前回のブログでは、「芦田修正」についての記述が舌足らずだったかもしれない。「芦田修正」というと、憲法学では、92項に「前項の目的を達するため、」という文言を入れて自衛戦争の留保を狙った、姑息だが失敗した措置として知られている。
 
しかし私は、それはむしろ憲法学の自作自演の陰謀の産物なのではないか、と疑っている。
 
実は日本政府憲法改正小委員会(委員長:芦田均)によって修正されたのは、2項だけではない。1項の冒頭の文言「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」も、同じように修正の結果、挿入された文言である。GHQ草案の段階では、そのような文言がなかった。

GHQ草案www.ndl.go.jp/constitution/e/shiryo/03/076/076_007l.html

www.ndl.go.jp/constitution/e/shiryo/03/076a_e/076a_e007l.html 

(現在の9条はGHQ草案では第8条)

2項の「前項の目的を達するため、」という文言は、1項の目的、つまり冒頭の「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」を指していることは、明白である。1項にも、2項にも、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」という9条の目的を明示しようとしたのが、委員会の措置であった。ただ2度同じ文言を繰り返す必要はないため、2項では、「前項の目的を達するため、」という文言になった。
 
「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」という文言は、前文で謳われている精神の確認である。
 
憲法前文で「公正」とされている箇所は、GHQ草案では「justice」とされていた箇所であり、つまり「正義」である。そして「justice」とは、アメリカ合衆国憲法の冒頭に登場する概念である。
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日本国民は、・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、・・・国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

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「平和を愛する諸国民」は国連憲章に登場する文言で、国連加盟国を指す。原加盟国は、アメリカを筆頭とする第二次世界大戦戦勝国である。さらに遡れば、1941年にアメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相によって発表された「大西洋憲章」に登場する文言である。ちなみに「恐怖と欠乏からの解放」という概念も、ルーズベルトによって大西洋憲章に挿入され、国連憲章にも引き継がれた概念である。その後に日本国憲法に挿入された。
 
「芦田修正」が明示したのは、国連憲章が代表する国際秩序の存在を大前提にして、9条が存在しているという点であった。
 
ちなみに2項との関係で言えば、大西洋憲章の次の文言は、全てを物語る。

「陸、海又ハ空ノ軍備カ自国国境外ヘノ侵略ノ脅威ヲ与エ又ハ与ウルコトアルヘキ国ニ依リ引続キ使用セラルルトキハ将来ノ平和ハ維持セラルルコトヲ得サルカ故ニ、両国ハ一層広汎ニシテ永久的ナル一般的安全保障制度ノ確立ニ至ル迄ハ斯ル国ノ武装解除ハ不可欠ノモノナリト信ス。」http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j07.html

92項の措置は、1941年大西洋憲章のときから予定されていたものだと言えるが、それはつまり大日本帝国軍の解体の国内法上の根拠を提示したものだ。したがって「侵略の脅威」が取り除かれた後に、「広汎にして永久的なる一般的安全保障制度」を定めた国連憲章における正当な自衛権の行使をするための手段の保持することを、禁止したものではない。