この週末は荒れたものになった。豪雨の被害のニュースは胸が痛む。特に私は広島に長く住んだことがあり、今でも愛着があるため、いっそうそうだ。
また、豪雨の中、オウム真理教の死刑囚たちの刑の執行が行われた。これも大きなニュースになった。1995年の地下鉄サリン事件当時、私は留学先のイギリスにいたが、欧州のメディアでも大きく取り上げられていたことは鮮明に覚えている。そのため欧州の人々も、今でも事件をよく覚えているだろう。
そこでEU諸国は、死刑執行の報に接し、被害者への同情を表明しつつ、死刑制度への反対を表明し、つまり死刑執行を批判した。
違和感が残るのは、EU諸国の動向を伝える記事に「戦後最大規模の死刑執行、世界に衝撃 非人道的と批判も」という題名をつけるときの「世界」という概念の使い方だ。https://www.asahi.com/articles/ASL766R87L76UTIL055.html?iref=com_rnavi_srank
「世界」ではなくて、「欧州諸国」だろう。
7月6日、大雨災害とオウム事件死刑囚の死刑執行と同じ日、「リンちゃん事件」の犯人に「無期懲役」の判決が出された。ベトナム人のご両親は、死刑判決を求めて署名運動をしている。http://partime.biz/shike/ 欧州諸国が「世界」であって、ベトナムや日本は「世界」ではない、ということはない。
もちろん世界の半数の国々で死刑制度は廃止されている。それに加えて、心情的に廃止に近く、事実上の執行停止をしている国々も多い。とはいえ、欧州以外の地域では、対応は分かれている、という言い方もできる。イスラム圏で死刑制度が廃止になる見込みはない。
私自身、平均的な日本人とともに、死刑制度を容認する気持ちを持っている。だが「世界」に反しているとまでは思わない。そういうふうに単純に世界を「白黒」で分けるような問題ではないのだ。
欧州に行けば、死刑制度廃止は、常識である。私は、そういう欧州人が嫌いかと言えば、そんなことはない。欧州人は付き合いやすいし、欧州は住みやすいし、今は日本より豊かだ。欧州には、実力がある。ワールドカップもベスト8から欧州勢だけになってしまった。寛大な移民政策と自由主義社会の魅力のなせるわざだ。価値観の共有は、統合力のある欧州の強さの源泉だと言ってもいい。
私は死刑廃止論者ではないが、アムネスティの会員である。死刑廃止の点だけをとって、アムネスティの行っている素晴らしい活動を否定するのは、馬鹿げている。というか、死刑を容認するからといって、死刑廃止論者の意見を劣ったものとみなすのは、馬鹿げている。人間の命を奪う行為に、単純な黒白があるはずがない。
死刑廃止論というのは、実は、「終身刑」導入論のことである。「死刑」の代わりに「終身刑」を課すべきだ、というのが、実は欧州諸国における死刑廃止論と呼ばれている思想のことである。どちらがいいのか。よくわからない難しい問いだと思う。
問題なのは、議論の構図そのものが日本ではよく理解されていないことだ。日本の「法律家共同体」は、議論を深めるために、努力を払っているだろうか。「世界」は死刑廃止なのに、日本は「世界」から外れている、ただし「法律家共同体」だけは「世界」と一緒にいる、といった話になっていないだろうか。
日本国憲法はフランス革命によって成立した、護憲派であれば「世界」と一緒だ、改憲派ならナチスの再来だぞ、みたいな話に持っていこうとしていないだろうか。
日本には「終身刑」がない。結果として、大きな矛盾を作り出していることは、周知の事実だ。「無期懲役刑」では、実際には、30年くらいすると、仮釈放されてしまう可能性がある。理論上は、更生の可能性があるから「無期懲役」なのだが、実態としては一人の殺人だけだと死刑にならずに「無期懲役」になる、という習慣になってしまっている。
殺したのが一人か、二人か、という機械的な算術で、「無期懲役」と「死刑」の差に振り分けるのが、日本の「法律家共同体」の「良識」となっているのだ。はっきり言って、優れた習慣だという気はしない。
憲法9条をめぐる「法律家共同体」の「良識」と同じである。何のことはない。同業者だけの内輪で談合のように習慣を決め、その習慣から逸脱する者には人事上の不利益という制裁を加えるという仕組みで、司法界だか学界だかの権力構造を維持し、権力者が権力者のままでいられるようになっているだけだ。
だが実態としてそういう習慣もあり、日本で死刑制度を廃止するのは、難しい。まずは終身刑を導入してみたら、大きく変わるところもあるだろう。「無期懲役」が減るだけでなく、「死刑」も減るはずだ。死刑制度を廃止する前に、実態として死刑判決を減らすことができる。とすれば、「死刑廃止」と叫ばず、「終身刑導入」を着実に説明してみたらどうか。
実は憲法9条も同じだ。まずは9条を廃止にしなくても、「世論に沿った良識」を働かせて、憲法制定趣旨にそった運用または解釈確定のための改憲をすればいい。つまり自衛権の行使を認め、その行使主体の合憲性を明示する国際法に沿った憲法の運用または解釈確定をすればいいのだ。
しかし、「法律家共同体」の「良識」は、そういうふうには働かない。「法律家共同体の良識」は、そういう柔軟対応を認めない。「護憲派」ではないとなれば、もう即座に「ナチスの再来」「ヒトラーに酷似」「戦前の復活」「いつか来た道」、要するに「軍国主義者」か「三流蓑田胸喜」、せいぜい「従米主義者」だと糾弾し、全否定を加えなければならない。
以前にも書いたことがあるが、法律家の方が率先して「I respectfully disagree」と言ってくれる社会にはならないものか。http://agora-web.jp/archives/2029005.html
コメント
コメント一覧 (107)
評論もエッセーもただの「私小説」の類ではないか。日本の人文系の評価システムがおかしいのだろうか。
オウム事件は昭和40年代の浅間山荘事件など過激派と同じような原理だと見ている。基本的には狂ったイデオロギーと狂った宗教は同一だ。人生観や社会観に格闘し悩んで正義感も強いような人間がはまることが多い。その結果、彼らにもたらされるのは社会常識の破壊と社会への強い不信感だ。そして聖化した目的のためには手段を選ばないという冷酷性も合わせもつ。
マスコミやメディアの統制で社会全体に閉塞感のただよう時代だった。今の時代にはあまり考えにくい。現代はネットのなかで個人が漂う時代なので、こういった集団的犯罪が生まれる可能性は低いと思うが、社会へのむちゃくちゃな筋違いの恨みをためこんで無差別殺人に走る狂人が個々に発生する恐れは今後も高い。米国では銃乱射、日本では新幹線や女子供が狙われている。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html
当時の文部省はよく頑張ってこれを書いたと思う。しかし「戦争の放棄」の項は醜い。国家の安全保障について完全に思考停止。自ら考えることを拒否して外国に身をまかせると宣言したも同じ。当時の中学一年生は今と違って一生けん命勉強した。これが教科書に使われて、親も熟読した。
「これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです」
戦中は、子供までお国に奉公するようにと学徒動員させたりしたので、180度転換してしまった。それは実に気の毒だと思うが、そういう転落した心理につけこんで、さも「日本国民が恒久平和の理想をつかんだ」かのごとく印象操作したメディアや知識人は悪質な偽善者である。
偽善者の筆頭は共産主義者や社会主義者たちであり、彼らが軍隊を拒否した真の理由は「軍隊があれば革命を起こしたときに即座に鎮圧されるから」であった。(日本共産党などは、日本が共産化したとき軍隊ないのは困ると思って能天気に軍隊復活を唱えたこともあった)
篠田英朗氏の「集団的自衛権の思想史」を初めてざっと読みました。私は技術屋なので普段はこういう本をほとんど読まず、ネットで政治問題を思索するだけで、篠田氏の大方のお考えもブログで知りましたが、今回拝読して1991年の湾岸戦争が大きな要素となっていることが改めて印象深く感じました。
細かい話は忘れましたが、湾岸戦争の日本の行動を反省する宮沢首相がカンボジアPKOで文民警察官が死亡したときに、当時の河野洋平は勝手に内閣内の調整を行って「日本がカンボジアから撤退することは日本人の世論の総意」と宮沢に伝えますが、宮沢は「これを撤退させては日本の国際評価は地に落ちる」と河野の提案を毅然と拒絶します。
あの時代には河野洋平に共感する自民党政治家がそれなりにいたのです。でも今の時代は当時の宮沢首相の感覚をもった政治家が自民党では完全に多数派になっていると思います。こういった種を撒いてきた結果、今の日本があるので、今後も見識ある政治家や学者に期待しています。
それも一つの見解であろう。しかし、現在の日本で人権派の弁護士などによって主張され、国内のアムネスティー支部によって主たる理念として前面に押し出されているのは、仮令いかなる理由があっても、「人が人の生命を奪う殺人」と基本的に変わらない、残酷で「前時代的」な刑罰である死刑は、重大な人権侵害につながりかねなず、許されない、という人道主義的見解だろう。アムネスティがギリシア語のἀμνηστία(amnēstia=忘却)に由来し、一般に恩赦や特赦を意味することは承知している。現在の高度化した文明社会においては、罪は裁かれる以上に、赦されるべきものなのだろう。
それもまた、一つの見解であろう。この理念に基づいてEU加盟各国は、死刑制度を廃止している。廃止に代わるものとして終身刑がある、という論理はそれなりに説得力がある。死刑廃止の是非は措いて、わが国でも充分に検討されてよい。政治家や法律関係者の怠慢は許されない。最新の知見に基き、死刑の抑止効果も再検討する余地はあろう。
私の個人的見解は、人の生命を無条件に至高の価値とする世の「良識」と鋭く対立する部分(人命尊重は倫理的要請に基づく仮構の論理)があるので一言で言うのは難しいが(6月13日コメント21~22参照)、正当な法的プロセスを経たものであれば、所詮この世の裁きの一種である死刑に反対しない。
新聞人に限らず、メディア関係者は独立した思考が苦手だ。よく言えば禁欲的だ。第一、一々疑問を感じて立ち止まっていては仕事にならないくらい、多忙だ。だから、表現や用語選択、論理構成は勢い一定枠内でパターン化する。記事に「自らの思考の痕跡」、つまり独自色を滲ませるのは編集委員か論説委員になってから、というのが不文律だ。私もルーティンワークの範囲ではそう指導してきた。しかし、今回の問題は質が違う。最近は編集委員にもお調子者の妙な跳ね返りがいて、陳腐な正論ならぬ俗論を巻き散らかしているが、事態は深刻だ。
「暴走の闇 私たちと無縁か」と題した元編集委員の社会面コラムも、「驕慢な支配者を〈神〉とあがめ、同調して〈先兵〉の役割を果たしてしまった罪を問われ、その道連れにされるかのように死刑が執行されていく弟子たち」と、何やら教団内部の教祖と使徒の物語を紡いだかと思えば、救済を求めた弟子たちの凶行を「権威、権力の前にひれ伏し、自分たちに逆らう者、気に入らぬ者は力でねじ伏せようとする精神の荒廃。民主主義の後退。戦争の記憶の風化……。」と悲憤慷慨。安倍一強批判と同じ論理で、ナイーヴに宗教にも民主主義を求める思慮のなさ。いい加減、頭を冷やしたらいいと思う。「貴殿には麻原の根源的悪は永遠に理解できない」と疑いもなく言える、愚鈍で陳腐、凡庸かつ退屈極まる作文に、憐れを催し、居たたまれなくなる。
同じ「日本的思考停止型集団」、立憲デモクラシー会のメンバーが、どんな所感を公開するか、見ものだ。
会社員の方のコメント10の「あたらしい憲法のはなし」、を執筆されたのは、東京大学法学部の憲法学の教授であった宮澤俊義さんです。
それで、私は、この前の白井聡さんについてのコメント38に、樋口陽一教授と書くべきところを、宮澤教授、と書いてしまったのですが、要するに、「国民安保法制懇」、という、日本国民の了解もなく、勝手に国民という名前を使っている「法律共同体」の方々は、安倍首相の私的諮問機関の「安保法制懇」の「法律共同体」の方々と違って、丸山真男さん譲りの左翼系の考え方の持ち主で構成されているのです。
そして、「国民安保法制懇」の方々の手法で、日本国民の安全保障ができるのか、国際社会の平和を構築できるのかを、私は訝っているのです。
http://www.kadotaryusho.com/blog/index.html
立派な人格者であったそうです。
私の家系には法律家が比較的多く、祖父は法学部を出て法律の本を書き、その兄弟にも大学の法学部長を勤めたりしていた人がいて、毎年年賀状が来ていた。
私もその影響で、高校生のときはなんとなく法学部を希望していましたが、母親が「法律家は人を裁くのが仕事。それは虚しい」とぽつりとつぶやくのを聞いて、結局進路は得意な理系を選択した。その後は法律に興味をもったこともないが商法だけは独学で勉強した。
祖父は金融系の法律に通じていたようでしたが、憲法改正やら憲法9条の話題など実家や親戚で聞いたこともない。真面目な日本人は豊かな社会をつくるために法律をどう応用するかに心をくだいていたので、憲法9条をどうのこうのと考える余裕はまったくなかった印象がある。だからといって非武装平和を理想化していたわけではなく、公開討論などをして国民間で真摯に討論していたら憲法9条改正の必要性は彼らもきっと理解してくれたと思う。
「水母の風向い」という諺がある。努力しても効果がない、ことの譬えである。小学生のころ、釣り船に座って「ブルーとグリーンのいりまじる海を、クラゲがひとつ、また、二つ、流れていくのを、じっと見ていた」と述懐した白皙の政治学者がいた(「水母の風向い」、『文明の作法』所収、中公新書)。のちの京極純一である。
東大政治学科卒で堀豊彦に師事した。永井陽之助と同じ1924年生まれの同門で、当時の政治学研究室には丸山真男も助教授(政治学政治学史第三講座)として在籍していた。二人とも丸山の弟子筋でもあるが、資質は全く異なる。京極は思想史的分析から出発した丸山と異なり、緻密な理論モデルを駆使して実証的な分析を行う計量政治学を日本で最初に確立した一人だ。論壇で国際政治学者として活躍した永井も本業は近代政治学的分析、特に政治意識論の篤実な研究者だった。
少々長くなるが、「欲と正論、二人三脚」という副題の京極の「水母の風向い」の一節を引用する。論争は、仮象の論理へ退行する相手の欺瞞を攻めるだけでなく、相手の立論の根拠そのものを解剖して解消する知的行為だという視点から。
「その海の色と一緒に、人間の底知れず生臭い欲望の世界と、純粋に無色透明な議論の世界と、二つの世界が心に浮かんでくる。一つの基準を「正しい」ときめ、その下側に、クラゲの傘のような形で正しい議論を作ることは、人間の特技である。この議論は、誰にも透明であり、誰もが参加でき、討論によって、誰もが助力することができる。議論の世界は無色透明に「民主的」である。しかし、その「正しい」議論が次から次へと生まれても、そのままでは、クラゲのように、漂うほかない。議論には生身の体も文明の利器もついていないから、風向いができない。議論の発展に参加するひとが、その実現に、体をはって、尽力すると限らないこの世である。」
前回(コメント109~113)、冷戦終結によって幕を開けた新しい時代の劈頭を飾った湾岸危機とそれに続く戦争への日本の対応や戦後五十周年を受けて、文芸評論家の加藤典洋が問題を提起した「敗戦後論」(『群像』1995年1月号、のちに『敗戦後論』所収=97年)をきっかけに起こった論争、いわゆる歴史主体論争について、書いた。さらに加藤が問題を言語レベルで掘り下げた『可能性としての戦後以後』(99年)を上梓し、「民主主義とナショナリズムの閉回路」を多面的に論じた際、戦後の日本特有の人格分裂の心理構造、いわゆる「ねじれ」の感覚について、「失言と癋見(べしみ)─「タテマエとホンネ」と戦後日本」(『思想の科学』95年6月号)という論文に着目し、加藤を祖述する形で、日本人の意識構造をソフトに支配する「タテマエとホンネ」の構造を明らかにした。
加藤への反論の代表として、経済学者間宮陽介の『同時代論』に言及したが、今回、もっと広範な問題を取り上げた哲学者高橋哲哉の『戦後責任論』(講談社、99年)を分析、批判する前に、篠田さんと憲法学者との論争にならない論争の構図と、加藤─高橋の構図を比較してみることで、真の論争を阻む日本的な思考の退行現象、つまり、護憲派に象徴される進歩派識者の頽廃について、改めて考えてみたい。
それは、クラゲのように浮遊する戦後憲法学の自画像となるだろう。
たとえば
・護憲派にとっての国際協調とは、
世界に向かって日本の過去の戦争への謝罪と反省すること。
・逆に「安保肯定派(アンチ護憲派?)」にとっての国際協調とは、
節度を保って経済や安全保障などについて世界と協力すること。
前者と後者は必ずしも矛盾するわけではないけれど、それこそ真っ向から対立するように仕向けられてきました。前者への極端な偏重と後者の軽視。連中は後者を軽視していないように見せかけていますが、それも日本の政権中枢の蚊帳の外にいるからです。
私はそれを仕組んだのは狡猾な左翼つまりマルクスレーニン主義者や心情的左派であり、彼らがいわば「敗戦利得者」となり既得権益の中核に侵入したことで、この状態が固定化されてきたという歴史観をもっています。
この悪質な洗脳の結果により、さも「日本が国際貢献することが米国への従属につながる」という風に国民には印象づけられながら、実際は「日本が国際貢献に関心をもたず安全保障にも音痴になることこそが米国への従属につながる」という真実を国民から覆いかくしてきました。
その「敗戦利得者」の「恐ろしさ」「異常性」というものを今回のオウム報道でも垣間見える。ほかでもないTBSの報道である。
TBSは自らの取材がオウム幹部に伝えられて坂本弁護士一家の死につながったにもかかわらず(局も認めて謝罪した)、今回の報道では一切それに触れようとしなかったとのことである。普通であれば、経緯を説明して改めてご遺族に真摯な謝罪をするはずであった。
普段から「日本は、日本人は反省せよ」という輩にかぎって、自分たちの損になることは黙殺して、声高に他人だけを糾弾する。同類の朝日新聞もおそらく紙面で伝えようとしなかったのではないか。そうすると、特殊な電波制度や記者クラブで守られたメディアが、元オウム信者を助けようとした正義感の強い弁護士の情報を教団にもらしてしまって、それが弁護士一家の殺害につながったことを「世界」は知らされないことになる。どこまでも日本の敗戦利得メディアは腐っている。
あのさぁメルケルは移民全部強制送還開始したし
その結果今、欧州内で押し付け合いになっているよね
メルケルさんは、東独出身のキリスト教民主同盟(CDU)の政治家です。ワイツゼッカー元大統領と同じ党です。
旧東独民は、統合で、西ドイツから多大な経済的援助を受け、社会主義政権の時より、自由を得、経済的に裕福になれた、
という気持ちが強いから、メルケルさんは、難民を受け入れようと、非常に努力されてきました。
けれども、その旧東独では、東欧も、それに反発するようにネオナチ的な
政党が勢力をもった。そして、ドイツでもメルケル政権は過半数が取れなかった。
SPD(社会民主党)の協力をようやく取りつけて大連立を作り上げて、今日があります。
ところが、私のいたミュンヘンのCDUの友党、CSUのSeehofer党首は、これ以上難民を優遇するなら、内閣を辞任する、
と最後通牒をつきつけて交渉に臨みました。メルケルさんは、折れるしかなかった。
机上論はともかく、現実は、文化が違うヨーロッパ人とアラブ人の共存は、難しいのです。私のいる間でも、学生寮で
起こる問題は、いつも、ヨーロッパ対アラブ、人間の常として、その国に来たからと言って、その国の文化に
100%合わせる人は稀で、自分のルーツ、自分が育ってきた文化を保とうとする。その結果、社会問題が起こる。
日本人だって難しいから、戦前の日本で、上杉慎吉のような理論が、知識人階級に同調者を得たのではないですか。
本来は、戦争をやめ、その国民が慣れ親しんだその国で、文化圏で自立できるのが、一番いいのです。
私の育った家庭は、実業家であった祖父と祖母、京大哲学科を卒業してサラリーマンになった父、母、私、弟の6人家族だった。
戦争が終わっても、母は、祖父母に仕え、長男の嫁をしていた。法律のことなど、家族中興味がなかった。
父が祖父に論争を仕掛け、祖父が「お前は苦労が足りない。私は論争は好まない。」で終わることが常だった。
私の留学中に健康そのものだった祖父が突然亡くなり、相続問題が浮上した。それで、私は帰国せざるを得なかった。
私たちの感覚は、戦前のままで、当然私たちの住んでいる家は、祖父母の世話をした両親のものだ、と思っていた。
ところが、法律上は、そうではなかった。
その時、初めて、現行の法律を知らなければならなかったのだ、と気づいた。その結果、弟は法学部に進学した。裁判も長年続いた。幸い、裁判官が女性であったので、法律どおりではなくて、母の貢献度をとても加味してくださった。
決着がついたのは、阪神大震災。家が全壊すれば、裁定通り分けられる。
父も後半生、本当に苦労したと思う。
日本国憲法9条、その解釈にこだわるのは、「法律の条文」、その解釈は重要だ、ということが心底わかったせいかもしれない。
と言っても、何のことか分からない向きはコメント13の末尾に着目されたい。批判、検討の対象は、いずれも社会学者の大澤真幸氏と、宮台真司氏。うち、大澤氏は「立憲デモクラシーの会」のメンバーだ。昨日7月8日付け朝日33面の文化・学芸欄で「オウムを生んだ社会は今」という問いに答えている。早速、大澤氏から検討してみる。
大澤氏は「<虚構」>の時代困難より深く」と題して、日本の戦後史は「理想の時代から虚構の時代へと流れてきた」という歴史観に立って、オウムの存在は虚構の時代が極限にきていたことの指標で、「彼らは虚構を、彼らの<革命>に駆り立てる理想として活用した」と分析する。共に非現実的存在である理想と虚構のうち、オウムは虚構をナイーヴにもそのまま理想と読み違え、実現に無批判に突っ走った「アニメの世界を生きているようにみえる」と突き放す。いかにも、社会学者が好みそうな安直な事後説明だ。そもそも、議論の前提となる理想と虚構との厳密な概念規定が欠落している。そう指摘されたオウム信者も「? そうなんですかぁ」というレベルの一見知的な戯言にすぎない。
「偽善的な理想をことごとく拒絶する真に崇高な理想」を掲げ、「トータルな破壊を組み込んだ妄想(虚構)が世界最終戦争<ハルマゲドン>であり、破壊力の源泉が最終解脱者の麻原彰晃」と言い切る。私は、アニメやコミックの類は全く読まないが、何も知らない学生相手だとそうしたハッタリで受けを狙うのだろうが、もっと着実な分析を心掛けたらどうか、とつい余計な心配をしてしまう。もっとも、大澤氏は今年還暦だから、もはや後の祭りだろうが。そう言えば、彼の別立ての壮大な歴史哲学も中国の「易姓革命」を論じる姿を以前見て、その大風呂敷に驚いたことがあった。他愛ないが、商売ネタなのだろう。
そうでないと、「今日オウムのような集団が現れないのは、誰もが、近い将来ほんとうに破局が訪れ得ると知っているからだ(中略)現状のまま続ければ、日本は、地球は破局的結末の到来を避けられない(中略)福祉制度の根底的破壊か、極端な格差か、核戦争か、生態系の破壊か(中略)かつて一人の妄想だったことが、今や、万人の予想のうちにある」。麻原に対抗して預言者にでもなったつもりらしい。こういう検証不可能な盲説こそ、学者の頽廃そのものであり、麻原が体現する途方もない悪意への思考としての対抗重量とならない、 浮遊するクラゲの如きインテリの言説の象徴である。
宮台氏は「日本的な構造の反復 いまも」と題して、オウムの叛乱は、一連の事件を起こした教団幹部が高学歴の一見して「エリート」だったが、時代状況の変化で「かつてと違って、<努力>して貧しさを克服するといった社会の中での地位上昇によって解決できない<実存>の問題を、どう解決するか」を迫られた結果だと言う。オウムは「社会的な地位達成では埋め合わせられない実存的な不全感を、宗教によって埋め合わせ、まじめな若者を引きつけた。単なる生きづらさを<ハルマゲドン>に象徴される<世界変革>で解消しようとした短絡にこそ特徴」があるとする。
「実存」という手垢にまみれた哲学用語の不用意な使用も気になる。かつて、第二次世界大戦で傷ついたフランス人の絶望の表現であるとされ、「信仰、家庭、友、生きる目的をもたぬ人間の世界観」に応じるものとされたサルトルの実存哲学。最近でも前期の主著『存在と無―現象学的存在論の試み』が浩瀚な文庫本として復刊されたように、〈実存〉は古ぼけた時代錯誤の概念でないことは分かる。
しかし、サルトルが説くように、根本的に偶然的な、説明しがたい、不条理極まるものである存在者の「現存在」の根拠は存在せず、神によってしか説明不可能なのに頼みの神は存在せず、結局、「現存在は存在者の本質に先行する」。そういう世界に生きて、どうしたら人間は知性に基づいて認識する自由な主体でいられるか、過去によって規定された主体が、過去をいったん無化し、未来に向かって自己を根本的脱自として投企(pro-jet)する。
ついでに言えば、ドイツの代表的な実存哲学者ヤスパースの説く実存は、私が私にとって自らの客体(他者)にならない限りにおいて、私自身がそれであるところの存在=実存である。生きている以上、人は至るところで乗り越えるのが困難な限界にぶつかる。この限界が存在そのものであり、この突破に向けた行為のうちに実存は宿り、限界状況(死、苦悩、闘争、責任)において、歴史的認識や自由、他者との交わりにおいて存在と出会う。ヤスパースの実存哲学を一言で表現するなら、それは「挫折において存在を経験すること」にほかならない。
現代社会を覆う「実存的不全感」は、なにもオウムに走った者だけに限らない、現在を生きる者に共通する精神状況であり、社会学者の発見でもない
最後に、現在の日本のメディアはもとより、進歩派の学者や知識人の現代社会の分析、診断がいかに当てにならないかを考えてみたい。今回取り上げた二人はまだまともなほうかもしれないが、両者に限らず、どうもメディアに登場する識者は見立てを誤る。なぜなのか。現代の学問は、外国由来の専門用語、知の技法という衣装をまとって、良くも悪くも「あまりにも学問的」にすぎて、現実世界に対する瑞々しい感覚を欠いているからか。学問は何も、世界標準のリベラル・デモクラシー的価値観や若者が愛好するサブカルチャーに気を遣うことでもない。マルクス・レーニン主義に幻滅して、御本尊を初期マルクス、あるいはトロツキーに先祖返りさせることでもない。
もっとも、以上のことは学問自体が一定以上の水準を保っていることを前提としており、明らかにそうではない白井聡氏の『国体論』のような小児病的パンフレットを見るにつけ、「立憲デモクラシーの会」にも、その名分とは異なる、学問の名を借りた仲間内の政治的合意と制度化された業界利益の保守を自己目的化した、学問にあるまじき悪しき権威主義的な党派性を痛感する。
篠田さんによって抉り出された、戦後70年以上も惰眠を貪って独自のガラパゴス的進化を遂げ、<芦部信喜>を読んだこともない安倍首相の九条加憲案という一撃で硬直化するという知的頽廃は、憲法学界にその典型が見られるように、克服されなくてはならない課題だ。
学問の原点である次の言葉を噛みしめたい。
πάντες ἄνθρωποι τοῦ εἰδέναι ὀρέγονται φύσει.(「すべて人間は、生まれつき、知ることを欲する」=アリストテレス『形而上学』)。
まぁ、いいけど。「メルケルは移民全部強制送還開始」て、どこで聞いたか、読んだか知らないけれど、本当にそう思ってんの? ドイツに限らず、「寛容な」移民政策でこれまで多数受け入れてきたからこそ、その反動として一部に移民排斥の世論も巻き起っているというのが、現時点の欧州の基本的流れじゃん。シリア難民の急増も手伝って、最近の各国の対応に足並みの乱れがある訳で、それがすべてではないよね。分かってる? 最近の動きだけ見て、しかも、移民ではなく難民の受け入れ動向の変化から、貴君(貴女)は何かとんでもない勘違いしてるよねぇ~。篠田さんが言ったのは移民だよ。難民と勘違いしてない? ニュースはよく読もうョ。くれぐれも。
親切ついでに教えてあげる。 『EUにおける共通移民政策の現状と課題~海外調査報告~』(和喜多裕一=「立法と調査 2009.6 No.293)というリポートがネットでも読めるから、どうですかお試しに。そこでは、27カ国の移入の純計で2003年は200万人超、2007年も180万人超であるのが分かるョ。2000年以降、急速に増え、多少の変動はあっても、常に150万人を超えてる。これはさぁ、経済移民がEU経済の競争力を高めることを目指し2000年3月に採択された「リスボン戦略」の影響だってサ。近年、EU各国は単純労働力としての移民の受入れを制限する方向に動いているけど、豊かな欧州で働きたいという途上国の人々の希望は今なお根強いんだネ、それが不法移民を生み出す要因にもなってる。
欧州統計局の推計では、欧州では2010年から死亡数が出生数を上回り、移民による人口増加を含めても2025年以降は人口が減少に転じるそうだよ。あっちも大変だ。少しは、分かった? じゃあ~ねェ~。
ただ、東京で、地下鉄サリン事件まで起こすまでの巨大化を許した日本の統治機構に問題がある、と思う。オウムはナチスに近い。ヒトラー総統にナチス党員が忠誠を誓ったように、麻原彰晃にオウムの信者が忠誠を誓った、と思うのである。ナチスにも高学歴者は、いた。ゲッペルス宣伝相は、哲学の博士号まで取っている。
人間には、迷いがあり、救いを求める。まともな宗教に救いを求めれば、いいが、大学に勧誘に来た布教活動にのって、ためしに、とその団体の会にゆき、入信し、出家して、毎日、毎日、カルトのビデオを見せられ、真実と嘘とをないまぜにして洗脳されると、人間は、嘘を含めて真実だ、と思い込んでしまうのである。それもヒトラー・ゲッペルスのやり方に似ている。
ドイツでは、ナチスの反省にたって、戦う民主主義、を志向し、民主主義を壊すような団体の政治活動を許さない。日本では、共謀罪の法案一つにしろ、個人の内心の自由を侵す、と猛反対する憲法学者がおられるが、普通に地下鉄に乗っている市民の生命を危険に晒してまで、オウム信者の人権を尊重する意味がわからない。サリン事件の際のマスコミの報道で一番違和感を覚えたのは、被害にあった人の人権よりも、オウム信者の人権を上におく、主張が多かったことである。
この書物は、その後、憲法普及委員会、(1946年12月1日、GHQの指導で帝国議会内設置された日本国憲法を普及させるための会(会長、芦田均))の理事にもなられたジャーナリストの山浦寛一さんが日本憲法についての解説されたものであるが、当時の内閣総理大臣、吉田茂さん、憲法問題担当の国務大臣、の金森徳次郎さんの序がついている。金森さんの序によれば、改正憲法の議会審議にあたり、GHQの草案に対して百余日にわたって両院の有力な議員が論議を展開されたそうである。
9条の解説を読むと、この条文では、自衛権の放棄、つまり自己防衛の方法がないではないか、という誰しもが感じる疑問が出たそうである。その疑問に対して、日本が国際連合に加入する場合を考えるならば、国際連合憲章51条に明らかに自衛権を認めており、安全保障理事会は、その兵力をもって非侵略国を防衛する義務を負うのであるから、・という回答がつけられている。
朝鮮戦争時の安全保障理事会は、その役目を果たせたが、現在は対立の構造で難しい。ただ、9条は、国際法的な見方(自衛権を認める)観点から制定されたものであり、カントの定言命法の観点ではない、ということは、はっきりわかった。
例えば、岸内閣の日米安保条約の反対闘争にしろ、中身、ではなくて、進め方が強引だ、ということで、反対運動が盛り上がったそうであるが、今の安倍批判も、「安倍政治の手法は強引である」が大きな批判の一つの柱になっている。
「共謀罪反対」の政治運動をした「テロ等準備罪法案」の時も、「戦争法案」と名付けた「平和安全法制整備法」、これは9条に関係する、反対運動の時も感じたことであるが、どうして、反体制派の意見ではなくて、その法案の真の姿を国民にわかりやすく解説した上で、国民に判断させようとしないのだろう?本来は、それが、「民主主義国家」のジャーナリスト、マスコミの役割なのである。批判、糾弾ばかりしていても、真実には到達しない。独裁国家、例えば、「共産主義国家」、「国家社会主義国家」は、マスコミを洗脳の道具に使用するが、日本の今のマスコミのやっていることは、反体制の政治の道具になってしまっている、ように思える。
「それゆえ、この場におられる戦死者のご両親である諸君に哀悼の意は発するまい。それよりも私は慰めと励ましの言葉を贈ろう。なぜならば、この世の運不運の転変限りないことは、既に経験によって学んだはず。幸運とは今ここに眠る勇士たちのように、このうえなく立派な最期を迎えることであり、あなた方なら今この輝かしい苦しみをもつことこそ、それなのだ。戦死者たちは、生前も幸福というべきだったが、また等しく生の終わりも、それに見合う立派なものだったのだ。むろん私は知っている。こう言ってもすぐ納得してもらうことは(πε'θεινと読む)、難しいということを。特に諸君がかつての自分たちの喜びを今後は他人の手の中に見出す時、諸君は幾度となくその思い出に悲しむであろう。苦痛は自分が経験したこともない善が欠けているからといって生ずるものではなく、自分の日ごろ親しんでいたものを奪われる場合に生ずるのである。しかし子供をまだもうけられる年の者たちは生まれてくる者への期待こそ力とすべきだ。そしてこれは個人的なことだけれど、国家(ポリス)にとっても二重の利益になるだろう。国に住民がなくなることも防がれ、安全を期することもできるからだ。なぜなら、わが子をほかの人と同じように危険にさらすことをしない人間が国事を議するのは、平等と正義に反することになるからだ。しかしまた、既に子供のできる年ではない諸君は、これまで仕合わせにしてきた人生の大部分を、一つの利得と考えてほしい。これからの悲しい人生は、もうそう永くはないだろう。この勇士たちの誉れ高きをもって、心の重荷を軽くするがよい。なぜなら、誉れを求める心だけが老いを知らないからだ。人も言うごとく、閑居の齢いは利得も名誉ほどには心を満たす足しにはならぬとは、世の人の言う通りだからである。」(トゥーキュディデース『歴史』2巻44節)。
オウムや憲法論議と古代ギリシアの世界大戦とがどう関係しているか、訝かしむ向きもあろうから、少々説明が必要かもしれない。コメント19で予告したように、戦後日本を規定した二大要因である日本国憲法と日米同盟を語るうえで、避けて通れなのが、戦後五十周年を受け、文芸評論家の加藤典洋が問題提起した「敗戦後論」(『群像』1995年1月号、のちに『敗戦後論』所収)の中で明らかにした、戦後「民主主義とナショナリズムの閉回路」、とりわけ戦後の日本特有の人格分裂の心理構造、いわゆる「ねじれ」の感覚について考えるうえで、古代ギリシアの事例が参考になると考えるからだ。
古代アテーナイの最上の政治家ペリクレスの視点から戦後を逆照射する形で、思考停止状態が深刻な憲法論議の不毛、そのことが原因となって真のリアリズムに立脚した冷戦後の新たな安全保障論議や国際平和構築をめぐる論議の進化を阻む、戦後日本特有の精神構造を明らかにしたい。
そう大風呂敷を広げた形だが、今回は加藤を批判した哲学者高橋哲哉の『戦後責任論』(講談社、99年)を分析、批判する形で、問題の一端を解明したい。それは同時に、先の大戦での挫折と敗北が、戦争と平和をめぐる日本人の論理と心をいかに歪ませたかを、広く世界史的、文明論的観点から検証する一つの有効なアプローチにつながると信じる。うち今回は、加藤の「ねじれ意識」の原点ともなった日本人の戦死者への追悼のねじれ構造の特異性をアテーナイとの比較で論じたい。
極端な直接民主制国家であるアテーナイにあって、常に反対勢力の激しい攻撃にさらされながら、文字通り鋼鉄の意志で民衆を叱咤激励して戦争指導にあたったのがペリクレスだった。自ら立案した政策と戦略を説得力に富む論理で推し進めた、卓越性という点で当時望み得る奇蹟的な人物であった(田中美知太郎『ツキュディデスの場合』)。そして、開戦後二年余でこの強力な指導者を失ったことでアテーナイは迷走し27年に及んだ長期戦の末に力尽きた。
ところで、アテーナイの帝国主義支配という時の支配=アルケー(ἀρχή=archē)は文字通り「始まり」の意味だが、「支配」の意味をもつようになったのは、始めにある第一者と「支配」する者との重なりから出たとされる。ラテン語を充てるならprincipatus またはimperium ということになり、今日でいう「帝国主義」につながるわけだが、アテーナイのギリシア各国への支配の構造を近代の帝国主義(imperialism)と同一視したり、これをローマ帝国の世界支配に重ね、さらに冷戦後の米国の一極支配に無批判に拡張する見解が左翼陣営などに根強いが、imperialismという考えを表すギリシア語はない。Imperiumは首長である第一者の主要な役割である「命令」を意味しており、一方アルケーというギリシア語は、今日われわれが頻繁に使うヘゲモニーの元の言葉であるヘーゲモニアー(ἡγεμόνεια=hēgemoniā)に置き換え可能だ(田中前掲書)。
「何の故に私は国家(ポリス)について、かくも長く語ったのか。それは、以上に述べたような恩恵に等しくあずかることのない国々の人間とわれわれとでは、この勝負に賭けているものが、同価値ではないのだということを知ってもらうことにもなり、また同時に私がこの人たちに捧げようとしている誉め言葉を実際の証拠によって明白にすることにもなるからだ。そしてその誉め言葉の最大なるものは、以上において既に言われてしまったことになる。なぜなら、この国家について私が讃美したものは、この戦死者とかれらと同じように行動した人たちとの徳と武勇が、よってもって国家の飾りとしたものにほかならないからである。」(同『歴史』2巻42節)。
さらに続く。 「すなわち、われわれの採用している国制(政体)は、近隣諸国の法制を有難がって、それの真似をしたものではない。他の真似をするよりも、自らを他の規範たらしめている。国政は少数者の意向によるものではなくて、かえって多数者のそれに従って行われるが故に、公民統治(δημοκρατία=民主制)と呼ばれている。しかし、個人的利害の衝突に関しては、何人も法の前に平等であり、各人が何らかの栄誉を得る場合の評価に関しては、家柄その他が個人の実力よりも公に優先させられるようなことはない(「つまり各人の得る声望に基づき、それに従って階級によらず、能力本位に公職者を選出する」=筆者補注)。そして国家に何らかの寄与をなしうる者あらば、その貧しきがゆえに名もなく朽ちることはない(続く)」。
なお、通常、民主制と訳されるデモクラティア(δημοκρατία )を、敢えて聞き慣れない「公民統治」としたのは、ペリクレスの意図するデモクラティアは、すべての市民が法的に平等の権利をもつと同時に、有能な市民がすべての市民によってすべての市民から選出されて公職に就く側面を指しており、近代「民主主義」が想定する国民主権とはニュアンスが異なるからだ(『歴史』の訳者小西晴雄氏による)。
時代背景も民主主義の形態も現在とは異なり、単純な比較は慎むべきだが、アテーナイの経済的繁栄と哲学や数学を中心にした学問の勃興、演劇や美術、建築など多彩な文化の同時的発展を思えば、それが民主制が保障した自由で開放的な市民生活の成果だったのが分かる。一方、排外的で軍事訓練に明け暮れたスパルタのような専制国家が文明発展に何ら貢献していない。雄渾な演説の向こうに、民主制を貫く背骨ともいえる、ギリシア人の強靭な思考力が垣間見える。
このことが如何に日本の制度化された既得権益集団である「法律家共同体」、その典型である戦後の憲法学界の知的頽廃と対照的かを改めて痛感させる。それは保守政治家の危機意識に応じた政策展開によって事実上乗り越えられてしまったが、今なお、国民の直截的認識を阻むベールになっている。
高橋氏はフランス思想、文学への関心から哲学研究を本格化させ、大学院時代は坂部恵に師事した型通りの秀才で、私と同い年(1956年生)だ。立憲デモクラシーの会のメンバーで、『デリダ―脱構築』(「現代思想の冒険者たち28」)など専門分野の啓蒙書に加え、『記憶のエチカ』、『逆光のロゴス―戦争・哲学・アウシュビッツ』などは師譲りの文学的タイトルの論文集、他に端的に『靖国問題』(仏訳あり)、『犠牲のシステム―福島・沖縄』、編著『ナショナル・ヒストリーを超えて』、『法と暴力の記憶―東アジアの歴史経験』など、イデオロギー色(歴史修正主義批判、反基地・反原発)を前面押し出した著作も多い左派的知識人で、本人はラディカリスのつもりかもしれない。
『戦後責任論』は著書の帯に「ナショナリズムを超えて」とか「」日本人は他者たちの声を聞いたか」とあるように、自由主義史観や加藤氏の『敗戦後論』に代表される「知識人ナショナリズム」を、高橋氏による欧米直輸入の「応答責任」論から全面的に批判したものだ。論壇で注目を集めたことから、近年は政治的軸足を明確にした論客として、対論や講演、市民運動にも力を入れている。中国や韓国の対日批判についても「歴史修正主義」批判を共有するという留保付きながら極めて親和的で、結果として党派色が際立っている。かつてのノンポリ・ラディカルが政治に目覚めるとこうなる、という現実の政治過程に無知ないし軽視するナイーヴなアカデミズム知識人の典型と私には映る。
ここまで読んで分かる人には分かるように、既に答えは決まった(と高橋氏が思い込む)視点から、加藤氏の問題提起を受け止め、派手な立ち回り(舞台装置)で型通りの論難を展開したもので、相手の問題提起を真正面から受け止める姿勢は希薄だ。
ここまで楽屋話に終始して、恐縮ながら、高橋の加藤典明批判を具体的に検討する根気が尽きてきた。詳細は後日に譲り、駆け足的に問題点を指摘する。
戦前日本の戦争責任を自覚する立場から、戦後の日本人にも普遍的な応答責任があるとして「アジアへの加害責任」という政治責任の承認や戦争の記憶の継承による和解を訴えるが、①その前提となる事実認識に関する判断の正当性については議論を回避②慰安婦問題や国民国家・ナショナリズムへの視点は党派的③憲法問題、特に九条については論議を回避④持論の他者との向き合いがアジアの死者・被害者に偏り、著しく平衡を欠く⑤批判の枠組みが反体制的姿勢をとる〈良心的〉な欧米の思想家、知識人(例えばリオタール)と同一次元にとどまっており中途半端――などを挙げれば充分だろう。
加藤典明はその点、小林秀雄を髣髴とさせる、一切の先入見を排して素手で問題に立ち向かう潔さと誠実さを失っておらず、安全地帯からの議論に終始する高橋とは比較にならない(完)。
そもそも比べること自体に無理があるのかもしれないが、ペリクレスを現代日本の政治家や精神状況の中に置いて見つめ直すこと自体は、精神衛生上まことによい。昨今はネット上でギリシア語原文にアクセスできるので、自分でいろいろテキスト批判を行いながら、論文作成とは異なる自由で気楽な議論を展開することができる。
「ペロポネソス戦史」ともいうべきトゥーキュディデースの『歴史』は古典ギリシア語(アッティカ方言)の文書の中でも、解釈上最も厄介で難渋な代物だが、とにかく味わい深い稀代の名文である。篠田さんや一部の例外的な研究者を除けば、近年の一見緻密のようで実態は海外の最新思潮をなぞった程度の低調な日本人学者の論考やメディア人の粗雑な作文など読む気がしなくなる。
アテーナイの民主制=公民統治というデモクラシーは民衆(δημος)の支配(κρατία)という、直接統治上の一切の権能を個々の市民に委ねるという画期的な国制だったが、一方で単なる人民支配ではなく、ペリクレスを14年続けて将軍(最高指導者)に選んだように、彼自身が国政運営の中軸だった。それが、アテーナイの啓蒙された中産階級の存在も手伝って未曾有の繁栄を遂げた。それは「ギリシア人の奇蹟」として、今なお世界史的な驚異として屹立している。人類はどれだけこの達成に及び得たか、と思うと聊か暗然とする。ペリクレスの理想の背景には、政治上の排他的権利を有した市民団が奴隷制に支えられていたという時代の制約が厳存するのだが、制約の中で可能な限り理想を現実化したのもまた疑えない事実だろう。
ペリクレスやその事蹟を詳細に残したトゥーキュディデース、ソクラテス、プラトンはいずれもアテーナイの中から生まれた。スタゲイラ出身の外国人居留民だったアリストテレスを含め、彼らは我々よりずっと先を歩いている。
▶「悔恨共同体」(はてなダイアリーより)
丸山眞男の用語。道徳的な悔恨を共有?する知識人の集まりのこと。悔恨が弱まれば消滅する共同体なのだが、これを維持しようとすると、復讐心にたよるほかない。池田信夫によると、現在の日本的リベラルは悔恨共同体の残滓であり、復讐心だけで何の対抗軸にもならないという。
(引用終了)
こうした自称知識人の「悔恨」を福田恒存なども批判したが、もっとも辛らつな洞察を示したのは清水幾太郎であると思う。清水は本来、反省や謝罪というものはその社会的地位や名誉を失う覚悟で当事者が行うことに意味があるのであり、反省や謝罪を看板にあざとく自分の売り込みををやる連中に日本国民の模範となるような真の規範性があるのかと疑問を呈した。
要は、この連中の「悔恨」と「商売」である。そして、その商売にケチをつける日本人がいたら集団リンチにかけて社会的に抹殺する。そして、戦後に生まれた日本人を海外の外国人と一緒になって卑劣に嘲り侮辱する。
要は、この連中の「悔恨」と「商売」である。そして、その商売にケチをつける日本人がいたら集団リンチにかけて社会的に抹殺する。そして、戦後に生まれた日本人を海外の外国人と一緒になって卑劣に嘲り侮辱する。
44は間違って二重投稿しました。
再び京極純一氏に登場願う。同じ『文明の作法』所収の「俄か雨と女の腕まくり」。副題は「当世政治家二つの鬼門」で、台風などを除く大雨被害としては戦後最悪となる多数の死者、被害を出し、現在も進行中の今回の西日本豪雨。それこそ、俄か雨とは言えないが、諺の趣旨は、文字通りすぐ止むものであり、だから怖くないことの譬え。気にせず遣り過ごせばすべて円く収まるという庶民の知恵だが、西日本13府県の場合は、まさに想定外の惨事となった。
政治家の鬼門というくらいだから、治山治水は政治(まつりごと)を預かる者の最も須要な役割だという教えに加え、文明の進歩とともに、被害がより甚大になる側面が今回の豪雨被害でも露わになった。腰の定まらぬインフラ対策への頂門の一針だ。
「昔、<俄か雨と女の腕まくり>はすぐやむものであり(中略)気ニシナイ、気ニシナイ。どうやら、今は違っている。(中略)特に政治家の鬼門のようである。(中略)文明も日進月歩して、日本のあちらこちらに中途半端な都会がいくつもできてきた。(中略)俄か雨がふると、下水がすぐ溢れだし、道路は冠水、住宅や工場は浸水、電車や、時には、列車まで不通、ということになる。(中略)文明が進歩したのである。住民は困るので、有権者として<都市政策の貧困>を訴える。<そんなところにいる方が悪い>などと言えば、議会政治家として暴言である。〈キメの細かい〉施策を看板に、票を集めるために、三割自治のやりくりを考えなければならない。俄か雨がこわいのは都会だけではない。田園も昔の田園ではなく、数時間の集中豪雨が、洪水や堤防の破壊、田畑の冠水や流失、さらには、集落の壊滅や人身事故までもたらすことも、稀ではない。(中略)住民は困り、世論は<天災でなく、人災である>と訴えるので、議会政治家としては(中略)大いに奮闘しなければならない。」
全容が次第に判明してきた今頃になって、メディアが政権党の酒宴を「危機感がない」と非を鳴らしても、それこそ平和ボケの錆びついたジャーナリズム感覚で、被災地に主たる取材力を投入できなかった見通しの甘さ、お上批判は実はお上依存の取材体質の裏返しだということを、端なくも露呈した。危機管理など言えた立場ではない。高校野球が気になるだろう朝日も。
「昔、腕まくりした女のいさかいは、多く、たわいのないものであり、天下国家とかかわることはなかった。今日、文明開化と議会政治のもと、<腕まくり>した婦人有権者の大群が政治に進出し、日本の進路を左右する。(中略)夫の収入と世間の物価との間にはさまれた購買・記録係である。(中略)<腕まくり>して夫をシゴいて収入をふやすか、<腕まくり>して物価戦争に参戦するか(中略)流派によってはおシャモジを立て、デモ・署名活動・陳情・請願・選挙等々、男の世界に乗り込んで、政治的に大活躍を始めることになる。(中略)<女の腕まくり>は日本の政治に数々の戦果を残している。婦人票は<幸福と平和>、<清潔と誠実>の擁護者であり、大義名分の旗を有権者の過半数という数で裏付ける大票田である。俄か雨のもたらす災害は<人災>である。婦人票を立腹させるとほんものの人災になるおそれがある。そして、議会政治の今日、政治家が人災をおそれても、無理のないことである。」
天災と人災は紙一重である。メディアの失態は身から出た錆び=人災である。
丸山真男の青春時代、マルクス主義は、民主主義と共に、欧州から輸入された。そして、マルクス主義者を気取ることは、おしゃれ、モボであったのである。それは、その当時マルクス思想が欧米の先端思想であり、都市のインテリの思想だったからである。洋書や翻訳書をもち歩き、クラシック・レコードをきき、カフェで談話することが彼らの垢ぬけた洋風生活スタイルと連動して輝いたのである(p236)。私は父を思うと、それがわかる。終生、クラシック音楽を愛し、ヘーゲル・カントを愛し、マルクス主義者だった。きっと、そんなインテリが、大学の教授を含めて、知識人に多く、マスコミが丸山真男さんを教祖にまつり上げたことも相まって、彼の使徒が現在も尚存在し、大学教授、という立場を利用した現実離れした「反安倍」主張を繰り返すのだと思う。
けれど、現実の政治は、思想とは違う。現実にマルクス主義で統治された国は、民主的ではなく独裁的だし、表現の自由は極端に制限される。中国の民主化運動の指導者劉暁波(リウシアオポー)氏の妻が、ドイツに脱出した、事実がそれをよく示している。オウムも表面的、思想的にはまるで違うが、独裁で、自由がないこと、従わないと殺されることは、同じではないのだろうか?
それに比べて、キリスト教文化は、常に宗教会議をして、「聖書」とその解釈上なにが正しいかを決め、異端を排除した。そして、普通の人々は、その専門家が決定したものに従わなければならなかった。そうでないと、魔女裁判にかけられる。西暦95年に、東と西にローマ帝国は分割されたので、西欧の人々は、ギリシャと接触がなかったが、11-13世紀の十字軍遠征で、ギリシャ文化に触れ、ギリシャ悲劇に刺激されてオペラが生まれ、民主政治を知った。そして、17世紀の30年にもわたる宗教戦争の結果、正解を一つにすることをやめ、学問の自由、思想の自由、を認めた。日本は、1930-45年だけ、蓑田胸喜などの活躍で、一神教(最近ではオウムも一神教であるが)であったが、その他の時代は、多神教なのだから、日本の政治知識人も、自分の主張ばかり絶対視するのをやめて、なぜ、政治家の安倍首相がそういう主張をされるのか、考えていいのではないだろうか。
彼女の文章を読んで、そのとおりだ、と思った.
日本のマスコミの、微に入り、細に入りの報道、情報量は、すごいが、社会問題を分析するときに、社会心理学的なアプローチが、まったく抜けているのではないのか、と思う。だから、政府の批判はできても、解決ができない。私は、専門に勉強した訳ではないが、ナチスの問題の解明にフロムが使った方法は、そのまま、オウムにも使える、と思っていた。彼女は、そのとおり、その理論を応用しておられ、解決策もあり、とても納得できる。
この方法で考えれば、どうして、1930年代軍国主義が日本で起こったか、70年代に全共闘運動が起こり、高学歴の人々が、浅間山荘事件やリンチ事件を起こしたか、「法律共同体」が憲法9条に関してこれほど頑ななのか、北朝鮮が脅威だ、と思う人がいるのは、なぜなのか、がわかるのではないのだろうか?
ローマ帝国の東西分裂は「西暦紀元95年」ではなく、紀元395年。気づいたら早く訂正するのが知的誠実というものだが、未だにないから気づいていないのかもしれない。帝国分割により西欧はギリシアと接触がなかったかのような議論は、教育が悪いのか、単なる雑識によるものなのか、とんだ謬説である。
例えば、キリスト教の教義をめぐる論争は以後も連綿と続くのであり、頂点となったカルケドン公会議(キリスト論が焦点)は451年で、最終局面のコンスタンチノポリス公会議は553年だ。325年のニカイア以来、二百年以上も続いた。「漁夫と大工の宗教」と呼ばれたイエスの素朴だが革新的な教えが、爛熟した古代文明に接合され、文字通り世界宗教になっていく過程は、ギリシア哲学由来の概念を抜きにしては語れない。プラトンやストア派の概念と体系は教父と呼ばれる教会著作家によって常に意識され、主として三期に及ぶ「精錬」を経て、八世紀末までに教理に最終仕上げが行われ、中世に古代の学問遺産が継承される。
十字軍遠征の影響を言うなら、学問的にはまずアリストテレス(全著作)の再発見のことを指し、「十二世紀ルネサンス」と呼ばれる。もっともそれまで、アリストテレスが全く忘却されていたわけではなく、『哲学の慰め』で有名なボエティウスが、通常『オルガノン』と称されるアリストテレスの論理学関係の著作をラテン語に翻訳・註解して伝え、中世の普遍論争につなげている。
このほか気になる誤りは少なくないが、とにかく、「法律家共同体」やメディアを批判するなら、もう少し入念で注意深い、相手の胸に届くような素人なりの問題提起を心がけてはどうか。憲法論でも政治論でも、見解を同じくする仲間同士のもたれ合いや、単なるエール交換に留まっていてはいけないと思う。
ただ、美学を専攻したものとして、反時流的古典学派さん見解は、とても承服できない。ヨーロッパ文化の捉え方自体が、致命的だと思う。私の専門は、美学で、日本でも、ミュンヘンでも、音楽を中心とする藝術一般を勉強した。 たしかに、ストア哲学は、中世ヨーロッパでもアリストテレスの論理が受け継がれ、その論理体系でキリスト教教義が議論された。しかし、ギリシャ文化、というとギリシャ神話も含むのである。そのギリシャ神話は、エロテイシズムも含み、キリスト教の倫理観と齟齬があることもあって、中世、ヨーロッパの芸術の領域に含まれなかった。中世の芸術は、絵画にしろ、音楽にしろ、キリスト教のものに限られている。
ヨーロッパのルネッサンス、これは、ギリシャの彫刻、ギリシャの劇抜きに語れないものだ。ミケランジェロの裸体のダビデ像、ギリシャ劇を模倣するオペラ、バチカンにある例えば、ラファエロの絵の「アテナイの学堂」は、キリスト教神学と非キリスト教神学(ギリシャ哲学)の調和を意図したもので、プラトン、アリストテレスを中心として、ギリシャの哲学者も描かれているが、元々調和していたものなら、なんのために、このような絵が描かれる必要があるのだろう。
メデイア批判も、アゴラに掲載されている藤原かずえさんのものを選んだのは、観点がほぼ同じであるからである。
これは、篠田さんの批判に対して、制度化された「法律家共同体」の確立した「専門知」の領域に籠城して、まともに反論してこない(「有効な反論ができない」)東大法学部系の憲法学者と同じ姿勢です。そして、学問上の論争が成立しないのは彼ら主流派の憲法学者に加え、篠田さんの問題提起を内心では多としながらも学界内部で沈黙を守り、専門家としての学問良心と矜持、知的誠実に基づき真摯な議論を提起せずに沈黙しているその他大勢の憲法学者も与っています。それが保身によるものか、知的怠慢によるものか(現在の硬直した憲法学界では学問的業績にならないが故に)、たぶんその両者なのでしょうが、それは「和をもって貴しとなす」日本的な美風良俗ではなく、唾棄すべき事大主義的な病弊です。それは学問から最も遠いものであることは明白です。
ヴァティカーノ宮・署名の間の著名な「アテーナイの学堂」は、古代ギリシアの著名な哲学者や科学者が一堂に会しています。それはラファエロが注文主のメディチ家出身の教皇レオ十世の人文主義的(ギリシア趣味的)嗜好に応じて画題を設定したためで、これがもう一つのホメーロスらが登場する「パルナッソス」と一対をなすことからも明らかです。アリストテレスとともに中央左に立つプラトンはレオナルド、右下方でコンパスで図形を描いているエウクレイデス(ユークリッド)がブラマンテの肖像を模しているのはご愛敬です。
ギリシア哲学を神学と呼ぶのは、あくまで比喩的な表現で、通常の「神学」とは根本的に異なります。アリストテレスが『形而上学』で取り上げた議論は、世界の究極の原因(第一始動者=ἀρχή という最高の存在)に関する極めて抽象度の高い議論で、これを後世の感覚で哲学的神学と呼んだとしても、アリストテレスには関係のない話で、キリスト教が対象とする創造者としての超越的存在である神、神の第二の位格であるキリストとは全く異なります。彼の時代、ギリシアには神的存在はあり得ても、神学は存在しません。
そこで使用された論理は、アリストテレスによって完成された仮言三段論法(名辞論理学)とストア派由来の命題論理学を洗練させたもので、どこまでもギリシア的です。正統的な中世神学の言語はアリストテレス哲学であり、哲学者=アリストテレスだったのです。「調和を意図した」というのは、結果的にそう解釈することも可能だ(でも根拠薄弱な)という程度の、如上の歴史的事実を没却したという意味で全くの俗説です。
それが、当初は「女と奴隷の宗教」「漁師と大工の宗教」と侮られたイエスの素朴ですが、破壊的価値転換を迫る教えであるキリスト教にとって本当によいことだったのかどうかは分かりませんが、その後のキリスト教の歩みは、教理における神学と、教会という制度化された布教組織が一体となってヨーロッパという文明圏を根底的に規定し、その精神的支柱になった歴史です。
それは解釈によって変更できない歴史的事実で、例えば、古代末期の神学論争によって西方教会(ローマ教会)と東方教会(ビザンツ教会)が分かれ、さらにその後の歴史的事情で西方教会内部の対立からカトリックに対してプロテスタント勢力が擡頭するという史実であり、加えて、今さら南米各国からスペイン語(ポルトガル語も)を取り去り、キリスト教文化を消し去ることができないのと同じです。ボスニア内戦の背後に、西方教会=カトリックのクロアチアと、東方教会=ギリシア正教由来のセルビア教会によるセルビアの根深い対立があり、それが第二次大戦中のナチスへの対応の違いに表れたことも、その証左です(ナチスに味方したのはクロアチア)。
ラファエロの壁画「アテーナイの学堂」の解釈一つとっても、無知は恐ろしい盲説を再生産します。着実な知識に基づかない推論は唾棄すべき知的怠慢です。
日本人に限らず、多くの欧米人でさえ、ギリシア悲劇や個々の文化的事象を歴史全体のパースペクティヴの中に正統に位置づけることができず評価を誤るのは、最初から無知や先入見によって歴史をみる視点を取り違えているか、真の学問的精神を欠いているか、いずれかでしょうが、わが国の場合、専門家の責任も少なくないと自戒を込めて痛感します。
話を戻せば、キリスト教神学論争のハイライトは、三位一体論や、神の子(聖書では「ロゴス」と規定)イエスの地位をめぐるキリスト論であって、いずれもギリシア哲学の概念に依拠した大論争です。帝国の分割と関係なく続いた論争で、いずれもキリスト教世界(文化圏)である西方教会と東方教会のその後の帰趨、つまり西欧と東欧の基本的性格を規定することになります。これらに共通するのがギリシア哲学の伝統で、帝国分裂による影響は基本的にありません。
連綿と続いていた古代末期のギリシア的な知的伝統は以上で明白だと思います。今日のヨーロッパを歴史的に形成したのがこの二百年に及ぶ論争であり、キリスト教がカトリックとプロテスタントの二大勢力というのは決定的な誤謬で、それは西欧にしか当てはまらず、西ローマ帝国の滅亡(476年)や東ローマ帝国の崩壊(1453年)を経て現在まで続く東欧の一部の歴史は東方教会の歴史でもあるのです。
最後に、専門外の方には分かりにくいかもしれませんが、古代哲学は、実質的にギリシア哲学なのです。ギリシア哲学の歴史がアリストテレス以来の慣習に従ってターレス(紀元前585年ころ)から始まるとすれば、その終末はユスティニアヌス帝の勅令でアテーナイでの哲学の授業を禁止した紀元529年になり、およそ1,100年余に及ぶ長大なものです(禁止令を嫌ってペルシャに逃れ、さらにシリアやアラビア圏に伝播しますが)。その共通語がギリシア語であるのは、ローマ統治下の古代地中海世界の学問上の共通語がギリシア語だったためです。ドイツの哲学史家、E. ツェラーによるギリシア哲学の最も包括的通史が『ギリシア人の哲学』(Die Philosophie der Griechen)と題されたのはそのためです。ラテン語による哲学的思索はセネカやルクレティウス、キケロなどごく一部で、著名な哲人皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』はギリシア語で書かれています。
知識人の共通言語は皇帝に至るまでギリシア語でした。ローマ教会でさえ、第一言語は長らくギリシア語で、三世紀半ばまで典礼の用語はギリシア語でした。教会内部でラテン語による自覚的思索が始まるのはテルトリアヌス(c 160~22/3)以来で、彼はローマではなく属州カルタゴの改宗者です。
ヨーロッパの歴史と文化は複雑で、遠大です(完)。
コメント57(承前3)の冒頭部分「ヨーロッパは古代末期の血で血を洗う神学論争でも、冷徹なスコラ哲学の鋼の論理と体系を軸に、恐るべき階級組織である教会を中心として歴史を紡いできました。」の中の、「冷徹なスコラ哲学の……」の前に、「中世の」を補う。
コメント53「ストア哲学は、中世ヨーロッパでもアリストテレスの論理が受け継がれ、その論理体系でキリスト教教義が議論された」は、「ストア哲学」ではなく、「スコラ哲学」の誤り。筆者の基礎知識の程度をうかがわせる象徴的で、極めて初歩的な誤り。その他の素人らしい気ままなおしゃべりは関知しません。どうぞ、ご随意に。
コメント58の16~17行にある「ラテン語による自覚的思索が始まるのはテルトリアヌス(c. 160~22/3)以来」のうち、「テルトリアヌス(c. 160~22/3)以来」を、「テルトゥリアヌス(=Tertullianus, c. 160~222/3)以来」に訂正します。生没年が推定(c.)紀元160年~222年または223年、という意味です。
神経質なようですが、他を批判する以上、自らの誤りについて、より厳しくありたいと思います。蓋し、「曖昧な正しさより、明白にされる誤謬の方が、学問の進歩には大切」だからです。
序でに、コメント55の8~9行の「アリストテレスが『形而上学』で取り上げた議論は、世界の究極の原因(第一始動者=ἀρχή という最高の存在)」の第一始動者(始動因)は、より具体的に言えば、『形而上学』第四巻に見える諸存在の最高の原因であるところの第一義的存在としての「自らは不動である第一の動者(自らは動かないで動かす者)=τὸ πρῶτον κινοῦν ἀκίνητον」(1012 b31)のこと。別に「第一動者」(τὸ πρώτη ἀκίνητον=1073 a27)または「不動の動者」(τὸ κινοῦν ἀκίνητον=1073 a24)とも。それを扱うのが「第一の哲学」(πρώτη φιλοσοφία=1026 a24)であり、「神学」(Θεόλογική=1026 a19)とも(但し、ここに言う神学は神的なもの<存在に>にかかわる限りでの命名)。
この前、日本に長いドイツ人の教授と話していて、「これなんだ。」とわかったことがある。京大でも教えられたこともあるそうであるが、日本に来て初めの頃、やさしい文法の小説を教材にした。すると学生たちはわからなかった。それは、ドイツで常識であることを、日本の学生は知らないからである。そうではなくて、文法的に難しい論理的な文章にした方が、彼らは、正しく理解した。反時代古典学徒さんもその一人なのではないか、と失礼ながら思ってしまう。
この3つのうち、すぐに広まったのが、あとの2つの民主主義と宗教だが、1番目の哲学科学を吸収するのは「一定以上の知能」を必要とするので簡単に世界に普及しなかった。(もちろん知能が高いだけでは良い人間とはいえず、もっとも重要なのは善良さであろうが)。
この3つがバランスよく働いて社会や人間精神は健全に機能する。
逆に科学や哲学の「才能」が偏波に発達して、他の2つを置き去りにしたのがマルクス主義。だから世界で高等教育が発達した結果、知能は高いが宗教的感性や神秘への感性が極端に低い人間が大量に発生した時代にマルクス主義者が大量発生した。また同じヨーロッパでも多様性があり、国により印象が違うのが面白いが、それもこの多様な源流がもたらしていると感じる。
たとえば、ここ数年の「モリカケ」騒動を、レベルの高い政権への批判運動と総括している。どこをどう総括すれば、そんな評価になるのかさっぱり理解できないのだ。
普通の社会人として、たとえばモリカケ問題を評価するときに考える視点は、「もし自分が同じ立場に置かれたらどうしたか」という観点で考える。つまり対象者が日本共産党書記長であろうが誰だろうがお構いなく自己に置き換えて普遍的視点で考える。(極端にいえば「もし自分が首相の立場であれば」と考える)。ところがおそらくは知識は山ほど有していても社会に疎い学者はそういった思考が全く不可能なのだ。そして結局はマスコミの膨大な印象操作のマインドコントロールに嵌っていく。
過去の著名な学者をアクセサリーのように飾った緩慢な文章を書き続けながら、三流マスコミの(報道に見せかけた)独善的なキャンペーンを受け売りしていくバカな学者の文章は(マスコミと同レベルなので)読む価値がない。知識吸収するだけなら本でもネットでも読める。篠田氏のような「まともな学者」が本当に増えてほしいと通説に感じたものであった。
このなかで「科学や哲学は(民主主義制度や宗教と違って)現世界へ普及しなかった」と書いた趣旨の意味は(大変微妙な意味であるが)、ただの教育普及という意味であれば、世界中のどの地域でも高等教育者はたとえばアリストテレスやソクラテス、プラトンの名前だけは知っている。
これは、ギリシャ哲学に普遍性がありながらも、科学や哲学が社会の「エリート」に依存する性質が高いことにもよるのかもしれないが、民主主義や宗教は近代から現代にかけて爆発的に普及して(レベルは本当に様々だが)世界中に定着している。ところが、科学や哲学については、それを発展的に継承しようとするコミュニティがそれなりに出来上がっている国家は世界に数少ないように感じた。
日本共産党書記長→日本共産党書記局長
一応は弁証法の始祖とされるゼノンという哲学者は「ゼノンのパラドックス」で有名であるが、そのなかの「アキレスと亀」というのが、いかに人間はイカサマの論理にだまされやすいかというのを示唆していて面白い。
「アキレスと亀が徒競走をすることになった。しかしアキレスの方が足が速いので亀がいくらか進んだ地点(地点Aとする)からスタートする。
スタート後、アキレスが地点Aに達した時には、亀はその先(地点B)に進んでいる。アキレスが今度は地点Bに達したときには、亀はまたその時間分だけ先の地点Cへ進む。同様にアキレスが地点Cの時には、亀はさらにその先にいることになる。この考えはいくらでも続けることができ、結果、いつまでたってもアキレスは亀に追いつけない」
これが詭弁だとすぐにわかる人はマスコミにだまされる可能性が低いといえる。なぜ詭弁かというと、この記述は「アキレスが亀に追いつけない」という「前提」でその追いつくまでの過程を無限に繰り返しているだけであるからである。
「一定の前提のもとでは一定の結論に導かれる」のは当たり前。
つまりその前提そのものが根幹であり重要であるということを示している。
マスコミでも誰でも何かの結論に飛びついたときに、それはどういう前提で議論しているのかを反射的に推理できない人間は「論理に見せかけたマインドコントロール」にすぐにひっかかりやすい。
「ストア派というのは、ストイックという言葉の語源(中略)キリスト教の一派」と仰せですが、古代の哲学の一学派であるストア派が、どうして「キリスト教の一派」になるのですか? スコラ哲学とストア派の違いを本当にご存知ないのですか? いやはや、その程度のことなら『広辞苑』でも間に合います。「ギリシャ文化には、その中核をなす多神教のギリシャ神話がある」。莫迦も休み休み」とはこのことです。そうしたヘラスの民=ギリシア人の素朴な世界観を根底から批判したのが同じギリシア人であるプラトンやアリストテレスであり、その学問的伝統、遺産の上に西洋の文化や文明が形成されたのです。ギリシア神話は世界中どこにでも観察できる神話と同じ素朴なアニミズム信仰であり、ローマ神話も然り、そこにとどまっていたら、今日の西洋文明などそもそもありえません。
神話もギリシア悲劇などの文学作品(第一は悲劇よりホメーロス)も、今日からみてほとんど奇蹟のような達成を遂げたギリシア人の科学的合理主義の背後にある「生身の世界観」を体現したものです。いずれも偉大な作品で、私も愛好しておりますが、それだけでは西洋文明の土台は形成できません。日本も多神教の国ですが、世界標準の文明を形成する推進力になっていますか?
よく仏教文化を挙げられますが、空海や道元や親鸞が日本文化の知的伝統として、本当に根付いているとお考えですか? 精々、空海の『秘密曼荼羅十住心論』や道元『正法眼蔵』、親鸞『教行心証』ぐらいしっかり押さえた議論をお願いしたいですね。
「ドイツで常識であることを、日本の学生は知らない」と仰せですが、そのまた逆も真です。ドイツの学生がどれだけ正確に日本の常識を知っていますか? 京大で教えたことのある「日本に長いドイツ人の教授」の皮相な観察は、たぶんドイツ語の講師かなにかだと思いますが、母語が違う学生が初歩的なドイツの常識を欠いていたとしても、それはすぐに克服される程度のもので、その後もドイツの常識についてトンチンカンなことはあり得ません。その程度の問題です。彼は、ヘーゲルやハイデガーを正確に読めるのでしょうか? 大半の普通のドイツ人は無理でしょうが?
田中美知太郎氏や藤澤令夫先生について私が言及するのは、その方が一般的に分かりやすいからです。田中先生は偉大な哲学者、古典学者であると同時に、一般向けの著述も多い文化勲章の受章者ですから。藤澤先生はその点で専門家以外には地味な存在ですが、京都国立博物館の館長も歴任されたことのあるバランスのとれた知性で、第一級の国際的プラトン学者で哲学者です。別に神の如く崇めてはおりませんが、恩師を敬慕するのは普通の心性です。藤澤先生は田中先生の『テアイテトス』解釈を批判した論文もあるくらいで(文字通り殺伐非情に)、学問に関しては両者とも子弟の絆と学問的良心がみごとに両立しています。凡百の憲法学者と一緒にされても困ります。その衣鉢を継ぐはずの弟子たちは恩師の足許にも及びませんが。まあ、事大主義や権威主義を嗤い飛ばした師の精神は受け継いでいます。権威に盲従しないイロニーの精神は、そのままソクラテスが説いた哲学の精神ですから。
さて、以下にカロリーネ説の指摘されざる過去の誤り、謹んで纏めてご指摘申し上げます。よくもまあ、これまで放置されてきたもので、一種の奇観です。
▼9. カロリーネ(5月4日 14:10)=(前略)私が、「原理主義的護憲論者」から、「安倍的憲法改正論者」、に改宗した理由の一つに、阪神大震災の体験(中略)憲法学会用語で、「革命だ」、「クーデターだ」などと気楽にその言葉を使っている方々は(中略)能天気で、戦後、日本国憲法9条があったから、日本はうまくやってこられた(後略)→→★ 元「原理主義的護憲論者」の意気軒高な御託宣。「よく言うよ」というレベル。
▼12. カロリーネ(5月5日 09:36)=憲法学者の方々もマスコミも(中略)「受権規範と制限規範」、の基本がわかっておられない(中略)戦前、そのような状況下で、「政争」のために「天皇機関説」は排撃されて、軍国主義の道を突き進んだ(後略)→→★憲法学者相手に大見栄を切る。分かっていないのは果たしてどちら? 一知半解で突っ走る怖いもの知らずのernst だけれど滑稽な素人芸の炸裂。
▼4. カロリーネ(6月7日 07:02)=私は、法律の専門家ではない。熱心に勉強したこともない(中略)コメントに対する返事を、躊躇していた(中略)イエリネック、ケルゼン、カール・シュミット、同じドイツ国法学、と言っても、個性が違う(中略)上杉慎吉さんのイエリネックによる権威付け(イエリネックは立憲君主主義、上杉は絶対君主主義(後略)→→★ようやく、イエルネックやイエネリックはイエリネックの誤りだと気づいたようだが……。性懲りもなく、今度はケルゼンも読まずにドイツ国法学を語る「若葉マーク」の大胆さを披露。
私が参加する以前のコメント投稿者の皆さんは、随分鷹揚というか、他人のコメントに無関心というのか、議論の水準については少々無責任で、ある意味で意地悪だったと率直に思います。それが、公共の言語空間としてのブログの品位を著しく傷つける怠惰なのに。
▼21. カロリーネ(6月8日 09:03)=翻訳は、専門知識をもち(中略)外国語の原書で、ニュアンスを正しくつかみ、理解をすることの方がずっと大変だとわかっているからです。大事なことは、正しい理解、です(後略)→→★殊勝なことを言っていた時期もあった。
▼4. カロリーネ(6月14日 17:32)=北朝鮮が恐ろしいのは、過去の大日本帝国だからである(後略)→→★翌日(6月15日 08:02)に、南ドイツ新聞記者H氏の見解の受け売りだと弁明して責任逃れ。
謬説はこれ以外にもいくらでも「発見」できそうですが、親切はここまで。ご機嫌よう。
いつまで続く、居直りと誤謬の再生産。’intellectual yet idiot’ とは言いたくないが……。
「真理とは、それなくしては或る種の生きものが生きられないかもしれないような誤謬のことである。生にとっての価値が結局は決定する」(ニーチェ『力への意志』、シュレヒタ版全集=断片番号844)。
私はあの日、TBSの対応を終日注目していた。会社員さんは国民の知る権利を楯に報道の自由を声高に叫ぶメディアの正義感や「良心」のご都合主義という名の「空洞」を厳しく指摘された。
TBSビデオ問題として知られる不祥事への言及が、番組で一切なかったから無理もない。この前代未聞の不祥事は1989年10月、同局のワイドショー番組スタッフが、オウム真理教を批判する坂本堤弁護士のインタビュー映像を放送前に教団幹部に見せ、それが9日後に起きた弁護士一家殺害事件の発端となったのではと指摘された。この不祥事はTBS内部で隠蔽され、95年3月のオウムへの強制捜査着手後の一連の捜査の過程で浮上し、当初は否定していたTBSが翌年3月になって初めて認めて謝罪したもので、事件の深刻性とは別に報道倫理が厳しく問われた。TBSへの激しい批判がその後のメディアのオウム事件への報道を萎縮させ、真相解明に影響を与えたとの指摘もあるが、本末転倒だ。TBSは重い十字架を背負ったはずだった。
当初の否定から一転して事実を認め謝罪する羽目になったことで、「NEWS23」のキャスター筑紫哲也氏は、番組コーナー『多事争論』内で、メディアが視聴者との信頼関係で成立していることに触れ、「TBSはきょう、死んだに等しいと思います……きょうの午後までこの番組を今日限りで辞める決心」だった旨、沈痛な面持ちで話した。
一度は認めて謝罪した以上、かつての筑紫氏のように、自らの汚点の経緯を説明して襟を糺し、遺族に真摯な謝罪をする絶好の機会であったはずだが、権力に厳しく身内に甘い二重基準の悪弊から逃れられず、沈黙して口を拭った。
改めて思う。人は潔く過ちを認めてこそ開ける道もあるということを。
誤字、脱字、を激しく糾弾され、私も、うかつな面があって、申し訳なく思うが大きな流れ、までも誤字、脱字を根拠にして糾弾するのは、いかがなものか?
私の趣旨は、ストア派の論理学についてである。アリストテレスの論理学がギリシャ哲学のなりよりもの中世ヨーロッパへの遺産、と言われるからたしかに、論理学は、ギリシャの遺産かもしれませんが、ギリシャのものの考え方、例えば、エピキュロス派、などは中世キリスト教に受け継がれてはいませんよ、ということなのである。
ルネッサンスについてのウィキベデイアに、こう書かれている。
ギリシア語をアラビア語にしたり古代ギリシアの哲学・自然科学などの文化は、ローマ帝国までは受け継がれていましたが、キリスト教が普及した中世になると、すっかり見向きもされなくなりました。
仏教道徳についてですが、高校時代、徒然草、は必読書ではなかったですか?この前、弟が子供に、日本人だから日本の教養書として、徒然草を読め、と言っている、という言葉で思い出した。高校時代の高校の実力テスト、は範囲を区切って、徒然草から出題されるので、いい点を取るためには、自力で解説書を見ながら、勉強せざるを得なかった。ソクラテスについての英文の講読と言い、この教育法で勉強できてよかったと思い、反時流的古典学徒さんの主張されるように、私は質の悪い教育を受けた、とはまるで思っていない。
コメント4について、私は、今でも、ヒールシャーさんの見解のままである。反時流的古典学徒さんが、私が居直っている、と思っておられるのにすぎない。
また、ドイツ人の教授、というのは、数年前まで日本では知らない人のいない有名大学のドイツ文学の教授であった方。その方に、教授時代から、月一度、20年以上ドイツ文化を教わっている。この年になって、生きたドイツ文化、歴史、文学・思想史をドイツ語の解説付きで学べるのは、幸せだし、少しでも、ドイツ文化の正しい理解のお役にたちたい、と思う。
反論を装った見苦しいコメントを寄せるのは、私は自説を枉げなかったという痕跡を残すための、単なる足掻きにすぎないのではありませんか? それこそ藤原かずえさんに学んだらようのではありませんか?
誤字・脱字を指摘しただけだと、本気で思っているのですか? 私が指摘したのは、実際に著書を読みもしないで、のぼせ上がった(背伸びした)議論をするから、G. Jellinekが「イエルネック」や「イエネリック」になるのです。しかも、一度や二度の間違いではない。『一般国家学』を読んで発信したとこの公開の言論空間で宣言できますか? できるならどうぞ。それに「糾弾」などしていません。「事実」を本人の文章を例示(具体的証拠)して論証しているだけです。糾弾された(あるいは恥をかかされた)と勝手に思いこんでおられるだけではないのですか? ということは大変自尊心が高いということの証左にはなりませんか? 知的に誠実な態度とは到底言えません。ついでにケルゼンの『一般国家学』も読みましたか? 何時ものように「Wikipedia調査」で安直に済ませたのではないですか?
「私の趣旨は、ストア派の論理学についてである」。古代ギリシア哲学の一学派であるストア派が、中世のキリスト教教義論争や神学と何の関係がありますか? 国際標準から隔絶したガラパゴス的な日本の憲法学界と違って、哲学者や古典学者、教会史家、教義史家にこの問題で見解の相違はありません。学界の世界的常識です。アリストテレスの定言三段論法は名辞論理学(クラスの理論)、ストア派は命題論理学です。ストア派の論理学についてご存知だとは到底思えませんが。
▼①「西ドイツで左派のブラントさんが政権の座についたのは確実」→→★私が指摘しているのは「両国とも(中略)学生運動の影響で、左派が実権を取った」は誤りで、「両国ではない。フランスは違います」ということ。批判するなら粗笨な読みは謹んで下さい。時間の無駄です。ジスカール・デスタン、ミッテラン、ポンピドーを混同したことを口を拭い、この期に及んでも訂正されないのですか? 間違いはなかったとお考えですか? ドイツ的身贔屓(ブラント好き)もほどほどに。
▼②「今でも、ヒールシャーさんの見解のままである」→→★それなら「北朝鮮が恐ろしいのは、過去の大日本帝国だからである」という妄説を維持する訳ですね。「12. カロリーネ・6月15日 08:02 =ちょっと言葉足らずな面があると思うので(中略)私のアイデアではなくて(中略)南ドイツ新聞の東京特派員であったヒールシャーさん」の見解ということで、「独りよがりな」南ドイツ新聞の論調の支持者なのですね。どうぞご随意に。今後は南ドイツ新聞のスポークスマンでも僭称したら如何ですか?
▼④「ギリシア語をアラビア語にしたり古代ギリシアの哲学・自然科学などの文化は、ローマ帝国までは受け継がれていましたが、キリスト教が普及した中世になると、すっかり見向きもされなくなりました」→→★既に、コメント58で「(ギリシア哲学のギリシア語圏での)終末はユスティニアヌス帝の勅令でアテーナイでの哲学の授業を禁止した紀元529年になり(中略)禁止令を嫌ってペルシャに逃れ、さらにシリアやアラビア圏に伝播しますが」と指摘した通りです。禁令とともに直ちに哲学研究が終焉を迎えたわけではないですが、哲学の中心は、ギリシア・ローマ圏では研究拠点のアテーナイから最初はシリア、その後はアラビア語圏に移ります。それが次の世紀(622~712年)にイスラム圏で新たな開花を迎えます。そして、その成果が再びラテン語世界(西欧)に逆輸入されて起こったのが「十二世紀ルネサンス」で、アリストテレス哲学の再発見だったのです。しかし、これも指摘済みのように、ボエティウスによる一部のアリストテレス論理学著作のラテン語訳、註釈により学問的には中世期でもなお命脈を保っていました。イスラム勢力と直接対峙していた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)でも同様です。ヨーロッパは西欧だけではありません。
▼⑤「少しでも、ドイツ文化の正しい理解のお役にたちたい」→→★精々、初歩的な間違いに気をつけて頑張って下さい。今後、貴所から「間違いだらけのドイツの常識」を学びたい人がどれだけ現れるかは知りませんが。
最後に、「京都大学の哲学科卒業の権威で、ウィキベデイアが間違っている(中略)石川健治東大教授と百地章教授の論争を思い起こさせるのである(中略)石川健治教授は、東大憲法学の権威で、違う、と押し切ろうとされた。その姿が(中略)反時流古典学徒さんと重なるのです(コメント13に対する反論)」は、私を石川健治氏並みの「権威」と扱ってくれることに感謝しろとでも仰せですか? 石川氏はあの場面で「憲法の基本は、授権規範と制限規範」を否定してはいません。口を濁したように見えましたが、本意は勝手に推測すると「(百地さん、法律の素人向けの番組でそんな初歩的な問題で論争して無駄な時間を潰すのは有益でしょうか? 私にも言いたいことは山ほどありますが)」ということでしょう。少々意地悪ですが、石川氏はそういう人物で特段の悪意はないのです。同席した井上達夫さんも突っ込まなかったのはそのためだと思います。なお、コメント13ではなく12。また間違えましたね。何とかなりませんか? 一知半解で突っ走る怖いもの知らずのernst だけれど滑稽な、所詮は法学の門外漢の怨嗟をぶつけてどうするつもりですか? 血圧が上がりますよ。ご機嫌よう(完)。
コメント63、78への再反論としての55への最終反論。
▼①「美学を専攻したものとして(中略」とても承服できない」→→★美学専攻と私の批判の論拠(見解)にどんな論理的整合性がありますか? 何度も申し上げたように、批判は具体的根拠(論拠)を示した上で、合理的推論の結果を提示して下さい。美学も学問の一分野なら、初歩的な学問的訓練は受けておいでですよね?
▼②「ストア哲学は、中世ヨーロッパでもアリストテレスの論理が受け継がれ、その論理体系でキリスト教教義が議論された」→→★全体が意味不明な(混乱した)文章。「ストア哲学」が主語なら、述語は何か、直ちに読み取れないのが致命的。①「受け継がれ」か②「議論された」かのいずれかだとして、①は全体の文意から「アリストテレスの論理」を受けているのは明白なので除外すると、②とする場合、キリスト教教義が「議論された」ことになり、古代ギリシアの一学派であるストア派が(アリストテレスの論理体系で)中世にキリスト教教義を論じるという歴史上あり得ない誤謬に帰着する。従って、筆者がストア哲学とスコラ哲学との取り違えを現時点でも認めていない以上、全く意味不明。主語がスコラ哲学の場合、辛うじて了解可能に。
▼③「藤原かずえさんのものを選んだ」アゴラに転載された記事の本体を見ると、藤原氏は「新ブログのグランドデザインについて」詳細に語っており、論理学的思考を推奨している。それに従えば、論理学的には▼①は論点先取か論点回避の誤謬であり、▼②は推論における論証の構造が誤っている不当立論(invalid argumentation)に相当し、さらに用いた資料(概念、情報)が誤っている不当資料(invalid documentation)という論理的誤謬を冒していることになる。
キリスト教神学の三位一体は、日本の護憲勢力にも変則的に応用できる。
・絶対神=憲法9条
・キリスト=憲法学者
・精霊による神秘体験=第二次大戦の戦争体験
絶対神を疑うことは許さない。絶対神と我ら罪びととの仲介をしてくださるのが憲法学者さまだ。
そして、その二つを疑いもなく確信へと導くのが、あの悲惨極まりない戦争体験だ。日本は武器を持ってはいけない運命なのです。体験してない若い人々も本を読んだり証言を聞いて追体験しなさい、あたかも当時を生きていたかのように。
信じてない人間には、腹をかかえるほど滑稽だが、連中は「信じる者は救われる。信じないものは罰がくだされる」とでも言いたいようだ。聖書風にいえば「軍隊を持つものは軍隊によって滅ぼされる」。
やはり一種の宗教なのだ。
「キリスト教神学の三位一体は、日本の護憲勢力にも変則的に応用できる。
▽第一格=絶対神=憲法9条
▽第二格=キリスト=憲法学者
▽第三格=精霊による神秘体験=第二次大戦の戦争体験」は、なかなかのアイデアですが、第二の位格(希;ὑπόστασις=ヒュポスタシス、羅;persona=ペルソナ)は、キリストであると同時に生身の「神の子」として十字架上で人類の罪(日本人の罪)を贖って一度は死に、死後に復活したイエスであるわけですから、使徒にすぎない憲法学者では役不足ではないでしょうか? キリストは「ヨハネによる福音書」(Ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ Λόγος, καὶ ὁ Λόγος ἦν πρὸς τὸν Θεόν, καὶ Θεὸς ἦν ὁ Λόγος.)にもあるようにロゴス(λόγος=Λόγος)と表現されます。憲法学者は縷々理屈=ロゴスをこねますが、ロゴスの化身ではありません。憲法に殉じて死んだ学者でもいればいいのですがそれも不在な以上、異論はあるかもしれませんが、ここは敢えて秘儀「八学革命説」を提唱した宮澤俊義か、着想を宮澤に伝えた丸山真男は如何でしょうか? もっと、大胆に想像を逞しくして昭和天皇、という手もありますが……、不敬でしょうかね。
私の代案は、
▽第一格=端的に父なる超越神=憲法9条
▽第二格=神の子キリスト=宮澤俊義(または丸山真男)
▽第三格=精霊による共同体としての教会=憲法学界(個々の憲法学者は使徒)
でしょうか。ところで、衒学ではありませんが、原語を表記すれば、国際版Wikipediaにアクセスできて、大変便利です。ギリシア語やラテン語を読めなくとも、英語で日本版にはない種々の情報に接することができるという利点があります。二流の学者に騙されないためにも、一度お試しを。
元々、明治憲法制定以来、日本は、立憲民主主義の国として政治が行われてきた。ところが、上杉慎吉という東京帝国大学の憲法学の教授が、ドイツに留学し、イエリネック(今度は、調べて書いた)に師事したが、彼の理論ではない、神仙思想に耽溺し、明治憲法は、「現人神」的絶対君主主義を志向していると主張した。彼の死後、蓑田胸喜をはじめとする東京大学、陸軍、海軍、文部省、の彼の学徒、なかんずく野党政友会が、政争のために、国会内で「天皇機関説」を糾弾し、その後、国体明徴運動が起こって、イエネリックの理論に近い美濃部達吉の「天皇機関説」は日本中の大学から駆逐されて、日本は神の国、とする「軍国主義」日本になった。
終戦後、さまざまな憲法草案が作られたが、東京大学憲法学教授宮澤俊義のまとめた松本試案を毎日新聞がスクープし、それを見たGHQが満足せず、独自の原案をつくり、日本の立法府の国会に審議、修正させた、その「憲法改正小委員会」の委員長が、東京帝大の法学部の博士号もとっておられる国際法学者であり、外交官出身の政治家、芦田均さんなのである。その百余日にわたる審議に参加された憲法担当の国務大臣の金森徳次郎さんもその審議をとても濃密な時間であったと回想されている。 芦田均さんは昭和21年発行された「新憲法解釈」の前書きに、新たに作られた憲法が健全に発育されるようにと神に祈られている。
ところが、東京大学の教授、丸山真男と宮沢俊義さんが、「8月革命説」を作り上げ、1947年に文部省が編纂した子供用の教科書「あたらしい憲法のはなし」では、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。 これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。・・・日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。と記述されている。
この教科書も、朝鮮戦争勃発の影響で、数年で使われなくなったにもかかわらず9条のカントの定言命法的な解釈が、現在にいたるまで続いている。これも、やはり篠田先生が主張される通り、国家公務員試験、司法試験用の教科書、参考書がその解釈になっているせいだと私も、考えている。
色々書いているのは、その証明のためである。ドイツについての著述は、比較対象のためと、敗戦後ナチスドイツを払しょくするために、西ドイツ政府が設立したゲーテ・インスティテュートを通じて、私自身が、20代のころから社会問題を含めて、ドイツ文化を勉強し、現在も元教授を通じて勉強しているので、実情を知っているせいである。
反時代流古典学徒さんは、なにが主張されたいのだろう? まさか私の文章の間違い探し、批判、糾弾するため、だけに文章をつづっておられるのでは、ないだろう。
人間には、論理力、学識以上に、大事なものがある。勘、感性である。
母は、よく京大哲学科を卒業した父に、「あなたは、難しいことばかり言うけれど、勘がない。」、「私は難しいことはわからないけど、すべて勘で判断して、うまくいく。」と批判していた。
反時流的古典学徒さんは、左翼思想家ではないが、父と同じ傾向を感じる。
左翼思想家の父に、いくら、マルクス主義がよくない、と言っても、納得しない。おまえの勉強が足りないから、とくる。こんな本を読んだか?私は、そんな父との議論を避けるようになった。時間と労力の無駄だからである。父の意見も変わらないし、私の意見も変わらない。
そして、ベルリンの壁の崩壊。
敗戦後の日本を豊かな日本に導いて下さった吉田茂さんは、とても、勘がいい人物だった、と「父、吉田茂」の中にその娘麻生和子さんは書いている。でも、論理的にものを言ったり、辛抱強く説得するのは苦手だった、とある。それで、余計に、マスコミ、知識人にたたかれたのだろうが、優れた政治家に必要なのは、この勘なのであって、学歴ではない。
自意識過剰な自称、ドイツ人の心を代弁する「普通の人」が、本当は何を訴えているのか、まぁ分からないではない。それ以上に、「この汚名、雪がずにはおられようか」という妄執をまざまざと感じる。そういう心性の持ち主だからこそ、未明(03:44~04:38 )に孜孜として投稿に励むのだろう。根拠なき妄説を撒き散らす頑固さに辟易しているが、かつてやり合った隠れ共産党員とか、裏の世界の一端を垣間見た政治家や暴力組織構成員(ヤ★ザ)と比べたら、「アマチュアの単なるお勉強好き」の女性にさしたる関心はない(あるとしたら、観察的興味)。「人間には、論理力、学識以上に、大事なものがある。勘、感性である」との凡庸かつ陳腐な世界観は相手にする価値もない。いい歳をして、何も分かっていないらしい。
ともかく、有り余る誤謬を指摘されて傷ついたらしいが、自ら招いた当然の帰結、身から出たサビだろう。本当は自らの信念と実態との落差に気づき、驚愕してほしかった。それがソクラテスも教える真の知識愛=学問への入り口だからだ。改め得る無知は一時の恥にすぎない。いずれにしても私の側に、この少々の教養があるらしい「普通の人」の「揚げ足取り」を楽しむといった特段の趣味も悪意もない。むろん度重なる無謀な反論で私が傷つくはずもなく、ご懸念は無用だ。的外れだからだ。私の今回の正面の論敵は、高橋哲哉氏であり、大澤真幸氏、宮台真司氏、前回なら白井聡氏であって、多弁な「普通の人」ではない。
「一体、批判する他者の文章のどこを読んでいるんですか? 貴所の異様さはこうした点に窺われる「妄執」です。人を批判しても謝罪したことのない人の典型的メンタリティーです。間違いの訂正は小声でソット姑息に、目立たぬように、批判や反論は(あたかも間違いなどなかったかのように)大声で辺り構わず大胆に。ほとぼりが冷めれば元の木阿弥。誠にご立派です」(83)を訂正する必要を感じない。
反対に私は自らの不注意なミスも含め、煩瑣を厭わず気づいた限り直ちに「申告」している。「普通の人」の主張や反論、怨嗟が如何に根拠に乏しく、そうした心性だからこそ、イェリネク(G. Jellinek)やケルゼンの『一般国家学』を読みもしないで、知りもしないドイツ国法学を「論じたような気になって」平然としていられるのだ。如何なる魂胆かは知らないが、本意を弁解すればするほど、自縄自縛になり、さらにぼろを出す、という繰り返しになる。
浅はかなのか虚栄というのか、いかなる動機か知らないが、ネット世界には不思議な人種が生息している。
逆に、日本語版Wikipediaのような、責任編集者不在の素人の知見と言う名の雑識=「ガラクタ」に拠らず、ずっとまともな英語版Wikipediaにアクセスして日本版にはない種々の有益な情報に接することができるよう、わざわざギリシア語の原語を表記したほどだが、どうも、無益だったようだ。‘πάντες ἄνθρωποι τοῦ εἰδέναι ὀρέγονται φύσει.’(「すべて人間は、生まれつき、知ることを欲する」=アリストテレス『形而上学』980a)という精神から最も遠い人物が目の前にいたようだ。
京大哲学科を卒業した父と「普通の人」との確執は、私が関知する領域ではないので、「父と同じ傾向を感じる」とされても困惑する。父娘の問題は父娘で和解でも決別でも勝手にやってほしい。ただ、一言で京大哲学科(1947年以前は、哲学、西洋哲学史2、倫理学、宗教学2、美学美術史、印度哲学史、支那哲学史、社会学、心理学、教育学教授法の12講座)卒と言っても、千差万別だ。たぶん戦前乃至、終戦直後の入学と推定されるから、型通り、マルクス主義の洗礼を受けたのであろう。当時の時代状況を考えると特別なことではない。
この世には、私や亡き田中美知太郎氏のように、最初からマルクス主義や戦後民主主義の欺瞞に免疫のある者もいれば、そうでない御仁もいる。ご尊父の例をもって、マルクス主義者全般に議論を広げるのはどうかと思う。
私は、本ブログ投稿欄が、個別的な条文の技術的解釈を除けば、孤軍奮闘する篠田さんへの助勢のため、知的に不誠実な憲法学者への批判や、局外者(outsider)の視点ではやむを得ない一方的なメディア批判が目立つ傾向をもって、けっして世に言う「ネトウヨ」などではないことをよく知っているが、戦前戦後を通じて天皇制を維持するこの国を「北朝鮮が恐ろしいのは、過去の大日本帝国だからである」というような暴言から解放し、自由でより知的に公正で批判的な言語空間としたいと願っている。他を批判する以上、自らにより厳しくありたいと思うのが知的誠実というものだ。そのためにも、一定以上の知的水準と品位は自前で確保できるぐらいの気概と見識が必要ではないかと、痛感する(完)
明らかに役不足。宮澤俊義でもしっくり来ません。始祖というほどでもなく、当時の集団心理に便乗して一種のデマゴギーを発明または洗練しただけです。宮澤俊義がやらなければ他の学者にお鉢が回っていたでしょう。丸山真男もスターと担ぐ連中は多いが、そこまで偉大ではなく、やはり使徒。
絶対神は自ら喋らないので、代わりにその御言葉を下々の人々に伝えるのがイエスキリストの位置づけと考えると、自ら喋らない憲法9条の伝承を職務とする憲法学者が一応は妥当という気がします。
イエスの代表的使徒をたとえばパウロとすると、パウロに当たるのが「憲法学者はこう言っているぞ」とアンケートに(自己の解釈も潜り込ませて)大衆に「使徒むけの手紙」を大量配布する朝日新聞等のマスコミ。
解釈改憲は一種の宗教改革だ。宗教戦争が起こるのも仕方ない。安保闘争を指揮した左翼はヨーロッパ最大の宗教戦争である三十年戦争を仕掛けたが、もはや左翼の威光は廃れて多くの国民も冷ややかに突き放して冷静に判断する余裕があったということ。
私は、ヒトラーの「わが闘争」を読んだことがありますか?と書いた。それは、反時流的古典学徒さんにあてたものではなくて、ブログのコメントを読んでいる人、一般にあてたものであったが、反時流的古典学徒さんから、必要な部分は読んだ、という傲慢な返事が返ってきた。要するに、先生気分なのである。申し訳ないけど、先生は自分で選ぶ。楠山義太郎さんや、そのドイツ人の教授や。そのぐらいの見識は「普通の人」も、心得ている。
「わが闘争」の解説にこうある。本来民主主義の思想は、「個人の平等」という理念を基礎においてはじめて成立しうるものであるが、最も優秀な民族・人類が世界を支配すべきであるとするヒトラーの狂信的ともいえる人種論的世界観は、そのまま論理的必然性をもって、この民族の内部でも最も優秀な人々が民族を指導すべきだとする「貴族主義的政治原理」を導きだすのである。つまり、国家社会主義の国家は、「多数決原理は存在せず、ただ責任ある人物だけがある。すなわち全指導者の権威は下へ、全責任は上へ。」。(解説2P12)
日本国憲法上の行政府には、確かに東大法学部卒の人が多いが、一番権力をもっているのは国会なのであって、国会議員は、一人一票の個人の平等の原則で選ばれている。憲法改正も、その原則で行われるのであって、「普通の人」の良識が試されている。反時流的古典学徒さんの「普通の人」を馬鹿にする見解は、それを否定するものである。
9条問題がまだ尾をひいているのは、「あたらしい教科書」が学校の教科書として通用しなくなっても、なお、日教組がその運動を継続したせいだとも思います。
ただ、私が、このような権威を権威と認めない人間になったのは、小学校時代からの「先生の言うことも、親の言うことも、きかなくていいから、自分の頭で考えなさい。」という戦後、二度と生徒を戦争に巻き込んではいけない、という「学校の先生」の教育方針のためだ、と思っています。
楠山義太郎さんがジャーナリストのリジェンドだと確信するのは、当時の欧米政府の見方を日本に知らせるために、リットン調査団のスクープ記事、あるいは、ルーズベルト大統領の単独会見を日本に配信され、現状を日本国民に伝えようとされたこと、あるいは、米国との開戦の際、スクープと興奮で沸き返っている毎日新聞社でただ一人、「日本は負ける。」と断言されたことである。開戦直前、そう考えた日本人は、特に、欧米の駐留している日本人、例えば吉田茂さんなどがいたが、それが大きな声にならなかったのである。
哲学的な思索をすることが仕事ではない。もちろん、趣味になさるのならお好きに。
ただ、普通の人は、仕事に忙しいから、現状をみんなにわかりやすく、伝えるのが、ジャーナリストの仕事ではないのか、と思うのである。楠山さんは、90歳になっても、英字新聞、日本の新聞の購読を欠かされなかった。昔より、今の方が、世界の動きが見える、と言われていた。そして、いろいろ国際情勢をからめてわかりやすくお話をしてくださるから、含蓄が深かったのである。日本は、政治活動家がジャーナリストと自称しているから、マスコミ報道がゆがんでしまっているのではないか、と思う。
もっと突き抜けた夏の青空のような晴朗な気分で、余裕を失わず、時に哄笑を誘うような優雅さが、哲学者F. W. J. vonシェリング夫人で、離婚前はW. シュレーゲル夫人であった社交界の華、洗練された容姿と教養を備えた女性と同じ名前(Karoline, or Caroline)を自称する「普通の人」に必要なのではないか? 女性らしい正義感で孤軍奮闘する篠田さんを応援したい気持ちは分かる。しかし、それは読みもしない(読む気もない、読めもしない)イェリネク(G. Jellinek)やケルゼンを引き合いに出して、宮澤俊義を批判したつもりになって自己満足することではない。篠田さんは、そんな「☆の腐ったような」心性の持ち主ではないことに、そろそろ気づかないものか。
「妥協点に行きつくだろう、などという甘い期待」を抱いていたらしいが、ナイーヴそのものだ。論争に妥協は必要ない。政治家ではないわれらに、そもそも妥協する必要がない。むしろ、互いの見解の相違を入念な議論で明らかにし、言葉足らず等の理由によって解消できる誤解を取り除く。知的な問題では、曖昧な合意に基づいて虚偽を覆い隠すことの方が致命的だ。何の開明も進歩ももたらさない。
私や篠田さん(6月5日コメント2)が一目置くニーチェについて。私も篠田さんも、ニーチェを無批判に信奉している訳でないが、私が哲学学徒として、篠田さんが学者として常に自立的思索を心掛けている以上、ニーチェを無視できないのは当然だ。篠田さんがドゥルーズやフーコーを通じてニーチェに出会ったのか、それとも別の経路かは不明だが、よく紋切り型の言辞で指摘される、ニーチェが「ファシズムに手を貸した権力意志の哲学者、[精神の貴族性]を声高に唱えた文化保守主義者」であり、差別を当然のこととして民主主義的価値観に敵対する存在と断罪する向きがある。
ナチスはニーチェを権力国家と英雄主義思想の先駆者とみており、ナチス流全体主義イデオローグ、ローゼンベルクは『二十世紀の神話』の中でニーチェを盛んに利用したのは事実だが、それはニーチェの一面を都合よく利用したにすぎない。ヒトラーが直々にワイマールにあるニーチェ・アルヒーフを訪問したエピソードなど、ニーチェをファシズムの先駆者とするテーゼを補強するその種の証言も少なくないが、思想の影響力と現実の政治過程を無批判に結びつける論点先取の虚偽的議論の典型である。ニーチェは、何が面白いのか、「普通の人が」よく取り上げる『あたらしい憲法のはなし』のような、毒にも薬にもならないお子様向けパンフレットとは違うのである。あんなもので洗脳される方がどうかしている。その程度の政治意識なら、まさに「道徳でいえばパリサイ的な偽善であり、心理的には道徳以前の感傷」だ。
それは、いみじくもヴィトゲンシュタインが ‘The Philosopher is not a citizen of any community of Idea, That is what makes him into a Philosopher. ’ (「哲学者は如何なる観念の共同体の市民でもない。まさにそのことが彼を哲学者にする」)と書きつけたように、自らの頭で真にものを考えた(selbstdenken)ことのない凡庸な人々の思い込みに過ぎない。「凡庸」は生得のもではなく、凡庸を抜け出す自立的努力や覚悟の不在がもたらす知的怠慢の帰結だ。
『わが闘争』の解説者による「貴族主義的政治原理」云々の話は、現代の民主主義の合意形成の実態に無知またはそれを軽視しがちな凡百の学者の戯言にすぎない。
問題は法の支配のもとで、エリートが「普通の人」を如何に手際よく説得して、民主主義の実を上げるか、という問題にすぎない。吉田茂や岸信介が、チャーチル同様、民主主義を奉じて実質的な「貴族主義的政治原理」を疑っていたはずはない。彼らは、有能なリアリストなのであって、「莫迦の一つ覚え」のように民主主義を声高に叫び、俗耳に入りやすい理想と言う名の迷妄を説きながら、「普通の人」である国民を常に誤った方向にミスリードする学者やメディアほど、ご気楽な商売ではない、というだけである。
安倍晋三首相は岸信介の孫、麻生太郎氏は吉田茂の孫で、大久保利通の末裔だ。石破茂氏や政治家稼業四代目の小泉進次郎氏のように、民意や世論調査(やそのお先棒を担ぐメディア)に媚びる必要はない。民意に媚びないことは、民意を無視または理解しないことと直ちに同一でないのは、自明の理だ。
私はたぶん、「普通の人」ほど傲慢ではない。楠山義太郎氏程度の開戦時の認識を格別珍重してもいない(そうしたことは、原田熊雄ら宮中政治家も海軍内部でも共通認識だった)
「反時流的古典学徒さんには(中略)ジャーナリストがなにをするのが仕事なのか(中略)わかっておられない」。現役時代の私が何をしたか、全く知りもしないで、アハハ、よく仰いますね。序でに私は、「貴族主義的」ではありません。妻が男爵家の血を引く祖母の孫だというだけの話です。
それにしても、メディア以上に「普通の人」も相当歪んでいますね。(完)。
良識に基づく自由討議の尊重、個々の価値観への相互承認、目の前の現実から目を逸らさぬリアリズム、議論のための議論に堕することない明快な論理意識、「事実」を揺るがせにせず、過ちを素直に認める潔さ、公正で真摯な態度、議論の帰結(勝敗)に固執しない大らかさ、何より熱心さや信念に囚われるあまり議論自体を楽しむ余裕を失わない明朗な態度、そのどれが欠けても真の対話(dialogue)が成立しない。その間隙を縫って跋扈するのがethnocentrism でありchauvinismであることを肝に銘じたい。
「殺伐非情の論理主義者」に徹している私。相手の論理と根拠を逆手にとって論破する、プラトン由来の正攻法、ソクラテス的問答(dialogos=διάλογος, διαλεκτική= dialektikē)を心掛けている。根拠なき俗説や教条的信念の粗笨な解釈を排して、単なる思いつきを展開することを唾棄する。一部の隙もない堅牢な構成と論理で文章を練り上げ、平明さに留意するが、相手を見くびって水準を下げるようなことはしない。必要とあらば、ギリシア語やラテン語も使う。概念の微妙なニュアンスのズレは、そうしてこそ明瞭になる場合もある。
相手を批判する際、紋切り型の言辞を極力排して努めて即物的であろうとする。明快で力強い、硬質な美しさを目指した文章を綴りたいと願う。了とされる向きのご理解とともに、真摯な意見交換を切望する。
それが、われらが共通に支持する篠田さんが提供するこの貴重な言語空間を守り、水準を抜く自由討論の場として、篠田さんの期待に応える唯一の道だと信じる。
「貴族主義的政治原理」と解説で述べているその意味は、ニーチェの奴隷道徳に対する「貴族道徳」、から由来していて、貴族階級を意味しない。つまり、ナチスの政治原理はその「民族の内部でも最も優秀な人々が民族を指導すべきだ」という原理から出発している。つまり、議会制民主主義の否定から始まっているのであるが、それは、愚鈍、無能、そしてこれらに劣らず奴隷根性の道徳原理を政治にもちこむからである。
つまり、国家主義の国家には、「個人の平等」基本とする多数決の原理は存在せず、ただ責任ある人物の決断、が大事なのである。すなわち、全指導者の権威は下へ、全責任は上へ。その結果、当時最も民主的な憲法であったワイマール憲法下1933年全権委任法が成立して、ヒトラーの独裁体制が確立されるのである。
安倍晋三さんや麻生太郎さんは、身分上貴族階級ではない。多数決の原理で国民の代表者として選出された政治家である。どちらかというと、マスコミや知識人によって、学歴面で、さも政治指導者として、欠陥があるかのように評価されているのではないのだろうか?
コメント55の13行目(2018年07月13日 15:06)、仮言三段論法(名辞論理学)は、定言三段論法(名辞論理学)の誤り。「仮言三段論法(名辞論理学)」という表現自体、論理矛盾なので気づきそうなものだが、実際にはそうはいかず、偶然気づきました。不明と不注意をお詫びします。
なお、訂正ついでに付言すると、仮言(的)三段論法は「命題論理学」の一種で、アリストテレスの高弟であり、ペリパトス派(アリストテレスを創始者とする学派)の後継者テオプラストス(c. 371~c. 286 BC)が発見した(論理学関係の著作は現存しないが、そうと推定される後世の資料が残っている)。命題論理学は古い順に、テオプラストス、ストア派、中世スコラ哲学という複数の起源を有する。
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