憲法学者の長谷部恭男教授や木村草太教授について取り上げたブログを何回か書いた。その後、ブログのコメント欄にいただいた意見を見て、少しだけ補足を書きたくなった。芦田均と田中耕太郎についてである。
芦田均は、憲法改正小委員会の委員長として、国会における日本国憲法の審議に影響を与えた。有名なのが、憲法学者によって「芦田修正」と呼ばれる憲法9条2項の冒頭の「前項の目的を達するため」という文言だ。ここだけを切り取って「芦田修正」と呼び、それは姑息で破綻した修正だと唱え続ける態度は、「通説」憲法学者の存在証明のようなものだろう。http://agora-web.jp/archives/2032636.html
田中耕太郎は、憲法学者がかつて忌み嫌い、今は利用しようとしている、在日米軍の違憲性を否定した「砂川判決」時の最高裁判所長官である。戦前の東大法学部時代に公刊した『世界法の理論』が有名で、自然法の法規範性を強く主張する立場で知られる。1961年から1970年にかけて、国際司法裁判所(ICJ)判事を務めた。「南西アフリカ事件」における田中の個別意見は、国際法の世界では有名であり、ICJ判事として輝かしい実績を持つ。http://agora-web.jp/archives/2032709.html http://agora-web.jp/archives/2032483.html
芦田は1887年生まれ、田中は1890年生まれで、ほぼ同世代と言ってよいだろう。20世紀初頭の「大正デモクラシー」に代表される思潮をけん引した世代だ。私に言わせれば、国際法秩序に調和して生きる日本を理想とし、戦前の日本の失敗を、国際法秩序からの逸脱によるものと考える世代だ。
現代の日本の憲法学者が、芦田や田中ら「オールド・リベラリスト」と鋭く対立するのは、現代日本の憲法学が陥っているガラパゴス的性格を象徴するものだ。
「芦田修正」と憲法学者が呼ぶ文言は、9条1項冒頭の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」にかかる。手段としての9条が目指す「目的」のことだ。この「目的」は、すでに「前文」で示されているとおり、国連憲章体制を前提にした国際法秩序の中で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」し、「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」ということだ。
「平和を愛する諸国民(peace-loving peoples)」とは、国連加盟国のことを指す。それらの諸国の「公正と信義(justice and faith)」を信頼するという憲法前文の文言は、憲法9条の「正義と秩序(justice and order)」という目的だけでなく、国連憲章前文の国際法に沿った「正義(justice)」の確立という目的、さらにはアメリカ合衆国憲法前文冒頭の「正義(justice)」の確立という目的と、合致する。
オールド・リベラリストの芦田が言いたかったのは、この憲法の国際主義のことだ。芦田を姑息で破綻した陰謀論者のように扱うのは、ガラパゴス主義宣言のようなものだろう。
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第九条の規定が戦争と武力行使と武力による威嚇を放棄したことは、国際紛争の解決手段たる場合であつて、これを実際の場合に適用すれば、侵略戦争といふことになる。従って自衛のための戦争と武力行使はこの条項によって放棄されたのではない。又侵略に対して制裁を加へる場合の戦争も、この条文の適用以外である。これ等の場合には戦争そのものが国際法の上から適法と認められているのであつて、一九二八年の不戦条約や国際連合憲章に於ても明白にこのことを規定しているのである。(芦田均『新憲法解釈』[ダイヤモンド社、1946年]36頁。)
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田中耕太郎が最高裁長官を務めている際の1959年「砂川判決」が「統治行為論」だといった不当な評判を受けたのは、下級審の「伊達判決」による在日米軍違憲論のほうが正しいと考えた憲法学者が、同時代には多かったからだろう。「本当は違憲だと言わなければいけないくせに統治行為論で逃げたのだろう」、という思い込みが、「統治行為論」だ!といった非難を生んだのだろう。
今日になって木村草太教授のように、「日米安保の合憲性を判断しただけで集団的自衛権の合憲性は関係がない」と「砂川判決」を解釈するのは、修正主義的なものだ。日米安保は合憲だが集団的自衛権は違憲だ、という議論は、最近になって作られた言い方でしかない。
それにしても、砂川事件最高裁判決の際の最高裁長官である田中耕太郎は、憲法学者にとって分が悪い相手であると思う。長谷部教授や木村教授のように、田中耕太郎を手なずけようとするのは、ちょっと無理筋だと思う。彼の言っていたことは、大枠で、私と同じで、国際法の論理の中で、日本国憲法を理解すべきだ、ということだ。
「自衛は他衛」という有名な言葉は、砂川判決における田中長官の個別意見の中で出てきた言葉だが、田中の意見の影響が色濃く残る形で、砂川事件最高裁判決の主文が書かれたことも自明であると思う。
田中は、著作で次のように述べていた。
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「根本原理、即ち民主主義の或る種の原則や基本的人権は普遍人類的性質をもっており、従って自然法的である。・・・人類普遍の原理即ち自然法による制約が存在するのである。というのは、前文が排除さるべき法規の中に『一切の憲法』を含めているからである。・・・新憲法の一つの特徴はそれが国内政治の根本原理を宣明したにとどまらず、国際政治の理想を明白に掲げた点に存する。・・・国際協調、世界の平和に対する熱意に燃えている。・・・普遍的な政治道徳の法則―この中には国際法をも包含するものと解する―は諸国家の上にあって、これ等国家の主権を制限するものである。これは諸国家の上にあるところの、国際法の基礎となる自然法の存在を確認したものと認め得られるのである。・・・今や、我々が真に世界の平和、人類の福祉に貢献しようとする熱意を有するならば、国際法に超国家的基礎を付与することが必要である。国際法は国際社会の法即ち世界法でなければならない。・・・我々は、新憲法が如何に普遍的人類的原理を強調しているか、を見た。それは国内社会と国際社会を通ずる原理である。」(田中耕太郎「新憲法に於ける普遍人類的原理」[1948年])
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コメント
コメント一覧 (12)
「立憲主義」に反する、と反対されているのは、「集団的自衛権」なのであって、個別的自衛権の存在としての「自衛隊」は合憲、と認めておられるのだから、反対しておられるのは、「武装」ではなく、中立でないこと、つまり、「米国と協力して」世界平和を確立しようとする営みなのではないのだろうか?彼らの見方からすれば、「平和を壊す」ということになるのかもしれないが。
私のように、若い頃、就職の為に、時事英語を一生懸命勉強した者は、リベラルであると「立憲民主党」の政治家が主張されること自体に、違和感を感じる。なぜなら、自民党が、リベラル・デモクラテイック・パーテイーで、日本社会党は、ジャパンソーシャリストパーテイーで、立憲民主党の主要なメンバーが日本社会党出身なのに、リベラルである、と主張しておられるからである。リベラルという言葉は、本来、いろんな価値観を認める、ということで、いわゆる憲法学者の「権威主義」、と対極にある考え方である。だからこそ、民主主義の基本になるのである。
そういえば、日本社会党の党首であった、土井たか子さんは、憲法学者出身の政治家であった。この対立は、日本派対国際派、というよりも、55年体制の残滓,ではないのだろうか?
丸山真男さんは戦後日本社会に大きな影響を与えた人物ということもあり、様々な立場から批判がなされているが、自らそれに応えて論争になるといったことはほとんどなかったと言われています。竹内洋は評伝で、丸山が批判に余り取り合わず「黙殺」したことで、結果的に丸山の権威が認められたと述べていますが、長谷部教授たちもそれに見習っておられるように思います。
篠田先生、その手法に負けずに、頑張ってくださいね。
もっとも、戦後しばらくは牧歌的時代もあって、例えば、田中耕太郎と丸山真男との間に思想的立脚点、政治的立場を超えた対話や論争が成立した時期もありました。それが現代日本の憲法学者との間に成立しないのは、権力批判を行う支配的憲法学者の解釈・言説それ自体が「法律家共同体のコンセンサス」としていわば制度化され、一種の奇妙な学界内権力となっているからでしょう。田中耕太郎はもとより吉田茂、安倍能成、芦田均、小泉信三、和辻哲郎など、戦後初期の保守陣営の中心になったオールド・リベラリストたちは古色蒼然としているかに見えて、いずれも一騎当千の強者揃いで、国際感覚や見識、懐の深さなど総合的人間力において、「専門知」に籠城する憲法学者の太刀打ちできる相手ではないことは、素人目にも明らかです。長谷部恭男氏や石川健治氏がいくら「法律家共同体のコンセンサス」や「専門知」の立場から政権批判を繰り出しても、真の意味で権力への対抗重量にならないのは、氏らの憲法解釈や政治運動がdomesticの限界を破れず、日本の安全保障政策や平和構築を1ミリも前に進めることに寄与しないのと同根です。
高柳賢三や田中美知太郎は本人自身はオールド・リベラリストに分類されることに困惑するでしょうが、その志操において同じ気質の持ち主です。田中美知太郎は戦前も戦後も、政治的見識の一貫性と日本の進路選択を誤らなかった眼識において稀有の存在です。
権威ある憲法学者のポイントがさほど高くないのは、何故だろう。
一般読者も次第に解ってきたということだろうか。
丸山批判は60年代の福田恆存や江藤淳ら保守に加え、吉本隆明ら新左翼によるものがありましたが、90年代以降のポストモダン派の批判にもかかわらず丸山の影響がマスメディア界に生き続けているのは、メディアの思想的伝統を形成しているのが団塊の世代を中心とする特異な政治意識であり、失われた政治の季節への無批判な郷愁だからです。この丸山礼讃は、とにかく自分の頭で考えることを避け、時々の流行思想や支配的言説に過敏に反応しながら依存するという権威主義が、イデオローグ・丸山に投影されたものです。
丸山は卓越した政治学者、政治思想史家で、ジャーナリスティックなセンスを兼ね備えた優れた文章家ですが、メディアの丸山理解は極めて一面的で紋切り型です。その点で、メディアの憲法観、安全保障論議は安保闘争時の丸山の不見識と挫折にとどまったままです。恐るべき停滞で、丸山だけの責任ではないのです。丸山は大変な饒舌家でしたが、取り巻きの無批判な称賛を黙って受け流す一方、自身の時局認識の過誤を含羞のうちに包んでいたように思います。
その対局にあったのは、けん銃も見たことないような戦後日本の大学やマスコミに履いて捨てるほどいた非武装平和主義者(口舌の徒)。彼らは自分たちの言論と交渉術でいかなる平和でもつくれると己惚れた。でも、たとえば過激派学生が怒鳴りちらしている間は「大学の自由と自治を守れ。聖域なのだ。彼らを説得するのは我々の役目だ」とすまして、警官の大学立ち入りなど拒んだが、学生が鉄パイプをもってあたりかまわず人をぶっ殺しはじめたら、すぐに逃げ回って警察に助けをもとめた。安全保障も同じような水準だっただろう。つまり、限界まで空想とたわ言をまきちらし、いざ本物の危機がきたら「もう知らん。国連軍でも呼べ」とでも言うレベルである。
「こうした素晴らしい憲法が世界の戦争を防ぎ平和な未来をつむぐのです。ちなみに私は日本を代表する平和憲法学者です」などと真顔で説明して、ほほぅーなどと共感する外国人がいたら上辺では共感するように見せながら、内心では「日本にも専門バカの群れはいるもんだ」と考えているに違いない。もちろん彼らはそれが占領軍による日本軍解体の「儀式」に起源があることを知るよしもない。
占領軍は「日本人は農業でもやって命をつなげ。そしたら戦争も軍隊もなんの関係もないだろ」と考えたのであって、(彼らのなかの一部の奇人変人をのぞいて)非武装平和主義が人類の平和という将来の明かりをともすだろうと考えたのではない(「悪の帝国」にはちょうどよいとは信じただろう)。そして、その過酷な現実のなかで芦田均や他の人々が(日本の安全保障の火を消すまいと)最善を尽くした。(彼らも今の時代から見れば有能な現実家)
今回の世界大戦において、少なくとも三つのイデオロギーが対立する姿をはっきり認めることができた。
ソヴィエト連邦の政治の背景にある共産主義とは、国境も階級もなき労働者の「一つの世界」を理想として描いている(1)。ナチスとファシストの世界観は、優秀な民族による劣等民族の指導であり(2)、アングロサクソンの共通な理念は、民主主義による国際協調と国家平等の原則を基調とするもの(3)である。
戦前の日本は、表向きはともかく、「大東亜共栄圏」は大和民族の指導で、という理念なのだから、2のイデオロギーを取ったことは明らかですが、誇りある他の民族が黙っているわけがなく戦争になります。この理論は、無知な素人は黙れ、日本国憲法解釈は、良識のある、知的指導者である、憲法学者に任せよ、に似ていますよね。
戦後の日本のインテリ層がめざしたのは、1です。1は、机上で考えると、美しく響きます。ところが、現実に移すと、労働者全員で政治をすることは現実的に無理なので、政治力のある指導者の長期独裁となり、その指導者に忠誠を誓う高学歴の官僚支配となり、労働者間の競争がないので、サービス競争、新製品開発競争は失われ、企業活動が停滞し、現実は、出世するための、労働者間の党幹部への密告競争になるのです。
芦田均さんたちが作り上げられようとした「日本国憲法」は、現実理解の元、3のイデオロギーに基礎をおいておられる、と考えられます。民主主義による国際協調と国家平等の原則を 基調とするからこそ、あのような前文になるのであって、その理解が、いわゆる、憲法学者の方々には、欠けているのではないか、と思っています。
丸山は典型的なリベラリストで、戦後のアカデミック・ジャーナリズムを主導した進歩的知識人の代表格だ。フルトヴェングラーをこよなく愛する書斎派の知識人というスタイルを、つまり、知的指導者としての東大教授の権威を巧みに利用しつつ、自身はあまり信じてもいないが、かといって無視できず批判もできないマルクス主義へのアンビヴァレントな感情を抱いていたように思う。マルクス主義者がよく主張する科学的社会主義への根本的批判はあえて行わないばかりか、同調さえする。この独特の態度保留が丸山の二重性であると同時に、どこまでいっても革命家にはなれない大学教授の処世術だった。アカデミック・ジャーナリズムで生き抜く知恵でもあった。だから、勢い言辞は過激になる。丸山が説く真の戦後民主主義への「永久革命」も、「私自身の選択についていうならば、大日本帝国の「実在」よりも戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける」という決意表明も、全くの法螺とは言わないが、あまり感心しない。「永久革命」は一つの哲学としては成立しえても、政策論の原理にはならない、という篠田さんの指摘は、その通りだと思う。
宮澤俊義もかつて東大での憲法講義で、大日本帝国憲法の第一条から三条について、「これは神話ですから無視します」云々と称して、四条「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権を総攬シ……」から始めたという。学生を驚かせるレトリックなのだろうが、学者としての誠実な態度とは言えない倒錯した行動だ。「高校2年の終わり頃まで、ミュージシャンになりたかった」という篠田さんとは随分違う感性なことがよく分かる。
前置きが長すぎた。要は篠田さんが今回指摘したオールド・リベラリストと憲法学者たちの時代感覚について、考えてみたかったからだ。どこまでがオールド・リベラリストに分類するかは案外難しいが、草案審議を含めて憲法改正に関わったオールド・リベラリストの政治家や学者たち、芦田均や幣原喜重郎、吉田茂、高柳賢三はいずれも国際感覚豊か英国型紳士で英米の事情に詳しい。田中耕太郎は英米派ではないが右翼や軍部の攻撃を受けながら、カトリック信仰を核にした反共、反ファシズムの姿勢を貫いた自由主義者、これに法学者ではないが国際派自由主義者の鶴見祐輔や高木八尺に小泉信三、世代は下がるが白洲次郎を加えると、海外事情に通暁し、篠田さんの指摘する「国際法秩序に調和して生きる日本を理想」とし、戦前の失敗を国際法秩序からの逸脱によると考える、戦前の良質な伝統を継承する有力なエリート層を代表しているのが分かる。憲法制定過程を勘案すれば、九条に国際法という補助線を導入して過不足なく解釈するバランス感覚が「ガラパゴス憲法学者」には確かに欠落している。
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