「平和構築」を専門にする国際関係学者

篠田英朗(東京外国語大学教授)のブログです。篠田が自分自身で著作・論文に関する情報や、時々の意見・解説を書いています。過去のブログ記事は、転載してくださっている『アゴラ』さんが、一覧をまとめてくださっています。http://agora-web.jp/archives/author/hideakishinoda 

2026年06月

 アメリカとイランが「イスラマバード覚書」に合意した。これをめぐって多くの「アメリカが負けた」という言説が数多く流通しているが、日本の右派系の方々が反発して「イランが負けた」といった主張をしていたりもする。

 すでに61日に『トランプの戦争とアメリカの敗北』という題名の本を出した私ではあるが、https://www.amazon.co.jp/dp/4828428380/#R3Q7WWMOV3S796 サッカーではないので、勝ち負けの判定は、状況を明確化するレトリックとしてはありえたとしても、勝った・負けたの言い争いをすること自体には、それほど意味はない。

 「イスラマバード覚書」は、停戦を成立させるためによく練られたものだが、それだけに政策につながる多くの決定事項が書き込まれているものではない。むしろ将来の交渉に委ねる先送りの項目を効果的に作って、合意の実現を狙った。https://shinodahideaki.theletter.jp/posts/ba3544d7-0122-4f13-b582-ae81c09c3650?utm_medium=email&utm_source=newsletter&utm_campaign=ba3544d7-0122-4f13-b582-ae81c09c3650

 この「覚書」によって恒久的な安定が訪れたと考える者はいないだろう。それにしても、激しかった戦争の停戦を、相当程度にまで維持していくことができる機能を果たせるとすれば、意義は小さくない。

 今回の「覚書」では、4月における対面での交渉に引き続いて、パキスタンが調停役を担った。カタールなども尽力したと伝えられているが、「イスラマバード覚書」と呼ばれるようになった点を見ても、関係者がパキスタンの役割を大きく評価していることがわかる。

 なぜパキスタンの調停は成果を出すことができたのか。

 日本では、外務省が3月に「国際和平調停ユニット」を設置し、笹川平和財団が5月に「和平調停センター」を設置したところだ。

国連PKOへの自衛隊の部隊参加は、2017年に南スーダンから撤収したときから、行われていない。今後に行われる見込みはない。ODAや人道援助の額面は、伸び悩んでいる。だからこそ、調停活動での貢献について、努力をしたい、ということだろう。

もっとも同盟諸国が事実上の当事者として関与し、日本も当事者に巨額の支援を行ってきているロシア・ウクライナ戦争の調停などは、議題にならないだろう。

中東など、日本の利益が関係しているが、日本の中立性が主張できそうな地域での調停の可能性のほうが、具体的な関心対象となる。

 そうなると、パキスタンがなぜ調停に成功したのかについては、考えてみる必要がありそうだ。

一般に、調停には、地域情勢に精通し、交渉術にも長けた担当者が必要になると思われている。もちろんそれは正しい。

他方、現実には、組織を動かす政治的権威のある者が出てこないと、調停にも重みが出てこない。パキスタンの場合には、シャバーズ・シャリフ首相と、影の最高実力者と評されるアシム・ムニール元帥(軍最高司令官・陸軍参謀長)が、大々的な関与を示して、パキスタンが国家機構を総動員して調停にあたっていることをアピールした。アメリカも、イランも、交渉が座礁した際であっても、調停の労を払うパキスタンに謝意を表明することは忘れなかった。

国家元首・政府首脳級が、直接的に和平交渉に尽力するのは、今日の国際社会の通例である。率直に言って、官僚や学者は、補助者としての意味はあっても、直接的な調停者にはなりえない。

パキスタンの場合には、戦争の当事国ではなかった反面、政治家層が、中東諸国やアメリカの政治指導者と親交を持っているはずの国であることが、大きな意味を持った。

ロシア・ウクライナ戦争が、トランプ大統領の就任前には、トルコだけが調停者になりえていたことと、構図は類似している。

加えて、今回の「覚書」の成立には、パキスタンの政策判断の内容の要素も、大きな意味を持った。最も重要だったのは、イスラエルを排除して、イランとアメリカの二者間交渉を作り出し、それを継続化したことだ。

パキスタンは、イランとアメリカを決して批判せず、気遣う態度を取り続けた。その一方で、イスラエルに対しては激しい言葉での非難を続けた。

これは諸刃の剣である。イスラエルは交渉の進展に疑念を抱き続け、レバノンでの軍事作戦を継続させて、事実上の妨害行動をとり続けた。今も取り続けている。イスラエルが、自国は交渉の当事国ではない、と言えば、それは間違いではない。

しかし、イスラエルを交渉に参加させることは、交渉が破綻する可能性を著しく高める。そもそもイスラエルが参加する交渉であったら、成立させること自体が難しかっただろう。結果的には、イスラエルを排除する判断が、功を奏した。

さらには、4月中旬での一時停戦と交渉開始、そしてその後2カ月かけた後の「覚書」成立のタイミングも、妥当なものだった。

紛争調停の学術研究では、調停者の能力よりも、全般的な政策判断の重要性に重きが置かれる。たとえば、私がウクライナ人の共同研究の成果として公刊した編著で扱っているウィリアム・ザートマンの「成熟(ripeness)」理論は、「相互損耗膠着(mutually hurting stalemate)」の状態の到来を、調停者が的確に見極めることの重要性を強調する。タイミングこそが、調停成功のカギを握る、という考え方だ。https://link.springer.com/book/10.1007/978-981-96-2295-5

パキスタンは、MHSの見極めにおいても、的確さを示した、と評価していいだろう。

もちろん、このようなパキスタンの調停の評価は、和平の恒久性を保証するようなものではない。むしろ困難で脆弱な状況においても、一定の調停成果を出したことが評価の対象だ。「覚書」が、さらにどのような政治的状況の進展を導き出していけるのかについては、まだ不透明な要素が相当に残っている。

 

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 小泉進次郎防衛大臣が「日本は平時に最適化され過ぎた。いかに変えるかが大きな一つの壁だ」と訴えた、という記事が目に付いた。ロシアのウクライナ侵略やイラン情勢を見ると、「過度な依存が何を生むか。脆弱性を強靭性に塗り替えないといけない」と危機意識が必要になるのだという。

https://www.msn.com/ja-jp/news/other/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%9B%B8-%E5%B9%B3%E6%99%82%E3%81%AB%E6%9C%80%E9%81%A9%E5%8C%96%E3%81%95%E3%82%8C%E9%81%8E%E3%81%8E%E3%81%9F-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%AE%89%E5%85%A8%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E3%81%AB%E5%8D%B1%E6%A9%9F%E6%84%9F-%E4%BA%A4%E8%A9%A2%E7%A4%BE%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%81%A7%E8%AC%9B%E6%BC%94/ar-AA25Cf9g?ocid=BingNewsSerp 

 有事の可能性を全く想定しないのは危険だ、という主張は、もっともなことであるように感じる。ただ、記事の文面を見る限り、小泉大臣が言っているのは、それとは少し違う。平時から、有事対応に適した社会運営の仕組みを取っていくべきだ、と主張しているようだ。

 緊急事態としての有事に即応する体制を準備しておくだけでは足りない。平時から有事を想定した社会体制をとっておくべきである。

 これは、経済運営などで中国への依存をなるべく減らそう、という呼びかけだ。中国は、実態として「仮想敵国」なので、経済分野であっても中国への依存があるのは「脆弱性」である、という主張である。

 私が学生だった頃には、国際政治学の授業で「相互依存論(interdependence)」などが教えられていた。国家間の経済的な相互依存関係が進むと、戦争の損失が大きくなるので、戦争を回避する動機づけが強く働く、という理論であった。

 この理論が正しいと、日本は中国と戦争をしたくない動機が強く働く。ということは、あらかじめ相互依存を取り除いておくと、戦争を遂行しやすくなる、ということだ。

 中国との戦争が不可避だとすれば、もっともな考え方ではある。ただ、考えてみなければならないのは、なぜ経済的な相互依存は進むのか、実際に日中間では進んだのか、ということだ。戦争を回避する目的のためではないだろう。日本にとって中国との経済関係の進展に、経済的合理性があったために、相互依存が進んだはずである。有事を想定して、相互依存を取り除くことを目的にする、ということは、経済的合理性を度外視する、ということだ。経済的な合理性にかかわらず、戦争を円滑に遂行するための社会体制の構築を優先する、ということである。

 もちろん仮想敵国・中国への依存さえ減らせばいいのだとすれば、同じように合理的な代替的な経済相手を見つけることさえできればいい。理論上は、それで問題は解決する。

 だがそのような代替先が簡単には見つからないので、中国に依存していた部分が生まれた。経済的合理性を確保したうえでの代替先の安定的な確保は、簡単な話ではない。

 これはホルムズ海峡に依存しているのは脆弱性が高いので、アメリカの原油を買おうとする際に見られているのと、同じ問題だ。原油は中東以外に地域にもあるので、理論上は、代替先の確保は難しい話ではない。しかし同じ品質の原油を、同じコストで確保するという命題を含ませると、話は変わってくる。

 小泉大臣は「新しい戦争」という概念を多用しているようだ。防衛研究所の研究者たちが公刊した『「新たなる戦争」の諸相』(防衛研究所、2025年)を見ると、各章が「ウクライナ戦争の教訓」という視点から執筆されており、冒頭から、「第1章:中国人民解放軍に対するウクライナ戦争の教訓―台湾有事への影響を中心に―」、「第2章:中国が想定する将来の航空戦―人民解放軍はウクライナ戦争から何を学んでいるか」などの議論が並ぶ。https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E6%96%B0%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%AB%B8%E7%9B%B8%EF%BC%8D%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%AE%E6%95%99%E8%A8%93%E3%81%A8%E7%B1%B3%E4%B8%AD%E5%AF%BE%E5%B3%99%E3%81%AE%E8%A1%8C%E6%96%B9%EF%BC%8D-%E8%8F%8A%E5%9C%B0-%E8%8C%82%E9%9B%84/dp/4924914940 

 正直、「新しい戦争」という概念構成は、全く新しくなく、今まで幾つのパターンの「新しい戦争」論があったのか、数えきれないくらいだ。冷戦終焉直後のメアリ・カルドーの議論などは邦訳もなされている。https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%AB%96%E2%80%95%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E7%B5%84%E7%B9%94%E7%9A%84%E6%9A%B4%E5%8A%9B-%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BC/dp/4000233785/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=33JZO9Q78UDM4&dib=eyJ2IjoiMSJ9.iiUQtJpAJmuLtPX8mmrWpKTznKML6XGElgCmbOU53L7GjHj071QN20LucGBJIEps.qNijBGnrAjf7SQR9dp4tqglQ8G-sYStl9NZoN3UGEzg&dib_tag=se&keywords=%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BC+%E6%88%A6%E4%BA%89&qid=1781532908&s=books&sprefix=%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BC+%E6%88%A6%E4%BA%89%2Cstripbooks%2C194&sr=1-1

 だが現在の日本における「新しい戦争」は、政府主導の政策概念である点が、特徴的だ。ロシアのウクライナ全面侵攻時に、日本の世論も大きな衝撃を受けたのを見て、防衛費の2倍増が決定された。正直に言って、「ロシア」と「ウクライナ」をめぐる数世紀に渡る確執とソ連崩壊の衝撃の意味と、ロシアと日本の関係は、全く異なる位相にあるものだ。しかし、防衛費の倍増という、まさに平時では不可能だっただろう政策の決定が、何に予算を使うのか、という内容の議論がないまま、ロシアのウクライナ全面侵攻時の「雰囲気」で決定された。

 政府としては「新しい戦争」の新しい時代が到来したので、予算の倍増、あるいはそれ以上のさらなる大幅増額が必要であることを、後付けであっても、説明していかなければならない。防衛当局関係者が、世論の動向が変わっていかないように、嫌中感情に訴えて中国の脅威を強調する言論活動を積極的に行うようになってきている。 

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E7%BF%92%E8%BF%91%E5%B9%B3%E3%81%AF%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE-%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%8F%8D%E5%AF%BE-%E3%81%AB%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%9D%E7%AC%91%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%82%8B-%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E6%9C%89%E4%BA%8B%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AB%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%81%8C%E4%BB%98%E3%81%91%E5%85%A5%E3%82%8B-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%80%A5%E6%89%80/ar-AA25DPFr?ocid=BingNewsSerp

 また政府が積極的に「インフルエンサー」に働きかけて、防衛費の大幅増を含めた政府の防衛政策への理解を広める活動をしているのも周知の事実である。

https://www.sankei.com/article/20260512-5ZFBLSTYVZETVKF4UYSGOCK6CQ/

「安保三文書」改訂有識者会議では、いわゆる「ウクライナ応援団」系の「インフルエンサー」の国際政治学者が複数入っている。各氏の主張は、政府の立場と同じであり、小泉大臣も、「インフルエンサー」有識者を積極的に盛り立てている(以下の小泉大臣のポストでは言及されていないが登壇者のうち二名が有識者会議メンバーである)。https://x.com/shinjirokoiz/status/2066073225482616946 

 

 小泉大臣シンポ

日本の防衛関係者は、いまだに「サヨクが・・・」という被害者的なレトリックを使う。しかし、実際には、現在の日本の防衛政策に対する左派系の人びとの影響力は極小化されている。世論は軍拡支持、嫌中の方向に強く振れている。日本の防衛コミュニティが、軍拡・嫌中を支持する「インフルエンサー」を多々抱え込み、防衛費拡大を既定路線とした政府と世論に強い影響力を持っている現状は、日本の戦後史において、まさに「新しい」状況であると言える。

 

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74日は、アメリカにおいて「独立記念日(Independence Day)」として知られる祝日である。1776年に、13の北米の英領植民地が、イギリス王の支配から逃れるため、独立宣言を公布した日だ。

前年の1775年から始まっていた独立戦争が進行中の最中に、その戦争の大義と目的を明らかにするために発せられた宣言であった。独立諸国家群は、ジョージ・ワシントンを総司令官とする「大陸軍(Continental Army)」を形成し、フランスなどを同盟国として、1783年まで戦い抜いた。

今年は、1776年から250年目にあたる。そこでアメリカでは「独立250周年」として節目を祝う行事が企画されているようだ。ところがトランプ大統領の企画には参加したくないといったミュージシャンが続出して、企画が実行できないなどの混乱が起こっているのだという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/83d768996d0512713cf813e3eda4133a40191f31?source=sns&dv=pc&mid=other&date=20260605&ctg=wor&bt=tw_up

このことを取り上げて、日本のメディアは「建国250周年」という表現で描写している。あるいはメディアをこえて、「建国250周年」という表現は、日本ですっかり定着しているようだ。

だが上述のように、正しくは「独立250周年」である。日本語の「建国」に相当する英単語は、アメリカでは使われていない。そもそも今年は「建国」から250周年ではない。

250年前の1776年に独立宣言を発したのは、「大陸会議におけるアメリカの13の連合した諸邦の代表者たち」である。1776年「独立宣言」は、複数形で表現された複数の「植民地(colonies)」が「自由で独立した諸国(states)」になったことを明記しており、日本人が想像する「アメリカ合衆国」という単一の国家は、このときには誕生していない。

「独立宣言」後に13カ国によって批准された1777年『連合規約(Articles of the Confederation)』は、第2条で、「各国家が主権、自由、独立を保持する」と明確に定める。「連合」は、諸国間の恒久的同盟と定められ、連合会議には、宣戦と講和、外交使節の交換、条約の締結など対外関係に関する権限が与えられた。しかし内政に関する権限は各国に残されたままであり、外政部分についても、連合として行動するための執行権を持った政府は設置されなかったので、戦争がなくなれば、連合が共同行動をとる機会もほとんどなくなる仕組みであった。

当時の人びとは、北米大陸に13の主権国家が生まれたが、イギリス王に対抗するために戦争では「大陸軍」という連合軍を作っている、という意識だった。そのため1783年に独立戦争が終わると、「大陸軍」は解散してしまった。

独立戦争後の北米13州は、自由を謳歌しつつ、共通の政策を持たず、仲違いも激しかった。このままでは諸国間の衝突が起こるのでなければ、再びイギリスのような外国軍が攻め込んでくる、と危機意識を持った者たちが集まって実施したのが、1787年の「制憲会議」であった。

この会議で起草された合衆国憲法が発効に十分な数の批准を集めたのが1788年であったので、アメリカ合衆国(United States of America)という国家体制が誕生したのは、1776年ではなく、1788年だと言うべきである。ちなみにジョージ・ワシントンが初代大統領に就任したのは、1789年のことである。

なお1887年の時点で合衆国憲法を批准したのは、11「州(State)」にとどまっていた。難色を示していたノースカロライナとロードアイランドを含めて13州全てが批准し終わったのは、ようやく1790年になってからのことであった。

制憲議会で憲法起草した「フェデラリスト」たちの議論では、合衆国憲法体制において、主権は、州と連邦に「分割」されて行使される。この「分割主権(divided sovereignty)」の教義は、絶対主権論が流通していたヨーロッパ(特に大陸諸国)では異端視されなければならないものだったが、当時のアメリカ人は、むしろ「神の恩寵」にしたがった共和国からなる「新世界」で可能になった誇るべき仕組みだと考えていた。南北戦争に至るまでの時期のアメリカでは、「分割主権」論こそが正統な原則であり、合衆国最高裁判所も「分割主権」論を明示する判例を繰り返し作った(拙著『「国家主権」という思想:国際立憲主義への軌跡』(勁草書房、2012年)第1章参照)。

このあたりの史実の重要性は、単なる歴史的な経緯の正確な把握という次元を超えて、憲法(The Constitution)」という政治共同体を構成する(constitute)諸原則を作る作業の理解の作法に大きく関わってくる。

憲法を作る、という作業は、極めて人間的な思想的・政治的営みである。国家は、憲法に謳われた諸原則によって形成されるものであり、逆ではない。

しかし日本では、先に国家があって、その先天的な国家なるものが、自らの憲法を後付けで生み出したかのような史実の理解が一般的であるため、憲法がなくても国家が「建国」されているのが普通だ、という観念が強くなるのだろう。

現在、皇室典範改正の動きをめぐり、論争が起こっている。そもそも皇室典範は、明治期に政治的判断でプロイセン憲法を模倣して1889年に大日本帝国憲法が制定された際に、あわせて1889年に導入された法律の名称でしかない。

プロイセン憲法は、国王を男性と定めていたが、それは国王が国軍の最高指揮官で、当時のプロイセンが男性だけを対象にした徴兵制度を持っていたからだ。つまり国王は男性に限る、というプロイセン憲法の条項は、当時のプロイセンの軍国主義の思想の産物であった。富国強兵政策を推進していた当時の日本は、そうであるがゆえにプロイセン憲法を模倣して、大日本帝国憲法第11條「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」という規定を挿入した。後に「統帥権干犯問題」を引き起こす「統帥権」規定である。

女性天皇を認めない立場を取る者は、ことを、あまり快くは認めたくないようだ。古代から連なる男性・男系の「万世一系の天皇」の神話が、憲法を上回る権威を持っているかのように理解しようとする。大日本帝国憲法も、日本国憲法も超越する、「万世一系の天皇」なる存在があるかのように振る舞おうとする。

しかしそれは社会契約論の考え方に依拠する「立憲主義(constitutionalism)」の思想を否定する態度である。

アメリカ人自身が「独立250周年」と呼んでいるものを、何とか強引に日本語では「建国250周年」と言い換えようとする日本のメディア関係者らの努力は、意識的であるか否かにかかわらず、社会契約論に依拠する「立憲主義(constitutionalism)」の意味を貶めようとしているに等しい。そのことは、決して過小評価されるべきではないだろう。

 

『トランプの戦争とアメリカの敗北:イラン攻撃を招いた「ドンロー主義」の正体』(ビジネス社)は、61Amazon先行発売、63日書店発売。https://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%A8%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E6%95%97%E5%8C%97-%E7%AF%A0%E7%94%B0%E8%8B%B1%E6%9C%97/dp/4828428380/ref=sr_1_1?dib=eyJ2IjoiMSJ9.KG8TQC76gfWD44zuIQ58I3T3UFrFX9tUSf5RY3M0m09sZJ2COKA0ZXH68DY2ciGD15WlN9Xp7COpKDWtz1IgQPsyb82aG09qltgTaEYB3fAH6fXPwnhMnHce2PwwDXjw10LLBsWzPTNeGBdpAaGm9sSvNAjoJv__5io65R3Zh3qg3AMwDWwUz4Qa1A6RMM6E44kVBdXY9rS0pcxMPXE6H06zA05dBWdW3MY05c8qqyk.e5FoL-z6kwFWwRFtHrMcCyYG_cOkC5_eBfr8OAgMtIQ&dib_tag=se&qid=1780231120&s=books&sr=1-1 

 

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米国のヘグセス長官が、シンガポールで開かれた「アジア安全保障会議(シャングリラ会合)」で、同盟国に国防費の増額を要求した。アジアの同盟国及びパートナー国が国防費を国内総生産(GDP)の3.5%に増やすことを期待する、と述べたのである。

GDP3.5%の国防費」は、すでに欧州の同盟諸国が受け入れているものと同じだ。アメリカは、「GDP3.5%」という数値目標を、あたかもそれが具体的で明確な目標なので普遍的な基準になりうる、といわんばかりに、所かまわず振り回しているわけである。

我々は、すっかりこの光景を見慣れたものだと感じるようになってしまった。しかし、この慣行は、それほど古いものではない。

かつてのアメリカは、駐留経費負担、装備購入、兵力整備などの具体性のある内容で、同盟諸国に対する防衛負担向上の要請していた。この傾向が変わり始めたのは、ほんの10年ほど前だ。ロシアのクリミア併合が起こった2014年のNATO首脳会議で、加盟国の防衛費をGDP2%以上に近づける、という目標が採択された。ただ当初は、10年ほどかけて達成したい長期的な努力目標でしかなかった。

この目標の早期達成を、欧州諸国に強く要請するようになったのは、2017年に成立した第一次トランプ政権だった。

難色を示していた欧州諸国が、「GDP2.0%」を早期に達成するようになったのは、2022年のロシアのウクライナ全面侵攻のためである。日本のその流れにそって「GDP2%」を5年で実現することにした。

ところが欧州諸国・日本がその目標が達成すると、第二次トランプ政権のアメリカは、「GDP3.5%」の数値目標が要請するようになった。おそらく、この目標が達成されたら、「GDP5.0%」の目標が導入されるはずである。

アメリカは世界最高の軍需産業を持っている。同盟諸国が防衛費を拡大させれば、まず潤うのは、アメリカの軍需産業だ。トランプ政権の姿勢の背景に、そうした経済的利益の計算があることは、言うまでもないことである。

だがよく考えてみると、アメリカの態度は、かなり乱暴である。NATO構成諸国のように、ロシアという共通の仮想敵に対して、組織的な対応を図る諸国であれば、共通の数値目標には、負担の公平配分という観点から、妥当性があるかもしれない。しかしアジアにはロシアという共通の仮想敵は存在しておらず、そもそもNATOのような軍事組織も存在しない。それなのに全く同じ数値目標での防衛費の増額を要求するというのは、必ずしも論理的な議論に基づく態度であるとは言えないように思われる。

そもそも「GDP3.5%」の中身の議論をすっ飛ばして、予算増額だけを求めていくというのも、かなり乱暴な話である。

日本は中国を仮想敵とみなし始めているが、他のアジア諸国が同じように中国を仮想敵とみなしている経緯はない。日本ですら、万が一、政権交代がなされて、中国との和解がなされれば、事情は一変する。ロシアとの敵対関係についても、同じ事情があると言えるだろう。

さらに指摘すれば、お金を沢山使うと、それに比例して軍事力が向上する、という保証があるわけではない。たとえば、必要性が低い中古の兵器を、アメリカから言い値の高額で購入し続けたら、どうなるか。軍事力の向上が図られないまま、軍事費ばかりが高騰していく事態となる。

さらに突っ込んで指摘すれば、「必要性が高い兵器」は、精緻な分析に基づいて評価した脅威に対抗するための精緻な政策の構築があって初めて、認定できるものだ。分析が精緻になればなるほど、「必要性が高い兵器」の評価は、相対的になっていく。

たとえば安価なドローンによる攻撃に、高額の地対空迎撃兵器で対抗していたら、費用の非対称性が著しく高まり、軍事作戦の合理性が失われてしまう。つい最近もイラン対アメリカ・イスラエル戦争で示された点だ。

果たして日本に、防衛費の執行の指針になるような、精緻な兵器購入計画を導き出す防衛政策に関する議論が、行われて様子があるだろうか?

5年間で2倍になった防衛費が、どのような追加支出を行うようになったのか、どれだけの日本国民が知っているだろうか?

「防衛費が2倍になった」ということだけで、もう何かを達成したかのような気になる人がほとんどではないだろうか?

2倍になった防衛費を支える防衛政策を説明している国際政治学者らが、どれだけ存在しているだろうか?

「中国は脅威だ、だから防衛費を増やさなければならない」ということだけを繰り返し主張している「専門家」ばかりだ、という状況になっていないだろうか?

増えた防衛費の中から相当額が、「中国の認知戦への対抗」に充てられる。防衛費の増額に異論を唱えるようであれば、「媚中派」として「認知戦対策」の対象に指定されてしまいかねない。そんな怪しい雰囲気を感じているのは、私だけだろうか。

 

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