アメリカとイランが「イスラマバード覚書」に合意した。これをめぐって多くの「アメリカが負けた」という言説が数多く流通しているが、日本の右派系の方々が反発して「イランが負けた」といった主張をしていたりもする。
すでに6月1日に『トランプの戦争とアメリカの敗北』という題名の本を出した私ではあるが、https://www.amazon.co.jp/dp/4828428380/#R3Q7WWMOV3S796 サッカーではないので、勝ち負けの判定は、状況を明確化するレトリックとしてはありえたとしても、勝った・負けたの言い争いをすること自体には、それほど意味はない。
「イスラマバード覚書」は、停戦を成立させるためによく練られたものだが、それだけに政策につながる多くの決定事項が書き込まれているものではない。むしろ将来の交渉に委ねる先送りの項目を効果的に作って、合意の実現を狙った。https://shinodahideaki.theletter.jp/posts/ba3544d7-0122-4f13-b582-ae81c09c3650?utm_medium=email&utm_source=newsletter&utm_campaign=ba3544d7-0122-4f13-b582-ae81c09c3650
この「覚書」によって恒久的な安定が訪れたと考える者はいないだろう。それにしても、激しかった戦争の停戦を、相当程度にまで維持していくことができる機能を果たせるとすれば、意義は小さくない。
今回の「覚書」では、4月における対面での交渉に引き続いて、パキスタンが調停役を担った。カタールなども尽力したと伝えられているが、「イスラマバード覚書」と呼ばれるようになった点を見ても、関係者がパキスタンの役割を大きく評価していることがわかる。
なぜパキスタンの調停は成果を出すことができたのか。
日本では、外務省が3月に「国際和平調停ユニット」を設置し、笹川平和財団が5月に「和平調停センター」を設置したところだ。
国連PKOへの自衛隊の部隊参加は、2017年に南スーダンから撤収したときから、行われていない。今後に行われる見込みはない。ODAや人道援助の額面は、伸び悩んでいる。だからこそ、調停活動での貢献について、努力をしたい、ということだろう。
もっとも同盟諸国が事実上の当事者として関与し、日本も当事者に巨額の支援を行ってきているロシア・ウクライナ戦争の調停などは、議題にならないだろう。
中東など、日本の利益が関係しているが、日本の中立性が主張できそうな地域での調停の可能性のほうが、具体的な関心対象となる。
そうなると、パキスタンがなぜ調停に成功したのかについては、考えてみる必要がありそうだ。
一般に、調停には、地域情勢に精通し、交渉術にも長けた担当者が必要になると思われている。もちろんそれは正しい。
他方、現実には、組織を動かす政治的権威のある者が出てこないと、調停にも重みが出てこない。パキスタンの場合には、シャバーズ・シャリフ首相と、影の最高実力者と評されるアシム・ムニール元帥(軍最高司令官・陸軍参謀長)が、大々的な関与を示して、パキスタンが国家機構を総動員して調停にあたっていることをアピールした。アメリカも、イランも、交渉が座礁した際であっても、調停の労を払うパキスタンに謝意を表明することは忘れなかった。
国家元首・政府首脳級が、直接的に和平交渉に尽力するのは、今日の国際社会の通例である。率直に言って、官僚や学者は、補助者としての意味はあっても、直接的な調停者にはなりえない。
パキスタンの場合には、戦争の当事国ではなかった反面、政治家層が、中東諸国やアメリカの政治指導者と親交を持っているはずの国であることが、大きな意味を持った。
ロシア・ウクライナ戦争が、トランプ大統領の就任前には、トルコだけが調停者になりえていたことと、構図は類似している。
加えて、今回の「覚書」の成立には、パキスタンの政策判断の内容の要素も、大きな意味を持った。最も重要だったのは、イスラエルを排除して、イランとアメリカの二者間交渉を作り出し、それを継続化したことだ。
パキスタンは、イランとアメリカを決して批判せず、気遣う態度を取り続けた。その一方で、イスラエルに対しては激しい言葉での非難を続けた。
これは諸刃の剣である。イスラエルは交渉の進展に疑念を抱き続け、レバノンでの軍事作戦を継続させて、事実上の妨害行動をとり続けた。今も取り続けている。イスラエルが、自国は交渉の当事国ではない、と言えば、それは間違いではない。
しかし、イスラエルを交渉に参加させることは、交渉が破綻する可能性を著しく高める。そもそもイスラエルが参加する交渉であったら、成立させること自体が難しかっただろう。結果的には、イスラエルを排除する判断が、功を奏した。
さらには、4月中旬での一時停戦と交渉開始、そしてその後2カ月かけた後の「覚書」成立のタイミングも、妥当なものだった。
紛争調停の学術研究では、調停者の能力よりも、全般的な政策判断の重要性に重きが置かれる。たとえば、私がウクライナ人の共同研究の成果として公刊した編著で扱っているウィリアム・ザートマンの「成熟(ripeness)」理論は、「相互損耗膠着(mutually hurting stalemate)」の状態の到来を、調停者が的確に見極めることの重要性を強調する。タイミングこそが、調停成功のカギを握る、という考え方だ。https://link.springer.com/book/10.1007/978-981-96-2295-5
パキスタンは、MHSの見極めにおいても、的確さを示した、と評価していいだろう。
もちろん、このようなパキスタンの調停の評価は、和平の恒久性を保証するようなものではない。むしろ困難で脆弱な状況においても、一定の調停成果を出したことが評価の対象だ。「覚書」が、さらにどのような政治的状況の進展を導き出していけるのかについては、まだ不透明な要素が相当に残っている。
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