先週の米国国務長官ポンペオ氏の北朝鮮訪問中止発表を受け、核廃棄交渉の停滞が明らかになったと話題になっている。28日には、マティス国防長官は、米朝首脳会談後に「誠意」を示すためとして設けていた朝鮮半島での軍事演習の中止措置を終了すると表明した。
北朝鮮問題は、6月の米朝会談によって危機が克服されたわけではなく、逆にまだ破綻が約束されているわけでもない。
6月の米朝会談後、私も、このブログのみならず、いくつかのの媒体で感想を書いた。トランプ氏特有の要素は評価を分けるだろうが、その最大の成果は、首脳同士の人間関係の要素であった。http://agora-web.jp/archives/2033184.html
驚くべきことに、現在まだ、トランプ大統領は中国を批判しても金正恩氏を批判するのを避けている。また、北朝鮮側も米国政府高官を批判してもトランプ大統領だけは批判を避けている。今後も、首の皮一枚のようにつながっているこの6月米朝会談の成果が、北朝鮮問題の打開に向けたカギになってくるだろう。
6月米朝会談については、日本では、アメリカが譲歩しすぎているという論評が多かったようだ。これについて、私は、米韓合同軍事演習はいつでも再開できるのであり、北朝鮮問題を交渉していく「プロセス」の一部として米朝会談を見ていくべきだということを書いた。http://agora-web.jp/archives/2033318.html
この「プロセス」が、失敗するか、成功するかは、まだわからない。ただし、最初から、非常に困難な状況の中で、交渉の可能性を模索していることだけは間違いない。
数か月以上のスパンで見て、戦争の可能性が減少しているという見立ては、6月にもなかったし、現在もない。
私個人は、8月下旬は欧州にいたため、なおさらそういう印象を抱くのかもしれない。だが、むしろ当事者と言ってもよい日本社会の雰囲気が弛緩しているということはないだろうか。北朝鮮問題は解決されていないのはもちろん、本質的な改善が図られているわけでもない。北朝鮮問題の背景には、米中関係の行方をはじめとする国際政治全体の構造的な問題もあり、そんなに簡単に変化していくはずはないのだ。
日本のメディアや識者の方々が、米朝会談を批判しつつ、しかし同時にニュースバリューは減ったというような態度をとり、しかし後に突然再び危機が訪れたかのような態度をとるのだとしたら、茶番である。
北朝鮮問題は、6月の米朝会談によって危機が克服されたわけではなく、逆にまだ破綻が約束されているわけでもない。
6月の米朝会談後、私も、このブログのみならず、いくつかのの媒体で感想を書いた。トランプ氏特有の要素は評価を分けるだろうが、その最大の成果は、首脳同士の人間関係の要素であった。http://agora-web.jp/archives/2033184.html
驚くべきことに、現在まだ、トランプ大統領は中国を批判しても金正恩氏を批判するのを避けている。また、北朝鮮側も米国政府高官を批判してもトランプ大統領だけは批判を避けている。今後も、首の皮一枚のようにつながっているこの6月米朝会談の成果が、北朝鮮問題の打開に向けたカギになってくるだろう。
6月米朝会談については、日本では、アメリカが譲歩しすぎているという論評が多かったようだ。これについて、私は、米韓合同軍事演習はいつでも再開できるのであり、北朝鮮問題を交渉していく「プロセス」の一部として米朝会談を見ていくべきだということを書いた。http://agora-web.jp/archives/2033318.html
この「プロセス」が、失敗するか、成功するかは、まだわからない。ただし、最初から、非常に困難な状況の中で、交渉の可能性を模索していることだけは間違いない。
数か月以上のスパンで見て、戦争の可能性が減少しているという見立ては、6月にもなかったし、現在もない。
私個人は、8月下旬は欧州にいたため、なおさらそういう印象を抱くのかもしれない。だが、むしろ当事者と言ってもよい日本社会の雰囲気が弛緩しているということはないだろうか。北朝鮮問題は解決されていないのはもちろん、本質的な改善が図られているわけでもない。北朝鮮問題の背景には、米中関係の行方をはじめとする国際政治全体の構造的な問題もあり、そんなに簡単に変化していくはずはないのだ。
日本のメディアや識者の方々が、米朝会談を批判しつつ、しかし同時にニュースバリューは減ったというような態度をとり、しかし後に突然再び危機が訪れたかのような態度をとるのだとしたら、茶番である。
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コメント一覧 (73)
北朝鮮問題は、同国がいろいろな意味で、建国にかかわった当時のソ連ではなく、中国の「付属物」だということが愈々明らかになってきた過程である、ということが米朝首脳会談後のこの間のある種「膠着状態」をみるにつけ、分かりやすい道理に思える。国際政治学は畢竟、国際的政治力学の連立方程式を解く作業だから、不穏当な物言いを許されるなら、米中の経済対立でますます興味深くなってきた、ということだろう。
日本社会の「弛緩状態」は、今回の問題を離れても今に始まったことではない。その責任の一端はメディアにもあろうが、もっと根の深い問題だというのが、私の偽らざる感想だ。
先ごろ、アジアの語源であるギリシア神話の女神、「アシアー」(Ἀσία)を辞書で調べていて、いろいろな連想に浸った。
伝承には諸説あるが、代表的な事例(ヘシオドスの『神統記』)を紹介すれば、「アシアー」(Ἀσία)は、オーケアノース(᾽Ωκεανός、水の神=羅oceanus)とテーテュースの娘である。イーアぺトスとの間に四人(人、つまり死すべきもの=「トネートス」(θνητός)ではないから、少し妙な言い方だが)の子を設けている。即ち、アトラース(Ἄτλας)▽プロメーテウス(Προμηθεύς)▽エピメーテウス(᾽Επιμηθεύς)▽メノイティオス(Μενοίτιος)。アシアーは大陸の名前となった。
北朝鮮問題は、同国がいろいろな意味で、建国にかかわった当時のソ連ではなく、中国の「付属物」だということが愈々明らかになってきた過程である、ということが米朝首脳会談後のこの間のある種「膠着状態」をみるにつけ、分かりやすい道理に思える。国際政治学は畢竟、国際的政治力学の連立方程式を解く作業だから、不穏当な物言いを許されるなら、米中の経済対立でますます興味深くなってきた、ということだろう。
日本社会の「弛緩状態」は、今回の問題を離れても今に始まったことではない。その責任の一端はメディアにもあろうが、もっと根の深い問題だというのが、私の偽らざる感想だ。
先ごろ、アジアの語源であるギリシア神話の女神、「アシアー」(Ἀσία)を辞書で調べていて、いろいろな連想に浸った。
伝承には諸説あるが、代表的な事例(ヘシオドスの『神統記』)を紹介すれば、「アシアー」(Ἀσία)は、オーケアノース(᾽Ωκεανός、水の神=羅oceanus)とテーテュースの娘である。イーアぺトスとの間に四人(人、つまり死すべきもの=「トネートス」(θνητός)ではないから、少し妙な言い方だが)の子を設けている。即ち、アトラース(Ἄτλας)▽プロメーテウス(Προμηθεύς)▽エピメーテウス(᾽Επιμηθεύς)▽メノイティオス(Μενοίτιος)。アシアーは大陸の名前となった。
この三番目、即ちエピメーテウスの妻は、地上最初の女で神によって泥からつくられたパンドーラー(Πανδώρα)。その名の通り、兄のプロメーテウスと違って血の巡りが悪く、兄の制止に耳を貸さず、地上最初の女で神によって泥からつくられたパンドーラー(女神のように美しく、「すべての賜者を与えられた女」の意味)と結婚する。ゼウスが兄のプロメーテウスの盗み(火)を知って怒った末に密かに送りこんだ復讐の女神だった。
彼女は婚姻に先立って、天上からすべての災いを封じ込めた壺を持参、好奇心から地上に着くやいなや壺(所謂、パンドラの匣の原型)を開けたためすべての禍が飛び出して、人間のあらゆる災禍が生じた――というのが神話の筋立て。
ありとあらゆる不幸、災いが飛び出した後、壺=匣に唯一残ったのが、ほかならぬ希望(ἐλπίς)。そして、希望の反対は失望ではなく、現実 (ἔργον γιγνόμενον) だということ。
現代版「パンドラの匣」ならぬ北朝鮮問題に限らず、期待(ἐλπίζειν)に寄り添うという宿命を帯びたメディアに目を向ければ、戦後特有の「理屈は抜きにして戦争はもうこりごりだ」式のナイーヴな心情論理、即ちパトスの論理に基づいて現実を見誤ると、極端な形式主義的かつ感傷的な平和主義的論調の罠に陥る愚を犯す。この国はいつもそうである。
なお、ヨーロッパの語源である、「エウローペー」(Εὐρώπη, 羅Europa)は、テュロスの王、アゲーノールとテーレパッサの娘。ゼウスは彼女に恋し、白い牡牛の姿で近づき、恐れる彼女と交わった結果、ミーノースとラダマンテュスが生まれた。その後。クレタ王のアステリオスの妻となる。
普通、交渉ごとというのは、水面下で行われるもので、豊洲移転問題で、石原都知事時代の浜渦東京都元副知事が、なぜ、東京ガスとの交渉を水面下で行った、とマスコミに異常にせめられるのか一貫して、よくわからなかったが、中国と北朝鮮の関係は、あまりにオープンに報道されすぎていて、違和感がある。中国は北朝鮮支持ですよ、北朝鮮は孤立していませんよ、と国際社会にアピールする狙いで、あの報道がされているとしか、私には思えないのである。やはり、本質は、ロシアーイランー北朝鮮のトライアングル、なのではないのだろうか?
レーガン政権期、米国の仮想敵国は日本だ、と在米生活の長い夫の友人言われてびっくりしたことがあるが、たしかに、バブルで日本資本は5番街を買い占めたりしていたから、そうであったのかもしれないし、現在の米国の仮想敵国も,確かに、世界でNO.1でなければプライドが満足しない米国にとって中国かもしれないが、日本にとっての北朝鮮問題は、それだけではなくて、もう少し広い視野で、例えば、ロシア、イラン、トルコ、などの国々にも注意を払った方がいいのでは、と私は思う。
ところで安倍内閣に対しては「超」がつくほどの完全な「性悪説」。モリカケ騒動では「忖度させたほうが悪い」「どうせ悪だ」などと決めつけた。ところが北朝鮮に対しては、これまた逆で「超」がつくほどの「性善説」。一種の正当防衛だと言わんばかりのおもんばかり。他でもない、北朝鮮の「民主朝鮮」「労働新聞」も顔負けの日本のマスコミだ。魔界にでも迷い込んだような横並びのメディアの様相は、いまだに日本のテレビ・新聞が総体的に北朝鮮と同レベルであることを示した。放送電波や新聞宅配で強制されないかぎり、あんな間抜けな報道番組や記事を誰も真面目には見たり読んだりしないだろう。メディア自由化は北朝鮮対策と同等レベルの日本の緊急課題だと痛感した半年だった。
しかし「北朝鮮よ。ぜひともミサイルなど撃たず、大人しくしてくれよ!」と心から願っている筆頭は日本の護憲派や護憲学者たちだろう。もちろん日本人も韓国人も米国人も中国人や北朝鮮人民さえも、それを願っているだろうが、その動機が彼らは少し違う。
自分や家族の生命安全や財産保全というよりも、主義や主張を守りたいという一心の願いからであろう。なぜなら「軍備を持つくらいなら侵略されて殺されたほうがましだ」と戦後長らく主張し続けてきた真正の9条護憲派にとっては軍備に頼って生命を守るなどということはあまりに「卑しい」ことだからだ。万が一にでも朝鮮半島が戦争状態になり日本が否応なく戦後はじめて参戦することを死ぬほど恐れているのだ。もしそうなれば憲法9条究極の非武装平和の理想など、ただの人騒がせのオマジナイだったということが一億人の日本人の前に明白になるからだ。
そうした観点から、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい」というような一片の政治演説(同語反覆的な道徳的垂訓)に感銘を受けて、こうしたある種の民族の共同防衛的な「共同幻想」の物語(μῦθος)に安住したり、軽率に悔い改めたり居直ることとは凡そ異なる、徹底した批評精神が不可欠だろう。
演説の主のヴァイツゼッカー西独大統領は、ヨーロッパとの共生可能なドイツ像を模索し、再確認するなかで、国力を回復して自信を取り戻し、ともすれば「過去の栄光」への無批判な憧憬から文化的なethnocentrism(自民族中心主義)に流れがちな自国民の自尊心と紐帯を維持しながら、固有の政治的歴史的要請を充分に意識して、両者が融合するような一種の「政治的構築物」として、共生と自己確認の物語を提示したにすぎない。
従って、そうした、いかにも見え透いた政治性を没却して、そこに拠るべき道徳的指針や良心の前提となる共通認識を求めることは、最初から無理だという認識を妨げる理想主義者にありがちな形式主義的態度や甘え、即ちパリサイ的偽善と感傷から、自由になる必要がある。ヴァイツゼッカー氏は政治家として当然の仕事をしただけであり、そこには真理より「真理らしきもの」=「代替可能な偽善」=虚構(μῦθος)の説得が意図されている。
ともかく、タイトルと筆者を別個に羅列するだけではみえてこなかったものを明らかにしようとした作業の結果、そこに浮かび上がってくるのは何か。
「感銘深い」大統領演説などでは説明しきれない、業悪の歴史にそれぞれ異なる立場から立ち向かった歴史家やジャーナリストなど、いろいろな意味で「良心的知識人」が、当然のことながらドイツにも、確かに存在していることだ。そして、その際に問題とされたナチスの犯罪の「相対化」とは、「いつまでもナチスのことを云々されるのはうんざりだ」という根強い庶民感情が背景に燻ぶるなか、ナチスの犯罪を多少とも他の犯罪と比較可能なように「相対化」して、ドイツ国民の誇りを維持したいと目論む人々が相当数存在することを物語る。
『過ぎ去ろうとしない過去―ナチズムとドイツ歴史家論争』(‘‘Historikerstreit’’, Die Dokumentation der Kontroverse um die Einzigartigkeit der nationalsozialistischen Judenvernichtung, München, 1987.
縷説するまでもなく、東西ドイツ統一前の出来事ながら、論考のタイトルは雄弁である。西独でも、「悪しきドイツを自分たちの責任ではないとして、立ち直りつつあるヨーロッパのヒューマニズムの仮面によって蛮行を覆い隠そとした時代のつけが回ってきた」(三島憲一)結果であったのが、1967~68年の学生叛乱だった。学生たちは、冷戦下の当然の要請である憲法patriotismを基盤に前世代によって営々と積み重ねられてきた「非ナチ化」というナチスの忘却の歴史に断固たる拒否を突きつけ、世代間の軋轢も深まった。
その一方で、敗戦直後の混乱期には戦中の苦しみを国内で共有しなかったとの理由であまり好まれなかった亡命知識人への理解も進んだ。ドイツ的特殊性(非政治性)として、ナチスの跳梁跋扈を許した教養市民層の在り方に対する反省も強まった。ギムナジウムをエリート養成の核とする従来の三分制的教育制度を改革したのもそうした動きの一環だった。ナチスが犯した犯罪を否定する発言は1985年以来、処罰の対象になってもいる(刑法194条)。
▼歴史伝説と修正主義のはざま?――1980年代の視角から見た第三帝国=エルンスト・ノルテ(1926生=ベルリン自由大学教授、現代史)
▼過ぎ去ろうとしない過去――書かれはしたが、行われなかった講演=ノルテ
▼問題をひっくり返している――歴史考察における否定的ナショナリズムに抗して=ノルテ
▼負債としての記憶――ナチズムの集団犯罪の比較不可能性に関する論争に寄せて=ヨアヒム・フェスト(1926生=「Die Frankfurter Allegemeine」共同編集者)
▼一種の損害補償――ドイツにおける現代史記述の弁護論的傾向=ユルゲン・ハーバーマス(1929生=フランクフルト大学教授、社会哲学)
▼歴史の公的使用について――ドイツ連邦共和国の公式の自己理解が壊れつつある=ハーバーマス
▼東部戦線という新しい国家神話――ドイツ連邦共和国の歴史学における最新の展開=ミヒャ・ブルームリク(1947生=ハイデルベルク大学教授、教育学)
▼専制的支配者の時代――歴史と政治:啓蒙の管理人、学問の危機と世界観の保全 ハーバーマスへの反論=クラウス・ヒルデブラント(1941生=ボン大学教授、近代史)
▼歴史なき国における歴史=ミヒャエル・シュテュルマー(1938生=エアランゲン大学教授、現代史)
▼想定家たちの不毛なやり口――ナチスによる犯罪の唯一性は否定しえない=エーバーハルト・イェッケル(1929生=シュトゥトガルト大学教授、近代史)
▼ヒトラーの記憶は、スターリンとポル・ポトを持ち出すことで抑圧・排除されてはならない――ナチスの犯罪の激烈さを相対化しようとするドイツの歴史家たちの試みについて=ユルゲン・コッカ(1941生=ビーレフェルト大学教授、近現代史及び社会学)
▼新しい歴史意識とナチズムの相対化=ハンス・モムゼン(1930生=ボーフム大学教授、近現代史)
▼各人の立場はどこで分かれるのか――国民宗教の代用としての歴史を持ち出しても無駄である=マルティン・ブロシャート(1926生=元ミュンヘン現代史研究所長、ミュンヘン大学名誉教授)
▼アウシュヴィッツをめぐる新たな嘘=ルドルフ・アウグシュタイン(1923生=Der Spiegel発行人)
▼研究には禁じられた問いはないはずである=アンドレアス・ヒルグルーバー(1925生=元ケルン大学教授、近代史)
▼メーキャップ師たちが新たなアイデンティティーに化粧を施す=クルト・ゾントハイマー(1928生=ミュンヘン大学名誉教授、政治学)
1985年の保守派の「戦略」にもいずれ想定外のツケが回ってくるのだろうか。
「ドイツ通」らしいカ氏が「代弁」するのは、ドイツの特定の政治的見解にすぎない。[完]
哲学の「門外漢」であるゲーテが自分が直ちに理解できないことを哲学者の責めに帰している? 古来からよくある苦情だが、簡単に常識、現実というが、突き詰めていくとその意味と構造がいかに複雑であり、多岐にわたる検討が必要かが分かってくる。だから、厳密な思考と概念操作が必要なだけだ。一見して分からない、了解できないからといって、非を鳴らすのは当たらない。自らの無知、不勉強、とりわけ単細胞を告白するだけだ(「与する」を「組みする」と書く知的水準の人物が言うのもどうか)。
何せ、哲学は「万物の始原は水である」と説いたイオニアの自然哲学者ターレス(紀元前585年ごろ)から数えて、二千六百年を超す歴史がある。ゲーテは『ファウスト』で「はてさて、おれは哲学も、法学も医学も、あらずもがなの神学も」(森鷗外訳)と慨歎させたが、別にカ氏のような哲学音痴でもなさそうだ。
その証拠にカ氏も敬愛するドイツ文学者大山定一も筑摩世界文学大系『ゲーテ』集の解説の中で「カントの文章をよめば、ランプにあかるく照らされた部屋へはいった時のように、頭のなかが鮮明になるとゲーテは言っているが」と指摘している。違いますか?
自分が理解できない、理解しようともしないものに難解だとか、韜晦だとか難癖をつけ「無学」に居直るのが、「きみみずや学問のきびしきめざし(中略)真理のつばさはばたけば」を旨としつつ、省みて愧じ入る様子もないカ氏らしい。呆れた。〈完〉
ドイツ仕込みの筋金入りの厚顔無恥なのだろう。フロムとともに名前を挙げたが、進歩的知識人にも受けがよい、アーレントの読後感でも聞いてみたいものだ。知的虚栄心なのだろうが、背伸びするのもいい加減にしたらいい。
私が付き合ったドイツ人、といっても極少数だが、機会があれば、そのうち日本人とのhybrid(当人の弁)である、ドイツ人を母親にもつドイツ語と英語(TOEIC、TOEFLのスコアはほぼ満点)が完璧な女友達にでも聞いてみようと思う。彼女の東大法学部卒の父親が旧東京銀行ウィーン支店長だった関係で、いろいろ話を聞いたが、同じドイツ民族のオーストリア人もなかなか厄介な連中だ。
クリムトの名作で戦時中ユダヤ人実業家から奪ったまま、事実上長らくネコババし、ベルヴェデーレ宮を飾った「ウィーンのモナリザ」、所謂「黄金のアデーレ」(「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」)を結局、あらゆる理由をつけて遺族に返還せず、結局裁定で敗れ遺族の元に戻る実話を基にした映画(2005年製作)を最近BSTBS観たが、同じく翻訳が出た『ゲッベルスと私 ナチス宣伝相秘書の告白』の女性秘書ブルンヒルデ・ポムゼルといい、ドイツ民族の二枚舌は度し難い。
その以外に取り柄がないのだろう。それについて特別言うことはない。
度々引き合いに出す私のバイリンガルの女友達など、その限りでは超有能なcareerになってしまうのだが、そうでもなさそうだ。私にハイデガーやアドルノについて質問するくらいの勉強家だが、本人は至って謙虚だ。いきり立つこともない。まだ50代前半だから今後の成長も期待できるが、なかなか難しそうだ。有能な上司に恵まれればよいが…。
カ氏の説く「現実」は、実は最も確実な「現にあるもの」(παρὸν πάθος)として「分かった」と思うそばからすぐさま別のものに変化してしまう仮象(Scheins)としての現実ではないか、と危惧する。世は一瞬たりとも留まらず転変極まりないのもまた現実だからだ。変化(μεταβολή)もまた現実であり、パトスの現実をいくら捕捉し、理解したつもりになっても無駄だ。変化した現実自身によって裏切られ、迷妄の夢から醒まさせられるのが落ちだろう。
それだから、不変なもの、ものごとの構造(的要因)を見極めなくてはならない。国際政治学者の篠田さんも北朝鮮危機に限らず、その点をしばしば指摘する。カ氏は一体、どこを読んでいるのか。無鉄砲な「無学」は怪我の元である。
歴史認識には、個々の出来事に一喜一憂する、所謂 ‘sub specie bienni’ (須臾の相の下に) の皮相な考察ではない、冷徹な「永遠の相の下に」(‘sub specie aeternitatis ’)の洞察が不可欠で、そのために経験以上に重要なのが学識である。
私の第一義的関心事は古代哲学、古典学の立場からの哲学研究であり、憲法九条改正の帰趨ではない。しかし、その条件、この国のありうべき政治を見極めるうえで。これまでの勉強や研究の成果が役立たないようでも困る、と考えるだけだ。「無学」を脱するには本を、第一次文献、資料を読む以外に道はない。それが学問の王道で、Wikipedia如きで俄かに何かを知ったつもりになっている「無学」の徒と一緒にされても困る。
その格好の事例がある。
私が大学を卒えて間もない頃、京大哲学科の元主任教授であった故野田又夫氏が古稀祝賀会で行った挨拶で「学問とは本を読むこと」と言い切ったうえで、それでもまだ努力不足と、「七十而從心所欲、不踰矩」の齢にしてなお旺盛な意欲をみせた。
「大学というところはどうも講義の義務が重すぎて、自分勝手ができません。京大はことに古い本が多くありすぎる。本があることは研究のため結構なことなのだが、それがなかなかこなせないので、かえって愚痴を言いたくなる。私は近世哲学史をたどることを義務付けられましたがこの義務がなかなか果たせない。結局、二十数年間本読みに追われて過ごし、青年の時代の青きインテリの姿を幾分再現したと思います。その間、例のごとく活発に対外的活動を行われた桑原[武夫]さんからは時々、「このごろ何していやはりますねん」と冷やかされましたが、逆に吉川[幸次郎]さんや生嶋[遼一]さんからは、「学問とは本を読むことである」と言って励まされました」(1981年4月「古稀を迎えて」)。
独創的な哲学的探究の前提となる諸条件、つまり西洋哲学の正統的遺産を顧慮=知悉しながら新たな展開を目指すという基礎的条件が戦前はまだ確立していなかったとみる野田は、状況を改善すべく「講義の重圧に耐え」、西田幾多郎―田邊元によって形成された京大哲学科の伝統とは一見相反するともみえる精緻な哲学史研究の学風を打ち立てた。
しかし、哲学の場合、過去の研究成果に周到に目配りする=「本を読むこと」がそのまま「学問としての哲学」につながらない。この点で、厳密な実証科学であるシナ学の伝統(清朝考証学)に立つ吉川幸次郎とは事情が異なる。そもそも、哲学は実証科学ではないし、所謂科学でさえない、ということを誰よりも熟知していた野田は、新たな局面から西田―田邊以来の伝統を継承する仕事に苦闘する。
そうした哲学的総合が如何に困難で、稀有な才能を哲学者自身に要求するかは歴史の教えるところ。野田の普遍的=世界哲学の構想は充分な達成に至らず、やがて放棄される。結果はともかく、京都には、そうしたヘラクレス的難行を有為な哲学者たちに強いる伝統がある。
哲学第一の任務は科学の科学としての論理的分析を徹底的に追究することとする野田は、「世界観の探求においても、高度の論理的客観性の要求を、みずからに課する用意がなくてはならない。これが哲学に要求される禁欲である。哲学者とはみずからの満足のためや、人心に訴えるための論を構えようとはせぬ者のことである」(『哲学の三つの伝統』)。
学問とはそういうものだ。
で問題になっていること、今回は、北朝鮮問題で、私は、その問題の専門家によるコメントがききたいのに、ワイツゼッカーさん問題にまた、戻ってしまう。どうしたことだろう。
反氏は、とにかく、ほぼ、50年間近くドイツ文化に慣れ親しんだ私を、軽蔑しよう、厚顔無恥である、というイメージを形作ろうと努力されるが、その為に自ら墓穴をほっておられるのではないのか、と思う。「継続は力なり」です。
完璧にドイツ語英語が話せる、ということと、その文化をよく知っている、ということは、別の次元でもある。このごろ、同じ世代の外国語が堪能な日本人と話すと話題に出るのは、なにを話しているか、の内容の方が、完璧にぺらぺら話せるということよりも大事だということである。通訳なら、その能力は必須であるが。また、私たちも、たとえ、たどたどしい英語でも、内容がすばらしく、文法が正しければ、外国人の話を聞こうとするのではないのだろうか?
ゲーテに触れたいとワイマールに行き、その時に、ライプチッヒの「月曜デモ」のあった現場に行き、ゲーテの館長さんから、プロテスタント教会の信者たちの自分の命を顧みない自由を求めた月曜デモによって、東の社会主義政治体制が壊れた、と教わったが、儒教の国、北朝鮮は、それは期待薄だな、と思い、極東アジアの近未来はどうなるのか、と不安になる。
北朝鮮や尖閣の問題を考えれば、日本国としては、憲法9条解釈の不明確さを払拭するべく歩を進めるのが喫緊の課題である。ところが、石破氏は至って消極的である。
その態度は、憲法9条の改正に慎重な世論には合致しているのかもしれない。しかし、指導者としてどうなのか。石破氏には、世論に訴えていくような「誠実」さが欠けている気がする。
J.McCainさんをググってみたら、日本語版もあり、ベトナム戦争に従軍し、1967年10月26日に北ベトナム捕虜となった、とあった。マケインの父親はアメリカ太平洋軍の司令長官となり、ベトナム戦域全てを指揮する立場となったため、ベトナム民主共和国側はマケインを釈放することによって、自分たちの部隊は人道的であるというプロパガンダを世界に広めたいと考えていた.マケイン氏はそれを拒否、反アメリカプロパガンダの”告白”の署名にも拒否し、ベトナム民主共和国に同調するジャーナリスト達との面会を拒否し、北ベトナムの過酷な拷問を敢えて受け、1973年3月15日に北ベトナムより解放された経歴の人物だとあった。
このような偉大なアメリカ人政治家について、日本のマスコミが大きく報道しないのは、「進歩的知識人」として、北ベトナムのプロパガンダそのものを真実のように報道した結果、今更、彼が偉大な米国の政治指導者だ、などと報道できないためではないか、と思うが、その姿勢は、「普通の日本人」の国際情勢への見方を、著しく偏向させてしまい、匿名氏さんの主張されるように、不誠実な石破茂さんのような主張を、そのまま許す結果につながる、と思う。
このような偉大なアメリカ人政治家について、日本のマスコミが大きく報道しないのは、「進歩的知識人」として、北ベトナムのプロパガンダそのものを真実のように報道した結果、今更、彼が偉大な米国の政治指導者だ、などと報道できないためではないか、と思うが、その姿勢は、「普通の日本人」の国際情勢への見方を、著しく偏向させてしまい、匿名氏さんの主張されるように、不誠実な石破茂さんのような主張を、そのまま許す結果につながる、と思う。
このような偉大なアメリカ人政治家について、日本のマスコミが大きく報道しないのは、「進歩的知識人」として、北ベトナムのプロパガンダそのものを真実のように報道した結果、今更、彼が偉大な米国の政治指導者だ、などと報道できないためではないか、と思うが、その姿勢は、「普通の日本人」の国際情勢への見方を、著しく偏向させてしまい、匿名氏さんの主張されるように、不誠実な石破茂さんのような主張を、そのまま許す結果につながる、と思う。
このような偉大なアメリカ人政治家について、日本のマスコミが大きく報道しないのは、「進歩的知識人」として、北ベトナムのプロパガンダそのものを真実のように報道した結果、今更、彼が偉大な米国の政治指導者だ、などと報道できないためではないか、と思うが、その姿勢は、「普通の日本人」の国際情勢への見方を、著しく偏向させてしまい、匿名氏さんの主張されるように、不誠実な石破茂さんのような主張を、そのまま許す結果につながる、と思う。
23-26まで、消去していただけたら、嬉しいです。
もう一つ厄介なのが、日本語の読解能力。相手の言っていることを正確に理解することが論争に限らずすべての前提なのだが、この点でもカ氏は全く当てにならない、実に厄介なメンタリティーの持ち主だ、ということがコメント読者にもそろそろ理解され、いや、既に周知の事実なのではないか。
日本語の通常の理解で、「一体どう理解(曲解)すればそうなるの?」と首を捻るケースが何と多かったことか。それに対してもカ氏は二、三の例外を除き、素直に認めたことはない。事実についてはなおさらで、思い出すだけでも片手に足りない(西ドイツの再軍備と朝鮮戦争勃発の前後関係や李氏朝鮮の仏教弾圧等)。いつも、見苦しく言い逃れる。「ストア」派と「スコラ」哲学との混同など噴飯もの。
「だったら相手にしなければいいではないか」と言われそうだが、そうもいかない。ネット、ブログといえども半ば「公的な」言語空間だ。極端に偏った言説もその根拠が揣摩臆測や流言蜚語など悪意をもったものなら論外だが、根拠が示され、ある意味正当なものなら、誹謗中傷を目的にでもしていない限り自由だ、というのが私の立場で、言論に関する寛容の精神では人後に落ちない。つまり、放送法や自主規制のあるメディアと違って、何を言ってもいいのである。相手側の批判の自由を尊重すれば。
日本共産党にも「民主集中制」という不文律があって、党内議論は党本部(代々木)が示した方針や大原則を逸脱しない範囲でなら自由に行ってもよいが、こと方針に反するととられかねない発想や批判は御法度、という「鉄の掟」。「民主」より、「集中」、党幹部による統制の方が主なのだ。議論は周知の手段にすぎない。自己批判しなければ、即除名というのが党の歴史で、綺麗ごとを並べ庶民感覚に寄り添うふりをしても、信用ならない。大学を出て入った銀行の非共産系労働組合幹部だった私が直面した、事前の予測通りの経験である。
この点、右翼(民族派)でさえ昨今は、天皇に対する、いわゆる不敬的言辞でもなければ鷹揚だ。彼らは何となく粗野で胡散臭く「低能」(低学歴という意味)で、高学歴な共産党員のようには慇懃でないだけだ。高学歴で慇懃無礼なのは、揉み手で「お客様」とすり寄ってくる銀行員も同じ。内心考えていることと外面とが全く違う点で似ている。共産党は「アカ」、銀行員は「金貸し」という庶民の嫌悪感も故なきことではない。
もっとも、マルクス主義と共産主義は一体ではない。リカードやJ. S.ミルなど古典派経済学の批判者として現れ、資本主義のヴィジョンを提示したマルクスは言われるほど「偏向」していないことは経済学者シュンペーターの指摘通りで、ピケティの『21世紀の資本』(‘‘Le capital au XXIe siècle’’)も発想はマルクス主義的だ。要は、社会主義革命の指導理論となった「マルクス・レーニン・スターリン主義」と混同しないことだ。
閑話休題。『アゴラ』(ἀγορά)にも転載されている篠田さんが発信するこの貴重な言語空間を自分たちで大切にしなくては、と思う。
私が確認した限りでも、一部にとんでもない間違いや「偏向」がある、まさに玉石混交の日本版Wikipediaに寄りかかった議論は「そろそろやめませんか?」ということでもある。
少なくとも、篠田さんの批判にまともに応じてこない護憲派の憲法学者=「ガラパゴス派」を批判するなら、彼らがこのコメント欄を覗いた場合、「あいつら、条文解釈のイロハも、過去の論争や学説の積み重ねも知らないで、ご気楽な批判で気焔を上げているだけ。血のめぐりの悪い学生にも劣る。バカバカしくてまともに相手にできない、まるで福田恆存のいう『愚者の楽園』さながらだ。これじゃぁ、篠田君も報われないな……」と本当に侮られかねない。メディア批判も同様だ。
井上達夫氏のラディカルな提案(九条削除論)にも、その論理的一貫性だけは認める石川健治氏がテレビの討論番組で「庄屋殺しの破壊衝動」と揶揄したように、相手は手強い。井上氏の本意は、憲法を「憲法学者から国民の手に取り戻す」ことにあるようで、そのためメディアへの露出も増えているのだろうが、石川氏は「憲法学者と法哲学者の見解の違い」と正面からの議論を避ける。井上氏が色をなして、「賢明なる憲法学者のご託宣に従えという彼は、プラトン的哲人王でも気取っているのか。彼は国民を責任ある政冶主体としては認めていない」と手厳しい。
石川氏は「宗家」の東大教授の奢り(ὕβρις)かどうかは知らないが、議論の前提を承認するなら、専門家として長谷部恭男氏や木村草太氏よりは知的に誠実にみえるが、素人の真摯な訴えに耳を貸すタイプでないことも明白だ。
大事なことは、他に厳しくあるには、まず自らに厳しくなくてはどうにもならない、ということであり、素人でも甘えは許されない。私が知的水準にこだわるのはそのためだ。
私とて憲法学の門外漢だが、少なくとも宮澤俊義の主著『日本國憲法』(法律學体系コメンタール篇1=日本評論社。初版1955年、手持ちは74年34刷)の九条の項や別冊附録収録の「日本國憲法生誕の法理」(第二節が「八月革命の理論」)は精読している。序でに言えば、のちに発禁処分になった美濃部達吉の明治憲法の概説書『憲法撮要』(1930年訂正四版20刷)、註釈書『逐絛憲法精義』(1927年初版)も、発禁を免れた『行政法撮要』(上巻は1934年第四版8刷、下巻は35年第三版13刷)も読んだ。仕事上の必要性もあった。
まともな議論には多くの基礎知識が必要になる。ケルゼンの『一般國家學』(清宮四郎訳、1936年)も尾高朝雄『國家構造論』(36年)も同じ理由だ(共に京城帝國大學法學会叢書)。
私には憲法学通説に拠る「立憲デモクラシーの会」の面々が篠田さんの批判にまともに応じてこないのは、篠田説が戦後憲法学、特に九条解釈に対するある種の「メタ批判」の側面があり、憲法学者たちは相手の土俵で戦うのは「戦況不利」とみているからではないか、と推測する。それは、専門家が得意で自家薬籠中のものとする煩瑣なスコラ的議論で誤魔化せる性質のものではない、ということだ。
そこで、重要となるのが、所謂「押し付け」憲法論と「八月革命説」との対立だ。
それらすべてを、その後の国連加盟も含めて整合的に解釈したうえで、冷戦後に顕在化した新たな課題や北朝鮮危機や中国の海洋進出など東アジアの緊迫した政治状況を含めて、条文の含意する真の意味を首尾一貫した解釈として提示したのが篠田さんの九条解釈であってみれば、問題をとらえる射程がそもそも凡百の憲法学者とは異なっている。
それを学界内部の「異端」の憲法学者が提起したのならともかく、いわば「異教徒」である国際政治学者に主張されては立場、立つ瀬がないし、面目丸潰れということではないか。だから、水嶋朝穂氏のように「完無視」とか称して、場外乱闘紛いの攪乱戦法に出て、お茶を濁している。学界を仕切る「お代官」の長谷部氏の意図を忖度するなら、勝てない相手に「他流試合」は御法度、という訳だろう。そもそも勝てないのは、ドイツ国(公)法学に依拠した自分たちの概念設定、いわばパラダイム(παράδειγμα)解釈が制度疲労を起こしているためだ。
私は、憲法学者とはつくづく憐れな存在だと思うが、これは余計なお世話かもしれない。専門家の本来の役割を自覚するなら、いつまでも現状維持では困る。そして、われらも、自らを厳しく律しなくてはならない。少なくとも、学問的議論に参加したいのなら。無知に基づく妄説は時間とエネルギーの無駄であり、人間としての品位にかかわる。
私が「無学」のカ氏に言いたいのはそれだけである。[完]
最初の本について、私も同じような感想をなんどか書いたが、評者加藤陽子さんも冒頭に、米国本土の飛行場を降りたら、よくこのような国と戦争をして、勝てると思った、と感じるだろう、と書かれている。だから、米国をよく知る楠山義太郎さんは、開戦の報をきいて毎日新聞社内で一人浮かない顔だったのだし、知らないで従軍した義父たちは、「アメリカの国力を知っていたら、開戦に賛成などしなかったな。」という感想になるのである。そして、その理由は、本来なら、それを知らせなければならない、東大経済学部の俊英たちから構成される陸軍経済研究班は、国策に反する、と批判されたので、実際の事実に基づいた研究書を焼き捨てて、勝機があるかのような報告書を提出したからである。何のための研究か。
けれども、実像と虚像は、たやすくは見分けられない。私は、西ドイツにゆくまで、東欧の実像を知らなかったし、進歩的知識人の作り上げる論壇の主張、つまり、東欧や北朝鮮、毛沢東の虚像、を信じていた。現在は、もっと技術が進み、あたかも、そうであるかのように、映像技術で虚像が作り上げられてしまう。それは、テレビのワイドショーを見ればわかる、と思う。
テーマが、古代ギリシャであったり、音楽学であったりすれば、それはその専門の人が考え、論争好きな人は、論争をすればいいと思う。
けれども、日本国憲法は、法律であって、日本国民を拘束するのである。
そして、最高法規として、我々の生活を支配し、平和も平凡な生活の安定もその文言とその運用にかかっている。机上の専門家に、任せておけないのではないのだろうか?また、米国への留学生は戦後多かったので、アメリカについては、よく知られているが、ドイツというと、音楽関係か、哲学関係に限られて、最近「憲法学」もそうであるのだ、ということがわかったが。そして、ドイツで良識、と思われていることが、反氏にかかると偽善、ドイツ人のずるい自己弁護になってしまう。それで、つい、むきになってしまうのであるが、ドイツナチスの歴史は、仮想現実、という手法を使った、ナショナリズムや宗教とからめた集団催眠という面では、他人事ではない。世界中どこでも起こりうる、
例えば、プロパガンダ利用という面でも、北朝鮮の金正恩さん、その宣伝相になっている彼の妹、金与正さんのことも含めてよく考えなければならない、と思う
「スコア派をストア派と勘違いしていた」の「スコア派(?)」は、中世の「スコラ」哲学の誤り。カ氏は双方を「勘違い」していたのではなく、中世の「スコラ哲学」も古代ヘレニズム期の「ストア派」も「無学」で知らなかった歴然たる証拠。何度間違えたら、気が済むのやら…。
このため、以前、自殺を慫慂した古代「ストア派」が、アリストテレスの論理学を使ってキリスト教神学を理論づけた、と専門家が腰を抜かす珍説を披露。「アリストテレスの論理学を使って……理論づけた」のは中世スコラ哲学、と再三間違いを指摘する私を無視して居直った。大方、Wikipediaでにわか勉強して、知ったかぶりをした報い(知的虚栄心だけは一人前)。ソクラテスが戒めた「弱論強弁」の面目躍如。
「辞書をひけば、間違いである、ということが誰にもすぐわかり、訂正も容易」⇒⇒指摘されるまで、一度も訂正したことがない当の本人が、何とも偉そうにこの御託。知的誠実の欠片もない。漢字の間違いは年中行事で、もはや体質的。こうも頻繁だと驚かなくなった。
「ウムラウト」の指摘は日本版Wikipediaの「ハイデガー」。カ氏とは関係ない。指摘はウムラウト以外にフランス語のアクサン記号。他の項目ではギリシア語の気息記号も。カ氏の最近のドイツ語の綴り間違いはゲーテの著名な評伝の著者グンドルフ=Gundolf。カ氏は不覚にもGundorf。ゲーテ通が泣くョ。「日本では知られていないが」と揚言して馬脚を現す。実は『広辞苑』にも載る著名人。
本日も反省なし。次の間違いも近そう。
それによれば、ドイツの良心的知識人の見解は、ヴァイツゼッカー演説に比して、一枚岩でないことが明らかなばかりか、激しい論争が存在し、未だに決着していないことも分かる。「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐる歴史家論争もその一環であったように、戦後ドイツの背負った「業悪」の根深さを感じる。
モムゼンのヒトラー及びホロコースト観を特徴づける著名なテーゼ=‘Functionalism and the ‘‘Weak Dictator’’ Thesis’として知られるものを紹介する。以下少々長いが平易な英語なので煩瑣を厭わず引用する。
Mommsen was a leading expert on Nazi Germany and the Holocaust. He was a functionalist in regard to the origins of the Holocaust, seeing the Final Solution as a result of the ‘‘cumulative radicalization’’ of the German state as opposed to a long-term plan on the part of Adolf Hitler. In Mommsen’s view, Hitler was an intense anti-semite but lacked a real idea of what he wanted to do with Jews. The picture Mommsen consistently drew of the Final Solution was of an aloof Hitler largely unwilling and incapable of active involvement in administration who presided over an incredibly disorganized regime. Mommsen forcefully contended that the Holocaust cannot be explained as a result of Hitler alone, but was instead the product of a fractured decision-making process in Nazi Germany which caused the ‘‘cumulative radicalization’’ which led to the Holocaust.
In Mommsen’s view, Hitler’s speeches encouraged his followers to carry out his ‘‘utopian’’ ranting about the Jews, but Hitler did not issue an order for the Holocaust and had little to do with its actual implementation. In Mommsen’s view, the fact that Hitler never referred explicitly to the ‘‘Final Solution’’ even in the privacy of his own circle was his way of avoiding personal responsibility for that which he had allowed to take place and had encouraged through his anti-semitic rhetoric. As such, Mommsen has denied that Hitler ever gave any sort of order for the Holocaust, written or unwritten. Mommsen has argued that Hitler did give the order for the Kommissarbefehl (Commissar Order) of 1941, that helped lead to the Holocaust, but was not part of the Holocaust proper. Mommsen wrote that Hitler was the ‘‘ideological and political originator’’ of the Holocaust, a ‘‘utopian objective’’ that came to life ‘‘only in the uncertain light of the Dictator’s fanatical propaganda utterances, eagerly seized upon as orders for action by men wishing to prove their diligence, the efficiency of their machinery and their political indispensability’’. Starting with his 1966 book, Beamtentum im Dritten Reich(Civil Servants in the Third Reich), Mommsen has argued for the massive involvement of various elements in German society in the Third Reich, as against the traditional view in Germany that Nazi crimes were the work of a few criminals entirely unrepresentative of German society.
Mommsen is best known for arguing that Adolf Hitler was a ‘‘weak dictator’’ who rather than acting decisively, reacted to various social pressures. Mommsen is opposed to the notion of Nazi Germany as a totalitarian state.
▼Menke, Martin; ‘‘Mommsen, Hans’’, from The Encyclopedia of Historians and Historical Writing edited by Kelly Boyd, Volume 2, London, 1999.
▼Kershaw, Ian; The Nazi Dictatorship, London, 2000.
前文と引用に終始するばかりでは怠慢の誹りを免れないので、以下、若干の説明を補う。
モムゼンは『ドイツ政治および国際政治雑誌』(1986年10月号)に寄せた「新しい歴史意識とナチズムの相対化」の冒頭で、こう力説する。以下、祖述すると、
連邦共和国における保守的思考の戦闘配置図が変わってきた。過去何十年にもわたって、保守主義者はナチズムをドイツ史の連続性に入り込んできた唯一の断絶と解釈すべきだと主張してきた。ナチズムに占領された最初の国ドイツ――この言い回しは、第三帝国がもたらした破局とその犯罪的政策を、特にヒトラーの仕業に帰し、ヒトラー主義として解釈する傾向を反映する。
この傾向は1945年以降に始まって以後定着してきた。ファシズムの比較可能性の理論的支持者は、ナチズムをファシズム概念の下に包摂することは、ナチズムの一回性と矛盾するばかりか、ナチスの支配体制のもつ革命的性格を「無害化」することになるとして拒否した。
このことは、保守主義的な著述家たちが、ナチズムとボルシェビズムの同一視――スターリンの粛清以来、西側にしっかり刻みこまれた同一視を中心的説明モデルにして、それを「全体主義的独裁」という理論で飾り立てることを妨げはしなかったのだが…。
モムゼンが危険視するのは、ホロコーストを世界史においてユニークなものではなく、普遍史的展望の下に「相対化」されねばならない、と主張するエルンスト・ノルテが以前から強調していた主張とその同調者(J.フェストやK.ヒルデブラント)で、彼らが攻撃したハーバーマスの双方に歴史家の立場から厳しい批判を下している。[完]
国家社会主義と共産主義は、左と右の差はあるけれど、全体主義で、民主主義と違って、一つのイデオロギーしか許さないために、個人の思想の自由を許さないという面では二つは同じだし、アウシュビッツについても、彼らと考えは同じです。これは、見解の差で、どのようにしても埋めようがありません。きっと、エルンスト・ノルテにしろ、ワイツゼッカーさんにしろ、自分たちの見解は変えておられないでしょう。世界の事情通のどちらの支持が多いかも興味深いですね。
一度書いたと思いますが、ルネッサンス、にしろ、ギリシャ文明にしろ、反氏とは、すべて見解が違うのだから、そのまま平行線でゆけばいいのだ、と思います。思想の自由です。
私は、反氏は相当偏ったものの見方をされる方だと思っていますが、そちらも私が無学ゆえにそう思っている、と断定されているのだから、それでいいのではないですか。
それより、訂正です。これは、致命的な間違いに近くどうしても訂正しなければ。
芦田均さんは、国際法学者で、国際法学者として東大の博士号を取られているのであって、国際政治学者ではありませんでした。外交官だったから、ついミスってしまって。お詫びして訂正します。
日本の戦争とナチスのホロコーストはまったく次元が違うものだが、連合軍は人道に対する罪として類似のものととらえた。ただし、ドイツの場合はワイマールの時代の復活、日本の場合は大正デモクラシー時代の復活をそれぞれ期待して、各民族の「罪の根源」には踏み込まなかった。
日本もドイツも国家の復興を優先したが、復興が終わって時代が進むと両者とも同じような問題提起がでてきた。それはあの問題とする時代が、過去と連続的につながって発生したのか、不連続で一回かぎりの悪夢だったのかという論争である。
これは一種の「神学論争」だった。
「連続か不連続か」という抽象的な問題ならまだよかった。
そこからさらに「加害者か被害者」かという別のこれまた陰険な進学論争が発生するのである。この手の論争は日本の左翼などが積極的に欧米から輸入した。そして、日本人が戦争の悲惨をふりかえるたびに「被害者である前に加害者であることを忘れるな」というのが左翼主導の合言葉となった。
これは反省などとはなんの関係もない。形勢不利になった左翼が日本人を虐待するための一種の洗脳だった。そして欧米とは違って個人主義よりも連帯責任や集団的責任という概念に親近感をもった日本人の間ではより陰湿な形で浸透して、日本人どうしが互いを敵視して内向きになり、かといってアジアの実態として何が起こっているか等の国際感覚が発達するわけでもなく、政治も外交も停滞ぎみとなり、ひたすら過去の清算を痛快そうに糾弾する反日左翼や正義の使者ぶった偽善マスコミだけが輝いた時期だった。
しかし「歴史は繰り返す」などという恐ろしい言葉は、たとえば従軍慰安婦問題が脚光をあびれば朝日新聞の捏造報道や岩波のキャンペーンに追随して日韓関係をボロボロにし、東日本震災で原発事故が起きればむちゃくちゃな風評被害にのっかってあちこちで反原発の講演活動をやって風評被害の拡散を後押ししたような、東大の高橋哲哉のようなアホにこそ当てはまる。
にかぎらず左翼の原罪共同体とやらは右翼の民族共同体を裏返しにしただけ。非武装平和も一億総ざんげも一億玉砕の裏返しだった。
アホは必ずボンクラな行動を繰り返す。それが歴史は繰り返すという意味だろ。そして「世界観」を唄ったナチズムでもそうだが、アホのなかでも知識や思想哲学において人後に落ちないなどと訳のわからない自信に満ちたアホがマスコミや出版等で(時代を先読みする寵児のように)扱われて大衆が扇動されることは特におそろしい。日本の場合はメディアの付和雷同性が強いのがいまだに深刻な弱点。
ノルテ、フェスト、ヒルデブラント、アウグシュタインら謂わば、ホロコースト「相対化」派と、モムゼン、ヒルグルーバー、イェッケル、コッカらを十羽ひとからげにして、「そのほとんどが、フランクフルト学派の学者の説」(コメント174)などという大嘘、戯言としか言えない放言をもう一度吐けるものか、三度カ氏に問いたいものだ。
ドイツの良識は必ずしもヴァイツゼッカーやノルテにばかりある訳ではないことは、明明白白ではないか。どう考えても一枚岩ではないことが漸く明らかになったが、むしろそれが以前から米英仏をはじめ諸外国の「良識」で、ドイツの弁明が如何に偽善に満ち、ご都合主義的で、政治的妥協の産物だ、ということだろう。
なにせ、悪名高き、わが大日本帝国陸軍でさえも計画も実施もしなかった、身の毛のよだつ「‘‘Final Solution’’」(アウシュヴィッツだけで一日平均710人が四年半にわたって「流れ作業」で殺され、燃やされ続けた)という名の国家ぐるみの民族大量殺戮をやってのけたのだから、ヴァイツゼッカー演説のような政治的偽善は、モムゼンやハーバーマスでなくとも「良心的知識人」なら耐え難いのは当然で、私は偉大なるローマ史家、ローマ法学者テオドール・モムゼンを祖父にもつ、この歴史家をドイツのために嘉したい気分だ。
自らに都合のいい事実だけ言い募るのは、それこそ目の敵にしているメディアと全く同じで、大体、メディアに煽動、洗脳されて戦争に踏み切る国家などどこにあるというのか、寝言もほどほどにしたらいい。もっとも、「北朝鮮は戦前の大日本帝国と同じだ」と豪語するくらいだから(天皇制はどうなる?)、無礼講は朝飯前なのかもしれない。
当のハーバーマスは、「ヘルムート・コール(首相)が望んでいるような意味での釣り合いのとれたドイツの歴史像を提示しようとする努力に反対し」。一方で「ドイツ国民に新しい「国民的プライド」をもてるよう手助けする努力にも反対」する論陣を張った(モムゼン)。
さらに重要なのは、Die Frankfurter Allgemeineに掲載されたフェストのハーバーマスへの反論にみられる個人的な人身攻撃、(ノルテのテーゼは)現代史の大規模なタブー解除を伴った政治転向によって開かれた「パンドラの匣」であり、これまでの西ドイツの政治文化の進展が示してきたものに逆行する歴史解釈につながる、というハーバーマスの批判は、「現実世界を見失い、一種のマニ教(善悪二元論=筆者註)だという、保守派の苛立ちだ。
結局、FAZはますます「歴史像」修正主義者たちの表明の場と化して、「偏向」が進んだ。モムゼンによれば、「歴史像の固定化は政治権力を強化する機能をもつ」ということについて、フェストがあまりに無自覚だというものだ。この結果生じたのは、それまで政治的に問題があるとして公言することが憚られてきた考え方が、解放されたことだ。
即ち、ホロコーストとスターリンの富農追放とを同一視すること、第二次世界大戦とアウシュヴィッツに対するドイツの責任を英国の宥和政策やそれを主導した平和主義的政治家に臆面もなく転嫁するという、ドイツ人にしか通用しない独自の弁明の論理を一層強化する新保守主義的な修正主義に政治的に一層肩入れすることにつながっていく。
海外留学とは「学ぶを留(と)める」とも読む。よほど気楽な游学だったのだろうか、と首を傾げたくなる。なぜなら、36で「キリスト教で有名な神学論争は……宗教戦争の引き金になったカソリックとルター派プロテスタントの論争」との発言など、実に学問的常識に疎い。
憲法論議と比較考量するなら、カトリック内部のスコラ哲学者による普遍や神の存在、自由意志等をめぐる煩瑣な概念と論理操作が特徴の神学論争であり、最も重要なのはラテン語圏の西方教会(カトリック)とギリシア語圏の東方教会(ギリシア正教)が、三位一体やキリスト論など中核的教義を公会議で確立すべく激論を展開した古代末期の神学(教義)論争と相場が決まっている。中世末期の田舎ドイツの論争など二義的だ。西欧に限局され、しかも精々ルターやゲーテ程度だから、思考の射程がよほど狭く全体像が欠落している。本人の努力不足が大きいとしても、教育も悪いのだろう。
近代ドイツ語の誕生は通常ルターの聖書独訳(1522~34)に帰せられるが、カトリック系諸州の彼の論敵や他の方言を使っていたグループはこれを標準語とするのを拒み、ドイツ語の統一は18世紀以降まで実現しなかった。ルターが実際に使用したのはザクセン公の完庁用語だった。
カ氏の史観は常に単線思考で視野狭窄だ。
反氏ご自身でも認めておられるが、要するに、反氏が付き合ったドイツ人、というのは、極少数なのにかかわらず、ドイツ人について、書物やFAZ(Frankfurter Allgemaine Zeitung)で偏見を作り上げ、先入観を作り上げていることが問題なのである。ユネスコ憲章、にはこうある。 戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。
相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。
ユネスコ憲章には、学問とは書いてない。相互の風習と生活、と書いてある。その努力が、失礼ながら、反氏にはまったくない。
けれど、今になってみれば、私の考えは、国家社会主義と共産主義は、左と右の差はあるけれど、全体主義で、民主主義と違って、一つのイデオロギーしか許さないために、個人の思想の自由を許さないという面では二つは同じだ、(だから、指導者の命令に無批判に民衆はついていく)という確信からからの発言であって、そのために、私は、現在の北朝鮮に脅威を感じているのであるが、それに対して、考えの対極にある反氏が猛烈に批判した、ということがよくわかった。
読者の皆様は、どうお考えでしょうか?
それに対する反氏の反論が、
結局、FAZはますます「歴史像」修正主義者たちの表明の場と化して、「偏向」が進んだ。モムゼンによれば、「歴史像の固定化は政治権力を強化する機能をもつ」ということについて、フェストがあまりに無自覚だというものだ。この結果生じたのは、それまで政治的に問題があるとして公言することが憚られてきた考え方が、解放されたことだ。
ほんと、きちんと読む必要がありますね。反省。
日本も、日本の進歩主義知識人の主張から解放され、政治的に問題があると公言を憚れてきた意見を解放した方が、かえって、ワイツゼッカーさんの主張されるように、本音で中国や韓国と心からの和解ができるかもしれない、と思います。
なぜ、そうなってしまったかというと、「進歩的知識人」には「革命」を起こさなければならない、という「大命題」があるので、打倒する相手が、「信頼に値する人」であっては困るのである。その為に、「信頼に値しない人」であることを印象付けるような情報ばかりを取材し、マスコミを通じて拡散するのである。戦後、日本のマスコミは、戦争は、政府が思想弾圧をしたから、防げなかった、と主張してきたが、その前段階として、これは、ドイツも日本も同じであるが、マスコミが時の政権、ドイツの場合は社会民主党政権、日本の場合は、立憲民政党政権の政治を批判し、引きずり下ろしたという段階があるのである。つまり、「天皇機関説」問題がその典型例であるが、マスコミが、野党、立憲政友会の主張を正論としたり、政権党の政治家のスキャンダルばかりを報道し、「政治不信」を引き起こすから、幣原外交が否定されたのである。
佐藤栄作さんが、首相退任の時に、新聞記者を記者会見場から追い出された光景を今ではっきり覚えているが、「自分は日本、日本人のことを考えて、政治をしてきた。私の目を見てほしい。」という訴え、この発言は1972年6月17日行われたものであるが、新聞では自分の発言内容が曲げられるから、テレビを通じて国民に直接訴えたい。そんな思いから出た発言だったと言われている。それだけ日本では、新聞記者が首相の発言内容を、自分たちなりに勝手に解釈し、政治不信を煽っていたのだと、改めて思う。ワイツゼッカースピーチに対する反氏の主張にも、同じようなものを感じるが、本来、特に国民の世論形成に最も影響力のあるテレビについて言えると思うが、そのことを日本のマスコミの人が本気で自覚し、反省しなければ、本物の民主主義政治は、生まれず、おかしな方向に誘導される、と私は危惧する。
それにしても、なんとも痛ましい。何度も申し上げたはずだが、私の座右の銘は「殺伐非情」。何とも物騒だが、実質はそうでもない。相手の知的水準を見くびって手加減などしない、途中で手打ちなどしない。礼儀に失するからだ。相手の論拠に殲滅に等しい打撃を与え、「曖昧にされる真理より、明確にされる虚偽の方が大切だ」という学問の精神を了解=「納得していただく」だけ。勝ち負けは全く興味がない。カ氏のようなアマチュア相手だと、そもそもよほどのハンディでもつけない限り、それはない。あくまで論争のパロディーなのである。
擬似的ではあっても、特に学問的議論――カ氏の場合はあまりにものを知らない劣等学生並みだから、とてもまともな「論争」の水準に達せずウンザリするが、私は知的に「誠実に」調べ物をしたりもするから、世情を探るうえで勉強にもなる。日本版Wikipediaの記述(確認した限りでの「アドルノ」「ハイデガー」「ソフィスト」「ソクラテス」の項目に限る)が、これほどひどいとは思わなかった。私にとっては、発見であった。
その構造的要因ははっきりしていて、要するに各項目の記述は引用でしかない。しかも、引用の引用=即ち、吉川幸次郎が弟子の女子学生を一喝した「孫引き」の集成だからだ。しかも、バランスが悪く偏りがある。
引用された典拠に対して信憑性や真贋を見極める批評的能力がボランティアの編集スタッフには決定的に欠けている。アドルノやハイデガーについて、皆に分かりやすい評価を機械的に集めてどうするの、ということだ。一定水準の学識のある編集者がどうしても必要になる所以でだ。
以上は日本版に著しい。ただほど高いものはない、のである。
それを、こともあろうに「(Allgemeineで)偏見を作り上げ、先入観を作り上げていることが問題」とされてはかなわない。全く逆である。45~46を完全に読み違えている。母語が日本語とはとても思えないレベルである。ドイツ語も怪しい。たぶん、愛好する庶民レベルのだろう。それにしても、一体、どこを、どう読んでいるのですか? と糺したくなる。
未明に必死の形相で投稿しているであろう姿が目に浮かぶようだ(そうでなければ、四連続同一文投稿はない。よほど激昂しやすく、せっかちなのだろう。高齢者は気短で朝が早い。
そうこうするうちにコメント51。「今もう一度よく読んだら、FAZは、Die Frankfurter Allgemeineに掲載されたのは、フェストのハーバーマスへの反論だったのですね。よかった、安心した。ドイツのメデイアは健全」である。48(04:03)と51(04:24)の間はわずか21分。
「今もう一度よく読」む時間があって書いているのなら、全く逆の内容の48の当該部分を削除できたはずである。しかし、それはしていない。私を貶めるプロパガンダに「役立つ、ほっておけ」とでも思ったのであろうか。その驕慢と怠慢が墓穴を掘る。
1日のコメント18で「50年間近くドイツ文化に慣れ親しんだ私を、軽蔑しよう、厚顔無恥である、というイメージを形作ろうと…」などと訳の分からないことを宣っていたが、そっくりそのままお返しする。
本題に入る。コメント48の6行目に注目を。そこに「FAZ (Frankfurter Allgemaine Zeitung)」とある。‘Allgemaine’は、‘Allgemeine’ の誤り。50年間ドイツ文化に親しみ、大学(入学)レベルのドイツ語力が聴いて呆れる。51の冒頭に「FAZは、Die Frankfurter Allgemeine」とあるから、てっきり間違いに気づいた、と考えるのはとんだ買い被り。51は私の文章のコピペ。「あ~ぁ」。悪巧みで48を消さないからこうなる。「コピペではない」と言い張ろうとしても無駄。なぜなら、カ氏が書いた48のFAZは全角、私が書いた51のFAZは半角、そして綴りは正確。
綴りを間違え妄説を繰り広げた21分後に、無邪気にコピペして、無邪気に喜んでいる。まるで‘‘id*ot’’。怠慢を戒め、48を削除しておけば無事だったのに、そうしなかった、つまり不名誉な‘Allgemaine’ の誤りに全く気付かなかった証拠。恐らく現時点でも。そして前述した姑息なプロパガンダのため、敢えて残した。無学で驕慢故の致命的な判断ミスで、ご愁傷様。
まるで、Sherlock Holmesの気分? は冗談として、見え透いた料簡はカ氏の人間性を窺わせて興味深い。
69の「京都大学哲学科を卒業したことを「権威」」は片腹痛い。ご尊父はともかく、「教育が悪い」はあくまで水準。関西学院大はその程度かと考えてしまった。むしろ、カ氏が例外的存在なのだろう。「そう言う経歴を経ると、そうなるのが自然なんだよ、と解説」した叔父様にでも投稿に参加してもらえばよい。返り討ちになる覚悟があれば、の話だが。[完]
「西郷ドン」の昨日の薩長同盟、を見て、つくづく思ったことは、明治時代の日本人の仮想敵国は、欧米であったんだなあ、ということ、欧米の植民地にならないために、内戦をしてはいけないから、日本が一つにならなくては、と考えたこと。(世界中の人々が、この考えをもっていてくれると、中東やアフリカの内戦も減ると思うのだけれど)、また、明治維新後も、その為の、富国強兵であり、欧米の科学技術の習得であったのではないか、ということである。そのことを考えると、なぜ、「鬼畜米英」のスローガンが戦前の日本の民衆に受け入れられたかがわかってくる。それと共に、あれほど江戸末期から明治時代、欧米に攻められたら、と考えていた日本人が、なぜ、北朝鮮の核の脅威を感じないのか、よくわからない。
反時流的古典学徒氏とカロリーネ氏との「議論」?をあえて第三者的に判定するとカロリーネ氏の惨敗ですね。カロリーネ氏は、反論されたことに真正面から答えず全く関係のない与太話の類を延々とする傾向がありますし誤字脱字等の形式面の誤りも非常に多く(普通にの注意力があれば、こんなに多くはならないはずですが反省も全くありません。)、見るに堪えない代物ですね。まあ、与太話の床屋談義であり、世の中にはこんな人に議論が成り立たない人もいるんだな~と観察している分には面白いのかもしれませんが・・・
一方、反時流的古典学徒氏のコメントは若干専門的でブログのコメントとしては長文すぎるきらいもないわけではありませんが、学問の真の姿勢を示すものとして勉強になります。
コメント58拝見、ご愛読に感謝します。
何度も書きましたが、私は身体は日本人でも、頭の中身は古代ギリシア人そのものです。ギリシア人にもいろいろなタイプが存在し、哲学でもプラトンとアリストテレスは師弟関係ですが、資質は相当違います。イデア論を説くプラトンは普遍的観念論者、アリストテレスは経験的実在論者、というのが教科書的理解ですが、実態はそう簡単でもないのです。
アリストテレスはプラトンのイデア論を普遍の実体化だとして厳しく批判しました。そうした世界解釈に基づいて独自の哲学体系を樹立しますが、単なる実在論者でもないのです。個物(τὸ ἄτομον)を実体(οὐσία)と規定した上で、普遍的概念をプラトンとは違った形で定式化した真の後継者でした。究極的実在は認識可能であるとみる点で両者は一致しています。
異なるのはプラトンの手法が精緻な概念分類・区分と数学的普遍性との接合であり、卓越した手法と文章構成力で政治や国家、道徳の問題を縦横に論じたのに対して、アリストテレスは、日常言語の精緻な分析によって単独で19世紀までほとんど修正の必要のない完璧な論理学体系、名辞論理学(定言三段論法=いわゆるクラスの理論)を提示したことです。
今日、「主語―述語」方式として、その包摂関係でものを考える習慣をもたらしました。我々がものを考える際の論理(推論)と様式(カテゴリー分類)を規定しています。紀元前322年に死去したので2,340年前の人ですが、25歳年長のプラトンとともに、恐ろしい知性です。
ものごとの実体を正確に伝えることは、片言隻句の感想表明ではとても不充分で、体系的でないと実質的に意味をもたないが故に、私のコメントはどうしても長文になりがちです。
英仏独羅語に加え、ギリシア語表記も頻出するのは、国外版Wikipediaでの検索を容易にするためです。
以上、真意を尽しませんが、説明まで。
毒ガスと言えば第一次世界大戦で初めて登場した。そして改めて耳目をそばだてたのが、ナチスドイツがユダヤ人大量虐殺で使用したとされる、ツィクロンB(Zyklon B)だ。
英語名はCyclon Bで、ドイツのシアン化合物系の殺虫剤の商標。強制収容所のガス室で毒ガスとして使用したとされる。現在は農薬としての使用はなく、その他の虱駆除などにもユダヤ人団体からの抗議があり商用に至っていない。Zyklonはその名の通り、サイクロン。ふざけた命名だが、なぜか『広辞苑』にも小学館『独和大辞典』にも記載なし(商標=サイクロン[遠心力を利用した除塵装置]のみ)。
閑話休題。ある種の人々の神経を逆なでにするようなことを、私は次のように、ためらわずに書きつける。曰く。
①「国民性と同居するドイツ的特異性⇒⇒一民族の大量殺戮を国家システムの中に組み込んだ緻密な計画性、官僚制と徹底した記録保存、無機質な工業化された死への非人道的思想の徹底性。戦争遂行に必ずしも必要ではなくとも、ユダヤ人をベルトコンベアー式に(ツィクロンB[Zyklon B]と無機質な工業化)、計画的に生真面目に最終処分(行政機構を通じて大量殺戮)し、膨大な記録を残す(東独のStaasiと同じ)。そんなことが、英国人やフランス人、なかんずくイタリア人にできると本当に思うか? 官僚制的な徹底性もドイツの特質であり、Max Weberが詳細に分析している。度を越したドイツ的ernstは諸刃の剣である」
②「悪名高き、わが大日本帝国陸軍でさえも計画も実施もしなかった、身の毛のよだつ‘‘Final Solution’’=アウシュヴィッツだけで一日平均710人が四年半にわたって「流れ作業」で殺され、燃やされ続けたという、国家ぐるみの民族大量殺戮をやってのけたのだから、ヴァイツゼッカー演説のような政治的偽善は、モムゼンやハーバーマスでなくとも「良心的知識人」なら耐え難いのは当然で、私は……テオドール・モムゼンを祖父にもつ、この歴史家をドイツのために嘉したい気分だ」
別にドイツ人、ドイツ民族が嫌いだからではない。その逆かもしれないと、思う時がよくある。
時に、こうも書く。即ち、
③「人間は偽善なしには生きてゆけません。ドイツ人に限らず、われわれはすべて偽善の塊です。問題は偽善を免れるための弁明に表われた作法と品性です。この点で、戦争責任とナチスの断罪におけるドイツ人の姿勢と論理は、あまりスマートとは申せません。それは、厳しい言い方を許されるなら、道徳でいえばパリサイ的な偽善であり、心理的には道徳以前の感傷です。それだけ、戦後のドイツが突きつけられた凄惨な事実と罪悪は重すぎたのでしょう。あまり長続きしなかった日本人の能天気な「一億総懺悔」を許さぬほどに。度々申し上げますが、「真理とは、それがなくては或る種の生きものが生きられないような誤謬のことである」(ニーチェ『力への意志』)なのです。
そもそも、人間のもつ善と悪の能力について深い洞察をもつことが、有能な政治家であるための第一の条件です。道徳でも学識でも正義感でも、弱者に対する感覚でもなく、ましてや説明責任やその能力ではない。そして、有能であることと公徳心との矛盾を見極める能力が試されるのは、政治家のようで実は国民の側なのです。知識人やメディアは二次的な要因に過ぎないことは、もっと知られてもよいと思います」
④「メディアもまたある意味で国民の似姿であり、「政治を軽蔑する者は、軽蔑すべき政治しかもてない」(『魔の山』)と喝破したドイツの文豪トーマス・マンの言葉に倣えば、「メディアを軽蔑する者は、軽蔑すべきメディアしかもてない」ことにつながることを自戒としたい」
より原理的な考察としては、
⑤「道具的理性」(instrumentale Vernunft)という概念がある。……M. ホルクハイマーや T. アドルノらが啓蒙的理性の頽落形態(自然への頽落)として批判した理性概念で、自然科学的、技術的認識による世界の合理的解釈や操作、即ち「脱魔術化」を特徴とする啓蒙的理性の自己展開が、「人間対自然」の枠組みから、やがて、「人間対人間」の支配関係まで肥大化する現象を指している。私はこれを、二人とは対立する後期ハイデガーの「道具的理性」の専制的支配という危機意識への顧慮も斟酌して、道具的合理性(instrumentale Vernünftigkeit)と勝手に読み替えている。……「啓蒙」(文明)と、その対立概念とされる「神話」(野蛮)とを、逆に「秘かな共犯関係」にある、と」
私は、会社員さんと異なり、ホロコーストを米国の原爆投下同様、近代文明の進展の結果もたらされた、究極の蛮行だと考えている。原爆についてはある意味、分かりやすい。前近代的要素が皆無だからだ。トルーマン米国大統領はなにも、お告げを受けて、戦争の早期終結に向け、非戦闘員を巻き込むことも厭わず、「究極の悪魔の兵器」を投下するよう命じた訳ではないからだ。開発の中心を担ったノーベル賞受賞者を含む多くの科学者たちも前近代的狂信の徒ではない。
それに比べ、ホロコーストはナチスという特異な政治組織が介在するため見極めを妨げるベールになっている。しかし、どんなにその実態がおぞましくとも、第三帝国の国内法的には合法的な行為であった。
だから私は、アウシュヴィッツは近代の野蛮そのものだと考える。別段、フランクフルト学派や後期のハイデガーが説いた「道具的理性」の専制的支配に共感してではなく、近代文明は、技術や科学に象徴される計算(ロゴス=λόγος)する理性、即ち合理性に傾きすぎて(啓蒙的理性の肥大化を許して)、ロゴスだけでは割り切れない人間性自体を食い破るところまできてしまった、という危機感を理解するからだ。立場こそ違え、Moderneをめぐる人類の難問(ἀπορία)を共有している。
しかし、歴史の現実はどうか。突撃隊の支持者ハイデガーは、希望をナチスの文化革命に託し、自ら「ドイツ民族の教師」として、その「存在の本来性回復」運動の主導権を取ろうと目論んだが結局、突撃隊が粛清され、哲学者の希望は夢と散る。ここにも、誰より覚醒したナチスの自覚的協力者がおり、ナチスが狂気の犯罪者集団などではなかったことを裏付ける。
問題はそのことに対するドイツ人自身の自覚だ。「相対化」によってひとまず禁忌から解放されても、それによって犯罪の重みは消えないし、ナチスの過去を抜きにしてそれ以前の如何なる過去の伝統とも接合できないからだ。それを半ば無視する保守派の戦略(ヴァイツゼッカー演説も)は、所詮政治的なメッセージにすぎない。
政治自体が「偽善と説得の芸術」である以上、それを一概に否定できないが、偽善に耐える胆力と品性が「非政治的」伝統に生きるドイツ人に果たして、あるのだろうか。[完]
要するに、父たちにとって、左翼の思想が「世の中をよくする処方箋」であったのだ。
19世紀のドイツにも「世の中をよくする処方箋」があった。滅び去った古代ギリシアの文化(とりわけギリシア悲劇)を復興する芸術革命によってのみ人類は近代文明社会の頽落を超克して再び自由と美と高貴さを獲得しうる、というロマン主義的思想が。つまり、「古代ギリシャ」を「宗教的共同体に基づき、美的かつ政治的に高度な達成をなした理想的世界」として構想したのである。ワーグナーが「楽劇」にゲルマン神話を用いたのは、このロマン主義的思想の影響であり、ゲッペルスが博士号を取ったロマン派のドラマの歴史への寄与、もその傾向を継ぐものである。つまり、「宗教的共同体(ゲルマン神話、ワーグナーの描いた世界)に基づき、美的かつ政治的に高度な達成をなした理想世界」をドイツに現実に作り上げたい、という精神基盤が、例えば、ハイデッガーなどのドイツの知識人、哲学者にあるから、ナチスの思想が受け入れたのだ、と思う。そして、ヒトラーはワーグナーの楽劇の主人公の様な服を着、演技をして、その雰囲気を醸し出した。
要するに、マルクス思想についても言えるが、このフレーズはワイツゼッカー演説に出てくるが、人は、ユートピア的な救済論に逃避してはいけないのである。また、「狐と狸の化かし合い」の政治からは、戦争は生まれても、平和はうまれない、のである。
あれから時代が過ぎ、壁のある時代のヨーロッパ、「ベルリンの壁」のあるドイツを体験した人は、少なくなってきた。それで、読んでくださった方が、私の投稿で少しでも、ドイツの文化、歴史、政治への視野が広がってくださればいいな、とそういう気持ちで一生懸命投稿してきました。また、そんな私には、ドイツ人として二度の世界大戦の敗戦を体験し、壁のある西ベルリンの市長をされるなど、責任ある政治家として、苦難な道を進んだ末に、到達されたワイツゼッカー氏の真理のメッセージを、次世代のドイツ人への心をこめたメッセージを、偽善であるとか、所詮政治的なメッセージにすぎない。などという主張はとても許せなかったのです。この前も書いたように、ドイツには教養小説というジャンルがあり、人間は様々な経験を積んで内面的に成長していく、という考え方がありますが、ワイツゼッカー氏はそれを地でいかれた方だと思っています。
ただ、周りを色々見ていて、老害、も確かにある、とも思います。そして、私も老害である、床屋談義である、と批評された以上、私のコメント投稿は、ここで終わりにしようと思います。
64冒頭の「私は、反時流的古典学徒さんと正面切って、論戦をする気がはじめからなかった」は、「何を今さら」という以前に、カ氏の悪癖とも体質ともとれる意味不明な文章であり、「心情告白」である。
「西ドイツから帰国して、論理だてて、いくらマルクス主義は、よくないシステムだと、主張しても……父は反時流的古典学徒さんの調子で、哲学用語を持ち出し、論争になる……何度議論をしても、父は説を曲げない」との経験から、いきなり、「要するに……左翼の思想が「世の中をよくする処方箋」であった」との論断に至る。
専攻は何か未だに判然としないが、「マルクス主義者」で京都帝大哲学科卒らしいご尊父とカ氏との確執が前面に出て、肝腎の私は置き去り状態。インテリ父娘の問題は自分たちで決着すべきなのに。私までマルクス主義者扱いされかねない始末だ。「論戦をする気がなかった」と、「負け」や「敗因」は金輪際認めまいとする見苦しい足掻きと言い逃れ、知的誠実さも高潔さの欠片もない。さすがドイツ流。
冒頭からこれでは先が思いやられるが、だれかの見解の口真似か祖述らしい、次の一節、
「19世紀のドイツにも……滅び去った古代ギリシアの文化(とりわけギリシア悲劇)……を復興する芸術革命によってのみ人類は近代文明社会の頽落を超克して再び自由と美と高貴さを獲得しうる、というロマン主義的思想……を「宗教的共同体に基づき、美的かつ政治的に高度な達成をなした理想的世界」として構想した……つまり、「宗教的共同体……基づき……理想世界」をドイツに現実に作り上げたい、という精神基盤が、例えば、ハイデッガーなどのドイツの知識人、哲学者にあるから、ナチスの思想が受け入れたのだ、と思う」。
一知半解だから調子に乗り、「☆鈍」が倍加する。
しかし、より深刻なのは、引用文全体の主語である 「19世紀のドイツ(のロマン主義的思想)」を、無媒介に「ハイデッガーなど……哲学者にあるから、ナチスの思想が受け入れた」で受けて(述語づけて)いることだ。
ハイデガーはニーチェを重視したし、ナチスの同調者であったことも紛れもない事実だが、毀誉褒貶喧しく誤解を招きやすいニーチェの見解は、必ずしもナチスの自民族(自人種)中心主義(ethnocentrism)や盲目的排他主義(chauvinism)に直結するものでないのは、ニーチェを重要視しつつ基本的に批判的な私でも認めざるを得ない現在の学界の主流である。
同種の見解はバーゼル大学でのニーチェの同僚である偉大な文化史家J. ブルクハルトや法制史家J. J.バッハオーフェン(『母権論』=‘‘Das Mutterrecht, Eine Untersuchung über die Gynaikokratie der alten Welt nach ihrer religiösen und rechtlichen Natur, 1861.’’の著者)も共有している。
しかし、同時代の西欧諸国の古典学界では異端扱いで、ドイツでも学界の指導者となるベルリン大学教授U. von Wilamowitz-Möllendorffによる激烈な批判を蒙って学界から事実上追放され、ニーチェの古典文献学者としての前途は絶たれた。
さらに「近代文明社会の頽落を超克」にある「頽落」(Verfallen)という言葉も、ハイデガー前期の主著『存在と時間』の中核概念であり、ニーチェの主張とハイデガーの立論とが一緒くたになっている。
‘Verfallen’は、普通だと、朽ち果てる、衰退する、有効期限が切れるの意味だが、ハイデガーでは人間存在である「現存在」(Dasein)が、自分本来の在り方、とりわけ「死」=人間固有の逃れられない宿命に正面から向き合うことなく日常に埋没している状態を指す。それをハイデガーは「非本来的」な在り方とする。
「近代文明社会の頽落」などという、「哲学嫌い」のカ氏には、どう考えても似あわない表現は、ネタ元は何処か知らないが、恐らく、ハイデガーやニーチェの実物ではなく解説書に依拠した、よくある通俗的な理解だ。
つまり、西洋の歴史の中で「本当に起こっている事柄が伝統と伝承によって上塗り(を余儀なく=筆者付記)され忘却をされていく過程」(ハイデガー『ニーチェ―ヨーロッパのニヒリズム』の細谷貞雄「訳者あとがき」)を、現存在の「本来性」が頽落的隠蔽に陥っているとの見方を指している。
カ氏はいつの間にか、読みもしない(興味もない)ハイデガーの解説者気取りで、明らかに破綻した意味ありげな駄文を草しているにすぎない。
「現存在の本来性の頽落的隠蔽」など、恐らく考えたこともないし、何も分かってはいないだろう。ニーチェやハイデガーを弄ぶ知的虚栄は滑稽そのものだ。現存在の「本来性の上塗りされ忘却」どころの騒ぎではない、「恥の上塗り」ではないか。
ニーチェもハイデガーも、「無学」の徒が弄ぶには危険な玩具だ。ヴァイツゼッカー演説などひとたまりもない。
政治学者永井陽之助も説くように「国際政治は幼稚園の遊戯ではないから、みんな仲良く、お手々つないで、というわけにはいかない」のであって、ドイツもEUも例外ではない。国益が相反する「潜在的な敵対者を極小化し、友好国を極大化する」。潜在的な敵対者の攻撃を抑止し、大幅の行動選択の自由を確保する。敵と味方の区別に基づき「味方を極大化しうるように敵を選択する」ことが最も基本的な課題になるのは当然の道理だ(永井の1968年「日本外交における拘束と選択」)。
いかにも崇高な理念に聞こえる政治家のスピーチが真理とは何ら関係ない欺瞞であっても、旧西ドイツの保守派の選択がそうであったように、理想に溺れぬ抜け目のない周到な居直りこそ、民族の自信回復と未来を拓くと本気で信じられているのだろう。
政治とは昔も今も変わらぬ人間性を相手とする説得の技術であり、文学で政治を語る愚に気づかぬ軽率さは理想でも希望でもなく、単なる感傷だ。「狐と狸の化かし合い」は人間性に根差した政治的知恵比べにすぎない。
‘Ex crementum, quod venire non sunt persecuti sunt relinquam.’
古代ローマ皇帝でストア派の哲学者でもあるマルクス・アウレリウスの『自省録』(‘‘τὰ εἰς ἑαυτόν’’)にも似た言葉があったのを思い出した。曰く「何ものも追いもせず、避けもせず生きるであろう」(第3章7節)。私の下手な訳なら、
「去者不追、来者不拒」、そして‘γνῶθι σαυτόν’ (汝自らを知れ)――カ氏退場への餞となろう。[完]
圧倒的な利便性と匿名性も手伝って、どこか出処が怪しい記述や情報、都市伝説めいた現代版「流言蜚語」が横行するのが珍しくないのも、無自覚な「夜郎自大」の群れが跳梁跋扈するのも、そのためだろう。調べものには便利このうえないと、『広辞苑』をはじめ各種の小型・中型辞書・事典をパッケージした電子辞書が格安で販売されているのも、同じ事情だろう。
旧来型の百科事典はなお、余命をとどめてはいるが、もはや絶滅危惧種に近い。英国が大英帝国として世界に冠たる時代の大項目百科事典‘‘Encycropedia Britannica’’ (フッサールも第14版[1929年]に、‘‘Phenomenology’’を寄稿している)が懐かしい、というほどの齢(62歳)でもないが、いつも古色蒼然とした書籍に囲まれていると、時折そう思う。
元メディア人で、その前が銀行労組の幹部だったから「情報源」はあり、世間知らずでも左翼でもないが、最近は大人しく余生を楽しんでいる。先に紹介した野田又夫氏以上に、古い本ばかり、しかも何度も読んでいる。退場されたカロリーネ氏に「要するに……現実ではなくて、書物による知識」と揶揄された際、「だから何?」と思う以上に褒め言葉かと一瞬思ったくらいだ。哲学者を僭称する意図はないが、古典学徒も「みずからの満足のためや、人心に訴えるための論を構えようとはせぬ者のこと」と戒めている。
ところで、目下の愛読書は司馬遷の『史記』。そこで北朝鮮問題に移りたい。『史記』にも出てくるが、古来中国の慣例では、戦争終結後の会談は勝者が南面し敗者が北面する習いになっている。
ところが、着席して驚いたのは、国連側の椅子の脚が切られ4インチ中朝側が高い位置から見下ろす形になったことだ。国連軍側は抗議して椅子の交換を要求したが、運び込まれたのは、中朝側のカメラマンが南面―北面も含め、上下関係を印象づける両代表団の構図を撮影し終えた後であった。如何にも姑息な遣り口だが、中朝は常にそうだ。
米国側がシンガポール会談で北朝鮮に体制保証を与えたものの、終戦宣言にまで踏み込まなかったのは、65年前の休戦協定の経緯にも原因がある。「戦争終結宣言」は緊張緩和を促す政治的意味は大きいが、調印の当事者である中国や国連の関与なしには法的正統性は危ういからだ。
朝鮮戦争は1950年6月25日午前4時の北朝鮮の韓国侵攻で始まり、休戦協定が発効した53年7月25日午後10時をもって休戦となった。開戦以来3年1カ月2日18時間の戦い。半島全域での組織的戦闘は最初の一年でほぼ終了し、残りの二年余は休戦待ちという特異な様相を呈していたことは、必ずしもよく知られていない。
開城での休戦協定調印式に臨んだのは国連と中朝軍の休戦会談代表の二人。休戦協定は、敵対する軍隊の指揮官が合意する軍事協定である以上、双方を正当に代表する指揮官、つまり国連軍最高司令官M. クラーク大将と金日成・朝鮮軍総司令官、彭徳懐・中国人民義勇軍司令員が直接協定文書に署名するのが本来だった。
そこにも水面下の駆け引きがあった。
休戦協議が実に158回に及んだ原因は、「論議のための論議を繰り返す」中朝軍側代表の非妥協的な態度にあった。それも今回、CVIDの確約を拒んだ北側の頑なな姿勢に通じる。それは半島の小国の生存戦略であると同時に、北朝鮮のDNAなのだろう。北側の戦争の評価は「アメリカ帝国主義者は……戦争を挑発したその(境)界線から一歩も前進せずに膝を屈してしまった」である。
これも、儒教文化に由来する毀誉褒貶のレトリック、変形した「春秋の筆法」ならではの特異な歴史観で、経済を犠牲にして手に入れた身分不相応な核兵器をカードに、「ハリネズミ」の弱小国が、経済制裁解除は欲しいが、手口の読めないトランプ政権に疑心暗鬼で、超大国の圧力を前にしてもそう易々とは手放せなし、見返りも見えないという、歪んだ構造と自尊心が透けて見える。
会談後の一連の経過をみて今回、北朝鮮は中国の「付属物」という言い方をしたが、トランプ大統領のその後の動きをみていると、北よりその「保護国」であり事実上の生殺与奪を握る中国を貿易摩擦を絡めておびき出した荒業に感心する。正面の戦略目標で最大の「競争国」(仮想敵)はあくまで中国だからだ(昨年暮れの外交・安全保障政策の指針「国家安全保障戦略」)。それに比べ、北朝鮮の地位は従属的だ。
北朝鮮とは拉致問題を含め難問が山積する日本だが、北は問題の連立方程式を解く上で、一つの変項(variable)ではあっても最重要のファクターではない。三代の王朝支配という特異な政治体制(=「国体」)であり、権力掌握のための極度に抑圧的な国内支配、朝鮮民族特有の革命観、中ソ両大国の間で内訌したナショナリズムが透けて見える。
それは一見強固にみえて意外に脆いのではないかと思う。
先の首脳会談に出席した北側の顔ぶれは常に保守的な体質の官僚であり、その手腕やしたたかさを過大評価する向きもあるが、どちらかというと事前に構想したシナリオ、戦術に固執する硬直的な官僚体質が透けて見え、特段タフなNegotiator とも思えない。
米朝首脳会談は、残念ながら、長すぎた休戦協定を凍結し今しばらくは継続するという意味で、朝鮮半島の現状を追認する儀式になっている。
そもそも朝鮮戦争は、北朝鮮の生みの親だったソ連・スターリンの賛同が得られぬまま金日成が強行した。韓国侵攻は明白な国際法違反の侵略行為で、対する国連軍の応戦は国連安保理決議(武力攻撃撃退・韓国援助=ソ連は欠席)に基づく正当な集団安全保障の行使であり、中心になったのが米国だった。この武力行使は憲章が禁じた戦争ではないという法理で、この非対称の戦争で連合軍が充分実現可能な北朝鮮の滅亡をためらった最大の理由は、西欧との二正面作戦を嫌った以上に、それが実質的に国連の治安維持活動だったからだ。北朝鮮はこの時も戦後の国際秩序に対する挑戦者だったし、今も変わらない。
49年10月の中国の誕生を受け、性急に半島の武力統一を目論んだ金日成の野心と誤算という属人的要素もある。それが東西両超大国の冷戦ゲームの一環にすぎない半島の分割統治の撹乱要因だっただけに、戦線拡大に伴う対立の連鎖を嫌ったソ連が、開戦後は抑制的態度に終始した。そこに割って入ったのが中国だった。
独裁体制の犠牲者であり長年にわたる人権抑圧と経済的困窮に苦しむ北朝鮮人民には気の毒だが、平和を維持するとは一面、「平和に耐える」(P. ヴァレリー)ことでもある。拉致問題を抱え厄介至極だが、外交交渉というのは常にそうしたものだ。[完]
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