白井聡氏の近刊『国体論:菊と星条旗』は、前著『永続敗戦論』と同様に、特に学術的に新しいという要素はないが、全体が一つの檄文であるかのような力強さを持っている。
日本はアメリカに支配されている! 対米従属論者に支配されている! 立ち上がれ、日本! というメッセージである。このメッセージの単純さから、大変によく売れているようだ。
『永続敗戦論』の中で、白井氏は、次のように言っていた。
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「私は歴史学者ではないから、本書において新しい歴史的事実の提示を行うわけではない。その代わりに私は、われわれが歴史を認識する際の概念的枠組み、すなわち「戦後」という概念の吟味と内容変更を提示する。・・・それが果たされるとき、われわれはこの国の現実において何を否定し、何を拒否しなければならないのかについて、明確なヴィジョンを得ることになるであろう。」(白井聡『永続配線論―戦後日本の核心』[太田出版、2013年]、34頁)。
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そこで白井氏は、明確に、アメリカを否定せよ、アベを否定せよ、と唱え続ける。
白井氏自身も認めると思うが、『永続敗戦論』も『国体論』も、アジテーションの書である。未来に向けた政策的指針もない。ただ、アメリカとアベを否定することの必要性が、壮大な物語と共に、繰り返し語られる。
白井氏は、戦前の天皇制の「国体」が、戦後はアメリカ従属の「国体」になった、と論じる。だから、アメリカとアベを否定しなければならない、と結論づけ、繰り返し煽情的な表現で補強する。
私も、拙著『集団的自衛権の思想史』で、戦後日本の「表の国体」が憲法9条で、「裏の国体」が日米安保だ、と論じた。ただし私は、戦後日本では日米同盟が国家体制の重要要素になった、と言っただけだ。それに対して、白井氏は、大真面目に戦前の「国体」が、戦後の対米従属「国体」になったのだ、と主張するのである。
アメリカが占領統治に天皇を利用したことは、周知の事実である。だがだからといって、白井氏の特異な主張が裏付けられるわけではない。しかも誇張の度合いが甚だしい。 (たとえば1959年砂川事件最高裁判決の前に、田中耕太郎最高裁長官と米国大使が接触したことをとりあげて、アメリカが田中に「圧力」をかけた、そして田中長官が「おもねった」、と白井氏は描写する[『国体論』158頁]。これは間違った記述だと言わざるを得ない。白井氏は、矢部宏治氏の本を根拠としているが、矢部氏は布川玲子・新原昭治両氏の著作を参照して脚色しているだけである。田中耕太郎に関する布川・新原両氏の研究は、布川氏とジャーナリストの末浪靖司氏が米国国立公文書館で入手した公電資料にもとづく。それは、当時の駐日米国首席公使や大使が、共通の知人宅などにおける田中長官との私的会話を通じて、公判のスケジュールを調査した結果を、報告しているものに過ぎない。判決内容の行方については、米国大使も推察をしているだけであり、田中長官が実質審理内容について私的会話でも漏らしたというほどのものではない(布川・新原『砂川事件と田中最高裁長官』[2013年])。白井氏は伝言ゲームのような形で、話を「盛って」いるのだが、孫引きならぬ孫描写のような文章で「盛りながら」本を書き進めていると言わざるを得ない。)
白井氏の戦前の日本思想史の描写は、大学学部生向けの教科書で使えるようなオーソドックスなものである。もっともだからといって白井氏の叙述に疑念の余地がないわけではない。「国体」概念は、実際には多層的な複雑性を持っていた、と考えるのが、普通の学術的姿勢である(たとえば山口輝臣「なぜ国体だったのか?」酒井哲哉(編)『日本の外交第3巻外交思想』所収を参照)。重層的な戦前の日本の「国体論」の思想史が、実は単一ものであり、そして戦後の日本史との完全なアナロジー関係を持っているという主張は、一つの政治運動演説としては面白いが、学術的な論証をへたものだとは認められない。
たとえば私が「裏の国体」が日米安保だ、と言う時の意味は、戦後の国家体制の根幹の一つが日米安保だ、ということである。しかし白井氏は、真面目に戦前と戦後のアナロジーを主張したうえで、「戦前の国体が崩壊したのと同じように、戦後の国体も崩壊する」、といった予言者めいたセリフを繰り返す。理由は、明治維新から77年で1945年の戦前の国体の崩壊になったので、戦後の国体も1945年から77年目の2022年に崩壊するはずだから、だという。
白井氏によれば、足し算だけできれば、誰でも未来が予測できる。ただし、2022年に戦後の国体が崩壊するとき、具体的には何が起こるのかは、不明である。不親切にも、白井氏は何も教えてくれない。ただ、仰々しいアジテーションの言葉を並べていくだけである。
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「日本は独立国ではなく、そうありたいという意思すら持っておらず、かつそのような現状を否認している・・・。本物の奴隷とは、奴隷である状態をこの上なく素晴らしいものと考え、自らが奴隷であることを否認する奴隷である。さらにこの奴隷が完璧な奴隷である所以は、どれほど否認しようが、奴隷は奴隷にすぎないという不愉快な事実を思い起こさせる自由人を非難し誹謗中傷する点にある。本物の奴隷は、自分自身が哀れな存在にとどまり続けるだけでなく、その惨めな境涯を他者に対しても強要するのである。深刻な事態として指摘せねばならないのは、こうした卑しいメンタリティが、「戦後の国体」の崩壊期と目すべき第二次安倍政権が長期化するなかで、疾病のように広がってきたことである。(297-298頁)
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「お前は奴隷になっている、今すぐ反抗を開始せよ」、と言われて駆り出された人々が、政策目標もないままに現状否定の行動だけに駆られても、あまりいいことはないのではないか、という気持ちを、私は抱く。しかし、白井氏から見れば、そんな反米運動に立ち上がりもしない私のような者こそが、否定すべき「奴隷」だ、ということになるのだろう。
白井氏のアジテーション活動の意図を理解するためには、白井氏の遍歴を見てみることが、近道である。白井氏は、もともとレーニンの研究で博士号を取得した人物である。最初の著作も20世紀前半の思想的文脈を再現しつつ、さらに現代思想の成果も取り入れて、レーニンの唯物論を蘇らせようとするものだった。
アジテーションを繰り返し、秋葉原駅で「アベやめろ」と叫んで首相の演説を妨害する白井聡氏とはhttp://netgeek.biz/archives/99145 、いったい誰なのか?と言えば、つまりレーニン主義者である。白井氏のアベ否定・アメリカ否定の政治運動は、レーニン理論の応用だと言える。それは白井氏の次のような記述を見ていくと、判明してくる。
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「つぎのような議論がしばしばなされる。すなわち、レーニンの致命的な欠点として、彼が自律的な道徳の尺度を持たず、すべての価値判断を革命の大義に従属させたために、さまざまな「秘密」の事業に手を染めることになった、というものである。だが、ここで指摘されるべきは、レーニンが「すべての価値判断を革命の大義に従属させた」ことは何ら「秘密」でも何でもなく、レーニンが公言しつづけたことにほかならないということである。・・・近代資本制にもとづいて成り立っている社会(それは歴史的に「ブルジョワ社会」と呼ばれ、いまわれわれが生きている社会でもある)の特徴は、階級闘争が隠蔽されるところに存する。マルクス主義が主張するところによれば、政治的なものの本質は階級闘争に存するが、それが真実ならば、ブルジョワ社会とは、この基本的真実を忘れたふりをすることによって、あるいはそのようなものは存在しないと言いつのることによって、言いかえれば、政治的なものの隠蔽によって、社会に内在する敵対性を隠蔽することによって成り立っている。まさにこのことが、通常の政治が抱えている巨大な「秘密」であり、社会に根源的敵対性が内在的に存在することを告白することとは、共同体の不可能性を告白することにほかならない。」(白井聡『未完のレーニン:<力>の思想を読む』[2007年]、20-21頁)
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白井氏は、レーニンの『国家と革命』を、「祝祭的時間性」の狂気という言い方で描写する。それは、「過去・現在・未来の連続した流れとして通常われわれが対象化するような時間ではない・・・質の違った時間性が祝祭のように其処に現前している」狂気である。(白井『未完のレーニン』216頁)
レーニンの『国家と革命』は未完に終わった。なぜなら最終部分を執筆中に、いよいよロシア革命が勃発する情勢になったからだ。レーニンの理論は、レーニン自身が指導する革命によって実践された。白井氏は言う。「祝祭の存在を最終的に確証しているのは、あの最後の不在のページにほかならない。なぜなら、そこではテクストの作者は姿を消し、描かれてきた<力>そのものが筆を取っているからである。」(同上)
白井氏は、さらにレーニン『国家と革命』の解説において、次のように述べる。
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「われわれは一度でも、こう考えてみるべきなのだ。すなわち、ロシア革命の失敗は、われわれが責めを負うべき事柄なのではないか、と。あるいは、もっと正確に言えば、ロシア革命の失敗が失敗であるがままにとどまっているのは、ほかでもなくわれわれのせいなのではないか、と。・・・果たして、われわれはわれわれ自身の義務を果たした上で、レーニンの革命を批判しているのか? レーニンの革命は、いつか再び社会主義革命が世界的理念として<力>を獲得しない限り、挫折した呪わしい革命として永久にあり続けるほかない。その理想を救済することができるのは後に来る者たちだけであるとすれば、『国家と革命』に出現した革命を汚辱のなかに捨て置かれたままにしているのは、われわれ自身の仕業にほかならない。・・・自由な精神は、大いにレーニンを批判すべきである。ただしそれは、われわれが、われわれの時代が、レーニンの革命よりももっと偉大な革命を成し遂げるとき、その革命そのものによって行われるのである。・・・日本では、三・一一の地震が原発震災と化したことをきっかけに、政・官・財・学・マスコミの形づくる腐敗した支配の構造が、白日の下にさらされつつある。要するにそれは、日本における革命の必要性を突きつけた。・・・『国家と革命』はもう一世紀近くもの間待ち続けている。書かれなかったあの最終章が、われわれの手によって書かれる日を、待ち望んでいるのである。」 (白井聡「解説 われわれにとっての『国家と革命』」、レーニン(角田安正訳)『国家と革命』[講談社学術文庫、2011年]所収、277、279-280、283-284、285-286、289頁)
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白井氏は、「革命家」だ。それは「何ら「秘密」でも何でもな」い。白井氏がレーニン主義者である、ということを思い出すだけで、十分である。
白井氏の『国体論』は、いったいどのような「革命」に、われわれを連れていこうとしているのか? それは、全く本質的に、不明である。しかし、はっきりしていることもある。白井氏が目指しているのは、そのあたりに転がっている低次元のアベ否定のようなものではない、ということだ。白井氏が目指しているのは、本物の「革命」である。
コメント
コメント一覧 (147)
以下、文脈に誤解を招きかねない構成があったので、文意が通じやすいように、文章の順序を改めました。字句は一切変更しておりません。
②「ドイツ共産党とナチスとの違いは、ナチスヒトラーが政権をもてた理由は、といった方がいいかもしれないが、ヒンデンブルグを中心とするドイツの有力政治家の支持なのである」については、コメント23で私はドイツ共産党が「その後も着実に議席を伸ばし、30年選挙では社会民主党、ナチスに次ぐ第三党の地位を確保、以降もそのまま推移」と記述していますので、これも別に反論の必要はないと思います。
当時、西欧最大の勢力だった社会民主主義政党であるドイツ社会民主党(SPD)は共産党にとって最大の敵でした。共産党とナチスは「敵の敵は味方」の論理で共闘関係にあったのです。同床異夢にすぎませんが。社民党と共産党の敵対関係は世界中、どこでも基本体には同じです。
それは、党「規律」という鉄の掟です。だから共産党は国会の議席を安定して維持できたのです(1924年以後、最大100=1932年11月=から最少45=24年11月)。
日本でも日本共産党はコミンテルンの日本支部として誕生した経緯もあって、「正面の敵」(最高幹部クラスの認識)は日本の社民主義政党である戦前の無産政党の流れを汲む労農党や社会大衆党、戦後の社会党や民社党なのです。東京都知事選挙で野党共闘して美濃部都政を誕生させたり、70年代には革新首長が数多く誕生しますが、代々木(共産党本部の通称)は終始一貫して反社会党です。これに反対すると、どんな著名な、善意の文化人党員であっても必ず除名されます。
「それは、党「規律」という鉄の掟です。だから共産党は国会の議席を安定して維持できたのです(1924年以後、最大100=1932年11月=から最少45=24年11月)。」の位置のみ上記のように移動しました。
われわれ日本人も、論理意識を研ぎ澄ますために、もっと意識的であるべきだと考えています。左翼の「古代以前で論理学以前」の弁証法論理に騙されないためにも。
他人の長所を認める心情のうるわしさは、篠田さんの美徳だと以前に書きましたが、私もそれに見習って、次のコラムを紹介します。既にご承知の方もあるかもしれません。
それは「朝日」の6月24日付朝刊3面に掲載された、曽我豪氏(編集委員)のコラム「日曜に想う」の「変転の時代 良き論客ありて」です。「朝日」の中にあって国会論議の充実を呼び掛けた、正気を失わない真っ当な論考です。例外的知性は「朝日」にも存在します。この国のメディアのために、嘗ての老兵の一人として、健闘を祈りたいと思います。人を褒められるのは気持ちが良いものです。
今書物としてよく売れているらしい白井聡さん
の「国体論」は、彼が、レーニン主義者だから、という篠田先生の解説を読んで、
「カントの定言命法」からきた、と主張されてきた「非武装中立」政策も、「マルクス主義」から
きたものではないのか、と思ったからである。
東京大学の憲法学教授、石川健司さんは、日本国憲法9条は、
「自由を守る」条文だ、と主張されるが、法律の深い知識のない私には、どうみても、
日本の外交(軍事)方針、としか取れない。そして。9条の解釈の仕方も、東大系憲法学者
に揶揄されている芦田均さんの「新憲法解釈」を読んで明らかになった。
国際法学者でもあった芦田均さんの説明はよくわかるが、石川健治さんの説明は、まるでわからないし、納得できない。
彼とは、40で訂正したように、石川健治さんの師匠の樋口陽一教授です。東大法学部を卒業
した人に、そういう理由を背後に隠して作られた理論だから、ときいて、素人の私は自信をもった。
国際法学者である大沼保昭さんは、「歴史認識」とはなにか、の中で、「普通の人の目線」と主張されているが、
それが、本来必要なことなのであり、まず、この人間社会で「カントの定言命法」で平和が確立できるのか、
ということを考慮すべきなのである。
Kazさんが、白井聡さんのことを、この人は「大川周明」ですね。と書かれているが、レーニンは「ろくでもない革命」を成し遂げたし、
イデオロギーはまるで違っても、大川周明が、日本人を悲惨な状況に誘導したのは事実なのであって、その言葉を重く受け止めなければならないと思う。
徳川慶喜の聡明さも手伝って、犠牲者もヨーロッパの革命と違って少なく、階級制度、士農工商が一律平民という階級になった。
その結果、国民全体が階級ではなくて、能力に応じて、教育を受ける権利をもつことができ、実力に応じて活躍できる素地が作られ、
欧米の植民地になることもなかった。
確かに、自然科学の分野においては、欧米に各段の遅れがあるが、人文、社会科学の分野においては、そうは言えないのであって、
日本人は思想的な脆弱さを抱えています、と私はまったく思っていないし、京都大学哲学科を卒業された仏教哲学の第一人者、梅原猛さんが、
丸山真男さんに論争を吹っ掛けられた理由は、よくわかる。丸山真男さんは、「脱亜入欧」論者の福沢諭吉を尊敬しておられるのであって、
仏教哲学などまるで眼中にない。その彼をもちあげた日本のマスコミがどうかしているのである。
ヨーロッパは、キリスト教文化、日本は仏教文化、そのことは、ミュンヘンのドイツ博物館にゆけば、よくわかる。
日本の楽器のコーナーには、お寺にある、木魚やドラがおかれている。高校生の時、祖母の葬儀の際に、音楽的だな、と思ったが、
ヨーロッパの音楽は、キリスト教と切り離せない。
大学時代、米国はデイベート、ドイツは、デイスカッション、日本は話し合い、文化だな、と思ったが、
率直な話し合いで、妥協点を探す方が、どちらが正義か、と解答が、白と黒しかない議論より、よほど、平和的な解決が図られると私は思う。
梅原の批判は、戦後の平和論を主導した丸山の「夜店」的な業績である政治評論ではなく、まさに「本店」と称される学術的な研究成果『日本政治思想史研究』に対する仏教思想研究者の異議申し立てにすぎないことを留意すべきだ。つまり、丸山がそこで展開した議論は、主に儒学者、国学者に限られており、その範囲で首肯することはできても、日本的思索の伝統として脈々と息づいている仏教思想の文脈からの分析を欠いているではないか、という仏教思想研究家としてはある意味当然の論難で、別の意味で無理な注文だということだ。
『日本政治思想史研究』の前半は荻生徂徠の再評価であり、後半は朱子学とそれに対抗した徂徠、安藤昌益、本居宣長らの政治思想における「制度観」の対立を主題として政治思想史的に分析したものだ。専ら内面の救済に取り組んだ日本仏教を取り上げることは最初から想定されていない。対象となった江戸期の仏教は儒学への「対抗重量」となるような政治性を喪失しており、例外は日蓮宗のみだったからだ。梅原氏は贅沢な注文をしたわけで、そうした要求は丸山ではなく、他の仏教思想の専門家がすべきことなのだと、いずれの味方でもない私は思う。
ところで、梅原は専門研究者の一致した見解では「仏教哲学の第一人者」ではない。それを言うならまず中村元だろう。梅原は日本の仏教文化に関する極めて多産的な思想家(哲学者)であって、元々はハイデガーの研究から出発した人だ。恩師田中美知太郎のプラトン演習をギリシア語読解釈に要する膨大な苦労を嫌って「落第」したことを度々正直に述懐している。
ところで、学者の世界というものは、世間一般の価値観が通用しない特殊な世界(知的専門的職能集団)で、文化勲章まで受章した梅原氏がなぜ「仏教哲学の第一人者」ではないか、不思議に思う向きもあろう。仏教や仏教哲学(これはインド哲学とは異なる)に限っても、実証的でオーソドックな分析的探究が最も評価される。客観的評価が成立しやすいからだ。だから、梅原の先駆者である和辻哲郎も当初、学界では縄張り荒らし的評論家(日本古代史、仏教哲学、西洋文化史、西洋哲学、倫理学)として正当に評価されず、苦労した。「学界政治学」的には他人の専門領域に専門外の研究者が首を突っ込み専門家を批判することは、評価されないどころか、激しい反発と嫌悪の対象になる。篠田さんに対する憲法学者の大半の姿勢をみても明らかなように。
梅原氏は秩序に挑戦した哲学者である。しかし、梅原氏と丸山を同一の地平に並べて批評することに意味はない。丸山に「仏教哲学などまるで眼中にない」と責めても、専門店に行って百貨店の品揃えがないと非を鳴らすようなもので、ナンセンスだ。ましてや「彼をもちあげた日本のマスコミ……」は見当違いな八つ当たりだ。メディアも丸山も互いを利用したにすぎない。
論争から逃避しても何の問題解決にもならない。ドイツ人は論争好きだ。日本的美徳の平和的解決はこの種の問題に関しては欺瞞で、曖昧な真実より、明白にされる虚偽の方が学問的には重要だと知るべきだ。むろん、強制はできないが・・。
⑦「特に国際政治を専門にするわけでもない、日本人の私がなぜ、これを知っているか。それは、西ドイツのマスコミがドイツ語で普通のドイツの人々にそれを伝えているからである。」──何ともまあ、力み返った物言いですね。
貴所がこれ見よがしに過去のコメントに遡って、「私は知っている」と豪語するW. ブラント元独首相の東方政策について、即ち、
「ブラントさんが東方外交を始めてから、東西統一まで、何年かかったか。そのブラントさんは、1958年ベルリン市長時代、ソ連・フルシチョフのベルリン非武装自由都市宣言を即日却下し、米国の軍事面を含めて、全面的な支援を取り付ける努力をされた結実がケネデイー米大統領のIch bin ein Berliner 宣言であり、西ドイツの首相になった、という経歴をもつ政治家である。そののち、核不拡散条約に署名して、東側の脅威を取り除き、共産主義諸国の関係改善を求める「東方外交」を展開し、一民族二国家論の立場を取ったから、平和が保たれたのである。」──のどこに、わざわざ「日本人の私がなぜ、これを知っているか」と特記するような特別の見解がありますか? それはSo what ? という程度の凡庸な認識を述べただけではないのですか?
日本の1970年代のこの問題への基本的認識について、当時の記述を確認してみましょう。
「(W. ブラントは)1964年、オレンハウアー(Erich Ollenhauer, 1901~63)の後を継いで社民党党首に選ばれ、66年にはキリスト教民主同盟と大連合政権を樹立して副首相兼外相となった。69年9月の総選挙の結果、自由民主党と連立政権をつくり首相に就任、39年ぶりに社民党主導下の政権が実現した。」(引用続く)
問題はこの後に訪れる歴史の厳しい現実です。続けます。
「が、74年5月、側近から東ドイツのスパイを出した政治的責任をとって首相を辞任(党首は留任)、和解のために力を傾けたその相手国の犠牲になった。」
引用は「朝日」の印刷物で、プロだから当然ですが、貴所より事態を的確かつ簡潔に記述しています。偏向もありません。「一民族二国家」論が、長らく懸案だったオーデル・ナイセ線の確定と東ドイツの国家としての承認という問題を、東西の現状を固定することで実質的に解決する、政治家のリアリズムによる選択であったことを過不足なく記述しています。格別貴所の強調するドイツ語文献によらなくとも、日本のジャーナリストでもその程度の認識はあります。当時の論壇誌はもっと多くのことを教えてくれます。
サンフランシスコ平和条約や、日米安保条約改定で国論を二分した、一方の陣営である、当時の進歩的知識人の苦悩と過ちについて、雑誌『世界』の臨時増刊『戦後平和論の源流─平和問題談話会を中心に』(1985年)の精読をお勧めします。すべては、それからです。
「平和問題談話会」には東西、実質は東京と京都のそれぞれを代表する、当時望み得る学界の指導的人物を網羅した、東西の並み居る知性が集まっていました。前身の「戦争と平和に関する日本の科学者の声明」(=1949年1月)の後、都合三度に及んだ声明、①講和問題についての平和問題談話会声明=1950年1月②三たび平和について(平和問題談話会研究報告)=50年9月③安保改定問題についての平和問題談話会声明=1960年5月──です。
最終的に声明には署名していませんが、東京と京都の各地方部会(それぞれ文科、法政、経済の各部会。自然科学部会は東京のみ)の討議に参加した中に、「単独講和」支持者の津田左右吉や鈴木大拙、田中耕太郎、田中美知太郎もおりました。別に中国文学研究の泰斗・吉川幸次郎がいて、「非署名者の所感」を公表します。集団的思考に惑わされない慧眼の士も間違いなくいたのです。
知識人たちの平和維持への熱心な討議と苦悩の一側面がそこには示されています。
私は、高校の倫社の時間にそうは、習わなかった。その先生は、東大法学部政治学科卒業の肩書をおもちで、私たちは、東京大学の法学部卒なら、公務員でも、弁護士でもなんでもなれるのに、なぜ、わざわざ高校の社会の先生になられたのだろう、と思っていた。教材は、プラトンが書いたソクラテスの徳や勇気について、の英語の文章で、英語自体も難しいし、内容にいたっては、今となってはよく覚えていないが、ソクラテスは、ペロポネソス戦争にアテネが敗れ、国力が衰退し始めた時に出てきた哲学者で、カネをとって弁論法を教えるソフィストを揶揄したために、多くの敵を作り、若者を堕落させた罪で公開裁判にかけられ、死刑を求刑され、プラトンらに亡命を勧められたが、自身の知への愛(フィロソフィア)と「単に生きるのではなく、善く生きる」意志を貫き、票決に反して亡命するという不正を行なうよりも、死と共に殉ずる道を選んだ、哲学者だということだけは鮮明に覚えている。ということで、はじめて、反時流的古典学徒さんが出て来られたとき、「ソクラテス、田中美知太郎さん、懐かしい名前。」と思ったのである。
今、考えれば、その先生は、毀誉褒貶する若者ではなくて、ソクラテスのように生きる、若者を一人でも多く育てたかったのだと思う。特に、東大の憲法学の戦後の歴史を見ると・・・・・
一般の人、普通の日本人、になぜ、そのことをマスコミが伝えないのか、ということを問題にしているのです。もし、マスコミが「9条の会」や「憲法学者」の主張について詳しく報道する代わりに、「ブラント元首相」の東方外交について、詳しく報道してくれれば、非武装中立政策、という外交方針が、いかに、非現実的な外交方針か。ということが、「普通の日本人」にわかるし、民族が同じだから、という理由だけで、握手しただけで、即座に北と南朝鮮が融和して、平和を確立できる、などとコメントする専門家の主張が、妄想である、ということが普通の人にわかるはずなのです。
民主政治において、大事なのは、「普通の人」、の動静なのですから、そのための世論調査なのではないですか?
貴所は名辞論理学と命題論理学の違いを分かって、およそ考えられない無知蒙昧な議論を展開しているのですか。私の主張は私の個人的な見解ではなく、正統の論理学、今日では形式論理学とか記号論理学(数学的論理学)とか呼ばれている標準的論理学のことです。
東大法学部政治学科卒の立派な肩書をもった先生に「高校の倫社の時間にそうは、習わなかった」は言い訳になりません。先生が無知だっただけの話です。そして、貴所がその後、勉強しなかっただけの話です。
貴所の史実認識には致命的な間違いが多すぎます。▼①「ソクラテスは、ペロポネソス戦争にアテネが敗れ、国力が衰退し始めた時に出てきた哲学者」ではありません。ひどい誤りです。アテーナイ(アテネのギリシア語表記)が敗戦を迎えた紀元前404年の時点で、ソクラテスは既に66歳で、戦後にわかに登場したわけではありません。▼②「ブラント元首相の東方外交について、詳しく報道してくれれば(中略)コメントする専門家の主張が、妄想である、ということが普通の人にわかるはずなのです。」と繰り返しますが、報道していた事実の一端をコメント54~55で証拠として既に示したはずです。貴所の誤読、読み飛ばしはまさか、意図的ではありませんね?
論争が厄介なのではなく、貴所が論争に真摯に(ernst )向き合おうとせず、誤った事実に基づいて、見当違いな盲説を、気分に任せて展開しているだけではないですか? まず、意地を張らずに個々の事実認識の誤りに誠実に向き合い、冷静になって事態の真相に向き合うのが先決ではないのですか? 私は貴所のような海外留学経験のある「普通の人」を軽蔑してはいませんが、居直って軽蔑されるようなことはなさらないことが大事と、賢明な貴所なら既にお分かりのはずです。
「普通の人」は自分や家族、地域や会社の仲間とより善い平穏な生活が今後も続くことを願って生きているわけで、憲法解釈や世界情勢について精通してはいないし、メディアに登場する識者のコメントを「よくは言い表せないけれど、なんか変だな」と思いつつ、大半は特別勉強したりはせず、忙しく生きているだけです。
だから、特別な知識や経験、技能を有してはいないため、多くは凡庸であるしかない「普通の人」の現状に留まり続けるのではなく、無知と不見識を乗り越え、それこそ高校時代の奇特な恩師の教えを胸に刻み、ソクラテスが説いた哲学の精神「単に生きるのではなく、善く生きる」のが大事なのではないですか。ある時点を境に無知を脱却し、覚醒に達した人は「普通の人」をただそれだけの理由では侮ったりしません。
「人は、富など、物質的高下についてばかり、ひどくやかましく論議するが、精神の高下については、それほど、気がつかないでいる。その方が、差は、もっとはなはだしい、のに」。弟子が伝える田中美知太郎氏の観察です。
この公文書を請求した布川玲子氏の「砂川事件と田中最高裁長官」日本評論社を早速アマゾンで注文した。
天木氏などが騒いでいるが、これはモリカケ騒動と基本的に同様だ。
だいたいモリカケで「忖度」だの「政治の圧力」だのと騒ぐ連中は、ほぼこの問題でもアメリカからの圧力の証拠であると位置づけるはずだ。
しかも、この連中は、徹底的なGHQによる検閲下で短期間に決められ、ろくに国民的議論も行われず、半強制的に日本に押し付けられた憲法9条に対しての「メガトン級のアメリカ圧力」についてはあまり問題にしないくせに
田中耕太郎最高裁長官の判決についてはこっぴどく騒ぐ。
いつもと同じ左翼のダブルスタンダードだ。首相自身に関してはは犯罪性や違法性は皆無であったモリカケを「首相の犯罪の匂いあり」と印象操作する偏向メディアとそれを補完する言論人は、何の問題に対しても、このように悪質な印象操作と滑稽なダブルスタンダードが際立っている。
いわば国際的にも有名な筋金いりの「反米知識人」と提携している。こちらのほうが浪花節調の白井の「反米」よりもずっと日本人への影響度は強い気がする。
あちこち話が飛ぶが、やはり今後やるべきことは折角成立した平和安全法制を左翼の攻撃から理論的に守ることであると思う。これが守られて、その意味が正しく啓蒙されて定着すれば、左翼の尋常ではない攻撃が、いかに戦後の負の遺産を受け継いだ非現実的で偏向したイデオロギーに基づいたものであったかが白日の下にさらされると確信する。
プレスコードは、1945年9月19日に発令、9月21日に発布。1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効による失効まで、なんと7年も続いた。この間、原爆への非難など米国批判の記事や文章は発禁となった。途中で検閲は徹底化して個人の手紙まで検閲対象になっている。
鳩山一郎は、多くのの日本人が語っている表現として「これほどの暴虐は信じられない」という当時の日本人の心中を伝えている。
そのプレスコードのなかで対象のひとつとなっているのが、「GHQが日本国憲法を起草したことの言及と成立での役割に対する批判」である。憲法成立の経緯を批判できなかったのである。
ちなみに終戦後に日本政府は、日本軍の軍事行動に対して「議会の賛成を必要とする」という規定を追加して憲法にシビリアンコントロールを盛り込むつもりであった。ところが、GHQおよびマッカーサーは軍備の完全放棄を指示した。米国の圧力がなければ日本は軍備放棄など選択しなかった。
これを8月革命などと美化するのも自由であるが、あまりに特殊な状況下で憲法9条が成立したがために本質的な議論が封印されて、プレスコードに追従したメディアによって「自主的な言論統制」が継続された。
そのため、憲法9条を実現するためには自衛隊を廃止すべきという憲法学者が現在も一定数おり、解釈改憲等の姑息な方法で戦後日本が安全保障問題で綱渡りをせざるをえなかった。また左翼の猛攻撃に多大なエネルギーを消耗し不毛な神経戦を展開せざるをえなかった。左翼は「朝鮮戦争やベトナム戦争へ日本が参加しなくてよかった」と矮小化しているが、あまりに不毛な対立とエネルギーの浪費であった。
そもそもが国際法にもとづいた穏健な平和主義と健全な民主主義に立脚した節度ある軍隊を(戦後の西ドイツのように)持てばよかっただけの話である。検閲で健全性を喪失したメディアと共産主義イデオロギーに頭脳と精神をやられた亜インテリ勢力が手を組んで憲法9条を水戸黄門の印籠にしたのが日本の悲運だった。
たとえば、泥棒が家に忍び込んで物を盗もうとしたが家人が気づいて反撃して泥棒が死んでしまったとする。その場合に、家人が泥棒に反撃した時間帯だけを微に入り細を穿つように正確無比に報じながら、泥棒が家に忍び込んだところを完全に省略したら、家人は殺人犯のように見えます。泥棒はその家に遊びにきていた知人という風に受け手は解釈するかもしれません。
極端な例ですが、これこそが一斉に同調報道を行ってきた日本マスコミの正体です。この事実を理解できる日本人なら特定の新聞を絶対に購読しようとなどは思わないでしょう。ビジネスのため日経を読む人などを除いて。
少しでも教養ある日本人は徹底的にマスコミの必要性を否定して、その有害性を広めるべきだと信じております。
憲法9条を擁護する際に「戦争の反省」を常に持ち出すマスコミですが、エマニュアル・トッドは新聞インタビューで「「日本は戦争への贖罪意識が強く、技術・経済的にもリーダー国なのに世界に責任を果たせないでいる。過去を引き合いに出しての"道徳的"立場は、真に道徳的とはいいがたい」とたった数行でメディア総出で演出してきた集団的な贖罪イデオロギーを否定しています。結局は、過去の反省は絶対に必要なものですが、バランス感覚をかいたり、悪意のある偽善者に利用される恐れを警戒しなけれならないです。
まず、元新聞記者だった私の見解としてご理解いただき、メディア全体の見解を代弁するものではないという前提で申し上げると、メディアは歴史の証言者ではあっても、歴史の主体ではありません。目の前の現実と常に距離を保ち、一切の希望的観測や感傷を排して「事実らしきもの」を補足し、記録するのが、言葉の真の意味でのメディア(媒体)の役割だと考えます。事実として切り取られたものの正確性は、必ずしも個々の事実を構成する対象の全体像を明らかにすることを保証しませんが、この一つ一つの歴史の断片を再構成して歴史の全体像を提示するのは、もはやメディアの役割ではなく、この点で禁欲的であるべきだというのが、私の考えです。識者や研究者はそのためにこそ存在します。最終的には歴史家の判断です。
まあ、ご批判は自由ですが、上述した理由で、過大なご期待を寄せられても現状は無理だと思います。頭でっかちの記者の独りよがりの正義漢や義務感など、とても歴史への対抗重量にはなり得ません。その面で謙虚でありたいと思います。要は「出来の悪い頭で余計なことをツベコベ言わず、取材を徹底しろ」というのが、デスクとしての私の口癖でした。
なお、制度化されたメディアはしばしば第四の権力と称されますが、精々擬似的な権力です。それから、世論を誘導ないし鼓吹するのがメディアのもう一つの役割とする見解もあり、実際、分不相応な糾弾型論調がこのところ朝日、毎日、東京で喧しいですが、あんなものは相手にしないことです。メディアへの健全な批判精神は、メディアが作り出す虚偽と真実を見分ける目を養うことなしには、何も見えてこないことを教えます。そこで試されるのは読者自身です。これは自由な言論社会の宿命です。
「少しでも教養ある日本人」と仰せですが、それなら世界有数の教養市民層が存在したドイツの事例が有力な反証になります。彼らの致命的な欠点はその「非政治性」です。教養があるから、政治や歴史の動きを正確に判断できるとお考えなら、とんだしっぺ返しを食らうことになります。残念ながら、騙される人は何度でも騙されます。それを防ぐには、情報収集の間口を広くして、互いに矛盾する報道内容について自ら検証するか、他の媒体で信用できる識者や専門家の見解を参照するしかありません。「日本の教養人」はどうでしょうか、東大法学部卒を有難がる時代でもありませんし。凡百の教養人に欠けているのは、人間の善悪の能力への徹底した洞察の欠如です。生真面目でナイーヴな正義感が、最も危ういものです。だれのことを指しているかはご想像に任せます。
「マスコミの必要性の否定」と言っても朝日や毎日のことでしょうから、いずれ淘汰されるか、論調が変わります。最近は天皇制は否定していませんし、所詮商業紙ですから。
エマニュエル・トッド氏の見解は、私が戦後のドイツ人について同情しつつ指摘した「道徳でいえばパリサイ的な偽善であり、心理的には道徳以前の感傷です」と同じです。安易な「集団的思考」を徹底して排除することが肝要で、それは左右双方に対して「正気の思想」の自由を守ることにつながります。
私が問題にしたいことを、時代的にそれはおかしい、(ペロポネソス戦争(BC431-404)、ソクラテス(BC469-399))
と主張されるが、それは反時流的古典学徒さん(マスコミの人に代表される)、のはぐらかしのテクニックそのものであって、私の主張したいことは、
ソクラテスが、アテネの衆愚政治時代に現れた哲学者で、その衆愚制は、ソフィストによってもたらされたもの、
とソクラテスが判断して、論争を試みたということなのである。反時流的古典学徒さんは、時代的に合わないから、私の論理はおかしい、と主張される。
けれど、現実は、ソクラテスに対して若者を中心として人気が出て、ソフィストに敵をたくさん作り、処刑を余儀なくされたのが
紀元前399年、ということは、ペロポネソス戦争が終わってから、5年間盛んにその活動をしたなによりもの証明なのである。
私は、大学生時代、ドイツ観念哲学者より、ドイツ生まれのユダヤ人の社会心理学者E.フロムに遥かに興味をもった。
そして、「社会心理学」の授業での、マスコミが人々に与える影響、についての教授の講義もとても勉強になった。
学問自体が、動的で、現実的な上に、なぜ、ドイツと日本が戦争に突き進んだのか、の手がかりも得られた。
フロムは、「自由からの逃走」でこう書いている。ヒトラーそして、ナチスの組織の目標は、「権威主義的」性格、強者についていけば、
まちがいない、という印象を国民に与えることだった。そして、演説者の優れた力によって聴衆の意志を破壊することが、
プロパガンダの本質とし、そのテクニックを用いて、(世界大恐慌の経済的な苦境でどうしていいかわからないドイツの「普通の人」に)
ヒトラーへの服従への切望を強いたのである。
につくづく嫌気がさし、「強い軍人さん」に期待するから、「軍国主義日本」が出来上がったのであって、外交官出身の政治家、
例えば、芦田均さん、重光葵さんなどは、その世論に太刀打ちできなかったのであるが、そのような世論を作り上げたのは、
マスコミなのである。「モリカケ」問題を追及する現代のマスコミにも、戦前と同じものを感じる。
会社員の方と同じで、私も感じることは、事実は一つ一つ正しいかもしれないが、大事なことは、
物事の軽重、をよく考えて報道すべきだということである。あまり、反権力姿勢ばかりだと
健全な民主主義は、育たず、おかしな勢力が権力を握る、ことにつながる。
貴所はつくづく無謀な人ですね。会社員さんがコメント66言っている趣旨は、貴所が無邪気に勘違いされていることとたぶん逆ですよ。粗笨な読みの典型です。
反時流的古典学徒、つまり私は、別にマスコミを代表しているわけではありません。既に69で述べたので誤解なきよう。「はぐらかしのテクニックそのもの」という根拠を、できるものなら、どうぞ示して下さい。その前に、貴所でも読めるはずの田中美知太郎『ソクラテス』(岩波新書)や『ソフィスト』(講談社学術文庫)ぐらいを読んでから。
ソクラテスが敵対したソフィスト(ギリシア語でsophistes=智慧のよく働く人の意味。転じて智者が本来の意味)、「詭弁家」という悪名の由来はプラトン以来で、より厳密にはプラトンが「対話篇で描いたソクラテス」や同時代のクセノポン以来の後世の評価。この評価が固まるのはアリストテレスによる。「智をはたらかせる」(自動的)または「智がはたたらくようにさせる」(他動的)という動詞sophizoが名詞化したもの。
貴所が主張される「ソクラテスが、アテネの衆愚政治時代に現れた哲学者で、その衆愚制は、ソフィストによってもたらされたもの、とソクラテスが判断して、論争を試みた(中略)ソクラテスに対して若者を中心として人気が出て、ソフィストに敵をたくさん作り、処刑を余儀なくされたのが紀元前399年(中略)ペロポネソス戦争が終わってから、5年間盛んにその活動をしたなによりもの証明なのである」は多数の重大な過誤を含む高校の倫理社会レベルの俗説。もっと勉強したらよいですね。私はこの分野の専門家です。
「真実は細部に宿る」のです。貴所が東大法学部卒の知人の話を宮澤俊義と勘違いして、実際は樋口陽一氏だったのは、貴所の理解がもともと中途半端なことを示す何よりの証拠です。悪しからず。
日本ではスコラ的議論は煩瑣で無味乾燥、空疎で不必要な悪しき思弁の代表のように誤解されているが、それはこと論理学に関する限り、無知に基づく全くの誤解で、俗論である(『広辞苑』も)。中世のカトリック神学者の論理的水準は極めて高い。その代表格、トマス・アクィナスは論理学の元祖、アリストテレスの著作に関する註釈も膨大で、論理学関係の著作も複数ある。一般に中世で哲学者と言えばアリストテレスで、英国哲学協会が‘‘Aristotelian Society’’と称していたのはその名残りだ。
いずれにしても、論理学の知識は少なくとも英米の教養ある市民の基本的作法だ。ハーヴァードの政治哲学教授・マイケル・サンデルの『これから「正義」の話をしよう』が翻訳刊行後、手元のもので四カ月半で104刷(2010年10月10日)という、この種の著作としては異例のベストセラーになったくらいだから(NHKによるテレビ放映の影響とは言え)、たぶん大丈夫だろう。
要は、議論の前提となるルールが形式面では論理学だということだ。自然科学の世界では数学と物理学、経済学でも初歩的な高等数学の知識は必須だが、人文系でも論理学の知識は不可欠なのはそのためだ。少なくとも、英米ではその意識が一般的であり、仏独と幾分異なるが、学問研究の重心が欧州大陸から英米、特に米国に移っているのは否定できない現実だから、妙なナショナリズム感情は排してさっさと実技を身につけたらいい。
そうすれば、他者の見解に異論を表明したり、批判するという「論争」に際して、「学校で習わなかった…」式の馬鹿馬鹿しい弁明はそもそも成り立たたず、無駄な手間と時間を回避できる。「学校で習わなかった…」なら自分で調べればいい。それが論争のマナーであろう。
この点からみると、野党が喧伝する森友学園事件、加計学園疑惑のいわゆる「モリカケ騒動」は滑稽かつ醜悪だ。この国の野党勢力の悪しきご都合主義(政治闘争至上主義)と論理意識の欠如を目の当たりにして、確かに劣化したな、と思う。立憲民主党と共産党が最もひどい。枝野幸男代表を私は全く評価しないが、それは政権獲得への構想力と嗅覚を全く欠いた無能な政治家の代表だと見限っているからだ。それを持ち上げる大方のメディアも愚鈍の一語。田原総一朗氏のような一知半解の徒が滑稽にも音頭取りに熱心なのは、別要の皮算用も透けて見える。石波茂氏も小泉進次郎氏も、以前の小池百合子都知事と同じ、「メディアに出て何ぼ」という相互共存。いま起きているのは疑惑追及の名を借りた露骨な政治闘争であり、一見クラウゼヴィッツ流の戦略に長けたレーニンをも髣髴させる。しかし、彼らはレーニンの亜流でさえない似非而政治家、白井氏は似非而革命家という戯画を見る思いがする。
われわれは、いずれ自滅するであろう彼らの顛末をいきり立たずに、paternal (上から目線)に観察すればよい。
どうして、人文科学系も高等数学ではいけないのだろう?私は理系を選択したので、数3まで勉強したが、昔は、文科系私立大学は数学で受験できた。今は、数学では受験できないそうで、そのために、私大の文科系を選択すると、数学を勉強できなくなるそうであるが、現実問題としては、数学が一番客観的で論理的な思考方法が身につく。
今でこそ、人生経験を積んで、反時流的古典学徒さんがなにを主張されても、貴方はそうかもしれないけど、私は、そうは思わない、と主張することができるが、若い頃は、自信がないので、人にそう言われたら、そうかもしれない、違う人に違うことを言われたら、そうかもしれないと思うタイプの人間だったので、正しく、筋道通りに考えると、正解にたどりつける数学が一番好きだった。
目の前の現実と常に距離を保ち、一切の希望的観測や感傷を排して「事実らしきもの」を補足し、記録するのが、言葉の真の意味でのメディア(媒体)の役割なのなら、数学がぴったりなのではないのだろうか。元国防長官のW・ペリー長官が、クリントン政権の朝鮮危機の際、どちらがいいか、ではなくて、どちらがましか、と感情を極力排除して、数学的に考えて結論を出した、と言われた時、人間には、重大な決断の時に、数学的な思考方法が必要なんだな、とつくづく思ったせいかもしれない。
「白井氏が目指しているのは、本物の「革命」である。」と言う篠田さんの最後の一言に、少なからず恐怖を感じてしまう私は、白井氏の主張する「奴隷である事さえ気付いていない奴隷」であるのか、健全な普通の日本人なのか、どうなんでしょうね。
自然科学の基礎は数学と物理学です。経済学(ノーベル賞の対象となる確立した科学としての理論経済学という意味で)は、何よりミクロ経済分析が基本で数学的手法を駆使して、需要・供給の均衡モデルをつくるなど微分方程式や線形代数、多変数解析という高等数学の初歩的知識が必須で、経済分析の言語は数学です。
しかし、人文系の学問はなかなかそううまくはいきません。現在の形式論理学は内容的には記号論理学(数学的論理学)で、独自の手法と記号で文(言明)を定式化し推論(論理的計算=演算処理)するわけですが(コンピュータ言語のプログラミングのようなもの)、二十世紀初頭に出現した論理実証主義や論理的経験主義者らは、記号論理学でいう論理文や経験的文しか認めません。そのいずれでもない文は真理値をもたないがゆえに検証可能な対象にはならない、つまり学問の対象にはならない(意味のない文)と除外します。ただ、価値判断を含む個々の命題、つまり論理的でも経験的でもない文は形而上学や神学だけでなく、倫理的、政治的、法律的、歴史的な内容の文もあるわけで、人文系の学問の対象になる文・命題はことごとく排除されてしまうわけです。つまり、形式化が大変難しく、数学のようにはいかないのです。
問題の性格上、実験的方法によって決着することも不可能です。倫理的、政治的、法律的、歴史的な課題はわれわれにとって極めて重要な課題ですが、論理学的計算にはなじまない。それは、形式的真理より、妥当性をめぐる合意可能なより説得力のある解をどう提示できるか、の問題のようです。それに向けた対話の技術が、西欧中世の神学論議から発達した討論術で、それは現在、西洋で議会での政治的討議や裁判における法廷弁論の技術として発達しています。
というわけで、政治的課題を記号論理学的または数学的に分析し、真理値(真の解)を求めることは現時点では不可能です。AIでも無理だということです。もっとも、AI は記号論理的ないし数学的論理的というより、過去のさまざまな事例を分類、集積したデータに基づいて経験的(確率論的)に妥当な最適の解を提示するもので、厳密な意味では論理計算ではありません。
結局のところ、外交に限らず、民主主義社会においては、政治は、豊かな経験と知識、先を読む的確な状況判断、過去の歴史を熟知し、選択可能なより善い手段の選定に関する民主的合意形成をリードできる、決断力に富む有能な政治家が、不確かな未来に向けて踏み出す最も人間的な決断だからです。
今回のテーマぐらい、日本国憲法と日米同盟を枠組みとする戦後日本の体制を、われわれはどのように自己認識するかという問題意識を鮮明にしたケースはそうはない。仮令、それが白井聡氏の『国体論』というグロテスクな自画像を例に、護憲派が鼓吹する戦後民主主義という欺瞞と二卵性双生児でもある軽佻浮薄な似非而「革命家」ならぬ「革命ボーイ」の反米主義(レーニン主義はその表象)を批判したものであっても。篠田さんの白井氏批判はもっと広範な問題提起を含意していることに気づかないとしたら、どうかしている。
私は既に前々回、5度にわたって『国体論』について言及しているので、今回はこのトピックスについては補足的説明にとどめたが、結論ではなく問題意識を共有できず残念に思う。
憲法改正でもメディアの現状改善でも論争を避けては何も変わらない。国際政治学者の篠田さんが、孤立無援で専門外の憲法学者と闘っていることを肝に銘じたい。
「朝まで生テレビ」の思想的停滞を眺めつつ(松川るい、三浦瑠璃両氏は健闘)。
反時流的古典学徒さんは、私の心配を妄想と決めつけられたが、朝まで生テレビの保守派の韓国人は、私と同じ心配をされていた。マスコミに望みたいことは、もう少し、現実感と責任感をもってほしい、ということである。
貴所が私を評して「反時流的古典学徒さんは、私の心配を妄想と決めつけられた」と書いておられますが、私は一度も貴所に対して「妄想」という文言を使っていないはずです。確かな根拠がないのに、または特定の根拠を誤解して、見当違いの見解や気ままな感想を述べておられるのを「盲説」だと指摘しているにすぎません。「妄想」(あれこれ想像したことを事実であるかのごとく固く信じてしまう心的傾向)、と「妄説」(全く根拠のないでたらめな説)とは意味が違います。相手の文章の粗笨な読み方を、注意されたらよいですよ。
私がいくら情け容赦のない、血も涙もない、殺伐非情の論理主義者だったとしても、そのような礼を失した言葉を「論争」相手に投げかけたりはしません。私はプロの文筆家ですから、盲説と妄想とを厳格に使い分けております。それは貴所の過去の暴言「北朝鮮が恐ろしいのは、過去の大日本帝国だから」(6月14日、コメント4)に対しても使っておりません。すでにブログ・コメントを150本以上も投稿していますが、思ってもいないことを、公共の言語空間で書いたりはしません。そうでなければ、疾うに貴所を見放して、歯牙にもかけなかったはずです。私は、見解の違う相手=篠田正朗氏、を最大限の罵詈雑言で論難する、水島朝穂氏のような人物とは全く違います。どうぞ、心穏やかに。
盲説は「虚妄の説」、「虚妄の見解」であって、貴所がそれこそ被害「妄想」的に剥きになることはありません。貴所はどうかしていますよ。念のため申し添えます。
水掛け論になるので、やめましょう。
白井説、「日本は米国の奴隷である。」というのは、日本は望みもしない日米安保条約を、
米国の国際戦略のために結ばされている、という前提に立つから、そうかもしれない、
と思ってしまうのであって、日本が主体的に、米国と協力して、国際社会に平和を確立するために
日米安全保障条約を結んでいる、と認識すれば、日本は米国の奴隷ではない。
日本のマスコミは、まるで報道しないが、佐藤栄作総理大臣が、ノーベル平和賞を受賞されたのは、
日米安全保障条約を通じて極東アジアに平和を構築した貢献、という側面も否めないのである。
またこの受賞は、佐藤栄作さんが望まれたものではなくて、棚ぼたしきにもらわれた、ということを
奥様の佐藤寛子夫人から伺った、と母が話してたことがある。日本を含めて各国が対等関係であって、平和を構築していく、これこそが、
日本国憲法の精神なのではないのだろうか?
マスメディアと野党により「戦争法」と徹底的に攻撃された平和安全法制がなんとか成立して、もう2年前から施行されているが、今も闘いは続いている。
国民の多くはこういった「憲法論争」「平和論争」が延々と続いていることを知らない。あるいは興味がない。私が悲観的なのかもしれないが、うかうかすると平和安全法制も廃止される可能性があると思っている。野党があらためて廃止法案を共同提出するということは無いのか等。
その先に何があるか。ここで憲法学者としてよく名前が挙げられる水島朝穂氏は、「憲法9条では戦力や軍隊は不保持とされているのだから自衛隊は解体して自衛隊法なども廃止する。いったん自衛隊を解散させた後に災害救助等に活用すべきである」と主張している。
「妄説、にしろ、まったく根拠のない説、ということなので、妄想と大して、変わらない」という(かえって無思慮にも傷口を広げる)貴所の杜撰な言語感覚(辞書でもとくと読んだら如何でしょう?)と、文章作成における行き当たりばったりの「若葉マーク」的な甘え、不定見が、終始一貫した見苦しい居直りとともに、「盲説」を再生産するのです。「水掛け論」かどうかは、貴所が判断することではなく、このブログを読まれる多数の読者です。勘違いされてはいませんか? 証拠は、貴所がこれまで投稿(投降?)した文章が何より雄弁に物語っています。マナーも感心しませんね。
「曖昧にされる真実より、明白にされる虚偽の方が学問的(進歩)には重要」ということが、まだ分かりませんか? 貴所の文章は残念ながら女子★生レベルの感傷の所産です。せっかく、ドイツに留学されたのに、何を学ばれたのですか? 留学は「学ぶ」を「留(と)める」と書きますが、今日の惨状を拝見すると何ともお気の毒です。
なお、佐藤栄作夫人である「奥様の佐藤寛子夫人から伺った、と母が話してたことがある」からといって、特別な歴史的証言になるとでもお考えなら、ナイーヴそのものと断じざるをえません。余計なお世話ですが、「惻隠の情」で貴所をせっかく庇っておられる会社員さんのお眼鏡にかなうよう、具体的証言内容を条理を尽した文章の形で公にされるべきです。ブログは公開された言語空間なのですから。
それこそ、古典学徒としてソクラテスの顰にならって貴所との対話(問答=ディアロゴス、dialogos )に費やした時間と手間は、徒労でした。御機嫌よう。
後年、わが国を代表する政治学者になる永井陽之助が、当時残した論考「政治を動かすもの」(1955年、のちに論文集『政治意識の研究』(1971年)所収)を手がかりに考えると、多くの国民が白井聡氏の過激な政治的主張に説得される恐れはまずないだろう、という一つの有力な反証になろう。以下は、私が永井氏の見解を祖述したもので、内容は原文通り。
今日、大衆の無関心がいかに支配的な政治ムードであるかは次の数字からも明瞭であろう。再軍備という今日最も刺激的な問題について国民はどう反応しているか。「政府が考えているような保安隊や防衛隊は軍隊だと思いますか」の質問に対し、「わからない」と答えた者が全体の26%、「吉田首相は国会で再軍備はしないと言っていますが」に対して「わからない」が40%である(毎日、1952年2月全国調査)。また、当時世間を騒がせた「汚職と政界浄化」についての全国調査(北海道新聞、1954年3月22日)でも、「国会議員の質が悪くなったかどうか」の問いに、「わからない」が30.7%、小選挙区制の是非では41.9%、汚職事件などの政界浄化への希望では42%がDK(Don’t know=分かりません)グループである。さらに、より自主的判断を要求されるような問い、例えば「デフレ政策をこのままつづけるとしたら、これと一緒にぜひやってもらいたいという問題がありますか」に対して、「なにもない」が、73.5に%に達した(北海道新聞全国調査、1954年9月8日)。
当時も今も似たりよったりで、歴史は繰り返すのか?
いわば戦後左翼が夢見た「革命」の火がこういう風にゆがんだ形で現在に継承されている。
左翼系の憲法学者たちは憲法9条改正の国民投票で半数以上の支持を得られないように抵抗しているだけだろうか。私にはそれだけとは思えない。彼らは、自衛隊の解体を国民投票の半数以上で実現するために延々と今後も啓蒙を続けるだろう。そして白井など左翼学者のように歴史的文脈からそれを側面支援する左翼も出現しつづける。こういった妨害といつまでも闘いながら、自衛隊は誇りを持って日本の防衛や国際的な安全保障問題に関与できるだろうか。それを考えたらやはり憲法9条改正を目指すべきであり、国民へも啓蒙すべきと思っているが、仮に憲法9条改正できなくても、左翼がどのようなことを考えて何をめざしているかを出来るだけ正確に普及させ伝えることだけでも意味がある。その意味で篠田氏の功績は大である。
ところが、その合意への意欲をそいで、他の何かに目をそらすために、米国への日本従属論が主に左翼によって提起されて、実際に国民の目をあざむくことに成功している。
普通に考えて、極端に言えば日本の領空の「制空権」が牛耳られて一種の「治外法権」となっていて米国にコントロールされているというのも、日本の世論がこの安全保障の根幹について深刻に分裂して対立し続けてきたからである。
この分裂をそれなりに統一すれば、そのときこそ日本の政治家や官僚は世論を背景にして米国に強く意見することができる。そして、その上でアジアや極東の平和や海外紛争における日本人救出や人道支援等のために日米安保をどのように運用すればよいか、徐々に米軍を日本から撤退させていくためにはどのように計画すべきかなどを対等に議論できるようになるのだ。
このこと自体を国民に気づかせないために、左翼は議論を攪乱させ紛糾させ、そして安全保障に関する国民の思考を停止させ、あたかもその混乱は日本が米国に従属しているためであるかのように見せかける詐術を駆使してカムフラージュしている。
ドイツの話を持ち出すのは、よく日本と比べられるし、分断国家ということで、今問題になっている朝鮮と比べられ、また、生の事情を他の国よりは知っているせいであるが、ヨーロッパの国々は、自国の防衛を
大変重要に考えていて、表向きはともかく、非武装中立の国、などという
国はないし、例えば、マルタのような岩だらけの島であっても、ナポレオンの征服されたのである。
江戸時代末期から明治時代も、鎖国できなくなったから、植民地にならないために、日本は富国強兵策を取った。
だから、私の目から見れば、水島朝雄教授のような主張がなぜ受け入れられるのか理解できない。
日本の場合、あのような主張が、平和主義ですばらしい、かのように思われる素地があることが問題だし、
Nakaさんのように、自分が健全な日本人か、奴隷であることを気づいていない奴隷なのか、わからない、という認識も、大問題だと思う。
そういう意味で、篠田先生、普及活動期待しています。どうぞがんばってくださいね。
例えば、ファシズムと戦う武力行使(戦争)は正義(justice, right)だが、目的を首尾よく達成したとしても、多大の犠牲を伴う点で悪い(bad)=「善く」ない(「良く」ない、ではなく)結果を招く。逆に言えば、何らの犠牲もリスクも伴わない善い(good)戦争はあり得ないが、あえて犠牲を伴ってでもそれに見合うだけの国際秩序回復と国際正義を実現する良い=正しい(justice, right)戦争(国連憲章が例外的措置として許容する武力行使という意味で)はあり得ることになる。
「善い」と「良い」を峻別する論理意識を明確にすることが欠かせない。私のこの見解は日本では一部の先駆者の指摘を除き、哲学者はおろか国際政治学者の間でも私が知る限り理解者を見出し難いが、篠田さんの憲法解釈と確立された国際法規範に照らして合理的に導き出せる論理的結論だと確信している。われわれは、犠牲(リスク=悪=badness)を覚悟してでも国際の安全と平和のため国際貢献など、平和構築の具体的努力をしなければならない。
従って、かつてC. W. ブッシュ大統領の言った「悪の枢軸」=“axis of evil”は、不正(義)の面を明確にするために本来は“axis of wicked(ness)”に変えるべきだと思う。これは単なるニュアンスの違いではなく、概念の含意が違うというのが私の基本的な考えだ。
このように正・邪・善・悪の四項は入り組んでいる。だから、善・悪を利害得失(利と得・害と失、幸福・不幸)のような実質的利得と害悪にかかわるX軸、正・邪を正義・不正義のような形相的判断にかかわるY軸ととらえて、意識的に使い分けることが必要になる。以前紹介した福田恆存の言う罪悪は邪悪(wickedness, injustice)の意味であり、失敗は害悪(badness)の意味であることが分かる。しかし、後半で「戦争を罪悪=邪悪」とすべきところを単に「戦争を悪」とし、「正義(良い)に高めよう」とすべきところを「善(善い)に高めよう」としたことで論旨が不明瞭になった。
含意する内容の異なる概念の使用法が厳格ではないということで、内容的にみれば、国際法規範に照らして戦争が罪悪(wickedness, injustice)でない余地はなく、福田の戦争観は成り立たない。ただ、戦争を国際法上、容認された「正当な武力行使」と読み替えれば意味は通じる。ただ、その場合でも戦前もパリ不戦条約で戦争が非合法化されていたという国際法に従う限り、正当化の余地は例外的ケースを除きほとんどない、というのが篠田説に従う現在の私の立場だ。
生活レベルで言えば、小遣いをたくさんくれて私が得(good)するオジサマは善い人、自分の得にはならず、逆に嫌われるのを覚悟して注意してくれる友人は正しく(justice)良い人。つまりおなじ「よい」が概念的に違う内容を含意している、ということ。良薬は口に苦い(善くない=bad)が、健康には良い(正しい=right)選択だということだ。
欧米人は極端な反戦主義者でもない限り、ドイツの暴発を許した宥和政策という苦い経験を共有しているので、正しい(正当な)戦争は良く、正しくない(正義に反する=邪悪な)戦争とは異なる、ということを理屈はともかく肌で感じている。核抑止による勢力均衡でしか大国間の衝突を防げなかった冷戦期の実情も。「戦争」はどんな正当な理由があっても絶対ダメだとする大半の日本人ほどナイーヴではない。それは彼らが勝者で日本が敗者であったからだけではない。
わが国の場合、悲惨な戦争の後遺症もあって、経済発展に伴う自信回復の一方で、国際法規範に無頓着な憲法解釈の制度的支配と日米安保条約との同床異夢、国民は自衛隊の存在を必要悪として是認しつつも、軍隊に対する根深い拒絶感情と非現実的な一国平和主義が支配する特異な言語空間が世論を惑わし思考停止をもたらすという袋小路状態が今なお続く。進歩主義陣営はそれを世界に誇るべき平和の理想と礼讃するのに対して、保守陣営は欺瞞と禁忌が支配する退嬰的な「愚者の楽園」と突き放す。両者の対立とすくみ合いが不毛な対立を生み、国論を分裂させ、結果として国益を損なっている。その結果、およそ国際的理解を拒絶する特異な安全保障観を生んだ。
戦後の混乱は何も憲法解釈だけではなく、「戦争」を原理的に思考する強靭な論理意識の欠如がある。
議論は「誰が言ったか」ではなく、「何が言われたか」が核心であり、それがすべてなのです。一流のプロの料理人を自負されるなら、その程度のことは当然ご承知でしょう。
「私はプロの料理人です。半世紀近くプロとしてその現場に携わってきております」。結構なことです。でも、だからなんなのですか? 一流料理人の得難い経験から、貴殿ならではのご自身の見解を条理を尽して発言されたらよいだけではないですか。カロリーネさんの質の悪さ(以前の憲法解釈へのドイツ国法学的概念の導入に関する論議で私と篠田さんが縷々説明した条)と比類ない自尊心の高さが判明したのは、まともに議論にお付き合いした結果で、その間、貴殿は何をなされておいででしたか? 別に咎め立てもしませんが、メディア批判の繰り返しや各自の気ままな心情の吐露だけでは、篠田さんの切実な問題提起に対して非礼ではないかと考えます。「私は「元」料理人が偉そうに料理を語る事を嫌悪します」は貴殿の感情で、お付き合いしかねます。「所詮その世界から逃げた物(者の誤り?)が……と言う気持ちになります」一→何を仰せなのか分かりません。いい歳をして、言論の作法が身についておられないようですね。
私は哲学学徒ですから、このブログ投稿は余技ですが真面目にやっております。貴殿もどうですか? 自民党政権が目下危機に見舞われてはおらず、再び第一線に立つことがあるなら、有力な保守政治家の相談役にでもなります。新聞は所詮、単なる媒体であり現実の政治過程に深甚な影響を与えるものではありません。貴殿たちのように白井聡氏程度の「思想家」に何の恐れも抱いておりません。悪しからず。
序でに申し上げれば、世を利する方法はいろいろあるということです。私は日本人一般の論理的未成熟を唾棄しておりますが、学識は多様で複雑な人間性を構成する一要素にすぎません。「日出でて耕し、日暮れて止む、帝王の力、我において何かあらんや」(『十八史略』)という昔日の庶民の心境は私も同じです。世が少々騒がしくなっても変わらぬ思いであり、生きる指針です。
このブログは篠田さんが「気まま」に書いておられる由ですが、相当の水準です。その努力に見合った観戦料として、せめてブログ投稿でお手伝いというのが、元新聞記者なりの激励です。私が投稿した既に150本を超す記事をご覧になれば、私がカロリーネさん相手に無聊を託っているわけではないことが分かるはずです。
彼女の頭越しに、ブログ読者に対して問題を投げかけています。篠田さんは憲法学者ではなく、本領は国際政治学者であるように、平和構築という本来の責務の障碍になっているから必要上、憲法学者に議論を挑んでいるわけで、それを座視できません。
「正面の敵」は憲法学者に限らず、種々存在するのであって、それは日本の戦後が抱える構造的矛盾に通底します。そもそも単なる憲法論議にとどまるという問題意識ではないのです。だから、『集団的自衛権の思想史』なのであり、あらゆる要素を繰り出して、欺瞞や虚妄を解明しなくてはなりません。単なる熱心さや正義感だけで太刀打ちできる相手ではないし、問題の裾野は広大です。それはわれわれ日本人が一度は目を逸らさず向き合わなくてはならない戦後の真相なのです。だから、倦まず怯まずに営々と議論するしかない。焦らず、着実に、時に楽しみながら余裕を失わず取り組みましょう。
その意味で、投稿は私なりのささやかなお手伝いとしての「哲学の勧め」(プロトレプティコス)であることをご理解下さい。
自尊心、というものは、誰でももっていますよ。
Nakaさんが、自尊心をもっておられるから、プロの料理人として、こうあるべきだ、という自負をもっておられるのです。
自尊心は、人間として生きている、と証明であり、それがなくなると、
サドマゾの支配関係に陥ってしまう。そして、主体的な自由を失ってしまう。
反時流的古典学徒さんのもっておられるのは、権威主義なのです。憲法学者の方々が、「我々が、一番憲法学のことを知っているから、憲法については我々に従え。」と言われるのと同じ、「私は、京大哲学科を卒業し、長年プロとして文章を書いてきた。自分の主張は正しいから、自分に従え。」といった風な、だから私の考えを、自尊心が異常に高い、という形容詞までつけて、木っ端みじんに打ち砕こうとされるのです。
ユダヤ人フロムは、[ベストセラー「愛するということ」の中に、こう書いています。西洋思想では、最高の真理は正しい思考のうちにあると考えられた。そのために、果てしない教義論争を生んだ。それに対して、東洋思想では、正しい行為、の中にある、と考えられ、「寛容」を生んだ。(本来の日本は、多神教の仏教国で、一神教の天皇崇拝、ではありませんでした。)
私も、学生時代は、正しい思考を追及してきましたが、実社会に出て、いろんな場面で、様々な正義があることもよくわかったし、正しい行為をする難しさも、よくわかりました。また、正義感がぶつかり合うと、論争になり、果ては、戦争にまで発展するということも、歴史が今の国際情勢が示してくれます。
料理を味わう客は、おいしい料理であれば、大満足。論争より、おいしいお料理が食べたいです。
早朝から何かと思えば、また負け惜しみですか?
私が貴所の言うような、京大哲学科卒(古代哲学専攻)を嵩にきた「権威主義者」(的パーソナリティーの持ち主)だとしたら、貴所のようなアマチュアを相手にすると、本気でお考えですか? 自惚れもいい加減にした方が賢明です。真理への愛は哲学に限らず学問の主たる動機ですが、貴所にはそれ以上に大切なものがおありのようです。どうぞご随意に。
「「自分の主張は正しいから、自分に従え。」といった風な・・」と仰せですが、私が言ったわけではなく、貴所がそう勝手に思い込んでいるだけの話です。それこそ「被害妄想」です。心理学を学ばれた貴所の本心とも思えませんが。反論があれば、具体的に根拠を示したうえで、どうぞ自由に。ただし、自分の力と意志で。「善意」の周囲を巻き込むのを戒めて。
篠田さんは、制度化された憲法学界の「知的権威」と真正面から対峙されています。篠田さんは合理的で首尾一貫した、しかも確立した国際法規範に準拠した憲法解釈を提示して、論争を挑んでいます。その姿勢を支持者なら如何お考えですか? 見習おうとは思いませんか? 相手は自分の根城に立てこもって論争を忌避するだけでなく、「三流蓑田胸喜」と貶めたり、「完無視」と称して、傷つかぬよう自らを甘やかしてくれる専門知に、衆を頼んで逃走しております。学者にあるまじき退嬰的態度です。だから篠田さんは孤立無援であり、孤独なのですが、実は大した問題とは思っていないはずです。世界標準の揺るがぬ決意と自信があるからです。それは「田舎者」の独善からは最も遠いものです。篠田さんの視線は、国内のチ★★ラより、世界に向かって開かれているからです。
カロリーネさん、篠田さんもブログの読者なのをお忘れですか?
レーニン主義など、一九世紀のパラダイムの枠を出ないという意味で、過去の亡霊です。革命も括弧付きなのに留意して下さい。篠田さんは白井氏など、歯牙にもかけていないのは明白です。その上で、英国流(?)の皮肉をこめて、相手の得意技(それしか取り柄がない)である糾弾調の論難を避けておいでです。何と言っても、「不肖の」後輩とはいえ、白井氏は同じ早稲田大学政経学部卒なのですから。それが学閥(早稲田に東大や京大のような学閥があるとは思えませんが)や縁故意識や感傷でないことは明らかです。篠田さんぐらい、そうした「田舎者」根性から遠い人はいません。だから、大らかなのです。ただ、国際人(「世界市民」気取りのメトロポリタンではない)の篠田さんにも、日本人特有の美徳が息づいているのだと、推察します。
「白井氏の『国体論』は、いったいどのような「革命」に、われわれを連れていこうとしているのか? それは、全く本質的に、不明」だとされるのも、当の白井氏さえ、見当がつかないような革命の「戯画」だからです。真面目に相手にするレベルでの議論ではないのです。戦後には、白井氏など及びもつかないイデオローグが確かに存在しました。白井氏は思想的には随分小ぶりです。それが、思想的貧困を極める昨今の革新陣営の現状です。
‘The Philosopher is not a citizen of any community of Idea, That is what makes him into a Philosopher. ’ という覚悟を欠いた党派的な戯言だからです。
ただ、唐突かもしれないが、イラク戦争は本当に日本に大きな影響を与えたものだった。ベトナム戦争ほどではないが。明らかに世論の変化をもたらした。国際政治学というと五百籏頭真氏などが有名だが、五百籏氏もイラク戦争に一定の理解を示したことで、その後、一斉に左翼からイラク戦を反撃された情勢のなかで説得力を失っていった気がする。
個人的にはイラク戦争に日本は同調すべきでなくフランスのように孤高を守るべきだという考え方を当時は持っていたが、極東の軍事的脅威に対して日米安保を守るため米国のイラク攻撃を支持すべきという考え方にも一応の道理はあると感じたものであった。今後のイラクの動向が歴史の審判を行うであろうが。
もちろんイラク戦争など国際的に何か起こるたびに世論が大きくゆらいでいくということでは憲法9条の改正は難しいので、あらゆるケースを想定してリスクもメリットも何もかも国民が承知したうえで改正論議をやるべきなのだろうが。
またマスコミの非常に厄介な点は、学界やら言論界における特定の時代の支配勢力の下請けとなり、その正確な吟味ができないことだ。本来は高度な常識によって公平な言論の機会を提供すべきなのだが、そんな能力などみじんもない。特定言論人の思想をえらそうに印象操作でおしつけるだけが得意な芸当だ。
ただの「情報流通屋」であればよい。しかし、それではプライドが許さないのだろう。玉石混交の思想やイデオロギーのなかで「マスコミこそが、その真のレフェリーとなりうるのだ」というとんでもない自意識をもっている。
(元マスコミ所属の反時流的古典学徒さんはそうでなくても、日本のメディア全般の集団意識を何十年も観察しくればすぐに見抜ける。逆に、マスコミに所属して記者たちの人間臭さや生活感を間近に見ていると逆にピンとこないという可能性はあると思う)
記者クラブ等を廃止するのは本当に急務であると思う。情報を幅広く公正に流通させる手段は必要で、そういった仕組みは自然に出来てくるものだ。膨大な情報の一部を卸し屋として勝手に中抜きして国民の判断能力を奪っているのが深刻な問題。
もう世界的な衰退産業なので、記者クラブのような仕組みをなくせば自然に解体するだろう。自衛隊の解体には反対だが、マスコミの解体には大賛成だ。
憲法学界や国際政治学界に限りません。学者の世界とは常にそうした世界だという意味です。哲学界も同じ。学者としての篠田さんの主要な業績はロンドン時代が出発点で、母校や系列校で研究者キャリアを積み重ねて国立大教授になったわけではないからです。白井聡氏のレーニンに関する博士論文の審査員がいずれも思想的に「身内」としかみえない研究者によって独占されていたように、仲間褒め(内部承認)と忠誠(外部に対する結束)という絆で結ばれた専門知者の共同体(ギルド)だからです。
篠田さんはこうした日本的アカデミズムの外部で実績を積み、幸い実力が正当に評価されたからこそ教授なのであり、研究活動も思うままなのです。単なる学際的野心で集団的自衛権の研究に取り組んだのではありません。しかも国際法学者ではなく、政治学者なのです。それに吉野作造賞は現状では学界の指導者への切符にはなりません。憲法学界内部で正当に取り上げられてもいません。最も肝腎な点は、学術ジャーナズムによる世間的評価と学界という専門家集団内部での評価は、全く別だということです。そうした「不条理」は、そもそも学問が外部の評価を殆ど顧慮していないからで、ある意味当然の結果です。東京外大の同僚(平和構築)である伊勢崎賢治氏(立憲デモクラシーの会)と篠田さんとの友好関係は互いの実力を認め合った個人的な信頼関係でしょう。
記者クラブは当該部署ごとの関係各社の互助会組織が始まりでしたが、情報提供側の官公庁、団体による情報統制の一環ともなっています。メディア相互の牽制機能とも重なって日本的な協調組織に堕しています。
今は、マスコミ報道によれば、アメリカ合衆国もそうなっているみたいであるが、それは、日本のように、マスコミ全体がそう主張しているのだろうか?
それとも、ポリテイカル・コレクトネスばかり主張していた、アメリカのEstablishmentのマスコミがそう主張しているのだろうか?
私が、日本の政治家とマスコミの関係で一番印象深いのは、吉田茂首相が亡くなった時、佐藤栄作首相がただちに、「国葬にしよう。」と言われたことへの、マスコミの反発、と佐藤栄作さんの退陣の記者会見の時に、「新聞記者に出ていけ。」と言われたことである。
あの頃、まだ子供だったから、正邪がよくわからなかったが、大人になって、分別がつくと、当たり前だ、と思うようになった。
終戦直後、首相が吉田茂さんだったから、日本の平和で豊かな現在の生活があるのであって、感謝して、吉田首相ありがとう、ご苦労様でした、と
解説するのが、本来分別のある大人の考えることのはずだったのに、とづくづく思った。ちょうど、コール首相が亡くなった時、ドイツにいて、葬式のテレビ中継があった。スキャンダルで政界を引退された方だったけれど、ドイツ統一についての功績は、ドイツのマスコミは、正当に評価していた。
この白井聡さんの人気も、日本のマスコミが連日刷り込んだ反米、反安倍の延長なのであって、毎日毎日、マスコミがこういう報道をし続けると、無意識に、国民は反米、反安倍、が正しいことのように思いこんでしまうのである。
この日本のマスコミの無責任さが、もしかしたら、白井聡さんのめざす「革命」の原動力になるかもしれない。
それにしても、日本人の習性というか悪癖として、本当の意味での論争や対話が成立しない空気や思惑が社会全体を支配している。この退嬰的現象は、聖徳太子以来の「和をもって貴しとなす」文化もあろうが、果たしてそうなのか。『論語』に「和して同ぜず、同じて和せず」とあるものの、社会全体ではその精神は誠に希薄で、付和雷同の事勿れ主義、長いものには巻かれろ式の事大主義が蔓延している。
森友問題で首相を厳しく指弾した元文部事務次官の座右の銘が「面従腹背」だと臆面もなく聞かされて、ブラック・ジョークかと思ったものだが、国会やメディアで馬鹿の一つ覚えのように喧伝された忖度は、法的には何の瑕疵もないことをあったかのごとく攻め立てる「魔法の杖」になった。
森友学園の国有地取得に、権力者や政治家の指示、共謀、収賄、請託も斡旋もなかった、というのが「忖度」の法的含意であり、それ以外は揣摩臆測の世界である。何も証拠がない、しかし、納得できない、という疑心暗鬼が、「忖度」という以前は聞き慣れなかった誠に便利な漢語的表現(常用漢字にない)に新たな命を吹き込んだにすぎない。
防衛ラインを読み違えた首相や政府側の対応に問題がないとは言えない。財務省の文書書き換え問題も火に油を注いだ。加計学園問題も加わって、「愚者の楽園」さながらの狂態だ。政治の停滞とメディアの頽廃というこの一年余の狂態は、それを許している日本人の真の批判精神、論理意識の欠如にも全く責任がないとは言えない。野党の対応は悪しき政治主義の典型である。
ワン・ワード(立憲主義、忖度……)に囚われ右顧左眄という名の思考停止、集団的思考に陥るのは、日本社会の病癖である。そうした社会に生きる憲法学者が篠田さんとの論争を忌避した。あまつさえ、呪詛して不名誉なレッテル貼りに血道を上げる者まで現れた。井上達夫氏の九条削除論は外科手術だとすると、篠田さんのそれは誠に苦い良薬であろう。憲法学者はそれを戦後を支配した歪んだ憲法解釈に幻惑(洗脳)され、「平和主義」の惰眠を貪った国民を覚醒させかねない危険な劇薬だと言いたげである。実体は国際法規範に接合しづらい偏頗な解釈に基づいた空中楼閣を突き崩す劇薬だったがゆえに恐れ、嫌悪し、呪詛したのだろう。
nakaさんがコメント92で、「「素人」を相手にご満足されるのではなく、其処までの危機感と、卓越した頭脳をお持ちであるならば、再びプロとして、実名で、広く世の中にその良識を発表されては如何でしょうか。」と苦言を呈されたことに対して、私は「何か勘違いされておられるのではないですか?」と返した。その理由も縷々述べたので繰り返す必要はない、と思う。
ただ、これを読んだ妻が「貴方らしくないわ」と苦言を呈してきた。内容についてではなく、作法に対して。「そういうものかね」と私は答えた。内容に微塵の疑いもないが、ふぅ~ん、作法かぁ? アルゼンチンの敗北が祟ったか? 妻の目には「殺伐非情」な亭主が同性の教養ある女性を逃げ場をなくすほど追い詰めるのは「弱い物(?)いじめ」と映るらしい。元男爵令嬢の孫で、有名作家を大伯父にもつ奥床しい女だからか。ヤクザな私などには過ぎた女房で、人を疑うことを知らない彼女の眼には、nakaさんの苦言が、善意の忠告に映るようだ。なにせ、美食に弱い。nakaさんの「所詮その世界から逃げた物が、何を今更語るか、と言う気持ち」が、必ずしも私に向けられた言辞ではないのではないか、という読解らしい。論理的に多義的かつ不正確な文で、そうとも読める。
私がいつも、「君はnaiv ダネ」とたしなめるのに「家庭内野党」として暗に抵抗したようだ。不服従は良心の砦だ、と私が教えた。よく考えれば、nakaさんもカロリーネさんも、「篠田ブログ塾」の仲間には違いない。平和共存は大事だ。それに、私は最近参加したての新参者だ。
話は変わるが、かつて、Karoline Schellingという哲学者シェリングの夫人がいた。シェリングはドイツ観念論を代表する哲学者で、ヘーゲルの友だった。
PK戦の末、スペインも負けた。
目の前の現実と常に距離を保ち、一切の希望的観測や感傷を排して「事実らしきもの」を補足し、記録するのが、言葉の真の意味でのメディア(媒体)の役割だと考えます。
ということができていないことが、現在の日本のマスコミひいては、日本社会の一番の問題だ。
それ以外は、内政上大きな問題はないのに、あたかもあるように見せかけていることも問題だ、と私は思う。
とにかく、希望的観測や、感傷が日本のマスコミ報道には多すぎるのである。
ワールドカップ関係の番組一つ見ても、それはよくわかる。スポーツの場合、結果がどうであっても、大きな意味では日本社会に影響がないが、
政治報道に、希望的観測や憶測を入れられては困るのである。
学者の世界は、別に篠田教授に限らず大変なのであって、博士号取得まではまあ順調にいったとしても、その後のポスト、それは、毎年あくものではないから、
教授のポストを取ること自体が大変だから、どうしても、学問の世界に忖度が起こるのである。石川健治教授の発言は、その典型例で、難しい言葉をわざと使って
はぐらかされていることと相まって、一見私たちに知識がないからそうなるのかなと錯覚するが、忖度の結果生み出された説なのである。篠田教授の場合は、実際に
平和維持活動にたずさわれている現実的な要請で、集団的自衛権を日本ももつべきだ、という確信がまずおありになり、国際政治学者という憲法学と違った領域におられるから、
このような発言がおできになり、また、会社員さんなど現実に仕事を通じて、あるいは、私のように、このままで日本は大丈夫なのだろうか、という危惧をもつ人もいて、SNSというツールがあるから、
社会に一定の影響力を与えている。それを、例えば水島朝雄教授は、よしとされないから、激烈な批判をされるのである。(続く)
例えば、私などは、「お友だち内閣」のどこが悪いのか、と思う。信頼し、尊敬しあえるから「お友だち」なのである。信頼できるから、本音が言い合えるから、
時には、苦言も飛んできたり、反対の意見の時もあるけれど、
信頼できない人と一緒に仕事をして、本当に成果があげられるか、考えればいいと思う。サッカーの日本チームのことを考えても、それはわかる。
けれど、それは、ひいきでフェアーでない、という主張がマスコミ全体に押し広げられ、それが正論であるかのようになってしまう。
日本は、お茶の文化、忖度の文化である。それは、世界でも高く評価されているのであって、そのこと自体、日本の個性である。
問題は、真理を追究しなければならない学問の世界、事実らしきものを報道しなければならないマスコミ、特に政治部の世界に、
反体制の人々への忖度やマスコミ人の希望的観測、憶測が多すぎることが、問題なのだと私は思う。
コト(客観的事物)の世界に生きる人間は、実務家であれ、技術者であれ、医者であれ、芸術家であれ、その道の専門家であるという事情は共通だ。専門家はコトの世界に働きかけ、コトの世界を作り変える。この間に専門的業績が確立する。
専門的業績が、多くの場合、同僚であり、時として見巧者な「通」である目利きによって評定され、ある評価を与えられるのが人間心理の世界における現実。その際に与えられる評価が高く、その傾向が引き続き維持されるなら、専門家としての「名声」が確立する。名声は専門家仲間に流通するもので、しばしば部外者や素人の知らない所で通用する。社会の各部門にはその部門の構成員しか知らない、隠れた「神様」や「名人」数多く存在する。真の名声は、このように少数者の間にのみに成立する。
さて、それを私が引き取るなら、人気、評判、名声には大別して二種類あり、一つはコトの世界に基礎をおく実像、他はイメージの領域に由来する虚像である。むろん、現実の社会ではこの二つの世界は隔絶しておらず、共通と相異が同居する。ただ、メディアによって生産または流通される人気(名声)はコトの世界で確立したものとは桁違いに流通範囲が広く、どこかイメージのように虚ろだ。堅気で堅実、慎重な常識で生活を営む庶民に、常識への懐疑、権力への反逆、日常的価値観からの脱却を素人をあっと言わせる誇大妄想的論理で説く詐術的カリスマ。誰のことかは、既にご承知と思う。暇つぶしに映画でも観る感覚で、かの擬似革命家の演技を楽しみ、あ~あ、面白かった、と幻惑におさらばすればよい。
いま時、ハーメルンの笛吹き男(Rattenfänger von Hameln)でもあるまい、と。それが良識であろう。
恐ろしく党派的な擬似革命家の歴史認識と戦略は虚妄にすぎない。
白井聡氏の『国体論』は、その思想的貧困は別として、戦後の日本人に今なおくすぶるナショナリズムを掻き立てる要素があり、関心を惹きつけるのだろう。こうした流れは戦後一貫として存在し、冷戦終結後も加藤典洋(敬称略)の『敗戦後論』(1997年)は当時、論壇はもとより文壇でも大きな論争を巻き起こした。それに比べ、『国体論』の方は今のところ低調である。
加藤はその後、論争の成果として『可能性としての戦後以後』(1999年)を上梓し、「民主主義とナショナリズムの閉回路」を多面的に論じた。そこで展開されたのは、戦後の日本特有の「ねじれ」の感覚である。
加藤は敗戦直後から、さらに湾岸戦争への対応をめぐり露呈した90年代の知識人ナショナリズムに垣間見える、日本人の精神的境位を比喩的に描写した際のキーワード(中核概念)で、同盟国アメリカへの評価や憲法観などに表われた戦後日本人特有の心的屈折(歪み)や虚構性への意識を「戦後のねじれ」と表現した。それが戦後の日本人の自己認識や言語空間の構造的な制約要因になっているのに充分に意識化されず、地下のマグマのようにくすぶり続けているとした。加藤はこの視点から、戦後民主主義が抱えている危うさ(虚妄)や、米国の軍事力によって事実上「押しつけられた」(虚構)憲法が、まさにその軍事力によって戦後の長期にわたる平和と繁栄を下支えしたという逆説を、日本人の内面の葛藤劇として炙り出す。
当時は、冷戦終結による「歴史の終焉」が喧伝されながら、湾岸戦争など世界各地で紛争が相次いだ時期で、普段は明瞭に意識化されないため、時間の経過とともになし崩し的に受容され、無意識の価値転換(占領民主主義の忘却)を加速化させる一方で、逆に戦後的価値観の全面肯定(絶対帰依)に見直しを求めるより強力な動機を生じさせた。
それは、理念的にみれば、戦後を規定した大きな枠組み(戦後レジーム)としての二つの構造的要因である日本国憲法と日米同盟への評価をめぐる新たな価値観論争として成熟するはずだったが、一般的には文芸評論家による主観的問題提起と否定的に受け止める傾向が、特にリベラル、革新陣営に大きかった。保守知識人の側も、西欧中心主義からの脱却を説く脱近代主義から脱コロニアリズムに至る地滑り的位相の変化に伴うナショナリズムへの「気圧低下」に幻惑され、出口を見定めかねた。噛み合わない相互否定が論争の成熟を妨げ、新たな対立の構図だけが取り残さる結果に終わった。
旧来の進歩派識者は、加藤の問題意識を「加藤が心中抱くねじれの感情」(間宮陽介)の表明にすぎないと酷評し、問題設定自体の仮構性を批判した。それは、冷戦後増加傾向にあった知識人ナショナリストに対する警戒感の表れでもあった。間宮の論文のタイトル「知識人ナショナリズムの論理と心理」は、信奉する丸山真男の著名な論文のタイトルと相似形で、違いは「超国家主義」と「知識人ナショナリズム」の違いに留まる、戦後肯定派の防衛の論理だった。加藤の問題提起を肯定的に受け止めた側もこの戦後的価値観の掘り下げの提案に、「戦後的改革の未完性」を楯に抵抗する進歩派の論理を効果的に突き崩せずに終わったからだ。
加藤の『可能性としての戦後以後』には注目すべき論文がある。「失言と癋見(べしみ)─「タテマエとホンネ」と戦後日本」で、戦後、戦争の歴史認識をめぐって、いわゆる「失言」を繰り返す政治家の意識の背景と心理を分析しながら、日本人の意識構造をソフトに支配する「タテマエとホンネ」の構造を丹念に分析したものだ。
注目されるのは、もはや当たり前となった対語(対概念)のうち、「言葉に出せない本心」=「表向きの方針(で実は嘘)」という意味での「タテマエ」が純粋な戦後生まれであり、しかも、辞書に限れば高度成長期の1972年ごろからである、という今日の感覚からはにわかに信じがたい「発見」だ。
それによれば、「方針、原則、標準」という意味での「タテマエ」の原義が国語辞書に登場するのは初和30年ごろの『広辞苑』が最初で、それ以前は建築用語の「建前」しかなかった。「表向きの方針(で実は嘘)」という原義とは異なる現在の用例は70年代以降になってであり、どの辞書にも載るのは80年代に入ってからだという。もちろん、辞書への採録と実際の使用開始時期とは当然ずれがあり、新聞(「朝日」)での使用例(見出しに限る)を、敗戦直後の45年~94年までの半世紀を追跡調査した結果、現在の用例が最初に出現するのは65年~69年に原義7に対してわずか1例、70年~74年には逆転し、原義5例に対して16例と激増する。75年以降はこの傾向が強まり、90年~94年は23例中、現在の用法が22例で、原義は1例のみ。
これは一体、どういうことなのか? 日本語には同じ対概念として。「表と裏」「外と内」「公と私」があり、「建前と本音」と重なる部分があり、このため、戦後特有の「建前」の語義の転換への注目を妨げていたのだが、ではこの時期に何が起こったか。加藤によれば、一対の言葉として加藤が集めた使用例のうち、最古は1956年(久野収)、次いで日本の二重構造性に言及した谷川雁の論考「日本の二重構造」(1961年)で、現在の用例とは異なり、タテマエが欺瞞的な考えと見なされていることだ。
加藤の結論は、戦後50年代後半から使用が始まり、当初は欺瞞的な考え方として知識人によって否定的に位置づけられたが、やがて高度成長期に否定的ニュアンスを払拭して社会全体に浸透した。70年代には日本古来からの考えを表すかのような形で、メディアなどで前面に出てくる、というものだ。「終戦は否、敗戦が真」と駄々をこねる『国体論』の杜撰な観念論とは次元を異にする説得的な議論だ。問題はこの変化を思想史的文脈でどう読み解くか、だ。
この主題を正面から扱った増原良彦は『タテマエとホンネ』(1984年)の中で、現行の「タテマエ」という考え方は、ほとんど「第二次世界大戦後」としており、こうした見解と調査結果を受け、加藤は「無条件降伏という世界像の崩壊を経験した後、国民は国家をはじめとするすべての権威が「うさんくさい存在」となった(中略)ため、戦後になると、国家に対抗して個人が「自分だけのホンネ」をもつようになる」として、それに逆措定されるようになったのが、嘘を隠蔽した「表向きの方針」としての「タテマエ」ではないかと、と結論づけた。
加藤は「戦後の思考装置」となった「タテマエとホンネ」を、憲法や日米同盟を語る際の「暗黙的了解の共同体」の無意識の基底とみている。そのうえで、「戦後の起点(敗戦と占領)の切断の記憶を隠蔽するため、わたし達が無意識に編みだした、いわばわたし達戦後日本人の、戦後日本人による、戦後日本人のための、自己欺瞞の装置なのである」 と言い切る。
戦後の日本人が無意識に考案し、自画像の確認をめぐる混乱(Identity crisis )を回避した思考装置である「タテマエとホンネ」。加藤は保守派の自己欺瞞を糾弾しながら、返す刀で、戦後民主主義が無条件降伏の屈辱を過去への反省と「ゼロからの出発」に変換して消去するもう一つの受け身の反動を見逃さない。
この二重の自己欺瞞が戦後の裏の自画像であり、単なる言葉の使用法の変化を超えて日本人を強く規定していることが分かる。
最後に、篠田さんの一連の憲法九条解釈をめぐる戦後の思想史的解明の射程は通常考えられるより遠くに及んでおり、戦後の日本人に改めてこの戦後の結ぼれた(結びついて解けない)状態への省察を迫る、優れて思想的な営為だということを自覚したい。それは、憲法解釈の専門知の領域に退行して自足している護憲派憲法学者の知的頽廃に深刻な反省を促すものでもある。(完)
戦後の主たる政策課題を一つずつ解決することが戦後の内閣、実質は保守政権の宿命だった。吉田内閣→講和と独立▼鳩山内閣→日ソ国交回復▼岸内閣→日米安保改定▼佐藤内閣→沖縄返還▼田中内閣→日中国交正常化、である。
それは、単純に政策選定に影響を及ぼした冷徹なリアリストの識者が存在したことの結果と見ることはできない。例えば沖縄返還を成し遂げた佐藤栄作は、ブレーン・トラストの編成を一任された秘書官楠田実と同じ程度に、学者や知識人に一目置いてはいた。しかし、「佐藤内閣は学者・知識人の言動を政治的説得の手段として利用するのではなく、好きなことをさせ、立派な出番を与え、政策に言葉と形を与えることで満足したように思われる」と、御用学者と揶揄されることもあった国際政治学者の高坂正堯は回顧している。
しかし、保守論壇の戦後世代であった高坂の慧眼は、「大体、学者・知識人の考えたことを政治家が実行するというのでは、現実に巧くいくわけがない」と醒めている。さらに、「政治家が目指していることの正当化あるいは理論づけを学者・知識人に依頼してもその持ち味は活かされない」とも。その上で高坂は、政策の最終責任者である政治家と学者・知識人の関係は相互の立場の違いを弁え、政策的理解を共有可能にする相補的な関係であっても、あくまでそれぞれ独立に考え、行動し、互いに啓発しあうべきだとする。この感覚が、進歩派の学者・知識人、メディアに決定的に欠けていることが致命的なことを、戦後の歴史が証明している。
永井陽之助と同様、高坂を論壇デビュー(63年1月「現実主義者の平和論」)時からいち早く評価したのが哲学者の田中美知太郎である。高坂が田中の同僚であった京都学派の代表的哲学者・高坂正顕の次男で、父譲りの素質と実力を見抜いていたものと思われる。
田中の死去に際して、著名な進歩的知識人、久野収が朝日の取材に応え、田中を「私とは立場は違った。私のようなラディカリストは田中さんにしてみれば大きな馬を刺す一匹のアブ以上のものではなく、「支配的思想は伝統を生かして修正していくものだ」とのお考えだった。(中略)戦争非協力を貫いているだけに、したたかな保守主義者で、教えられることも多かった」と振り返った(1985年12月19日夕刊、東京本社第12版)。
この朝日に忖度した一種の頌辞は、戦後の時々の選択で一度も過つことのなかった稀有の存在であった田中について、大筋間違ってはいない。しかし、滑稽なのは久野が田中に比して自らを擬した「大きな馬を刺す一匹のアブ」との表現だ。大きな馬は古代ギリシアのアテーナイ帝国であり、アブはソクラテスの隠喩だ。そのようにソクラテス自身が示唆していたことを文献学的に示したのが、ほかならぬ田中だった。田中の死に臨みご都合主義で一知半解にソクラテスを僭称する。田中の生前なら、痛棒を食らうだろう。「貴君は一体ソクラテスのつもりか? アハハ」と。田中こそ、戦前戦後を通じ、しかも左翼右翼双方に対して徹底して批判的だった、まさに日本のソクラテスだったからだ。
現実認識のリアリズムが決して現実追従に堕さない醒めた眼がそこにある。田中は現実を突き抜けた「永遠の相」からものをみていた哲学者だった。
2-0で日本が勝っていたときは、私も飛び上がらんばかりに喜んでいたけど、
1点入れられて、やっぱり、甘くはないな、と思い、同点にされ、負けて試合終了になって、
残念だったけど、予想どおりだったね、日本チームは本当によく頑張ったよね、と話し合って、
夫は仕事に出かけた。
戦後の日本の政治は、少なくとも今までは、本当に、うまく機能しているのではないのだろうか?
特に、シンクタンクであるキャリア官僚に支えられた行政、裁判所もうまく機能していると思っている。
国会がうまく機能しているのか、どうかはよくわからないが、もし機能していない、としたら、
私は、半分以上の責任は、野党にあると、思っている。批判、糾弾、審議拒否ばかりして、
対案を出さない。マスコミも、歴代自民党の首相を批判糾弾ばかりして、日本の政治はあたかもうまくいっていないような幻想を与えるが、
資源もない狭い国土で、これだけ豊かに暮らせている国民は、世界にそうはいない。
言葉の使い方で印象がどれほど変わるか、ということを、よく、おもしろおかしく説明してくださった。
私の訪問を待っていてくださっていたので、もっとお家に伺って、
いろいろお聞きしておけばよかった、と思うが、パソコンでこんな証言を見つけた。
1941(昭和16)年12月8日。 真珠湾攻撃によって日本は太平洋戦争へと突入した。毎日新聞(当時の題字 は『東京日日』)はこの開戦をスクープし
編集局内は熱気と歓声にわいていた。 が、欧米を熟知していた楠山さんは内心、ショックを隠し切れなかった。 編集局で幹部がそんな楠山さんに声をかけた。
「みんな歓声を上げているの に、君一人うかぬ顔だね」。
「米国と戦争をして勝てれば奇跡だ。軍事的にも、経済、社会的にもどこをみ ても勝ち目はない」
楠山さんはズバリと言い切ったという。。http://maesaka.sakura.ne.jp/bk/files/030715_comu.pdf
そういう本当の見識がある人が、影響力のあるマスコミの言論をリードすると、日本のマスコミも国民に役立つ、まともなものになるのに、と残念だ。
「勝者は阿諛の言葉を信じて、現実を見のがしているし、勝者は現実を見ないことに、かえって救いを見出そうとしている。(中略)それは丁度、一、二年の形勢によってものを見る、所謂sub supecie bienni の世界史的考察が、世界史そのものによって反駁されてしまうのと同じことである」。
田中は1941年12月8日、ハワイ真珠湾に奇襲攻撃をかけ、続く10日、マレー沖海戦に大勝して国中が沸きたつ中、冷然と言い放ったという。「この戦争、日本は必ず負けます」と。この年の暮れ、東京中野の田中の許を訪ねた知人、竹之内静雄(のちの筑摩書房社長)と岩田義一(のちお茶の水女子大教授)の証言がある。翌42年のシンガポール陥落後に各地で提灯行列が相次いだころ、再び「この戦争は、日本は必ず負けます。連戦連勝は、必ずしも最後の勝利を約束するものではない」(竹之内静雄『先知先哲』)。
ほかにも、「戦争中、遠慮のない時局談を試みることができたのは、私には三木(清)氏ひとりしかいなかった」「多くのひとたちは実に他愛もなく、電撃作戦でヒットラー崇拝者になったり、嚇々たる戦果にだまされて、東亜共栄圏の哲学を論じたりする、わたしはそのだらしなさ、無理性に、いつも嫌悪と軽蔑を禁じ得ず、心のなかですべての友人と絶交しているのであるが、三木氏はさすがにそんな馬鹿ではなかった」(田中「三木清と私」、1948年『回想の三木清』所収)。
田中の日記(1940年5月20日)に「一国のうちだけでなく、世界に於いても孤独でなければならぬこと。何を頼むべきか」。恐るべき炯眼(慧眼)である。
コメント118の「所謂sub supecie bienni の世界史的考察」の箇所にある‘sub supecie bienni ’ は ‘sub specie bienni ’ の誤記。古典学徒にあるまじき不注意を戒めるとともに、訂正してお詫びします。
なお、当該句の文字通りの意味は、‘under the aspect of two years ’。よく知られたラテン語の言い回しである ‘sub specie aeternitatis ’(「永遠の相の下に」)へのニーチェ特有のアイロニックな改作的表現で、田中美知太郎も好んだ。私の投稿ネーム「反時流的古典学徒」が由来する、ニーチェの初期作品『反時代的考察』(‘‘Unzeitgemäße Betrachtungen’’)の第一篇「ダーヴィット・シュトラウス 信仰家にして著述家」(1873年)に見える。
私も25も書いていることに気づいたが、事実関係があいまいである、とか、自尊心が異常に高い、とか、が焦点であることは、私の本意ではない。
家では、毎日新聞を取っている。これは、夫の希望で、出勤時に読みたいから、と主張する。
私もOL時代、日経新聞をとっていて、大学生の弟が、「置いといて。」といったのだけれど、仕事でいるんだ、と強引にもっていったから、夫の仕事前に好みの新聞を読みたい、という気持ちもよくわかるので夕刊を読む。すると、水島朝雄教授のような論が正論のように登場する。
そんなときに、篠田先生のブログを知り、読んでみたら、私の感性に近かったので、応援したくなった。
そして、このブログを通じて、私の知らなかった、例えば、マスコミが批判する安倍首相の私的諮問機関の安保法制懇の提言の内容もSNSによって知ることもでき、素晴らしい内容だな、と思った。それを前提にしての、野党が「戦争法案」と糾弾する「集団的自衛権一部容認」の[平和安全法制]なのである。
でも、毎日新聞では、相変わらず、白井聡さんとか、内田樹さんのような論が、正論のようなイメージで登場する。それは、違いますよ、ということを示したい、のが今回の私の趣旨でした。
毎日の最大の弱点は、前身からみると現存する日本最古の日刊紙という歴史にもかかわらず、経営基盤が極めて脆弱なことだ。読売の強力な販売戦略はもとより、朝日の意欲的な新型活字開発などの先進性もない。読売の巨人、朝日の高校野球(夏の全国選手権)のようなインパクトもない(センバツは物足りない)。新聞労連の初の女性委員長に明珍美紀さんという厚生労働省担当の記者を送り出したが、いずれにしても毎日は常に中途半端だ。経営危機もあって労働組合運動に熱心な記者が多く、勢い進歩的だ。しかし、最近は読まないが、『週刊エコノミスト』はまともだった。『週刊朝日ジャーナル』など、問題にもならないレベルだった。
これに、毎日は新聞協会賞(編集部門)を、加盟の全国紙の中で最多受賞している、と反対されそうだが、協会賞はあくまで業界内部の評価だ。もっともこれにも例外があり、外務省機密漏洩事件の故西山太吉氏のように感心しない記者もいた一方で、ライシャワー元駐日米国大使の核持ち込み発言をスクープし、新聞協会賞を受賞した古森義久氏(その後、産経新聞へ移籍)もいた。先ごろ死去した岸井成格氏などもそうした基盤のうえに仕事をしていた。死者に鞭打つ気はないが、記者として特別な見識も業績もない。この点で、元『朝日ジャーナル』編集長で新聞記者出身のニュースキャスターとして先駆者だった筑紫哲也氏の足許にも及ばない。筑紫氏本人と話してそう直観した。
<「筑紫哲也のNews23」でだったと思うが、私が、「政治家にモラルを……」と発言したら、隣に座っていた岸井がガタガタっと椅子を動かした。後で聞くと、そんなことを言う私と“仲間”と見られたら、政治記者として、これから取材ができなくなると思ったらしい。それで、少しでもと距離を置いたのだという。 (中略)現在の2人の政治的スタンスはかなり違う。かなりどころか、極端に違うと岸井は言いたいかもしれない。岸井が編者となって学生時代に出したゼミの文集のそれぞれの拙文が本書(『政治原論』、毎日新聞社)の付録として巻末に収録してあるが、あのころは、むしろトロツキーに傾倒する岸井の方が過激だった。ただ、思想としての過激であり、行動としての過激であったわけではない>(Diamond online、2014.11.10「「News23」のアンカー、岸井成格との50年」)。
「政治家にモラルを…」は、そこに一面の真実があるとはいえ、地上波番組で口にするラディカリスト・佐高も非常識で極端だが、岸井氏も反安倍が業界内のポーズにすぎないことを窺わせる無定見で融通無碍な処世術的ポーズにすぎないことを改めて示す。格別非難されることではないが、大新聞社内部で出世するということは、そうしたことなのだ。何もメディアに限らないが…。
トロツキーに傾倒した過去が単なる思想遍歴以上に出ない常識人。岸井氏には透徹した政治哲学も政治家観もなく、凡庸で陳腐なジャーナリスト精神があるだけだった、とつくづく思う。改めて、ご冥福をお祈りしたい。
朝日新聞を退職した稲垣武氏の『「悪魔祓い」の現在史 マスメディアの歪みと呪縛』(文藝春秋 1997年)はその代表格で、実質は業界関係者なら周知の事実の域を出なかったものの有益な批判と問題提起だったのは確かで、興味深く読ませる筆力を備えていた。
三年前の『朝日新聞 日本型組織の崩壊』(朝日新聞記者有志著、文春新書)は、「権力闘争に明け暮れる巨大メディアの実態に肉薄」すると題して、前年2014年に起きた慰安婦報道問題や、福島第一原発事故調・吉田調書問題など三大スキャンダルに表れた、朝日の虚偽報道や偏向報道を生む根深い体質と病巣を、構造的問題として解き明かしている。それは、「訂正しながら謝罪しない傲岸体質」だったり、「左翼」でも「反日」でもない硬直化した官僚的組織、派閥間の暗闘など、「極めて日本的な組織特有の病」が元凶になっている、と複数の現役朝日記者らが、実態を克明に描き出したもの。朝日の宿痾としてとりわけ深刻なのは、不祥事すら「新たな権力闘争の道具でしかない」救い難い日本社会の縮図、という認識だ。
その点で「週刊朝日」(2018年3月16日号)の田原総一朗氏「月刊誌の『朝日新聞批判』が毎月のように続く理由」を、主因を改憲論議を実質的に主導する首相への朝日の反発が惹起した保守知識人のアレルギー反応、に求める極めて皮相的な分析に終始している。
「なぜ朝日新聞が批判されるのか」と題して2004年10月から翌年4月までの書き込みをみると、冒頭、このテーマの提唱者が「無意味な誹謗中傷は控えましょう」と呼び掛け、単なる糾弾型ではない議論を促している。内容は、率直的に言えば京大生という割にはひどく凡庸なもので、中には「自称某経済学部OB」による「産経など読むな。 あんな字の大きい新聞読んでると頭が悪くなる。読売は巨人ファン以外が読むものではない。少なくとも阪神ファンは読むものではない。朝日は読者欄と天声人語がむかつくのを除けば、読むたびに反論を考えることができるので、頭の体操になる。まぁどうせ就職活動するんだろうから日経読んどけ」という、傾向と対策的な分析があり、なかなか穿っている。
ネーム「朝日は最低の新聞」氏は「石川真澄(元朝日新聞編集委員・現軍事リポーター)氏によると、氏が現役記者時代、拉致問題を扱った記事を出稿すると、社内刷りを見た政治部の偉いさんが「総連に取材できなくなるから載せるな」と抗議しにきたそうな」と何やら出所不明ながら、証言を寄せる。中には「男なら黙って産経。朝鮮日報、略して朝日」と愛嬌ある標語的表現も。多くは、論壇誌などでの議論を口移しにした内容が目立ち、学生ならではの目立って特徴的な意見表明は少ない。
日ごろはほとんどネット空間でのこの種の論議を覗いたことのない、投稿ネームさながらの「時代に取り残された」(‘unzeitgemäß’)私だが、内部からのメディア批判を目指して一念発起、銀行を辞め新聞業界に飛び込んだ1988年当時から、昔も今も本質的には変わらない同工異曲の批判をみる思いがする。
とあるが、政治家をゴキブリに例える神経が、まともかどうかを考えてみればいい、と思う。政治家、とは国会議員のことで、日本国憲法前文では、
国民の代表者でその人たちを通じて行動する最高権力者として、国民が選んだ人たちなのである。なんのために、モラルのないゴキブリのような
人を選ばなければならないのだろう。
フロムが、書いているように、「権力」というものは、得をしようと、ゴマをすって近寄る者が現れ、腐敗しやすいのである。だから、その人物が、ゴキブリ、とわかったら、他の人を選べばいい。私は、この二人の専門家、という肩書の政治評論家の意見に同意できることが稀だった。
そして、政治家の囲み取材を見て思うことは、マスコミの人たちは、自分たちにモラルのかけらもないのに、政治家や他人にモラルを求めすぎだ、ということである。
「お友達内閣」もそうであるが、今回の篠田先生のブログで、マスコミの批判のまととなった安倍晋三さんの「あんな人たちに負けられない」発言の「あんな人たち」は「普通の人」ではなくて、「革命」という政治的動機をもった「政治活動家」であることがよくわかった。
本当に、マスコミというのは、事実を誠実に伝えないメデイアである、ということの再確認となっている。岸井格さんという人物が、実は、「隠れトロツキスト」であったか、ということまではよくわからないが。
お冥福を祈ります。
日本帝国主義は朝鮮女性を拉致した上に強姦した」と述べた、そうである。
あるイデオロギーにとらわれると、いくら知的能力が高くても、そのような思想、主張をするようになる典型例のように、私には感じられるが、
白井聡さんも同じなのではないのだろうか?
武井は終戦初期の46年、旧制高校時代に日本共産党に入党、東京帝大西洋史学科に進んだが、レッドパージ反対闘争もあって50年に退学処分に遭う。弱冠23歳。コミンフォルム批判の受け入れ問題で党が分裂、同年9月のGHQによる共産党幹公職追放令で党が壊滅状態に陥るなか、党内では宮本顕治らの「国際派」に属し、「所感派」(主流派)と対立して52年に除名された。六全協後の55年に復党して共産党系の作家を集めた「新日本文学の会」の事務局に在籍し、批評家活動に入る(のちに事務局長、編集長、常任幹事)。もっとも、復党後一年もしないうちに、スターリン批判やハンガリー事件への対応をめぐって再度党中央と対立、60年安保闘争を通じて亀裂は決定的となり翌年には再び除名。当時の全学連主流派の母体で共産党と鋭く対立した「共産主義者同盟」(ブント)とも交流、ベトナム戦争時は「べ平連」の呼び掛け人にもなっている。
時代も人も違うと言ってしまえばそれまでだが、白井聡氏のようなアマチュア色はそこにない。現在が、旧世代に比べて必ずしも思想的に成熟していない証左である。
それ以前に、プロレタリア文学系の既成左翼作家らの戦争責任を追及し論議を呼んだ『文学者の戦争責任』の共著者・吉本隆明との「政治と文学」論争(63年)や、高度成長下での文学と思想の解体状況への危機感にみられる極めて非妥協的姿勢がかつての同志であった井上光晴や安倍公房らへの容赦ない批評に行きつく。世界的に学生運動が簇出した69年以降は、活動家集団「思想運動」の主幹として、階級意識の形成を生涯の信条として貫く。
共産党からはトロツキストと批判され、2010年に幕を閉じた武井の「文学的革命家」としての生涯は一面誠実だが、社会主義・共産主義国家といえども剥き出しの国益をめぐって流動する国際政治のリアリズムに翻弄された共産党同様、真の政治のリアリズム感覚を喪失した日本における革命運動の閉鎖回路に留まっている。
なお、Wikipedia の武井の項で、武井が認めていない「(1952年)当時「国際派」だった不破哲三らに対して、全学連武井グループは「警察のスパイ」の疑いで「査問」を行った(中略)安東仁兵衛は著書『戦後日本共産党私記』で証言している」との記述は、他の対立する見解もあり、安東の指摘はその通りだとしても、真相は「藪の中」である。共産党員は新旧それぞれの立場で「平気で嘘をつく」ことが珍しくなく、実態は「国際派」内部の対立ではないかともみられるが、決定的な証拠がない(Wikipediaの記述は玉石混交で注意したい)。
読売グループの総帥・ナベツネこと渡邉恒雄氏は無類の毒舌家で、あの風体で威圧的な表情を隠そうともしないから、庶民の違和感はもとより、誇り高きインテリ集団の(はず)の新聞記者からも疎まれ、恐れられ、嫌悪される。かつての同業者仲間に東大文学部卒の東洋美術学徒がいたが、彼も苦手そうだった。ましてや、特に朝日・毎日・東京連合からは、昔流に言えば保守反動の頭目ということなのだろう。
吉田茂も朝鮮戦争前後から講和条約締結による主権回復の時期、格好の攻撃対象で、「反動」だった。最近、メディアの当世風な美風良俗の感覚、即ちpolitical correctness意識を逆撫でする発言を連発している人物の祖父だから、当然といえば当然なのだが、メディアの言葉狩り、つまり「言論弾圧」は、日本的思考停止の代名詞になっている。
私が度々言及する恩師の師匠である田中美知太郎なども、大変な皮肉屋で、歯に衣着せない発言で知られた。85年暮れに死去した際に、朝日に追悼文を寄せた元教え子が、専攻過程へのガイダンスの際の遣り取りを振り返って証言している。「相談に教授室に入るのが怖い」とある出席者が訴えたところ、即座に、
「教授室など動物園の檻のようなもので、教授の名札は動物の名前と思いなさい」。
こう直言されては、質問した学生の方も戸惑っただろうが、田中の批判は「単なる嘲笑とか揶揄とは違って、みせかけの現実に対する鋭い批判を常に含んでいた」(竹市明弘・元京大教授)。
田中に限らず、覚醒した人物は吉田であれ岸信介であれ、その孫(の麻生太郎や安倍晋三)であれ、否応なく歴史に向き合っているのだと思う。メディアが庶民感覚の綺麗ごとしか受け入れられぬ狭量な感覚と思考に留まっている限り、彼らは何度でも歴史を見誤るであろう、と確信する。
国民が不幸になるからである。
丸山真男教授も永続する革命を目指しておられ、現在もなお、彼には、多くの使徒や信者がいる。白井教授も、文章の表現からその使徒のひとりではないかと思う。
東京帝大の憲法学者上杉慎吉さんが1929年に亡くなってから、天皇機関説事件が起こった。これも、彼が、多くの使徒を遺したからだ。もし、上杉慎吉が、「絶対君主主義」を布教しなかったら、蓑田胸喜や軍国主義者たちが、政治家や市民生活に脅威を与えなかったら、昭和天皇の了承されていた美濃部達吉さんの「天皇機関説」に基づく立憲君主制度で軍国主義者が権力を握らなければ、丸山論文にある超国家主義、
「日本国民を長きにわたって隷属的境涯に押しつけ、また世界に対して今次の戦争を駆り立てたところのイデオロギー的要因は、・・」という状況にはならなかったのである。
なぜなら、立憲君主主義の君主、というのは、政治的な意味での権力者、ではないのだから、国体は、国民を隷属的境涯におけない。
やはり、芦田均さんが考えられたように、第二次世界大戦は、プロレタリアートが主導する国際主義、優秀な民族が劣等な民族を指導する主義、民主主義による国際協調と国家平等の原則の「3つのイデオロギーの争いで、
戦前の日本は、自らをうぬぼれ、2番を選択したから、悲惨な運命をたどったのであって、丸山教授や白井教授の志向される1ではなくて、篠田教授が志向される3を選択するのが、国際平和を構築するための日本の選択だと、
私は確信している。
武井の場合、入党、路線対立、除名を繰り返し、反共産党系全学連と関係を深めるのだが、それぞれの局面で誰(どのグループまたは派閥)と、どういう理由で対立し、どのような選択をしたかについて、ほとんど何の情報も与えてくれない。各種人物事典の記述を顧慮した形跡もなく、どうしてこの程度のものが通用するのか、という水準の全く杜撰な記録に唖然とする。私などは常に眉唾ものと注意しているが、そうした例は少なくないようだ。
それに対して、不破哲三との対立、「査問」という名のリンチまがいの行動とされるものを、共産党内の路線対立(所感派と国際派)と東大組織(細胞)内部での主導権争いを同列に並べ、その上で武井側に極端に不利な証言を「武井は肯っていない」という但し書きで無批判に記述する。私のように仕事柄、政党や革命組織の内部事情について、一定程度の基礎知識がある者と違って、一般の読者が参照すると甚だ誤解を招きやすい。日本版Wikipediaの特色である署名のない投稿の集成(実質は寄せ集め)以上のものでない記述は、仮令どんなに便利であっても、不勉強や怠惰のツケを利用者が自ら払うことにつながり、結局は情報も「ただほど高いものはない」結果になりそうだ。
私の専門領域であるギリシア哲学との関連で「ソクラテス」と「ソフィスト」について覗いてみたが、こちらの杜撰さは別の意味で衝撃的だった。
「ソクラテス」の記述の根拠となった資料は『ソクラテスの弁明』(翻訳は大正時代に遡る岩波文庫版)への引証が大半で、標準的な研究書への言及はもとより、最新研究への配慮もみられない。このことから、一定の専門的知識のある人物が担当したものでないことは明白である。
ソフィストがギリシア語(Σοφιστής=sophistēs )で知慧のよく働く人の意味で、転じて知者が本来の意味であり、「詭弁家」という後世の否定的評価がどうして生まれたかに関する基本的な枠組みの理解が欠落している。動詞 σοφίζω(sophizō )が名詞化したとの指摘は正しいが、自動相と中動相の「知をはたらかせる」と他動相の「知がはたらくようにさせる」の区別を全く顧慮していない点で、本項の記述者にギリシア語の基本的知識、理解が全く欠けていることをうかがわせる。よく考えれば、辞書の項目を当該研究分野の専門家ではない素人に任せる日本版Wikipedia の編集方針に重大な問題がありそうだ。
幸い、下段に無料で閲覧できる、哲学専門のオンライン百科事典(英文)『スタンフォード哲学百科事典』(Stanford Encyclopedia of Philosophy)の案内があり、C.C.W. テイラーによる項目‘‘The Sophists’’(First published Fri Sep 30, 2011; substantive revision Wed Sep 9, 2015)は、標準的な近年の研究成果を反映しており、十分役立つ。これでは、『スタンフォード哲学百科事典』に丸投げだ。
内容に限っても、そもそもソフィストの名で総称される一群の人々は、海軍帝国となったアテーナイの新時代の教育需要に応じて登場してきた新しいタイプの当時一流の外国人の知識人(知者)を指すことを見落としている。彼らは、地中海各地からアテーナイを訪れ、高額の授業料を取って、人々の求める国家有数の人材となるための能力(アレーテー=ἀρετή, aretē )を授けることを約束した。従って、アテーナイ市民権はなく、アテーナイ人であるソクラテスとは立場が基本的に違うことを押さえて置く必要がある。
何をもって人間の「卓越性」とみなすかをめぐってソクラテスと対立したのは事実だが、一方が「詭弁家」、他方を真の知者である哲学者とする後世の評価が確定するのは、別の事情による。ソクラテスは「商売妨害」でソフィストに憎まれ、裁判にかけられたわけではない。むしろ、ソフィスト顔負けの巧みな弁論を駆使するソクラテスがソフィストの同類と見なされたくらいで、後年の刑死につながる恨みを買ったのは、実はアテーナイ政界の有力者に屈従せず、政治的に危険人物視されたからだ。
告発者の一青年の背後にそうした人物がいたことからも明らかだ。従って告訴状が掲げた罪状、「国の認める神を認めず、別の新たな鬼神の祀りを導入した」は不当なでっち上げであり、「青年たちに害毒を与える罪を犯した」に至っては、全くの濡れ衣だった。
いずれにしても、古代ギリシアの世界大戦であるペロポネソス戦争が長期化するにつれ、ペリクレスのような卓越した政治的指導者を失ったアテーナイ自身、国内抗争や内乱が激化して疲弊を招くなかで民主政治の基盤が掘り崩されていったことが背景にあるのは確かだと思う。トゥキュディデースは戦争がいかに人々の品性を変え、価値観を揺さぶり転倒させたか、『歴史』の中で克明に描き出している。
まず、レーニンについて。革命家ならではのその極端な政治主義は何に由来するのか。レーニンは当時のロシアの工業発展が欧米諸国に比べ、なお手工業的な段階にあったのを、「堅固な中央集権化された革命家の戦闘組織」をつくることで、革命がマルクスの説いた資本主義の発展に伴う不可避の内部矛盾の激化の果てに、あたかも終末思想の千年王国のように実現するという「自然発生性への拝跪」に代えて、外部から暴力的要因(革命家の戦闘組織)を持ち込むことを主張し、実際に実現した。プロの革命家集団の組織化に重点を置いたレーニンの戦略は、クラウゼヴィッツの『戦争論』の愛読者であったと言われる彼が、戦略論とマルクス主義の階級闘争的歴史観を結びつけ、革命家の集団に「軍隊の思想」を持ち込み、革命の戦術に「軍隊の戦略」を持ち込むことだった(高坂正堯「現代の戦争」、1965年7月『中央公論』を参照)。
それは、ロシア革命の経過が示すように、革命運動の効果を著しく高めたが、同時に文明を破壊することを招いた。冷厳なリアリストであった師表クラウゼヴィッツにもなお認められた、政治と戦争の区別を完全に捨象して、「政治の中に暴力を持ち込み、政治を著しく暴力化させる」効果をもつことを避けがたくした。
このように近代軍事組織の完成者であるH.モルトケ(プロシアの参謀総長)にも影響を与えたクラウゼヴィッツの影響が濃厚なエンゲルスやレーニン。小児病的な革命願望の『国体論』を弄ぶレーニン主義の亜流・白井聡氏のどこに、プロレタリアート革命を鼓吹する思想的推進力があるだろうか? 詰らぬ政治的パンフレットはさっさと一読、後は池田信夫さん曰く「資源ごみ」よろしく、無視するに限る。
小選挙区制下での自民党の優位性は、1993年の衆院選に敗れて下野した後、非自民非共産連立政権の弱体化を図る戦略から、まず社会、さきがけを引き剥がして(反小沢が名分)政権奪還を果たし、さらに非自民勢力が結集した新進党から公明党を引き離して連立与党とし、一方で社会、さきがけを切り捨てるという荒業で政権基盤を固めたことによる。民主党に一度だけ敗れて政権を再び失うが、小選挙区は与党間の選挙協力により、一選挙区あたり2万票前後ある公明票で自党の基礎票を補い、候補が乱立する野党勢に比較優位状態を堅持。野党側は選挙協力による候補者調整が各党の思惑で困難なうえ、共産党が一選挙区当たり1~1万5千の基礎票をもつため、共産が候補擁立すると結果的に野党同士で票を奪い合い、自公を利する構図であるため、多少の支持率低下があっても自民は勝ち続け、政権は揺るがない。
以上は政策以前の選挙の構図。小選挙区制自体が野党の政権獲得を阻んでいる訳ではなく、野党に政権獲得の戦略がないことが致命的。有権者にアピールする政策の不在も拍車をかけている。立憲民主党は自公ではなく、他の野党から票を奪って躍進しただけで将来の勢力拡大は希望薄。政策には致命的弱点がある。
新書には異例の、どぎつい装幀からしていけない。「血沸き肉踊る」調の煽情的で悪しきジャーナリズムの見本のような陳腐で鬼面人を驚かす体の修辞も、善男善女の知的虚栄心をくすぐるのだろう。篠田解説によって、快癒されることを祈りたい。
昨日6日、地下鉄サリン事件などで殺人罪に問われ、死刑が確定していたオウム真理教の元代表ら幹部7人が「処刑」された。彼らも、稚拙ながら兇暴な「革命家」だったのかもしれない。同じロシアでもレーニンではなくドストエフスキーの『悪霊』を髣髴とさせるカルト集団だった。白井氏とは立場も見識も異なる三島由紀夫が市ヶ谷で自衛隊員に蹶起を促し、容れられず自刃したのも、覚醒した作家なりの「革命劇」だったと思う。
地下鉄サリン事件当時、私は現役の記者で多忙だった。その一カ月前に起きた阪神淡路大震災の時点の首相は村山富一氏である。よりにもよって、東日本大震災時の管直人氏といい、危機認識・管理能力の欠落が、自民党に代替可能な政権への国民の期待と希望を裏切ったのだと思う。天命というか、お天道様というのは少なくとも戦後、政策選択上の重大なミスを犯さなかった保守政治家を見放さなかったということだろう。
かつて村山を評して「戦後民主主義の末路」(渡邉昭夫編『戦後日本の宰相たち』、1995年、中央公論社)と表現した政治学者の飯尾潤氏は、野党の自民党と組んで羽田内閣を倒し、自社さ連立政権を率いた村山内閣の内情を分析して、突然の地震が襲ったことで足元で政争を抱えていた内閣の寿命は延びたが、国家の真の実力や成熟が問われる究極の場面で、危機管理能力も資質もない政権トップが「精一杯やっている」以上に出なかったのがこの国の不運だし、村山が掲げた「やさしい政治」と背中合わせの、政治的指導力の欠如という政治の貧困をあぶり出している。それが、ひょっとしたら震災と同じ位に日本にとっての不幸なことだったのかもしれない。震災に続いて地下鉄サリン事件に直面し、結局、事態に流されるままに浮遊し低空飛行する。
飯尾氏の結論を紹介すれば、「逆説的ながらこうした政治のあり方は戦後民主義の行き着くところでもある。戦後民主義の大きな感情の柱が、反国家感情であり、権力者やプロの政治家への嫌悪であったことは確かである」「国家の指導者でありながら、指導者らしくないことを任務の中心に据えている村山首相は、国家の存立基盤を内部からゆっくりと溶かしている」。飯尾氏の直言が正鵠を射ているのは明白で、今日の安倍政権に至る歴史が何よりの証言者だろう。政治家にとって、運も実力のうちだ。
指導者はある意味で国民の似姿であり、「政治を軽蔑する者は、軽蔑すべき政治しかもてない」(『魔の山』)と喝破したドイツの文豪トーマス・マンの言葉は重い。
私は、阪神大震災、地下鉄サリン事件の大変近い位置にいた。実家は全壊して家財道具はそのまま、夫の仕事場は神田にあり、ガンであることがわかった母は、聖路加病院に入院していた。その上、高齢の父がいる。病院にも行かなければならない、仕事の手伝いもしなければならない、父の様子も、実家の様子もで目も回るほどの忙しさ、でも神戸の友人たちも、ライフラインが断たれて、ほとんど同じか、それ以上の悲惨な境遇であったので、励ましあっていたときに、オウムの地下鉄サリン事件は起きた。
あの時、先に事務所に行ってから、と思ったから、巻き込まれなかったけれど、先に病院に行っていたら、巻き込まれたかもしれない。霞が関の元駅長さんの奥様の悔しさは、痛いほどよくわかる。共謀罪についても、オウム事件がなかったら、野党の主張に耳を貸す気持にもなったかもしれない。
そして、もし、あのサリン事件が、羽田内閣の時に起こったら、目も当てられなかった、と思う。自社さきがけ政権だったから、野中広務国家公安委員長として、活躍できた。
逆に、村山富市さんにならって、社会民主党が、非武装中立をやめて、
ドイツの社会民主党のような現実的な政策を志向してくれたら、と思ったが、その方向に進ませなかったのもマスコミと知識人である。
反小沢連合である、自社さの村山内閣全体の評価はともかく、首班の村山富一は凡庸の一語に尽きる。自民党が仕掛けた、総選挙によらぬ政権簒奪という「正統性なき政権交代」を許す神輿という形で利用され、のちに党ごと自民に排除されたことが示すように、村山はしたたかなようで無定見という意味では愚鈍であった。反小沢でなりふり構わぬ寝業師ぶりを発揮した野中廣務も理念なき政治家の典型で、それこそ典型的な知識人・文人政治家の芦田均の爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだ。
サリン事件が、羽田内閣の時に起こったら、どうなっていたか? 預言者でない身にはそうした歴史上のイフに関する問いに答えようがない。旧経世会幹部には珍しい「人柄が信頼できる普通の人」の限界から出られない羽田も危ういが、村山に劣るとも思えない。問題は元自民の羽田ではなく、非自民の村山であり、管直人である。
看過できないのは、一連のサリンテロより大震災の方で、危機管理の制度・システムと最高指導者の資質にかかわる問題ゆえ、遥かに深刻だと思う。オウム真理教の動向は当局によって逐一把握されていたが、憲法上、保障される信仰の自由との関係に苦慮して着手が遅れただけだろう。官僚組織の怠慢であり、野中は戦時中、当局によって徹底的に弾圧された神道系の新興宗教「大本教」の発祥地で、教祖出口なおの出生地である京都府綾部にほど近い同じ丹波の園部町出身だから、むしろ速やかな摘発着手に逡巡した可能性すらある。
村山内閣の宿痾は、反小沢連合という出自に伴う構造的弱さと、村山自身の指導力、理念の欠如という問題に直結している。メディアは関係ない。
(Σωκράτης)Ἀλλὰ καὶ ὑμᾶς χρή, ὦ ἄνδρες δικασταί, εὐέλπιδας εἶναι πρὸς τὸν θάνατον, καὶ ἕν τι τοῦτο διανοεῖσθαι ἀληθές, ὅτι d οὐκ ἔστιν ἀνδρὶ ἀγαθῷ κακὸν οὐδὲν οὔτε ζῶντι οὔτε τελευτήσαντι, οὐδὲ ἀμελεῖται ὑπὸ θεῶν τὰ τούτου πράγματα• οὐδὲ τὰ ἐμὰ νῦν ἀπὸ τοῦ αὐτομάτου γέγονεν, ἀλλά μοι δῆλόν ἐστι τοῦτο, ὅτι ἤδη τεθνάναι καὶ ἀπηλλάχθαι πραγμάτων βέλτιον ἦν μοι. διὰ τοῦτο καὶ ἐμὲ οὐδαμοῦ ἀπέτρεψεν τὸ σημεῖον, καὶ ἔγωγε τοῖς καταψηφισαμένοις μου καὶ τοῖς κατηγόροις οὐ πάνυ χαλεπαίνω……. ἀλλὰ γὰρ ἤδη ὥρα ἀπιέναι, ἐμοὶ μὲν ἀποθανουμένῳ, ὑμῖν δὲ βιωσομένοις• ὁπότεροι δὲ ἡμῶν ἔρχονται ἐπὶ ἄμεινον πρᾶγμα, ἄδηλον παντὶ πλὴν ἢ τῷ θεῷ.
(ソクラテス)しかしながら、諸君にも、裁判官諸君、死というものに対して、よい希望をもってもらわなければならないのです。そして、善き人には、生きている時も、死んでからも、悪しきことはひとつもないのであって、その人は、何と取り組んでいても、神々の配慮を受けないということは、ないのだという、この一事を、真実のこととして、心にとめておいてもらわなければなりません。私のことも、いわれなしに、いま生じたのではない。もう死んで、面倒から解放されたほうが、私のためには、むしろよかったのだということが、私には、はっきりわかるのです。
Πλάτων: Απολογία Σωκράτους (Oxford Classical Texts, Platonis Opera vol. I, ed. by J. Burnet, 1903)。テキストはジョン・バーネット校訂のOxford版プラトン全集の改訂版=E. A. Duke, W. F. Hicken, W. S. M. Nicoll et D. B.Robinson(1995年)による。翻訳は田中美知太郎訳(岩波書店『プラトン全集』第1巻「ソクラテスの弁明」)を基に反時流的古典学徒が平仮名の一部を漢字に改定した。
もちろん、私はソクラテスのように死にはしませんが、取りあえず失礼します。
念のため、興味をもたれる向きに、文法的に初歩的な説明を添える。
οὐκ ἔστιν ἀνδρὶ ἀγαθῷ κακὸν οὐδὲν(善き人に悪しきものなし)は「AはAなり」というような、単純明快で千金の重みをもった言葉。
οὐδὲ ἀμελεῖται ὑπὸ θεῶν τὰ τούτου πράγματα• οὐδὲ τὰ ἐμὰ νῦν ἀπὸ τοῦ αὐτομάτου 、ここのἀπὸ τοῦ αὐτομάτου は、ひとりでに(そうなる)ではなく、神の計らいなしに、何の意味もなく勝手にというニュアンスが強い。
ἀλλὰ γὰρ は、「しかし、もうこれでもう充分だ。話はおしまいにしましょう。なぜなら……」の意味。
ὥρα ἀπιέναι, ἐμοὶ μὲν……立ち去る時である、私にとっては死ぬために、諸君にとっては生きるために。dat.(与格) は ὥρα ἔστιν がだれにとってなのかを示し、未来分詞はそれに格を合わせながら、これから起こることを示す。
ἐπὶ ἄμεινον πρᾶγμα 。この πρᾶγμα は πράττειν の意味に近いとバーネットは主張しているが、仮にそうなら、これはより幸福であることへ=より大きな幸福へ、という意味になる。
πλὴν ἢ はバーネットが採択し、改訂版も従うT写本による読み。πλὴν εἰ とするβ,W,Pの三写本に従う別の読みもあるが、それだと 20 Dの ἀλλ᾽ ἢ のように解釈すべきことになるが、ここでは採らない。
政治家の鬼門というくらいだから、治山治水は政治(まつりごと)を預かる者の最も須要な役割だという教えに加え、文明の進歩とともに、被害がより甚大になる側面が今回の豪雨被害でも露わになった。腰の定まらぬインフラ対策への頂門の一針だ。
「昔、<俄か雨と女の腕まくり>はすぐやむものであり(中略)気ニシナイ、気ニシナイ。どうやら、今は違っている。(中略)特に政治家の鬼門のようである。(中略)文明も日進月歩して、日本のあちらこちらに中途半端な都会がいくつもできてきた。(中略)俄か雨がふると、下水がすぐ溢れだし、道路は冠水、住宅や工場は浸水、電車や、時には、列車まで不通、ということになる。(中略)文明が進歩したのである。住民は困るので、有権者として<都市政策の貧困>を訴える。<そんなところにいる方が悪い>などと言えば、議会政治家として暴言である。〈キメの細かい〉施策を看板に、票を集めるために、三割自治のやりくりを考えなければならない。俄か雨がこわいのは都会だけではない。田園も昔の田園ではなく、数時間の集中豪雨が、洪水や堤防の破壊、田畑の冠水や流失、さらには、集落の壊滅や人身事故までもたらすことも、稀ではない。(中略)住民は困り、世論は<天災でなく、人災である>と訴えるので、議会政治家としては(中略)大いに奮闘しなければならない。」
全容が次第に判明してきた今頃になって、メディアが政権党の酒宴を「危機感がない」と非を鳴らしても、それこそ平和ボケの錆びついたジャーナリズム感覚で、被災地に主たる取材力を投入できなかった見通しの甘さ、お上批判は実はお上依存の取材体質の裏返しだということを、端なくも露呈した。危機管理など言えた立場ではない。高校野球が気になるだろう朝日も。
「昔、腕まくりした女のいさかいは、多く、たわいのないものであり、天下国家とかかわることはなかった。今日、文明開化と議会政治のもと、<腕まくり>した婦人有権者の大群が政治に進出し、日本の進路を左右する。(中略)夫の収入と世間の物価との間にはさまれた購買・記録係である。(中略)<腕まくり>して夫をシゴいて収入をふやすか、<腕まくり>して物価戦争に参戦するか(中略)流派によってはおシャモジを立て、デモ・署名活動・陳情・請願・選挙等々、男の世界に乗り込んで、政治的に大活躍を始めることになる。(中略)<女の腕まくり>は日本の政治に数々の戦果を残している。婦人票は<幸福と平和>、<清潔と誠実>の擁護者であり、大義名分の旗を有権者の過半数という数で裏付ける大票田である。俄か雨のもたらす災害は<人災>である。婦人票を立腹させるとほんものの人災になるおそれがある。そして、議会政治の今日、政治家が人災をおそれても、無理のないことである。」
天災と人災は紙一重である。メディアの失態は身から出た錆び=人災である。
白井氏をはじめ矢部宏治氏、孫崎享氏などのいわゆる対米自立派は政策的指針を提示することなく対米従属路線をひた走る安倍政権にただ横槍を入れているわけではない。
彼らは東アジアとの関係を改善することでアメリカにぶら下がるしかない現状を変えよ、という明確なメッセージを一貫して述べている。
その上で社会主義国家と手を結ぶなんて自分は受け入れられないなどと反対意見を述べるならまだわかるが、政策的指針がない批判の為の批判だと断ずるような事実に反する批判は論評ではなくいちゃもんのレベルだろう。
相手の主張を正確に提示した上でその是非について意見を交わすのが学術的な議論だと思うが、篠田氏は(集団的自衛権をめぐる議論においてもそうだが)いつも対立する主張を正確に引用しない為そもそも議論が成立しない。
アカデミズムに相手にされない不満を世に訴える前に、こうした自らの姿勢を省みるべきではないだろうか。
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