「平和構築」を専門にする国際関係学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

2025年11月

 国際法において国家の「承認(recognition)」に関する事項は、国際法秩序の根幹を形成する規則であると言える。そのことに疑いの余地はない。しかし、だからこそ、非常に複雑かつ繊細だ。

 このことを痛感する二つの事柄がある。台湾とウクライナ東部だ。台湾は、高市首相の「台湾有事」発言以降の喧騒で、あらためて注目の対象となっている。ウクライナ東部は、トランプ大統領の「28項目和平計画」が具体的な交渉の議題になっている経緯があって、あらためて議論の対象になっている。

 ただ、いずれの場合も、政治イデオロギー的対立構図の中で、国際法の理解は埋没している印象はある。台湾をめぐっては、高市首相擁護派と批判派の争いが激しい。ウクライナ東部の扱いをめぐっては、「ウクライナ応援団」の国際政治学者の方々らによるSNSなどを通じた「28項目潰し」と言ってもよいような政治運動キャンペーンが進行中だ。

 中国と台湾の関係は、あたかも中央政府と分離独立運動の関係に見えないことはない。そこで多くの人々が、台湾は独立を求めているが、それを国際社会が認めていない、と誤解しがちである。だが実際には、台湾の中華民国政府は、まだ一度も中国大陸からの分離としての「独立宣言」を行っていない。むしろ意図的に回避している。中国を刺激し過ぎないためだ。

 だがそれにもかかわらず、台湾政府は、自らが一つの国家を代表しているとみなしている。その国家は、理論上は大陸部分の中国も包含しているはずの中華民国だ。この国家は、1912年に孫文が樹立した北京を首都とする国家を継承しているとされる。初代大総統の袁世凱の死後は、混乱をへて、蒋介石の国民党が、この国家を代表するようになった。第二次世界大戦をへて連合国の一員として戦勝国の一角を占める地位を得て、ポツダム宣言に基づいて日本が放棄した台湾島も、その統治下に置いた。しかし1949年の共産革命で、国民党政府は大陸を追われて台湾に逃げて、あらたに台湾省台北市を事実上の首都とした。

 日本やアメリカは、共産革命の事実を度外視し、この中華民国を中国の正統な国家であるとみなし続けたが、1971年にアメリカ(キッシンジャー秘密外交/ニクソン・ショック)がソ連を牽制する目的で中国に接近すると、国連での代表権も北京の中華人民共和国政府に移った。日本は、その流れの中で、1972年に中華人民共和国を、中国を代表する唯一の国家として承認し、中華民国の国家承認を取り消した。

 このように「一つの中国」の原則を維持し続けながら、諸国が承認対象の国家を中華民国から中華人民共和国へと取り換えたのが、中国と台湾の関係の歴史である。したがって台湾は、まだ一度も、大陸から切り離されて存在する独立した政治体であることを公式に承認されたことがない。現在、まだ中華民国を国家承認し続けている国が、バチカン公国を含めると12カ国あるが(中南米のカトリック諸国や太平洋島嶼国の一部)、これらの諸国は逆に、中華人民共和国を承認していない。

 たとえばパレスチナ問題をめぐっては、パレスチナ自治区がイスラエルに占領されているにもかかわらず、「二国家解決」が国際社会の総意になっている。イスラエルを国家承認していて、パレスチナを国家承認していない日本なども、「二国家解決」は支持する、としている。
 これとは全く逆に、中国問題をめぐっては、台湾が事実上の独立国であるにもかかわらず、「一つの中国」が国際社会の総意になっている。どちらの国家を承認するかにかかわらず、「一つの中国」については、例外のない国際社会の総意があるのである。
 なぜこのような違いがあるのかと言えば、事情が違うから、である。国際社会の総意は、事情が異なる事例に、強引に画一的なやり方をあてはめようとしても、うまくいかないなだけでなく、かえって混乱が広がる、というものである。

 この状態で、中国の台湾侵攻に対抗するための「集団的自衛権」の発動を宣言することができるのだろうか。

それについて考えるためには、まず国際法上の国家の承認には、「宣言的効果説(Declarative theory of statehood)」と「創設的効果説(Constitutive theory of statehood)」の二つの理論があることを知らなければならない。

前者は、他国の国家承認は、事実としての国家の存在を「宣言」して認めるものに過ぎない、という理論である。国家は事実として成立し、承認は法的形式をそろえるものにすぎない、という考え方である。

後者は、他国の国家承認を受けて初めて、国家は国家として存立しうる、という理論である。他国から国家として認められていない存在は、国家として存立することができない、という考え方である。

これは学説上争いのある二つの理論と言うこともできるが、実態として、国際社会の運営において使い分けられている二つの国家承認の要件なのだと言うことができる。

「創設的効果説」にそって考えると、日本やアメリカは、中国の台湾侵攻にあたって、集団的自衛権を行使することができない。中国とは別に承認した国家が、台湾に存在していないからだ。中国の台湾侵攻は、中国国内の警察治安行動に近いものとみなされることになる。

他方、「宣言的効果説」にそって考えると、承認の有無にかかわらず、台湾島に事実としての国家が存在していると言えるので(モンテビデオ条約第1条)、それに応じた集団的自衛権の行使は、正当化されうることになる。

アメリカや、台湾政府そのものが採用している「戦略的曖昧性」は、国際法における国家承認の法規範の曖昧さに対応したものでもある。この場合の曖昧さは、「これ以上無理にどちらかに決める形で明確さを求めると、かえって現実との乖離が広がり、問題が大きくなる」、という感覚を総意として、国際社会で広く共有されている「曖昧さ」なのである。その意味では、非常に特殊な性格を持った「曖昧さ」である。単に国際法規範が未発達だったり、議論が不足していたりするので、曖昧なのではない。全く逆に、蓄積された議論と実践の果てに、「国際社会はこのようにしなければ運営できない」、という感覚に基づいて、維持されている「曖昧さ」である。

(その意味では、議論を回避するために設置された2015年平和安全法制における「存立危機事態」が内包する、誰も議論していないがゆえに、ただぼんやりと「曖昧になっている」ようなものとは、性格が異なるとも言える。)

当然と言えば当然だが、巷で見かける高市首相擁護派と反対派の争いには、こうした「曖昧さ」を尊重する姿勢がない。これは単に残念であるだけでなく、危険である。

さて、話をウクライナ東部に移そう。トランプ大統領提案の「28項目」に、ドネツク・ルハンスク・クリミアを、「事実上(de facto)」、アメリカがロシアの領土であることを認める、という文言がある。これをもって世界中のメディアや「ウクライナ応援団」の国際政治学者らが、「ウクライナに領土の割譲を求めるものだ!」と激しく感情的に反発している。

しかし「事実上」の承認という表現には、「法的(de jure)」な承認は行わない、という含意がある。なおしかも、「28項目」には、ウクライナにも承認を要請する、という項目はない。

「事実上の承認」は、現実にはロシアの占領統治下にあることを認識する、ということである。認識するということは、確かに、その現実の変更を求めない、という意味が含まれる。現状の固定である。

ただしこれは、「宣言的効果説」が想定する事実上の国家性の帰属がロシアであることを認めるにすぎず、いかなる立場をとっても、まだ国際法上は正式にはロシア領にはなっていない法的状態を残存させる、という意味でもある。

「ウクライナ応援団」の方々は、「ウクライナは勝たなければならない」「この戦争は終わらない」主義の立場を取っているので、ウクライナによる領土の完全奪還が果たされるまで、停戦に応じてはいけない、という原理的立場をとる。

これに対して、トランプ大統領のみならず、今やウクライナ政府も、奪還の不可能性あるいは半永久的な戦争に伴う犠牲の大きさを鑑みて、現状固定による停戦を、やむをえない選択肢とみなし始めている。

「ウクライナ応援団」の方々が、そのイデオロギー的立場にしたがった見方で、「領土の割譲を迫る停戦案は論外だ、戦争の継続あるのみだ!」と息巻くのは、今までの経緯を考えると、予想通りの行動ではある。しかし、意図的に実際に起こっていることを捻じ曲げて、停戦妨害の政治運動を進めるのは、感心できない。

「戦争継続あるのみ!」と日本から叫ぶのは自由だが、事情を反映しない言葉を振り回して、多くの方々の理解を混乱させようとするのは、邪道な妨害方法だと言える。事情の正しいない描写を振り回して、学者層までが、感情丸出しのSNSポストを乱発している現状は、日本の知的言論界の先行きまで不安にさせるものだと言わざるを得ない。

 

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 『言論アリーナ』に出演させていただき、池田信夫さんとの対談の形式で、高市首相「台湾有事」発言後の混乱について、お話をさせていただいた。https://agora-web.jp/archives/251121065644.html

 そこでも語ったことだが、今回の騒動の根幹にあるのは、「存立危機事態」なる概念に支配されている日本の安全保障政策の閉塞状況だ。

 巷では、「〇〇が悪い」、「〇〇のせいだ」、という責任転嫁を狙った他者糾弾の声が活発であるようだ。それでは「悪い」人物たちを社会的に排斥することにさえ成功すれば、日本は発展していく、と言えるだろうか。

 今回の騒動の根幹にあるのは、日本の安全保障政策の枠組みの脆弱さだ。そのことに気づかないうちは、人を代えても、何度でも同じような問題が起こるだろう。

 今回の国会答弁で議題になっていたのは、「存立危機事態」という概念の解釈の仕方であり、現実への応用の仕方であった。

もちろん、高市首相が台湾海峡をめぐる「戦略的曖昧性」を越えた発言をした。高市政権を警戒する中国の過敏な反応を引き出した。いずれも日本国内の世論対策や、北東アジア情勢の推移をにらんだ政治的計算といった事情があってのことだ。

しかし、それにしても、事の発端は、「存立危機事態」という概念である。

この概念は、2015年平和安全法制の成立時に、苦肉の策として、導入されたものだ。当時の第二次安倍政権は、日米共同作戦を可能にするための集団的自衛権行使の方法を求めていた。他方、連立政権対策・国会対策・世論対策の都合から、「集団的自衛権の一部解禁」と呼ばれるような玉虫色の解決を狙った。抵抗する内閣法制局官僚との「手打ち」を図るためにも、相互の否定にならないように、新しい概念枠組みの設定が必要だった。

そこで発明されたのが、「存立危機事態」という概念だ。

「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」、という法律上の定義はある。しかしもともと政府官僚が導入した造語に、政府官僚が自ら定義をする作文をしただけなので、外界との接点を欠いた「ガラパゴス」概念になっている。たとえば国際法に厳然と存在し、世界的な議論をへた知識の集積がある「集団的自衛権」のような概念と、この「存立危機事態」概念の関係は、非常に曖昧だ。

今回の高市発言をめぐって、「海外のメディア等が、日本の法律用語にのっとった説明をしてくれていない」、といった苦情を言っている方もいらっしゃる。しかし国際問題について語っているのに、日本の国内法の概念設定にしたがった理解をしなければならない、というのは、なかなか難しい話である。海外では、どうしても「台湾危機の際に日本が集団的自衛権(collective self-defense)を行使する、と日本の首相が発言」というまとめになる。

どうしてそうなるのかというと、理由は、日本の法制官僚が、わざと意図的に、国際法との接点がわかりにいく概念構成を設定しまくったからだ。「集団的自衛権を行使する」という明晰な言い方を避けながら、国際法上の「集団的自衛権」の行使に該当することの合法性を担保しようしたため、わざと国際法との関係をずらしたのである。

このような曖昧な概念を用いながら、政策論を進めるのは、極めて難しい。国会論戦をするところから、非常に難しい。

法律を作った当事者の世代の政治家であれば、断固として曖昧な答弁を続けなければならない事情を、体感で知っていただろう。しかし世代が変われば、その体感は希薄になっていく。ましてタカ派的な態度で、大幅な防衛費の増額を通じて、支持率の上昇・維持を図りたい、動機付けが強く働いている場合には、なおさらそうだろう。

2015年平和安全法制は、10年にわたって運用されてきて、政府関係者の間での評判は悪くはない。なぜなら平和安全法制の仕組みのおかげで、日本に寄港する米艦の防御を自衛隊が行ったり、共同作戦を前提にした演習を行ったりすることができるようになったからだ。警戒と訓練の業務が日常生活である現場の自衛官にしてみれば、これは体感でよくわかる大きな事柄だ。危機が訪れた際の実際の対処においても、訓練をしてあることとしていないことの差が大きいだろうことは、言うまでもない。

しかし、そのこととと、「存立危機事態」なる謎めいた概念によって、日本の安全保障政策の枠組みが決められてしまっており、迷宮路のような解釈論を延々と続けなければいけない袋小路が存在していることとは、全く別次元の問題である。

仮に今、憲法改正して、「自衛隊」なる文字を憲法に入れ込んだり、憲法92項を削除したりしても、「存立危機事態」という謎の概念がもたらす神秘的な状況は、解消されない。「存立危機事態」概念が、憲法解釈を制約し続ける現象は、変わることがないからだ。

2015年当時、日本の自衛隊は、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加していた。そこで平和安全法制を通じて、「駆けつけ警護」なるものが可能となる法改正がなされた、とされた。しかしそのような概念は、国際法には存在していないし、国連PKOのマニュアルにも存在していない。結果として、いったい自衛隊は何ができるようになっていて、何がまだできないのか、について、かえって大きな概念上の混乱が生じた。その混乱は、南スーダンで治安情勢が悪化した際に、現場に大きな負担がかかる形で、露呈した。耐えられなくなった日本政府は、2017年に南スーダンからの自衛隊の撤収を決めた。その後、日本は、国連PKOへの部隊派遣を行っていない。今後も、近い将来、派遣が行われる可能性は乏しいだろう。

「駆けつけ警護」概念が作り出した混乱は、「存立危機事態」概念が内包しているリスクを示唆している。

『言論アリーナ』で私が述べたように、本来であれば、国際法に厳然として存在しており、各国の間で共通の理解が確立されている「集団的自衛権」の行使が、合憲であることをはっきりさせたうえで、その権利の行使の仕方を、純粋な日本の政策論として論じていくのが、最も望ましかった。それが健全、というか、普通のやり方であるはずだった。

しかし今後も日本は、「存立危機事態とは何か?」「台湾海峡に存立危機事態は訪れたか?」といった謎めいた神秘的なやり取りから、解放されることはない。

今回の高市首相の発言から生まれた騒動は、日本が抱える閉塞的な状況の一表層の出来事でしかない。

 

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 高市首相の「台湾有事」の際に日本の「集団的自衛権」の発動が可能になることを意味する「存立危機事態」を認定する国会答弁を受けて、中国が過敏に反応した。中国外務省の林剣報道官は、13日の定例会見で、高市早苗首相に対し、台湾に関連する「悪質な」発言の撤回を要求し、撤回しなければ日本は「一切の結果を負うことになる」と述べた。 高市氏の発言を受け、薛剣駐大阪総領事が「汚い首は斬ってやる」とXに投稿したことに対しては、茂木敏充外相は12日、中国側へ対応を要求したと述べた。総領事非難決議を国会でも採択するという。

 何も起こっておらず、台湾の当事者の立場も見えないまま、日本と中国の緊張関係が強まっている。アメリカのトランプ大統領ですら、アメリカはこの件とは関係がない、という姿勢をとっている。日本はアメリカとの貿易で多額の利益を得ているし、自分は中国側と良好な関係を持っている、という趣旨の発言をした。

背景には、対中国で強い姿勢を見せて高い内閣支持率の維持につなげたい高市首相と、首相のタカ派的な立場を警戒していた中国が、言葉遣いを捉えて、非難の応酬をしている構図がある。高市首相の支持者は、当然、中国に弱腰の姿勢を見せてはならない、と盛り上がる。それを見れば、中国も強い姿勢をとらざるをえない。悪循環だ。

多くの人々が誤解しているようだが、ここで重要なのは、対中政策において、「媚中」的に曖昧であるか、「反中」的に明快であるか、どうかだけではない。

高市首相の国会答弁においては、台湾を海上封鎖した中国に対して、まずアメリカが実力行使することが大前提になっている。アメリカが対中戦争に突入すれば、日本としては、「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」に入ったと認定せざるを得ないので、集団的自衛権を行使する、という内容になっている。

ところが実際には、アメリカは、「戦略的曖昧性」の従来の政策を捨て切っておらず、台湾防衛を確約などしていない。確かにバイデン前大統領は、踏み込んだ発言を繰り返して、「戦略的曖昧性」の政策の転換を図っているのか、と話題になった。しかしトランプ大統領になって、そのような発言を政府高官が行うことはなくなった。台湾を見捨てるつもりでないとしても、少なくとも従来の「戦略的曖昧性」の地点に立ち戻っていると言える。

2015年平和安全法制をめぐる議論では、日本が共同で集団的自衛権を行使するのは、「我が国と密接な関係にある他国」、つまりアメリカである、という点が、自明の前提になっていた。台湾有事に対する日本の立場が曖昧なのは、集団的自衛権を共同で行使する対象国のアメリカが、台湾防衛に曖昧な立場をとっている事情がある。

もし日本が、アメリカを飛び越して、台湾を防衛する目的で集団的自衛権の行使を宣言するならば、全く事情が異なることは、言うまでもない。日本にそれをやる覚悟があるか否かを問う前に、アメリカ抜きで台湾防衛作戦を遂行する能力など日本は持っていない、という端的な事実がある。アメリカ抜きで参戦すれば、中国にあっという間に駆逐されるだけである。

トランプ大統領が、アメリカはこの件に関知していない、と発言しているのは、当然である。高市首相が、アメリカの頭越しに、アメリカには台湾防衛の覚悟がある、と明言した形になっているからだ。いったい軍事的にアメリカにも中国にも対抗できない日本の首相に、そのような発言をすることが許されるのか。横須賀の米軍基地でジャンプしたからといって、アメリカがいつ台湾防衛の軍事作戦をすべきかを日本の首相が決めることができるようになるわけではない。高市首相の越権行為のような態度を、大国の指導者たちが感じて、不快感を抱いたとすれば、当然である。

欧州では、人口約136万人という極小国のエストニアの首相から、EU外交安全保障問題上級代表に就任したカヤ・カラス氏が、「ウクライナは勝たなければならない」「われわれはロシアの崩壊を恐れてはならない」といったタカ派発言を繰り返して、トランプ政権の不評を買っている。カラス氏は、過去11カ月にわたり、トランプ政権高官に会うこともできていない。欧州指導者がワシントンDCに行く際には、カラス氏が除外される。

日本はエストニアよりも重要なアメリカのパートナーだ、と言えば、もちろんそれはそうだろう。しかしいずれにせよアメリカと中国と比べれば、全く格が違う国だ。高市首相が、独自の判断でアメリカ軍を動かしたりできるわけではない。

高市首相は、トランプ大統領との良好な関係をアピールして、高い内閣支持率を記録するスタートを切ることができた。だが果たして、そこに慢心がなかったか。

実際には、トランプ大統領訪日の際に、通例である共同宣言の発出もできず、政策的な調整はできていないのが、実情ではないだろうか。

その点に留意した慎重さを欠き、トランプ大統領を巻き込んで、対中強硬姿勢さえ示せば、国内で高い内閣支持率を維持できる、という点にばかりとらわれていると、やがて足をすくわれることになるだろう。



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 トランプ大統領が、中国の習近平国家主席と会談することを「G2」の会談とSNSで発信したことが話題になっているらしい。

G2

https://x.com/ShinodaHideaki/status/1985493583475208464

 「G7」が「グループ・オブ・セブン」を意味していることを援用すると、「G2」とは、「グループ・オブ・ツー」ということになる。要するに、圧倒的な国力を誇る二つの世界の超大国、という意味だろう。

 この「米中が現代世界の二つの超大国」という理解に、特に驚きを覚える要素があるとは思えない。あまりに明白な事実だからだ。

 どうやら違和感を覚える理由は、アメリカは中国と仲良くならないでほしい、という気持ちが、多くの日本人の心の中にあるからのようだ。せっかく高市首相が、共同声明などの文書作業は見送り、しかしトランプ大統領の横で飛び跳ねたりしつつ、巨額の投資や防衛装備品の購入等の予算措置を表明して、日本のアメリカへの忠誠度を示したばかりのところだ。ここでアメリカが、日本とともに、中国と対峙する姿勢を固めてくれなくては、肩透かしだ。万が一にも、日本の頭越しに、アメリカが中国と物事を決めていくようなことがあってはならない。

 どうやら多くの日本人が、本気でそのように思いを持っているようだ。だが、冷静になるべきだ。

 一番わかりやすいGDPの額で見てみよう。日本のGDPは、4.1兆ドルだが、アメリカのGDPは、30.5兆ドルで、約7.5倍の規模である。保有する軍事力や天然資源、そして人口数、さらには現時点の経済成長率などを考えると、彼我の差は圧倒的である。同格になるはずがない。

 しかしそのアメリカにとっても、GDP19.2兆ドルの中国は、他国に類例のない超大国だ。軍事力や天然資源の掌握の度合い及び人口、そして経済成長率などを鑑みても、秀でている。物価水準にあわせた購買力平価GDPでは、アメリカの30.5兆ドルに対して、中国が40.7兆ドルで、立場が逆転してくる。冷戦時代のソ連であっても、ここまでアメリカを圧倒しうる実力を備えた時期はなかった。世界は、歴史に類例のない二大超大国時代に突入しているのである。

 二大超大国を意味する「G2」が世界の現実で、「G2」の表現に幾分かでも疑問を持つのは、単なる感情論だ。トランプ大統領が現実主義で、日本の識者のお気持ちが単なる感情論である。

 アメリカでは、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官や、ズビグニュー・ブレジンスキー元安全保障担当大統領補佐官らが、「G2」の概念を用いてきた。「現実主義」を標榜していたと描写される人々だ。だがオバマ大統領が、「G2」概念を信奉しているとされる時期もあった。

 もっとも一般には、中国側が「G2」の概念の誘いに警戒的だと考えられている。中国は、「一帯一路」を追求しながら、「BRICS」や「SCO(上海協力機構)」などの「多極化」を目指す外交政策をとってきている。今さらアメリカとの「G2」路線に大きな魅力を感じるような立場ではない。アメリカの「G2」レトリックを、ロシアをはじめとする他の地域大国との協調を重視する中国の「多極化」路線を突き崩す、アメリカの「罠」とみなして、警戒するのだ。

 「G2」も冷厳な現実だが、「多極化」ももう一つの現実だ。中国は、かつてのソ連のように、軍事同盟を媒介にした衛星国を多数抱え込んだり、他国に傀儡政権を樹立することに熱を上げたりするような傾向を、見せていない。「多極化する世界」を前提にしながら、その中で筆頭格の実力を持つ超大国の地位を目指している、と言える。

 アメリカは、「多極化する世界」のイメージそのものを警戒し、「グローバル化」を推進する運動の旗振り役のような立場を追求してきた。ただしトランプ大統領は、ロシアの立場にも相当に配慮をしているという点で、歴代の大統領と比べれば相当に「多極化する世界」の現実を受け入れているところがある。そして、その世界において、もう一つの中国との「二大超大国」間の関係の管理に、相当な配慮をしている。

 トランプ大統領は、同盟国・友好国にも、容赦なく高関税を仕掛けてくる。アメリカの「勢力圏」における従属国に、甘い政策をとってくるような姿勢がない。一つの巨大な「勢力圏」の盟主として、従属国群を管理している。そして、そのうえで他の「勢力圏」の盟主の諸国とのいわば「親分同士」の関係の管理にも、気を遣っている。

 世界は、「多極化」に向かっている。それは、いくつかの有力な地域大国が、それぞれの「勢力圏(sphere of influence)」を持ち、従属国(vassal states)群を従えているような世界だ。そして、「勢力圏」の盟主同士が、緊張した大国間関係を持っている世界だ。

 もっともそれら複数の地域大国の実力は、均一ではない。米中の二国が飛びぬけている。「多極化」世界の中に「G2」がある。

 残念ながら、日本は、一つの「極」などではないことは当然として、明白なアメリカの従属国である。好むと好まざるとにかかわらず、それが現実だ。この現実を観察することを拒絶しているようでは、いかなる国際情勢の分析も、不可能であろう。

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