前回の記事で、政府各省庁がコロナウィルス対策に当事者意識を持つべきだ、ということを書いた。http://agora-web.jp/archives/2044559.html 外交方面から言うと、いよいよ佳境に入ってきた、と感じる。
アジア各国では日本人の入国制限措置が広がっている。アメリカが近く新たな入国制限措置をとると言われている。そこに日本が入るのかどうか、あるいは日本全国が入るのかどうか、トランプ大統領の判断は、日本外交にとって大きなインパクトを持ってくるだろう。
アジアをこえた広がりを持ち、アメリカでも死者が出始めている現状で、各国が厳しい措置を取り始めてくること自体は、必至だ。そこで日本がどう扱われるか、は、オリンピックのみならず、日本経済全体に対して、深刻な意味を持ってくる。
現在の日本での感染者数・死者数の広がりは、世界的な水準から見て、微妙だ。ダイヤモンド・プリンセス号での感染者数をカウントするかどうかについて、麻生大臣の愚痴が報道されているが、https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200229/pol2002290002-n1.html そんなことをしている暇があったら、正規ルートでの情報発信にもっと力を入れるべきだ。
WHOテドロス事務局長の発言をめぐる一連の事態は、現実分析と評価が難しい中で国際政治がうごめいていることを示している。 https://www.yomiuri.co.jp/world/20200304-OYT1T50259/?fbclid=IwAR2nuOMAaFT9E3N1Pq_abhYhwb7TxPVLNC1dhEVNS2y_ENadrkrhNj2IOMs
日本が不当な情報操作をしているという印象を与えることは、避けなければならない。かえって悪影響が出る。しかし、印象論だけで、過度に日本人に対する制限が世界に広がる傾向があるとしたら、それに対しては手を打たなければならない。
もちろん、実際に、日本政府は次々と先手先手の政策的措置をとっている、民間でも対応措置が活発だ、という姿勢を示すのは、実は長期的な経済活動の安定を図るためには、重要であった。今でもまだ重要だ。新たな立法措置は、とにかく早く行うべきだ。超党派で立法で切れば、素晴らしい。学校休校措置は、イタリア政府が追随した。どうせやるなら先にやった政府のほうが賢かった、と世界の人々は自然に思う。交通機関に対する措置も、ニューヨーク市がやっていることに追随するくらいのことはできないのか。https://www.youtube.com/watch?v=CyJPfpVrQTM&fbclid=IwAR0FbOhgD-7CP5GpYSKpX8kVxrc1xi0AEqCDl4B4SrcosqOC2aHwOQ_Kfow 航空機乗船前にも熱を測るなどの各国との人の円滑な往来を確保するための措置はありえないのか。
絶対に見たくないのは、閣僚やオリンピック委員会など影響力のある層の人々の失言だ。何があっても、自国民を守るための措置をとっている各国政府の誠意を疑うような発言は、絶対にしないように、気を付けてほしい。https://s.japanese.joins.com/JArticle/263297
アジア各国では日本人の入国制限措置が広がっている。アメリカが近く新たな入国制限措置をとると言われている。そこに日本が入るのかどうか、あるいは日本全国が入るのかどうか、トランプ大統領の判断は、日本外交にとって大きなインパクトを持ってくるだろう。
アジアをこえた広がりを持ち、アメリカでも死者が出始めている現状で、各国が厳しい措置を取り始めてくること自体は、必至だ。そこで日本がどう扱われるか、は、オリンピックのみならず、日本経済全体に対して、深刻な意味を持ってくる。
現在の日本での感染者数・死者数の広がりは、世界的な水準から見て、微妙だ。ダイヤモンド・プリンセス号での感染者数をカウントするかどうかについて、麻生大臣の愚痴が報道されているが、https://www.zakzak.co.jp/soc/news/200229/pol2002290002-n1.html そんなことをしている暇があったら、正規ルートでの情報発信にもっと力を入れるべきだ。
WHOテドロス事務局長の発言をめぐる一連の事態は、現実分析と評価が難しい中で国際政治がうごめいていることを示している。 https://www.yomiuri.co.jp/world/20200304-OYT1T50259/?fbclid=IwAR2nuOMAaFT9E3N1Pq_abhYhwb7TxPVLNC1dhEVNS2y_ENadrkrhNj2IOMs
日本が不当な情報操作をしているという印象を与えることは、避けなければならない。かえって悪影響が出る。しかし、印象論だけで、過度に日本人に対する制限が世界に広がる傾向があるとしたら、それに対しては手を打たなければならない。
もちろん、実際に、日本政府は次々と先手先手の政策的措置をとっている、民間でも対応措置が活発だ、という姿勢を示すのは、実は長期的な経済活動の安定を図るためには、重要であった。今でもまだ重要だ。新たな立法措置は、とにかく早く行うべきだ。超党派で立法で切れば、素晴らしい。学校休校措置は、イタリア政府が追随した。どうせやるなら先にやった政府のほうが賢かった、と世界の人々は自然に思う。交通機関に対する措置も、ニューヨーク市がやっていることに追随するくらいのことはできないのか。https://www.youtube.com/watch?v=CyJPfpVrQTM&fbclid=IwAR0FbOhgD-7CP5GpYSKpX8kVxrc1xi0AEqCDl4B4SrcosqOC2aHwOQ_Kfow 航空機乗船前にも熱を測るなどの各国との人の円滑な往来を確保するための措置はありえないのか。
絶対に見たくないのは、閣僚やオリンピック委員会など影響力のある層の人々の失言だ。何があっても、自国民を守るための措置をとっている各国政府の誠意を疑うような発言は、絶対にしないように、気を付けてほしい。https://s.japanese.joins.com/JArticle/263297
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今、Labisch教授は許されれば、北京に飛行機で行きたい、という希望をもっておられるそうであるが、北京で彼は、Erstens: Hände sauber halten, zweitens: möglichst wenig körperliche Berührungen, drittens: wenn überhaupt in die Ellenbeuge niesen, viertens: nicht in allzu enge Räume oder in Versammlungen gehen, wo zu viele Menschen sind. Aber ansonsten würde ich ganz normal leben.
それが許されたら、まず手を清潔に保ち、できるだけ人と体を接触しないようにし、肘にくしゃみをし、多くの人がいるあまり狭い場所や集会にはいかない。けれど、それ以外は、全く普通に生活する、と述べておられる。
こうした分野では感染拡大や時間の経過とともに研究が着々と進み、知見が積み上がっていけば、病態の全体像もやがて明らかになろうが、新型感染症をめぐる国際政治上の駆け引きはそうはいかない。
日本からの入国を何らかの形で規制する国が既に53に広がっており、今後は当該国間の入国禁止をめぐる相互反撥や、相互依存関係を深める経済への影響も含め、情報戦も本格化する。それはWHOをめぐる情報戦という主導権争いだったり、米中の覇権争いの場外戦を含めて複雑な様相を呈するのは不可避で、先が読めない。
国内での感染症拡大抑止や犠牲者数の最小化だけに焦点を絞っていられず、国益上を見極めながら、国際政治上の駆け引きも攻防も激化する。東京五輪を人質にされた形の日本の対応はますます難しい舵取りを迫られる。
感染者の実態について、中国が連日発表する数値が如何に不自然かも、ここに来て際立ってきた。湖北省を除く30の省、直轄市、自治区では既に収束に向かいつつあるような形勢だが、経済活動が本格再開しているわけでもない中国で、それを真に受ける国民は少ないだろう。3億人を超す農民工の移動も不気味だ。それを別種の肺炎に分類して操作するぐらい、経済の立て直しと体制引き締めが至上命題の中国ならやりかねない。
中国への要警戒は、国際社会への対応や情報発信でも今後のカギになる。
武漢大学中南病院の研究チームが先月25日、米医師会の専門誌「ジャーナル・オブ・アメリカン・メディカル・アソシエーション」に掲載した論文のタイトルは「新型コロナウイルス回復者のPCR検査陽性結果」だ。
それによると、4人の治癒者は医療関係者であり、患者の治療にあたり、自身も感染した。患者は軽度から中度の症状で、年齢は30から36歳、男性2人と女性2人。3人に発熱や咳などの症状があり、1人は無症状だった。しかし、全員のCT画像にすりガラスのような影が認められ、PCR検査で陽性反応が出た。そして治療後、退院、隔離措置を解除した。その後、再検査したところ陽性反応が出たというのだ。大紀元によると、「4人には症状がなく、胸部CT画像は治癒時と変化していない。新型肺炎の患者とも接触していない」というのだ。
参考までに、「新型肺炎から回復した」と判断する基準は、①体温が3日間以上正常であること、②呼吸器官の症状が改善されたこと、③胸部CT画像で急性滲出性病変が著しく改善され、④1日おきのPCR検査が2回とも陰性であること、等の4つの条件が全部満たされた状況という。
研究チームは、「退院患者、または隔離措置が解除された患者のフォロー方法を再考すべきだ。退院後、14日間の隔離が必要であり、退院後の第2週と第4週に病院で再検査を受けるべきだ」と提言している。
ちなみに、中国南部広東省政府は先月26日、新型コロナウイルスの感染患者で、治療を受け、退院した人の14%に再びウイルスの陽性反応が出たと発表している。ウイルス専門家の中には「いったん回復してもウイルスが再び増殖する『持続感染』が考えられる」と主張する声が聞かれる。
前のコメントでの、大阪の再発の女性は検査ミスが原因と指摘したのは、ハーバード大学の教授ではなくて、米国ニューヨークの細菌学者Florian Krammer氏でした。お詫びして、訂正します。
世界中で、この新種のウイルスが、あたかも春を迎え開花したように感染を拡大させている。現時点で世界86カ国・地域に広がり、感染者は98,369人、死者は3,444人(中国発表分補正)とされる。まさに世界的大流行(pandemic)で、中国寄りの姿勢を一貫して崩さないテドロス事務局長が主導するWHO(世界保健機関)の見通しがいかに甘かったを歴然と示しており、それ自体が、篠田さんが指摘するように、⇒【事務局長の発言をめぐる一連の事態は、現実分析と評価が難しい中で国際政治がうごめいていることを示している】ことの、紛れもない一面だ。国際協調は常に主導権争いの仮面を被る。
ウイルスや病態自体の科学的解明とは別に、世界規模の影響力の大きさからみて今後ますます、国際政治上の大きな争点になるのは避けられない。展開次第では東京五輪開催の是非が些事として吹き飛ぶ可能性もある。経済への大打撃が早速憶測されているからだ。
そうしたなかで、習近平主席の訪日が延期された。中国全土の感染者は80,552人、死者は3,042人(6日正午発表)と、感染者で世界の81.89%、死者で88.33%を占める中国の動向が今後とも最大の焦点になるが、湖北省を除く中国の感染者増は、6日こそ143人と3桁に戻ったものの、数値だけみると収束傾向が顕著で、体制の維持、安定、責任回避への焦眉の課題である経済活動の再開による立て直しが急務の中国を軸とした国際政治上の駆け引き、情報戦が一層激化しそうだ。
全国休校措置の合理性や決定過程をめぐる議論に加え、国民の間に広がる混乱やマスクやトイレットペーパーなどの物不足、PCR検査体制の立ち遅れなど、個別的な問題をめぐって議論が拡散し、感染の急激な拡大抑止策への国民的合意が進まないなか、官民を問わない危機管理意識の欠如が際立っていただけに、ようやく国際標準の入国制限に舵を切った形だ。
日本経由を含め、米国が日本からの入国制限に踏み切る最悪の事態も想定され速やかな決断が迫られていただけに、さまざまな側面で今後出てくる日本への懸念拡大や批判、水面下で自国への国際世論の風当たりを回避するために日本や韓国外しに動きかねない中国の出方も含め、あらゆる側面で出先の見通せない対応が続きそうだ。
日本に向けられる諸外国の目がいかに厳しさを増しているかは、6日に日本人観光客15人が、感染の疑いがあるとしてハンガリーで検査のためいきなり隔離されたことに象徴されるように、今後も出てきそうだ。
そうしたなか、いち早く平年より異様に早い桜の開花予想が伝えられても浮かない国民は、身の回りの危機回避、危険防止の自衛策に必死になっており、本欄で狂信的な「クズ」投稿を連発する偏執狂の老婆も、殺気立っているようだ。
田中の意地悪な観察だと、その時々の時流に媚びた、特定の信条や信念に固執した議論、「世界平和とか、人類更生とか、あるいは核戦争防止とかの妙策や念願を書きつづった…精神病の医者に回したほうがよさそうなものも…精神病者の妄想にも時局の反映する場合が少なくないという…正気と狂気の境が判然としなくなって、とんでもない妄想が大衆化され、集団ヒステリーのもととなったりする危険も…一足飛びの理想論だけが大衆化されて、精神病者の妄想までも支配するようになったりしたのだとすれば…すでに何か警戒を要する現象」(『直言、そして考察』、1971年、16~18頁)となる。
6⇒【中国人をはじめとする観光客を締め出すと、外貨が稼げない。現在の事態はいかに人、物を含めて、国際社会が密接につながっているかを示している】とはいっても、現に中国は日本や韓国から北京や上海に入国すると、国内感染を危惧するという名目で2週間の待機を先に打ち出しているように、中国にやたらと「ごまをする」(κολακεύω)「おべっか使い」(κόλαξ)の老婆らしい、ご都合主義の二重基準の妄言だ。
何の借りがあるの分からないが、6②⇒【中国と韓国からの帰国者は2週間入国させない、のような大げさな措置は必要ないし、この政策は国際協調路線に水をさす】もトチ狂った議論で、そもそも「中国と韓国からの帰国者」=日本人だけではないし、見境のない「国際協調路線」で問題が解決するほど、事態は単純ではなかろう。国内問題との建前はともかく、中国が感染者が出た台湾当初を、WHOの協議にオブザーバー参加も認めなかったように、国益と国際協調を常に使い分けるのが国際政治の現実だろう。
外国人を危険とみなし、当局間は激しい衝突。最初の感染者をヒステリックなまでに詮索し、専門家を軽視し、感染させた疑いのある者を狩り、デマに翻弄され、愚かな治療を試し、必需品を買い漁り、そして医療危機、マンゾーニの小説というより、まるで今日の新聞を読んでいるようです。
冷静さを保ち、集団パニックに巻き込まれないでください。基本的な対策、手洗いやうがいなどを怠らず日常生活を続けてください。・・家にこもっている理由はありませんが、スーパーや薬局に殺到しマスクを探しに行く理由もありません。マスクは病気の人に必要なものです。・・と続け、社会と人間性、私たちの最も貴重な資産を守るために、文明的で合理的な思考をしましょう,で結んでいる。相模原でまた感染者が出、家庭内感染である、つまり、親が子供に移してCovid19が感染している現状をみるとき、本当に、全国一斉の休校が必要であったのか、と思う。また、マスコミの人々がデイールや覇権争いの観点だけからものを見るのをやめて、どうすれば、私たち日本人が社会と人間性を守れるかについて、文明的で合理的な思考ができなければ、医療崩壊、必需品不足に陥って、日本はCovid19に負けてしまうと危惧する。
7⇒【日本の医療水準で、通常の医療を受けることができれば、感染率は高くても、このCovid19で死亡することは少ない、ということを意味】というのは、老婆が敵愾心を燃やすテレビでもお馴染の専門家、感染症の専門家岡田晴恵氏や医師の久住英二氏らが当初から一貫して主張してきたことで、致死率のカギを握るのは、現在の医療体制の円滑な運用を妨げるような、感染者の急激な拡大によって医療現場が混乱したり、院内感染などで機能不全に陥る医療崩壊を未然に防止したうえでの、重症者対策に絞るべきだという主張に結局は行き着く。
無学な老婆の主張は事実誤認が多く、主張が一貫せずコロコロ変わるうえ、それまでの主張と正反対の(ἐναντίος)の主張を臆面もなくするのも厭わない。自らのそれまでの主張を否定する(ψεύδειν)内容であっても、愚鈍だからそれに気づかないか、恥知らずにも頬被りして、矛盾する(ἀντίφωνεῖν)内容の議論をして、平然としていることだ。
自己矛盾(ὑπεναντία λέγειν αὐτὸς αὐτῷ)しているのをお構いなしに益体もない議論に躍起になるのは、お調子者の狂信家の虚勢と愚鈍さゆえの他愛もないおしゃべりにすぎず、過激な剥き出しの攻撃性は、一種の病気だ。憤激の程度は知性と反比例(ἡ ἐναντίος ἀναλογία)するのは、老婆の「クズ」投稿ををみているとよく分かる。
今回の騒動が軽躁な老婆を刺激したようで、暇をもて余した老人というのはどこまでも他愛なく、救い難い。[完]
イタリアを代表する国民的作家であるマンゾーニ(Manzoni, Alessandro, 1785~1873)の代表作で、ダンテの『神曲』と並び称される長編小説『許婚』というか『婚約者』(“I promessi sposi”, 1840) について、たとえ友人由来とはいえ、「ドイツ狂い」の無学な婆さんから聞くとは思わなかった。
ペストが猖獗を極めるロンバルディアを舞台にした信心深い若き婚約者たちの試練の物語は、イタリア人なら知らぬ者はいないが、日本語のまともな読解も覚束ない虚飾家の法螺話は滑稽を通り越して、ある種の悲惨さが漂う。
16⇒【どうすれば、私たち日本人が社会と人間性を守れるか…医療崩壊、必需品不足に陥って、日本はCovid19に負けてしまうと危惧】も、取りとめがないなりにもっともな御託だが、齢70近いのなら、せめてまともな日本語が綴れるようになってから、ご大層なことは宣ったらよい。
軽薄極まる口真似とは言え、コピペ狂いが、【文明的で合理的な思考】でもあるまい。何を戯けたことを、と溜息しか出ない。
老婆は、「気がしれない」と書くべきところを15⇒【はかりしれない(計り知れない)】と書くような言語感覚のもち主で、もはや手遅れだとしても、何とかならないものかと、その知的レベルの低劣さを嫌というほど見せつけられ、陰鬱な気分になる。
だから、老婆にかかると、「本末転倒」は「主客転倒」に化ける。それが、単なる書き間違いでないことは、老婆の文章全体に漂う品のなさ=精神の型にも如実に窺える。
結局、人間の理解力(καταμανθάνειν ῥώμη)、ものを考える思考力(διανοεῖσθαι ῥώμη)は、母語の水準に帰着する。海外留学経験者や帰国子女に限らず、外国語を能くする人士の多くの日本語の水準がとても教養人のレベルとは言えないほどお粗末なのは、日本語の能力、結局思考力の未熟さ、欠乏に行き着く。
国際理解、協調を説く国際通が、使いものにならない人物が多い所以だ。
偏執狂の老婆がそのいずれも欠いており、何の思慮もないことは明白だが、文明(παιδεία)でも文明化された(πεπαιδευμένος)、われわれが現在享受している生活でも、それが脆くて危ういバランスの上に成り立っていることに一向に思慮が及ばないのは偏狭な近視眼的狂躁ゆえで、目前の危機に盲目であるのを示し、文明や合理的思考の徹底から遠ざかること甚だしく、事態を悪化させるままに手をこまねく愚鈍に至る。
老婆の主張など、唐人の戯言に似て一顧だにされないから無害だろうが、その狂態は浅ましい。
現在必要なのは、危機の本質を見抜く戦略的思考であり、最悪の事態を想定して、遅滞なく選択可能な手段を講じて急激な感染拡大を食い止め、被害や損失を可能な限り最小化する危機管理で、そのために負託された権力の運用を合理的に行うことだ。
『論語』に、「人、遠き慮んぱかりなければ、必ず近き憂い有り」(「衛霊第十五」)という。政治家の最も大切な資質は、局面展開にとらわれず将来を展望する眼力であり、それに基づき躊躇せず果断に行動に移す決断力であって、それを託すに足る安倍首相以外の人物をもたないのが、この国の現状であり実力なのだから、もはや結論は出ている。
もとより、相手が未知のウイルスであってみれば、常に不可測の事態が起こることも想定のうちで、代替的な緊急避難策も用意したうえで、後追い的な戦力の逐次投入ではなく、時を選ばず果断に対処しなければならない。
民主制国家であっても政治は本性上、将来の不確実性との闘いであり、挑戦だから、最終的な政策決定は政治的な正統性をもつリーダーの決断に委ねざるを得ない。
「曾子曰、士不可以不弘毅、任重而道遠、仁以爲己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎」(「泰伯第八」)
2月21日・213⇒【中国の方がひょっとしたら、医療インフラは強いかもしれない、と当初から思っている】
⇒《重病者を治療、することではなく》《中国の方が…医療インフラは強い》と称する人間が、重症化して死亡が相次いだ高齢者について、次のように書く。
6日・7⇒【現実に亡くなった方も中国で5人に1人…80歳代…その事実から考えた時、日本の医療水準で、通常の医療を受けることができれば、感染率は高くても…死亡することは少ない、ということを意味】
お頭が特殊だから、何の矛盾も感じない。
中国の方が医療インフラが整備されているなら、なぜ湖北省での致死率4.21%、中国全体で3.75%のような惨状を呈するのだろう。日本の現時点での致死率は1.52%にすぎない。
2月22日・216⇒【ダイアモンド・プリンセス号の場合…2月18日時点で、531名が陽性と判定され…2月5日時点の乗船者の14.3%…感染率からいけば、(武漢の=筆者註)20倍の感染者…中国全土に広げると、2000倍…どうしてこれほどの感染率…船内の…感染病対策は、野戦病院のような中国の武漢と比べてもよくなかった】
その舌の根も乾かぬうちに、
6日・6⇒【そもそも、このクルーズ船でのCovid19は、日本の領土で発生したものではなく、海上】
6日・7⇒【ダイアモンドプリンセス号で日本がCovid19菌を培養した、というアメリカのメデイアの論調を信じ、日本のテレビをはじめとするマスコミが世界中に広めるからおかしなことになる】
なんの痛痒も矛盾も感じないらしい。
偏執狂の老婆にとって、合理的な思考とは、何なのだろう。
「子曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼」(「子罕第九」)
中国の方が医療インフラが強い、と書いたのは、最初は高齢者を含む感染者が武漢の病院に殺到して、医療崩壊が起こり、たくさんの人々が亡くなったが、その武漢は危機から脱しつつある。それは、中国は社会主義、一党独裁の国なので、人権を制限して相当なことができるからである。習近平さんの指導の元での、Covid19患者の為の新規の病院建設、隔離のための簡易宿泊施設、一人一人の行動チェック、それに基づくSNSを使ったCovid19の汚染マップの製作、昨日のプライムニュースに南京市の例も出ていたが、日本でなら、人権問題や、土地の所有権、あるいは、風評被害、と弁護士会やマスコミがその一つ一つに反対し、騒いで、とてもできない対策である。私が一番恐れていることは、持病を持つ人、高齢者と感染者が接触し、彼らの病態が重病化し、病院のベッドが足りなくなることである。日本の医療崩壊が起こり、治る病気も治らなくなる。合理的に考えると、その為に必要なことは、高齢者と感染者の接触を断つことで、一番接触が起こる可能性のある場所は、持病の治療の為に順番をまつ人とPCR検査を求めて感染者がやってくる人がかちあうクリニック、診療所なのである。このクリニックは、ダイアモンドプリンセス号と同じで、感染病用に作られていないので、グリーンゾーンとレッドゾーンを明白に分ける、ということは不可能に近い。マスク問題でも同じである。予防の為にあった方がいいが、本当に必要な部門にいきわたらないと大変なのだから、専門家なら、その優先順位をきちんと示すべきなのである。
まず、そう訴えた人々がCovid19感染者や危険地帯(中国、イラン、韓国)と関係があったか、を調べる。(日本が入っていなくて、安心した。)
検査の為には防御服が必要であるが、その必要な防御服は大部分、中国で生産されているために、品薄状態なので、診療所にない場合は健康省に問い合わせてほしい。また、患者が健康省に直接電話をして、家で検査を受けることもできる。
一番大事なことは、このコロナウィルスに汚染したかもしれない人が、家庭医に自分の足で行くのではなくて、まず、電話をしていただきたい、ということである。
というのは、もし検査が陽性であったら、その診療所の診察は汚染の危険性があるから、一定期間閉じることになる。そうなると、Covid19だけではなく、他の病気の患者の健康状態に影響を与えるからである。
私が書いたことと似たことであるが、この見解が本来、文明的、合理的な思考法の結論なのではないのだろうか。
もともと、お頭に蜘蛛の巣が張ったような要領を得ない、誇大妄想的議論しかできない我執(πικρία)の塊のような人物だから、その中身たるや、事実誤認と誤記だらけ、しかも論理法則を無視した「白痴」(ἠλίηθιος)に等しい取りとめがないもので、下らない身の上話に寄せて、お為ごかしの綺麗ごとを並べて、何かを論じた気になる他愛もないものだ。
老婆の他愛もないおしゃべり(ὁ λεγόμενος γραῶν ὕθλος)、とソクラテスが揶揄した弱論強弁(τὸν ἥττω λόγον κρείττω ποιεῖν)、空理空論(ἀδολεσχία)に基づく、牽強附会(λόγῳ ποιεῖν)の典型的な「物語思考」(εἰκὼς λόγοι)の法螺話を、暇に飽かせて撒き散らしているにすぎない。
文字通り「クズ」に等しく、おまけに怠惰(ἀργία)だから他人の主張の剽窃(τὸ μιμεῖσθια)に等しいコピペといい、相手の主張を自分の言葉で要約するのを極端に厭う、横着者(ὁ ἀργός)特有の引用符皆無の字数稼ぎのコピペといい、投稿の体裁を装った(προσποιεῖσθαι)日記まがいの幼稚な、文章とも呼べない粗雑極まる文章で、早朝から狂犬(μανικός κύων)のように吠え、書き散らす。
盗み癖がついているから、他人の口真似で、24⇒【文明的で、合理的な思考力】のような、莫迦丸出しの狂態を臆面もなく繰り返す。
24②⇒【私たちの時代…高校入試は、知識を問う試験ではなくて、思考力試験であった】とはいえ、それが一向に身につかない独りよがりな(αὐθάδης)、ドイツ仕込みの、常に自分が正しいと言い張る(Rechtshaberei)狂信性(μανικός)は、比類がない。
合理的(λογικός)とは「論理的」の謂いで、偏執狂の老婆くらい「論理的推論」から遠い存在もない。老婆には破れかぶれ、行き当たりばったりの実感信仰しかない。狂心的な「ドイツ狂い」も含め、25⇒【私が書いたことと似たこと…この見解が本来、文明的、合理的な思考法の結論】のような妄想に生きている。
それに伴ってclusterは、いつの間にか「クラッシュ」に化け、PCRは時に「HCR」に転じ、新型ウイルスの2種類の型のうちのS亜型がA方型にすりかわり、このところ16日間、感染者を一人も出していないという中国・南京市の力ずくの封じ込め策を現地在住の日本人ジャーナリストの報告で取り上げた番組は、「TBS報道1930」ではなく、BSフジ「プライムニュース」に化ける。
訂正は一切ない。特に私の指摘に対して意地になって無視を決め込む幼稚さだ。
そういう「K印の阿呆」(Κ σημεῖον ἠλίηθιος)に限って、3⇒【大事なのは、真理愛、「真理の翼、羽ばたけば、若き瞳の輝くを。」である】のような与太話をする。
吉川幸次郎が作詞した神戸高等学校の校歌の一節だが、偏執狂の老婆くらい、それに不似合いな人物も珍しい。母校の名誉に泥を塗る面汚しの行為だろう。
大型クルーズ船の感染者は606人、感染率こそ16.33%だが、死者は6人で致死率は0.99%だ。文字通り閉鎖空間での連鎖的集団感染=clusterで、武漢と比べるのは不当だ。致死率に至っては武漢や湖北省(4.21%)とは雲泥の差だ。
メディアへの矯激な批判、今回の感染禍だと専門家への敵愾心と虚勢は、もはや常人の域を超え、狂気が咲き誇って(ἄκμαῖος)いる。
27で言及した偏執狂の婆さんの母校、神戸高等学校の校歌の歌詞は、前段部分を含めて正確に引用すると、
⇒【きみみずや学問のきびしきめざし/わがものときわむる自然人文の/真理のつばさはばたけば/わかきひとみのかがやくを】であって、
婆さんは記憶で引用したのだろうが、およそ、表記や用語を含め、一字一句間違えない引用ということが、その杜撰極まる神経や性格では手に余るようだ。
だから、その議論も極めて杜撰でルーズであり、生来のそそっかしさに伴う早とちりも含め、理解力(καταμανθάνειν ῥώμη)、畢竟思考力(διανοεῖσθαι ῥώμη)が極端に低劣な原因になっている。
だから、24⇒【本当に社会に必要な能力は、知識の量や哲学を勉強したかどうかではなくて、文明的で、合理的な思考力】のような、凡庸で陳腐な俗論しか、その憐れむべきお頭には詰まっていない。
哲学に限らず、自然科学や工学はもとより、法学でも政治学、経済学でも、歴史学や社会学、あるいは心理学でも言語学でもなんでもいいが、およそ学問(μάθημα)の名に値する研究に真面目に取り組んだ人間なら、婆さんの主張するような、しばしば世間で耳にする「社会に必要な能力」が、単なる経験知(φρόνησις)を一歩も出ない、古ぼけた雑識(δόξα)の集積でしかない、一時代前の俗信(ψευδῆ πίστις)の残り滓、なれの果てなのが大半だ。
ケインズの言ではないが、人は、何らかの「過去の廃れた思想の奴隷」(the slaves of some defunct idea)でしかない。
実際のところ、自分の考え(Selbstdenken)など、実際には何もない。玉葱の皮を剥くように一枚一枚剥いでいくと、後には何も残らないのがほとんどだ。老婆に限らず、人々がしがみつきたがる、「自らの考え」と称するものは、長いことかけて貯め込んだ、思想や経験という名の過去の雑識=ガラクタの寄せ集めでしかないからだ。
「どのような知的影響とも無縁であると自ら信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である。権力の座にあって天声を聞くと称する狂人たちも、数年前のある三文学者から彼らの狂気じみた考えを引き出しているのである。私は既得権益の力は思想の漸次的な浸透に比べて著しく誇張されていると思う。もちろん、思想の影響は直ちにではなく、ある時間をおいた後に行われるものである。」(‘Practical men, who believe themselves to be quite exempt from any intellectual influences, are usually the slaves of some defunct economist. Madmen in authority, who hear voices in the air, are distillimg their frenzy from some academic scribbler of a few years back. I am sure that the power of vested interests is vastly exaggerated compared with the gradual encroachment of ideas.’(“The General Theory of Employment, Interest and Money”, 1936, The collected writings of John Maynard Keynes, Vol. VII. 1973., p. 383)
ここで問題なのは、偏執狂のカ氏が、それを充分に自覚していないことだ。だから、中途半端な、理解とも呼べな半可通(ἡμιπόνηρος)で、ものごとの全体像を取り違える世の阿呆の見本のような莫迦話を連日にわたって、懲りもせず晒すことになる。
その莫迦さ加減は、怒りにまかせて吠えるように書き殴った「クズ」の見本、28にも顕著で、ここでもコピペ狂いぶりを発揮して私の26~27から好き勝手にコピペして、まるでパッチワークのように下らない「クズ」投稿をでっち上げる。全文の53.2%=252文字はコピペという手の抜きようで、【どちらがくず原稿なのか】【具体的になにをさすのだろう】と惚けている。
「K印の阿呆」が直情径行的に投稿に名を借りた「鸚鵡返し」の意趣返しで憂さを晴らしている。玉葱の皮を剥くように、その都度莫迦さ加減が露呈し、嘘とでたらめが明らかになる。
‘El tonto es vitalicio y sin poros.’――莫迦は死なねば治らない。
私が本欄で指摘していることは、別に不当な誹謗中傷(λοιδορία καὶ συκοφαντία)でも何でもない。すべて充分に信ずるに足りる(ἀξιόπιστος)客観的な事実(ἡ καθόλου ὅτι=objektive Tatsache)の指摘で、主観的な推定(λογίζεσθαι)や憶測(δόξασμα)に基づくものではない。
その都度、具体的証拠(τεκμήριον)を示して論じているから、婆さんが如何なる印象をもとうと、その正当性ὀρθότης)は毫も変わらない。「まさにそうである事実」(οἷα ἦν ἢ ἔστιν)を示している。反論したいなら、泣き言(τὸ βοᾶν)ではなく、具体的な事実、証拠を提示して論証するしかない。
いずれにしても、私の議論が提示する老婆の愚劣な議論(λήρησις)と醜悪極まる人間性(τὸ ἀνθρώπειος)、杜撰で稚拙な文章、お粗末な措辞のすべては、前回で通算3,532件に及ぶ私の本欄への投稿に基づいた、カ氏の愚行の集積『カ氏(瑕疵)誤録』にすべて逐一記録されており、変更の必要を認めない。
それにしても、無学な老婆は、常に言い訳(ἀπολογία)、言い逃れ(πρόφασις)である。最近では読者も愛想を尽かしているから欺かれることもあるまいが、その場しのぎのでまかせ(λέγειν συμφορά πρῶτον)で虚勢(ἀλαζονεία)を張っても、無駄なことだ。
無駄口を叩く(ἀδολεσχεῖν)だけで、老婆の議論も人格も、何ら尊重する(ἐτίμησα)に値しない。
笑止なことに、至る所で(πανταχοῦ)戯言を言って(φλυαρέω)思い上がり(μέγα φρονεῖν)、憂さを晴らしているかと思えば、34のように、何の工夫(στροφή)もなく、ひたすら、支離滅裂な主張で、要領を得ない見え透いた弁解(ἀπολογία)、言い逃れ(πρόφασις)、頬被り(ἐάω)、居直り(τὸν κρείττω ποιεῖν)、強弁(λόγῳ ποιεῖν)、愚痴(συκήπτεσθαι)、繰り言(μεμψιμοι)、恨み(ἐπονείδιστον)、怨嗟(φθόνος)逆恨み(φθόνος)、負け惜しみ(διαφιλονεικοῦτες)に終始し、自己の浅ましい行状の正当化(ἀπολογεῖσθαι περί)に躍起になっている。
老後の暇つぶし(διατριβή)に、不平不満を愚劣な文章で並べ立てる(ἀπολογίζεσθαι)ことしかできない。
平然と嘘八百を並べる生まれつきの虚偽体質(ψεύστης ψυσικός)で、気に入らないこと(τὸ ἀκούσιον)に非を鳴らし、愚にもつかない(φαῦλος)御託と愚鈍さを前面に押し立てて、愚行の限りを尽くし、書けば書くほど誤謬を重ね墓穴(τὸ σῆμα)を掘ることで、悪循環に陥っている。
老婆の苛立ち(ὀργή)や焦慮(μανία)は、その軽薄さ(κοῦφος)と倨傲(χαυνότης)にある。
比類なき凡庸さ(τὸ ὑπερβολή μέσος)に、救い(ἡ βοήθεια)や取り柄(ἀξία)は、どこにもない。
彼は、歴史家、社会学者、博士号をもつ医師である。定年まで、彼はデユッセルドルフのハインリッヒ・ハイネ大学の医学史と医学の歴史研究所の所長だった。彼の執筆した「人間衛生学、近代の健康と医学」は基本図書とみなされている。長年、Labisch氏は、日本と中国の提携大学と共同研究をしている。2016年に彼は北京外国研究大学から、名誉教授号を与えられている.
子供は、大人と同じように感染するが、病気にはならない。
Das neuartige Coronavirus scheint Kinder bisher weitgehend zu verschonen. Eine aktuelle Studie zeigt, woran das liegen könnte.
Demnach stecken sich Kinder ebenso häufig mit dem Erreger an wie Erwachsene. Sie entwickeln aber keine oder nur leichte Symptome. Für die Analyse hatten die Mediziner Patientendaten aus der südostchinesischen Metropole Shenzhen ausgewertet.
新たなコロナウィルスは、今までのところ子供に危害を与えていないようだ。この研究はどこにその原因があるか示している。それによると、子供は大人と同じように感染するが、無症状あるいは、軽症の兆候をたどる。これは中国の大都市、深センの医師の患者のデータである。
詳しい詳細は、Epidemiology and Transmission of COVID-19 in Shenzhen China: Analysis of 391 cases and 1,286 of their close contacts参照。https://www.medrxiv.org/content/10.1101/2020.03.03.20028423v1
どこが、私の主張が、老婆のまやかし、ごまかしなのだろう。
きちんとエヴィデンスがここにある。
研究者は391人のCovid19の患者、特にコロナウィルスで発症した肺炎の患者、を調査した。その結果
1 91%が軽症あるいは中程度だった
2 平均は45歳、住民の平均年齢よりは高い
3.女性の方が男性より少し多い
4.半数以上が回復している。
5.回復するまでの期間は平均32日
研究者はこの患者の接触者1286人のうち、どれだけの人がテストで陽性反応になったか、も分析している。結果:平均は8-9%、年齢には関係ない。子供も同じように感染するが、彼らは病気にならないのだろう、とボルテイモアのJohn Hopkins大学の公衆衛生のJustin Lesslerさんは述べている。
Covid19の患者と同居して、密接な接触をもつ人は同じ住居で生活しない人と比べて6倍多く感染するリスクがある。一緒に旅行することも、感染のリスクを高める、。
子供がCovid19に感染しても、子供が大人より感染しても重篤な症状にならないという明白な分析はすでにあった。けれども、その原因が、子供が感染しないせいなのか、子供がウィルスを大人よりよく撃退することができるせいなのか、はわからなかった。今回の研究は、後者であったことを示している。
私は、不安を煽っている岡田博士に脅威を感じ、批判していたのであるが、自分がコメント16に書いたミラノの高校の校長の言葉を思い出した。ミラノの高校長はマンゾーニの名著、許嫁、からの引用し、まるで今日の新聞を読んでいるようですとした上で、冷静さを保ち、集団パニックに巻き込まれないでください。基本的な対策、手洗いやうがいなどを怠らず日常生活を続けてください。・・家にこもっている理由はありませんが、スーパーや薬局に殺到しマスクを探しに行く理由もありません。マスクは病気の人に必要なものです。・・と続け、社会と人間性、私たちの最も貴重な資産を守るために、文明的で合理的な思考をしましょう,で結んでいる。岡田晴恵博士は、致死率が低いウィルスだということを十分承知されているはずなのに、集団パニックを煽っている。一体どういう了見なのだろう?
安息日の早朝から、我を忘れ(ἀσχολεῖσθαι)て大騒ぎしている(χαλεπῶς φέρειν=make a fuss about)。何とも滑稽(γελοῖος)で悲惨(πονηρία)だ。興ざめで騒々しい「見せもの」(ἡ ἀπόδειξις)を見せられているようだ。
匿名のネット空間とはいえ、「自分を見せものにして」(ἐπιδείκνυσθαι)も何ら意に介さないような、捨て鉢というか、強靭な神経(στερεός νεῦρον)は、まるで本物の狂人(ἄνθρωπος μαίνομαι)のようだ。
既に96の国と世界中に地域に拡散した新型コロナ感染禍による婆さんの一人芝居=狂想曲は花盛り(ἄκμαῖος)である。世が騒然としてきた時にしばしば見かける現象で別段珍しくもないが、感染症とは別なその方面の医師に相談した方がよさそうな雲行きで、「精神病者の妄想にも時局の反映する場合が少なくないという…正気と狂気の境が判然としなくなった、とんでもない妄想」(田中美知太郎「理想論の先走り」)というか、一種のヒステリー状態(δυσχερής ἕξις)というのは、日頃の「布教活動」とやらで、トチ狂った神憑り状態(ἐνθυσιασμός)はおてのものの「ドイツ狂い」のいかれた(ἐμένα)Weizsäcker宗の「巫女」(προφῆτις)らしく、すぐ興奮して大騒ぎする(πολυπράγμων=bustling)婆さんの面目躍如で、返す言葉に迷う。
老婆が大騒ぎする(πολυπραγμονεῖν=bustle)、中国と韓国に対するあす9日からの事実上の入国制限に先立って、メディアなどが伝える一足早く駆け込みで入国した中国人の反応の方がよほど冷静で、政府の対策強化に理解を示しているのと好対照だ。
38⇒【ケインズの言葉が大量に…彼は感染病の専門家ではない】と老婆には不興のようだが、ケインズの冷徹な議論は、現在のような危機的な状況に臨む、しかも不確実な未来に向けた人間行動について考えるうえで、その根拠となる蓋然性=確率の解釈をめぐる精細な考察だったり、普通の人間を支配している思想とか信条、観念が当の人物によって充分考え抜かれたものではなく、人は自分の頭で考えていると思い込んでいる割には、その内実は「過去の廃れた思想の奴隷」(the slaves of some defunct idea)でしかないことを抉り出しているのを示したにすぎいない。
感染症対策は、純粋な疫学的、医学的問題ではなく、社会や経済に対するその影響の甚大さからみてすぐれて政治的テーマであり、民主制における合意形成と、どんな政治体制であっても権力を運用する主体である政治家の行動における合理性と説得力の関係を、ケインズくらい徹底して、単なる経験的知見レベルではない深みから考え抜いた人間はいないからだ。
凡庸な大衆人気質である老婆が信奉するゲーテや松下幸之助は、それぞれ卓越した詩人であり経営者ではあっても、その知恵なるものは陳腐な「実感信仰」(τὸ ἐμπειρικός)に基づく「世間知」の集積にすぎず、普遍妥当性(Allgemeingültigkeit)を要求できる種の「知」(ἐπιστήμη, φρόνησις, σοφία)ではない。
よくある知識(ἐπιστήμη=scientific knowledge)と知恵=賢慮(φρόνησις=practical wisdom)に分け、現実社会における知識の無力と知恵の重要性を説く議論があるが、(「知識はあっても知恵がない」)、それこそ徹底した考察を欠く俗論(ψευδῆ δόξάζειν)の典型だ。
知識を欠いた知恵など、厳密には存在しない。
そうした俗信を含め、無思慮な多数者の行動や信条が畢竟、階級や階層とは別な「精神の型」である「大衆気質」に根ざすことを喝破したのが、これも本欄で繰り返し紹介している、ケインズと同年生まれ(1883年)のスペインの哲学者オルテガ・イ=ガセで、大衆化社会が本格化した第一次大戦後の状況と現在は、ある種似た状況があるからだろう。
私は、歴史に学ぶと称する類型的な(τῷ ἀνάλογον)思考、所謂「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」(„Nur ein Idiot glaubt, aus den eigenen Erfahrungen zu lernen. Ich ziehe es vor, aus den Erfahrungen anderer zu lernen, um von vorneherein eigene Fehler zu vermeiden.“)式の一種の無批判なモデル思考をあまり重視しないが、人間とはそう簡単には変わるものでないことは、このところ、マスクばかりでなく、根拠のないデマ情報と半ば知りながらトイレットペーパーや消毒用アルコール液の入手に奔走する国民の「危機意識」の即物性ゆえの他愛のなさ、畢竟「観念性」を物語っているようで、いろいろ考えさせられる。
ケインズやオルテガに共通するのは、自己懐疑の能力だ。彼らはある意味、大衆どころか専門家と称される別種の大衆も信用していない。オルテガが言う大衆とは、出自や貧富、職業、学歴などには関係ない、凡庸さに安住している(στέργειν=estar contento)多数者(οἱ πολλοί)だからだ。
「われわれの時代を代表し、支配しているような人間の種類はもしくは人間性のあり方を指している」(‘que por lo mismo representa a neustro tiempo, sobre el cual predomina e impera Ahora vamos a ver esto con sobrada eviencia.’)。
「ところが愚者は自分を疑うことをしない。彼は自分が極めて分別に富む人間だと考えている。愚鈍な人間が自分自身の愚かさのなかに腰をおろして安住する時の、あの羨むべき平静さはそこから生まれている。われわれはどうやって、住みついている穴から外へ出すことができない昆虫のように、愚者にその愚かさの殻を脱がせ、しばしの間、その盲目の世界の外を散歩させ、力づくで日頃の愚鈍なものの見方をより鋭敏なものの見方と比較するように強制する方法はないのだ。莫迦は死なねば治らないのであり、救いの道はないのである。」(『オルテガ著作集』第2巻、桑名一博訳118~119頁)
‘El tonto, en cambio, no se sospecha a sí mismo: se parece discretísimo, y de ahí la envidiable tranquilidad con que el necio se asienta e instala en su propia torpeza. Como esos insectos que no hay manera de extraer fuera del orficio en que habitan, no hay modo de desalojar al tonto de su tontería, llevarle de paseo un rato más allá de su ceguera y obligarle a que contraste su torpe visión habitual con ortos modos de ver más sutiles. El tonto es vitalicio y sin poros.’=José Ortega Y Gasset; ‘‘La leberión de las masas.’’, Obras Completas, Vol. 4, p. 187)
今さら、児童文学の研究者でもある岡田晴恵氏が、45⇒【パンデミックの本を書かれていることがわかった】でもあるまいし、②⇒【私は、不安を煽っている岡田博士に脅威を感じ、批判】、③⇒【致死率が低いウィルス…を十分承知…パニックを煽って】という妄想も、偏執狂特有の悪意に満ちた(φάρμακον)ヒステリー症状(νοσώδης)なのだろう。
テレビ漬けになって、真っ当な思慮分別をかなぐり捨て、狂気の一人芝居に余念がないようだ。[完]
愚鈍さにおいて、双方選ぶところはない。もっとも、皆偏執狂の婆さんより「のみ込み」(συνιέναι)が早いから、興奮が冷めるのも早く、一種恬淡な(ἐλευθέριος)ところがあり、いち早く、潔く(ἀνδρικως)頭を切り替える。日本人のある意味弱点であり、美質につながる潔さ(ἡ ἀνδρεία)は、そこから生まれる。
何ごとによらず日本は、潔いこと(τὸ ἀνδρεῖος)が貴ばれる社会で、愚にもつかないことを言い募って四の五の言って往生際が悪い(ἄνανδρος)人間は、役立たずの「ならず者」として、毛嫌いされる。
頑迷固陋(ἡ αὐθάδεια καὶ σκληρότης)という言葉がある。狷介固陋という言い方もある。両者は微妙に違う。
頑迷さ(αὐθάδεια)、陋劣さ(τὸ αὐθάδης καὶ πονηρός)というのは、精神の、心的働きの膠着状態のことで、頑なで独りよがりな(αὐθάδης)精神は、そのまま婆さんのような愚鈍に直結する。
スペイン語で「閉鎖的、密室的な魂をもつということ。…知的閉鎖性」(‘tener obliterada, hermética, el alma. En este …hermetismo intelectual’)といわれる時の、閉塞的(obliterada, obliterar=閉塞、遮断)、密室的な(hermética=頑なな、片意地な)というのは、そうした「精神の狭量さ」(σμικρολογία)で、ラ・ロシュフコーなら「精神の狭量は頑迷をもたらす。われわれは自分の理解を超えるものをなかなか信じようとしない。」(‘La petitesse de l’esprit fait l’opiniâtreté, et nous ne crpyons pas aisément ce qui est audelà de ce que nous voyons.’=La Rochefoucauld; Maximes 265)となる。
ところで、世界中の感染拡大が止まらない。中国国内の感染が一見して急激に沈静化の傾向が出てきたのに対し、イタリアは既に5,883人に達し、北部を中心に国内に移動制限に踏み切った。その他、フランスが949人、ドイツが684人、スペインも477人と防疫上の入国制限ができないEUの弱点がもろに出ている。島国の英国も206人になった。WHOの集計で中国以外の感染者数は24,972人似急拡大した。死者も既に480人に達する急展開だ。致死率は、イランの影響もあって1.92%とかなり高い。
一方、篠田さんが、⇒【現実分析と評価が難しい中で国際政治がうごめいている】とした通り、中国が今後をにらんだ剥き出しのプロパガンダによる戦術転換で、責任の矮小化に乗り出した。
国内の急激な沈静化を楯に、4日の共産党常務委員会で習近平主席が「引き続きウイルスの発生源と伝播システムに対する研究に着手せよ」と号令をかけ、体制引き締めに発破をかけたまでは想定内として、4日の新華社通信は「新型ウイルスの発生源は恐らく国外。中国が誤る必要はない。中国経済は巨大なコストを支払い、世界は感謝すべき」と居直った。
革命政党特有の反転攻勢で、お題目は中国版の「災い転じて転じて福と為す」=「把壊事変成好事」だというから、国内宣伝の意図もあるとはいえ、要警戒だ。
世には、世間知らずの婆さんのように、38⇒【中国の政治体制が…理由で信頼しない…そんな姿勢で、国際協調の外交ができるのだろうか】のような、お人好しが臍を噛む。愚鈍さは自業自得だ。
統計に不自然な部分を数多く残すものの、当局発表の統計を信じるなら、中国国内の感染が一見して急激に沈静化の傾向が出てきたのに対し、世界96カ国・地域で感染者が確認されるなど、感染拡大が止まらない。それにしても、ヨーロッパでの急激な拡大は脅威だ。
改めて数値を確認すると。
韓国は7,041人(死者44人)に迫るイタリアはその後も増え続け、既に5,883人(死者233人=致死率3.96%)に達した。全国の小中高校と大学の休校措置は、事態が逼迫していることを物語る。1,000万を超す国民に影響が出るとされる北部11州を中心に国内の移動制限に踏み切ったのも頷ける。
その他、フランスが949人(死者16人)▼ドイツ684人(死者0人)▼スペイン513人(死者10人)▼スイス268人(死者2人)▼オランダ186人(死者1人)▼ベルギー169人(死者0人)▼スウェーデン161人(死者0人)▼ノルウェー147人(死者0人)――と、軒並み100人を超す。
日本人観光客15人を検査のため拘束したハンガリーはまだ5人で、死者は出ていないが、危機意識が前面に出た形だ。
域内の移動を基本的に自由にするシェンゲン協定により、防疫上の入国制限ができないEUの弱点がもろに出た。島国の英国でさえ206人(死者2人)だ。
それに伴って、WHOの集計で中国以外の感染者数は25,187人に急拡大した。死者も510人に達する急展開だ。致死率は、イラン(5,823人、死者145人=致死率2.49%)の影響もあって2.25%とかなり高い。米国も401人(死者17人)で、カリフォルニア沖の大型クルーズ船の問題もあり緊迫感を強めている。
台湾は45人(死者1人)のように落ち着いている地域もある。
中国の4日以来の情報戦を意識したプロパガンダは、何んとかして体制の動揺を抑えたい、なりふり構わぬ暴慢ぶりが際立つ。
自国が被害者と言わんばかりの臆面のなさで、今後、反撥が強まるのは必至だ。体制維持の至上命題である経済立て直しに手段を選ばない攻勢に出た印象だ。
ところが、マスコミに登場する専門家は、心配だ、という視聴者の苦情に対して、その理由を説明するかわりに、これは、国立感染所研究所を含めたテリトリー争いが原因だ、と主張する。現実には、PCR検査は手間がかかるし、費用もかかるし、クラスター感染者の検査が優先されなければならないから、どの国も希望者すべてにしていない。ところが、もう感染源がわからない、どこで発生してもおかしくないフェーズになっている、どれだけ広がっているかわからない、と平然と主張し、視聴者を不安に陥れ、PCRの即時の大量の実施を主張をされる医師の肩書をもつ専門家がおられる。それほど、PCRが魔法の検査法なのだろうか?また、検査結果がわかったあと、どうするつもりなのだろう?日本の医療機関には、それほど感染病用のベッドはない。
そのことは、ドイツのder Spiegel誌に、知的好奇心の高いドイツ人のためにCovid19と新型インフルエンザの違いについてかかれたものの抜粋した訳である。原文は、
• https://www.spiegel.de/wissenschaft/medizin/coronavirus-was-unterscheidet-covid-19-von-grippe-a-35ebc0dd-f399-4599-8397-2a007af1380fにある。
2.ドイツの場合、ウィルスは、早く拡散しすぎて、医療システムのキャ パを超えるので、隔離はしない。
3.インフルエンザとの違いは、予防と薬の差である。もちろん、中国でさまざまな薬が使われ、Covid19の薬剤が開発されているが、許可された薬剤や療法はない。インフルエンザにはワクチンがあり、特効薬がある。
4.Covid19の生命を脅かすような重症化率はインフルエンザより高い。感染力はWHOのデータによるとインフルエンザウィルスより強い。一人が2人から2.5人感染させる。
5.インフルエンザの潜伏期間、感染してから自覚症状が出るまで3日程度であるのに対して、Covid19は、5-6日である。インフルエンザは、自覚症状が出る前に他人に移しているが、Covid19は発症する24-48時間前に人に感染することが知られている。この事実は、Covid19への対処を安易にするかもしれない。
6. 子供の場合、インフルエンザのように明白な症状を出さない。子供は、大人と同じように感染するが、健康であり続ける、という分析がある。また、子供は大人からこのCovid19を感染するが、大人は子供から感染しない、とされている。子供がこの病気の拡散にどのような役割を果たしているか、今までのところはっきりとはわかっていない。
7.インフルエンザの場合、重症の経過をたどる危険なグループに子供、妊婦、高齢者、慢性疾患をもつ人とされたが、Covid19の場合、今までの研究では、子供と妊婦は危険なグループに含まれていない。
春が本格化する兆しがあちこちに(πανταχοῦ)あって、それで浮かれているわけでもなかろうが、本欄を席捲する新型ウイルスならぬパラノイア気質(παρανοεῖν)の偏執狂の老婆が、夜が明けきらないうちから始まって、要領を得ない(σομφός)自己矛盾する(ὑπεναντία λέγειν αὐτὸς αὐτῷ)堂々めぐり(περιέρχεσθαι)の議論に熱を上げている(ἐξεγείρειν)。
既にどこかおかしい(παραφρονεῖν)のかもしれない。真っ当な分別どころか、正気を失っている(οὐ φρονεῖν)ようだ。54~63に及ぶ「クズ」の拡散は、内容の陳腐さ、明らかな事実誤認、相互矛盾による自家撞着、問題のすり替えと、目も当てられない惨状を呈しており、幼稚で杜撰な(οὐκ ἀκριβής)文章と相まって、何の芸(στροφή)もない素人論議(τὸ ιδιωτικόν)の見本のような愚にもつかない議論に終始する。まさに、「阿呆」ほど、ものを考えないで饒舌に語る(πολύλογέω)。莫迦丸出し、ということだ。
暇をもて余してテレビ漬けの齢70近い、虚飾に満ちた(ἀλαζονικός)老婆の他愛もないおしゃべり(ὁ λεγόμενος γραῶν ὕθλος)にすぎない法螺話(ἀλαζονεία)、畢竟妄想(φαντασία)を、倦むことなく続けるエネルギーは一面大したものだが、中身が伴わない口から出まかせの誇大妄想(ὑπερβολή)、狂犬(μανικός κύων)のアジ演説の類だから、何の取り柄もない愚劣なおしゃべり(λήρησις)、愚痴(συκήπτεσθαι)、繰り言(μεμψιμοι)でしかない。
錯乱している(ἐξίστασθαι)相手の言に一々取り合っても徒労だから最小限にとどめるとして、まずはその「専門家」(τεχνίτης)への極端な憎悪(μῖσος)に至る心理的メカニズム(μηχανική)を、もっと広範な視点からみてみたい。
オルテガがそこで説く、「気の滅入るような光景」(deprimente espectáculo)は、本欄で見当違いな専門家批判を繰り返す、偏執狂の老婆のヒステリーを髣髴させる。
ウイルスに似て、愚劣さも伝染するのだろう。病は深い。
「すぐれた少数者に対する大衆のこの精神的不服従という重大な現象は、政治分野から遠ざかれば遠ざかるほど、一層顕著になる。だから、演劇や音楽会の観客や聴衆は、自分があらゆる劇作家や作曲家や評論家よりもすぐれていると思い込んでおり、お互いに強情を張り合っては喜んでいる。評論家の機知や知識がいかに乏しいとしても、大抵の場合、観客の大部分よりはこの二つの資質をより多くそなえているだろう。観客が評論家の明白な優越性を感じ、正しいと思える場合にはっきりと自立性を守るとしても、精通者の考えに影響されるにまかせるという性向があるのは当然のことだろう。しかしスペインの観客は、これとは逆の精神状態から出発する。すなわち、ある事柄について誰かが彼よりよく知っているのではないかと考えると、われを忘れてしまうのである。
上流社会においてさえ同じことが起きている。最も気が利いていて、最も気品のある婦人は自分の好みや流儀を押しつけることがなく、かえって成金の粗野で無粋な婦人が、自分の莫迦さ加減と一緒にある突飛な流儀を広めている。
われわれはどこへ行っても、多数を占める劣った者が、よりすぐれた者に対して激しく叛逆しているという、気の滅入るような光景に出会っている。
会話においてさえ秩序がないとすれば、どうしてそれがスペインの政治の場にあるだろうか? スペインは政治においてではなく、それより深く、かつ本質的な場所、つまり社会的存在そのものにおいて無脊椎化された身体を引きずっているのである。」(引用続く)
こうした状況から脱しうる道さえないだろう。なぜなら、大衆が自己の生理的な使命、つまりすぐれた者に従うということを拒み、すぐれた者の意見を聞くことも、受け入れることもないからであり、そして集団という環境の中では、常にまとまりのない、的外れで、幼稚な、大衆の意見が勝利を収めるからである。」(桑名一博訳『無脊椎のスペイン』、白水社版『オルテガ著作集』第2巻、318~319頁=一部表記を変えた)。
‘Este fenómeno mortal de insubordinación espiritual de las masas contra toda minoría eminente se manifiesta con tanta mayor exquisitez cuanto más nos alejamos de la zona política. Así el público de los espectáculos y consiertos se cree superior a todo dramaturgo, compositor o crítico, y se complace en cocear a unos y ortos. Por muy escasa discreción y sabiduría que goce un crítico, siempre ocurriirá que posee más de ambas calidades que la mayoría del público. Sería lo natural que ese público sintiese la evidente superioridad del crítico y, reservándose toda la indepensencia definitiva que parece justa, hubiese en él la tendencia dejarse influir por las estimaciones del entendido. Pero nuestro público parte de un estado de espíritu inverso a éste: la sospecha de que alguien pretende entender de algo un poco más que él, le ponte fuera de sí.
En la misma sociedad aristocrática acontece lo propio. No son las damas mejor dotadas de espiritualidad y elegantia quienes imponen sus gustos y maneras, sino, al revé, las damas más aburguesadas, toscas e inelegantes, quienes aplastan con su necedad a aquellas criaturas excepcionales.
Dondequiera asistimos al deprimente espectáculo de que los peores, que son los más, se revuelven frenéticamente contra los mejores.’
‘¿Cómo va a haber organización en la política española, si no la hay ni siquiera en las conversaciones? España se arrastra invertebrada, no ya en su política, sino, lo que es más hondo y sustantivo que la política, en la convivencia social misma.
De esta manera no podrá funcionar mecanismo alguno de los que integran la máquina pública. Hoy se parará una institución, mañana orta, hasta que sobrevenga el definitivo colapso histórico.
Ni habrá ruta posible para salir de tal situación, porque, negándose la masa a lo que es su biológica misión, esto es, a seguir a los mejores, no acectará ni escuchará las opinions de éstos, y sólo triunfarán en el ambiente colectivo la opiniones de la masa, siempre inconexas, desacertadas y pueriles.’(José Ortega Y Gasset; Obras Completas, Vol. 3, p. 95~96)
何をめぐって(περί)でも構わない。とにかく虚栄心の塊のような人物だから、自己主張をしたいのだろう。何ごとによらず興奮する(ἐξεγείρειν)タイプ、それが老婆の「生理的な使命」(biológica misión)なのだろう。「常にまとまりのない、的外れで、幼稚な」(siempre inconexas, desacertadas y puerile)でしかなく、書けば書くほどぼろを出し、墓穴(τὸ σῆμα)を掘ることになってもそれを止められない、という正気を失った狂信家(ὁ μαίνομαι)がそこにいる。
そして、それに拍車を駆けるのが度を越した「ドイツ狂い」であり、中国への見え透いたおべっかだろう。自分の頭で考える(Selbstdenken)、独立した思考(αὐτός διάνοια)が聞いて呆れる。ドイツや中国の奴隷(δοῦλος)に成り果てたようだ。
自己を喪失した(οὐ φρονεῖν)「K印の阿呆」の戯言は騒々しい(θαρυβώδης)だけで、何を書いても虚ろに響く。
57⇒【あのようなことを主張する医師は、感染病の基本がまったくわかっていない…日本の現在の悪循環…私はヒステリーを起こす】――ヒステリー(νοσοτροώφία)の自覚があるなら、頭を冷やす(σωφροσνέω)ことだ。[完]
それは本欄読者も周知の事実で、少なくてもこの2箇月、婆さんの議論にまともに耳を貸した(τεκμήριον)書き込みや反応が何ひとつない(οὐδέν)ことでも明らかだろう。
しかしそれでは身も蓋もないから、せめてオルテガ・イ=ガセなりとも、高度大衆化社会における政治家(ὁ πολιτικός)と知的エリート=選ばれた少数者(minorías selectas)、その一員となることもある専門家(τεχνίτης)の役割、将来の不確実性を相手に政治的決断を迫られる典型的な課題である危機管理への対応と民主的合意形成に絡むさ諸問題という衣装を被せて論じたまでで、西洋文明史上は長らく周縁の後進国に甘んじ、18世紀末~19世紀初頭にようやく文章語としての統一ドイツ語が確立した田舎国家の田舎宮廷の文豪ゲーテや、政治的実権をもたないお飾りの能弁家で、欺瞞(ἀπάτη)の塊であるパリサイ的偽善(Φαρισαῖου ὑπόκρισις)の代表者のような大統領など、問題にもならない。
婆さんはその「操り人形」(θαῦμα)の巫女だろうが、68⇒【反氏の凡庸や愚劣さの基準はなんなのだろう?】のような、戯けた問いを発する前に、自分の底知れない莫迦さ加減を自覚して(ἑαυτῷ συνειδέναι)、愚劣なおしゃべり(γλῶττα)が止まないから、つける薬がない。
別に措辞の整った(κεκαλλιεπέω)一人前の文章を書けとは言わないが、夜明けに(ἃμα τῇ ἡμέρᾳ)始まって、昼夜を継いで12本も投稿し、何ら説得的な(πιστικός)立論ができず、ただ狂犬のように吠えている。
「クズ」(φορυτός)を相手にする酔狂な人間など、誰もいない。
単純な比較で、中国のような死者数、致死率を記録している国・地域は、未だにない。比較の手法を恣意的に変えれば、婆さんのような詐術的議論は何にでも可能になるが、狂信家ではない、良識(εὐγνωμοσύνη)ある人間は、そうした事実を歪曲する(διαστρέφειν)の行為を慎む。
世界中で感染拡大が止まらない。G7で唯一中国の「一帯一路」構想に合意したイタリアは1日の死者が133人に上るなど、深刻な状況だ。感染者も一気に1,492人増えて韓国を追い抜き7,375人だ。災厄(συμφορά)の輸出国として非難されるべき(ἐπονείδιστος)中国への国際世論は急速に悪化するだろう。
そうした非難を蒙る(αἰτίαν ἔχειν)べき張本人が、自らの失敗(ἀτυχία)や誤算(ἀλογημα)を棚に上げて(ἔζω)、批判を逸らす(ἀποτρέπω)ために先手を打って(φθήσομαι)、宣伝工作に動き出した。
隠蔽(κρύπτω καὶ ἀφανίζω)も情報操作(ἐργάζεσθαι)もお手のものの強権的抑圧国家が、策を弄して(ἐπιβουλεύω)世界に挑戦する(ἐπικαλέομαι)反転攻勢に転じた。それだけ追い込まれているのだろう。
国連を含め国際政治の紛れもない実態で、警戒を要する(φυλακτέον)所以だ。
中国外務省は4日の会見で「新型ウイルスはグローバルな現象で、発生源はまだ確定していない」とか、同日の新華社通信が「新型ウイルスの発生源は恐らく他国だ。中国が誤る必要はないと」、何ら具体的な事実や証拠を挙げず、このところの世界的な関連拡大をみて、感染源と伝播のメカニズムという原因と、その帰結としての世界への伝播という結果を発生源の論争という形ですり替える詐術的議論を平然と言い出したのは、WHOを取り込んで今後の主導権を何とか維持することで、経済再生へのマイナス要因を何とかして軽減させたい意図があるのだろう。
従って、論争は科学的な解明ではなく、政治上の駆け引きとして利用され、新たな火ダネとなるのも覚悟、というか織り込み済みで、国内の締めつける(πιέζω)の同時進行で、感染の急拡大に翻弄される各国を尻目に戦略を立て直す時間稼ぎにもなり、何とかして国際社会でこれまで築き上げてきた地歩や地域的覇権を維持したい思惑があるのだろう。
中国共産党の理論的側面を展開する雑誌『求是』が、「中国の努力がなければ、世界の感染者はもっと増えていただろう」といった、まるで現在の爆発的な拡大に責任がないかのような論調や、政府の対策チームトップの鐘南山医師の「感染はまず中国でみられたが、必ずしも中国が発生源ではない」という、謀略説(ἐπιβουλη)こそないものの、実証的根拠を何ら示さないご都合主義的な政治的発言を含め、情報戦が始まっている。
このため、政府は8日、北部のロンバルディア州全域とヴェネチアなど合わせて14県を封鎖して原則来月3日までの移動制限に踏み切った。地域の約1,600万人に影響が出るという。結婚式や葬儀も控えるよう求めているのだから、大変な事態だ。ミラノなど対象地域の都市からは外国人を中心に脱出が相次いでいるという。
コンテ首相が「この決定に政治責任を負う。特に高齢者の健康を守り、国民一丸で危機を乗り越える」と呼び掛けた。ギリギリの決断だったとみられる。「一帯一路」で提携関係を結んだ中国の身勝手な豹変ぶりに、国民世論がどう反応するか注目される。
日本でも9日夜に専門家会議が見解を公表し、急激な感染拡大は何とかして食い止めているが、今後とも予断を許さない厳しい状況が続いていることや、対策は長期戦が避けられないこと、国内で未確認の散発的流行など、依然として感染者が急拡大する余地を残し、季節性インフルエンザのように夏が近づくにつれ自然の収束する見通しは薄いことを、新型ウイルスの特性として説明した。
感染症はその特性上、感染力と病原性の強さは反比例する関係にあり、弱年層は大半が軽症で済む一方、高齢者や基礎疾患保有者の重症化率の高さと死亡者の増加を抑えることが、医療体制の維持との両睨みで当面の最大の懸念材料になっている。
急激な感染拡大防止に一定の成果が上がったとしても決定的な決め手を欠くうえ、今後の展開に明確な見通しはなく、各種イベントの中止や来日外国人の急減に伴う消費の冷え込みや経済活動の停滞は当面避けられないだけに、東京五輪開催を含め、日本は国際社会との神経戦にも直面している。[完]
もはや正気を失って(οὐ φρονεῖν)、相当いかれている(τύφωμαι)のだろう。狂信家(ὁ μαίνομαι)の心中は、常人の想像の域を超えるから計り知れないが、誇大妄想(ὑπερβολή)に生きているようだ。
だから、見境なく事実を歪曲したり(διαστρέφειν)、途方もない強弁を弄する(λόγῳ ποιεῖν)のも意に介しないのだろう。
74⇒【反氏は、私のコピペを批判されるが…66は、100%コピペ…いったいどうなっているのだろう?】もその証左で、「コピペ狂い」(κλοπή μανικός)の妄想(φαντασία)とは、分別や定義の域外にあるようだ。
見境のない「コピペ狂い」で、手を抜いて剽窃(τὸ μιμεῖσθια=plagiarism)も辞さずにコピペを多用している割には、老婆は電子的な引き写し=コピペと、手間暇かけた引用の違いも理解できないようだ。
そもそも、66に掲げた私の『大衆の叛逆』に先立つオルテガ・イ=ガセの著作『無脊椎のスペイン』(“España invertebrada”, 1921)は正当な「引用」(παραφέρειν)、その章句であって、横着者の無学な婆さんのように、ネット上のどこかのサイトから無闇にペーストして貼り付けたものではない。
そもそも、私の知る限りマドリッドの「西欧評論社」(Revista de Occidente)から出た12巻本のオルテガの全集(José Ortega Y Gasset; Obras Completas, 1983, 12 vols.)は、その一部を収録した白水社版『オルテガ著作集』(全7巻)を含め、ネット上に公開されているとも思えない。コピペのしようがない。
引用する(παρατιθεσθαι)とは、引用箇所(passage in a book[ὁ λόγος=quotation])を、引用符で明示して、引用した版本、該当頁を添えることを言う。
婆さんの恥知らずな言いがかりは、まともな反論が自分の手に余る、如何にも「頭の悪い」軽率な人物特有の愚行で、つける薬がない。
さらに、今回の新型感染症の大量発生のように、世の中が騒然としてくると必ずみられる偏執狂特有の病理的現象で、大騒ぎして我を忘れた、我執(πικρία)と自己愛(φιλαυτος)、狂信(μανικός)の塊のような典型的人物による、生来の軽躁な性向がもたらす、後先を考えない、刹那的で軽はずみな(ῥᾳθυμηος)言辞として現われるのが通例だ。
その背景に何があるのか、大方、私のコメント46~47に「♡マーク」が5つもついたことに刺激され、異常に興奮(ὀρνύναι)したのだろう。単細胞の老婆のお頭とは、その程度の代物だ。
75⇒【私がマンゾーニの「許嫁」を引用したとき、反氏は、マンゾーニをよくご存じであるかのようなコメント】というが、イタリア人にとって、『婚約者』(“I promessi sposi”, 1840=平川祐弘訳の邦題は『いいなづけ』、河出書房新社)は、スペイン人にとってセルバンテスの『ドン・キ=ホーテ』、ドイツ人にとってのゲーテの『ファウスト』のような存在で、教科書で学ぶから誰でもその一節は知悉している。
それを特別視するのは、老婆が無学だからだろう。随分長い小説だが、私も新訳が出た際に読んだ。スペイン支配下のロンバルディアを舞台にした若き恋人たち、農民のレンツォとルチーアが、ルチーアを自分の慰み者にしようと二人の結婚禁じるに悪辣な領主を対抗して流浪し、さまざまな混乱に翻弄されるなか、不屈の意志で希望と信仰を捨てずに結婚にこぎつける大河小説で、ペストの話はミラノ暴動や三十年戦争と並ぶ、その一つの背景にすぎない。
相手の主張を歪曲して一方的に攻撃する(ἔπεμι)のに手段を選ばぬ狂信性と偏狭性は老婆ならではで、非難されるべき(ἐπονείδιστος)は偏執狂の老婆の方だ。
カ氏が如何に愚鈍かは、74③⇒【Covid19は…子供の病状は軽く、潜伏期間が長く、80%の人は感染させないが、残りの20%のか(?)感染させる力が驚異的に強く、致死率が低い、ということが、中国の研究でわかってきた】のような事実は、中国での研究成果を含めて全くない。老婆のいかれたお頭がつくり出した戯言=妄説(ἀλλοδοξία⇒‘Karoline Doctrine’)以外の何ものでもない。
新型ウイルスの特徴はその感染力の強さにあり、一般的に8割とされる大半の軽症者に比べ、高齢者や基礎疾患保有者の重症化率の高さが警戒されているのは事実だが、「軽症で済む80%が他に感染させない」という報告はどこにもない。症状がない無症状感染者(非顕性感染者)は、その捕捉の難しさと活動範囲の広範さで感染を拡大させる重要な因子であることも共通理解だ。
老婆の混乱した蜘蛛の巣だらけのお頭は、その程度の基礎的な理解も欠けていることを歴然と示している。感染力と病原性は反比例するという、感染症理解の大原則も知らない、莫迦丸出しの文章だ。
中国の見え透いた反転攻勢は、その隠蔽体質や強権的体制同様、事実であって、「反中国」とは言わない。「発生源論争」は国内引き締めと同時に、国際世論を睨んだ中国の策略であって、中国は何の証拠(evidebse)も示していない。
中国への阿諛体質も、病気の域だ。[完]
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