「平和構築」を専門にする国際関係学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

2024年12月

先日、海外出張を行った際、シリア情勢のことが気になり、飛行機内で映画『アラビアのロレンス』を視聴してみた。混沌とするシリア情勢を見て、中東の歴史を捉え直さなければならない、と思っていたところだったからだ。

『アラビアのロレンス』とは、言うまでもなく、アラブ人とともにアラブ独立闘争を戦った実在のイギリス陸軍将校「ロレンス」を描いた映画だ。第一次世界大戦の最中の191617年頃の物語である。

第一次世界大戦まで中東を支配していたのは、オスマン帝国である。ロレンスは、母国の政策に合致する形で、敵国のオスマン帝国の中東支配を掘り崩すために、アラブ人とともに戦った。あるいはアラブ人を焚きつけて、「トルコ人(Turks)」と戦わせた。

ロレンスが駐留していたのは、大英帝国が支配していたエジプトのカイロだ。しかしそこから東の中東のアラブ人地域を支配していたのは、オスマン帝国であった。ただし厳密に言えば、オスマン帝国が支配していたのは、地中海沿岸から紅海沿岸にかけての沿岸部だけだった。そこでロレンスは困難な砂漠の移動を敢行して、海岸に向けて守りを固めていたアカバのオスマン帝国軍に、砂漠側から奇襲攻撃を仕掛けた。この作戦は、大成功を収めた(アカバとは、現在のヨルダンに位置する港湾都市で、シナイ半島とアラビア半島の間で紅海を望む要衝)。アカバを陥落したロレンスのアラブ軍は、勢いに乗って次々とオスマン帝国軍に対して軍事的勝利を収めていく。そして現在のシリア領に南部から侵攻し、遂にダマスカスを攻略する。

ダウアーやタファスといったシリア南部の地名は、今月の2024年アサド政権崩壊の際にも、南部「合同作戦室(Joint Operations Room)」が蜂起した地域の町の名称として、耳にした。ロレンスのアラブ軍も、これらの町を通過して、イギリスの正規軍よりも早くダマスカスに駆け上った。

しかしダマスカスを陥落させた後、アラブ軍は、内部で部族闘争を始める。中東での勢力争いを、アラブ人同士が始めたのである。ロレンスは、その状況に嫌気がさして、中東を去った。

その頃、オスマン帝国の崩壊を見越して、イギリスとフランスの間で交わされた密約が「サイクス=ピコ協定」である。この協定が結ばれてからちょうど100年目となった2016年に公刊した著作の中で、池内恵教授は、次のように書いた。

 「『結局、サイクス=ピコ協定が諸悪の根源だ』 近頃、こういったフレーズをよく聞くようになった。中東の混迷の原因は何なのか。いったい誰が悪いのか。誰もが自然に思い浮かべる素朴な疑問や義憤に、単純明快な答えを見つけたような気にさせてくれる万能のマジックワードが『サイクス=ピコ協定』である。」(池内恵『サイクス=ピコ協定百年の呪縛』[新潮選書、2016年]19頁)

なぜ「サイクス=ピコ協定」が悪いのかと言えば、イギリスとフランスが、中東をそれぞれの統治領・勢力圏に分断してしまったからであり、その分断の過程で、後に紛争の火種となる中東域内対立の構図も作ってしまったからである。現在のシリアに対応する地域は、フランスの勢力圏と定められ、他のイギリスが支配するアラブ人地域とは切り離された。

第一次世界大戦終結後にオスマン帝国が崩壊すると、「サイクス=ピコ協定」にそって、現在のシリア領の地域は、フランスが占領した。シリアが正式に独立国となるのは、第二次世界大戦後のことである。ただし独立後のシリアは、アラウィー派やドゥルーズ派が独立を求めて民族間紛争を引き起こしたり、首都ダマスカスでクーデターが繰り返されたりする政情不安な時期を長く経験した。1970年のクーデターで成立したバアス党政権が、ハーフィズ・アル=アサド大統領の独裁体制を作り出していくと、今度は世界有数の強権抑圧体制の国になった。

もし「サイクス=ピコ協定」が「諸悪の根源」だとすると、「アラビアのロレンス」が活躍した1916年よりも前の時代が、今よりも望ましい中東だったことになる。それは、ロレンスのアラブ人が倒してしまった「トルコ人」が支配していたオスマン帝国の時代の中東のことである。

オスマン帝国は、多民族共存の帝国であったと言われる。もっとも帝国とは、ある民族が他民族を支配して作っていくものなので、たいていは多民族共存の統治体制の仕組みも持つ。オスマン帝国の場合、それは「トルコ人」の帝国であったが、アラブ人をはじめとする中東の諸民族の多民族共存を標榜した統治体制のことでもあった。

2024年、北と南の旧オスマン帝国統治地域から入ってダマスカスのアサド政権を倒した勢力の主力であったHTS(ハイアト・タフリール・アッ=シャーム:シャーム解放機構)やSNA(シリア国民軍)は、トルコの支援を受けた勢力だ。トルコは、現在のシリアに、最も大きな影響力を行使できる国である。ただしHTSが主導する暫定政府は、多民族共存のシリアを標榜している。トルコ政府もそれを後押しするという。ただし、そう言いながら、トルコは、明らかにシリア北部のクルド人支配地域の縮小化を狙っている。トルコの意を受けたSNAがクルド人のSDF(クルド防衛軍)と衝突している状態になっている。

 トルコのエルドアン大統領が、「トルコはトルコよりも大きい」と発言したことが、話題となっている。トルコより大きいトルコとは、つまりオスマン帝国のことだと言ってよいだろう。現在のトルコという国家の領土を広げることは狙わないが、旧オスマン帝国領地にそって、トルコは勢力圏を広げることは狙う。エルドアン大統領が言ったのは、そのようなことだと解釈せざるをえない。そこには「トルコ人が支配する多民族共存帝国」のイデオロギーも見え隠れする。

 かつて19世紀にオスマン帝国は、南下政策をとるロシアと戦争を繰り返した。だが結局は最終的にオスマン帝国を崩壊させて中東を支配したのは、アラブ人を焚きつけたイギリスやフランスという西欧諸国であった。

 アサド政権下のシリアでは、トルコの影響下の勢力と、ロシアに支援されたアサド政権軍が、対立していた。アサド政権が崩壊した今、シリアを自国の勢力圏に置くかのような勢いのトルコは、クルド人勢力を目の敵にしている。それを知りながらクルド人勢力を支援しているのはアメリカであり、そこにシリア領ゴラン高原を占領してしまったイスラエルが連携を目論む。そこでトルコとロシアは、慎重に正面衝突を避ける微妙な距離感をとっている。

 アサド政権崩壊までは、あたかも共闘関係にあるかのように見えたトルコとアメリカ・イスラエルは、今は厳しくにらみ合っている。エルドアン大統領は、オスマン帝国の二の舞にならないように、現地代理勢力を焚きつける米国・イスラエルの動きを警戒している。イスラエルは、イランを最も主要な敵としてアサド政権崩壊に協力しながら、今はオスマン帝国の復活を夢見るかのようなトルコの動きを警戒している。アメリカは、イスラエルを守る立場から、代理勢力としてのクルド人の支援に熱を入れている。この状況で、欧米諸国と対立しているロシアは、トルコとは対立したくない。

 もし歴史が繰り返されるのであれば、外国勢力を排して、土着の政体を打ち立てようとするアラブ人たちは、やがて部族・宗派対立を展開させる。あるいは外国勢力に焚きつけられて、望まない内部対立の負の連鎖に引き込まれる。

このシナリオを避けるには、外国勢力の利益調整も見据えたシリア国内諸勢力の利益調整が必要である。ただし、残念ながら、それは簡単なことではない。

結局のところ、「第二のオスマン帝国」も「第二のサイクス=ピコ協定」も、もちろん上手くいかないだろう。しかしいたずらに外国勢力を排する主張を声高に唱え続けてみたところで、諸国が介入してくる厳しい現実は進展していく。

シリアは、ユーラシア大陸が地中海世界と交わってから、アフリカや紅海・インド洋地域へと抜けていく回廊の中枢を占める要衝にある。砂漠又は海を通るのでなければ、シリアを無視して大陸を抜けていくことは著しく困難だ。

シリアの複雑方程式を解いていくには、時間が必要だ。

 

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一週間ほど前に、「エチオピア/ソマリアの調停で存在感を見せるトルコ」と題した記事を書いた。https://agora-web.jp/archives/241212170611.html そのときの「アンカラ合意」の早速の効果として、エチオピアのソマリアからの撤退が白紙に戻ったことが、決まった。

エチオピアが未承認国家ソマリランドと合意を結んだのは、今年の1月だった。その合意によれば、ソマリランドがエチオピアに海へのアクセス(エチオピアの軍港)を保障する代わりに、エチオピアはソマリランドの国家承認を検討することになっていた。これに対して、エチオピアはソマリアの主権を侵害していると主張し、ソマリア連邦政府が激しく反発した。合意を撤回しなければ、アフリカ連合の平和活動ミッションでソマリアに展開しているエチオピア軍の撤退を要請する、と主張した。

これを受けて従来からナイル川のダム問題でエチオピアと厳しく対立しているエジプトが、ソマリアに近づいた。エチオピアが撤退した後は、エジプト軍が展開して、来年1月からのアフリカ連合ミッションAUSSOMに参加する、と宣言した。

この事態の展開を見て、メディア(もちろん日本のメディアではそもそも何も報じられていないが)は、エチオピア軍の撤退と、エジプト軍の展開を、ほとんど決まったことであるように扱った。

ただ、私が11月の現地調査などをへてソマリア人やエチオピア人に聞き取り調査をした限りでは、「まだ何も決まっていない」という意見が大勢を占めていた。というのは「エチオピアの代わりをエジプトが務められるはずはない」と誰しもが思っていたからだ。エチオピアは2006年にソマリアに単独軍事介入してから、20年近くにわたってソマリアに展開し続けて、テロ組織アルシャバブと戦い続けている。突然エジプトがソマリアに来ても、その代役を務められるはずはない、ということであった。また、エチオピアも、ソマリア情勢の行方に重大な関心を持っているので、容易にはソマリアと縁を切れない、ということであった。

この「体感」をふまえて、エチオピアとソマリアの間の調停役になったのが、地中海の権益に強い関心を持ち、その延長線上で紅海沿岸からアフリカの角にかけても権益を見出すトルコであった。

「アンカラ合意」の内容を見ると、エチオピアはソマリアの領土的一体性を尊重し、ソマリアはエチオピアの海へのアクセスを保障する、という両者の言い分をそのまま取り入れたものになっている。現在のATMISAUSSOMという名称の新しい国際平和ミッションに衣替えになる11日の期限をにらんで、とりあえず両国が衝突を避けて現状を維持するために大枠の合意をするための時間が残り少なくなったところで、タイミングよくトルコが調停に入った。

特に奇抜なアイディアを出したわけではない。両国に対して比較的中立的だが、地域に強い関心は持っているトルコという国が、タイミングを見極めて、調停を行っただけだ。調停において重要なのは、タイミング、そして仲介者の性格である、という「紛争解決論」の洞察を再確認するような出来事であった。

「アンカラ合意」の効果として、ソマリアにおけるエチオピア軍の残留が決まったことで、急激なアルシャバブの勢力拡大といったシナリオの可能性は減退した。火種は残ったままなので、長期的な安定が確保されたとまでは言えない。しかしシリアの政変で影響力を高めたトルコが、アフリカでも影響力を高める流れをアフリカ諸国も(警戒心を持ちながらも)歓迎していることが、強く印象付けられた。

アルシャバブはイエメンのフーシー派と密輸を通じた関係を持っていると指摘される。言うまでもなく、フーシー派の後ろ盾は、シリアのアサド政権の崩壊で痛手を負ったイランである。アサド政権下のシリアで、イランは、トルコと敵対的な関係の構図にあった。

シリアでアサド政権を見限ったロシアにとって、リビア東部のハフタル将軍のLNAとの関係が重要になった。もともとシリアを経由しなくても、地中海を縦断してリビアに到達できれば、他のアフリカ諸国との間の陸上輸送路が確保される。問題は、LNAとリビア首都トリポリを実効支配するGNA暫定政権との勢力関係だ。GNAの最大の後ろ盾は、トルコである。

ロシアとイランは歴史的な蜜月関係を維持しているとして、そこにトルコが各地で対立的な構図を伴って関わってくる。しかしそれは全面的な対立ではない。ロシアの欧米諸国との対立、そしてイランのイスラエルとの対立のほうが、より本質的である。そしてトルコのエルドアン大統領は、NATO構成国でありながら欧米諸国に批判的なコメントを繰り返し、イスラエルを非難する立場を取り続けている。この情勢の中で、アラブ諸国は、曖昧な立ち位置をとっている。エジプトをはじめとするアブラハム合意派のアラブ諸国は、イランやトルコよりは、イスラエルにまだ近いかもしれない。しかしガザ情勢をふまえれば、容易にはイスラエルに近づきすぎることはできない。シリア領内で確固たる存在感を持つクルド人の親米的であるがゆえにイスラエルにも近い立ち位置は、微妙な要素である。

中東から東アフリカにかけて(これを「紅海沿岸地域」として括る概念構成もある)、地域情勢は複雑化している。確実に言えるのは、単純な二元的な対立構造ではないことだ。

日本人は、冷戦ボケでもしているかのように、「米中対立」あるいは「欧米諸国対グローバルサウス」といった単純な二項対立の図式で、国際情勢を理解しようとしてしまいがちである。だが、たとえばトルコの存在感の高まりを見るだけでも、そのような二項対立論で情勢を読み取ることが不可能な地域は、世界に多々あることがわかる。

 

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シリアのアサド政権が崩壊してから、情報が混乱している。シリアの知識が浅い方々が奇妙なことを言っているから、ではない。長年シリアに関わってきた方々が、「アサド派の〇〇を糾弾せよ」の日本国内の特定人物の誹謗中傷ばかりに熱を入れているからだ。

もちろん事態は依然として流動的である。確定的な未来を予測するのは難しい。だがそれだけに、注意しておくべき点に注意を払う姿勢は、失うべきではない。

1. 政権の内実: 当然の話だが、新政権の内実には、必ずしも明らかではないところがある。巷では、HTS(タハリール・アル=シャーム)中心の勢力が、どれくらい旧政権関係者に復讐をするのか、少数民族集団などをどう扱っていくのかが、大きな焦点になっている。HTSがアルカイダか否か、といった物語をめぐって人格攻撃にも至る口論が起こっているが、すでに以前の記事で述べたとおり、そのことを字面通り受け止めて論争することには、あまり実質的な意味はない。HTSがイスラム主義のイデオロギーを持っていることに疑いはないが、アサド政権崩壊の過程で、各外国勢力と通じていた実利的な面も見せている。旧アサド政権の関係者で、新政権と協力している者もいる。行政機構の職員は、温存される方針だ。それが何を意味するのかは、まだ見えてきていない。

2. HTSSNAの関係: ダマスカスをめぐる動きで一番大きな焦点となるのは、アサド政権崩壊まで連携したHTSSNA(シリア国民軍)が共闘し続けられるのか、だろう。アサド政権に対抗し続けた諸集団の中で、際立った勢力を誇る。二つともトルコの支援を受けているが、より緊密にトルコとつながっているのは、SNAのほうだ。クルド系住民居住地区の取り扱いやイスラエルとの関係などの争点をめぐって、両者の違いが鮮明になる可能性はある。

3. 少数派集団の動向: イスラム主義の傾向を強く持つ新政権が、少数者集団をどう扱うかが、注目されている。宗派的には、アサド前大統領の出身母体であるアラウィー派の人々は、新政権の治安関係の部署からは排除されることが布告された。他の政府機関からも排斥される可能性も高いだろう。キリスト教徒に対する差別的行動の現象も目撃されている。今後の情勢を見極めるために特に重要なのは、ドゥルーズ派の人々の動向だ。今回のアサド政権崩壊をけん引した諸勢力の中で、南部で蜂起したのは、「南部作戦室(Southern Operations Room: SOR)という共同戦線だが、SORを攻勢している諸勢力の中には、南部に住民が多数住むドゥルーズ派の人々などが含まれている。この系統の人々は、アサド政権崩壊までは共闘したとして、今後もHTSSNAと協力していくのかどうかは、わからない。シリア領ゴラン高原をイスラエル軍が占領したのに反応して、対象地のドゥルーズ派の住民が、ダマスカスの新政権の支配よりも、イスラエルの統治を望む、と主張している村落の集会の動画なども出回っている。

4. 国家体制をめぐる対立: 新政権の政策の内容が不透明であることは、言うまでもない。新政権は、憲法の停止を宣言したうえで、新たな憲法を作るとしているが、具体的な内容の取りまとめには難航も予想される。中東の世俗国家としてのアイデンティティを持っていたシリアがイスラム主義へと舵を切っていくと思われるが、どの程度、どのように、そうなるのかは、未知数だ。憲法の内容によって、内政面だけでなく、周辺国との関係にも、影響が出てくるだろう。

5. クルドの動向: シリアの領土の3割といった面積を支配しているのは、北東部を拠点にするクルド系のSDF(シリア防衛軍)だ。このまま独立でなくても、大幅な自治権を確立したいはずである。すでにアサド政権崩壊時から、トルコに支援されたSNAが、そのクルドの動きを封じこめる動きに出ている。北部におけるSDFSNAの武力衝突は、とりあえずの停戦状態に至った。アメリカが調停したと言われる。東部に自国の基地と、その周辺の特別区域を維持するアメリカは、SDFと緊密な関係にある。現在はそれだけに、SDFにダマスカスの新政権と良好な関係を構築してほしいと、アメリカは願っているようである。だがそれは簡単なことではない。

6. ロシア基地の帰趨: ロシアは地中海沿岸部に、ラタキアのフメイミム空軍基地とタルトゥースの海軍基地を持っている。すでにこれらの基地から、航空機・船舶と人員を移動させている動きを見せていることは報告されている。だがこれはまだ、とりあえずは一時的な避難の域を出ていない。ロシアとシリア国家の間には、基地使用に関する協定があるため、新政権が協定破棄の明示的な動きを取らない限り、むしろ維持されるのが基本だ。ロシアは、HTSがアレッポを11月末に陥落させた後、空爆を行った。しかしその後のダマスカスまでの12月の南進に際しては、手を出さなかった。アサド政権を見限って「損切り」をした動きであったと言える。HTS側も、地中海沿岸に軍事的侵攻をする目立った動きを見せていない。ロシアの核心的利益は、アサド政権擁護ではなく、基地の維持である。そのための「損切り」であったことは、新政権側にも伝わっているだろう。「損切り」の着地点はまだ見定まっていないが、必ずしも単純ではないものになるだろう。

7. トルコの野心: オスマン帝国の復活を夢見ていると描写されることが多いトルコのエルドアン大統領は、アサド政権の崩壊で、最もその存在感の大きさを見せつけた人物だ。新政権の勢力に一番大きな影響力を行使できるのは、疑いなくトルコである。そのトルコのカルン情報局長官は、1212日にいち早くダマスカスを訪問し、その影響力を強くアピールした。注目すべきは、トルコのフィダン外相が、アサド政権崩壊前の128日のドーハフォーラムの際に、ロシアとイランの外相と、三者会議を行って見せていたことだ。当時ロシアはトルコに怒っているのではないか、という見方があったにもかかわらず、フィダン外相は三者の中央に座り、むしろ会合を主導していることを示した。ロシアとイランが、新政権との対立を避けるのであれば、トルコを仲介者にするしかない。トルコも、そのように外交力を発揮することに関心があるだろう。しかしトルコの影響力は、シリア国内の複雑な諸勢力のせめぎあいの中では、両義的な意味がある。トルコがどれくらい突出し、それにシリア人がどのように反応するかは、地域諸国との関係を見た際の最大の焦点になる。

8. イラン「抵抗の枢軸」の反応: アサド政権は、イランがレバノンのヒズボラに支援を提供する際の重要な中継点を提供していたとされる。イランにとっては、アサド政権の崩壊は、「抵抗の枢軸」の結束に大きなひびを入れる重大事件である。恐らくアサド政権の崩壊で、最も明快に政治的損失を受けたのは、イランであろう。2003年のアメリカの侵攻でサダム・フセイン体制が倒れた後のイラクが、少数派のスンニ派支配が終焉して多数派のシーア派が政権を担当する国に変化していったのとちょうど反対に、シリアでは少数派のアラウィー派の支配が終焉し、スンニ派の支配が始まる。イランにとっては付け入る余地がない。今は、両国の間にあるイラクの防衛に専心する姿勢を垣間見せている。これによってさらに大きな損益を被るのが、地中海沿岸に位置しながらイランの支援を受けてきたヒズボラやハマスだ。イランは、このまま「抵抗の枢軸」の縮小を図り、パレスチナ問題との連携を弱める路線に舵を切るのか。鍵となるのは、イランのトルコとの関係だろう。

9. イスラエルの目論見: イスラエルは、アサド政権崩壊とほぼ同時に、非武装地帯として設定されている緩衝地帯に、軍事侵攻を始めた。イスラエルとシリアの引き離しを狙って、シリア領であるにもかかわらず、非武装の緩衝地帯として設定されていた地域だ。明白な合意違反だが、イスラエルはゴラン高原全域を占領し続けるだろう。ゴラン高原の完全制圧で、シリアとレバノンの両国の勢力に対して、イスラエル軍は、顕著な優位を確立できるからだ。さらにイスラエルは、旧アサド政権軍の軍事能力を消滅させるための空爆を数日にわたって継続し続けている。今や旧政権の航空兵力などは、完全に無力化された状態だと推察される。こうしたイスラエルの行動を、HTSは問題視する素振りすら見せていない。アサド政権崩壊まで、政権軍に執拗な空爆を繰り返して、HTSなどの勢力の進軍を側面支援していたのは、イスラエルだ。側面支援に対する対価に等しいという共通理解があることがうかがわれる。イスラエルの夢は、国境付近のドゥルーズ系住民などと結び、砂漠を越えてアメリカ軍が基地を持つタンフ(at Tanf)を通って、親米勢力クルド住居地区とを結ぶ「回廊」を作り上げることだ。これによってイランの「抵抗の枢軸」勢力の動きを、物理的に封じ込めることが容易になる。ただし、このイスラエルの目論見の前に、トルコが立ちはだかる。クルド系勢力の拡大を阻止したいからだ。

10.             アメリカの自重: シリア情勢の急速な展開において、アメリカは存在感を見せていない。もちろん目に見えないところで暗躍しているとは思われるが、タンフに軍事基地を置いているにしては、目立っていない。この背景には、バイデン大統領が任期を一カ月残すだけのレイムダック状態にあることが、大きいだろう。トランプ次期大統領は、「シリアに介入してはいけない」とバイデン政権をけん制するようなポストをSNSに投稿した。すでに新政権の人事案も決まり始めているだけに、このトランプ氏の姿勢は、大きな効果を持っているだろう。アメリカの不介入主義の姿勢は、イスラエルやアラブ諸国の意向や動向に左右される要素もあると思われるが、基調路線に変更はないだろう。ただトランプ氏は、中東和平に意欲を持っている。トルコやロシアは、トランプ氏がやはり重大な関心を持つウクライナ情勢と深く関わる勢力だ。もともとアサド政権の弱体化の主要要因は、アメリカが主導する国際的な制裁体制で、経済が悪化したことにある。トランプ氏は、いずれにせよ、シリアに対する制裁を解除するかどうかの判断を迫られる。仮にトランプ氏が不介入主義を貫くとしても、制裁をめぐる政策などについて、アメリカの姿勢は、全く無関係ではない。

 

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 今年1月のエチオピアとソマリランドの間の協定成立以降、深刻な対立を見せていたエチオピアとソマリア連邦政府が、交渉を通じた解決を目指す合意を成立させた。来年2月からさらに具体的な協議を両国間で行っていくという。トルコによる調停の結果だ。合意成立は、調停者エルドアン大統領の姿とともに、アンカラで発表された。

 折しもシリアでトルコが支援してきた勢力が、アサド政権を倒して首都ダマスカスを制圧したばかりのところである。中東から東アフリカにかけて、トルコの存在感が一気に高まった印象である。

 これは偶然ではない。トルコは、エチオピアとソマリアの間の調停に意欲を見せて、何カ月も前から取り組んできていた。トルコは、ソマリランドと一定の良好な関係を持ちながら、ソマリアの領土の一体性の維持を支持する立ち位置を取っている。従来からリビアのような地中海沿岸のアフリカの国に深く関与してきているが、近年は紅海沿岸にも権益を広げる動きを見せてきていた。今回の調停の成功で、トルコの地中海から紅海にかけての地域における存在感はさらに増大した。ジブチに基地を持ち、「自由で開かれたインド太平洋」を掲げる日本にとっても、いよいよトルコの影響力が、自国の関心対象地域に及んできたということになる。

 私は11月にソマリアで聞き取り調査を行ったが、ソマリア連邦政府関係者やエチオピア政府関係者は、相互に譲歩はできないものの、両国の関係改善の道は残されているニュアンスをずっと醸し出していた。まずもってソマリアにおけるエチオピアの存在が大きい。エチオピアがソマリアから撤退した場合、アルシャバブ掃討作戦にも大きな影響が及ぶことが懸念されていた。

 今回の合意では、エチオピアがソマリアの領土的一体性の保全を侵害しないことを約束する代わりに、ソマリア連邦政府がエチオピアの海洋へのアクセスの確保について保証をすることが謳われた。両国が核心的利益で妥協をしない形をとりながら、歩み寄った形だ。

 エチオピアとソマリアの関係悪化とその余波については、私は何度か書いてきた。

https://agora-web.jp/archives/241013114809.html

https://agora-web.jp/archives/241127124757.html 

 とりあえず最悪の事態が回避されたことは、歓迎してよいだろう。ただし今後、ソマリランドがどのような反応を見せるのか、ソマリア駐留のアフリカ連合ミッションへの影響はどうなるのか、エジプトはどのような姿勢をとるのか、などは、引き続き注意を払っていかなければならない点だ。

 

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シリアのアサド(前)大統領がロシアに逃亡し、HTS(ハヤト・タハリール・シャム)が首都ダマスカスを制圧し、HTSの最高指導者であるジャウラニ氏が実権を握る体制が作られた。ただシリア国内の状況は、依然として不透明だ。

日本のSNSでは、〇〇はアサド信奉者だ、〇〇もアサドを完全否定すると宣言していないように見えるので怪しい、といった類の言説が流行している。

アサド政権の苛烈な抑圧は広く知られており、よほどのことがないとその蛮行を擁護する人物などはいない。しかし、それだけに「実は〇〇はアサドを擁護している!」と犬笛を吹かれると、大変である。アサド政権の後ろ盾がロシアであり、ロシアのシリアにおける苛烈な空爆も多大な惨禍をもたらしたことは疑いのない事実であるため、ロシア・ウクライナ戦争の文脈で行われている「隠れ親露派狩り」が、そのままシリアを題材にして繰り返されている流れも見てとれる。

ただ、アサド政権の蛮行は、シリアの政治体制が置かれている状況から生まれたことだ。ある特定の人物の性格だけによって生まれたこととも言えない。問題は長期に渡って続いていく。その点は、見失わないようにしておきたい。
 
バッシャール・アル=アサド氏は、独裁者の次男として生まれたが、世継ぎは長男と決まっていたので、イギリスで眼科医として暮らしていた。当時の同僚は、真面目で平凡な眼科医であったと証言している。転機は、長男バースィル氏が突然の事故で急逝したことだった。独裁者の父親の跡継ぎに指名され、急遽シリアに戻ったのが、1994年のことだ。バッシャール氏は、当時28歳であった。

私がロンドンで博士課程の学生をしている時期と、バッシャール・アル=アサド氏がロンドンで平凡な眼科医として勤務していた時代は重なっている。私は、バッシャール氏のニュースをロンドンで見たときのことをよく覚えている。バッシャール氏は、私の3歳年上で年齢が近い。そのため、彼がロンドンに少し先に留学に来ていて、そのままイギリスに残ってしまった、という経歴を持つ人物であったことが、印象に残った。そのような平凡ながら眼科医としての資格をイギリスで獲得した人物が、独裁者の息子であるという理由で本国に呼び戻されるという話に、なんとも言えない気持ちを覚えた。

私は最初にロンドンに来た時に学生寮に住んでいたが、生活費を節約するため相部屋にいた。その部屋のパートナーは、工学でインペリアル・カレッジ(理系ではケンブリッジとイギリスでトップを争う大学)の博士号を取得したイラク人だった。彼は学位を取得してもなお、周囲の助言もあり、研究生の地位などをつないでロンドンに居残り続けていた。当時、イラクのクウェート侵攻・湾岸戦争から、3年が経つ時期であった。イラクには、いつ解除されるかもわからない安全保障理事会の強制措置の権限を伴う苛烈な制裁が科せられ続けていた(当時の対イラク制裁は、あまりにも深刻な人道的な惨禍をイラクの一般国民に招きすぎたという理由で、今日では制裁の失敗例の一つとしてあげられるのが普通である)。

しかし彼はイラク政府の奨学金で送り込まれた人物である。政府中枢のプロジェクトに貢献しなければならない。サダム・フセイン政権が、彼のイギリスへの亡命などを許すはずはなかった。彼本人も、イギリスに残り続けることができたらそれに越したことはないが、そんなことはできない、と呟いていた。何度もイラク政府から通知を受け、遂に脅迫めいた最後通牒を受けるに至り、決意を定めてイラクに帰国した。その後、私は彼とは連絡がとれなくなっている。

当時の私の頭の中では、バッシャール氏緊急帰国のニュースは、このイラク人のルームメイトの姿を思い出させるものがあった。シリアの独裁者の跡継ぎがロンドンで眼科医をしていた!というニュースは、当時のイギリスで大きく報道された。その当時のバッシャール氏の姿は、20代のロンドン生活に満足していた普通の青年のものであるように見えた。バッシャール氏は温和な性格である、とシリアでもイギリスでも報道されていた。独裁者の器ではない、という話だった。

だがそこで人々が参照したのが映画『ゴッド・ファーザー』だ。穏健で知的な次男が、気性が荒い長男の死に直面して、マフィアの首領である父の跡継ぎになっていくストーリーだ。果たしてバッシャール氏も、『ゴッド・ファーザー』で次男役を演じたアル・パチーノのように、やがて独裁者として豹変していくのか、という視点が、話題であった。

その後、2000年に35歳で大統領に就任したバッシャール氏は、映画を凌駕して、世界有数の苛烈な独裁者となっていく。特に2011年の「アラブの春」に伴う騒乱が、凄惨な戦争へと転換していく過程において、彼の配下で動いたシリア軍・警察などによって殺害された人々の数は、何十万人なのかわからない。シリア政府機関がさらに悪名高いのは、少しでも反政府的な態度を示す者がいれば、瞬く間に拘束して、苛烈な拷問を繰り返すことだ。その犠牲になった方々に対して持つ罪の重さは、計り知れないものである。

私は、シリア人の大学院生を何人か指導したことがある。日本の大学に来るのは日本政府の国策でレバノンやトルコの難民から選抜された者である。彼らにとって「アサド」と言えば、筆舌に尽くしがたい蛮行そのもののことであり、激しい憎悪の対象である。世間で「アサド派」として知られている私の大学の同僚教授にも、絶対に近づかない。

ただ私は、ダマスカス大学を出て留学してきた女性を指導したこともある。彼女も、アサド政権を擁護したりはしない。しかし家族がダマスカスに暮らしている。行動や言動は、自ずと難民の留学生とは少し異なる。

国連機関のシリア事務所で勤務していた経験を持つ知り合いも複数いる。日本政府が、「モスクワ派」「イスタンブール派」などの各勢力の人々を数人ずつ選んだうえで日本に連れてくる「研修」の講師を務めたこともある。

そうした経験をへて、いま改めて思うのは、シリアの特異な政治システムは、バッシャール氏の父であるハーフィズ・アル=アサド氏の時代に作られた「バアス党」独裁のシステムである、ということだ。

ハーフィズ氏も、軍人であったが、バアス党の穏健派と目されるグループのリーダーであった。その彼は、バアス党の権力闘争を勝ち抜いているうちに、自らに権力を集中させる術を発揮し、世界有数の独裁システムを作り上げた人物であった。

私は、アサド親子を信奉していないし、彼らの蛮行を擁護する気持ちも微塵もない。ただ、同時に、アサド親子を徹底的に悪魔化し、全てはアサド親子という悪魔がやったことである、といったかのように考える姿勢に、いわば「悪魔の蛮行」理論を振りかざすような風潮に、疑問を持っていることも確かである。シリアの独裁システムは、単に悪魔が現れて蛮行を繰り返した、ということだけでは説明できない鋼のような強さを持っていた。

今回の政変で、アサド王朝は終焉した。しかしアサド独裁システムが終焉したかどうかは、わからない。HTSと戦わずして「権力の平和移行」を唱えている旧政権の高官の中には、蛮行をより直接的に指揮していた者も含まれている。なんといっても独裁体制が長期にわたって続きすぎた。他の政治文化が開花しうるかは、わからない。

HTSはアルカイダかどうか」をめぐって日本のSNSで罵倒の言葉が飛び交っているが、すでに書いたことだが、この問いを文字通り受け止めることには、あまり意味がない。https://agora-web.jp/archives/241207111421.html 

HTSはアルカイダのような組織文化を持っているか」、という問いも、ほとんど比喩である。「HTSはシリアの政治文化を刷新するような組織文化を持っているか」、という問いが、本質であろう。

加えて、実は、HTSはダマスカスを制圧したとはいえ、シリア領土の半分も支配していない。反アサド政権では共闘したが、よりトルコに近いSNAとは一枚岩ではない。クルド系のSDFは国土の3分の1以上を支配しているようであり、これを嫌うSNAと武力衝突を起こしている。

さらにトルコ、アメリカ、イスラエルが、アサド政権崩壊後も、シリア各地で空爆を繰り返している。イスラエルはゴラン高原に侵攻を始めたが、アメリカはもともと自国の基地周辺を占領地のように囲っている。トルコも国境付近のシリア北部で特別な影響力を行使できる立場にある。ロシアが軍事基地を放棄するかも未定だ。

アサドは悪魔、悪魔が全ての現況、したがって悪魔を追放すれば問題は解決する、あとは同じように唱えない者も悪魔の仲間として追放するだけ、といった話で、全てを解決できるような単純な状況ではない。

シリア情勢は複雑だ。複雑すぎると世間に注目してもらえない、というのも、その通りだろう。しかし、だからといって、いたずらに話を単純化させることが、いつも正しいとは限らない。
 私が知るシリア人は皆、穏健で知的な方々ばかりだ。だが皆、心の中に何か悲しみと、不安を抱えている。彼らが、ゆっくりと、時間をかけて、その特性を生かした能力を発揮していく環境が整い始めるまで、性急な結論を出すことはできない。

 

「篠田英朗 国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月二回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。https://nicochannel.jp/shinodahideaki/

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