川崎市登戸の殺傷事件に大きなショックを受けた。私は、高校まで、川崎市多摩区の学校に通っていた。登戸駅は数限りなく使ってきた。しかも、亡くなられた小山智史さんは、私が勤める東京外大の卒業生だ。他人事とは思えない。あまりに悲しい。
事故現場に行って、献花し、ご冥福をお祈りした。他にも沢山の人が花を捧げ、合掌していた。https://www.facebook.com/photo.php?fbid=2289045054543577&set=pcb.2289048127876603&type=3&theater
そこで感じたことがある。他のコメンテーターが言っていないようなので、声を大にして言いたい。亡くなられた小山智史さんは、「英雄」と呼ぶべき存在なのではないか。
小山さんは、たとえば9・11のときに、テロリストに抵抗し、4機目の攻撃を防いだユナイテッド航空93便の乗客たちのように、アメリカなどだったら、「英雄(hero)」と呼ばれるだろう人物なのではないか。https://www.afpbb.com/articles/-/2826130?pid=7750512
小山さんは、犯人から、まずまっ先に刺されたという。犯人は、子どもたちの列を狙っていたにもかかわらず、小山さんから襲った。犯人は、抵抗されると厄介な男性の保護者から狙ったのだ。
現場で死亡した小山さんには、4か所もの刺し傷があったという。複数回刺されたのは小山さんだけだったようだ。まず真っ先に背中から刺されたにもかかわらず、さらに3か所もの刺し傷があったのは、小山さんが、犯人を止めようとしたからではないか。「子供を必死に守っていたことがうかがえます」、という証言も報道されている。少なくとも小山さんの存在が、数秒間の間、盾となった。瞬間の違いであったかもしれない。それにしても、子どもたちが逃げ始めることができるように、小山さんが、犯人を引き寄せた時間帯があった。傷を負ったが、致命傷は避けられた16人の子どもたちにとって、その時間帯は、大きな意味があったかもしれない。犯人による19人に対する22回の攻撃のうち、最初の4回までが小山さんに対するものだった。攻撃の18%までを、小山さん一人が受け止めたのだ。
小山さんの娘さんは無傷で助かっているという。それを知って、小山さんは、天国で安堵していることだろう。霞が関に出勤する前に、世田谷の自宅から反対方向の川崎市まで来て通学に付き添って良かった、娘を守ることができた、そう天国で思っていることだろう。
栗林華子さんが犠牲になってしまったことは、小山さんにとっては痛恨の極みではあるだろう。しかし、もし小山さんがいなかったら、もっと恐ろしい事態になっていたはずだ。
小山さんのお嬢様に申し上げたい。
「お父様は英雄です。もしお父様があの場にいなったら、もっと犠牲者がたくさん出ていたと思います。お父様の英雄的な行動が、たくさんの命を救ったと思います。もしお父様が、スクールバスを一緒に待って並んでくれていなかったら、そして貴方を守り、多くの人々を逃がすために、素手で盾になって犯人に時間を使わせていなかったら、もっと沢山の命が失われていました。多くの人々が、貴方のお父様を決して忘れず、感謝し続けていきます。お父様を誇りに思い続けてください。貴方のお父様は素晴らしい英雄です。」
安倍首相は、子どもの通学路の安全確保を点検するように指示したという。それを受けた官僚たちが、一人で登下校しているケースがないかチェックした、などという報道もあった。
情けない。
なぜ集団でバスを待っていて列を作っていた子どもたちが襲われたのに、一人で登下校している子どもがいないかチェックして、「私は仕事をしました」などと言おうとしている官僚がいるのか。同じ官僚の仲間が、4か所もの刺し傷を受けながら、捨て身で子どもたちを守ろうとしたというのに。
欧米と比して、日本の子どもたちは脆弱な状態で登下校している。日本では集団登下校が推奨されている反面、保護者の送り迎えがほとんど行われていない。https://www.kiritachiakari.com/children-walking-to-school-with-parents-or-alone/
むしろカリタス学園は、素晴らしかった。最後に犯人を立ち去らせたのは、勇気あるバスの運転手の行動だった。また、小山さんと、もう一人の重傷を負った女性の方の二人の保護者で、攻撃の最初の23%を受け止めた。
保護者による子どもたちの送り迎えの体制を整え、奨励するべきだ。そして、できる限り子どもの保護者からの引き渡し及び保護者への受け渡しを、確証していくべきだ。「働き方改革」の議論の中にも入れ込んでいくべきだ。
そう言うと、「保護者が送り迎えできない子どもがいたら可哀そう」、「ローテ制になって一部の親だけに負担がかかるのではないか」、などと言う人が現れるのだろう。
しかし、それは悪平等を基準にした間違った考え方だ。
4か所も刺されて犯人の攻撃の最初の18%を受け止めてから遂に倒れた小山さんという一人の保護者が、ぎりぎりの状況の中でも救った命があったことを、よく想像してみるべきだ。
仮に保護者が迎えに来てくれない子どもがいるとしても、その他の子どもの保護者がいる方が、誰もいないより良い。
小山さんの英雄的行動を、無駄にしてはいけない。
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ヨーロッパ選挙結果の報道を見、ローマの現実、虐殺されたマルツァポットのガイドさんの説明を思い出すと、日本の川崎の事件の報道ぶりは、出発前の高齢者ドライバー自動車事故の報道と並んで隔世の感があり、日本は、平和だとつくづく思う。イタリアでは、地理的に近い旧東欧やアフリカから難民としてやってきた外国人労働者をEUの協定を順守してたくさん受け入れた為に、市内の治安が乱れ、悲惨な事件が起こっているから、「移民受け入れ反対」の政治運動も起こり、右派が選挙で大勝利したそうであるが、ドイツの社会状況も、似たようなものである。ただ、「ドイツの為の選択肢」のような右派が勝利すると、ナチスの二の舞になるので、普通のドイツ人たちが、選挙にゆき、地球温暖化、環境問題に力を注ぐ「緑の党」が優位にたった。「地球温暖化」防止、この視点はとても大事である。
古今東西を問わず、テロリストになる動機はいろいろあるだろうが、国際間で協調して、抑止力も利用し、暴力で世間を騒がせたり、解決しようとするこのような事件、犯人を生み出さないように、厳しく処罰すること、つまり、犯人のもっともらしい言い分をきいて、その国の政治を批判するのではなくて、協調してこのような問題や犯罪を解決ことが、大事なのだと私は思う。永山事件でも、オウム事件でも、それは言えることであるが、「自分のような犯罪者を作り出した社会が悪い」と「政治の責任」にすると、戦前の515事件や226事件でも、ナチスドイツにも端的にみられるように、日本の政治、世界の政治がおかしな方向にゆく。
遠い昔、日本の感覚で、パリの北駅に夜遅くに着いて、次の日にパリの友人に連絡を取ろう、とともかくホテルに入り、次の日に連絡したところ、「誘拐されて、売り飛ばされたかと思った。」ととても叱られたが、ヨーロッパで誘拐されて、北朝鮮に拉致された日本人女性に私もなったのかもしれない、と報道を見て思う。
また、親は子供を守り切れない、ということもよく考えて、過保護にばかりせず、臨機応変に子供が現実に対応できる能力も身につけさせ、家族の毎日の平穏無事を感謝する感覚もまた、我々は身につける必要があるのではないだろうか。
昨夜のNHKの不登校問題のスペシャリストのライブの番組を途中まで見てやめたが、不登校の生徒の気持ちばかりわかることに、どういう意味があるのだろう。私自身、中学時代よくいじめられたので、彼らの気持ちもよくわかる。ただ、そちらに進むと、「不登校」の生徒は、社会性が断たれ、大人の「引きこもり」になるのではないのだろうか?そうなった人が私の周りに現実にいる。今の制度では、学生時代は、クラスの授業に参加しなくても、別クラスで自分の面倒をみてくれる大人がいるみたいだけれど、成人し、社会人となったら、だれでも、他人にスケジュールを合わせ、したくないこともして、いろいろ感情的しこりがあっても、気分転換して、翌日も元気に同じことを繰り返さなければならない。学生時代に、その訓練を受けているから、私たちは、それが普通にできるのであって、社会人となった時点で、それができないと、引きこもりするしかなくなるのではないのだろうか?社会には、学校以上に不条理がある。
母が、入院する前に、「私は、一人で東京に出て、自分で人生を切り開けるようになった。それがよかった。だから、黄泉の世界に行っても、私は、この調子でやっていけるから、心配しないでね。」と言った言葉が忘れられないし、哲学を勉強した父は、母が亡くなってから、どうして生きていいかわからなさそうだったが、大事なことは、ゲーテも主張しているように、いろいろあっても「社会の一員」である、という「協調の精神を忘れず」に「自分を生かす」、ことなのではないのだろうか?
登校に付き添った娘さんが無事だったのがせめてもの慰め(παραμύθιον)であり救い(σωτηρία)だろう。
勇気というのは、古代のギリシア人が正義(δικαιοσύνη)とともに最も重んじた(περὶ πολλοῦ ποιέομαι)徳目(ἀρετή)で、人物の器量(ἀρετή)を見極める指標とされた。
アリストテレスは『弁論術』の中で、「徳の部分をなしているもの」として列挙したのも、正義を筆頭に、勇気、節制(σωφροσύνη)、豪気さ(μεγαλοπρεπής)、高邁さ(μεγαλοψυχία)、恬淡(ἐλευθεριότης)、思慮(σωφροσύνη)、思慮深さ(εὐβουλία)、知慧(σοφία)だ(‘μέρη δὲ ἀρετῆς δικαιοσύνη, ἀνδρεία, σωφροσύνη, μεγαλοπρέπεια, μεγα-λοψυχία, ἐλευθεριότης, φρόνησις, σοφία.’; Ἀριστοτέλης; Ars Rhetorica 1366a36)。
彼らにとって思慮深さ、知慧より勇気が尊ばれたのは、正義同様、それだけ過酷な判断を人に迫る場合があるからだろう。小山さんは、咄嗟の判断とはいえ、それに躊躇わずに、逃げずに立ち向かった。英雄(ἥρως)とするに値する(ἄξιος)見事な死(ἡ κάλλος θάνατος)だった、と悼むしかない。
有能でも穏和な(ἢμερος)人となり(ἦθος)だったようだが、その瞬間は戦場(τῇ μάχῃ)に立つ兵士(ὁ στρατιώτης)だったのだろう。
生命以上に大切なものがこの世にあることを忘れたこの国で、人は大切なものを守るためには、時に死さえ厭わないことを改めて教えられた。
心からご冥福をお祈りしたい。
古代ギリシャ時代と17世紀の30年戦争を体験したヨーロッパでは、価値観が違う。17世紀にドイツ領土内でヨーロッパの列強が入り乱れて30年も「宗教」戦争をし、今のシリアのように、人が大勢亡くなり、国土が荒廃したから、ウェストフェリアー条約で、内戦を禁止し、国際紛争を解決するための「国権の発動」たる戦争だけを許可したのである。ところがその後、「国権の発動」による総力戦となった第一次世界大戦後、その悲惨さをなくすために、1929年のパリ不戦条約で、第一条において国際紛争解決のための戦争の否定と国家の政策の手段としての戦争の放棄を宣言し日本もその条約に加盟しているのである。それにもかかわらず、日本の軍部は侵略戦争である満州事変を始め、太平洋戦争を始めたのであって、それを「聖戦」と煽った戦前の日本のマスコミがどうかしているのである。
ドイツのメルケル首相が米国のハーバード大学で、名誉博士号を受け、20000人の聴衆を前に、国際協調の必要性と自由貿易の大切さ説き、暗に米国大統領トランプ氏を批判されている、とSpiegel誌が報道していて、天然資源のない日本の国に住む私も、メルケル首相の考えを支持するが、トランプ大統領が、この政策にこだわられるのも、ウェストフェリアー条約を否定し、EUの結束を分断し、ナショナリズムを煽ろうとされているバノン氏の画策の影響だと思うが、そのやり方では過去の例からわかるように、覇権争いとなり、平和を確立できない、と私は確信している。
例えば母親(ἡ μήτηρ)が子供(ἔκγονος)の生命の危険に際して、これを守るために身を投げ出すのも、動物的行為の延長線上にある。人間が動物と異なる(διαφέρειν)のは、他人(ὁ ἄλλος)の生命を守るため、血の繋がらない恩人や弱者(ἥττονων)、不正(ἀδικία)や不条理(ἀλογία)に苦しむ他者を見捨てることができない時、敢えて生命の危険(κίνδυνος)を冒して、戦う(μάχαομαι)からだ。それは稀有なことではあるが人間的な行為だろう。
その根底(ὑποθεως)にあるのが自由意志(ἑκοῦσα=aus freiem Willen)で、今回非業の死を遂げた外務省職員の小山智史さんも、咄嗟の反射的行動とはいえ、自ら進んで(ἑκούσιον)死の恐怖(τὸ δεινός)に怯えつつ、子供の生命を守るため容疑者の「悪意」(κακοήθεια)と戦った。
わが身可愛さ(φιλαυτος)から誰にでもできることではないし、無理強いする(βιάζομαι)ことができるものでもない。大半の人間にとっては、頭では身代りになる覚悟(πίστις)が仮にあったとしても、いざとなったら恐怖で身が竦んでしまい、手を拱いて傍観せざるを得ないものだ。
それをしなかった稀な人物だからこそ、小山さんは英雄(ἥρως)に相応しい(δουλοπρεπής)と、篠田さんもその死を心から悼みつつ、賞讃する(ἐγκωμιάζω)のだろう。
「戦争」云々はまた別の話で、カ氏の単細胞(ἁπλοῦς)には困ったものだ。
自分の憧れの小学校に子供を通わせる父親、職場でも将来性のある幸福な男性の人生をめちゃめちゃにして、自分の道連れにしたい、と考えても不思議ではない。そういう人格と、
反氏の主張される動物と異なる人間、他人の生命を守るため、血の繋がらない恩人や弱者、不正や不条理に苦しむ他者を見捨てることができない時、敢えて生命の危険を冒して、戦うという人格との間には、非常に差がある。それを仏教では六道と呼んで、区別をするのである。人間だから、という理由でみなが同じ人格ではない。
人間の死後の行く道は、その生きている時の業よって、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の差があって、亡くなった後行く道が違うのである。上品、中品、下品も似たようなものだと思うが、それは、イタリアの絵画に描かれていたキリスト教道徳と同じような、古来からある日本の道徳なのではないだろうか。
確かに、岩崎容疑者のような人が異常で、ひきこもりの人でこのような事件を起こす人の確立は低いとは思うが、その事件があったからといって、「学校の警備体制」をもっと厳重にすべきだ、という主張も私はどうかと思う。1980年代に、米国に夫の留学について行った時、鍵が何重にもかかっているドアをあけて、高価な美術コレクションをみせてもらったことがあって、ニューヨークの地下鉄に乗るときに護身用に銃を携帯すべきだ、という主張も含めて、私はアメリカ社会は病んでいるな、と思ったからである。
また、「ひきこもる」ことが正常な大人がすべきことなのか、を考えてみるべきなのである。日本国憲法27条に、すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負う、とあって、勤労は権利だけではなくて、義務なのである。健康なのに、自分のご飯だけ作り、洗濯を自分でしていることが、それにあたるか、考えてみたらいい、と思うし、伯父夫婦がこの容疑者からその手紙をもらってから、それ以上の接触を避けたのは、刺激するとなにをするかわからない、と考えたから、要するに彼は、危険人物ではなかったのだろうか?そういう人の人権を、「人権尊重」とか騒ぐから、ものごとが複雑怪奇になって、おかしな方向に話が進むのだと思う。
9など、単なる思い込み(δόξασμα)、即ち「現実」(τὸ γιγνόμενον)ならざる特定の見解(τὰ ἔνδοξα)や解釈(ἐξηγέομαι)を容疑者の行動に恣意的に押し付け、つまり実態(τὸ ἀληθές)を正確に(ἀκριβῶς)把握する(καταλαμβάνω)ことなく、「本や映画」ではなく、それこそ報道で知り得た程度の知識で、一方的な先入観(λῆμμα)や固定観念(ὑπόληψις)、見当違いな偏見(ψεύστης ὑπόληψις)に基づいて、謂わば仮想現実(virtual reality=εἰκός)とでも言うべき、ナイーヴな「物語思考」(εἰκός λόγοι)に浸っているだけだ。
どこに説得力のある根拠(διὰ τι)が示されているのだろう。物語の領域に属する(μυθώδης)妄説(ἀλλοδοξία⇒‘Karoline Doctrine’)を作っている(ποιέω)、つまり幻想(φάντασμα)に浸っているだけの話ではないか。
10⇒【「ひきこもる」ことが正常な大人がすべきことなのか、を考えてみるべき】として憲法27条を持ち出し、さらに11⇒【憲法12条に…】云々として、無媒介に今回の容疑者の行動を憲法のような規範的命題(normative proposition)で直ちに動機を裁断(κρίνω)するが、それこそカ氏が日頃から批判するカントの定言命法(kategorischer Imperativ=無条件の命令の謂い)的な解釈と瓜二つではないか。
余りのご都合主義に開いた口が塞がらない。
反氏は、フランスのポストモダンの哲学者の格言を好んで使われるが、太陽が照っていたから、殺人をした、などという考えが正当化されるポストモダンやヌーベルバーグのフランスの思想は、私の理解の範疇を超える。病的なのではないのだろうか?
本を読まずにテレビやドイツの高が週刊誌の電子版を読んだだけで海外事情通になったかのように錯覚(σφάλμα)し、国際政治の「現実」(τὸ γιγνόμενον)なるものを知った気でいる単細胞の元西独留学経験者の知性(νοῦς)の程度、というより知能(δύναμις)の水準を怪しむ。
カ氏が吹聴する現実なるものは、どこまでも現実という名(ὄνομα)の「観念」(ἑπίνοια)であって、現実の構造とは関係ない。厳密な検証(πεῖρα)に堪えられない「通念」(ἐπιλογισμός)、謂わば「自己にとって最も確実な対象であるのと勘違いされる「現にあるもの」(παρὸν πάθος)としての現象的事実(τὰ φαινόμενα)、つまり「一見もっともらしい事実」(τοῖς φαινομένοις)にとどまり、畢竟「仮象」(ὑποθεσις⇒εἴδωλον)にすぎない。
それにしても、無知蒙昧の方は、未だにフッサールの弟子でミュンヒェン生まれの現象学者マックス・シェーラー(Max Scheler, 1874~1928)が「M. シューラー」になってしまい、未だに誤りに気づかないから訂正もできない体たらくである。
13末尾に至っては何のことかと一瞬首を傾げたが、『人間考察あるいは処世訓と箴言』(‘‘Réflexions ou Sentences et Maximes morales’’, 1678=通称『考察と箴言』)の著者ラ・ロシュフコー(La Rochefoucauld, 1613~80)が、⇒【フランスのポストモダンの哲学者の格言を好んで使われる】(‼)、というのだから畏れ入る。
確かに「理解の範疇を超える」恐るべき(φοβερός)無学である。
このナチスの迫害から逃れて1940年にスペイン国境で自ら命を絶ったドイツの哲学者にして卓越した文学批評家の全業績は、盟友のアドルノとショーレム(Gerschom Scholem)が生前に協力して、R. Tiedemannと H. Schweppenhäuserらが編纂して1974 年以降、フランクフルトのズーアカンプ社から刊行開始されたもので、補遺(翻訳)3冊を含めて全7巻17冊ある(Walter Benjamin Gesammelte Schriften; unter Mitwirkung von Th. W. Adorno und G. Scholem, hrg. von R. Tiedemann und H. Schweppenhäuser, Suhrkamp Verlag, Frunkfurt am M., 1974~1989.)。
私が購入したものは欠本(第1巻第2分冊と補遺の第1分冊)があるものの、とても安価なのにきれいで驚かされた(Blue cloth, without jacket, low extremity of cover rather browned, foxing to edges & endpaper., else very good.)。よく見かけるセット箱入り本編14冊だけの紫色のペーパーバック版とは違う綺麗な青の布装幀のハードカバーであり、古書でも普通は7~8万円はする。それがわずか8,000円だった。
驚いたのは、フランクフルト学派研究の第一人者で、ホルクハイマー、アドルノ共著『啓蒙の弁証法』の訳者でもある徳永恂氏の旧蔵本らしく、最初は徳永氏が死去して市場に出たのものかと思ったが、氏は今年2月で90歳で存命で、蔵書を整理したのかもしない。
前置き(προοίμιον)は以上で、本件のテーマに移る。私は死亡した現役外務省職員と11歳女児を含む30人を死傷させた容疑者の真の(ἀληθής)「動機」なるものについて、無学でナイーヴなカ氏のように、予断(ὑπόληψις)を基に、臆測逞しい屁理屈(λόγος)を「捏ねる」(πλάττω)、出来の悪い陳腐な(πρόχειρος)俗論(ψευδῆ δόξάζειν)を並べる気はない。
日頃の言辞(ἀρόφανσις)を忘れて、テレビの情報番組などでもっともらしい賢そうな議論(ἀστεῖος λόγος)を披歴する「半可通」のコメンテーターと同じことをして愧じる様子もないカ氏に、呆れた二重基準をみて憐れむばかりだ。何とかに、つける薬はない。
かつて京大哲学科の主任教授(哲学哲学史第一講座担当)で、優れたデカルト研究者だった野田又夫(1910~2004)は、哲学第一の任務は「科学の科学」としての論理的分析を徹底的に追究することだとして、「世界観の探求においても、高度の論理的客観性の要求を、みずからに課する用意」を求め、それが「哲学に要求される禁欲である。哲学者とはみずからの満足のためや、人心に訴えるための論を構えようとはせぬ者のことである」(『哲学の三つの伝統』、現在は岩波文庫)と厳しい姿勢を貫いた。
京大退官後、関西学院大でも教えたが、「大学時代、野田又夫氏の論理学の授業で、よい成績をとった」とするのがゲーテかぶれの「哲学嫌い」(μισόφιλοσοφὶα)で、論点窃取(τὸ ἐξ ἀρχῆς αἰτεῖν)の詐術的議論(παραλογίζεσθαι)を繰り返すカ氏だから皮肉だ。
他方で、専門的学識(ἐπιστήμη)を具えた精神医学者や心理学者の支配的見解は自ずと別で、「引きこもり」と今回の犯行とを直接結び付ける単純な見立てはせず、「直接の関連性はない」と冷静にみている。
カ氏のように、知りも読みもしないシェーラーの所説を基に、13⇒【真実は、加害者が自分の欲求が満たされない怨恨感情ゆえに凶悪な犯罪】と割り切れるほど、問題は単純ではなかろう。
しかも、13②⇒【革命を志向する社会主義は、ルサンチマンを根にもつ】なる、今度は反対するニーチェ張りのルサンチマン(ressentiment)論をもち出す、左翼並みの「アジ演説」。老いぼれ(πρεσβυτικοί)女デマゴーグ(δημαγωγὸς)たる所以だ。
カ氏にかかると、「革命」なる言辞の何と軽いことか。日頃から焦慮を募らせ、似而非道徳を説く血の気の多い婆さんの妄想だろう。
無駄話ついでに言えば、容疑者に窺えるのは一種の自己憎悪(Selbsthaß)に伴う破壊衝動だろうか。ナチスのテロによって虐殺されたTh. レッシングによって広まった概念で、彼の場合はユダヤ知識人の特性とされたこの概念を「反ユダヤ主義」(Antisemitismus)の文脈で読み替えたのがアドルノらの『啓蒙の弁証法』の議論で、資本家を嫉妬視し、憎悪する大衆の誤った「投射」が指摘され、それこそニーチェの『道徳の系譜―一つの論駁書』(“Zur Genealogie der Moral, Eine Streitschrif”, 1887.)に通じるが、カ氏はそれさえ気づかない。[完]
‘On ne se peut consoler d’être trompé par ses ennemis et trahi par ses amis, et l’on est souvent satisfait de l’être par soi-même.’(=114, La Rochefoucauld; ‘‘Réflexions ou Sentences et Maximes morales’’=「人は敵に騙されたり、味方に欺かれれば大騒ぎするくせに、しばしば自分身を騙したり、欺かれて悦に入っている。」)
キャリア官僚は、腰が低くあれ、と教えられるそうだが、そのトップにまで上り詰められた熊沢英昭さんが、息子が川崎に様な事件を起こしたら、と将来を憂えて凶行に走ってしまわれた気持ちもよくわかる。誰かに相談すればよかった、という識者が多いが、私の知っている引きこもりの子供を持っている人々は、悩み、相談をし、親としてとても努力をしている。けれども、それでも、問題が解決せず、子供が長期間引きこもっている、というのが実態なのである。私は、別にテレビのコメンテーターにひきずられて、自分の意見を述べているわけではない。
ヒトラーが批判したのは、資本家階級というよりも、ユダヤ系の金融業者なのであって、ドイツの民衆の悲惨な生活を考慮せずに、株の売買で巨万の富を得ている、世界の害虫、ユダヤ人、と主張しているのである。その主張自体には、説得力があるのではないのだろうか?ただ、彼の嘘は、ユダヤ人すべてが、共産主義者でもなければ、金融業者でもない、ということなのである。
18~20はうんざりするほど愚鈍(ἀμαθία)にして退屈(ἀναισθησία)、陳腐(πρόχειρος)かつ凡庸(μεσότης)で俗悪(ἀπειροκαλία)そのものだ。阿呆くさくて、特段言うこともない。例によって自らの致命的な(θανάσμος)誤謬には一切口を拭って頬被り(ἐάω)のようだ。だから、自分の師を「野田又男教授」のように間違えるのだろう。「野田又夫」だ
「無駄話ついで」と留保しつつ、前回17の末尾で、川崎市で起きた30人殺傷事件の容疑者の犯行「動機」なるものの一端として、「容疑者に窺えるのは一種の自己憎悪(Selbsthaß)に伴う破壊衝動だろうか」と書いた。
ナチスによって虐殺されたドイツのユダヤ系哲学者のテオドール・レッシング(Theodor Lessing, 1872~1933)によって広まった概念で、彼の場合はユダヤ知識人の特性とされたこの概念を「反ユダヤ主義」(Antisemitismus)の文脈で読み替えたのがアドルノらの『啓蒙の弁証法』(“Dialektik der Aufklärung”, 1947.)の議論で、「資本家を嫉妬視し、憎悪する大衆の誤った「投射」(Projektion)が指摘され」とも。
レッシングが指摘した「自己憎悪」とは、正確には「ユダヤ的自己憎悪」(der judische Selbsthaßder)のことで、無学なカ氏のように無闇に拡張解釈を許すものではない。
レッシングの原テキストは未見だが、改宗ユダヤ人の子で、プロテスタントとして幼児洗礼を受けたマルクスの所謂「反ユダヤ主義」問題について詳細に分析した、フランクフルト学派研究の第一人者である徳永恂氏(私の無駄話[ἀδολεσχία]の枕)には、「反ユダヤ主義思想史への旅」の副題をもつ「反ユダヤ主義」問題に関する集大成的なエッセー『ヴェニスのゲットーにて』(1997年、みすず書房)があり、祖述的に紹介すれば、次のようなものだ(『ヴェニスのゲットーにて』第2章「マルクスの反ユダヤ主義」6、213~217頁)。
レッシングが1919年の著書『無意味なものへの意味付与としての歴史』(“Die Geschichte als Sinngebung des Sinnlosen”)によって登場し、ショーペンハウアー的な立ち位置からダーウィン流の進化思想やマルクス主義を含めた、あの時代の一種楽天的な進歩主義史観を痛切に批判していることは、「無学な」(ἀπαιδευτος)カ氏はともかく、比較的よく知られた事実かもしれない。
それを日本に紹介するうえで影響力があったのが、カ氏が読みもせずに間違えたカトリック信者の現象学者で、知識社会学に加え、晩年は宗教哲学的な宇宙論に傾斜したフッサールの弟子M. シェーラーだが、レッシングがドイツに同化しようとしても断念せざるを得ないユダヤ人立場から、ヴァイマール時代末期の反ユダヤ主義と、それに対するユダヤ人側の対応も含めて、いずれも烈しく批判したことで、政権を獲得したナチスによって睨まれ、亡命先のチェコ北西端の温泉地カールスバード(チェコ名カルロヴィ・ヴァリ)で暗殺される。
『ユダヤ的自己憎悪』自体は、ルー・サロメとともにニーチェの随伴者だったパウル・レーや『性と性格』で脚光を浴びたものの自殺すオットー・ワイニンガーら6人のユダヤ系知識人を取り上げた評伝だ。
ニーチェ流の「自己=他者分裂」関係に伴う普遍的な現象として、自己憎悪を「ユダヤ民族史の精神病理において、ひときわありありと照らしだされる」ものとしたうえで、そうした「いわれのない」(ἄλογος)苦しみに何とかして理解可能な意味(διάνοια)を見出そうとする二つの試みに言及する。
それは、神が選び、嘉するユダヤ民族に試練、信仰の試金石として課した「いわれのない」苦しみという久しい受難の歴史を、民族の救済史の中に位置づけるユダヤ神学由来の思考法につながるものだと言える。
ここまでは、謂わば了解可能な「受難史」の主体的な解釈(ἐξηγέομαι)としてレッシング固有のものではない。
問題は、彼の自己憎悪はそうした伝統的文脈にとどまらず、19世紀末以降の近代的なユダヤ知識人の人格分裂傾向を、文明の発達に伴って生命力が衰弱する「生の退化」とするニーチェ的なデカダンスにつながる人間の普遍的現象とみる一方で、東欧圏とは異なり同化が進んだ、ドイツ固有のユダヤ人問題に引き寄せながら、同化ユダヤ人、とりわけ「才能に恵まれ、繊細な感受性を持った人々は、彼らに敵意を抱く周囲の価値基準に従って自分をみたり、自分を評価することで自己憎悪の感情に行きつく」という、特有の倒錯的精神状況を析出している。
それは謂わば、キリスト教的信仰、価値観に基づく異教徒への宗教的な憎悪や差別、迫害という古代、中世以来の宗教的偏見による反ユダヤ主義とは位相が異なり、理念先行なりにフランス革命やナポレオン戦争を期に始まった「解放」後の、信教の自由や法的平等という観念が近代の共通認識となり始めた時代に逆に現われた、社会経済的な「イデオロギー」としての反ユダヤ主義を反映している。
ドイツの中下層階級にも著しい『ヴェニスの商人』並みの旧弊な反ユダヤ主義から一歩も出られない憐むべきカ氏の硬直した「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)への逃走(φεύξογωμαι)は、それこそ反ユダヤ主義の亡霊(φάσμα)だろうか。
ドイツは産業社会の新たな展開と統一国家誕生によるナショナリズムの高揚と併せ、新たな社会問題としての反ユダヤ主義が生まれ、1873年の経済恐慌以降の経済的低迷期に新興勢力となったユダヤ人への憎悪や反撥が激化し、別種の反ユダヤ主義運動を誘発し、その導火線となっていく。
そうした宗教意識ではないナショナリズムに基づく反ユダヤ主義に対抗するものとしてシオニズム運動が「対抗イデオロギー」として生まれ、同化か独立国家形成かで戸惑うユダヤ人自身をも揺さぶる。ユダヤ人といっても一枚岩などではないからだ。
その果てに、不満を募らせた中下層の民衆を中心にユダヤ人=(不当な利益を貪る)ブルジョアというイメージが増幅し、やがて国家社会主義に絡め取られていく。それは、解放後のユダヤ人の社会経済的地位向上への嫉妬であり、第一次大戦後の混乱の責任を負わせるべき、謂わば「犠牲の羊」としての標的の捏造だった。
金融部門におけるユダヤ系金融業者の「一人勝ち」は、長年にわたり各国に情報網=ユダヤ系ネットワークを築き上げ、国際取引とリスク分散に長けた当然の成果であって少しも不当なものではなく、たとえ民衆の反感を買い、やっかみを招いたとしてもそれが資本主義経済であり、ユダヤ人を責める根拠は乏しい。ユダヤ人が金融業を独占した時代とは異なるのである。
フロムらの初期のファシズム分析が不充分なのは、例えば1943年の『自由からの逃走』での権威(ἐξουσία)への民衆の服従(δουλεία)の心理分析は一面的で、ファシズムを阻止できなかったヴァイマール期のリベラリズムの無力さについては妥当するとしても、迫害の受難者(παθητός)であるユダヤ人こそリベラリズムを体現した代表的存在=ブルジョワジーであってみれば、単なる心理学的研究の枠内にとどまっており、ホロコースト=「最終解決」(Endlösung)に行き着く反ユダヤ主義の問題の全体像(τὸ ὄλος)をとらえるには至っていない。
アドルノとの対立を含め、フロム流の心理分析の他愛なさ(ἠ ῥᾳθυμία)と限界(πέρας)を物語っている。だからカ氏は、引きこもりの叛乱で、「革命」(καινοτομία)だルサンチマン(ressentiment)だと、騒いでいる。
お目出度い(εὐήθεια)限りだ。半可通(ἡμιπόνηρος)の愚劣なおしゃべり(λήρησις)は気楽でいい。[完]
‘L’intérêt parle toutes sortes de langues, et joue toutes sortes de personnages, même celui de désintéressé’(⇒39, La Rochefoucauld; ‘‘Réflexions ou Sentences et Maximes morales’’=「私利私欲は、あらゆる類の言葉を口にし、あらゆる類の役を演ずる。無私無欲の役柄さえも。」)
Hitler hat stets damit gearbeitet, Vorurteile, Feindschaften und Haß zu schüren.
Die Bitte an die jungen Menschen lautet:
Lassen Sie sich nicht hineintreiben in Feindschaft und Haß
gegen andere Menschen,
gegen Russen oder Amerikaner,
gegen Juden oder Türken,
gegen Alternative oder Konservative,
gegen Schwarz oder Weiß.
Lernen Sie, miteinander zu leben, nicht gegeneinander.
ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。
若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
ロシア人やアメリカ人、
ユダヤ人やトルコ人、
オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
黒人や白人
これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
ただ、金正恩だけは、別である。私は、核兵器に対してだけは、カントの「定言命法」をかけるべきだと思っている。それは、文明を破壊し、地球に死をもたらせるからである。だから、「核兵器を開発しても使えないから、意味がない。」と主張される日本人コメンテーターもおられるが、金正恩は、自国国民の生活を犠牲にして、それを実行しているのであって、正常な人の感覚をもたれていないのではないのだろうか?
この川崎の事件でも、ISのテロでもそうであるが、なんでもあり、のテロリストは、地球の未来も、将来の子供たちのことも考えないから、使用する危険性がある。そのような人々に、核兵器がわたらないように、我々はよく考えなければならないのではないのだろうか?
「カ氏の一連の、まやかし(ἀπάτη)に満ちたごまかし(τερθρύεῖσθαι)と虚飾(ἀλαζονεία)、論点ずらし(τὸ ἐξ ἀρχῆς αἰτεῖν=petitio principii)で組み立てられた、独りよがりな信念(πίστις)と過誤(σφάλμα)、誤記の見苦しい言い逃れ(ἀπολογία)の集成である「投稿公害」=悲憤慷慨(ὀργή καί θυμός)を眺めていると、もはやカ氏の比類ない(ὑπερβολή)、責任逃れの醜悪な(αἰσχρός)反論紛いの妄言(ἀλλοδοξία)にも驚くこともなくなり、ただ。嫌悪感(μῖσος)があるだけだ」と。
「ラトゥミーア」は「無学の老媼」(ἀπαιδευτος γραῦς)=カ氏のためにあるような言葉で、嫌悪すべき(μισητός)賤しい(τᾶπεινός)品性(ἦθος)がカ氏の悪質な(φαυλότης)人間性(τὸ ἀνθρώπειος)の一端を示しているようで鼻白む思いだ。
苦し紛れの「意趣返し」(ἀντιπεπονθός)なのだろうが、よく考えもせずに、衝動に駆られて(ὁρμάω)、26⇒【反氏には、なんど教えてあげても、理解されようとする気持ちがないので、癖壁とさせられる】のような文章を臆面もなく(ἀναισχύντως)書き。無駄口を叩く(ἀδολεσχεῖν)。
何とも呆れたもの言いで、そもそも間違いだらけの怠惰な(ῥᾳθυμητέον)な元劣等留学生、英独語が話せ、読み書きできる程度の凡庸な(μέτριος)程度(μέτριον)の人物に、「教えて」もらうことなど何ひとつ(οὐδέν)ないし、その愚劣な経験(ἐμπειρία)に学ことなどあり得ない。
「反ユダヤ主義」は欧州人という偽善的(εἰρωνικός)で欺瞞(ἀπάτη)に満ちた連中がこの世(κόςμος)に存在する限り、形を変えて生き続けるだろうし、消えてなくなりもしまい。しかし、さすがに今どき『ヴェニスの商人』並みの認識(γνῶσις)にとどまっているのは、カ氏のような世間知らずと、低能なドイツの中下層階級の子孫たちぐらいだろう。
ドイツの第二次大戦後の「反ユダヤ主義」は、外国人問題に取って代わられたとよく指摘されるが、東西統一後も含めて「特定の少数派に対する長い伝統をもった(宗教的、社会的、文化的、政治的、そして『人種的』な)偏見としてのユダヤ人敵視という意味でとれば、それはドイツでは、ナチス国家の崩壊以後、アクチュアルな危険性をもった問題としては…存在しない。しかし、1945年以降のドイツでは、反ユダヤ主義のさまざまの動機や性格は、『アウシュヴィッツ以前』の時代とは、全く別の性格を帯びている。…現在の反ユダヤ主義は、アウシュヴィッツにかかわらずではなく。アウシュヴィッツの故に存在する。それは、西ドイツの政治文化の構成要素として親ユダヤ主義(Philosemitismus)と密接に関連した形で存在している」(1992年、W. ベンツ・ベルリン工科大反ユダヤ主義研究所長)とされる所以だ(徳永恂『ヴェニスのゲットーにて』、305~306頁)。
中国など共産党独裁の現代版監視国家で、共産党支配に疑念を呈したり、抗う勢力を許さない。自由も人権も、政府に唯々諾々と従う連中に、しかも限定的に承認されているのが実態だ。顔認証システムによる監視カメラ網を、今後安全確保の美名の下に急ピッチで整備しようとしており、抑圧体制は独裁国家も顔負けだ。伝統の儒学イデオロギーは「王道」を説いたが、歴代王朝は武力(δύναμις)による専制支配(μοναρχίη)、つまり「覇道」=覇者(δύνάστης)による力の支配(δεσποτεία δύναμις)の典型であって、「王道」は時の権力者が支配を正当化(ὀρθόω)するための、粉飾物(κόςμος)にすぎない。
ドイツにおける戦後の反ユダヤ主義の「消失」ではない「変質」は、ナチスの弾圧によっても生き残った強制収容所の生存者や配偶ユダヤ人(Mischehen)、地下潜伏者ら第二次大戦終結時に5万人とされた生存者が、戦後新たな居住地を求めてドイツを去り、その後に東欧などから難民などとして流入してきたユダヤ人が1992年時点で約3万人とされたが、その後に別の理由で増え、現在は11.9万人(総人口の0.15%)に上る(統計はThe Economist, 2012.6.28)。
しかし彼らは、戦前のユダヤ人同胞(Mitbürger)とは全く異なる。既に亡命などで減ったものの、ナチスの政権獲得後の1933年6月時点で502,799人いたと記録されているユダヤ人のほとんどがドイツから姿を消した戦後に、どんな綺麗ごとを並べ賠償しようと、ドイツの見え透いた(εὐθεώπρητος)弁明など、空しく響くだけだ。[完]
私の主張はシンプルである。罪というものに、「民族全体の罪」というものはなく、「個人の罪」に帰するのだから、文化の違う異国人に対して、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけてはいけない。また、演説の上手さに翻弄されて、真実と嘘を取り違えてはいけない。また、ヒトラーのようなテロリスト、国際社会を力、武力で支配しようし、人間の生命の重みに無関心な人や、地球の文明を破壊する危険性のある核兵器を開発しようとする人とは、妥協してはいけない。
分を弁えずに(πλέον ἔχειν)夥しい間違いを繰り返しながら、それでも臆せず(θαρραλέος)止み難い投稿に前のめりに(προπετής)なる。間抜けな「田舎者」(ἄγροικος)なのか、ただの「道化者」(βωμολόχος)なのか、それともとんだ大莫迦者(ἀμαθία)なのか、いずれとも判然としないが、たぶんその全部なのだろう。
憲法でもヴァイツゼッカー演説でも、空疎なお題目(κάλλος)が好きなようだ。何ともお目出度い話で、現実(τὸ γιγνόμενον)を直視する(περὶ πολλοῦ ποιέομαι)ことを説きながら、一種の世間知らずの理想主義者(Idealist)なのだろう、稚拙なままごと投稿の一々が実に他愛がない。
しかも良く考えないで盲目的に(τυφλόστομος)、反射的に(ἀνάκλασις)応酬する(ἐνίστασθαι)。だから頻繁に間違う(ἁμαρτάνω)のだし、翻訳をした割には日本語の文章がなっていない。お寒い(ταπεινότης)知性の程度を曝け出していて、一向に愧じる(αἰσχύνω)気配もない。人間性(τὸ ἀνθρώπειος)を含め、最悪(μέγιστος κακός)ということだろう。
何とも気の毒(τάλας)だが、それも実力(δύναμις)なのだから仕方がない。
要はヴァイツゼッカー演説の巫女(προφῆτις)よろしく、「神がかり」(ἐνθυσιασμός=霊感)状態で御託宣(μαντεία)を取りもつように騙る(ἐξελαύνω)妄説(ἀλλοδοξία⇒‘Karoline Doctrine’)の下らなさを、どれだけ本人が自覚(ἔγνωκεν)しているかだが、どうやら自覚していない(ἄγνοέω)様子だ。
それでソクラテスの無知(ἀμαθία)の知(εἰδέναι=知っている)、不知(ἄγνοια)の自覚を振れ回っているのだから、つける薬はない。自ら「無意識のうちに」(λανθάνειν)墓穴を掘っているようなもので、何とも皮肉な(εἰρωνεύομαι)話だが、それここれも、身から出たサビだろう。
32⇒【私を貶めたい、という意図は非常によくわかるが、それ以外になにを主張したいのだろうか? 反ドイツ主義だろうか?】というが、蜘蛛の巣(τὰ ἀράχνια)でも張っているのでは、と思わせる粗雑な(σομφός)頭で、自ら得と考えたらよい。
要するに、自分の愚かさを自ら認識し得ない(ἀγνοωσία)莫迦さ加減は、西独留学帰りの驕慢な(ὕβριστος)元劣等学生ならではで、いい歳をして歳相応の自制心(σωφροσύνη)も思慮(φρόνησις)も欠いた「夜郎自大」の田舎者による、無知ゆえの(δι’ ἄγνοιαν)、無思慮(ἀφροσύνη)極まる悪あがき(τὸ ἀντιτυπές)は、如何にも浅ましい(αἰσχρός)限りだ。少しは、頭を冷やすといい。
32②⇒【罪というものに、「民族全体の罪」というものはなく、「個人の罪」に帰する】というのは、先の戦争での罪過にドイツ人(民族)全体としての「集団的な罪」(‘Kollectivschuld’)はないとした、敗戦直後に哲学者のヤスパースが『罪責論』(“Die Schuldfrage”)で説いた見解で、ヴァイツゼッカー大統領も強調したドイツ民族の自己防衛(φυλακή)=弁明(ἀπολογία)の論理だろう。
戦争目的そっちのけでユダヤ人大量虐殺に国民全体も直接間接に、知ってか知らずか狂奔したドイツ人が敗戦直後に展開した論理としては、公言する(ἀγορεύω)ことにある種の勇気(ἀνδρεία)を要する大した「正論」(δίκαιος λόγος)だが、戦時中、当局によるユダヤ系だった夫人との離婚勧告を断って、ナチスに一切の協力を拒み「国内亡命状態」だった高潔な哲学者が言うならまだしも、それ以外の者が言えば違和感は拭えない。
「道徳の上では、自分の罪だけは認めることができるが、他人の罪を認めることはできず…何ぴとも、他人を道徳的に裁くことはできない」というわけだ(『贖罪論』23頁=Piper社版 1987年新版)。
それを戦後40年たって政治家が繰り返すのには別種の(ἀλλοῖος)政治的な意図があるのは明白で、畢竟「前の戦争のことでいつまでも責め立てられるのは御免だ」という国民感情に迎合し、綺麗ごとで代弁したのだろう。そこにヤスパースのような道徳的高潔さは微塵もない。死ぬまで一切弁明を拒んだナチスの協力者ハイデガーの方がヴァイツゼッカーより、「悪党」なりによほど筋が通っている。
そのヤスパースの実存哲学を一言で表現するなら、それは「挫折において存在を経験すること」にほかならない。カ氏にもそうした屈辱(λοιδόρημα)のうちに真実に目覚める実存解明(Existenzerhellung)が必要かもしれない。[完]
「教育勅語」があったから、「大日本帝国憲法」があったから、「軍隊」があったから、戦前の日本人が、戦争をしたのではなくて、大部分の日本人が、「米国と戦争をすることが正義だ。」と思ったから、戦争に突入したのであって、それは、マスコミの力が大きかった、ということを主張しているのである。ナチスドイツも同じである。だから、プライドの高いイラン人や中国人が米国とどうなるかを恐れているのである。
けれども、中曽根康弘さんのように、「日本人総ざんげ」とも思わない。マスコミ界でも、楠山義太郎さんのように、米国と戦争に反対されておられる人もおられたが、それが大きな声にならなかっただけ、なのである。またその当時、社会経験のない、若い義父の世代は、旧制高校生であっても、正義感にかられて、「米国と戦争をすることが正義だ。」と思った人々が多かった。これも、ナチスドイツを熱狂的に支持した世代と同じである。要するに、そうすることが、「正義だ」と扇動した日本人がいた、「その人々の罪」である、という「認識」が大事なのである。これが、「ワイツゼッカー演説の趣旨」である。
「オウムテロ」でも、日本の社会が悪いのではなくて、彼ら個人の責任なのである。弁護士は、依頼人の味方をする、それが彼らの仕事である。けれども、中立的な立場にある日本国民は、その主張に惑わされて「社会の責任」にせず、「個人の責任」は「個人の責任」とはっきりさせるべきだと私は思う。
カ氏の稚拙で杜撰な議論は、「無学」で怠惰な世間知らずの素人(ιδιώτης)=精神の幼児(ἔκγονος)に等しい人物が、自らの力量(ἀρετή)では手に負えない(ἄπορος)国家公共の事柄(τὰ τῆς πόλεως πράγματα)や概念(νόημα)を弄んでいる(παιζειν)印象しかない。
甘美な(ἡδύς)無知のまどろみ(καθεύδειν)も無聊(ἀναισθησία)を託つしかない老後の暇つぶし(διατριβή)としては楽しいのだろうが、他人の所説をWikipediaなどからコピペで無断借用=剽窃(κλοπή)して振れ回る以外にできない、無知(ἀμαθία)=阿呆(ἠλίηθιος)の証明(τεκμήρια)のような悲惨な(ἄθλιος)文章(λόγος)しか書けないようだ。
カ氏固有の文章とコピペで紛れ込ませた他人(ὁ ἄλλος)の文章との「落差」(διάστημα)がそれを端的に物語る。
それは、自らによって欺かれる(ἐξαπατηθῆτε)、言うなれば自分で自分に無意識に(λανθάνειν)嘘をつく(ψεύδομαι)ことに気づかない(ἀγνοέω)愚かさ(μωρία)で自らを欺いている(ἐξαπατάω)、アーレントの表現を借りるなら逆説的に「凡庸な」(banal=φαύλως)なとるに足らない(φλαῦρος)人々、つまり「凡庸で俗な人々」(‘τῶν φαύλων καὶ ἀγοραίων ἀνθρώπων’)にありがちなことだ。
これ以上は傷口(ἕλκος)を広げるばかりだから、無駄口を叩くのもほどほどにしたらよい。しかし、カ氏のような俗物根性の「虚飾家」(ἀλαζών)は、受けた辱め(αἰσχύνη)をなんとか有耶無耶に(τερθρύεῖσθαι)したいのであろう。
きっかけは、目下与野党共同で「糾弾決議案」が衆議院に提出され、きょう6日にも本会議で可決されそうな丸山穂高氏の「戦争」発言がきっかけのようだ。最初の転載は、「丸山穂高発言の波紋」と題して私の5月20日のコメント6~11、21日の18~21、23~24、22日の26~30までが全文削除なしで紹介されている。
コピペだから金魚の糞みたいにカ氏の「クズ投稿」も一部交じっているが、5月27日以上は連日、私の分だけ「反時流的古典学徒を読む」と単独で項目立てて、他に30日には「天安門事件1889」の中で、引き続き30日の15~18まで転載し、現在は別項目で昨日5日午後から本日にかけ、「反時流的古典学徒を読む」に移したようである。破格の扱いで、特段文句を言う筋合いもない。
それにしても思わぬところに読者はいるものだ。自民党の支持勢力である「生長の家」を宗教右翼と揶揄する進歩派もいるが、言論は自由だから、意に介しない。何と言っても100万人を超す信者を擁する団体だから、読者の数は桁が違いそうだ。
最新のトピックスは「天安門事件30周年記念集会」で、国際政治学者の藤井厳喜氏の講演などを流しており、特段の偏向はないようだ。熱烈な天皇制支持勢力が、戦後の日本人への私の幾分不穏当な見解を無削除でアップするくらいだから。
生え抜きの国会議員を擁する「生長の家」の政治への関与については内部にいろいろ議論があるようだし、「日本会議」を裏で操っているとの批判もあるが、信徒を誘導して特定の政治的信条を強要する(ἀναγκάζω)ほどでもあるまい。信条と宗教的信仰は共に[πίστις]で、信じる(πίστεύω)という行為の根源性は、単なる偏狭的な(ακληρός)党派心(φιλονεικία)だけでは論じられない。
まず、実定国際法上の標準的な学説から言えば、以前にも書いたので繰り返しになるが、戦争一般を禁止する規定である1928年の「戦争抛棄ニ關スル絛約」(所謂パリ不戦条約=ブリアン=ケロッグ条約)に、「平和に対する罪」(crimes against peace)はともかく、「人道に対する罪」(crimes against humanity)の規定はない。
明文規定がない「平和に対する罪」も、第二次大戦後に日本とドイツの戦争指導者等を処罰するために、東京とニュルンベルクに設置された国際軍事裁判所で新たに適用された罪責(Haftung)である。
ニュルンベルク国裁判所条例をめぐる法的な議論に際して、裁判所が審理、処罰する権限を有するとされた、従来の狭義の戦争犯罪(「国際法の交戦法規に違反する行為」)とは異なる新しい戦争犯罪の概念について、「不戦条約」によって自衛戦争を除くすべての戦争が一般に違法化されていたことを承認するとしても、戦争の「犯罪性」について、実定国際法上はそれを明示的に示したものは存在しなかったからだ。
カ氏の議論がその場しのぎの悪質な虚偽(ψεῦδος)か、「無学にして無知ゆえの」(δι’ ἀπαιδευσίαν καὶ ἄγνοιαν)浅知恵(ῥᾳθυμία)によるものか、大方その両方だろうが、民族全体の法的な責任、罪過を問う戦争犯罪、それさえ超越する人道上の悪劫(κάκη)を実質的に問われはしなかったまでも、民族全体を対象に「集団的な罪」(‘Kollectivschuld’)を問い得るかという形で議論になったのには、それ相応の理由がある。
その他夥しい戦争に伴う残虐行為や紛争による虐殺は歴史上存在したが、そのどこでも民族ないし国民全体を対象に「集団的な罪」が問われた試しはないからだ。ポル=ポトのカンボジアだって、スターリンのソ連も毛沢東の中国も、ユーゴ紛争のセルビアも同じだ。
ホロコーストに象徴される残虐行為はドイツ固有の、相対化できない犯罪だから、国民の相当数も直接間接に関与した嫌疑で「集団的な罪」が問い得るかが議論上問題となったわけで、細菌兵器の人体実験を行ったとされる「731部隊」を要する関東軍、つまり悪名高き大日本帝国陸軍でさえ実施はおろか、計画さえしなかった、数百万人とされた一民族を欧州大陸から事実上消し去る未曾有の残虐行為に手を染めたのは、ナチスに政権を託したドイツ人だけなのである。
だから小賢しい弁明の論理を駆使しなくてはならなかったし、ヤスパースのような高潔な人物の手を煩わせるほかなかった。
ドイツの戦後は、自らの歴史上類をみない戦争犯罪を逸脱した悪業を、正面から(ὀρθότης=真っ当に)受け止め、向き合ってきた歴史などではなく、逆境にあって(ἀτυχεῖν)、懸命になって罪の追及を遣り過ごそうと、民族の共同防衛のため、頭を低くして(ταπεινόω)戦後の生存(ζωή)に余念がなかった(σπουδάζω)だけの話だろう。トーマス・マンがそうした同胞に違和感を拭いきれずに、結局帰国を断念した所以だ。
そして良くも悪くも、冷戦の存在がドイツへの事実上の「免罪符」となり、ドイツ人自らを盲目にする(τυφλόω)、良心(ἡ συνείδησις)さえ麻痺させ被い隠す(καλύπτω)役割を果たした。
ドイツは恥を知るべきである。
つまり、戦前の日本は、満州事変という侵略行為をした、と中国によって、国際連盟に訴えられ、リットン調査団が調査をした。国際連盟で松岡洋右さんがなんとか日本政府の意向に沿って事態を打開されようとしたが、結局ジュネーブで取材された楠山義太郎さんの弁によれば、「無頼漢として追放される」形で国際連盟を脱退した、その後、1937年(昭和12年)7月7日、盧溝橋事件が勃発し、日中間が全面戦争に入ると、中国の提訴を受けた国際連盟総会では、同年9月28日に中国の都市に対する無差別爆撃に対する、23ヶ国諮問委員会の対日非難決議案が全会一致で可決された。1938年(昭和13年)9月30日の理事会では、連盟全体による集団的制裁ではないものの、加盟国の個別の判断による規約第16条適用が可能なことが確認され、国際連盟加盟国による対日経済制裁が開始された。一方、米国ではルーズベルトは大統領に就任し1937年7月に盧溝橋事件が発生すると、対日経済制裁の可能性について考慮をし始め、1937年10月5日に隔離演説を行い、孤立主義を超克し増長しつつある枢軸諸国への対処を訴え、日本に対するABCD経済封鎖ラインが完成するのである。
そして、日本の蛮行に対して国際社会から経済制裁を受け、打開策がなくなって、追い詰められて石油の備蓄のある間に、と米国に宣戦布告をするのである。
本来、コメント6にも書いたように1928年に日本も締結したパリ不戦条約の第一条において国際紛争解決のための戦争の否定と国家の政策の手段としての戦争の放棄を宣言しているにもかかわらず、戦前の日本はそのようなことをしたのである。要するに、日本国憲法9条の確信は、篠田教授の主張されるように、欧米先進国の一周遅れの確信なのである。
戦前の日本の政治のなにが悪かったのか、それは、日本が妥協して、国際協調をせず、孤立したことだと私は思う。それがわかって反省しなければ、意味がない、とも思う。また、楠山義太郎さんを国際派のジャーナリストのリジェンドとして私が尊敬するのは、キーパーソンをとらえ、日本人に必要な情報を与えようと、されていたからである。「井の中の蛙状態」の日本人には、その情報の価値がよくわからなかったみたいであるが。
ダーウィン自体は、進化理論を人間にまであてはめるつもりはなかったが、ヒトラーはあてはめた。優秀なDNAをもつ人間を多く作れば、世界はもっとすばらしくなる、あの時代は、植民地時代でもあったし、植民地の文明度は低かったから、それに納得する人がいても不思議でない。ドイツ人が世界で一番優秀で、ハプスブルグ帝国のような混合国家ではなくて、ドイツという民族国家をつくらなければならない。民族の中でユダヤ人が一番劣っているし、ろくなことをしないから、そのDNAはドイツの国からなくさなければならない、と考えたからこそ、あのようなことを実行したのである。その奥底までヒトラーの考えに共感した人はドイツ人にも少なかったのではないのだろうか?ヒトラーが尊敬していたのは、ドイツ人以外だと、古代ギリシャ人とイギリス人である。彼が、黄色人種である日本人を尊敬していた、などとはとても考えられないし、あのような政治指導者と三国同盟を結び人の気がしれない。
旧ソ連の解体後、多くのユダヤ人がドイツに移住し、その数も年々、増加傾向が続いてきたが、2006年をピークに減少し、ドイツに住むユダヤ人がイスラエルに移住する傾向が出てきた。イスラエル政府の積極的な移住政策もあるが、それ以上に反ユダヤ主義が席巻する欧州に危機感が高まっていることが、ユダヤ人をイスラエルに向かわせていることは間違いない、と長谷川良さんは主張されている。
特に、2015年の中東・北アフリカからの100万人を超えるイスラム系難民・移民の殺到でドイツ内に反ユダヤ主義傾向がいやがうえにも高まり、反ユダヤ主義的犯罪が増加し、ドイツのユダヤ人は住みにくくなった。つまり、10万人弱のユダヤ人社会に100万人を超えるイスラム系難民が殺到してきたが、その大部分が国で反ユダヤ教、反イスラエルの強い教育を受けてきた人々、単純な計算からいっても、15年以降、ドイツに住むユダヤ人が反ユダヤ主義的な襲撃や中傷を受ける危険率は10倍に膨れ上がったといえる。その傾向は、ドイツだけではなくて、フランスも増えている、とある。これ以上、引用すると、反氏に、コピペ90%と批判されそうなので、詳細は、読者に読んでいただくとして、ドイツの「反ユダヤ主義」と闘う、という宣言は、ドイツ国内のイスラム系の難民がユダヤ人を襲うこと、をやめさせる、という意味もあったことを知り、ドイツ国民の治安の悪化を理由に、これ以上アラブ社会からの難民を受け入れたくない、という気持ちを理解すると共に、改めて、戦後ずっと続いた中東戦争がその地域に住む人々に与えた心の傷の深さを思う。
それにしても、42⇒【パリ不戦条約に「人道に対する罪」がないから、日本が戦時中したことは、ドイツや英米と比べて悪くない、と反氏は主張】とは畏れ入る。わざと(ἑκουσίως)だろうが、曲解(ἑτεροδοξία)も甚だしい。そうでなければ、よほど愚鈍(ἀμαθία)なのだろう。「事後法」だと言っているだけだ。
そこには真理探究(φιλαληθής)への誠実さ(ἀλήθεια)も、最低限(ἀναγκαιοτάτη)の知的な良心(ἡ συνείδησις)も、人間としての節度(σωφροσύνη)もなく、醜悪な(αἰσχρός)自己愛(φιλαυτος)だけが驕慢な(ὕβριστος)、いかにも「田舎者」(ἄγροικος)らしい醜態(τὸ αἰσχρός)を晒している。
「田舎者」とは地方在住者に対する蔑称(διαβολή)ではなく、カ氏のような世間知らずの「夜郎自大」の気の利かない「野暮天」を指す。断るまでもなく、気の利いた(ἀστεῖα)中学生程度にも分かることが分からない大人が少なくない。
だから、衝動に駆られて(ὁρμάω)、直情径行的な(ἀνάκλασις)急ごしらえの(αὐτίκα)立論に逃げ込み、肝腎のドイツ人(民族)の先の大戦での「集団的な罪」(‘Kollectivschuld’)の当否という論点をすっ飛ばしてしまう。
ドイツ人の致命的な(θανάσμος)欠陥(κακία)であり失敗(ἀτυχία)は、ユダヤ人大量殺戮を引き起こしたナチスドイツに政権を託した、歴事上未曾有の失態(ἁμάρτημα)であり罪悪(κακία)以外にない。
ドイツの戦後は、身から出たサビとは言え、民族(ἔθνος)や国家(πόλις)としての生存(ζωή)をなんとか期するため、逆境にあって(ἀτυχεῖν)、ヒトラーと自らとを切り離す(χωριζειν)、占領統治の政策だった所謂「非ナチ化」(Entnazifizierung)が引き続き至上命題だった。
そうすることで、自らが不正を働いた(ἀδικεῖν)という後ろめたさに目をつぶり(τυφλώττω)、人間性の自然と習性(‘ἡ φύσις ἀνθρώπων’)として、非難(ὄνειδος)や不評(ἀδοξία)に頭を低くして(ταπεινόω)、戦後を生き残るための自己防衛(φυλακή)に余念がなかった(σπουδάζω)だけだろう。
従って戦後、自発的に(ἑκών)心を入れ替え(μεταλαμβάνειν)たり考えを変えた(μεταβάλλειν)わけではない。ナチスの暴走という、あくまで外部的な要因(αἴτιον)によって強制(βία)され、もたらされた災難(ἀτύχημα)、不運(ἀτυχία)として被害者(ὁ πάσχω)意識を募らせ、自らはあたかも受難者(παθητός)であり、心ならずも(οὐκ ἑκών)ナチスに協力したが、ホロコーストのような身の毛のよだつ厭わしい行為(πρᾶξις)は、知らなかった(ἀγνοέω)し、知りようもなかった(ἀγνοωσία)と言い逃れ(ἀπολογία)、自分に都合のいい特定の(καθ’ ἕκαστον)事実(ὅτι)しかみようとしないことで、結果的に頬被り(ἐάω)する。
「集団的な罪」の否定(ἀπόφασις)どころか、戦争を選択(προαίρεσις)し、熱狂的に(μανικός)支持したことすらすら、結局のところ災難(ἀτύχημα)や不運となり、どこか「他人事」になってしまう。
戦後に所謂「ドイツ・ユダヤ人」(Deutsche Jude)は、ほとんど「存在しない」(μὴ εἶναι)。だれが好き好んで、先祖や親族が血祭りに上げられ地獄の憂き目に遭った、ドイツなどに住もうか。
別の観点で言えば、陰に陽に根強い朝鮮人、韓国人差別の残る日本とは異なる。もっとも、日本と朝鮮が戦争などしていないように、ヴァイマール文化を支え、ウィーンをユダヤ文化の帝都とした往時の繁栄に導いたユダヤ人は国家なき民族で、戦争どころか同胞(Mitbürger)だったわけだが。
その意味で、戦後ドイツのユダヤ人問題は、戦後になって東欧などから難民として移住してきて、その多くがイスラエルや米国に通過するため一時的に滞在したものの再び去って行った後に流入した外国籍のユダヤ人で占められている。
統一後の1992年当時、ナチス以前の6%、約3万人とされたが、現在は確認できる統計でその後の移住者を含め11.9万人の、「ドイツ・ユダヤ人」ならぬ、単なる「ドイツに住むユダヤ人」(Jude in Deutschland)の問題にすぎない。
カ氏が滑稽にもありがたがっているウィーン在住の日本人ジャーナリスト、長谷川良氏が伝える反ユダヤ主義(Antisemitismus)や「反ユダヤ意識」(der Antisemitismus)も、ドイツに限って言えば、基本的に全く位相が異なる「ユダヤ人なきユダヤ人問題」(Judenfrage ohne Jude)と称される所以だ。
「無学」はどこまでも気楽でいい。
ナチスを生んだ「過去の克服」(Bewältigung der Vergangenheit)という戦後を支えたお題目=リベラル・コンセンサスにしたところで、特に1986年以降の「歴史家論争」前後から、ナチスの犯した忌まわしい犯罪の尻拭いという責任分担と心理的な重圧から解放されたいという国民的意図はみえみえで、「アウシュヴィッツ」に象徴される過去の責任追及を問い直そうという「修正主義」(Revisionismus)が公然とメディア上で語られるようになった。
いずれにしても、「ドイツ・ユダヤ人」(Deutsche Jude)が消え去ったあとの現在の「反ユダヤ主義」問題は、中東、特にシリアからの難民問題が如何に深刻だろうと、ヨーロッパがかつての植民地統治で播いた種が根源にあるわけで、所期の目的である将来の政治統合を目指すなら、ドイツも当然その代価を払えばよい。いろいろ嫌味を言っても、結局は米国の世話にならなくてはなるまいが。
ドイツはEU圏という単一市場を得て商売(καπηλεία)は上手だから都合がいいし、ここまで首尾よくいったのだろうが、メルケル首相が難民対策で足元を掬われたように、元来政治的には知恵がない国民であり、それは彼らの歴史に根差している。
欧州の歴史を総観(σύνοψις)すると、概して(ὠς ἐπί τὸ πολύ)ドイツがリーダーシップ(ἡγεμονία)を発揮して動くと碌なことにはならない、というのが、唯一確かな(κυρίως)歴史の教訓(ἡ διδασκαλία)だろう。[完]
時折、まともな日本文さえ綴れぬ半可通(ἡμιπόνηρος=「中途半端に劣悪な人」の謂い)の「無学な老媼」(ἀπαιδευτος γραῦς)が、私を称して50⇒【一度こう、と思い込んだら、いくらわかりやすく説明されても、訂正がきかない個性の人だ、とつくづく思う】なのだそうである。
カ氏の「わかりやすく」は「杜撰かつ軽率」(συμφός καὶ ῥᾳθυμία)」の別名だろうが、正確な(ἀκρίβγβεια)自己認識(ἀναγνώρισις=αὐτὸ αὑτὸ νοεῖν[自分で自分を知る])さえ覚束ない(ἄπορος)怖いもの知らずの(θράσος)、最小限(ἀναγκαιοτάτη)の自制心(σωφροσύνη)にも事欠く(ἀπορέω)始末の精神の幼児(ἔκγονος)には、真っ当な分別に適った(κατὰ τὸν ὀρθὸν λόγον)議論など期待できないのは疾うに承知だが、それにしても「第二の祖国」と称するドイツについて、「長い間ドイツ文化を勉強し…神髄を知る年長者」と度々豪語するくらいだから、曲りなりにドイツ語は読めるのであろう。
ヴァイツゼッカー演説の翌年に始まってドイツを揺るがせた「歴史家論争」も知らなかったくらいの政治音痴だから高が知れているが、ユダヤ人をめぐるドイツの人口動態については、戦前の分はH. J. Gamm; “Judentumskunde”, 1960, S. 99以下を、戦後は“Jahrbuch für Antisemitismusforschugen”の中の、Bergmann und Erb; “Der Antisemitismus in Westdeutschland nach 1945.”程度は参照してから口を利いたらよい。議論はよく考えてから組み立てるものだ。
EU加盟国の現在のギリシアの体たらくと、学問的議論は何の関係もない程度のことが分からぬものか。莫迦も休み休み言うことだ。
カ氏の幼稚な議論の底流にある悪しき「政治主義」は、まさに左翼的心性である。
47冒頭の「ドイツの敗戦をナチスからの「解放」(δυόμενος)」について、「解放」(ἐλευθεροῦντες)に修正し、併せて補足を加える。
「解放」、つまり「自由にする」(ἐλευθερόω)ということなら、例えば、トゥーキュディデースの『歴史』第4巻85章に、
ペロポネソス戦争をアテーナイによる不当な支配から、「全ギリシアの解放」(ἐλευθεροῦντες τὴν Ἑλλάδα πολεμήσειν⇒Ἡ μὲν ἔκπεμψίς μου καὶ τῆς στρατιᾶς ὑπὸ Λακεδαιμονίων, ὦ Ἀκάνθιοι, γεγένηται τὴν αἰτίαν ἐπαληθεύουσα ἣν ἀρχόμενοι τοῦ πολέμου προείπομεν, Ἀθηναίοις ἐλευθεροῦντες τὴν Ἑλλάδα πολεμήσειν·=「アカントス人諸君、ラケダイモーンはわれわれが開戦当初に宣言したギリシア(ヘラス)解放のため、私とこの軍隊を派遣したのは、アテーナイに戦いを挑むという名分を通すためである」)のように、解放する(ἐλευθερόω)という表現があるのに従った。
解放とは「隷属状態」(δουλεία)から自由な(ἐλεύθερος)状態(ἕξις)になる(する)ことを意味する。
この他、プラトンの『ゴルギアス』(477A~B)には次のような箇所がある。
‘ἆρα οὖν τοῦ μεγίστου ἀπαλλάττεται κακοῦ; ὧδε δὲ σκόπει: ἐν χρημάτων κατασκευῇ ἀνθρώπου κακίαν ἄλλην τινὰ ἐνορᾷς ἢ πενίαν; ’(「それでは最大の悪から解放されるということになるのかね。――しかしまあ、その点は、こういうふうに考えてみたまえ。財産の状態において、君が人間の悪と認めるものは、貧乏以外に何かあるかね」)。
これに従えば、「解放(される)」(ἀπαλλάττεται)となろうか。
なお、当初の「解放」は、アイスキュロスの失われた作品「プロメテウスの解放」(Προμηθεύς δυόμενος)に由来する。
コメント41の反氏の意見、みずからの歴史上類をみない戦争犯罪を逸脱した悪業を、正面から受け止め、向き合ってきた歴史などではなく、逆境にあって、懸命になって罪の追及を遣り過ごそうと、民族の共同防衛のため、頭を低くして戦後の生存に余念がなかった、というドイツ人像はワイツゼッカー演説の前の外国の知識人の西ドイツに対する外国の捉え方、ワイツゼッカー演説によって、ドイツという国は、世界で信頼をえることができたのである。トーマス・マンが亡くなったのが、1955年、ワイツゼッカー演説は、その30年後の1985年である。ハンドルネームにも表れているが、いつまで時代遅れのドイツへの偏見をもっておられるのか、というのが私の反氏への率直な印象なのである。
その日にわざとぶつげるように、第二次世界大戦では、同じ戦勝国側にいた、中国とロシアが、個別で会い、両国の共同歩調を声明に盛り込む、ということに、私は一抹の不安を感じる。ツキデイデスの罠、という言葉が、今国際政治関連でよく使われるが、トーマス・マンの息子、歴史家、ゴロー・マンの説によれば、第一次世界大戦も、台頭してくるドイツに対して危機感をもつ英国のドイツへの不信感がその根底にあった、そうであるが、米中関係がうまくいくことが、国際平和の基本のように、私には思える。
カ氏は議論によって、その時々で予告なしにコロコロと見解を変えて愧じない、言論(λόγος)における「ならず者」(ὁ μοχθηρός)だから、事実(ὅτι=Tatsache)の冷静で学問的な探究(φιλοσοφώτερον ἱστορία)に何の関心もないことは見え透いている。
53⇒【「歴史家論争」に、西ドイツの大統領のワイツゼッカー自身も参戦】とあるが、そんなもの(「歴史家論争」=筆者註)があったことを「知らない」(ἀγνοέω)と公言して憚らなかった人物が、何を今さらということでしかない。ご都合主義の「健忘症」も困ったものである。その「質の悪さ」(φαυλότης)を知る者にはまともに相手にされまい。
昨年8月28日・146で書いたように「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐる歴史家論争については、その時点で二度コメントして注意を促したが、カ氏には無視された。書物のタイトルとなった「過ぎ去ろうとしない過去」は1986年6月6日にDie Frankfurter Allegemeine紙に掲載された、E. ノルテの同名論文に基づく。
それは、戦後一貫してドイツがこの問題に正面から向き合ってきたという欺瞞(ἀπάτη)を覆い隠す(καλύπτω)ための大嘘をつく(ψεύδομαι)ことに等しく、嘘でないならあまりにも無知(ἀμαθία)であろう。
いずれにしても、カ氏の議論はまやかし(γοητδεύειν)に満ちたもので、知性(νοῦς)で劣る(φλαῦρος)カ氏が、意のままに(ἐπ’ αὐτῷ, ἐφ’ ἡμῖν)にならないと途方に暮れて(ἄπορος)、年寄りじみた(πρεσβυτικοί)気短さから、しばしば猛り狂ったように展開するマルクス主義者やメディア批判にみられる糾弾(ἐπιτίμησις)に通底するイデオロギー的苛立ち(ὀργή)だろう。そして、イデオロギーは何も左翼の専売特許ではなく、カ氏のような狭量な精神(σμικρολογέομαι)の人物の宿痾(νόσος)だ。
なにせ、「ユダヤ人の亡命哲学者アドルノという名前が出てきたので、どんな人が調べてみた」(8月25日・110)と、Wikipediaのガラクタ記述を基に無邪気に(ἁπλοῦς)書いておきながら、一行も読みもしないで党派的なフランクフルト学派批判に入れ上げる。しかもネット上の「クズサイト」を頼りに妄言(ἀλλοδοξία)を振りまくような人物である。
しかも怠惰(ἀργία)この上ないから、それをコピペで済ませて、間抜け(ἀφροσύνη)なことに、明らかに文体も措辞も異なるのに、あたかも自分の文章のように装っている。盗用(κλοπή)が露見した後の居直りの強弁も凄まじく、もはや人間性(τὸ ἀνθρώπειος)、つまり「虚偽体質」(ψεύστης ψυσικός)の為せるわざだろう。
「開いた口が塞がらない」というのはこういう時に使うのだろうが、当人は臆面もない(ἀναισχύντως)人物で、この程度で驚いて(θαυμάζω)いてはこちらの神経(νεῦρον)がもたない、というほどのピアノ線並みの強靭さ(「狂人さ」(?))=「厚顔無恥」(ἀναισχυντία)だ。
滑稽なことに昨日7日、45⇒【これ以上、引用すると、反氏に、コピペ90%と批判されそうなので、詳細は…】として、ウィーン在住の日本人ジャーナリストのブログ記事の紹介の際に委縮していたが、出所を明確に示せば遠慮することはないのに、これまた何を勘違い(ἑτεροδοξία)したのか「ビビって」いて笑止である。意外と臆病者(ὁ δειλός)なのかもしれないが、つける薬はない。
以上、過去の悪行(μοχθηρία)を紹介すれば憐むべき惨状(πονηρία)で、それぞれ論証したように紛れもない(φανερός)事実だから、罵倒(σκῶμμα)するまでもないお手軽さである。
いずれにしても、カ氏は軽率で驚くほど(θαυμαστός)軽い(καῦφς)。学問的な(φιλοσοφώτερον)訓練(ἄσκησις)が全くできていない出来損ない(ὀ ἥμιγενής)が学問的議論(ἀκριβολογεῖσθαι)の真似ごと(μίμημα)をする時に露呈する惨状(πονηρία)を、見事なまでに(καλῶς)示している。
投稿自体が愚劣な「独り相撲」(σκιαμχία=a fighting against a shadow)たる所以だ。
そして、たとえどんなことがあっても、人間という存在は簡単には変わりはしない。古代ギリシアの歴史家トゥーキュディデース(Θουκυδίδης, Thucyudides=c BC460[455]~400)をもち出すまでもなく、人間自然の性情(ἡ φύσις ἀνθρώπων)とはそうしたもので、ころころ変わる制度(ἐπιτήδευμα)のようなわけにはいかないようだ。
ドイツ人(民族)の欺瞞(ἀπάτη)と偽善(ἡ ὑπόκρισις)に満ちた戦後史は、彼らに「集団的な罪」(‘Kollectivschuld’)を問おうと問うまいと、けっして消え去りはしないだろうし、飛躍的な経済復興を遂げ、今やEUの指導的立場にあろうと、その政治的指導力は実際のところ(ἔργῳ)限定的で、英国は何があってもドイツの下風に立つことを肯んじないだろうし、フランスとていつまでもドイツと一枚岩というわけでもなかろう。政治とは、そういうものだ。
欧州の歴史を長い目でみると、ドイツの一人勝ちを許さず、逆に警戒する(φυλάττω)勢力との角逐(ἀγών)や均衡(συμμετρία)が必ず働く。英国のEU離脱決定も、移民問題など「表向きの理由」(πρόφασις=建前)とは別に、そうした各国の無意識裡の(λανθάνειν)思惑(δόξα)が交錯した政治指導者の駆け引きや国民感情(αρή)、利害得失(συμφέρον)が密接に絡む。
米国と中国との貿易摩擦をめぐる対立(ἀντίθησις)は、次世代型の情報通信技術開発での主導権(ἡγεμονία)獲得に絡み、新たな覇権(ἡγεμόνεια)をめぐる争い(ἀγών)として「新冷戦」に発展する様相が皆無ではないにせよ。
それを過去の歴史的事例と合わせて分析した、米国の政治学者でHarvardケネディ行政大学院初代院長のGraham T. Allison(1940~)の造語である、新旧覇権国家の確執が戦争に発展するというシナリオ=「トゥキ。ィデスの罠」(‘The Thucydides Trap’=“Destined for War: Can America and China Escape Thucydides’s Trap?”, Houghton Mifflin Harcour, 2017=藤原朝子訳『米中戦争前夜――新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』、ダイヤモンド社、2017年)が話題になっているが、戦争を引き起こす「本当の理由」(ἀληθής πρόφασις)と、開戦理由を含めて利害対立を煽り、表明されるような「表向きの理由」(πρόφασις)とは別であることは、トゥーキュディデースが記した古代ギリシアの世界大戦であるペロポネソス戦争でも明らかだ。.
単純な類比によって(τῷ ἀνάλογον)臆測を逞しくするのはどうかと思うが、既存秩序(κόςμος)を主宰する覇権国で、新興国の挑戦を受ける側の超大国(古代ギリシアなら寡頭制の軍事大国スパルタ)が民主制の米国に擬され、旧秩序に挑戦する側の新興国が共産党独裁の擬似寡頭制国家の中国(古代なら民主制の海軍帝国アテーナイ)という「ねじれ」の構図で、何とも皮肉だ。
それはよく誤解されるように、卓越した指導者で14年にわたって将軍(στρατηγός=最高指導者)としてアテーナイを率いたペリクレス(Περικλῆς, c BC495~429)の死後、アテーナイが所謂「衆愚政治」(δημοκρατία)に陥って政治的意思決定に綻びが出たためなどではなく、ましてやカ氏が妄想の産物として説いた=ソフィスト(σοφιστής)の影響で、デマゴーグ(δημαγωγὸς)が跳梁跋扈したためでもない。
意外に思われるかもしれないが、トゥーキュディデースの『歴史』全巻で「デマゴーグ」(民衆扇動家)という文言が出てくるのは、わずか二箇所にすぎない(δημαγωγὸςと δημαγωγίαςが一箇所ずつ)。
ともかく、開戦後二年余で「第一人者」(‘Imperium’=元のギリシア語の意味は「命令」 [ἐπίταξις])と称されたペリクレスを失ったことも手伝って、停戦を含む長期戦を通してアテーナイは同盟国の相次ぐ離反やスパルタが仇敵ペルシアと結んで海軍力を増強するなか、内部対立もあって迷走し、シチリア遠征の失敗なども重なって27年に及んだ長期戦の末に力尽きる。アテーナイは、ペリクレスの事実上の「独裁」だった。
もっとも、戦争には勝ったものの、スパルタはギリシア世界全体を指導する理念も実力もないためその後は覇権を失い、結局、ギリシア連合軍は北辺の新興勢力マケドニアに敗れて、ギリシアの諸国家は独立を失う。
歴史の現実とは冷酷なものだ。[完]
‘L’homme n’est ni ange ni bête, et le malheur veut que qui veut faire l’ange fait la bête.’=Pascal, B., “Pensées”, Frag. 358.: Œuvres. par L. Brunschvicg, et P. Boutroux. , 1925, Tom. 13, p. 271.)
東西ドイツ統一後、日本ではあまり報道されなかったが、ユーゴスラビア紛争があった。冷戦時代、チトー政権の元、東欧ではユーゴスラビアは最も豊かな国で、ボスニア人、クロアチア人、セルビア人が仲良くくらしていた。ところが、チトーが亡くなり、冷戦が終わると、少数の指導者層が人間同士を分裂させていき、異なった宗教間の結婚を禁じ、マスコミの報道ぶりもあいまって、相互不信が芽生え、内戦となったのである。私が、分断の工作をしているプーチンさんや、バノンさんに不信感を抱くのは、その為である。
私は56で、歴史家のみならず、ドイツの論壇を巻き込む大論争になった所謂「歴史家論争」について、カ氏が「論争の消息を知らず【歴史家論争が起こるのはようやく1986年になってからだ、ということは明らかに間違っている】と戯言を語り、ドイツで第三帝国の犯罪の歴史的評価をめぐり大論争があったという事実(ὅτι)ごまかす(τερθρύεῖσθαι)」と書いた。
【】内のカ氏のコメントは昨年8月27日・142のもので、煩を厭わずその一部を再録すると、以下のようなものである。即ち、
【もともと、ハイデッガーについては、専門外だし、立ち入るつもりはなかった。ただ、「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐる歴史家論争が起こるのはようやく1986年になってからだ、ということは明らかに間違っている、と思った。…韓国の従軍慰安婦問題と同じように、いつまでも、解決させたくないという「反ユダヤ主義者」を錦の御旗にするユダヤ系の学者もきっといる、と思ったから。…要するにアドルノの理論にとても賛同できない】
1969年に死去したアドルノは論争とは無関係で、何が「要するに」(ὅλως)なのかよく分からないし、【「反ユダヤ主義者」を錦の御旗にするユダヤ系の学者】も意味不明だ。
仕事で翻訳をした割には真っ当な日本文が綴れないカ氏の惨状はこの際措くとして、【歴史家論争が…1986年になってからだ、ということは明らかに間違っている】という記述から、カ氏が1986年6月6日にDie Frankfurter Allegemeine紙に掲載された、歴史「修正主義」(Revisionismus)の代表的歴史家、E. ノルテの同名論文に端を発する論争が、論壇を賑わせたことを知らなかったことを明白に裏づける。
そして、敗戦をナチスからの「解放」だと、まるで他人事のように語るドイツの戦後の出発点(ἀρχὴ)には、決定的な欺瞞(ἀπάτη)がある。
そうした流れは、1982年の社会民主党からCDU・CSUへの政権交代後に決定的になった、ということを看過してはならない。ヴァイツゼッカー演説はその延長線上にある。
東西統一後の戦後50周年にあたる、1995年4月19日のAllegemeine紙に、「自覚せる国民」(selbstbewußte Nation)になることを呼び掛けた意見広告が大々的に掲載され、「5月8日」をナチスからの開放に加え、東欧におけるドイツ人追放、東独の長く暗い隷従の日々の始まりを告げる日と、「国民的アイデンティティー論」が渦巻いたのも、EU内部で主導的な役割を果たすことで自信を回復した「懲りない」(ἀκολᾶτος)ドイツ国民(民族)に公然ともたげ始めてた‘ethnocentrism’(文化的自民族中心主義)の表れであり、その意を受けて動いたのがドイツの保守政治家だった。
東西統一を果たし、国民的自覚や集団的自尊心が高まるのはある意味自然な現象だが、それだけでは済まないのがドイツ人の歴史的習性で、ナチスに体現されたおぞましい蛮行の罪劫を自らの問題として徹底して向き合うことなど、とりわけ民衆には容易ではないことは火をみるより明らかなのは言うまでもない。
「過去の克服」(Bewältigung der Vergangenheit)というスローガンが、畢竟過去の忘却(λήθη)に行き着く所以だ。
カ氏はポーランドの反ユダヤ主義の厳しいが、ユダヤ人と共存してきた自分たちの国土を占領して蹂躙し、人類史に消えない汚点、アウシュヴィッツの地獄絵を生み出した責任がどの国民にあると考えるのか。ポーランドにドイツに匹敵する主体的責任など、ありはしない。
反氏のドイツの歴史認識、ドイツ人観は、1955年に亡くなったトーマス・マンのものであって、そうでない歴史認識がドイツ人に存在する以上、歴史家の論争が起こるのは、1986年になってからだ、というのはまちがいなのではないのだろうか?また、ワイツゼッカー氏は、法学博士であるが、同時に、学生時代に副科として歴史学を勉強されたことも、付け加えたい。
軽率さも己の(αὐτός)「分を弁えぬ」(πλέον ἔχειν)、謂わば身の程知らず(πλεονεκτεῖν)の慢心(ὕβρις)も、パスカルが説く人間の悲惨(πονηρία=‘misère re de l’homme sans Dieu’)ということになる。
浅墓なりに、カ氏の中にある一種の「正義感」のようなものが理解できないわけではないし、実質的な内容のある立論なら、真面目に(απουδαῖος)検討するのに吝かではない(οὐδεὶς φθόνος)が、如何にも(ιδιώτης)ナイーヴ(ἁπλοῦς)で短慮(ἀνάκλασις)だから、事志(βούλησις)に反して、「天使のまねをしようと思うと、獣になってしまう」道理だ。
自分の力量(ἀρετή)を知らないで尊大(χαυνότης)になっているどこかの「阿呆」(ἠλίηθιος)が、ヴァイツゼッカー演説の巫女(προφῆτις)よろしく、自分が自らの主人(δεσπότης)であることを放棄した奴隷(δοῦλος)の思考に熱を上げる(σπουδάζω)、愚にもつかない(φαῦλος)減らず口(ἀδολεσχία)は、畢竟、牽強附会の弱論強弁(τὸν ἥττω λόγον κρείττω ποιεῖν)でしかない。
【】内の記述は、63でも引用したカ氏の過去のコメント、8月27日・142⇒【「過ぎ去ろうとしない過去」をめぐる歴史家論争が起こるのはようやく1986年になってからだ、ということは明らかに間違っている、と思った】によったもので、私は何ら加工していない。
言い訳(ἀπολογία)も頬被り(ἐάω)もごまかし(τερθρύεῖσθαι)も通用しない。憐れむべき悪あがき(τὸ ἀντιτυπές)で、自分の発言には責任(αἰτία=‘Verantwortung’)をもつものだ。それが、議論に際しての最低限(ἀναγκαιοτάτη)の作法だろう。
65②⇒【論争というのは、あきらかに、ワイツゼッカー演説に対するフランクフルト学派の反論】のような、根拠(τὸ διότι)なき断定(λῆμμα)が可能となるのは、カ氏が歴史家論争に登場する歴史家や思想家、ジャーナリストらの顔ぶれも内容も皆目(οὐδέν)理解していないからで、それだけでも噴飯ものの妄説だ。
ハーバーマスがリベラル・コンセンサス側の代表的論客として論陣を張っているが、中立的立場の論者も多い。明らかな修正主義的論調の歴史家E. ノルテやその同調者(J. フェストやK. ヒルデブラント)を、左派(ハーバーマスら)の見解と並べて厳しく批判している(社会民主党支持者の歴史家H. モムゼンら)。
ヴァイツゼッカーが必ずしも歴史「修正主義」(Revisionismus)というわけではないが、論争自体の義論のテーマは多岐にわたっており、内容は、‘‘Historikerstreit’’, Die Dokumentation der Kontroverse um die Einzigartigkeit der nationalsozialistischen Judenvernichtung, München, 1987.を参照されたい。
65②⇒【ワイツゼッカー氏とは違う歴史観をもつドイツ人は、アドルノに代表されるように、戦後存在した、ということを主張】というが、死後の「歴史家論争」とは何の関係はないものの、アドルノはファシズムを批判した側だ。批判的唯物論者には違いないが、マルクスの教説や共産主義者にみられる教条的な見解のもち主でもなく、むしろ旧ソ連に対して極度に批判的だ。ヴァイツゼッカーのような単純な反共主義者でないだけの話だろう。一行も読まずに語る=騙る(ἐξελαύνω)カ氏ならではの、私情(ιδιώτης)と個人的好嫌(ἥ εὔνια καί μῖσος)ですべてを裁断する(κρίνω)偏狭性(σμικρολογία)こそ、実はカ氏が毛嫌いする左翼的心性そのものだ。
問題なのは、ノルテの次のような主張、「ナチスが後に仕出かすようになるすべての事柄、大量輸送や大量銃殺、拷問、死の収容所、専ら客観的な基準に従って遂行される全集団の絶滅、敵とみなされる数百万人の何の罪もない人間に対する公然とした抹殺の要求などは、ガス室での抹殺というプロセスを唯一除いて、既に1920年代初頭の文献に相当量書き遺されている」(「過ぎ去ろうとしない過去―書かれはしたが、行われなかった講演」=Die Frankfurter Allegemeine、1986年6月6日号)として、ホロコーストを含む第三帝国の史上未曽有の犯罪を、過去の戦争犯罪などと同列に扱い、相対化=比較可能だとする、客観的議論を装った見境のない護教的相対主義で、論争の中心テーマだった。
65④⇒【…そうでない歴史認識がドイツ人に存在する以上、歴史家の論争が起こるのは、1986年になってからだ、というのはまちがいなのではないのだろうか?】というのも見当違いもいいところで、時代と場所を選ばない通常の「歴史家の論争」と、1986年から始まり当時の西独を揺るがせた「歴史家論争」(Historikerstreit)とは全く違う、ということをカ氏はごまかしている。
私は一貫して「歴史家論争」を論じており、一般的な「歴史家の論争」なる迂遠な議論を提示していない。カ氏の悪辣なる論点ずらしの最たるもので、まともな日本語の文章が綴れぬ憐れむべき知性と相まって、最低である。だから、8月27日・142②⇒【「反ユダヤ主義者」を錦の御旗にするユダヤ系の学者】のような意味不明(ἁμφιβολία)な文章が後を絶たない。これでは文脈から言って意味が逆になってしまう。
65⑤⇒【ワイツゼッカー氏は、法学博士…学生時代に副科として歴史学を勉強】というが、態々付言するほどのことか。So What?(だから何なの?)という程度の話で、論争ではヴァイツゼッカーなど所詮、蚊帳の外だ。
頭に蜘蛛の巣(τὰ ἀράχνια)が張ったような婆さんと遣り取りするのは、主義主張以前の知性の低劣さ(πονηρία)が障碍となり、何とも厄介(πονηρός)である。
さすがに「第二の祖国」(‘ἡ δεύτερος πατρίς’)と称するくらいだから、かつてヒトラーに熱狂(μανία)したドイツの中下層の民衆特有の粗野さ(ἄγροικον)をよく体現している。[完]
西ベルリンの市長をされて、壁を越えようとして銃殺された東ベルリン市民などの問題を実際に処理した経験を、もったうえの考えの持ち主なのだ。東ドイツの秘密警察の問題ももちろんある。
遠く離れた土地で、書物をよんで、単純な反共主義、或いは、親共産主義に、なったひとではない。
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