「平和構築」を専門にする国際関係学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

2025年01月

 コンゴ民主共和国東部が荒れている。反政府勢力「M23」が同国東部の主要都市であるゴマを制圧し、さらに南進して支配地を広げている。この攻勢で、国連PKOSADC(南部アフリカ経済共同体)が派遣している平和維持部隊の兵士13名が殉職した。

 このアフリカ中部「大湖地域」では、政争と戦争が続いている。脱植民地化によってアフリカ諸国が独立して以来、安定が確立されたことはない地域だと言っても過言ではないだろう。特に激しく揺れ動いたのが、独裁政権が不穏分子を抑え込んでいた冷戦時代の流れが、冷戦終焉後に溶解してからだ。その結果の一つが、1994年のルワンダのジェノサイドであった。80万人から100万人の人々が虐殺されたとされる。ジェノサイドの混乱の最中にルワンダで権力を握ったのが、虐殺される側であった「ツチ」系の勢力を代表するRPF(ルワンダ愛国戦線)のポール・カガメ氏である。それ以来、カガメ氏は30年以上にわたってルワンダの最高権力者であり続けている。ルワンダは安定し、開発援助業界では絶賛されるような奇跡的な経済成長を見せる代わりに、戦争は現在のコンゴ民主共和国に「輸出」された。1990年代後半以降、コンゴ民主共和国側での紛争関連の死者数は、少なくとも600万人以上とされる。

 ジェノサイドを行った旧政権側の勢力は、周辺国に難民となって流出した。当時のザイール(現在のコンゴ民主共和国)には100万人以上の難民が流入した。ザイールの独裁者モブツ大統領を頼った旧政権勢力は、難民キャンプで勢力を立て直し、ルワンダに攻め込む準備を始めているとされた。これを警戒したルワンダは、ザイールに攻め込んで難民キャンプを殲滅した。さらには反政府勢力を支援し、ザイールの首都キンシャササまで攻め上らせ、モブツ政権を崩壊させた。ところが、これによってコンゴ民主共和国の大統領となった反政府勢力主導者のカビラ氏が、ルワンダの介入を嫌うようになったので、ルワンダはさらに新たな反政府勢力を支援するようになる。

 コンゴ民主共和国では、ルワンダを構成する民族集団であるツチとフツの系統の人々が存在している。ルワンダは、繰り返し、ツチ系の人々が迫害されていると主張し、反政府勢力を支援して介入する理由としてきた。そのようなルワンダが支援する集団の代表が、「M23」である。現在、コンゴ民主共和国東部で政府軍や国連PKO部隊やSADC部隊を蹴散らして進軍している「M23」の勢力の中には、ルワンダ軍兵士も含まれていると広範に信じられている。

 カガメ大統領は、1994年のルワンダにおけるジェノサイドは、国際社会がルワンダを見捨てたために起こった、と主張してきている。そのうえでジェノサイドの公式名称を「ツチに対するジェノサイド」と定め、犠牲者がツチで、加害者がフツであったことを強調する政策をとっている。実際にはフツ系の人々が多数殺されたし、RPFが行った戦争犯罪行為も多々指摘されているが、ルワンダ国内にいる限り「ジェノサイド」を「ツチに対するジェノサイド」と表現しないと、当局に連行される恐れにさらされることになる。

 カガメ大統領は、この「国際社会が見捨てた」という物語を、ありとあらゆる場面で強調し、ルワンダに対する国際支援の確保などにも努めてきた。アメリカのビル・クリントン大統領は、ルワンダを公式訪問した際に、安全保障理事会においてジェノサイドの認定を怠った自国の外交に問題があったことを認めて、謝罪の意を表明したことがある。そしてカガメのルワンダと、アメリカは、蜜月関係を維持してきている。アメリカにとって、カガメ政権下でフランス語圏諸国から脱皮して英語圏国になったかのようなルワンダは、アフリカにおける貴重なパートナーとしての性格を持つ国である。今回の騒乱にあたっても、アメリカのルビオ国務長官は、いち早くカガメ大統領と電話会談を行っている。

 このカガメ大統領が用いる外交姿勢は、イスラエルがいまだに「ホロコースト」の歴史を持ち出し、敵対勢力を十把一絡げに「反ユダヤ勢力」と呼び、それを通じてアメリカを常に味方につけようする姿勢と、相通じるものがある。

 コンゴ民主共和国の長年にわたる騒乱は、実際の武力紛争の現状及び歴史としてルワンダとつながっているが、政治的・外交的「論理」としても、ルワンダのジェノサイドとつながっているのが、大きな特徴の一つである。

 ルワンダの軍事介入については、コンゴ領内の天然資源が目的だ、と総括する方々が多い。ルワンダの経済成長を支えている要素の一つが、コンゴから収奪している天然資源だと指摘する者もいる。実際に、国連の報告書類で、ルワンダがコンゴ領内の天然資源を収奪していることが、豊富な資料とともに、何度も語られてきている。これらの指摘は、相当程度に正しいはずである。 

広島に投下された原爆の製造に使われたウランがコンゴ産であったことは有名だが、それ以降も、独立時のコンゴ動乱から現在に至るまで、コンゴ東部地域の豊富な天然資源が、事態を複雑化させていることは間違いない。

 だが結果として天然資源を収奪していることをもって、軍事介入の唯一の目的は天然資源の収奪だ、と断言できるかは、疑問である。ルワンダに、安全保障上の考慮があること自体は、必ずしも嘘ではないだろう。もちろん過剰な対応をとっている疑いが強いことも指摘すべきである。ただ、カガメ大統領は、コンゴ領内でツチ系の人々が迫害されていることが、「M23」の行動の背景にある、という主張を、EAC(東アフリカ共同体)の会議などで、悪びれることなく声高に繰り返している。国際社会は、一致団結しているようにも見えるが、実際にはフランスが主導する国連PKOは撤退寸前の状態であり、準地域機構のSADCもコンゴ民主共和国にこれ以上の介入をする準備はない。

 ルワンダの背景にアメリカなどの大国が存在している、とみる首都キンシャササの人々が、各国大使館を襲う事件も起こってきているが、襲われているのは、アメリカ、ウガンダ、ケニアと、(この地域で伝統的には影響力を持ってきたフランス以外には)英語圏諸国である。民衆の間に、こうした英語圏諸国の「陰謀論」が浸透していることが、うかがえる。

 コンゴ民主共和国は、2024年の統計で、人口11千万人を擁し、世界15位の人口規模を誇る。面積は世界11位だ。それにもかかわらずGDP85位程度にとどまっているが、豊富な天然資源があり、重要性は高いアフリカの国の一つである。ルワンダは、人口1400万人程度で、GDP142位につける有力国になってきた。なんといってもアフリカ有数の能力を持つ軍事強国としての地位を固めている。大湖地域情勢の今後の事態の推移を見守る必要がある。

 

「篠田英朗 国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月二回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。https://nicochannel.jp/shinodahideaki/ 

 トランプ政権の新国務長官のマルコ・ルビオ氏が、国務省管轄の対外援助予算の執行を90日間停止する措置を導入した。トランプ大統領にならって、就任早々に「アメリカ・ファースト」の抜本的な改革を導入するための措置である。

 例外は、イスラエル・エジプト向け援助と、緊急食糧援助のみである。ウクライナが例外扱いされなかったことが、とりあえずメディアで注目されている。そこでゼレンスキー大統領が「ロシアがアメリカを操っている」といった話をしている動画を投稿したことも話題だ。

しかしイスラエル関連援助の例外の設定が極めて特別な措置だ。ウクライナはそれと同じレベルで特別ではないだけだ。アメリカが行っているのは、基本的には、全世界一律の援助停止措置である。もう少し大きな政策的視点による措置であることは明らかである。

 ルビオ国務長官が説明しているように、多国間協調主義の色彩が強かったバイデン政権時代のアメリカの対外援助の傾向を見直し、「アメリカ・ファースト」の方針にそった対外援助のやり方に変更していくための総合的な見直しをかける、という狙いが、90日間の対外援助停止措置の意図である。

 進行中の援助の停止を命じる方法は、決してほめられたものではない。現場で援助活動に従事している者たちには、大きな負担がかかる。ただ、政権が代わったところで対外援助の総合的な見直しをかける、という考え方自体は、決して破綻した話でもないだろう。見直しの成果をすぐに出そうとするので、急進的になっている。

 トランプ大統領は、就任初日に、WHO(世界保健機関)からアメリカを脱退させる大統領令に署名した。もっともその後に早くも見直しを示唆しており、脱退発効までの一年間を、拠出金引き下げなどの交渉に使う姿勢も見せている。

トランプ大統領は、第一期政権の際に、UNESCO(国連教育科学文化機関)からアメリカを脱退させたことがある(バイデン政権が復帰させた)。その理由は、UNESCOは親パレスチナ寄りだ、というものであった。アメリカ脱退後には、UNESCOにおける中国の影響力が高まった。

当然のこととして、巨額の資金を提供すればその組織(分野)での影響力は高まり、脱退すれば影響力はなくなる。そのため国際機関からの脱退措置をとることを辞さないトランプ大統領を、近視眼的な人物と描写する方もいる。国際機関における中国の影響力を高めるだけだ、というわけである。

だがアメリカ人に言わせれば、拠出している金額に見合わない影響力しか行使できない場合には、ダラダラと残存しても、合理的な見返りが期待できない、ということになるだろう。

一般論として、あらゆる支出について、効果の度合いを審査し、優先順位を決めてから、進めていかなければならないことは、当然である。アメリカも例外ではない。トランプ政権の特殊性ばかりに目が行く。しかし、なんでもかんでもあらゆるところでアメリカは金をたくさん払わなければならない、とは誰にも主張できないだろう。そうだとすれば、一部分野で、中国の影響力がアメリカの影響力よりも上となる事態が訪れるとしても、両国の経済規模が拮抗してきている以上、一般論としては、そういうこともあるだろう、とは考えなければならない。

さらに言えば、この問題の背景に、現代世界の国際協力の業界全体を覆う構造転換があることも考えておかなければならない。アメリカを中心とする伝統的な「先進国」あるいは国際協力に資金提供している「援助国」の資金力は、相対的に低下してきている、ということだ。

世界の総人口は増大し続けている。アメリカは伝統的なドナー国(国際協力に資金提供している国)の中では、かなり顕著に人口を維持している稀有な国だが(欧州・東アジアでは人口は減少し始めている)、それでも世界全体の人口増加のスピードに追い付いているわけではない。

世界経済は3%台で成長し続けている。これについても、アメリカは「先進国」あるいは伝統的な「援助国」の中では、健闘しているほうである。しかし世界経済全体の成長率を凌駕するほどのスピードでは、成長していない。アメリカGDPの世界全体のGDPのシェアは低下の一途をたどっており、この傾向は今後も続くと予想されている。

https://www.imf.org/external/datamapper/PPPSH@WEO/EU/CHN/USA 

https://www.statista.com/statistics/270267/united-states-share-of-global-gross-domestic-product-gdp/

人口においても、経済規模においても、全体におけるシェアを低下させている国々だけで、世界全体の問題に取り組む活動の資金を提供し続ける仕組みには、限界がある。そんな仕組みでは、どんどん苦しくなっていくことは、必然である。援助提供国の審査が厳しくなり、優先順位付けが厳しくなるとしても、それはやむをえないところがある。

繰り返し書いてきているが、トランプ大統領は急進的に見えるが、一貫性が欠けているとまでは言えない。対外支援の審査を厳しくする、という作業が、「アメリカを再び偉大にする」という目標にとって、必要不可欠な措置である、という考え方自体は、間違っているとは言えない。

なおこの話が、ゼロ成長が基調で、対GDP260%という債務を抱えながら、未曽有の人口減少・少子高齢化の時代に突入した日本にとって、さらに深刻なものであることは言うまでもない。トランプ大統領は知性が足りない、常識がない、と嘲笑して済む話ではないのである。

 

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 トランプ米国大統領は、就任直後に国内政策の転換を図る一連の大統領令を発した後、外交問題でも積極的な発言を繰り返している。これについて日本では、評価が分かれる以前に、理解が足りていないように見える。トランプ大統領が何を語っているのか、について、全く理解がなされていない。
 「・・・トランプ大統領は強気な政策をとる人だから、いずれロシアに怒り出し、アメリカ軍をロシア駆逐のために差し向けてくれるのではないか・・・、トランプ大統領は何をするかわらない人だから、バイデン政権期も上回る天文学的な額のウクライナ支援を打ち出してくれるのではないか・・・」、そうした一切の根拠のない、願望にもとづく単なる想像が、あまりに目につく。トランプ大統領の発言の断片から必死に「夢」を紡ぎ出そうとしている人々が、あまりに多すぎる。
 トランプ大統領が豹変してロシアを駆逐する、というのは、「夢」物語でしかない。「ウクライナは勝たなければならない」主義で、数多くの軍事評論家や国際政治学者の方々らが、統一的立場をとって、感情的な態度とってきてしまっていることが、影響してしまっているのだろう。
これに対し、非常に冷静にトランプ大統領に反応してるのは、むしろロシアのプーチン大統領であるように見える。
 プーチン大統領は、国内メディアに対して、もし2020年の米国大統領選挙で(トランプ氏が)「勝利を盗まれていなければウクライナ危機は起きなかっただろう」と述べた。これは「自分が大統領だったら、ロシアのウクライナ全面侵攻は起きなかった」と主張し続けているトランプ大統領を、ロシア側から支持する発言だ。 
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E6%B0%8F%E3%81%AA%E3%82%89%E4%BE%B5%E6%94%BB%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E6%94%B9%E3%82%81%E3%81%A6%E5%AF%BE%E8%A9%B1%E3%81%AB%E6%84%8F%E6%AC%B2/ar-AA1xOmmS?ocid=msedgdhp&pc=U531&cvid=e6bfb2e4bea14ef0957e07fc44852e69&ei=7 
 なぜ、トランプ大統領だったら危機が起きなかった、と言えるのか。プーチン大統領によれば、「ロシアはアメリカとの接触を一度も拒否したことはないが、アメリカのバイデン前政権が拒否していた」からである。つまり、プーチン大統領は、危機の原因は、バイデン政権に頑なな態度にあった、と言っている。プーチン大統領によれば、「われわれはウクライナ問題に関し、交渉の準備ができている」。
あわせてプーチン大統領は、アメリカによる追加制裁の可能性について、「彼(トランプ大統領)は賢く現実的な人物だ。アメリカ経済に損害を与えるような決定を下すとは考えられない」と、興味深い態度も示した。
 トランプ大統領の最大の特徴は、比類なき「交渉」好き、あるいは「取引(Deal)」好きであることだ。トランプ大統領の強気の発言等も、全てその観点から理解しなければならない。
 もっとも移民問題などは、交渉相手がいない議題だ。こうした交渉が成立しない領域では、トランプ大統領の言葉は、そのまま受け止めなければならない。
 しかしトランプ大統領が、自ら「交渉」相手と指名した相手に対して意図的に投げかけている言葉であれば、全て「交渉」の材料あるいは準備として、受け止めなければならない。プーチン大統領は、そのようにトランプ大統領の言葉を受け止め、冷静かつ的確に、お世辞まがいの事を言ったり、やり過ごしたりしている。
 プーチン大統領は、「自分が大統領だったら戦争は起こらなかった」という言葉をロシア側から支持してみせたうえで、「全ての責任をバイデン大統領に押し付けて、トランプ大統領とともに事態の収拾にあたりたい」、というシグナルを、トランプ大統領に送っている。
 同時に、プーチン大統領は、トランプ大統領の「ロシアが交渉に応じない場合には追加制裁として高関税を導入する」という言葉を、「交渉」を開始するための材料の提示の言葉、としてしか受け止めていない。そこで情緒的に反応することなく、落ち着いて、「当方は交渉する準備はあるので、貴殿がそのような威嚇を本当に現実化させる心配をする必要はない」、というシグナルをトランプ大統領に送り返している。
 就任初日に大量の大統領に署名をしたトランプ大統領だが、それまで頻繁に語っていた関税率の一方的な引き上げ、といった外交政策を、本当に導入しようとはしていない。トランプ大統領は、「交渉」あるいは「取引」の外交の話であれば、どんなに強硬な言葉を発しても、交渉をする前に、それらを全て実施することはない。
 ロシアは昨年半ばから、ロシア・ウクライナ戦争を、圧倒的に有利に進めている。支配地を着々と広げている。実際には、「交渉には応じるが、もう少し支配地を広げてしまってから交渉を進めたい」とは思っているだろう。トランプ大統領の誘いを、拒絶はしないが、時間稼ぎはしてから受け入れる、という態度である。
 戦争の終結をほとんど公約にしているトランプ大統領としては、ロシアの支配地が広がりきるのを何カ月も待っているわけにはいかない。威嚇の言葉を使っても早く交渉を開始したい。急かしたい、という立場である。
 したがってトランプ大統領とプーチン大統領の間には、駆け引きの要素がある。利益が完全に一致しているとまでは言えない。
 しかしそれは具体論のレベルでの駆け引きである。戦争を止めるための交渉それ自体はやがて開始され、段階的に進展していくだろう。
 残念ながら、これまでのウクライナのゼレンスキー大統領の発言には、自らの希望をあれやこれやと言い換えただけのようなものばかりが目に付く。「交渉」を前提にしたシグナルの相互発信といった要素が全く感じられない。残念だが、すでに「交渉」を前提にして、シグナルの送り合いをしている二人の大国指導者と比して、ゼレンスキー大統領は「役者が違う」次元に立ってしまっている。残念だが、この状況では、ウクライナが「交渉」を主導的に進めることは難しいだろう。
 トランプ大統領の目標は、ゼレンスキー大統領や日本の軍事評論家や国際政治学者の方々とは異なり、ロシアの駆逐ではない。トランプ大統領の目標は、戦争を止めることであり、それを「交渉」あるいは「取引」を通じて達成することである。
 したがって、トランプ大統領の強い言葉と、それとは区別される実際の行動は、全て、彼がどのような「交渉」を目指しているか、という点から、解釈して、評価しなければならない。
そのようにトランプ大統領に接しなければ、トランプ大統領が愛する「交渉人たちが交渉を繰り広げる世界」からは、除外される。かつてトランプ大統領は、アフガニスタンのタリバンや北朝鮮の金正恩を、いわば「交渉」世界の住人として認めた過去を持つ。その反面、バイデン前大統領については「交渉」を拒絶し続ける意固地な非交渉世界の人物と扱ってきている。
 恐らくは、トランプ大統領によって、「大国間の交渉」の時代が始める。もちろんそこには激しい駆け引きがあるだろう。「交渉」相手と認められない者にとっては、「大国間の交渉」の時代は、極めて不快なものしかないだろう。
 だが、いずれにせよ、トランプ大統領の登場によって、すでに新しい「大国間の交渉」の時代が始まっている。その現実は、まず認めなければならない。

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 遂にトランプ氏が米国大統領に返り咲き就任を果たした。強烈な個性と、三度の大統領選挙を戦い抜いて二度目の大統領就任を果たしたタフさは、常人では真似のできないものだ。
 私は仕事柄、海外出張が多い。過去数カ月、行く先々で異なる国籍の人々が、「トランプが大統領になったら我が国への影響は・・・」と口々に論じあっている様子に、何度も遭遇した。
 この事情の背景には、もちろん超大国アメリカの影響力がかかわっているだろう。しかし、トランプ大統領が前例にとらわれず極めて強い政策をとってくる人物であることが、広く知られていることが、大きい。
 トランプ大統領に対する見方は、好き嫌いで、二つに分かれることが多い。あるいはどちらにしても感情的な評価がなされがちである。私見では、それは非常に危険だ。
 トランプ大統領が特異な性格の持ち主であることは確かだと思われるが、自分自身でそれを計算に入れて行動し、結果を出してきている。ここまでの実績を見て、トランプ大統領の実力を疑うのは、無理だ。傑出した能力の持ち主であることを十二分に認めるところから、あらゆる種類のトランプ大統領との関係が始まるだろう。
 客観的に見て、8年前に最初に大統領に就任した際には、政治の世界に素人だと言われても仕方がない経験しか持っていなかった。すでに大統領職を4年間経験し、その後も次期大統領に最も近い人物としての立場を4年間経験した。8年前とは比較にならない政治的感覚を磨いている、と想定するのが当然かつ無難だ。
 何と言っても、8年間の間に、トランプ大統領の考えが、共和党員を始めとする部下・同僚に、深く浸透した。第一期政権では、自分の考えを実現してくれる閣僚の確保に苦慮し、更迭に次ぐ更迭を繰り返した。それに対して、第二期政権の顔ぶれは、全く異なる様相を呈している。評判の悪い閣僚候補を含めて、トランプ大統領の考えに信奉している者たちばかりだ。強い政策を遂行する政権になっていくだろう。
 トランプ大統領の最大の弱点は、自らの年齢だろう。老齢のため、4年間の激務に耐えられるかは不明だ。ただし現時点では、大統領に返り咲いて実施したい政策の達成に向けた熱意が激しく、老いを感じさせていない。この点で、副大統領に指名した若いトランプ主義者のバンス大統領の存在は大きい。トランプ大統領としては、就任直後のなるべく早い時期に導入したい政策を全て実施しきってしまったうえで、バンス副大統領にバトンを渡していく路線をとっていくだろう。今のところ、この既定路線に挑戦しそうな有力な勢力は、政権内や共和党内には見られない。
 トランプ大統領の就任演説を見ると、20世紀のアメリカ大統領の演説には普通のことであった抽象的な理念への訴えかけが全くないことに、むしろ驚かされる。実施したい政策の列挙である。施政方針演説は不要とするような勢いで、次々と4年間蓄えたアイディアを反映させた政策を実施していくだろう。
 トランプ氏の目標は、アメリカを再び偉大にすることであり、就任演説の言葉を用いれば、「誇り高く、繁栄し、自由な国をつくることだ。まもなく米国はかつてなく偉大で強く、はるかに例外的になる」ようにするということだ。
 これはアメリカがその国力を増大させることによって達成される。トランプ主義とは、いわば「国力増強」主義である。それはイデオロギー色の強い理念によって左右されることはない立場のことだ。この立場から採用する政策を、トランプ大統領は、「常識の革命(the revolution of common sense)」と呼ぶ。
 「常識の革命」の筆頭となる政策は、徹底した不法移民と犯罪組織の取り締まりだ。次に、エネルギー資源の大々的な採掘を含む方法による物価高の是正に取り組んでアメリカ人の生活改善を図ることだ。これにともなって脱炭素政策に終止符を打ち、化石燃料を最大限に活用しながらアメリカを「製造国」に戻すという。貿易不均衡によってアメリカの労働者の生活改善なされない場合には、高関税政策で是正を目指す。
 「常識の革命」は、社会文化面にも及ぶ。性別を男性と女性の二つに限定すること、ワクチン忌避を認めること、強い軍隊を持つこと、神への信仰を持つこと、そしてアメリカを特別な国と信じる「例外主義」を信奉すること、などが、トランプ大統領が「常識の革命」と呼ぶことだ。
 トランプ大統領の「常識」は、国内社会の文脈では、主に、ポリコレ系の文化を修正する保守主義の立場を指す。対外政策においては、イデオロギー的な国際協調主義を排して、ただひたすらアメリカの国益の増大を目指すことが「常識」だ。
 トランプ大統領の就任演説に、国際政治に関する記述は少ないが、以下のような印象的な言葉もあった。
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 世界がこれまでに見たことのない最強の軍隊を再び構築する。勝利した戦争だけでなく、終わらせた戦争、そして恐らく最も重要なこととして、一切参加しなかった戦争によって成功を評価することになる。
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 以前に書いたことがあるが、「強さによる平和(peace through strength)」の18世紀から20世紀になるまでの伝統的なアメリカの外交思想における意味は、他国が畏怖して自国(の勢力圏)に介入してこないように十分な力を持つ、ということである。https://agora-web.jp/archives/241109105420.html
 ウクライナのゼレンスキー大統領が、アメリカの政治思想史を無視して我田引水の解釈を施そうとしていることに、日本の多くの言論人まで幻惑されてしまっているが、トランプ大統領は全く影響されていない。東欧の国に大々的な支援を通じて介入してロシアをヨーロッパから駆逐しようと試みて自国の国力を疲弊させたりすることは、アメリカの伝統的な外交史における「強さによる平和」の考え方からすれば、むしろ真逆に位置する外交政策である。
 トランプ大統領には、極めて特異な人物であり、その政策は「革命」的であるが、必ずしも混乱はしていない。むしろ首尾一貫している。
 トランプ大統領を憎む余り、その知性の欠如を証明してみようとする風潮が、多々見られる。危険である。
 トランプ大統領には、20世紀以降のアメリカの大統領が見せてきたようなイデオロギー的な理念はない。しかしそれは、広範な分野にわたるトランプ大統領の一連の政策に、体系性が全くないことを意味しない。むしろ「常識の革命」は、体系性を持っている。そして、8年前よりもさらに力強くなっている。
 

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 半年ほど前、バイデン大統領の残り任期が終わるまでの「レイムダック期間」は、大変な混乱期になる、という趣旨の文章を書いた。https://agora-web.jp/archives/240731093717.html 

その後、トランプ大統領が選挙で当選し、少し新しい要素が加わることになったが、基本的な事情は変わっていなかった。

 地獄の「レイムダック・バイデン期」の代表例が、ガザだ。バイデン大統領は、イスラエルのネタニヤフ政権の苛烈なガザ軍事侵攻に直面し、民主党支持者層からの反発を受けながら、しかしイスラエルへの武器支援を止めることもできず、ただ事態の推移に翻弄されるだけだった。イスラエルは、アメリカからの武器支援を後ろ盾にして、ガザ保健省発表で4万6千人とされる犠牲者(その数はもっと多いという推計もある)被害を出す苛烈な軍事作戦を続けた。

 そのガザをめぐり、イスラエルとハマスの間の停戦合意が成立した。その発効は1月19日と設定された。トランプ大統領就任式の前日である。紛争当事者が、トランプ政権の成立にあわせて、停戦合意を結んだことは、明らかである。

 トランプ氏は強力なイスラエル支持者として知られるが、戦争の継続は望まない、という立場をとっていた。自分が就任するまでに停戦を果たさないと、大変なことになるぞ、と威嚇する発言を繰り返していた。少なくとも、両当事者は、このトランプ氏の態度を真面目に受け止め、停戦合意をトランプ政権時代にとるべき政策の出発点にしようとしている。

 停戦は大多数の諸国や国際機関が、繰り返し要請していた事柄だ。問題の解決には程遠いが、停戦が戦争継続よりも望ましいことは、言うまでもない。

 ただし、停戦後のガザ情勢には、引き続き困難が予想される。ネタニヤフ政権は、停戦を望んでいたが、よりイスラエル寄りで国際社会の標準的規範を軽視してくれるトランプ政権とともに、ガザに対する厳しい占領政策を導入していくだろう。軍事侵攻の停止は、占領の終わりではない。むしろイスラエルが望む国際法に反したガザ統治が、さらに本格的に始まっていく可能性が高い。バイデン政権は「二国家解決」にこだわっていたが、トランプ氏にそのこだわりは希薄だろう。国際平和維持部隊のガザへの展開も、トランプ政権の成立で遠のいたと考えざるを得ない。西岸のガザ化もさらに進んでいく可能性がある。

 停戦は、よりマシな現実であるが、現実が非常に厳しい事情は続く。今回の停戦が、どこまで持続するか、という問いをこえて、停戦が、2023107日以降のガザ危機を収束させるとは思えない。ましてパレスチナ問題の全体構造を解決するようなものではない。

 「レイムダック・バイデン」期間が地獄だったのは、もう一つのアメリカの大きな関心事項であるウクライナ情勢についても、同じだ。ただし流れは少し異なる。ウクライナがロシア領クルスク州への侵攻を開始したのは8月初旬だった。バイデン政権の支援に大きく依存しているとはいえ、逆に言えば煮え切らない態度のバイデン政権にしびれを切らし、起死回生の冒険的な作戦に出たのである。

 日本の軍事評論家や国際政治学者は、一斉にウクライナのクルスク侵攻を歓喜して大絶賛する態度を次々と表明したが、私はこの軍事的・政治的合理性を欠いたウクライナ政府の動きに批判的であった。https://gendai.media/articles/-/136831

 もっともザルジニー総司令官を罷免してからの戒厳令下のゼレンスキー政権の政策に、私は概して批判的だ。そのため何度かネットリンチまがいの目にも遭った。
 ただ私は2022年当初から、「ロシアもウクライナも完全勝利することは著しく難しい」と言い続け、停戦に向けた考え方について語っていた。ウクライナの自衛権行使の正当性は明白だと考えるが、現実の分析は権利義務関係の認識だけで行うわけではない。2023年後半には停戦の「成熟」が訪れていた。私の態度が変わったのではない。過去1年余りのウクライナの政策行動に合理性を見出せない、という立場を、私はとっているだけである。
 特にクルスク侵攻作戦以降、2023年以来の膠着状態が崩れ、ウクライナ側に不利な軍事情勢が進展した。トランプ当選によってロシア・ウクライナ戦争にも、停戦の気運が高まってきてはいるが、ロシア軍が進軍し続けている事実は、停戦の締結に、望ましくない事情である。

 トランプ氏は、大統領選挙戦中に、自分が大統領になったら一日で戦争を止める、と発言して、物議を醸しだした。現在、トランプ氏は、停戦交渉に少なくとも半年は欲しいと発言し、態度を修正している。これをもってトランプ氏の無責任を指摘することもできるだろう。ただ、同情的に言えば、1年前の膠着状態のほうが、停戦調停をしやすかっただろう。戦争の継続が、紛争当事者の双方に何ももたらさない状態においてのほうが、停戦に合理性を見出しやすいからだ。

今は、ロシア軍が占領地を拡大させ続けている状態なので、停戦によって止まる動機づけを、ロシア側が持ちにくい。ウクライナが占領したロシア領クルスク州の領地の大半はロシア軍によって奪還されているが、まだウクライナ軍はスジャというロシア側の国境の町を要塞化して抗戦している状態である。ウクライナ政府は、ロシア側に甚大な被害を与えている、といったことを戦果として主張している。だが、ロシアの片田舎の小さな町でしかないスジャを、ウクライナがそこまでして死守することに合理的な理由はない。ゼレンスキー統領には何か思い込みがあるようだが、ロシア人をたくさん殺している、といった発言に終始している態度には、合理的な戦略的行動の背景が見いだせない。東部戦線では着実にロシアが形成を有利に転換させて支配地を拡大させ続けているのだから、なおさらである。

ゼレンスキー大統領は、トランプ氏が豹変して、アメリカがかつてない大規模な支援ないしは直接介入によって、ロシアを駆逐する/してくれるという「夢」をまだ見続けているようだが、その可能性は乏しい。

この状況では、ロシア側は戦争を続けることに少なくとも短期的な利益が明白に存在しているので、「半年」の間に目に見えた利益の確定をするための行動をとり続けるだろう。

ロシア・ウクライナ戦争については、したがって「レイムダック・バイデン」期間の後のモラトリアム(猶予)期間のようなものが始まると想定される。しかしトランプ氏は、仮に1日でなくても、半年くらいのうちには戦争を終わりにする、という決意は繰り返し表明しており、ほとんどアメリカ国民に対する公約のようになっている。半年の間のロシア軍の進軍を通じたロシアの追加的利益の確定を待って、停戦合意が成立することになるだろう。

日本の軍事評論家・国際政治学者の間では、ゼレンスキー大統領とともに「トランプ大統領が豹変してロシアを駆逐してくれないか」という夢を捨てきれない方がいる。だいぶ控えめな言い方で、あくまでも一つの可能性としてといった言い方になってきているが、まだ大多数の方々が「夢」を捨てきれていないようだ。

しかしアメリカが直接介入をしてロシアを駆逐する場合を机上の空論で想定しても、半年の準備実行期間で達成するのは、著しく難しい。まして今までのような武器支援だけで、半年間で形勢を逆転させるなどということは、奇跡に近い出来事だろう。お金さえ積み上げればロシアに勝てる、と思い込むのは、幻想である。お金の約束をすれば、次の週くらいにはお金がすべてウクライナ軍が戦場で使いこなす最新兵器に変化する、など考えるのは、単なる無知である。
 ゼレンスキー大統領は、過去1年間、バイデン氏の再選でなければ、トランプ氏の豹変の可能性に希望を見出し、「全てはトランプ氏に豹変してもらいたいがゆえの行動だ」、といわんばかりの合理性に欠けた政策をとってきた。しかしそれも、トランプ氏就任後の数週間で、霧消していくことになるだろう。

1日でなくて半年だとしても、トランプ政権が停戦調停に向けて強く動き出すのは、確定的な路線だろう。アメリカには、漠然と現状を続けていけるほどの余裕はない。非常に残念だが、モラトリアム期間は、ウクライナに不利な現実を増幅させる期間となる可能性が高い。

ウクライナ政府は、25歳以下の動員を頑なに拒絶しているが、停戦までの残り時間を考えると、この問題の意味は、ほぼ時間切れだろう。ウクライナは、2022年の全面侵攻前から顕著な人口減少の傾向を見せていたが、全面侵攻後にさらに人口が激減した。欧州諸国にいる800万人とも言われる難民のうち、若年層を抱えた女性層などの多くは、帰国を渋る可能性が高い。長期にわたるEU圏内での生活で、若年層は相当に現地社会に溶け込んでいるはずだ。政策介入でEU側が強く難民を押し出したり、EU市民権獲得の可能性を排除したりするのでなければ、停戦になれば大挙して欧州諸国から難民が帰ってくる、とは想像しにくい。長期化した戦争の代償は広い範囲で及び、復興の行方には、困難を予想せざるをえない。

 

「篠田英朗 国際情勢分析チャンネル」(ニコニコチャンネルプラス)で、月二回の頻度で、国際情勢の分析を行っています。https://nicochannel.jp/shinodahideaki/

 

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