりながら活動する「パートナーシップ国際平和活動」の最先端の一例となっている。

 だが長期に渡るAUミッションによってアフリカ諸国にかかっている負担は大きい。すでにアルシャバブとの戦闘で数千人の戦死者が出ていると考えられている(AMISOM/ATMISの殉職者数は公式には発表されていない)。加えて一時期は2万人を擁し、現在でも12千人の規模を誇る兵力を維持する財政負担も大きい。

 ソマリア連邦政府への権限移譲の大きな流れの中で、しかしAUミッションの完全撤退はアルシャバブの勢力拡大を意味する(アフガニスタンのタリバンのように首都を奪取する可能性も高い)と考えられており、現在のATMISの活動終了時期と定められた202412月末をにらんで、様々な外交折衝が行われた。

 一つの大きな新しい仕組みは、202312 21日に国連安全保障理事会が採択した決議2719で定められた内容である。この決議では、国連拠出金を、地域組織のミッションの予算に対して、75%を上限として、提供することができると定められた。誰もがこの措置の最初の適用例はソマリアになる、と考えている。ただしまだ公式には決定されていない。

 国連PKOは急速な縮小の時代に入っており、過去10年弱で、その予算は3割以上減った。ミッション数も人員数も激減している。それを考えれば、AUミッションの予算の75%までの提供は、歴史的に大きな負担を国連加盟国に強いる、とまでは言えない。ただし非常に新しい試みであり、予算執行のルールに国連基準とAU基準が併存する点などを考えても、実験的な要素は多々ある。

 しかも多くの人々がほぼ既定路線と考えた決議2719のソマリアへの適用について、有力な反対国が存在している。アメリカ合衆国である。アメリカは国連分担金の最大負担国として、予算措置の決定には重大な関心を持つ。AUミッションに国連分担金を用いる初事例だということになれば、アメリカがかなり警戒的な態度をとることは、想定の範囲内ではある。

 だがさらに事情を複雑にしているのが、議会の動きだ。アメリカでは、大統領に国連に懐疑的なトランプ氏が就任することが決まっただけではない。上院・下院ともに一般に国連に懐疑的な姿勢が強い共和党が多数派となった。これによって、議会の動きの予測が、さらにいっそう厳しいものになった。現時点において、決議2719に基づくAUSSOMへの国連分担金の提供はまだ決定されておらず、関係各国の外交交渉による折衝に委ねられている。

 1993年にソマリアで多数の殉職者を出した「ブラックホーク・ダウン」の歴史を持つアメリカは、ソマリアには大々的には関わっていない。ただしアルシャバブ掃討作戦に使われているドローンなどを、アメリカ人の軍事顧問らが動かしていることは、周知の事実である。アルシャバブの勢力維持にはインド洋へのアクセスが関わっているが、フーシー派とつながっているという噂もあり、アメリカとしては治安情勢の観点から考えれば、AUSSOMの機能不全は利益にならないはずである。

 だが地域情勢は、一枚岩ではない。アメリカと親密な関係にあるエジプトが、従来からのグレート・エチオピア・ルネサンス・ダム(GERD)問題をめぐるエチオピアと長年の対立関係から、ソマリア連邦政府に近づこうとしている。エチオピアがソマリランドとの間で20241月に結んだ協定が、将来のソマリランドの独立承認を含意する内容を持っているとして、ソマリア連邦政府がエチオピアを激しく糾弾したからだ。協定内容の修正がなされるのでなければ、エチオピア軍はソマリアから出ていかなければならない、という立場を、ソマリア連邦政府はとっている。そこでAUSSOMからエチオピアを追い出された場合には、エジプト軍を派遣する準備がある、とエジプト政府が発表したことが、内外に大きな波紋を投げかけた。さらには、エジプトとソマリア連邦政府が、アフリカの北朝鮮と呼ばれるエリトリアに集まり、三カ国の協調体制を誇示する、といった「事件」も起こった。ティグレイ紛争の終結の仕方をめぐり、エチオピアのアビイ政権から、エリトリアのイサイアス大統領が離反した情勢が、ソマリア問題に飛び火したのである。

 アメリカとエチオピアのアビイ政権の関係は、ティグレイ紛争中に悪化したままだ。エチオピアの地域における影響力の低下は、アメリカは気にはしないだろう。だが実際には、アメリカが巨大な軍事基地を置くジブチは、エチオピアとソマリア連邦政府の関係悪化を憂慮している。バイデン大統領にアフリカにおけるアメリカの同盟国と言わせたケニアにとっても、エチオピアが不在のソマリア情勢は、不安視せざるをえないだろう。ソマリア連邦政府関係者ですら、長年にわたってソマリアで軍事活動を行ってきた隣国の大国エチオピアの代替を、エジプトが務められるというイメージを持っているわけではない。

 それでもアメリカは、AUSSOMに対する決議2719の適用に反対し続け、拒否権発動する構えで、国際的な平和活動の体制を動揺させるのか。

日本も、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の重要性を掲げている以上、「アフリカの角」ソマリアの情勢展開を、注視しておかなければならない。

 

「篠田英朗 国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月二回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。https://nicochannel.jp/shinodahideaki/

 

 IGAD(政府間開発機構)という東アフリカの「準地域」機構のLeadership Academyという新設機関の研修の講師(ファシリテーター)を、ケニアのモンバサで三日間にわたって務めた。IGAD構成国である7カ国(スーダン、南スーダン、ウガンダ、エチオピア、ジブチ、ソマリアケニア)から女性リーダーと目される方々20人以上が集まって行われた研修であった。
https://x.com/IGADLeadership/status/1859199016237482140 

 大変に有意義で、楽しませていただくと同時に、いろいろと学ばせていただいた。それぞれの皆さんが、明るい素振りの裏側に、様々な政治情勢の複雑さを抱えているのは、言うまでもない。

 現在進行中の紛争や、紛争後の脆弱な状況を抱える地域も少なくなく、一触即発の国家間関係もある。最も激しい内戦が続行中なのが、スーダンだ。

 スーダンからの参加者グループは、スーダンの紅海沿岸の町ポートスーダンからの参加者と、ウガンダのカンパラ在住者がいた。

ポートスーダンからの参加者は、「政府」の課長級の職員であった。スーダンでは、首都ハルツームが激しい戦火の最中にあるので、政府関係者らは紅海沿岸のポートスーダンに拠点を移して、政府活動を続けている。これは一般には「国軍のブルハン」側とされている勢力になる。軍の最高司令官であるブルハン氏が、政変の帰結とはいえ、国家を代表する「主権評議会」の議長を務め続けていることになっているからだ。

ブルハン氏の国軍は、「ハメティ」氏が率いるRSF(即応支援部隊)勢力と激しい戦闘を繰り広げている。この内戦の構図は、日本でもスーダンの事情が報道される際に、まずは言及される点だろう。

だが実は、スーダンの騒乱には、もう一つの大きな要素がある。市民グループと呼ばれる勢力である。その中心にいるのは、ハムドック元首相であるが、市民社会組織の人々も、ウガンダに逃亡して集まっている傾向がある。

長期に渡る独裁政権を運営していたアル・バシール大統領を失脚させた2019年の政変は、市民の抗議活動が中心になって起こったものだった。バシール大統領に近かったRSFは、凄惨な市民の虐殺弾圧を行った。しかしバシール政権が維持できないと見るや、国軍とともに、クーデターを起こした。その後に軍人と文民が共同で作り上げる主権評議会が出来上がった。その際に「首相」に就任したのが、ハムドック氏であった(ただしより強い権限は主権評議会議長の軍人のブルハン氏が握った)。

「遅れてきた最後のアラブの春」と呼ばれ、スーダンの政変に、期待が寄せられた。2010年末から巻き起こった「アラブの春」のうねりの中で、北アフリカのチュニジア、リビア、エジプト、中東のシリア、イエメンなどで、政変が起こった。結果は、内戦の泥沼でなければ、イスラム原理主義勢力の台頭、さらにそれを封じ込める軍事独裁政権の再登場であった。円滑な民主主義国家の樹立を果たした国はない。

「遅れてきたアラブの春」の実例となるスーダンが、先行例を教訓にしながら、初の成功例を作れるか、が試された。市民組織のリーダーと、軍人のリーダーが、共同で「主権評議会」を形成する仕組みは、教訓を生かした知恵である、と解釈されていた。

だがその期待は、2021年に、主権評議会議長職が初めて文民側に移転される予定になった時期の直前に、ブルハン氏が文民メンバーを主権評議会から追い出すという行為をするに及んで、崩壊した。残った軍人同士が、勢力争いで戦闘を開始したのが、2023年からの内戦である。

首相を解任されたハムドック氏は、軍人中心の主権評議会の強烈な批判者となった。さらに内戦勃発後は、外国に逃れて、国軍のブルハン側の勢力にも、RSFのハメティ側の勢力にも、批判的に対峙する姿勢をとり、市民社会組織を束ねる動きをとっている。ケニアで会議を開いたりするが、ウガンダにいると考えられている。

私は、大学院でスーダン人の大学院生を指導対象の学生として教えている。内戦勃発前に来日したので、故郷が内戦に陥り、戻れなくなってしまった。タリバン政権の復権で故郷に戻る可能性がなくなったアフガニスタン人の学生なども指導していたことがあるが、戦争や政治に翻弄される人々の悲哀は、どんな場合でも切ないものである。

IGADの運営者側は、苦労してスーダンからの研修参加者を選んだうえで、ハラハラしながら様子を見ていた。幸い、研修参加者のレベルでは仲良くやっていただき、共同作業にも協力して取り組んでいただいた。成果がすぐには見えないのだが、将来に向けた布石として、極めて大きな意義を持つことである。そうした点も十分に視野に入れて、研修の意義を見定めて、実施している。

折しも、日本では、石破首相の国際会議での振る舞いが大きな話題となったようだ。会議や研修の大きな意義は、人と人とのつながりを作り、発展させるところにある。読書家であるがゆえに、その点を軽視する傾向があるとしたら、残念である。硬直した官僚主義と権威主義がはびこる日本社会全体に、人間的なつながりの構築が生み出す可能性の大きさを軽視する風潮が蔓延しているとしたら、それはさらに残念なことである。

 

「篠田英朗 国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月二回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。https://nicochannel.jp/shinodahideaki/


 ICC(国際刑事裁判所)が、遂にイスラエル首相のネタニヤフ氏と前国防相のガラント氏の逮捕状の正式発行に踏み切った。首席検察官のカーン氏が、異例の形で、逮捕状の請求を行ったことを、すでに5月に公にしていた。通常は、逮捕状が正式発行になってから、公表される。あるいは正式発行の事実が秘匿されることすらある。ただし、検察官の要請から、正式発行まで6カ月もかかるというのも、異例中の異例の出来事であったと言える。

カーン検察官は、ICCがガザ危機における戦争犯罪の捜査を行っていることを明らかにするとともに、逮捕状発行に向けた手続きが内部で不当な圧力にさらされないようにしたのだろう。代わりに、公の圧力が高まった。保守党時代のイギリス政府が異議手続きをとろうとしていたとされるし、イスラエルも異議を唱えていた。カーン判事が部下にハラスメントを行ったという告発も出てきた。逮捕状正式発行の審理にあたった裁判官の一人が健康上の理由で辞任した。最も大きな動きとしては、アメリカが「ICC制裁法案」の可決に動き始めた。ICC職員の移動を制限するだけでなく、職員及び組織としてのICCの資産凍結を可能とする内容だ。

 国際世論は、圧倒的にICCの味方である。ICCは今回の訴追で、国際刑事裁判所としての威信を保った。もし訴追を見送るようなことがあったら、アフリカの締約国の離反あるいは脱退を招き、空中分解していくところだっただろう。

 他方、イスラエル及びアメリカの反発を過小評価することはできない。諜報先進国家イスラエルと、超大国アメリカによる嫌がらせは、ICCにとっては大きな脅威となる。

 アメリカの国内法は、自動的にはオランダに位置する国際裁判所であるICCには適用されない。しかし欧州の金融機関等は、アメリカの金融市場と密接な結びつきを持つ。欧州のいずれの金融機関も、アメリカでの商業取引活動を断念することはできない。そこで外国籍であっても違反した金融機関にはアメリカでの活動を禁止する内容を持つアメリカの国内法の内容に従うことになる。具体的には、ICCの金融資産を差し押さえないと、アメリカでの商取引から締め出されることになる。そのリスクを背負いきれないので、通常は日本や欧州の金融機関は、一斉にアメリカの金融制裁の内容を履行する。

 単純に考えれば、この措置を通じて、アメリカは、ICCを事実上の活動停止の状態に追い込むことができる。ICCが自らの資産を使えなくなるからだ。

 だが、検察官の逮捕状要請から正式決定まで6カ月もの時間があった。ICCにとっては、アメリカの金融制裁に対応する準備を検討するための時間だったはずである。工夫に工夫を重ねて、アメリカの金融制裁をかいくぐって、活動を続けるための措置を検討したはずだ。職員の多くは、自らの金融資産の防衛措置を個人努力でとっただろう。組織としてのICCも同じであったはずだ。

 なおオランダの国内法整備・運用にあたってのオランダ政府の協力は、アメリカの制裁をかいくぐるために、ICCにとっては極めて重要な要素である。ただICCにとって不確定要素になっているのは、オランダで直近の選挙で反移民政策を掲げる極右と描写される自由党が第一党になったことだ。絶対多数ではなかったため、党首のウィルダース氏が首相になるほどではなかった。しかしウィルダース氏の自由党の影響力が強まったことは当然である。反移民とは、実態として、反イスラムである。ウィルダース氏は、かなり踏み込んだイスラエル支持者でもある。今回のICCの逮捕状発行を快くは思っていないだろう。とはいえオランダ政府は、いち早くICC支持の声明を出しており、大勢は変わっていないことをアピールしている。

 締約国の支持は、国際世論を喚起してICCの活動に有利な環境を作るためにも、具体的な工夫の措置をとるためにも、重要な要素である。しばしば指摘されてきているように、日本は財政貢献においてICCの筆頭格の国であり、その存在感は小さくはない。残念ながら、これまでのところ、日本のICC支援といえば、ロシア・ウクライナ戦争をめぐる活動に特化しており、ガザ危機をめぐっては、発言を控える傾向が続いている。

 逮捕状の正式発行後の1122日の記者会見で、林正官房長官は、「パレスチナ情勢にいかなる影響を与えるかの観点も含め、捜査の進展を重大な関心を持って引き続き注視する」と述べるにとどめた。

 これが対ロシアの話題であったら、「国際社会の法の支配を守る」といったテーマに引き寄せた発言を行っただろう。ガザ危機であれば、関心対象はせいぜい「パレスチナ情勢にいかなる影響を与えるか注視」にとどまっている。

 残念ではあるが、これまでもずっとこのような態度なので、驚きはない。少なくとも日本がICCの活動の阻害要因にならないことを祈るのみである。

「国際社会の法の支配」を推進すると述べる日本の立場は、単なる二枚舌で、信じるに値しない浅はかなアメリカ追随の文言でしかない、という印象を世界に流布するかどうか。その瀬戸際にはなってきている。

 

「篠田英朗 国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月二回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。https://nicochannel.jp/shinodahideaki/


 トランプ政権の登場によってロシア・ウクライナ戦争に新しい局面が訪れようとしている。ただしトランプ氏が大統領に就任する120日までは、私が「地獄のレイムダック・バイデン政権」と呼んできた時期が、最悪の形で残っている。あと二カ月で何が起こるのかは、120日以降に何が起こるのかとあわせて、大きな懸念点である。

8月にウクライナがクルスク侵攻という合理性を欠いた行動に出て「膠着状態」に抵抗する行動に出て以来、明らかに「膠着状態」は崩れた。そのウクライナの冒険的行動の結果、ロシアが有利になり、ロシアの劇的な支配地域の拡大が進んでいる。2014年ドンバス戦争以降続いているドネツク・ルハンスク方面の東部戦線で、ウクライナがロシアに譲ったことがない地域の陥落が続いている。2022年後半にウクライナがロシアから奪還した北部のハルキウ方面でもロシアの再奪還が進み始めていている。クルスクでは、スジャという国境のロシア側の町を要塞にして立てこもるウクライナ軍を、ロシア軍の包囲網がジリジリと追い詰めている状態だ。

トランプ氏が選挙戦中に「就任したら停戦させる」と公言し始めたのは、「膠着状態」が続いていた時だ。ロシア・ウクライナ戦争の情勢は、その時から比べると、大きく動いた。一年前の戦場の前提は、もはや存在しない。

急速な前進を続けているロシア軍は、止めにくく、止まりにくい。一日でも長く戦争が続けば、その一日分だけ支配地が広がる。長期戦でキーウまで進軍するつもりでなければ、ロシアとしては120日までに進軍したい地点まで進軍しておくのが望ましい。つまり今ロシアには、あと2カ月の間に大攻勢を仕掛けて、120日までに支配地を広げ切っておきたい、という強力な動機づけが働いている。

ウクライナのゼレンスキー政権は、NATO諸国の直接介入でなくても、さらなる桁違いの大量の軍事支援を長期に渡って獲得することを通じて、ロシア軍を駆逐して戦争に完全勝利を収める、という夢を捨て切れていないという立場だ。戦争の継続を強く望む立場を維持している。その方針と矛盾する行動を取る国内の分子に目を光らせ、気に入らない発言をする外国指導者を次々と糾弾している状態である。

戦場で負け続けている側が、停戦の可能性を語ることすら拒否している状態になっているので、戦争は終わらない。120日までにロシアがどこまで支配地を広げるかが、当面の注意点となる。次に、120日以降のアメリカからの強烈な圧力に対してゼレンスキー大統領どのような方策を取ってくるのかは、全く不透明だ。

ゼレンスキー大統領は、停戦となった瞬間、政権維持に困難をきたすことになると思われる。戦争の停止とともに、国内の様々な困難な課題が一気に噴出してくる。ウクライナ国内の世論は、停戦容認派と反対派が複雑な形で分かれていくと思われるが、それにともなってキーウにおける政治層の間の確執も生まれてくる恐れがある。ゼレンスキー大統領の戦時指導体制下の具体的政策の一つ一つの妥当性も、問われ直されていくことになるだろう。戒厳令下で選挙を無期延期し続けているゼンレンスキ―大統領が、選挙の日程を設定せざるをえなくなったときに、どのような政治的立場をとることになるのかは、不明だ。立候補すれば当選確実と言われるザルジニー元司令官の去就も、大きな要素である。

独立した1991年以降の30年間に、ウクライナは何度も繰り返し、選挙に伴う騒乱と政争を繰り返してきた。ロシアとの戦争の完全勝利のみが、そうした政局の不安定性に終止符を打つ、というゼレンスキー派の方々の気持ちはわかる。だが、実現は困難である。先行きは不透明だ。

 さて、情勢を反映して、日本のウクライナ政策も、変わっていかざるをえないだろう。石破政権は、まだ外交の足腰が定まっていない。岩屋外相がキーウを訪問したが、これまでの外交姿勢の継続を強調することで、石破政権の外交軸の確立にもつなげていきたいということだろう。だが裏を返せば、事態の展開にあわせた政策調整を準備する余裕がまだない、ということでもある。

日本は今まで武器提供を行わず、軍事作戦面に関する国際的な協議体制にも加わってこなかった。岸田首相が「国際社会の法の支配」「欧州大西洋の安全保障とインド太平洋の安全保障のりながり」といったことを好んで口にしていた時期はあった。しかしそれらの大局的な政策的方向性を具体化する努力は、実際には進められていない。いずれも抽象的なテーマのままで放置され、言及されることもなくなって忘れられ始めている。日本としては、このまま停戦交渉はもちろん、その後の複雑で深刻な政治情勢の転換にはなるべく関わらず、穏健なウクライナとの関係の維持に努めていきたい、ということだろう。

私個人としては、これは残念なことであると思っている。私は日本政府に、「東京事務所を設置してもらう」といったことよりももっと踏み込んだICC(国際刑事裁判所)支援をしてほしかったし、「欧州大西洋とインド太平洋のつながり」の観点からウクライナの黒海の貿易港オデーサを注目した貿易政策を構想してインド洋沿岸諸国と協調体制もとってほしかったと思っている。今からでも遅くはないが、残念ながら石破政権には余裕がない、というのが実情だろう。

 少し事情が異なっているのが、メディアや学者層である。今回のロシア・ウクライナ戦争をめぐっては、明白にウクライナ擁護・ロシア非難の世論が、政府の方針にも沿う形で、形成された。問題は、それが翼賛的に機能して、異論を口にする者を糾弾する風潮につながっていることだ。硬直化した感情的立場と合致しない意見や政策論はもちろん、ちょっとした言葉尻の不愉快ささえ許さないような政治運動層ができあがってしまっている。

https://agora-web.jp/archives/240911013609.html

https://agora-web.jp/archives/240918073455.html

正直、自分の言説や立場を守ることに躍起になって感情的になり始めているような方も見受けられる。

非常に良くないのが、ウクライナ政府が「ロシア人を〇〇人殺した」という発言だけをするようになっていることにあわせて、「ロシア人を〇〇人殺した」ということだけを述べ続け、実際の戦場ではロシアがウクライナを圧倒して支配地を広げていることには目を向けない、といったことだけではない。戦争の継続が明らかにウクライナ側に不利であることが、語ってはいけないタブーになっている。停戦合意と和平合意の違い、領土奪還と安全保障の違い、といった非常に基本的な概念構成さえ、メディアのみならず、学者層が、拒絶している。これでは議論にならない。

ただただ意固地になって、「ウクライナを支持しているのか?国際秩序を守る気があるのか?」といった問いを発しているだけでは、何も前に進まない。あらためて現実を見据えた冷静な議論の立て直しが必要だ。

 

「篠田英朗 国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月二回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。https://nicochannel.jp/shinodahideaki/


アメリカの大統領選挙でトランプ大統領が選出された。ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシア・ウクライナ戦争の停戦調停に意欲を示すトランプ氏を説得するための発言を繰り返している。

だが、トランプ氏当選の確率が非常に高いことはかなり前から予測されていたことである。心の準備がなかったはずはない。結果が確定した今は、その現実をきちんと見据えることが必要だ。

このままでは、いずれゼレンスキー大統領は、今後はウクライナで起こる悪いことの責任は全てトランプ氏にある(俺には何も責任はない)、といったことを言い出すのではないか、と私は懸念している。私は以前から繰り返し、最後はアメリカとウクライナの関係の破綻で戦争が終わるとすれば、それは戦後の安全保証体制の確立にも悪影響を及ぼす最悪の事態だ、と述べてきた。

戦場では、20223月以降では最速のスピードでロシア軍が支配地を拡大させている。トランプ氏就任の日までをにらんでも、まだ2カ月もレイムダック・バイデン政権期が続く。ロシアは、当然、これからの2カ月の間に、大攻勢をかけてくるだろう。ウクライナ支援者の多くのは、アメリカの支援が足りないからウクライナが苦戦している、と主張している。しかし空前の巨額の援助を提供しているアメリカをつかまえて、「お前の支援が足りないから俺は苦労している、全てはお前の支援の不足のせいでこうなった」、と主張するのは、どう考えても責任ある政治家の態度とは思えない。

私に言わせれば、現在のウクライナ軍の苦境は、そしてこれからの2カ月のさらなる苦境は、合理性を欠いた8月のクルスク侵攻作戦の結果としてもたらされた性格が強い。ゼレンスキー大統領は、その現実も見据えなければならない。

https://gendai.media/articles/-/136831 

この機会に、いかにアメリカの大統領選挙の日程が、ロシア・ウクライナ戦争に大きな影響を及ぼしていたかを、振り返ってみよう。

ロシアの全面侵攻が開始された2022224日は、まだバイデン大統領が就任して一年の時期だった。前年8月の無残なアフガニスタンからの完全撤退の痛手を抱えていたバイデン政権が、外交政策で失点を取り返す大きな機会として、ウクライナ大規模支援に踏みこんだ。ウクライナ及びバイデン政権の双方に合理性があった時期だ。

キーウ包囲戦を仕掛けてきたロシア軍を撃退し、急速に拡大させたロシアの支配地を削り取る作戦を行った2022年後半までのザルジニー総司令官を擁したウクライナ軍の動きは、見事であった。そもそも19万の軍隊でウクライナ全土を占領することは、ロシア軍にとっても不可能であった。

しかし、私自身は2022年から様々な媒体で繰り返し繰り返し述べてきたように、ロシアがウクライナを完全併合するのは難しく、しかしウクライナがロシアに軍事的完全勝利するのも難しい。どちら一方の完全達成で終わる結末は、想像できない。両者がせめぎあう何らかの状態で、戦争は終わりになるしかない。

そこでウクライナ軍は2023年夏前からいわゆる「反転攻勢」をかけた。この「反転攻勢」は成果を上げることができなかったと結論付けられているが、上記の見方にそって言えば、ウクライナ軍は、2023年の段階で押し込める極限点までロシア軍を押し込んだ。その極限点を見極めるための作戦であったと言ってよい。これによって、戦局は、「膠着状態」に入った。私が初期段階から語っていた、W・ザートマンの紛争調停タイミングの「成熟理論」にそった「相互損壊膠着(MHS)」と言える状態だ。

https://www.fsight.jp/articles/-/49036 

今の時点で思い出しておくべきは、2023年の「反転攻勢」の開始時期だ。すでに冬を一度越えて、ロシア軍は支配地を防衛するための準備を進めていた。そうなると2022年のようなウクライナ側の劇的な進軍は難しい。ウクライナ軍がロシア軍を圧倒できる戦力を蓄えるまで平穏な戦局を維持しておく戦略もありえただろう。しかし、その選択肢は、採用できなかった。理由は、アメリカの大統領選挙だ。

2023年の段階で、バイデン氏とトランプ氏の一騎打ちが再現されることが予測され、しかもバイデン氏の不人気のため、トランプ氏の優位が予測されていた。ウクライナにとっては、強力な支援を約束し続けていたバイデン氏の再選が望ましい。それを後押しするためには、アメリカで大統領選挙の予備選挙が始まる前の2023年末までには、巨額のアメリカの軍事支援の目に見えた成果を見せる必要があった。もし巨額の支援を提供しても、ウクライナ軍が成果を出せないのであれば、支援は打ち切られ、しかも支援に消極的なトランプ氏の再選の可能性が高まる。時期尚早であっても、バイデン氏を助けるために、「反転攻勢」を開始して「アメリカの支援の劇的な成果」を見せる必要があった。

この観点から見て、私は、2023年「反転攻勢」には合理性があったと考えている。ロシア軍をさらに押し込んだ結果も、現実の諸条件を見れば、失敗だったとまでは言えないとは考えている。他方、バイデン氏再選のために「アメリカの支援の劇的な成果」を見せるという政治的効果は、限定的なものでしかなかった。そのため、大統領選挙戦でトランプ氏優位が続いただけではない。議会までがウクライナ支援に消極的になり、予算が可決されないという事態まで引き起こされた。これが、ロシア・ウクライナ戦争の一つの峠であった。

2024年になる頃には、トランプ氏は、自分が大統領になったらロシア・ウクライナ戦争を止める、と公言し始めた。戦局の膠着状態と物価高で苦しむアメリカ国民の疲弊を見れば、選挙戦術としても、トランプ氏の態度には合理性があった。

再びW・ザートマンの「成熟」理論に立ち戻れば、2024年前半は停戦に非常に機が熟し始めていた時期であった。私自身も、そのような趣旨の文章をいくつか書いた。私について言えば、この時期は、結果として「篠田は隠れ親露派だ」と非難され始めた時期だ。

しかしこの停戦機運の高まりに最も激しく抵抗したのは、ウクライナのゼレンスキー大統領であった。まずザルジニー総司令官を罷免して、自分の意向で全軍を動かせる体制を作り、8月にはロシア領クルスクに侵攻するという合理性を欠いた作戦を実行し始めた。一言で言えば、たとえウクライナが不利になる結果しかもたらされないとしても、ただ停戦の機運が熟することにだけは抵抗する、という態度であった。

https://www.fsight.jp/articles/-/50837 

ウクライナが持ちうるせめてもの期待は、短期でもいいので、かすかな成果を、アメリカの大統領選挙前に作り上げて、せめてほんの少しでも望ましい方向に大統領選挙戦を進めさせる影響を与えたい、ということだっただろう。しかしクルスク作戦の効果は、極めて短期的な電撃的瞬間の間だけしか続かず、軍事的・政治的な意味は乏しかった。

ゼレンスキー大統領の思い付きで、ロシアの国境の小さな町スジャに立てこもって謎のスジャ防衛戦で多大な犠牲を払っているウクライナ軍に対する責任は、いったい誰がとるのか、という問いは、今や政治的な事情でタブーになっている。もしウクライナ国内で、そんな問いを発したら、身辺の危険を心配しなければならないだろう。クルスクの話題は、ゼレンスキー大統領のSNSに登場することもなくなった。

そして、トランプ大統領が、当選した。

すでに二年半にわたって、ロシア・ウクライナ戦争は、ウクライナの最大の支援国であり生命線であるアメリカの大統領選挙の予定に翻弄されて、動いてきた。

だが今や、結果は出た。確定した結果の現実をふまえて、次の政策を明らかにして、進めていかなければならない時期になった。ウクライナ政府だけの話ではない。日本政府も同じだ。

峠を越えた後の過去半年余りのウクライナの行動は、負の遺産となって戦場に影響が及ぶ。それをどう処理していくか、も真剣に考えなければならない。具体的には、一人でも多くの兵士を生存させるためのクルスクからの撤退だ。そして東部戦線でのロシア軍の進撃を止めることだ。

残念ながら、非常に困難な課題になってしまっている。しかしトランプ氏は突然に豹変したりしないだろうか、といった夢物語をSNSで発信しているだけでは、現実はただ悪化していく一方だ。

もし現実を直視することを拒絶し、あああとせめて2カ月だけでもいいので現実から乖離した夢を見させてくれ、といった無責任な態度を取り続けるのであれば、そのことがもたらす災厄は、さらにいっそう甚大になる恐れがある。

 

「篠田英朗 国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月二回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。https://nicochannel.jp/shinodahideaki/

↑このページのトップヘ