6月4日は天安門事件の29年目の記念日だ。1989年当時、私は大学3年生だった。偏屈者が集まることで評判だった政治思想のゼミに通いながら、天安門事件や、同じ年の秋に発生する東欧革命のニュースを見た。その年の暮れに、私は、学者になろうと思った。天安門事件のことは、当時の様子とともに、鮮明に思い出される。未完の革命だった。もちろん今も当時も、中国で革命が起こる可能性は低い。しかし天安門事件を過小評価して、現代の中国人と付き合うのは違う、と私は思っている。
そういえば今年の5月は、1968年フランス「5月革命」50周年であった。日本ではあまり話題にならなかったようだが、研究者層では、1968年は世界史の転換点だった、という評価が固まっている。その1968年の象徴が、フランス未完の革命である「5月革命」だ。
高校時代に私は、よく学校をさぼって東京のはずれで映画を観たりしていた。安い料金で何本も観られる映画館に行ったりしていたため、寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』や『ウッドストック』の映画は、何度も観た。「1968年」の雰囲気は、私にとって、一つの不思議だった。大学に入って、フーコーやドゥルーズなどの「68年思想」とも言われる現代思想にふれて、1968年は、いっそう関心をかきたてるものになった。
当時は村上春樹が一世を風靡した時代だ。1968年当時を舞台にした『ノルウェーの森』がベストセラーになったのが、私が大学一年のときだった。その中に、主人公の「僕」(ワタナベトオル)が、亡くなった友人「キズキ」に次のようにつぶやく場面がある。学生運動で大学封鎖をした連中が、運動熱が冷めると、きちんと授業に出たりしているのを見た後の言葉だ。
「キズキ、ここはひどい世界だよ」「こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ」
そういえば今年の5月は、1968年フランス「5月革命」50周年であった。日本ではあまり話題にならなかったようだが、研究者層では、1968年は世界史の転換点だった、という評価が固まっている。その1968年の象徴が、フランス未完の革命である「5月革命」だ。
高校時代に私は、よく学校をさぼって東京のはずれで映画を観たりしていた。安い料金で何本も観られる映画館に行ったりしていたため、寺山修司『書を捨てよ、町へ出よう』や『ウッドストック』の映画は、何度も観た。「1968年」の雰囲気は、私にとって、一つの不思議だった。大学に入って、フーコーやドゥルーズなどの「68年思想」とも言われる現代思想にふれて、1968年は、いっそう関心をかきたてるものになった。
当時は村上春樹が一世を風靡した時代だ。1968年当時を舞台にした『ノルウェーの森』がベストセラーになったのが、私が大学一年のときだった。その中に、主人公の「僕」(ワタナベトオル)が、亡くなった友人「キズキ」に次のようにつぶやく場面がある。学生運動で大学封鎖をした連中が、運動熱が冷めると、きちんと授業に出たりしているのを見た後の言葉だ。
「キズキ、ここはひどい世界だよ」「こういう奴らがきちんと大学の単位をとって社会に出て、せっせと下劣な社会を作るんだ」
アメリカでは、1990年代に、ベトナム反戦運動に熱心に参加していたビル・クリントンが、大統領になった。イギリスでは、オックスフォードで熱心に学生運動をやっていたトニー・ブレアが、首相になった。パリ5月革命時に、パリ大学医学部で運動指導者だったベルナール・クシュネルは、早くも1971年に「国境なき医師団(MSF)」を設立して世界的に有名なNGOに育てあげた後、90年代前半には保健・人道活動大臣を務めた(後に外務大臣)。
1990年代に、人道援助、人道介入、平和活動、人権問題の話は、大きく広がった。世界の構造的矛盾に異議を唱えた世界各国の1968年世代の人々が、そこにいた。第一線で、活躍し始めていた。ロンドンでPh.D.を取得した私は、平和構築を専門にして学者としてやっていくことを決めた。
それにしても、日本の団塊の世代は、何をやっているのか。
まさか「立憲主義は政府を制限すること」と主張し、「モリカケのアベに憲法を語る資格はない!」などと叫び、テレビを見ながら「もう詰んだ」など言って、革命ごっこの気分に浸ることが、日本では1968年世代の習慣になっていないか。
「キズキ」に話しかける、「ワタナベトオル」のような気持ちになる。
コメント
コメント一覧 (48)
私は1968年のフランス5月革命を「世界史の転換点だった」とする評価には賛同できない。サルトルはもとより、フーコーもドゥルーズも評価できない。この点でも時代遅れかもしれない。70年から中学卒業までの1年間余り、私も授業を抜け出して(「いちご白書」は見損なったが…)、映画をひたすら観た。「されどわれらが日々」、「赤頭巾ちゃん気をつけて」の世代。黙って見逃してくれた教師に感謝している。ただ、「知性の叛乱」による大学解体(山本義隆)にも、高橋和巳も同調した「造反有理」にも根本的批判がある。一言で言えば、「現実認識の甘さを高邁な理念の追求で超越できると過信したナイーヴな理想主義」と映る。トランプ大統領の誕生に「悪夢」をみる昨今のインテリの心性と同じだ。だから、時代の趨勢を見損なう。
17年前、今は亡き藤澤令夫先生にお世話になった際に、先生が学生部委員としてかかわった京大紛争の内情についていろいろ聞きました。研究どころではない、「すさまじい一年だった」そうです。熱狂の季節です。私が学生たちの叛乱について冷淡なのは、元々マルクス主義に批判的だったことに加え、先生の影響があることは否めません(全共闘とは異なり、5月革命の主導思想は必ずしもマルクス主義ではありませんが……)。次のコメントで朝日新聞を強い調子で批判しておりますが、1970年前後は個人的には懐かしい思い出です。時代感覚や時代認識について、歴史主義的思考の陥穽を批判している私でもそうですから、あまり偉そうなことは言えません。
篠田さんによる憲法解釈の思想史的考察に促されて目下、もう一つの敗戦国であるドイツが再軍備に至る経緯や、日本の再軍備の出発点となった朝鮮戦争勃発時の知識人たちの対応と認識について、その安全保障観や思想史的意味を考えています。憲法解釈の丹念な議論はもちろん大事ですが、国際情勢や思想史的分析も楽しみにしております。
それにしても、ニーチェは驚くべき知性というか、切れ過ぎる刃ですね。田中美知太郎氏がニーチェの文体に通暁していたことを思い出しました。
戦後の進歩的知識人の知的欺瞞と頽廃、それに迎合するマスメディアの思考停止と自己保身、それを「どこか妙だな」と感じつつも世間の空気を無批判に受け入れて、事大主義に陥りがちな多数の国民。責任の大半は知識人やメディアにあるのは言うまでもない。新聞社説によくある、実体は希望的観測や単なる思いつき以上のものではない論旨を、都合のよい事実や仮説を安易に繋ぎ合わせただけのパッチワークで表現する俗論。そこには何の見識も洞察もない。
篠田さんが指摘する憲法学の通説形成を主導した宮澤俊義から始まって、現在の長谷部恭男氏や石川健治氏にも通底する反米主義的なメンタリティーは、こうした西欧、特にフランスやドイツが体現すると夢想する「知的先進性」への憧憬、親和性のなせる業だろう。学生の叛乱を主導した全共闘指導者にも、彼らと対立した戦後民主主義の守護神・丸山真男にも共通する。それぞれ安保闘争や全学連の指導者だった清水幾太郎、西部邁はその後、保守派に転じたが、根強い反米思想の持ち主だった。
私が大学1年の頃、「学費値上げ反対」闘争ということで、全学スト(授業ボイコット)かあった。
そのとき、クラスにオルグ(?)に来ていた上級生(おそらく団塊の世代)に、大学生がストをする意義を尋ねると、「勉強をするという特権の放棄」と真顔の答え。
「責務」ではなく、「特権」という意識にある種の感慨を覚えつつ、当時の学生運動の底の浅さを痛感したものでした。
団塊の世代の大学紛争というのは、中学生の私の目から見て、なにかよくわからないものだった。ゲバ棒をもって、ヘルメットをかぶって、教授を含めて他人に、自己批判を求めているのはよくわかった。そして、左翼系であること、沖縄返還、成田空港阻止、日米安保反対、など、主張はよくわかったが、すべてが、シュプレヒコールで、語尾がはっきりしないので、なぜ、その主張でなければならないのか理由がよくわからなかったのである。そして、その余波の東大入学試験の中止。私も、高校受験を控えていたから、3年先輩の方々の深刻さはよくわかった。きっと志望校もあるだろうし、その志望校と自分の実力を考えて、ランクを一つ落とすか落とさないか、選択しなければならない。
団塊の方々は、大学時代学生運動をし、一方通行の講義では得られない経験をし、政治、大学行政についてデモや集団行動で訴え、卒業まじかに単位をとって、就職活動をして、何事もなかったように、生きられるだろう。けれども、例えば、小松一郎さんのような方は、東大卒でない、という理由で、憲法学者の一派に揶揄されなければならない。不公平ではないのだろうか?
人生塞翁が馬なので、どちらがよかったかは、一概に言えない。ただ、そういう範疇でしか、ものごとを見られない人々は、底の浅い人だ、と思うし、日本の学生運動に関して、私は匿名子の方の意見に近い。
翻って、日本の場合、自民党内の、佐藤体制から田中体制、となりました。つまり、左派の日本社会党は、西欧諸国と同じようには、政権が取れなかった。それは、賢明な日本国民が、マスコミ、インテリ知識人を信じなかった、つまり、彼らの推奨する「非武装中立」政策を支持しなかった、からではないでしょうか?また、自民党内の派閥がそれぞれカラーをもっていて、弱者に配慮する、社会主義的な政策もその中に抱擁しているせいだったとも、思います。
若い世代にとっては「訳わからない」という世界である。「頭おかしい・・」である。議論をする意欲もわかない。篠田氏のように商売上(学界の「重鎮」は団塊世代が目白押しだろうから)議論の相手にしなければならない人に同情しているに違いない(もちろん中には「安保闘争を再び」という珍しい若者もいることはいる)。
天安門事件の時代には中国人のリベラリストを尊敬した。日本の自称リベラル(似非リベラル)よりも中国人のリベラリストのほうがずっと尊敬に値すると思った。今もその感情は変わらない。中国では共産主義は外側から国家を腐らせたが、日本では内側からマルクス主義思想が社会を腐らせた。似非リベラルが大繁殖したのは、マルクス主義が知識層を汚染したからである。今はまともな中国人はマルクス主義など信じていない。「男女平等など主張して封建道徳を打倒して、世界では独裁政権も倒して、貧富の差にも抗議したから、まあ共産主義よかったんじゃないか。悪いのは共産党だ」というのがマルクス主義に洗脳された団塊世代の潜在的な共通意識ではないか。とにかく「頭おかしい」「訳わからん」。
これまで対立するとされてきた存在と当為、換言すれば私利私欲と公共性が必ずしも対立せず、後者は前者に立脚する必要があるという新たなリアリズムに繋がるわけで、それが高度成長期の人間が担う歴史性ともなる。
村上春樹を70年代末に登場させる背景ともなる、高度成長のさなかに提唱された「いま・ここ」からの出発という主張は、まさに「全共闘世代的」価値観の独立宣言であったが、丸山真男によって非歴史的な、日本的時勢主義的なものとして批判された(1972年の「歴史意識の『古層』)。それは丸山ら戦後民主主義を担った第一世代と団塊の世代との断絶であると同時に、経済成長の牽引役となった団塊の世代がその後、丸山らに代わる新たな時代の指導思想を生み出せずに苦闘する淵源ともなった。
「団塊の世代の思想」についての思い出は、ミュンヘン時代、パリから東大の文Ⅲを卒業した、とても頭のいい人が、ワーグナーのリングを鑑賞に来られる、ということで、あの頃、ワーグナーにのめりこんでいた私は、そんな頭のいい、知識のある人のワーグナーの解説を日本語で聞けるなんて、とその方との会話を心待ちにした。ところが、彼の話は、全共闘の人々、例えば重信房子さんは、普通の感覚の、やさしい女性、であるとか、北朝鮮は、外国に特許料を払って開発する日本と違って、外国のトラクターを分解し、独自のトラクターを作り上げる(トラクターは後ろ向きに走ったそうであるが)、の礼賛だったり。私は、独自の技術で後ろ向きのトラクターを作るより、ライセンス契約を結んで、前向きに走るトラクターを作る日本人の方がずっと賢いのではないか、と思ったが、あの頃は、まだうら若き乙女で、先輩に敬意をもたなければならない、と思って黙っていた。
本当に、「頭おかしい」「訳わからん」と思いながら、仕方なく、ドイツ語で書かれたワーグナーのライトモティーフの本を買って、自分で勉強することにした。
私もそうした評価が存在することは承知しているが、先進国における学生の主導的役割を過大評価しているのと、同時代にフランス国内や世界で起きていたことを考えると、運動拡大によるゼネストは「第二次世界大戦以来のフランス政府の危機」とか、古い価値観を転換する「20世紀のルネッサンス運動」とするのは持ち上げ過ぎだと思う。
その証拠に、五月革命開始の翌6月にあった国民議会総選挙でド・ゴール派は圧勝する。ド・ゴールを退陣に追い込んだのは翌69年4月の国民投票(上院・地方制度改革法案)で賛成が53%にとどまり、第五共和制下で初の敗北を喫したことだ。その背景には、68年11月の国際通貨危機がフランス経済に打撃を与え、政権の体力を奪ったことがある。その遠因はフランスが抱えた海外紛争に加え、ド・ゴールが進めた大国主義政策の失敗にある。フランスは60年に核保有を実現し、68年8月には水爆実験をしている。
5月革命の真の意味は、これを転機に敗北や挫折を真摯に受け止めたアカデミズムの世界に起きた広範な地殻変動としての「静かな革命」だと思う。その点で篠田さんの見解に賛同する。
「村上春樹の『ノルウェイの森』よんだら、私も死にたくなりました。人生の幕をここらで閉じたいです。カウンセリングには通っていますが上がったり下がったりです。 ヨガをしたりヒーリングを受けたり趣味のオフ会に参加したり、心が良いほうに進むよう自分なりに努力はしているつもりです」
病んだ日本を象徴する作家なのだろう。
一方で風変わりだけど非常に快活なドラマ「孤独のグルメ」が根強い人気を誇っていて、これがまた食っては商売をしてまた食うというだけの番組だが、「痴呆症で暗い番組を見ると激しく動揺する母が、この番組だけは優しく人を思いやる言葉だけなので安心して楽しく見ています」となかなか本質をついたコメントをアマゾンで見た。
大衆は本物のエリートを正しく判断しなければならない。自称エリートにだまされてはならない。近代日本の場合だと福沢諭吉などは本物のエリートで、その後の啓蒙の時代を引き継いだ徳富蘇峰などはうさん臭い。判断の決めてのひとつは「実学」と「虚学」という言葉。実学を体得して大衆に還元したのが本物のエリート。
はじめて社会主義の革命を起こしたロシアでいえば詩人のプーシキンなどが本物のエリート。ロシアに啓蒙主義が大流行となり、ろくに働かないで学問や思想活動だけで金儲けしようとした自称インテリが、貧乏な農民や搾取された労働者や弾圧された人々を洗脳して扇動したのが当時のロシア。
ニーチェなどはさすがに微妙。二流の知識人を粉砕する徹底性や魅力あるが、エリートとは少し違う畑のカリスマか。
亜インテリなどという言葉をつくって大衆を見下した丸山真男をあまりに過大評価する連中は、まず亜インテリと思って間違いない。吉本隆明は思想には共感はしないが、エリートの気風をもっていてなかなか良い。亜インテリのなかの亜インテリは日本のマスコミ集団。本物のエリートは記者クラブのようなふざけた組織をつくって群れない。亜インテリと違って本物のエリートは抜群にバランス感覚がすぐれている。人間や社会を真に洞察しているからである。
口先だけの亜インテリを真に受けると必ず不幸になる。
イエリネック、ケルゼン、カール・シュミット、同じドイツ国法学、と言っても、個性が違う。そして、ガラパゴスの原因は、ケルゼン研究の第一人者と自称され、丸山真男さんに後押しされた、東京大学憲法学教授であった宮澤俊義さんにあるのではないかと思うようになったのです。上杉慎吉さんのイエリネックによる権威付け(イエリネックは立憲君主主義、上杉は絶対君主主義の差を無視した)と同じ意味で。
ウィーンという都市は、スラブ文化、イタリア文化、ドイツ文化など、ヨーロッパ内の国際都市である。だから、美術にしろ、音楽にしろ、料理にしろ、お菓子にしろ、多彩である。プラハから出てきて、ウィーン大学の教授をしていたハンス・ケルゼンが、ドイツ国法学だけに閉じこもって、国際法に通じないわけがない。そう思って調べたら、やはりそうだった。ユダヤ人であることから、アメリカに亡命したのち、1945年カリフォルニア大学バークレー校の政治学教授になったのち、国際法と国際連合のような国際組織との研究をしていた、とあった。彼は、国際法の国内法に対する優位性を主張しているし、イデオロギー批判もしている。また、彼の著書、純粋法学の中で、法律を倫理学的視点から切り離すべきだと主張していることからみて、カントの定言命法、などという概念を憲法解釈に持ち込むはずがない。
要するに、これも、国際法の大家、芦田均さんに対抗した「8月革命」と同じ、宮澤教授の幻想なのではないのだろうか?
しかし、ケルゼンの学風は英米法の伝統に沿って価値相対主義的な民主性論を展開したわけではなく、彼の価値相対主義は、論理実証主義のメタ倫理学説の価値情緒説に基づくというより、新カント派の影響を受けたマックス・ウェーバーの没価値説に基づく方法的二元論の影響が大きく、どこまでもドイツ国法学的な概念構成に留まっています。その意味で、ご指摘のKelsenが「ドイツ国法学だけに閉じこもって、国際法に通じないわけがない」というのはその通りだとしても、概念構成はあくまでドイツ国法学の枠にあります。八月革命説は「KelsenとSchmittの野合」(石川健治)と批判されるように、宮澤はKelsenとSchmitt(シュミット)を換骨奪胎して、日本国憲法の本来の精神とは異なるドイツ国法学的概念・手法で新たな憲法学説を作り出したのです。KelsenもSchmittも魔術師宮澤に利用されたのです。
「本物のエリートは抜群にバランス感覚がすぐれ・・人間や社会を真に洞察している」というのは一応もっともですが、例外が多いです。多すぎるくらいです。真正のエリートでも専門外の領域、人間や社会、政治や安全保障について見当外れなことが珍しくありません。例えば、加藤周一のような抜群の知性の持ち主でもそうです。洞察力を備えた真のエリートは、特に政治や安全保障の分野では極めて例外的な存在だということが、少々学術ジャーナリズムの世界を知る私の実感です。
「亜インテリのなかの亜インテリは日本のマスコミ集団」は仰せの通りです。かつてその一員だったことを恥じております。
戦時中は時局に積極的に便乗したとまでは言えないし、東大憲法学講座という学統を守るためにという動機が潜んでいたとしても、戦後の急旋回をみせられて、カロリーネさんならずとも鼻白む思いを抱くのは当然です。彼なりに苦悩したことは確かで、公法学者として精力的に研究に勤しむというより、モンテスキューの『法の精神』の翻訳、解説など、余技的な仕事に才能を浪費していたのは惜しむべきことです。しかし、同情はここまでで、政治的支配者の意思の優越を説くシュミット的決断主義や、「啓蒙的合理主義の伝統を継承しつつ、ケルゼンの価値相対主義的イデオロギー批判を独自の仕方で発展させた」(井上達夫)憲法学者ではあったとしても、宮澤には自ら中心メンバーとして関与した政府原案の松本試案を退けて、GHQが示した日本国憲法草案のような民主主義的、国際主義的な改正案を構想する意図も力も見識もなかったのが実態です。
私の目には八月革命説は、熟知したケルゼンやシュミットというドイツ国法学の最深の成果である魔法の杖(概念)を使って、あたかも錬金術師の手業でつくり出された作品=偽物に映ります。宮澤は戦後民主主義のファウスト博士なのかもしれません。そこにLegitimacy (正統性)はないのです。
けれども、同時に、客観的に、真理を追究したい、という欲求もあるのです。
学生時代に、明治維新が、日本の革命だった、と習いました。それは、納得できたのです。大政奉還という政権交代もあったし、鳥羽伏見の戦いもあり、士農工商という身分制度も、フランス革命と同じでなくなった。英国では、名誉革命以降も貴族が存在したので、貴族院があること自体別におかしくない。
ただ、「8月革命」というのは、納得できない。国会のメンバーはパージされた人以外同じ、GHQの草案を日本の立法府の国会の委員会で修正し、国会議員の三分の二以上の賛成で成立した日本国憲法。どこが「革命」なのかまるでわからない。
君主は国民と一体なのだから君主は国民のことを考えなければならない、ということで、立憲君主主義として君主の権力をしばったイエネリックと、法律を倫理や政治イデオロギーから切り離し、法治主義、を唱えたケルゼン、どちらの立場に立っても、日本国憲法9条は、「自由を守る」条文であるなどという石川健司教授の主張にはならない。
私が問題だ、と思うのは、国家公務員の試験や司法試験にいい点数で合格しようと思うと、傾向と対策で、この考え方を踏襲しなければならないのではないか、ということである。本来、Legatimacy(正当性)がないはずなのに、権威としての、知的指導者ゆえの、Legatimacyが付与されてしまっているという意味で。
ところで、横田喜三郎は1949年の著書『天皇制』で天皇の戦争責任に触れ、退位論を主張したり、九条に基づき絶対平和論を提唱しながら、その一方で国際法学者らしく、51年の『自衛権』で国連憲章が例外的措置として個別的自衛権とともに認める集団的自衛権を法理として肯定し、自衛ではなく他国に対する攻撃でも正当防衛として自衛権の行使が許されるとして、国連を念頭に、国際社会の集団安全保障に日本が参画できる理論的根拠を提示しています。朝鮮戦争勃発と同時に、日米安保条約の容認論に転じています。この点では、篠田さんの先駆者とも言えますが、篠田さんほど九条解釈は明確ではないようです。
大事なことは、正しい理解、です。18世紀末から20世紀前半のヨーロッパは、ナショナリズムが吹き荒れた時代でした。フランス革命よりもむしろ、ナポレオンのヨーロッパ征服で、神聖ローマ帝国が滅亡し、ドイツが戦場になり、征服されたことで、ドイツ民族に自意識が目覚めたのです。ローマ法とは違う、フランス法とも違う、自分たちの法律、民話、歴史、ルーツ探しが始まりました。そしてドイツ文化が華がさいた。でも、これは、東ドイツ、ライン地方を中心とする、ドイツ一般の話です。
同じドイツ語を話すウィーンには、ハプスブルグ王朝が残った。メッテルニヒの元、会議が躍るに代表されるように、ヨーロッパの外交官、首脳が集まり、国際会議を延々と続けた。この外交交渉では、国際協調が基本だから、国際法が必要になる。お互いに違いを主張すると、妥協ができません。ドイツ法の範疇にはいらない国際法、文化によって、倫理も違うから、ケルゼンは、法律を倫理やイデオロギーから切り離したのだと思いますが、その結果、ケルゼンの翻訳者が、国際法学者の横田喜三郎さんなのだと思います。
そういう理解をすると、物事の整理がつき、わかりやすくなるのではないか、と思います。
http://www.hatorishoten-articles.com/hasebeyasuo/8
自衛隊合憲論や「切り札としての人権」論も有名ですが、長谷部恭男教授は、憲法学通説に挑戦する独自説が比較的多い印象があります(先代と同じ学説だけでは学者の存在価値はないので当然と言えば当然なのかもしれませんが)。
https://twitter.com/nomurakazuo/status/611650964861247488
http://ethnolawyer.blog.fc2.com/blog-entry-14.html
https://ask.fm/tkira26/answers/139169094887
私には以前、ドイツ人を母親にもつ女友達がいた。いわゆる帰国子女で、上智大学で須賀敦子の教え子だった。太宰治と坂口安吾が好きな才女で、彼女を通して一時期留学したケルン大学の話を聞いたり、ハイデガーのことを質問されたりした。普通のドイツ人はハイデガーやアドルノはもとより、カントやヘーゲルは読まない、ということを完璧なドイツ語と英語を操る彼女を通じて思い知った。
当時は東西ドイツの統一直後で、東独のStasi (国家秘密警察)について話が弾んだ。ケルン大学の創設者の一人アデナウアーに絡めて、西ドイツの再軍備には、このキリスト教的価値観をもつ指導者ゆえにうまくいった側面と、それにも拘わらずうまくいったという二面性があることや、東西分裂が冷戦の激化とともに西欧世界のドイツへの警戒感を弱め、和解を促す結果になったことも。話はそれから、神聖ローマ帝国からナポレオン統治下のドイツ、1815年ウィーン体制下のドイツ、ビスマルクによる統一ドイツ、ワイマール・ドイツ、ヒトラー統治下のドイツ、そして戦後の東西分裂したドイツについて、この欧州大陸の中原に位置する大国が抱える多面性について、夜が白むまで語り合った。上から目線の私がシュトルムが好きだと言うと、それを無視するかのようにウィーン育ちのユダヤ人作家シュテファン・ツヴァイクについて語り出した。父親が某都市銀行のウィーン支店長だったと告げ、オペラや貴族文化、お気に入りの世紀末芸術についていつにない饒舌ぶりだった。
さまざまな顔をもち、フランス語では長らく複数形でLes Allemagnes と呼ばれたドイツ。ヒトラーの暴走に世界屈指の知識層が全く無力だったドイツ。いつしか険悪な空気が漂い、お開きになった。
そして、現憲法9条がそのような趣旨を定めたものであると解釈し、それゆえ、これを改変すべきでないとする点でも、一致するようだけど。
しかし、「日本の防衛のために必要なものも、濫用の危険があれば、装備すべきでない」とすれば、日本を攻撃しようとする勢力からすれば、実に有り難い考え方であろう。
そうであれば、日本の安全に責任を負う政治家としては、絶対とるべきでない考え方であろう。
単純な話と思うが。
あと4日で米朝首脳会談が始まろうとしている。それなのに国内の論議はどうか。野党やメディアはしきりに「日本蚊帳の外」論を説いている。独自の取材に基づく推論というよりは、海外メディアの喧噪を国内向けに都合よく翻訳したもので、全くの的外れだ。蚊帳の外だとすれば、それは主導権を握れずにいる外務省かもしれない。見え透いた世論誘導だから、相手にすることはない。テレビの前で、暇を持て余した団塊の世代の不平不満、もどかしさと満たされぬ自負心(ナショナリズム)の間で揺れる心がそこに絡め取られている。
だからといって、日本に特段の妙案があるわけではない。残念ながら、強制力(外交と軍事力の一体的活用)を欠いた日本が選べる選択肢は限られている。米国依存を論難する前に、目の前の現実と安全保障政策との亀裂を真面目に考えた方がいい。憲法論議はしばしば神学論争と揶揄される空中戦の応酬に終始してきたが、解決すべき格好のアポリア(難問)が突きつけられている今、憲法がこの国の安全と平和を維持するためにどれほど有用で、どこに欠陥があるのか、改正しなくとも対応可能なら、有効活用を阻む誤った解釈をどう変更すべきなのか、政治家が国会で責任をもって論じればいい。
日米安保や自衛隊創設が解釈改憲と問題視されても政府も国民もこれまで大局判断を誤らなかったのだから、少しは自信をもってもいい。野党や進歩的知識人、メディアの大半はいつも間違えてきた。それを反省も後悔もしない。見上げた心掛けだ。憲法学者はいつも蚊帳の外だった。知的指導者を自負する彼ら、「法律家共同体のコンセンサス」がこの国の安全保障論を1ミリ足りとも前進させたことは、戦後史を振り返って一度もない。
専門知を誇る憲法学者は果たして無謬か?そんなはずはない。将来の選択にかかわる政治的選択では、いかなる主体も間違いを免れないから、対立する見解を抱く人々の間での批判的討議の自由が保障され、開かれた暫定的意思決定原理としての民主主義が要請される理由はそこにある。
古代ギリシアの二大国、アテーナイとスパルタが雌雄を決したペロポネソス戦争。印象的なエピソードがある。アテーナイが中立を宣言するメーロス(島)に侵攻した際の遣り取りを再現したもので、あくまで隷属を嫌った小国が破滅に至る経過が凄まじく、「メーロス島の対話」と呼ばれる。引用する。
アテーナイ使節団「希望は危機の気休めである。力に余裕のあるものが希望を持つのならば、害を受けこそすれ、滅びることはあるまい。しかしすべてを望みに賭けた者は(希望とはその性質上、高くつくものであるゆえ)、夢の破れた時にその実体を知り、気づいて警戒しようとした時には、もう既に望みもなくなっているものである。諸君の都市は弱力で、しかもその運命はまさに諸君の一存にかかっているのだから、災いを避ける方途をよく考える必要がある。尽くせる人事も尽くさず、事態の圧力の前に、もはや手段はないと諦めてしまって、望みを占いや預言にだけ見出して身の破滅を招いた多くの者たちと同じ轍を諸君は踏んではなるまい」(トゥーキュディデース『歴史』5巻103節)
われわれは、古代のギリシア人よりどれほど賢いか、胸に手を当てて考えたいものだ。
戦後の貧しい時代に幼少の多感な時期を過ごし、それぞれの持える能力を存分に発揮しても、それを受け入れてくれる社会が有り、目指す物が例え僅かだったとしても手にする事が出来た。熱のある時代ではあったと思います。
それぞれの生き方を、それぞれが肯定出来て、満足しているようにも見えます。
極端な個人主義に邁進する事が出来た。
残念なのは、そんな団塊の世代を上司や親に持つ、「21世紀を担う若人」と称された、今の35~50代の世代なのではないかと思う。
団塊の世代のような勢いもなく、ゆとりや悟り世代のような自由な発想も無く、ただ漠然とバブルの湯につかって来た世代だ。今の歪んだ政治環境をせっせと邁進しているふとどき者の輩たちであると思う。私もその世代なので自嘲を込めて言わせて頂いた。
篠田先生のブログに出会えて、まだ遅くはないと感じている。
さて実学と虚学ですが、数学や哲学、社会科学など分野別に分ける意図はありません。数学者も世のためと思ってやっている人は少数でも、もちろん数学を役に立たなくても(役に立たない研究も多い)、虚学などとは呼びません。難しいですが、学問をする人物の資質にも大きく依存します。数学的な意味でなく、空疎な概念で世を惑わし、時代の目先の流行にだけ敏感な二流の知性を虜にはするが、時代が変わると空虚な抜け殻だけ残り虚構性があらわになるような自己満足の「自称学問」が虚学と言えるでしょうか。
反国家的な連中を社会から排除しようとまで思いませんが、ゆがみを是正すべきです。たとえば国民の福祉を充実させるために国民の個々に番号をふるのをプライバシーの侵害をとらえるような人間がやたらと多い国は日本くらいなものです。これもやっと長い年月をかけて説得してマイナンバーにこぎつけました。そういうゆがみの総本山が、軍隊をもてば日本は悪い国になると自衛隊いじめをやり続けてきた、訳のわからない憲法9条信者だと思っています。
憲法9条信者は憲法9条を少しでも変えたら民主主義の敗退と同じことを考えているでしょうが、こちらも見て見ぬふりをできません。
国民投票までこぎつけたとして、そこで敗北することを危惧しています。敗北すれば憲法9条信者がさらに大手を振って持論を展開して世論を混乱させていくでしょう。左派系の教科書では大宣伝されることでしょう。
であるなら、有能な方々によって啓蒙していく準備期間をもっと長めにとってもよいのです。繰り返すと、日本の問題は、左翼があまりに強いせいで、あまりに「反国家的」です。あまりに反国家的だと民主主義が成熟しないのです。これは、いろいろ読んだり見聞したり、ヨーロッパからの留学生などを見て確信しました。
昔は、戦前の日本は、治安維持法があって、言論の自由がなかったから、戦争になったんだ、と思っていました。
けれども、ドイツの元大統領、ワイツゼッカー演説に触発されて、日本の米国との戦争への道のりを調べれば調べるほど、マスコミが煽るから、日本人は米国と戦争をすることがいいことだ、と思い込んだのだ、と思うようになりました。戦前に言論の自由がなかった、などというのは嘘で、大正デモクラシーで言論の自由を謳歌したマスコミは、現在のモリカケのように、問題の本質ではない、スキャンダルばかりを報道して、政治家を愚弄し、政党政治家は信用できないと、政治不信を引き起こしたから、軍部が台頭し、軍国主義の国になったのだ、と思うようになったのです。
それは、現状に不満で、世論操作をしたい似非知識人がマスコミを利用するから、そうなるのであって、例えば、三国同盟の立役者の白鳥敏夫などは、外務省内では干され、自分の意見が通らないから、マスコミを使って自分の政策を実現しようとし、見事に成功したのではないのだろうか?日本人は、この反国家的な主張を信じて、どのような結末を迎えたか。
私は、靖国神社問題で、昭和天皇が、「靖国には、松岡洋右も白鳥敏夫も祭られているそうではないか。」と不快感を示された理由は、この二人が、日本を悲惨な方向にもっていった英語の堪能な外交官だったから、だと考えている。二人とも、妄想癖があるのではないのだろうか?
私たちに必要なのは正確な情報に基づいた良識ある解説で、コメンテーターの妄想ではない。
「日本の問題は、左翼があまりに強いせいで、あまりに「反国家的」です」とのご指摘、既存メディアの世界はそう考えないと理解できない側面があります。しかし、メディアの反国家(権力)的言辞はあくまで建前であり、極限すれば商売のためジェスチャーにすぎません。特に新聞、テレビは「権力の監視」などと偉そうなことをのたまいますが、取りあえず反対の立場をとっていれば自分を安全地帯に退避できて都合がよいという保身術にすぎません。難癖や批判だけなら大した才能や見識を要しないし、反論される恐れも少ないので、いい気になっています。自分は名刺一枚で基本的に誰に対しても面会を強要できる、かつての蔑称「羽織(背広)ゴロ」とあまり違わないくせに、「第四の権力」であることに不思議なくらい無自覚です。実際のところ、左翼など全く信じておらず軽蔑してもいて、互いに利用しあう関係です。立場上割り切って反権力言辞を弄するのは、自分は信じていないから騙されないが、知性を欠いた民衆は騙され、利用される心配があるから警鐘を鳴らそう、という擬似インテリの自己欺瞞、自己保身なのです。もちろん例外はあり、業界のそうした風潮に批判的で謙虚なメディア人もおりますが、大勢にはなりません。業界の構造的な問題だからです。高学歴集団ゆえに体質が極端に権威主義的、事大主義的であることも自浄を妨げています。丸山真男が「黄門様の印籠」として未だに通用する不思議な世界です。
新聞やテレビよりひどいのは、出版とアカデミズムの世界で、例えば岩波書店など極めて良質な学術書を出す一方で、論壇誌『世界』でリベラリズムの衣をまといつつ、擦り切れたレコードの趣で意識的に同工異曲の反権力的言論を弄び、垂れ流しております。編集者に左翼的イデオロギーの信奉者が少なくないせいです。
こうした護憲勢力には戦後、一定の支持基盤がありました。55年体制下で社会党や労働組合が代表した政治勢力です。衆院過半数による政権獲得より、衆参で改憲発議に必要な総議席数の三分の二以上を与党に与えないことを最優先し、自己目的化しました。現在の多極分裂した野党が目指しているのもこの冷戦期の遺物への先祖返りともみえる退嬰的戦術です。各種世論調査によれば、それを支持しているのが団塊の世代です。1946~1949年生まれなので現在は最小69歳になり、すべて年金受給者です。医療を含め戦後の社会的改革と経済発展の恩恵を最も享受した世代です。自民党は固有の支持基盤に加え、この大口有権者層を包摂する社会経済政策を展開してきました。団塊の世代に現状維持の価値観が根強いのはそのためです。メディアは彼らの価値観に訴える平和主義を説き続けることで、媚びてもいるのです。年々部数減に悩む新聞は中核的な購読者層である団塊の世代の新聞離れを防ごうと特にその傾向が強く、改憲反対は商売道具なのです。それが団塊世代にも投影して、そこだけ強固な改憲拒否の岩盤(新聞には願ってもない経営基盤)を形成しているのです。
「戦争につながる改憲反対」「平和憲法の灯を消すな」──それは、団塊の世代を甘美な夢に誘う子守歌かもしれません。
無論、団塊世代にも立派な方が大勢いらっしゃいますし、必ずしも世代という属性だけで人間の形質や行動原理が決まる訳ではないので、一括りに彼らをキメラ扱いするのはフェアでないでしょう。しかし、国会前で太鼓を叩いて叫び民主主義の質を著しく低下させたり、次世代に理性、公共心、自己犠牲といった普遍的モラルを率直に伝承するのを妨げている元凶があの世代なのは間違いないとは痛感しています。
そう書いているうちに反時流的古典学徒さんの34。あまりに図星過ぎていて、団塊世代も結局は時代の犠牲者と考えれば少し気の毒にさえ思えてきました。しかし、大事な次世代のためにも、顕在しているその害悪は看過できません。
「自由」だからと、なんでもやっていいのか、そう思って、芦田均さんの「新憲法解釈」を見てみた。そこには、こう書かれている。権利及び自由の乱用を自制し、常に公共の福祉のためにこれを使用する責任があることを規定して、民主主義は、まず、個人の責任感から出発することとしている、と。高校入学前に、英国のパブリックスクールの基本、「自由と規律」を読まされた記憶があるが、日本のマスコミの報道姿勢、いわゆる日本の憲法学者、団塊の世代も含めるのかよくわからないが、に欠けているのは、この公共精神、個人としての日本・国際社会への責任感なのではないのだろうか?
ごく一部とはどのような人たちか。共通して言えるのは、社会への帰属意識が乏しいこと。集団化しないこと、同窓会などに出ないこと。正規の就職をしたのもいればしないのもいます。所属先があってもしばしば変えてきた者が多い。貯蓄や財テクや栄転にあまり関心を示さない。どこに行っても同じダンスを踊る輩に冷たい視線を向ける。敗残兵であるかのように長年沈黙を守っている。このような点が特徴です。ごく一部ですから、社会に大した影響を与えたと思えません。どちらかと言うと、できれば日本社会を離脱したいと考えてきた人たちのように見えます。
フランスの5月革命のことは、よくわからないが、西ドイツの1968年の学生運動、はやはり意味があったと思う。学生運動の結果、ブラント左翼政権になり、彼は自由主義圏に身をおき、米国を信頼し、ソ連を警戒しながら、東方外交を推し進めた結果、ヘルシンキ宣言となり、結果、東西の交流を促したことで、両国国民に西側と東側の実情がよくわかる契機になったのだから。交流する、ということは、政治、経済のシステムの優劣がよくわかる、ということで、その認識が、日本の左翼系の人の思考方法との決定的な差、だと思う。
そんな意味からも、米朝会談での、核兵器放棄と引き換えの北朝鮮の体制保障、といっても、机上論では可能であるが、現実にそうできるのか、という疑問が残る。
知人には、学校で日本国憲法を暗唱させられたという人もいる。
小学校5~6年生の頃、憲法記念日に因む宿題であったか、日本の軍備をどう考えるか、家族と自分の考えをまとめて来いという出題があった。
私の親は、必要最小限の軍備はやむを得ないという意見であったが、私は、担任の考えを忖度したか、問題は話し合いで解決すべきで、軍備は不要などと書いて出した。
その後、私はこのナイーブ過ぎる考えを明確に捨てたが、護憲派の多くは、私のこどもの頃の考えをいまだに持ち続けているようにみえて、正直信じられない。
(カロリーネさん)
「戦争への道のりを調べれば調べるほど、マスコミが煽るから、日本人は米国と戦争をすることがいいことだ、と思い込んだのだ、と思うようになりました。戦前に言論の自由がなかった、などというのは嘘で、大正デモクラシーで言論の自由を謳歌したマスコミは、現在のモリカケのように、問題の本質ではない、スキャンダルばかりを報道して、政治家を愚弄し、政党政治家は信用できないと、政治不信を引き起こしたから、軍部が台頭し、軍国主義の国になったのだ、と思うようになった」
(反時流的古典学徒さん)
「(マスコミは)難癖や批判だけなら大した才能や見識を要しないし、反論される恐れも少ないので、いい気になっています。自分は名刺一枚で基本的に誰に対しても面会を強要できる、かつての蔑称「羽織(背広)ゴロ」とあまり違わないくせに、「第四の権力」であることに不思議なくらい無自覚です。実際のところ、左翼など全く信じておらず軽蔑してもいて、互いに利用しあう関係です」
これらが、やはり核心のメカニズムです。
アゴラ所長の池田信夫さんが最新記事で書かれています。東大のマルクス主義経済学者が淘汰されたのは(私の認識ではグローバリズム学等の意味不明なパッケージにすりかえて他の分野に潜航した)、海外の国際ジャーナルに経済論文を掲載できなくなったからです。
国際的に、特に先進国で評価されないものが学問といえるかということで、学内での正統性を失い、マルクス主義経済学者が淘汰されたのです。
そして、それ以外の有象無象の学者は、こういった試練を受ける必要がなかった。では、彼らは何を頼りに評価されたかというと、(親分子分の徒弟制度でつながった)学界内での閉鎖的な序列、それともうひとつはマスコミへの露出度です。
朝日新聞、毎日新聞などで華々しく取り上げられると、あたかも民主的な方法で世論に認められているかのような錯覚ができあがり評価があがる仕組みです。こうして持ちつ持たれつという関係が出来上がって社会がおかしくなります。戦前とまったく方向性は違うようで本質は同じです。
「金八先生」というドラマが大流行でしたが、そのなかで「自衛隊にはいりたい」という生徒に学校の校長やら教員がそんなのになるな、止めろと血相を変えて制止させようとします。(今でもユーチューブ等で検索すればその部分を見ることができます)
もし今の時代にこんな学校があったら大問題になるでしょう。おそらくテレビ局に抗議があったと思われますが、握りつぶされたのでしょう。
彼らは偏向マスコミや知識人がつくりだしました。ある意味で「竹やりでB29を落とせ」というのと正反対で、頭のなかでは、「憲法9条で自衛隊機を落とせ」とでもいうような妄想ができあがっているのでしょう。
朝鮮戦争の状況とか日本人も機雷除去で命を失ったなど全く知らずに、五味正平の小説や映画「人間の条件」の類を何編も見せられて、子供にははだしのゲンさんとか。どれだけグロテスクな媒体で人格形成させられたのか。
だから、いくら議論しても平行線に終わると思いますね。
マスコミがほとんど全容を詳しく報じないので、日本国民はその実態を知らされていません。
狂った日本のマスコミは、「中国が軍事に力をいれるのは、戦前に日本に侵略されたから当然だ。大目にみるべきだ」と世界に率先して、その論調を世界に流しました。こうして中国の覇権主義と中国共産党の野望を正当化してきました。(批判的論調になったのは、やっと何年か前のことです。ごまかしきれなくなったのでしょう。でもこういったニュースを誠実に報道しようとしません)
その裏には、中国共産党という共産主義イデオロギーの具現化を擁護したいという過去に蓄積した日本左翼の思惑、それと中国の文化大革命などを絶賛してきた醜いマスコミの過去の恥部を隠したいという動機がはたらいています。どこまでも狂っていますが、記者クラブなどいろんな制度と仕組みを利用して既得権益を擁護しようとしています。
私は、団塊の世代が背負った世代経験(民主化と高度経済成長、大学教育の大衆化、消費文化、アメリカニズム、恋愛結婚の定着、ニューファミリー・マイホーム主義、一億総中流化)の内面性、ヘーゲル風に言えば時代精神を、世界同時多発的に発生した大学紛争という熱狂=祝祭空間や、その帰結としての村上春樹の登場にみています。ベトナム戦争や石油危機も影を落としています。60年代末、大学進学率が精々20%弱程度で運動の主役を担った学生の割合は1割程度、つまり世代全体の100人に1~2人に過ぎなかったのが全共闘運動の実態だったとしても,傍観者の立場だったその他大勢が共感者であったことも否定できない事実で、反体制運動が反体制運動であるだけでファッションであり得た時代だと思います。その挫折は元活動家が経歴を伏せてメディアやアカデミズム、教育界に潜り込む形で処世に甘んじることを強い、周辺の理解者には諦念と経済発展の戦士として社会への同化を促しました。不完全燃焼のルサンチマンというか潜在的活力が、800万人を超す数も手伝って、他の世代に比べ実態以上の影響力を時代に及ぼしたことは争えない事実です。
なお、団塊の世代一般については、社会学的な視点で団塊世代の構図を描く宮本孝二氏(桃山学院大学社会学部教授)の「団塊世代論の中心問題──現代社会論の視点から」(桃山学院大学社会学論集第48巻第1号)がさまざまな研究成果を丹念に紹介しており、御一読をお勧めします。
→→メディアの求める真理はしばしば虚妄であり、誤謬を免れない。
「情熱はしばしば、このうえもない利口者を愚か者にし、このうえもない愚か者を利口者にする」(ラロシュフコー『葴言』6)
→→会社員さん、お気持ちは分かりますが、どうか心を鎮めて平らかに。
「真実が世を益することはある。しかし、それよりは真実らしい行いが世を害する」(ラロシュフコー『葴言』64)
→→絶対平和主義は平和をもたらす力と智慧を欠いている。
「人生を支配するものは運命であって、智慧ではない」“Vitam regit Fortuna, non scientia .”(キケロ『トゥスクラム論叢』)
→→12日の米朝首脳会談。どうなるか、誰にも分からない。すべてのことが予測可能であるわけはない。政治家の本領は学識とは異なる洞察力、次善の将来を手繰り寄せる決断力だ。トランプ大統領にその資質が著しく欠けているとは思えない。トラちゃん、頑張れ!
「できたら憎むであろう。然らずんば心ならずも愛さん」“Odero si potero, si non invitus amabo.”(オウィディウス『恋愛詩集』)
→→戦前戦後を問わず、この国を覆う日本人の救い難い集団的思考を私は嫌悪する。でも日本人を嫌悪する気にはなれない。
「篠田さんは宮本武蔵、木村草太さんは佐々木小次郎かな? だから負けるはずないわよネ。長谷部さんはどこかの御家老? なんか嫌な感じ」(反時代的古典学徒の妻)
→→場外乱闘の趣。本人になり代わり、妄言多謝。
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