雑誌『VOICE』の企画で、松川るい参議院議員と対談をする機会があった(記事は9月上旬に公刊予定)。自民党総裁選の話から、朝鮮半島の話までカバーする予定だったが、「インド太平洋」戦略の話で盛り上がっているうちに終わってしまった。
それにしても実際の自民党総裁選で、大局的な外交戦略が語られていくことがあるか。人口減少時代に突入した日本だからこそ、柔軟性を持ちつつも、計算された外交戦略が求められていく。内政問題に精力を注ぐためにも、合理的で安定感のある外交政策が必要になっている。
北東アジアの人口の停滞を尻目に、世界の他の多くの地域では、人口の激増が続いている。このブログ記事はバングラデシュで書いているが https://www.facebook.com/hideaki.shinoda.73 、首都ダッカの交通事情はかなり危機的だ。世界の多くの地域で、人口増による都市化の弊害が見られている。
バングラデシュは、非常に親日的な国だ。しかし2016年のダッカ・レストラン襲撃人質テロ事件があり、めっきり日本人が来なくなってしまったという話も聞く。その一方で、中国の強烈な攻勢が強まっている。中国企業によるバングラ政府高官への賄賂が大きな問題になったが、氷山の一角だろう。http://www.epochtimes.jp/2018/01/30802.html
インドを取り囲む地域では、中国の一帯一路イニシアチブがもたらす摩擦が激しい。日本と米国は、インドを特別視する海洋国のネットワークを「インド太平洋」戦略として打ち出しているが、スリランカやモルディブのような島国だけでなく、バングラデシュのようなインドに隣接する周辺国との関係は、微妙だが、重要だ。
ただし、このように言うことは、意図的に一帯一路を封じ込めるべきだ、と提唱することではない。むしろ単に構造的に発生している不可避的な状況を、より意識化したうえで、間違いがないように管理していく、ということでもある。
バングラデシュでは、ロヒンギャ問題が深刻だ。100万人にのぼると言われる「難民」を受け入れたバングラデシュは、人道的対応を強調するが、果たしてこの甚大な負担にどこまで耐えられるか、不安に駆られている。日本への期待は、非常に大きい。
ロヒンギャの人々を追い立てたミャンマー政府は、伝統的に中国と深い関係を持つ。ロヒンギャ問題で欧米諸国に非難されればされるほど、中国の後ろ盾を求めるようになるという構図もある。ミャンマー西部の天然資源開発が、ロヒンギャ問題の背景にあることは、周知の事実であり、中国にミャンマー政府を切り捨てる動機はない。
ただし中国にとっては、バングラデシュも切り捨てることができない重要国だ。二国間交渉を尊重する態度を強調し、慎重に行動している。
日本は、正攻法で、ミャンマー政府とバングラデシュ政府の双方を尊重する態度をとるが、国連を通じた人道援助への資金提供以外に、何をしているのかは、よくわからない。
21世紀の国際政治では、一帯一路とインド太平洋がにらみ合う広範な領域で、解決策が見いだせない困難な状況が多発するだろう。実は北朝鮮の問題も、同じなのだ。
願わくは、ロヒンギャ問題のような焦眉の課題で、構造的対立を創造的に発展させる国際的枠組みを作る実験ができないか。
安定感のある日本の外交は、現実感覚のある外交ということであり、それは消極的に押し黙る外交のことではないはずだ。
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西欧の文明というのは、時代と共に、中心地が変わるのであって、もちろん古代ギリシャ文明もその中に混ざりこんだことは確実であるが、ローマの頃は、もちろんローマであるが、中世に入って13-14世紀のパリ、大航海時代のポルトガル、スペイン、15-16世紀のルネッサンスの頃のローマ、フィレンツェ、スペインに勝った英国や独立を勝ち取ったオランダ、その後海運基地となったベニス、17世紀の絶対王政のパリ、19世紀のメッテルニヒのウィーン、大英帝国の首都ロンドン。
ドイツは地政学的に、海との接点が少ないから、大航海時代は不利だし、もともと、アラブ諸国が香辛料を求めたヨーロッパ人がインドへ行く陸路をブロックしたから、生まれたものではなかったか。
私の中国とドイツが似ている、と言っている意味は、文化の洗練さという意味ではなくて、地政学的な位置によって、覇権を狙う異民族の戦場になったか、ならなかったか、を指している。
ドイツ人が日本人と比べて如何に往生際が悪い人々か、それだけユダヤ人大量殺戮問題が深刻な所以ですが、「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐって1986年以降、論壇に留まらず政治家や経済人、一般市民を巻き込む大論争となった事情については、下記の、
‘‘Historikerstreit’’ , Die Dokumentation der Kontroverse um die Einzigartigkeit der nationalsozialistischen Judenvernichtung, München, 1987(Piper).
をお読み下さい。大変有名な話です。
ジェノサイドの事情をめぐる知識人の苦悩と省察については、従来のホロコースト解釈を批判的に総括した下記の、
E. トラヴェルソ『アウシュヴィッツと知識人 歴史の断絶を考える』(Enzo Traverso;‘‘L’histoire Déchirée, Essai sur Auschwitz et les intellectuels’’, Paris, 1997, [Les Éditios du Cerf].)をお読み下さい。
後者は岩波書店から邦訳(右京頼三訳、2002年)が出ています。
なお、コメント86、「妄説の根拠になったのが、丸山真男さんの書かれた「超国家主義の論理と心理」」云々は、どなたの見解かは知りませんが、「坊主憎けりゃ袈裟までも…」の謂いで、ソクラテスも戒めた「弱論強弁」(τὸν ἥττω λόγον κρείττω ποιεῖν)が過ぎます。
例えば、オウムのサリン事件を起こした信者というのは、日本社会を救済するために、「今の人間よりも霊性の高い種、これを残す」つまり、オウムの信徒のみを残し、それ以外の人類を殺害する、という意図でこの事件を起こしているのだから、ナチスの起こした国家主義的なユダヤ人の絶滅、の動機となんら変わらない。ポルポトの大虐殺も、文化大革命も、選別基準が、その人の所属する階級、そのイデオロギーを信じるか、信じないか、の姿を変えただけで、同じなのではないだろうか?
丸山真男さんについては、ドイツのワイツゼッカー大統領の東西統一記念スピーチがヒントになっている。東ドイツ人は、マルクス主義国家を標榜することで、西ドイツ人のようにナチズムに向き合わなかったが、日本の進歩的知識人、左翼系の方々も、同じなのではないのだろうか?
そう嫌いでもない。どちらかと言えば英国人の偽善の方が付き合いやすい。フランス人は喰えないし、浅薄だと思うが、デカルトやベルクソンは偉大で、サルトルは軽薄だと思う。
哲学書は、ドイツに限ればニーチェやハイデガー、ジンメルに留まらず、ショーペンハウアーも読んだ。もとより、カントやヘーゲルは主要著作を随分読んだ。デカルトやライプニッツと並んで、両者の大部の全集を所蔵する(カントならアカデミー版のほかカッシーラー版)。フッサールの全集‘‘Husserliana’’ を最新刊まで全巻揃えて無邪気に喜んでいた時期もある。
専門の古代哲学では随分、ドイツ人研究者による研究書や注釈書の世話になった。第一次世界大戦前後までのギリシア哲学研究の中心は英国と並んでドイツだった。
アリストテレス全集の標準版は、1931~70年に刊行されたベルリンアカデミー版(正確にはプロシア王立アカデミー版)であり、私も30代前半に15万円で購入した。その他、テキストや註釈書、研究書は枚挙に暇がない。結局、古典古代学の知の集成、完成までに85年を要したパウリ・ヴィソヴァ・クロール『古典古代学大辞典』(A. Pauly, G. Wissowa und W. Kroll; ‘‘Pauly-Wissowa, Realenzyklopädie der klassischen Altertumswissenshaft’’, 1893~1978., 84 Bde.)を神田神保町の贔屓の古書肆を通じて購入し、書斎で眺めることになった。
大枚(120万円を2割引)を叩いたが、「清水の舞台から飛び降りる」ほどの決断は要しなかった。注文は二例目らしく、店員に取り扱いは「国会図書館以来だ」と言われた。暗緑色のモロッコ革装幀で大冊が84冊が並ぶと、『トマス・アクィナス全集』34巻より壮観だった。一人前の研究者になったような錯覚はなかったが……。購書に関する限り、私はドイツに充分貢献した。
あらゆる事項を調べ上げる徹底性と情熱=博捜において際立っており、専門知識の宝庫だが、その代表である‘‘Pauly-Wissowa’’は本分中にやたらと挿入や引用、引用註があり、しかも左右二段組み、一欄が68行もあるギッシリ詰まった活字の体裁からして甚だ読みにくく、調べたことを全部書いている印象で、それ以上でも以下でもない。
最も長大な項目は「軍団」(legio)で651欄。優にモノグラフ一冊に匹敵する。多くは無味乾燥で、退屈でさえある。完璧な参考書を目指して不必要に大部になるのは生真面目な国民性の故だろうか。完成に一世紀近くを要しては、初期のものは早々と時代遅れになってしまう。専門分野の辞書とはいえ、やはり失格だ。
それでも、何でも書いてあるし、考古学と違って最新の見解がすべて正しいとは言えないのが古典学の世界なので結構、重宝する。火事にでもならない限り、この知の遺産は不滅だ。
古代哲学史の最も包括的な叙述である哲学史家、E. ツェラーによる通史『ギリシア人の哲学』(‘‘Die Philosophie der Griechen in ihrer geschichtlichen Entwicklung dargestellt’’)の記述の大半は、頁の半分以上を占める註であって、三部全6冊の各九百頁内外の大冊は、まるで電話帳。一九世紀風の重厚長大の典型だ。こちらの勉強も多少は進んでくると、聊か不遜ながら、意外な粗さも目立ってくる。以前に紹介したE.マイヤーは文章がよいので全5巻8冊でも退屈しないが、それでも読み易いとは到底言えない。
ヘレニズム期を叙述した第三部の旧蔵者は田中耕太郎。篤学の士だったのだと確信する。
この「過ぎ去ろうとしない過去」の問題にこだわるのは、例えばスターリンが行った夥しい粛清行為▽ポル・ポト政権による死者200万人を超す大虐殺▽ウガンダの部族抗争に伴う凄惨な大虐殺▽毛沢東による犯罪行為にも等しい文化大革命の惨劇と破壊行為▽旧ユーゴ・セルビア人勢力による民族浄化、最後に▽広島、長崎への原爆投下による非戦闘員の大量殺戮――思いつくままに挙げても、「戦争と革命の世紀」と呼ばれた二〇世紀に起きた、戦争、紛争に伴う二度と繰り返してならない悲劇という一般的な問題意識、即ち、そこから何らかの教訓を汲み取ろうとする道徳的で政治的な問題設定とは別次元の、人間や文明が不可避に抱えているのではないかと示唆させる「悪の可能性」とでもいうべき「負の領域」を考える上で、格好のテーマだからだ。
重要なのは、ジェノサイド、ホロコースト、ショアーと呼ばれる未曽有の、戦争目的を度外視した、国家による計画的かつ日常的、工業的に行われた特定人種への究極の殺戮行為が、他の戦争犯罪との比較によって「相対化」しうるか、という点だ。アウシュヴィッツと原爆投下はその矩を遥かに越えている。
ヒトラーという未曽有の悪の化身と彼が率いた強権的犯罪者集団によって、かくも有能で名誉と道義を重んじる誇り高きドイツ人が洗脳され、否応なく加担させられた、などという愚劣な「物語」や戯言で、問題の本質を覆い隠してはならない(W大統領演説は政治的禊にすぎない)。
それほど、重大な問題、人類に投げ掛けられた難問(ἀπορία)なのだ。それは、われら日本人にHiroshimaの悲劇=核兵器に真に向き合うことを促す端緒にもなろう。
オウムの誇大妄想的なテロ行為などと比較して矮小化している場合ではない。
反ユダヤ主義自体はドイツの専売特許ではなく、19世紀後半から始まり、過去のコメントにも書いたが1894年のフランスのドレフェス事件、ロシアでは、アレクサンドル2世の暗殺(1881年)事件で、1万5千人のユダヤ人が殺された。という訳で、ユダヤ人への迫害、虐殺は、ヨーロッパ史では中世以来、枚挙のいとまがない。
ミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所、にはガス室はなかった。また、強制収容所、ということなら、ソ連時代ソルジェニーツィンの書かれた「収容所群島」がある。そういうことを相対的に考え、ユダヤ人がヨーロッパ史でどのような立ち位置にいたか、も知って、ドイツ人を判断すべきだ、と思う。ドイツ語英語完璧な反時流的古典学徒さんのお知り合いの女性の言われるように、ドイツ人でカントやヘーゲルを読んでいる人は少ないし、米映画では、ドイツ人は冷酷で知的なナチス、悪の象徴風であるが、実際のドイツ人には陽気でビール大好きな田舎風の叔父さんも大勢いる。
高橋氏について私は以前、加藤典洋『敗戦後論』への氏の批判を再批判した。そこでは、「表象文化論のコンテクスト」などという「フランス思想かぶれ」に何の価値も意義も見出さない私にとって、知的装飾を剥ぎ取った中身が感傷の所産でしかない型通りのナショナリズム・自由主義史観批判であることや、「応答責任」という仮構の論理に基づく戦後世代の戦争責任論の追求という一連の議論は空疎であって、新タイプの戦後民主主義のイデオロギーにすぎないことを批判した。高橋氏による「ジェノサイド」言説批評が、私の論点とは全く別の問題意識によることも。
私が説く‘Auschwitz’とは、単にユダヤ人絶滅収容所として、かつてポーランドに実在した特定の施設または場所のドイツ語の呼称ではなく、‘génocide’の象徴として使用しており、‘Hiroshima’が広島ではなく、原爆投下という非戦闘員への無差別な虐殺行為の象徴であるのと同じだ。
私はこのアポリアー(ἀπορία)の重要性に自覚的ではないドイツの民衆の問題意識の欠如を頭ごなしに批判するつもりはないし、嘆かわしいとも思わない。「健康な」民衆とはそういうものだし、人は何を思い主張しようと、自由である。ただ、「ナチスの犯罪を相対化」できると浅慮し、過去の記憶に閉じ込めようとして居直る際の「偽善」を見逃さないだけだ。高橋氏のような独善的な主張に‘Auschwitz’を利用するつもりもないが、歴史を貫く「悪の凡庸性」の意味を考え抜くことは哲学者でも容易ではない。
欧州の歴史を彩るユダヤ人の成功と苦難の物語は、繰り返されるポグロムの試練を経てもなお、安住の地を見出せなかったことに同情するだけだ。
彼は述べている、歴史上あったことを、なかったことにすることはできない、歴史を一方的に、自分たちを美化し、自分たち本位に見るのではなくて、できるだけ純粋に客観的に、真実をみようとすべきである。その行為を誠実にすればするほど、我々は解き放たれ、本当の意味で、ユダヤ民族と仲直りができる。これは、ドイツの大統領としての、ドイツ国民全体に対する促しであり、過去の記憶に閉じ込めようとする「偽善」や居直り、などとは全く思えない。
彼の演説の中に、我々が生きてゆく上で、政治と向き合う上で、大事だと思う点は、たくさんあるが、その中に、「人類がなにをしかねないかを知る」こと、という項目がある。広島への原爆投下も、ドイツ人の総意で「ホロコースト」が行われたのではないのと同じように、アメリカ人の総意だったわけではなく、司令官、つまりトルーマン大統領の決断だったわけであるが、そういう政治決断をする政治指導者がいる、ということを知らなければならない、と思う。
また、民族問題としては、中東のクルド人問題、もちろん相変わらずのユダヤ人問題、東南アジアのロヒンギャ問題は、ホロコーストまではいかないが、同根の問題である。
そういう国際問題が現実にあることを日本国民によくわからせること、が本来大手マスコミの役割のはずなのに、野党の政争の具、モリカケ問題がさも日本の最重要課題のように扱い、「安倍首相は信頼できない。」という世論を作り上げる大手マスコミの姿が、本当に嘆かわしい。
そのうえで、「アウシュヴィッツ」(Auschwitz)は私にとって、国家によるユダヤ民族虐殺とナチスの暴虐のメタファーとしての「絶滅収容所」のことであって、ユネスコの世界文化遺産(負の遺産)になっているオシュフェンツィムというポーランド南西部の都市のドイツ語名とは意味の位相が基本的に異なることを強調しておきたい。スターリンやポル・ポト、毛沢東などという道徳的レベルでは比類なき「人でなしの犯罪」と比べ、比較考量の対象にしたり矮小化できるレベルの、つまり「戦争犯罪」として一般化し、「相対化」できる次元の問題ではない、ということだ。
ユダヤ人の亡命哲学者アドルノ流に言えば、 [Auschwitz]が世界史に刻まれたドイツ民族の業悪の象徴であると同時に、人類の背負わざるを得ない、取り返しのつかない「文明の野蛮」であり、永遠に消えない墓碑銘、ドイツ人が恐らく永遠に背負い続けなければならない十字架である、という認識だ。ドイツ人(とドイツ民族)が人類の一部なら、当事者ではないとしてもわれら日本人も、他人ごとではなく真剣に思考しなくてはならない重い課題、即ち難問=アポリアーだという認識である。
この点に関して私は以前、コメント欄にこう書いた。自分の文章を引用するのは気が引けるが、再説すると、
「人間は偽善なしには生きてゆけません。ドイツ人に限らず、われわれはすべて偽善の塊です。問題は偽善を免れるための弁明に表われた作法と品性です。この点で、戦争責任とナチスの断罪におけるドイツ人の姿勢と論理は、あまりスマートとは申せません。それは、厳しい言い方を許されるなら、道徳でいえばパリサイ的な偽善であり、心理的には道徳以前の感傷です。それだけ、戦後のドイツが突きつけられた凄惨な事実と罪悪は重すぎたのでしょう」(6月26日com. 36)。
そして、[Hiroshima]についても、原爆開発の中心になったのがナチス政権誕生後に米国に亡命した多くのノーベル賞受賞者を含む複数のユダヤ人科学者であり、同じ亡命ユダヤ人であるアインシュタインが理解を示して政府を動かし、強力な指導力でそれを実現したユダヤ人物理学者ロバート・オッペンハイマーの野心が対日戦争の早期解決を求める政治指導者トルーマンの思惑と合致し、原爆投下の最終決断を促した。ここまでは、近年発掘された科学者らの肉声テープからも明白だ。米国市民に一義的責任はない。
しかし、それは法的責任やほとんどの政治的責任、道義的責任さえ問えない、というだけの話であって、問題が雲散霧消するわけではない。事ここに至っても、米国政府はもとより、米国市民の大半も原爆投下を支持している事態に何ら変わりはないからだ。退役軍人協会が以前、スミソニアン自然博物館での原爆展に強固に反対し、展示の一部差し替えに追い込んだことは周知の事実である。
この事態をどう受け止めるべきか、と私は問うている。
ナチスの蛮行は確かに表向きは断罪された。しかし、言い逃れができない規模と周到な計画性、それを職務として従順に実行した市民の日常性、「ガス室」に象徴される身の毛もよだつ残虐性が計算と管理、技術的冷淡さ、官僚機構特有の無機質な目的合理性と同居する圧倒的事実として厳存する。それは戦争犯罪の域を遥かに超えているのは言うまでもない。そこにあったのは物象化=もの化された不条理な死であった。
しかし、私が憲法九条を根城にした絶対平和主義者や護憲派の進歩的知識人と全く異なるのは、戦後の保守政権が選択した米国との「和解」は、原爆投下を過去の例外的な蛮行として歴史の彼方に押しやったとはとても思えないとしても、感情に流された反米も、空想的な全方位外交も選ばなかった現実路線を一貫して支持していることだ。そこに政治哲学的深慮があるかどうか、ここでは敢えて問わないが(たぶんない)、政治家としての最低限の役割は果たしているのは、吉田茂、岸信介という資質も肌合いも異なる二人の政治家をみても明らかだ。
世論という名の俗論、雑音に媚びない点で二人は共通する。
民主制(民衆政=‘δημοκρατία’)は、その発祥の地古代ギリシアの昔から、有能な政治家を欠いては有効に機能しないのは歴史の教訓である。ペリクレスがテミストクレスに劣るのは、「政治家である以上に理想主義者だった」との厳しい指摘もあるが、極端な直接民主制国家であるアテーナイにあって、常に反対勢力の激しい攻撃にさらされながら、文字通り鋼鉄の意志で民衆を叱咤激励して戦争指導にあたったペリクレスが、自ら立案した政策と戦略を説得力に富む論理で推し進めた、卓越性という点で当時望み得る奇蹟的な人物であったことは否定できない(田中美知太郎『ツキュディデスの場合』)。
吉田や岸をペリクレスに比べることに異論を挟む向きもあろうが、資質は同じである。ただ、ペリクレスほどの弁論の力をもたず、それを正当に評価する知識人が少ないだけだ。それが、戦後の言論界、論壇を歪めていることは周知の事実だが、国民の無言の支持は、また別の側面から考察する必要があり、理想主義に走る観念論からは自由だが、思想的脆弱性という欠点を免れてはいない。
問題は法の支配のもとで、エリートが国民を如何に手際よく説得して、民主主義の実を上げるか、という問題であって、吉田や岸はチャーチル同様、有能なリアリストなのであり、「莫迦の一つ覚え」のように「民主主義」「説明責任」を声高に叫び、俗耳に入りやすい理想と言う名の迷妄を説きながら、国民を常に誤った方向にミスリードする野党政治家や学者、メディアほど気楽な商売ではない本来の政治家だった、というだけのことである。
それは必ずしも四民平等の民主主義思想と矛盾しないのは言うまでもない。現実は支配層と被支配階層とで異なってみえるものであって、幸いこの国は中国のような官僚支配のイデオロギー政党による一党独裁国家ではないし、韓国のような政情不安で民意の定まらぬ超法治国家でもない。
民主制下での政治家の発言はペリクレスやヴァイツゼッカー西独大統領の例を俟つまでもなく、真実への覚醒を国民に迫るというより、慎重に考え抜かれた、その場その場で適宜表明しなくてはならないメッセージを伝える手段にすぎない。その観点からみればヴァイツゼッカー演説は苦しい弁明もほころびも目立つが、それなりによく準備され、国民に「当面の」納得を促す点で充分その役割を果たしたと言える。
それはあくまで政治的な性格のものであって神聖視するのは見当違いだとしても、英仏に比してその非政治性が際立ち常に後塵を拝してきたドイツにしてはご立派というほかはない。ヴァイツゼッカー氏は政治家なのである。民衆の支持を離れては存立し得ない。民主制の強みであり限界でもある。
最後に、忘れてはならないのは、戦後のドイツ人が絶対譲れない政治的立脚点、歴代大統領とも一貫している「公式見解」、即ち、ドイツ国民はナチスドイツ、第三帝国の「被害者」であって、悪いのはみんなヒトラーと傘下の強権的犯罪者集団という断定がすべての政治的発言の前提になっていること。
それを、ドイツ国民にだけ通じる身勝手な真理とみるか、普遍的な真実とみるかは受け取る側の自由だが、「しかし日一日と過ぎていくにつれ、5月8日が解放の日であることがはっきりしてまいりました。このことは今日われわれ全員が共通して口にしていいことであります。国家社会主義の暴力支配という人間蔑視の体制からわれわれ全員が解放されたのであります」という戯言は、私には少しにも響かない。
「災いへの道の堆進力はヒトラーでした。彼は大衆の狂気を生み出し、これを利用しました。脆弱なワイマール期の民主主義にはヒトラーを阻止するカがありませんでした。そしてまたヨーロッパの西側諸国も無力であり、そのことによってこの宿命的な事態の推移に加担したのです」との恨み節に至っては責任転嫁にもほどがある臆面もない強弁だ。
ヤスパース『贖罪論』(1946年)の焼き直しである「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります」。So what? 勝手にすれば。私はいつもそう思う。<完>
・一点目。ヒトラーという指導者をドイツ人が選んだことに関する後悔と反省。二度と悲惨な指導者を選ぶことは有ってはならないという決意
・二点目。それは海外にむかって反省意識を宣言するという大袈裟なパフォーマンスを通じて行うものではない(大統領は世界の前でひざまづいたが)。そんなパフォーマンスはナチスの時代以外には偉大な歴史もあったドイツ人のプライドも許さない。
・三点目。米国はインディアン絶滅や黒人奴隷の黒歴史あるが、逆に黒歴史あるからこそ世界に介入しようとする発想であるが、ドイツはそのような裏返しの正義は追及しないし、追及する資格も失ったと考えている。正義への介入は謙虚に主張されるべきだ。
ドイツマスコミみたいな別の人種は、そりゃー日本マスコミと同じでやりたい放題で、気まぐれで下らないが。
90年代の細川のように口先だけは華麗な人物で腹立たしい。吉田茂などと比べて圧倒的な違いは国際的感覚や視野があるようで全くない。あまり興味ないが、苦労知らずのボンボンなのだろう。
「日本の場合は、会社員の方もたびたび指摘されておられるが、戦前、戦争を煽った日本の新聞、知識人が「進歩的知識人」となった」
私のみならず多くの人が繰り返して主張しているのは、彼らは「ドイツを模範とした右の全体主義」から「ソ連や中国を模範とする左の全体主義」に転向したに過ぎないということです。
これが基本的命題です。
彼らがいかに「日本の封建的な因習を批判して近代化を促進した」などと主張して、自らをリベラルだと自画自賛しようと、そんなものは共産党独裁のソ連や中国の共産党機関紙が封建制度を糾弾していたのと寸分も変わらないということです。
そして、それを私は単に書物の上で知っているだけでなく、青年時代から日本の社会で彼ら自称知識人を観察してきて骨身にしみて感じているということです。
むかしはネットも普及しておらず、近くに国会図書館があるわけでもなく、まったく情報が入手できなかった。(古い雑誌や書籍などは実家にあった)
青年時代に新聞を読んでたら、毎週のようにある学者の名前がでてきた。新聞社はその人物を絶賛していた。その名前を家永三郎という。
いろいろなことをその後に調べて知り、驚愕した。
高山正之氏は、家永を以下のように辛らつに評している。
「戦前は「ペンをもって皇国の盾とならん」とか巻頭の辞に書いていたのに、その皇国が一敗地にまみれると、この歴史学者はころりと転向した。GHQが日本は侵略国家だといえば「ハイ仰せの通りです」。南京で日本軍は大虐殺をやったと言えば「お説の通り」と検証もしないで歴史書を書き換えた。激変した世をうまく泳ぐためなら彼はどんな嘘でも厭わなかった。そこでやめていれば単なる変節漢で済んだが、彼はその身過ぎのため嘘をぬけぬけと教科書に載せようとした。それが東京五輪の直前で、そのころはまだまともだった文部省が、この嘘まみれのうえに誤字脱字だらけの教科書を不合格とした。彼はそれが不満で国を訴え、あの不毛の教科書裁判が三十余年も続いた。家永先輩は史実など糞くらえ、時流に乗れればそれでいいという曲学阿世の見本だった」
こういうウソ八百を書き散らかして朝日新聞が死ぬまで美化しつづけたのは典型的な「進歩的知識人」が多かった。
家永三郎は、吉田清治を絶賛し、自分の著書にも引用した。また過去には朝鮮戦争を米国の侵略だとしていた。そして、ハーバート・ビックス、ブルース・カミングス、ジョン・W・ダワーなど左翼御用達の外国人学者にも反日のデマを拡散しまくった。
本当に無茶苦茶なのが、「進歩的知識人」。
吉田清治のときと同じように真実が暴露されるまでは、徹底的に見世物として利用するのだ。
おそらく新聞社の人間も家永三郎がこれほど醜悪な転向組と知っていたはずだが、マスコミ自体も同じ醜悪な転向組だから親近感をもっていたのであろうと推察した。
そうではない、彼が述べていることは、敗戦の日まで、ドイツ国民は、正義の為に戦っている、と信じていた。けれども、敗戦後、そうではないことが明らかになった、失望、傷心、これからどうしよう?(第一次世界大戦後にそうであったように)勝った国から激烈な復讐を受けたら、どうしよう?この廃墟の中、これからの我々に未来はあるのだろうか?どうなるんだろう?という心配に襲われた、と述べているのである。それは、日本の軍国主義者と同じように、ヒトラーが、戦争に負けたらドイツは滅亡する、と繰り返し主張したからである。
要するに、第二次世界大戦後敗戦国として日本が結んだポツダム条約と、ドイツ、ワイマール共和国が第一次世界大戦後敗戦国として結んだベルサイユ条約の内容には、雲泥の開きがあり、ドイツは、武装解除以外に、莫大な戦後賠償金を払う義務を負わされたのである。それが、「不公平だ」というドイツ国民の気持ちが、ヒトラーの主張に、騙された理由の一つであって、そのことが、日本の知識人にはまるで抑えられていない。また、たしかに、学校でそのようなことは習わなかった、とも思う。
大混乱の中実家に行くと、戦争では父の消火活動の成果で焼け残った家に両親はいて、「戦争中に比べればましです。」と言ったのである。まだ、余震はあったが、たしかに、戦争中であれば、また、空襲が起こって、すべて焼き尽くされるかもしれないんだな、と思った。心にまるで響かないのは、戦後の自民党政権に守られて、平和を享受できた結果、反時流的古典学徒さんが本当の意味の悲惨な経験をなさったことがないせいだと思う。
また、「脆弱なワイマール期の民主主義にはヒトラーを阻止するカがありませんでした」、という言葉にしろ、その反省に立って、戦後のドイツは、戦う民主主義を標榜し、日本のように、基本的人権を無制限に認めない。つまり、民主主義を壊す可能性のある政党、例えば、日本でいえば、オウム真理教のような集団は政治活動できないのである。西ドイツは、自分たちの失敗の教訓に「基本法」を作り、実情に合わせて修正したから、統一後も、そのままドイツ憲法となったのだと思う。
私が一番印象に残るのは、ユダヤ系のアメリカ生まれの世界的指揮者、レナード・バーンスタインが、ベルリンの壁が崩れた1989年のクリスマスにベルリンで東西ドイツ、アメリカ、ソ連、フランス、イギリスの各オーケストラの混成メンバーでベートーヴェンの第9の指揮をしたことで、ユダヤ人も含めて、一つになれたんだな、と思った。つまり、教養のある普通のユダヤ人は、ホロコーストをナチス時代の悲惨な一コマ、と捉えているし。また、そう捉えないと、国際社会で、平和は永久に確立できない。
事情通ではないですが、いまだに読まれているのは「自由からの逃走」などで有名なフロムではないでしょうか。たしかにフロムの一部の著作についてはそんなに読んでいて違和感がなかった思い出がある。
一説にはGHQはこのフランクフルト学派の大きな影響を受けていたという説もある。ナチスに迫害されたユダヤ人が米国にきて影響を与えたとか。
でもユダヤ人というくくりで見ないほうが良いと思う。西欧での無神論とマルクス主義が結合して出来上がった、社会や人間の無機的な分析を好む思考グループで、もとはといえばこんな学派を時代の寵児にしてしまったのもナチズムの悪影響でしょう。ナチズムが影響をおよぼさなかったら(いろいろ議論もあるが)ディルタイの弟子たち(ゲオルク・ミッシュ、ベルンハルト・グレトゥイゼン、ヘルマン・ノール、アルトゥール・シュタイン、テオドール・リット、エドゥアルト・シュプランガー、エーリヒ・ロータッカー)がユダヤ人と協力して偉大なドイツを構築していたことでしょう。
これがドイツ人を破壊した。とドイツ人自身が主張することは立場上難しいかもしれないが、そう考えざるをえない。そのためにドイツ人は悪魔と手を組んでしまった。
こんな状態だと、フランクフルト学派についてもたぶん、大したことは知らないのだろう。以前のコメントからフロムぐらいは知っているようだが、学派の主要メンバーであるホルクハイマーもハーバーマスも知らないのだろう。少なくとも主要著作の一冊でも読んでいるとは到底思えない。「110」はそれぐらい、不用意極まる致命的な発言である。ご愁傷様と言うほかはない。
もっとも、よく考えてみれば「知性派」の教養人ではなく、普通のドイツ民衆に寄り添う「庶民派」のようだから、致し方ないのかもしれない。しかし、著作を一行も読みもしないで、私の書き込みに対する反撥から、反射的に取りあえず日本版Wikipediaを頼りに、アドルノに否定的な論評をここぞとばかり、拾い出したのであろう。しかも、私も一定の留保を置きつつ一目置く、ヤスパースである。「しめた…」と。
「110」の引用部分はWikipediaの一字一句違わぬ引き写し、即ちコピペで済ませている。何という怠慢。この人は学問的議論を何だと考えているのだろう。正直見損なった。しかも、アドルノを一行も読まない早飲み込みの「ご批判」である。
これでは、共著者のホルクハイマーとともに戦後の思想界をうならせたが、あまりに難解なため長らく邦訳が出ずに名のみ高かった幻の名著『啓蒙の弁証法』の著者も形無しである。
引用された、ヤスパースによる底意地の悪い指摘(ハンナ・アーレント宛の書簡)は、いささか公平さを欠くし、アーレントの返信中の指摘(「言いようもなくみっともない」「真に破廉恥な点は、純ユダヤ人のなかでは半ユダヤ人の彼が、あのときの一歩(ナチスの機関誌に批評を掲載したこと=引用者の註)を友人たちにまったく知らせずに踏み出したこと」)も同様で、ほとんど悪罵に近い。
この背景には両者ともアドルノとは資質の違いに加え、基本的に思想的、政治的見解、立場が異なるうえに、ナチスへの関与については戦後一貫して沈黙を守り、一言も弁明も謝罪もしなかったハイデガーに対するアドルノの仮借ない批判が、ハイデガーとは、それぞれ別個に葛藤を抱えつつ(ナチスへの消極的抵抗者のヤスパースは友人、亡命ユダヤ人のアーレントは元恋人。今風に言えば不倫関係)、共通の「論敵」であるアドルノへの冷静さを欠いた私信上の同調発信になったものと推測される。書簡が交換された時期がハイデガーとの「和解」以降(1966年4月と7月)なのがそれを裏付ける。
ところで、アドルノがハイデガーを徹底的に批判したのは、哲学が「本来性」を探究する特権的な学だと僭称し、ドイツ人の帰るべきHeimatを求めたその思想がファシズムの温床だったからだ(池田信夫=氏は多方面にわたる勉強家だ)。
哲学者も人の子。ヤスパースは世界的な精神病理学者だから、事態の当否は措いて、いろいろ考えさせられる。
執筆者はアドルノに何らかの批判や悪意をもつ、哲学や社会思想に「無学」な音楽関係者らしいと推定させる、恣意的でバランスを欠く一方的な主張が並ぶ(音楽関係の記述だけは正確さはともかく、詳細を極める)。アドルノについては日本人研究者も多く、研究の蓄積もそれなりにある。著作の翻訳も多い。しかも何とも不用意な作文である。少なくとも、良心的な研究者またはその予備軍ではあり得ないようだ。
なぜなら、そこにはアドルノの主要著作に基づいた広範な領域にわたるアドルノの哲学的思考の軌跡が全く紹介されておらず、「経歴」なる項目で30年代のナチス系雑誌への投稿をめぐる一方的批判が紹介されているに留まるからだ。主著でホルクハイマーとの共著『啓蒙の弁証法』や、後期の代表作『否定弁証法』についても、邦訳の存在を紹介するだけで、内容は一切紹介されていない。
具体的にその杜撰さを指摘するなら、経歴紹介は専ら作曲家としての活動と、アドルノが1934年に、ナチス全国青年指導部の広報誌に論評を発表し、ヒトラーユーゲント全国指導者のシーラッハの詩に作曲したミュンツェル「被迫害者の旗」(Die Fahne der Verfolgten)を評価したことをナチスへの「関与」と紹介。別に「ナチス機関誌加担について」なる項目を立てて、アドルノを論難する見解と、わずかにアドルノの弁明のみ紹介している。
結びに、「(アドルノが)戦後ナチスとナチスに加担した知識人について批判してきただけに、その知的誠実さを疑問視させる」との批判的な研究者の見解「のみ」を紹介し、実質的に糾弾している。
およそ、バランスのとれた公平な紹介が通例である辞書的な記述としては異様であり、日本版Wikipediaの根本的欠陥を証拠づけかねない内容になっている。
近年の最も代表的なモノグラフは細見和之氏の『アドルノ―非同一性の哲学』(「現代思想の冒険者たち」15、1996年)だろうし、徳永恂氏が『ユートピアの論理 フランクフルト学派研究序説』(1974年)を上梓して以来、アドルノへの息の長い関心を示している。二〇世紀の西欧現代思想を通観した『岩波講座現代思想』の第8巻(1994年)は「批判理論」と題して、フランクフルト学派を取り上げており、中心はアドルノとベンヤミン、ホルクハイマー、ハーバーマスに関する研究者の論考が並ぶ。フランクフルト学派が日本に紹介されたのは60年代後半で、ベンヤミンとともにドイツの最新の哲学・芸術(美学)思潮としてであった。
それらが、日本版ポンコツWikipediaには全く反映されていない。一体どうなっているのか、編集責任者に問いたい。
私が記述の不備を補う謂われはないが、序でに述べると、米国亡命の中で、学派の「前身」である社会研究所のメンバーが米国の思想状況を受け、「倫理的ヒューマニズム」対「政治的ラディカリズム」という構図の中で双方が対立する構図が生まれ、米国におけるフロイト左派内部のフロイト解釈をめぐる対立につながり、エーリヒ・フロムとアドルノは鋭く対立する。結局、アドルノとホルクハイマーが50年代初頭、亡命先の米国からドイツに戻り、社会研究所を再建して華々しい活躍を進めて以降、フランクフルト学派が一般的に認知されるようになる。研究所の初期はホルクハイマーとともに学派の中心で、マルクーゼとともに米国に残ったフロムは以降、学派の歴史からほとんど消去されていく。
「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」(「文化批判と社会」(『プリズメン』所収、ちくま学芸文庫36頁)。
この意図は、原爆を非難した、いわゆる反米ではない。
あくまで左翼の日本を糾弾する仕方や歴史観が正しいという前提で、その考え方に賛同しないものをファシストと罵倒するためのキャッチ・コピーだったのである。そしてナチスによるホロコーストを反省するドイツ人や知識人と同じ次元で日本の戦争を反省しない者は「罪意識をもたない野蛮人」であると多くの日本人が刷り込まれた。
これら左翼は戦後賠償という枠組みにのめりこみ、韓国人や中国人の反日を狂ったように扇動したので、韓国人や中国人にも「ナチスを反省するドイツ人のようには過去を反省しない日本人」という文句が刷り込まれた。
そして日本の過去の戦争を少しでも美化する日本人は検閲でとりしまれと一部の左翼は平然と主張した。それも彼らは左側の全体主義の申し子だったので当然だったのである。
どうして日本の左翼はトンチンカンなことばかりを言ったり考えたりしているのかと昔思ったときに、ホルクハイマーとアドルノの「啓蒙の弁証法」などを読んで、「なるほど、こういうのをネタ本にして、同じような理屈と発想でハッタリをかましているのだな」とわかって非常に参考になりました。そういう意味では本を読む動機が不純なのでしょうが。
気ままな感想は自由ですが、私が「一般的にアドルノの最も著名な、人口に膾炙した発言としてしばしば文脈を無視して引用される「アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である」(『プリズメン』)」と書いた際の、「しばしば文脈を無視して引用される」との留保の意味にお気づきですか?
アドルノは確かに左翼でしょう。別に西欧では珍しくも特異でもない。実存主義に分類されるサルトルや構造主義のフーコー、それ以前ならハンガリーのルカーチはいずれも唯物論者であり、色彩の濃淡はあれ、マルクス主義者でした。しかし、ロシア革命によりマルクス・レーニン(・スターリン)主義と称された、硬直した国家・政党の公式哲学である「弁証法的唯物論」とは全く違います。
アカデミックな哲学研究の世界では、ロシアの弁証法的唯物論は哲学的後進国ソ連共産党の護教的イデオロギーにすぎず、一切の異論や独創的解釈は許されず、古典的文献の解釈すら厳格に監視されていることから排他的、独善的な性格も問題視され、結局、西欧マルクス主義の伝統とは無縁です。
各国の共産党へのソ連共産党の指導や介入によって、さまざまな動きがありますが、ソ連では、ルカーチのような創意や「揺らぎ」は許されなかったでしょう。
ヘーゲルや唯物論とは一線を画する新カント派でさえ、著名な哲学文庫(Philosophische Bibliothek)版『カント全集』の編集者でマールブルク学派(観念論)に属するフォルレンダーでさえ、『カントとマルクス』(1911年)を著して、マルクス主義を認識批判的、倫理学的に修正しようと試み、ドイツ修正主義の代表的存在とされます。
フランクフルト学派の場合、ホルクハイマーの初期批判理論における「学際的唯物論」と呼ばれる構想が結局は実を結ばず、フロムの『自由からの逃走』(1941年)とアドルノ、ホルクハイマーの共著『啓蒙の弁証法』(1947年)との方向に分裂します。
「何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに、一種の新しい野蛮状態に落ち込んでいくのか」という、文明の進展自体が野蛮への退行である、という危機意識をユダヤ人大量虐殺にみている訳です。
「ジェノサイド」(民族大量虐殺、フランス語でjudéocide=ユダヤ人虐殺)、「ホロコースト」(「丸焼き」。生贄となる犠牲者が集団儀式中に焼かれる、神への供物を意味し、神罰とかユダヤ民族の殉教による贖罪の概念を含む)、「ショアー」(ヘブライ語で破壊」)と呼ばれる、ナチスドイツによる国家的な特定民族の絶滅政策のおぞましに哲学者が震撼させられたというより、その啓蒙的=近代的側面に注目した結果、必然的に出てきた問題意識です。
ナチスの蛮行にみられる、周到な計画性、それを「業務」として淡々と実行に移す市民の日常性、「ガス室」での最終処理が計算と管理、技術的冷淡さ、官僚機構特有の無機質な目的合理性と同居するという、如何にも近代的で進取的な「啓蒙的性格」を抉り出したもので、そこには一切の感傷の入り込む余地はない、という驚くべき「発見」なのです。
「感傷」は時に詩藻を育みますが、人類の文明化の果てに深淵として口を開けていたのが、文明化の故の野蛮への退行だとすれば、それと真正面から向き合うことなしに、詩など作っている場合ではない、という人類への警告なのです。
アドルノの趣旨はそれ以上でも以下でもなく、この文脈への顧慮を欠いた箴言の拡大解釈は無意味で、当の人物の凡庸さの象徴です。
フロムの本は、「愛するということ」、「自由からの逃走」は必要があって買いました。「愛するということ」は、読んだ瞬間から虜になって、世界のベストセラーになる理由がよくわかりましたが、理論的な「自由からの逃走」は、大学時代は、アドルノの本に対してと同じ専門の大学の教授が言われるから、すばらしいんだろう、という理解にすぎなかったのですが、歳を経て、プロテスタント、カトリック、宗教改革、ユダヤ人、ドイツの歴史理解が深まるにつれて、本当に名著だ、と思うようになりました。彼もユダヤ人ですよね。けれども、アドルノのように、激しくドイツ人を糾弾していません。そして、どうして当時のドイツ人が民主的な政治体制の元、ヒトラーを総統に選んだか、という理由が冷静に、客観的に述べられています。
「ナチスは近代の現象か。それとも近代以前の何かか」
近代国家の精緻な官僚機構と管理技術や近代技術を利用した破壊的な宣伝戦略を使って実施されたのだから近代国家でしかありえなかったという見解もあるし、日本の知識人でも右左を問わず、そのように考える知識人は数多い。それなりの歴史的・哲学的研究もあるでしょう。
KKKが拡大した米国でも条件がそろえば十分あり得たことだと思います。
ただドイツの野蛮人は非常に悪知恵にたけていた。
米国が日本との戦争中に日系人を強制収容所にいれたように、まずナチスはドイツ人がユダヤ人と平時においても一種の「戦争」をしているかのように錯覚させた。その認識を浸透させれば後は簡単だ。そしたら、どこか外国にでも隔離すべきだという洗脳することは容易になる。
ずるいのは生命や血統を絶滅させろとまでは露骨に主張しなかった。そう主張すれば高等教育を受けたドイツ人にはさすがに受け入れられないからです。
ドイツはSturm und Drang(疾風怒濤の時代)の後、近代精神をもったゲーテとシラーによる「古典主義」の時代がきますが、現実のドイツの国民生活は、フランスのナポレオンの侵攻の前に、戦場と化し、押しつぶされてしまうのです。そのために、ドイツのロマン派の文学者はドイツ民族の個性の尊重を主張するために、現実生活で達することのできない「こうあったらいいな。」という仮想現実を描き、国民はそこに夢をかけて生きるしかなかった。宗教上、統治上の理由で、統一した民族国家をもてなかったから、ドイツ固有の神話、法律、民話、民謡、辞書の編纂など、自国の個性を主張したのです。また、精神をもって物質界を支配することができ、理念を現実化することができるという、ノヴァーリスの様な精神力への極度の信頼をおいた観念や、全一的なものとの合一に憧れる、という特徴をもちます。ロマン派の時代は、古典派と違って、理性や客観性ではなくて、感性や神秘性が重視された時代でした。
第一次世界大戦後のドイツも、ナポレオン戦争の後と同じ状況で、そこに、ドイツの英雄、ワーグナーの楽劇の主人公のような、オペラの俳優に演技を習ったヒトラーが現れたのです。疲弊したどうしていいかわからないドイツ国民、特に純粋な若者が「仮想現実」を現実と錯覚し、ヒトラー総統についていけば、救済される、と信じた。その過程を経て、近代精神をもたない野蛮人が、近代的な権力基盤を握ってしまうのです。特に、現代のように、科学技術が発達し、どれが現実で、どれが仮想現実かわからなくなってしまった現代は猶のこと、この歴史を他山の石にしなければならない、と思う。
「道具的理性」(instrumentale Vernunft)という概念がある。辞書的解説では、「啓蒙思想が科学的認識によって自然を支配し、宗教の拘束から脱しようとするとき、理性は実は自然と社会とを搾取する道具として働いているとする」(『大辞林』 第三版、三省堂)となるが、分かったような分からないような説明だ。
それはフランクフルト学派第一世代の M. ホルクハイマーや T. アドルノらが啓蒙的理性の頽落形態(自然への頽落=Naturverfallenheit)として批判した理性概念で、自然科学的、技術的認識による世界の合理的解釈や操作、即ち「脱魔術化」を特徴とする啓蒙的理性の自己展開が、「人間対自然」の枠組みから、やがて、「人間対人間」の支配関係まで肥大化する現象を指している。
私はこれを、二人とは対立する後期ハイデガーの技術的理性(technische Vernünftigkeit)の専制的支配という危機意識への顧慮も斟酌して、道具的合理性(instrumentale Vernunftmäßigkeit[Vernünftigkeit or Rationalität])と勝手に読み替えている。内容に根本的な差異があるわけではない。
アドルノらは「啓蒙」(文明)と、その対立概念とされる「神話」(野蛮)とを、逆に「秘かな共犯関係」にあるものとみて、アンチテーゼを提起する。即ち、「既に啓蒙そのものが神話である。そしてまた、神話が啓蒙に反転する」(『啓蒙の弁証法』)。さらに、啓蒙的理性の発展過程に支配と搾取の論理が内在されていたとする彼らの批判には、唯物論やマルクス主義的な党派的イデオロギーによって啓蒙と道具的理性を同一視する傾向が顕著であるものの、アドルノはさすがに周到であって、「学問の自己没却的な道具化」(selbstvergessenen Instrumentalisierung der Wissenschaft)の弊に陥る愚に充分自覚的だ。
学派の第二世代J. ハーバーマスはそれが啓蒙の一面的理解にすぎないと批判して、道具的理性に代わるもう一つの啓蒙的理性である対話的理性の可能性を模索している。
ハーバーマスも、なぜアドルノたちが、「啓蒙自身がラディカルに自己自身のあり方を明らかにすることを、つまり自己啓蒙することを望んだのか」という問題への熟考を促す(「神話と啓蒙の両義性―『啓蒙の弁証法』再読」、『近代の哲学的ディスクルス』所収)。
その上で、「イデオロギー批判が自己自身を批判によって乗り越えてしまい」、全面批判に転じていった背景に、偉大な倫理的ラディカリスト、ニーチェの存在が無視できない「規範」として意識されていたことを説く。むろん、アドルノらとニーチェとでは、文化批判によって目指す方向に重大な違いがあるのは事実だが、両者がそれぞれ、異なる方向から問題に接近している、というより、彼らが、異形とはいえ不世出のモラリストの、ある意味正統な継承者として、この根本的アポリアー(ἀπορία)に対峙しているのを示唆している。
この点で、ニーチェを偉大な師表と仰ぐハイデガーが方法論的には別の立脚点からとはいえ、ある意味、極めて「親和的」な立ち位置にあることがほのみえてくる。ハイデガーのナチス関与について戦後一貫して仮借ない批判を続けてきたアドルノだが、難問(ἀπορία)を共有をしている点では、一目置いていた可能性を否定できない。「より良い立論には、強制を伴わない強制力がある」(zwangloser Zwang des besseren Arguments)ということなのかもしれない。
ヤスパースのように、胸に一物あるかのような政治的な檄語、「なんたるぺてん……なに一つ信用するに足るものはない」は、ハイデガーの真意さえ見逃している恐れがある。
近代と野蛮は不可避に同居するのである。
私は、ハイデッカーについて、Wikipediaを調べてみた。するとこれは長い。ハイデッカーという哲学者は、私が西ドイツに留学した年に亡くなっておられるのである。そして、戦後、ドイツ文学史を書かれた手塚富雄さん、禅の鈴木大拙さんもハイデッカーを訪問している。そののちも、様々な世界の文化人が彼を訪れている。また、彼は別に戦後ナチス時代について、まったく沈黙しておられないこともわかった。1966年2月、デア・シュピーゲルで「ハイデッガーがフッサールの大学への立入りを禁止した」「ハイデッガーがヤスパースを訪ねなくなったのは、ヤスパース夫人がユダヤ人だからである」と報じられると、ヤスパースは「シュピーゲル誌はかつての悪い流儀に逆戻りしている」とアレントに手紙で書き、アレントはこうした流儀はアドルノ一派によるもので、アドルノとホルクハイマーは「自分たちに敵対する者にはすべて反ユダヤ主義の罪を着せるか、罪を着せると脅かしてきていました」と述べている。
また、私たちが考えなければならないことは、この犯罪も、文化大革命、ポルポトの虐殺、ルアンダで起こったツチ族フツ族の虐殺合戦、と同根であり、「人間はなにをしかねないか。」という視点が法整備、政策決定には不可欠だということだと思う。
ゲッペルスの論文の二つの柱は、ナショナリズムと神秘主義的な救済の思想であるとされている。なるべく人が、ヒトラーに、宣伝相に抜擢された、という印象を受けるが、 上杉慎吉も時期は13年前になるが、同じハイデルベルグ大学で勉強したのだ、とふと思った。
しかし、カロリーネ氏(以下、「カ氏」と表記)の一種の芸術至上主義、極言するなら、敬愛するゲーテ流の「文学至上主義」的発想では、専門外のこの分野に関して何かを述べるだけ自ら墓穴を掘ることになるから、見苦しい「負け惜しみ」は大概にした方が賢明だ、とご忠告しておきたい。対応はご自由だが。
まず最初に、私が日本版Wikipediaの「アドルノ」の項目について、「一体どうなっているのか、編集責任者に問いたい」(116 )書いた件について、カ氏は「それから何年経ったのだろう。学問の研究は進化する」と訳が分からないことを述べているが、学問が進歩するもしないも、現時点での日本版Wikipediaは、1960年代後半の状態のまま停滞しているのは明白だ。一体カ氏は何を言いたいのか皆目見当がつかない。
日本語の読解力に問題がないとしたら、敢えて曲解しているのか? 「ユダヤ人の亡命哲学者アドルノという名前が出てきたので、どんな人が調べてみた」(110)と書いておいて、見苦しい言い訳をするぐらいだから、知れたものではないが。
「ハイデッカーという哲学者は、私が西ドイツに留学した年に亡くなっておられるのである」(110)などと「無知」を恥じる気配もなく、呑気に書いているが、「無学」は分かり切ったことだからこの際措いて、次の箇所で、「彼は別に戦後ナチス時代について、まったく沈黙しておられないこともわかった」と早合点する感覚にも首を傾げる。
インタビューは30年以上にわたって、彼に向けられた批判や非難に重い腰を上げて答えたものだが、生前の「約束」=一方的な「禁令」通り、生前は一切公表されず、ハイデガーの死後、5日たった1976年5月31日に初めて活字になった。
インタビューに応じた動機の判断もそうだが、戦後51年に公職追放を解除され、その後は復帰を果たし、名士として海外からも信奉者がしばしば訪ねているなかで、ガダマーやフィンクら後進も育って周囲の批判に対する防御体制も盤石になっていた時期を見越した対応であって、こういうのをカ氏の心を寄せる「普通の人」の感覚では、「(生前は)ひたすら沈黙を守り、死去する76年まで、反省も謝罪も表明していない。このある意味見事な居直り」と言うのである。
それだからこそ、戦後のドイツ国内はもとより、ハイデガー哲学の批判者も信奉者もそれぞれハイデガー本人の真意を測りかね、それをめぐって「ハイデガー論争」が起きたのだ。結局、Der Spiegelにおける弁明をもってしても到底決着する性質のものではなく、90年代にフランスで再燃するのもそうした事情からだ。
そうした経緯を知らないから、Wikipediaの記述を早とちりするのだし、事の真相をめぐって全く勘が働かないのである。しかし、恐らく一行もまともに読んだことのないハイデガーについて語ること自体、驕慢(ὕβρις)だという自覚がないのが恐ろしい。
「1938年のフッサールの葬儀に…「…夫人への手紙で謝罪した」と述べた」、即ち「得意技」のコピペを駆使して、お茶を濁している。知的怠慢というべきか不誠実というべきか、呆れ果ててものが言えない。前段の「「ドイツ大学の自己主張」演説に…「…ではないということを目指したものだった」と述べた」も全く同じ。コメント129はそれがすべてで、劣等学生のリポート並みである。
この点で、「右翼のヨタ者」、いわゆる「ネトウヨ」の吹き溜まりではない篠田さんのこのブログコメント欄の知的品位を著しく傷つけている、と思えなくもない。
ヤスパース、アーレントのハイデガーとの微妙な、というか一言では言い尽くせない複雑な関係については、コメント114で指摘した以外に枚挙に暇がないほど裏話が多いが、唯一この場で指摘するとすれば、「恋人」「愛人」であったアーレントは、18歳の時(1924年)、マールブルク大学に入学して聴いたハイデガーの講義に魅せられ恋に落ちた。時にハイデガー35歳(彼は教育学者でH. ノールの弟子であったElisabeth Blochmannとも愛人関係にあった)。
ナチスへの関与にとどまらず、公私ともに誠実な人物であったとは到底言えないこの当代随一の新進気鋭の学者は、教授職を得るために本来の宗旨であるカトリック系の母校フライブルクからプロテスタント神学の牙城マールブルクに移ったような抜け目ない側面が目立ち、一途な若い愛人の一人にどこまで誠実だったのかは知らない。
隣家に住み家族ぐるみの付き合いだった友人で同僚のE. バウムガルテンをナチス教授連盟に密告するような、個人的には全く付きあいたくない嫌な人物だ。
日本版Wikipediaは「ハイデガー」の項目も問題山積で、間違いが山ほどある。そのうえに、記述の正確さ、中立性、バランスに問題が多すぎる。
一例を挙げれば、フランスで出版され、ハイデガー論争再燃の嚆矢となったVoctor Farias;Heidegger et le nazisme, Editions Verdier, Lagrasse,1987.(ファリアス[山本尤訳]『ハイデガーとナチズム』、名古屋大出版会)への引証が註全体の645箇所のうち実に83箇所と際立っている。次いで、ツィンマーマン(平野嘉彦訳) 『マルティンとフリッツ・ハイデッガー 哲学とカーニヴァル』 (平凡社)で、69箇所、日本人では小野真氏(『ハイデッガー研究 死と言葉の思索』 京大学術出版会、2002年)が22箇所で偏りは明らかだ。
「日本への影響」の項で、「実存」という訳語を考案したのが九鬼周造であることも指摘されていないほどの杜撰さ。大橋良介編『ハイデッガーを学ぶ人のために』(世界思想社)を文献に挙げてお茶を濁している。
京大に比して、東大系の数多くのハイデガー研究者の業績は本文では全く紹介されておらず、公正さを欠く。駒場の教養学部教授井上忠を挙げるなら、茅野良男以外に、本郷の哲学科でハイデガーを講じた原佑や渡邊二郎。ハイデガーの専門家ではないが、彼のナチス関与の総体(唾棄すべき「実態」を含む全体像の謂い)を上下二巻の大著『政治と哲学―〈ハイデガーナチズム〉論争史(1030~1999)の一決算)』(岩波書店、2002年)にまとめた中田光雄ぐらいは、具体的に引用して論証すべきではないか、と考える。
なお、中田は哲学科ではなく、教養学科フランス分科卒。パリ大学Doc. Es Lettres(哲学)。仏国P. Academiques勲章受章。
日本版Wikipediaの不備、偏向について書くことはいくらでもあるが、機会があれば後日に譲りたい。
コメント132について。カ氏が「日本では知られていないが」という、Friedlich Gundorf。そもそも綴りが違っていて、GundorfでなくてGundolf。本名はFriedlich Gundelfinger(1880~1931)。彼は、解釈学の大家ディルタイや、社会心理学についても造詣が深い哲学者ジンメルにつながる、哲学的文芸学の代表的存在として、西欧の文芸に関心をもつ人々には戦前からよく知られた人物。従って、「日本では知られていない」訳ではなく、むしろその事実を、カ氏が知らないだけの話。132は自らの「無知」について、所謂、「語るに落ちる」の典型。
最後にカ氏の母校らしい、神戸高等学校校歌の第二番(作詞は中国文学の泰斗吉川幸次郎)の一節を噛み締めてほしい。
吉川は卒論で、吉川から借りた書物中の気に入った瞿秋白の一節を気軽に引用した教え子に口頭試問で出典を糺し、弟子が平気で参照書の名を告げると、「孫引きというのは、してよいことか悪いことか。何のために、当文学部の書庫に瞿秋白の全集が入れてあると思うか」と一蹴した。「して悪いことです。申し訳ありません」と即座に詫びた女子学生はその後、神戸大教授(ロシア語専攻)になったという(『吉川幸次郎全集』第26巻「月報」にある、小野理子「ダメ弟子より愛をこめて」)。
「きみみずや学問のきびしきめざし/わがものときわむる自然人文の/真理のつばさはばたけば/わかきひとみのかがやくを」
省みて、自ら愧じ入るところがありませんか?〈完〉
たしかに、コメント75で、反時流的古典学徒さんの主張されるように、フランス語では長らく侮蔑的に複数形で‘Les Allemagnes’とドイツは侮蔑的に呼ばれていたのかもしれない。‘Les Allemagnes’は即ち、‘C’est de l’allemande pour moi.’ (「私にはチンプンカンプンだ」)という言い方があるように、夷狄(βάρβαροι)という意味で、文化的後進性を嘲笑したものだ。また、プロイセンの上流階級では一八世紀までフランス語がつかわれていたのかもしれない。けれども、フランス語ではなくて、ドイツ語で自らの文化を表現したいということで、ヘルダー、ゲーテ、シラーらが、ドイツ語で詩やドラマを作ったし、その際、フランスの劇の模倣ではなくて、イギリスのシェークスピアの劇をまねたのである。
要するに、ドイツ人たちが、イギリスやフランスのように、ナショナリズムを求めたから、ヒトラーの暴走の前に全く無力だった、のであって、後進性うんぬんは無関係なのである。また、世界屈指の知識教養層とはなにをさすのだろう?イギリスにも、フランスにも、イタリアにも、知的教養層はいるだろう。そうではなくて、ワイツゼッカー元大統領が主張されるように、(ヒトラーとゲッペルスが映像、音楽を使って、神話、幻想を作り上げたから)、民衆が、その虚像に惑わされてしまったのである。欠けていたのは、政治的成熟をでも、「非政治性」でもない。「現実感覚」のなさ、「仮想現実」の怖さである。
次の歴史認識も、どうかと思うので、訂正させていただくと、中世の面影を残す神聖ローマ帝国時代のドイツ、諸外国の覇権争いで、30年続いた戦争の為、人口の3分の1をなくし、荒れ果てたドイツ、カソリックの神聖ローマ帝国とプロテスタントの小国乱立のドイツ、ナポレオン統治下のドイツ、1815年からのウィーン体制下のドイツ、1871年のビスマルクによるプロイセンによって統一されたドイツ、第一次世界大戦で敗北したドイツ、ヴァイマール共和国のドイツ、ヒトラー統治下の第三帝国のドイツ、そして戦後の東西分裂したドイツ、冷戦後の統一ドイツについて、この欧州大陸の「中原」に位置する大国が抱える多面性について、さまざまなドイツ像を生み出し一人歩きする原因になった、のでなくて、東ドイツの人々は、西ドイツのような「自由」を求めたのである。
英仏がその後、早々と近代国民国家としての基盤を固めていくなか、(宗教上の理由で)ドイツは統一できなかったが、プロイセンによって統一されることでドイツの国力は、上がり、それを英仏は恐れるのである。
それが結局、ドイツ的後進性をもたらしたとすれば、大きな足枷になったことは事実だ。同じハプスブルク家領でも、のちにプロイセンと呼ばれた地域の多くは含まれておらず、ハンガリーも圏外だが、ボヘミアは含まれていた、
現実は、ハンガリーやボヘミアは、ハプスブルグ帝国内にあり、プロイセンによって統一された地域とは、別の帝国である。
結局、それが欧州の中心に強大な統一国家が生まれることを妨げ、小国同士の勢力均衡が保たれたことで、やがて「ゲーテとシラーの時代」として記憶される、とあるが、この時代は、18世紀、古典の時代と言われる時代で、プロイセンによる統一の前である。小さくも美しい領邦国家の宮廷を舞台とする哲学、文芸、音楽にわたる文化の大輪の花が咲き競う平和な時代を招来することにもなった。「ドイツが最もヨーロッパ的であった」と解釈されているが、それは違う。ドイツが、自分の文化を確立する時代なのである。だからこそ、多くのドイツ人にとって憧憬の対象にもなる。また、時代遅れの帝国支配、とはなにをさすのだろう?ワイマールは、神聖ローマ帝国の中にもないし、ハプスブルグ帝国の中にもない。また、プロイセンもまだ、それほどの国力をもっていなかった。
ドイツ現代史の研究者は、一九世紀後半から二〇世紀にかけてのドイツの安全保障政策について、「あまりに多くの変数からなる方程式であるため、たとえその時ドイツと良好な関係にあったとしても、どれか一つの変数が変化すると、ある日突然にその関係からはじき出されるのではないか、という危惧が去らない」(岩間陽子『ドイツ再軍備』)として、ビスマルクの同盟政策が常に欧州各国の不信の的だった事情を説明している。
私は、反時流的古典学徒さんとは違い、トーマス・マンは好まず、エーリッヒ・ケストナーやヘルマン・ヘッセを好む。これは、個性の違いでどうしようもないが、第一世界大戦の戦争が始まる時、日本の誰かさんと同じで、一体感を感じて高揚した気分になって支持し、協商国フランスの帝国主義的民主主義に対し、反民主主義的不平等人格主義のドイツを擁護した、という立場がまるでわからない。やっぱり、彼も、「非政治的人間」なのではないのだろうか?息子のゴロー・マンの歴史書の方がよほど」信頼できる。
これも趣味の問題だが、音楽でも私は、シェーンベルクやアルバンベルクの作品より、リヒャルト・シュトラウスやマルクスの作品の方を好む。要するにアドルノの理論にとても賛同できない。
▼「反時流的古典学徒さんのドイツの歴史観に、納得できないから、こうなるのだ、ということがよくわかった」⇒都合が悪くなると、いつでも歴史観の違いを持ち出して逃げる、悪癖。
▼「要するに、ドイツ人たちが、イギリスやフランスのように、ナショナリズムを求めたから、ヒトラーの暴走の前に全く無力だった」⇒⇒ドイツだって国民国家を形成しないと、当時の世界的資本主義国家間の競争に参入できないではないですか。政治的に未成熟で、その裏返しとして政治を嫌悪する傾向にあったがゆえに英仏のような大人の政治ができず、第一次世界大戦にも負けた。ヒトラーにたぶらかされる前に既に負けています。
▼「後進性」⇒⇒特に政治経済の分野では明らかな後進性がみられます。プロイセンは遅れてきた帝国主義国家です。ドイツは「田舎国家」です。クレマンソー仏首相が見くびっていたように。ヨーロッパの政治史は常に、狐と狸の化かし合いであって、英仏に比べドイツはナイーヴ過ぎます。
▼「世界屈指の知識教養層とはなにをさすのだろう?」⇒それは、世界に先駆けてプロイセン時代に当時もっともすぐれた『アリストテレス全集』を出したり、哲学や古典学、社会科学、歴史学、自然科学分野で数多くの卓越した業績を輩出した知識教養層が形成されていたではないですか? その程度のことも知らないのですか? W. von Humboldt(ゲーテより遥かに上)もMax WeberもG. Fregeも、U. von Wilamowitz-Möllendorff(ニーチェを批判した大古典学者)も私が座右から離さない大ギリシア文法の著者R. Kühnerも皆ドイツ人です。世界最大のパウリ・ヴィソヴァ・クロール『古典古代学大辞典』もドイツ人の業績です。世界有数の教養市民層が不在でそんな学者や業績が存在しますか? 少しは考えたら分かることで、有り体に言えば、ギリシア語やラテン語が読める知識層=教養市民層で、ギムナジウムの教育をみれば歴然。
▼「欠けていたのは、政治的成熟をでも、「非政治性」でもない。「現実感覚」のなさ、「仮想現実」の怖さ」⇒一人の悪魔的な政治的天才=狂人の手で、民衆を操り一国の政治機能が簒奪されて転落の道をたどった、などど考えること自体が、それこそ虚構、現実感覚の欠如した物語(神話)思考です。政治的に未熟で非政治的なドイツ人にだけ通じる論理、ドイツ国民の戦後的アイデンティティーを共同で防衛するための、吉本隆明流に言えば「共同幻想」です。唾棄すべきドイツ的偽善の究極的な形態です。
▼「国民性と同居するドイツ的特異性(一民族の大量殺戮を国家システムの中に組み込んだ緻密な計画性、官僚制と徹底した記録保存、無機質な工業化された死、非人道的思想の徹底性)⇒戦争遂行に必ずしも必要ではないのに、ユダヤ人をベルトコンベアー式(無機質な工業化)に計画的に生真面目に最終処分=行政機構を通じての大量殺戮して、膨大な記録を残す(東独のStaasiと同じ)。そんなことが、英国人やフランス人、なかんずくイタリア人にできると本当に思いますか? 官僚制的な徹底性もドイツの特質で、Max Weberが詳細に分析しています。度を越したドイツ的ernstは諸刃の剣です。
▼「次の歴史認識も、どうかと思うので、訂正させ」⇒貴殿のような無知、無学のアマチュアに、私の文章を勝手に切り貼りされるのは迷惑です。コピペと手抜きは悪質で、もはや体質の域ですね。呆れてものが言えません。独自の幼稚な歴史観を示したければ、条理を尽くしたご自分の文章でやって下さい。貴殿には最低限の礼儀もないようです。
▼「ハイデガーの主張するように、ナチスの血なまぐさいテロル」⇒ハイデガーは突撃隊支持の正真正銘のナチス。何をするにせよ、著書を読んでから(貴殿のドイツ語力で読めるものなら)にすることです。
▼「さまざまなドイツ像を生み出し一人歩きする原因になった」⇒「ドイツとは何か」に関する人々の見解の違いが「さまざまなドイツ像を生み出し」、それぞれの方向に「一人歩きする原因になった」ということ。それより、19世紀の国民主義的詩人で歴史学者でもあったErnst Moritz Arndt(1769~1860)の愛国詩の題名がまさに、「祖国ドイツとは何だろう」。少しは勉強したら如何? Gundolfの綴りくらい間違えないように。何と言っても‘‘Shakespeare und der deutsche Geist’’と並ぶ名著‘‘Goethe’’の著者ですから。
▼「それが結局、ドイツ的後進性……大きな足枷になったことは事実だ。同じハプスブルク家領でも、のちにプロイセンと呼ばれた地域の多くは含まれておらず、ハンガリーも圏外だが、ボヘミアは含まれていた」⇒⇒ウェストファリア条約以降、神聖ローマ帝国が小国乱立になった状態が「前近代的な枠組み」で、いち早く国民国家形成に向け動き出した英仏に対する「後進性」の基本的要因。ハプスブルク家の領土は、W条約の1648年時点と、1740年までにフェルディナント三世の男系子孫がハンガリー(含クロアチア王国)とボヘミアを支配する(神聖ローマ皇帝を兼務)ことになる頃とは異なる。ヒントは教えましたので、後は歴史地図を見て自分の力で考えることです。
▼「時代遅れの帝国支配」⇒⇒ウェストファリア条約の結果、もはや「実体を失った(ものの消滅はせずに残った枠組みとしての)神聖ローマ帝国」、という意味。文脈からその程度のことは読み取れませんか?
▼「ドイツが最もヨーロッパ的であった」⇒⇒英仏のように統一国家が形成されなかったが故に、自国や自文化中心の偏狭なナショナリズムを免れ(国粋主義的でない)世界的な(ヨーロッパ的な普遍性を刻印された)文化が開花したという趣旨で、ゲーテはヨーロッパの正統である世界文学を目指したのではなかったですか?
γνῶθι σαυτόν
書物のタイトルとなった「過ぎ去ろうとしない過去」は1986年6月6日に「フランクフルター・アルゲマイネ」紙に掲載された、エルンスト・ノルテの同名論文に基づいている。未だに読む気がない上に、「「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐる歴史家論争が起こるのはようやく1986年になってからだ、ということは明らかに間違っている」と戯言を語り、この期に及んで誤魔化す。読みもしないハイデガーを、何を勘違いしているのか「専門外」とは、開いた口が塞がらない。私もハイデガーは「専門外」だが、しっかり読んでいる。想像以上の「無学」の人に「専門外」と言われても、どう受け取ってよいのか、困ってしまう。
★8月8日コメント62
ドイツ人の政治的性向についての政治学者の分析については、ナチズムの研究の一環として膨大な研究の積み重ねがあり、当事者のドイツでも1986年夏から、ナチズムとドイツの「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐって、論壇に留まらず政治家や経済人、一般市民を巻き込む大論争となった。‘‘Historikerstreit’’ , Die Dokumentation der Kontroverse um die Einzigartigkeit der nationalsozialistischen Judenvernichtung, München, 1987(Piper).はその記録。
ナチスの犯罪はスターリンの大量粛清やポル・ポトの大虐殺など比較し、相対化しうるか、という重い問い掛けだ。
★8月24日コメント88。
ドイツ人が日本人と比べて如何に往生際が悪い人々か、それだけユダヤ人大量殺戮問題が深刻な所以ですが、「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐって1986年以降、論壇に留まらず政治家や経済人、一般市民を巻き込む大論争となった事情については、下記の、
‘‘Historikerstreit’’ , Die Dokumentation der Kontroverse um die Einzigartigkeit der nationalsozialistischen Judenvernichtung, München, 1987(Piper).
をお読み下さい。大変有名な話です。
本を読んだり、論文を読むのは、自分が考えるための手助けだと思います。ナチスの犯罪はスターリンの大量粛清やポル・ポトの大虐殺など比較し、相対化しうるか、という問題は、1986年夏から、ナチズムとドイツの「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐって、論壇に留まらず政治家や経済人、一般市民を巻き込む大論争となったから、という理由でそれについてドイツ人の書いた論文を読むのではなくて、もちろんそれは、それを紹介することが仕事、ジャーナリストを生業とする人にはぜひ必要なことでしょうが、「普通の人」は、色々な資料を見た後、自分で結論をだすべきだ、と思うのです。ドイツ人は、日本人と違って、本当に論争が好きな民族性をもっている。
それで、誰と、誰が、どんなことが論争点になっているのか、ということで、ぐぐってみた。こういうことができるから、現在は便利だ。その質を反時流的古典学徒さんは、問題とされるが、私たちの子供の頃の百科事典に文句を言っているのと同じことで、現在は、これは紙媒体の本ではないから、交渉すれば訂正がきくのではないのだろうか?
ヒトラーは、彼の著書「Mein Kampf」我が闘争の中に、ユダヤ人がいかに劣悪な民族であるか、ということを様々な例をあげ、異常、とも思えるほど主張し、それが彼の政治方針の根幹になっていることは明らかではあるが、ユダヤ人を抹殺しなければならない、皆殺しにしなければならない、ということは、一言も書いていない。ハイデッガーの主張されるように、普通のドイツ人は、予想しなかったのだ。逆に、ドイツ人が予想できないはずはない、というフランクフルト学派の主張をどおりの主張をされる反時流的古典学徒さんの考えがなにに基づくのかよくわからない。
テレビの「我が闘争」のドキュメンタリーを見ると、あの本を注意深く読めば、ヒトラーには、自分に都合の悪い存在を排除したい、という明確な意図があり、「憎しみの感情」があることがわかる、という解説があったが、それは、「我が闘争」が愛読書だったオウム真理教の「松本智津夫」と同じではないのだろうか?
また、訂正は、カロリーネの名前でなされているのであって、反時流的古典学徒さんの見解はその名前で登録されているのだから、そうした方が、コメントを読む人に違いがわかってわかりやすいのではないのだろうか?
凡庸の見本=日本版Wikipediaの「ハイデガー」に関する長大な記事は、ほぼ全編、過去の、しかも特定文献の祖述的紹介。多数の「ハイデガー信者」と推測される有志の組織的協力または、熱心な個人による献身的な努力の賜か。一種の「電子写本」作成の試み。あくまで推測にすぎないが、宗教関係者の仕業か。キリスト教徒(カトリック系だろうが、確証はない)と思われるその「痕跡」が随所にみて取れる。
瑕疵はドイツ語やフランス語の表記に不適切な箇所が散見されること。素人レベルを伺わせる。仏語のアクサン記号の欠如、独語のウムラウト=[ü]が[u]のままになっていること等々。綴りの単純な誤りや変換ミスも。数多くの気息記号を要するため、ハイデガーに頻出のギリシア語表記が全くないのもそれを裏付ける。
従って、引用された文献自体に関する記述者(実態は「写字生」)の批判的検討はない。評価すらない。ただひたすら、記述(写字=謝辞?)あるのみ。あたかも修道僧の趣。引証は専ら引き写し(孫引き)。要するに引用の引用。著作権者から抗議を受けにくい外国語文献の翻訳に過度に依存する傾向がある。学問を嘗めている証拠。
最も目立つのは、全体で645ある引用註のうち83箇所に及ぶファリアス『ハイデガーとナチズム』の邦訳(山本尤訳、名古屋大学出版会)で、先に指摘した通り。ここでも仏訳表記(Víctor Farías, Heidegger et le nazisme, Editions Verdier, Lagrasse)のVíctorが当初は[Voctor]に、また独訳表記(Heidegger und der Nationalsozialismus)も、übersetztの[ü]が[u]だった。[ue]でもよいわけだが、それもない。一事が万事、この調子で、まるで「愚者の楽園」。
なお、Faríasはチリ・サンティアゴ出身の哲学者、歴史家。正式名はVíctor Ernesto Farías Soto。本書出版後、『精神について』を書いたデリダと論争になり、国際的な反響を呼んだ。
謙遜を美徳とする奴隷道徳は重要視せず、誰よりも自らに厳しくありたいと念じている。世に阿らず俗に媚びざる操守の心持で、できるだけ偽りの少ない人生を非妥協的に模索した半生。子供のころから「協調性」は皆無。喧嘩も口論も負けたことはない。受験勉強は一切無視して、読書三昧。良い大学、良い会社に何の興味もなく、学校はさぼり放題。ズル休みを何とも思わない、自由人。
本好きが昂じて、一時、西洋の古典籍の収集にのめりこんだ時期もあった(西欧の偉大な伝統の一端に触れた)が、病膏肓もようやく革まり、本年3月から、仕事以外では初めてネットに触れた。この点では、若葉マーク。日本版ウィキペディアがこれほど欠陥だらけだとは、最近初めて知った。この点でカ氏に感謝している。しかし、ネット上のもの知りは大概、愚者の楽園の住人。承認欲求か何か知らないが、余計な(無駄な)ストレスを抱えているのだろう、と少し同情する。
傲岸不遜にあらず。ただ、殺伐非情。つまり、只管ロゴスの人、強者の現実と弱者の現実を冷静に見定めて決してパトスに流れない。吉田茂より岸信介を評価するリアリストだが、人非人ではない。ボッティチェッリと桂離宮をこよなく愛し。訪ねたことがないから、パルテノン神殿は三番手。過去のシナ文明の偉大さには親近感。宋瓷を生んだ士大夫層の美意識にも共感する。
漸く中国に行き着いたところで、お先に失礼。
また、ゲーテについてであるが、ゲーテは世界文学をめざしたのである。なんども書いたと思うが、ゲーテ以前は教養あるドイツ人はラテン語で小説を書いたのである。ゲーテは、ドイツ文学というジャンルを世界文学の中で認めさせるために、ドイツ語で詩や小説や劇を書いた。また、ゲーテはヨーロッパ文明だけではなくて、アジアの文明にも造詣が深い。フランス革命後、ヨーロッパ文明に対して疑問をもったことも手伝って、ゲーテはペルシャ文学に興味をもち、西東詩集を作っている。最後は、ヨーロッパのキリスト教道徳に戻るが、ゲーテは意志の力でその激情をコントロールすることができる、かつ、近代精神と調和の精神を尊ぶスケールの大きな人物である。
また、私は、誤字脱字、が多い人間で、いつも反時流的古典学徒さんの注意を受けるが、ドイツ語のウムラウトに関して、そこまで厳密に考えることはないのでは、と思う。確かに、語学の試験では、ウムラウトはウムラウトにしなければ意味がまったくちがってくるし、場合によっては、eを付け加えただけでは点数をひかれる場合もあるが、ひかれる点数的にみても、それほど致命的な欠陥ではない。要は内容なのではないのだろうか?
それは、彼の主張に驚いたのである。 [Auschwitz]が世界史に刻まれたドイツ民族の業悪の象徴であると同時に、人類の背負わざるを得ない、取り返しのつかない「文明の野蛮」であり、永遠に消えない墓碑銘、ドイツ人が恐らく永遠に背負い続けなければならない十字架である、という認識だ。こんな非常識なことをいう哲学者は、他にどんなことを主張しているのか、と思った。そして調べて、彼は音楽にも造詣が深く、私も彼の本をもっていた、と思い出したが、私の趣味にも合わないし、ミュンヘン大学の教授陣とも主張が違うな、と思った。それは、現代音楽として、ストラヴィンスキーやR.シュトラウスの価値は大変評価されていたからである。現在の音楽学の評価も同じである。
また、その政治的主張は、反時流的古典学徒さんの主張とは重なるのかもしれないが、世界的良識派のユダヤ人哲学者、E.フロム、H.アーレント、世界的音楽家のR・バーンシュタインとの主張とは重ならない。反ユダヤ主義はドイツ人の専売特許でもないのに、ドイツ民族だというだけでその時生まれてもいない人に、十字架を負わせる、それを要求すること自体に、Hitlerと同じ「憎しみ」の感情をみる。それが、「平和を確立」する上での妨げになる、ことがわからないのだろうか?
例えば、「従軍慰安婦問題」、たしかに、「韓国のその被害にあった」、と主張されている女性は、高齢だし、悲惨な生活をされただろうし、生きているうちに少しでも豊かな暮らしをさせてあげた方がいい、という見方は正論である。ただ、「アウシュビッツ問題」とは違い、その女性たちが主張していることが、「本当かどうか」、ということはよくわからないのである。それにもかかわらず、韓国の民間団体は、世界中に慰安婦像を設置し、そのいたいけな少女の像は、あたかも、植民地支配した日本人男性が、植民地支配をした韓国人の少女を性奴隷にした、という「民族の罪」にすりかえてしまう。そのイメージが、これからの日本人のイメージをいかに悪くするか。「背負わなければならない十字架」にされかねないということもよく考えて、日本はアジアを含めた、国際社会で活動しなければならない、と私は思う。
私が卒業した中学校は、国立大学の付属で、教育の実験校だった。そして、授業は、教師から生徒への一方通行ではなくて、教師が生徒に問題を出し、4人一組で話し合って、回答を出し、各班ごとに発表する、という形をとっていた。だから、相手を負かす、というのではなくて、なにが正しいのか、ということを主眼として、話し合いをしていた。
また、大学時代デイベートに興味をもったが、現実に上智対関学の決勝戦を東京まで行ってみて、先輩たちの方が内容的に深い主張をしておられる、と思うのに、英語力と演技力で負けてしまっている、という印象を受けた。
夫に結婚前に「話していることではなくて、行動で僕を判断してくれ。」と言われ、この人、と決めたが、我々の生活に直接影響を与える、政治家、首相の選択も、本来そうあるべきなのではないのだろうか?
国内の分裂と内紛に苦悩した近世ドイツは1871~1918年の第二帝政期、官僚と軍閥を支配した封建的ユンカー貴族層と、それに癒着した富裕な重工業資本家とがKaiserの権威の許で「隔絶型」の支配様式で人民に君臨するという、政治学者ラスキ(彼もユダヤ人)の言を借りれば「近代技術の力を駆使する一八世紀国家」だった。この後進国ドイツの歴史は心理的に二つの大きな刻印を色濃くドイツの国民性に印した。
第一に多くの国民の政治的未成熟と政治的責任感の欠如であり、法律、伝統、慣習等の社会規範と権威に対する服従という心理的惰性、官僚組織の優越と議会=政党政治の未成熟であり、第二に、自由と人文主義的精神に溢れた教養市民層に際立つ文化と政治の乖離は、非政治性とナショナリズムの自意識過剰を招き、フランス語が18世紀まで上流階級で使用されていたという事情にも通じる文化的劣等感が、ナショナリズムによる過剰補償をもたらした、という政治学者(永井陽之助=追加註)の分析もある。
カ氏はそれをよく、「一種のイデオロギー論争」と矮小化するが、「アウシュヴィッツ」(Auschwitz=ジェノサイド[génocide]の「極北」というメタファー)、原爆投下と並んで人類に突きつけられた根源的問い掛け、アポリアー(難問=ἀπορία)に対して、「私は、アウシュビッツよりも広島よりも、もっとショックを受けた場所がある。それは、鹿児島県に親戚旅行をした時、弟の提案で行った「知覧の特攻隊の基地」」というような気ままな個人レベルでの感想に終始して、結局問題を相対化してすり替える知的退行、換言すれば、結局、自らや身内、知己など卑近な人の経験や話題でないと考えが及ばず、想像力も働かない、失礼な言い方を敢えて奉呈するなら、典型的な「田舎者」の心理(8月8日、コメント61)に溜息が出るが、まあ、それもよい。ただ、それが意図的に問題の焦点を隠蔽、攪乱する法廷弁論まがいの自己弁護、自己保身の詐術的論理でないことを願うばかりだが、カ氏はかかる懸念にも無頓着かもしれない。
ところで、実際の行為において私たちは、必ず自分がこれでよいと「思った」こと(ἃ δοκεῖ αὐτῷ)をするけれども、しかし、それは必ずしも、その人が本当に「望んでいる」こと(ἃ βούλεται)と一致しないし、その違いは無知な者ほど著しいのが実情であることをプラトンは指摘している(『ゴルギアス』466D以下)。
倫理的判断が想定する行為の目的相互間の、所謂 ‘implicational meaning’ (含意)に係る知識は、それだけでは倫理的判断の本質である意志的態度 ‘volitional attitude’ を変更させるものではなく、ソクラテス流に言えば ‘implicational meaning’ に関する知識であれ何であれ、それが真に知識の名に値するものなら、まさしく「それだけで」当の人物の意志的態度を変更させるだけの力があることになる。
かつてはアドルノの忠実な弟子でありながら、70年代以降はアドルノの後期哲学の批判者に転じたハーバーマスも説く、「より良い立論には、強制を伴わない強制力がある」(zwangloser Zwang des besseren Arguments)という問題意識にも通じる。
この倫理的言明の性格をめぐる問題は、例えば一例として、倫理的言明を命令法に還元(書き換える=直接法で表現される内容を規範的であるのを特質とする命令法に転換)するという手法についても、直ちに倫理的言明の非認識性(non-cognitive,不可知性)の見解につながるとは一概に言えない。
むしろ、命令文の論理的構造を仔細に吟味すれば、そこから倫理的言明の認識的または知性的性格を再確認し、知性への信頼回復を目指す方向さえあることが看守される(=8月3日、コメント10。なお、藤澤令夫「現代における哲学の課題」を参照。『実在と価値』[1969年]所収。『藤澤令夫著作集』第1巻に再録)。
その前提として、未熟ながらも学問的論争、研究者などではない素人レベルでも、議論は誰が言ったかより、何が言われたかが重要であり、論争の勝ち負けなど実際は大した問題ではない、という心掛けが重要である。それを没却すると、結局、論争以外の部分で、ロゴス(λόγος)ではなくパトス(πάθος)の部分での情念的frustrationが内訌し、不毛この上ない。
それを哲学的に表現するなら、知性的客観性(学識)と意志的主体性(経験)の二元論の緊張関係を生きることになる。価値相対論的な知的批判精神と倫理的実践の平衡感覚を失わないことだ。政治的ロマン主義を排した現代のデカルト主義かもしれない。
デカルトは彼の哲学の中核概念としての「良識」を支えるものとして、「高邁な心」(généiosité=気高さ)を説いた。彼は、われわれが真理の認識やそれに基づく確かな判断によって感覚や想像による迷妄を脱して習慣、つまり気づかぬうちに囚われている思考の枠組みをつくり変えることができれば、情念を自由に支配することができると論じる。
欲望に基づく雑多な情念を誤りのない価値判断によって是正し、情念の受動性(πάθος)を克服して能動的な精神の働きに替えることを説く。感情を制御することは、心の自然な働きをいたずらに縛ることではなく、心の動きを身体や習慣に伴う受動性(ἦθος)から能動の状態に移行させることにより精神の支配下に置くことだという(野田又夫『デカルト』参照)。
「往生際が悪い」というのは、殊のほか「名誉」を重んじる「武士道の精神」が大切にされてきた日本人や、哲学の故国古代のギリシア人特有の美徳(ἀρετή)かどうかはともかく、その精神はデカルトの「高邁な心」にも通じる。しかし、その自覚が欠落した名誉ならぬ体面を重んじる人々(昨今の中韓にも抜き難い心性)には、通じない理屈(λόγος)のようである。カ氏のコメント156をみて、つくづく思った。
カ氏は、「ドイツ人は「往生際が悪い。」と主張されるが、私は、日本人は、逆に「謝りすぎる」」としばしば聞かされる俗言を繰り返すが、「紅旗征戎わがことにあらず」(藤原定家)という、吉川幸次郎も卓越した本居宣長論の中で説いた本来の意味での「文弱」の精神にもつながる「精神のしなやかさ」こそ、日本人の長所であり、美徳でもあることを改めて銘記したい。古典学徒として、骨の髄から古代ギリシア人である私だが、この点では日本人をゆかしく思う。まだ、日本人の心性が残っているようだ。
最後に、「ドイツ人は往生際が悪い」は全称肯定命題(「すべてのドイツ人は往生際が悪い」)ではない。全称なら一人の例外を挙げるだけで偽になる。立派な潔いドイツ人もおられよう。しかし、ハイデガーの醜悪な弁明を挙げるまでもなく、ナチスとの関係性にみられる、テオドール・ホイス初代西独大統領からヴァイツゼッカー大統領を経て現在に至るまで、戦後一貫したドイツの特有の弁明の論理は、道徳的にはパリサイ的偽善であり、心理的には道徳以前の感傷である。<完>
コメント161、4~5行の「ソクラテス(実態はプラトン)にとって真の知識(エピステーメー=ἐπισθήμη)とは、何よりも意図と判断との不一致、齟齬であることが分かる」は、如何にも言葉足らずな、意味不明な文章である。以下に変える。
「ソクラテス(実態はプラトン)にとって真の知識(エピステーメー=ἐπισθήμη)を阻む最大の過誤とは、何よりも人間の不幸の原因となるような意図と判断との不一致、齟齬であることが分かる」に差し替える。つまり、[真の知識(エピステーメー=ἐπισθήμη)]の後に【を阻む最大の過誤】▽[とは、何よりも]の後に【「人間の不幸の原因となるような」】を補う。字数制限(800字以内)のため語句の加除をして調整する過程でミスをおかした。
如上の一節は、要するに、認識や知識の対象となり得ないものを認識したり知覚できると考える、所謂ソクラテス・プラトン的な「論理・認識並行主義」(ethico-cognitive parallelism)、言い換えれば、倫理的判断は厳密な意味での知識の対象とはならない、という現代倫理学的禁忌を冒すものだという偏狭な論理主義的批判とは根本的に別の次元での、知識の客観的合理性を保持しつつ、善や倫理的問題についても客観的妥当性を問い得る「知識」=学問的検討の領域を確保することを可能にするのが、ソクラテス・プラトン由来の哲学本来の総合的視野(シュノプシス=σύνοψις)、総合(総観)的思考であることを想定している(8月3日、コメント20参照)。
‘Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen’=「語り得ぬものについては、沈黙しなくてはならぬ」(‘‘Tractatus Logico-Philosophicus’’, 7.)というヴィトゲンシュタインの「禁欲」はこの場合、絶対的聖句ではない。
それだから、読みもしないイェリネク(G. Jelline)やケルゼンについて堂々と自説なるものを説いたり、アドルノについて、日本版Wikipediaを頼りに、身勝手な議論を試み、何か主張した気になっているのだろう。少しは「知的謙虚さ」がもてないものか。夜郎自大の倨傲(ὕβρις)は、動機や熱心さによるだけでは正当化されないし、相手にもされない。
甚だ失礼ながら「このブログを知って、上杉慎吉の絶対君主主義も知った」程度の人物が、篠田さんの憲法解釈を「金科玉条」にして感覚的、情緒的議論に狂奔する。篠田さんのしなやかな批判主義とは凡そ対極にある、独善的態度ではないかと、余計なお世話だが、いつもハラハラする。
「一流大学の教授という肩書をもつ専門家……の主張を無条件に信じてはいけないな」程度のことは、海外留学経験などない、市井の「無学な」民も充分承知している。カ氏の物言いは以前、政治学者の井上達夫氏がお笑い芸人、ウーマンラッシュアワーの村本大輔氏の「愚民観」を批判した「ウーマン村本よ、国民を「愚民視」しているのは誰か」(オピニオンサイトi RONNA) を髣髴させる。
私のコメントへの粗笨な読解による見当違いな論難「反時流的古典学徒さんの私への[の]コメント…ネット上のもの知りは大概、愚者の楽園の住人…余計な(無駄な)ストレスを抱えているのだろう、と少し同情する。を読んで、このブログも「愚者の楽園」だと思っておられるのか、と思う」は噴飯ものの誤読である。
‘μὴ ὑψηλὰ φρόνει, ἀλλὰ φοβοῦ’ (Προς Ρωμαιους, XI, 20)
今は、家にいながらにして、情報が取れる。国連憲章の条文もすぐコピーできる、Wikipedia もあれば、youtubeもあって、必要とあれば、BSフジの過去のプライムニュースを見ることもでき、石川健治教授がどのような主張をされているか、も簡単にパソコンで知ることができるのである。
私はその勉強の仕方が必ずしもよくない、とまるで思わないのである。中学生の時、教育実験校だったので、テレビ番組を教材にした授業も多くあったし、大阪のドイツ文化センターでドイツの事情を勉強する場合、ヴィデオクラスというのがあり、そこでホロコーストのドイツ語のテレビ番組を見て、ドイツ語で話し合った覚えがある。だから、1986年に初めて、ホロコーストのことをドイツ人が大々的に議論し合ったなどというのは、嘘っぱちにだということがわかるのである。
ユダヤ人大量虐殺を含むナチスドイツの犯罪に関する歴史認識について、1986年7月11日にJ. ハーバーマスがZeit紙に投稿した文章をきっかけに始まった「歴史家論争」なのである。そして、先に挙げた論争の経過をまとめた書物の大筋について、出版元のピーパー社社長の巻末の「ピーパー社の見解」は、論争の前史も含めて、概要を伝えている。即ち、
「本書は、1986年の初夏に始まり、「歴史家論争」という名で知られるようになった論争の記録である。この論争の火蓋が切られるきっかけになったのは、フランクフルトのレーマベルク討論集会で行う予定になっていたエルンスト・ノルケの講演内容の公表と、このノルテの講演のテクストと最近出版されたアンドレアス・ヒルグルーバーの著書『ふたつの没落』に対する、ユルゲン・ハーバーマスの批判である。……」。
しかも、論争自体、さまざまな形で日本にも紹介されている。学術論文と異なり、公共の場で展開された議論であるので、かかる論争が起きた戦後のドイツ、いわゆる旧西ドイツの文化的風土、政治を取り巻く議論の土壌についても、多くのことを教えてくれる。
ドイツの事情通で【あるはずの】カ氏が、一体いかなる理由と動機で、論争の存在自体は特別秘匿されていた訳でもない問題について、私の文章の粗笨な読みに陥ってしまうのだろう。カ氏の日本語の読解力にはこれまでの経緯から多くの問題が潜んでいるのが分かる。しかし、それにしても、ありえない過誤である。大方、ナチズムとドイツ人の歴史をめぐる「過ぎ去ろうとしない過去」、一般の戦争犯罪とは断じて同列に扱えず、「相対化」を許さぬドイツ史の拭いきれない「汚点」が耐え難いのであろう。
当該書には42本の論考が並ぶが、中には以下のようなタイトルの文章が並ぶ。即ち、表題ともなった「過ぎ去ろうとしない過去」(ノルテ)に加え、
▼歴史伝説と修正主義のはざま?=ノルテ
▼歴史なき国における歴史=ミヒャエル・シュテュルマー
▼一種の損害補償――ドイツにおける現代史記述の弁護論的傾向=ハーバーマス
▼東部戦線という新しい国家神話――ドイツ連邦共和国の歴史学における最新の展開=ミヒャ・ブルームリク
▼負債としての記憶――ナチズムの集団犯罪の比較不可能性に関する論争に寄せて=ヨアヒム・フェスト
▼想定家たちの不毛なやり口――ナチスによる犯罪の唯一性は否定し得ない
▼ヒトラーの記憶は、スターリンとポル・ポトを持ち出すことで抑圧・排除されてはならない=ユルゲン・コッカ
▼新しい歴史意識とナチズムの相対化=ハンス・モムゼン
▼各人の立場はどこで分かれるのか――国民宗教の代用としての歴史を持ち出しても無駄である=マルティン・ブロシャート
▼アウシュヴィッツをめぐる新たな嘘=ルドルフ・アウグシュタイン
▼歴史には禁じられた問いはないはずである=アンドレアス・ヒルグルーバー
▼歴史の公的使用について――ドイツ連邦共和国の公式の自己理解が壊れつつある=ハーバーマス
▼メーキャップ師たちが新たなアイデンティティーに化粧を施す=クルト・ゾントハイマー
「国民宗教の代用としての歴史」「犯罪の唯一性は否定し得ない」「歴史には禁じられた問いはない」「公式の自己理解が壊れつつある」――タイトルから論争の深刻さは歴然である。いずれも名だたる論客揃いである。
どう言い繕い、弁明を重ねようと、ドイツ民族の身から出たサビなのである。
☆余白に
ユダヤ人と言えば、著名な作曲家メンデルスゾーンの祖父に当たる哲学者モーゼス・メンデルスゾーンは、ユダヤ人は固有の生活様式を捨ててドイツ文化に同化すべきだと説いた啓蒙運動「ハスカラ主義」の主唱者だった。ハスカラ主義は迫害の歴史を啓蒙主義によって超克しようとした普遍的教養主義者の運動であった。
欧州のアシュケナージ系のユダヤ人の中で、メンデルスゾーンと並ぶ存在がF. E. D. シュライエルマッハー(1768~1834)だ。ユダヤ教からプロテスタントに改宗した神学者。1810年のベルリン大学創設とともに神学講座の教授に就任。該博な知識を傾けてプラトンの大半の著作を個人訳した。ドイツ教養主義の偉大な系譜につながる人物だ。
戦時中は国外から同胞に向かって抵抗を呼びかけたトーマス・マンは戦後、故国に帰らず、スイスで死去する。夫人の通称カーチャ、カタリナはメンデルスゾーン家の遠縁プリングスハイム家出身。シレジアの鉱山開発で成功した名家で、夫人は高名な作家である夫の収入の数倍額の仕送りを受け取っていた社交界の華だった。講演などで一時帰国することはあっても二度と戻らなかったマンの「故国喪失」は、ユダヤ系の夫人への配慮に加え、偏狭な故国に対するペシミスティックな「失望」の故かもしれない。
そうした背景を考え併せると、指導者はある意味で国民の似姿であり、「政治を軽蔑する者は、軽蔑すべき政治しかもてない」(『魔の山』)と早くから見抜いていたマンの言葉は重い。
昨日のder Spiegelには、そのアメリカのナチの問題だけではなくて、シリア問題も触れていた。アサド政権がロシアとイランの軍事協力を背景に、あと一歩で、武力でシリアの内戦を制圧しそうであるが、終戦後の復興費用に1000億ドル規模の予算が必要だそうである。 20年ほど前、「イスラム文化」も知った方がいいと思って、早稲田大学のエクステンションセンターでその関係の講座を受講したことがあるが、そのころ、シリアのアレッポは、アラブの文化都市で、様々なバザールがある、とヴィデオでの映像を含めて教えていただき、一度行ってみたい、と思っていたが、壊滅的な打撃を受けている。
また、プーチン大統領は、独のメルケル首相に、「シリアに財政支援をすれば、ドイツのシリア難民の数が減り、国内問題を解決するのではないか。」などと説得したようであるが、「このままのアサド政権であれば、その人々をシリアに戻すと、政治犯として、投獄されたり、殺されたりする危険がある。」とメルケル首相は、応じない方針である、そうだ。
昔、西ドイツで、べトナムからの移民の方に南ベトナムの実情をきいて、日本のマスコミで報道されていることと非常に違う、と驚いたことがあるが、進歩的知識人が、論壇を牛耳っていたせいだ、と、留学経験ではなくて、このブログの会社員の方のコメントを読んで、自分なりに調べて、よくわかった。
日本のマスコミには、過去ではなくて、「現在の国際情勢」をきちんと報道していただきたい、と痛切に感じる。それをしないと、情勢判断を誤り、間違った針路を主張している専門家、知識人によってつくられた「世論」を妄信し、第二次世界大戦の二の舞になってしまう。
これを書くとまた、論争の種になるだけかもしれないが、やはり吉川幸次郎さんが作詞してくださった校歌の歌詞どおり、「真理の翼を羽ばたかせ」なければならないと思うので、音楽家、メンデルスゾーンと彼のおじいさんのモーゼス・メンデルスゾーンについてふれておこうと思う。M.メンデルスゾーンは、ユダヤ人のラビ(宗教指導者)で、哲学者として、ドイツ人のヘルダーをはじめとする教養人、に高く評価され、キリスト教に改宗するように勧められるが、一生ユダヤ教のラビを捨てることはなく、レッシングの「賢者ナータン」のモデルになった人である。「賢者ナータン」の筋はこのようなものである。(これもウィキペデイアからのコピペであるが)。
この地のスルタンであるザラディーンは、戦争の資金を調達するため、妹シッタの入れ知恵で、名高い賢者として知られていたユダヤ人の豪商ナータンを呼び難問をしかける。それは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のうちどれが真実の宗教であるか、というものであった。自身はユダヤ教徒であったナータンは過去にキリスト教徒から7人の子供を虐殺されていたが、後にすべては神の思し召しと達観してキリスト教徒を憎むのをやめ、その後キリスト教徒から託された少女レーヒャを無宗教で養育していた。そして、このような話を思いつく。
この寓話とともに隣人愛を説かれたザラディーンは納得し、ナータンから金をゆすろうとした自分に恥じ入る。
教養と見識のあるドイツ人が、ユダヤ人に対して、宗教に対して、どのように考えているか、わかるのではないのだろうか?
「コメント169、170を読んで、そのほとんどが、フランクフルト学派の学者の説なのではないのか、と思う。彼らは、日本の「進歩的知識人」と同じ、と私には映る」は、カ氏が性懲りもなく繰り返す、しかも知的に怠慢(Versäumnis)であるが故の「語るに落ちる」過誤をその場しのぎで取り繕う常と変らぬ「ドイツ仕込み」のメンタリティー。こういうのを「往生際が悪い」という。われら日本人の美意識とは対蹠的である。体面を保つのに急で、状況を全く理解していない。
しかも、「なのではないのか、と思う」「と私には映る」などという、現物を調べもしないで行う咄嗟の対応といい、いい加減な及び腰の書き方といい、まず何事かを語ったような形跡を残す、間違いが露見しても、その時は、「専門外」(「無学」)とかを理由にして、「決定的な」間違いという覆い隠しようもない事実を糊塗、つまり有耶無耶にしてしまう。
こうした性向、というか病癖は、自説に不利になる文書、証言、証拠は最初から調べる気が全くないことと相まって、過去の行状=例えば「ソフィスト」の際の対応=からも明明白白で、改めて指摘するまでもなかろう。知的には不誠実極まる御方のようである。
後は適当に日本版Wikipediaから引用と言う名の「コピペ」で分量を増やして体裁を調えることで済ませ、劣等学生のように澄まして愧じ入る気配もない。そうした厚顔無恥(紅顔無知?)に、ただただ開いた口が塞がらない。自ら好んで墓穴を掘り、「愚者の楽園」に安住する必要もないのに。「あ~ぁ、お気の毒様」としか言いようがない。自ら播いた種、自業自得、身から出たサビに憐れを催す。
そういうタイプだからこそ、人には厳しく、自らには大甘の甘ったれたアマチュア精神が可能になり、夜郎自大が衣を着て歩いているような戯画としか言いようのない茶番が現出する。醜悪この上ない。
そして、コメント171=「その問題については、コメント148でふれた」(私の169に対して)と称して揚言するヴァイツゼッカー発言=「歴史論争は専門の歴史家だけに任せてはいけない」。政治家が一いち、学者やジャーナリストの論争に容喙するのが「ドイツ流」らしい。大統領(といったところで、首相と違い実権はないが)=政治家、つまり、ドイツの弁明はどこまでも「政治的な構築物」なのである。
それを真に受け感銘を口にするナイーヴな神経(と政治音痴)が、どうかしている。政治家の歴史観への関与など、他国ならスキャンダルだが、ナチスのせいで、ドイツは病膏肓なのである。だから、いい加減に嘘八百はやめよう、という空気が、少なくとも「良心的知識人」の間には燻っていた、ということの証左が、「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐる、歴史家論争なのである。
それを言うに事欠いて、「1986年に初めて、ホロコーストのことを……嘘っぱち[に]だということがわかる」(166)。カ氏の混乱は事態の深刻さをそのまま物語っている。知的良心の欠片もない。
ところで、「そのほとんどが、フランクフルト学派の学者の説」(コメント174)などという、杜撰な概括が、調べもしないでカ氏のような「無学」なアマチュアに本当に分かるのだろうか?
ハーバーマスは確かにフランクフルト学派である。このアドルノと袂を分かった人物を、私は額面通り、「戦後ドイツの良心」と宣揚するつもりはない。リベラル左派だろうから、政治的立ち位置も異なる。しかし、第一級の知性であることは間違いない。丸山眞男など足元にも及ばない。しかし、『否定弁証法』の著者である、破壊的弁証家アドルノや、「大悪党」の艶福家だが、哲学者としての才能は大いに認めざるを得ないハイデガー(人相が悪い)のような凄味がない。
カ氏とは異なり、私は何事も具体的な事実、証拠に基づき厳密に議論する古典学徒なので、取り急ぎ事実確認をすれば、まず、『ヴァイマール共和国史―民主主義の崩壊とナチスの台頭』の著者で3年前に死去したドイツを代表する歴史家、ハンス・モムゼンについて、このコメント投稿欄の読者で恐らく知らぬ人はあるまい(と期待する)。他の面々の経歴(論争当時)と、専門分野は以下の通り。即ち、
▼エルンスト・ノルテ=ベルリン自由大学教授、現代史。
▼ミヒャエル・シュテュルマー=エアランゲン大学教授、現代史。
▼ミヒャ・ブルームリク=ハイデルベルク大学教授、教育学。
▼ヨアヒム・フェスト=「Die Frankfurter Allegemeine」共同編集者。
▼エーバーハルト・イェッケル(「想定家たちの不毛なやり口――ナチスによる犯罪の唯一性は否定し得ない」の筆者、前回脱落)=シュトゥトガルト大学教授、近代史。
▼ユルゲン・コッカ=ビーレフェルト大学教授、近現代史及び社会学。
▼マルティン・ブロシャート=元ミュンヘン現代史研究所長、ミュンヘン大学名誉教授。
▼ルドルフ・アウグシュタイン=Der Spiegel発行人
▼アンドレアス・ヒルグルーバー=元ケルン大学教授、近代史。
▼クルト・ゾントハイマー=ミュンヘン大学名誉教授、政治学。
これらの顔ぶれをみて、「そのほとんどが、フランクフルト学派の学者の説」(コメント174)などという戯言をもう一度吐けるものか、もう一度カ氏に問いたいものだ。これだから、無鉄砲な「無学」は恐ろしい。
「反時流的古典学徒さんといい、日本のマスコミの識者は、70年以上の前の、過去のことばかり報道して、現在に関心をもたないか」。笑止千万。カ氏にだけは言われたくない揚言である。それ以上は、莫迦莫迦しくて言うこともない。
そのほか、言うべきことは山ほどある。
コメント176「教養と見識のあるドイツ人が、ユダヤ人に対して、宗教に対して、どのように考えているか、わかるのではないのだろうか?」――これまでも述べてきたことから、カ氏にだけは言われたくない、と言うことである。カ氏は教養人ではない。メディアにたむろする驕慢の徒が似而非知識人なら、カ氏こそ、憐れむべき凡庸な「似而非教養人」である。
従って、「教養と見識のあるドイツ人」の少なくない部分が政治的な偽善で事済ませている醜悪さを、過去のドイツ教養主義文化の最良の成果を多少は知る身として、誠に情けなく思う。
「いい加減な情報源、ウィキペデイアで簡単に調べ、コピペすることが、学問上の怠慢、ということに焦点があたっておかしくなった」(コメント155)――盗っ人猛々しいというか、言うに事欠いてこの居直りである。もう少し悧巧な人間なら口をつむぐのが節度とは思うが、どうやら、ドイツかぶれで日本人の心を置き忘れて来たらしい。まるで幼児の如きナイーヴさである。
これでは、パリ講和会議に英国政府全権団の一員として参加した経済学者ケインズがスケッチしたクレマンソー仏首相のドイツ観を以前紹介(8月8日64)したが、カ氏や一部のドイツ人に関しては、ケインズの顰蹙にもかかわらず、その仮借なき批判は正鵠を射ているようである。曰く、
「ドイツ人というものは威嚇以外には何も理解しないし、また理解もできない。交渉にあたっては情け容赦も仮借もない、有利とみればすかさずつけ込んでくるし、利益のためにはどんな下劣なことでも敢えてする、彼には名誉も誇りも慈悲もない、というのである。だから人はけっして、ドイツ人と交渉したり、懐柔しようとしたりしてはならない。ドイツ人にはただ命令しなければならない。それ以外の条件ではドイツ人は人を尊敬しないし、また彼らに人を欺かせないようにすることはできないであろう」。「夢を見ない人」、冷厳な認識者、クレマンソーの真骨頂である。
それに引き替え、ドイツワインのように甘ったるい、カ氏の子守歌らしい戯言(「ドイツの良心の鏡」らしいヴァイツゼッカー大統領演説)で、そろそろ仕舞にしたい。それはまさに、道徳的にはパリサイ的偽善であり、心理的には道徳以前の感傷である。
★「良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈然するには多くの形がありました。」⇒⇒▼虐殺の責任を個人の良心の問題に擦りかえる、居直り。
(引用は、R. ヴァイツゼッカー・ドイツ連邦議会演説「荒れ野の四〇年」(永井清彦編訳)より。▼以降はコメント)
★「しかし日一日と過ぎていくにつれ、5月8日が解放の日であることがはっきりしてまいりました。このことは今日われわれ全員が共通して口にしていいことであります 。国家社会主義の暴力支配という人間蔑視の体制からわれわれ全員が解放されたのであります。」⇒⇒▼ドイツ国民は被害者で悪いのはみんなナチスという戦後ドイツの公式見解。ドイツ国民にだけ通じる身勝手な真理。
★「この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。」⇒⇒▼幾度も繰り返されてきた極めて見苦しい弁明。
★「良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈然するには多くの形がありました。」⇒⇒▼虐殺の責任を個人の良心の問題に擦りかえる、居直り。
★「ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。」→→▼どうぞご勝手に。ユダヤ人はそう簡単には忘れられない。中国人だったら千年経っても忘れない。
★「心に刻むというのは、歴史における神のみ(御)業を目のあたりに経験することであります。これこそが救いの信仰の源であります。この経験こそ希望を生み、救いの信仰、断ち裂かれたものが再び一体となることへの信仰、和解への信仰を生みだすのであります。」⇒⇒▼逃げ場を失い苦しくなると神を持ち出すキリスト教徒の悪癖。
最後に、ドイツ人の求める真理へのフランス流espritの一撃。
「情熱はしばしば、このうえもない利口者を愚か者にし、このうえもない愚か者を利口者にする」(ラロシュフコー『箴言』6)
最後の最後に、吉川幸次郎作詞の校歌も哭いている。曰く、
「きみみずや学問のきびしきめざし/わがものときわむる自然人文の/真理のつばさはばたけば/わかきひとみのかがやくを」
省みて、自ら愧じ入るところがありませんか?〈完〉
日本の「進歩的知識人」も、ウィキペデイアを見れば、具体的な名前がいろいろと載っています。大学教授もいらっしゃれば、社会的に影響力のある作家、エッセイスト、音楽家も、評論家もおられますが、要するに、昔は、ソ連、中共、北朝鮮支持でヨーロッパの東西の壁がなくなってからは、護憲派、あるいはリベラルあるいは反安倍、つまり、特に喫緊の課題としては、今問題になっている北朝鮮問題で、自分の信念の為に日本国民を悲惨な状況におく可能性のある護憲派の人々、のことです。私は、この人々に対して、ドイツの現実の防衛政策と比べて、机上の空論にすぎる、という印象をずっともっていました。だから、篠田先生や会社員さんの考え方にひかれたのです。つまり、次のブログの会社員さんのコメント自分や家族の生命安全や財産保全というよりも、主義や主張を守りたいという一心の願いからであろう。なぜなら「軍備を持つくらいなら侵略されて殺されたほうがましだ」と戦後長らく主張し続けてきた真正の9条護憲派にとっては軍備に頼って生命を守るなどということはあまりに「卑しい」ことだからだ。万が一にでも朝鮮半島が戦争状態になり日本が否応なく戦後はじめて参戦することを死ぬほど恐れているのだ。もしそうなれば憲法9条究極の非武装平和の理想など、ただの人騒がせのオマジナイだったということが一億人の日本人の前に明白になるからだ。
私は、ゲーテやワイツゼッカーさんの言葉を真理だと確信し、敬愛します。思想、というのは、その人の人間性から生まれるのです。
ゲーテは、哲学は、常識を難しい言葉で言っているだけだ、と述べ、反時流的古典学徒さんの文章にもそれを感じますが、同時に、哲学者、法学者というのは、非常識なこと、まちがったことも、いろいろ主張し、世の中を惑わしていたことが、国家社会主義、マルクス主義を含めて、世界の歴史は、我々に教えてくれているのではないですか?
ただ、太平洋戦争は、そうではない。マスコミに煽られて、米国に侵略戦争をすることが正義だ、と日本人が信じて実行したのである。ポーランドへのドイツの侵攻と同じである。けれども、それも民族の罪、ではなくて、政治指導者や軍事指導者の罪という形で、東京裁判で裁かれているのであって、その事実をワイツゼッカーさんは、述べられているにすぎない。問題は、それが正義だと煽った人々、マスコミの人々の責任が、ドイツと違って、日本では問われなかった、ことが問題なのであって、それが現在の問題を引き起こしている、と私は思う。
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