米朝会談に対する観察を『現代ビジネス』に寄稿した。http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56108
紙幅の関係で書かなかったが、トランプ大統領の1時間以上にわたる記者会見の中で、最も劇的だったのは、オットー・ワームビア氏(北朝鮮旅行中に拘束され死亡したアメリカ人学生)についてふれたところだったと思う。
記者団のほとんどは、人権侵害を繰り返す独裁者である金正恩氏と会談したトランプ大統領の態度について、質問をした。従来のアメリカの価値観からすると、特にインテリ層の「ポリティカル・コレクトネス」の感覚からすると、金正恩氏とアメリカの大統領がにこやかに握手をする、ということ事態が、衝撃的なことだったのだ。
記者会見における最初の質問で、NBC記者は、「あなたが今日あった人物は、たくさんの人々を殺し、オットー・ワームビアの死にも責任がある人物です、なぜあなたはその人物を才能がある人物だなどと評することができるのですか」とトランプ大統領に問いかけた。
トランプ大統領は、金正恩氏のことをあらためて「才能ある」人物と評したうえで、オットー・ワームビア氏の事件は残虐だった、と振り返った。トランプ大統領は、今年1月の一般教書演説の際に、ワームビア氏の両親を議会に招いて、紹介していた。そのこともあり、トランプ大統領は、ワームビア氏の両親を、自分の「友人」と呼び、賞賛をした。そして、その両親に自分は次のように説明したのだ、と述べた。
「オットーがいなかったら、今日の出来事はなかった。オットーは、無駄に死んだわけではない。彼は、今日の出来事に、多くのことをなしたのだ。」
これは、トランプ大統領が、6月12日に、絶対に言わなければならなかった言葉であったと、私は思う。そして、トランプ大統領は、言わなければならなかったことを、実際に、言った。とても重要なメッセージを、アメリカ国民に伝えた。
「オットーは、無駄に死んだわけではない。彼がいなかったら、今日はなかった。」
多くの論者が、今回の米朝会談に新しい要素はない、と評している。具体的措置が何も明示されていないという点では、全くその通りである。しかし、それでもアメリカ大統領が北朝鮮の最高指導者と会うのは、これが初めてだ。そしてアメリカ大統領が熱っぽく北朝鮮の最高指導者の人物描写をする様子も、われわれが初めて見る光景だ。
トランプ大統領は、米朝関係に、人間臭さを持ち込んだ。今までの米朝関係に、このような人間臭さはなかった。
今回の米朝会談で達成されたのは、新しい概念でも、新しい文言でもない。そこだけを見れば、中身がない、という評価は、全くその通りだ。
しかし、トランプ大統領は、疑いなく新しいことをやっている。もちろん、成功するのか、失敗するのか、まだわからない。しかし、それでも、とにかく、トランプ大統領は、米朝関係に新しい要素を持ち込んだ。人間臭さ、という新しい要素を持ち込んだ。これは、今までのどのアメリカ大統領もやろうとはしなかったことだ。今回の米朝会談の評価を急ぐ必要はない。それよりも、われわれはまず、トランプ大統領が何をやっているのかを、理解してみるべきだと思う。
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しばらくして、彼が肺炎で亡くなった、というニュースが突然飛び込んできた。教師志望で、子供たちにチェコの実情を伝えるために、この旅行に参加することに決め、教師の資格試験の準備と旅行費用を捻出するためにアルバイトをして、その過労がたたって、発病した、ということだった。プラハで医者にゆくと、拉致される危険があるから、それをしなかった、ときいて私はいたたまれなくなった。私の社会主義国嫌いは、そこに発生するのかもしれないが、そのせいか、「北朝鮮の体制の維持」と「人権」は両立するのか、の疑問が残る。
「外交は外交のプロに任せてくれ。そうすればああした中身のない小学生の作文のような共同声明文書は出てくるはずがない」。外交の専門家、軍事(技術)や核戦略の専門家、国際政治の歴史や舞台裏に精通した学者、シンクタンクの研究者はそう受け取るだろう。昨夜のテレビ番組で発言した元外務省官僚もそうした趣旨の発言をしていた。
首脳会談に臨んだ北朝鮮側の出席者が、いずれも手練れの外交のプロだったのに、トランプ陣営はいかにも見劣りしてまるで素人集団のようだった、と手厳しい。軍の最高責任者マティス国防長官が出席していないではないか、と非を鳴らしていた。オバマ政権の国務省スタッフや反トランプメディアだったら、そう言うだろうという内容を代弁していた。記者会見に臨んだメディアの空気もそうだったろう。大体のところ、記者会見全体をまるでテレビショーのように差配したトランプ氏の特異なスタイルに反射的に反発したのだろう。それもまた、従来のリベラルデモクラシーの価値観を絶対視するメディアの集団的思考のなせる業だろう。メディアは定型的思考は得意でも、想定外のトランプ節はいつにも増して不可解であり、許し難い反知性主義、人権軽視と映ったのだろう。
それが、当世風(J. ロールズ風?)「観念の共同体」の忠実な市民である制度化された主流派メディアの限界であり、今回の首脳会談もまた「悪夢」だったのだろう。しかし、トランプ氏は言うべきことをはっきり言い切った。「雄弁とは言うべきことを明確に言い、言うべきでないことを一切言わないこと」と言ったのはキケロだったが、これが台本なしの発言だったとすれば、無視できない才能だ。篠田さんの指摘する人間臭さとは別に、私はそこに西欧の伝統につながる政治家の本領をみた思いだ。
さらに、休戦を呼びかけたのはソ連であり(1951年6月)、53年3月のスターリンの死を契機に休戦協議での中朝側の主張が急速に軟化したことでも分かるように、中朝の背後にソ連の厳然たる存在があった。
これらが半島問題の本質の一部なのは否定できない史実だ。そこに北朝鮮固有の問題が絡まり合って、問題の見通しや解決を難しくしている。その一つが北の特異な政治体質、つまり三代の王朝支配という特異な政治体制=「国体」であり、権力掌握のための極度に抑圧的な国内支配、朝鮮民族特有の革命観、中ソ両大国の間で内訌したナショナリズムが透けて見える。それは一見強固にみえて、意外に脆いのではないかと思いう。経済制裁が効いているとかいないとかではなく、常に崩壊リスクを抱えた国家で、特異な環境に順応する能力はあっても(ガラパゴス的進化)、今後の変化に柔軟に順応できるかどうかは未知数だからだ。
ヤンキー精神が横溢したトランプ大統領が相手にしたのは、こうしたハリネズミのような厄介な気質を抱えた独裁国家で、首脳会談に出席した北側の顔ぶれは保守的な体質の官僚であり、確かに外交のプロなのだが、その手腕やしたたかさを過大評価する必要はないと思う。かつてのハリウッドの二流俳優出身のレーガン大統領だって、結果として共産党エリートのゴルバチョフを圧倒したように。
日本の戦前の場合は、軍国主義者たちは、天皇の権威を利用するために、神仙思想唱えたり、国家総動員法を成立させたりしたが、現実の昭和天皇は立憲君主主義を貫かれようとされた。天皇が、まず、国民のことを、第一に考えてくださり、判断されたから、終戦を迎えられたのである。
金日恩さんはどうなのだろうか?問題は、そこなのである。
国には、国力の差がある。ゴルバチョフさんがいくら政治エリートであっても、旧ソ連には、軍事技術しかなかった。民生にかける科学技術がないから、民は貧しい。それは東独にも言えることであるが、その為に、統一後、西ドイツ人が苦労したのである。
共産主義も、全体主義の一つであり、政府が力を入れたもの、例えば、軍事技術、オリンピックの金メダルの数、などは、すばらしい成果を上げるが、それ以外の部門というのは、非常に立ち遅れる。
そういうことを、良識ある知的指導者、と自ら自負しておられる戦後の日本の左翼の知識階級の方々に、論争をする前に、習得していただきたかった。
番組は昨夜のBSフジ・プライムニュースで、発言内容を要約した元外務官僚は、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の宮家邦彦氏です。他に元内閣官房参与の岡本行夫氏(元外務省北米第一課長)が、「トランプさんも困ったもんだ」式の論調で宮家氏に同調しておりました。両氏ともテレビに登場する専門家としては真っ当な方ですが、今回は元外交官の習性として、許容できなかったということでしょう。トランプ氏は彼らが考えるほど愚鈍でも凡庸でも異形でもないと私は思います。彼らにはよほど想像力が欠けているか、立場上のポジショントークに徹しているかいずれかで、後者だとすれば、安全地帯から高みの見物の高踏批評に興じているのでしょう。
まず、いかなる史実を指して、「北朝鮮が恐ろしいのは、過去の大日本帝国だからである」とされるのか。天皇を北の三代の指導者並みの独裁者とみていないことは明白ですので、「先軍思想の、全体主義国家」というところに力点があるのだと推察します。戦前の日本は世界有数の軍隊を保持していましたが、「先軍思想」を内外に表明したり、国策の基本方針とした事実はありません。軍部の一部(例えば関東軍)が独走して中国大陸での武力衝突を拡大して既成事実化し、政府がそれを追認することになったとしても、それは例外で、全体としては抑制的でした。
国際連盟脱退や三国同盟、日米開戦には政府や軍内部に常に慎重な意見や反対勢力が存在して、権力構造は常に多層的でした。政府は各省の権限が大きく独立性も強いため、首相の権限が相対的に弱いという弱点がありました。議会も衆議院と貴族院が足の引っ張り合いを繰り返し、概ね中立的な司法、枢密院という天皇の諮詢機関(合議制)や、法的規定はないが首相候補を指名する元老や重臣会議もありました。軍国主義ファシズムという名で糾弾される軍部独裁は、昭和前期の病理的現象で、建国初期から独裁国家だった北朝鮮とは組織も状況も全く異なります。統帥権干犯問題にみられる軍令権限の偏頗な解釈は軍部独走の主要因になりましたが軍内部にも対立があり、軍部独裁の日本型ファシズムが国政を専断した二・二六事件以降でも、軍部、官僚、財界が翼賛体制を構成するという構造で、ドイツやイタリアのように擬似革命やクーデターの形をとった一極支配とは異なります。
先の大戦での日本の陸海軍人の死者数は少なくとも155万人超(1947年政府発表)で、行方不明者を含め実際にはもっと多く二百万人超とされます。日本は世界随一の超大国アメリカと3年8カ月余を戦う蓄積があった。これは大変なことで、北朝鮮にそうした力量も経済力もありません。戦争末期に大和型戦艦(大和と武蔵)の建造に莫大な予算を注ぎこみましたが、これを先軍思想とは言いません。そもそも、北に米国と3年以上戦う能力はなく、イラクのように開戦ほどなくして旧装備の軍は総崩れでしょう。敵意を剥き出しにする北の戦意表明ははったりで、単独で米国と戦う能力も意思もありません。だから、核開発による体制維持に注力したのでしょう。この点でも北朝鮮と戦前の日本には何の共通点もありません。
なお、北朝鮮の建国の父金日成の本名は金成柱で、日本統治下はソ連に亡命していたようです。同じ名前で1926年ごろから反日運動に中国共産党の指導下で参加してのちに地下活動をしながら入党、中国東北地方を転戦しながら祖国の解放運動に奔走した金日成将軍とは全くの別人物とされています。実際は、41年ごろからソ連領内で軍事訓練を受け、当時のコミンテルン運動の一環で共産主義勢力の拡大を企てていたソ連の先兵として帰国。抗日レジスタンスを指揮した民族の英雄・金日成将軍を僭称しました。当時33歳。金日成の祖国解放神話は正統性に疑問が多く、彼がソ連占領下の繰り人形として利用されたのが真相と思われます。この点も、日本と北朝鮮との決定的な違いです。
上杉慎吉が、ドイツから帰国し、大日本帝国憲法に神仙思想をもちこみ、国際法を信じず、力こそすべて、と布教して回ってから、日本の針路がおかしくなったのです。力こそすべて、の力、とは、軍事力で解決しよう、今の北朝鮮なら、核兵器保有で解決しようということ、だからです。
芦田均さんが、「新憲法解釈」の後書きに書いています。「(大日本帝国)憲法の適切な運用をしていれば、我が国憲政の発達は漸を追って見るべきものがあったに違いない、と信じているのです。しかし、世界の大勢に通じない一部の輩はこの憲法の特色を逆用し、ついに我らの祖国と同胞とを今日の境涯にまねいたとは・・・」
戦後、北朝鮮だけでなく、東欧の政権も、すべてソ連の操り人形でした。その北朝鮮を賛美していた日本の戦後民主主義の非武装中立論者の左翼思想家も、いわゆる憲法学者も、この平和憲法の特色を逆用した、逆の意味で世界の大勢に通じない故、日本国民を悲惨な境遇に招く恐れがあるのでは、というのが私の危惧です。
「北朝鮮は戦前の日本そっくりだ、というのは(中略)昭和前期の病理的な現象以降の日本です」との貴所のご指摘は、日本が昭和前期、特に二・二六事件を分水嶺に国家が軍国主義に大きく傾き、それ以前の国家体制とは大きく変質したという趣旨なら、「北朝鮮は戦前の日本そっくり」とまで極言する必要はない、というのが私の反論の趣旨です。
昭和前期に軍部の発言力が飛躍的に高まるのは事実だとしても、北朝鮮と相似形だとするのには到底無理があります。縷々挙証したように北朝鮮の独裁体制と日本の軍部独裁は基本的に別物で、日本が一枚岩のファシズム国家とは到底言えず、構造的にこの時期も権力の多重国家であり続けたことは、あの丸山真男でさえ認めています。日本の軍国主義ファシズムは最後まで「未完」でナチスドイツに到底及ばず、北朝鮮とは似ても似つかないのです。1938年の国家総動員法成立以降もこの構造は本質的に変わりません。この時期を「病理的な現象」とするなら、中ソに等距離で臨む「自主路線」に転じた1966年以降の北朝鮮は、少なくとも半世紀以上「いつでも異様に病理的な」状態だったわけで、その異様性は際立っています。「日本とそっくり」とは到底言えません。北朝鮮には天皇に当たる存在も見当たりませんから(金永南・最高人民会議議長はあくまで形式的な元首)、なおさらで、そもそも国家体制(国体)が違うのです。
引用された芦田均氏の主張は、大日本帝国が如何に北朝鮮と構造的に異なるかの有力な傍証です。芦田氏らが東條英樹を唾棄するのは、東條に代表される政府の愚劣な戦争指導に対する反発と、「憲兵政治」に象徴される言論抑圧であって、大日本帝国自体でないことはご存知の通りです。実現しませんでしたが水面下での倒閣運動は常に存在しました。この点も北朝鮮とは異なります。
貴所の熱意に改めて敬意を表し、今後とも建設的な議論を期待します。
私がわからないのは、そのメリットはよくわかるが、体制保障、というのは、金政権の保障なのか、それとも、本来の北朝鮮のめざした姿の保障なのか?
もう一つがアングロサクソンの民主主義による国際協調と、国家平等の原則を基調とするもので、本来は、それが、日本国憲法精神そのもののはずなのである。
北朝鮮と戦前の日本を結びつけるのは、私のアイデアではなくて、クリントン政権時の朝鮮危機の時に、南ドイツ新聞の東京特派員であったヒールシャーさんが、あるテレビ番組で言われ、なるほど、と納得して覚えていたものだった。ペリー元米国防長官の回想をきくと、あの時、朝鮮半島は本当に、危機だったんだ、とよくわかったが、似ているのは、イデオロギー的側面ではなくて、両者とも、挑戦者となり、国際社会の平和を脅かし、経済制裁を受けた(ている)ことである。
日本の場合は、東条英機が昭和天皇の懸念、心配を払しょくして、日米開戦を実行した。
日本駐在の外国特派員はその資質に問題のある人物が少なくありません。ジャーナリストであっても個人的思想、信条は自由ですが、もっと丹念に取材してから発言したらよいのに、日本の新聞や雑誌、共感する学者や知識人の見解をそのまま無批判にオウム返しにしているとしか思えません。せめて、丸山真男の「超国家主義」批判の論文ぐらいは読んでから発信すべきで、そうすればああした致命的誤謬は生じなかったし、カロリーネさんを誤解させる余地もなかったでしょう。
彼が滞在した当時、日本でも1985年のヴァイツゼッカー大統領の演説などに影響され、主として進歩主義陣営から「日本の戦後処理」の問題点が、同じ敗戦国のドイツとの比較で、ドイツの謝罪と過去処理を礼讃し、日本のそれをなじるという紋切り型で語られるのが常でした。ヒールシャー氏の発言もそうしたわが国のメディアの論調に迎合する向きがあり、それがクリントン政権時の北の核危機への言及に投影したのでしょう。
ドイツは戦後、連合軍によって次々と暴かれるナチスの蛮行の事実に「人々は息を呑み、立ちすくみ、声を挙げられなかった」(三島憲一)と言われます。どんな説明をしてもアウシュヴィッツで行われた重すぎる事実に沈黙を強いられるしかなかった。ドイツの戦後史はそれとの対峙と居直りが交錯する歴史でした。「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐる歴史家論争が起こるのは86年です。ヒールシャー氏のような皮相な歴史認識は克服されなくてはなりません。
彼が主張していることは、自分たちの行為を美化したり、仕方なかった、とその現実から逃げず、真実をみつめ、自分たちの尺度を自分たちでみつけるべきだ、それができないと、現在に盲目になる、ということである。日本にあてはめると、東京裁判は、連合国側におしつけられたもの、日米開戦の時は、お祭り気分だったのに、負けたら、治安維持法があったから、憲兵がいたから、戦争するしかなかった、という主張は、通りませんよ、ということである。その意味で、米国との戦争は、日本が仕掛けた戦争だということ、そしてそれによって多くの人が、犠牲になった、という事実を重く受け止めるべきだと思う。
もともと日本人は大自然にひざまずき、共存する多神教的発想をもっている。
そこには日本人の「人間臭さ」がある。人間が編み出した正義には、限界が有る事に気付く事が出来る土壌が有る。
ポリティカル・コレクトネスも意に介さないトランプ大統領は日本人的なのかもしれませんね。
その体質への不信感が、トランプ大統領が選出された流れの底流をなしている。
大統領選挙でトランプさんが勝ったのは、トランプさんが勝った、というよりも、ヒラリーさんが負けた、という報道が選挙直後のドイツのSpiegel誌に載っていた。http://magazin.spiegel.de/SP/2016/46/147863955/index.html
ニューヨークの勝ち組は、ヒラリーさんを支持したが、デトロイトのビッグスリーがあったベルト地帯、日本車など、小型車の攻勢で、貧しくなった、負け組の地域が、ヒラリーさんなどワシントン政治家に不信感をもって、彼女に投票しなかったため、という理由だった。日本のマスコミにはどうして、このような見方がまるでなかったのだろう?
トランプ大統領の人間臭い政治のやり方がいい成果を上げることを祈っている。
演説の趣旨、よく引用される「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」(永井清彦訳)ということの真意は、日本の社会学者も指摘したように「「過去についての構え」である罪と「未来についての構え」である責任」とを峻別し、個人によって罪が異なるとしても共同で責任を果たしていくことを呼びかけた(橋爪大三郎、大澤真幸)ものです。ただ、演説自体は、戦後一貫して語られる欧州とともに生きることを選択したドイツの姿勢、決意を表明したもので、格調高い感銘的なトーンに目を奪われがちですが、大統領演説ということを熟知した、あくまで政治的なものだという点を見逃してはなりません。
ところで、この演説には理論的構造において先例(原型)があり、代表的な実存哲学者カール・ヤスパースの『贖罪論』(1946年)と極めて親和性があると思います。彼はヴァイツゼッカー同様、戦争と敗戦から生じたドイツの罪と責任をいかに考えるべきかを説き、罪が問われるべき「敗者」の立場から、問題を徹底的に追究しています。ヴァイツゼッカーと異なるのは、ヴァイツゼッカーが男爵の称号を有する外交官を父にもち、戦時中はポーランド侵攻や対ソ連戦に従軍し、連隊長付副官というエリート層の当局側の人物だったのに対して、ヤスパースが当局によるユダヤ人の妻との離婚勧告を拒否し、ナチスに不服従の抵抗を貫いたことです。そのあおりで、ハイデルベルク大学教授の地位を追われます。しかし、地位や立場を異にしても共通するのは、戦後の現実に対して敗北感に打ちのめされ、混乱の極みにあった日本の知識層が陥りがちな感傷的な姿勢が皆無で、全体主義体制の下では個人の責任の裏づけとなる主体の自由がなかった、という甘えがありません。
しかし、私の目的はヤスパース礼讃でもヴァイツゼッカー擁護でもありません。ヴァイツゼッカー演説で「一民族自体に罪がある、もしくは無罪である、といようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります」とされた理論的弁明の先駆者であるヤスパースは、罪一般を四種(①刑法上②政治上③道徳上④形而上学的)に分類し、①は裁判官によって処罰され、②は賠償金で片がつき、③④はどこまでも個人の心の問題だから、人間による裁きの対象にはならない、と退けています。道徳上の罪は洞察を生み、悔い改めと自己再生を生き起こすという理屈です。極言すれば、ドイツ民族一般に対する集団の罪はあり得ず、個人的な罪があるだけ、ということになります。
実際、ドイツの戦後賠償はこの観点から行われました。ドイツ民族全体にかかわる集団の罪はなく、政治的な罪があるだけとしてナチスからドイツを切り離し、結局擁護したのです。ドイツ全体として戦後社会に生き続けるにはそれは不可避な選択でしたし、それが共産主義というもう一つの全体主義と対峙する最前線に位置したドイツの宿命でもありました。私はそれを責めはしませんが、違和感は拭えません。
政治哲学的にはアメリカの知識層の一部に根強いリベラルデモクラシーの価値観を政治に投射したものです。ヒラリー・クリントンやオバマ前大統領はその守護神で、最大の理論的支柱はJ. ロールズの『正義論』で展開された見解です。それは、自由主義の正義より、「公正と平等」をより重視するリベラリズムの価値観に、男性中心主義への批判であるフェミニズムの主張を加味してつくり上げた21世紀の文明的作法を政治的に正当化し、制度化したものです。だから、普通の人(定義するのが難しい概念ですが、特定の価値観にこだわらない常識的な一般大衆という意味で)の感覚からは相当違和感があるのは不可避です。
それを「伝家の宝刀」のように振りかざして異論を封じ込めるという昨今の風潮、とりわけメディアに顕著ですが、人々の価値観と欲望を社会的政治的に調停するという便宜的な道具だという本来の役割を忘れて濫用しており、全く不条理な事態になっていることは、周知の通りです。そうしたポリコレに左右されないトランプ大統領の不作法は、インテリ層には悪夢であり到底許容できないのは当然で、これはこれで民主主義が想定する不可避な政治闘争にすぎません。
トランプ大統領は政治家であって、高潔なモラリストの資質を要求することは筋違いです。識者はトランプ氏に対する知的優位を主張したいようですが、政治家の本領は別の所にあり、トランプ流ディールもあくまで便法なのです。
ドイツでも同じことである。敗戦後、その当時世界で一番民主的な憲法を作り上げ、女性にも参政権を与えながら、世界大恐慌の打撃をもろにうけ、経済的な困窮で苦しんでいたドイツ国民に、ヒトラーとゲッペルスがメデイアを最大限使ってヒトラーの虚像を作り上げ、民主的な選挙を経て誕生した政治指導者ヒトラーが、戦争に勝って領土を拡大することを至上命題、にしてしまった結果、なのではないのだろうか。ドイツにしろ、その政策で一枚岩であったわけではない。ヒトラー暗殺計画もなんどかあった。
北朝鮮は金与正さんがメデイア戦略をがんばっておられるが、絶対君主国の北朝鮮の政治指導者がどうされるのか?ということの方が、アメリカの戦略より気になる。
楽観的、悲観的との違いを問わず、その歴史的意義を強調する見方と、過去二十数年、北朝鮮の度重なる態度変更(裏切り)によって翻弄されて、局面を変えるごとに事態が深刻化してきた過去の各段階での合意との比較に基づき、今回の共同声名をどう評価すべきか評価の分かれるところだろう。
篠田さんは共同声明と直後のトランプ氏の記者会見から、まず目の前で起こっている事態をありのままに見つめ、鍵となる文言の含意を丹念に分析しながら、それが過去の交渉の歴史のどこに位置づけるべきか、それとも全く新しい動きが始まっているのか、あらゆる可能な解釈を提示しようとしている。それがこれまで専門家から聞かされ何となく理解したつもりでいた見立てと如何に異なるかに、改めてハッとさせられる。篠田さんの評価はトランプ氏にかなり好意的である。それが膠着し隘路に陥った対北朝鮮との関係改善の試みに新たな局面を開く可能性を示唆する。それは、最初の会談でなされるべきこと=「取引(Deal)」の基本構図が確定したことと捉え、現時点ではそれ以上のものではないが、「金正恩氏を「取引」相手として認めた」ことの意味は重いと読み解く。
もちろん、すべては今後の交渉次第だし成否は予断を許さない。しかし、非核化を取引材料にせず体制保証とCVIDを同時に達成する合理的な選択を北側に理解させるプロセスの開幕が今回の会談の最大の意義で、それは従来のボトムアップ型の外交実務家による交渉ではなく、特異なキャラクターをもつ両首脳によるトップダウンの政治的決断だ、ということを意味する。従って終戦宣言や人権問題はひとまず先送りされたが、決して断念されたわけではないのだ、というわけである。
篠田さんは預言者ではないのだから、それが的中するかどうか、誰にも分からない。肝腎なのは、篠田さんが即断を避けてあらゆる解釈の可能性を示して、われわれに問題の在りかを明確に気づかせていることだ。それが学者に期待される本来の役割だからだ。
このほか、今回CVIDが共同声明に盛り込まれず、非核化の具体的な工程が示されなかったことへの失望から会談の意味自体を否定する批判的意見もあるが、同時に制裁解除も留保しているので、すべては今後の交渉次第だというのが穏当な見立てだろう。
末尾で、「(共同声明の)第三の合意項目では、「朝鮮半島の完全な非核化」にコミットしているのは、北朝鮮だけだという言い方になっている。米国はコミットしていない(中略)米国は、非核化の環境整備に、コミットしている」という読み方も論議を呼びそうだが、識者の常識の盲点を衝く鋭い見方だと思う。
以上見てきたように、今回も篠田さんならではの創見に富む見解が随所に示されており、専門家の仲間内の良識やジャーゴンを散りばめただけの臆説とは次元を画するだけにより広く読まれて欲しいし、真面目に議論されることを望みたい。
北朝鮮の開発した核兵器使用され、その技術がその友好国、例えば、シリア、イランなどに売り渡されたら世界はどうなるか?だから、CVIDの条件は、はずせない。それは、交渉の途中で合意されてももちろん、いいとは思うが。また、中国と違って、日本は、北朝鮮の核のターゲットになる可能性があることが、どうして、日本のマスコミの人々にはわからず、他人ごとなのか、理解に苦しむ。
体制保証、とは、朝鮮半島の平和、というのも、よくわからないが、具体的には、1975年のヘルシンキ宣言のような、武力による国境線の変更の禁止、しかないと思うが、それにしても西ベルリンに米英仏の軍隊が存在し、壁に東独の監視員が武器をもって常駐する、に似たシステムにならざるをないのではないのだろうか?
戦後、朝鮮戦争後、極東の平和が守られたのも、日本が日米安保条約を結び、米国の軍事基地が極東アジア(韓国、日本など)にあった故だ、と思っている私は日本のマスコミの識者と意見を共有しない。
逆に、だから、日本の佐藤栄作首相が、実際に国際社会から、ノーベル平和賞を授与されたのだと思っている。
我々は、もっと、戦後の自民党の政治家を尊敬してもいいのではないのだろうか?
ドイツの良心の鏡のように称賛されるヴァイツゼッカー大統領は政治家です。政治家が哲学者や歴史家に劣るという意味ではありません。政治家には政治家の役割があるから、感傷に陥らず演説の政治的意味を勘案して受け取るべきだ、と申しているだけです。彼の論理はヤスパースの二番煎じだと敢えて申し上げなかったのはそのためです。
反論や批判はご自由ですが、もっと論旨を論理的に構成して、その根拠を自分の言葉で明確に示していだかないと、相手にしようがありません。ヴァイツゼッカーを「信仰告白の護符」のようにするのはどうかと思います。私の議論の要点は、ヴァイツゼッカー演説を内容も吟味しないでありがたがる日本の識者やメディアを批判し、「過去の克服」という戦後ドイツの最大の問題に立ち向かった最も良心的な思索としてヤスパースの『贖罪論』に言及したわけです。彼に対しても批判的です。ハンナ・アーレントのようにナチスとそれに従った国民を全体主義の文脈に位置付ける視点が欠落しているからです。
しかも彼はナチスに迫害された立場ですから、ヴァイツゼッカーより議論は徹底しています。公刊は1946年の占領下で、敗戦40周年の1985年のヴァイツゼッカーとは緊迫感は比べものになりません。ヤスパースの良心は結局、多数のドイツ国民を支配した政治的現実と凡庸な認識に裏切られ届かなかったわけです。私が違和感と言ったのは、敗戦直後のあの極度の混乱の中で、よくもこれだけ客観的で徹底した診断(彼は精神病理学者)を下したものだ、と反論以上に驚愕したことによります。
メディア転職は32歳で、以降14年余り、最後はデスクを務めながら一面コラム(天声人語の類)を担当しました。2001年4月から2年間、313本に及びました。イラク戦戦争と重なる時期で、敢えて社是に反論する形で世の覚醒を促そうと挑戦しました。平易な言葉ながらスタイルが哲学的だったせいか、社内で迫害されることはありませんでした。メディアの影響力というのはその程度です。むしろ、現実との矛盾を感じながら立場を固定して余計なことを考えず(思考停止)、ひたすらルーティンワークに勤しむというのが一般的スタイルで、建前上偉そうなことを言っても、記者の中身は憐むべき凡庸な常識人なのです。
最近、メディアの劣化が年配の言論人からよく指摘されますが、昔も今も似たりよったりで、天に唾する愚行です。
朝日が慰安婦問題で致命的な過ちを犯しながら、問題を戦争下での女性の性奴隷の文脈にすり替えているのも、過ちを認めたがらないメディアの宿痾です。ご都合主義で同じ体質の官僚の非を攻め立てるのは筋違いもいいところです。「お前にだけは言われたくない」ということです。驕りと硬直的な姿勢を真摯に反省してこなかったせいで、朝日は間違いを繰り返してきました。北朝鮮を地上の楽園と喧伝したり、中国の文化大革命を評価したり、拉致問題を捏造と座視したり……数え上げれば切りがありません。そこに首尾一貫した信念はなく、残ったのは過誤の屈辱によっても不思議と揺らがなかった度し難いエリート意識だけです。対米従属に非を鳴らしながら、現状維持に甘んじるばかりで有効な選択肢を示せない誇り高き高学歴集団の歪んだ優越意識(という名の劣等感)と自己欺瞞の産物です。
朝日の俗論を憐れみながら、それでも私が購読を止めないのは、かえって自らの論旨を明晰にするのに役立つからです。朝日の唯一の取り柄は、気の利いた洗練された紙面構成(割り付け)でしたが、最近はモリカケ熱に禍されて、長所が生かされておりません。
最後に、朝日にも立派な記者はおられます。曽我豪さんなどその一人でしょう。テレビ朝日の小松靖アナも立派だと思います。東京新聞で長谷川幸洋さんが頑張っておられたのは皆さんもご存知の通りです。長谷川さんは自称元左翼だそうですが、「転向」がいつだったかは分かりません。潔く誠実な態度で、篠田さんの主張にも理解を示されていることは、皆さん周知の通りです。
たぶん、トランプ大統領も人間味にあふれている、ということを、ブログで篠田先生は、人間臭い、という表現にされたのだと思っているので。
ワイツゼッカーさんは、外交官の息子である。父の仕事で幼い頃ヨーロッパ各地を転々とし、ヒトラー治世化のベルリンで学生生活を送り、兵役にゆき、敗戦後大学の法学部に復学し、法律家となり、ニュールンベルグ裁判で父の弁護をする。その後、企業経営者になり、教会関係の仕事もし、東西に分かれたベルリンの市長もされている。という訳で、さまざまな境遇のさまざまなドイツ人やヨーロッパの人とコンタクトをもっている。その視野の広さと愛情が、人間というものは「Heimatliebe-故郷への愛情」をもつものだ、という確信に生きている。そして、それは、今年の、ナチスによって統合されて80周年のウィーンでの「記念コンサート」のテーマでもあった。
いい機会でから、R. ヴァイツゼッカー・ドイツ連邦議会演説「荒れ野の四〇年」(永井清彦編訳)より引用(▼以降はコメント)。
●「災いへの道の堆進力はヒトラーでした。彼は大衆の狂気を生み出し、これを利用しました。脆弱なワイマール期の民主主義にはヒトラーを阻止するカがありませんでした。そしてまたヨーロッパの西側諸国も無力であり、そのことによってこの宿命的な事態の推移に加担したのですが、(イギリスの元首相)チャーチルはこれを「悪意はないが無実とはいいかねる」と評しております。アメリカは第一次大戦のあと、また(孤立主義の立場をとって)内に引きこもり、30年代にはヨーロッパに対して影響力をもっておりませんでした。」→→▼英国の宥和政策に一部責任があるかのような自己弁護と米国への恨み節。チャーチルが反省を口にするのは良いが、当事者のドイツ大統領の言うべきことではない。
●「1939年8月23日、独ソ不可侵条約が締結されました。秘密の付属議定書には目前のポーランド分割についての規定がありました。(中略)この条約は、ヒトラーのポーランド進攻を可能にするために結ばれたのです。当時のソ連指導部はこのことを重々承知しておりました。独ソ条約がヒトラーのポーランド進攻、そして第二次大戦を意味していることは、政治について考えている当時の人間ならだれもが知っていることでした。」→→▼ソ連・スターリンにも責任転嫁。ドイツの西側への裏切りとして、ナチスが政権獲得する前のワイマール・ドイツとソ連が1922年に結んだラッパロ条約がある。双方とも民主主義に対するドイツの重大な裏切り。「ラッパロ」(ジェノア郊外の町)はドイツによる裏切りの代名詞(「ラッパロの悪夢」)で、悪いのはナチスだけではない。
ワイツゼッカーの演説のうち、「過去に目を閉ざす者は現在に盲目となる」を有名にしたのは朝日新聞と岩波書店であるとのことらしいです。
その論調が度を過ぎたので、「異なる悲劇 日本とドイツ」を書いた西尾幹二氏などが、その演説の別の個所の「民族全体に罪がある、もしくは無罪である、というようなことはありません。罪といい無罪といい、集団的ではなく個人的なものであります」という箇所を挙げて、いろいろ反論したのです。
後者の批判はワイツゼッカーを批判するというよりも、このようなドイツ民族への「免罪的」な言葉は当時のドイツの事情からやむえないことであり、そのような複雑さや微妙さを日本の知識人やジャーナリストは理解してワイツゼッカー演説を引用しているのかと、日本人むけの抗議であり批判でありました。
ドイツ人も頑張っていました。ワイツゼッカー演説のなかの瓦礫から子供を産み育ててドイツを復興させたドイツ人女性への感謝の言葉はドイツへの深い愛を感じます。
間抜けは、世間知らずの日本の左翼系の知識人どもです。日本を断罪したためにワイツゼッカー演説をとりあげる陰険な連中や、ナチスと戦前日本を同一化して心から純粋に謝罪すればするほど中国人や朝鮮人は理解してくれると考えた滑稽な連中が、ジャーナリズムに名前を売り込もうとわれもわれもと風潮に追随しました。本当にしょうもないバカどもでした。そうやって何の疑問も持たないで「ドイツはすばらしい。ドイツのように謝罪しましょう」とコネつきバッタのように謝罪の安売りをできる連中が大学や新聞社でどんどん出世したんでしょうね。ただの厚顔無恥の左翼の生き残り政策でしたが。
●「この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。」→→▼幾度も繰り返されてきた極めて見苦しい弁明。
●「良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈然するには多くの形がありました。」→→▼虐殺の責任を個人の良心の問題に擦りかえる、居直り。
●「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。」→→▼ヤスパース『贖罪論』の焼き直し。
●「ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。」→→▼どうぞご勝手に。ユダヤ人はそう簡単には忘れられない。中国人だったら千年経っても忘れない。
●「心に刻むというのは、歴史における神のみ(御)業を目のあたりに経験することであります。これこそが救いの信仰の源であります。この経験こそ希望を生み、救いの信仰、断ち裂かれたものが再び一体となることへの信仰、和解への信仰を生みだすのであります。」→→▼逃げ場を失い苦しくなると神を持ち出すキリスト教徒の悪癖。
最後に、ドイツ人の求める真理への究極のモラリストの一撃。
●「真理とは、それがなくては或る種の生きものが生きられないような誤謬のことである」(ニーチェ『力への意志』)
そろそろ終わりに。
当該記事の分析と問題提起は篠田さんならではの創見に富む、極めて説得力のあるものと私は考えますが、今回のブログのテーマと直接は違うので皆さん遠慮されているのではないかと思い、提案した次第です。私は一足お先にコメント21から23で感想を述べさせて頂きました。新聞、テレビ、ラジオで如何に粗雑な分析や解説が氾濫しているか、皆さんもご承知のことと思います。何時もの憲法論議と違ってこの手のテーマでは投稿欄の反応がいま一つ寂し過ぎて、余計なこととは思いつつ敢えて提案しました。サッカーワールド杯で夜更かしの皆さんもおいでかと思います。どうぞ宜しく。
ところで、31会社員さん。西尾寛二氏の 『日本とドイツ 異なる悲劇』は私も刊行直後に呼んだ記憶があります。そこでお伺いしたいのは「ワイツゼッカーを批判するというよりも……日本人むけの抗議であり批判でありました」とのご指摘ですが、おぼろげな記憶では、西尾氏はヴァイツゼッカー(やヤスパース)を根本的に批判しており、返す刀で、わが国の知識人やシャーナリストを併せて批判したように思うのですが、如何でしょうか。ニーチェやショーペンハウエルの研究者である西尾氏の批判の本丸はヤスパースで、ヴァイツゼッカーは単なる添え物程度だったように思うのですが記憶違いかもしれません。日本人の対ドイツ観の歪みを糺すのが、同書の基本命題だったことは仰せの通りですが。
ヨーロッパの3大学問というのは、神学、法学、医学である。ドイツの場合、宗教戦争をした為に、他の国と違って神学が微妙で、プロテスタントに支配されたベルリン大学ではフンボルトが哲学を加えて4大学問とし、哲学が3つの上に来るものとしたが、ゲーテはそれに批判的である。私が、ワイツゼッカー演説で感じるのは、哲学の影響というより、むしろ、キリスト教である。彼の所属している政党もキリスト教民主同盟(CDU)だったし。
日本の大乗仏教の場合、みんなが一つの船に乗り、助け合って悟りを開くが、キリスト教の場合、あくまでも、基本は神対個人である。個人が神と向き合って、自分のしたことを反省する、彼は主張している、公になった罪、隠された罪、否認した罪、また、現在の環境も故郷から移動せざるを得なかった人、自由を奪われた人、生まれ育った故郷で幸せに暮らしている人、がいる。その現実とは別に、一人静かに神と向き合って、自分のしたことを反省すべきだ、と。
現在の日本でも、日米開戦は、米国のルーズベルト大統領にはめられた、という人もいる。たとえ、そういう面があったとしても、日本が米国を攻撃した非を認めなければならないし、都合の悪いことを、なかったことにしてはいけない。責任転嫁は、ワイツゼッカーさんのお父さんは、日本でいうと、東郷重徳さんのような個性の方だから、ああいう発言になったのだと思う。
ヨーロッパの三大学問は神学、法学、医学というのはどなたの見解かは不明にして存じませんが、どうでしょうか。学問(Wissenschaft=science )という概念は中世以降の概念で、そもそも「何でも屋」の哲学から分化・派生したものです。中世まで哲学の最も包括的な体系であるアリステレスは哲学者であると同時に、論理学や自然学(物理学)、天体学者、とりわけ卓越した生物学者であり、政治学、経済学、法学、文学(詩)学者でもあって、数学や音楽に関する著作も残されています。キリスト教誕生以前の人ですから、神学者ではないのですが、主著『形而上学』は哲学的神学です。中世末期以降、それぞれが独立、細分化して、今日の学問=科学になった(発展した)というのが常識です。W. von フンボルトが哲学を三つの上位に置いたのはこの歴史的経緯を知っていたのと、彼自身のフマニスム(人文主義)に負っています。三大学問説は、西欧の古い大学、パリやオックスフォードは神学、ボローニャは法学、パレルモは医学の中心だったことによる俗説でしょう。
ドイツの学問と言えば哲学というのは、英仏に対して統一国家の形成が遅れた後進国ドイツの自己主張が哲学だったことによります。ライプニッツ、カントやヘーゲルはもとより、フッサールからハイデガーまで、近代哲学に甚大な影響を及ぼしました。講壇(アカデミズム)哲学の中心で日本への影響も顕著ですが、西欧にはギリシア哲学やスコラ哲学以来の伝統もあり、日本ほどドイツ哲学一色ではありません。ドイツ哲学の弱点は論理学が旧弊なことです。
カントやヘーゲルはプロテスタントで、ドイツ観念論はプロテスタンティズムの所産、つまり近代ドイツ哲学は教養あるプロテスタントの中流家庭、特に牧師家庭が生み出した特異な性格を有しています。従って、哲学的論理はスコラ哲学以来の論理学発展の圏外で形成されたため、極めて未熟で未発達です。ヘーゲルが教授を務めたベルリン大学は、プロイセン、即ちプロテスタント圏で、ドイツ観念論は極言すればプロテスタント神学を世俗化したものです。そういう党派的性格をもっています。カトリック圏のボルツァーノがヘーゲルに極度に批判的であったことは以前紹介した通りです。ドイツ観念論の論理学は中世以前の水準です。中世が前時代的だということは、論理学に関する限り歴史に無知な明白な誤解です。弁証法は論理学以前で、マルクスもその悪弊を逃れていません。
なお、ドイツ的後進性などと言うとお叱りを受けそうですが、国民国家の形成が英仏に対して相当遅れたという意味です。ビスマルクによる統一(1871年)を待たなければならかったという事実を指すもので、知的後進性を意味しません。マックス・ウェーバーはこの点に極めて自覚的でした。
いずれにしても、現時点で否定的評価を下してしまうのは時期尚早のように思います。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/230558/061500030/?P=1
トランプ氏が良くも悪くもインテリ特有の偽善が欠落した人物だとしても、人間味あふれる人物かどうか、私にはよく分からない。私は仕事柄、数多くのインテリを観察してきた経験から「お勉強ができるだけ」の自称エリートを何とも思わなくなった。専門的職能の殻に閉じこもったり、それを誇示する以外に取り柄のない人種にあまり興味がわかなくなった。彼らは、制度化された資格職・専門職に従事しているが故に重宝され、社会で一目置かれたり、畏怖されたりするが、内実は大衆と変わらない退屈な人物が少なくない。自尊心は高いが内実が伴わないというか、エリートと呼ぶことを躊躇する凡庸な自己意識と価値観の持ち主だったりする。
トランプ氏が「ワシントン政治を牛耳るエスタブリッシュメントの知恵などどうということはない浅知恵で、奴らには肥大した権力欲と自己保身の抜け目のなさしかない。だからゴミ溜めと同じだ」というのは本音だろう。それは数々のディール経験に基づく判断で、たぶん誤ってはいないだろう。それを過度に戯画化し、既存メディアを目の敵にするのは、政治家として自らを大統領に押し上げた有権者の支持を繋ぎ止めて置くためのアピールなのだろう。
ノーベル平和賞狙いと言うが、オバマも金大中も、アラファトも佐藤栄作も戴いた俗世の栄誉を本気で欲しているか窺い知れない。それより、受賞が今後の政策展開の手足を縛る可能性があることに直観的に気づいているかどうか、の方が気になる。前大統領が北朝鮮の暴走を許し、シリア内戦に有効な手立てを講じられなかったのは、ノーベル賞受賞が足枷になった可能性もある。戦略的忍耐は無為無策の美名にすぎない。受賞を政界復帰の護符にしたスーチー氏がロヒンギャ問題で苦労するのも、歴史の皮肉だ。
高級官僚が時間をかけて積み上げた交渉や文書を、まるで蜘蛛の巣に手を突っ込むようにいとも簡単に破ってしまう。トップダウンの意思決定の危険性を指摘する意見があるが、政治家と官僚の役割分担という原点に立ち返れば、トランプ氏が必ずしも突然変異なのではない。北朝鮮は金正恩委員長が最終決定権は握っていたとしても、交渉は徹底した官僚主導の正攻法で、したたかというより保守的硬直性が見え隠れする。意外と急激な局面展開に弱いのではないか。トランプ氏の出番は今後もやってくる。荒れ球もエースの持ち味だ。
北朝鮮との厳しい交渉をどう成果に結びつけるか、しかも北の背後に見え隠れする中国の覇権拡大を効果的に抑止するため次の局面での優位な地歩を確保しながら……。さまざまな連立方程式が立てられ、試される。そこに有能な実務担当のエリートは不可欠だろう。しかし、職能エリートに指示を出し、事態の展開に応じて局面転換の是非を判断し、最終決断を下す主体は大統領しかいない。トランプ氏がリベラルな進歩主義への反発を隠さないのは、それが前代の民主党政権で行き過ぎが見られた制度的な官僚エリートの専制であってはならないという古風な信念の持ち主だからだろう。
江戸時代の日本が、檀家制度で、届け出れば、仏教のどの宗派を信仰してもよかったのと違って、同時代のドイツでは、宗教戦争の影響で、領主がカソリックかプロテスタントかを決め、領民は、それに従わなければならなかった。ミュンヘン、ウィーン、ライン川周辺はカソリック、ライプチヒ、ベルリン地域はプロテスタントで、カソリックは神聖ローマ帝国に属していたから、統一が遅れたのである。カソリックの地域では、知識人の言語はラテン語、大学教育もラテン語で行われたが、プロテスタントの地域では、カソリックの聖書、讃美歌は使えないから、庶民の言葉、ドイツ語に翻訳された聖書、カソリックのパレストリーナに匹敵するプロテスタントの教会音楽をバッハなどがドイツ語に作曲した。
私の印象では、どうして、日本で、ドイツの学問というと、ドイツ哲学、になってしまったか、というと、戦前のドイツ語が堪能な日本の秀才たち(義父の話によると、戦前は、優秀な旧制高校の学生は、英語ではなくて、ドイツ語を選んだそうなので)が、読解が難しい哲学を学んで、知性を誇りあったためではないか、と思う。
ドイツの文化人の象徴、ゲーテは、哲学とは、常識をわかりにくい言葉で表現したにすぎない、と述べていますが、アメリカの「ポリテイカルコレクトネス」も、わかりにくい言葉を使っている、という点において、似ているのではないだろうか?
なぜ、日本においてドイツ哲学の威信(prestige )が高いかというと、日本の帝国大学を軸とする戦前のアカデミックな哲学研究の世界では、当時最先端の成果だったドイツ哲学、特にヘーゲル学派が退潮した後、当時の自然科学の発展への哲学側の対応として登場した新カント派の哲学が日本にも紹介され、東大や京大を支配したからです。ヘーゲルやマルクスでは自然科学の成果を哲学的に十分解明できないので、新カント派はこうした要請の中で起きたカントの再評価(カント・ルネサンス)によって誕生しました。
帝大での哲学研究の中心がドイツ講壇(アカデミズム)哲学の最新の動向だったわけです。ドイツ哲学以外にも当時、フランスのベルクソンなど優れた哲学者が注目すべき成果を示していたのですが、「ドイツ哲学にあらざれば哲学にあらず」という風潮が大学を支配しました。それは、近代日本の場合、明治期に招聘された外国人教師がドイツ哲学の紹介者だったことや、明治憲法がプロイセン憲法を参照したように、ドイツに対する親和性が極めて強かったのも原因です。
哲学研究を志す者はとにかく世界最先端の新カント派で、そのためにはドイツ語を習得しなくては、というのが旧制高校生のドイツ語熱の一つの背景です。義理のお父上が京大か東大かは存じませんが旧制高校卒なら普通は帝大生でしょうから、高校での第一外国語がドイツ語(独法科)なら「知性を誇り合う」という無邪気な空気が青年特有の知的スノビズムとしてはあったでしょう。ただ、高級官吏を目指すため法学部に進む学生にとってもドイツ語は必須でしたから、全体的な傾向とは言えません。戦前の哲学流行は西田幾多郎の盛名によるものです。
こうして戦前における哲学研究の二大拠点、京大と東大をドイツ哲学が占拠しました。京大と東大の違いは、西田の影響で独創的思考を重視したのが京大、西欧の最新動向を紹介するショーウインドーのようなのが東大、と考えてほぼ間違いありません。こうした性格の違いにもかかわらず両者に共通するのは、新カント派の流行が下火になってもドイツ哲学が最も重視されたことです。その中心がカントやヘーゲルのドイツ観念論(ドイツ理想主義哲学)だったのは、新カント派がカントやヘーゲルに改めて着目させる契機になったからです。
西欧の場合、歴史の順序=カント→ヘーゲル→新カント派の順ですが、日本の場合は新カント派→カント→ヘーゲルと、順序が逆になっているのが特徴です。これは、明治末期から大正期の日本の立ち位置に照らせば当然で、まず最新のトレンド(新カント派)から初めて、西欧哲学全体の流れを理解するようになった、ということです。ロシア革命と世界恐慌に伴いマルクス主義に注目が集まるのは昭和前期で、哲学的には弁証法論理を展開したヘーゲル学派の一派であるマルクスとヘーゲルとの共通点に加え、観念論哲学のヘーゲルに足りない部分をマルクスに求めたためです。この点でもドイツ偏重です。
こうしたドイツ哲学偏重はその後も続き、戦前期後半から戦後はハイデガー(実存哲学)やフッサール(現象学)が注目され、ギリシア(古代)哲学や中世哲学、論理実証主義を中心とする英米哲学その他の動向にドイツ哲学と同じくらい関心が広がるのは戦後です。
なお、ゲーテは『色彩の哲学』という著書もあり、一世代上のカントと親交もありますが、アカデミックな哲学の世界ではあくまで素人にすぎません。哲学が難解なのは哲学者だけの責任ではありません。しかし、カント哲学を評価し「カントの文章を読めば、ランプに明るく照らされた部屋へ入った時のように頭が鮮明になる」と述懐しているのもゲーテで、哲学一般に否定的だったわけではありません。文学者と言えば、サマーセット・モームが哲学を研究するため、ハイデルベルク大学に留学しています。新カント派の勃興期です。当時のドイツは哲学研究の世界的中心地だったのです。それは、デカルトのようなフランス的明晰より、生真面目(ernst )で徹底性を好むドイツ人の性格が哲学に合致しているためです。それが英仏に比べ国民国家の形成が遅れたという点で後進国であるドイツの自己確認の証だったとも言えます。この点では近代日本も同じです。それが強みであり、同時に弱みでもあるのは否定できない事実です。
最後に、ドイツ国法学との関係で言えば、ゲオルク・イェリネクもハンス・ケルゼンも新カント派(西南ドイツ学派=バーデン学派とマールブルク学派に大別)の影響を強く受けており、イェリネクは西南ドイツ学派のヴィンデルバント、ケルゼンはマールブルク学派のコーエンです。ドイツ国法(公法)学と新カント派の関係は密接です。
https://ameblo.jp/matsukawa-rui/entry-12383865526.html
全体的印象として、宮本氏の分析の方が内容豊富で、いろいろ教えられる点があった。それに対して松川氏は政治家だから、あえて手の内を隠して抑制的に検証している印象で不満な内容だ。比較的自由に発信できる研究者と違って、各方面の情報源に有利にアクセスできる、しかも外交官出身者とを同一次元で比較するのはあまり意味はない。それなのに松川氏の分析が今ひとつ冴えない印象なのは、篠田さんと比べてしまうせいでもあり、まだ外務官僚の尻尾(思考法)を引きずっているからなのか、判断に迷うところだ。
ただ、これは贅沢というものだろう。トランプ氏の政治家としての資質について分析している箇所が面白い。政治家の智慧は、凡百の外務官僚の及ぶところではない。松川氏が指摘したトランプ氏の政治的嗅覚、それこそ松川氏が今後、一人前の政治家として成熟できるかどうかのカギだろう。自分なら今回のような歴史的岐路に立って、どう事態を見極め、どんな手法を選択し、満足のゆくどんな受け入れ可能な結果を導き出せるか、真剣に考えてから発信すべきだ。先見の明と構想力が試される。当選一回の一参院議員でも、志は「大統領の気概」で臨んでほしい。
簡単に政治家の本能というが、それは一瞬にして事態を呑みこむ直観的認識で、政治家の最も大切な資質だ。それをここ一番で発揮できるかどうかで、政治家の真価は決まる。政治家が官僚や学者ほど気楽な商売でないことは、本当の政治家だったら例外なく知っている。だからくれぐれも、メディアに重宝がられることで自らを慰めているようにも見える石破茂氏や天才子役級の人気者小泉進次郎氏のようにはなってほしくない。賢明な松川氏なら、その心配はないと信じているが。
なんども書いたと思うが、スイスは、徴兵制度をとって、自国を守ってる国なのであって、そこに留学した北朝鮮の金日恩さんが、非武装中立をめざされるとはとても思えない。核兵器を抑止力のカードとして残したいのが本音だから、トランプ大統領とのCIVD交渉がうまく進まなかったのだと思う。
これも書いたと思うが、ソ連(ロシア)の脅威に備えて、西ベルリン、西ドイツを守るために、西ドイツ政府やブラント西ベルリン市長は、米国にお願いにわざわざ米国に訪問したした上で、駐独米軍にいていただいていた(る)のであって、日本の場合はどうするのか?特に、ロシア、中国、北朝鮮と近い位置にある日本の防衛は、沖縄の米軍基地が、日本の米軍基地がなくて大丈夫なのか?その代替案としてどうするのか、ということを、特に、いわゆる憲法学者、マスコミ、野党の皆様には考えていただきたい。加計問題は、それに比べたら、優先順位は、はるかに低い。
今回の会談で、両首脳が関係改善の意思を交換しあうことで北朝鮮の核能力による危機が削減され、今後は予測不能な軍事的衝突の懸念が相当程度減少するだろうという期待につながるのは日本にとって良いことだ、というのは至極真っ当な認識だ。将来的に極東アジアの最大の懸念材料である中国の覇権拡大を食い止めるため、韓国や北朝鮮をどう宥め、取り込むかに注力すべきだというのは、穏当な判断だ。
換言すれば、朝鮮半島国家群に敵国視されないため「クリエイティブな日本外交」とは、双方の利益が合致するギリギリの平和的共存関係を模索することの重要性を説いていると私は見る。相手に「敵国認定をされないこと」をあまりに宥和的で弱腰の姿勢とみるかどうかは、判断の分かれるところだが、南北を問わずわが国との間に横たわる相互反発感情が、不毛な対立にならないような知恵が求められる。
今回の南北会談を立場の違いはあっても歓迎する朝鮮半島の国民感情を眺めるにつけ、問題のそもそもの根源は北の核開発や朝鮮戦争である以上に、欧州では敗戦国ドイツが東西に分割されたのに、極東ではなぜ、最も責任を負うべき張本人の日本が分断を免れて、朝鮮半島が分断されなくてはならないか、という両国の恨みだろう。つまり、東西ドイツでもなかった同じ民族同士が殺し合わなくてはならなかった最大の原因は誰にあるか、あまりに理不尽だ、という叫びだ。
南北分断の背景には朝鮮民族の悲哀など一顧だにしない東西冷戦と、地政学に基づく国際政治の冷厳な現実がある。朝鮮戦争は北の明白な侵略行為で、それで如何に潤い経済復興につながったとしても、日本に一義的な責任はない。泰平の世を謳歌し、非武装中立などと寝言を言っている日本人を彼らならずとも蔑んだろうが、「甘ったれ平和主義」は日本自身の解消すべき問題だ。
だが、どこにもぶつけようがなく内訌する国民感情を国際政治学の理念で宥めるのは難しい。同じ日本統治下だった台湾の対日感情が極めて良好なのに、韓国が極めて良くないのはこのためだ。そして、日本人の反韓・嫌韓感情は韓国以上だ。慰安婦問題や最近の徴用工問題の底流に韓国人の拭い切れない複雑な感情がくすぶっていることを、日本人は忘れてはならない。
それは韓国や北朝鮮に譲歩することではない。日本は日本の正当な国益を追求するだけだ。しかし、外交交渉は相手を知り尽くしてこその武器を使わぬ戦争だ。韓国滞在で松川氏はその辺りの事情を熟知していよう。
人間には他人の痛みに寄り添う想像力が必要だ。戦後日本が敗戦でもし分断されていたらどうなったか。歴史に「イフ」はないと言うが、平和への構想力を高めるためには謙虚で強靭な精神力が求められると、つくづく思う。
韓国人は、違う、と感じたのは、同じく西ドイツ。エリートの韓国人が留学に来ていた。東側に近いから、身上調査もあり、日本人と違って、留学すること自体が大変そうだった。語学学校で、一番上のクラスの劣等生だった私たちは、博士号をもつ語学力のある欧米人にきくのは、気後れして、やさしくしてくれる韓国人の牧師さんになんでも、きいていた。彼はどういうわけか、韓国の外交官の卵と私たちを一緒に誘う。私はそのこと自体もまるで気にせず、普通にしていたが、別れ際に、韓国人の外交官の方に、「日本人のイメージが変わった。」と言われたのにはびっくりした。どんなイメージだったのだろう。
韓国では、日本の曲を韓国の曲だ、と韓国人が思っている、ときいたことがあったので、調べると、1998年まで、日本の大衆文化の輸入は原則禁止で、現在でも、韓国の地上波での日本の番組は規制されているみたいである。私たちの子供の頃、いいイメージの米国は、テレビ番組を通じてだった。ベンケーシー、我が道をゆく、鬼警部アイアンサイド、等。私のイメージはそれで出来上がり、米国に憧れた。今は、インターネットの時代で、若者文化はそうではないかもしれないが、少なくとも私の世代には、等身大の日本が韓国にも、もちろん北朝鮮にも紹介されていず、イデオロギー教育だけを受けている。台湾は、それがなかったし、その後の中国人支配よりいい、と感じているので、日本との関係が良好なのだろう。
先入観、というのは恐ろしい。また、若い頃は、すぐ修正がきくが、歳をとると、国を問わず、それは、なかなか大変なのではないのだろうか?
東西ドイツはお互いに戦っていない。分断されたのは、敗戦後、ドイツが、ソ連、米英仏に分割統治をされて、普通のドイツ人がソ連型統治をいやがり、移動しようとするから、壁ができ、冷戦構造になってしまったからであるが、朝鮮の場合は、分割統治をされている時に、北朝鮮の金日恩さんのおじいさんが「反日運動の英雄」である、という肩書で、南朝鮮を攻め、主に米国軍がそれを押し返したことで分断が起こっている。もし、国連軍が、米国が、南朝鮮に軍事力を行使しなかったら、南朝鮮は、北朝鮮型政治に支配され、日本も、台湾も、それに飲み込まれた可能性が大きい。朝鮮半島と日本台湾は近いのだから。
日本が、戦後、現在のような繁栄と自由を享受できているのは、本当に、アメリカのおかげ、だと私には映る。
江戸末期も、幕府方と薩長が和解しなければ、日本は内戦となり、植民地となり、英仏に分割統治された可能性もある。若い頃は、薩長の武士はすごい、と思っていたが、このごろ、つくづく徳川慶喜は偉い、と思うようになった。
終戦を決められた昭和天皇にも言えることだと思うが、権力者の状況判断、政治判断の良しあしで、国民の生活は、180度かわる、とつくづく思う今日この頃である。
貴所の事実認識には重大な過誤があります。
「冷戦と、ドイツと朝鮮の分断を一緒にされるが、本当にそうなのか?」
これは、冷戦がいつ始まったかについての歴史認識の違いでしょう。少なくない歴史学者の見解によれば、冷戦は第二次世界大戦の終わる前から既に始まっていたとされます。ドイツの分割統治は敗戦とともに事実上始まり、1945年6月5日の四カ国によるベルリン協定で確定します。ドイツの戦後処理は同年2月のヤルタ会談で基本方針が確認されたわけですが、これをもってしても終戦以前から見えざる冷戦が水面下で進行していたのは明らかです。朝鮮半島の場合も、もっとも終戦までは「日本領」ですが、同年8月8日のポツダム会談を受けてソ連が対日宣戦布告し、同29日には、ソ連軍が北朝鮮全土を掌握しています。これが朝鮮半島における分割統治の表向きの起源ですが、終戦前から始まっていた大国の剥き出しの取引の結果です。
ドイツの分断も朝鮮半島の分断も基本的に同じ構図。朝鮮戦争が勃発したから、ベルリンの壁ができた(それに先立つソ連のベルリン封鎖)から、冷戦が始まったわけではありません。冷戦状況は厳然として進行していたのです。
「普通のドイツ人がソ連型統治をいやがり……冷戦構造」ができたのではありません。一般のドイツ人の感覚はそうだとしても、欧州における冷戦は欧州大陸の戦後の覇権争いの帰結です。大国間の血も涙もない、冷厳な国際政治の結果で不可避だったのです。「一般のドイツ人の感覚」云々は所詮オーラルヒストリーの次元の話です。歴史の大局を見誤ってはなりません。篠田さんが、「朝鮮戦争は、朝鮮半島の問題の一表象である……(終戦によっても)地政学的な事情に起因するが構造的な問題が消滅するわけではない」と指摘した所以です。
「米国が、南朝鮮に軍事力を行使しなかったら……日本も、台湾も、それに飲み込まれた可能性が大きい」に至っては、もはや妄想の領域です。米国ではなく国連軍だし、極東を共産主義から守ったのは米国の覇権(Pax Americana )だったという程度の平凡な認識です。マッカーサーは朝鮮戦争を指揮した国連軍総司令官であると同時に、日本駐留の極東軍総司令官でもあって、最悪の場合は朝鮮半島を放棄してでも日本を反共の防波堤として残す意図があり、日本が北に占領される可能性は皆無でした。
むしろ、火事場泥棒的にソ連が北海道に侵攻することへの危惧や、東西が対峙する欧州への悪影響を計算していました。何としても二正面作戦だけは回避したいのが本音でした。東西が連動するのが国際政治です。貴所は簡単に米国の「おかげ」と言いますが、米国は国益に基づいて行動しているだけです。それが国連を基軸とした国際法規範の守護神という鎧をまとっていたにしても。3年8カ月も史上最強の米国軍と正面から死闘を演じた日本(大日本帝国)に驚異と恐怖、ある種の畏怖を抱いていたとしても。どんなに国際法違反でもそんな国は他のどこにもないのです。
それより、ドイツと違って血で血を洗う状況に追いやられた朝鮮半島の人々を気の毒だと思いませんか? 金日成の犯罪行為に等しい侵略だったとしても、ボスニアのように遠い場所で起きたわけではないのです。しかも元日本領です。彼らも戦前は同じ日本人だったのです。本国(内地)は米国に事実上加担(兵站の供給基地)していて、敗戦とともに彼らを放り出したまま素知らぬふり。そのぐらいの恨みは理解する(理解したふりでも)心の余裕がなくては、品位が疑われます。
分割統治も民族の分断も基本的には大国間の覇権争い=冷戦と地政学的要因によるもので、日本に国家としての責任がないことは明白ですが、「もしかしたら彼の国民の悲劇(分断)はわれわれにも起きかねなかったのでは……」と思いを致すぐらいの想像力をもちませんか? 争いや対立は抱えていても、同じ人間なのですから。ヴァイツゼッカー演説に感銘を受ける感受性をおもちの心優しき貴所なら。余裕をもたないと彼らのもう一つの側面である歪んだethnocentrism にもchauvinism (盲目的自己集団中心主義)にも対抗できません。
最後に、関西出身の貴所なら当然ご承知かと思いますが、松川るい氏は「和をもって貴しとなす」を校訓に掲げる女子高、四天王寺中・高の出身です。そのうえで、冷厳な国際政治の実態を熟知する政治家なのです。ブログ記事のナイーヴな理解は戒め、特に政治家のそれは割り引いて読むに限ります。
日本では、左翼が言論を牛耳っていたために、米国の覇権主義を糾弾し、中国や北朝鮮は、日本よりも優れた政治をしているかのような幻想が私たちの大学時代振りまかれていました。だから、1976年イタリアの親戚の家に行って、毛沢東さんが亡くなったのよ、と知った時、「まあ、お気の毒に、」などという受け答えをして、伯母に、「あなた、毛沢東がどれだけの中国人を文化大革命で殺したか、知っているの。」と猛反撃されてしまったのです。
コメント欄で書かせていただいたように、「あたらしい憲法のはなし」が使われなくなったのは、朝鮮戦争勃発故、つまり、朝鮮戦争は、西独に再軍備を許し、NATOの一員に引き入れたのと同じ時期、ナチスドイツから、レッド・パージの引き金になった事件の一つなのです。蒋介石が中国の故宮博物館の財宝をもって台湾に移ったのが1949年10月、中ソ友好同盟相互援助条約の締結が50年の2月、朝鮮戦争勃発が50年の6月なのです。そこになにかあるのでは、と考えても、それは妄想ではなくて、類推、と呼ぶのだと私は思います。
「日本では、左翼が言論を牛耳って……中国や北朝鮮は、日本よりも優れた政治をしているかのような幻想」とされますが、誇張です。進歩的知識人の影響力が大きかった論壇やメディア、特に朝日、毎日など新聞各紙が例えば中国の文化大革命を持ち上げたのは事実ですが、産経などは批判的な論調を堅持しており、その異様さを指摘し明確に間違いを指摘していた識者もおります。田中美知太郎や井上達夫さんの師で法哲学者の碧海純一はその代表格です。誘導される社会の側にも問題が全くないとは言えません。大方の大学の知識人もナイーヴであり、簡単に騙され見通しを誤る方の不見識を反省しないと、今後も何度でも騙されます。注意深く情報を精査することです。毛沢東など、左翼思想の信奉者でもないのに何か偉大な革命家のように持ち上げて勘違いされるのはあまりにナイーヴだからです。上べや評判で騙されなかった伯母上の見識に見習うべきです。
碧海自身は戦後の民主主義的改革、たとえば農地改革、労働者保護立法などの「立法による社会改革」の革命性を重視、支持する一方で、ソ・中の共産主義体制が日本の左翼に強い影響を及ぼしていた時に厳しく批判したため、保守派と勘違いされます(井上達夫)。中国研究者の大部分も文革を礼讃するか沈黙を余儀なくされた当時、一般の情報媒体で文革・毛沢東批判を繰り返した勇気は特筆すべきで、田中のような保守陣営以外にも慧眼の士が存在したことを物語っています。
最後に、ドイツや朝鮮半島の分割統治(民族分断国家の並立)は終戦時の暫定統治が固定化されたもので、その背景には戦争直後に見られた一見蜜月関係とみられた米ソ関係の裏で、すでに冷戦が始まっていたことの証左で、それを否定されるなら、歴史学者の研究成果を退けるだけの史実に基づいて論証しなくてはなりません。単なる感想表明は自由ですが、実のある議論は成立しません。朝鮮戦争の開始(1950年6月25日)と西独の主権回復とNATO加盟(54年23日)は、国際情勢が目まぐるしく変わるなかで、とても「同じ時期」とは言えません。もう少し丹念な議論を心掛けて下さい。米ソの角逐という全体の構造(冷戦)と個々の史実を単純に結びつけ、結論を急ぎ過ぎるナイーヴさも。
「護憲派とか、改憲派とか、そんなことは関係がない。リベラルとか、保守とか、そんなことは関係がない。親米派とか、反米派とか、そんなことは本質的な問題ではない。自分が生きている社会を、もう少しだけでもいいので、良いものにしたい。そのために、相手の人格を尊重し、意見を受け止め、真摯な気持ちで対応しながら、頭を悩ませて、自分の意見を顧みながらも、他者の意見についても検討する。そういう素直で普通の生き方が、なぜ現代日本では、簡単にはできないのだろうか」。
自戒を込めて、日本人の習性というか悪癖として、本当の意味での論争や対話が成立しない空気が社会全体を包んでいる。『論語』に「和して同ぜず、同じて和せず」とあり、それを揮毫する首相もいたが、社会全体ではその精神は誠に希薄で、付和雷同の事勿れ主義と怯懦、長いものには巻かれろ式の事大主義と頽廃が蔓延している。
篠田さんの絶望は深い。あらゆる先入見や固定観念を乗り越えて、自己の見解を顧慮しつつ、良識に基づく自由討議の尊重、個々の価値観への相互承認、目の前の現実から目を逸らさないリアリズム、議論のための議論に堕することない明確な論理意識、過ちを素直に認める潔さ、議論の帰結(勝敗)に固執しない大らかさ、何より熱心さや情熱、信念に囚われるあまり議論を楽しむ余裕を失わない明朗な態度、そのどれが欠けても真の対話は成立しない。その間隙を縫って跋扈するのがいわれなきethnocentrism でありchauvinismであることを肝に銘じたい。
それが、われらが共通に支持する篠田さんが提供するこの貴重な言語空間を守り、水準を抜く品位ある自由討論の場として、篠田さんの期待に応える唯一の道だと信じる。
コメント57の文章に一部に脱落がありました。訂正してお詫びいたします。当該個所は▼西独の主権回復とNATO加盟(54年10月23日)。
以下は参考までに。
戦後西ドイツの歴史的経過
▼1945.6.5=ベルリンに4カ国司令部設置
▼1947.6.24=エルンスト・ロイター、ベルリン市長に選出されるが、ソ連の拒否権で就任断念
▼1948.6.18=西側地区で通貨改革▼同6.24=ベルリン封鎖始まる▼同7.1=米英仏占領軍司令官、11州首相に対して西ドイツ建国に関する「ロンドン勧告」を手交▼同9.1ボンで憲法制定会議始まる
▼1949.5.8=憲法制定会議、ドイツ連邦共和国基本法を可決▼同5.12=ベルリン封鎖終了▼同5.23=ドイツ連邦共和国基本法を公布、施行▼同8,14=西ドイツ、第1回連邦議会選挙を実施▼同9.15=連邦議会、アデナウアーを連邦首相に選出,9.20、第1次アデナウアー内閣発足▼10.7=ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立
(◆1950.6.25=朝鮮戦争が勃発)
▼1950.8.29=アデナウアー、西ドイツの防衛力整備に関する2通の覚書作成▼同10.24=プレヴァン仏首相、西独を含む欧州軍構想(プレヴァン・プラン)を提唱
▼1951.1.9=ドイツの軍事貢献に関するペータースベルグ交渉が始まる▼同7.30=トルーマン米大統領、欧州軍構想の支持を決定
▼1952.5.26=ボンでドイツ条約調印▼同5.27=パリで欧州防衛共同体(EDC )条約調印
▼1953.3.19=連邦議会、ドイツ条約とEDC 条約を可決
▼1954.8.19~22=ブリュッセルのEDC 6カ国会議、仏の修正案を否決▼同8.30=仏議会がEDC 条約を事実上否決▼9.28~10,3=ロンドン9カ国会議▼同10,23=パリ条約調印。西ドイツの主権回復、再軍備、NATO加盟を承認
▼1955.5.5=パリ条約が発効、西ドイツは国家主権回復▼同5.9=西ドイツ、NATOに加盟
けれども、ヤルタ会談で、ルーズベルト大統領が、「4人の警官構想」を打ち出した時には、敵国は、明らかに、ドイツ・日本だったのです。ドイツと日本が、無条件降伏をした後も、当然、戦勝国は、国際秩序、平和を乱す、ということで、ドイツと日本を警戒します。その結果、米国GHQから示されたのが、日本憲法9条の条文だと思います。それに、いわゆる憲法学者の揶揄する、芦田均さんの修正が加えられます。その意図を知ったGHQも、閣僚の文民条項を入れます。
その、米国にとっての敵国が、ドイツ・日本から、ソ連・中国に変化したのが、中ソに支援されて起こった朝鮮戦争なのです。中国とソ連は1949年末から中ソ友好同盟相互条約の交渉を始め、1950年に入ってから交渉を本格化させ、朝鮮戦争の起こる少し前、1950年4月11日に、中国は、中央人民政府委員会第6回会議において、批准し、即日発行したのです。
条約は仮想敵国として「日本または日本の同盟国」と規定し、名指しこそしないがアメリカ合衆国への対抗を主な目的としていました。期限は発効後30年、路線の違いから、その後破棄されますが、この条約の結果、中国の軍備が近代化され始めるのです。(https://ja.wikipedia.org/wiki/中ソ友好同盟相互援助条約)。
私が、伯母の話を書いたのは、欧州の世論と日本の世論の差です。私の大学生の頃、産経新聞を読む層、というのが、どれだけいたでしょう。普通は、朝日ではないですか?
正確には、朝鮮戦争があったから、西独は、再軍備を許され、NATOの一員になれたのです。
前に書いた記憶があるのですが、フランスは、パリをドイツに占領されたことも手伝って、アデナウアーの主張する西独の再軍備に猛反対したからです。イギリスが、その仲介の労を取ろうとして、NATOの一員にすることで、西独軍の歯止めをかければ、という提案を、フランスが受け入れたのは、朝鮮戦争があったためだ、とされています。
ところで、冷戦構造と同一民族の分割統治、または分断国家の登場は不可分の関係にある、という私の主張はいわば、歴史学界の確立した通説です。冷戦の起源に関する専門書を持ち出しても仕方ないので、簡単にご説明します。
冷戦の起源をどこにもって来るかでは意見が分かれていますが、最も穏当な説は、冷戦を表現する一つの標語「ヤルタからマルタまで」に従えば、のちにヤルタ体制と呼ばれる米英ソ首脳が集まった1945年2月4~11日のヤルタ会談に求められます。これによって、ソ連の対日参戦や国際連合設立に加え、ドイツ及び中・東部ヨーロッパでの米ソの利害調整が企図され、「戦後レジーム」が確立される端緒になります。東欧革命やベルリンの壁崩壊を受けてG.H.W. ブッシュ米大統領とゴルバチョフ・ソ連共産党書記長が協議したのがマルタ会談(1989年12月2~3日)で、これによって冷戦に終止符が打たれたわけですから、冷戦は44年8カ月弱続いたことになります。
換言すれば、ヤルタ体制に象徴される戦後の超大国の対立という構図を冷戦とみる一般的見解に対して、もっと構造的な問題、例えばイデオロギー対立を重視すれば、ロシア革命まで遡ることも可能です。もっともこれは冷戦の拡大解釈で、実態は45年7月17日~8月2日のポツダム会談で米英とソ連の利害対立が露呈し、相互不信が一層深まっていったことで米英側の対ソ認識に決定的な転換が起こり、それが米国の冷戦政策の根幹となる「反共・封じ込め政策」につながったとみるべきです。ドイツや朝鮮半島の分割統治が同一民族による分断国家の誕生によって固定化されたのは、この構造的要因が大きく影響しています。
朝鮮戦争は、その後の西ドイツや日本の再軍備に与えた影響などみれば、冷戦対立の固定化を決定的にしたと言えます。この対立が米ソの核開発競争を加速させます。
なお、中国共産党・毛沢東との内戦に敗れた蒋介石の台湾脱出は、アメリカの支援を期待した戦略的撤退の側面もあります(機をみて大陸への反攻を狙った)。一旦は退いた国府総統に復帰するのは翌50年3月で、この年2月に中共が北京放送を通じて台湾の年内解放を宣言し、4月末に海南島を占領していますが、攻勢はそこまでで、この年2月14日の中ソ友好同盟相互援助条約締結は、単独で米国に対抗できるだけの力は建国直後の中国にはなく、ソ連の後ろ盾を望んだのでしょう。
その証拠にマッカーサーが朝鮮戦争開戦後の7月末、蒋介石と会談し、台湾(国府軍)の朝鮮出動を拒否しています。一層のアメリカの後ろ盾を期待した戦略的行動で、蒋介石はこの時点ではまだ諦めてはいません。一方の中国は朝鮮戦争に注力せざるを得ない米国を見透かして、この年10月にチベットに侵攻しています。中国は昔も今もそうした国です。国際法秩序に挑戦する覇権拡大しか考えていません。それが国益だと思いこんでいます。北狄南蛮東夷西戎と言いますが、昔も今も変わらぬ世界の中心・中華を僭称する漢民族の度し難いethnocentrism を痛感します。
最後に、カロリーネさん、お互いよく頑張りましたね。われわれは一種の「戦友」かもしれません。
母の少女時代と違って、私は、戦後日本で生まれ、平和な日本で生きてきた。今の日本は平和で、穏やかだけれど、朝鮮情勢の影響で、平和憲法をもった日本のこれからは、次世代の未来は、大丈夫なのか、という不安がまずあって、なぜ不安か、ということをわかっていただきたくて、直接関係のないテーマについて書きすぎてしまいました。
それは、この不安を安定したいい方向に導くためには、論争の元にもなった、ワイツゼッカー演説にあるように、ユートピア的な救済論を信じるのではなく、歴史の真実を冷静かつ公平にみつめることが大切だ、と信じるがゆえに。
議論の行き掛かり上、後半は国際政治学者の篠田さんを差し置いて冷戦構造を論じる仕儀に至り、何ともお恥ずかしい限りです。敢えて非礼を顧みずに申し上げるのをお赦し頂ければ、ほとんどノーガード(徒手空拳)で果敢に立ち向かってこられたカロリーネさんの、ドイツ人を髣髴させる生真面目な(ernst )姿勢に、多少の困惑とともにある種の感銘を覚えたことを正直に告白します。その熱意に応えるべく、聊かも手を抜くことなく、反感を恐れず、煩瑣を厭わず、何よりブログのコメント欄で顧慮すべき日本的な良識=規矩に縛られず、可能な限り議論を尽くしました。お蔭で、闊達な自由討議を楽しめました。改めて、お礼申し上げます。
座右の銘が故藤澤令夫先生譲りの「殺伐非情」ですので、情けは無用と大学時代の演習を思い出しながら議論に集中しました。それを身をもって示された先生は、ギリシア風の晴朗な空気をまといながらも、テキストの粗笨な読解から思いつきを述べることを許さぬ、優しくも恐ろしい師でした。
noli alutum sapere sed time (Rom. XI, 20)=「高ぶりたる思いを抱くな、却って畏れよ」
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